2018年07月29日

世界で日本だけが「元号」に固執し続ける理由

世界で日本だけが
「元号」に固執し続ける理由
2018/07/26 東洋経済

鈴木 洋仁 : 事業構想大学院大学准教授

2019年4月に天皇の「御代替わり」を控え、元号をめぐるネット上での「大喜利」が止まらない。
2018年1月には安倍晋三首相が「新元号は日本人の生活に深く根差すものに」との方針を示したことから、平成の次の元号には「忖度」や「残業」「寿司」はどうか、といった議論が盛り上がった。

さらに、「元気モリモリご飯パワー」というような突拍子もない候補やキラキラネームならぬ「キラキラ元号」は是か非か、といったテーマにいたるまで自由に議論されている。
いや、「議論」というよりも、もはやネタとして元号で遊ぶ「元号のカジュアル化」が進んでいる。

その一方で、こうした流れに抗う動きが保守派から出ている。
共同通信は同年6月5日、以下のような記事を配信した。
「超党派の保守系議員でつくる『日本会議国会議員懇談会』は5日、国会内で総会を開き、新天皇即位に伴う新元号の公表は即位日である来年5月1日を原則にするべきだとの見解をまとめた」

同懇談会は、「新元号については『平成(であるうち)に公表されれば、現陛下と新陛下の二重権威を生み出す恐れがある』と指摘した」とのことなので、元号が「天皇陛下の権威を示す記号だと位置付けている」様子がうかがえる。

では、元号は今もなお
天皇の権威を示す記号なのか?
戦前までは「元号」と「天皇」の関係は強かった

日本のように現在も「元号制度」を採用している国はほかにない。
そもそも元号制度は、紀元前140年に中国・前漢で生まれた世界最初の元号である「建元」を由来とする。
古代中国は当時のアジアの文明国。
過去には日本以外にも、ベトナムや朝鮮半島なども元号を取り入れた。

日本では、西暦645年の「大化」にはじまり「平成」にいたるまで247の元号がある。
明治以後は「一世一元」、つまり、ひとりの天皇についてひとつの元号に限るため、改元は天皇の御代替わりの際にしか行われない。
これは保守派が主張するように、元号を天皇の権威を示す記号として位置付けるためだ。

ところが、明治以前だと、改元は御代替わり以外にも頻繁に行われてきた。
8〜9世紀の天皇への珍しい亀の献上や、美しい雲の出現など慶事をきっかけに改元(元号を改めること)する時代を経て、10世紀ごろからは災害などを理由とした改元が増えてくる。

また、朝廷よりも武家が権力を持った鎌倉時代や江戸時代には、天皇の御代替わりによる改元が形式的なものになる。
朝廷は、時の政権が決めた元号を手続き的に認める役割にとどまる。
ただ、たとえ形だけであるにしても、「昭和」までの246個の元号は最終的にはすべて天皇が決めてきた。
だから、確かに保守派の主張通り、元号は天皇の権威とストレートに結びついている。

元号を決めるのは天皇から
内閣総理大臣に変わった
戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)下での元号は、勅定=天皇自らが決めるものとして明記されていた。
加えて、その公表のしかたは、「詔書(しょうしょ)」を用いると決められていた。
詔書とは、教育勅語のように、天皇が公務として自らの意思を明らかにする文書であり、法的効力を持つ。
つまり、大日本帝国憲法における改元とは、最高権力者である天皇による権威を示すイベントだった。
ところが、戦後に元号はその法的根拠を失う。

GHQにより、上記の法的根拠だけでなく、元号そのものについてまったく明文化されなくなってしまったからだ。
政府は「事実たる慣習」としてなんとか元号を存続させた上で、ようやく1979年に「元号法」の制定にこぎつける。
同法では、「元号は、政令で定める」とある。
政令とは、端的に言えば、内閣による命令である。
現代では、元号を決めるのは天皇ではなく内閣総理大臣なのである。

すなわち、現在の元号法が続く限り、平成以降の元号はすべて天皇ではなく、首相が決めることが予定されている。
となると、保守派の主張のように元号が天皇の権威を示す記号であるとは言えないのではないか。
それでも、保守派の理屈からすれば、「一世一元の制度をとる元号は、世界で日本が唯一である以上、あくまでも元号は天皇の権威を示している」と言えるかもしれない。

もちろん、北朝鮮が採用している「主体(チュチェ)」は、金日成の誕生年である1912年を元年としており、一世一元の元号とは異なる。
台湾の「民国紀元」もまた、中華民国の建国年の1912年を紀元としており、これも元号とは異なる。
だから、@確かに日本が世界で元号を使っている唯一の国であること。
そして、Aその紀年法(数え方)は天皇に基づいている以上、その権威が元号と密接に結びついていること。
この2点は揺るがないように見える。

海外の元号に対する反応 とはいえ、元号が、日本以外の国でどのように認識されているのだろうか。
そこで、昭和天皇の崩御にあたっての隣国・韓国からの反応を見てみよう。
東亜日報1989年1月9日付の紙面は、
「ヒロヒトの死により、20世紀の明暗を分けた昭和時代は終わりを告げた」と始まる(強調は引用者による)。
筆者が参照したのは、同年1月10日付の朝日新聞朝刊だ。
朝日新聞は「昭和時代の終焉」と見出しを付した上で、「同胞の生命失い屈辱を忘れられぬ」とサブタイトルをつけている。

同記事によれば、「『昭和時代』の前半は、戦争と侵略の歴史でつづられた」のであり、「わが国に残した傷跡はまだ深い」という形で、「昭和」という元号が使われている。

韓国にとって、「昭和」は戦争の傷跡を想起させ、なおかつ、「『天皇制』の歴史的責任を問わざるを得ない」記号にほかならない。
あるいは、直近での海外からの反応はどうだろうか。
米国コロンビア大学で日本史を研究するキャロル・グラック教授は、朝日新聞2017年8月30日付朝刊で、「もう元号は、昭和までと同じ存在ではない」と断言する。
グラック教授は、「元号と日本人の関係が決定的に違っています。
かつてのような元号と西暦をめぐるイデオロギー対立はみられず、ほとんどの日本人は、便利に暦を使い分けるようになりました」と述べる。

もはや、天皇は元号と時代の中でも中心的な位置を占めていない、というのが彼女の見立てである。
すなわち、現在の米国の日本研究者にとっては、韓国が昭和の終わりに際して見せた強い反応ではなく、「元号とイデオロギーの乖離」が進んでいると見えるのだ。
だからこそ、「なぜ、日本では世界で唯一元号を使っているのか」との疑問が、より強く残る。

日本が元号を使い続ける
     「消極的な理由」
元号とイデオロギーの乖離が進み、そして、元号ではなくシステム上の利便性を優先させるために西暦の使用を望む声が優勢であるにもかかわらず、なぜ日本は、今も元号を使うのか。

@「他国からの批判意見もない」ため
それは確かに保守派が唱えるように、天皇の権威を示す記号だからかもしれない。
けれども、韓国が「昭和時代」に見せたような激烈な反応は、日本においても、さらには米国をはじめとした諸外国においても、すでに見られない。

A「新元号をめぐるタブー感はない」ため
天皇が即位してからの30年という時間により、「平成」という元号が、特有のイメージを持たなくなり、つかみどころのないものになった。
加えて、今回の御代替わりは「崩御」ではなく「譲位」や「退位」となるため、新元号をめぐる議論にタブー感はない。

B「廃止する動機もさほどない」ため
「元号使用は伝統的で、西暦だと進歩的」などと分けることに意味はなくなり、元号が良くも悪くも権威を失ってカジュアルになり、廃止する動機もさほどない。

1979年に元号法が成立してから40年近くが過ぎた。
このため、今にいたって、わざわざ「元号を廃止する」と主張したとしても、その根拠となるものが見当たらない。
強いて挙げるとするなら、「西暦の方が便利だから」だ。
しかし、それが理由だとしても、行政文書等での元号使用を強制しなければ済む話であって、あらためて「元号を廃止する」きっかけにはならない。
裏を返せば、元号法によって法的根拠が与えられている以上、使う場面や頻度は減るとはいえ、日本は元号を使い続けるほかない。
あえて廃止するきっかけや根拠もないがゆえに、今もそしてこれからも日本は世界で唯一元号を使う国として存続していく。少なくとも筆者にはそうとしか言いようがない。
posted by 小だぬき at 12:14| 神奈川 ☁| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安倍1強になびく"ゾンビ議員"たちの最期

安倍1強になびく
"ゾンビ議員"たちの最期
2018/07/28 プレジデント(沙鴎 一歩 )

総裁選は安倍首相と
石破茂元幹事長との一騎打ちか
自民党の岸田文雄政調会長が7月24日、9月の総裁選に立候補しない意向を表明するとともに、岸田派として党総裁の安倍晋三首相の連続3選を支持する方針を示した。
これで総裁選は安倍首相と、出馬の準備を進める石破茂元幹事長との一騎打ちになる公算が大きくなった。

安倍首相は党内7派閥のうち、細田派、麻生派、二階派の支持をすでに得ている。
石原派も安倍首相支持に回る見通しで、結局、安倍首相は無派閥議員も含め、国会議員票(405票)のうち、およそ300票を固めている。
岸田氏の不出馬表明で、安倍首相がさらに優勢になったことは間違いない。
自民党は「安倍1強」にすがりついて来年の参院選と統一地方選を勝ち抜こうという魂胆なのである

安倍首相が再び総裁に就いて安倍政権を継続すると、安倍1強はますます強くなるばかりだ。
官邸主導の政治はさらに強化され、その結果、霞が関の役人たちは忖度に走り、森友・加計学園疑惑を上回る問題が起きる可能性がある。
最近、文部科学省の局長や統括官が収賄容疑で逮捕されたが、同様の汚職事件も多発するだろう。

何よりも怖いのは、政権の長期化によって政治が活性化しなくなることだ。
政治家が政治の本道を忘れ、自己の利益追求を優先する。
政治家のための政治が当たり前になる。
その結果、痛い目に遭うのは私たち国民なのである。

「自民党に広がる閉塞感を表していないか」
岸田氏の不出馬を巡って新聞各紙の社説もそれぞれの視点から主張している。

7月25日付の毎日新聞の社説は冒頭部分で「これにより総裁選は、首相が一段と優位になったのは確かだろう。
だが候補の一人がこうして早々と戦線離脱すること自体、『安倍1強』状況の下で自民党に広がる閉塞感を表していないか」と訴える。
毎日社説は「衆参両院で自民党が多数を占める今、総裁選は事実上の首相選びの場だ。
中でも今回は首相が3選されれば、首相在任期間が戦前、戦後を通じて最長となる可能性が出てくる重要な選挙である。
しかも2015年の前回総裁選では安倍首相が無投票で再選された。
今回、複数が立候補すれば政権復帰後初めてとなる」と解説する。

やはり沙鴎一歩が前述したように「首相在任期間が最長」ゆえの深刻な問題は起きる。
そこを毎日社説はこう指摘していく。
「第2次安倍政権が発足して、もう5年半が過ぎた。
官邸が官僚の人事を握り、それを恐れる官僚が首相らに忖度する弊害が指摘されて久しい。

首相自らの問題でもある森友、加計問題も決着せず、財務省は文書改ざんまで引き起こした」
「安全保障関連法など反対意見を封じて与党の数の力で成立させる強引な手法も目立った。
経済政策も当初、アピールしていたような成果をあげているとは言えず、首相は『まだ道半ば』と繰り返すばかりだ
どの指摘もその通りである。

「国民を巻き込んだ総裁選」
                 を考えてほしい
さらに毎日社説は「岸田氏が不出馬を決めたのも、安倍首相と戦えば、総裁選後の党人事や内閣改造で自ら率いる派閥に不利になるかもしれないとの計算が働いたと思われる」とも指摘する。
岸田氏が毎日社説の指摘するような政治家だとすれば、自己の利益追求を考えた行動だ。

最後に毎日社説は「国民を巻き込んだ総裁選」を訴える。
「かつて多くの首相候補が激しく争っていた頃は、総裁選は政策や政治姿勢を転換し、国民の党に対するイメージを変える場でもあった。
政権党の開かれた論戦は国民全体にとっても有益だ。

安倍首相3選』の結論ありきで、多様な議論が展開されないとすれば、これもまた民主主義の危機と言うべきである
国民あってこその総裁選なのである。
自民党はそれを忘れている。
自民党には一度、原点に返って政党の在り方というものを考え直してほしい。

朝日は「我も我もと
『安倍1強』に付き従う姿」と批判
次に朝日新聞の社説(7月26日付)を見てみよう。
朝日は1番手の社説で「1強になびく危うさ」との見出しを掲げ、まずこう指摘する。
「5年7カ月に及ぶ長期政権の下、我も我もと『安倍1強』に付き従う姿は、闊達な論争が失われた党の姿を映し出す」

沙鴎一歩は「自民党は『安倍1強』にすがりつき、来年の参院選と統一地方選を勝ち抜こうという魂胆なのである」と書いたが、「我も我もと『安倍1強』に付き従う姿」とは朝日社説らしいいやらしさが多少あるものの、的を射た表現だ。

安倍1強の結果、「闊達な論争が失われる」のも、その通りである。
朝日社説は「結局のところ、不出馬の決断で1強政治の継続を肯定したことになる」と書いて「背景には人事での処遇をちらつかせる党内の権力闘争があるのだろう」と推測し、「安倍氏を支える麻生副総理兼財務相は先月、『「(総裁選で)負けた時には冷遇される覚悟をもたねばならない』と揺さぶりをかけた」と麻生氏の“嫌がらせ”を挙げる。

そのうえで「こんな発言がまかり通ること自体、1強のおごりを示しているというほかない」と鋭く批判する。
1強のおごり」。
安倍政権をひと言で表現すると、この言葉に尽きる。

岸田氏の不出馬は「忖度」なのか
さらに朝日社説は「従う者は厚遇され、意に沿わないものは冷や飯を食う」と批判し、「森友・加計問題で、行政の公正性と政治への信頼を損なった忖度の構造が、官僚だけでなく、選挙で選ばれた国民の代表たる国会議員の間にも根を広げているのは憂うべきことだ」と主張する。

果たして岸田氏の不出馬は忖度なのか。
朝日社説らしい見方だが、勢いに乗った安倍首相とは一戦を交えずにポスト安倍をしたたかに狙うのだろう。
したたかさは政治家にとって欠かせない。
今回の不出馬表明はそちらの方ではないか。

朝日社説は「強引な国会運営にしろ、政権をめぐる疑惑の放置にしろ、1強政治の弊害が誰の目にも明らかな今、総裁選で示される自民党の選択は極めて重い」と自民党の責任を指摘し、そのうえで「党内では石破茂元幹事長らが出馬の意向をみせており、前回2015年のような無投票にはならない見通しだ
どこまで政策論争が深まるか、党員・党友による地方票の行方とともに注視したい」と訴える。

最後に指摘する。
「1強の裏に広がるのは、活力なき政治だ。
一人の権力者になびくだけの現状は危うい」

朝日社説は安倍1強の結果、生まれたのが「活力なき政治」と指摘しているわけだが、これには賛成である。

ゾンビのように
付き従うだけの与党議員たち
読売新聞も7月26日付の1番手の社説で自民党総裁選を扱っている。
前半で読売社説は「岸田派内には、首相に立ち向かうべきだとの主戦論もあった。
既に細田派と麻生派、二階派が首相支持の方針を固めている。
岸田氏は、立候補しても展望は開けないとみたのだろう」と書く。

そのうえで「要職をこなして研さんを積み、今後に備えるべきだ。
岸田派の結束維持も課題である」と岸田氏に呼び掛ける。
ずいぶんと優しい社説である。

岸田氏はさぞ喜んでいることだろう。
持論だが、新聞の社説は政権擁護よりも批判に重点を置くべきだ。
そのあたりを社説担当の論説委員が理解していないのだろう。

そんな読売社説ではあるが、評価に値することも述べている。
たとえば次のような主張は社説として的確だと思う。
「出馬に強い意欲を示す石破茂・元幹事長は、党員の支持を広げる狙いから地方行脚を精力的に続けている。
首相とは異なる政策を掲げて論戦を挑んでもらいたい」

異なる政策で論戦を挑んでこそ、国民を巻き込んだ総裁選に近づくことができるのだ。
「3年前の総裁選で、首相は無投票再選を果たした。
6年ぶりとなる選挙戦を自民党は党の活性化につなげるべきだ」

沙鴎一歩も指摘したが、「活性化」が重要なキーワードなのである。
朝日は「活力」という言葉を使って表現していた。
いま政治から活力が失われ、与党の議員はゾンビのように安倍首相に付き従っている。それでいいのだろうか。
posted by 小だぬき at 00:17| 神奈川 ☔| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする