2019年01月15日

戦時中「竹槍ではB29を落とせない」と言った 空気を読まない人はどうなったのか?

戦時中「竹槍ではB29を落とせない」と言った、空気を読まない人はどうなったのか?
2019.1.15 ダイヤモンドオンライン
鈴木博毅
ビジネス戦略コンサルタント・MPS Consulting代表

戦時中、日本では竹槍でアメリカの爆撃機B29を落とそうとする訓練が行われていたという。
物理的に考えれば届くはずがないのに、多くの人はこの竹槍訓練を行っていた。
勇気ある人が「B29には届かない」と言ったとき、その人は一体どうなったのか。
日本国民の多くが竹槍で戦う「空気」に縛られたとき、そこに「水を差す」人に対する恐るべき対応とは?
日本人が次第に「常識」に縛り付けられていく精神性の謎を読み解いた、日本人論の決定版、山本七平氏の『「空気」の研究』をダイジェストで読む。
新刊『「超」入門 空気の研究』から、内容の一部を特別公開。
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水(雨)は、あなたを別の形で拘束している
「空気」は、何らかの不都合な現実に対する対極的な世界観として、日本人を拘束してきました。
 一方で、「水を差す」などの表現にある、現実を土台とする前提の「水」、その連続としての「雨」は、ネガティブな方向、あれもダメ、これもできないという萎縮の拘束です。

 加熱した空気を崩壊させる「水」は、一見したところ私たち日本人を、「空気」の拘束から解放してくれる自由への道具だと思われました。
 しかし、無謀な空気を現実に引き戻す一方で、一般常識や現実的な視点に、私たちを拘束する別の鎖でもある。
これでは、自由を求めていたはずの日本人は、希望を失わざるを得ません。

水はやがて日本人を「常識」に縛り付ける
 水の集合としての雨は、日本の文化的な常識(通常性)とも言えます。
「おじぎ」という奇妙な体型をとれば相手もそれとほぼ同じ体型をとるという作用が通常性的作用(中略)
信号が赤になれば、田中元首相の車も宮本委員長の車も、反射的にとまるであろう。
これが空間的通常性

 しかし、山本氏は恐ろしい指摘もしています。
水と雨が、実は対極であるはずの「空気」を醸成する基盤になっていることです。
 われわれは、非常に複雑な相互関係に陥らざるを得ない。
「空気」を排除するため、現実という名の「水」を差す。
従ってこの現実である「水」は、その通常性として作用しつつ、今まで記した「一絶対者・オール3」的状態をいつしか現出してしまう。
 対極であるはずの水が、その通常性ゆえに、日本人を拘束する「空気」に変容する。
これは一体、何を意味しているのでしょうか。
水は「世の中そういうもの」という通常性をぶつけてくる
「水=現実を土台とした前提」は、通常性を基にして判断させようとします。
理想や夢を高く掲げると、「世の中そんなに甘くない」とすぐに水を差す人が現れます。
これは現実を土台とした否定的な前提を突き付けているのです。

 もし声高に主張すれば、理不尽なことも通ってしまうなら、空気と水はどうなるか。

「この理不尽な前提を受け入れさせてやろう!」=異常性を押し付ける「空気」
「常識的にそんな勝手が通っていいはずがない」=異常性に反論する「水」
「世の中そんなものですよ、残念ながら」=通常性としての「水」

 空気(願望的な前提)に、現実的な視点を提示し続ける(水を差す)と、次第に「これまでどおりで行くべきなのかな」となってきます。
異常性に「通常性で」反論すると、最後は日本社会の慣習的な姿になるからです。

前例主義のように、「水」が現状のゆがみも通常性として引き継ぐ悪循環に陥るのです。
「水を差す」通常性がもたらす情況倫理の世界は、最終的にはこの「空気支配」に到達するのである。

 現実を土台とした前提の「水」は、やがて日本社会の通常性に戻る作用を発揮します。
その一つが「資本の論理」や「市民の論理」など、ムラが複数存在する情況倫理の世界です。
そうなると、ムラが仕切る、伝統的な空気の拘束に日本人は陥ってしまうのです。
水と空気の関係、山本七平.jpg
「竹槍ではB29を撃墜できない」と言った者と現代日本
 竹槍戦術の練習は、現代の日本人には信じがたい戦争中の出来事の一つでしょう。
敗戦直前には、上陸する米兵(人形)を婦人が竹槍で刺し殺す訓練までありました。
 さらに一部には、竹槍でB29爆撃機を撃墜するポーズの練習まであったのです。
B29は米軍の開発した長距離戦略爆撃機であり、竹槍で落とすなど不可能です。
ライフルを持つ米兵を、婦人や子どもが竹槍で殺傷することも、できるはずもありません。

『「空気」の研究』の第2章では、「竹槍で醸成された空気」という言葉が出てきます。
勇気ある一人の人が「それはB29にとどかない」と言ったと山本氏は述べています。
「それはB29に届かない」との指摘は、現実を土台とした前提という意味でまさに「水」です。
現実的な前提である「水」を差されたとき、戦時中の日本ではどうなったか。
 そのような指摘をする者を“非国民”だと糾弾し、物理的な現実を無視させ続けたのです。

 本人がそれを正しい意味の軍国主義(ミリタリズム)の立場から口にしても、その行為は非国民とされて不思議でないわけである。
これは舞台の女形を指さして「男だ、男だ」と言うようなものだから、劇場の外へ退席させざるを得ない。

 ウソを集団に共有させて、現実を指摘した者を、弾圧するか村八分にして孤立させる。
虚構の共有は、舞台のような芸術分野であれば、趣味趣向として意味を持ちます。
しかし高度1万メートルを飛ぶ爆撃機は、人間を殺す爆弾の雨を降らせます。

 にもかかわらず、共同体の情況(物の見方)に現実を投げかけた者を“非国民”と呼びました。
物理的に間違っていることを認めたら、虚構がすべて崩壊してしまうからです。

「非国民」「努力の尊さ」という詐術のメカニズム
「おまえは非国民だ!」の指摘にはもう一つの構造があります。
物理的な問題を、感情や心情的な問題にすり替えていることです。
 こんなにみんなが努力しているのに、お前はそれを笑うのか、という非難は、いつの間にか、物理的な問題を心情的な問題にすり替えていることがわかります。
物理的な視点ではウソがつけないため、集団の情況や心情を持ち出してくるのです。

 また、日本人が好む「人の努力は常に尊い」という発想にも危険があります。
人の努力が尊いとは、正しいことをしている場合に限って言えるはずです。
間違った努力を継続すれば、本人も周囲も社会全体も不幸にするだけです。

 相対化とは、命題が正しい場合と間違っている場合を区分することでした。
努力も絶対化すれば、不幸を拡散させ悲劇を増大させる悪そのものになるのです。
 高高度を飛行するB29を竹槍で落とすポーズは、全滅するまで戦争を継続するという前提から国民を逃がさないための、虚構の一つだったと考えられます。

 もし現実だけを見たら、100%敗戦が予測でき、日本国民は意欲を完全に失います。
しかし、間違った目標に対して意欲を失うことは、本来正しいことでしょう。
 間違いを訂正させないため、物理的な問題を心情的な問題にすり替えて、計測不能にする。
この詐術は現代の日本社会でも、頻繁に見られる大衆誘導の手法です。

 ゆがんだ物の見方をムラに強制して、水を差されることへの防御をしているのです。
 戦争継続の空気に拘束されて、日本人はまったく勝ち目のない悲惨な戦争をだらだらと続けました。
膨大な犠牲を払い、長崎・広島で原子爆弾が45万人の命を一瞬で奪うまで、誰も「敗戦受諾と停戦」を実現できなかったのです。
(この原稿は書籍『「超」入門 空気の研究』から一部を抜粋・加筆して掲載しています)

鈴木博毅(すずき・ひろき)
ビジネス戦略コンサルタント。
MPS Consulting代表。
1972年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部、京都大学経営管理大学院(修士)卒業。
大学卒業後、貿易商社にてカナダ・オーストラリアの資源輸入業務に従事。
その後国内コンサルティング会社に勤務し、2001年に独立。
戦略論や企業史を分析し、負ける組織と勝てる組織の違いを追究しながら、失敗の構造から新たなイノベーションのヒントを探ることをライフワークとしている。
わかりやすく解説する講演、研修は好評を博しており、顧問先にはオリコン顧客満足度ランキングで1位を獲得した企業や、特定業界での国内シェアNo.1企業など多数。
主な著書に『「超」入門 失敗の本質』『「超」入門 学問のすすめ』『戦略の教室』『戦略は歴史から学べ』『実践版 孫子の兵法』『実践版 三国志』『最強のリーダー育成書 君主論』『3000年の英知に学ぶリーダーの教科書』などがある。
posted by 小だぬき at 09:33 | 神奈川 ☀ | Comment(4) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まず「信念」がなければどんな夢もかなわない

まず「信念」がなければどんな夢もかなわない
2019年01月14日 SPA!

いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。
自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。
自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か?
そのヒントをつづる連載第84回  信念は主観的です。

自分の体験に基づいて、「これはこういうものだ」と定義します。
だからそれは必ずしも「正しい」とは言い切れません。
他の人にとっては、そうではない場合もあります。
かといって誤りでもなく、客観的な正誤の天秤では量れないのが信念です。

 時には一人の信念が大多数の常識を覆して、広まることもあります。
それが発明や発見、あるいは夢です。
「人間が空を飛べるはずがない」のに飛行機が生まれ、「ただの神話のはず」のトロイア遺跡が見つかり、「お前がなれるわけないだろ」と馬鹿にされていた人間がミュージシャンになります。

 言葉は事実を表すだけではありません。
赤信号を見て「赤い」と形容するだけでなく、「赤」からりんご、口紅、フェラーリ、あるいは形のない「情熱」などを連想できます。
そして、それが人を動かします。

言葉はラベルの貼られた空き箱です。
「夢」と言えば、そこに自分の夢が入り始めます。
信念が未来を引き寄せるのです。
 もちろんそのためには自分の過去と結びついてなくてはなりません。

信念に客観的な正しさはありません。
たとえ誰かが同意しくれたとしても、全員が同意することはありえません。
だからこそ過去の体験を根拠にすることが、信念の必須条件になります。

ギターを触ったこともないのにいきなりギタリストにはなれません。
漫画を描いたことがないのにいきなり漫画家にはなれません。
投資の経験がないのにいきなり全財産を注ぎ込んだら、その結果は明白です。

 何かを成し遂げるのはとても不安定な道のりです。
上手くいくかもわからないし、上手くいかないかもわかりません。
上手くいくとわかっているなら安心できますし、上手くいかないとわかっているなら諦められます。そのどちらでもないから、人はああでもないこうでもないと悩みます。
いわゆる紆余曲折です。  

その曲がりくねった道を歩む拠り所は、自分の周囲を照らす信念という揺らめくローソクの炎だけ。
それは時に強い風に吹き消されてしまうこともありますが、再び灯すこともできます。
そのためにあるのが自分の信念を発見するメンタルレコーディングです。
「どうすればうまくいくのか?」を考えるのが思考の役割です。
そうした思考も大切ですが、その前に信念をはっきりさせる必要があります。

◆魔法のステッキはいつか夢になる
 初代iPhoneのプレゼンで、スティーブ・ジョブズは「電話を再発明する」と言いました。
電話とカメラと音楽プレーヤーとネット端末を一台に集約するというコンセプトです。
日本では既に同様の機能を持つiモードやezwebが普及していて、「iPhoneは流行らない」と言われていました。
しかし今ではiPhoneが提案したタッチパネル式のスマートフォンがスタンダードになっています。
 ビジネスではこうした例がたくさんあります。

セブンイレブンはおにぎりを売り始めた時、「売れるはずがない」と言われていました。
セブン銀行を始めた時も、「ATM手数料が収入の銀行など成り立たない」と言われていました。
誰かの反対を間に受けていたら、何も始められなくなってしまいます。
自分の行く手を遮るのがロジックとは限りません。

現実は理性よりもむしろ心を折ろうとしてきます。
 ある男の子が木の棒を振りかざしながら、「これは魔法のステッキだ!」と言いました。
それを隣で見ていた女の子は「違うよ」と返しました。
客観的なのは女の子です。
しかし男の子の主観では、それは魔法のステッキだったのです。
そこには幼いながらにして、信念が芽生えています。
人間は嘘を本当にしようとする時に強く輝きます。
それが夢です。

佐々木】 コーチャー。
自己啓発とビジネスを結びつける階層性コーチングを提唱。
カイロプラクティック治療院のオーナー、中古車販売店の専務、障害者スポーツ「ボッチャ」の事務局長、心臓外科の部長など、さまざまな業種にクライアントを持つ。
現在はコーチング業の傍ら、オンラインサロンを運営中。ブログ「星を辿る」
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする