災害救助の救世主、自衛隊ヘリは命懸け
2019/11/05 Japan Business Press(西村 金一 )
台風19号により、長野県を流れる千曲川の堤防が決壊した。
家族ら3人が避難した2階まで泥流が迫り、家屋を呑み込む危険が迫っていた。
雲は低く垂れこめていたが、自衛隊のヘリコプター「ブラックホーク」が低空飛行で現れ、その3人をロープで吊り上げて救助した。
自分の命が危機に陥れば、一刻も早く救助に来てほしい。
誰もがそう思う。
悪天候や夜間でも、派遣されるのは自衛隊のヘリや救難飛行艇だ。
だが、いつでも、どこにでも、短時間で、派遣されるかと言うとそうではない。
救助を求める場所がヘリ基地の近傍にあれば、短時間に到着できるが、基地から遠いと、時間がかかる。
経路上の山に厚い雲がかかっていれば、救助を諦めて、途中で引き返さなければならないこともある。
台風による災害が広域に発生した場合、特に悪天候であればあるほど、航続距離が長く、高性能の「ブラックホーク」による救助活動が効果的だ。
私は、空挺部隊の降下長(Jump Master)の資格を持ち、かつヘリ偵察の経験者として、救助するヘリについて紹介したい。
なぜなら、この救助活動は、淡々と実行されているようだが、実は悪天候などの場合には、このヘリのパイロットも救難員も、誤れば死という境界で行動しているからだ。
命懸けの緊急救助活動
霧・雲・雪の中や、月も星もない夜、突風を受ける気象条件下で、ヘリが救助のために被災者に接近し、被災者をロープで吊り上げて救出する。
テレビでよく見る光景だ。
見ている人には、普通に淡々と行われていると映っているだろう。
実は、厳しい訓練を積み重ねて、特殊な技能を持った者だけが、恐怖を克服して、やっとできるものだ。
私は、彼らが「天候気象が悪い危険な現場で、必死に黙々と行動している」ことに、賛辞を送りたい。
では、雲がかかっているとなぜ飛行が難しいのか。
私の経験から述べる。
前方がガラス張りの小型のヘリでは、薄い霧のような小さな雲の中を通過するだけで、一瞬、前方が見えなくなる。
雲の塊に入ると、牛乳の中に入ったような感覚を受ける。
小型ヘリでも時速200キロで飛行する。
空港の周辺では航空管制の誘導を受けるので安全だが、そこから外れると視認できなければ、高圧線や他の航空機に衝突することもある。
見えない状態のまま時速200キロで飛行することは、極めて恐ろしい。
悪天候の中飛行し、山に衝突して、ヘリがバラバラに砕け、搭乗員が死亡する事故が起きている。
厳しい気象条件のもとで、事故なく常に安全に飛行できているわけではないのだ。
1994年12月、奥尻島の救急患者を空輸するため、航空自衛隊の救難隊のヘリが、雪の降る悪天候にもかかわらず、千歳空港から奥尻島に向けて発進した。
警察や消防のヘリも飛べなかったところを、千歳救難隊のヘリが任務を受け、飛行中に雪山のユーラップ岳に墜落して、搭乗者全員が死亡した。
2007年、徳之島の救急患者を空輸するため、夜の11時過ぎ、濃霧の中、陸上自衛隊のヘリが沖縄から徳之島に向かい発進した。
星明りもない海の上や山々を飛行することは、前方が見えなくて極めて難しい。
このヘリは、目的地である徳之島の山に激突して、搭乗者全員が死亡した。
機長は、産経新聞社から国民の自衛官賞を受賞したほどの、誠実かつ献身的に任務を遂行してきた人物で、あと数カ月すれば定年を迎えるところだった。
このほかにも、多くの自衛隊ヘリパイロットが、緊急を要する人命救助などを優先するために、悪天候にもかかわらず飛行して殉職している。
一方、事故にはならなかったが、危険であることを覚悟して飛行し、任務を遂行した例も多い。
例えば、福島第一原子力発電所の建屋が爆発し、放射線が大量に放出され、原子炉を早急に冷却することが求められた時に、被曝して生命の危険があったにもかかわらず、自衛隊のヘリが原子炉の真上を飛行し放水したことなどである。
自衛隊ヘリ基地には反対の声
自衛隊のヘリ部隊が配備されている基地では、騒音苦情や建設反対の声が強い。
2014年に御嶽山が噴火し、今年の台風19号で長野県や栃木県では河川が氾濫し、多く登山者や住民が救助を求めた。
そこに、駆けつけたのが群馬県と栃木県に配置されている陸上自衛隊第12師団第12ヘリ隊だ。
この基地のヘリは、首都圏で大災害が発生した場合には、空から短時間で救助に駆けつけ、災害派遣部隊を迅速に空輸することができる。
ヘリは、固定翼機と異なり航続距離が短いので、ヘリ基地が被災地の近くでなければ、迅速かつ効果的な救助活動はできない。
この意味で、この2つの基地は重要な位置に設置されているということだ。
だが、榛名山の麓にヘリ基地を置くことに対して、建設前に、周辺地域の住民からに大反対の声が上がった。
静かだった村に大型ヘリが来れば、騒音で住みにくくなる、丹精込めて作ったぶどう園に砂ぼこりがかかるなどで営業できなくなるといった理由だった。
反対の意見は理解できる。
私は当時、この地にある師団司令部の幕僚をしていて、自治体や地域住民の理解を得ることが非常に難しかったことを覚えている。
司令部では、「ここにヘリ基地ができないようであれば、自衛隊はこの地から撤退せざるを得ないかもしれない」という話も出た。
それでも、説得に説得を重ね、防衛行動や災害派遣の任務の理解を得ることができて、建設することができた。
もし、地域住民の理解が得られず、この地にヘリ基地が建設されていなかったら、現在発生している災害に、ヘリを使った効果的な救助活動はできなかったであろう。
将来、もし首都圏で大災害が発生した場合、緊急を要する救助活動に支障をきたすかもしれない。
自衛隊のヘリ部隊が配置されている基地は、災害救助の際にはなくてはならないものだ。
夜間に訓練する時は、特に苦情が多い。
災害派遣時の気象条件が悪い時を想定し、夜間でも事故なく飛行し、救助活動を行うために、日々、厳しい訓練を行っている。
だが、騒音問題などで、周辺住民からの苦情が多い。
災害救助はいいが、訓練の音は困る。命は助けてもらいたいが、ヘリが出す音には我慢できない、別のところでやってくれということだ。
自衛隊は、住民がなるべく騒音を感じないように、運用方法を考え、飛行規則を作る。
必要最小限の騒音を引き受けることも、受け入れてほしいものだ。
佐賀空港への自衛隊輸送機オスプレイ配備計画を巡っても、地域住民の反対がある。
理由は、前述のとおりだ。
このオスプレイは、南西諸島防衛に運用されるのだろうが、首都圏で大災害が発生したときには、佐賀から群馬県に移動して、首都圏まで飛行してきて、救助活動に当たり、多くの人々の命を救うであろう。
憲法で認められていない
自衛官は、危険なことを承知で任務を遂行しなければならない時がある。
自衛官も、普通の人間だ、恐怖心も持っている。
その任務を遂行できるように、厳しい訓練を積み重ね、危険を乗り越える力を付けている。
だが、現実に、困難な状況下の災害派遣任務において危険を避けられず、多くの自衛官が殉職している。
待っている家族が、辛い思いもすることがある。
殉職者の奥様が、喪服を着て、子供の手を引っ張って、そして、棺の前に立ち、両手を合わせる。
誰でもが、自衛隊を退職するまでに、こんな光景を何度も見る。
自衛隊がこのような任務を遂行していても、国会では、自衛隊は「合憲だ」「違憲だ」という議論になる。
国会に招致された憲法学者は、自衛隊は憲法違反だと発言する。
これは、自衛官やその家族は、国民の一部から、お前たちは憲法違反だと言われ続けているようなものだ。
国土と国民の生命を守る軍隊が、憲法などに違反していると言われるのは、日本だけだと思う。
国会議員は、この国家の問題をいつ解決するつもりなのか。
もう、後回しにする問題ではない。
国家の問題を解決できないことが日本の弱みであり、中国・韓国・北朝鮮から、歴史問題を悪意で歪められ、誇張して宣伝されるなど、そこにつけ込まれているのではないか。