滋賀「呼吸器外し殺人」再審で無罪判決、でっちあげ捜査の怖さ実感
2020.4.1 ダイヤモンドオンライン
戸田一法:事件ジャーナリスト
無罪を訴えていた女性は判決前「真っ白な判決を求めたい」と願いを口にしていた――。
滋賀県東近江市の病院で2003年、男性患者(当時72)の人工呼吸器を外して殺害したとして殺人罪で懲役12年が確定・服役した元看護助手の西山美香さん(40)の再審判決公判が31日、大津地裁で開かれ、大西直樹裁判長は二度「被告人は無罪」と繰り返し言い渡した。
裁判長が主文を繰り返し口にするのは異例だ。
西山さんの服役中から確定証拠に対する数々の矛盾点が浮上し、自白した調書も「でっちあげの作り話」とさえ指摘された事件。
検察側は新たな立証をせず、無罪は確実視されていた。(事件ジャーナリスト 戸田一法)
新証拠で自然死の可能性浮上
判決理由で大西裁判長は「男性が何者かに殺されたという事件性を認める証拠はない」と事件性そのものを否定。
死因については自然死の可能性が高いと認定した。
加えて西山さんの自白について「任意捜査の段階から主要な供述がめまぐるしく変遷していた」と一切の信用性を退けた。
そして取り調べの担当刑事が西山さんに軽い知的障害があることや恋愛感情につけ込み「強い影響力で供述をコントロールした」と述べ、でっち上げの捜査で嘘の自白を引き出したと結論付けた。
大西裁判長は主文言い渡しの後は「被告人」ではなく「西山さん」と呼び方を変え、最後に「時間は取り戻せないが、今回の公判は刑事司法の在り方に大きな問題点を提起した」と総括した。
判決後、西山さんは裁判所前で支援者から花束を受け取り「みなさんのおかげで無罪判決をいただくことができました」と涙を流した。
この問題(※筆者注:無罪判決で事件性がなくなりましたので、以降は「問題」と表記します)を巡っては滋賀県東近江市の湖東記念病院で03年5月22日、入院していた男性が死亡しているのを看護師が発見。
県警は04年7月、人工呼吸器を外して男性を殺害したと自白した西山さんを逮捕。
西山さんは公判で無罪を主張したが、最高裁で有罪が確定した。
第2次再審請求審で大阪地裁が17年12月、新しく提出された医師の鑑定書を基に不整脈による自然死の可能性、加えて虚偽の自白を強要された疑いを指摘し、再審開始が決定。
19年3月に最高裁で再審開始が確定した。
判決の誤りでやり直す「再審」
ここで「再審」とは何か、簡単に説明しておきたい。
ズバリ言えば、確定した判決に重大な誤りがあった際に裁判をやり直すことだ。
刑事事件では有罪が確定した受刑者や元受刑者らに有利となる時に認められ、請求に期限などの制約はない。
刑事訴訟法では、確定判決の根拠となった証拠に虚偽や偽造が明らかになったり、新しい証拠や事実が見つかったりした場合が、再審を開始するかどうかの条件となる。
本人や遺族など関係者から請求を受けた裁判所が、再審を開くかどうかを判断・決定する。
最近では15年、大阪市の小6女児死亡火災で保険金を目的とした放火殺人の罪に問われ、無期懲役が確定した母親と同居相手について再審開始が認められたケースがある。
翌年、2人に無罪判決が言い渡された。
また西山さんと同様、殺人罪で懲役13年が確定し服役後、18年に再審開始が決定した熊本県の「松橋事件」がある。
こちらも19年、男性の無罪が確定した。
検察側、一切の反証・反論せず
再審初公判が開かれたのは2月3日。
西山さんは罪状認否で改めて「患者を殺していません」と無罪を主張した。
検察側は冒頭陳述で「確定審や再審の証拠に基づき、裁判所に適切な判断を求める」として、公判前の第三者協議などで示されていた新証拠に反証しない方針を明らかにした。
求刑放棄や無罪論告についての言及はなかったが、事実上の「白旗宣言」で無罪はほぼ確実になった。
弁護側は「被告が人工呼吸器を外した事実はなく、患者の死因は不整脈か気道への痰(たん)詰まり、人工呼吸器の空気漏れのいずれかだ」と指摘した。
そして、再鑑定を依頼した医師の所見を新証拠として提出。
死因の特定は困難で、解剖医の呼吸器が外れたことによる「急性低酸素状態」を死因とした判断は誤りだったと主張した。
鑑定書によると、内臓のうっ血の有無や頭部の皮下出血の状態などから、解剖時のカリウムイオン血中濃度が異常に低く「致死性不整脈」が発生する数値で、自然死だった可能性に言及した。
弁護側はこの所見を根拠に、確定審が有罪の根拠とした「人工呼吸器の停止か、もしくは外れて酸素供給が絶たれ急性死した可能性が高い」とした解剖医所見を疑問視した。
西山さんの自白については「取り調べ担当の刑事に対する恋愛感情を利用し、状況証拠に整合するよう誘導した」「重要な点がめまぐるしく変遷し、嘘であることは明白だった」と指摘した。
「事件に仕立て上げた空中の楼閣」と弁護側
被告人質問では、西山さんが“虚偽の自白”をした理由を「刑事に机の端を蹴られ怖くなった」「逃れるために(呼吸器が外れたことを知らせる)アラームが鳴ったと認めればいいと思った」と説明。
逮捕された際は「(恋愛感情を抱いた)刑事と長くいられて嬉しい気持ちがあった」と明かした。
第2回公判が開かれた2月10日は、検察側が論告で「被告人が有罪との新たな立証はしない」とだけ述べ、求刑はしなかった。
無罪が確実になった瞬間だった。
弁護側は最終弁論で「警察や検察は事件性がないのに殺人事件に仕立て上げた。まさに空中の楼閣」と捜査の姿勢を批判。
さらに「患者は痰詰まりで死亡した可能性」と指摘した医師の所見が記載された初期の捜査報告書が、再審開始決定まで非開示だったことに「警察は患者の死因に関する最も重要な調書を隠し、無罪の証拠を握りつぶしていた」と強烈に指弾した。 この日で再審公判は結審した。
判決直前の3月23日、西山さんは記者会見で「裁判所に『自白は信用できない』と認めてもらい、真っ白な判決を求めたい」と述べた。
そして「同じような冤罪(えんざい)は二度と起きてほしくない」「警察は(迎合しやすい)私の弱みに付け込んで、言葉巧みに嘘を自白させた」と批判した。
煮え切らない検察側に不信感
この再審を巡っては、検察側は強く批判されるべき点が多かった。
再審請求は既に刑期を終え出所した元受刑者によって、冤罪を払拭(ふっしょく)する名誉回復の唯一の手段だ。
しかし検察側は今回、再審請求が正当なものか、それとも不当な捜査だったのか、真相解明に尽くそうとする姿勢は皆無だった。
再審初公判で弁護側は「検察官は大阪高裁での再審開始決定後も最高裁へ特別抗告し、西山さんの名誉回復を先延ばしにした」「再審公判でも無罪判決を求めるわけでもなく『公益の代表者』としてふさわしいと言えない」と批判した。
まったくその通りで、有罪立証はせず、無罪主張もしない、何とも煮え切らない態度だったからだ。
西山さんが判決前の記者会見で語っていた通り、元受刑者は同じ無罪になるにしても検察側の求刑放棄ではなく、真相はどうだったのか弁護側と検察側が一体となって積極的な無罪の証明を望んでいるのだ。
「裁判所には適切な判断を求める」。
これほど無責任な発言はない。
検察のメンツを守ろうとする上司の指示でやむを得なかったのだろうが、検察官は独立した権限を持つ。
起訴状も「地方検察庁」という組織名ではなく、検察官の個人名で作成される。
この検察官は求刑を放棄したのではなく、職務を放棄したのも同然だ。
「然るべく」(検察官が法廷でよく使う用語)、ヤメ検弁護士に転身することをお勧めしたい。
出世と評価のためにでっち上げた刑事
そもそも、なぜこんな杜撰(ずさん)でデタラメなことが起きたのか。
全国紙社会部デスクによると、ことの発端は病死か事故死か事件なのかはっきりしないまま、刑事が“女性の恋心”につけ込んで無理に供述させたことにある。
そこからつじつまが合わない医師の所見は隠し、都合の良い解剖医の所見を採用したことにあった。
そして、その所見に沿った供述を次々に引き出していったわけだ。
事件として認知していなかった死亡案件を殺人事件として立件・有罪に仕立て上げたわけだから、取り調べを担当した刑事は間違いなく本部長賞を受けただろうし、昇任試験も「受ければほぼ合格」レベルのアドバンテージを得たはずだ。
今回の問題は、女性に軽い知的障害があり迎合しやすい性格で、コンプレックスを抱えていることに目を付けて言葉巧みにたらしこみ、自分の評価と出世のためでっちあげた恐ろしい事件だったわけだ。
それだけでも恐ろしいのだが、さらには必死に「無実だ」と叫ぶ女性の悲痛な声に検察官や裁判官の誰1人として耳を貸さず、流れ作業で刑を確定させてしまったことだ。
筆者は地方時代も含め、社会部記者として多くの裁判を傍聴してきた。攻める検察官、守る弁護士、攻守反転する場面や芝居がかった言い回し…。
「まるでゲームだな」と思うことが少なからずあった。
しかし、そこで裁かれているのは法的な知識などほとんどない弱い立場の一般人だ。
裁判官も人間だから、時として間違うこともあるだろう。
しかし、今回は防げた冤罪だったという印象を受ける。
裁判官にも「1人の人生を握っている」怖さをしっかり認識しつつ、真摯に取り組んでほしいと切に願う。