2019年11月26日

ダメなリーダーほど「事なかれ主義」に陥る理由

ダメなリーダーほど「事なかれ主義」に陥る理由
11/25(月) 東洋経済オンライン

臨床に携わる一方、TVやラジオ番組でのコメンテーターや映画評論、漫画分析など、さまざまな分野で活躍する精神科医・名越康文氏による連載「一生折れないビジネスメンタルのつくり方」。
エンターテインメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボにより一部をお届けする。

■「事なかれ主義」のリーダーに共通すること  
「組織のリーダーに向いているのはどんな人か」ということは、昔からよく、議論されてきたテーマです。
例えば「決断力こそが、リーダーに求められる資質なのだ」という人もいれば、「部下にきちんと目配りできる人でなければリーダーの資格はない」という人もいます。

 日本においてよく問題になるのは、リーダーの地位に立つ人の「事なかれ主義」でしょう。
失敗を恐れ、前例のない新しいテーマに積極的に取り組もうとしない。
重要な決断ができず、チャンスを逃してしまう……。
日本にはそういうリーダーが多く、そのことが日本の成長をとどめてしまっている大きな要因になっている。
そんな批判をよく耳にします。  

実際の日本のリーダーがそういうメンタリティーを持っているかどうかはともかく、心理学的に見ると、こうした「事なかれ主義」なリーダーに共通する背景は、実は幼稚な「集注欲求」への囚われだったりします。
 この連載でも何度か紹介していますが、集注欲求というのは「他人からの注目を集めたい」欲求のことです。
生まれたての赤ん坊が、空腹や不快感を訴えるために泣くのと同じように、大人になっても、他人からの関心をひこうとする欲求が人間にはある。

 こうした欲求を未成熟な状態で持ち続けている人が、リーダーになるとどうなるか。
普通に考えると、他人の関心をひくために、何か新しいことをやって目立とうとするのではないか……、と思われるかもしれません。
でも、実際の企業では往々にして、集注欲求の強いリーダーほど「事なかれ主義」になりがちなのです。
 なぜなら、集注欲求に囚われている人にとっては、「他人から賞賛されること」よりもむしろ、「他人から批判を受けたり、非難されたりして、地位を追われることを避ける」という欲求のほうが、ずっと強いからです。

 失敗を恐れず、リスクのある新しいことに取り組む決断をする。
本気でそういうリーダーを望むのであれば、子供っぽい集注欲求からはある程度解放されていて、他人からの評価に一喜一憂しない人間的成熟が必要だということになるでしょう。
 ただ、僕自身はそれにもう1つ条件を加えたいと思っています。
それは「自分で自分を説得できる力があるかどうか」ということです。

■まずは自分自身を説得すること
 チームの中で、どのようにリーダーシップを発揮するのか。
上に立つ人間はどのように振る舞うべきなのか。
『アベンジャーズ』や『アイアンマン』『キャプテン・アメリカ』といった、マーベル・シネマティック・ユニバースが作るヒーローものの映画シリーズは、こうしたリーダー論の基本を学ぶための、よい教科書となります。

 こうした映画を組織論として見ていて気づくのは、それぞれの映画のヒーローであり、リーダーである主人公たちは、決して自分から望んで「リーダー」になろうとしたわけではない、ということです。
アイアンマンにしても、キャプテン・アメリカにしても、他人から請われ、その思いに応えることで、結果としてリーダーとして振る舞っている。
 だからこそ、彼らが誰かに指示を出すときには、決して権威的に、一方的に命令を下すことはありません。
必ず、情理を尽くして説明し、相手を説得しようとします。  

「今はこういう状況で、君にしかこれを頼める人はいない。だから他ならぬ君にお願いするんだ!」と。
 映画を見ていると、そうやって情理を尽くして説得する姿勢こそが、当たり前の姿勢に見えます。
でも、多くのリーダーは、相手よりも上の立場に立った途端に、この誠実さを忘れてしまうのです。

 実際、「上司の命令」というのは一方的であることが多く、また、部下も表面的にはいうことを聞いていても、「これこそが、自分のやるべき仕事だ」というレベルまで、その仕事へのコミットメントが高まっていないことが多いのではないでしょうか。
これでは、仕事がうまくいくはずがありません。

 部下が納得してコミットメントできるようになるまで、しっかりと説得するのがリーダーの仕事だとすれば、そのために必要なことは何か? 
 それは、説得するためのデータを集めるためでも、相手の反論を封じるような弁論術を磨くことでもありません。
「(まずは)リーダー自身が、自分で自分を説得する」ということなんです。

■リーダーは自分が納得した具体的なコミットがマスト
 他人を説得するためにいちばん必要なこと
それは、「自分自身を説得する」ということです

 例えば、「●月●日までにこの計画を完成させなければならない」という課題があったとします。
このとき、なぜ「●月●日」という期日があるのか、間に合わなければ何が起きるのか、そもそもこの課題は、なぜ達成しなければいけないのか。
達成できると、どんなプラスの展開があるのか……。

 こうしたさまざまな要素について、リーダー自身が納得いくまで考え、受け入れることができているか。
「なぜ、この仕事が必要なのか」ということについて、自分自身が納得できるまで、理解を深めているか。
 もし「理解」が自分の心の琴線にまで届き、深い「納得」が生じていれば、自分自身の感情や気分も落ち着き、心の迷いがなくなってきます。
そうなって初めて人間は、最高の能力を発揮することができます。
おのずと部下を説得する言葉にも、説得力が生じるのです。

 例えば、当座だけを見てみれば自分の部署が貧乏くじを引いてしまうような決断について、部下を説得しなければいけない。
そのときに、もしもそのことに自分自身が納得していなければ、とても「全体のために、申し訳ないけれど今は我慢してほしい」と口にすることはできないし、部下の心を動かすことにはつながらないでしょう。

■パワハラは、「納得していないリーダー」の下で起きる
 リーダー自身が納得していなければ、部下を説得することはできない。
 このことは裏を返せば、「自分が納得する」というステップを踏んでいない「命令」はすべて、パワハラの温床となるということです。

例えば、部長から無理難題を頼まれた課長が、自分自身がその命令にまったく納得できていないのにもかかわらず、「命令だから」という理由だけで部下に仕事を押し付けたとします。
 命令を受けた部下は、なんとなく命令を下している自分の上司自身が、腹の底から納得していないことを感じ取ります。
そうなると、当然モチベーションを高く保って仕事をすることはできないでしょう。

 一方、そういう仕事の振り方をしてしまった課長にも、「自分自身が納得できていないまま、部下に命令を下してしまった」という後ろめたさが生じます。
これを真正面から受け止められればいいのですが、多くの場合そうはなりません。
 こういった後ろめたさが生じると、人間の脳は、可能な限りそういう事実(自分自身が納得いっていないのに、部下に押し付けたこと)を無意識に否認するようになります。
否認されて鬱滞(うったい)したエネルギーは、例えば虚勢、イライラ、不機嫌、無視、皮肉、八つ当たり、さらにはいじめにまで、時間差を経て、形を変えて表出することが多いのです。

 成果が上がらない現実に対して、上司にも、部下にもフラストレーションがたまっていく。
パワハラ問題の背景には、往々にして、こうした中間管理職独特の、抑圧された感情があると考えられます。

■2つの共感性のベクトル
 さて、先ほど僕は「リーダーとは周囲に請われて初めてリーダーになるのだ」と申し上げましたが、現実には、「リーダーになりたい」という思いがあるなら、どんどんリーダーになって人を引っ張っていく立場に立ってほしいと思ってもいます。

 というのも、日本では別にリーダーになりたくないと思う人が、組織の慣習やバランスや年功によって、なんとなくリーダーに押し上げられてしまっていることが多いからです。
つまりリーダーというものが、その役割の重要性より、「地位」として珍重されている傾向がある。
 そんなことになるぐらいだったら、少なくとも「自分がやりたい」というモチベーションを持っている人がリーダーになったほうが、ずっといい結果が出るのではないか、と僕は思います。

少なくとも、自分から「リーダーになりたい」という思いを、つまらぬ権力志向ではなく、志として持っている人であれば、自分自身が日々はつらつと仕事をこなすことができるでしょう。
そういうときには、人はあまりパワハラをしたり、自分だけが得をしようという行動は取らないものです。

 ただ、そのうえでリーダーとして人を引っ張っていく立場になる人には、ぜひ気をつけてほしいことがあります。
それは、人の共感性には2つの方向性がある、ということです。
 2つの方向性というのは、「自分より上の立場の人への共感性」と「自分より下の立場の人への共感性」です。
これは真逆のベクトルで、なかなか2つを同時に備えている人というのはいません。
必ずどちらかに偏っているのが普通です。

その偏りをできるだけ、自分なりに把握して、真ん中に立てるように調整する。
これが、特に大企業のような大きな組織の中で、中間管理職的なポジションでリーダーを務めている人に求められるスキルであり、姿勢だと僕は考えています。

 実際問題、リーダーというのは、組織全体の中で見ればほとんど全員が「中間管理職」です。
自分の下には部下がいる一方で、自分が指示を仰ぐ上司もいる。
そのどちらに対して、自分は自然と関心が向くのか、ということを知っておく。

・「部長もいろいろ難しい判断をしていて、大変だろうな」と上長の立場をおもんぱかる傾向のある人は、部下の困りごとを見落としがちです。
・逆に、自分の部下やパートなど、弱い立場の人にきめ細かに目配りができる人というのは、上司や企業の経営陣の思いを、なかなか想像することができません。
 この偏りを自覚しておけば、リーダーを取り巻く多くの問題は、解決の糸口が見つかります。

・上の立場に共感しやすい人は、自分がパワハラをしていないか、パワハラで困っている人を見落としていないか、ということに積極的に注意を向けたほうがいいでしょう。
・一方で、自然と弱い立場に立つ人に優しい視線を向けられる人は、上司が困っていることや、経営的な視点を自分の判断の中に取り入れたほうがよいのです。

 アルファポリスビジネス編集部
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(2) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする