2018年12月02日

「自己責任論」の前提と限界、・人の尊厳・被害者・貧困・・・

起源は江戸時代の「自己責任論」
 論者が分析するその姿
2018.12.01 NEWSポストセブン

 ここまで世論が極端に割れることは、珍しい。
内戦下のシリアで、武装勢力に拘束されたジャーナリストの安田純平さん(44才)が10月末、約3年4か月ぶりに解放されて帰国したことについての、日本社会の反応である。

 日本政府による渡航自粛要請を無視して現地入りした後、武装勢力に拘束されて多額の身代金を要求された安田さんを待っていたのは、助かってよかったという安堵の声と、激烈なバッシングだった。
どちらかというと、後者の方が声が大きく、「国に迷惑をかけるな」「われわれの税金を無駄遣いするな」などという「自己責任論」が吹き荒れた。

 影響力の大きな人たちはこんな発言をした。
ビートたけし(71才)は登山家が山で遭難したケースを挙げ、「成功すればいい写真や名誉を得られるけど、失敗した場合は救助隊にお金を払うでしょ? この人は失敗したんじゃないの?」と指摘。

橋下徹前大阪市長(49才)はネットテレビで、「そこは結果責任で、税金を使って政府の国際テロ情報収集ユニットを使って労力をかけたんだから、帰ってきた時には『すみません、結果出せませんでした。ごめんなさい』と言うのは当然だと思う」との意見を表明した。

 一方で擁護派も現れた。
ダルビッシュ有選手(32才)は「自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう」とツイート。
辛坊治郎キャスター(62才)がテレビ番組で自己責任論に対し、「こんなこと普通、議論にならないレベルの話」と指摘すれば、
アルピニストの野口健(45才)は、「安田さんへの過剰な又は感情的なバッシングはこれからの報道姿勢を抑圧してしまう」とツイートした。

 渦中の安田さんは帰国後に開いた会見で、「私自身の行動によって、日本政府が当事者となってしまったことを申し訳なく思います」と頭を下げ、「自己責任」が叫ばれる日本社会の現状について「批判、検証をいただくのは当然。紛争地に行く以上は自己責任であると考えている」と述べた。
 海外メディアから「謝罪の必要があるのか」との質問が出ると、こう答えた。
「私の行動にミスがあったのは間違いないのでお詫びを申し上げた」

「自己責任」をめぐる侃々諤々の議論が起こるのは、安田さんのような戦場取材のケースに限らない。

 2012年にお笑い芸人の親族が生活保護を受給していたことが発覚した際には、自民党の片山さつき参院議員(59才)が、「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です」とツイートし、国会議員として生活保護の削減に取り組む意向を示した。
生活が困窮しても国を頼るな、自分の責任で何とかしろ、という主張である。

 2015年に中学1年生の男女が早朝の街で連れ去られ、遺体で発見された寝屋川市中1男女殺害事件や、2017年にネットを媒介にして9人の男女が殺害された座間9遺体事件などの凶悪犯罪でも、「子供が真夜中に出歩くのはおかしい」「見知らぬ男の家に行くのも悪い」などと、“被害者の落ち度”を責める自己責任論がネット上にあふれた。

◆攻撃性を帯びる「自己責任」
 作家の北原みのりさんは、「自己責任論は弱い立場の人たちに対して言われることが多い」と指摘する。

「顕著な例がわいせつやセクハラ問題です。
例えば東大男子学生3人が起こした強制わいせつ事件(2016年)の際は、『被害女性が東大生を狙っていた』とバッシングされましたし、
ジャーナリストの伊藤詩織さんが元テレビ局記者にレイプされたと訴えた際(2017年)も、『夜遅くに男とデートした彼女もそのつもりだったんだろう』と叩かれました。

 またシングルマザーなどをめぐる貧困問題でも、『結婚相手を見極めなかった女が悪い』『貧乏なのは努力が足りないから』と自己責任を口にする人が多いことに驚きます」

 弱い立場にある女性に向けられる自己責任論に、北原さんは忸怩たる思いを抱く。
「“女は男に従うもの”“女は責任を取らなくていい”という時代が長く続き、自立を果たせなかった女性にとって、“自分の人生は自分で決める”ことを意味する『自己責任』という言葉には、とても尊い価値がありました。

 ところが最近は、窮地に陥った女性に対し、“自己責任だから仕方ない”という声が投げかけられるようになった。
自己責任という言葉が、人の尊厳を奪って被害者を苦しめるものになっています」
北原さんが指摘するように、自己責任という言葉は近年ますます攻撃性を帯びている。

 日本社会における自己責任論の起源はどこにあるのか。
「その兆しは、江戸時代にうかがえます」 と指摘するのは、著書に『貧困と自己責任の近世日本史』(人文書院)がある奈良大学文学部教授の木下光生さんだ。

「江戸時代は、わずかな武士などを除くほとんどの人が農業を中心とした自営業で、“自分のことは自分で行う”という意識や慣行が根づいていました。
もちろん当時は『自己責任』という言葉は存在しなかったでしょうが、作物づくりに失敗した農家が、“自分の責任だ。
村には迷惑をかけられない”という恥の意識にさいなまれて、夜逃げするケースなどがありました」

 ただし、現在と大きく異なる点もある。
それは、自己責任が村による「救済」とセットだったことだ。
「貧しくて年貢が納められない農民がいれば、村が肩代わりするなどして救済していました。
けがや病気、天候不順などでの失敗(不作)のリスクは、すべての村人に隣り合わせのことであり、“困った時は、お互いさま”という意識も強かった。

 その代わり、助けられた農民は物見遊山などのぜいたくが禁じられたり、村に名前を張り出されるといった社会的制裁を受けた。
自営業者としての縦のラインと、村という横のつながりがセットになって、相互扶助を行うシステムが機能していたんです」(木下さん)

 戦後になると、村などの地域共同体は次々と消失した。
「それとともに農業を中心とした自営業者は減り続け、サラリーマンを中心とした賃金労働者が大半を占めるようになりました。
誰かに雇われる立場にあるということは自立度もリスクも低くなる。
同時に、江戸時代のように村などの共同体が個人を救済する横のつながりが希薄になっていき、
結果として、トラブルが起きても“自分のことは自分で行い、他人を頼らない”という自己責任ばかりに重きを置く社会になったのです」(木下さん)
      ※女性セブン2018年12月13日号
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする