超高齢化で医療を受けられなくなる日は来るか
2019年10月15日 PRESIDENT Online
『救急車が来なくなる日』の著者でジャーナリストの笹井恵里子さんは、救急車の現場到着時間と病院収容時間が年々延びていることを明らかにした。
そして救急車だけでなく、その先の医療現場でも混乱が起きている――。
※本稿は笹井恵里子『救急車が来なくなる日』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです。
■救急医療の現場への負担
あらためて強調するまでもなく、日本は高齢化の一途を辿っている。
それに伴って、高齢者の救急患者が増えているのは言うまでもない。
さらには、家族の「介護疲れ」が背景にある高齢者の問題も、救急医療の現場に負担がのしかかっているのが日本の現状だ。
こうした状況のなか、高齢者はどうすれば救急の現場を混乱させず、適切なタイミングで必要な医療を受けられるだろうか。
高齢者の立場からすると、体調が悪い時に自分一人で病院に向かうことは難しい。
かといって、ほかに手伝ってくれる人もいない。
そんな時に、救急車を呼ぶ以外の方法で、どうやって病院に向かったらいいのかわからないだろう。
米国では、救急救命士の資格を持つ者が現場に行き、傷病者の状態を見たうえで、救急車が必要か、介護タクシーを使うかの判別を行っている。
しかし、日本国内ではやはり患者任せになったままである。
■高齢者に「救急車に乗るな」と言えるか
救急車以外の手段としては、民間救急車や介護タクシーなどが考えられるだろう。
通常のタクシーとの違いは、民間救急車の場合、患者が寝たままの状態で、点滴や酸素吸入を受けたまま乗車できる点だ。
つまり、救急車でストレッチャーによって運ばれるのと同様の形での移動が可能で、救急車を呼ぶほど緊急ではないケース、自分が希望の病院へ転院したい時に使える。
介護タクシーは乗用車タイプだが、車椅子のまま乗ることができるメリットがある。
緊急性がない病院への受診なら、救急車を占拠しないという点で、これらの方法を使うのが望ましいだろう。
しかし、どちらも有料で、通常のタクシーよりは割高だ。
仮にあなたの両親が遠方に住んでいるとして、電話で「具合が悪いので病院にかかりたい」と言われたらどうだろう。
無料の救急車ではなく、有料の民間救急車や介護タクシーを勧めることができるだろうか。
あるいは、一人暮らしの高齢者のもとをケアマネージャーが訪ね、具合が悪そうだったらどうするだろうか。
ケアマネージャーとしては、救急車を呼ぶしかないだろう。
■救急車有料化の罠
「もちろん『救急車は重症な時に使ってください』と言いますが、同じ青森県内でも田子町の人に『よく考えてください』なんて言えません。
うちの病院までタクシーで来たら一万円はかかるんですよ」 八戸市立市民病院の今医師が早口でまくしたてる。
「一方、八戸市内ならタクシーで八百円程度ですから。
でもね、地方で『救急車の適正利用』なんて言うなら、救急車の台数を増やすとか、救急車に準ずるような搬送車を作ってほしい。
私は、患者さん自身が必要だと思ったなら、救急車を使っていいと思っていますよ」
救急車の適正利用をめぐっては、有料化案もたびたび議論される。
しかし、筆者はこれには反対だ。
海外では一回の搬送につき数万円が徴収されるが、無料であることが日本の優れている点だと思う。
仮に救急車が一回数千円から一万円の有料になったとしたら、あなたは119番にコールするか迷うに違いない。
救急車の有料化は、突き詰めれば「受診抑制」につながる。
そこで切り落とされる命が、必ず出てくるだろう。
それならば、むしろ介護タクシーに国が補助金などを出し、少しでも国民の支払いを抑える方向に誘導したほうがよい。
どんな患者なら救急車を利用できて、どういう場合には利用できないのか。
そして「利用できない患者」を作る場合は、代替手段やそれにまつわる補助をどう整備するか。
国はこれらを考える必要があるだろう。
これは繰り返しになるが、制度が整っていないままに「適正利用」ばかりを叫ぶのは違和感がある。
ちなみに、お金をかけたくないし、救急車は申し訳ないという気持ちから、自家用車を運転するのは事故の面から避けたほうがいい。
近年、運転中に大動脈解離を発症して死亡したケースなど、運転手が意識不明となって他者を巻き込むような自動車事故が後を絶たない。
大事故を防ぐためにも、少しでも体調不良を感じたら運転を控えたい。
■ベッドが高齢者で埋まっている
高齢者が救急医療を受診する際の「手段」とともに、救急医療から入院した場合、退院するまでの「出口」問題も整備されていない。
身内で一人暮らしの高齢者がいて、何らかの原因で入院する状態になり、病院から「そろそろ退院してほしい」と言われて困った、というケースを聞かないだろうか。
これから大きな問題となりうるのは、高齢者がベッドを占拠してしまうために、病院側に重症の救急患者を受け入れる余地がなくなってしまうことだ。
人口の多い地域、とくに関東圏内では、ベッド数問題に悩まされている。
関東では人口十万人あたりの病床数が全国平均の千二百二十九床よりも少なく、神奈川で八百八床、東京で九百四十二床、千葉で九百四十四床、埼玉で八百五十二床となっている(厚生労働省「医療施設調査」二〇一六年)。
全国で最もベッドが少ない神奈川県の保健医療計画によると、二〇二五年には急激な高齢化によって、必要病床数が約一万一千床不足すると推計され、「必要病床数」と「既存病床数」の乖離が大きい横浜や川崎北部、横須賀などから病床の見直し、つまりは増床を含めて検討している。
「ベッドが満床の時は、救急患者を受け入れられません」
熊本赤十字病院救命救急センター長の奥本医師が言う。
病院が位置する熊本市の人口はおよそ七十万人、市内に救命救急センターは同院を含めて三つある。
「時には熊本市外からも患者が搬送されますから、三病院ともにべらぼうに患者さんが多いです。
当院でも救急搬送の要請には一〇〇%応えたいけれども、重症患者の場合、ベッドに空きがなくて応じられないということが少なくありません」
この地域では、三つの救命救急センターのいずれかが患者を受け、それ以上はたらいまわしをさせないという暗黙のルールがあるという。
■転院を拒む、“大病院志向”の患者
「救急隊から「あそこ(三つのうちの一つ)に依頼しましたがダメでした」と言われたら、こちらがとるしかないという気持ちでやっています。
逆のパターンもあるでしょう。
当院で断られたと聞いたら、残り二つで受けてくれます。
ただ、インフルエンザが流行する冬場は苦労するんです。
三つの救命救急センターがどこもベッドがいっぱいで……」
しかも大病院志向の患者は、二次病院へ転院の話を出されると「格下げ」と感じるようで、なかには「退院までここにいたい」とごねる患者が少なくない。
「一病院で完結するということよりも、「地域のベッド」だから、次に移るという理解を患者さんにしてもらえたら……」
病院によっては、救急専用のベッドを備えていないところもある。
たとえば、広島市立市民病院では七百四十三のベッドはすべて各科に振り分けられている。
やはり高齢者が多く、院内のベッドは常に満床状態だ。
救急科は初療に特化しているため、入院が必要な場合は各科に問い合わせることになるが、調整が難しいことが多いという。
■病院はホテルではない
その一方で、ベッドが比較的余る地域もある。
簡単にいってしまえば、人口あたりの入院ベッド数が多いのだ。
たとえば、高知は人口十万人あたり二千五百三十床、鹿児島は二千八十三床と、全国平均の二倍も備える。
ある救急医がため息をつく。
「入院の適応でない患者が、日本ではたくさん入院していると思います。
救急医療のベッドは急性期の治療のためのものですが、それ以外の、たとえば家族が『高齢者の一人暮らしが心配だから』という理由で入院を申し出るケースもあるんです。
『ホテルじゃありませんから』と言うのですが」
筆者も取材中にそのような事態を目にした。
高齢者の親を連れた娘が、夜間に救急外来を訪れた。
食欲がなく、しっかり歩けないので、脳梗塞ではないか詳しく検査してほしいと訴える。
熱はあったものの、ひととおりの検査で「異常なし」。
帰宅させようとする医師に患者の娘が「先生、入院は……」という言葉が出たのだった。
「地方で人口あたりのベッド病床数が多いところは、一人あたりの年間の医療費も高い傾向にあります。
入院していれば、当然お金がかかりますからね。
かといって民間の病院がベッドを削減すれば、赤字になってしまいます。
ですから、公の病院がベッドを削り、病院の規模を小さくするべきだと思います」
厚生労働省は、二〇二五年を目処に「地域包括ケアシステム」の構築を打ち出している。
重度な要介護状態になっても、住み慣れた地域で最後まで暮らすことができるよう、「住まい・医療・介護・予防・生活支援」を一体的に提供しようという主旨だ。
しかし、具体的な方策については、各自治体が「地域の特性に応じて作り上げることが必要」と述べるにとどまり、実現への過程が見えてこない。
言い換えると、病院から早く患者を出せということになるが、病院側、そして家族としては、出すに出せない状況である。
■次の行き先を探すのは病院の仕事なのか
東京女子医科大学の矢口医師が指摘する。
「独居が増えていますから、正直厳しいと感じています。
また、救急での治療を終えて地域に直接戻せたとして、そこでもし具合が悪くなったら、また急性期の治療に戻すしかないですよね。
その繰り返しが起きる可能性がある。
しかも、大抵は救急車によって救急医療に運びこまれてくるでしょう」
このように「救急(医療)」と「介護」はひと続きになっているのだ。
どこまでが医療で、どこからが介護になるのだろうか。
一般的に、高齢者は一度倒れると、そのあと元の一人暮らしの生活に戻れる可能性は少ないという。
「高齢者は重症化しやすいですし、回復にも時間がかかるので、病院に長期滞在になりがちです。
また、その患者さんたちは、なかなかすっと退院とはなりません。
それは仕方ないことなんです。
高齢者なんですから」
たとえば、ある病院が人工呼吸器や常時モニターの管理が必要という重症な救急患者の治療を終えたとしよう。
だが、食事も自分一人ではできないし、リハビリもしていく必要がある。
そんな時に、患者にあった療養型の病院確保をどうするか。
実は、これも各救急に任されている。
「大学病院は急性期の治療が終わった患者を抱えてはいけない、と国は言います。
それはわかりますし、私たちも急性期の治療を終えた患者さんを出さなければ、次の救急患者を受け入れられません。
でも「救急患者さんを受け入れること」と「次の行き先を探すこと」の両方を救急医や救急医療機関がやらないといけないんですか、と思います」
救急医が転院先の病院を探す事務作業に時間をとられれば、本来の業務である「救急患者を診る」時間が少なくなっていく。 二〇二五年以降は、これまで以上に医療や介護の需要が増加すると見込まれている。
必要な整備を進めておかないと、気づいた時にはもう手遅れだった、という状態になりかねない。
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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト 1978年生まれ。
「サンデー毎日」記者を経てフリーランスに。
著書に『不可能とは、可能性だ パラリンピック金メダリスト新田佳浩の挑戦』(金の星社)、『週刊文春 老けない最強食』『週刊文春 温かい家は寿命を延ばす』(ともに文藝春秋)『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)がある。
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