巨大組織を破滅に導く「ほんのささいな」忖度
上司に「鼻毛、出てますよ」と言えますか?
2018/12/27 東洋経済
urbansea : ノンフィクション愛好家
電力網から浄水場、交通システム、通信ネットワーク、医療制度、法律まで、生きていくには私たちの暮らしに重大な影響を及ぼす無数のシステムに頼るしかない。
だが時にシステムは期待を裏切ることがある。
カルロス・ゴーン追放劇、東芝の不正会計、福知山線脱線事故から「上司の鼻毛」まで、まったく異なるような出来事であるにもかかわらず、その「失敗の本質」は驚くほどよく似ているという。
ノンフィクション愛好家であるurbansea氏が、『巨大システム 失敗の本質』を読み解きながら、その本質に迫る。
*****************************
「ゴーン」追放劇を招いた組織の空気
結婚式費用の支払いや私的な投資の損失補填をさせたり、はたまた業務実態のない姉に報酬を払わせたり……。
日産のカルロス・ゴーン追放劇では、ゴーンが会社を食い物にする実態が次々と報じられていった。
まるで第1報の「ゴーン逮捕へ」を情報解禁の合図とでもしたかのようで、情報操作か何かかと勘繰ってしまうところだが、それはそれとして、権力者や地位のある者が会社に「私」を持ち込むことは、日産やゴーンほどの者でなくとも、平々凡々の会社の平々凡々の会社員のなかにも見られるだろう。
ささいなことでいえば、家族などとの私用の電話を、地位の高い者はオフィス内の座席からするが、地位の低い者はわざわざ廊下に出て行う。
デスクに私物を置く置かないも同様だ。
私事に限らず、会社組織にあっては地位が高くなるほど遠慮がなくなり、低くなるほど遠慮がちになる。
こうした意識が時に組織の腐敗や壊滅的な事故を招く。
先頃刊行された『巨大システム 失敗の本質』(クリス・クリアフィールド、アンドラーシュ・ティルシック)は、さまざまな実例や心理実験などを基にして、その実相を詳らかにしていく。
本書に面白い実験のエピソードがある。
面識のない3人にディスカッションを行わせ、そこにクッキーを盛った皿を差し入れる。
するとまず全員がクッキーを1枚ずつ取る。
では2枚目に最初に手を出すのは誰か。
事前に1人に対して、密かにほかの2人を評価するように指名しておくと、評価者というささやかな権力意識を得たその者が2枚目に手を出すのであった。
おまけにそういう者に限って、食べ方もひどく汚かったという。
人はちょっとしたことで特権意識を持ち、たちまち傍若無人な振る舞いをするようになる。
国会で首相秘書官が野党議員をヤジる、あれもそうだろう。
権力者はもとより、それによって地位を与えられた者は、慎みを失っていく。
しかし組織の腐敗や事故はこうした者だけが引き起こすのではない。
2枚目のクッキーに手を出さないような、慎み深い者らの遠慮もその要因となる。
彼らが見逃すことで事態を悪くしていくからだ。
『巨大システム 失敗の本質』を頼りにして、会社組織で起こる失敗を思うとき、言い出しにくい空気と「複雑性」(本書の重要なキーワード)とが絡むことで、その要因が生まれるのだと改めて気づくことになる。
組織を支配する「複雑性」の罠
ここでいう「複雑性」とは何か。
たとえばダム。
かつては番人が水位を見て放水の必要があると思えば、ゲートを開け、水位もゲートの開き具合も目視で確認していた。
それが今では複数のセンサーなどで得られる情報を遠隔で監視するシステムとなっている。
これが複雑性だ。
ここでシステムに異常が起きたら……。
ゲートは開いたはずなのに、水位が上がっていく。
開閉機器のトラブルなのか、センサーの異常なのか、何が何だかわからない。
そんな事態に陥ってしまう。
こんな具合に「なにかただならぬことが起きている。しかしそれがなにかはわからない」、複雑性は時に、こうした事象を引き起こす。
それが腐敗の場合は「適法とは言い難い、しかし違法との確信もない」、いわばグレーゾーンのなかで生まれ、「暗黙の了解」として組織に広がっていく。
労務問題などはそれがとくに蔓延する領域だろう。
残業時間の過少申告などに始まり、やがてタイムカードの書き換えなどが、さも正当な業務であるかのように日常化していく。
そこにあっては、「言っても無駄」どころか、言うと自分の立場を危うくする、いわば「物言えば唇寒し」の空気が組織を支配する。
「複雑なルールがあり、それを自分たちに都合よく利用した」。
『巨大システム 失敗の本質』に引用されるエンロン幹部の言葉である。
エンロンは莫大な簿外債務などの不正会計によって破産するのだが、複雑な事業モデルと会計ルールが、監査法人や金融当局の目から不正を隠し続けたのである。
複雑ゆえに不正は隠され、薄っすらと気づいたとしても複雑ゆえに不正だと確信が持てない。
こうした腐敗の内情をあらわにしたものに小笠原啓『東芝 粉飾の原点』がある。
これは東芝および関連会社の一般社員やOBなどから『日経ビジネス』に寄せられた、800件以上の内部告発を中心に編まれたものだ。
東芝の不正会計は、1人の社員が証券取引等監視委員会への内部告発をしたことで明るみに出る。
それをきっかけにして堰を切ったようにその実態の告発が噴出したのである。
逆を言えば告発する者がいなければ、いつまでも皆、黙っていたのだ。
「物言えば唇寒し」の空気のなかで「王様は裸だ」と声を上げる者が会社を救う。
東芝の場合、少々それが遅かったようだが。
JR西日本を変えた「異端と多様性」
さらには組織の同質性が高いと、よけいにものを言えない/言わない集団となり、おまけに複雑性に対して弱くなるようだ。
『巨大システム 失敗の本質』に1990年代末にアメリカで設立された地方銀行のリストがある。
そこに載る銀行のうち、半分が2008年の金融危機から2年以内に倒産している。
面白いのが、取締役会における銀行家の割合が50%以上の銀行はすべて潰れ、50%以下はどこも生き延びていることだ。
同書は集団実験の結果から、同質な集団は仲間がミスをしたり、疑わしい判断をしたとき、後付けで好意的な解釈をする傾向にあると指摘する。
「そういうもんでしょ」と追認しがちになるのだ。
反対に多様性のある集団は、話の前提から疑ってかかるため、思慮深くなり、おまけに物怖じしないでものを言う。
そう、多様性こそが生き残る銀行とそうでない銀行の差であった。
しかし往々にして会社組織は同質性を好んで多様性を拒み、異端を排除してしまう。
たとえばオリンパスの粉飾決算事件。
不正会計の疑惑を知った社長のマイケル・ウッドフォードが菊川剛会長を問い詰めると、菊川は「あなたは日本人の心を知らない」と突き放す。
「同じ仲間の罪を暴いて晒すのは、日本人の美徳に反すると言っているに等しい」とそれを聞かされた者は感じたという(チームFACTA『オリンパス症候群』)。
そしてウッドフォードは社長を解任されてしまう。
反対に異端が同質性を打ち負かすのが、松本創『軌道』に書かれるJR西日本である。
2005年に起きたJR福知山線の脱線事故当時、JR西日本に「天皇」として君臨していた井手正敬は、「事故において会社の責任、組織の責任なんていうものはない。(略)個人の責任を追及するしかないんですよ」と主張。
そうした井手の考えに従うようにして、かねて事故に際しては、過密ダイヤや運行システムに目を向けることなく、当事者に懲罰を与えてきた。
脱線事故後、井手は誰もやりたがらない事故処理役の社長に山崎正夫を指名する。
多くの公共・インフラ系の企業がそうであるように、人事など管理部門が出世コースの中にあって、山崎は技術畑出身であった。
いわば異端だ。
そんな山崎は、くだんの事故を組織運営の結果としてとらえ、再発防止のために動く。
それどころか井手こそが事故を生んだ体質の元凶とみなし、追放してしまう。
自らを社長にしてくれた者には恩義を感じるものだろうが、山崎には遠慮がなかった。
やがてJR西日本は、「ヒューマンエラーは非懲罰とする」との方針に至る。
ミスを報告すると罰せられるのであれば、隠すようになる。
すると事例が集まらず、組織としての対策もできないからだ。
『巨大システム 失敗の本質』の目線でみると、言い出しにくい空気を変えることで、鉄道の運行という複雑性に対応したといえよう。
上司に「鼻毛、出てますよ」と言えない組織は危ない
こんな事例もある。アメリカ当局が1978年から1990年の間に起きた航空機事故を調べると、パイロットの過失による重大事故の実に4分の3近くは、機長が操縦しているときに起きていると判明する。
つまり経験の浅い副操縦士よりも機長のほうが過失事故を起こしていたのである。
それはなぜか。
『巨大システム 失敗の本質』は「機長が操縦を担当しているとき、副操縦士は異議を唱えづらく」「副操縦士は機長の不適切な決定に反論しない」からだと指摘する。
上司に「鼻毛、出てますよ」と言えるか……みたいな話であるが、この程度のことが重大な事故が起きる起きないを左右する。
航空機のような現代テクノロジーそのものの事故においてさえ、である。
いや、『巨大システム 失敗の本質』によれば、そうしたものだからこそ、なのである。
結局は人間関係に行き着くのだ。