中止はあり得ないのか
世界が呆れる安倍政権の“五輪命”
2020/03/24 日刊ゲンダイ
当たり前の判断だろう。
安倍首相が23日、IOC(国際オリンピック委員会)が今夏の東京五輪の開催延期を決めた場合には受け入れる意向を表明した。
首相が延期を容認する姿勢を示したのは初めて。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、IOCは22日に臨時理事会を開き、東京五輪について延期を含めて検討。
その結果、今後4週間以内に結論を出す方針を固めた。
23日の参院予算委で、このIOCの判断を問われた安倍は、22日夜に東京五輪の組織委員会会長を務める森喜朗元首相を通じ、バッハIOC会長に対して中止や規模縮小ではなく、「完全な形で実施すべき」という自らの考えを伝えたと説明。
その上で、「仮にそれ(完全実施)が困難な場合は、アスリートの皆さんのことを第一に考え、延期の判断も行わざるを得ない」と答弁した。
安倍は「中止は選択肢にない」とも言い切っていたが、なぜ中止はあり得ないのか。
同日の参院予算委で、安倍は26日午前0時から4月末まで、米国からの全ての入国者と帰国者に対し、指定場所での2週間の待機と国内公共交通機関の利用自粛を要請する方針を表明していたが、新型コロナウイルスは終息するどころか、感染地域、感染者数ともに拡大する一方なのだ。
このままだと入国を制限する対象国は増えるだろうし、そうなればいつまでも延期などと言っていられなくなるのは明々白々ではないか。
■IOCはボイコットが怖くて開催見直し
<東京五輪を延期せよという批判は絶え間なく、日を追うごとに大きくなっていた。(IOCの決断は)遅過ぎる>
IOCの東京五輪の延期検討について、米紙USAトゥデー(電子版)は批判的に報じていたが、そりゃあそうだろう。
米国では五輪スポンサーなどに影響力を持つといわれる陸上競技連盟や水泳連盟が開催延期を求め、ブラジル・オリンピック委員会は21日に五輪の1年延期を求める声明を発表。
ノルウェー・オリンピック委員会も20日、IOCのバッハ会長に「新型コロナが世界規模で終息するまで開催すべきではない」と要望する文書を送っていたことを明らかにした。
「7月の開催はできない」(スロベニア・オリンピック委員会のガブロベツ会長)、「(練習のための)施設が閉鎖されれば、選手たちは自身を最高の状態に導くことができない」(英国陸連のカワード会長)と、各国・地域のオリンピック委員会や競技団体は、選手の健康不安や施設封鎖に伴う練習不足から、予定通りの開催については強い懸念を示してきたのだ。
そして、とうとうドイツではフェンシング男子の代表選手が予定通りに五輪が開催された場合は出場を辞退する――と表明。
カナダのオリンピック委員会とパラリンピック委員会も、現状日程では選手団を派遣しないと宣言した。
オーストラリアのオリンピック委員会も自国選手に「2021年夏」に向けて準備するよう方針を示したというから、IOCや東京五輪組織委がズルズルと結論を先延ばしするほど、カナダやオーストラリアと同じように「ボイコット」する国・地域も出てくるだろう。
「オリンピックの終わりの始まり」(コモンズ)などの著書があるスポーツジャーナリストの谷口源太郎氏がこう言う。
「IOCや日本政府、東京五輪組織委は、選手よりも商業ビジネスを優先するあまり、新型コロナウイルスの感染拡大に目をつぶってきたわけですが、ここにきて選手や競技団体からボイコットを言い出されたため、やむを得ず見直しを打ち出さざるを得なくなったのでしょう。
いわば追い込まれたと言っていい。
これほど恥ずかしい事態はなく、この先、東京五輪が開催されたとしても最悪の負のレガシーとなるに違いないでしょう」
安倍政権の本音は「マネーファースト」
極限にまで鍛え上げた肉体と、研ぎ澄まされた感覚を競い合う五輪選手にしてみれば、新型コロナウイルスの影響で外出機会が制限され、練習どころか、日常生活すら不便極まりない環境に対して不安やストレスを感じていないわけがない。
だからこそ、各国・地域のオリンピック委員会は開催の再考を求めてきたのであり、この状況がすでにアスリートファーストじゃないのだが、そんな中でも予定通りの五輪開催を強く主張してきたのが他ならぬ日本政府だ。
23日の参院予算委で、安倍は「今現在、五輪が開けるかといったら、世界はそんな状態ではないと思う」と言っていたが、WHO(世界保健機関)が「パンデミック(世界的大流行)」を宣言した以降も、日本政府はIOCと一緒に通常開催を強く訴えてきた。
16日夜のG7(主要7カ国)の緊急電話協議の後も、安倍は東京五輪について「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証しとして、完全な形で実現する」と言い放っていたのだ。
IOCの延期検討を受け、橋本五輪相は「中止はないということで正直、ほっとしている」と安堵の表情を浮かべていたが、欧米の人々や選手にとって、「コロナに打ち勝つ証し」とまで言って五輪に固執する日本の総理大臣や、五輪担当相の発言はどう聞こえたのか。
20日付の米紙ワシントン・ポスト(電子版)は<IOCや日本の当局者が五輪を開催できるかのように振る舞うのは全く無責任だ>と指摘していたが、これが彼らの目に映る異様な今の日本の姿ではないのか。
■コトはヒトの命にかかわる重要問題
厚労省などによると、日本国内で新型コロナウイルスの感染が確認された人は、武漢からのチャーター機で帰国した人やクルーズ船の乗客・乗員を含めて1800人超。
PCR検査の数が少ないのか、政府が意図的に数値を隠しているのかはともかく、米国やイタリアなどと違って感染者が急激に増えていないのはたまたまだろう。
政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議も、現状は持ちこたえているものの、ある日突然、患者が爆発的に広がる「オーバーシュート」の可能性を指摘している。
つまり、感染者が増えていないのは単なるラッキーに過ぎないのに、一昨日(22日)までは26日からの聖火リレーをランナー参加で強行する方針だったから唖然呆然だ。
K―1などの大規模イベントを開催した主催者を批判的に報じるテレビも、なぜか聖火リレーの実施に対しては「やめろ」と言わなかった。
それよりも、五輪が中止や延期になったらカネがかかると大騒ぎだからワケが分からない。
「東京五輪開催」という政府や世論の同調圧力に隠れて見えなくなっているのかもしれないが、コトはヒトの命にかかわる重大問題なのだ。
民間の調査によると、五輪延期で20年の日本全体の経済損失は3・2兆円に上るというが、各国にとっては自国民が生きるか死ぬかの“戦争状態”と同じと言っていいのに、安倍だけが「完全な形で実施」なんて言っているのだから正気の沙汰じゃない。
五輪に関する各国の報道を見ている元外務省国際情報局長の孫崎享氏はこう言う。
「本来であれば、ホスト国である日本の政府や東京五輪組織委から五輪開催の再考を求める意見が出てもおかしくはなかったのに静かなまま。
安倍首相に至ってはG7の首脳が新型コロナ対策で国境封鎖などを議論していたにもかかわらず、『完全な形で五輪実施』などと言っていました。
あの発言で、他国は、日本という国は生命よりも経済を重視する国なのかと受け取ったはず。
各国はかなり呆れた視線で今の日本を見ています」
人命よりもカネカネカネ……。
安倍政権のホンネはアスリートファーストじゃない。マネーファーストなのだ。