2019年10月05日

小泉進次郎環境相が“小泉語録”で被弾の理由

小泉進次郎環境相が“小泉語録”で被弾の理由
2019/10/04 産経新聞

 小泉進次郎環境相が9月の就任以降、連発する“小泉語録”に批判が噴出している。

「セクシー」など政治家が公の場で使わない単語を使う一方で、肝心の環境分野は慎重姿勢が続いているため、「勉強不足」「話をそらせている」という印象をもたれているのだろう。
だが、小泉氏は就任から約3週間で福島県に3度入り、米ニューヨークで開かれた国連総会では海外要人らと会談するなど、他の新任閣僚と比べ、公務に取り組む姿勢は遜色ない。

では小泉氏の何が問題なのか。
 小泉氏への批判はこんな具合だ。
 「意味が分からない」(立憲民主党の福山哲郎幹事長/小泉氏の「気候変動問題は、セクシーでなければならない」発言に)  
 「意味不明であり、不勉強のそしりを免れない」(舛添要一元東京都知事/同)
 「ポエムは大臣にはいらない。(中略)ポエムではなく実行力!」(橋下徹元日本維新の会代表/東京電力福島第1原発事故の処理水問題で)
 「残念なのは勉強していないということ」(落語家の立川志らく氏/小泉氏の「毎日でもステーキを食べたい」発言に)  

こうした袋だたきに対し、政府高官は周囲に「散々言われてさすがにかわいそうだ」と小泉氏を擁護してはばからない。
 一方で、政府高官は「戦線が拡大してしまっている」とも指摘する。戦線拡大とは、小泉氏が質問に全て自分で対応しようとしている姿勢のことで、今の弱点を言い当てている。

 小泉氏は平成21年の初当選以来、自民党農林部会長や厚生労働部会長を歴任し、主に農業や社会保障、国会改革などを手がけたが、環境政策との接点は薄い。
報道各社のインタビューでは「秘書官には私を環境のプロ、原子力行政のプロに変えてくれと言っている」と意気込んだが、どんな猛特訓を受けても、効果を発揮できるのはもう少し先だろう。
小手先の勉強で実績を出せるほど、環境問題は生やさしくはないからだ。

 思うに、小泉氏は大臣就任後、自分を取り巻く視線が格段に厳しくなったという自覚が不十分ではないか。
 大臣とそれ以外の政治家では責任の重さが違う。
大臣の実績は国益を左右し、不始末は最終的に任命権者である首相の責任となる。
小泉氏の失敗は起用した安倍晋三首相の失政につながり、場合によっては政権が倒れることもありえる。

 38歳の小泉氏は閣僚の中では一番若いが、初当選から10年たっており、世間に目を転じれば、30代で上場企業の幹部を務めることは珍しくない。
安倍首相は初当選から10年後に党幹事長に起用されている。

 記者はかつて小泉氏の番記者だった。
当時の反省も込めて率直にいえば、演説上手の小泉氏は、国政選挙で全国各地に応援に入れば人が集まるスターとしてちやほやされ、永田町という“ぬるま湯”で甘やかされてきた面もあると思う。
 政局取材を主眼とする自民党担当の記者と違い、省庁担当記者は業界紙や雑誌などを含め高い専門知識を持つ人が多い。
就任して間もない小泉氏が環境行政に詳しい記者にかなうわけがない。

 であれば、質問に十分な答弁が難しい場合は奇をてらったような返答ではなく「分かりません」と事務方に回答を委ねたり、「次回までに調べます」と約束する。
専門記者には「こちらが教えてほしい」と素直に聞く度量があってもいいのではないか。

 優秀な政治家に共通するのは、国会審議などで守勢を強いられた場面で「しのぐ」手腕を持っていることだ。
小泉氏はこれまで、時には首相に対してさえも舌鋒(ぜっぽう)鋭く注文をつけてきた。
大臣である今の自分に対し、仮に少し前までの自分から質問されたらどう対応するのか。
小泉氏にはよく考えてほしい。

 ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーは著書「職業としての政治」(岩波文庫/脇圭平訳)の中で、政治家は情熱、責任感、判断力の3つの資質が特に重要だと述べている。
なかでも、判断力について「事物と人間に対して距離を置いてみることが必要」とした上で、「『距離を失ってしまうこと』はどんな政治家にとってもそれだけで大罪の一つ」と指摘している。

 小泉氏が福島県に何度も入り、被災地に寄り添う姿勢を強調するのは「復興から1人も取りこぼさない」という政治家としての信念と復興政務官を務めた自負からだろう。
 だが、それだけで復興は進まない。

利害関係が複雑に絡む課題を、現実を直視しながら前進させるのが政治の力だ。
温暖化対策で世界的な潮流である「脱炭素化」で日本の対応は遅れている。
議論を主導する海洋プラスチックごみ問題も課題山積だ。
国民的な人気と高い志を持つ小泉氏が環境相となった今こそできる仕事があると思う。
(政治部 小川真由美)
posted by 小だぬき at 14:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

庶民苛めが英断なのか 悪魔の増税2度の首相を称える倒錯

庶民苛めが英断なのか
悪魔の増税2度の首相を称える倒錯
2019/10/04 日刊ゲンダイ

10%への消費税引き上げは、案の定、混乱とドタバタの出発だった。
回転ずしチェーンはレジのシステム障害で消費税が「0%」になるトラブル。
キャッシュレスのポイント還元は期待されたほど利用されず。
軽減税率の導入で価格表示が複雑化し、各地で「分かりにくい」の声が続出した。

 実質賃金が7カ月連続マイナスとなるなど景気指標は「最悪のタイミング」なのに、安倍政権は今月1日、増税を断行した。
 その直後に発表された日銀短観でも大企業製造業の景況感が6年3カ月ぶりの低水準となり、2日発表の「消費者態度指数」は12カ月連続の悪化と、消費意欲の冷え込みがクッキリである。

低所得者ほど負担が重くなる逆進性のある消費税は「悪魔の税制」なのだから当然だ。
 ただでさえ景気は底割れなのに、増税でさらに日本経済は破壊され、国民は半殺しでお先真っ暗。
これが偽らざる庶民感覚だろう。

ところが、日本のエスタブリッシュメントは「消費増税は当然」と捉え、「よくぞ増税実施にこぎつけてくれた」と、安倍政権を高く評価しているのだから頭がクラクラしてくる。
 その代表格は財界だ。経団連の中西宏明会長は、口を開くごとに消費増税の確実な実施を政府に求めてきた。

昨年10月に安倍首相が1年後の消費税引き上げを明言すると、すぐさま「歓迎する」とコメント。
毎月の定例会見でも、「10%の引き上げをしっかり行っていただきたい」(今年4月)、「消費増税は予定通り実行すべき」(同5月)と念押し。
病気療養を経て9月に復帰すると、「財源確保に向けた手段の選択肢のひとつ」と強調してみせた。

 経済同友会の桜田謙悟代表幹事に至っては、今月1日の会見で、「10%で未来永劫大丈夫と言い続けるのは危険」と、さらなる増税を促す始末である。

 同志社大大学院教授の浜矩子氏が言う。
「経団連などが無定見に安倍政権に従っているのは、政府が『強い者をより強く』『大きいものをより大きく』という方針だからで、悪代官にどこまでも付いていく越後屋のようなものです」

■「消費税を社会保障に」はきれいごと
 持続可能な社会保障制度のために必要。
将来世代に負担を先送りしない――。
政府も財界も、消費増税についてこう解説するが、きれいごとだ。

消費税は社会保障の充実のためではなく、財政赤字の穴埋めに使われているのが現実。
1990年代以降の法人税減税と所得税減税がまるごと消費税の増税分になり代わっている。
大企業・富裕層優遇が加速しただけなのである。

 そのうえ、経団連加盟のグローバル企業は「輸出戻し税」の還付金で潤う。
その額はトヨタや日産など日本を代表する製造業13社だけでも年間1兆円超(17年度)と推計される。

 要は、財界が消費増税に賛成するのは、大企業は痛まないから。苦しめられるのは中小企業と庶民なのである。

 しかし、こうした欺瞞が世間に知られるところになっても、景気減速が明確になっても、安倍政権は立ち止まることはなかった。
政界と財界に加え、軽減税率の適用を受ける大新聞を筆頭にした大メディアがグルになって同じ方向へ突っ走るから、「増税は当然」になってしまうのだ。

 著名エコノミストが新聞コラムで、経済における安倍の2つの功績として、「戦後最長の景気拡大期間」と「消費税を2度も上げたこと」を挙げ、次のように書いていた。
<日本の人口減少が始まったばかりのこの時期に、2つとも価値あることであったと後世の人々は評価することだろう>
 安倍政権の7年弱で消費増税は2度実施された。
14年4月の5%から8%への引き上げと今回だが、エコノミストが「2度も」と強調するのは、消費増税は歴代首相にとって“鬼門”の政策だからだ。

1989年4月に3%の消費税を導入した竹下登内閣はその2カ月後に退陣、97年4月に3%から5%に引き上げた橋本龍太郎内閣も景気悪化の影響で翌98年の参院選で敗北し、退陣している。

増税で内閣が吹っ飛んできたのに、安倍は2度も乗り切った。
それを称えているのだが、庶民生活を犠牲にする税制など正しいわけがない。
この倒錯した感覚。
「上級国民/下級国民」という新書がベストセラーになるわけである。

非常識が日常になると常識に変わる恐ろしさ
 安倍政権が悪政の旗を振り、経済界がそれを後押しし、その発言を大マスコミが垂れ流す。
こうして、3者が一体化したこの国では、いまや“お上の理屈”こそが正義になってしまっている。
それは消費増税に限らない。

 沖縄県の米軍普天間基地の辺野古移設なんて、2度の知事選に県民投票、国政選挙と、何度も繰り返し「NO」の民意が示されているのに、政権は意に介さず、新基地建設を強行する。
「辺野古移設が唯一の解決策」と念仏を唱えながら、既成事実化を進めていく。

 かつて96年に、橋本が普天間返還に動いたのは、米海兵隊員による少女暴行事件を契機に沸騰した、県民の怒りの民意に突き動かされたからだった。
当時のクリントン米大統領に返還を要請、日米で合意に至った経緯がある。

 今夏訪米して国務省と国防総省の日本部の副部長を訪ねた沖縄選出の屋良朝博衆院議員が、本紙のインタビュー(9月20日付)で<沖縄への基地集中は米国の意向なのかと聞いたところ、「日米が協議して決めています」という回答でした>と明かしたが、安倍政権は沖縄の民意を受けて米国と協議できるのに、それをしない。
そこに民主主義はない。

 原発再稼働だってそうだ。
世論調査ではいまも国民の過半数が再稼働に反対しているのに、安倍政権は原発推進の旗を降ろすことはない。
マトモな政権なら民意を無視したりしないが、安倍はへっちゃら。
そんな政権をなぜか国民は受け入れる。
だからおそらく、福島原発の汚染水も海に流せば世論は容認するのだろう。

 政治評論家の森田実氏がこう話す。
「橋本首相には、日本国民の声に耳を傾けなければならない、という民主主義国家の総理大臣たる自覚があった。
そこが安倍首相との違いです。
安倍首相は全てを力ずくで押し通す。
問題は、それが長く続き過ぎると、国民の感覚が麻痺してしまうことです。
『人間は従順な動物である。どんなことにも慣れてしまう存在である』というドストエフスキーの名言がありますが、強引な人間が権力者として君臨しているうちに、国民は抵抗力を弱め、とんでもない状況にもかかわらず、慣れてしまう。
加えて、マスコミが権力の手先に変質してしまったことも大きな原因ではあります

■洗脳、扇動、誘発を見抜く力が必要
 非常識でもそれが日常になれば、常識になってしまう。
おかしなことでも、おかしいと指摘しなければ、当たり前になる。
政権のイヌに落ちた大マスコミが無批判だから、庶民も感化され、悪政を許容してしまう。
そうして民主主義は形骸化する。

 その末期症状がいまの日本の姿である。
民主主義を装いながら、民衆をいかに叩き潰すかが権力者の歴史だが、いまの安倍政権ほど露骨で恥じない政権はないのではないか。

 前出の浜矩子氏はこう言う。
「まさに『戦後レジームからの脱却』を目指し、国民の目も耳も体も全てを一方向に向かわせる1億総動員作戦が展開されていると考えた方がいい。
消費増税にともなうキャッシュレス化の進展、会社と雇用関係を結ばないフリーランスの一般化、副業や兼業をしなければ満足な収入を得られない社会などもそうです。
そうした風潮が醸成されていく中で、政府が行うことは何でも『当たり前』になっていく。

国民は洗脳、扇動、誘発を見抜く力を養わねばなりません。
そこには、パイプラインのようにただ二者をつなぐだけのメディアではなく、ジャーナリズムの復活が必要なのですけどね」

 もはや末期症状のこの国で、我を保ち続けるのは困難になってきているが、それでものみ込まれたらオシマイだ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする