2019年08月22日

岩崎恭子 14歳で金メダル、今も失われた2年間の記憶

岩崎恭子 14歳で金メダル、今も失われた2年間の記憶
8/21(水) 日経ARIA

オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。
競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。
私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。

●「目標は決勝進出」だった14歳が手にした金メダル
―― 1992年のバルセロナ五輪で発した「今まで生きてきた中で一番幸せです」のフレーズは、27年たった今も多くの人の心にあります。

岩崎恭子さん(以下、敬称略)
 あのとき14歳になったばかりで、まさか私が金メダルを獲得するなんて夢にも考えていませんでしたし、そもそも私は決勝直前まで誰からも注目されず、期待もされていなかったと思います。
実際バルセロナ五輪直前までは日本記録さえ破れていなかったし、世界のトップとは6秒近い差があり、平泳ぎ200mで6秒の差は決定的。私の目標は決勝進出でした。
 ですから予選で2位になり決勝進出を決めた時は「やったー!」ってガッツポーズ。
日本代表の仲間たちも「恭子ちゃん、すごい」って喜んでくれたので、もう達成感がいっぱい。
 でもコーチから「もう1回泳ぐからね」と言われ「そっか」って。
五輪の決勝戦がどんなにプレッシャーの掛かるものかあまり理解していなくて、試合直前におにぎりを5個も食べているんです。
喉を通らないという友達の分も(笑)。
 状況をあまりのみ込めていないのがよかったのか、決勝当日は50mプールがなぜか小さく見えた。
そして、ゴールしたらなんと私が1位。
会場がすごく盛り上がっていて、体から湧き上がる喜びを表現しようと思い、とっさに出た言葉があのフレーズでした。
バブルが弾けた後の日本の希望の光になった

―― 五輪のたびに名言が生まれますが、いつしか記憶の底に沈んでしまいます。
でも、岩崎さんの言葉は今もなお、私たちの中に生き続けている。
ご自身ではなぜだと思われますか。

岩崎 
14歳の少女が人生を総括するような言葉を発したので、そのギャップに皆さん驚かれたんだと思います。現在41歳の私が、もし突然、中学生に「私の人生の中で……」と言われたら「は?」って思いますもん。
ただ、まだ多くの人に覚えて頂いているのは、時代背景や環境などいろんな要素があると思います。
 バルセロナ五輪で金メダルをとったのは私と柔道の吉田秀彦さん、古賀稔彦さんの3人だけだったので注目度が高かった。
最近でも、渡部香生子ちゃんや池江璃花子ちゃんなど若くして活躍する選手が台頭するたびに「岩崎2世」と称され、そしてあのフレーズがクローズアップされる。
 またオリンピック、元号が変わるなどアーカイブ的な特集のときは必ずと言っていいほどあの発言を取り上げて頂けるので、皆さんの記憶に刻まれることが多いんだと思います。

 平成から令和になるときも多くの取材を受け、ある記者の方に言われたことが印象的でした。
それは、バブルが弾け、この先、日本はどうなるのかと目に見えない不安が漂っていたときに、未来ある中学生が金メダルをとり希望の光を与えてくれからこそ、あの言葉が今でも私たちの心に残っていると。
うれしかったですねえ。

―― しかしその言葉はそれ以降、解離性健忘(非常に強いストレスにより過去を思い出せなくなる障害)になるほど、岩崎さんを苦しめました。
金メダリストになった途端に環境が激変

岩崎
そう、中3から高校1年までの記憶がほとんどないんです。
 金メダリストになった途端、環境が180度変わってしまいました。
まず驚いたのが帰国時の空港。
カメラマンが何十人もいて、私が歩くたびに追いかけてくる。
バルセロナでは日本競泳陣の中でメダルをとったのは私だけだったから、取材陣が私一人に集中するのもすごく嫌だった。
でもそれはまだ序の口。
 家から一歩出ると多くの人の視線にさらされ、学校の行き帰りには、見知らぬ人に何度も後を付けられました。
家の電話は鳴りっぱなしになるし、かみそりの刃を送られてきたこともあります。
それで学校の行き帰りは母が車で送り迎えをしてくれることになりました。

●心に刺さった「14年しか生きていないのに何が分かる」の声

岩崎
 知らない人に「14年しか生きていないのに何が分かる」とか「私なんて何年生きていてもいいことないよ」とか声を掛けられ、今だったら「幸せと感じるのは、何歳でもいいでしょ」と思うんですけど、まだ思春期になったばかりですから、ズサズサ心を切られましたね。
また、高校は私の入学時から男女共学になったんですけど「岩崎が共学じゃないと行かないと駄々をこね、共学にさせた」とか、信じられない噂話がたびたび耳に届きました。

金メダルをとるんじゃなかったと思った日々

岩崎
 多分、今ならネットでバッシングされるようなことが、その当時はインターネット環境も発達していなかったので、ダイレクトに届けられたんです。
他人の容赦ない視線がガラスの破片のように私の体に突き刺さり、噂話が私の心をむしばんだ。
「あんな言葉を言わなきゃよかった」と毎日思ったし、しまいには金メダルなんてとるんじゃなかったって。

―― 自分を守るため本能的に記憶を消したんですね。
消さなければ生きていけなかった。

岩崎 
後で考えても、何に悩んでいたのかよく覚えていないんです。
忘れるくらい何もかも苦しい時期だった……。
大学で心理学を専攻し、卒論を書くときに、その頃の自分を分析しようと試みたのですが、教授に止められました。
「まだ早い。大学生の君は、当時の記憶に耐えられるほどまだ心ができていない」って。
しばらくたって中学や高校時代の友人に「あの頃こうだった、ああだった」と言われ、かすかに記憶が戻るくらいですね。  ただ、記憶がない時期は家族だけが私の支えでした。
3姉妹の次女なんですけど、私が家で普通に過ごせたのは、父や母がどれだけ頑張って私を守ってくれたか、私が母になった今、よく分かります。
posted by 小だぬき at 01:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

参院選の低投票率 メディアの責任重大 中島岳志

【論壇時評】
参院選の低投票率 メディアの責任重大 中島岳志
2019年7月31日 東京新聞

今回の参議院選挙のポイントは、投票率の低さにある。
選挙区の投票率は48・80%で、国政選挙での投票率が五割を切ったのは戦後二回目である。
 政治学者の中北浩爾は『自民党−「一強」の実像』(中公新書)の中で、安倍政権の選挙の強さの源泉を「低投票率」に求めている。
創価学会を支持母体とする公明党と連携し、友好団体・地方組織・個人後援会を固める自民党は、野党よりも固定票を多く持つ。
投票率が下がれば下がるほど、相対的に優位な条件が整う。

 安倍内閣は投票率を下げて勝とうとする。
だから、争点を明示しない。
選挙を盛り上げようとしない。
多くの浮動票層に関心を持たせず、固定票で勝ちきるというのが戦略だからだ。

 投票率を下げるためには、メディアが積極的に報道しないほうがよい。
安倍内閣になってからテレビメディアの自主規制や萎縮が、繰り返し話題になっているが、テレビ番組を調査・分析するエム・データ社(東京都港区)によると、民放報道は前回選挙から四割も減少しているという。

有権者は、必要な情報を手にする機会を確実に失っている。
 今回、特に問題になったのは、「れいわ新選組」の山本太郎をめぐる社会現象を、テレビメディアが投票日前に十分に取り上げることができなかった点である。

れいわ新選組が七月十九日に東京・新橋で開催した「れいわ祭2」では、登壇した映像作家の森達也が、目の前に並ぶテレビカメラに対して「いつ放送するんですか? 選挙終わってから?」と語りかけた。
そして、「これニュースバリューないんですか? ニュースバリューあるから今日来てるんじゃないの? じゃあなんで報道しないんですか?」と迫った。

 映画監督の想田和弘は「れいわ新選組の人気と立ちはだかる『テレビの壁』」(マガジン9、7月10日)の中で、山本太郎現象をテレビが報道しようとしない点を批判した。
もし政党要件を満たしていないことや特定の政治団体を取り上げることの不公正が理由であれば、今後、「いくら画期的で新しい政治現象が出てきても、テレビは一切無視するしかなくなる」。
そんなことでテレビはメディアとしての役割を果たしていると言えるのか。

結局のところ、「政治に対して最も影響力があるテレビというメディアは、『公平性』を装いながら、実は既成の勢力に味方し、真に新しい勢力の参入を阻んでいる」。

 脳科学者の茂木健一郎は、開票作業が続く中、自らのツイッター(7月21日)で「参議院選の投票率が、ここまで低い事象を引き起こしている責任のかなりの部分を負っているのは、『電波』という『公共財』を独占して使わせてもらいながら、『選挙期間中』にまともな政策論争、比較、分析の番組をつくらない日本のテレビ」と指摘し、「投票率低いですねなどと、他人事みたいに報じないで欲しい」と論じた。

 このような状況は、メディアの中に自己反省の契機をもたらしつつある。
朝日新聞記者の牧内昇平は、投票日前日(7月20日)に公開された論考「参院選で記者は反省した 『生きづらさ』のうねり、ここまでとは……」(withnews)の中で、「れいわ新選組」の動きと支持者の声を紹介した。
さまざまな生きづらさを抱える人たちが、山本太郎の「生きててくれよ!」という訴えに共鳴し、「れいわ新選組」に寄付する様子に触れ、自分自身が「悔いのない人生を送るために社会と闘っているかを自問し」たと述べている。

 テレビメディアの自主規制の中、WEBメディアは新しい可能性を示しつつある。
朝日新聞のWEBサイト「論座」には、公示前に有力な野党政治家が次々に投稿し、読者に対して多角的な争点を提示した。テレビや新聞よりも分量の制約が厳しくなく、しかも速報性があるWEBメディアは、選挙前の政治家たちが、文章によって議論を交わす重要な場になる可能性がある。

 次の衆議院選挙が迫る中、今回の反省を踏まえたうえで、選挙報道のあり方を再考する必要があるだろう。
低投票率の責任を、メディアは痛感すべきである。  
  (なかじま・たけし=東京工業大教授)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする