2020年03月10日

東京大空襲で10万人の死者、「3・10」を忘れるな 原爆よりも犠牲者が多かった米軍の非道な「無差別殺戮」

東京大空襲で10万人の死者、「3・10」を忘れるな
 原爆よりも犠牲者が多かった米軍の非道な「無差別殺戮」
2020年03月10日 日本ビジネスプレス
佐藤 けんいち
著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表

 自然災害か人災かにかかわらず、大事件を発生した月日の数字で表すことがある。
2001年の米国の同時多発テロ事件「9・11」や、2011年の東日本大震災と原発事故の「3・11」がその代表であろう。  

まもなく、また「3・11」を迎えることになる。
東日本大震災と福島原発事故からまもなく9年になるのである。
月日がたつのは早いものだ。
猛威を振るっている新型コロナウイルス関連の記事や番組があふれている現在どうしても隠れがちだが、福島の復興の状況が気になるところだ。

 だが、本日3月10日にも大量に死者がでた大事件があったことにも注目してほしい。
ここでは「3・10」と名付けておくが、「3・11」だけでなく、「3・10」についても考えてほしいと思うのである。

いや、この2つの出来事は一緒に考えるべきものかもしれない。
日本の弱みや問題点が集約的にあらわれているからだ。

狙われた東京下町、2時間の空襲で死者10万人
 3・10とは、東京大空襲のことである。
1945年(昭和20年)3月10日、大東亜戦争末期の帝都東京に対して行われた、米軍の大規模空爆による大被害のことである。
夜間の超低空から実行された、焼夷弾による都市攻撃である。
攻撃を行ったのはマリアナ基地から発進したB29であった。

 死者はなんと10万人超、負傷者は4万〜11万人、被災者全体で100万人超となった。
しかも空襲が行われたのは、3月10日の午前0時8分から、空襲警報が解除された午前2時37分までの約2時間たらずのことだった。
まったくの深夜のことであった。

 空襲が集中したのは東京の下町である。
山の手ではない。
米軍は、最初から意図的に東京下町の住宅密集地帯を狙って実行したのである。
 焼夷弾は破壊を目的としていないので爆発はしないが、充填されているナパームなどの焼夷剤が燃焼して攻撃対象を焼き払うことを目的としている。
木造建築が圧倒的であった当時の民家に焼夷弾が被弾すると、一気に火が拡がって投下された地帯が焼け野原になってしまったのである。
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パンデミック「現実味増した」=新型コロナでWHOトップ

パンデミック「現実味増した」=新型コロナでWHOトップ
2020年03月10日 時事通信  

【ベルリン時事】
世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は9日にジュネーブで行った記者会見で、新型コロナウイルスがパンデミック(世界的流行)に発展する可能性について「脅威はかなり現実味を増した」という認識を示した。

 感染者は100カ国以上で10万人を突破。
テドロス氏は「これほど多くの人々と国々に、ここまで早く広がったのは、厄介な事態であるのは確かだ」と述べた。

一方で、パンデミックとなっても、まだ封じ込めは可能だと強調した。
 WHOは2009年に新型インフルエンザについてパンデミックを宣言。当時は流行状況と必要な対策を6段階で表し、最高の段階をパンデミックとしていたが、その後の制度改正により明確な定義はなくなった。

 このため、パンデミック宣言は国際社会に強い対応を求める象徴的意味合いが強い。
テドロス氏は「ゲームのルールは同じだ」と述べ、パンデミックか否かにかかわらず、各国が最大限の対応を取るよう促した。 【時事通信社】
posted by 小だぬき at 09:27| 神奈川 🌁| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サリン犯人扱いを…河野義行さん語る警察の理不尽な自白強要

サリン犯人扱いを…河野義行さん語る警察の理不尽な自白強要
3/9(月)  女性自身

94年6月の松本サリン事件で警察やメディアに犯人扱いされた河野義行さん(70)。
無実を訴え、サリン被害を受けた妻を懸命に看護し、3人の子供を守った。
95年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件で、ようやく疑いは晴れる方向に向かった――。

事件の日、河野さん宅に隣接する駐車場から、オウム真理教信者らが撒いた“サリン”によって、近隣住民ら約600人が重軽傷に。
河野さんの妻・澄子さんを含む8人が死亡する大惨事となった。
真っ先に疑われたのが、第一通報者で、自宅に農薬や写真現像用の薬剤を保管していた河野さんだった。
「(病院に)見舞いにきた長男から、『お父さんが殺人犯にされている』と聞いて、えーっ! という感じですよ。

報道を見たら、NHKや朝日新聞は、『薬品の調合間違えた』と、私が救急隊員に話したと報じていましたし、地元の中日新聞も、私が妻と薬品を混ぜていて『白い煙がぱっと上がった』と。
信濃毎日新聞は、『会社員が関与ほのめかす。家族に“覚悟して”』などと、言ってもない事が記事になっていました。
妻は心肺停止、私も入院して苦しんでいるのに、いったいどうなっているんだと。

後から知ったのですが、メディアは警察関係者が流した、いわゆる“リーク情報”をもとに見切り発車で記事を書いていたんです」
事件から約1カ月後、河野さんは多くの報道陣が待ち構えるなか、退院。
その日から、理不尽な取り調べが始まった。
「警察署に着くなり、いきなりポリグラフ(うそ発見器)にかけられて。

〈取り調べは1日2時間まで〉という医師の診断書は無視され、初日から7時間の取り調べ。
翌2日目には、自白まで強要されました。
角刈りでこわもての刑事が取調室に入ってきたかと思ったら、いきなり〈お前が犯人だ!〉とすごんできたんです」
刑事ドラマのような世界がそこにあった。

「これが自白を促すための捜査なんだろうと感じました。
きっと私を脅した警部も、家に帰ればいいお父さんなんだろうと思いながらね」
緊迫した状況のなか、河野さんは弁護士と戦略を練り、メディアを逆に利用して世論を味方につけるという賭けに出た。
「警察に押収された薬品のリストも家の間取り図も全部メディアに公開して、うちでサリンを作れるのか専門家も呼んで検証してもらいました。

年内逮捕という話もあったので、11月には講演会も開いて無実を訴えました」
年が改まった95年の元日、河野さんの疑いを晴らす大きな出来事があった。
オウム真理教の拠点から、サリンの残留物が検出されたと読売新聞が報じたのだ。

その後、長野県警が松本警察署で記者会見を開いた。
〈河野氏は“被害者”であり松本サリン事件には無関係である〉一連の事件をオウム真理教によるものだと断定した結果だった。

「4月に朝日新聞が紙面に謝罪文を掲載したのを皮切りに、おかしな記事を書いていなかったメディアまで謝罪してね。
この一年間は長かった。
世間を敵に回して、マスコミの取材攻勢を受けながら警察と戦っていたわけですから。
朝、起きたらいつも外にパトカーが止まっていて、妻や子供を守らなきゃ、と」 河野さんは、今でも警察やメディアに厳しい目を向ける。

「中にいる個人が〈これはおかしい〉と思ったら声をあげてほしい。
私の場合もある刑事が〈河野を逮捕したら証拠不十分で公判が持たない〉と上に反対してくれたから逮捕されずに済んだんです」
今も月2回、講演を続ける。
自分のように理不尽な目に遭う人を二度と出さないために――。

「女性自身」2020年3月17日号 掲載
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする