2019年05月03日

令和の憲法記念日に 国会の復権に取り組もう

令和の憲法記念日に 
国会の復権に取り組もう
毎日新聞「社説」2019年5月3日 

憲法は国の背骨と言われる。
 日本国憲法が施行から72年の時を刻み、姿を変えずに令和の時代へとたどり着いたのは、基本的によくできた憲法であるからだろう。
 ただし、憲法典そのものが修正なしの長寿を保っているからといって、現実の国家運営が健全だということにはならない。  大事なのはむろん現実の姿だ。

国民の代表が集う国会は、絶えず憲法について論じ、その価値体系に磨きをかける努力が求められる。
 安倍晋三首相が政権に復帰して6年半になる。
歴代で最も改憲志向の強い首相は「改憲勢力」の拡張に執念を燃やし、選挙でそれなりに勝利してきた。
それでも衆参両院の憲法審査会は停滞したままだ。

無理を積み重ねた首相
 なぜだろうか。
 野党の硬直的な態度が一因であることは確かだろう。
しかし、本質的な原因は物事の筋道を軽んじる首相の姿勢にあるのではないか。

 ちょうど2年前、安倍首相は改憲派集会向けのビデオで憲法9条への自衛隊明記案を打ち上げ、「東京五輪のある2020年に新憲法施行を」と期限まで付けた。
 いずれも自民党内での議論を積み上げたものではない。
国会で真意をただした野党議員には「(インタビューを掲載した)読売新聞を熟読してもらいたい」と言い放った。

 昨秋、党総裁3選を果たすと、憲法に関わる国会や党の要職を側近で固め、与野党協調派を排除した。
今年2月の党大会では、憲法が自衛隊を明記していないから自治体が自衛官募集に協力しないと、言い掛かりのようなことまで言っている。
 首相の軌跡をたどると、やはり幾つもの無理が積み重なっている。

 国内最強の実力組織である自衛隊を憲法上どう位置づけるべきか。
その問題提起は間違っていない。
 ただ、日本の防衛政策は憲法9条と日米安全保障条約のセットで成り立っている。
9条に自衛隊と書けば、自衛官は誇りを持てるといった情緒論に矮小(わいしょう)化すべきではない。
 ましてや9条改正で日本の抑止力が増すかのような右派の主張は、少子化対策と憲法に書けば人口減が止まると言っているようなものだ。
 だから9条の見直し議論は、日米安保体制や、不平等な日米地位協定の改定を含めてなされるべきだ。
その作業を避ける限り、政権として「戦後レジームからの脱却」をうたいながら、沖縄には過酷な戦後レジームを押しつけるいびつさが続く。

 今、憲法をめぐって手当てが必要なのは、9条の問題よりもむしろ、国会の著しい機能低下だろう。
その最たるものは首相権力に対する統制力の乏しさだ。
 議院内閣制にあって、国会はあらゆる政治権力の源泉である。
国会の多数派が首相を選び、首相は内閣を組織して行政権を行使する。

 ところが、「安倍1強」が常態化してくるにつれ、内閣は生みの親に対してさほど敬意を払おうとしなくなった。
親にあれこれと指図する場面さえも目立ってきた。

貧弱なままの監視機能
 昨年の通常国会では森友学園をめぐって財務官僚による公文書改ざんが発覚した。
行政府が国会を欺くという前代未聞の事態なのに、国会による真相究明はまったくの尻すぼみで終わった。
首相が麻生太郎財務相を更迭することもなかった。

 国会の最も重要な役割は、社会一般のルールとして法律を制定することだ。
多くの国民の利害にかかわるため、法案の妥当性は多方面から注意深く吟味されなければならない。
それには正確な情報が要る。

 しかし昨秋、外国人労働者の受け入れ拡大に向けて政府が提出した入管法改正案は、新制度の具体的な内容をことごとく法務省令に委ねる立法府軽視の形式になっていた。
 憲法の基本思想は権力の分立による「抑制と均衡」だ。
立法府が行政府に必要な統制力を働かせて初めて健全な憲法秩序が生まれる。  

平成期を通した一連の政治改革で首相権力が飛躍的に拡大したのに、国会の行政監視機能は貧弱なままに留め置かれた。
ここに国政の構造的な問題があるのは明らかだろう。
 平成の目標が首相官邸機能の強化だったなら、令和の目標は国会の復権であるべきだ。
国政調査権の発動要件に、西欧のような野党配慮を盛り込むだけでも国会は変わる。
 国会と政府の均衡を取り戻すことが、生産的な憲法対話の近道だ。
posted by 小だぬき at 13:01 | 神奈川 | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「人口減少」と「高齢化」進む日本のヤバい問題

「人口減少」と「高齢化」進む日本のヤバい問題
年金も医療制度も「現状維持」では破綻する
2019/05/02 東洋経済オンライン
小林 昌裕 : 副業アカデミー代表

今年4月1日に働き方改革関連法が施行され、サラリーマンの副業・兼業が本格的に解禁になったが、そもそも政府はなぜ副業解禁を推し進めるのか。
そこにはネガティブな理由があった。
「副業アカデミー」代表であり、明治大学リバティアカデミー講師でもある小林昌裕氏が、
「政府が副業解禁を進めたがる理由」
「日本が近い将来に直面する大問題」について解説する。

これからの日本社会では、誰もが副業をするのが当たり前の時代がやってきます。
その動きはまだ始まったばかりですが、政府主導で副業が推進されているのが実情です。
2018年は「副業元年」と言われ、今後数年のうちに、この動きは加速していくでしょう。
すでに、ソフトバンクグループ、新生銀行、ユニ・チャーム、ロート製薬、コニカミノルタ、ソニー、花王、三菱自動車といった大企業でも副業を認め始めており、今後幅広い業種・業態へと拡大していくと見られています。

なぜこれほど副業が拡大しているのか。
その理由は、現在の日本社会が直面している問題にあります。
すなわち、「少子高齢化」です。
国立社会保障・人口問題研究所が発表した「日本の将来推計人口」(2017年)によると、2015年時点で1億2700万人いた日本の人口は、今の若者が高齢者となる2063年には9000万人を下回り、さらに100年後の2115年には5060万人まで激減すると試算されています。
それほど遠い将来の話でなくても、2036年には3人に1人が65歳以上という「超々高齢社会」が訪れようとしています。

「人口減少」と「高齢化」は回避できない
政治経済や外交問題に関する未来予測というのは、必ずしも当たるものではありません。
ただし、少なくとも人口予測に関しては極めて高い精度で的中します。
自身と日本社会の将来を考えるうえで、“人口減少”と“高齢化”は、大前提となるのです。
これは、かつて当たり前だったはずの“昭和型キャリアプラン”が、まもなく終焉を迎えようとしていることを意味します。

経済産業省の試算によると、「正社員になり定年まで勤めあげる」という生き方をする人は、1950年代生まれでは34%だったのに対し、1980年代生まれでは27%。
「結婚して、出産して、添い遂げる」という生き方をする人は1950年代生まれでは81%いたのに対し、1980年代生まれでは58%にとどまります(次官・若手プロジェクト「不安な個人、立ちすくむ国家」平成29年5月)。

「年金受給年齢」をどうしても引き上げたい政府
「夫は定年まで正社員」「妻は子持ちの専業主婦で、一生、夫に添いとげる」という昭和のモデルケースのような家庭は、もはやごく一部の富裕層に限られると言っていいでしょう。
定年年齢も段階的に引き上げられており、1980年代前半までは55歳が一般的でしたが、1986年に高年齢者雇用安定法(高年齢者等の雇用の安定等に関する法律)が制定されると60歳定年が努力義務に。
2000年の改正法では65歳定年が努力義務となり、2012年改正法で完全に義務化されました。

政府は現在、70歳定年を目指していますが、これまでの流れから考えると、2020年代には実現するでしょう。
「人生100年時代」と言われるなか、健康な人であれば、80歳ぐらいまで働き続けるのが当たり前になるはずです。
政府が定年を延長したがる理由は、言うまでもなく公的年金の受給開始年齢を引き上げるためです。
年金を含めた社会保障にかかる費用は、2011年度は約108兆円だったのに対し、2025年度は約150兆円まで増大すると見られています(厚生労働省、2012年推計)。
およそ1.5倍です。

日本政府はすでに莫大な借金をしているため、これ以上の財政支出は不可能です。
このままでは、年金制度は破綻してしまう可能性が高い。
今の40代が高齢者になって年金を受け取れるのは、75歳か80歳になってから、なんてことになりかねません。
しかも、給付額が大幅に減るのは確実でしょう。
現在の医療費の自己負担割合は6〜70歳が3割、70〜74歳が2割、75歳以上が1割(70歳以上でも現役並み所得者は3割負担)となっていますが、いつまでも高齢者を優遇し続けることは、財政上不可能です。

2019年10月には消費税が10%に増税されるかもしれませんが、まだ足りない。
今後15%、18%、20%という具合に、上がり続けたとしても、まったく不思議ではないのです。

われわれは「長生きする可能性が高い」
仮に75歳まで定年が延長されたとしても、すべての人が健康で働き続けられるとは限りません。
2017年の日本人の平均寿命は女性が87.26歳、男性が81.09歳(厚生労働省「平成29年簡易生命表」)ですが、平均寿命はさらに延びる可能性が高い。

平均寿命とは、その年に生まれた赤ちゃんがその後何年生きるか推計したもので、例えば、2017年生まれの女性なら平均87.26歳まで生きるということです。
一方、ある年齢の人が、この先何年生きるかを推計したものは「平均余命」と言います。
例えば、2017年に65歳の女性なら、平均余命は24.43年(前出の簡易生命表)なので、89.43歳まで生きることになります。

つまり2017年において、0歳の女性の平均寿命は87.26歳でも、65歳の女性は89.43歳まで生きるということです。
自分が何歳まで生きるかを考えるときは、平均寿命ではなく平均余命で考えなくてはなりません。
平均余命で考えると、男性は90〜100歳、女性は100歳超まで人生は続く可能性が高いと思ったほうがいいでしょう。

医療経済学者で長浜バイオ大学教授(医学博士)の永田宏氏によると、今後も医療技術の進歩に伴い、平均余命はさらに延びる可能性が高いとされており、平均寿命を基準に考えていると、多くの人が“思ったより長生き”してしまうことになるそうです。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする