2018年12月01日

【日産ゴーン逮捕】日本には「推定無罪」という法治国家の原則が欠如、世界中に恥さらし

【日産ゴーン逮捕】
日本には「推定無罪」という
法治国家の原則が欠如、
世界中に恥さらし
株式会社サイゾー 2018/11/30
文=小笠原泰
/明治大学国際日本学部教授、フランス・トゥールーズ第一大学客員教授)

またしても“ガラパゴス日本”の象徴的出来事が起きている。
フランス人の大物カルロス・ゴーン氏の逮捕なので、日本人はさぞや世界中で盛り上がっていると思っているであろうが、筆者の知る限り盛り上がっているのは日本だけという状況である。
筆者は現在フランスの大学の客員教授として同国在住であるが、ご当地では、まったく盛り上がっていない。

 東京地検特捜部が11月19日、夕刻に羽田空港に着いた日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏に任意同行を求め、午後8時に金融商品取引法違反の疑いでゴーン氏を逮捕したと発表した。
以降、新たな事実が判明するたびにメディアを賑わせているが、ゴーン氏について、職業人の域を逸脱して、本人の私生活にまで及んで、あることないことを粗探ししている状態である。

今回の件のワイドショー化は、筆者にはかなり異常に思えるのだが、成功者といってさんざん持ち上げたあとに引きずり降ろして足蹴にするのは、日本社会の典型的な行動である。
俗にいう集団的掌返しである。

 ことの重大性を否定する気はまったくないが、欧米居住経験者として見るに、まだ起訴でもなく、当然有罪が確定したわけでもないので、一斉にゴーン氏を有罪の悪人、人格に問題のある人物のように扱う世論には強い違和感がある。

 日産の西川廣人社長は、日本的形式に則り国民感情を考慮して、19日の逮捕後早々にゴーン氏を会長職から解任する意向を表明し、22日の取締役会で正式に解任した。
一方、ゴーン氏が会長兼CEOを務める仏ルノーの取締役会は20日、ゴーン氏を解任せず、会長・CEOとして留任させると発表。
逮捕されて身柄を拘束されているので、フィリップ・ラガイエット社外取締役を会長代行に、ティエリー・ボロレCOOをCEO代行に任命している。
ルメール経済・財務相も言うように、推定無罪という法治社会の原則に則った冷静な処置である。

 ある日本の新聞は、「取締役会がゴーン容疑者の解任を見送ったのは、ルノーの筆頭株主であるフランス政府の意向に配慮したためとみられ」と報じたが、これはまったくの憶測である。
ルノーの判断の背後にあるのは、ルメール経済・財務相も述べているが、推定無罪の原則である。
推定無罪とは「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という、近代法の基本原則だが、日本ではまったく機能していない。
逮捕された人物は犯罪者とみなされる。
この推定無罪が機能しない状態は、他の先進国からみると極めて異様、前近代的である。
 2014年、欧州連合(EU)と日本が貿易自由化に向けた経済連携協定(EPA)と同時並行で締結交渉を行っている戦略的パートナーシップ協定(SPA)では、人権侵害や民主主義に反する事態が起きた場合は協定を停止できるとの「人権条項」を設けるようEUが主張したが、日本政府が猛反発して顰蹙をかった。
日本における人権保護は国際的に信用がない。

 安倍政権は、基本的人権と法の支配という点において基本的価値観を欧米諸国と共有していると主張している。
しかし、当の欧米諸国の評価は、2014年に出された国連人権高等弁務官事務所からの勧告にある通りなのだが、政府に、その勧告に真摯に向き合う積極的な姿勢はうかがえないのが現状である。
ご興味ある方は、報告書を参照されたい。
多少の問題はあるが消極的評価は概ね妥当であり、耳を傾けるに値するであろう。  
 そして、政府の改善が見られないので、日本弁護士会も2017年に国連人権高等弁務官事務所にたいして、「国際連合人権高等弁務官事務所が作成する 日本に関する人権状況要約書のための文書による情報提供」という資料を提出している。
これが、欧米社会における日本における人権擁護の現状理解である。
今回のゴーン氏逮捕後の日本の対応は、この信用のなさに拍車をかけかねない

●日本の信用失墜に手を貸すマスコミ
 日本のマスコミは、ルノーがゴーン会長・CEOを解任しなかったことについて、推定無罪の観点から理解するのではなく、フランス政府の介入のせいにしている。
「ゴーン氏は悪人」という国民受けの良いシナリオに固執しているのかもしれないが、日本の国際社会での信用失墜に手を貸している。
 これを後押しするかのように、三菱自動車は26日の臨時取締役会でゴーン会長を解任した。
その理由として、すでに日産の信認を失っていること、逮捕によって会長としての業務遂行が困難になったことを挙げている。
しかし、最初の理由は推定有罪を前提にしている。
2つ目の理由は、ルノーのように代行を置けばよい話であって解任の理由にはならず、これも推定有罪が前提である。

 取締役会後に記者会見で益子修CEOは、「(解任しなければ三菱自を)レピュテーションリスク(評判を落とす恐れ)にさらすことになる」と述べた。
これは明らかに日本市場を意識したものであろう。
しかし、日本市場の販売台数(17年度)は全販売台数の1割程度であり(その半数は日本でしか売れない規制で保護された軽自動車)、欧州と北米の売り上げは30%を超えている。
これにオーストラリアを加えると販売台数の4割近くに達する。
推定無罪が前提の地域である。

これでは、むしろ解任するほうが三菱自をレピュテーションリスクにさらすことになるのではないか。
三菱自にとってどちらが重要な市場かは明白であるが、やはり日本社会の空気は怖いのであろう。
そうであれば、わざわざレピュテーションリスクなどと英語を使わず「日本での評判にかかわる」と正直に説明すればよかったのではないか。

 三菱自もやはり日産と同様に推定無罪を尊重しない解任決定をしたということが、国際社会での日本のレピュテーションリスクになるが、それをまったく理解していないように思える。

日産と三菱自は、日本市場の販売台数が全販売台数の1割程度という明らかに海外市場に依存しているのだが、その両社の経営者が日本しか見ない行動を取るとは、まさにグローバル社会に反する日本社会の現れである。
次回予告略
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2018年12月02日

「自己責任論」の前提と限界、・人の尊厳・被害者・貧困・・・

起源は江戸時代の「自己責任論」
 論者が分析するその姿
2018.12.01 NEWSポストセブン

 ここまで世論が極端に割れることは、珍しい。
内戦下のシリアで、武装勢力に拘束されたジャーナリストの安田純平さん(44才)が10月末、約3年4か月ぶりに解放されて帰国したことについての、日本社会の反応である。

 日本政府による渡航自粛要請を無視して現地入りした後、武装勢力に拘束されて多額の身代金を要求された安田さんを待っていたのは、助かってよかったという安堵の声と、激烈なバッシングだった。
どちらかというと、後者の方が声が大きく、「国に迷惑をかけるな」「われわれの税金を無駄遣いするな」などという「自己責任論」が吹き荒れた。

 影響力の大きな人たちはこんな発言をした。
ビートたけし(71才)は登山家が山で遭難したケースを挙げ、「成功すればいい写真や名誉を得られるけど、失敗した場合は救助隊にお金を払うでしょ? この人は失敗したんじゃないの?」と指摘。

橋下徹前大阪市長(49才)はネットテレビで、「そこは結果責任で、税金を使って政府の国際テロ情報収集ユニットを使って労力をかけたんだから、帰ってきた時には『すみません、結果出せませんでした。ごめんなさい』と言うのは当然だと思う」との意見を表明した。

 一方で擁護派も現れた。
ダルビッシュ有選手(32才)は「自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう」とツイート。
辛坊治郎キャスター(62才)がテレビ番組で自己責任論に対し、「こんなこと普通、議論にならないレベルの話」と指摘すれば、
アルピニストの野口健(45才)は、「安田さんへの過剰な又は感情的なバッシングはこれからの報道姿勢を抑圧してしまう」とツイートした。

 渦中の安田さんは帰国後に開いた会見で、「私自身の行動によって、日本政府が当事者となってしまったことを申し訳なく思います」と頭を下げ、「自己責任」が叫ばれる日本社会の現状について「批判、検証をいただくのは当然。紛争地に行く以上は自己責任であると考えている」と述べた。
 海外メディアから「謝罪の必要があるのか」との質問が出ると、こう答えた。
「私の行動にミスがあったのは間違いないのでお詫びを申し上げた」

「自己責任」をめぐる侃々諤々の議論が起こるのは、安田さんのような戦場取材のケースに限らない。

 2012年にお笑い芸人の親族が生活保護を受給していたことが発覚した際には、自民党の片山さつき参院議員(59才)が、「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です」とツイートし、国会議員として生活保護の削減に取り組む意向を示した。
生活が困窮しても国を頼るな、自分の責任で何とかしろ、という主張である。

 2015年に中学1年生の男女が早朝の街で連れ去られ、遺体で発見された寝屋川市中1男女殺害事件や、2017年にネットを媒介にして9人の男女が殺害された座間9遺体事件などの凶悪犯罪でも、「子供が真夜中に出歩くのはおかしい」「見知らぬ男の家に行くのも悪い」などと、“被害者の落ち度”を責める自己責任論がネット上にあふれた。

◆攻撃性を帯びる「自己責任」
 作家の北原みのりさんは、「自己責任論は弱い立場の人たちに対して言われることが多い」と指摘する。

「顕著な例がわいせつやセクハラ問題です。
例えば東大男子学生3人が起こした強制わいせつ事件(2016年)の際は、『被害女性が東大生を狙っていた』とバッシングされましたし、
ジャーナリストの伊藤詩織さんが元テレビ局記者にレイプされたと訴えた際(2017年)も、『夜遅くに男とデートした彼女もそのつもりだったんだろう』と叩かれました。

 またシングルマザーなどをめぐる貧困問題でも、『結婚相手を見極めなかった女が悪い』『貧乏なのは努力が足りないから』と自己責任を口にする人が多いことに驚きます」

 弱い立場にある女性に向けられる自己責任論に、北原さんは忸怩たる思いを抱く。
「“女は男に従うもの”“女は責任を取らなくていい”という時代が長く続き、自立を果たせなかった女性にとって、“自分の人生は自分で決める”ことを意味する『自己責任』という言葉には、とても尊い価値がありました。

 ところが最近は、窮地に陥った女性に対し、“自己責任だから仕方ない”という声が投げかけられるようになった。
自己責任という言葉が、人の尊厳を奪って被害者を苦しめるものになっています」
北原さんが指摘するように、自己責任という言葉は近年ますます攻撃性を帯びている。

 日本社会における自己責任論の起源はどこにあるのか。
「その兆しは、江戸時代にうかがえます」 と指摘するのは、著書に『貧困と自己責任の近世日本史』(人文書院)がある奈良大学文学部教授の木下光生さんだ。

「江戸時代は、わずかな武士などを除くほとんどの人が農業を中心とした自営業で、“自分のことは自分で行う”という意識や慣行が根づいていました。
もちろん当時は『自己責任』という言葉は存在しなかったでしょうが、作物づくりに失敗した農家が、“自分の責任だ。
村には迷惑をかけられない”という恥の意識にさいなまれて、夜逃げするケースなどがありました」

 ただし、現在と大きく異なる点もある。
それは、自己責任が村による「救済」とセットだったことだ。
「貧しくて年貢が納められない農民がいれば、村が肩代わりするなどして救済していました。
けがや病気、天候不順などでの失敗(不作)のリスクは、すべての村人に隣り合わせのことであり、“困った時は、お互いさま”という意識も強かった。

 その代わり、助けられた農民は物見遊山などのぜいたくが禁じられたり、村に名前を張り出されるといった社会的制裁を受けた。
自営業者としての縦のラインと、村という横のつながりがセットになって、相互扶助を行うシステムが機能していたんです」(木下さん)

 戦後になると、村などの地域共同体は次々と消失した。
「それとともに農業を中心とした自営業者は減り続け、サラリーマンを中心とした賃金労働者が大半を占めるようになりました。
誰かに雇われる立場にあるということは自立度もリスクも低くなる。
同時に、江戸時代のように村などの共同体が個人を救済する横のつながりが希薄になっていき、
結果として、トラブルが起きても“自分のことは自分で行い、他人を頼らない”という自己責任ばかりに重きを置く社会になったのです」(木下さん)
      ※女性セブン2018年12月13日号
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2018年12月03日

重病サインを見逃す医師の無知と患者の過信

病サインを見逃す
医師の無知と患者の過信
2018/11/25 東洋経済ONLINE

北原 雅樹 : ペインクリニック専門医、麻酔科医

長引く体の痛み(慢性痛)の特徴の1つとして、医療機関を受診したくなるような強い痛みを患者さんが感じているにもかかわらず、痛みの原因となるような異常が見つからず、なぜ痛いのかがよくわからない、ということがある。

慢性痛は直ちに命が危険になるような病気ではないのだが、毎年500人以上の患者さんを診ていると、すでに何らかの病気にかかってしまったことで、慢性痛とは別の原因で痛みが生じているケースに遭遇する。
そのようなときには、もっと前に見つけられていれば……と忸怩(じくじ)たる想いにとらわれる。

痛みの原因がよくわからない
「やっと先生にお会いすることができました。
この半年間は特に痛くて痛くて……。
なかなか予約が取れなかったんですよね〜」
部屋に入ってイスに腰掛けるなり、患者さんは期待感を弾んだ声にこめて話しだした。
軽く日焼けしているような、やや褐色の肌をした60代前半の女性である。
身長160センチはあるだろうが少し痩せ気味だ。
言動は活発だが、どことなくやつれているように感じられた。

長くお待たせしたことをお詫びした後、いつもどおり、「何がいちばんお困りですか」と質問を始めた。
「仕事の関係から、パソコンの前に座って作業していることが多く、ずっと前から背中の中ほどが凝って痛かったんです。
それが、1年くらい前から段々痛みがひどくなって、半年くらい前からほぼ毎晩、寝ていても痛みで目が覚めるくらい痛みが強くなりました」

女性は、この日一緒に来ていた60代の旦那さんと2人で会社をずっと経営してきた。
女性は税理士の資格を持っていて経理を担当しているため、パソコン仕事が多いという。
もう数年したら仕事をたたんで悠々自適の生活に入ろうと考えている。
そうしたら身体も楽になると頑張ってきたが、あまりにも痛みがひどいので当科を紹介してもらったとのことである。

今まで、大学病院を含む複数の医療機関を何回か受診したことがあるが、背中の痛みの原因はよくわからないといわれてきた。
「1年位前からのひどい痛みにはロキソプロフェンがよく効いて、飲んでから30分もすると痛みは半分以下になって楽になります。
そこで、身体に悪いとはわかっていたのですが、ロキソプロフェンを1日6回も7回も飲んでしまって……。
そうしたら胃が痛くなって血を吐いてしまい、副作用で胃潰瘍になっていると診断されて内科の先生から叱られました。
アセトアミノフェンに替えて胃潰瘍は治まったのですが、前ほどは効かなくて困っています」

「ヤバイ徴候」が満載
胸と腰とのちょうど間の背骨のあたりに鈍い痛みはつねに感じていて、ひどくなるとそこから身体の前のほう(上腹部)に広がって差し込むような痛みとなるという。
食欲が落ちたわけでもないのに、この半年くらいで体重が3kgくらい減った。
若いときから風邪さえもほとんどひいたこともないくらい健康であり、かつ個人事業で忙しいので、必要だとは知りつつも、がん検診を含む健康診断は過去数年間受診していない。
このような話を聞いているうちに、自分の気分が少しずつ沈んでいくのを感じていた。

痛みの原因が「ある」ことを示す「ヤバイ徴候」が満載だったのである。
ひと通り診察を終えた後、内臓に原因がある可能性が高いことを夫婦にお伝えして、すぐに消化器内科に院内紹介状を書いて受診してもらった。
数時間後に返ってきた返信は、私のいやな予測が当たっていたことを示していた。
「膵臓がんの可能性が高いため、直ちに入院精査します」と書かれていた。

薬が効かないこともある
痛みに何か原因がありそうなヤバイ徴候としては、まず、強い痛みのために寝ていても目が覚めてしまう、ということがあげられる。
ここで重要なのは、痛みが原因で目が覚めるということであり、目がさめたら痛みを感じた、のではない。

つまり、ほかの事(トイレだとか隣に寝ている旦那さんのイビキだとか)で目が覚めたら痛みも感じた、とか、以前から寝つきが悪かったり眠りが浅かったりしていたので寝ている間も痛みが気になってしまう、というのとは異なる。
あくまでも、強い痛みがきっかけで目が覚めてしまう、ということである。
すなわち、痛みで眠りが妨げられるというのは慢性痛ではまずありえないことなのである。
慢性痛患者さんほぼ全員が、たとえ睡眠薬などを使用してでも、一度寝てしまえば痛みは気にならない、と話す。

一般的に使われている睡眠薬には鎮痛効果はない。
また、薬そのものの作用もそれほど強いわけではなく、縫い針一本を刺しただけでも目を覚ませる程度である。
鎮痛薬、特に非ステロイド系抗炎症薬(NSAIDs、ロキソプロフェンやジクロフェナクなど)がよく効くのも「ヤバイ徴候」の1つだ。
よく効く、というのは服用してから30分くらいしてから効果が出始めて、痛みが半分以下になるというような場合である。

医師でさえも誤解している人がいるのだが、NSAIDsは「抗炎症薬」であって、鎮痛薬ではない。
怪我や病気で起こる炎症を抑えることで、炎症に伴う痛みが間接的に良くなるのである。
つまり、炎症がなければ理論的にNSAIDsは効果がない。
そして慢性痛はほとんどの場合に炎症を伴わない(あってもごくわずか)ので、NSAIDsを飲んでも効果はあまり感じられない。

なぜ「ヤバイ徴候」が見過ごされるのか
慢性痛でも効果を感じるように思うのは、いわゆるプラセボ効果によることが多い。
また、「平均への回帰」も効果があったように思う一因となっている。
慢性の痛みのほとんどでは、痛みは強くなったり弱くなったりを繰り返す。
つまり、痛みが極めて強くなったら、そのまま何もしなくても自然に痛みは弱くなる。

その一方で、痛みに対して薬を使うのは痛みが強くなった時なので、たとえ薬の効果がほとんどなくても、自然と痛みが弱くなるため、薬が効いたと思ってしまうのである。
さらに、この患者さんの場合には特に思い当たる理由がなく体重が急に減っている。

中高年以上では、原因不明の急な体重減少は内臓などに癌などのなんらかの大きな異常があることを疑わせる「ヤバイ徴候」である。
自信過剰で「ヤバイ徴候」が見過ごされがち ではなぜ「ヤバイ徴候」が見過ごされるのだろう。

見過ごされやすいのは、以前から慢性痛があった部分に新しい痛みがかぶってしまった場合である。
痛みの性質が以前とは変わっている(この患者さんの場合、以前よりもはるかに痛みが強くなり、かつ腹部まで痛みが広がってきた)にもかかわらず、患者さん自身で「前からの痛みがひどくなっただけ」と理解してしまう。

特に、痛みの性質が変わる以前に大きな病院で精密検査を受けたことがあると、「どうせまた、何もないと言われるだけだ」と考えて、医療機関を受診することもない。
また、慢性痛についての医師への教育が日本はアメリカやヨーロッパなど先進国に比べて大きく遅れているため、ほとんどの医師は慢性痛について十分な知識や経験がない。
そのため、痛みの性質の変化や、痛みによる睡眠障害、NSAIDsが効き過ぎること、などの重要な情報を患者さんに問診することもほとんどなく、見過ごしてしまいがちになる。

さらに、この患者さんのように自分の健康に過剰な自信を持っていて、定期的な健康診断などを受けていない場合は、さまざまな「ヤバイ徴候」が見過ごされがちになる。
そして、この患者さんの場合、ただでさえ症状が出にくくて発見が遅れがちになる膵臓がんの中でも、特にわかりにくい膵尾部癌であったことが不運だった。
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2018年12月04日

「反対意見」がいくら正しくても組織で葬り去られる3つの理由

「反対意見」がいくら正しくても
組織で葬り去られる3つの理由
2018/12/03 ダイヤモンドオンライン(秋山進)

 先日、『経済学者たちの日米開戦』(牧野邦昭著、新潮選書)が秀逸だと友人たちの間で話題になった。
 第二次世界大戦前夜、陸軍が結成した通称「秋丸機関」に当時一流の経済学者たちが集結し、英米仏ソ中の連合国、日独伊などの枢軸国双方の経済、社会情勢を徹底的に分析し、それぞれの国家の戦争遂行能力を評価した幻の報告書が作成された。  

それによると、開戦しない場合でも、国力の継続的な低下は確実で連合国に屈服せざるを得ない、開戦した場合は、非常に高い確率で致命的な敗北を喫すると予測されている。

一方、きわめて低い確率ではあるが、ドイツがイギリスに短期間で勝利し、それを受けてアメリカが戦意を喪失すれば、有利な講和を結ぶことができる可能性があるとも書かれている。

いずれにせよ、進むも地獄、退くも地獄ではあるが、経済学者たちは対米英戦における明確な敗戦を予測していたというのである。

対米英開戦は陸軍が悪者なのか
 本書によると、この報告書は、国策に反していたため、すべて焼却処分に付されたと言われていた(記録では、主担当の経済学者がそのように発言しているのである)。
そして、「秋丸機関において『経済学者が対米戦の無謀さを指摘していたにもかかわらず、陸軍はそれを無視して開戦に踏み切ってしまった』という理解が定着し、現在ではそれが通説となっている」とある。

 陸軍がいかに非論理的であり、精神主義を押し通した合理性のない機関であったかということは、これまで幾多の論文、ドラマや小説などを通じてわれわれに繰り返し刷り込まれてきた。

本書は対米英戦の意思決定において、その通説が実態を正しく反映していたのか、そうでなかったのかを丹念に検証し、少なくとも開戦の意思決定においては、「通説通りではなかった」「合理的に判断し、わずかな可能性に賭けた」ということを、行動経済学の観点から考察し著した優れた書物である。 

  さて前置きが長くなったが、この手の話はよくある。
その後大失敗してしまった事業に乗り出す時に「その事業をやってはいけない」ことを明確に示す報告書が実はあった。
特定の大問題が起こりうることを事前に察知して、「経営陣に抜本的な見直しを求めた」提案書があったなど、その失敗の原因を調べる段になって、にわかにそれらの報告書が日の目を見ることがある。

 そして「実はその無謀さを指摘していた先見性のあるレポートがあったにもかかわらず、経営陣はそれをあえて無視した。彼らは非合理的で判断力を欠いていた」、「目先の利益確保ばかりに気をとられ、長期的な展望を持たなかった」などと喧伝される。
マスメディアが好む論法である。

 しかしながら、長年経営陣のサポートを務めてきた経験からすれば、あらゆる重要な意思決定の場面で、出来不出来に差こそあれ、秋丸機関の報告書と同様の、「それだけはやってはいけない」ということを示す報告書の類は「確実に存在」している。
 ただ残念なことに、内容が充実していたとしても、よくて、参考程度に一瞥(いちべつ)されるくらいであり、ほとんどの場合、一顧だにされないまま意思決定が行われる。

以下では、その理由を3つに分けて述べてみよう。
【理由1】読まれる前から“レッテル”が貼られている
 すべての報告書は党派性を帯びている。
あらかじめ派閥があって、報告書はいずれかの派閥の意見を代表していると考えられるのである。
つまり、誰もが読む前にその報告書になんらかのレッテルを貼っている。

 秋丸機関の報告書は陸軍省軍務局で作成されている。
当時陸軍内には大きな2つの系統があった。
軍令をつかさどる参謀本部と軍政を担当する軍務局である。
参謀本部が北進(ソ連進軍侵攻)を唱える一方、軍務局が南進(東南アジアへの進軍)を主張して、激しい論争を繰り広げていた。
その論争のさなかに、軍務局(南進を主張する派)からこの報告書がもたらされ、ライバルである参謀本部が推進する北進の無謀さを説き、米国参戦のリスクを指摘しつつも、南進のほうがまだ可能性が高いことを示している。

 すなわち、たとえ報告書が中立公正に作成されていたとしても、特定の機関から提出されると、その機関の持つ、もともとの主張、政策、思想を体現、または補強するものという認識で読まれることを免れないのだ。

 したがってその報告書と反対意見の人はこれを見ても、「どうせわれわれの派閥の方針をことごとくくじくための間違った主張をへんてこな理屈で固めているにすぎない」とまともに取り合わない。
 秋丸機関報告書の場合は、軍務局から出たので、参謀本部のほうは「どうせ軍務局がわれわれに対して『ためにする反論』をしかけている」と見たのである。

【理由2】予算取りが目的で、オーバーな表現
 不確実な未来にどう対応するか、いずれの方向に進むべきかといった内容の報告書の場合、実はその目的が、実際に起こる事象への対応や方策の提案よりも、「予算確保」にあることは決して珍しくない。
そうした場合には、報告書は声高に危機をあおり、資金の投下の必要性を書き立てる傾向にある。
 いきおい記述がオーバーになる。

そして、読む者はそこに引っかかりを感じて、眉に唾してその予測を大幅に割り引いて理解するのである。
自分が読者として、何度となくそのような経験をしていると、実際に担当者として自分が報告書を書く段になると、針小棒大に書くつもりなどなくとも、割り引いて読まれることを計算に入れて、やはり誇張して書かざるを得なくなる。

 こうして警告レポートなどの類は、警告の色を読者に察知されたが最後、逆に無視される運命にある。
さしずめオオカミ少年のようなもので、悲しい悪循環である。

【理由3】未来を語るものはホラ吹きと思われる
 以前、『専門家の予測はサルにも劣る』(ダン・ガードナー著、飛鳥新社)を引用し、予測がいかに当たらないものであるかということを書いた。
参照:『会社員人生で「旬の仕事」にありつく5つの方法』

 つまり、「当たる」と評判の人でも実は当たらないことのほうが多いのである。
 専門家Aさんが何かの予測をする。
普段からAさんの身近にいない人は、予測が当たった時だけ評判になるAさんに「予測が当たる人」という印象を持つこともあるだろう。
しかし、Aさんの身近にいる人(組織内の人)は、予測が当たらなかった多くの場合のことも合わせて、いや、むしろ、当たらなかった場合のほうをよりよく記憶しているかもしれない。
だから「予測が当たらない人、虚言、妄言を吐くやから」と思ったとしても不思議はない。

 ましてや先ほど挙げた理由1や2のような力学が働くため、往々にして論旨は党派性のバイアスがかかり、また極端な結論が表明されがちで、未来についての予測はかすりもしなくなることが多い。
せっかく一生懸命書いた報告書もうさんくさい占いと大差ないと認識されてしまうのである。
 こうしたわけで、戦略の無謀さを説いた正しい報告書は読まれず、重要視されないのである。

 正しい意思決定をするために、
あえて賛成、反対の2チームをつくって報告書を書かせる「レッドチーム」(ある対策が有効かどうか試すために、その対策を立てた側と敵対する考えを持つチーム)を利用する方法や、
賛成派も反対派も全員一堂に会したチームをつくる方法、
第三者に依頼する方法などがあるが、いずれにしても党派性からは完全に逃れられず、両論併記の結論になったり、さらには粗悪な折衷案に堕したりしがちである。

報告書を生かすも殺すもリーダーの器量次第
 このように重要な意思決定に対する報告書の類が、棄却されがちで重要視されないとすれば、どうすればよいのだろうか。  結局は、最終意思決定者たるトップの器量が組織にとって重要になるのである。

 世界観、ビジョン、価値判断基準などが明確にあり、現在考えられている施策に疑義を呈する報告書なりレポートなりを前に、しなやかな知性でもって党派性を超え、真理をつかみ、場合によってはビジョンや判断基準を変えることさえいとわないトップをいただいているかどうかこそが、難局にあっては重要なのだ。

 ちなみに日米開戦時の首相は東条英機だが、『失敗の本質』(中公文庫)の著者の1人でもある戸部良一氏は『自壊の病理 日本陸軍の組織分析』(日本経済新聞出版社)の中で、イギリスの歴史家アラン・ジョン・パーシヴァル・テイラーが、第二次世界大戦の各国の戦争指導者を描く際、ムッソリーニ、ヒトラー、チャーチル、スターリン、ルーズベルトという個人名のタイトルで各章を構成しながら、日本の記述の部分だけ、タイトルを「戦争指導者不明」としている旨を述べている。

 つまり、皮肉屋のテイラーからしてみれば、東条は戦争指導者に値しなかったということなのである。
戸部氏はさらに「参謀総長となり、戦略策定に主導的役割を果たしうる立場になっても、東条はそのイニシアティブをとろうとはしなかった。
イニシアティブをとらなかったのは、ヴィジョンがなかったからである」と続ける。

東条英機は本当は戦争指導者ではなかった?
 首相である東条は、組織的な機構上
(東条は首相であり、陸軍のトップではあったが、海軍に実権が及んでいなかった)、
当人の能力上(ビジョンがない)、
性格上(反対派の意見に耳を貸さず、イエスマンだけを重用する)、
3つの点から戦争指導者として必要な条件と資質を有していなかった、というのである。

 保阪正康氏による『昭和の怪物 七つの謎』では、当時の有力な軍幹部の証言をもとに「なぜ東条のような大局を見る目を持たぬものが、戦時指導を続けているのかという疑問は当時の軍人たちの総意であったことは認めなければならないだろう」と結論づけている。

 なにやら東条についての評言は、決して少なくない数の企業、機関、組織のトップの評としても、あながち当てはまらないわけではないのではないかという感想も聞こえてきそうだ。
 まさに「大変革の時代」。

皆さんの組織には反対派のレポートをあらゆるバイアスを排してしっかり読み、十分に理解したうえで、渾身の意思決定をするような本当のリーダーはいるだろうか。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社
代表取締役 秋山進、構成/ライター 奥田由意)
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2018年12月05日

免疫力研究の第一人者も勧める免疫力アップの確実な方法

免疫力研究の第一人者も勧める
免疫力アップの確実な方法
2018年11月27日 日刊ゲンダイ(笹川伸雄)

 がんには「5年生存率」という言葉がある。
がんと診断されてから5年後に生存が確認できた割合を意味するのだが、「がんと宣告された人は5年生きればいい」と、私には聞こえる。
ちなみに、ステージWの食道がんの5年生存率は12.2%だ。
これは医療の、医師の怠慢、傲慢さではないか。

 先日、知人の女性と会った。
彼女は心から楽しそうに笑う。
周囲の人を明るくさせ、元気にさせる人気者だ。
話の内容からすると還暦は過ぎてはいるのだろう。
ところが、彼女は8年前にがんを患い、手術を受け、つらい抗がん剤治療とも闘った。
年に1度受けている検診では、再発の兆しは見られないという。

 一昨年急死した新潟大学名誉教授の安保徹氏は免疫療法で知られ、免疫力を高めればがんを克服できると話していた。
その手軽で確実な方法として勧めていたのが「笑う」ことだった。
笑いは副交感神経を優位にし、NK細胞の活性を高める。
「ストレスの強い人ほど効果が高く、どんなに面白いことがなくても鏡に向かってつくり笑いするだけで筋肉がほぐれ、免疫力を高めるいい結果が出ている」と述べている。

 医師で作家の鎌田實さんも、笑いの効用を説いている。
その中に例として2人の人物を出す。

1人は米国のノーマン・カズンズさん。
膠原(こうげん)病をステロイドなどの薬を用いずに治し、「笑いと治癒力」という世界的なベストセラーを著した。

もう1人が笹森恵子さん。
広島で被爆し、その後2度のがんを乗り越えた方だ。
彼女はノーマン・カズンズさんの養女になり、よく笑うようになった。

「笑うことがこの2人の命を支えてきたと感じた」(鎌田さん)
 さらにこうも言う。
感染症の時には交感神経が緊張する“頑張るという思い”の方が生き抜けられるが、がんと闘うのは副交感神経が支配するリンパ球。
「だから、がんと向き合うためには頑張るって思い過ぎないほうがいい
 私も笑いに包まれる日常を増やしている。
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2018年12月06日

「死の恐怖を乗り越える術」多くの患者に出会い考えたこと

がんと向き合い生きていく
死の恐怖を乗り越える術
多くの患者に出会い考えたこと
2018年12月05日 日刊ゲンダイ(佐々木常雄)

「もう治療法はありません」
「あと3カ月の命ていです」
 担当医からそう告げられ、セカンドオピニオンを求めて私の外来へ相談に来られたがん患者がたくさんいます。

 まだほかに治療法がある患者には入院してもらって治療を行います。
しかし、もう治療法が残っていない患者にはどう答えればよいのか?
 しかも初めてお会いする方ばかりです。
結局、真実を話すしかありません。
それでも、眼光鋭く私を見つめる患者の目は、「生きたい」と訴えているのです。

 私は、そんな「生きたい目」とたくさん出会って、「死に直面し奈落に落とされた患者が這い上がる術」や「宗教なしで死の恐怖を乗り越える術」を知りたい、そしてそれを患者に伝えたいと思いました。
しかし、過去の医療において、このような医療は行われてはきませんでした。

 江戸時代に書かれた「医戒」には、
死を告げるとは死を与えると名づけるものである
医師はけっして患者の生きる希望を断ち切ることをしてはならない」とあります。
その伝統は長く続き、ずっと「短い命」、死を隠す医療が行われてきたのです。

 ところが、患者の知る権利や自己決定権が叫ばれるようになった2000年以後は、「あと3カ月の命です」などといとも簡単に告げられ、死の恐怖にさいなまれる患者が多くみられるようになりました。
平均寿命が延び、100歳を越える方も珍しくない時代になりましたが、がんにかかって途中で人生を諦めなければならない厳しさは変わりません。

 哲学者の梅原猛氏は
私たちの生命のなかには、永遠の生命がやどり、それが子孫に甦っていく。
この世の生命は受け継がれていくことに救いがある」と言われます。
しかし、それでは子に恵まれない方はどうすればよいのでしょうか。

 1万人をみとった米国の精神科医キューブラー・ロスは、「人間はさなぎから蝶になるように肉体を脱ぎ捨てて魂となって別の次元に入っていく。
だから死を恐れることはない」と患者に言って回りました。

牧師の窪寺俊之氏は、「たった数十年、仮のこの世に現れただけで、魂は宇宙の彼方に戻るのです。
死は怖くありません」と言っています。
両者とも宗教的な考えが背景にあるのです。

 ドイツの哲学者ハイデッガーはこう述べています。
「死んだら天国にいくとか、自分が死んでも子供が自分の生命を受け継ぐとかいうイメージによって、人は誰でも死の観念を隠蔽しようとする。
しかし、これらは死に対する十分な了解ではなく、ただその厳しさを覆い隠すだけのものである。
逆に、ここから死の不安ということが人間の気分の本質としてつきまとうことになる
「死を直視せよ。良心の呼び声が聞こえてくる」

 ただ、そう言いながら良心の呼び声の説明がないのです。
「がん患者・家族語らいの会通信」には、ある方のこんな言葉が記されています。
「人間の体は死によって解体しても、他の生物や物の一部として永遠に存在し続ける」
 こうした先哲の助言はたくさんあります。
しかし、その多くは自分自身が“安全地帯”にいるうえでの言葉に思えて、命が差し迫っている患者に響くのか、奈落から這い上がれる術になれるかどうかは疑問なのです。

■心の奥には必ず這い上がれる心がある
 悪性黒色腫にさいなまれ続けた宗教学者の岸本英夫氏は、著書「死を見つめる心」の中で「死を無である」とし、これを「大きな別れ」と解するとしています。
これはかなりの説得力を感じ、参考になるように思われました。

 さらに私は、奈落に落ちたが這い上がったと思われる患者に、「どうして這い上がれたか」を聞いてみることにしました。

そうした患者の言葉の中で、最も心に残ったヒントは「心の奥には必ず這い上がれる心がある」ということでした。
 私は拙著「がんを生きる」の中でこの点を取り上げました。
そして、自然に天寿を全うした方が「恐怖でない死」を得られるように、がんで亡くなるとしても安寧な心が表れることはできないのか。
それを模索することにしたのです。
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18年版「ブラック企業大賞」

18年版「ブラック企業大賞」
9社ノミネート
野村不動産、スルガ銀、財務省など
2018/12/05 ITmedia ビジネスオンライン

 ブラック企業大賞企画委員会は12月5日、“今年1番のブラック企業”を決める「第7回ブラック企業大賞」のノミネート企業を発表した。
今回は野村不動産、スルガ銀行、財務省など9社が挙がった。
「大賞」「業界賞」などの各賞は12月23日に発表される。

 労働環境の悪さなどが問題となった企業を毎年選出し、皮肉を込めて“賞”を送るというコンセプトの企画。
長時間労働、セクハラ・パワハラ、いじめ、低賃金、コンプライアンス違反――などの観点から、弁護士やジャーナリストなどで構成される企画委が評価する。

 2016年は女性新入社員が過労自殺した電通、17年は男性営業社員をシュレッダー係に左遷するなどした「アリさんマークの引越社」(引越社グループ)が大賞を受賞していた。

 18年のノミネート企業と、主な選定理由は以下の通り。

・野村不動産
:「裁量労働制」が違法適用されており、16年9月に50代の男性社員が過労自殺していたことが18年3月に発覚。
同社は05年に、会社の中枢で経営企画の立案や情報分析を行う社員を対象に、「企画業務型裁量労働制」を導入していたが、本来は適用対象とならないマンションの営業担当など約600人にも適用していた。
 亡くなった社員もこれが適用されており、1カ月の残業時間が180時間を超えるなど長時間労働を強いられていた。

・スルガ銀行
:18年5月に破産手続きを開始した不動産会社「スマートデイズ」が展開していたシェアハウス投資を巡り、一般投資家に不当な融資をしていたことが判明。
第三者委員会がこの背景を調査した結果、同行が行員に過大なノルマを押し付け、達成できない人に悪質なパワーハラスメントを行っていたことが分かった。
 第三者委がまとめた報告書によると、行員からは「(従業員の)首をつかんで壁に押し当て、顔の横の壁を殴られた」「数字が(達成)できないなら、ビルから飛び降りろといわれた」などの声が挙がっているという。

・財務省
:18年4月、財務省の福田淳一事務次官(当時)がテレビ朝日の女性記者に対し、取材中に「抱きしめていい?」などのセクハラ発言を行っていたと報じられた。
その後、同省の顧問弁護士もセクハラがあったと断定した。
ただ、福田氏は事務次官を辞任したものの、セクハラを否定。
麻生太郎財務大臣も「セクハラという罪はない」「男を番記者にすればいい」などと発言し、事態を軽視していることをうかがわせた。
 公的機関がノミネートされるのは、14年の東京都議会に次いで2度目。
「『女性活躍』をうたう政府の中枢機関で起きたセクハラ事件に対して、その対応がお粗末であったと言わざるを得ないため、民間企業ではないが特別にノミネートした」(企画委の佐々木亮弁護士)という。

●三菱電機、日立製作所など著名企業も
三菱電機
:14〜17年にかけて、男性社員5人が長時間労働に起因する精神障害や脳疾患を発症し、相次いで労災認定されていたことが発覚した。
このうち3人には裁量労働制が適用されており、その中の2人は過労自殺を遂げていた。
 自殺した男性の1人は技術職についており、システムの不具合を修正するため月100時間を超える残業を数カ月繰り返していた。

・日立製作所、
日立プラントサービス
:13年に日立製作所に新卒入社し、のちに日立プラントサービスに出向した20代社員が精神疾患を患っていたことが発覚。同社員は富山県の工事現場で設計・施工管理監督を行って居た際、月に100〜160時間もの時間外労働を余儀なくされた。

また、上司から「いらない」「目障りだから帰れ」「仕事辞めてしまえ」などの暴言も吐かれていた。
 また、山口県の笠戸事業所で、数百人のフィリピン人技能実習生を不正に働かせていたことも発覚。
本来は配電盤や制御盤などの電気機器組み立てを任せるはずが、実際は窓・排水パイプ・カーペット・トイレなどを鉄道車両に取り付ける作業をさせていた。
在留資格の更新ができないことを理由に、すでに99人の技能実習生が解雇されていることも分かっている。

・ジャパンビジネスラボ
:同社は都内で語学学校を運営している。
14年、英語講師を務めていた正社員の女性が、育児休暇中に子どもを通わせる保育園をみつけられず、休暇の延長を求めた。

これを受けた同社は「正社員への契約変更が前提」とした上で、週3日・契約1年の有期雇用への転換を条件に延長を認めた。  

女性は1週間後に保育園をみつけ、職場復帰を希望したが、同社は正社員への復帰を拒否。
15年には「期間満了」を理由に雇い止めをした。
女性は面談で上司から「俺は彼女が妊娠したら、俺の稼ぎだけで食わせるつもり」などの言葉を掛けられた。
18年9月、東京地裁は、同社の雇い止めを無効とする判決を下した。

・ジャパンビバレッジ東京
:ある支店の支店長がクイズを出し、正解者のみに有給休暇の取得を認める“有給チャンス”と呼ばれるパワハラを行っていたことがネット上で話題になった。
「事業場外みなし労働時間制度」を違法適用しており、社員に月間100時間を超える時間外労働を課していたことも発覚した。

・ゴンチャロフ製菓
:神戸市に本社を置き、チョコレートや焼き菓子を製造している同社は、16年6月に当時20歳の男性社員が電車に飛び込んで自殺。
のちに長時間労働と上司によるパワハラが原因であることが発覚し、18年6月に労災認定された。
 同社は製造に失敗した菓子を牧場に送り、動物のえさとして再利用しているという。
そのため男性はミスをすると、上司から「牛のえさ、つくりに来とんか」と責められ、辞意を申し出ると「お前の出身高校からはもう採用しない」と言われていた。
また、この男性は月約80〜100時間の長時間労働も余儀なくされていた。

●「笑笑」「魚民」のモンテローザも
・モンテローザ
:「白木屋」「魚民」などの居酒屋チェーンを展開する同社は、17年6月に福岡市で「笑笑」の店長だった男性が開店準備中に倒れ、不整脈で死亡した。
 この男性は生前、友人とのLINEで
「午後3時から深夜3時まで勤務し、午前6時台の始発まで帰れない。午前8時前にやっと帰宅できるが、正午には起きないといけない」「地獄だ」などと漏らしていたという。

 各賞は今後、企画委内の議論と、同委公式Webサイトで行うWeb投票によって決定する。
同委の担当者は「亡くなられた方もおり、非常に痛ましい事件が多い」と話している。
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2018年12月07日

なりふり構わぬ金バラマキ 安倍政権が慌てる新元号大不況

なりふり構わぬ金バラマキ
安倍政権が慌てる
      新元号大不況
2018/12/06 日刊ゲンダイ

 本当に「増税対策」だけが目的なのか。
来年10月の消費増税による景気冷え込みの緩和策として、安倍政権が狂ったような大盤振る舞いだ。

 中小小売店でキャッシュレス決済した買い物客へのポイント還元率は当初、経産省などは増税幅と同じ2%で検討していたが、安倍のトップダウンで「5%還元」に拡大。
その結果、必要な予算は1000億円強から3000億円程度に約3倍も膨らむ見通しだ。

 加えて公明党が要望した「プレミアム商品券」の発行や、自民党が要望したマイナンバーカードにたまる「自治体ポイント」の加算も丸のみ。
消費増税とは関係の薄い「国土強靱化」のための公共事業の執行も、増税開始の来年10月以降に集中させるというから、もう何でもアリ。

 本来なら、低所得者ほど負担が重くなる「逆進性」が消費税の大きな課題なのに、ポイント還元は高い買い物をすればするほど恩恵が大きくなる。
そんな金持ち優遇の矛盾もお構いなしで、安倍政権はなりふり構わず金をバラまく。

 自動車の排気量に応じて毎年かかる自動車税を恒久的に引き下げ、2020年末までに住宅を購入した人の住宅ローン減税の控除期間を現行10年間から13年間に延長と、さらなる金持ち優遇策を盛り込む予定だ。

 日銀の試算によると、今回の増税による家計の負担増は5.6兆円だが、すでに「軽減税率」や「教育無償化」などで事実上、税収増は2.2兆円でしかない。
さらにブレーキ役不在のバラマキ策の予算規模は2兆円を超え、増税に伴う実質増収分の2.2兆円すら上回る可能性もあるという。
税金を使った赤字覚悟の出血セールもどきとは、ムチャクチャだ。

「来るべき高齢化時代を見据えた社会保障の安定財源の確保に、財政健全化という消費増税の本来の目的を大きく逸脱しています。
過去の統計では消費税率が上がると、必ず実質賃金は低下するのです。
それなのに、安倍政権は実質賃金の低下に苦しむ庶民から増税で吸い上げたカネを、金持ちにだけ大盤振る舞いする。
徹底した庶民イジメです」(政治評論家・本澤二郎氏)

 4年前に消費税率を8%に引き上げた際、安倍政権は年8.2兆円の家計負担増に対し、5.5兆円規模の対策を実施したが、景気は腰折れした。
そのトラウマだけで、増税対策に名を借りた常軌を逸したバラマキに走るものなのか。
そもそも消費増税に難色を示していたとされる安倍が、早くから引き上げを表明し、拙速にバラマキ策を打ち出すのも、不自然だ。

 ドタバタ景気対策の裏側に一体、何が隠されているのか。

「外交のアベ」の無策が招く
   4重苦景気の惨状
 来年10月の消費増税の前には、夏に参院選が実施される。
与党は危機感を強めており、安倍の周辺では野党に不利となる衆参ダブル選案もささやかれている。
 むろん、無節操なバラマキ策は選挙対策の側面もある。

「結局、この政権は国民を愚弄しているのです。
カネさえバラまけば喜んで票につながるとナメ切っています。
参院選の前には新天皇の即位もあり、トランプ米大統領まで招いて祝賀ムードをあおる。
そうしてモリカケ疑惑など、あらゆる不正にフタをし、選挙を乗り切るハラでしょう。
勝てば官軍の意識で、バラマキと天皇の政治利用によって3分の2議席を制圧すれば、あとは好き勝手できると、国民をバカにしきっているのです」(本澤二郎氏=前出)

 その上、アベノミクスのイカサマ政策も色あせ、すでに化けの皮が剥がれている。
先月発表の今年7〜9月期の実質GDPは前期比0.3%減。
年率換算でマイナス1.2%と、市場予想の中心値(年率1%減)を大幅に超える落ち込みようだ。
個人消費も民間の設備投資も輸出も全滅で、そろってマイナス。
住宅投資のみ5四半期ぶりにプラスに転じたとはいえ、前年同期と比べると、6.4%減というマイナス幅のすさまじさだ。

7〜9月期のGDPは速報値から、さらに下方修正されるとの見方も出ており、日本経済は目もあてられない状況である。  GDPの落ち込みについて、政府は7月の西日本豪雨や、9月の北海道地震など自然災害のせいにしているが、もはやアベノミクスの崩壊は明らか。
加えて年明けから本格化する日米通商交渉、事実上のFTA交渉が重くのしかかってくる。

■対米自動車輸出の削減で
  日本経済は大打撃
「安倍政権は国民には明らかにしていませんが、日米通商交渉で日本経済が大打撃を受けると覚悟しているのではないか。
その危機感の裏返しが、無節操な大盤振る舞いなのだと思います」と言うのは、経済評論家の斎藤満氏だ。
こう続ける。
「トランプ政権が日本に対米輸出約7兆円の黒字削減を迫ってくるのは、間違いありません。
総額1兆円をかけてステルス戦闘機『F35』を100機追加購入しても穴は埋まらず、米国の農産品を市場開放しても、その額はタカが知れています。

必ずターゲットになるのは、日本の対米貿易黒字のうち4兆円を占める自動車輸出です。
すでに自動車輸出を最大100万台減らせ、と迫っていますが、昨年の対米輸出台数は174万台です。
100万台も削減すれば、日本のGDPは約1%ほどダウンします。
自動車産業は裾野が広いだけに、日本経済に与えるダメージは計り知れません。
とても自動車税の恒久減税くらいでは穴埋めできない大きな痛手となります」

 さらに米中貿易戦争のリスクもつきまとう。
先の米中首脳会談では「一時休戦」で合意したが、火種はくすぶったまま。
トランプが関税引き上げ猶予の条件に挙げた中国の「不公正」な貿易慣行の見直しを巡る交渉期限は、たったの90日。
交渉は難航必至で物別れに終われば世界経済に深刻な影響を与え、日本経済ものみ込まれていく。
まさに「新元号大不況」の到来だ。

「来年秋の消費増税の頃には、東京五輪に向けた公共事業の需要もピークアウトします。
増税、対米FTA、貿易戦争と合わせた4重苦で、日本経済は手に負えない惨状となりかねません。

その大きな要因は安倍首相の外交姿勢です。
“外交のアベ”といっても、世界中にカネをバラまくだけで尊敬はされていない。
トランプ大統領を散々もてなしても、相手は『金づる』くらいにしか思っていないでしょう。

安倍首相の外交無策が日本経済を直撃し、庶民の生活を苦しめるとは、本当に怒りが込み上げてきます」(斎藤満氏=前出)  

経済アナリストの菊池英博氏の試算によると、2013〜17年の5年間の実質賃金は年平均15.8万円もダウン。
5年間の累計で79.2万円もガタ減りした。
ただでさえ、アベノミクスの失敗で実質賃金の低下に苦しむ庶民にとって、消費増税はまさしくトドメだ。
来年には前回の増税時に続き、2番底のような惨憺が待っている。
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2018年12月08日

「こういうことはこれからもある」元BC級戦犯が残したもの

こういうことはこれからもある
元BC級戦犯が残したもの
11/30(金) Yahoo!ニュース 特集編集部(武馬怜子)

この8月、ようやく連絡先を探し当てた高齢の男性はスマートフォンの向こうで言った。
「(父をめぐる出来事は)忘れました。
ほっといてください。
何も言いたくないんです」。
懇願するような声だ。
「本当に覚えていないんです。分かってくださいますか」……。
敗戦国・日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)は1945年の末から「戦犯」を次々と捕らえ、裁判にかけた。
電話の主は、元被告の遺族の1人である。
広く知られた A級戦犯の「東京裁判」ではなく、捕虜の斬首や虐待などの罪に問われたBC級戦犯の「横浜裁判(横浜軍事法廷)」。
戦勝国・米国によって1000人以上が起訴されたその法廷は、ちょうど70年前の今ごろ大詰めを迎えていた。
(文:武馬怜子/Yahoo!ニュース 特集編集部)
******************************
BC級戦犯1000人超 
捕虜の殺害や虐待で法廷へ
「蛮行、死刑に値す」――。
敗戦の年、1945年12月19日の読売報知新聞はそんな見出しを掲げ、前日に始まった「横浜裁判第1号」の様子を伝えている。
「蛮行」とは、日本軍による捕虜の殺害や虐待を指す。
敗戦濃厚だった時期、日本国内の捕虜収容所では、米兵らの首を斬り落とす「処刑」をはじめ、捕虜をいためつける「虐待」が多発していた。
横浜裁判が始まった当時、ほんの数カ月前まで「軍」を賛美し、戦争を煽ったメディアは既に大きく方向を変え、戦犯となった元軍人らへのバッシングを強めていた。

横浜裁判を主導するのは米国。
合計で1039人が起訴され、有罪率は実に82%。
「絞首刑」判決も123人に達し、実際に51人が絞首刑を執行されている。
スマホの向こうで「覚えてませんから」と取材を拒んだ高齢男性の父親も、そうしたBC級戦犯の1人だった。

戦時中は、中部地方にあった捕虜収容所の監視員。
そこで捕虜の米兵を虐待死させたなどの疑いをかけられ、裁かれたのである。
求刑は死刑、判決は終身刑。
1951年に釈放されて故郷に戻っている。

絞首刑や終身刑を言い渡されたBC級戦犯でも、再審での減刑や釈放によって社会に戻った人たちは少なくない。
そうした元戦犯たちは身内や周辺に何かを語ったのだろうか。
次世代に伝えたいものがあったのだろうか。

「絞首刑」を言い渡された父の日記 文具品などを販売する株式会社「TOHJI(とうじ)」の事務所は、福岡市繁華街・天神の真ん中にある。
ビルの2階でエレベーターを降りると、白い扉が一つ。
今年9月中旬、その扉を開けると、同社会長の冬至克也さん(64)が待っていてくれた。

克也さんの父・冬至堅太郎氏(故人)は、BC 級戦犯として被告席に立たされた元陸軍大尉である。
堅太郎氏が裁かれた事件は「西部軍事件」と呼ばれ、横浜裁判の中でも際立つ存在だった。
日本刀などを用いて「処刑」した米兵の数、起訴された日本軍関係者の数。
そうした「数」の問題だけでなく、誰が誰に「処刑」を命じたかといった責任の押し付け合いも法廷の内外で続いた。

その父の日記を公開することに決めたのだという。
どこかに寄贈したいとの思いもある。
「日記は前からあったんですけど、経年しているので紙が劣化しています。
全部で9冊です。
公開は今年になって、初めて外部に見せました。
貴重な資料なんで」 克也さんが日記を広げてくれた。

青い表紙のファイルが8冊、クリアファイルが1冊。
それぞれにトレーシングペーパーや和紙が綴じこんであり、どの紙にも几帳面な文字がぎっしりだ。
英語やイラスト、新聞記事の切り抜きを貼った箇所もある。

日記の最初は1946年8月13日だ。
堅太郎氏はその数カ月前、GHQの指令で動いた警察に逮捕され、東京の巣鴨プリズンに移送。
横浜裁判では「絞首刑」の判決を受けた。
その後、再審で終身刑に減刑。
さらに、日本の主権回復に伴って1956年に釈放され、郷里の福岡に戻った。

日記はそうした日々の中で記されたものである。
斬首によって米兵を「処刑」したときのこと、法廷で感じたこと、巣鴨プリズンでの暮らし……。
聖書や仏教について論じている箇所もある。
最後は1952年10月。およそ3000ページにもなるという。

敗戦間際 捕虜の米兵を斬首で「処刑」
「西部軍事件」とは、九州地方などを管轄していた旧日本陸軍西部軍管区の軍人らが引き起こした事件で、横浜裁判の審理は、70年前の1948 年10月に始まった。
米軍機の搭乗員だった捕虜約33人を3回にわたって「処刑」したという内容だ。
陸軍の定めた捕虜に対する裁判「軍律会議」を経たかどうかなどが焦点となり、日本側は処刑執行人ら32人が起訴された。

国立公文書館などに残る横浜裁判の資料によると、第1事件は1945年6月20日だった。
現在は小学校となっている福岡市内の場所で、日本刀で首を斬り落とすなどして捕虜8人を殺した。
第2事件は敗戦5日前の出来事で、犠牲者は捕虜8人。空手や袈裟斬り、斬首などによって殺害した。
第3事件は敗戦を告げる「玉音放送」の後に起きている。
それまでの処刑に関する証拠隠滅のためだったとされ、捕虜16〜17人が斬り殺された。

日記を残した冬至堅太郎氏は第1事件に関わっており、米兵4人を斬首した。
いったい、堅太郎氏はどんな行為に手を染めたのか。
公開されている裁判記録や横浜市が保存している「桃井_次家資料」などによると、こんな様子だった――。

1945年6月19日、福岡市は米軍の激しい無差別爆撃を受けた。
「福岡空襲を記録する会」の資料によると、焼失面積は12.5平方キロメートル。
朝鮮半島と結ぶ要衝だった博多港では建物の30%が焼失し、市内全域で1000人以上が死亡・行方不明になったという。

福岡市内の西部軍司令部にいた堅太郎氏は翌朝、母を捜して市内を歩き回った。
遺体のほとんどは老人、女性、子ども。
無残な亡骸の中からついに変わり果てた母を見つけた。

横浜裁判の後、堅太郎氏は当時の心境を後にこう記している。
母は総(すべ)ての人から親しまれ、誰よりも熱心に戦争の終わることを祈っていたのでした。
母は惨死しました。
真心を以(もっ)て母を愛している人であったならこの時の私の悲痛と敵愾心(てきがいしん)の混じった深酷且(かつ)複雑な興奮はよく想像して頂けると思います =「再審嘆願書」、作成年月不明

息子の克也さんによると、「鬼畜米英」と教え込まれていたにせよ、「父は実際にそう思ったことはなかったのでは」と振り返る。
写真や絵画に親しみ、外国人の写真を撮って交流することも珍しくなかったという。
堅太郎氏は母の遺体と対面し、その後、西部軍司令部に戻る。
すると、広場では既に数人の「処刑」が始まっており、数人の捕虜は穴の中で死体となって横たわっていた。
堅太郎氏は進み出た。
「私は処刑者として最もふさわしい者だ」と突差に考えました。
そして眼の前に法務部長や参謀が居ましたから、自分の職、官位、姓名を告げ理由を言って処刑者を志願しました =堅太郎氏本人による「検事側にせる口述書及提出書の内容」、1948年2月20日 母を殺されたばかりの自分こそが「処刑の執行者として最もふさわしい」という申し出である。
自分の軍刀(日本刀)を持参していなかった堅太郎氏は、周囲の軍人らに日本刀を借りたいと言う。
一人の見習い士官がすぐに貸してくれました。
この時、曹長が(捕虜の米軍)飛行士を穴のふちに膝をつかせました。
私は軍刀を水で清めてもらった後、飛行士の横に立ち、軍刀を振り上げました。
この時、背後にいました将校が、よく狙いをつけるように注意しました。
呼吸が静まるのを待って軍刀を振り下ろしたところ、首は九分通り斬れ、そのまま前に倒れて、穴の中に落ちました =同 堅太郎氏はこのあと続けて3人を斬り、計4人の米国人を「処刑」した。

「処刑」の責任
 押し付け合う上官たち
堅太郎氏らを裁く「西部軍事件」の取り調べ過程では、思わぬことも発覚した。
1945年の3月と5月、東京の陸軍省は西部軍参謀長に宛て、「敵機搭乗員は現地軍において適宜処分すべし」「(捕虜は)その地域で処理をするように」という電報を発している。

西部軍司令部は「適宜処分」などの解釈について議論を繰り返したが、結論を出せぬまま時間を費やす。
そして結局、一連の「処刑」は、軍律会議という軍の「裁判」を経ぬまま、実行されたことが分かったのである。
西部軍事件に限らず、BC級戦犯に問われた上官たちの中には、事件の隠蔽や責任の押し付け合いに走った者も少なくない。
堅太郎氏に「処刑」を命じた上官は「別の上官に言われたことにしてくれ」と懇願してきたという。
部下に責任を押し付け合う西部軍の上官たち。
そのさなかにあった父・堅太郎氏の心境を思い、克也さんはこう話す。

「(それらの行動は)よくある姿かもしれません。
戦争の中でやってきているから(やむを得ない)と。
下は命令されたからやったんだし、上にしたら(さらに上層部の)命令か指示なのか分からないようなものを自分なりに解釈してやった。
こういうことはこれからもずっとあるでしょう

横浜裁判では、地元の弁護士たちが戦犯の弁護人として活動を続けたことが知られている。
横浜弁護士会(現・神奈川県弁護士会)は1998年に特別委員会をつくり、横浜裁判の実態を調査。
いくら戦勝国による裁判であったにしても、正当な「法の支配」はあったのかどうかを検証している。
その中心メンバーだった間部俊明弁護士(73)は西部軍事件について、こう振り返る。

「実にやりきれない事件です。
被害と加害の連鎖です。
そしてこれは、日本国憲法前文の『戦争の惨禍』という言葉にもつながるんです」
われわれは戦後、新しい憲法を施行したけど、『戦争の惨禍』とは何かということを知らされてこなかったわけですよ。
原爆(の被害)は言われてきました。
沖縄戦も。
しかし、敗戦末期のこの事件のことはほとんど知らされていない。
これをどう総括するかですよ」 間部弁護士はさらに続けた。

「横浜裁判は勝者による裁きであり、認められないという人もいます。
一方的に勝者が敗者を裁いた、あってはならないひどい裁判だ、と。
じゃあ、どういう視点でこの事件を論じたらいいのか。
私は『戦争の惨禍』、たった5文字だけど、それを具体的に知らなきゃいけないと思うんですよ。
残念ながら国は、それを知ろうとする人に(実態を)見せないようにしてきた
国立公文書館で調べても、(戦争裁判記録の多くは)黒く塗りつぶされていて、努力してもそこで終わっちゃうんですよね」

郷里・福岡に戻り、「戦犯」から父へ 釈放された堅太郎氏は福岡市に戻り、文具店を営んでいた。
終のすみかとなった住宅は、今も同市西区に残っている。
急斜面の細い坂道を上り切った、博多湾を見渡せる高台。
眼下にはJR筑肥線が走り、リゾート施設も見える。
1983年に68歳で亡くなるまで、堅太郎氏はここで過ごした。
息子の克也さんはそのころの父をよく覚えている。
「英会話を勉強してました。(学習用のカセットテープを文具店の)事務所で聞いて、しゃべって。韓国や東南アジアからの留学生の面倒をよくみていました。
家に招いて食事して」

孫に当たる冬至竜介さん(45)もこう言った。
「なぜ、留学生を世話するのか。
(祖父は)罪滅ぼしだ、と言っていました。
アジアを日本人が攻撃して悲惨な目に遭わせた。日本では(加害の実態があまり)報道されないけれども、せめてもの償いだ、と。そう言っていました」

高台の住宅の庭には4体の地蔵が置かれていた。
自らの手であやめた“敵国”の若者と同じ数だ。
その鎮魂のためであり、実際に堅太郎氏は毎日、地蔵に手を合わせていたという。
克也さんが述懐する。
「地蔵は4体と小さいのが1個あったんですよ。
『恐らく自分が手にかけた米兵にもお子さんがおったかもしれん。
そういう人たちもすこやかに育つように、と思っているんだ』と。
そう言ってましたね」

「短い命を更に縮めるような
      小細工はなさるな」
堅太郎氏の死後、4体の地蔵は福岡市城南区の油山観音に寄進されている。
この9月、4体の地蔵を探すため、油山に向かった。
人影はほとんどない。
本堂の周りには地蔵がいくつもあり、冬至家の地蔵はどれか、なかなか判別ができない。
寺に調べてもらい、ようやく4体を確認できた。

実は米軍に連行される前、堅太郎氏は自決を志し、この油山観音の和尚に相談した。
そのやりとりも堅太郎氏は書き残している。
「なぜ自決なさるのですか」と問う和尚に向かって、堅太郎氏は「敵に捕らえられ罪人として殺されるのは厭(いや)ですし、あとに残る家族の名誉のためにも軍人らしく自決したほうがいいと思います」と答えた。
すると、和尚はこう諭したのだという。

「ハハハ……そんな見栄はおすてなさい。
敵とか味方とか、一家の名誉とかそんなものにとらわれなさるな。
武士道なども仏の途にくらべると随分せせこましいものですよ。
仮にあなたが生き永らえたとしてもせいぜいあと5、60年の命でしょう。
天地の悠久に比べると誰も彼も一瞬の命にすぎません。
その短い命を更に縮めるような小細工はなさるな」 =『油山の歴史と伝説』に収録されている堅太郎氏の『苦闘記』

堅太郎氏はその後、巣鴨プリズンの中で仲間たちと共に、「世紀の遺書」という遺稿集の編纂(へんさん)に携わった。
横浜裁判や東京裁判だけでなく、中国や東南アジアなどで行われた戦争裁判で戦犯となった日本人たちの遺書も収められている。
その出版収益金によって1955年、東京駅に「アガペの像(愛の像)」が設置された。

堅太郎氏は、自分の子どもたちや次世代の人々に何を伝えたかったのだろうか。
冬至家が保存していた日記をめくると、1949年6月8日の日付にはこう記されていた。
日本人は自分自身で考えるという大切なことにかけている。
お父さん自身もそうだった。
どんな人の言葉も盲信してはいけないし、頭から否定してもいけない、必ず、自分でよく味わい、吟味しなくてはならないのだ 


武馬怜子(ぶま・れいこ)
1980年、愛知県生まれ。
フォトジャーナリストの中村梧郎氏に師事。
2013年から被災地をテーマに写真展を各地で開催。
2014年、上野彦馬賞入選。
伝統芸能や動物、ロヒンギャ難民などを幅広く取材。
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2018年12月09日

真珠湾攻撃に参加した隊員たちがこっそり明かした「本音」

真珠湾攻撃に参加した
隊員たちが
こっそり明かした「本音」
12/8(土) 現代ビジネス(神立 尚紀)

 77年前の今日、12月8日(日本時間)。
ハワイ、オアフ島の真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊に、日本海軍の航空母艦を飛び立った350機の攻撃機が襲いかかった。
 わずか2時間たらずの攻撃で、ハワイにあった米艦隊と航空部隊を壊滅させるという大戦果を上げ、日本の航空部隊の優秀さを世界に示した。
しかし、日本中が開戦の勝利に沸き立っていても、攻撃作戦に参加した搭乗員たちは、決して浮かれてはいなかった。

 戦後50年以上を経てはじめて、
彼ら搭乗員たちが語った本音とは……?
  作戦参加搭乗員765名の8割が終戦までに戦死
 「真珠湾攻撃の計画を聞かされたときは、私なんか作戦の中枢にいるわけではありませんから、ああ、いよいよやるのか、ずいぶん訓練やったからな、とそれだけでした」 と、本島自柳(もとじま・じりゅう)さんは静かに語り始めた。
真珠湾攻撃60年を目前に控えた2001年初夏のことである。
 本島さんは戦後、医師となり、改名して群馬県太田市で総合病院を営んでいたが、旧姓名「大淵珪三」、空母「赤城」乗組の中尉として、九九式艦上爆撃機(九九艦爆、2人乗りの急降下爆撃機)に搭乗、24歳のとき真珠湾攻撃に参加している。  

「しかし、私はね、攻撃の前の晩寝るまで、『引返セ』の命令があると思っていました。
日米交渉がうまくいったら引き返すこともあり得ると聞かされていたし、こんな簡単にアメリカ相手の大いくさを始めていいんだろうか、そういう感じは持っていましたからね」

 昭和16年(1941)12月8日、日本海軍機動部隊によるハワイ・真珠湾への奇襲攻撃で大東亜戦争(太平洋戦争)の火ぶたが切られて、今年、平成30年(2018)12月8日で77年になる。

 あの日、日本海軍の6隻の航空母艦、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」から発艦した350機(第一次発進部隊183機、第二次発進部隊167機)の攻撃隊は、アメリカ太平洋艦隊の本拠地、ハワイ・オアフ島の真珠湾を奇襲、わずか2時間たらずの攻撃で米艦隊と航空部隊を壊滅させた。

 アメリカ側は、戦艦4隻が沈没または転覆したのをはじめ19隻が大きな損害を受け、300機を超える飛行機が破壊あるいは損傷し、死者・行方不明者は2400名以上、負傷者1300名以上をかぞえた。
 いっぽう、日本側の損失は飛行機29機と特殊潜航艇5隻、戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名)だった。

 しかし、この真珠湾の「大戦果」は、日本の開戦通告が攻撃開始時刻に間に合わなかったことから、「だまし討ち」と喧伝され、かえってアメリカの世論をひとつにまとめる結果となってしまった。
 「リメンバー・パールハーバー」のスローガンのもと、一丸となったアメリカ軍はその後、驚異的な立ち直りを見せて反撃に転じ、3年9ヵ月におよんだ戦いの結果は、日本の主要都市焼尽、降伏という形で終わる。

 真珠湾攻撃に参加した日本側の飛行機搭乗員は765名(途中、故障で引き返した3機や機動部隊上空哨戒、および予備員の人数はふくまず)。
真珠湾で戦死した55名を含め、約8割にあたる617名がその後の激戦のなかで戦死、あるいは殉職し、生きて終戦の日を迎えたのは148名に過ぎない。

 真珠湾攻撃から50年後の平成3(1991)年、生き残り搭乗員がまとめた名簿では、ちょうど半数にあたる74名の住所氏名が記されているが、60周年の平成13(2001)年にはそれが30数名になり、77年を経たいまは数名(筆者が承知しているのは2名)を数えるのみである。

 私は戦後50年の平成7(1995)年以来、主に旧海軍の航空関係者数百名へインタビューを重ねるなかで、真珠湾作戦に参加した全ての機種の元飛行機搭乗員12名と、数名の元空母乗組員から生の声を聞くことができた。
冒頭の、本島自柳さんもその1人である。
 さらに平成13年(この年、9月11日にニューヨーク同時多発テロがあった)12月の真珠湾攻撃60周年記念式典にも、空母「蒼龍」の元零戦搭乗員・原田要さん(当時・一等飛行兵曹)や、空母「飛龍」雷撃隊(九七式艦上攻撃機)の丸山泰輔さん(当時・二等飛行兵曹)、空母「赤城」艦爆隊(九九式艦上爆撃機)の阿部善次さん(当時・大尉)ら、元搭乗員たちと参列している。  

驚いたことに、すでに歴史上の存在である「パールハーバー・アタッカー」のハワイでの人気はすさまじく、ホノルルの陸軍博物館の売店では原田さんや丸山さん、阿部さんのブロマイドが1枚6ドルで売られ、行く先々で無邪気にサインを求める人々の長い列ができた。
私たちの接した限りのアメリカ人は、日本の元軍人に対してもアメリカの退役軍人と同じように敬意を持って接し、そこにはもはや敵愾心は感じられなかった。
 だがその後、作戦に参加した関係者も高齢化とともに次々と鬼籍に入り、あの世界史的にも大きな出来事を、当事者の視線から多角的に論証することはもはや不可能となった。
そこでここでは、すでに故人となった真珠湾攻撃参加搭乗員へのこれまでの取材のなかから、あまり表に出ることのなかった搭乗員の「本音」の言葉を拾い集めてみたい。

「全面戦争になれば勝てるはずがない」
 真珠湾攻撃と言えば、猛訓練で鍛え上げられた搭乗員たちがまなじりを決して飛び立ったようなイメージが強いが、実際には、飛行練習生を終えて1年未満の新人が4分の1近くを占めていて、本島さんのように、アメリカとの開戦に懐疑的な人も少なくなかった。
 空母「翔鶴」零戦隊の一員として、真珠湾攻撃当日は機動部隊上空哨戒にあたった佐々木原正夫さん(当時・二等飛行兵曹)も、出撃前の11月23日、艦長・城島高次大佐より真珠湾攻撃の作戦計画が伝えられたときのことを、  「飛行甲板で、若い戦闘機分隊士の飯塚雅夫中尉にききました。
『開戦をどう思いますか。勝つんですか、負けるんですか』と。『私にもわからない。作戦は理解できたが、勝つか負けるかまでは皆目見当がつかない』というのが、飯塚中尉の答えでした。
私は、勝算があって始めるんならいいが、士官にもわからないような戦争をどうして始めるんだろう、と疑問に感じたのを憶えています」  と、回想している。

 指揮官クラスのなかにも、第二次発進部隊制空隊指揮官として零戦35機を率いて参加した進藤三郎さん(当時・大尉)のように、 「昭和8(1933)年、少尉候補生として、遠洋航海でアメリカへ行ったときのことを思い出しました。
西海岸だけを見ても、国土は広いし、街は立派だし、あらゆるものが進んでいる。
ロサンゼルスに上陸したとき、移民として向こうに渡った同級生が、自動車で迎えに来てくれたのにも驚きましたが、現地の日系人が自家用飛行機に乗せてくれたのにはもっと驚いた。
日本では、自家用車でさえ限られた一部の人のものだった時代ですからね。
 恐るべき国力。
こんな国と戦争しても、局地戦ですむならともかく、全面戦争になれば勝てるはずがない、というのが率直な気持ちでした」  と、アメリカを知ればこそ、先行きを危惧していた人もいる。
これは、戦前、遠洋航海を通して世界を見る機会のあった海軍士官として、ごく常識的なものの見方でもあった。

 真珠湾攻撃の一年以上前に、すでに将来の敗戦を予言するかのような言葉を残した指揮官もいる。
空母「蒼龍」戦闘機分隊長として、第二次発進部隊のうち零戦9機を率いた飯田房太大尉である。
 日本と中華民国との戦争が泥沼化していた昭和15(1940)年10月、飯田大尉は、中国大陸の漢口基地を拠点に、第十二航空隊の零戦隊を率いて成都を空襲、中国軍機を圧倒し、部隊は感状を授与された。
だが、部下だった零戦搭乗員・角田和男さんによると、祝勝ムードのなか、飯田大尉は一人浮かぬ顔で、  
「こんなことでは困るんだ。
奥地空襲で全弾命中、なんて言っているが、重慶、成都に60キロ爆弾1発を落とすのに、諸経費を計算すると約1000円かかる。
相手は飛行場の穴を埋めるのに、苦力(クーリー)の労賃は50銭ですむ。
実に2000対1の消耗戦なんだ。
こんな馬鹿な戦争を続けていたら、いまに大変なことになる。感状などで喜んでいる場合ではないのだ」 と、周囲にこぼしていたという。

 攻撃隊員のなかにさえ、無謀な開戦に疑問を抱き、出撃直前まで、外交交渉での戦争回避に望みをつなぐ者がいたことは記憶されていい。
しかしそんな個々の思いを呑み込んだまま矢は放たれ、日本は世界を相手に戦う道を選んだ。

気味悪く感じるほど、
反撃の立ち上がりは早かった  
「朝日をバックに、堂々の大編隊を見た感激は忘れられません。
男の本懐、これに過ぐるものはないな、と」
 そう語るのは、空母「加賀」第一次発進部隊零戦隊指揮官として9機を率いた志賀淑雄さん(当時・大尉)である。
 「静かな日曜の朝でした。東から太陽を背にして入ったんですが、真珠湾には、ライトグレーに塗られた米戦艦が2列にズラッと並んでいました。
大艦隊が朝日に映えて、本当に美しかった。
これに火をつけていいのかな、とふと思ったぐらいです」

 ちょうど、オアフ島北端のカフク岬が、白く映えた断雲の下から絵のように見えてきたとき、総指揮官・淵田美津雄中佐が信号銃1発を発射した。
「奇襲成功」の合図である。
奇襲の場合は信号弾1発で、雷撃(魚雷攻撃)隊が真っ先に突っ込み、敵に発見されたり反撃をうけたりして強襲になった場合には、信号弾2発で、艦爆(急降下爆撃)隊が最初に投弾する手はずになっていた。  
「ところが、信号弾が目に入らないやつがいたのか、淵田中佐はもう1発、信号銃を撃ちました。
2発は強襲の合図なんですが、状況から考えて、これは(強襲と)まちがえるほうがおかしい。
あとで淵田さんに聞いたら、やはりあの2発めはダメ押しだったと。
 それなのに艦爆隊が、2発めを見て強襲と勘違いして、そのまま目標に向かっていく。
雷撃隊は、と見ると、単縦陣になって、まだ高度を下げつつ西海岸を回っている途中です。
艦爆の一番機は、フォード島の飛行場に向かってピューッと急降下すると、250キロ爆弾を落とした。
それがまた、格納庫のど真ん中に命中したんです。
『馬鹿野郎! 』と思わず叫びました。

 格納庫からバッと火が出て、煙がモクモクと出てきた。
爆煙で雷撃隊が目標を見失うようなことになれば、敵艦隊の撃滅という作戦の意味がなくなりますから、気が気ではありません。
『煙の方向は? 』と見ると、幸い北風で爆煙は湾口の方へ流れてゆき、敵艦隊は姿を見せたままでした。
 『ああ、よかった』と思ったら、また1発。
すると、何分もしないうちに港一帯、まるで花籠のように見えるほど、激しい対空砲火が撃ち上げられました。
あれ、アメリカはわかってて待ち構えていたのかな、と気味悪く感じるほど、反撃の立ち上がりは早かった。

 雷撃隊はまだ入らない。
やがて、艦爆の攻撃がほとんど終わったと思われた頃、ようやく『赤城』の一番機が発射点につきました。
魚雷を発射すると、チャポン、と波紋が起こって、白い雷跡がツーッとのびてゆく。
命中したら大きな水柱が上がります」
 艦爆隊が先に投弾したために、雷撃隊は対空砲火のなか、強襲ぎみの攻撃を余儀なくされた。
 このとき、空母「加賀」雷撃隊の一員(偵察員――3人乗りの真ん中の席。偵察、航法を担当)として九七式艦上攻撃機に搭乗、攻撃に参加した吉野治男さん(当時・一等飛行兵曹)は、 「突っ込むときの気分は、訓練のときと同じです。
敵戦艦に向けてどんどん高度を下げていき、操縦員の『ヨーイ、テッ』という合図で魚雷を発射するんですが、私の目標にした左端の艦は、もうすでに魚雷を喰らって、いくらか傾いてるようでした。
あとで知ったところでは、この戦艦は「オクラホマ」で、13発もの魚雷が命中し、転覆したそうです」 と振り返る。  

800キロを超える重さのある魚雷を投下した瞬間、飛行機はグン、と浮き上がる。
雷撃後の避退方向については機長の判断で決めることになっていたので、吉野さんはすかさず、操縦員に右旋回を命じた。が、 「これが得策ではなかった。戦艦群の真横を飛び抜ける形になりますから、向きを変えたとたん、横殴りの猛烈な集中射撃を受けた。
赤い光の筋が、目の前を左から右へ、束になって行く手をさえぎりました。
まるで花火のように機銃を撃ちまくられて、自分の魚雷がどうなったのかも確かめる余裕はありません。
 敵弾を避けるため、とっさに上下運動を指示しましたが、操縦員が操縦桿を引いた瞬間、操縦桿にガチャンッと敵弾が命中、続いて後席にもバチンと大きな音がして、塵や埃が機内に舞い上がりました。
後席に命中した一発は、電信機の太い電纜(でんらん。コードのこと)を切断し、電信員の向う脛をむしっていきました。
操縦席の一発は、操縦員が操縦桿を引かなければちょうど手首をもぎ取られていたところで、間一髪でした。
 被弾はすべて機体の胴体に計8発、当たりどころが悪ければ終わりです。

私は『加賀』雷撃隊の5機めでしたが、後に続く7機のうち5機が撃墜され、1機の電信員は敵弾で鼻をもぎ取られました。
攻撃が始まって何分もたたないのに、敵の反撃は早かった
これはもう驚異的でしたね……」
 また、空母「飛龍」雷撃隊の丸山泰輔さんは、 「水深の浅い真珠湾で、いかに魚雷を走らせるかに集中していて、対空砲火はあまり目に入らなかった。
先に入った『加賀』雷撃隊はずいぶんやられたようですが……。
私は魚雷発射後、左旋回で避退したんですが、右の方に優秀な射手がおったのかもしれません」 と語っている。

弾幕で空が真っ暗になるくらい撃ってきた
 雷撃隊が、2列に並んだ戦艦の外側を攻撃すると、こんどは水平爆撃隊(雷撃と同じく九七式艦上攻撃機)が、内側の戦艦を狙う。
水平爆撃隊は、高度3000メートルから、800キロの大型爆弾を投下する。

「加賀」水平爆撃隊の小隊長だった森永隆義さん(当時・飛行兵曹長)の回想――。  
「高度が低いと爆弾が戦艦のアーマー(装甲)を貫けないので高高度からの爆撃になりますが、海上の小さな目標を狙うのは容易じゃありません。
特別な訓練を受けた嚮導機(きょうどうき)をリーダーにして、一個中隊の5機なら5機が一斉に爆弾を投下し、そのうちの1発が命中すればいいという考え方でした。
 最初に敵艦を見たときは、いやあ、いるいる、という感じですね。
しかし敵はすでに合戦準備を完了していたらしく、撃つこと、撃つこと。
弾幕で空が真っ黒になるぐらい撃ってきて、翼がブルンブルンと揺れるほどでした。
 それで、爆撃針路に入ると、私たちの前の隊の爆撃で、一隻の戦艦の砲塔がバーンと吹っ飛んで、目の前に悪魔の火のような、赤黒い炎とものすごい爆煙が上がるのが見えました。
そりゃもうびっくりしましたよ。
あんな大きな爆発は見たことがない。
あれが『アリゾナ』だったんでしょう。
私の中隊は『メリーランド』型戦艦に2発ぐらい命中させましたが、煙で視界が遮られ、敵艦が沈むところまでは見届けられませんでした」
 「加賀」戦闘機隊の志賀さんは、攻撃の成功を見届けて、ヒッカム飛行場の銃撃に入った。
 「港とちがって、こちらはあまり対空砲火はなかったですね。
格納庫の前に大型爆撃機・ボーイングB-17がズラッと並んでて、それを銃撃したんですが、燃料を抜いてあるのか燃えなかった。
 それで、ヒッカムの銃撃を切り上げて、煙のなかに飛び込んで、左に太平洋を見ながら超低空、高度十メートルぐらいでバーバスポイントの米海軍基地に向かいました。
きれいな景色でしたね、トウモロコシ畑が広がっていて、赤い自動車が走っていて。
 バーバスポイントには小型機が並んでいました。
それで、そいつに3撃。
こんどは、気持ちよく焼かせていただきました。
ここでは1人、空に向けてピストルで応戦している米兵の姿が見えたそうですが、対空砲火はなかったと思います。

 結局、敵戦闘機は見なかったですね。
しかし、私の三番機・佐野清之進二飛曹は、バーバスポイントまでは私についてきていたのに、その後、姿が見えなくなり、行方不明になりました。
佐野機はどうも敵の飛行機と空中衝突したらしい、とあとで聞かされました。

 攻撃が終わって、戦果確認をしようと真珠湾上空、高度5000メートルまで上がってみましたが、上空から見たら、真珠湾は完全に一つの雲のような煙に覆われ、ときどき、そのなかで大爆発が起こっている。
地面も海面も、ほとんど見えない状態でした。
よし、完全にやっつけたな、これでよし、と思い、バーバスポイントの北、カエナ岬西方10キロ上空、高度2000メートルの集合地点に向かいました」

もはや引き返すことはできない
 機動部隊の各母艦では、第一次の発艦後、すぐに第二次発進部隊の準備が始められた。
第二次発進部隊制空隊(零戦隊)指揮官の進藤三郎さんは語る。  
「第一次の発進を見送ったときにはさすがに興奮しましたが、いざ自分が発進する段になると気持ちも落ち着き、平常心に戻りました。
出撃前、司令部から、この作戦で空母6隻のうち3隻、飛行機半数を失うとの見積もりを聞かされていて、死を覚悟しましたが、それほど悲壮な気分にもなりません。
 真珠湾に向け飛行中、クルシー(無線帰投装置)のスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえてきました。
陽気な音楽が流れていたのが突然止まって、早口の英語でワイワイ言い出したから、よくは聞き取れませんが、これは第一次の連中やってるな、と奇襲の成功を確信しました」

 オアフ島北端、白波の砕けるカフク岬を望んだところで高度を6000メートルまで上げ、敵戦闘機の出現に備える。オアフ島上空には、対空砲火の弾幕があちこちに散らばっていた。
 「それを遠くから見て、敵機だと勘違いして、接敵行動を起こしそうになりました
途中で気づいて、なんだ、煙か、と苦笑いしましたが」
 弾幕の煙は、遠目には1つ1つが黒い点々に見える。
同じく第二次発進部隊「赤城」艦爆隊の大淵中尉(本島自柳さん)は、それらの黒点を認めて、前席の操縦員・田中義春一飛曹に「おい田中、あれは防塞気球かな」と声をかけ、「分隊士は呑気だな、あれは敵の弾幕ですよ」といわれたことで、はじめて戦闘を実感したと回想している。
 第一次に遅れること約1時間、真珠湾上空に差しかかると、湾内はすでに爆煙に覆われていた。
心配した敵戦闘機の姿も見えない。
艦爆隊は、第一次発進部隊が撃ちもらした敵艦を狙い、本島さんは急降下爆撃で敵巡洋艦に250キロ爆弾を命中させている。

零戦隊を率いる進藤さんは、各隊ごとに散開し、それぞれの目標に向かうことを命じた。
 「艦攻の水平爆撃が終わるのを待って、私は『赤城』の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りました。
敵の対空砲火はものすごかったですね。飛行場は黒煙に覆われていましたが、風上に数機のB-17が確認でき、それを銃撃しました。
高度を下げると、きな臭いにおいが鼻をつき、あまりの煙に戦果の確認も困難なほどでした。
それで、銃撃を2撃で切り上げて、いったん上昇したんですが」
 銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認できず、味方同士の空中衝突の危険も懸念された。
進藤さんは、あらかじめ最終的な戦果確認を命じられていたので、高度を1000メートル以下にまで下げ、単機でふたたび真珠湾上空に戻った。

 「立ちのぼる黒煙の間から、上甲板まで海中に没したり、横転して赤腹を見せている敵艦が見えますが、海が浅いので、沈没したかどうかまでは判断できないもののほうが多い。
それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆のすさまじさを見れば、完膚なきまでにやっつけたことはまちがいなさそうだと思いました。
これはえらいことになってるなあ、と思いながら、胸がすくような喜びがふつふつと湧いてきましたね。

 しかしそれと同時に、ここで枕を蹴飛ばしたのはいいが、目を覚ましたアメリカが、このまま黙って降参するわけがない、という思いも胸中をよぎります。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、もはや引き返すことはできまい。戦争は行くところまで行くだろう、そうなれば日本は……

被弾し、敵飛行場に突っ込んだ
指揮官の胸中とは
 第二次発進部隊には、飯田房太大尉が率いる空母「蒼龍」の零戦9機も参加している。
そのなかの1機、藤田怡與藏さん(当時・中尉。戦後、日本航空に入り、日本人初のジャンボ機機長となる)の回想。
 「真珠湾に向け航海中、われわれ搭乗員は暇なので、よくミーティングと称して、分隊長・飯田房太大尉のところに集まっては、いろんな話をしていました。
 あるとき、分隊長が、『もし敵地上空で燃料タンクに被弾して、帰る燃料がなくなったら貴様たちはどうする』と問われた。
みんなああでもない、こうでもないと話をしていると、分隊長は『俺なら、地上に目標を見つけて自爆する』と。
それを聞いてみんなも、そうか、じゃあ俺たちもそうなったら自爆しよう、ということになりました。
ごく自然な成り行きで、悲壮な感じはなかったですよ。

 われわれ第二次が真珠湾の上空に着いたときには、すでに一次の連中が奇襲をかけたあとですから、敵は完全に反撃の態勢を整えていました。
それはもう、ものすごい対空砲火の弾幕でした。
 はじめ空中には敵戦闘機の姿が見えなかったので、カネオヘ飛行場の銃撃に入りました。
目標は地上の飛行機です。
飯田大尉機を先頭に、単縦陣で九機が一直線になって突入しました。
3度ぐらい銃撃したところで、爆煙で地面が見えなくなったので、ホイラー飛行場に目標を変更して2撃。
ここでも対空砲火は激しかった。
飛んでくる弾丸の間を縫うように突っ込んでいったんですからね。

 ホイラー飛行場の銃撃を終え、飯田大尉の命令により集合してみると、飯田機と二番機の厚見峻一飛曹機が、燃料タンクに被弾したらしく、サーッとガソリンの尾を曳いていました。
これはやられたな、と思って飯田機に近づくと、飯田大尉は手先信号で、被弾して帰投する燃料がなくなったから自爆する、と合図して、そのままカネオヘ飛行場に突っ込んでいったんです。
 私からその表情までは見えませんでしたが、迷った様子は全然ありませんでした。
ミーティングで自ら言った通りに行動されたわけです。
煙のなかへ消えていく飯田機を見ながら、涙が出そうになりました――」
 飯田機が墜ちたのは、カネオヘ海兵隊基地の、格納庫や滑走路から約1キロ離れた、隊門にほど近い道路脇である。
米側の証言記録によると、飛行場に突入してきた飯田機は、対空砲火を受け低空で火を発したが、最後の瞬間までエンジンは全開で、機銃を撃ち続けていたという。
飯田大尉の遺体は機体から引き出され、米軍によって基地内に埋葬された。
 墜落地点には、真珠湾攻撃30周年にあたる昭和46(1971)年、米軍が小さな記念碑を建てた。
真珠湾で戦死した日本側将兵64名のうち、米側が埋葬場所を明らかにしているのは飯田大尉だけである。

 飯田機を見送った藤田さんが、残る8機をまとめ、集合地点に向かう途中、銃撃音に振り返ると、後上方から敵戦闘機9機(米側記録では、カーチスP-36A・5機)が攻撃をかけてくるのが見えた。  
「すぐに戦闘開始を下令して、空戦に入りました。
私は1機に命中弾を与えましたが、最後に1機、正面からこちらに向かってくるのがいる。
そこで、ちょうどいいや、こいつにぶつかってやれ、と腹を決めてまっすぐ突っ込んでいくと、敵機は衝突を避けようと急上昇した。
そこへ、機銃弾を存分に撃ち込んだんです。
 ところが、正面から撃ち合ったもんだから、私の零戦にもかなりの被弾があったようで、エンジンがブルンッといって止まってしまった。
目の前の遮風板(前部風防)にも穴が開き、両翼は穴だらけです。
これはしようがない、私も自爆しようと思ったら、また動き出した。
それでなんとか帰ってみようと、途中ポコン、ポコンと息をつくエンジンをだましだまし、やっとの思いで母艦にたどり着きました。
 油圧計はゼロを指していて、焼きつく寸前です。
着艦すると、その衝撃でエンジンの気筒が一本、ボロンと取れて飛行甲板に落ち、同時にエンジンが完全に止まってしまいました」

 戦死した飯田大尉は山口県出身の28歳、兵学校時代、「お嬢さん」というニックネームで呼ばれていたという。
気性の荒い者が多い戦闘機乗りにはめずらしく、気品を感じさせるほど温和で寡黙な士官であった。
 「飯田機は、帰艦できないほどの被弾ではなかったと思う。
行きは増槽(落下式燃料タンク)を使い、戦闘のときにそれを落として機内の燃料タンクを使うわけですが、やられたのは片翼のタンクだけで、胴体ともう片翼の燃料は残ってますから。
冷静に計算したら燃料はあるわけですよ。
もしかしたら還れたかもしれないのに、惜しいことでした。
いま思えば、航海中のミーティングのときから、心中に期するものがあったのかもしれません」 と、藤田さんは言う。

 飯田大尉がかつて、 「こんな馬鹿な戦争を続けていたら、いまに大変なことになる」 と周囲に漏らしていたことは、先に述べた。
 それをじかに聞いた角田和男さんは、開戦時一等飛行兵曹で、茨城県の筑波海軍航空隊で操縦教員を務めていたが、真珠湾攻撃から帰還した「蒼龍」の搭乗員から聞いた話として、次のように語っている。
 「飯田大尉は攻撃の前日、部下の搭乗員を集め、『この戦は、どのように計算してみても万に一つの勝算もない。私は生きて祖国の滅亡を見るに忍びない。
私は明日の栄えある開戦の日に自爆するが、皆はなるべく長く生きて、国の行方を見守ってもらいたい』と訓示をしたと言うんです。
 飯田大尉はその言葉の通り、自爆されましたが、このことはその日のうちに艦内の全員に緘口令が敷かれたと。
私は、飯田大尉の人となりから、その話を信じています」
 これは、驚くべき証言である。
飯田大尉は、はじめから自爆する決意でいたのか――。  
このことを藤田さんに質してみると、 「いや、私はそんな訓示を受けた覚えはないですな。
開戦初日に戦死する覚悟というのは、私もそうだったし、みんなそうだったんじゃないですか」 と、否定的だった。
 飯田大尉が敵飛行場に向け自爆するとき、その胸中を去来するものが何であったか、出撃前日の訓示もあわせて、いまとなっては確かめようがない。

「詰めが甘い」と感じた
第三次攻撃の中止
 空襲を終えた攻撃隊は、次々と母艦に帰投し、各指揮官が発着艦指揮所の前に搭乗員を集め、戦果を集計した。
 進藤さんは、「赤城」艦爆隊と合流して帰還した。
機動部隊司令長官・南雲忠一中将が、わざわざ艦橋から飛行甲板上に下りてきて、「ご苦労だった」と進藤さんの手を握った。
そして、攻撃に参加した士官搭乗員のなかではもっとも若い、艦爆隊の本島さんを抱きしめ、 「よく帰ってきたなあ」 とねぎらった。
進藤さんも本島さんも、南雲中将がこのように感情を露わにするところを見たのは初めてだった。
 ほどなく、最後まで真珠湾上空にとどまっていた総指揮官・淵田中佐の九七艦攻が帰艦する。
大戦果の報に、艦内は沸き立った。
しかし、日本側にとって残念なことに、敵空母は真珠湾に在泊していなかった。
 もし、敵空母が近くの海上にいるのなら、こんどはこちらが攻撃されるかもしれない。
第一次、第二次の攻撃から帰還した零戦が、燃料、弾薬を補給して各空母から数機ずつ、ふたたび上空哨戒のため発艦する。  

艦上では、第三次発進部隊の準備が進められている。
「蒼龍」の第二航空戦隊司令官・山口多聞少将からは、「蒼龍」「飛龍」の発艦準備が完了したとの信号が送られてきた。
この攻撃隊を出撃させれば、日本を発つまでに1機あたり150発(出撃1.5回分)しか用意できなかった零戦の20ミリ機銃弾は、概ね尽きるところであった。
 しかし、南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。
これは、すでに所期の戦果を挙げたと認められるいま、敵空母の所在位置がわからないまま、その場にとどまることは不利であるとの状況判断に基づいたものだと言われるが、味方空母、飛行機の半数を失う覚悟で臨んだにしては、消極的ともいえる決断だった。  

「当然もう一度出撃するつもりで、戦闘配食のぼた餅を食いながら心の準備をしていましたが、中止になったと聞いて、正直なところホッとしました。
詰めが甘いな、とは思いましたが……」 と進藤さんは言う。

そもそも戦争にだまし討ちなどない
 こうして真珠湾奇襲攻撃は成功し、米太平洋艦隊を壊滅させた機動部隊は意気揚々と引き揚げたが、隊員たちのまったくあずかり知らないところで、外交上の重大なミスが起きていたことが、やがて明らかになる。
 日米交渉の打ち切りを伝える最後通牒を、攻撃開始の30分前に米政府に伝える手はずになっていたにもかかわらず、ワシントン日本大使館からの通告が遅れ、攻撃開始に間に合わなかったのだ。
 アメリカがこの失態を見逃すはずもなく、真珠湾攻撃は「卑怯なだまし討ち」と喧伝され、かえって米国内の世論をひとつにまとめる結果となった。
 最後通牒が遅れたことを、攻撃に参加した搭乗員は当時、知る由もなかったが、戦後になって聞かされた「だまし討ち」の汚名は、当事者にとって心外なものだった。

 進藤さんは、 「あれは『だまし討ち』ではなく『奇襲』です。
最後通牒が間に合わなかったのは事実なんでしょうが、アメリカも1898年の米西戦争では宣戦布告なしに戦争をした前歴があります。
 アメリカは11月26日、ハル・ノート(日本軍の中国および仏領インドシナからの撤兵、中国における蒋介石政権以外の政権を認めないことなどを要求、日本側は事実上の最後通牒と受け取った)を日本に突きつけた時点で開戦を覚悟し、戦争準備をしていたはず。
真珠湾の対空砲火を見れば一目瞭然ですよ。

 ふつう、炸裂弾を弾薬庫から出して信管を取り付け、発射するまでには、ある程度の時間を要する。
それが、第一次の雷撃隊からも損害が出るほどの早さで反撃できたんですから、砲側に置いて臨戦準備をしていたとしか考えられない。
 それなのに『だまし討ち』などというのは、日本側の実力を過小評価していたため、予想以上の被害を出してしまったことに対する責任逃れの言い訳にすぎないと思います。
そもそも戦争に『だまし討ち』などないんですから」 と、憤懣やるかたない、といった口調だったし、志賀さんも、 「だまし討ちと言うけどね、それまでにもう、戦争が始まらなければいけない状態になっていたんじゃないですか。
少なくとも私たちが攻撃したとき、だましどころか完全な防備がしてありましたよ。
でないと、あんなに素早く反撃はできません。

 アメリカとしたら、『だまし討ち』ということにしないと、軍上層部の顔が立たなかったんだと思いますね。
それで世論を盛り上げた。世論の国ですからね。
もし最後通牒が完全に間に合っていたとしても、われわれは同じ戦果を挙げてみせたでしょう。
ドックなどの港湾施設や燃料タンクを攻撃しなかったのには、いまでも悔いが残りますが」 と、「現場」としての誇りをにじませる。

 アメリカと無謀な戦いを始めることに対し、それぞれに感じた疑問や不安を胸に秘め、与えられた立場で最善を尽くした結果が「だまし討ち」呼ばわりというのは、「命じられる側」の当事者として、やり切れないことであったに違いない。
 後世の目でその後の戦争の推移を振り返れば、真珠湾攻撃に投入された本島さんや進藤さん、飯田大尉ら、若い隊員たちが抱いた危惧は正しかった。
本島さんは、 「戦争が終わったときは、負けた悔しさよりも、なんでこんな戦争を始めたんだと、そういう気持ちが強かったですね。子供だってケンカするときは止めどきを考えてやるでしょう。それが全くなかったわけですから。それで大勢の人を死なせて……」 とも語っている。

 もちろん、政府にも陸海軍にも、開戦に反対する者はいた。
にもかかわらず、負けるに決まっている戦争を止めることはできなかった。
戦後、何度も検証され、繰り返し語られてきた遠い昔の出来事だが、当事者がほとんどいなくなり、戦場を知らない世代が世の中を動かすようになったいまだからこそ、問い直す意味があるように思う。
             神立 尚紀
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2018年12月10日

安倍政権の国会蹂躙がヤバすぎ! 議長が言論封殺、自民理事が暴力

安倍政権の国会蹂躙がヤバすぎ! 議長が「やめさせて連れてけっちゅうの!」と言論封殺、自民理事が暴力で妨害も
2018.12.07 LITERA編集部

 これを「独裁」「大暴走」と言わずして何と言うか。
本日、参院では入管法改正案と漁業法改正案をめぐり、安倍政権が暴挙のかぎりを尽くしたからだ

 まず与党は、野党が提出した参院法務委員会の横山信一委員長と参院農林水産委員会の堂故茂委員長の解任決議案に対し、与党は発議者趣旨説明に時間制限をかける緊急動議を出した。

 その上、その趣旨説明中に参院議院運営委員会の大家敏志理事が壇上で趣旨説明の制限時間を超えていると激昂して、参議院職員に暴言を吐き、さらには立憲民主党の白眞勲理事の肩を突くという“事件”を起こし、それによって参院は長時間ストップしたのだ。

 議員の当然の権利である趣旨説明に時間の制限をかけておきながら、“暴言・暴力”によって議会を止めてしまうとは、まったく唖然とするしかないではないか。

 そもそも、先日の衆院本会議でおこなわれた山下法相の不信任決議案の趣旨説明でも時間制限はなく、国民民主党の山井和則議員が約1時間45分にわたって問題点を指摘。
外国人技能実習生が追い込まれている過酷な労働実態を細かく紹介したが、そのとき自民党席から「警察に行ったらいいよ」という信じられないヤジも飛んだ。
 つまり、衆院における山井議員の趣旨説明はいかに安倍自民党が技能実習生の人権問題に関心がなく、「使い捨ての労働力」としてしか見ていないかが露わになる非常に意味のある時間となったわけだが、こうした国会における言論の自由をきょう、与党は数の力で奪ったのである。

 この安倍自民党の暴走について、自由党の森ゆうこ議員は、堂故委員長の解任決議案の賛成討論のなかで言及。
森議員といえば2004年、年金制度改革関連法案の成立を阻止するための委員長解任決議案の趣旨説明で、じつに3時間1分におよぶ演説を展開。
これは戦後の国会で最長となる記録だが、当時を振り返って、安倍自民党がいかに横暴な国会運営をおこなっているかに切り込んだのだ。

「当時の自民党は、当時の与党は、非常に懐が深かった。言論の府、立法府、この責務の重要性……言論封殺することなく、発言を認められました」
「(当時は)新人の私から見ても水を漏らさぬ国会運営。少数意見を尊重し、間違っても『手続きに瑕疵がある』『言論封殺』『民主主義の崩壊』、そんなことを言われるような議会運営をしたところは見たことがありません」

 たとえ強行採決をしても文句が出ないよう、自民党は野党の意見に耳を傾け、国会運営に気を配っていた。
それがいまはどうか──。
森議員の怒りはもっともだ。
 というのも、安倍首相が「70年ぶりの抜本改革」と述べた漁業法改正案は、地元漁業者を優先してきた漁業権を知事の裁量で地元外の企業に与えることを可能にするなど、地元の零細漁業者にとって死活問題の“大企業優遇”法案だ。
にもかかわらず、衆院農水委員会でこの法案は4日(約10時間30分)、参院農水委員会ではたったの2日しか審議されていない。

 さらに、昨日の参院農水委員会では、それまで理事会で「非公開」とされ提出を拒まれてきた、漁業権の民間開放などについて議論した国家戦略特区ワーキンググループの議事録を、委員会の終盤になって長谷成人水産庁長官が「公開しても構わない」と言い出して紛糾。
森議員の質問の最中に委員会は休憩となったのだが、堂故委員長は野党理事らがまだ着席もしていないのに委員会を再開、吉川貴盛農水相に発言を求め、森議員の質問権を奪ったのだ。

 出せるはずの資料を隠しつづけ、公平中立が求められる委員長が職権で政府・与党に有利な運営をおこなう。これは入管法改正案を審議してきた法務委員会もまったく同様で、審議を尽くすという大前提を捨て、「臨時国会で成立させる」という安倍首相の方針に沿おうとしかしていない結果の話だ。
 そのくせ、きょうの参院本会議での森議員の趣旨説明では、15分の時間制限をかけた上、与党議員らはその時間を少し超過しているだけの森議員に対し、「ルールを守れ!」のヤジを大合唱。
 だが、「森姐さん」こと森議員は、そんなヤジで怯むタマではない。
それどころか、与党議員らに向かって、こう吠えたのだ。
「ルールを守れ、ルールを守れと必死に叫んでおられますけど、その元気があるなら、公文書改ざんで民主主義のルールの根幹を壊した安倍政権そのものに対して『ルールを守れ』と言うべきではないですか!
「民主主義のルールを守ってないのは、どこの誰ですか。外国人技能実習生の個票、私は手で書き写すためにやっていましたよ。そうしたら自民党の理事が来て、なんて言ったんですか。『好きでやっているんだろう』と。好きでやっているわけじゃありませんよ!   文書は改ざんする、資料は出さない。私も好き好んで厚生労働省の地下室に行って労働実態調査の個票を探しに行ったり、近畿財務局に乗り込んだり、そんなことを好きでやってるわけじゃないんですよ! 我々は議論の前提にさえ立っていない。議論を始める前に資料を出せ! 改ざんするな!」

 議論の前提にさえ立っていないとは、まったく森議員の言うとおりだが、伊達忠一・参議院議長は「森くん、簡単にしないと発言を禁じます!」とカットイン。
しかし、森議員は「言論封殺には反対します」ときっぱり宣言して、今度は自民党議員に語りかけた。
「自民党のみなさんにひとつ言いたいよ。主要農作物種子法や農協改革法や今回の漁業法、入管法改正、みんなね、ほんとうは私も反対だと、酷い法案だと、言ってくるんですよ。今回の漁業法だって『ほんとうは反対だ』って言ってきた人、いるでしょう?   だったら反対しなさいよ! だったらこんなでたらめな法案、出させるな! いままでの自由民主党なら、今回の漁業法や入管法改正案なんていう、こんなでたらめな法案を、自民党が出させませんでしたよ! どうしちゃったんだ自民党!」

 こう述べているあいだも、森議員に浴びせられる怒号が響き渡る本会議場。
そして、ついには伊達議長が「やめさせろ、やめさせて連れてけっちゅうの!」と言い出したのである。
 議長自ら演説中の議員を「つまみ出してしまえ」と命令する──。
しかも、参院議員である無所属の小西ひろゆき議員は、そのときどのようなことがおこなわれていたか、こうツイートしている。
〈本会議場では、伊達議長の命令により森議員の演説を実力で止めさせるため、10名余りの衛視が隊列を作って壇上に向け行進を始めていた。異様な光景だった。  ちなみに、安保国会で私は一時間以上の演説を行ったがこのような実力行使はなかった〉

外国実習生の死亡事案を読み上げる有田芳生議員にヤジを浴びせる自民議員  
こんな暴挙を国会で繰り広げるとは、なりふり構わない安倍政権の強権性をあらためて突きつけられたかたちだが、しかし、森議員は与党議員らから浴びせられる怒声にも伊達議長の恫喝にも言論で立ち向かい、安倍政権の暴走を、真正面からこのように批判したのだ。
「どんな質問したってまもとに答えないじゃないですか! 公文書改ざんしても麻生大臣が居座ってるじゃないですか! ルールを破ってるのは安倍内閣だ! ルールを守れと言うなら、安倍首相に言え! なんで公文書改ざんの責任を、自殺者も出てるのに、麻生大臣はとらないんだ、おかしいでしょ!」

 このあと、森議員は理事に降壇を促され演説をやめざるを得なくなったが、森議員の訴えはあまりにも当然すぎるだろう。  

いや、森議員だけではない。参院法務委員会・横山委員長の解任決議案の趣旨説明に立った立憲民主党の有田芳生議員は、昨日になって法務省が出してきた技能実習生の「死亡事案一覧」により、2015〜17年のあいだに技能実習生がじつに69人も死亡していたことが判明したことを取り上げたが、与党議員らは趣旨説明にかけられた時間制限を超過しているとして、またも次々に大きなヤジを飛ばした。
 昨日の参院法務委員会では、死亡者69人の問題について質問を受けた安倍首相がヘラヘラと笑いながら
「私はいまここで初めてお伺いをしたわけでありまして、ですから私は答えようがない」などと答弁。
人の生命にかんする問題なのにまったくその重みを自覚していない姿勢が露呈したが、有田議員にヤジを飛ばした与党議員らもまったく同じだ。
 この、あまりに軽薄すぎるヤジに包まれた議場のなかで、有田議員はこう憤った。
「ひとりひとりの外国人労働者が、この日本にやってきて、どのように大変な思いをして、苦しい思いをして、この日本で亡くなっていかざるを得なかったのか。あなたたちはその現実を知らないだろう! (「死亡事案一覧」を読み上げ)ベトナム、22歳男、就寝中にて死亡。不詳の内因死。中国、36歳男、溺死。(ヤジに向かって)あなたはこういう現実を知りなさい! モンゴル、27歳男、自宅で首を吊って死亡。ベトナム、22歳男、溺死。(再びヤジに向かい)あなたの知らない現実を知りなさい! 中国、28歳男、凍死。ベトナム、21歳女、低酸素脳症……」

「こんなことが69人、この3年間に明らかになっていながら、法務省も与党も自民党も、明らかにしてこなかった! あなた方に、人間の苦しみや悲しみが、わかるのか!」
「これはただの69件の死亡事案ではありません。ここには、69人ひとりひとりの、あなたと同じ人生があるんだ!」

それでもまだ野党叩きで安倍独裁をアシストするメディアの責任
 こうして死亡事案がようやく出てきたのに、しかし安倍政権はきょう、これらの死亡にいたった調査に乗り出すこともなく、技能実習生たちの劣悪な労働実態への具体的かつ実効性のある対応策を打ち出すこともなく、法案を強行採決しようとしているのだ。

 漁業法改正案も同じだ。
参院本会議で堂故委員長解任決議案の賛成討論に立った共産党の紙智子議員は、漁業者からの“戦後、漁業法ができたとき、浜は喜びに沸き上がった”という声を紹介するなかで、胸を詰まらせたように「浜のみなさんが沸き立つ審議をしようではありませんか」と涙声を振るわせて切々と訴えた。
しかし、その後の参院農水委員会では、与党から誰ひとり法案の賛成討論に立つことなく漁業法改正案を可決。
賛成討論もしない、できない法案を、安倍自民党は審議を打ち切ってゴリ押ししたのだ。

 安倍首相は臨時国会の所信表明演説で、「長さゆえの慢心はないか。そうした国民のみなさまの懸念にもしっかりと向き合ってまいります」と語った。
だが、実態はどうだ。
法案審議の中身でも、国会運営でも、数の力ですべてをねじ伏せ、データの捏造や深刻な問題が浮上してもまったく取り合うことなく、「言論の府」たる国会の言論の自由を封じ込めた。
これこそを「独裁」と呼ぶのではないか。

 だいたい、有田議員や森議員らが安倍政権の強権性を訴えた当然の趣旨説明に対し、与党議員らは時間超過を理由にして「ルールを守れ!」と鬼の首をとったようにヤジを飛ばしたが、演説時間は有田議員が約20分、森議員は約25分にすぎず、わずかな超過でしかない。
だいたい、趣旨説明に制限をかけること自体が暴挙なのに、何が「ルールを守れ」だ。
森議員が言うように「ルールを守れと言うなら、安倍首相に言え!」だろう。

 しかし、有田議員や森議員の趣旨説明に対し、テレビは「野党の引き延ばし作戦」などと表現していた。
法案の問題点を追及もせず、「与野党の攻防」なる実態にそぐわない言葉で何か報じたつもりになって、国会の言論がねじ伏せられた現実を伝えない──。
安倍政権の独裁化を可能にしているのは、メディアの責任にほかならないのだ。
 いまなお、国会では入管法改正案と漁業法改正案の採決を阻止すべく、野党の抵抗がつづいている。
法案をこのまま通せば、安倍首相はさらに「独裁」に磨きをかけていくことになるだろう。
だからこそ、国会を蹂躙しつづけるこの瞬間を、しっかりと目に焼き付けなければならない。
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2018年12月11日

移民法未明に成立 すべてが悪法、常に強行採決の国民愚弄

移民法未明に成立 すべてが悪法、
常に強行採決の国民愚弄
2018/12/08 日刊ゲンダイ

 週明け10日の会期末を目前にして、国会は8日明け方まで大混乱が続いた。
中身スカスカのデタラメ「移民法」の成立を阻止するため、立憲民主党など野党が徹底抗戦したものの、午前4時9分、参院本会議で可決成立。
それは、アベ暴政がいよいよ極限に達していることを象徴する異様な光景だった。

 7日の参院では、野党が、法務委員長と農水委員長の解任決議案、山下法相と安倍首相の問責決議案を次々と提出。
しかし、いずれも与党が反対多数で否決し、未明の移民法の法務委可決、本会議成立を強行したのだった。
会期を絶対に延長しないという安倍官邸の強い意思も垣間見えた。

 深刻な人手不足を外国人労働者に補ってもらうこの法律は、日本が本格的な多民族国家に移行するという将来の「国の形」を変えることにもなる重要な法案である。
ところが安倍政権は、来夏の参院選対策も念頭に来年4月施行を頑として譲らない。
大多数が最低賃金以下で働かされている外国人技能実習生の失踪理由を「より高い賃金を求めて」と“捏造”までする悪辣さだ。

 外国人労働者の受け入れ人数や業種など法案の根幹部分が真っ白でも、「成立後に法務省が対応する」と逃げの一手。
そのうえ、衆参合わせて審議38時間は、過去の重要法案と比べても異例の短さで強引に押し切る横暴である。
 安倍政権はきのう、移民法とともに、漁業への企業参入を進める「水産改革関連法」も強行成立させている。

70年ぶりの漁業制度の抜本見直しだというのに、こちらもわずかの審議時間で押し切った。
そして一足早く、「水道民営化法」も強行採決のうえ成立させているが、世界は民営化↓再公営化が潮流なのに、厚労省は失敗事例をほとんど調べることなく、周回遅れの法律を通すという、これも、信じがたいデタラメ審議だった。

 最強官庁と呼ばれる財務省が、安倍政権を守るために公文書を平気で改ざんするのだから、法務省や厚労省が移民法や水道民営化法のデータをゴマカすなんて日常茶飯事なのだろう。
「数の力」さえあれば何でもねじ伏せられるという安倍のおごり高ぶった態度に、いまや永田町も霞が関も染まり切っている。
 政治評論家の野上忠興氏がこう言う。
「安倍首相にとって国会は単なる通過機関でしかないのでしょう。
安倍首相の『私が最高責任者』『私が立法府の長』という発言が全てを物語っていますよ。
『選挙で多数を獲得し、国民の負託を受けた最高責任者である自分が決めたことなのだから、何か文句あるのか』という考えなのです。
議会制民主主義や三権分立を尊重する姿勢はありませんし、安倍首相にそれを求めても無理なのかもしれません」

6年間で加速度的に量産  
会期わずか48日間の臨時国会で3つもの法案を強行採決したわけだが、第2次安倍政権になってからの6年を振り返れば、この政権に、果たしてマトモな国会運営が一度としてあったのか。
これほど強行採決を量産した政権がかつてあっただろうか。

 最初は2013年の「社会保障プログラム法」だった。
民主党政権下の3党合意で決まった「税と社会保障の一体改革」として、消費増税とセットで社会保障の充実が図られるはずが、自公政権に交代すると一転、社会保障を削減したアレである。

同年には「特定秘密保護法」も強行採決した。
15年には「改正派遣法」を強行。
当時、民主党だった山井和則衆院議員は
「労働者の命に関わることは労使合意の上でやってきた。
労働法案の強行採決は、国会史上初の暴挙」と猛批判していたが、過去の自民党政権が慎みを持ってきた領域にまで強引に突き進んだのがこの時だった。

 そして15年といえば平和憲法破壊の「安保法」だ。
かつてないほど大勢の国民が国会前に連日集結し、戦争ができる国につくりかえられることに徹底的に抗議した。
それでも安倍は容赦なく、強行採決に踏み切った。  

16年は、農業や医療などの崩壊を招く「TPP関連法」を強行。
この頃には、審議が始まる前から大臣や与党議員が強行採決の可能性を公然と口にするほど、強行採決は“当たり前”の風景となってしまった。
この年には、「年金カット法」も強行成立。
17年には「改正介護保険法」「共謀罪」だ。

安倍政権は共謀罪を成立させるにあたって、委員会採決を省略する「中間報告」という奇策にまで手を付けた。
 今年は、別名・過労死促進法と猛批判された「働き方改革法」に始まり、「カジノ実施法」「参院定数6増法」を通常国会で強行。
今臨時国会では移民法を含む3法案である。

こうして見てくると、6年間で、強行採決が加速度的に増加しているのがよく分かる。

「かつて55年体制といわれた時代は、与党の自民党と野党の社会党が表では拳を振り上げつつも、水面下で妥協点を探る政治が行われ、偽りの緊張関係ではありました。
しかしそれでも、与党は野党の意見を取り入れながら法案を修正したものです。
与党には、少数野党とはいえ、国民の代表を全く無視してはいけないという良識もありました。
三角大福中のように次の総理総裁を狙う人材が列をなしていたことも大きいでしょうね。
今は、ポスト安倍を狙う人材不足で、党内から異論が上がらないことも、安倍首相のやりたい放題を増長させる要因になっています」(野上忠興氏=前出)

■合意なく力ずくで進める劣化した政治  
12年、「TPP断固反対!」を掲げて政権に返り咲いたのに、TPPに前のめりになった安倍は「TPP断固反対と言ったことは1回もございません」と言い切った。
要するに、安倍政権というのは、嘘から始まった政権なのである。
 だから、ペテンも口から出まかせにも、痛痒を感じない。

武器輸出を「防衛装備移転」と言い換えて解禁。
戦争法は「平和安全法」で、他国の戦争に加担する集団的自衛権の行使を「積極的平和主義」という美名に、平然とスリ替えてきた。
国民に対する誠実さがみじんもない政治。それが安倍政権なのである。

 6年間に積み重ねてきた強行採決の数々は、3つの目的を持って進められた法律だということに気づく。
1.安保法や共謀罪に代表される「国民を抑圧する」法律。
2.年金カットや改正介護法など「国民に負担増を押し付ける」法律。
3.カジノ法や水道民営化など「お友達を儲けさせる」法律。

移民法、働き方改革、改正派遣法は、国民負担増とアベ友優遇の両方に当てはまるだろう。

 強行採決した法律には、世論調査で過半数が「今国会で急いで通す必要はない」と答えたものが少なくなかった。
つまり国民が望まない悪法だから、強行採決するしかなかったのである。
「由らしむべし、知らしむべからず」で、国民はただただ国家に従っていればいい。
これぞ、独裁者気取りの安倍一派が描く国家像だ。
残念ながら、この国は着々とそこへ近づいている。

政治評論家の森田実氏が言う。
「安倍政治というのは、与野党の合意や国民の理解を得ようとせず、力ずくで進める極めて劣化した政治です。
これで得をするのは自分の利益だけを追求する強欲経営者やトランプ大統領の米国。
結果、対米従属と軍国主義が加速する展開になり、国民を置き去りにしたまま走っている。
国民は目を覚まさなければいけません」  

この国の有権者は、安倍のような男に長期政権を与えたことを、いつ後悔するのだろうか。
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2018年12月12日

プライドがムダに高い「中高年男性」の末路

プライドがムダに高い「中高年男性」の末路
12/11(火) 東洋経済(岡本 純子)

 『週刊SPA!』の12月4日号で特集された「(裏)流行語大賞」のサラリーマン編第2位に「おじさんの孤独」が選ばれた。

今年2月、筆者は『世界一孤独な日本のおじさん』という本を出版し、以来、この連載などで、「孤独」の健康影響などについて発信し続けてきた。
一人の時間を楽しむ「ソリチュード」はいいけれど、誰にも頼ることができず、一人、不安で寂しい気持ちを指す「ロンリネス」の孤独は心身に大きな負荷を与える、ということは無数の科学的研究によって実証されている。

 特に男性は、退職後、長期的な孤独に陥りやすいので注意が必要だというメッセージに対し、多かったのが、「孤独の何が悪い」「孤独上等」というご意見だった。
書店には、「孤独万歳本」があふれかえり、ものすごい売れ行きだが、この現象は、多くの人が「孤独に対する漠然とした、もしくは鮮明な不安」を抱えていることの裏返しではないだろうか。

というわけで、にわかに注目を集める(? )「おじさんの孤独」だが、最近の中高年男性たちはそれ以外にも、いろいろと「生きづらさ」を抱えているように見える。

■生きづらさの根っこにある「プライド」
 人材難時代に若者たちは引く手あまたの一方で、テクノロジーの変化の速い現代に、「進化」に対応できない一部の男性たちに向けられる視線は極めて厳しい。
パワハラ職場で必死に働き、少ないお小遣いで家族を支えるために頑張ってきても、なかなか報われない。
そんな彼らへの深い愛情から、筆者は「余計なお世話」「放っておいてくれ」と批判を受けながらも、日々、皆さんの「幸せ」のカタチを探るというお節介を焼いている。

 長らくおじさんウォッチングを続けてきて、彼らの「生きづらさ」の根っこに何があるのかを考えた結果、
最終的に、4つの要因にたどり着いた。
それは「プライド」と「恥」と「承認欲求」そして、「男らしさの縛り」である。

今回は、まずその1つ目、「プライドについて考えてみたいと思う。
 都内の製薬会社に勤める50代後半の男性は、定年後の人生を模索する中で、尊敬する先輩にこう言われた。
「定年を迎えたら、プライドと肩書を徹底的に捨て去りなさい」。

日本のおじさんの最大の呪縛はこの「プライド」という何とも厄介な代物だ。
特に終身雇用、年功序列制度という「タテ社会」の中で、会社勤めの男性は係長、課長、部長……と役職が上がるにつれ、上から目線で話し、敬語で「かしずかれる」ことに慣れていく。
「権力」という空気が、「プライド」という風船を膨らませていくようなものだ。
上司らしく振る舞わねばという責任感がいつの間にか、プライドやおごりになり代わっていたりする。

 友人の選挙を手伝っていた女性は、中高年のボランティアの人たちと一緒に仕事をするうちにあることに気づいた。
女性たちは、おしゃべりを楽しみながら、自然に共同作業を楽しむが、男性は時々、声がけや感謝の意を伝えないと「すねてしまう」ところがあったというのだ。

 「『すねる』『ひがむ』『うらむ』という言葉の裏には『甘え』がある」と精神科医の土居健郎は著書『「甘え」の構造』で指摘したが、「無償の奉仕」に慣れない男性は、知らないうちに、自らの「奉仕」に対し、「働きを認め、プライドをくすぐる」という「対価」を求めているところがある。
 定年後の男性は、その知見と経験を生かして、ボランティアなど社会貢献に携われば、きっと尊敬され、自らの幸福感につながるのではとも思うのだが、「なぜ、タダで働くのか、その意味がわからない」という人が非常に多い。
ここでも「ある種のプライド」が邪魔をしている。

■「歩み寄り」を阻む「プライド」
 仕事という戦場で、盾と剣で戦い続けているうちに、「プライド」という分厚い鎧をまといやすく、そうして肥大化したプライドは、人とつながりを作ることを非常に難しくする。
相手の気持ちに寄り添い、共感し合い、理解し合うことで、関係性は深化していくが、強すぎる「エゴ」(自我)に対するプライドは、胸襟を開いた「歩み寄り」を阻むからだ。

会社という狭い社会の中で、どちらかが上でどちらかが下という力関係に基づくコミュニケーションを続けているうちに、バリバリと働く女性も「プライド」を背負いやすく、「孤独」は今やおじさんだけの問題でもない。
 プライドという言葉は、日本では、ポジティブに使われることが多いが、
実はキリスト教では、罪の根源とみなされる7 deadly sins(大罪)の筆頭に挙げられている。

その7つとは「傲慢」(pride)、「強欲」(greed)、「嫉妬」(envy)、「憤怒」(wrath)、「色欲」(lust)、「暴食」(gluttony)、「怠惰」(sloth)という感情や欲望だ。

 元来、プライドは、自分の能力に対する過信、おごり、高ぶりを意味し、ほかの人の利益を犠牲にする極めて重大な罪であると考えられている。
「Pride goes before a fall(プライドはつまずきに先立つ)」ということわざもあるが、まさにプライドとは「おごれる者は久しからず」の「おごり」にあたる。

一方で、「誇り」に当たるプライドは、ポジティブな効果をもたらすことが実証されている。
サウスウェールズ大学の研究では、プライドが忍耐力ややり抜く力につながり、勤勉さと献身に結び付くと結論づけられた。

つまり、プライドには「良いプライド」と「悪いプライド」の2種類が存在するということになる。

実際、英語では、良いプライドはAuthentic pride (正真正銘のプライド)、悪いプライドはHubristic pride(高慢なプライド)といったように区別される。

 「正真正銘のプライド」とは、自分の持つ能力に対する誇りの感覚だ。
自分の作り出す作品に対する誇り、仕事に対する献身やその成果に対する満足感など、自分の内面から湧き上がってくる「絶対的な感覚」。
こうしたプライドは周囲から共感も得やすく、また、自分のノウハウや技を共有し、他者をサポートしようとする行動につながりやすい。
脳科学的にも、他者とのつながりを促進するセロトニンの分泌と関連付けられている。

 一方で、「高慢なプライド」は、自分の有能性や支配力を過度に誇示しようとするために、脆弱な自我と不安、攻撃性を伴う。
こうしたプライドは男性ホルモンの分泌と密接に関わっており、他者との関係性を阻むと考えられている。

■「相対的な自信」は百害あって一利なし
 つまり、「誇り」とは、他者からの評価とはまったく関係がない「絶対的な自信」であり、「傲慢」は肩書や身分を根拠に、自分を誇大表示して見せようとすることである。
結局のところ、他者からの承認や評価に依存して得られるものであり、他人と比較したときの優位性に基づく「相対的な自信」ということになる。
こちらのほうは百害あって一利なしということなのだ。

 「良いプライド」は謙虚さを伴う。
職人が、現状に満足せずに、つねに高みを目指し、より良いものを作り続けようとする姿はこの典型だろう。
一方で、自分を進化させていく努力をやめ、他者との競争や、他者からの承認によって自己の存在意義を求めようとすれば、そこには最終的に、空虚さと孤独しか残らない。
 人は案外、まがい物のプライドにとらわれやすいものである。
人を解放し進化させるプライドか、人を閉じ込め退化させるプライドか――。
そのプライドの真贋を見極めておく必要があるだろう。

 岡本 純子 :コミュニケーション・ストラテジスト
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2018年12月13日

:現代の奴隷制、恥ずかしい日本

やはりどう考えても改正入管法が「現代の奴隷制」だとしか思えない件
2018/12/12  HARBOR BUSINESS Online

ついに「現代の奴隷制度を認める」法案が強行採決を経て成立してしまいました。
そう、改正出入国管理・難民認定法(以下、入管法)です。
 これで自分たちのことを「先進国」だと思っているのですから、ずいぶん恥ずかしいことになっています。
どれだけメチャクチャなことをしていても、国民はほとんど政治に関心がないので、昨今の「何でも批判するのは良くない」という風潮から、いつまでも安倍政権の支持率は高い状態にあり、みんなが気づかないうちに、世界ではどんどん恥ずべきポジションに成り下がっています。
いよいよ日本は「奴隷を作ることに何のためらいもない」という人権の存在しない国になってしまったのです。

もともと日本の国会議員の意識が「下々の国民に人権など必要ない」というものになっているため、いつしかこんな日が来るんじゃないかと心配されていましたが、本当にそういう時代が来てしまったので笑えません。

 本来は人の命にも関わる問題なので、しっかり話し合い、とことん議論を煮詰めなければならないのですが、安倍晋三総理がアルゼンチンに外遊に行くスケジュールになっているためなのか、財界からの強い要請があったせいなのか、こんな法案はとっとと通してしまった方がいいということで、データが捏造されていようが、野党がどれだけ反対していようが、国民の過半数が納得していなかろうが、とにかく通すといったら通すということで、今となってはほとんど形式だけになってしまった野党のフィリバスターも虚しく、あっさりと衆議院を可決し、参議院も数の論理であっさり通過してしまいました。

「こんなに話し合わないなら国会なんて必要ない」と言えるところまで来ています。
あまりにも酷いことになっていて、新聞の社説などでは厳しく批判されているのですが、最近は新聞を読む人が減り、多くの人が見るであろうテレビのワイドショーは貴乃花の離婚や宮崎県の一家心中に夢中です。
国家的な危機をほとんど報じてくれないのです。

◆外国人労働者の環境は「奴隷」と呼ぶにふさわしいもの
 ブローカーのような人たちに日本に連れてこられた技能実習生たちは、パスポートを取り上げられ、過酷な労働環境の中で仕事をさせられ、転職の自由を認められていないため、逃げ出す人たちが後を絶ちません。
 逃げ出した人たちは「不法滞在」という罪を着せられ、逮捕されれば人権のない牛久などの「入国管理センター」の収容所で過ごすことになり、自殺する人まで出ているのです。(参照:相次ぐ外国人収容者の死。牛久の東日本入国管理センターで何が起きているか)

 日本で技術を習得し、母国で活躍しようと夢見た人たちが、想像以上のディストピアに遭遇し、絶望に暮れて命を絶つのです。
日本がこんな国に成り下がっていることを日本人は知らないし、人権が無視されていることを無視している状態なので、世界中から少しずつ非難されるようになってきています。

 日本はたびたびドヤ顔で「先進国」を自称しますが、世界の人たちは誰も日本のことを「先進国」だなんて思っちゃいません。
先進国と呼ぶには200年遅れと言えるほど人権が酷く無視されていて、時給換算で300円になるとか、残業代が一切支払われないとか、狭い部屋に大量の労働者が押し込められているとか、そういうことについての対策を一切話し合うことなく、安倍政権は強行採決してしまったのです。

◆東京入国管理局の人権に対する意識の無さ
 これだけ人権が無視されているにもかかわらず、11月20日に東京入国管理局はTwitterで「落書きはやめましょう」というツイートをアップし、東京入国管理局から徒歩5分ほどの場所にある港南大橋の歩道橋に書かれた抗議のメッセージである「FREE REFEGEES(難民に自由を)」を紹介し、
「表現の自由は重要ですが、公共物です。
少しひどくはないですか」としたのです。

 人権が無視された末に絶たれた命があるというのに、東京入国管理局はこれを「固定されたツイート」にして12月11日現在もアカウントのトップに表示し続けています。
加害者である東京入国管理局がまるで被害者のような立ち回りを見せているというわけです。
 このツイートには「これが落書きにしか見えないオマエたちは心底腐っている」と抗議する人たちがいる一方で、肯定的に受け止めるネトウヨがいるということも知っておかなければなりません。

 不法滞在という罪を犯している人間なのだから捕まるのは当然だろうというのです。
しかし、どうして彼らが不法滞在を犯すことになってしまったのか。
その原因は日本の企業や政治が作り出しており、奴隷のように働く外国人労働者に対し、「酷いことをしている」という意識が欠如していることにあります。

日本が美しい国だと言っているのは一部のネトウヨだけで、政府も民間も一緒になって外国人労働者が奴隷のように働かされる環境を整え、そういった人たちを捕まえては収容所に閉じ込め、そして、耐えられない人や病気の人は殺しているのです。  

僕たちには職業選択の自由があり、それは憲法で保障されています。
 会社に勤めてみたものの、その仕事が続けられないと思ったら辞めればいいし、別の仕事をしても良いのです。
ところが、日本にやってくる技能実習生には職業選択の自由が与えられていません。
パスポートを取り上げられ、逃げられない環境を作られた上で低賃金のブラック労働を強いられるのです。
その時給は最賃以下。酷い場合は180円とか300円とかいうケースもあるほどです。
いずれにしても拷問のような低賃金で働かされる日々が繰り返されています。

 1日16時間とか17時間とか働かされ、病気になったら自己責任だと言われる。
仕事で指を切断する事故に巻き込まれた男性が、医療費を自己負担させられたあげく解雇され、とっとと国に帰れと使い捨てにされた例も報告されています。
 こうした事例が相次ぎ、働いてもお金を稼げない環境の中で「帰国するなら自己負担」と言われた人たちが、そこから逃れる手段は「会社から逃げる」しかありません。
どこかの知り合いを頼りにひっそりと暮らし、時に不法滞在と言われるようになってしまうのです。
日本人はこれを重罪を犯した犯罪者のように扱い、牛久にある東日本入国管理センターの施設に収容された末、病気を訴えても病院に連れて行ってもらえず、腐った食事を食べさせられて腹を壊すようなことがあっても「自己責任」という言葉を突きつけています。

今に外国人たちにやっていることが自分たちに向けられるかもしれないのに、何が起こっているのかをよく見ることなく、ただ「不法入国は犯罪である」という部分的な正義を手にフルスイングでぶん殴る。
これが今の日本の姿です。
そういう人たちが語る「愛国」って何なのでしょうか。

◆入管法の改正「その必要はない」が64%
 朝日新聞社が11月17日と18日に実施した全国世論調査では、外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法の改正案を今国会で成立するべきかどうかを尋ねたところ、64%が「その必要はない」と答え、「成立させるべきだ」という人は22%でした。

 国民の過半数が「必要ない」と考えているのに、まったく話し合うことなく強行採決に踏み切っているのですから、世論をまったく無視していると言えます。
ちなみに、外国人労働者の受け入れそのものについてどう思っているのかという点では、賛成が45%、反対が43%となっており、かなり拮抗しています。
 そもそも外国人労働者を受け入れるかどうかについても賛否あり、どちらにしても時間をかけて話し合わなければならないはずなのに、時間をかけて話し合うより強行採決してしまった方が世の中に騒がれないで済むとでも思っているのでしょう。

しかし、そうやって国民の声を聞かずに自分たちのやりたい放題をやっていると、絶対にそのしわ寄せがやって来るのです。しかも、そのしわ寄せは安倍政権に来るのではなく、僕たち国民に襲いかかってくるのです。

◆成立を急ぐばっかりに中身はスカスカ
 入管法の改正案は「特定技能1号」という資格を取れば、5年間の在留期間を認められるというものです。
「特定技能1号」は日常生活に支障がない程度の日本語能力試験と、各業種を所管する省庁の技能試験などを経て取得することができ、家族と一緒に過ごすことはできません。

家族と一緒に過ごせないというハードルを設けることで帰国を促す意味があるのだと思いますが、日本の労働力不足というピンチを助けてもらう存在なのに、その人たちが5年間も家族と過ごせないというのは、その人の人生をどう思っているのでしょうか。
 そして、「特定技能2号」という資格を取れば、在留期間の更新ができ、家族と一緒に過ごすことができるというものになるそうですが、そのハードルはめちゃくちゃ高くすると宣言しています。

 安倍政権は、この「特定技能2号」を取得できる人は少なくするので、ほとんどが5年以内に母国に帰ることになるのだから、これは「移民ではない」という主張をしています。
しかし、1号と2号にどれくらい難易度の違いがあるのか、2号の水準に達していると判断する測定方法は何なのかなど、細かい部分が何も決まっていないのに、とりあえずその外側だけを決めて通過させているので、完全なるザル法案です。

 また、外国人労働者を奴隷のように使っている悪質ブローカー的な企業が野放しになっているため、こうしたブローカーたちが法の抜け穴を利用しないとも限らないのに、ろくすっぽ話し合わないため、問題点の指摘が終わらないまま、このザルみたいな法案が通過してしまったのです。
 本当は「保守」とか「愛国」とか言っている人たちこそ真剣に考えなければならない問題にもかかわらず、ネトウヨの皆さんは無言です。
なぜなら、この問題を騒ぐネトウヨのリーダーがいないため、ネットで何を騒いだらいいのか分からないので、特に意見を持ち合わせていないからです。
そして、こうした問題がザルになると、将来的に社会不安が増大するかもしれないのに、問題が起こったらその時はその時ということで対処しようとしているのです。

◆日本人労働者の待遇も改善される道が絶たれた
 通常、需要と供給というのはバランスの上に成り立っているもののため、働く人が減ってしまった時には需要が高まって給料が上がるはずですが、働く人が減っても給料は据え置き、もしくは減らしているというのが現代の日本です。
 外国人労働者は搾取の温床になっていますが、だからと言って、日本人労働者が搾取の温床になっていないのかと言われたら、そんなことはありません。

仕事の量は増えるばかりなのに給料が上がらず、そこに安価な賃金で働く外国人労働者が入ってくる。
そうすると今度は安価な外国人労働者に比べて日本人が働いていないということになり、日本人まで外国人労働者と同じような賃金で働かされるか、職を失うかの2択になります。

 こんなことにならないように慎重に検討しなければならないのが「入管法」のはずなのですが、安倍政権は現場で働く労働者のことなんて微塵も考えていません。
政治家の皆さんが仲良しなのは全員「経営者」なので、上級国民様が儲かるのであれば、これは良い法案ということになるのです。
 ただ、会社というのは労働者がいなければ成り立ちません。
賃金が上がらないとモチベーションも上がりません。
諸外国ではいかに給料を上げるかが会社の売上を上げるポイントだということに気づき、どんどん給料を上げようという動きになっているのに、日本は世界の潮流と逆を進んでいます。
いよいよ韓国の都市部と日本の田舎だったら、韓国の方が時給が高いというところまで来てしまいました。
もはや賃金の上で韓国に抜かされ、日本人が高い賃金を求めて韓国に出稼ぎに行く日は、そう遠くない未来になってきているのです。
「保守」とか「愛国」とか言っている皆さんこそ、本当にそれでいいのでしょうか。

 技能実習生の問題は人権問題であり、明らかに人の命がかかっている問題です。
そして改正入管法はその技能実習生の問題と地続きの話です。
従業員の多くが非正規雇用になり、それなのに責任は社員並み。
それどころか「オマエも働く以上はプロなんだから、経営者のような意識を持て!」みたいなことを平気で言ってしまう、脳味噌が何かでやられているとしか思えない経営者がたくさんいるほどです。


しかし、それを安倍首相が海外に行くから、あんまり話し合わずに強行採決するなんて愚の骨頂です。
 可決するにしても、デリケートな問題だからこそしっかり話し合うべきだと思いますが、話し合うことすらしないというのが現在の安倍政権です。
 こんなに人権を無視できる安倍政権は酷いですが、それを認めている国民がたくさんいることも事実です。
 今の日本は外国人労働者を奴隷のように働かせることを正義としている国。
いつか立場が逆転するような出来事が起こり、日本人が奴隷のように扱われるようになって初めて反省する日が来るのかもしれません。
そうなってから気付くのでは遅いのです。
少しでもいいから政治に関心を持つところから始めましょう。
<取材・文/選挙ウォッチャーちだい(Twitter ID:@chidaisan)>


ちだい
●選挙ウォッチャーとして日本中の選挙を追いかけ、取材活動を行う。
選挙ごとに「どんな選挙だったのか」を振り返るとともに、そこで得た選挙戦略のノウハウなどをTwitterやnote「チダイズム」を中心に公開中。立候補する方、当選させたい議員がいる方は、すべてのレポートが必見。
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2018年12月14日

マスコミは言論の自由をはき違えている

マスコミは言論の自由をはき違えている
跋扈する「陰弁慶」ジャーナリズム
2018/12/13 東洋経済(半藤 一利)

近ごろ、言論の自由を笠に着て、まるで品位もなく言いたい放題の「蔭弁慶」的なジャーナリズムが日本中を席巻しているようではないか――。
ヘイト言論に揺れるメディアの現状に、昭和史の大家はそう警告する。
言論の自由は、ヘイトスピーチを止められないのか。
そうではない、とかつて喝破したのは元慶應義塾塾長の小泉信三氏であった。
時代が変わっても、変わらず私たちが大切にすべき言論の自由と品位の関係、そして「ジャーナリズムの根本」とはなにか。半藤一利著『語り継ぐこの国のかたち』から考えてみたい。
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言論界は何かおかしくなりつつあった
今から半世紀以上前になりますか、『文藝春秋』の巻頭で「座談おぼえ書き」という連載を書かれていた小泉信三先生という方がおりました。
私は一介の編集者として先生の謦咳に接するというよりは、むしろいつもばか話をいたしまして、笑われたり呆れられたりしながら、たくさんのことを教えていただきました。
小泉先生は1966(昭和41)年5月にお亡くなりになりましたが、その直前まで「座談おぼえ書き」をお書きになっていました。
その晩年のころの先生が、いちばん力を込めたといいますか、関心をお持ちになってお書きになっていたのは、つまり昭和40年から41年にかけてお書きになっていたのが、言論の問題ではなかったかと思います。
あるいはときを同じくしまして、産経新聞に、題はちょっと忘れてしまいましたが、短いコラムをお書きになっています。
そこでも言論の自由ということに対してお書きになっている。

ということは、昭和40年ぐらいから言論界というのが何かおかしくなりつつあるということを、独特の勘をもってお感じになっていたのではないでしょうか。
ちょうど中央公論社が深沢七郎氏の小説『風流夢譚』で攻撃を受けたりしている事件があった直後のことでした。
「半藤君、君は中央公論の問題をどう考えるかね。
君ならばあれを載せたかね」と先生にきかれたので、「いや、わたくしならたぶん載せないと思います」というようなお話をしたことがあります。
そのときに小泉先生は、「言論の自由というそのことは非常に大事である、大事ではあるがその言論の自由ということを表に立てることにおいて、人に対していかなる非難攻撃を加えるのも自由であるというわけにはいかないのじゃないかと思う。
批評というのは自由だし、批評そのものは大いにやらなければならないことであるが、ただ、それは当の本人、当の相手に面と向かっていいうること、あるいは、ごまかしなくその人に向かって、お前の考えはこのようにおかしいというふうにいえること、それを限度とすべきである。
直接その人に向かっていえないこと、あるいは陰に向かってコソコソといわなければならないような非難攻撃を発表するということは、非常にいけないことじゃないかと思うよ」といって、福沢諭吉先生の文章をわたくしに示してくれたことがありました。

福沢諭吉先生がいった「老余の半生」と題するものです。

私の持論に、執筆者は勇(ゆう)を鼓(こ)して自由自在に書く可(べ)し、但し他人の事を論じ他人の身を評するには、自分と其(その)人と両々相対(あいたい)して直接に語られるやうな事に限りて、其以外に逸(いっ)す可(べか)らず、
如何なる劇論、如何なる大言壮語も苦しからねど、新聞紙に之を記すのみにて、扨(さて)その相手の人に面会したとき、自分の良心に愧(は)ぢて率直に陳(の)べることの叶はぬ事を書いて居ながら、遠方から知らぬ風をして、恰(あたか)も逃げて廻(ま)はるやうなものは、之(これ)を名づけて(かげ)弁慶(べんけい)の筆と云ふ、
其蔭弁慶こそ無責任の空論と為り罵詈(ばり)讒謗(ざんぼう)の毒筆と為る、君子の愧づ可き所なりと常に警(いま)しめて居ます。

これは福沢先生が創設した『時事新報』の編集上の主義について書かれた文章だそうですが、小泉先生はこれをわたくしに示されましていわれました。
「君のところの社長、あるいは編集長でもいい、その人間を誹謗(ひぼう)する記事を、君たちは載せないだろう。
ジャーナリズムというものはそのようなとき必ず載せないものである。
つまり同じことなんだと、人に対して面と向かっていえないことを、言論の自由の美名の下に書いてはいけないのだ」ということを先生は力をこめておっしゃいました。

書きどく、売れどくのジャーナリズムがはびこっている
このことはわたくしも肝に銘じまして、ジャーナリズムの根本のことだなというふうに思いまして、よく若い編集者たちに言ってきたわけでございます。
しかしながら、昨今のマスコミ界を見ますと、何か先生の予言が当たっているような、いわゆる「蔭弁慶」的なジャーナリズムが日本中を席巻しているようでございまして、書きどく、売れどくの風潮がはびこっています
何かもう、そのころから先生は今日を見通していたのかなというような気がするわけでございます。

1952(昭和27)年に小泉先生が、1月号だと思いますが「平和論」という有名な論文を『文藝春秋』にご寄稿になりました。
簡単に申し上げますと、全面講和か、あるいは少数講和かというような問題 で、論壇が真っ二つに割れてたというよりも、むしろ論壇はもう全面講和論一色で塗りつぶされているような時代でした。

そこへ、全面講和論がいかに現実的ではないかということから、小泉先生はお一人といってもいいと思いますが、反対の立場を表明されたわけであります。
しかも、この問題は将来の日本のために大事であるから、『文藝春秋』という多くの読者に読まれている雑誌を選びたいという先生ご自身のご意思もあったようです。

こうして『文藝春秋』にこの「平和論」が載りました。
結果はいわゆる平和論論争という、論壇をあげての大論争が起きるわけです。

「それは違う」と言い続ける人がいなくなっている
のちに小泉先生は、その平和論論争時代のことを想いだしながら、こんなことをわたくしに語ってくれました。

「知識人というのは敏感で、動きやすい人々が多いんだな。
全面講和とだれか上に立つ人がいうと、一斉に動く。
大義名分はそれ以外にないと我も我もとね。
これを”晴天の友”という。
全部がそうだといったら、これは暴言だが、あのときによく考えてもみないで賛成の手を挙げた”晴天の友”がなんと多かったことかね。

全面講和に固執することは、とりも直さず、米ソ両陣営の間に中立することを主張すること、それゆえに米軍の占領下にいつまでもとどまることを願うということになる。
そんな愚かなことはないじゃないか。
それを”晴天の友”は思ってもみなかった。
君も、これからの人生で”晴天の友”にだけはなるなよ」

先生は皮肉な笑みを顔いっぱいに浮かべておられた。
それをよく覚えています。
昨今のように、先生がおっしゃるように、日本全体の状態、言論とかマスコミだけではございません、日本人全体の気持ちが、雪崩現象とわたくしたちマスコミの人間はいいますが、一斉にダーッと一つの方向に流れて走っていってしまう。
先生のいうところの”晴天の友”ばかりがまわりにいる。

そのような状況下にありまして、それは違うぞと、間違ってるぞということをいい続ける人はいなくなった。
それが今日の状態ではないか、と思います。
船が左右にゆれると、足もとの怪しいわれわれは左舷あるいは右舷に転げ寄って、船の動揺を大きくして、あるいは転覆させてしまうかもしれない。
そんなとき大事なのは、小泉先生のように「ノー、違う」とはっきりいえる人、足もとの確かな、よろけない乗員のあることであります。
あのでっかい体で、そして悠々と一言、一言、噛みしめるようにいう小泉先生の言葉が、まだいたかのように残っております。
大へんに懐かしい人であると、心から思います。
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2018年12月15日

インフルエンザ流行入り=時期は例年並み−厚労省

インフルエンザ流行入り=時期は例年並み−厚労省
時事通信社 2018/12/14  

厚生労働省は14日、インフルエンザが全国的な流行期に入ったと発表した。
9日までの1週間に、定点観測している全国約5000医療機関を8438人が受診。
1機関当たり1.70人となり、流行入りの目安とされる1人を超えた。
流行入りの時期は例年並み。

 厚労省によると、同日までの1週間に全国の医療機関を受診した患者数の推計は約6.3万人。
前週より約2.9万人増えた。
都道府県別で1機関当たりの患者数が多いのは、香川(4.00人)、北海道(3.96人)、愛知(3.43人)、和歌山(2.90人)、鹿児島(2.76人)の順。

 直近5週間で検出されたウイルスは、2009年に新型として世界的に流行したA型が最も多く、A香港型、B型が続いている。
 厚労省は、今季のワクチンについて、適切に使用すれば全体では不足は生じない状況としているが、安定供給のため、13歳以上は原則1回の接種とすることなどを呼び掛けている。
posted by 小だぬき at 09:49| 神奈川 ☀| Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

維新が国会と野党の抵抗を「税金の無駄」

安倍政権と一体化する維新が国会と野党の抵抗を「税金の無駄」と…コストふりかざし民主主義を破壊する新自由主義者
2018.12.13 LITERA編集部

過去最低国会」と呼ぶに相応しい強権性と醜態を安倍政権が晒し、今月10日に閉会した臨時国会。
水道民営化法案や漁業法改悪法案はもちろん、最重要法案だった入管法改正案をめぐっては暴挙に次ぐ暴挙で安倍政権は未明の強行採決に持ち込んだが、その深夜国会をめぐり、唖然とするような主張を、あの「ゆ党」が繰り広げている。

 国会閉会の翌日である11日、日本維新の会が、入管法改正案の採決が参院法務委員会と参院本会議でおこなわれた7〜8日における、国会職員の残業代など“深夜国会によってかかったコスト”の開示を衆参両院に要求したというのだ。
 さらに、維新の遠藤敬国会対策委員長は、大島理森衆院議長に「合理的な判断に基づいた議会運営」などの申し入れ書を手渡し、その後の記者会見で「あんな時間まで国民の税金を使って行う必要があるのか」と主張。
産経新聞によれば、維新には〈深夜や未明の国会攻防のコストを示すことで与野党に自重を促す狙いがある〉のだという。

「与野党に自重を促す」などというが、これが入管法改正案に反対していた野党に対する批判であることはあきらかだ。
実際、維新の馬場伸幸幹事長は10日の会見で、与党のことは「閣法をとにかく守る」とだけ指摘し、その一方で野党をこう批判した。
「野党側はスキャンダル追及とか審査の妨害、本会議場で牛歩、牛タン(長い演説)、解任動議であるとか、もうパターンが決まっている。
国民も、もう、へきえきとしている」(朝日新聞11日付)

 また、維新の丸山穂高衆院議員も、7日の深夜にこうツイートしていた。
〈立憲ら一部野党の抵抗してますよパフォーマンスに、多くの国会や省庁職員らの残業含め多額の税金を投入しなければならない。
生産性もなく、まさに無駄無駄無駄無駄無駄無駄かと〉

 法案に反対する野党によって無駄なコストがかかっている──。
維新はこれまでも深夜国会をコスト面から批判してきたが、この国権の最高機関たる国会にまで新自由主義的コストカットの発想を持ち込もうとは、まったく開いた口が塞がらない。

 まず、言っておくが、7日の国会が延びに延びる原因をつくったのは、自民党の議員だ。
7日の午前10時からおこなわれた参院本会議での委員長解任決議案で自由党・森ゆうこ議員が趣旨説明をおこなっている最中に、自民党の大家敏志議員が壇上で激昂して暴言を吐いた上、野党議員の肩をつくという“事件”を起こし、これによって参院は夜までストップしたのである。
 しかも、維新の馬場幹事長は「審査の妨害」を法案反対野党がおこなったと言うが、審査の妨害をしてきたのは安倍政権のほうだ。

 とくに、外国人労働者の受け入れ拡大の土台となる外国人技能実習生をめぐっては、技能実習生の失踪理由をねつ造した挙げ句、聴取票の個票のコピーも秘書などによる作業も安倍政権は禁じ、野党議員は議員自身が1枚1枚手書きで写さざるを得なかった。
「無駄」と叫ぶのなら、コピーさせずに野党議員に“写経”作業を強いる、
そこにかかった時間と労力のコストこそ「無駄」と言うべきだ。
 そもそも、あらためて確認するまでもなく、この国の唯一の立法機関である国会は、どんな法律をつくるのか、その中身はどうなのか、徹底した説明と議論をおこなって合意形成を図ってゆく場だ。
そして、法案審議の論戦を通して、国民に法案の内容やその是非について知らせなくてはならない。
当然、賛否に分かれる法案については審議を尽くすのが大前提であり、最重要法案ともなればなおさらだ。

コストをふりかざし議会制民主主義を破壊する「ゆ党」維新の危険な発想
 しかし、どうだ。国のかたちを変える入管法改正案の審議は、衆参合わせてたったの約38時間。
しかも、衆院では、与党は安倍首相の外遊日程に沿って強行採決するという立法府を舐めきった態度に出たが、これをアシストしたのは維新であり、採決前日に維新が与党と修正協議で合意している。
ちなみに、入管法改正案の法案審議の根幹にかかわる聴取票の個票書き写し作業も、維新の議員はおこなっていない。

 外国人労働者の受け入れを拡大するのに、その受け入れ人数の上限さえ示されていない、そんな中身がスカスカの法案に対案もへったくれもない。
審議に入る以前のシロモノだったのである。
それは世論調査の結果にも出ており、11月17・18日に毎日新聞がおこなった調査では「今国会での成立にこだわらず議論を続けた方がよい」と答えた人は66%、
さらに強行採決後の今月8・9日に産経新聞社とFNNがおこなった調査でも「今国会での成立にこだわるべきでなかった」という回答は71.3%にものぼっている。

 そんな法案を、委員長職権で委員会開催を決める乱暴な国会運営や、反対野党の発言を封じる動議をかけるという「言論の府」を踏みにじる行為などによって、安倍政権は無理矢理通した。
この多数者の専制に反発が起こるのは当然であり、抵抗することは国民の負託を受けた野党の立派な役割だ。

牛歩や牛タン戦術、解任や不信任決議案のカードを切るのも、会期末による流会(法案の成立断念)や与党からの留保を狙うための重要な手段である(なお、党議拘束のないアメリカなどでは、その間に多数派議員を説得し票の切り崩しや法案修正の交渉が行われることもある)。
 それを、国民の世論も半数以上が議論は拙速だと判断し、審議が尽くされていない法案の問題点を根本から追及することもなく、「やってますアピール」の適当な修正案で与党をアシストしてきた維新が、言うに事欠いて「もっと審議を」と求める野党の抵抗を「税金の無駄」と叫ぶ──。

 ようするに、維新は「コスト」という市場の論理を振りかざし、議会制民主主義のルールをぶっ壊そうとしているのである。
 安倍自民党の暴走もさることながら、この「ゆ党」の下劣な発想にも反吐が出るが、しかし問題なのは、維新の主張のような論調がメディアでも散見されたことだ。

ワイドショーでは八代英輝、田崎史郎、眞鍋かをりが「野党のせい」に
 たとえば、入管法改正案が衆院で強行採決された翌日の『ひるおび!』(TBS)では、山下貴司法相の不信任決議案で国民民主党の山井和則議員が趣旨弁明を約1時間45分にわたって繰り広げたことを、野党の“引き伸ばし”作戦として紹介。
田崎史郎が「いかに自分たちが格好良く反対しているのかっていうのを見せようとしているだけなんですよ」と言い、八代英輝弁護士は法案を「お粗末極まりなさすぎる」と批判しながらも最後は「(野党が)対案を示して国民が選択肢を得ることが必要だった」とまとめた。

 また、参院での未明の強行採決のすぐあとに放送された『上田晋也のサタデージャーナル』(TBS)でも、無能大臣・桜田義孝五輪担当相の問題を含めて“資質を問う野党も問われる大臣も「どっちもどっち」で政治不信!?”と取り上げ、出演していた眞鍋かをりは「野党の追及の仕方を追及する人がいない」などとコメントした。

 中身がスカスカの法案を強行採決した政権の暴走や、資質が疑われる大臣を任命した安倍首相の責任は不問に付し、なんでもかんでも「野党が悪い」でその場を締める──。
これは、権力を濫用する与党に野党が異議を唱えることを「野党が反発」「与野党の攻防」などと表現して矮小化し、数の力に任せた独裁政治を「多数決だから当然」と言って間違った民主主義の解釈を垂れ流してきたのと同じだ。

 そして、社会に新自由主義の考え方によって物事を判断する価値観が蔓延するなか、維新が叫ぶ「与党の足を引っ張る野党は税金の無駄だ」という主張を国民が容易く受け入れてしまう土壌は、もうすでにできあがっているのだ。
 しかも、つい最近も自民党憲法改正推進本部の会合では、川上和久・国際医療福祉大学教授が、憲法改正について〈(国民)投票に向けて改憲派も反対派を敵と位置付け、名指しで批判するなどネガティブキャンペーンが必要と説いた〉という(時事通信5日付)。

来年の通常国会では、安倍政権が反対野党への攻撃に力を入れてくることは間違いないが、ここに思考停止のメディアが丸乗りすれば、国民世論はどうなるか。

恐ろしい展開は、すぐ目の前まで近づいていると言わざるを得ないだろう。
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2018年12月16日

実感がないのは当たり前 「いざなぎ景気超え」のマヤカシ

実感がないのは当たり前 「いざなぎ景気超え」のマヤカシ
2018/12/15 日刊ゲンダイ

 景気回復を実感しないのは「感性」の問題なのか。
いや、違うだろう。
内閣府の景気動向指数研究会(座長・吉川洋立正大教授)の景況感には驚きを禁じ得ない。
2012年12月を基点とする景気回復が17年9月まで続き、高度成長期に4年9カ月にわたった「いざなぎ景気」(1965年11月〜70年7月)を超え、戦後2番目の長さになったと認定したのだ。
来年1月まで続けば戦後最長となり、6年1カ月に及んだ「いざなみ景気」(02年2月〜08年2月)を抜くという。

「いざなぎ景気」を支えたのは、個人消費の拡大と企業の旺盛な設備投資だった。
 自動車、クーラー、カラーテレビの「3C」の普及が購買欲を刺激し、65年度から70年度を平均した実質成長率は10.1%に上った。
賃金もぐんぐんアップした。

振り返って、足元はどうだ。
12年度から17年度の平均実質成長率はわずか1.2%。
7〜9月期の国内総生産(GDP)改定値は、物価変動を除いた実質で前期比0.6%減、
年率換算で2.5%減だった。

前期比0.3%減、年率1.2%減とした速報値から大幅な下方修正だ。
生活実感に近い名目GDPも前期比0.7%減、年率2.7%減に引き下げた。

経済アナリストの菊池英博氏はこう言う。
第2次安倍政権発足以降、国民生活は確実に苦しくなっている。景気回復の実感がないのは当然です。
厚労省のデータによると、13年から17年までの実質所得(1世帯当たりの平均所得額)は5年で80万円減収している。

その内訳は3%分の消費増税で60万円。
アベノミクスによる異次元緩和で円安が進み、輸入物価高で20万円。
円相場は2012年の80円台から120円に値を下げた。
円安は40%も進み、実質的な円の切り下げです。
この5年間で名目GDPは492兆円から546兆円に膨らみましたが、そのうち32兆円は算出方法の変更による底上げです。
実態は20兆円の増加で、年間成長率はわずか0・8%。ゼロ成長です。
“いざなぎ超え”はまったくのデタラメ。
詐欺的統計と言っていい」

■実質賃金プラスは1回だけ
 安倍首相は「有効求人倍率は1倍を超えた」
「250万人の新たな雇用を生み出した」と何かと胸を張る。
確かに、雇用者はこの5年間で370万人増えたが、そのうち正規社員は26%。
非正規社員が73%も増加し、雇用状況は不安定化している。

正規社員の所得の3分の1程度とされる非正規社員が増えれば、所得水準は下がる。
実質賃金指数は12年の104.8から17年は100.5にダウン。
4.1%も下げている。
この5年間で実質賃金がプラスになったのは16年の1回だけ。
実質可処分所得は減る一方なのだ。

 恐るべき政府のイカサマPRに加えて、安倍官邸に近い大メディアは、
〈「いざなぎ超え」 戦後2番目に〉
〈景気「いざなぎ」超え 内閣府認定、来月で戦後最長〉などの見出しを打ってアベノミクスの“成果”を盛んにヨイショ。
官邸を徹底的に忖度した提灯報道をジャンジャン流している。

麻生財務相は14日、閣議後の記者会見で“いざなぎ超え”にもかかわらず、賃金が上昇しない状況について問われると、「上がっていないと感じる人の感性」の問題だと強弁した。
言うに事欠いて、一国の財政を担うトップが何のデータも根拠も示さずに、感覚でモノを言うのだから空恐ろしくなる。

“いざなぎ超え”なんて、ちゃんちゃらおかしいのだ。

GDP底上げでもマイナス成長へ転落危機
 目端の利く外国人投資家は日本経済をとうに見限り、一斉に逃げ出している。
東京証券取引所によると、12月第1週(3〜7日)の投資部門別株式売買動向(東京・名古屋2市場、1部、2部と新興企業向け市場の合計)は海外投資家が4週連続で売り越していた。
売越額は前週の2101億円から約3倍増の6001億円。
2月第1週の6446億円以来の大きさだった。

11月第2週1369億円↓同第3週1967億円↓同第4週2101億円という経過をたどり、その額は週を追うごとに膨らんでいる。
「日本は実質的にマイナス成長に突入している。
海外の投資家は日本経済をそうみていて、日本市場から手を引いているのです。
日銀がETFの大量購入で株価を支えているいまのうちに、売ってしまおうということ。
官製相場でなければ、日経平均株価はとうに2万円を割ってもおかしくない。
安倍政権は算出方法の変更でGDPに化粧をしていますが、その数字でさえ今年はマイナス成長に転落する可能性があります」(菊池英博氏=前出)
 来年以降の日本経済は惨憺たるありさまとなりかねない。

キーワードは米国のトランプ大統領、フランスのマクロン大統領、中国の習近平国家主席。保護主義と新自由主義をめぐり、対立は深刻化している。
マクロンは燃料税引き上げに端を発したデモで求心力をさらに失い、政権はガタガタ。
これに一枚噛んでいるとみられているのが、トランプだ。
地球温暖化に関心のないトランプはパリ協定から離脱。
一方のマクロンはトランプに強硬な態度で臨み、国内で燃料税引き上げを図り、ルノーの打ち出の小づちである日産自動車の現地生産を進め、さらに利益を吸い上げようとしている。

米国の自動車産業を守るために海外メーカーの現地生産を推し進めるトランプにとっては、マクロンは目の上のたんこぶ以外の何ものでもない。
その矢先に起こったのが、日産のカルロス・ゴーン前会長の電撃逮捕劇だった。

 経済評論家の斎藤満氏は言う。
ゴーン逮捕に動いた東京地検特捜部は伝統的に米国と関係があり、安倍政権をアゴで使うトランプ政権の意向が働いたという指摘がある。
その一方で、安倍政権はフランスの意向をくみ、臨時国会で水道法改正を通し、水道民営化を着々と進めています。
八方美人なアベ外交は“個人的な信頼関係”をかたってうわべだけのつき合いを重ね、金銭供与でつないでいるだけの“良好な関係”にしか見えない。
どの国からも信頼されず、外交で相手にされないリスクが高まっています

■日米通商協議でGDP2%喪失
 トランプに押し込まれた日米通商協議が来年1月中旬から本格化する。
米通商代表部(USTR)が開いた対日貿易に関する公聴会に参加した自動車メーカーや業界団体は、米・メキシコ・カナダ協定(USMCA)よりも強力な為替条項や自動車輸出の数量規制を要求。
輸出制限には具体的数字も飛び交っていて、阿達雅志国交政務官が講演で「最大100万台という要求もあった」と交渉の内幕を明かしていた。

「17年の日本車対米輸出は174万台。
年間7兆円に上る対米黒字の8割を自動車分野が稼いでいます。
それが半分に落ち込めば、GDPの1%が吹き飛んでしまう。
現地生産を進めるといっても、対応できるのはトヨタ自動車やホンダくらいでしょう。
自動車産業は非常に裾野が広く、関連企業は20万社に上るともいわれます。
ヘタをすればGDPの2%を失いかねない。
トランプ大統領のさじ加減ひとつで、一気にマイナス成長へ転落です」(斎藤満氏=前出)

 拳を振り上げた中国包囲網から一転、安倍は中国との関係改善を図っているが、米中貿易戦争のあおりで雲行きは怪しくなっている。
中国国家統計局によると、小売売上高や工業生産はいずれも伸びが鈍化。
その影響は日本経済にも表れ始めている。
12月の日銀短観では米中新冷戦の懸念から、3カ月後の見通しを示すDI(業況判断指数)はプラス15と4ポイント悪化した。

米中関係をさらにこじれさせているのが、米国の要請を受けたカナダによる華為技術(ファーウェイ)の孟晩舟CFOの逮捕劇だ。
米国は次世代通信5Gの覇権争いで、中国を敵視。トランプがそれに拍車を掛け、同盟国にファーウェイの締め出しを求めると、安倍政権も追従。政府調達から排除を決めた。
「民間企業も中国排除に追随する姿勢です。
今月上旬に起きたソフトバンクの大規模通信障害はファーウェイCFO逮捕との関わりがあるとされ、ソフトバンクはファーウェイと関係を築いているために狙われたという見方がある。
現状ではソフトバンクだけの問題とみられていますが、他の日本企業にも波及するとの不安が広がっている」(金融関係者)  

来年10月には消費税が10%に引き上げられる。
14年の8%増税の例を引くまでもなく、経済停滞は避けられない。

政治的思惑も絡んで世界経済が大きな岐路に立つ中、何の処方箋もなく、“いざなぎ超え”と大はしゃぎするだけの安倍政権にこの国を任せていていいのか。
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2018年12月17日

水道法改正の裏で…民間業者「水を止める」と住民“脅迫”

水道法改正の裏で…民間業者「水を止める」と住民“脅迫”
2018/12/16 日刊ゲンダイ

 岩手県雫石町で起きている、水を巡るイザコザが話題だ。
 コトの発端は、町内の住宅やペンションなど35軒に水を供給する民間企業「イーテックジャパン」(仙台市)が住民に対し、水道料金の追加徴収を受け入れなければ、週明け17日から水道を止めると通告したことだ。

 イーテックジャパンは経営悪化を理由に、井戸水をくみ上げるポンプの電気料金(約51万円)を滞納(今年9、10月分)。
住民に負担を願い出たが、肝心の「お願い」の仕方が良くなかった。
 同社は8日、住民20人に事情を説明。
ところが、会社側の責任を追及した住民に対し、
「なんでこっちが頭を下げるのか。
うちは水道供給を止めた方が赤字は減るんですよ」などと居直った。
住民を説得するどころか、かえって逆効果となったのだ。

参加した住民の1人が言う。
「水道料金は現在、月2000〜1万円ですが、月7000円もの追加負担を求められた。
会社側の(電気料金の)滞納分を払えというのはちょっと納得できないし、何より、水はライフラインですよ

 水を“人質”にしてカネをせびる――。
会社側のやっていることは、脅迫じゃないか。
イーテックジャパン担当者がこう言う。
「我々は水を止めることを目的にしているわけではありませんし、恫喝や恐喝という意思もありません。
地域を守るため、住民の方々と話し合いを重ねているだけです。
ただ、料金をお支払いいただけない場合、規約に基づいて、水道の供給停止などの措置を取らせていただく可能性はあります」

 雫石町は水が止められた場合に備え、「最寄りの公民館を給水所として開放するよう検討中」(上下水道課長)という。
しかし、給水所は民家から14キロも離れているため、水をくみに行く住民の負担は重い。
 先の臨時国会で、民間の水道事業参入を促す改正水道法が成立したばかり。
今後、雫石町の“二の舞い”になる地域が続出するのではないか。
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2018年12月18日

安倍首相のように批判を無視する特捜検察

安倍首相のように批判を無視する特捜検察
2018年12月17日 PRESIDENT Online(沙鴎 一歩)

■特捜部の精神はどこに消えてしまったのか
もはや特捜部は衰退してしまったのか――。
これが「ゴーン再逮捕」後の率直な感想である。
再逮捕の容疑は最初の逮捕と同じ。
しかも容疑事実の期間を単に延ばしただけだ。
これでは国内外のメディアから批判を受けるのも当然だろう。
「カルロス・ゴーン」という世界的なカリスマ経営者を刑事立件しようとする意気込みは認める。
だが、いくら刑罰が倍に引き上げられたからと言って、再逮捕でまたもや報酬が記載されていないというだけの「形式犯」では実に情けない。
追起訴で済むはずだ。
本来は、脱税(所得税法違反)や特別背任、業務上横領といった「実質犯」で迫るべきである。
相手は超大物だ。
その相手にも申し訳ない。

かつて東京地検特捜部は、ロッキード事件で今太閤とまで呼ばれた田中角栄元首相を逮捕し、リクルート事件では政・官・財界に切り込み、世論の追い風を受けてときの竹下内閣を総辞職にまで追い込んだ。
政治家絡みの数々の事件を贈収賄などの実質犯で立件したのだ。
「巨悪は眠らせない」という検察精神はどこに消えてしまったのだろうか。

■「8年で計90億円の過少記載」という容疑で勾留
12月10日、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長(64)とグレゴリー・ケリー前代表取締役(62)の2人が東京地検特捜部に再逮捕された。
再逮捕の容疑は、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)。
直近3年分の報酬を約40億円過少に記載したというものだった。

最初の逮捕容疑となった過去5年分約50億円の過少記載については、この日にゴーン前会長を起訴するとともに、法人としての日産も起訴した。
これで過少記載の刑事立件総額は8年分で計約90億円となった。
起訴・再逮捕されたゴーン前会長ら2人は「退任後の報酬受領額は確定していない。
だから記載の義務はない」と容疑を否認している。

■日本の刑事司法制度に対する欧米メディアの批判
再逮捕前、日経新聞がこんな社説(12月7日付)を書いていた。
冒頭で「海外から日本の捜査手法や刑事手続きに対する批判が相次いでいる」と指摘し、
「こうした指摘に真摯に耳を傾け、見直すべき点があれば検討課題としていくことは当然だ」と主張する。
見出しも「海外からの捜査批判に説明を」だ。
沙鴎一歩はこの主張に賛成する。

そもそも欧米と日本では制度が違う。
東京地検特捜部は、日本の刑事司法制度に対する欧米メディアの批判に耳を傾け、きちんと説明すべきだ。
東京地検の久木元伸・次席検事は10日夕、東京・霞が関の検察合同庁舎で再逮捕と起訴を記者会見で発表した。
この会見には欧米などの海外メディアも参加した。
検察当局が逮捕などを公表する記者会見に海外メディアを参加させるのは珍しい。
その姿勢自体は評価できる。

■次席検事は「適正な司法審査を経ている」と繰り返すだけ
問題は会見内容だ。
国内外のメディアから「同じ容疑なら最初からいっしょに起訴すべきではないか」
「これ以上、拘留を続ける必要があるのか」といった質問が相次いだ。
しかし久木元次席検事は「適正な司法審査を経ている」と繰り返すだけだった。

なぜ質問に答えないのか。
「適正な司法審査を経ている」とは「裁判所から了承を得ている」という意味だろう。
海外メディアなどから批判の声が吹き出しているときに、木で鼻をくくったようなで対応とは理解しがたい。
これは安倍晋三首相の国会答弁や態度に似ている。
検察にも驕りがあるのではないか。
もしそうであるなら、かつての検察を思い出し、日本最高の捜査機関としての自覚を取り戻してほしい。

日経社説に戻ろう。
「日本と欧米とでは刑事司法全体の仕組みが大きく異なる。
一連の批判の中には、司法制度や司法文化の違いを無視した単純な比較や、誤解、思い込みによる主張も目立つ」
こう指摘した後に日本とフランスの拘留仕方の違いを具体的に説明する。

■容疑を認めなければ保釈されない「人質司法」
海外からの代表的な批判に、容疑者の勾留期間の長さがある。
東京地検特捜部による捜査では、地検が48時間、その後は裁判所の判断で通常20日間、身柄が拘束される。
一方、フランスでは警察による勾留は原則24時間にとどまる。
だがその後、日本にはない制度である『予審』の段階で最長4年に及ぶ勾留が認められている」
実に分かりやすい解説だ。

検察は記者会見でこのように説明すべきだった。
いまからでも遅くない。
検察庁のホームページなどで情報発信すればいい。
もちろん、日本語だけではなく、英語、フランス語、中国語などの解説も必要だ。

日経社説は最後にいわゆる「人質司法」の問題に触れる。
「欧米では捜査側に幅広い通信傍受や司法取引、おとり捜査といった強い権限が与えられている。
これに対抗する形で取り調べの際、容疑者に認めているのが弁護士の立ち会いだ。
日本では捜査手法は限定して取り調べに比重を置き、弁護士立ち会いを認めずに供述を引き出すやり方を採用してきた」
「そうした手法が、容疑を認めなければ保釈されない『人質司法』へつながるなど負の側面も持っていることは否定できない。
ゴーン事件で相次いだ批判を、日本に適したよりよい刑事司法制度を考えるためのきっかけにしたい」

「容疑を認めなければ保釈されない」。
なるほどその通りである。
ただ日本でもおとり捜査は以前から薬物犯罪捜査で限定的に認められ、司法取引は今回の「ゴーン逮捕」で2回目だ。
刑事司法制度自体が、次第に欧米型に近づいてきている。
要はその過程でどう被疑者の権利を認めていくかだ。

■「刑事司法手続きの見直しが必要だ」と
毎日 日経社説を皮切りに新聞各社に検察の対応を求める社説が目立っている。
たとえば毎日新聞の12月11日付の社説は
「裏の役員報酬を将来的に支払うことが確定していたのかどうか。そこが最大の焦点になる」と虚偽記載を巡る検察とゴーン前会長の主張の違いを解説した後、最後に刑事司法制度の見直しの必要性を訴えている。
「事件を巡っては、長期にわたる勾留など日本の刑事手続きへの批判がフランスなど海外で起きた」
「勾留期間の長さは、司法制度の違いに起因し、一概に日本が長いとは言えない。
ただし、取り調べへの弁護人の立ち会いなど、欧米の先進国で認められていながら、日本では原則的に採用されていない取り組みもある。
国際化が進む中で、刑事司法手続きも不断の見直しが必要だ」

■読売社説までもが長期拘留をやや遠回しに批判している
12月11日付の読売新聞の社説は「報酬不記載の是非が裁かれる」という見出しを掲げつつ、海外メディアの批判も取り上げている。
「カリスマ経営者だったゴーン容疑者の逮捕は、世界的に注目を集める。海外メディアでは、勾留期間の長さや弁護士不在での取り調べに批判的な論調が目立つ」
「日本と欧米の司法制度の違いを度外視した主張は別として、『長期にわたって身柄を拘束する必要はあるのか』といった指摘には、うなずける面もある」

検察に批判的な社説をあまり見かけない読売社説までもが、長期拘留をやや遠回しに批判している。
最後に読売社説は「ゴーン容疑者には、日産の資金を私的流用したとの疑惑もある。
特捜部には、批判に耐え得る適切な捜査が求められる」とダメ押しをする。

検察はこうした指摘を謙虚に受け止めるべきである。
仮に今後も検察がかたくなに態度を変えず、「適正な司法審査を経ている」などと繰り返すならば、今度は世論が黙っていないだろう。
   (ジャーナリスト 沙鴎 一歩 )
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2018年12月19日

子どもの「やりたくない」をやる気にする秘訣

子どもの「やりたくない」をやる気にする秘訣
つい夢中になってしまう仕掛けとは何か
2018/12/18 東洋経済
沼田 晶弘
: 国立大学法人東京学芸大学附属世田谷小学校教諭

子どもたちの「やりたくない」をどうすれば「やりたい」に変えることができるのか。
「早くしなさい!」と言う前に子どもが自分から動く仕掛けとは何か?
 小学校教諭の沼田晶弘氏の著書『家でできる「自信が持てる子」の育て方』より、子どもたちがついつい夢中になってしまうポイントを解説します。
*****************************
まずは、子どもに宣言してもらうのがいちばん
たとえば宿題が出ているのにお子さんがやろうとしないのであれば、親御さんが「やらせなくては」と考えるのは当然です。 しかし人の気持ちはそう簡単には変えられないもので、それはお子さんでも同じことです。

そもそも「宿題ないの?」という質問で急かすことは無駄なのです。
「ある」と返ってくるのはわかりきっているのです。

僕であれば「何時から宿題やるの?」と尋ねます。
「……19時からやる」と子どもが時間を自分で決めたなら、それ以上はうるさく言いません。
そして、時間がきたら声をかけます。
「19時だよ」と。
その時「宿題はやりたくないけれど、約束を守らないのもみっともない」と子どもは思うはずです。

なぜなら宿題は課されたものだけど19時からやるのは自分で決めた決まり事ですからね。
自分で「やる」と決めた。
たとえ大人にうながされた結果であっても、その事実は子どもにとって重いものになります。

大人はついつい言葉を駆使して子どもに「やらせよう」としてしまいますが、逆効果になることもしばしば。
そういうときは、「どうやる?」「いつやる?」と尋ねることで、「こんなふうにやる!」と子ども自身に宣言してもらうのがいちばんです。

この方法は、大人もまた、自分が言ったことはきちんと実行する姿勢を子どもに見せることが大事です。
「ゲームを買ってあげる」と言っておきながら、あっさり反故にしたりすれば、子どもは失望するでしょう。
そして、「約束はやぶってもいいものなんだ」と間違って学んでしまうかもしれません。
必ず約束を守るという親御さんの一貫した姿勢があってこそ、「自分で言ったんだから、やりなさい」という言葉にも重みが生まれるものなのです。

自分で考えることも重要です
また子どもたちにとって、自分で宣言することと同じくらい、自分で考えることも重要です。

ある年の林間学校でのこと、あるお店で、みんなでソフトクリームを食べることになっていました。
しかし、当日は大雨で足元はびちゃびちゃ。
そのうえ寒い。
僕は子どもたちに聞きました。
「何かあったかいもののほうがいいんじゃないの?」。
子どもたちは、ガヤガヤと意見を言いはじめ、自分たちで考えて「食べる」と結論を出しました。
誰かに言われたわけでもなく、自分で決めました。
ソフトクリームに対する後ろ向きな気持ちが、少しはあったかもしれません。
しかし、自分で決めたという意識があるからこそ、ソフトクリームは、子どもたちにとって、「食べてよかった」「いい思い出になった」という記憶に残るのです。

「見通し」を共有する
また僕は、子どもたちに何かをやってもらいたいと思ったときは、最初にある程度の「見通し」を伝えるようにしています。

ある日、4時間目に体育の授業が入っていました。
「おーい、みんな。もし体育が楽しくなって、授業時間が伸びるかもしれないよね。そしたら、昼休みが短くなっちゃうかもなぁ……。どうする?」と聞いてみます。
一手間加える分面倒くさいですが、一つひとつ聞いて自分で決めさせることが大切なのです。
すると、子どもたちは「おっ!」と何かひらめきました。
それぞれが机の上をきれいに片づけ、給食用に席を並べ替えてから、出ていきました。
こうしておけば、体育が終わって戻ってきたら、すぐに給食の配膳を始められます。

授業時間が伸びた分を「いただきます」のタイミングで取り返せるのです。
つまり、体育を存分に楽しみ、かつ昼休みもたっぷり遊べる。
子どもたちはボクの一言が示した「先の見通し」を正しく読み取り、考え、自分から行動を起こしました。

「早く早く!」とお子さんを急かす前に、
「今、ご飯を食べたらこのあと、何ができると思う?」
「今、お風呂に入ると、後の時間はどうなる?」 と、尋ねてみてはどうでしょう。

また「早くやっちゃえば、残りの時間にテレビをいっぱい見られるよね」と、ご褒美をちらつかせるのも、時には効果がありますよ。
「9時には寝るとして、宿題が終わっていると、けっこうゲームできるんじゃない?」。
そんなふうに、ちょっとだけ仕掛けてみるのです。

仕掛けには、注意が必要
ただ、仕掛けには、注意が必要になります。
そう言っておきながら、親御さんが、宿題をしなかったのにゲームをすることを許したりすれば、余計に言うことを聞かなくなってしまいます。
「宿題しなくても、ゲームできたじゃん」という「負の成功体験」をすでにしてしまったからです。
「お父さん、お母さんの言うことなんて、聞かなくても困らないや」。
子どもはそんなふうに思ってしまうからです。

課題・制限・報酬の3つでワクワク・ウズウズさせる
そもそも子どもたちが「勉強はつまらない」と思い込んでしまうのはなぜでしょう。
本来、学ぶことは楽しいはずなのです。
知識が増え、考えが深まって、できないことができることに変わっていく。それが学びです。

しかし、子どもたちの多くは、勉強が「つまらないもの」に思えてしまいます。
「これをやりなさい」「あれもやりなさい」と言われ、子どもたちにとって勉強は「やらされるもの」になりがちです。
だから僕は、子どもたちに「これをやってみよう!」と提案するとき、

学ぶ楽しさを知ってもらうために必要な3つのものを用意します。
1つ目は、「課題」。
「やってみよう」と提案するとき、必ず「これから何をやるのか」「どうやるのか」をわかりやすく説明します。

2つ目は、「制限」。
「課題」を出すとき、同時に何らかの「制限」をつけるのです。
できることが限られると、子どもたちは許された範囲でできる最大限のことは何か、どうすればそれをやれるのかと、ワクワクしながら考えはじめるからです。

3つ目は、「報酬」。
「課題」を達成したあかつきに、子どもたちが手にすることのできる成果やご褒美について、最初にきちんと提示してあげます。

この3つを提示することで、子どもたちは見通しを自分で考え、そして自分たちで答えを導き出し、勉強を「やらされるもの」から「やりたくてたまらない」ものにしていくのです。
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2018年12月20日

日本人はなぜ「集団の考え」に 染まりやすいのか?

日本人はなぜ「集団の考え」に 染まりやすいのか?
2018年12月19日 ダイヤモンドオンライン

日本では、どのムラに所属するかによって、「物の見方」や善悪の基準が大きく変わる。
これは「いじめ」を引き起こしやすい構造であり、日本社会を歪める元凶ではないだろうか。
なぜ日本人は集団の物の見方に感染してしまうのか。
なぜ個人の見方は、いつの間にか乗っ取られてしまうのか。

15万部のベストセラー『「超」入門 失敗の本質』の著者・鈴木博毅氏が、40年読み継がれる日本人論の決定版、山本七平氏の『「空気」の研究』をわかりやすく読み解く新刊『「超」入門 空気の研究』から、内容の一部を特別公開する。
*****************************
■日本人はどのムラに所属するかで倫理観が変わる
 日本はムラ社会であり、ムラには独自の善悪の基準があります。
産業や共同体ごとに独自の論理があり、それぞれに「独自の物の見方」があるのです。

 政治家の善と国民の善は同じではないかもしれません。
特定の利権産業団体の善が、市民にとって悪であることもあります。

 山本七平氏は、日本人はどのムラに所属するかで善悪の基準がコロコロ変わる「情況倫理」に陥ると指摘しています。
 一方、その対比として、山本氏は西欧の「固定倫理」も紹介しています。

 メートル法のように、規範を非人間的な基準においてこれを絶対に動かさない場合は、その規範で平等に各人を律すればよい。
この場合の不正は、人間がこの規範をまげることである。

 固定倫理をイメージするために、次のような解説もしています。
 餓死寸前に一片のパンを盗もうと、飽食の余興に一片のパンを盗もうと、「盗み」は「盗み」として同じように処罰される。
 しかし日本社会の情況倫理では、「餓死寸前で一片のパンを盗む行為は、同情の余地がある」という“物の見方”がある場合、罪は軽くなります。
逆に、「裕福な者が余興のために一片のパンを盗むのはけしからん」と見るならば、罪は重くなるのです。

 日本の犯罪報道を聞くと、殺意があったか否かが罪の計量に影響を与えることがわかります。
被害者の悲惨な結果はまったく同じであるにもかかわらずです。
情況倫理が働く日本社会では、集団の物の見方で行為への評価が違ってしまうのです。

■情況に流された人間は、有罪か無罪か?
 情況倫理について、山本氏の指摘を見てみましょう。
「あの情況ではああするのが正しいが、この情況ではこうするのが正しい」(中略)、当時の情況ではああせざるを得なかった。
従って非難さるべきは、ああせざるを得ない情況をつくり出した者だ
 これは、「特定の物の見方」に支配された集団に放り込まれたことで、自分も倫理の基準を変えざるを得なかったのだ、という釈明、言い訳と捉えることができます。
 山本氏は、これを一種の自己無謬性、責任が自分にはないという主張だとしています。

 情況の創出には自己もまた参加したのだという最小限の意識さえ完全に欠如している状態なのである(中略)、この考え方をする者は、同じ情況に置かれても、それへの対応は個人個人でみな違う、その違いは、各個人の自らの意志に基づく決断であることを、絶対に認めようとせず
 なぜ情況が生まれたことに、全員が加担したと言えるのでしょうか。
 共同体の物の見方の形成は、参加者たちがその考え方を放置して、反論や批判をしなかったことが原因の一端だからです。

誰かの言葉にあなたが反対せず、別の視点を投じなかったことが、集団の情況(物の見方)の支配を加速させたのです。
 さらに言えば、集団の情況にのみ込まれるかどうかは人によって異なり、当然、共同体の物の見方に流されない人もいます。
集団の情況にのみ込まれるか否かは、実は100%個人の決断であり、悪いほうに倫理基準を変えた自己の責任を情況のせいにしているだけなのです。

いじめの加害者がたった1本の献花を恐れる理由
 いじめに関する著作を複数持つ、社会学者の内藤朝雄氏の『いじめの構造』には、
加害者側の生徒が、クラスの空気を読みながらいじめを始める様子が描かれています。
 そして、加害者の生徒たちは、亡くなったA君がいなくても何も変わらないと強弁します。
しかし、あるクラスメートがA君の机に花を飾ろうとしたとき、加害者の生徒たちは反応します。
 ある生徒は、教室でA君の机に花を飾ろうとしたクラスメートを「おまえは関係ないやん」と追い返した。

 A君を自殺に追いやったいじめの加害生徒たちは、なぜ1本の献花を嫌がったのでしょうか。
A君の机に花が置かれることで、A君が二度と戻らないこと、重大な犯罪が行われてしまったこと、A君が亡くなった悲しみがクラスに広がるからです。

 改めて、情況倫理について整理してみましょう。

「情況」=特定の物の見方
「情況倫理」=物の見方に影響を受ける倫理  

献花でA君が亡くなったことが意識され、クラスが悲しみに包まれると、生徒たちの「物の見方」が変化します。
すると、加害生徒の犯罪の重大さが認識されるのです。

 加害者たちは、A君の自殺を知らされた後でも、「死んでせいせいした」「別にあいつがおらんでも、何も変わらんもんね」「おれ、のろわれるかもしれん」などとふざけて話していた。

 クラスの情況(物の見方)が変われば、過去の空気は一瞬で崩壊します。
上の言葉は、加害者がクラスの“情況”の変化を恐れていることを暗示しています。
同時に加害生徒たちの驚くほどの狡猾さ、ずる賢さも示唆していると言えるでしょう。

では「空気」と「情況」はどう違うのか?
 これまでの議論では、「空気」と「情況」の区分を明確にしてきませんでした。
ここで両者の違いをはっきりさせるために、『「空気」の研究』の文面を見てみます。
(当時の情況ではああせざるを得なかったという言葉に対して)
 この論理は、「当時の空気では……」「あの時代の空気も知らずに……」と同じ論理だが、言っている内容はその逆で、当時の実情すなわち、対応すべき現実のことである。
 空気の拘束でなく、客観的情況乃至は、客観的情況と称する状態の拘束である。

 山本氏の文章から、「空気」と「情況」を次のように定義してみます。

空気」=ある種の前提
情況」=前提を起点にして形成された、集団の物の見方  ほとんど似た意味に思われる方もいるかもしれません。

二つの最大の違いは、「空気」は公にできない秘密の前提であることが多いことです。
 戦艦大和の沖縄特攻が「空気」によって決定されたことはすでにご説明しましたが、それは、大和が戦わずに敗戦を迎えることは許されない、という海軍上層部の“前提”が起点となっています。

 しかし「戦って撃沈されること」が特攻の目的であるなど、大和の艦長や乗組員、兵士の家族や関係者の前では口が裂けても言えません。
 したがって、空気(前提)から発生した情況「大和の特攻は不可避である」だけが外に出てきて、集団の中で連呼されて次第に支配的な考え方にさせられるのです。

“空気”そのものの、論理的正当化は不可能である。
 これは当たり前でしょう。
情況と空気の関連図.jpg 
 大きな共同体の中で、ごく特定のムラだけに都合のいい前提など、公表できるわけがありません。
特定のムラと共同体全体で、大きく乖離している前提を正当化しようとすれば、全体側から激烈な怒りが生まれるからです。  

だからこそ、空気は隠蔽され、物の見方(情況)だけが外に出てくるのです。

 山本氏は情況を、「当時の実情すなわち、対応すべき現実のことである」と述べていますが、情況は「大和の特攻は不可避である」など、会議の席などで支配的な意見として続々と表面に出てきます。
情況は空気のように隠蔽されず、対応すべき現実、圧力として目の前に迫ってくるのです。

「自分の見方」はやがて乗っ取られる
 前述した『いじめの構造』には、空気と情況倫理に酷似する指摘があります。
 学校の集団生活によって生徒にされた人たちは、

[1]自分たちが群れて付和雷同することによってできあがる、集合的な場の情報(場の空気!)によって、内的モードが別のタイプに切り替わる。
「友だち」の群れの場の情報が個をとびこえて内部にはいり、内的モードが変化した。

「何かそれ、うつっちゃうんですよ」という発言は、群れに「寄生され」て内的モードが変化させられる曖昧な感覚をあらわしている。
 これは山本氏が描写した情況倫理とほぼ同じです。

生徒たちは閉じられた共同体で、ある種の前提を共有していき、次第にその前提から発生する「物の見方」に染まっていくのです。
 すると「集団がどのような考え方をしているか」で、生徒たちの倫理基準も変わってしまう。

自分で倫理基準を保つ訓練をしていないと、集団の情況(物の見方)に感染してしまい、自己の倫理基準を乗っ取られてしまう。
『いじめの構造』で指摘された生徒の姿は、日本社会の情況倫理の学校版なのです。
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2018年12月21日

日本が"寛容さ"を失ってしまった根本原因

日本が"寛容さ"を失ってしまった根本原因
2018年12月20日 PRESIDENT Online
(ジャーナリスト 沙鴎 一歩

■あの“乙武不倫フィーバー”とは何だったのか
12月13日付の朝日新聞夕刊(東京本社発行)で、自らの半生を描いた著書『五体不満足』(1998年、講談社)で一躍有名になったあの乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)さん(42)の写真と記事を見た。
乙武さんについて書かれた新聞記事を見るのは久しぶりだ。

※編集部注:朝日新聞デジタルでは<「社会的に死んだ」乙武さん、再起の陰に松本人志の言葉>(2018年12月16日13時03分)として転載している。

週刊新潮(2016年3月31日号)が「『乙武クン』5人との不倫」との見出しを付けて暴露し、乙武さんの不倫行為を痛烈に批判した。
週刊新潮の記事はこんな具合だった。
「彼は、妻と3人の子どもがありながら、陰で想像を絶する『不義』を働いていた。
参院選出馬が注目を集めている乙武クンの、まさかの乱倫正体」 この記事で清廉潔白な乙武さんのイメージが180度変わった。
そして他の週刊誌やテレビもこぞって追いかけ、日本中が“乙武不倫フィーバー”と化した。

13日付の朝日夕刊の記事によると、マスコミから不倫をたたかれ、世間からも強いバッシングを受け、その後に離婚、参院選出馬断念……と苦境に立たされた乙武さんは昨年3月、日本を離れて1年間、世界37カ国・地域を巡っていたそうだ。
記事に添えられた写真はこれまでと変わらない車椅子に座った姿ではあったが、ぴったりの紺系色のスーツを身につけ、顔つきは凜々しくなっていた。

旅の途中、気に入ったオーストラリアのメルボルンに永住することも考えたというが、「いばらの道でも、日本で、マイノリティーを排除しない寛容な社会の実現に尽くそう」と思い直したという。

■「マイノリティーを排除しない寛容な社会」をどう作るか
朝日夕刊の記事は、乙武さんの「国家から生産性がないと切り捨てられる可能性はだれにでもある」という言葉を伝えている。
「生産性がない」というこの文句は、自民党の衆院議員の杉田水脈(みお)氏がLGBTを「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と月刊誌「新潮45」8月号で書いたことに由来する。
この記事に批判が出たことで、「新潮45」は10月号に特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を掲載。
特別企画がさらに批判を呼び、作家や文化人、書店、読者が次々と批判の声を上げ、新潮社本社前での抗議行動にまで発展した。
結局、新潮社は9月21日に社長が談話を出して謝罪、その4日後の25日には休刊を発表した。

この休刊騒動では「生産性がない」とマイノリティーを切って捨てるように読めるところが問題視された。
「杉田論文」と「新潮45」の考え方に幅や寛容さというものがあったら、休刊騒動にまでには至らなかったと沙鴎一歩は考えている。

乙武さん流にいえば、「マイノリティーを排除しない寛容な社会」の重要性、つまり寛容さが保たれた社会の大切さだ。
寛容の欠如。
自分と違う意見はバッサリと切り捨てる。数の力を頼りにして国会の場で、反対の声に耳を傾けることなく、議論を尽くさずに短期間で法案を成立させようとする安倍政権の横暴さによく似ている。

■寛容さの欠如がさまざまな「バッシング」を生む
乙武さんの話や「新潮45」を廃刊に追い込んだ記事の問題だけではない。
内戦下のシリアで武装勢力によって身柄を拘束され、3年4カ月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平さん(44)に対しても、解放直後から「自己責任で何とかすべきだった」「殺されても文句は言えない」という非難の声がネット上で目立った。
一方的に自己責任論を持ち出して批判する。
寛容さの欠如がそうしたバッシングを生むのだ。

一昨年7月、神奈川県相模原市の障害施設「津久井やまゆり園」で施設の男性職員が計19人を殺害した悲惨な事件の背景にも、差別的な思考や寛容性の欠如といった問題が横たわっている。
話も聞かずに最初から「問題だ」と決めてかかる。
バランス感覚がなく、物事を並べて考えようとしない。
寛容さが失われているのだ。
どうしてこうまで寛容さが失われてしまったのだろうか。
「数の力に頼る安倍政権の横暴さに似ている」と書いたが、「似ている」というよりも、むしろ安倍政権が原因なのだと思う。
寛容さを喪失した社会は、安倍政権の負の落とし子だ。

■「議論をないがしろ」「国会を下請け機関」
こんなことを考えながら最近の新聞社説を読み返してみると、12月11日付の朝日新聞が「国会の空洞化が加速 政権の暴走が止まらない」との見出しを立てて大きな1本社説を書いていた。

その朝日社説はこう書き出す。
「巨大与党に支えられた安倍政権の横暴がまた繰り返された」
「自民党総裁選で3選された安倍首相が初めて臨んだ臨時国会が閉幕した。
従来にもまして議論をないがしろにし、国会を下請け機関のように扱う政権の独善的な体質が際だった
「議論をないがしろ」
「国会を下請け機関」と朝日社説は批判するが、その通りである。

この臨時国会ほど安倍政権の横暴さが際立った国会はなかった。
憲政史上、希に見る国会だった。
なかでも外国人労働者の受け入れを拡大する改正出入国管理法は、初めから結論ありきで、安倍政権は野党や世論、マスコミの反対意見に聞く耳を持たなかった。
要するに寛容さに欠けるのである。
朝日社説も「より幅広い国民的合意が求められるにもかかわらず、政府・与党は野党の理解を得る努力を、はなから放棄していたというほかない」と糾弾する。

■一部の人だけが好み、富む政策を押し進めている
それにしても安倍首相はなぜ、出入国管理法案の成立をあれほど急いだのだろうか。
朝日社説は「来年4月の施行に向け、熟議よりも、48日間という短い会期内での成立にこだわった。
審議を短縮するため、与党が質問時間を放棄する場面もあった」としか触れていないが、安倍首相を強く支持する一部の財界人らからの強い要望があったからだとわれている。

寛容さに欠ける安倍首相は、一部の人の声だけに耳を傾け、彼らが好み、そして富む政策を押し進める。
その結果、大半の国民にとって実感のない“景気上昇”がもたらされているのが現状だ。
安倍政権は12月13日に、景気動向を検証する内閣府の研究会を開催し、2012年12月からスタートしたいまの景気回復が、高度経済成長期の57カ月続いた「いざなぎ景気」を超え、戦後2番目の長さとなったと正式に発表している。
これも驚きだ。
内閣府の検証にどんなトリックやマジックが隠されているのか、公平な立場から専門家による分析が求められる。

■「初めてうかがった。 私は答えようがない」
さらに朝日社説は指摘する。
「広範にわたる課題を抱え、政府が全体として取り組むべきテーマであるのに、首相が前面に立つことはなく、答弁はほとんど法相任せだった」
そのうえでこう訴える。
「驚いたのが、3年間で技能実習生69人が凍死、溺死、自殺などで死亡したとする政府資料に対する見解を問われた時の首相の発言だ。
『初めてうかがった。私は答えようがない』。
外国人労働者を人として受け入れようという当たり前の感覚が欠落しているのではないか
48日という短い会期内での成立にこだわるあまり、驚きの発言をする。

沙鴎一歩も安倍首相のこの発言を聞いて耳を疑った。
外国人労働者の受け入れのための重要事項のほとんどは、法案ではなく、省令や指針に盛り込むというが、来年4に施行されてもどこまで法律が機能するか疑問であり、多くの外国人労働者を受け入れる国民のひとりとして不安である。

■「もり・かけ疑惑」はどうなったのか
安倍政権の1年を振り返ると、森友学園と加計学園の問題に絡むいわゆる「もり・かけ疑惑」に対し、安倍首相は国会で納得できる説明をまったく行わなかった。
それが残念でならない。

朝日社説も「いまだ国民の多くが首相の説明に納得していない森友・加計問題の解明は、今国会で一向に進まなかった。
論戦のテーマになることが少なかったという事情はあろうが、政治への信頼を回復するには、首相が自ら進んで説明を尽くす責務がある」と指摘している。

安倍首相や安倍政権の横暴さが端的に表われたのは、前述した外国人労働者の受け入れだけではない。
名護市辺野古の海に12月14日、土砂を投入し始めた米軍普天間飛行場の移設工事も、地元の反対の声をよそに横暴な姿勢で進められている。
沖縄県と安倍政権の対立は深刻化するばかりで、このままではボタンの掛け違いが原因といわれてきた成田空港問題のようになりかねない。

■林真理子さんと瀬戸内寂聴さんが乙武さんを励ました理由
最後にもう一度、乙武さんの不倫の話。
作家の林真理子さんが、週刊文春(2016年4月7日号)のエッセー「夜ふけのなわとび」で乙武さんをみごとにフォローしていた。

「重いハンディがあっても、男の魅力が溢れていれば、女の人は恋心を持つ。
女たらしという乙武君の行為は、どれだけ多くの障害者の人たちを力づけたことであろうか。
『奥さんは泣かせただろうけど、モテるのは仕方ないよね―。
ま、よくやったよ』と、私は彼の肩を叩いてやりたい」
「世間は私のような考え方をする人間ばかりではあるまい。
いや、かなり少ないかも。
彼はしばらく『茨の道』を歩くであろうが、彼のことだ、それもうまくやりおおせることであろう」

同じく瀬戸内寂聴さんも同年4月8日付の朝日新聞朝刊(東京本社発行)のコラム「寂聴 残された日々」で、乙武と17年前の夏に対談したときの記憶をたどりながら「早稲田の学生になって、ベストセラーの本を出すまでの歳月、人のしない苦労をしてきたかと思うだけで胸がいっぱいになった」と書きながら乙武氏を励ましていた。

林さんも瀬戸内さんも大作家だけに、心とその筆づかいに大きな余裕がある。
寛容さが滲み出ている。
この話を安倍首相に聞かせたい。
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2018年12月22日

"ウソっぽいネタ"の拡散が気持ちいい理由

"ウソっぽいネタ"の拡散が気持ちいい理由
2018年12月21日 PRESIDENT Online( 森本 あんり)

なぜ正しいニュースよりも、「ウソっぽいネタ」のほうが、より強く拡散してしまうのか。
国際基督教大学教授の森本あんり氏は「荒唐無稽な話を広める人は、内容が事実でなくても構わないと思っている。
なぜなら自分が納得できることが正しいと捉えているからだ。
その『自分は正しいことを言っている』という意識は、酔いしれるような強い快感をもたらす」と分析する――。

■人を惹きつける「陰謀論」
世界の各地で、ポピュリズムが急速に政治的な発言力を増している。

注・ポピュリズム(英: populism)とは、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに、既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢のことである

ポピュリズムの陰には、しばしば陰謀論も見え隠れする。

アメリカでは、陰謀論を唱える「QAnon(Qアノン)」という不気味な集団がトランプ支持者たちの間で広まっている。

日本では、ブログの呼びかけを背景に「反日」「在日」と決めつけられた弁護士の懲戒請求が各地の弁護士会に出された事件も発生した。
陰謀論の素地や特徴はそれぞれ違っていても、彼らの掲げる主張はみな単純でほとんど荒唐無稽である。
だがそれでも、こうした主張は人びとを惹きつける強い魔力をもっており、いったん信じた人はその筋書きを熱狂的に支持するようになる。
なぜ人びとは、それほどまでに陰謀論に魅せられてしまうのだろうか。
そして、なぜ「事実」は、それらの人びとの誤った思い込みを正す力をもたないのだろうか。

■交通系ICカードの金額をチェックする人はいない
宗教社会学の用語で言うと、これは「信憑性構造」の問題である。
それぞれの文化や社会には、誰もが当然と思って疑わない常識や前提というものが数多く存在している。
それらは、正常に機能している間は誰の意識にも上らない。
自らの存在を意識させずに機能しているものこそ、その社会の「正統」なのである。

ところが、いったんそれが問題となって人びとの意識に浮上すると、この認識構造に大きな変化が現れる。
潜在していたものが顕在化し、それまで気がつかなかった力が自分を含むすべてのものを支配していたことに思い至ると、システムそのものに対する疑念が広がり、一挙に陰謀論の土壌ができてしまうのである。

いわば、パソコンに不具合を起こした原因が個々のアプリケーションではなく、その土台となっているOS(オペレーティングシステム)だった、ということを発見した時のようなものである。
たとえば、われわれは電車に乗る時に交通系ICカードを使うが、改札口を通るたびに差し引かれる金額が本当に正確かどうかをチェックする人はいないだろう。
これは「まさか鉄道会社が一回ごとに数銭をかすめ取るようなことはしないはずだ」という前提に支えられて乗車しているからである。

われわれの日常生活には、このような疑われざる前提が無数に存在しており、それが全体として社会の信憑性構造を形作っている。
その一つ一つを疑わなければならないとしたら、まことに住みにくい社会となってしまうだろう。

■人が求めるのはカネだけではない
宗教学的に見ると、ポピュリズムや陰謀論には人間の本来的な欲求が関わっている、と言うことができる。
このことを、日頃われわれがよく使っている、ある経済用語の歴史を振り返ることで考えてみよう。

英語に“interest”という言葉がある。
これは「利子」「利潤」などという意味と、「興味」「関心」という意味とをもっている。
自分がもうかる話には、誰でも興味や関心をもつものだから、この2つの意味がつながっていることは理解できる。
しかし、この言葉にはもう少し深い意味もある。

『オックスフォード英語辞典』によると、“interest”の最初の用例は15世紀半ばにさかのぼり、それは「あるものに客観的に関わらしめられていること」(being objectively concerned)という意味であった。
つまり「何かに興味をもつ」という認識のあり方ではなく、「その人が対象と関わりをもち、対象に参与する」という存在のあり方を示す言葉なのである。
どのような関わりか。
同辞典によると、その内容には「霊的な特権」(spiritual privileges)が含まれる。
たとえば17世紀のピューリタン神学者が「神の恵みにインタレストをもつ」と言えば、それは単に神の恵みに興味があって眺めている、という意味でなく、自分という存在がその恵みにあずかる者となる、という意味である。
つまり、「インタレスト」は、単に「経済的な利益」だけでなく、個人の「物質的な幸福」を越えた、精神的な参与を含む願望を意味していたのである。

■ポピュリズムに浸かる人は「つながり」がほしい
今日のポピュリズムにも、同じような「インタレスト」がある。
ポピュリズムに浸かっている人びとは、何を求めているのか。
それは、参与である。
自分が属する社会の一部として存在することである。
彼らは、単に物質的な利害を求めて声をあげているのではない。
ポピュリズムが前世紀に中南米や東欧で始まった時にはそうだったかもしれないし、今日でも経済的な関心は重要さを失ってはいない。

だが、今日のポピュリズムをそれだけで理解することはできない。
人びとが求めているのは、階級的な利益ではなく、もう少し精神的な利益である。
それは、自分の住む社会に有意義に存在することであり、そう認められることである。
自分という存在の社会的な意義を確認したいのである。
それは、人間としてごく当然の欲求かもしれない。

人は誰でも、金だけでは幸福になれない。
人とのつながり、社会とのつながりを通して、自分という存在が、何らかの意味をもち、意義をもっている、ということを確認したいのである。
そのために声を上げる。
選挙の投票でも、ネット空間でも、これは同じである。

■「正しい」が与えてくれる快感
ポピュリズムがはやるのはなぜか。
一口に言えば、それは「快楽」をもたらすからである。
そこに独特の「情熱」を注ぎ込むことができるからである。
ネット上で、いわゆる「炎上」が起きる時、他人に批判を浴びせかけるのも、同じ理由である。
そこには、ある種の高揚感が漂っている。
その高揚感は、「お祭り」と言われるように、宗教的な祝祭の高揚感である。

「悪いことをした」「間違ったことをした」と思われる人に容赦のない批判を浴びせるとき、自分は「正しい」側に立っている。
自分の怒りは正当だ。
これは公憤であり義憤だ。
あの連中はそれだけのことをしたのだから制裁を受けて当然だ、という認識である。
これは酔いしれるような強い快感をもたらす。
人は正義を求める。というより、正義を愉しむ。

この快感は、単に金銭的な利害という視点では捉えることができない。
むしろ、多少の代価や犠牲を払ってでも、その快楽を求めるのである。

■「フェイクニュース」の種は昔からあった
昨今の選挙や投票では、世界各地で思わぬ結果が出て人びとを驚かせた。
高所得者への減税と福祉予算の削減を唱える政治家が、なぜか低所得者の支持を集める。
将来世代にツケを回すような政策を掲げる政治家が、なぜか若者の支持を受ける。
「有権者は合理的な判断ができない」というリベラルな評論家の嘆きが聞こえてきそうである。

しかし、こうした不思議は、今に始まったことではない。
戦後すぐに書かれたハンナ・アレントの『全体主義の起源』には、こういう一言が出てくる。

「大衆にとって、階級や国民という総体的利害は存在しない。」
つまり、投票をする諸個人にとって、自分の属する階級や国家というくくりは、大きすぎて自分の利害とは直接に結びつかない。
だからいくら階級的な利害を訴えても、大衆には説得力がない、というのである。

アレントは、「事実というものは、もはや大衆への説得力を失ってしまった」とも書いている。
われわれは今になって「ポスト真実」だ「フェイクニュース」だと騒いでいるが、それはすでに第二次大戦前に始まっていた大衆化の帰結だ、ということになる。

■「一貫した世界観」がほしい人たち
では、事実でなければ、人びとは何を求めているのか。
アレントによれば、それは「一貫した世界観」である。
身の回りに起きる個々のばらばらな出来事を、自分が納得のいく仕方で説明してくれる世界理解の方法である。

かつてそれは宗教であった。
たとえ自分が苦難に遭っても、神や仏のみこころの中では「この不条理や苦しみに何らかの意味があるのだろう」と考えることができた。
しかし、既成宗教が弱体化した今日、それに変わる説明原理を提供してくれるのが陰謀論なのである。

一見無関係と思われるような遠くの出来事のあれこれは、実はみなつながっているのだ、その背後にはこういう原因があって、これがすべての現象を動かしているのだ、という説明原理がそこにある。

自分が失業して苦しんでいることと、中国やメキシコで起こっていることが、実は深いところでつながっている、それは誰かの陰謀なのだ、という一貫した説明原理である。

それが事実かどうか――それはあまり重要ではない。
人は、正しいから納得するのではない。
納得するから正しいのである。
たとえ事実がそれと違うことを指し示しているように見えても、それはうわべだけのことである。

自分は、より深いところにある、歴史の必然性を知っているのだ。
いったんそう信じた人は、もはやどんな反証も受け付けない。
まさに宗教的な原理主義に特徴的な信念形態である。
実は、このように信じさせることは、ナチズム以来の大衆プロパガンダの常道手段であった。

ヒットラーの『わが闘争』を読むと、彼がアメリカの大衆宣伝の手法からいかに多くを学んだかが、彼自身の言葉で雄弁に書かれている。
ナチズムの手法は、アメリカ生まれなのである。

■「納得できるか」が事実より大事
ポピュリズムもまた、「移民」や「テロ」という簡単な原理で、身の回りの世界を一挙に説明しようとする。
「ワシントンの政治家」「ウォール街の金融家」などが、重要なキーワードだ。
ポピュリストは、こうした感情的にチャージされた用語を用いて、人びとの暮らし全体をわかりやすく説明してくれるのである。
ポピュリズムの魅力は、このような疑似信仰ないし代替宗教の力に他ならない。

昨今はフェイクニュースに対応して、「ファクトチェック」の必要が論じられるようになった。
だが、特定の世界観に生きる人びとにとって、あれこれの「事実」は結局さほど問題にならない。
それらの全体を通して、ある種の納得感が得られるかどうか―
―それが「事実」の判断よりも上にあるからである。

以前は、何が事実であるかは、新聞を読んだり本で調べたりすることで判断することができた。
信頼できる組織による裏付けや、論理的な整合性などが、真偽の判断を支える合理的な手段だった。
しかし今日、真理の最終審級は、各人が直接心の内に感ずるものでしかない。
宗教学の用語では、この直接性を「神秘主義」と呼ぶ。
現代ポピュリズムの本質はここにある。
これ以降の詳細は、拙著をご覧いただきたい。
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森本あんり(もりもと・あんり)
国際基督教大学 学務副学長・教授
1956年神奈川県生まれ。
プリンストン神学大学院博士課程修了(Ph.D.)。
専攻は神学・宗教学。
著書に『アメリカ的理念の身体――寛容と良心・政教分離・信教の自由をめぐる歴史的実験の軌跡』(創文社)『反知性主義――アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)『宗教国家アメリカのふしぎな論理』(NHK出版新書)ほか多数。
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2018年12月23日

空自の新戦闘機「F35」は役立たずの“高額なおもちゃ”だ

空自の新戦闘機「F35」は役立たずの“高額なおもちゃ”だ
2018/12/22 日刊ゲンダイ(孫崎享)

 政府は航空自衛隊の主力戦闘機F15の後継に米国製ステルス戦闘機「F35」を105機購入する方針を固めた。
42機は新たに導入する短距離離陸・垂直着陸型「F35B」で、「F35」は既に購入を決めている42機と合わせて計147機体制となる。
価格は1機143億円、維持費は毎年10億円以上(30年運用)の「F35A」よりも高額とみられ、今後、兆円単位の税金が投じられることになる。

 日本の防衛に不可避であればやむを得ない。
しかし、実態は「国家の高額なおもちゃ」である。
確かに、中国やロシアが保有する戦闘機よりも性能は優れているだろうがそれだけでは戦う体制は整わない。

 米国の安全保障関連シンクタンク「ランド研究所」は2015年、「アジアにおける米軍基地に対する中国の攻撃」と題した極めて重要なリポートを発表した。

内容は次の通りだ。

〈中国は軍事ハードウエアや運用能力において米国に後れを取っている〉
〈中国は自国本土周辺で効果的な軍事行動を行う際には、全面的に米国に追いつく必要はない〉
特に着目すべきは、米空軍基地を攻撃することによって米国の空軍作戦を阻止、低下させる能力を急速に高めていることである
〈中国は今日最も活発な大陸間弾道弾プログラムを有し、日本における米軍基地を攻撃しうる1200発のSRBM(短距離弾道ミサイル)と中距離弾道ミサイル、巡航ミサイルを有している
〈ミサイルの命中精度も向上している〉
〈台湾のケース(実際上は尖閣諸島と同じ)は嘉手納空軍基地への攻撃に焦点を当てた〉
〈2017年には、中国は嘉手納基地を16〜43日間閉鎖させることができる〉
ミサイル攻撃は米中の空軍優位性に重要な影響を与える。それは他戦闘分野にも影響を与える

 つまり、米軍ですら米軍基地の滑走路を攻撃されれば戦闘機は飛ばせない。
空母も同じだ。
 それは当然、航空自衛隊にも該当する。

1200発の短距離弾道ミサイルと中距離弾道ミサイル、巡航ミサイルを防ぐ手段はない。
戦闘機の大量購入は国家の役に立たないのだ。

 日本は今、社会保障費や教育費などの予算が逼迫している。
役に立たない戦闘機に多額の税金を投じている場合ではない。
にもかかわらず、なぜ、購入するのかといえば、安倍首相がトランプ大統領にいい顔したいからだろう。

孫崎享  外交評論家
1943年、旧満州生まれ。
東大法学部在学中に外務公務員上級職甲種試験(外交官採用試験)に合格。
66年外務省入省。
英国や米国、ソ連、イラク勤務などを経て、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授を歴任。
93年、「日本外交 現場からの証言――握手と微笑とイエスでいいか」で山本七平賞を受賞。
「日米同盟の正体」「戦後史の正体」「小説外務省―尖閣問題の正体」など著書多数。
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2018年12月24日

明仁天皇“最後の誕生日会見”で安倍政権を牽制

明仁天皇“最後の誕生日会見”は明らかに安倍政権への牽制だった! 反戦を訴え、涙声で「沖縄に寄り添う」と宣言
2018.12.23 LITERA編集部

 それは、まさに右傾化する日本と安倍政権に向けて天皇が発したメッセージだった──。
本サイトでは昨日の記事で、天皇在位中最後の誕生日を迎えた明仁天皇が、安倍官邸のプレッシャーをはねのけて、戦争や沖縄への思いを国民に向けて語るのではないかと書いた。
だが、きょう公開された記者会見の内容は予想以上だった。
明らかに安倍政権の政策や態度を危惧し、強く牽制するような発言を繰り返したのだ。

 明仁天皇は、途中、何度も言葉をつまらせ、ときに涙声になりながら、自らが天皇として皇后とともに歩んできた道のりを振り返るかたちで、戦後の平和と反戦にかける思い、戦争の犠牲の大きさを正しく伝える姿勢、沖縄への気持ち、日本人だけでなく外国人への心遣い、そして日本国憲法における「象徴」の意味などについて語ったのだ。

 なかでも印象的だったのが、安倍政権による“いじめ”と言える状況が苛烈を極める沖縄への強い言及だ。
 周知の通り、先の沖縄知事選では、逝去した翁長雄志前知事の遺志を継ぎ、辺野古新基地建設に明確にNOを示した玉城デニー氏が当選した。
だが、安倍政権はこの沖縄の“民意”を無視して辺野古の海への土砂投入を強行。
しかも、「辺野古移設反対なら普天間基地の返還はない」という卑劣な二択を迫り、基地に反対する人々を恫喝している。  そんな状況のなか、明仁天皇は「沖縄に心を寄せていく」ことを訴えた。

1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効(本土の主権回復)から、沖縄の復帰までに、20年の歳月を要したことを振り返ったうえで、あらためて「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました」と、本土から見捨てられてきた歴史を強調。
「皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました」と続けたあと、声を震わせ、会見場を見やりながら、こう力を込めた。
沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」
「心を寄せていく」ことを強調したのは、明らかにいまの日本政府による沖縄切り捨てを意識してのものだろう。

「先の大戦を“含め”実に長い苦難の歴史」、「沖縄の人々が“耐え続けた”犠牲」という言い回しからも、それが本土に“捨て石”とされた沖縄戦のみを指すものではないことは明白だ。

 本サイトでも何度か紹介してきたように、もともと、明仁天皇の沖縄にかける思いは極めて強いものがある。
現在も米軍基地の押し付けという「犠牲」を強い、県民の基地反対の意思を潰そうとしている安倍首相の姿がその目にどう映っているかは想像にかたくない。
 実際、2013年の4月28日、安倍首相の肝いりで行われた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」にあたっては、政府側の説明に対し「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と反論し、出席に難色を示していたという。

また、皇太子時代の1975年に沖縄を初訪問したときには、火炎瓶を投げつけられるという事件が起きたが、事前に「何が起きても受けます」と覚悟を決めていた現在の明仁天皇は、その日の夜、こんな談話を公表した。
払われた多くの犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません

 在位中最後となった今年の訪問も含め、沖縄を11回訪れた明仁天皇。
天皇としての最後の誕生日会見で、あらためて、「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくと宣言したことは、現在も政府が沖縄を虐げていることを深く憂慮する発言に他ならないだろう。

平和と反戦を語り「正しく伝えることが大切」と歴史修正主義の動きを戒め  踏み込んだのは沖縄問題だけではない。会見では時間をかけて平和と反戦への思いを語ったのだが、そのなかには、安倍政権が扇動している歴史修正主義に釘を刺すくだりもあった。
 前述した沖縄への言及の直後、明仁天皇は「そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。
先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず……」と述べ、一層力を込めながらこう続けたのだ。

「……戦後生まれの人々にも、このことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。
平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」
 日本は戦後、戦争によって直接的に人を殺すことも殺されることもなく、平成の時代を終えようとしている。
だが、それを継続していくには、戦争の加害と被害の記憶を継承するのみならず、「正しく伝えていくことが大切」と諭したのである。

 周知の通り、安倍首相は慰安婦問題や南京事件など戦時中の国家犯罪を打ち消そうとする動きを加速させ、歴史教育に対する介入を強めてきた。
明仁天皇が、戦争の歴史を、単に「伝えていく」というのではなく、あえて一歩踏み込んで「“正しく”伝えていく」と形容したのは、こうした安倍首相による歴史修正へのカウンターとしか思えない。

外国人労働者問題についても言及、安倍政権と対照的な姿勢を
 来日する外国人に対する言及も目を引いた。
誕生日会見の後半、明仁天皇は「今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました」と切り出した。
これだけでも「明治維新150年」を打ち出す安倍政権とは対照的だが、天皇は続けて、日系の人たちが外国で助けを受けてきたことに触れながら「それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています」と述べた。

 明仁天皇は、今年11月の美智子皇后との私的旅行のなかでも、静岡県の浜松市外国人学習支援センターを訪問し、外国人やボランティアたちと直接話す機会を設けた。
こうした日本社会の一員として安心して暮らせるようにとの思いは、やはり、安倍政権が先日の国会で、外国人労働者を安価な労働力としか扱わず、人間としてのケアをまったく考慮しない入管法改正案を強行したことの対比として映る。

 いずれにしても、会見での言葉をひとつひとつ見ていくと、明仁天皇は淡々と平成30年のあゆみを振り返ったのではなく、戦争の歴史と近年の社会状況を強く意識し、覚悟をもって“最後の会見”に臨んだことがよくわかる。

 昨日の記事でも解説したように、踏み込んだ“護憲発言”を行なった2013年の誕生日会見以降、安倍官邸は宮内庁の締め付け、皇室へのプレッシャーを強化し、天皇・皇后のリベラルな発言を封じ込めようとしてきた。
結果として、ここ数年の天皇誕生日の会見内容が、トーンダウンしていたことも事実だ。
だが、そんななかにあって今回、天皇は“安倍政権への箴言”を敢然と繰り返したのである。
それは何より、官邸からの圧力に抗してでも、人々に伝えねばならなかったからだろう。

日本国憲法下の「象徴」であることを強調したのも国家元首化への牽制  
実際、自身の退位については会見の序盤と最終盤で2回触れていたが、それもまた“天皇と立憲民主主義の関係”を確認することで、安倍首相や自民党、極右勢力が目論む「天皇の元首化」などの復古的改憲を暗に批判するものだった。
「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。
譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います」

「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」

 明仁天皇は、日本国憲法で位置付けられた「象徴」としての天皇を国民が「受け入れ」たことに謝意を表した。
これは、象徴天皇が国民の同意が必要な存在であることを示唆したともいえるだろう。
そして、この憲法にふさわしいあり方を皇后とともに模索し、今後も求め続けると宣言した。
その天皇像が皇太子にも引き継がれるよう望んだ。
最後はほとんど涙ながらだった。

 言い換えればこれは、“国民と憲法あってこその天皇”だと自戒することに他ならない。
戦前日本において、国民は「天皇の赤子」とされた。
政治権力は、皇室を逆らうことのない絶対的権威として戦争に利用した。
「国民に衷心より感謝」した平成の天皇は、それとは真反対のメッセージを込めたのだった。

 いよいよ平成が終わる年がやってくる。
退位に際した記者会見は行われないという。
政治は日々不穏な色彩を濃くしている。

明仁天皇のメッセージをどう受け止めるかは、わたしたちひとりひとりにかかっている。
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2018年12月25日

財務省が「ブラック企業大賞」市民投票賞に

財務省が「ブラック企業大賞」市民投票賞を受賞! セクハラだけじゃない、元職員が公文書改ざんを生んだブラック体質を告発
2018.12.24 LITERA編集部

昨日、「ブラック企業大賞2018」の授賞式がおこなわれ、三菱電機が大賞に選ばれた。
 三菱電機といえば、2017年度の売上高が4兆4311億円、営業利益は3186億円と過去最高を更新する一方、長時間労働が原因で5人の男性社員が精神障害や脳疾患を発症し、うち2人が過労自殺。
5人は2014〜17年に労災認定されている。まさに大賞にふさわしい「ブラック」ぶりだ。

 今年のブラック企業大賞はほかにも、「裁量労働制」が違法適用されていた野村不動産や、
第三者委員会の調査により凄絶なパワハラ実態が明るみに出たスルガ銀行
「事業場外みなし労働時間制度」の違法適用や長時間残業のほか、支店長が出す「有給チャンスクイズ」に正解しないと有給がもらえないなどのパワハラが発覚したジャパンビバレッジ東京など、9社がノミネート。

 しかし、なかでも注目を集めていたのは、ノミネートのなかに、あの「財務省」が入っていたこと。
そして今回、一般投票で決まる「市民投票賞」に、財務省は見事(?)選ばれたのだ。

 財務省が今回、ブラック企業大賞にノミネートされた理由は、今年4月に発覚した、財務省の福田淳一事務次官(当時)によるテレビ朝日女性記者へのセクハラ問題だ。
 ブラック企業大賞HPに掲載されているノミネート理由によれば、問題が「週刊新潮」(新潮社)に報じられた際、

財務省トップの麻生太郎財務相
〈被害女性に名乗りでるよう促す一方で、事務次官がはめられた可能性などにも言及〉したこと、
さらに〈日本には「セクハラ罪という罪はない」と発言し、セクハラを軽視する態度を崩さなかった〉
〈セクハラ行為を防止することが第一であるはずなのに、「男を番記者にすればいい」などと女性記者を排除するような発言もあった〉ことを指摘。こうまとめている。

〈こうした麻生大臣の言動は、セクハラが深刻な社会問題であることの認識を欠いていると指摘せざるを得ない
〈「女性活躍」を標榜する政府の中枢機関で起きたセクハラ事件に対して、その対応があまりにお粗末であったと言わざるを得ない。その悪影響は計り知れないほど大きい。そこで、民間企業ではないが特別にノミネートした〉

 福田事務次官のセクハラの中身も酷いものだったが、それだけではなく、問題に厳しく対処すべき大臣が自ら“ハニートラップ”説を唱え、「男に替えればいい」と公言する…。
これは「お粗末」などというレベルではなく、副総理でもある麻生財務相による「セクハラくらいでガタガタ言うな」という、全女性に対する侮蔑としか言いようがない事件だ。

 今回、市民の投票によって、この事件が「ブラック」認定を受けたことは当然であるし、あらためて注目が集まったことの意味は大きいだろう。
 だが、財務省の「ブラック」問題は、セクハラ問題にかぎらない。
なかでも忘れてはならないのは、財務省による森友問題の決裁文書の改ざんをめぐって、今年3月、近畿財務局の担当職員を自殺に追い込んだ一件だ。

 自殺した近畿財務局職員が遺したメモには、「決裁文書の調書の部分が詳しすぎると言われ上司に書き直させられた」
「勝手にやったのではなく財務省からの指示があった」
「このままでは自分1人の責任にされてしまう」
「冷たい」などという言葉が綴られていたというが、一方、職員の自殺が報じられるや否や、麻生財務相は佐川宣寿・国税庁長官を辞任させただけ。
その後の内部調査結果でも佐川氏にすべての責任を押し付けながら、「3カ月の停職処分相当」として退職金から相当分を差し引くという大甘な処分に終わった。

 直接、文書を改ざんするという“汚れ役”を命じられ、自らの意志に反した違法な作業を強要され、精神的にも肉体的にも追い詰められ、さらに改ざんが発覚すると財務省は近畿財務局に責任を押し付けようとした。
こうして人ひとりの命を奪っておきながら、麻生財務相は何食わぬ顔で、いまだに大臣として居座りつづけているのである。

近畿財務局元職員が「何も変わっていない」
「職場は真っ暗になってしまう  しかも、だ。改ざん前の決裁文書には、籠池泰典前理事長が安倍昭恵氏と撮った写真を見せていたことが書き込まれていた。
今月19日付の朝日新聞では、実名による証言をおこなった近畿財務局で国有財産の管理に携わった元職員4人は、これが不当な値引きにいたる端緒ではないかと見ている。
「公表された記録を読むと、財務局は当初、学園側からの要求もきちっと断っているのに、このころを境に押し込まれるようになったように見える。
主客が逆転し、籠池さんの方が主人公というか、強くなってしまったようだ」(喜多徹信氏)
「この写真が出てくる事態になった時点で、本省と財務局は綿密に連絡を取り合って、学園の要求を蹴ってしまうのか、それとも最後までやり通すのかを決断したのではないか」(伊藤邦夫氏)

“総理夫人案件”として国有地が約8億円も値引きされ、疑惑が報じられると公文書を改ざんして問題を隠蔽する。
その結果、ひとりの職員が死に追い込まれた──つまり、近畿財務局職員の自殺は、財務省だけの問題ではけっしてないのだ。  森友問題にかんして実名で証言をおこなっている理由について、元職員はこう話している。

「公務員は馬鹿正直に文書を大切にする。それなのに国会で財務省は「(学園との交渉記録が)ない」などと言い切って驚いた。
大きな犠牲も出ているのに、だれもまともに責任を取っていない。このままではいけないと思った」(田中朋芳氏)
公文書の改ざんが発覚しても、上の人は知らん顔を決め込んで何も変わっていないように見える。この問題をないことにしてしまったら職場が真っ暗になってしまうんじゃないかと思った」(安田滋氏)

“ブラック”な組織を変え、健全な職場や労働環境をつくっていくには、実態の告発や外部からの指摘が重要になってくる。
不名誉にも一般市民の投票で「ブラック企業大賞」に選ばれた財務省の問題は、まだ膿が出きった状態ではない。
このままフェードアウトさせるわけにはいかない問題だ。
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2018年12月26日

水道法改正が「民営化」でないばかりかタチが悪い理由

水道法改正が「民営化」でないばかりかタチが悪い理由
2018/12/25 ダイヤモンドオンライン(室伏謙一)

12月16日、水道法の一部を改正する法律案が衆議院本会議で再可決され成立した。
「水道民営化」と誤解する人も多いが、これはいわゆる「民営化」ではない。
しかし、実態は「民営化」よりもタチが悪いものだ。
その問題点などを解説する。(室伏政策研究室代表、政策コンサルタント 室伏謙一)
******************************
水道法改正は「水道民営化」ではない
 多くの反対や疑問の声が上がる中、12月6日、先の通常国会から継続審議となっていた水道法の一部を改正する法律案が衆議院本会議で再可決され成立した。
 今回の水道法改正の目玉は、水道施設運営権を設定して民間企業による水道施設運営等事業を可能とすること。
この点について世間では「水道民営化」とされることが多い、というよりほとんどのようだ。
 しかし、これは「地方公共団体が保有する水道インフラを使って、民間企業がある程度自由度を持って事業を行う仕組み」であって、インフラごと民間企業に売り渡すいわゆる「民営化」ではない。

 どうも「民営化」という言葉が独り歩きをして、さまざまな誤解が生まれ、そうした誤解に基づいた奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)で頓珍漢(とんちんかん)な議論が、さも正しいかのようにまかり通っているようである。
 このことについては制度論の観点も含め、拙稿『水道法改正案は「民営化案」ではないが別の大きな問題がある』で解説し、併せて水道法改正の問題点についても分析しているのでそちらを参照いただきたい。

 そこで本稿では、水道施設運営権の設定による水道施設運営等事業(以下「水道コンセッション」という)の仕組みとその性格、問題点、なぜ懸念する必要があるのかについて概説するとともに、よくありがちな水道コンセッションを巡る誤解等について、何がどう間違っているのかについて解説してみたい。

水道コンセッション事業の仕組みと問題点
 まず、水道コンセッションの事業の仕組みについて。
上水道事業を行っている地方公共団体が、運営権実施契約(運営権契約、コンセッション契約)により契約の相手方である民間事業者に数十年の期間で運営権を設定、民間事業者側は運営権対価を支払い、水道施設運営等事業を行う、というのが基本的な構造である。
 事業の主な収入は当然のことながら水道料金であり、これを自己収入として、自らのリスクを取りながら事業、つまり水の供給・水道施設の維持管理・保守、場合によっては施設更新等を行うことになる。
 別の言い方をすれば、水道料金で人件費等のコストを賄い、収益を出す事業。
したがって、それに見合った料金設定とするとともに、収益を減らしたり、ましてや赤字が出るといったことがないように、人件費も含めてコストを適正化することが重要となる。

 そして、まさにここが水道コンセッションの問題点なのだ。
 すなわち、通常の維持管理や保守コストが当初の予想以上にかかってしまった場合、あるいは自然災害が起きて水道管が破損したり、浄水場の機能に不具合が生じたりして想定外の多額の費用が必要となった場合。
公的資金を入れないという前提に立てば、削減できるコストを削減するか、一時的なものも含め料金を引き上げることをしなければ、こうした不測の事態によって生じた赤字を解消させたり、収益性を安定させたりすることは極めて困難であろう。  

もちろん、不測の事態に備えて、過去の災害発生データも参照しつつ、必要と思われる額の積立金等を用意しておけば、対処できる場合もありうるだろう。
しかし、最近の気象状況変化や自然災害の発生状況を踏まえれば、そうした想定が容易に覆される可能性は大いにある。
 つまり、杓子定規に考えれば事業者にとってもリスクが高く、軽々に参入できる事業ではないはずであるということである。
 しかし、それはあくまでも杓子定規に考えた場合の話である。

水道「民営化」よりもタチが悪い
 一応、公的資金は入れない建前にはなっているものの、災害による被害が甚大である場合等は、事業者が多大な公的な負担を求めてくることは確実だろうし、こっそりとそれが可能な仕組みにしておく可能性がある。
 それどころか、地方公共団体側が住民の不安を払拭すると称して、自ら契約の段階でそのように申し出る可能性さえある。それではまさに「カモネギ」だが、そうなると、民間資金の活用だの何だのと言っていたのに、一体何のための水道コンセッションなのか分からなくなる。

 民間企業が「オイシイ」ところだけもっていき、尻拭いは住民の負担や税金。これが水道コンセッション問題の本質というところであろう。
 要するに、民営化ではないが、「困ったときの公的資金」とばかりにリスクを極力地方公共団体に寄せることができる分、民営化よりタチが悪いということだろう(むろん、インフラごと民間に売り渡す民営化など論外であるが…)。

 加えて、事業者といっても特定企業1社でということはなく、水道事業に強みを持つ企業を中心に金融関係の企業も含めて(コンセッションフィーの支払いもあるため)複数社の出資により特定目的会社(SPC)を設立し、これを表向きの事業主体かつお金の受け皿として、地方公共団体と運営権実施契約を締結する。
 実際に維持管理や保守等、料金の徴収等を行うのはSPCから業務の委託を受けたサブコントラクター、いわゆるサブコンであり、そうした企業はSPC参加(出資)企業やその関連会社である。

 SPCの資金調達方法は出資(株式)および融資(借入金)である。

国民の大事なインフラが金融投機の対象に
 ここが次の問題点で、出資者に対する配当の支払い、および融資者に対する利払いが発生するので、SPCはそれを加味して料金を設定し、コストの適正化を図る必要がある。

出資と融資の割合は対象事業や事業の仕組みによるので一律には言えない。
 ただ、基本的に借入金は極力少なくしようとするし、事業の当初に大規模な建設工事等がなければ、巨額の融資を受ける必要性はない。
そのためここでは出資を中心に考えると、出資者、つまりSPC参加企業、端的に言えば実際の水道コンセッション事業者たちの収入は配当である。
サブコンとしての収入もあるが、こちらはSPCとしての立場で言えば費用だ。
 そうした費用も支払いつつ、株主への配当を確保することになるのだが、昨今の株主資本主義の進展、それを進めてコスト削減と配当増を強く求めてきているのはグローバル企業だ。

水道コンセッションで日本市場を狙っていると取り沙汰されているのもまた、水メジャーと呼ばれるグローバル企業であることを考えると、配当増とそのためのコスト削減圧力は同様に強くなると容易に想像できる。
 ここがさらなる問題点で、こうした事業の構造のため、配当の確保や増額のために、サービスの質の低下や水道料金の値上げが起こる可能性が高いということである。

 これは言い方を変えれば、国民の生命に関わる大事なインフラを金融投機の対象にしようという話であり、言ってみれば「インフラの金融化」である。
 こんな仕組みを本当に理解して、本気で導入しようとするんですか?と政府のみならず地方公共団体に問うてみたいところだ。

現状の水道メンテナンス等の民間「委託」とはまったく違う問題  
さて、こうした仕組みが分かれば水道コンセッションは何が問題で反対意見が多いのかは理解できると思われるが、残念ながら、それを欠いたまま、誤解に基づくもっともらしい見解がメディア等を通じて飛び交っている。

 そうしたものの一つに、「水道の管理や保守は今でも民間事業者に委託しているのだから、既に民営化は行われているので問題などないはずだ」というものがある。
 これは「運営権を設定して水道インフラを使って事業をやるということ」と、「業務を委託するということ」の違いが理解できていないことによるものだ。
 前者についてはこれまで説明してきたとおりであり、
後者、つまり業務の委託とは、特定の業務について、委託料を支払ってその業務を行ってもらうものであり、水道管等も含む水道施設の保守や水道料金の徴収等、さまざまなものがある。
 事業者の収入は委託料であり、業務も決められたものを行うので自由度はほとんどない。

 こうした業務の委託は国・地方を問わず幅広く行われているが、これは民営化でもなければコンセッションでもない。
従って、「業務の委託が行われているからといって、水道コンセッションを導入しても問題がない」という話にはならない。

海外の数多くの失敗事例も理解できていないという「恐ろしさ」
 また、水メジャーのヴェオリアの日本法人がいくつかの地方公共団体の水道料金の徴収やメーターの検針等を行っていることをもって、「既に外資は入ってきているから水道コンセッションを導入しても問題はない」といった意見もあるようだ。  これも単なる個別業務の委託であって、水道コンセッションではないし、業務の委託は入札によって委託先の選定が行われるが、入札は基本的には外資にも門戸は開かれており、外資が受託事業者になったとしても不思議な話ではない。

分かりやすい例で言えば、国の委託調査など、外資系のコンサル会社が受託している例は多数あることを想起されたい。
 この誤解の派生系で、「ヴェオリアの日本法人がこうした業務の委託を受けているが水道料金が上がってはいないから大丈夫だ」といったものがある。

 この誤解は正直なところ問題外の発想なのだが、一応解説をしておくと、こうした事例ではヴェオリアの日本法人は決められた委託料で個別の業務の委託を受けているだけであり、水道事業を行っているわけではない。
水道事業はあくまでも地方公共団体が行っているので、単なる個別委託業者のヴェオリアは水道料金の上下に関与などできない。

 これ以外にも、水道コンセッションを巡る摩訶不思議な誤解はいろいろ出回っているようだが、裏を返せば水道コンセッションについて正確に理解している人は極めて少ないということであり、海外の数多くの失敗事例も、何が失敗なのかも理解できていないということであろう。
 そんな状況の中で実際に導入されようとしているわけである。
なんと恐ろしいことか。
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2018年12月27日

韓国軍レーダー照射に田母神俊雄が「大騒ぎしなくてよい」

韓国軍レーダー照射に田母神俊雄・元航空幕僚長が「危険じゃない」「大騒ぎしなくてよい」と 発言しネトウヨがヒステリー
2018.12.26 LITERA編集部

 日本海上で警戒・監視の任務にあたっていた海上自衛隊の哨戒機が、韓国海軍の駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けたとされる問題。
日韓両政府の見解が正面から食い違うなか、ネット上ではネトウヨたちが「じゃあ戦争すっか」「反撃するしかないだろ」などと噴き上がっている。

典型が高須クリニックの高須克弥院長だ。
〈先制攻撃て見なす。すぐにチャフ撒いて 反転攻撃してよし。〉(21日Twitter)
〈次回からは攻撃とみなして即座に撃沈すべきです。
これは明確な攻撃であります。
銃を取り出して自分に狙いを定められたら応射するのは正当防衛です。
現行憲法でも何ら問題はないとおもいます。〉(22日)

 いやはや「即座に撃沈」って……言葉を失うとはこのことだ。

もし、自衛隊が韓国軍を武力攻撃したら反撃されて戦闘状態となる。
当然、自衛隊員にも死傷者がでる可能性が高いし、最悪の場合、それこそ戦争突入だ。
本当に、この人は自分が何を言っているのかわかっているのだろうか。

 だいたい、高須院長やネトウヨたちは、さも韓国軍のレーダー照射=自衛隊への攻撃かのようにわめき散らしているが、韓国側は「北朝鮮の漁船探索のためにレーダーを使用したもので、哨戒機追跡の目的で使った事実はない」
「低空飛行する哨戒機に対して、レーダーの横に付いている光学カメラを作動させた」などとして、火器管制レーダーの照射を否定。
実際、このとき韓国軍の艦艇は遭難した北朝鮮の漁船を救助しており、乗組員3人と遺体1体を北朝鮮側に引き渡している。
少なくとも、韓国軍に自衛隊機への“攻撃意図”があった可能性はゼロと言っていいだろう。

 もっとも、レーダーの照射の有無や態様については、日韓の両当局の見解が真っ向から対立している以上、オープンな真相究明を待たねばならない。
しかし、韓国の艦艇によるレーダー照射が事実だとしても、これ、日本政府やネトウヨたちが血眼になって騒ぎ立てているような事態なのか。

というのも、実は、あの元航空自衛隊最高幹部からも「大騒ぎしなくてよい」との指摘が出ているからだ。
 他ならぬ、元航空幕僚長の田母神俊雄氏のことである。
周知の通り、田母神氏といえば、日頃から超タカ派の言説をぶちまけ、ネトウヨからも「閣下」「神」扱いされているお方。

そんな田母神氏が、このレーダー照射事案のニュースを受けて、Twitterでこんな連投をしたのである。
〈韓国艦艇が海自対潜哨戒機に火器管制レーダーを照射したことで日本政府が危険だということで韓国に抗議したという。
全く危険ではない。
火器管制レーダーは近年フェーズドアレイ方式で常時ほぼ全周に電波を出し続けている。
だから周辺にいる航空機などには電波照射が行われてしまう。〉(21日)
〈韓国艦艇は海自の対潜哨戒機だけを狙って電波照射したのではないと思う。
周辺にほかの航空機がいればそれらも電波照射を受けている。
しかしミサイルが発射されるには艦艇内の複数部署で同時に安全装置を外す必要がある。
だから火器管制レーダーの電波照射が即危険だということにはならない。〉(同日)

 さらにツイートは〈平時は突然ミサイルが飛んでくることはないから大騒ぎしなくてよい〉(同日)、
今回ぐらいのことは世界中の軍が日常的にやっていることであり、電波照射をしてもミサイルが直ちに飛んでいかないような安全装置もかけられている〉(23日)などと続く。
 ようするに、田母神氏によれば、火器管制レーダーの電波照射は常時行われているもので、かつ、常に周辺に電波を出し続けているので、今回の照射事案は偶然にも韓国軍艦艇の周辺にいた自衛隊の哨戒機にあたってしまっただけではないのか、というのだ。

冷静に「騒ぐ必要はない」という田母神にネトウヨが炎上攻撃
 念のため繰り返しておくが、一応、この人、腐っても航空自衛隊の元トップである。
そのヤバすぎる政治信条や歴史認識にはいささかたりとも同意する部分はないが、軍事機器に関する知識はある程度正確なはずだ(でなければますますヤバい)。

ところが、ネトウヨたちはこの“神”のツイートに猛反発、みるみるうちに炎上させてしまったのだ。
〈閣下の理屈ですと、公海上で海上自衛隊艦艇が訓練中で無い時にも韓国軍機へ対して火器管制レーダーを照射して良く、韓国側も抗議してこないということですよね?〉
〈ほぉ? 世界中の軍隊では日常的に他国の軍隊に火器管制レーダーを照射してると? その御言葉、しかと覚えておきます〉
〈ということは、日本もやっても構わないということ?いいんですよね?田母神さん?いいんですよね?いいんだ、そうか。ならどんどんやりましょう!〉

 はては〈本当の田母神さんですか〉
〈田母神なんて北のスパイ〉などとニセモノ説や工作員説まで飛び出す始末。
ちなみに、高須院長も田母神氏のツイートに関して、
〈田母神先生のおっしゃることは理解できました。
ではこちらも先制攻撃抑制訓練として自衛隊機にレーザーを照射している仮想敵の標的にミサイルを撃ってもいいのでしょうか?
武力放棄しているとなめくさっている隣国を威嚇するだけでも効果があると思うのですが・・・〉と投稿している。

 この絡み方の“キモさ”にネトウヨの真髄を見た気がするが、いずれにせよ、本当に危機的なのは、いま世論が、こうした好戦的な流れに傾きつつあることだろう。

 いうまでもなく、論調を牽引しているのは日本政府だ。
たとえば、防衛省が火器管制レーダーの照射を受けたと公表した21日、岩屋毅防衛相は「攻撃直前の行為。
不測の事態を招きかねず極めて危険」と言明。

前防衛相の小野寺五典・自民党安全保障調査会長も、25日の党の部会で「政府はもっと厳しく韓国に対応すべきだ。強い抗議を韓国にしていただきたい」などと鼻息を荒くしている。

過剰な安倍政権、日本政府の対応がさらに事態を困難にしている
 しかし、「そこまで騒ぎ立てることではない」と指摘する自衛隊OBは、前述の田母神氏だけではない。
本サイトの取材に対して、元海上自衛官で軍事評論家の文谷数重氏はこう語る。

「日本政府は今回のレーダー照射に関して極めて強硬な反応を見せていますが、こうした対応それ自体が、外交的に見て誤りとしか言いようがありません。
そもそも、火器管制用のレーダーというのも、おそらくは精密レーダー、距離や角度を測定するもので、ミサイル誘導用の電波を照射したわけでもなさそうです。
いずれにせよ、今回の事案で一切の損害が生じていないように、照射されたとしても何も起きません。
状況から敵意も認められませんし、脅威度も極めて低いでしょう」

 さらに、文谷氏はプラグマティックな立場から、日本政府が世論を煽ることのデメリットについて続ける。
「にもかかわらず、韓国側に烈火のごとく抗議して何を得られるというのでしょうか。
日本政府も韓国政府も一切の利益を得ることはなく、それどころか両国の関係が悪化するだけです。
ただでさえ、元徴用工や元慰安婦の問題で、日韓政府は請求権に関する外交的妥協点をあらためて模索せねばならぬ時期。
そのなかで、日本政府が『韓国けしからん』という国民世論を煽ることは、政治だけでなく経済にも重大な悪影響を及ぼす以外にありません。
本来であれば、両国当局が水面下で交渉し、見解の相違などについて解決すべきでした」

 文谷氏の指摘するように、今回の事案に対する日本政府の反応は、明らかに過剰としか言いようがない。
安倍政権にとって、そこにメリットがあるとすれば、国民の意識を韓国に向かわせて、国内の相次ぐ不祥事などに関する批判をうやむやにし、政権浮揚のきっかけとすることぐらいだろう。
 だが、こうした偶発的なトラブルの発生を、色気を出した政治権力が利用することで、それこそ冒頭で触れた高須院長のように、「即座に撃沈すべき」などと戦争を煽る論調がはびこる。
そして、いつのまにかこうしたファナティックな世論に押され、日韓関係は引き返せないところまで行く可能性もあるだろう。
 両国政府も含めて、いまのうちに、わたしたちが抑制的かつ冷静になり、好戦的な論調をなだめていかねば、本当に危険な対立状態に突入しかねない。
無論、そうなってからでは遅すぎるのだ。
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2018年12月28日

巨大組織を破滅に導く「ほんのささいな」忖度

巨大組織を破滅に導く「ほんのささいな」忖度
上司に「鼻毛、出てますよ」と言えますか?
2018/12/27 東洋経済
urbansea : ノンフィクション愛好家

電力網から浄水場、交通システム、通信ネットワーク、医療制度、法律まで、生きていくには私たちの暮らしに重大な影響を及ぼす無数のシステムに頼るしかない。
だが時にシステムは期待を裏切ることがある。

カルロス・ゴーン追放劇、東芝の不正会計、福知山線脱線事故から「上司の鼻毛」まで、まったく異なるような出来事であるにもかかわらず、その「失敗の本質」は驚くほどよく似ているという。
ノンフィクション愛好家であるurbansea氏が、『巨大システム 失敗の本質』を読み解きながら、その本質に迫る。
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「ゴーン」追放劇を招いた組織の空気
結婚式費用の支払いや私的な投資の損失補填をさせたり、はたまた業務実態のない姉に報酬を払わせたり……。
日産のカルロス・ゴーン追放劇では、ゴーンが会社を食い物にする実態が次々と報じられていった。
まるで第1報の「ゴーン逮捕へ」を情報解禁の合図とでもしたかのようで、情報操作か何かかと勘繰ってしまうところだが、それはそれとして、権力者や地位のある者が会社に「私」を持ち込むことは、日産やゴーンほどの者でなくとも、平々凡々の会社の平々凡々の会社員のなかにも見られるだろう。

ささいなことでいえば、家族などとの私用の電話を、地位の高い者はオフィス内の座席からするが、地位の低い者はわざわざ廊下に出て行う。
デスクに私物を置く置かないも同様だ。
私事に限らず、会社組織にあっては地位が高くなるほど遠慮がなくなり、低くなるほど遠慮がちになる。
こうした意識が時に組織の腐敗や壊滅的な事故を招く。

先頃刊行された『巨大システム 失敗の本質』(クリス・クリアフィールド、アンドラーシュ・ティルシック)は、さまざまな実例や心理実験などを基にして、その実相を詳らかにしていく。
本書に面白い実験のエピソードがある。

面識のない3人にディスカッションを行わせ、そこにクッキーを盛った皿を差し入れる。
するとまず全員がクッキーを1枚ずつ取る。
では2枚目に最初に手を出すのは誰か。
事前に1人に対して、密かにほかの2人を評価するように指名しておくと、評価者というささやかな権力意識を得たその者が2枚目に手を出すのであった。
おまけにそういう者に限って、食べ方もひどく汚かったという。

人はちょっとしたことで特権意識を持ち、たちまち傍若無人な振る舞いをするようになる。
国会で首相秘書官が野党議員をヤジる、あれもそうだろう。
権力者はもとより、それによって地位を与えられた者は、慎みを失っていく。
しかし組織の腐敗や事故はこうした者だけが引き起こすのではない。

2枚目のクッキーに手を出さないような、慎み深い者らの遠慮もその要因となる。
彼らが見逃すことで事態を悪くしていくからだ。
『巨大システム 失敗の本質』を頼りにして、会社組織で起こる失敗を思うとき、言い出しにくい空気と「複雑性」(本書の重要なキーワード)とが絡むことで、その要因が生まれるのだと改めて気づくことになる。

組織を支配する「複雑性」の罠
ここでいう「複雑性」とは何か。
たとえばダム。
かつては番人が水位を見て放水の必要があると思えば、ゲートを開け、水位もゲートの開き具合も目視で確認していた。
それが今では複数のセンサーなどで得られる情報を遠隔で監視するシステムとなっている。
これが複雑性だ。
ここでシステムに異常が起きたら……。
ゲートは開いたはずなのに、水位が上がっていく。
開閉機器のトラブルなのか、センサーの異常なのか、何が何だかわからない。
そんな事態に陥ってしまう。

こんな具合に「なにかただならぬことが起きている。しかしそれがなにかはわからない」、複雑性は時に、こうした事象を引き起こす。

それが腐敗の場合は「適法とは言い難い、しかし違法との確信もない」、いわばグレーゾーンのなかで生まれ、「暗黙の了解」として組織に広がっていく。
労務問題などはそれがとくに蔓延する領域だろう。

残業時間の過少申告などに始まり、やがてタイムカードの書き換えなどが、さも正当な業務であるかのように日常化していく。
そこにあっては、「言っても無駄」どころか、言うと自分の立場を危うくする、いわば「物言えば唇寒し」の空気が組織を支配する。
「複雑なルールがあり、それを自分たちに都合よく利用した」。
『巨大システム 失敗の本質』に引用されるエンロン幹部の言葉である。

エンロンは莫大な簿外債務などの不正会計によって破産するのだが、複雑な事業モデルと会計ルールが、監査法人や金融当局の目から不正を隠し続けたのである。
複雑ゆえに不正は隠され、薄っすらと気づいたとしても複雑ゆえに不正だと確信が持てない。

こうした腐敗の内情をあらわにしたものに小笠原啓『東芝 粉飾の原点』がある。
これは東芝および関連会社の一般社員やOBなどから『日経ビジネス』に寄せられた、800件以上の内部告発を中心に編まれたものだ。
東芝の不正会計は、1人の社員が証券取引等監視委員会への内部告発をしたことで明るみに出る。
それをきっかけにして堰を切ったようにその実態の告発が噴出したのである。

逆を言えば告発する者がいなければ、いつまでも皆、黙っていたのだ。
「物言えば唇寒し」の空気のなかで「王様は裸だ」と声を上げる者が会社を救う。
東芝の場合、少々それが遅かったようだが。

JR西日本を変えた「異端と多様性」
さらには組織の同質性が高いと、よけいにものを言えない/言わない集団となり、おまけに複雑性に対して弱くなるようだ。

『巨大システム 失敗の本質』に1990年代末にアメリカで設立された地方銀行のリストがある。
そこに載る銀行のうち、半分が2008年の金融危機から2年以内に倒産している。
面白いのが、取締役会における銀行家の割合が50%以上の銀行はすべて潰れ、50%以下はどこも生き延びていることだ。
同書は集団実験の結果から、同質な集団は仲間がミスをしたり、疑わしい判断をしたとき、後付けで好意的な解釈をする傾向にあると指摘する。
「そういうもんでしょ」と追認しがちになるのだ。

反対に多様性のある集団は、話の前提から疑ってかかるため、思慮深くなり、おまけに物怖じしないでものを言う。
そう、多様性こそが生き残る銀行とそうでない銀行の差であった。
しかし往々にして会社組織は同質性を好んで多様性を拒み、異端を排除してしまう。

たとえばオリンパスの粉飾決算事件。
不正会計の疑惑を知った社長のマイケル・ウッドフォードが菊川剛会長を問い詰めると、菊川は「あなたは日本人の心を知らない」と突き放す。
「同じ仲間の罪を暴いて晒すのは、日本人の美徳に反すると言っているに等しい」とそれを聞かされた者は感じたという(チームFACTA『オリンパス症候群』)。
そしてウッドフォードは社長を解任されてしまう。

反対に異端が同質性を打ち負かすのが、松本創『軌道』に書かれるJR西日本である。
2005年に起きたJR福知山線の脱線事故当時、JR西日本に「天皇」として君臨していた井手正敬は、「事故において会社の責任、組織の責任なんていうものはない。(略)個人の責任を追及するしかないんですよ」と主張。
そうした井手の考えに従うようにして、かねて事故に際しては、過密ダイヤや運行システムに目を向けることなく、当事者に懲罰を与えてきた。

脱線事故後、井手は誰もやりたがらない事故処理役の社長に山崎正夫を指名する。
多くの公共・インフラ系の企業がそうであるように、人事など管理部門が出世コースの中にあって、山崎は技術畑出身であった。
いわば異端だ。
そんな山崎は、くだんの事故を組織運営の結果としてとらえ、再発防止のために動く。
それどころか井手こそが事故を生んだ体質の元凶とみなし、追放してしまう。
自らを社長にしてくれた者には恩義を感じるものだろうが、山崎には遠慮がなかった。
やがてJR西日本は、「ヒューマンエラーは非懲罰とする」との方針に至る。
ミスを報告すると罰せられるのであれば、隠すようになる。
すると事例が集まらず、組織としての対策もできないからだ。

『巨大システム 失敗の本質』の目線でみると、言い出しにくい空気を変えることで、鉄道の運行という複雑性に対応したといえよう。

上司に「鼻毛、出てますよ」と言えない組織は危ない
こんな事例もある。アメリカ当局が1978年から1990年の間に起きた航空機事故を調べると、パイロットの過失による重大事故の実に4分の3近くは、機長が操縦しているときに起きていると判明する。
つまり経験の浅い副操縦士よりも機長のほうが過失事故を起こしていたのである。
それはなぜか。
『巨大システム 失敗の本質』は「機長が操縦を担当しているとき、副操縦士は異議を唱えづらく」「副操縦士は機長の不適切な決定に反論しない」からだと指摘する。

上司に「鼻毛、出てますよ」と言えるか……みたいな話であるが、この程度のことが重大な事故が起きる起きないを左右する。
航空機のような現代テクノロジーそのものの事故においてさえ、である。
いや、『巨大システム 失敗の本質』によれば、そうしたものだからこそ、なのである。
結局は人間関係に行き着くのだ。
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2018年12月29日

マスコミはなぜ”弱い者いじめ”に加担するのか?「メディアスクラム」恐怖の実態

マスコミはなぜ”弱い者いじめ”に加担するのか?
「メディアスクラム」恐怖の実態
2018年12月28日 デイリー新潮 編集部

 企業の不祥事、政治家の醜聞、芸能人の熱愛騒動、「時の人」の動静……すべてが消費の対象となる「ネタ」に過ぎないのが情報社会の宿命だ。
世間の反応がメディアの肩を押し、報道がひとり歩きを始め、ターゲットになったら最後、世間が飽きるまで追いかける……。
いわゆる「メディアスクラム」だ。

 福岡県の小学校に教員として務めていた川上譲さん(仮名、事件当時46歳)も、壮絶な体験をした被害者だ。
その発端は、受け持ちの児童の保護者との会話のなかで、何気なく口にした一言だった。
「アメリカの方と血が混ざっているから、裕二君(仮名)はハーフ的な顔立ちをしているんですね」

 児童の母親が「私の祖父がアメリカ人」だというのに答えての、他愛もない会話……だったはずなのだが、その後に
朝日新聞が〈小4の母『曾祖父は米国人』 教諭、直後からいじめ〉と報じ、恐怖の「メディアスクラム」が始まる。

メディアスクラムの恐怖とは
 記事はこう続く。
〈児童の親は、家庭訪問の際、教諭に、母親の曾祖父が米国人であることを話したのを境に態度が変わったとしており、差別意識が背景にあると主張〉
ーー川上さんには児童をいじめた記憶も事実もないし、ましてや彼をよく知る人間によれば、人種差別意識など持ちようもない大人しい人柄なのだが、西日本新聞、読売新聞、毎日新聞、地元テレビ局や週刊誌が次々と後追い報道を行った。

〈男児の両親は「息子は『死ね』と言われ、飛び降り自殺までしかけたことも分かった」として刑事告訴も辞さない構え〉(西日本新聞)
〈「死に方教えたろうか」と教え子を恫喝(どうかつ)した史上最悪の「殺人教師」〉(週刊文春)  

これらの報道を受け、川上さんは研修センター通いをさせられた上、教育委員会から停職6カ月の処分を受ける。
それは川上さんにとって、事実上の退職勧告とも言えるものだった。
脅迫状や嫌がらせの電話も数知れずという状況が、苦境に追い打ちをかけた。

児童の両親は川上さんに対して約1300万円の賠償を求める民事訴訟を起こすのだが、その先には思いもよらぬ展開が待ち受けていた。
裁判の過程で、こうした報道がすべて児童の母親の嘘に基づいたものだったことが判明したのだ。
児童にアメリカ人の祖父がいるということすら確認できなかった。

この悪夢のような事件を取材し、『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』にまとめたノンフィクション・ライターの福田ますみさんはこう語る。
「私も先入観を持って現場に入ったんです。
さまざまな報道を見て、『ひどい話だ』と思いながら、取材を始めました。
でも、現場で話を聞くと、どうも話が違う。首をひねりながら取材を続けるうちに、それまではメディアの取材に応じてこなかった川上さん本人から、長時間話を聞くことができました。

ちょうど川上さんが、校長や学校には自分を守る気がないんだ、自分の潔白は自分で証明しなければと痛感したタイミングだったんです。
その意味では、わたしがメディアスクラムに加担せずにいられたのは、たまたま幸運だったからだと思っています。
 メディアは、わかりやすい構図を求めがちです。
そして、その構図にあてはまる弱者には疑いの目を向けないことが多い。

この事件のケースでも、疑ってかかるのはどうしても教師や学校の側になってしまいました。
どうも変だと思った記者もマスコミにいなかったわけではないんですが、一度報道してしまうと、なかなか軌道修正できないんです。
多少バランスのとれた冷静な報道に変化する社もありましたが、論調をがらっと変えるのはなかなか難しいようです」

 残念ながら、こうしたメディアスクラムは、誰の身にも起きうるのが実情だ。
先の事件では、川上さんは10年にわたる裁判の結果、停職が取り消される幸運に恵まれたが、10年という時間はあまりに長い。
件の記事を書いた記者たちも、裁判の経過などには無関心だった。

 自分の身は自分で守るしかないのだろうか。
いや、報道を鵜呑みにしないことで、わたしたち「世間」の側がネタとして消費するのではなく、守れる人もいるはずだと信じたいものである。
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水道民営化をすれば水道代が安くなるという幻想

水道民営化をすれば水道代が安くなるという幻想
2018/12/28 HARBOR BUSINESS Online

 先日、極右系フェイクニュースをリツイートしているような人物から「水道を民営化をすれば行政の無駄を省き、画期的なアイディアで水道代を値下げできる」という主張を受けました。
一般的に「ネトウヨ」と呼ばれるジャンルの人なのですが、とにかく「水道民営化をすれば水道代は下がるんだ」という主張をしており、140文字のTwitterで一生懸命返信を試みたのですが、文字数に制限があると、なかなか伝えたいことが伝えられないので、このたび、しっかりと記事を書くことで納得していただこうと思いました。

 敢えてお名前などは伏せさせていただきますが、水道を民営化して水道代が下がることは「100%ない」と断言してしまってもいいほど、水道代が下がる理屈がありませんので、今から丁寧に解説させていただきます。

世の中には「水ジャーナリスト」と呼ばれる専門家たちもいて、僕はそういった方々の勉強会などに参加して知識を得ていますので、ぜひそういう専門家の意見も合わせて読んでいただけると幸いです。

◆水道料金が既に高い所は民営化の対象ではない
 事の発端は、こんなに水道料金が高い場所があって格差が激しいのだから、水道民営化をして料金を下げた方がいいじゃないかという話をされたことです。
町が破産をした北海道夕張市では月の水道料金が20立法メートルあたり6841円。
一方、水道料金が安い兵庫県赤穂市では、たったの853円だというのです。

 確かに、自治体によって水道料金は大きく異なり、全国一律じゃないのは不平等のようにも思えます。
しかし、水道料金が高い地域ではどうしてそんなに高いのか。べつに市役所がボッタクっているわけではなく、それだけコストがかかっているので、水道料金が上がるのはある意味、仕方がないことであると言えます。
 料金が高いところを見てみると、ほとんどが北海道に集中していることがわかります。
どうして北海道の水道代がこんなに高いのかと言うと、「北海道はでっかいどう」なので、各家庭に水道を引っ張るのにコストがかかります。
東京のように人口が密集しているところでは1kmの水道管をいくつもの家庭が利用することになりますが、隣の家まで3kmあると言われると、3kmの水道管を誰も利用しないということも平気であるのです。

 まず水道管1kmあたりの利用客が少ないので、人数で割った場合に高くなってしまうという問題があります。
さらに、北海道は冬になると水道管が凍ることも珍しくありません。
凍った水は膨張し、水道管を傷め、破損の原因になります。
東京よりもメンテナンスが必要になるという意味でも、北海道の水道代が高いのには理屈があるのです。

つまり、べつに市役所の職員が怠けていたから値段が高くなったわけではないということです。
 そして、民営化によって水道料金を安くすると言うなら、ぜひとも水道料金が6000円を超えるような可哀想な自治体でやってほしいわけですが、実は、水道民営化の法律ができても、北海道夕張市をはじめ、そもそも水道料金が高くて困っているような地域では水道は民営化されません。
理由はすこぶるシンプルで、「めちゃくちゃ手間がかかる割に儲からないから」です。

 あなたがビジネスをする時に「Aなら手間もかからずドル箱で儲かりますが、Bだと手間と時間ばっかりかかって全然儲かりません。さあ、どっちにしますか?」と聞かれて、Bを選ぶ人なんていないはずです。
「大阪市と夕張市、どちらで水道事業をやりますか?」と聞かれて、夕張市でやりたいという企業はありません。
 大阪市の人口は約270万人、夕張市の人口は約8600人です。
ましてや夕張市は破綻しているので行政サービスが十分ではなく、少子高齢化と過疎化が鬼のように進んでおり、これからますます人口が減っていくことが予想されます。
 人口が減るということは水道を利用する人が減るということになりますので、これから期待できる売上も減るということになります。
誰がどう考えても水道事業を請け負うとしたら大阪市だと思います。
夕張市は財政破綻している特殊な街ですが、このように少子高齢化が進んでいて、利益が期待できない街は日本中にたくさんあります。
そして、こういう街こそ水道代が高騰するリスクがあり、抜本的な改革が必要なのです。
しかし、企業は儲からない街には来てくれないので、過疎化が進み、水道のメンテナンスができなくなりつつある街は水道民営化の対象にならないのです。

◆「民間ならば無駄のない経営ができる」という幻想
「行政の仕事は無駄だらけだけど、民間企業なら無駄のない経営ができる」というのは完全なる幻想です。
 行政はその会計を非公開にすることはできません。
請求があれば情報を開示する義務があり、何にどれだけお金がかかっているのかをチェックされる運命にあります。
もちろん、無駄なものにお金がかかっていることもあるかもしれませんが、それらは原則として住民がチェックでき、「これが無駄だ」と指摘し、改善させることができます。

 これが民間の会社になってしまうとどうなるのか。
何にどれだけお金がかかっているのかを開示する義務は基本的にありません。
「そこらへんは自治体と契約する時にうまいこと開示するように義務づける」という人もいるかもしれませんが、企業も企業でそこらへんはうまいことやるのです。

 日産のカルロス・ゴーン会長がうまいことやって退職後にも巨額の報酬をもらおうとしていたのと一緒です。
行政だと絶対にあり得ませんが、キャバクラ代を接待交際費として領収書を切ってもらうこともできるようになります。
また、民間企業の場合には、働かずにお金を儲ける「投資家」という存在が入ってくることもコストを高くする原因になります。
株式を上場して企業の価値を高めれば、株価が高くなり、株主の資産も大きくなります。
株主配当を奮発すれば、ますます株価は上がり、株主の資産はもっともっと大きくなります。
利益を配管などのメンテナンスに使うのではなく、株主配当に使って、金持ち同士みんなでウマウマするという現象が起こるのも民間企業の特徴です。

つまり、民間企業なら無駄のない経営ができるというのは、「メンテナンスにかかる費用を最小限にするに違いない」という極めて部分的な話をしているに過ぎず、それ以外の「本質的な無駄」の部分を完全に無視していると言えると思います。

◆行政サービスを採算だけで判断する愚かさ
「過疎地の買い物難民のためにドローンを使った物資の供給などを提案したり、試行錯誤しているのも民間企業である。
採算性の薄いところに新しい切り口で提案できる能力は行政より民間の方が高い」という話もされました。
 ドローンには競争性があり、水道民営化には25年から30年の独占契約が結ばれることを考えると競争性がなく、ドローンと水道はまったく異なるのですが、ドローンの会社がどうして試行錯誤をしているのかと言えば、それは彼らが「ドローンに将来性を感じていて、きっと物資を運ぶためにドローンが活用される社会が来るはずだ」と考えているからです。

 もちろん、本当にそんな世の中が来たら、今から取り組んでいる企業には既にノウハウを蓄積されているわけですから、ライバル会社に差をつけ、先行者利益でバクバクに儲かる可能性を秘めています。
 つまり、彼らはボランティアのためにやっているのではなく、将来の利益のためにやっているのです。

 この「選挙ウォッチャー」という仕事も、今はまったく儲かりません。
もっと読んでくれる人が増えてもいいと思うのですが、選挙を面白いと感じてくれる人がまだまだ少ないため、ビジネスとして成立しているとは言い難い状況です。
しかし、儲からないのに、それでもやり続けている理由は、この仕事が世の中に必要だということもあるのですが、将来的にめちゃくちゃ儲かると考えているからです。
将来の利益のことを考えれば、今の苦しさは耐えるに値するものだと考えているのです。
 このように「採算性が薄いのにやる」ことには何らかの理由があって、理由もないのに採算性の合わないことをやっている人は、よほど何も考えていない人です。

また、ドローンを使ってどのようなビジネスをするのかを考えるのは行政の仕事ではありません。
行政は「利益」を考えるところではなく、市民や国民に何をしたら有益であるかを考えるところであり、それは図書館のように運営だけを見たら赤字になるようなことでも、市民や国民のために有益であると考えればやるところです。

 そのうち「図書館を作るなんて税金の無駄だ!」と言い出すバカタレが出てくるんじゃないかとヒヤヒヤしていますが、行政サービスにおいて「採算が合うか合わないかだけを見る」というのはバカのすることです。民間企業が新しい切り口を提案するのは、いつも「儲かるから」であることを忘れてはなりません。

◆自治体が「選べる」から大丈夫?
 今回の水道民営化は、確かにコンセッション方式を「選べる」という話なので、自治体が拒否したら水道民営化にはなりません。
しかし、「だから大丈夫だ」という話にはなりません。
 ほぼ100%と言っていいほど地獄を見ることが明らかなのが水道民営化なのです。
これは「室内にガスを充満させても火をつけなければいいだけだから大丈夫」と言っているに過ぎません。
本当に望ましいことは室内にガスを充満させないことなので、そもそもガスを充満させなければ爆発は起こりません。
火をつけたらアウトというところまで持っていくこと自体がナンセンスなので、水道民営化法案なんて通さない方がいいに決まっているのです。

しかも、水道を民営化したい企業はアイディアを持っているわけではなく、商売させてもらいたいだけです。
商売させてもらうためにいろいろなプレゼンをするでしょうけど、それでみんなが幸せになるかと言ったら幸せになんかならないのです。
 だいたいマイナンバーカードを作る時だって「情報漏洩が起こるから危険だ」と言っていた人たちはたくさんいましたが、「情報漏洩は絶対に起こらない」と言いながら、作業が忙しいから別の下請け会社に振ってしまう例が多発。
その中には中国の企業もあって、ファーフェイが問題になっている以上にヤバい事態を自分たちの手で作り出しており、握られてはいけない個人情報がとっくの昔に中国に流出した可能性もあるのです。
こんなにバカなんですから、水道民営化でハッピーになるはずがありません。
そもそも守らなければならないものを民間企業に委託すること自体が極めて愚かな行為なのです。

◆「民間企業に任せれば解決」って話ではない
 行政に任せていて水道代の格差が是正できるかと聞かれたら、都会と田舎では水道代にかかるコストが全然違うし、水道の水を引っ張ってくるための川が近いかどうかによってもコストが変わってくるので、そもそも全国の水道代を一律にするというのは非常に難しいでしょう。
 しかし、これは民間企業に任せたからといって解決するものではありません。

 民間企業に任せて水道代が高くなり、北海道夕張市のような水道料金の高い地域との格差はなくせるかもしれませんが、これではまったく意味がありません。
本当なら水道料金の高い地域を低い地域に合わせることで格差を解消しなければならないのに、高い所に合わせるぐらいだったら下手に民営化しないで水道料金を安いままに据え置いた方がよっぽど生活しやすくなるからです。
それに、水道料金の地域格差をなくすために水道を民営化するのではなく、水道事業を担う人たちも利益を得るのが目的なわけで、そのために彼らを儲けさせるために民営化することが目的なので、何をどう考えても水道料金が安くなることは絶対にないのです。

◆「採算の取れているところで利益を貪られる」
 採算が取れないエリアでは民間企業が参入することはないので行政が継続します。
民間企業が入ることで水道代が安くなるというなら、採算が取れないエリアほど民間企業に入ってほしいのに、採算の取れている所に民間企業が入るので意味がないのです。
「すべてを民営化しなさい」というわけではないからいいじゃないかと言いますが、そもそも愚かな選択肢を提案されているわけで、そんな選択があること自体がナンセンスなのです。

 採算の見込めない所では民間企業が参入しないのだから心配ないじゃないかと言いますが、採算の取れている所に民間企業が入って収益を貪ることが問題なのです。
その問題点に気付かずにネットでカラんでいる人がいるのですから、こういう人たちのせいで何も考えない人たちがなんとなく水道民営化に賛成してしまい、結局、僕たちの水道代が高くなるということは知っておいていただきたいところです。

◆明確に「悪手」な水道民営化
 今回はネトウヨの質問に答える形で水道民営化についての問題点をまとめてみることにしました。
これからもネトウヨの皆さんが「水道民営化をすればバラ色の未来が待っている」ってな話をしてくると思いますが、どれもキッチリと「それは嘘だ」ということを説明していきたいと思います。

「水道民営化=悪」というイメージを振りまいていると言っている人もいるのですが、明らかに「悪手」なのです。
それは諸外国ではすでに「再公営化」の流れになっていることからも明らかです。
 何か一つでも国民にメリットがあればいいですが、水道事業をする企業が儲かる以外のメリットは何もありません

何の解決にもなっていないので、一つ一つ丁寧に説明していく必要があると思います。
水道民営化の問題はいろいろと真っ黒なので、竹中平蔵の思惑通りに事を進めないためにも、みんながしっかりとした知識を持つことが必要です。

<取材・文/選挙ウォッチャーちだい(Twitter ID:@chidaisan)>
ちだい
選挙ウォッチャーとして日本中の選挙を追いかけ、取材活動を行う。
選挙ごとに「どんな選挙だったのか」を振り返るとともに、そこで得た選挙戦略のノウハウなどをTwitterやnote「チダイズム」を中心に公開中。
立候補する方、当選させたい議員がいる方は、すべてのレポートが必見。
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2018年12月30日

フザケた政策説明ズラリ 自民党が作成“言い訳マニュアル”入手

フザケた政策説明ズラリ 自民党が作成“言い訳マニュアル”入手
2018年12月29日 日刊ゲンダイDIGITAL

年末年始を地元で過ごす自民党議員が「例年になく憂鬱だ」とこぼしていた。
臨時国会で、国民の反対が強い入管法改正や水道法改正を強引に成立させたことで、地元の有権者から突き上げを食らうのは必至だからだ。
「多くの議員から『地元でどう説明していいか分からない』
『実は自分も内容を理解できない』という声が上がっていました。

消費税増税の対策も複雑で分かりづらいという批判がある。
そこで、有権者から特に厳しい意見が出そうな法改正などについて、政務調査室と広報本部が説明用の政策パンフレットを作成。
所属議員に配布されました」(自民党関係者)

 日刊ゲンダイはこのパンフレットを入手。
内容は出入国管理法改正、水道法改正、漁業法改正、消費増税対策の住宅購入支援と自動車関連の減税についての5項目で、A4サイズで計16枚のペーパーだ。

Q&A方式の想定問答も書かれている。 
 最も分量が多いのが出入国管理法改正のQ&Aで、6ページに及ぶが、中身はお粗末きわまりない。
例えば、「在留資格の創設は『事実上の移民解禁』では?」という問いへの模範解答はこうだ。
「安倍総理は国会審議の中で、『いわゆる移民政策を取ることは考えていない』と明言しています」
「安倍総理が言ったから」なんて、何の説明にもなっていない。

■子供だましが通用するはずなし
「将来、日本人の職が奪われてしまうのでは?」という不安には「国内の景気変動などで、外国人材の受け入れが必要でなくなった場合には、受け入れを一時的に停止する規定を設けています」と回答。
安倍首相は国会審議で「雇用の調整弁ではない」と答弁していたはずだが……。

法務省に問い合わせると「条文に受け入れ停止の規定はありますが、景気については書かれていません」(入国管理局総務課)とのことだった。

 水道法改正についても、「民間事業者に運営を任せると水道料金が高騰しないか?」「安全性に問題が生じないか?」などという問いには、すべて「厚生労働大臣が内容を確認した上で、許可する仕組みになっている」と説明。
到底、納得できるものではない。

 驚くのは、自動車関連の減税を説明するペーパーに「(消費税が上がる)10月以降に買う方が断然トク」と書いてあることだ。
「燃費基準達成、排気量996t、車両価格(税抜き)135.5万円の自動車の場合」を例に、購入時に納める税が1万7000円減り、自動車税が年間4500円減るとしているが、消費税2%アップによる負担額は約2万7000円だ。
こんな子供だましが通用すると思っているのか。

この程度の優遇策で来年10月まで買い控えられたら、自動車業者もたまらないだろう。
 苦し紛れの言い訳が並ぶパンフレットが、これらの政策のデタラメぶりを物語っている。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☀| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月31日

玉川徹「そもそも総研」が“ネトウヨの正体”を検証

玉川徹が『モーニングショー』で「ネトウヨの正体」を追及!「なんで私のことを反日、パヨクというのか」
2018.12.29 LITERA編集部

 27日に放送された『羽鳥慎一モーニングショー』で、テレビ朝日社員の玉川徹氏のコーナー「そもそも総研」が話題になっている。
というのも、普段、ネット右翼から目の敵にされている玉川氏自らが、「そもそもネトウヨとはいったい何者なのだろうか?」とのテーマで取り上げたからだ。

 「私もネトウヨのかたからいっぱい言われているらしい」
「反日だとかパヨクだとか」と話す玉川氏。
まず、番組VTRでは、本サイトでもお伝えしたように(https://lite-ra.com/2018/05/post-4016.html)、
「余命三年時事日記」なるネトウヨブログの扇動によっていわれのない懲戒請求を大量に受けた弁護士のひとり、北周士弁護士にインタビュー。
現在、北弁護士は懲戒請求をした全員に損害賠償を求めた訴訟の提起、あるいは謝罪と和解を呼びかけている。

 北弁護士は、「懲戒請求者は一番若い人で40歳。一番上の人で70代」と把握していると話す。
玉川氏は「僕のイメージだと、そういうふうなことをする、いわゆるネット右翼という人は、ある種若くて引きこもったり、そういう人だというイメージがあったんですけど」というが、北弁護士が会った人は、多くは50〜60代で、職業も会社経営者や医師など、それなりに社会的地位が高い人というのだ。

 さらに、玉川氏はネトウヨ雑誌「ジャパニズム」(青林堂)の元編集長で、自身も「かつてネトウヨだった」と自認する古谷経衡氏にもインタビューをした。
古谷氏は以前から、ネトウヨは巷間思われている「若者の貧困層」という説に異を唱え、独自の調査で「実態は40代の富裕層が多い」などと主張してきた。

 玉川氏が「よく私も反日とかパヨクとか言われてるらしいんですけど、いったい(ネトウヨは)私のどこが反日だと思って(いるのか)。
(自分は)日本のことを考えて話しているんですね」と尋ねると、古谷氏はこう語った。

まずネット右翼と呼ばれる人たちがいわゆる反日、まあ左翼の変化形がパヨクなわけですけれども、それが敵認定するときの基準というのは、韓国と中国と朝日新聞、この3つ、これが嫌いかどうかです。
単純にこれだけ。
一個でも好きだったら反日。一個でも好きだったらパヨクです。
それだけ。思想とかイズムはないんですよ」

 実のところ本サイトの編集部にも、ネトウヨの“捨てアド”からしょっちゅう頭の悪いメールが届くが、まあ、この古谷氏の分析はあたっていると言えるだろう。
あえて具体的に紹介はしないが韓国・朝鮮人、中国人に対する差別語を用いた内容や、「朝日の別働隊」とか「お前ら反日を叩き潰してやる」というような中身のない中傷(?)がほとんどだからだ。
 また、番組では古谷氏の分析として、実際にはネトウヨの数は多くはないが、ネットで声が大きいことで、これを世論だと勘違いしたメディアが抗議を恐れ、自粛や忖度することの危険性が指摘された。
そして、スタジオでは玉川氏が、「ネット右翼に過剰に反応しても意味はない」
「テレビにしろメディアにしろ、それから講演とかね、そういうようなのもちょっと電話かかってくるかもしれないけど、大したことではないんで、そういうので恐れずちゃんとやりましょう、われわれは、という(自戒の)意味を込めて」と締めくくった。

 実際、ネトウヨたちの“電凸”と呼ばれる抗議等によって、リベラル系識者の講演会が中止に追い込まれたり、日本軍の戦争犯罪をめぐる映画上映会に圧力が掛けられたりという事例が、近年相次いでいる。
だが、こうした下劣な行為に怯えて、メディアが伝えるべきことを伝えず、言論が萎縮してしまったら、それこそ連中の思う壺だろう。

ネトウヨの実態を検証するも、安倍政権やネトサポとの関係にはふれず
 いま、ネトウヨたちは「『そもそも総研』ネトウヨ特集は玉川氏の私怨」なる意味のわからないことをほざいているようだが、玉川氏の「過剰に反応しても意味はない」「恐れずやる」という結論は、メディア人としてはまっとうな宣言といえる。  

ただ、本サイトとしてはひとつ物足りなさを感じたのも事実だ。
というのも、番組では、ネトウヨの個人的なプロフィールを探ることに注力されたが、その一方で、安倍政権との親和性についてはまったく触れられなかったからだ。

 本サイトでは何度もお伝えしているが、そもそも自民党は下野時に「自民党ネットサポーターズクラブ」(J-NSC、通称ネトサポ)なるネット有志の別働隊を組織。そのメンバーを自称するアカウントが政敵のネガティブキャンペーンを連呼すると同時に、中国・韓国へのヘイトを連発する傾向にあることを指摘してきた。
ようは、自民党はネトウヨを組織化することで、ネット工作をしてきたわけである。

 また、それまでネット上でクダを巻いていたネトウヨたちが、現実の路上に出て、ヘイトスピーチやヘイトクライムを犯している事実も置き去りにされている。
そして、在特会に代表されるそれらヘイト市民運動の関係者らが、片山さつき・地方創生相や、“生産性がない”発言の杉田水脈衆院議員や和田政宗自民広報副本部長など、安倍首相の覚えがめでたい政治家たちと昵懇であることも忘れてはならない。

他にも在特会との関係が裁判所からも認定された稲田朋美元防衛相、在特会関係者とのツーショットが海外からも批判を浴びた山谷えり子・元国家公安委員長などあげていけばキリがない。
つまり、安倍政権の政治家たちはずっと、ネトウヨからヘイト団体への連なる流れと一緒に歩んできたのである。
 そして、これは言うまでもないことだが、ネトウヨの大部分は安倍政権を支持している。

番組では、古谷氏が2014年衆院選での次世代の党(その後「日本のこころを大切にする党」などへ移行し、政党としては消滅)への比例得票数から、ネトウヨの数はだいたい200万人ほどであると分析していたが、実際には、ネトウヨの全てが次世代の党に投票したわけではない。
むしろ、安倍自民党に投票した者たちのほうが多いと考えるのが自然だろう。

 その意味では、『モーニングショー』は、ネトウヨのプロファイリングやその影響力の推測だけで終わらせるのではなく、逆に、現政権がいかにネトウヨに接近してきて、あるいは内閣自身がネトウヨ化しているかについても、きっちりと言及してほしかったところだ。

 いずれにせよ、たとえネトウヨが“ノイジーマイノリティ”だとしても、その言説が差別やデマを垂れ流すものであることに変わりはなく、過小評価すべきではない。
そして、実態としていかに少数であろうが、ネットというひとつの空間においては、残念なことに「市民権」を得ており、政権との相乗効果で新聞・テレビなどの論調にも明らかに一定の影響を及ぼしている事実を受け止めなくてはならない。

 ネトウヨの言うことにいちいち耳を貸さなくてもよいが、無視すれば際限なく悪意は広がる。
弁護士に対する大量の懲戒請求事案は、そのひとつの例ではなかったか。

ネトウヨたちが徹底的に間違っていることを、しっかり示していくのがメディアの役割だろう。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本年、応援ありがとうございました。

今日は大晦日、あと10時間で今年も終わります。
2018.12.31  小だぬき

皆さま一年間お付き合いいただきホントにありがとうございました。
すでにお正月の準備を済まされた方、大晦日でもまだ忙しく準備されている方もあると思います。
今年もあとわずかで新しい年を迎えることになりましたが、今年も多くの皆さまに本当にお世話になりました。

来年こそ安倍政権の暴走売国政治を終わらせ、
国際社会からさすが国民主権・平和希求の国の日本だと国際社会から尊敬され、
国内的には安倍暴走政権を終わらせ、憲法改悪阻止、
東日本大震災、熊本大地震、大阪地震、豪雨災害の復旧・復興や福島原発事故の収束、沖縄辺野古新基地の建設阻止、消費税の増税阻止、
そして多くの国民が希望の持てるよい1年でありますよう、また、皆さまがご健勝で幸多かれとお祈りしております。

PS.私の身体 *要支援2、うつ病障害認定
@脳梗塞
A心筋梗塞
B頸椎狭窄(5月に手術)
C脊椎狭窄と骨変形
D胆嚢切除による肝臓監視
E右股間接異常
F大腸憩室4ケ所
Gうつ病(年金2級、手帳3級)
H糖尿病要経過観察
I内臓ポリープ

一つでも来年は 改善させていきたいと思います。 春先には 脊椎狭窄と股間接を予定しています。

posted by 小だぬき at 13:48| 神奈川 ☀| Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする