2018年08月20日

「人の命が下っ端ほど軽く扱われる」特攻隊員と戦争の現実

「人の命が下っ端ほど軽く扱われる」
特攻隊員と戦争の現実
2018/08/18 神戸新聞

 1944(昭和19)年10月、姫路海軍航空隊の鶉野飛行場(兵庫県加西市鶉野町)に赴任した少尉の大岩虎吉さんは、近くの民家の離れを借り、妻たねさんと3歳と1歳くらいの娘2人と4人で住んでいた。
 愛知県出身で、中央大法学部を繰り上げ卒業。
その直前には高等文官試験に合格したという秀才だった。

同飛行場で編成された特攻隊「白鷺隊」の元隊員、桑原敬一さん(92)=横浜市=は「声が大きくて、あれほど張り切っている人はいなかった」と強烈な印象を語る。
 大岩さんが住んでいたのは、「鶉野平和祈念の碑苑保存会」監事の塩河清一さん(85)=加西市鶉野町=が両親、2人の兄、弟、妹と暮らしていた家の隣だった。
塩河さんの父親と話が合ったようで、母親同士も幼い子を持って共通の話題があったのだろう、家族ぐるみの付き合いだった。
塩河さんは大岩さんにかわいがってもらった。

 同保存会の前身組織が編集した本「いまに残る姫路基地」によると、大岩さんはたねさんに「妻子がいるから特攻隊によう志願せんとは言われたくなかったので、いの一番に志願した」と話していたという。

 白鷺隊が同飛行場から九州へ向かった45年3月23日の朝。
たねさんが長女の手をひき、普段は家に寝かせている次女をおぶって塩河さんの家に来た。
塩河さんの家族も一緒に、庭から飛行場を見詰めた。

 艦上攻撃機が続々と飛び立つ。
ごう音が響く。
その中の1機が塩河さんたちの方へ近づき、高度を下げてきた。
偵察員だった大岩さんは機長で、3人の搭乗員の真ん中にいた。
手を振るのが塩河さんには見えた。
 たねさんは「あれが主人です。これで最後です」と言うと、しゃがみ込んで、わーっと泣いた。
塩河さんは「あの時のことを思うと、今でも耐えられない」と涙ぐむ。

 4月6日。
25歳だった大岩さんは串良基地(鹿児島県鹿屋市)から出撃し、帰らぬ人となった。
      ◇
 死を前に、どれほど苦悩したか−。
桑原さんは84年、特攻隊時代の内面をさらけ出した手記を自費出版した。
同じ海軍飛行予科練習生で特攻隊員ではなかった出身者から「予科練の面汚しだ」との批判も浴びたが、元隊員からは「よくぞ言ってくれた」との声を多く聞いた。

 「とにかく弱者を矢面に立てるのが特攻、戦争の現実だった」と桑原さんは言う。
上に立つ者は声を荒らげて叱咤激励するばかりで、自分は実践しなかった。
人の命が下っ端ほど軽く扱われることを実感した

 肺結核で右肺の大部分を摘出する大病を患ったが「亡くなった隊員たちに『しゃべってくれ』と、生かされているんだと思う」と語る。
 同飛行場跡や周辺では、防空壕などの戦争遺産を平和学習や観光に生かす取り組みが広がり、加西市がミュージアムを建設する計画もある。
かつて、ここで「死へ向かう訓練」をした桑原さんは願う。

 「何があったかを知るだけではなく、二度とない世界にしなければ、と思ってほしい
            (森 信弘)
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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