#老害」ネット上に溢れる"世代間憎悪"の実態
リア充のまま死んでいく高齢世代への拒絶
2019/09/26 AERA dot.
東京・池袋で4月、87歳(当時)の男性が運転していた乗用車が暴走。
12人が死傷した。
ネット上では〈#老害〉などのハッシュタグが使われ、やり切れない思いと怒りに満ちた感情が共有された
顔が見えないSNSで激しくののしる。
その言葉に共感し、拡散する。
成長期を生きた世代と、成熟期に育った世代のはざまにある深い溝。
そこに渦巻くのは、若年世代が高齢者に抱く疑念と憎悪だ。
SNSで飛び交う高齢者への怒り
高齢者が未来ある親子を「殺した」ことに、怒りが溢れた。
<いい加減高齢者の運転は制限しようよ ジジババが若者殺してどうすんだ>
<高齢者許せない。信号無視とかふざけるな。これだから若者は老人嫌いになるんだ>
東京・池袋で4月、87歳(当時)の男性が運転する車が暴走し、母親と3歳の子どもが亡くなった事故。
胸が締め付けられるような痛ましい現実に、SNS上には高齢の加害者を罵倒する言葉が並んだ。
ドイツ人作家のマライ・メントラインさん(36)は、ネット上のそんな状況を見て、こうツイートした。
<「自分の生活を支えている若年層を(おそらく不注意で)殺すとは何事か! どうせ金持ってるくせに!」的な怨念が強く感じられる点が印象深い。
何かが噴き出している>
<「世代間憎悪」が今後、次第に深刻になってくるかもしれません>
そのマライさんのツイートにも、
<その罪を犯した高齢者はネット社会が抹殺すると思います> などの返信が続いた。
警視庁はその後の調べで、運転していた男性がアクセルとブレーキを踏み間違えたと見ている。
だが、この男性が逮捕されなかったことや、年金問題、終身雇用の行き詰まりを経済界が認めたことなどで、若い世代から高齢者への憎悪の声がSNSでさらに高まった感がある。
そして、こんな言葉を頻繁に目にするようになった。
<#老害> この事故に限らず、横暴な行為だったり若者を貶(おとし)めたりする老人の行動を意味する「老害」をハッシュタグにして、SNS上で共有する。
マライさんが現状を憂う。
「年寄りはリア充のまま幸福に死んでいきそうで許せない、みたいな感情が渦巻いていた。
すでに下地がたまっていたのが、事故をきっかけに燃え上がったのだと思います」
「老害」という言葉を使用するのが若者とは限らない。
だが、高齢世代を揶揄するのに都合のいい言葉として、ハッシュタグが拡散のツールとなっている
マライさんは、とある県立高校でドイツ語の補助教員を週1回、8年間続けている。
生徒たちと接する中で、思うところがあると言う。
「年金問題など先進国の社会・産業の構造からみて『いろんなことの先細り』が不可避であるのが若い世代にも明白に見えていて、だからこその『やり場のない憎悪』と言えるのでは」
そしてそのことは、若年層の「ある傾向」とも密接につながっている、とマライさんは言う。
「生徒と話していると『どうせ私たちはゆとり世代。期待されてない』などと諦めている感じです。
ワクワク感、希望のなさを感じます」
諦めからのやり場のなさ。
加えて、若者は成長や達成をウソだと見抜いていると、マライさんは指摘する。
若い世代と高齢者憎悪との関係を、別の角度から指摘する人がいる。
社会学者で筑波大学教授の土井隆義さん(59)だ。
「世代間闘争」という言葉が盛んに使われたことがある。
1960年代から70年代にかけての学生紛争の時代。
そこから80年代にかけては、10代、20代の若者と、30代以上の大人との間に「分断線」があった時代だと、土井さんは言う。
「70年代、80年代の日本社会は成長期の真っただ中。
その頃の大人の若い時と、当時の若者が迎えていた社会状況は大きく違っていた。
その間で社会が成長していたからです。
結果、価値観の大きなギャップが生まれ、学生紛争や世代間闘争のバックグラウンドになっていた」
若者と大人の間にあった分断線が上昇した
やがて政治の季節は終わり、世代間闘争という言葉も消えていった。
その時期と、90年代に入りずっと右肩上がりだった日本のGDPが横ばいに転じ、社会の成熟期に入っていった時期とがほぼ重なっているという。
「そこから20年が経ち、たとえばいまの30代が成長してきた頃の社会状況と、いまの10代、20代の現在とでは、社会状況は横ばいの成熟期のまま。
あまり違ってはいないので衝突がないんです。
若者と大人が価値観をほぼ共有できてしまう」(土井さん)
つまり、若者と大人との間にあったはずの分断線が、消えた。
では、社会から分断線はなくなったのか。
「そうではありません。
今の50代、60代の人たちが10代、20代の頃は成長社会。
その頃に価値観を培ってきた世代と、社会がほぼ成熟期に入っていた今の若い世代との間にギャップがある。
つまり分断線が、かつては10代と30代の間にあったとすれば、今は30代と50代の間に移ってきている。
若者と30代は衝突しないが、30代の大人と50代以上の高齢者は衝突する」(同)
分断線は、消えたのではなく上昇した。
その結果が、若い世代と高齢者の衝突の社会構造的な要因になっている、と土井さんは考察し、こう続ける。
「若者や30代の大人から見たとき、50代後半から60代以上の高齢者は、自分たちとフォーマットが違う、異なる価値観を持っているよくわからない存在なんです。
だから、ぶつかる」
実際に、「高齢者がわからない」と話す若い世代に会った。
都内の大学に通う女性(21)は、高齢の、とくに男性に嫌な思いをさせられることが「しょっちゅうある」と言う。
たまたま靴擦れを起こして駅をゆっくり歩いていると、70歳くらいの男性に「ふらふら歩いてんじゃねえよ」と杖で足を叩かれたり、電車に乗る時に強引に割り込まれたり。
「最初は悲しくて、後になってムカつくことが多いです。
今では『高齢の方は周りの若い人に嫌悪感を持ち、見下してる』という結論になっています」
この女性はもともと、老後への不安が強い。
この先、自分は結婚しなかったらどうなるのか。一人でお金をためて老人ホームに入るのか、そこもいっぱいだと孤独死するのでは──。
そこまで考える。
そんな中、年金の話題に接したり、病院の待合室で高齢者の姿を見たりすると、モヤモヤすることもあると言う。
「周りの友達には、病気になってもお金ないから病院に行けない人もいる。
高齢の方は1割負担(75歳以上)で病院に行って、そんなに重い症状でもないのに、病院の待合室でしゃべっている光景を目にすると、高齢者との間に不公平感を覚えることもあります」
SNSで高齢者への憎悪の言葉を目にすることは多い。
自身で書き込むことはないが、彼らの心理は「正直、わかる」と。
「そうすることで若者が優位に立てるからだと思います。
自分よりも下の存在を作ることでプライドが落ち着く、みたいな」
レッテルを貼られた若者が、鬱憤を晴らすためにヘイト SNSは<#老害>のように、差別的な感情も共有できる。
自分の嫌悪感の正体が、この世界の誰かによって言語化され、それを自覚することでさらに嫌悪感が増幅していくのでは、と女性は言う。
一方で、高齢者へのネガティブな書き込みに、同じSNSできっぱりと異を唱える若い世代もいる。
技術系の仕事に携わる20代の会社員の男性は、「高齢者を悪く言う人が多くてうんざりする。
想像力が欠けているのでは」という趣旨をツイッターに書き込んだ。
違和感を覚えたのはやはり、4月の池袋の交通事故。
会社の同期が「事故を起こした老人が死のうが知ったことではないから刑務所へ入れろ」と言っているのを耳にした。
男性は反論した。
だが同期は納得がいかない。
「自分が高齢者になったとき、親が高齢者になって、もし事故を起こしてしまったときを想像したことがないからでしょう。
高齢者、現役世代という属性だけで『あの人は死んでもいい』『あの人は死んではいけない』と選別していることになり、とても危険な思想に感じる」
その背景には「ゆとり教育」や「若者の○○離れ」といった言葉も影響していると男性は指摘する。
勝手にレッテルを貼られ、批判にさらされてきた結果、上の世代へのヘイトを募らせていった人も多いのでは、と。
そしてこうも言う。
「これまでの鬱憤を晴らすために同じようにレッテルを貼って高齢世代を叩く、という構図が少なからずあると思います」
みんな公平に不幸になれば、憎悪は消せるかもしれない
高齢者への負の感情がもたらす不穏な未来を、作品で表現する人もいる。
映画監督の早川千絵さん(43)。
「10年後の社会」をテーマにしたオムニバス映画「十年 Ten Years Japan」(昨年11月公開)のうちの一本「PLAN75」で、75歳以上に国が安楽死を勧める特別支援制度「PLAN75」が創設された日本を描いた。
きっかけは障害者施設の入所者19人が殺害された「やまゆり園事件」(2016年)だった。
「事件の前から、高齢者に限らず、生活保護を受給するなど社会的に弱い立場にいる人たちに対して世間の風当たりがすごく強くなってきているなと。
『自己責任』『迷惑かけている人たち』みたいな声が聞こえてくるのが恐ろしいと思えたのです」(早川さん)
現在、この作品の長編を制作中だ。
準備として高齢者への取材を重ねている。
PLAN75のような安楽死制度ができたら、どう思うかを尋ねると、「あった方がいい」という声が多数を占めた。
「人に迷惑をかけたくない」「死ぬときは自分で選びたい」という理由からだ。
迷惑をかけられていると感じる若い世代と、迷惑をかけたくないと思う高齢者。
なぜギャップが生まれるのか。
「お互い接する機会が減ったので、双方の『顔』が見えてない。
老人ホームと幼稚園を同じ敷地につくるとか、高齢者へのボランティアの時間を中高校生の必修にするとか、逆に高齢者が子どもたちを世話してあげるとか、そういう良い体験があれば、『老人死ね』とか『年寄り迷惑だ』とか言わなくなるんじゃないかと思います」(同)
世代間憎悪を少しでも良い方向に導くには長い年月がかかるだろう。
前出のマライさんも「簡単な解決の道があるとは思えない」としつつ、あえて逆説的な言い方をすれば「みんな公平に不幸になる」ならば納得される社会に行き着くのではと言い、こう悲観する。
「今の高校生たちは、『平等に普通に暮らす』を目指してると思うんです。
それがあと数年たってうまく就職できないなどで、いわゆる非リア充層に入ってしまうと、目指す方向が『普通』ではなく『みんな同じような悪夢の中で生きるなら、まあそれもいいか』といった感じに変わっていく。
若者も高齢者も平等に不幸になることで世代間の憎悪は消せるかもしれませんが、その先にある社会もまた、怖い世界です」 (編集部・小長光哲郎)
※AERA 2019年9月23日号より抜粋