2019年07月08日

なぜ日本はこれほど“弱者叩きの国”になったのか

宗教学者と考える
「なぜ日本はこれほど“弱者叩きの国”になったのか」
2019/7/7 週刊女性2019年7月16日号

 原発避難者へのいじめや生活保護受給者へのバッシング、隣国に対するヘイトスピーチなど、近年、日本社会の不寛容さが目立つ。
この空気はなぜ始まり、どうすれば変えられるのか。
宗教学者の島薗進さんに聞いた。
  ◆   ◆   ◆  
「力の支配」に人心や社会がなびいている
 過去にも、ヒロシマ・ナガサキの原爆や水俣病の被害者など、周囲から差別され声を上げにくい状況がありました。
つらい経験や悲しみを口にするには同調圧力に抗わなくてはなりません。
何十年もたって、やっと声を上げられるようになるんです。

 1970年代は、日本の歴史の中でも被害者が政府に抵抗する行動が比較的できた時期です。
'60〜'70年代は民主化の大きな流れがあり、'89年のベルリンの壁崩壊に至るまでは世界的にも自由を目指す雰囲気がありました。
 しかし、その雰囲気は'80年代で終わります。

平成は、日本では戦争がなく平和だったといいますが、自由に向かう空気は弱まり、世界全体が方向性を失ったと思います。  

近年は、産業利益が国の利益と結びついて、強いものが勝つ「力の支配」が横行しています。
市場原理を第一に考える新自由主義・自由競争の中で、民主的であることより経済が優先され、「自己責任」の空気が蔓延しているのです。
そして、選挙で勝てば何をしてもすべて正当化するかのような現政権の印象もあります。

「力の支配」による問題が顕在化したのが2011年の東京電力福島原発の事故でした。
一時は「これでよかったのか」と、社会全体がこれまでを振り返る空気がありました。
 しかし、それに対する断固たる反動がいま、現れている気がしています。

夢も希望も理念も愛もない、被災地に対して思いやりもない。
「力の支配」に人心や社会がなびいてしまっている。

 なかでも原発事故における一部の専門家のふるまいはまさに、「力の支配」を表すものでした。
専門性を振りかざして、被ばくを恐れる女性を無知であるとバッシングする風潮もありました。
かつては、市民の平和や、弱い立場にある個々人のための科学や思想が力を持っていましたが、社会の発展とともに、専門家は競争での勝利を目的とし、市民としての目線を弱めてしまった。

 核開発の歴史ではそれが顕著です。
被爆地の研究者の一部が核開発と協力しはじめました。
そのため、核開発による健康リスクを低くみせる研究が重要になり、それが顕著になったころに'11年の事故が起きてしまいました。

「権威主義」も弊害のひとつ
 その後も、安全をひたすら説く国際的研究者ムラが「健康影響はない」と安全論を発信し、周りの研究者も煽る。
研究者の中には、3・11後に政府に呼ばれ「安全だと発信してくれ」と言われたと、その当人が語っています。
そこに一部のメディアも乗り、発信されてしまう。
 科学が、「力の支配」の担い手として発言するという体制になっているんです。
これは世界的なものだと思います。

 日本は、安倍政権によるむき出しの「力の支配」、本来責任を取るべきことも、内閣支持率や株価が下がらなければ許されるかのような新自由主義が横行しています。
社会主義勢力のような「力の支配」を抑制するものがなくなり、19世紀の貧富の差が大きかった時代に似てきています。
弱肉強食が進歩の源泉という「力の支配」の思想を悪い意味で受け継いでいる。

 市場原理と自由競争を第一に考える新自由主義の影響を強く受けた人々が権力を持つようになりました。
民主主義と国民主権という大切な理念と、「力の支配」とを比べたときに「力の支配」のほうが現実を制する、と。
そして、豊かになった層が自分たちの持つ権力を正当化するんです。

 また、日本では「権威主義」というのが大きい。
強い者の側について、外に敵を見つけるとともに、身近なところでうさを晴らす。
共感意識も減り、原発事故でも、被害者に対して「支援が手厚すぎる」という声までありました。
公害問題にも見られた「自己責任化」に専門家が理屈を補強して正当化する。
科学の批判性の薄さはますます広がっています。
 つまり、科学にも「力の支配」が入り込んでいる。

政府の都合のいい見解だけが生まれ、そこに政府も乗る。
この構造は、科学が「力の支配」とは違う基準でものを見られなくなる、大変おかしい問題です。
それは原発事故以降に強くなりました。
 しかし、人々がこういった理不尽な「力の支配」に納得しているわけではありません。
特に女性が敏感に感じ取っているのではないでしょうか。

 大きな組織ほど人々の痛みに対するセンサーが働かないもの。
例えば、国や県レベルでは人々の痛みは伝わらない。
でも市町村になるとちょっと違う目線になる。
自治体でも女性の目線が加わると、違ってきます。
「力の支配」に抗う、打開していくには、女性の感覚、新しい感覚が必要なのかもしれません。
(取材・文/吉田千亜)


《PROFILE》 島薗進さん 
◎東京大学大学院人文社会系研究科名誉教授、上智大学神学部特任教授・グリーフケア研究所所長。
専門の宗教学をベースに、生命倫理や公共哲学の分野でも積極的に発信している
posted by 小だぬき at 12:00| 神奈川 ☁| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

凶悪犯をそんな簡単に保釈してもいいのか

凶悪犯をそんな簡単に保釈してもいいのか
2019年07月07日 PRESIDENT Online
ジャーナリスト 沙鴎 一歩

■神奈川県内で繰り広げられた4日間の逃走劇
神奈川県愛川町で刑務所への収容から免れようと逃走した男が6月23日、公務執行妨害の疑いで逮捕された。
43歳の小林誠容疑者だ。
逃走から4日後に同県横須賀市内で捕まった。
小林容疑者は窃盗や傷害、覚せい剤取締法違反などいくつもの罪に問われ、昨年9月に横浜地裁小田原支部で実刑判決(懲役3年8カ月)を受けた後、東京高裁に控訴した。
高裁は控訴を棄却し、今年2月に実刑判決(同)が確定していた。

4カ月以上も前に実刑が確定していながら、検察は小林容疑者を収容できなかったことになる。
なぜ収容できなかったのだろうか。
小林容疑者は高裁への控訴審中に保釈されていたが、二度目の保釈だった。
一度目の保釈は横浜地裁小田原支部での公判中に行われ、その後に実刑判決で身柄が拘束されたものの、今度は控訴審中に二度目の保釈を受けて"自由の身"となっていた。

一体、保釈制度はどうなっているのだろうか。
保釈のあり方に問題はないのか。
そんな簡単に凶悪犯罪者を保釈していいのだろうか。

■地検と県警の計7人に抵抗して逃走した
6月19日午後1時ごろ、横浜地検の検察事務官5人と神奈川県警厚木署の警察官2人の計7人が神奈川県愛川町の小林容疑者の自宅を訪れた。
しかし小林容疑者は包丁を振り回して抵抗し、車で逃走した。
神奈川県警は公務執行妨害の疑いで全国に指名手配。
その後、防犯カメラの映像などから、髪型を変えたり、服を着替えたりしたうえで、横須賀市内のアパートに知人と一緒にいることが分かった。
23日朝、神奈川県警に身柄を拘束され、横浜地検に逮捕された。
小林容疑者の自宅を訪れた7人はいずれも、防刃チョッキを身に着けていなかった。
警察官は拳銃も所持せず、装備は警棒だけだった。
これでは危機管理ができていないと言われても仕方ない。

■検察は「誠に申し訳なかった」と異例の謝罪
一連の報道によると、小林容疑者は過去にも服役しており、その粗暴さは県警内に知れ渡っていた。
検察事務官が2月に小林容疑者の自宅を訪問した際にも、暴行を受けそうになっていた。
収容時に暴れることは十分に予想できたはずである。
保釈中の実刑確定者を収容するのは、検察の仕事だ。
しかし担当部署の人数は少なく、激しく抵抗する相手を取り押さえる訓練は受けていない。

態勢や装備が不十分であり、今回の事態は予想外とはいえない。
検察は態勢をしっかり見直す必要がある。
小林容疑者の逮捕を受け、横浜地検の中原亮一検事正は23日夕方に記者会見を開き、「地域住民、学校関係者、関係自治体に多大な不安を与え、迷惑をかけ、誠に申し訳なかった」と異例の謝罪を行い、検察の不手際を詫びた。

横浜地検は小林容疑者の逃走後、対策本部を設置した。
だが、逃走に使われた車の通行履歴や小林容疑者の交友関係の捜査などは、すべて神奈川県警に頼ることになった。
これも検察の態勢が不十分だからだ。
検察内部で意思疎通ができていない。
当初は東京高検が収容を担当し、小林容疑者に電話で出頭を要請した。
しかし「横浜地検の小田原支部にならば収容されてもいい」と言われ、東京高検は横浜地検と小田原支部に任せていた。
その結果、逃走事件が起きた。

■ゴーン氏の場合も逃亡と証拠隠滅の恐れを判断
保釈といえば、特別背任罪などの罪で起訴された日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告(65)のケースが記憶に新しい。

東京地検は「身柄を拘束し続けて自白を強要する人質司法だ」との海外メディアの批判に屈することなく、ゴーン氏の逮捕、拘留、再逮捕を繰り返して捜査を続けた。
一方、ゴーン氏の弁護士らは東京地検の強硬な捜査に反発し、東京地裁に何度も起訴後の保釈を求め続けた。
その結果、3月6日と4月25日の計2回、保釈が認められた。
東京地裁は保釈の条件として、事件関係者との接触や海外渡航の禁止、住居への監視カメラの設置、インターネット利用の制限などのほか、2回目の保釈では妻のキャロルさんとの接触も禁止にした。
2回合わせて保証金は計15億円に上った。
高額所得者の場合、保釈金は高くなる。
東京地裁は逃亡と証拠隠滅の恐れがあるかを判断したうえで、ゴーン氏の保釈を決めていた。
振り返ると、東京地裁の判断は冷静だったと思う。

■裁判所が保釈を認めるケースは10年で2倍以上に
被告が起訴された後、裁判が終わるまでの間に身柄の拘束を解くのが保釈制度だが、裁判所が保釈を認めるケースは増えている。
裁判所が保釈を認める保釈率は、10年前が15.6%。
これに対し、昨年は32.5%と2倍以上に増えている。
裁判所の姿勢が変化したのは、10年前の裁判員制度の導入がきっかけだろう。
裁判所は被告側にも裁判の準備が十分できるように保釈を進めようとしている。
裁判所が証拠隠滅の恐れなどについて具体的に判断するようになってきたことも影響している。
一方、残念なことに、保釈された被告がその保釈中に事件を起こすケースも増えている。

■ただし保釈中に事件を起こすケースも2倍以上に
法務省によると、そうしたケースはここ10年で2倍以上になっている。
日本の刑事訴訟法では、保釈するかどうか判断する基準に「再犯の恐れ」が含まれていない。
今回の逃走事件のように一度、保釈された被告に対して実刑が確定した後、収容する作業は、検察の呼び出しに素直に応じて出頭するという性善説の考え方がベースになっている。

前述したように保釈が簡単に認められるようになると、それなりの対策が必要だ。
たとえば保釈時にGPS装置を付けることや出頭要請に応じない人への罰則などを新たに整備していく必要がある。

6月21日付の産経新聞の社説(主張)は「保釈のあり方急ぎ見直せ」との見出しを掲げて次のように訴える。
「保釈の認められる要件は逃亡や証拠隠滅の恐れが高くない場合に限られる。
逃亡しているではないか。
保釈を許可した裁判所は不明を恥じ、謝罪すべきである」
「男はこれまで書面による出頭要請に応じず、検察側は自宅を複数回訪れたが、接触できていなかった。
どの時点においても、保釈は取り消されるべきだった」
保釈を許した裁判所に謝罪を求め、さたに「早く小林容疑者の保釈を取り消すべきだった」と主張する。
産経社説らしい、実に分かりやすい主張である。

■保釈制度は「行き過ぎている」と言えるか
ただ、保釈を認める傾向のあるいまの裁判所の姿勢も考察してほしかった。
事件の真相を理解して罪があるか否かを判断する刑事裁判には、検察側と弁護側の双方に一定の時間が求められる。
被告を保釈することによってその時間を与えようとする裁判所の開かれた姿勢は評価できると思う。

最後に産経社説はこう主張する。 「刑事司法の目的は社会の安全や公平性を守ることにある。
行き過ぎた現行の保釈のあり方が、その目的に適っているとはいえまい。
早急に見直す必要がある」

保釈制度が「行き過ぎている」と決めつけるのはどうだろうか。
公器と言われる新聞の社説である以上、もう少し幅を持って主張してほしい。

■「保釈を認める流れを押し戻すな」と朝日
朝日新聞の社説(6月25日付)は「失態踏まえ改善策探れ」との見出しを掲げ、後半でこう主張する。
「気になるのは、男が保釈された事実をとらえて、保釈の制度や運用全般を問題視する言説が、一部のメディアなどに広がっていることだ」
「日本では長期の身柄拘束が当たり前に行われ、人権を過度に制約してきた。
だが近年、いくつもの冤罪事件や裁判員制度の導入を機に見直しが進み、保釈が認められる例が増えている。
この流れを押し戻すような動きに賛成することはできない」
「この流れを押し戻すような動きに賛成することはできない」。

産経社説とは正反対の主張である。
朝日社説の言う「一部のメディア」とは、産経新聞を指すのかもしれない。
人権を重視してきた朝日社説らしさがにじみ出ている。
ただ、「人権、人権」と書きすぎると、読み手はしらけてしまう。
切実な問題であるからこそ、人権という言葉に頼らないでほしかった。

朝日社説は最後に「捜査・裁判上の要請と人権とのバランスをどこに求めるか。
社会全体で冷静かつ着実に、検討を深めていかねばならない」と訴えるが、沙鴎一歩はこの部分には賛成する。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☔| Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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