世界で日本だけが
「元号」に固執し続ける理由
2018/07/26 東洋経済
鈴木 洋仁 : 事業構想大学院大学准教授
2019年4月に天皇の「御代替わり」を控え、元号をめぐるネット上での「大喜利」が止まらない。
2018年1月には安倍晋三首相が「新元号は日本人の生活に深く根差すものに」との方針を示したことから、平成の次の元号には「忖度」や「残業」「寿司」はどうか、といった議論が盛り上がった。
さらに、「元気モリモリご飯パワー」というような突拍子もない候補やキラキラネームならぬ「キラキラ元号」は是か非か、といったテーマにいたるまで自由に議論されている。
いや、「議論」というよりも、もはやネタとして元号で遊ぶ「元号のカジュアル化」が進んでいる。
その一方で、こうした流れに抗う動きが保守派から出ている。
共同通信は同年6月5日、以下のような記事を配信した。
「超党派の保守系議員でつくる『日本会議国会議員懇談会』は5日、国会内で総会を開き、新天皇即位に伴う新元号の公表は即位日である来年5月1日を原則にするべきだとの見解をまとめた」
同懇談会は、「新元号については『平成(であるうち)に公表されれば、現陛下と新陛下の二重権威を生み出す恐れがある』と指摘した」とのことなので、元号が「天皇陛下の権威を示す記号だと位置付けている」様子がうかがえる。
では、元号は今もなお
天皇の権威を示す記号なのか?
戦前までは「元号」と「天皇」の関係は強かった
日本のように現在も「元号制度」を採用している国はほかにない。
そもそも元号制度は、紀元前140年に中国・前漢で生まれた世界最初の元号である「建元」を由来とする。
古代中国は当時のアジアの文明国。
過去には日本以外にも、ベトナムや朝鮮半島なども元号を取り入れた。
日本では、西暦645年の「大化」にはじまり「平成」にいたるまで247の元号がある。
明治以後は「一世一元」、つまり、ひとりの天皇についてひとつの元号に限るため、改元は天皇の御代替わりの際にしか行われない。
これは保守派が主張するように、元号を天皇の権威を示す記号として位置付けるためだ。
ところが、明治以前だと、改元は御代替わり以外にも頻繁に行われてきた。
8〜9世紀の天皇への珍しい亀の献上や、美しい雲の出現など慶事をきっかけに改元(元号を改めること)する時代を経て、10世紀ごろからは災害などを理由とした改元が増えてくる。
また、朝廷よりも武家が権力を持った鎌倉時代や江戸時代には、天皇の御代替わりによる改元が形式的なものになる。
朝廷は、時の政権が決めた元号を手続き的に認める役割にとどまる。
ただ、たとえ形だけであるにしても、「昭和」までの246個の元号は最終的にはすべて天皇が決めてきた。
だから、確かに保守派の主張通り、元号は天皇の権威とストレートに結びついている。
元号を決めるのは天皇から
内閣総理大臣に変わった
戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)下での元号は、勅定=天皇自らが決めるものとして明記されていた。
加えて、その公表のしかたは、「詔書(しょうしょ)」を用いると決められていた。
詔書とは、教育勅語のように、天皇が公務として自らの意思を明らかにする文書であり、法的効力を持つ。
つまり、大日本帝国憲法における改元とは、最高権力者である天皇による権威を示すイベントだった。
ところが、戦後に元号はその法的根拠を失う。
GHQにより、上記の法的根拠だけでなく、元号そのものについてまったく明文化されなくなってしまったからだ。
政府は「事実たる慣習」としてなんとか元号を存続させた上で、ようやく1979年に「元号法」の制定にこぎつける。
同法では、「元号は、政令で定める」とある。
政令とは、端的に言えば、内閣による命令である。
現代では、元号を決めるのは天皇ではなく内閣総理大臣なのである。
すなわち、現在の元号法が続く限り、平成以降の元号はすべて天皇ではなく、首相が決めることが予定されている。
となると、保守派の主張のように元号が天皇の権威を示す記号であるとは言えないのではないか。
それでも、保守派の理屈からすれば、「一世一元の制度をとる元号は、世界で日本が唯一である以上、あくまでも元号は天皇の権威を示している」と言えるかもしれない。
もちろん、北朝鮮が採用している「主体(チュチェ)」は、金日成の誕生年である1912年を元年としており、一世一元の元号とは異なる。
台湾の「民国紀元」もまた、中華民国の建国年の1912年を紀元としており、これも元号とは異なる。
だから、@確かに日本が世界で元号を使っている唯一の国であること。
そして、Aその紀年法(数え方)は天皇に基づいている以上、その権威が元号と密接に結びついていること。
この2点は揺るがないように見える。
海外の元号に対する反応 とはいえ、元号が、日本以外の国でどのように認識されているのだろうか。
そこで、昭和天皇の崩御にあたっての隣国・韓国からの反応を見てみよう。
東亜日報1989年1月9日付の紙面は、
「ヒロヒトの死により、20世紀の明暗を分けた昭和時代は終わりを告げた」と始まる(強調は引用者による)。
筆者が参照したのは、同年1月10日付の朝日新聞朝刊だ。
朝日新聞は「昭和時代の終焉」と見出しを付した上で、「同胞の生命失い屈辱を忘れられぬ」とサブタイトルをつけている。
同記事によれば、「『昭和時代』の前半は、戦争と侵略の歴史でつづられた」のであり、「わが国に残した傷跡はまだ深い」という形で、「昭和」という元号が使われている。
韓国にとって、「昭和」は戦争の傷跡を想起させ、なおかつ、「『天皇制』の歴史的責任を問わざるを得ない」記号にほかならない。
あるいは、直近での海外からの反応はどうだろうか。
米国コロンビア大学で日本史を研究するキャロル・グラック教授は、朝日新聞2017年8月30日付朝刊で、「もう元号は、昭和までと同じ存在ではない」と断言する。
グラック教授は、「元号と日本人の関係が決定的に違っています。
かつてのような元号と西暦をめぐるイデオロギー対立はみられず、ほとんどの日本人は、便利に暦を使い分けるようになりました」と述べる。
もはや、天皇は元号と時代の中でも中心的な位置を占めていない、というのが彼女の見立てである。
すなわち、現在の米国の日本研究者にとっては、韓国が昭和の終わりに際して見せた強い反応ではなく、「元号とイデオロギーの乖離」が進んでいると見えるのだ。
だからこそ、「なぜ、日本では世界で唯一元号を使っているのか」との疑問が、より強く残る。
日本が元号を使い続ける
「消極的な理由」
元号とイデオロギーの乖離が進み、そして、元号ではなくシステム上の利便性を優先させるために西暦の使用を望む声が優勢であるにもかかわらず、なぜ日本は、今も元号を使うのか。
@「他国からの批判意見もない」ため
それは確かに保守派が唱えるように、天皇の権威を示す記号だからかもしれない。
けれども、韓国が「昭和時代」に見せたような激烈な反応は、日本においても、さらには米国をはじめとした諸外国においても、すでに見られない。
A「新元号をめぐるタブー感はない」ため
天皇が即位してからの30年という時間により、「平成」という元号が、特有のイメージを持たなくなり、つかみどころのないものになった。
加えて、今回の御代替わりは「崩御」ではなく「譲位」や「退位」となるため、新元号をめぐる議論にタブー感はない。
B「廃止する動機もさほどない」ため
「元号使用は伝統的で、西暦だと進歩的」などと分けることに意味はなくなり、元号が良くも悪くも権威を失ってカジュアルになり、廃止する動機もさほどない。
1979年に元号法が成立してから40年近くが過ぎた。
このため、今にいたって、わざわざ「元号を廃止する」と主張したとしても、その根拠となるものが見当たらない。
強いて挙げるとするなら、「西暦の方が便利だから」だ。
しかし、それが理由だとしても、行政文書等での元号使用を強制しなければ済む話であって、あらためて「元号を廃止する」きっかけにはならない。
裏を返せば、元号法によって法的根拠が与えられている以上、使う場面や頻度は減るとはいえ、日本は元号を使い続けるほかない。
あえて廃止するきっかけや根拠もないがゆえに、今もそしてこれからも日本は世界で唯一元号を使う国として存続していく。少なくとも筆者にはそうとしか言いようがない。