2019年12月11日

上手に節約できて我慢や無理をしなくて済む「極意」とは

上手に節約できて我慢や無理をしなくて済む「極意」とは
2019.12.10 ダイヤモンドオンライン
大江英樹:経済コラムニスト

こまめな消灯で 本当にお金は貯まるのか?
 世の中が不景気になってくると「節約」が話題になることが増えてくる。
書店には節約のノウハウを記した“節約本”が出回るようになるし、ファイナンシャルプランナーの中にも「節約」指南が得意な人たちもたくさんいる。

 実際に節約本などを見ると、“電気はこまめに消す”だの、“風呂の残り湯の利用法”だのといった、実に細かいことがたくさん書かれている。
筆者はサラリーマンだったので、こういう節約ノウハウを見ると、業績悪化時における企業の予算削減と非常によく似ていることがよくわかる。

 業績が悪くなってくると真っ先に削られるのが3Kと言われる「交通費」「交際費」「広告宣伝費」だ
その理由はわかりやすいからで、「タクシーは使うな!」「飲み会は禁止!」「広告はなし!」等々、いずれも目に見えて、とてもわかりやすいものばかりである。
 しかしながら、企業が本格的にコストを下げるための構造改革をしようと思うなら、その方法はたった2つしかない。
1つは製造業の場合、「製造原価を下げること」、そしてもう1つは「業務プロセスの効率化」だ。
 人員削減なども、こうした施策を検討した結果として出てくる方法論の1つにすぎない。

ところが、この2つを実行するためには時間もかかるし、自社のみならず取引先との交渉なども必要になってくるため、すぐに実行することは困難だ。
そこでわかりやすい3Kが登場してくるのである。  

さらにもっとバカバカしいのは、「コピーで裏紙を使え」とか、揚げ句は「トイレットペーパーを二重から一重にしろ」といった類いの指示だ。
社員の気持ちを引き締めたり、危機感を植え付けたりするという意味においては一定の効果は見込めるかもしれないが、こんなことでまとまった経費削減の効果が上がるとはとても思えない。

 家計においてもこれは同じで、前述した電気の消灯とか風呂の湯の再利用などは、実行することで「自分はこんなに頑張ってるんだ」という意識を高める心理的効果はあるだろうが、実際に経済的な面で判断するとそれほど効果は高くない。
 節約するということ自体、別に悪いことではないが、節約するだけでは決してお金を貯めたり増やしたりすることはできない。
お金を増やすためには具体的に目に見える形でキャッシュフローが生まれ、それを別の方法で貯蓄なり投資なりをしていくことが必要だ
つまり具体的な金額目標を設定して、節約したものを金銭に換算していかなければ、何もならない

本当に節約すべき項目を多くの人は見ていない
 ところが節約は、往々にしてそれをすること自体が目的化してしまっていることが多い。
さらに節約するというのは“必要なものでも買わない” “欲しいものでも我慢する”というニュアンスがある。
すなわち結構、心の苦しみや不満を伴うのである。
ストイックに節約するのは、一時的に効果があったとしても決して長続きはしないだろう。

 家計において節約とか無駄をなくすということを実行する場合、多くの人は明らかに間違ったやり方をしている。
というのは支出には「管理可能なもの」と「管理不能な支出」があり、多くの人は前者を削ろうとしているのだ。
 ではこの両者の違いは一体どこにあるのだろう。

そもそも管理可能な支出とは一体どのようなものか、それは外食や趣味・娯楽費、あるいは交際費などもそれに含まれる。
これらはいずれも自分で金額を調節できる。
回数を減らしたり、内容を少しレベルダウンしたりすることで金額を減らすことは可能である。
ところが、これらの項目は、言わばいずれも「楽しむための支出」である。
それらを減らすのだから楽しいはずがない。
気分もどこか暗くなるだろう。
それでも背に腹は代えられないと、多くの人が我慢してこうした「管理可能な支出」を削っているのである。

 一方、「管理不能な支出」とはどういうものかと言えば、各種会費や保険料、固定料金のサービスなどがこれにあたる。
いずれも金額が決まっているので交渉で減らすことは困難だ。
そこでこういう支出には手をつけず、前者の自分で削れる経費を削ろうとするのだ。

 しかしながら、ここで発想を変えてみてはどうだろうか。
管理不能な支出を減らすのではなく、なくしてしまうのだ
具体的に考えてみよう。例えば会費で言えば、スポーツジムなどが代表だろう。
毎週熱心に通っているのであれば問題はないが、会員にはなっているもののほとんど利用していないということはないだろうか?
あるいは、以前に契約したままで全く見直しのされていない保険もそうだ。
 こうした支出はあまりチェックすることなく、払い続けているケースも多い。
本当に利用しているのか、あるいは本当に必要なのかどうかを、よく検討してみる必要がある
その上で必要なら続ければいいが、多くの場合、こうした管理不能な支出の中に多くの無駄が潜んでいる。

「我慢」しなくても 節約はできる!
 さらに言えば、前者の管理可能な支出の多くは、人生を楽しむためのものだから削るとなると寂しい思いをするのは、前述した通りだ。
これでは、一体何のために働いているのかわからなくなってしまうだろう。

ところが、後者の支出はなくしても生活感にはほとんど変化がない。
つまり、節約をしているという感覚を持たなくても支出が減るというメリットがあるのだ。
 実際に子どもが独立して夫婦2人の生活になっているにもかかわらず、多額の保険に入り続けていたり、定年になって時間はたっぷりあるから、ネットで調べたり、図書館に行けばいいのに、現役時代の習慣で、新聞や雑誌を取り続けていたりするのも見直すべきだろう。
そう、管理不能な支出こそなくすべきなのだ

 このように、ひとくちに節約と言っても、そのやり方やどれを対象とするかによって気分は大きく変わってくる。
 どうも節約というのは、欲しいものでも我慢するというイメージがつきまとう。
でも本当に大事なのは節約ではなく「無駄をなくす」ということである

冒頭で紹介した企業の経費節減の例においても、本質を考えるのではなく、目についたもの、わかりやすいものを節減することにいきがちだ。
 なんでもかんでも節約という感覚にとらわれるのではなく、本当に必要なものとそうでないものを峻別し、実効性の高いものから取り組んでいくことが大切なことではないだろうか
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする