2019年10月30日

民間の「医療保険」に入るより貯金した方が合理的といえる理由

民間の「医療保険」に入るより貯金した方が合理的といえる理由
2019.10.29 ダイヤモンドオンライン
大江英樹:経済コラムニスト

 テレビや雑誌などで、医療保険の広告を見ていると「高まるリスクに保険で備えよう」という文言がよく出てくる。
一見すると当たり前のように思えるこの言葉だが、よく考えると、とんでもない論理矛盾が隠されている。

 そもそも保険というのは何のためにあるのか?ということを考えてみよう。
それはめったに起こらないけど、もし起こったら自分の蓄えではとても賄えないことに対処するためだ。
重要なキーワードは、“めったに起こらない”ということなのである

めったに起こらないことだからこそ、安い保険料で万が一の時の保障が手厚くもらえることになるのだ。
頻繁に起こることであれば、保険料が高くなってしまうのは当然だ。
これは生命保険に加入する時点での年齢に応じて保険料が高くなることからもわかるだろう。

つまりリスクが高まることに対して本来、保険はあまり向いていないのだ。
 これは損害保険を例にとるとわかりやすい。
自動車保険に加入する場合、対人の場合は金額が無制限だが、それほど保険料が高いわけではない。
一方、車両保険の場合はかなり保険料が高くなる。

人身事故というのはめったに起きることではないが、車庫入れや狭い道でこすったりすることは割とよくあることだ。
したがって起きる頻度によって保険料が違ってくるのは当然である。
 中には車両保険自体には入っていない人もいるし、入っていても免責額を高くすることで保険料を安くする、すなわち少々こすったぐらいであれば自分のお金で修繕できるので、高い保険料を払うのはもったいないと考える人がいてもおかしくはない。
 したがって、「高まるリスクに保険で備えよう」というのは自動車保険でいえば、「車庫入れでこすったりすることはよくあることだから、高い保険料を負担しても保険には入っておこう」というのと同じことになる。

年を取ると病気のリスクが高まるというのはその通りだが、問題はそれを保険で備えるのが正しいか、貯蓄で備える方がいいのかということだ。
頻繁に起きることであれば、それは保険よりも貯蓄で備えると考えるべきだろう。

 確かに病気になった時には、経済的な不安があることは事実だろう。
ところが民間の医療保険に入っていないと何の保障もないのかというと、決してそんなことはない。
日本は国民皆保険の仕組みであるから、医療費の本人負担は原則3割で済む。
とはいえ、入院した場合などでは医療費が月に100万円を超えるような高額になることも起こり得るだろう。
ただその場合でも1ヵ月の医療費が一定額を超えた場合に対して、超えた金額が払い戻される「高額療養費制度」がある。  

高額療養費制度は年齢や所得によって自己負担額の上限が異なるが、年齢が70歳未満で年収370〜770万円の人が、病気の治療を受けてその月の治療費に100万円かかったとしても、その場合の自己負担額は8万7430円で済む。
年齢が高くなって70歳を超えた場合は、さらに自己負担額は少なくなる。

年金生活者の場合、多くは年収370万円以下であろうから、自己負担の金額は5万7600円だ。
まさに年を取って病気のリスクが高まるからこそ、このような社会保険の給付制度が手厚くなっているのである。

個室料金などは貯蓄から支払う方が合理的である
 この程度の金額であれば、貯蓄で賄えないというわけではないだろう。
ただ、この高額療養費は健康保険が適用される医療行為に対してのものであるから、入院した場合の差額ベッド料や入院中の食事代等には適用されない。
いわば民間医療保険とは、こうした公的保険では賄えないものをカバーするために現金が給付されるわけだ。
とはいえ、入院した時の個室料金を支給してもらうために何年も、場合によっては何十年も年間数万円〜数十万円の保険料を払い続けるというのは、あまり合理的とはいえないだろう。
それらの費用もある程度貯蓄があれば、それで十分賄うことが可能だからだ。

 よく入院1日目から保険金が受け取れるという保険もあるが、これもあまり意味はない。
保険本来の役割からいえば、短期の入院や治療では保険金が下りなくても、一定の日数以上入院して初めて保険金が下りる方が大切だ。
なぜなら非常に長い期間にわたって入院を余儀なくされるといった場合、収入が途絶えることに対する不安が大きいからだ。

 また、その場合でも、サラリーマンであれば病気で休んだ4日目から最長1年6ヵ月の間、傷病手当金という制度で通常の収入のおよそ3分の2が支給される。
そうしたもろもろの制度を利用すれば、別に民間保険会社の医療保険に入る必要はない。

むしろ払い込む保険料に相当する分をしっかり貯金してさえいれば、あまり心配することはないといっていいだろう。
 実際、我が国で民間医療保険への参入が生命保険会社・損害保険会社によって始まったのは2001年のことである(それ以前は1974年から米アフラックががん保険で参入していたのみであった)。

では、それまでは病気になったら一体どうしていたのだろう?
言うまでもなく、公的医療保険で治療費が賄われており、入院の際の個室料金や病院に通うタクシー代は自分の貯金から出していたはずである。
 このように合理的に考えると民間の医療保険に入るという必要性はあまりないと考えて良いのだが、相変わらず医療保険に入っている人は多い。

筆者は行動経済学で考えると、その理由が割と容易に説明できると考えている。
それは「メンタルアカウンティング」といわれる心理だ。
メンタルアカウンティングというのは「心の会計」といって、同じお金でも出所が異なることで感じ方が違ってくる心理のことをいう。

 例えば保険で支払われるとありがたいと思うのに、貯金を取り崩すのは何だか自分のお金が減って損をしたような気持ちになるということだ。
そもそも貯金は「下ろす」というが、保険金は「下りる」と表現する。
何か、どこからかお金が降って湧いたように感じる。
しかしながら、保険金というのは自分が長年にわたって払い込んでいた保険料から支払われているにすぎない。

保険料支払額よりも給付される保険金は大抵少ない
 また、こんなデータもある。
公益財団法人「生命保険文化センター」が今年9月に公表した「生活保障に関する調査」によれば、入院時の自己負担額の平均は20万8000円となっている。
仮に民間医療保険に加入して、月に5000円程度の医療保険料を10年間払い続けたとすれば、60万円を払い込んだことになる。
前述の20万8000円を全部保険金で賄ったとしても、払い込んだ保険料の方が3倍近くも多い金額となる。

ところが、保険料として払い込んだお金のことは記憶が薄れてしまっているため、給付される保険金はとてもありがたいけれど、自分の貯金を取り崩すのは損だ、という気持ちになってしまうのだ。

 同じ「生命保険文化センター」の調査では、過去5年間の自分自身のケガや病気による「入院経験あり」の割合は13.7%となっている。
実際に保険金が支払われる確率は1割あまりしかないことがわかる。
仮に自分がその13.7%に入ったとしても、長年にわたって払い込む民間医療保険の保険料を上回るような保険金が給付されることはまずまれだろう。
だとすれば、医療保険には入らず、その保険料に相当する部分を貯金しておいて、そこから下ろせばいいだけのことだ。

 人間は知らず知らずのうちに、不合理な行動をすることで損をしているというケースがよくあるのだが、特に保険のように長期にわたって払い込む性格のものは、積もり積もって大きな金額になるため、気を付ける必要がある。

自分にとって必要かどうか、果たして損にならないのかどうかを、しっかりと考えておくべきだろう。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする