日本の会議で「多数決」を 正しく機能させる2つの方法
2019年01月18日 ダイヤモンドオンライン(鈴木博毅)
日本の会議では、多数決が正しく機能していない。
むしろ多数決原理を誤用し、意思決定が歪められている。
異論を封じ込め、場の空気によって決められた判断は、時に破滅的な道に通じることもある。
では、空気に左右されず、本来の多数決原理に基づく意思決定を行うにはどうすればいいのか?
40年読み継がれる日本人論の決定版、山本七平氏の『「空気」の研究』をわかりやすく読み解く新刊『「超」入門 空気の研究』から、内容の一部を特別公開する。
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■日本では、なぜ会議室と飲み屋で意見が変わるのか
会議は、企業を含めた組織、集団の今後の行動を決める重大な場です。
その会議が空気に支配されたら、一体どうなってしまうのでしょうか。
日本における「会議」なるものの実態を探れば、小むずかしい説明の必要はないであろう。
たとえば、ある会議であることが決定される。
そして散会する。
各人は三々五々、飲み屋などに行く。
そこでいまの決定についての「議場の空気」がなくなって、「飲み屋の空気」になった状態での文字通りのフリートーキングがはじまる。
本来、合理的な思考を元に決断を下しているなら、どこで考えても結果は同じです。
しかし、空気に拘束されると「あの会議室の空気」で、意思決定が変化してしまうのです。
山本氏は、空気に支配された議場での多数決と、飲み屋で空気のない状態で自由に議論された末の多数決では、まったく違う結果になるのではと指摘しています。
会議が、空気に支配されると、本来検討されるべき、マイナス面(あるいはプラス面)のどちらかを一方的に無視します。
すると、反対意見や反論、疑義を空気で許さないことで、どんな間違った結論でも、会議の多数決に通ってしまうことになるのです。
■多数決原理をわざと誤用する、日本の会議システム
多数決による決定は、本来は議題を相対的に判断することを求めています。
多数決原理の基本は、人間それ自体を対立概念で把握し、各人のうちなる対立という「質」を、「数」という量にして表現するという決定方法にすぎない。
日本には「多数が正しいとはいえない」などという言葉があるが、この言葉自体が、多数決原理への無知から来たものであろう。
多数決の条件は、議題に「賛成できる部分」と「反対されるべき部分」の両面が確実に含まれていることです。
したがって、「賛成できる部分」と「反対されるべき部分」の両方の十分な吟味と検討が、多数決が正しく機能する一番の前提条件となります。
ところが、空気の支配はプラス・マイナスのどちらか一方の側面だけを取り上げ、逆側は無視させる圧力を発生させます。
空気は、多数決原理を破壊して、相対化の機能を絶対化に転じる破滅的な影響力を発揮してしまうのです。
少なくとも多数決原理で決定が行われる社会では、その決定の場における「空気の支配」は、まさに致命的になるからである。
そして致命的になった類例なら、今まであげてきたように、日本には、いくらでもある。
空気が会議を支配すると、両面をきちんと議論して検討されず、都合の悪い一方を完全に無視させることで多数決を迫ります。
空気に支配された会議では、本来の機能を破壊された形で、多数決が悪用されてしまうのです。
多数決は、マイナス面を無視できる「免罪符」ではない
空気に拘束された日本の会議は、もう一つの非常に大きな危険性を生み出しています。
「多数決で決まったのだから」と、議論で指摘されたマイナス面、反対されるべき部分をすべて無視してもよいという免罪符的な主張があることです。
会議の中で、形式的にでもマイナス面を含めた相対化の議論がされたにもかかわらず、多数決で自分たちの意見が通ると「マイナス面を無視してOK」という認可をもらったと錯覚しているような行動が、日本の組織ではよくあります。
多数決に通ると「みんなで決めたことだぞ!」の一言で、一切のリスクを無視できるかのような、多数決を免罪符であるかのごとくに振り回すのです。
その結果は、無視したリスクの膨張とのちの顕在化による悲惨な失敗です。
多数決で賛成多数であっても、問題のマイナス部分が消えるわけではありません。
単にマイナス面を考慮しながらも、先に進むと決めただけです。
多数決で決まったのだからとマイナス面を無視するのは、議論と多数決の基本的な条件を無視した悪用です。
空気による絶対化を補強する破滅的な行為なのです。
問題を前に、声を上げる者がいなければ、悲劇は止まらない
根回しは、日本の意思決定の場において特に重要とされています。
一般的に、議論の場の前に、関係者に事前説明や説得を行って、会議の場ではその結果を見るような流れです。
物事をスムーズに進めるには、日本的な根回しは有効に機能することが多いでしょう。
一方で、賛否両論、プラス面とマイナス面が混合しているようなテーマでは、根回しが「過剰に異論を封じ込めて」しまうと、リスクを急拡大させる恐れがあるのです。
問題がなければ異論や指摘は必要ありません。
しかし同時に、なんらかのリスクがあれば「声を上げる人」「そのリスクを明確に指摘する場」が不可欠なのです。
米国の訴訟コンサルタント会社の代表であるフィリップ・マグローは、問題に対して声を上げることの重要性を、端的な言葉で指摘しています。
あなたはこう考えるのではないだろうか。
もし船がどんどん沈み続けたり、どんどん進路から外れたりしてきたら、誰かが最後に立ち上がって、「おい、これじゃダメだってことくらい、誰にでもわかるだろう?」と言うにきまっている、と。
しかし空気で拘束された場で、本当に「誰かが最後に」きちんと声を上げてくれるのでしょうか。
どんどん船が沈むのに、誰も声を上げなければ、一体どうなってしまうのか。
空気に支配される怖さ、リスクはこの点にあります。
空気の支配が過剰になると、正しい方向転換、失敗を停止し改善へ向けるための、健全な批判や指摘ができなくなるのです。
明らかな失敗が是正されず、悲劇が拡大しているのに、誰もが口を閉ざした状態が続くなら、行き着く先は、大規模な破たんです。
多数決という議決方法を日本で有効にしようと考える場合、次の2つの対策が必須となるでしょう。
これを義務付けないと多数決は健全に機能しないからです。
(1)議題のプラス・マイナスの2つの側面を必ず論じる時間を設ける
(2)多数決が通っても、指摘を受けたマイナス部分の対策実施を確実に行う
この2つの対策が求めているのは、議論されている命題を「相対的に扱う」姿勢です。
正しく見えることも、実際には否定的なデータを無視したことでそう見えているだけかもしれないからです。
空気は都合の悪い現実を無視させる圧力でもあります。
山本氏は、中東や西欧諸国が歴史の中で周辺の各国や異民族と衝突を繰り返した結果、次のような、空気に拘束されない思考を生み出したとしています。
対象をも自らをも対立概念で把握することによって虚構化を防ぎ、またそれによって対象に支配されず、対象から独立して逆に対象を支配するという生き方を生んだ
多数決で賛成可決された問題も、可決されたからマイナスの要素が現実から消えたわけではありません。
単に、参加者の頭の中からマイナスの要素の検討意識が消えただけなのです(これは相対化→絶対化の逆行です)。
これが日本における多数決原理の最大の誤用であり、日本で会議が空洞化することで生まれる悲劇の元凶なのです。
本来、議論や多数決原理は、問題のプラス面とマイナス面を両方認識したうえでどちら側に進むかを決めることです。
そのため、マイナス面を無視させる形に多数決を悪用させず、相対化の原則を順守する形で利用する枠組みが必要なのです。
■著者紹介
鈴木博毅(すずき・ひろき)
ビジネス戦略コンサルタント。MPS Consulting代表。
1972年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部、京都大学経営管理大学院(修士)卒業。
大学卒業後、貿易商社にてカナダ・オーストラリアの資源輸入業務に従事。
その後国内コンサルティング会社に勤務し、2001年に独立。
戦略論や企業史を分析し、負ける組織と勝てる組織の違いを追究しながら、失敗の構造から新たなイノベーションのヒントを探ることをライフワークとしている。
わかりやすく解説する講演、研修は好評を博しており、顧問先にはオリコン顧客満足度ランキングで1位を獲得した企業や、特定業界での国内シェアNo.1企業など多数。
主な著書に『「超」入門 失敗の本質』『「超」入門 学問のすすめ』『戦略の教室』『戦略は歴史から学べ』『実践版 孫子の兵法』『実践版 三国志』『最強のリーダー育成書 君主論』『3000年の英知に学ぶリーダーの教科書』などがある。