2018年09月17日

樹木希林が辺野古に現れた日

樹木希林が辺野古に現れた日!
米軍基地反対の座り込みをする
おばあの手を握って…
2018.09.16 LITERA(水井多賀子)

 樹木希林がとうとう亡くなってしまった。
数週間前から体調の悪化を報じられていたため、予感はしていたが、実際に訃報に接すると、大きな衝撃と喪失感を感じざるを得ない。
 それは彼女が役者として唯一無二の存在感を発揮していたからだけではない。
日本的な同調圧力に屈せずに自分のペースをつらぬく生き様や語り口が私たちに勇気を与えてくれていたからだ。

 また、樹木は芸能界で「政治的」と忌み嫌われるジャンルに踏み込むことも厭わなかった。
その典型が、2015年に東海テレビで放映された『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』だろう。
 樹木はこのドキュメンタリーでナビゲーター役を務め、残留孤児、原爆、特攻隊、沖縄戦など戦争の悲惨さについて、真剣に迫っていた。
 たとえば、残留孤児をテーマにした回では、笑福亭鶴瓶と対談。
樹木が「(戦争は)人間の世界で止めることができるはずなのに、そりゃ止めなきゃいけないですよね」と言うと、鶴瓶が「当たり前ですやん。そんなこと……なんのための戦争なんですか? なんのための……意味わからんな、ほんまに」と怒りを滲ませながら、安保法制の問題に自ら切り込む一幕もあった。

「国の言うことを、この歳になって信用したらあかんと思う、60過ぎてね、全部が国の言うことこれ、大丈夫かいなって思うようになるって……」
「いま、法律を変えようとしているあの法律もそうでしょうけど、それも含めて、いまの政府がああいう方向に行ってしまうっていうね、これ、止めないと絶対いけないでしょうね」
「これ、へんな方向に行ってますよ。
そら変えなあかん法律はいっぱいあってもね、戦争放棄っていうのはもうこれ謳い文句で、絶対そうなんですが9条はいろたらあかんと思うんですよね

 また、沖縄をテーマにした回では、辺野古の新基地建設に反対する人びとが集うキャンプ・シュワブのゲート前に現れ、座り込みを続ける86歳のおばあ、島袋文子さんの手を握り、語り合った。
 このこときは、樹木が沖縄の基地反対運動の現場に現れたことが大きな話題になったが、安保法制に賛成する夫・内田裕也は、樹木を批判。
ネットでは、内田に同調し、樹木のほうを非難する声も少なくなかった。
 2015年8月当時、本サイトでは、このときの経緯を記事にし、樹木の腹の据わったスタンスを高く評価する記事を書いている。
追悼の意味で一部を編集して再録するので、是非読んでほしい。 (編集部)
*小だぬき→辺野古基地建設は 沖縄に基地を増やすことにしかならない。普天間基地返還を米軍は確約していない。

●辺野古に出かけ反基地闘争を
激励した樹木希林に、
内田裕也が「ヤメロ」
 沖縄の基地問題をめぐって、ある夫婦がバトルの様相を見せた。
その夫婦とは、内田裕也と樹木希林夫妻。
2015年8月2日、内田がTwitterにこんな投稿をした。
〈オキナワの基地問題は本当に難しい!『安保条約』によって、米銀基地によって、日本は守られてきた。
KKさん、軽々しい発言はヤメロー!JOKEではすまされない。
祈る 正論!ROCK’N ROLL! 内田裕也〉(原文ママ)

 内田がイニシャルで名指ししている「KKさん」とは、明らかに樹木希林のこと。というのも、樹木は7月30日に辺野古の新基地建設を反対する人びとが集うキャンプ・シュワブのゲート前に現れ、大きなニュースになったばかり。
このことに対して、夫・内田裕也は反応したのだろう。

 それにしても、「ロケンロー!」「ラブ&ピース」が決め台詞で、ジョン・レノンの「パワー・トゥー・ザ・ピープル」を十八番にする内田が“日本は米軍基地によって守られてきた”と言い出すなんて、「あれ? ロックンローラーじゃなかったの?」という気がする。
 そもそも内田裕也は、若いころから“反体制”を謳ってきた人物である。
ベトナム反戦運動の高まりから生まれた伝説のロックフェス・ウッドストックにも多大な影響を受け、1974年には日本初の大規模ロックフェスとなったワンステップフェスティバルをプロデュースしたし、反体制を貫いた映画監督・若松孝二の作品にも多数主演してきた。

さらに、2014年の終戦記念日にはTwitterでこうもつぶやいている。
〈69回目の終戦記念日を迎えた!310万人の人が亡くなった!若者は戦争のあったこと、戦争の悲惨さを知らない。
SMAP、嵐、関ジャニ∞、AKB48、ももいろクローバーZ、きゃりーぱみゅぱみゅ、日本の人気者達、戦争のヤバさを一回くらい歌ってくれ!

樹木希林は基地の前で
座り込みを続けるおばあの
手を握り約束した
 体制に唾を吐き、“愛と平和”を口癖にし、「民衆に力を!」と高らかに宣言する歌を歌ってきた内田が、政府に虐げられ、この地に平和をと声をあげている沖縄に“基地移設は正論”と言う……。
これではロックンローラーの名が廃るというものだ。

 他方、そのロックンローラーの妻・樹木希林は、逆に夫よりもずっとロケンローしている。
 今回、樹木は東海テレビ制作のドキュメンタリー番組の収録のために辺野古を訪れたというが、彼女は事務所にマネージャーも置かず、自分自身で仕事を選び、現場に趣くのは有名な話だ。
しかも、今回収録した番組と思しき『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』(6回シリーズ/沖縄をテーマにするのは8月15日放送分)のHPによれば、その番組は沖縄戦にスポットを当てたもので、平和祈念公園の「平和の礎」を訪れる予定だとある。
これまでの樹木の行動力を考えると、今回、樹木は、スタッフも想定していなかった辺野古行きを自らの意志で決めた可能性も高いのではないだろうか。
 その日、辺野古のキャンプ・シュワブ前を訪れた樹木は、炎天下のなか基地移設反対を叫ぶ人びとの言葉に耳を傾けた。
そして、座り込み運動をつづける86歳のおばあ、島袋文子さんの隣に座り、「沖縄戦から辺野古問題までを熱く語」った島袋さんの手を握り、「辺野古問題を俳優仲間に広める」と応えたという(「News Watch」記事より)。

 樹木が熱い握手を交わした島袋さんは、今年の春、「女性自身」(光文社)の取材にこう話している。
「もし本土の人が沖縄は米軍部隊がいるから生活できているんでしょう、という感覚をいまだに持っているとしたら、それは大きな間違いです」

 本土の人間として米軍基地は必要だと沖縄の痛みも無視して言う内田裕也と、権力に抵抗する人びとを元気づけ、表現者として沖縄の声を届けようとする樹木希林。
そう考えると、樹木のほうが圧倒的に「ラブ&ピース」で「ロケンロー」だ。
posted by 小だぬき at 17:17| 神奈川 ☁| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山谷ブルースに思うこと

山谷ブルース
     岡林信康 詩・曲
♪きょうの仕事はつらかった
あとは焼酎をあおるだけ
どうせ、どうせ山谷のどさ住まい
ほかにやる事ありゃしねえ

一人酒場で 飲む酒に かえらぬ昔が 懐かしい
泣いて泣いて みたってなんになる
今じゃ山谷が ふるさとよ

工事終われば それっきり お払い箱の おれ達さ
いいさいいさ 山谷の立ちん坊
世間うらんで なんになる

人は山谷を 悪く言う
だけど俺達 いなくなりゃ
ビルも ビルも道路も出来ゃしねえ
誰も解っちゃ くれねえか

だけど俺達ゃ 泣かないぜ
働く俺達の 世の中が
きっときっと 来るさそのうちに
その日にゃ泣こうぜうれし泣き♪
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素朴な疑問を書きます。
かって「日本共産党への手紙」という書籍が 発行され、その内容に少なくとも党員であった私は共鳴しました。
11回大会だった時?に 議案の党内論争が別刷りで全党員に配布され 少数派に鋭い指摘もみられました。
この時が「共産党」の再生に重要だったと 今感じています。

本来は山谷ブルースの最後の詩にある世の中を作る一員になる決意で入党した人たちが 多くいた筈です。
でも中央の文書から「労働者」がへり「国民の支持を得て」との文言が多用されることで停滞し始めたと思います。
私たちの頃は、「選挙」と「大衆運動」を両輪として、「選挙」は大衆運動を盛り上げる一手段との意識でした。
だから全選挙区立候補で 当落より投票率・投票有権者数の拡大が目的でした。

国会活動では「反対しましたが 賛成多数で可決されました」結果は 本来の党路線から外れたものだと思います。
山本太郎君のような徹底抗戦が 共産党の本来の闘いのハズです。
志位さんは、多数決までどのような抵抗をしたのか、余りにも整然と紳士的に「多数決」を容認していないかと感じます。

96年の「輝く歴史」は、党員・支持者には ピンときません。
96年経っても 10〜20%弱の投票者、党員・赤旗の減少などは 党路線の誤りとは感じないのでしょうか??

野坂参三議長、金子満広書記長の時は、動員なしでも 多くの人が足を止めて演説に聞きいったものです。
また 過去に誤りがあったとしても100歳の野坂さん、袴田副委員長の除名の時の 罵詈雑言・人間性否定の赤旗記事やパンフには 党員でも「全否定と批判は行き過ぎ」と話したものです。

<党員>  
収入の1%の党費以外にも 赤旗購読・月刊「前衛」「学習」「労働運動(廃刊)」「各種パンフレット」、幹部著作などの購入費、党員としての加入組合費、各種カンバ(党建物、選挙供托金、他労組闘争支援など)、ただでさえ苦しい家計が「党員としての教養・義務」として徴収されるのです。
金銭的にも耐えられない党員や離党者が多いのではと思うのです。

また支部・班活動でも 職場の問題・活動方針を話し合う余裕がないほど 中央からの「党員拡大」「赤旗拡大」のウエートが大きかったです。
実質、教員党員は 公務員法に触れないように 前任地や前赴任校の名簿を頼りに「拡大」を図るのですが、負担は前任地・前赴任校の居住支部が配達・集金を担うのです。
私は「拡大英雄賞」として 中央委員会の名入りボールペン2本頂きましたが、思いは複雑でした。

<全労連ではなく 合同労組に>
労働分野でも 理不尽な扱いを受けた労働者が、自由に加盟できる「合同労組」での戦いを選ぶのかは きちんと分析した方がいいと思います。
多くは新左翼といわれる人達が幹部を担っています。
なぜかは明瞭で「最後まで加入労組員の立場で戦い抜く」という点です。

共産党執行部は 過去「突然のスト中止指令」や「成田闘争途中撤退」に限らず、地域問題などでも「権力の介入の恐れ」としてウヤムヤ解決が多くあります。

今こそ「党名」「綱領」「規約」「党員個々の負担軽減」などを 常任幹部会、書記局で真剣に論議して欲しいと思います。

少なくとも「山谷ブルース」の詩「働く俺たちの世の中」に希望が持てる党になって欲しい。
96年の歴史を きちんと「党勢拡大」ではなく「党勢後退」の現実から総括して欲しいものです。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする