安倍政治と無縁とは思えない
「老人は邪魔者」の社会風潮
2018年9月1日 日刊ゲンダイ
長生きは悪なのか。
まだまだ残暑が厳しい中、身も凍える事件だ。
岐阜市の「Y&M藤掛第一病院」でエアコンが故障した部屋に入院していた80代の男女5人が相次いで死亡。
岐阜県警は熱中症で死亡した疑いがあるとみて、殺人容疑で病院を家宅捜索した。
エアコンが故障した8月20日以降、7夜連続の熱帯夜の中、病院は3〜4人部屋に家庭用扇風機1台を置いただけ。
市は立ち入り調査後、「劣悪な環境の中で亡くなったことを確認した」と明かしたが、院長の会見はどこか他人事のよう。 亡くなった患者の症状については、「重症やったね。COPD(慢性閉塞性肺疾患)の患者とかはアッという間に亡くなりますね」。
エアコンの故障と患者死亡の因果関係は、「いつ病状が急変してもおかしくない状況。
病院としては何か問題があったとは考えていない」と強調した。
そして「COPDの人は、たばこを若い時にものすごくのんでいた。
だから、たばこはひどいね」と笑顔を浮かべ、患者を死に至らしめたのは、たばこが原因と問題をスリ替えるような発言まで飛び出した。
院長は終末期の高齢患者を多く扱っていたため患者の死には慣れっこなのか。
それにしても、命の重さを感じられない弁明だった。
■姥捨て感覚の介護放棄も増加の一途
「残念ながら、この先も今回のような事件が相次ぎそうです」と全国介護者支援協議会理事長の上原喜光氏はこう言う。
「小泉政権の頃から、政府は『構造改革』と称し、200床程度の病院の統合を後押し。
800床以上の大病院の開設を加速させた一方で、診療報酬は大幅に引き下げ。
おかげで200床未満の病院の経営は苦しくなり、今回の病院のように終末期の患者を受け入れ、しのいでいるのが実態です。
終末期医療は治すより、痛みなどの緩和が優先。
本来、病院は病気を治す場所ですが、死亡届を書くのが仕事のようなものです。
今回の病院がそうとは言いませんが、治療しない病院はあり得ないのに、それを百も承知の姥捨て感覚で、親を入院させる“介護放棄”も増えています。
特養老人ホームで今回と同じことが起これば、家族はもっと騒ぎ立てたはず。
人の命が軽んじられる悲しい世の中です」
2年前に横浜市の大口病院で起きた連続中毒死事件で、入院患者3人への殺人容疑で送検された同病院の元看護師、久保木愛弓容疑者は、患者の点滴に消毒液を混ぜて殺害した動機をこう説明したという。
「自分の勤務中に亡くなると、家族に説明しなければならず不安だった」――これだけの理由で患者を次々と殺害したのなら、鳥肌が立つ。
「障害者は生きていてもしょうがない」との独善的理由で、相模原市の「津久井やまゆり園」で19人を刺殺した植松聖被告といい、かくも命を軽視する事件がここ数年、頻発しているのはなぜなのか。
歪んだ世相を助長する差別に満ちた政権
相次ぐ人命軽視の陰惨な事件は、老人など社会的弱者は「死んでもいい」とばかりの社会風潮の蔓延の象徴ではないのか。そんな偏見と蔑み、差別と排除を助長しているのが、安倍政権と自民党の冷血な政治姿勢である。
LGBTカップルは「子どもをつくらない」というだけで、「生産性がない」と断言。
彼らへの税金投入に異議を唱えた杉田水脈衆院議員をはじめ、まるで家畜や機械のように人の価値を「生産性」で測り、選別する。
恐ろしいことに、優生思想の塊のような杉田のツイッター投稿を追うフォロワー数が12万人を突破。
LGBT騒動以降、5000人以上も増えたのも「生産性なき者は去れ」という差別思想が、社会の一定層に浸透していることを物語る。
それだけ安倍冷血内閣が旗振り役となって、おぞましい風潮が日本社会にはびこってしまったということだ。
実に罪深い。
中央省庁の障害者雇用の水増しについても、安倍政権は寛容だ。
エコノミストの高橋乗宣氏は本紙コラムで、「法定雇用率をしっかり守ると、障害者にどう働いてもらうべきか、職場の扱いが難しくなる。
そんな雇用差別に結びつく意識が、中央省庁にはびこってはいなかったのか」と疑問を投げかけていた。
水増しの根底に障害者への差別意識があるかもしれないのに、麻生財務相は「(ガイドラインの)解釈の仕方が違っていた」と問題を矮小化。
それだけ、差別と排除に鈍感な証拠だろう。
大体、麻生ほど「老人は死ね」と言わんばかりの蔑視に満ちた政治家はいない。
2013年には高齢者の終末医療を「政府のお金でやってもらっていると思うと、ますます寝覚めが悪い。
さっさと死ねるようにしてもらわないと」と言い放ち、2年前にも「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、いつまで生きているつもりだよ」と言ってのけた。
■人命より効率化重視の血の通わない予算
こんな筋金入りの老人嫌いが、予算編成に強大な権限を持つ財務省トップに6年近くも君臨しているのだ。
なるほど、この政権は社会保障費に大ナタを振るい、弱者を切り捨てても平然としていられるわけである。
安倍政権は高齢化などに伴う「自然増」の削減を続け、この6年間で計1・6兆円もカット。
今年度予算も概算要求の時点で6300億円だった自然増を5000億円まで圧縮した上、来年度からは自然増分をさらに深掘りする方針だ。
「介護予算も抑制され、当初のサービスが10だとすると、今は6しか受けられません。
社会保障費不足は、安倍首相が選挙の票欲しさに消費増税を2度も先送りしたことが原因です。
『適正化』『効率化』の名で予算削減を迫り、人気取り策のツケを介護や医療の現場に押し付けるのは無責任すぎます。
そもそも介護の現場に『適正化』『効率化』はあり得ません。
介護を望む方々の家族構成や家庭環境、世帯収入はおのおの異なり、『適正化』というひとつの枠には収め切れません。
無理に収めようとするから、人命軽視のサービス悪化を招いているのです」(上原喜光氏=前出)
生産性と効率化に毒された血の通わない政権は、経済弱者に最低限の暮らしを保障する生活保護費も当然のようにカット。日常生活費に充てる生活扶助を今年10月から3年かけて210億円削減する方針だ。
すべて実施されれば、この政権下での生活保護削減は総額1480億円に上る。
これだけ弱者をいじめ抜き、「子どもの貧困」さえ生み出しているのに、安倍は総裁選に向けた講演で「生まれた家庭の事情によって、子どもたちの未来が左右されるようなことはあってはなりません」と奇麗事をヌカす。
いつだってそうだ。
人の価値を「生産性」で選別する狂った発想で、生産性なき者を社会の敵と見なす本音を「1億総活躍」「すべての女性が輝く社会づくり」など美辞麗句で覆い隠してきた。
政治評論家の森田実氏はこう言った。
「私は86年生きてきましたが、今ほど人の命と価値や、人格が大事にされない世の中はありません。
儲け第一の新自由主義に根ざした『今だけ、カネだけ、自分だけ』という刹那の発想が政財界を支配し、『生産性』や『効率化』を声高に叫び、社会の隅々まで競争が強いられ、格差は広がっている。
こぼれ落ちた人々が、さらに弱い者を叩くすさんだ世相です。
歪んだ風潮を止める努力こそが本来の政治の務めなのに、安倍政権は率先して助長している。
国の指導者たちの道義が廃れれば、この世は闇ですよ」
弱者いじめの風潮を蔓延させた政権と政党が今なお幅を利かし、この先も歪んだ世相が続くのかと思うと、ますます、おぞましくなってくる。