2020年05月01日

「理不尽なダメ出しをする人」に打ち勝つ超戦略

「理不尽なダメ出しをする人」に打ち勝つ超戦略
大切なのは"相手のパターン"の見極めだ
2020/04/30 東洋経済オンライン
西野 一輝 : 経営・組織戦略コンサルタント

上司や同僚、あるいはお客様のささいな一言で、やる気が下がってしまったことはないだろうか?
 「前例あるの?」「やる必要あるんですか?」といった発言で、やる気を下げてくる人物。経営・組織戦略コンサルタントの西野一輝氏は、そんな人たちのことを”モチベーション下げマン”と名付けている。
こうした厄介な存在に出会ったとき、どう対処したらいいのか?
 西野氏は、2000人以上の経営者・著名人のインタビューを通し、やる気が高い人にはある行動・思考の法則があったという。
モチベーションを高めるための方法論をまとめた初の著書『モチベーション下げマンとの戦い方』から一部を抜粋・再構成して紹介する。

「誰かの一言」によって、モチベーションを大きく下げている人にたくさん会ったことがあります。
ただ不思議と、その一言を発した本人からすれば、モチベーションを下げようと思って発言していないケースが多々あります。
むしろその人のモチベーションを上げようと思って言っているケースさえもあります。
そんな「一言」に対抗する方法を紹介していきましょう。

例えば「仕事に対するこだわりが薄い点がきみの長所だね」というように、自分は相手の気持ちがわかるとか、自分は相手のことをわかってあげようと努力していると勘違いしている“モチベーション下げマン”(以下、MSM)はたくさんいます。
自分を過大評価しているのかもしれません。
残念ながら、この過大な自己評価は今後も変わりません。

「わかってないですよ」と理解させるのは相当に困難な話なのです。
このタイプにはどう反論すればよいのでしょうか。

MSMとの上手な付き合い方
まず、変わらないのですから自分のモチベーションの下げ幅を最低限にするために、極力その人とのコミュニケーションの量を減らしましょう。
次第にMSMとの距離感を少しずつ離していくのです(この努力が実ると、自分はモチベーションの下がる機会が減りますが、誰かが犠牲になるリスクは残ることは覚えておきましょう)。

さて、どんなふうに距離を取っていくかというと、やみくもに冷たい態度をとるのはおすすめしません。
そこで、「自分は鈍感で、あなたが話している意味がよくわかりません」と言うのです。
つまり、MSMの発言が高尚であって、自分にはわからないように振る舞うのです。

MSMも話していることが伝わらないとなれば、面白くなくなり心の距離を置く可能性があります。
仮にMSMの発言に敏感に反応すると、それがうれしくて離れてくれません。
それどころか、さらに発言を繰り返す、厄介な状態が続く可能性があります。

人は、発言するなら相手の反応は欲しいもの。
相手が言いやすく、かつ応えてくれるのでターゲットになっている可能性があります。
例えばあなたが経理部に所属していたとして、他部署のある人物が「総務部の後輩が、きみのことを『計算ミスが多い』と、言っていたよ」と、いまの仕事に不適切と言いたげなコメントをしてきたとします。
ここで「どんな場面で計算ミスが多いと感じたのですか? 
もしかして、経理失格と言いたいのですか」と感情的な質問でもすればMSMの思うツボです。

モチベーションがさらに下がるコメントが準備されているかもしれないからです。
ならば、そのコメントを聞き出すことなく、「そうですかね」と気にしていない感じを示すか、「あんまり気にしていないです」と素っ気ない回答をしてみるのです。
すると、MSMからすればつまらない気持ちしか生まれないことでしょう。
「こいつに言っても無駄」と離れていってくれるはずです。
私も過去に同じような対応をすることで、自分に近い距離感から相手にお引っ越し(距離を置いて)いただいた経験があります。

ただ、もしMSMの指摘を真摯に受けとめ、改善をすべきかもしれないと思えたら、ぜひ自己評価を試みてください。
自分が本当に信頼できる人物(同僚など)に「自分って計算ミス多いかな」と聞いてみるのもいいでしょう。

モチベーションが下がったふりをする
「きみが『調子に乗りすぎて、周囲に称(たた)えさせる飲み会をやってるらしい』と聞いたよ。大丈夫?」と業績が著しく高い社員に話しかけるMSM。
そうすることで、仕事が順調な社員が落ち込むとモチベーションが上がるようです。
だからといって自分が悪者にはなりたくないので、噂話を利用して「大丈夫?」と心配している姿勢で話しかけるのです。
本当に困った存在です。

先ほど、自分の領域からお引っ越ししていただくために「鈍感なふりをする」という対策を紹介しましたが、それが難しい場合の反論術を1つ紹介しましょう。
相手のモチベーションが下がればMSMが満足するのであれば、下がったふりをするのです。
例えば、 「すごくショックです。かなりの衝撃を受けたので、明日会社に来れるか自信がないです」
「自分自身で十分受け止めるだけの力がないので、どう答えていいかちょっといま戸惑っています」
こうしたことを言って、相手にご満足いただくのです。
さらに「図星を指されました」といったように的確さを称えるコメントを加えると、MSMからすれば満足度はさらに上がることでしょう。

しかし、相手と信頼関係があると思っていたのに「あなたのあの言動はダメだった」「なぜああしなかったんだ」とダメ出しをされてしょんぼり。
相手との心理的距離感もできてしまい、高かったモチベーションもグッと下がってしまった、こんな経験はありませんか。
自分としては信頼されていると思っているゆえ、ショックは大きなものがあることでしょう。
おそらく、その後は近づきたいと思えず、お互いの距離も空いてしまうことになります。

こうしたダメ出しをしてくる、心理的な背景はどのようなものなのでしょうか?
まずよくあるのが善意のMSMによる、教育的な見地です。
相手のために、よかれと思ってダメ出ししてくれる人とも言えるでしょう。
仮にトゲがありカチンとくるような言い方であったとしても、基本的には感謝したい存在といえます。

よかれと思って言ったダメ出しで信頼関係が壊れたら ただ、よかれと思ったという動機のなかでも、主観が入っているケースは少々厄介です。
単にイライラしたから指摘をしたというように、その人の主観や気分によって左右されるダメ出しは、言われた本人にとっては理不尽なものに感じられるからです。

いずれにしてもダメ出しをした人には、その後に共通して感じることがあります。
それは、相手を傷つけてしまったかもしれないという罪悪感です。
教育的見地であっても、イライラしてダメ出ししてしまったとしても、ダメ出しした本人は、後で「言いすぎたかもしれない」と感じる人が大半なのです(もちろん、例外的に感じない人もいるとは思います)。

実は、かつて自分も知人に対して「いまの言い方では、周囲に支持されないよ」とダメ出しをしたことがありました。
業績好調で周囲からもチヤホヤされていた知人が会社の社長に「ここまで急成長してこれたのは、自分の力量だ」と自意識過剰とも思える発言をしており、さすがに気になったため軽くいさめたのです。
ただ、そのダメ出しをきっかけにして、関係は疎遠になってしまいました。
知人が自分を避けるようになったのです。
定期的に開催していた知人数名での食事会に誘われなくなったり、SNSの友達リストから外されたりしました。
さすがに「普段の自分からしてみたら、きつい言い方をしたのかもしれない」と、反省する機会になりました。

明らかに距離を置かれたら、自分から無理に近づくのも気が引け、そのまま縁が切れてしまいました。
もし知人から声がかかれば、気にせず喜んで付き合いは続けたいと思っていたので、後悔の残る出来事になりました。
このようにダメ出しによって信頼関係が壊れた経験がある人は、意外と多いものです。

理想的な回答をするならば、お互いが歩み寄って信頼関係を再構築すべきだとは思います。
ただ、過去にダメ出しをして後悔している立場から言うと、ぜひここで指摘を受けた人が歩み寄ってきてほしいと思います。

言った本人は、おそらく「言いすぎたのではないか」「傷つけたのではないか」と気にしているからです。
相手への嫌悪感にはひとまずふたをして「ありがとう、これからもよろしく」と感謝の言葉を述べていきましょう。
仮によかれと思ったダメ出しであれば、意図が伝わったと信頼関係がさらに深まります。

仮に感情的なダメ出しであったとしても、感謝の言葉をくれた人に対してさらなる悪意を仕掛ける人は少ないはずです。
つまり、歩み寄ることはプラスしかありません。
まずは言葉だけでも感謝を伝えるように意識をしてみてください。
それがきっと、モヤモヤを解消し互いの関係性を改善するきっかけになるはずです。
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2020年05月02日

緊急事態宣言を延長するなら、内閣総辞職を約束せよ!

緊急事態宣言を延長するなら、内閣総辞職を約束せよ!
2020年05月01日 SPA!【倉山 満】

◆安倍首相よ、緊急事態宣言を延長したいのならば、内閣総辞職を約束せよ!
 南無妙法蓮華経!
自民党と官僚機構が政権担当能力を失い大混乱する中、創価学会と公明党だけが正気だった。
 安倍内閣は、「経済対策になっていない経済対策」を示した。
これに対して異を唱えたのが、公明党である。
支持母体の創価学会から「これでは学会員はほとんど対象とならない!」と抗議が来て、突き上げを通り越して、公明党議員は吊るし上げの状態と化したとか。

政府方針として閣議決定したにもかかわらず、山口那津男公明党代表は「国民一律10万円」を安倍晋三首相に要求。
「連立離脱」を突きつけて、政府方針を撤回させた。
10万円でも足りるかどうか不透明だが、最初の案よりは遥かにマシなのは間違いない。
多くの人の命が救われたのは認めざるを得ないだろう。

 大恥をかいたのが、岸田文雄自民党政調会長だ。
「国民一律10万円」は岸田氏も唱えており、自民党の大半が賛同したが、首相官邸は蹴散らした。
本欄で再三再四お伝えしているように、安倍首相は麻生太郎財務大臣と二階俊博自民党幹事長と組んでいる限り、怖いものはない。
二人の実力者と一部の側近だけで、自民党の多数が求める提案を拒否した。

 ところが、本気で怒った創価学会は敵に回せない。
我が国において権力とは、拒否権のことである
創価学会抜きでは、今の自民党も安倍首相も選挙ができないのだから、逆らうことができないのだ。
しかも創価学会・公明党は政府の政策を即座に精査し、拒否権を行使して安倍内閣の決定を覆した。

 情けないのは、7年も政権を独占させてもらいながら何の実績もないばかりか、疫病対策もできない安倍内閣とその支持者だ。
自民党内の「なんちゃって減税派」は、日ごろは「未来を考える」「日本を護る」だのと偉そうなことを言っているが、いざという時には数だけ多くて何の役にも立たない。
しかも己の無力を詫びるかと思いきや、SNSで有権者を相手に大上段に説教している。
こうした状況に、保守の国民が最も絶望している。
まさか、創価学会と公明党に日本を守ってもらう羽目になるとは、思わなかっただろうから。

 陰鬱な日々が続くが、理由は簡単だ。
ただでさえ昨年10月の消費増税で景気が悪化している時に、コロナ禍で緊急事態宣言である。
政府がまともな補償もしないで経済活動を止めたのだから、当然だろう。
 さて、誰もが「こんな緊急事態宣言など、さっさと解除してほしい」と望んでいると思うだろう。
ところが今の政権は、この危機が少しでも長く続いてほしいと考えているかのようだ。

◆今、緊急事態宣言の解除を、誰が最も望み、最も望まないのは誰か、考えてみてほしい
 なぜか。 誰がこの緊急事態の解除を最も望んでいるかを考えよう。
最大の勢力は検察庁である。
検察庁は、安倍内閣7年の間、人事介入を繰り返され、叩きのめされ続けた。
親安倍派の検察官は、多くの事件をもみ消したとすら噂される。
検察は、安倍内閣の7年間、耐えに耐え続けてきた。
そして、復讐の時が来た。
安倍側近の河井克行元法相夫妻の逮捕は秒読みだ。
ところが、このコロナ騒動の間は、かき消されてしまう。
だから、一刻も早く騒動が終わってくれれば、河井夫妻逮捕、そして安倍倒閣に動く気だ。

 次に緊急事態宣言の解除を望むのは、財務省だ
自粛が長引けば、補償をしなければならない。
しかも、次から次へと。
無制限の歳出など、財務省には耐えられない。
だから、早く終息してほしいと願っているのだ。
検察庁と財務省、いずれも安倍内閣の敵である。

 安倍政権の延命には、この危機を長引かせたいのだ。
 そこで利用されるのが、「専門家」の意見だ。
「このままでは42万人が死ぬ」「人との接触を8割減らせ」「あと2週間の我慢だ」などの意見に従い、安倍内閣は緊急事態宣言を全国に広げた。
だが、冷静に考えよう。
相手は未知のウイルスなのだ。
誰も証拠のある断定などできない。
あくまで「仮説に基づく実験」にすぎないのだ。

 では商人にとって、人との接触を8割減らすとはどういうことか。
売り上げが8割以上減ることである。
店に1日中1人も客が入らないなどザラだが、家賃は容赦なく発生する。
家賃を払ってもらえないと、大家も収入が無くなる。
 確かに専門家は「コロナ対策が万全になるのに1年かかる」「アメリカは2年だと言っている」などと主張する。
そら、そうだろう。
医者は人の命を救うのが仕事で、1人も人を死なせない方策を提言する。
だが、優れた専門家にありがちだが、大局観で知を総合できない。
伝染病で死ぬ人間への対策が医者の仕事であって、経済で死ぬ人間の話は門外漢だ。
 こうした場合、最終的に判断するのは政治家、
特に総理大臣の役目だ。

安倍首相はコロナとの戦いを戦争にたとえた。
ならば、戦争においては前方の戦線と後方の補給の双方を維持しなければならない。
この場合の前方とは伝染病との戦いで、後方とは国民経済だ。
どちらかを取りどちらかを捨てる話ではない。

安倍首相に戦時宰相のような能力を求めても無駄だが、長引けば長引くほど自分の政治的立場が有利な状況なのだから、専門家に悲観論を言わせるに決まっている。
 こうした環境にあると、国民が世の中の状況を見極めるべきだ。
そして声を上げるべきだ。

「安倍首相よ、緊急事態宣言を延長したいのならば、内閣総辞職を約束せよ!」と。
 今の日本政府は、法律に基づかないで自粛を要請してくる。
それでいて十分な補償も行わない。
騒動勃発以来、自民党と官僚は数多くの失態を犯したが、それでも人口当たりの死者数は極端に少ない。
すべて国民の頑張りだ。

その国民に対し、安倍首相や自民党は、一度でも真剣に感謝し、己の無能と無力を詫びたことがあるか。
結果を出せていないし、初動の誤りが無ければ、ここまで深刻化はしなかった。
ならば、安倍首相は安全地帯で他人事のように要請するのではなく、己の進退をかけて国民にひれ伏して頼むべきではないのか。  
与党も野党も、緊急事態宣言を延長する場合は、騒動終了時の安倍内閣の退陣を合意し、協力し合えば良いではないか。
それならば、国民も納得する。
 国民の我慢は、心身ともに限界にきている。
「戦争」なのだったら、まず首相が命を懸けろ!

―[言論ストロングスタイル]―
倉山 満憲政史研究家 ’73年、香川県生まれ。
中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。
在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。
現在、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交について積極的に言論活動を行っている。
ベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』など著書多数。
最新著書に『13歳からの「くにまもり」』
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夏に多いこむら返り 足を伸ばす7つの動作で予防

夏に多いこむら返り
足を伸ばす7つの動作で予防
2018/07/17 NIKKEI STYLE

 暑さが厳しい夏は、実は足がつりやすい季節でもある。
エアコンによる冷えや運動不足による血行不良に陥りがちなうえ、発汗でミネラルを放出しやすいのが原因だ。
足の筋肉をこまめに伸ばして予防しよう。

 足つり(こむら返り)は、ふくらはぎに起こる痛みを伴う筋けいれんを指す。
ふくらはぎの一部の筋線維が強く縮んで、他の筋線維とズレが生じて痛みが出るものだ。
激しい運動の後や睡眠中に起こりやすい。

 夏場はスポーツで多量に汗をかいたり、下痢や水分摂取の不足で脱水状態に陥ったりして、体液のナトリウムやカリウムなど電解質のバランスが崩れて神経や筋肉が興奮しやすくなる。
日中はエアコンの効いたオフィスや自宅で過ごすという人も油断は禁物。
室内にいても汗をかくうえ、運動不足や冷えによる血行不良も足つりを招くからだ。

 今回紹介する運動は一見地味だが、実際に試すと筋肉にジワリと効く。
体力と相談しながら取り組むとよい。
こむら返り@.jpg
まずはじめに、脚を前後に開いて、後ろの足のふくらはぎを伸ばす(写真上)。
子供から大人まで、広く知られている運動だが、実は誤った方法で取り組んでいる人が非常に多い。
大切なのは、伸ばすときに反動をつけないこと、後足のつま先を真っすぐ前に向けること、上体をかがめて無理に力まないことだ。
こむら返りA.jpg
 寝る前にできる運動もある。
あおむけに寝転び、片足を天井に向けて軽く伸ばして、膝の裏に手を添える。
息を吐きながら、5秒程度、かかとを天井に突き上げよう。
つま先を伸ばし、円を描くように回すのも効果的だ。

 睡眠中に足がムズムズして、つりそうな気配を感じたら、寝たままの姿勢でかかとを押し出すようにしてリラックスするとよい。
こむら返りB.jpg

 こむら返りC.jpg
 次に壁などに手を添えて、かかとを上げて背伸びしたり、つま先を上げたりして、ふくらはぎ全体を鍛える。
余裕があるなら、片足を台に乗せて、反対側のかかとを上げて軸足だけで背伸びしよう。
こむら返りD.jpg
体力に自信のある人には「かかと上げ・ちょこっとスクワット」をお勧めする。
つま先を60度程度開いて立つ。かかとを寄せながら上げて、離れないように注意しながら膝を軽く曲げ伸ばしする。
最後にかかとをゆっくり下す。
丁寧に5回ほど繰り返そう。
こむら返りE.jpg
 体力に自信のない人や座り仕事が多い人は、椅子に座ったままでかかとやつま先を上げる動きを繰り返そう。

 ふくらはぎがつった時は、バランスを失わないように安定した壁や柱に手を添えて、ふー、ふーと息を吐きながら、つま先を体の方に引き寄せて足首を曲げる。

息をこらえると、筋肉が縮んで逆効果になるので注意しよう。

 足つり予防の観点からも、夏の間は水分とミネラルの積極的な補給が欠かせない。
日ごろからふくらはぎと周辺の筋肉のストレッチを取り入れつつ、暑さに負けず適度な運動やウオーキング、こまめな家事などを心がけて、つらい足つりを防いでほしい。

(早稲田大学スポーツ科学学術院 荒木邦子)
[NIKKEIプラス1 2018年7月7日付]
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2020年05月03日

他人を許せない正義中毒という現代人を蝕む病

他人を許せない正義中毒という現代人を蝕む病
攻撃対象を見つけ罰することに快感を覚える
2020/04/27  東洋経済オンライン
中野 信子 : 脳科学者

芸能人、著名人の不倫報道の中でよく聞かれるのが「許せない」という言葉です。
「家族を裏切るなんて許せない」「清純派だと思っていたのに許せない」など、対象者への怒りや憎しみの感情がたくさんの「許せない」を生み出しています。
もちろん、不倫は法律上してはいけないことですし、もし自分や自分の近しい人が何らかの被害を受けたのであれば、憤りや怒りが湧くのは当然でしょう。

しかし、自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、当事者と関係があるわけでもないのに、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、完膚なきまでに叩きのめさずにはいられなくなってしまうというのは、「許せない」が暴走してしまっている状態です。

われわれは誰しも、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質を持っています。

「正義の制裁」を加えるとドーパミンが放出
拙著『人は、なぜ他人を許せないのか?』でも詳しく解説していますが、人の脳は、裏切り者や社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。
この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。

こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。
この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。
この「正義中毒」は、危機的な状況になればなるほど、盛り上がりやすい素地ができます。
現在は新型コロナウイルスの蔓延と同時に、世界恐慌というべき側面になってきていますが、「正義中毒」の現象がさらに強く起きてくると思います。

有名人の不倫スキャンダルが報じられるたびに、「そんなことをするなんて許せない」と叩きまくり、不適切な動画が投稿されると、対象者が一般人であっても、本人やその家族の個人情報までインターネット上にさらしてしまう、企業の広告が気に入らないと、その商品とは関係のないところまで粗探しをして、あげつらう……。
こうした炎上騒ぎを醒めた目で見ている方も多いと思います。

しかし、正義中毒が脳に備わっている仕組みである以上、誰しもが陥ってしまう可能性があるのです。
もちろん、私自身も同様に気をつける必要があると思っています。
他人の過ちを糾弾し、自らの正当性が認められることによってひとときの快楽を得られたとしても、日々他人の言動にイライラし、許せないという強い怒りを感じながら生きる生活を、私は幸せとは思えません。

ここでは、誰しもが陥ってしまう「人を許せない」状態から、解放されるための科学的な方法、そして、穏やかな気持ちで生きるための「物事の捉え方のコツ」について触れていきましょう。

「なぜ、許せないのか?」を客観的に考える
まずは自分が正義中毒状態になってしまっているのかどうかを、自分自身で把握できるようになることがとても重要です。
そのためのサインとして、まず「相手を許せない!」という感情が湧いてしまう状態そのものを把握する必要があります。
どんなときに「許せない!」と思ってしまうのかが自身で認識できるようになれば、自分を客観視して正義中毒を抑制することができるようになるからです。

相手は対・人でなくても構いません。
「このテレビ番組は馬鹿ばかしい」「○○党は許せない」「最近の若い連中はなってない」などといった怒りの感情が湧いたときは、その感情を増幅させてしまう前にひと呼吸置いて、「自分は今、中毒症状が強くなっているな」と判断するようにします。
正義中毒に陥らないようにするカギは、メタ認知です。

メタ認知とは、前頭前野の重要な機能で、自分自身を客観的に認知する能力の事です。
「私は今こういう状態だが、本当にこれでいいのか?」と問いかけることができるのは、前頭前野が働いているからであり、メタ認知が機能しているからなのです。
残念ながら、前頭前野は加齢に伴って萎縮してしまうのですが、脳もあくまで体の一部なので、その部位をよく使っている人とそうでない人とでは機能に違いが出てきます。

前頭前野が衰えていない人は、普段から「自分はこう思う」「こうに決まっている」といった固定化された通念や常識・偏見を鵜呑みにせず、常に事実やデータを基に合理的思考や客観的思考を巡らせている人だと言えるでしょう。
メタ認知ができていない人は、他者に共感したり、他者の立場で事情を斟酌したりすることができません。
同時に、自分自身が現在どのような状況にいるのかということも、うまく把握できなくなってしまいます。

「今、自分は正義中毒になっているかもしれない」と思ったときは、まずメタ認知を意識することから始めてみてください。

「どうでもいい」という感覚
正義中毒の対象は他人です。
誰かに対して自分の正義を主張したり、他人に自分の正義を強要したりすることは、結局のところ誰かを縛る行為にほかなりません。
そもそも他者、そして自分自身にも一貫性を求めること自体、不可能なことなのです。

人間である以上、言動に矛盾があるのは当たり前、過去の発言や振る舞いを覆してしまってもしょうがないのです。
今は絶対的な真実と信じていることだって、いつかその間違いに気づく日が来るかもしれません。
そのように「信じていたこと」を裏切られたと感じることこそ、摩擦やいざこざの原因にもなったりするわけですが、それを回避する一番いい方法は、そもそも他人に「一貫性」を求めること自体をやめることではないかと思います。

この典型的な例は、「芸能人○○が不倫!」というスキャンダルが報じられたときの世間の反応を見ればわかります。
不倫のインパクトは、その芸能人のキャラクターから受けるイメージが不倫からかけ離れていればいるほど強く、バッシングも激しくなります。
しかし考えてみれば、芸能人のキャラクターは芸能人としての「商品」であり、本来の人間性とは違っていて当然です。

芸能人としての表向き・仕事用のイメージと、一個人としての私生活はまったく別ものですし、それ以前に自分とまったく関係のない他人の行動、よそ様の人生なのですから、自分に直接的な被害が及ばない限り、たとえ何をしようとも、他人が指図したり、糾弾したりするようなものではありません。

バッシングされている出来事から、社会をよりよくするための一般的問題が浮かび上がるのなら大いに議論すべきでしょうが、個人攻撃をして、ほんのひととき痛快な気持ちになったところで何かが変わるわけでもありません。
およそどうでもいいことでしかありません。

この「どうでもいい」という感覚が、他人に一貫性を求めないためのいい距離感になるのではないでしょうか。
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社会の敵を設定 大阪のパチンコ公表は全体主義の典型手法

それでもバカとは戦え
社会の敵を設定、大阪のパチンコ公表は全体主義の典型手法
2020/05/02 日刊ゲンダイ
適菜収 作家

 大阪府知事の吉村洋文が改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき、休業要請に応じないパチンコ店6店の店舗名を公表した(4月24日)。
興味深かったのは、これに対する反応だ。

ツイッター上には「吉村頑張れ」「店名だけでなく、会社名、オーナー名も公表してください」といった言葉が並んでいた。

 たしかに今のような状況で店を開くパチンコ店もそこに通う客も褒められたものではない。
 現在異常ともいえる維新礼賛報道が続いているが、ボロボロの安倍政権に見切りをつけた売国壊国勢力は今度は維新を担ぐ可能性がある。

先日は〈これが対コロナ最強布陣「橋下総理、小池長官、吉村厚生相」〉なるアドバルーン記事まで登場した。
 国民は冷静になったほうがいい。

吉村は「パチンコの依存症問題に正面から取り組むべき」などと言っていたが、維新の会が進めるカジノ誘致によりギャンブル依存症は確実に増加する。
 大阪維新の会法律顧問の橋下徹は大阪について「こんな猥雑な街、いやらしい街はない。
ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい」(2009年10月)、「小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください」(10年10月)などと発言していたが、これが連中の正体だ。

コロナ対策の一律給付金10万円について、橋下は公務員や生活保護受給権者は受け取るなと言い出した。
維新の会お得意の「公務員を叩いて社会に蔓延するルサンチマンを回収する手法」だが、こういう連中に拍手喝采を送っていると最後には国民に牙を向ける。
歴史を振り返れば明らかだ。

 しかし彼らに対する素朴な怒りを利用することで勢力を伸ばそうとする集団には注意したほうがいい。
現在、新型コロナ騒動で人々の不安や不満はたまりにたまっている。
連中にとっては最大のチャンスだ。

世論に火をつけるにはスケープゴートが必要になる。
今回ならパチンコ屋だ。
断っておくがパチンコ屋を擁護するつもりはない。
これが全体主義の典型的な手法であることを指摘したいだけだ。

「社会の共通の敵」を設定し、さらしあげ、密告と私的制裁を奨励する。
毛沢東の紅衛兵、ナチスのゲシュタポ、スターリンやポル・ポトがやったことも同じだ。
posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月04日

ボケ防止の7か条

イグ・ノーベル・ドクター新見正則の日常
ボケ防止の7か条
2015年7月3日 読売新聞

 2日続けてテレビの生放送に出演してきました。
とても楽しかったです。
その中でボケない秘訣ひけつを披露し、それに対するいろいろなご意見がありました。

今日のコラムは僕が思っている「ボケ防止の7か条」に関して書きます。

ともかく歩くこと。歩ける体をつくるためにダンス、太極拳、水泳も。
指先を使うこと。家事、裁縫、盆栽、絵を描く、写経、楽器演奏など。
アウトプットを。おしゃべり、歌う、ゲーム、人や犬の世話。
・ボランティアを。無償の奉仕はやっぱりいいようです。
・同居の人に優しくされすぎない。やることを見つける。
ボケ始めてもできることを。高尚な趣味はボケ始めるとできない。
・最後まで社交的でいること。

 この7か条に科学的根拠はありません。
僕がたくさんの高齢者の方々を拝見し、診察し、投薬してきて至った結論です。

その高齢者の中に僕の母も含まれています。
母は85歳までは相当元気でした。
90歳でもしっかりしていました。
でもその後は認知症を患い、家族で介護しました。
ですから認知症は結構よくわかるのです。

認知症の進行を止める薬はない

 まず、認知症の進行を止める薬はありません。
現在認知症に有効だとして保険適用が認められている薬は数種類ありますが、どれも進行を遅くするだけです。
飲んでも認知症は進行するのです。

いろいろと試して、「家族がなんとなくいいかなと思える薬を続行するのが最良」と思っています。
認知症は頭の中の病気です。
つまり薬は頭の中に入ります。
ですから、内服してかえって症状が悪化したり、凶暴になったり、反対にふさぎ込んでしまったり、いろいろなことが起こります。

本人はどれが効いているかはわかりませんので、家族がしっかり薬の効果を見て、継続や変更・中止を主治医と話し合う必要があります。

母を介護して、数年前に、「せめて1年前にもどるような薬はないのかな」と思いました。
でも、ありませんでした。

 認知症は家族も大変です。
介護している人を認識できる間は、まだ介護している甲斐かいがあります。
でも身内さえもわからなくなると、「なんで生きているんだろう」と思うことがあります。

そんな生きている理由を考えさせられたことも、認知症の母を介護していたからこそと思っています。

歩き続けられることが大切

 歩かなくなると、ボケは進行すると思っています。
整形外科の先輩は、骨折をして歩けなくなるとだいたい1年前後でお迎えがくると教えてくれました。
ともかく歩き続けられる体がなにより大切です。

 指先の神経支配は大脳の多くの部分を占めています。
家事、裁縫、盆栽、絵を描く、写経、楽器演奏など何でもいいのです。
指を動かすことが日課の人はボケにくいと感じています。

 内にこもるのではなく、表現することはとてもいいようです。
おしゃべり、歌、ダンス、踊りなどなんでもいいのです。
アウトプットを大切にしてください。

 ボランティアをしている人は、多くが元気です。
人の世話をする、人のために無償で働くことは、ボケ防止になると確信しています。

少し遠くから温かく見守る

 一人暮らしのお年寄りが、やさしいお嫁さんや娘さんと一緒に住むようになると急にボケることがあります。
今まですべて自分でやっていたことの多くを、家族がやってあげるからです。
何かお年寄りができることを残してあげましょう。
少し遠くから温かい視線で見守ることが、何でもやってあげることよりも大切です。

 認知症になった方をたくさん診ていると、認知症になり始めてからの経過が異なることに気が付きます。
ボケ始めてから頑張れる人と、ボケ始めると一気に進行する人です。

母は読書が大好きでしたが、ボケ始めてからは本をめくるだけで読めなかったようです。
そして一気にボケが進みました。
高尚な趣味はボケ防止には不向きです。

 おしゃべりはいいと思います。
老人会や、世代を超えた集まりには積極的に参加しましょう。
そして家族が少々無理強いをしても参加させましょう。
井戸端会議や世間話は、ボケ防止には最良と思っています。

 ボケに関して母から教えてもらったことは膨大です。
少しずつご披露していきます。
早く教えてくれという方は、拙著「死ぬならボケずにガンがいい」(新潮社)も参考にしてください。
 人それぞれが、少しでも幸せになれますように。

◆ 新見正則(にいみ まさのり)
    帝京大医学部准教授
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老いた体と上手に付き合う

老いた体と上手に付き合う
2015年3月19日 読売新聞
山本紘子・藤田保健衛生大名誉教授

 健康長寿を願うなら若い時からの摂生が大切です、と前回書きました。

では、既に高齢となり、あちこちに支障をきたしている人はどうしたらよいでしょうか?

 長年の酷使で、内臓や骨、関節に生じた不具合は、すっきりとは治らず、少しずつ進行することも多いのです。

私は80歳の方であれば、「あなたは築80年の家です。家に不具合が起きたら、もう古いから、仕方がないとあきらめ、ちょっと手を入れて上手に住むか、新しく建て直すでしょう。
あなたの身体も同じで、新築のようにはできないので、上手に付き合っていきましょう」と話しています。

 上手に付き合うというのは、身体を酷使せず、大事にし過ぎもせず、毎日同じ調子を保って生活をすることです。

ついつい運動をさぼったり、食べ過ぎたりするなど規則正しく生活することは容易ではありません。

同じように生活していても、年を重ねれば、新しい不具合が生じてきます。
昨日までできた動作が、今日はスムーズにできないと、病気じゃないかと考えがちですが、加齢現象かもしれません。

私は、今日が一番若く、明日は未知との遭遇ですと伝え、年を重ねる自分を客観的に見つめるようすすめています。

 90歳になった方が敬老の日にいただいたお祝い金を老後のために貯金されたという話を聞いたことがあります。

自分が生涯のどの辺りにいるかは意外に意識されていないようです。

 私が医師になった頃は、「もう年だから」と言われる患者さんが多かったのですが、今は老化は克服できるという風潮が強く、年と言われると拒否反応が起きます。

いつまでも若々しいことは素晴らしいことですが、楽観的過ぎず悲観的過ぎず、改めてほどほどを認識したいものです。
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2020年05月05日

片づけられない人の6つの習慣

片づけられない人の6つの習慣
2019.09.07 ビジネスジャーナル

吉川永里子
=収納スタイリスト、整理収納アドバイザー

片づけが苦手な人がついやってしまう行動  
私もかつて片づけられない女だったので、その当時は片づけが苦手な人がやってしまいがちな行動をとっていました。
片づけが苦手・できない人は、第一に正しい片づけ方を知らないことが多く、そのためついうっかり、苦手な人が陥りがちな行動をとってしまっています。

 片づけ方が苦手な方がとってしまうあるある行動は、いくつかあります。
例えば次のような6つです。

1.一気に片づけようと、まとまった時間を取ろうとする
2.心配だからと、ついストックをたくさん買い込む
3.とりあえず取っておこうとして袋にしまう
4.言い訳が多く、すぐやらずに先延ばしにする
5.処分するモノを売ろうとして、いつまでも手放せない
6.見えないように棚や引き出しの隙間に突っ込む  

今回は、6つの行動のうち、前半の3つに着目します。

一気に片づけようと、まとまった時間を取ろうとする
 片づけが苦手な方は、片づけにとても時間と労力がかかると思っています。
だからゴールデンウィークや年末の休みなど、まとまった休みのタイミングに片づけようと考えます。
 でも、片づけってそんなに一気に終わりません! 
まして、片づけが苦手な人ならなおさらです。

 私たちのような片づけのプロと一緒に行うなら別ですが、自分一人で片づけるなら、コツコツやるのが基本
毎日5分とか毎週末30分とか、コツコツ時間をつくって、少しずつでいいから片づけを進めましょう!

 片づけを始めるタイミングは、片づけたいなと思ったその瞬間がベスト。
まとまった時間を取ろうとしていたら、いつまでたっても片づけはスタートしませんよ!

心配だからと、ついストックをたくさん買い込む  
別にゴミや要らないモノを溜め込んでいるわけではないのですが、片づけられない人がいます。
それが、あらゆるモノをストックし過ぎな人です。
 洗剤、テッシュペーパー、化粧品、ラップやゴミ袋などの日用品。
ペットボトルの水、缶詰、乾物、お菓子、コーヒーなど多種多様な食品。
子どもがいる場合は、オムツやお尻拭き、まだサイズの大きい洋服なども買い込みがちです。

 ストックをたくさん持ってしまう人は、総じて心配性なところがあります。
足りなくなるかも? まだあったかしら?
 次はいつ特売になるかわからないし! と、不安な気持ちからついつい買ってしまいます。
ただし、そのうち使うモノだとしても、ストック量が過剰だと収納スペースを圧迫してしまいます。
 まずは、在庫がなくなって必要になるまで買わない! というルールを設定し、過剰なストックを減らす生活を心がけましょう!

とりあえず取っておこうとして袋にしまう 
 これは片づけが苦手な人のほとんどがやってしまう、あるある行動です。
さらにこの行動が、余計に片づかない環境をつくってしまうという、絶対にやめたい悪習慣です。
整理収納サポートで多くのお宅に伺っていますが、そこで見るのは、紙袋やビニール袋にガサッと入った、書類や小物の数々。
 テーブルの上に散らかっているモノを、とりあえずまとめて入れて部屋の隅によける。

 とりあえず袋に入れる→部屋の隅によける→また別のモノの塊をとりあえず袋に入れる→部屋の隅によける――。

こうやって繰り返されていくことで、モノがごちゃっと入った袋が地層のように部屋に溜まっていきます。
 袋の中に入れたモノは見えないので、何がどこにあるのか、まったくわからなくなり、結局すべて死蔵することになります。

部屋を見渡してみて、分類されていないままモノがごちゃごちゃ入っている袋があったら要注意!
 見えないモノはないのと同じです。
今すぐ袋から「全部出し」して、中身が見えるようにしましょう。
行動を変えれば片づけられるようになっていきます!
 少しずつでOK! 小さな範囲でOK!
 袋1つでもいいんです。
思い立ったときに整理して、モノを減らす行動を意識してください。

(吉川永里子=収納スタイリスト、整理収納アドバイザー)

【吉川永里子プロフィール】
収納スタイリスト・整理収納アドバイザー
2008年より収納スタイリストとして活動を開始。
片づけられない女だった過去の経験を活かし「片づけはストレスフリーに生きる近道」をモットーに、ざっくばらんに整理収納について説く。
働く女性やママの目線で行うライフスタイル提案が好評で、個人宅のアドバイスから、メディア出演・講演など、テンポのいいわかりやすい言葉で女性の暮らしを全力サポート。
これまでに10000人以上に片づけをレクチャー。
プライベートは、賃貸住宅で夫と4人の息子たちに囲まれて暮らすステップファミリー。

ニュースサイトで読む:
https://biz-journal.jp/2019/09/post_117279.html Copyright c Business Journal All Rights Reserved.
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頑張れない自分は「負け組」ですか? 坊主となった辻仁成が答えます 「人の期待なんか、ほっとけ」

頑張れない自分は「負け組」ですか?
坊主となった辻仁成が答えます
「人の期待なんか、ほっとけ」
9/8(日) withニュース

作家の辻仁成さんがお坊さんとなって10代の悩みに答える「遁走寺の辻坊主」。
女子高生が打ち明けた「親も先生も頑張れっていうんだけど、頑張れないんです」という相談に、辻坊主が授けた教えとは?

今日の駆け込み「頑張れません。どうしたらいいでしょう?」

わしがここの住職、辻坊主である。
この都会の小さな貧しい寺の名前は遁走寺という。
遁走とは「逃げだすこと」だが、それでか、いつのころからか逃げ出したい子供たちがよく訪れるようになった。
あそこに行くと話を聞いてくれるという噂が広まったらしい。
話を聞くだけで、とくに立派なことが言えるわけじゃない。
暇なので、話し相手にちょうどいいのかもしれんね。

わしは御覧のとおり、昼間から寝転がってぐうたらしているのでこの辺の大人たちからは変わり者の生臭坊主と後ろ指さされておる。
御覧の通り、ここはビルに囲まれたつぶれかかった寺なので、檀家もほとんどいなければ、仕事もほとんどない。
わしは猫の百地三太夫(ももちさんだゆう)と暮らしている。
三太夫の猫語が理解できるおかげでわしは退屈せずにすんでおる。

さて、いつものように三太夫と濡れ縁で午睡しておると、 「辻坊主」 と声がしたので、薄目をあけてみると、かわいらしい女子高生が立っておった。
わしは半身を起こし、どうした、と訊き返した。
「ここに来たら、辻坊主が話を聞いてくれるというので来ました」
「そうか、よく来たね。で、なんだい、その話とは」

だいたい、誰もがこんな感じでいきなり話しかけてくる。
でも、本当ならば、まず名を名乗るべきだろう。
そのことをやんわり指摘すると、 「あ、ごめんなさい。ミノリです。ミノと学校では呼ばれてるけど、どっちでもいいです」 と戻って来た。
よしよし。 三太夫が起き上がり、ミノリ君と向き合った。
「かわいいだろう。三太夫という名じゃ」
「太ってますね」 すると三太夫がわしを振り返り、猫語で、けしからん、と呟いた。
もちろん、ミノリ君には、にゃあ、と聞こえただけである。

「何かわしに相談があって来たのかね? そこに座りなさい」 ミノリ君が濡れ縁に腰かけ、寺を囲むビルを見上げた。
三太夫が再び寝転がる。
「あの、頑張れないんです。親も先生も頑張れっていうんだけど」 ミノリ君がぼそっと呟いた。
「頑張らないでいいよ」 わしはそう言った。
「でも、頑張れって、言われる」
誰の人生じゃ?」 え、とミノリ君がわしを振り返った。
「それ、誰の人生じゃね」 「わたしのです」
「じゃあ、人の命令とかきかんでいい。そんな期待、ほっとけ。頑張るな」 あ、とミノリ君がわしをじっと見つめて動かなくなった。

わしはつるつるの頭をかいて、にこりと微笑み、 「頑張るもんか、で行け」 と繰り返した。
「頑張るもんか、ですか」 みゃあ、と三太夫が鳴いた。
がんばらにゃあ、とわしに同意したのだが、ミノリ君には猫語が理解できない。

「でも、負けるな戦えってパパが言う。もっと頑張りなさい、とママが言うの」
「戦うな、頑張るな、逃げてよし、とわしは言うぞ」 三太夫がにゃあと鳴いた。
「でも……」 「なにがでもだ。

戦って苦しむなら、逃げ出していい。
勝てとかわしはいわない。
自分を大事にしろとだけ言う。
自分を大事にしなさい。
誰の人生だ?

するとミノリ君が、わたしの人生、と呟いた。
「無理して戦ってなんになる。
誰に勝つ? 何に勝つ? 君は自分の人生を大事に生きることが何よりの使命だ。
それは人の期待に応えるために自分を殺すことじゃない。だろ?」 三太夫がにゃあと鳴いた。
「な、そんなに苦しむことじゃない。そこで昼寝していきなさい。寝て起きたらすっとする」

「……ありがとう」 ミノリ君は濡れ縁にごろんと寝転がって昼寝をしはじめた。
わしは狭い庭の掃除をしなきゃならなかったので、下駄に足を入れて、竹ぼうきを掴んで庭におりた。
最後に掃除をした日が思い出せない。
まさに、生臭である。
でも、関係ない。
誰の人生じゃ。誰の人生だよ」 わしはブツブツ、そう呟きながら、落ち葉を払うのだった。

辻仁成さんが、実際に相談機関などに寄せられた10代の悩みをもとに創作しています。     

◇ 文・辻仁成(つじ・ひとなり)
1959年、東京都生まれ。
『海峡の光』(新潮社)で芥川賞、『白仏』(文芸春秋)で仏フェミナ賞外国文学賞。
『人生の十か条』(中央公論新社)、『立ち直る力』(光文社)など著書多数。
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2020年05月06日

こどもの日に考える 「やさしさ」が育てる未来

こどもの日に考える 
「やさしさ」が育てる未来
2020年5月5日 東京新聞「社説」

切ない、そしてもどかしい「こどもの日」です。
コロナ禍で思ったように遊んだり、学んだりできない状況が続きます。
こんな時期だけれど、こんな時期だからこそ、未来を担う世代への願いと、支えるべき社会の責任について考えたいと思います。
 休校が決まった二月末、自由学園最高学部(大学部)の渡辺憲司学部長は「『今本当のやさしさが問われている。』コロナ対策に向けて」と題したブログを書きました。
そこでは、感染症関係の学会で出会った研究者の言葉が引用されています。

◆感染症で恐ろしいのは
 「感染症は勿論蔓延(もちろんまんえん)が恐ろしい。
しかしもっと恐ろしいのは病いに対する人々の差別と偏見です」

 ハンセン病に対する隔離政策、エイズや水俣病の人たちへの差別…。
新型コロナウイルスで、感染症の誤った歴史が繰り返される危険があります。
医療従事者や家族が、周囲の心ない言葉や対応に傷つき苦しんでいるという現実がすでにあります。
感染した人や家族の家に投石や落書きするなどの陰湿な嫌がらせも明らかになっています。
悲しいことです。

 「正義と柔軟な感性を持つ若さこそ社会と家庭を思いやりとやさしさに包まれた場所に引っ張って行けるのです」。
そう若い世代への期待を記した渡辺さんに「やさしさ」の意味するところを尋ねてみました。

 「『やさしさ』は『痩せし』。
自分の身を痩せさせることであり、辛(つら)いことでもあるんです」
 新型コロナウイルスは誰でも感染する可能性があります。
不安や恐怖にのみ込まれそうになります。

自分も痛みを感じている中で、相手の憂いをくみ取ることができるかどうか。
やさしくするって、実は大変なことなのかもしれません。

◆大林宣彦監督の言葉
 福島の人々を取材していると、二〇一一年の東京電力福島第一原発事故の後に起きたことと、今の状況を重ねて心配する声を聞くことがあります。
福島ナンバーの車が県外で差別的な扱いを受けたり、その後も避難した子どもたちがいじめられたりしました。
「あの時と同じようなことが、コロナで起きてほしくない」。
その声は切実です。

 四月に亡くなった映画監督の大林宣彦さんは一四年、福島の高校生に向けて、励ましの言葉を贈っています。
高校生を対象にした映像フェスティバル。
相馬高校放送局の作品「ちゃんと伝える」を、大林さんが特別賞に選び、その表彰式の席上でのことです。

 「痛みを感じる体験をした人の方が、うんと人を思いやったり、やさしくなったりする能力を神様から与えられている。(福島の高校生の)作品を見せてもらうことは被災の状況や悲しいことを超えて、人間の勇気ややさしさや失っちゃいけないものを再認識させてくれる力がある」

 晩年に「この空の花−長岡花火物語」(一二年公開)などの戦争三部作を撮った大林さんは同じ席でこんなことも言っています。
「悲しいこと、辛いことは忘れることで生きていられるってこともある。
自分たちはそれでいいけど、未来の子どもたちが歴史を知らないと同じ過ちを犯すから、やっぱり伝えておこうと」

 社会が差別や偏見に満ちた暗い方向へと転がってしまうのか、それともつながりを深めて問題解決にあたる方向へと歩みだせるのか。
私たちは今そのことが問われています。

周囲の苦しみもくみ取りながら考えたこと、感じたことは、コロナ後の社会の針路を定めていく原動力になっていくでしょう。
そして若い世代には、それをさらに次世代に伝えていく時間もたっぷりあります。

 さて、この原稿を書くにあたり、自由学園の渡辺学部長からは、一つ注文を受けています。
こどもの日はむしろ、子どもを包み込む社会がどうあるべきかを書くべきだと。
政治家から子どもや若者を思いやる肉声が聞こえてこないことに、教育者として怒っていました。

◆大人がまず身を削って  
休校が続き、経済的に困っている家庭の子どもたちの栄養状態が心配されています。
閉鎖的な環境で、虐待やDVの問題もいっそう深刻になっています。
大学生たちはアルバイトがなくなり、退学を考えるなど深刻な経済状況が明らかになってきています。

 子どもや大学生の困難はコロナ禍で生じたわけではなく、もともとあった問題があらわになったという側面があります。
社会はそこからまず反省をしなければなりません。
そのうえで十分な手だてを講じていかなくては。

将来を担う世代のために、身を削って「痩せし」にならなくてはいけない責任はまず大人たちが負うべきです。
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2020年05月07日

心の老化 防ぐ10のポイント

心の老化 防ぐ10のポイント
2019年12月19日 All About
宇山 恵子(アンチエイジングガイド)

■おしゃれする気が起きないのは心の老化が原因?
「化粧やおしゃれをする気がなくなった」「人と会うのが面倒」「やる気が出ない」「集中力がない」……10代までは、いつも笑顔で友だちとおしゃべりできたのに、だんだんと笑顔が少なくなって、作り笑いもおっくうに感じたりしたら、それは心の老化が始まったサインかもしれません。
そう! 「体同様に心も老化する」と私は考えます。

■喪失感が心を老化させる
では心の老化の原因は何なのでしょうか?
心はいろいろなものを「失う」ことで老化するもの。
「喪失感」をご存知ですか?
かわいがっていたペットを失ったり、恋人と別れて心にポッカリ穴が開いて、元気がなくなった、などという気持ちが喪失感。ひどい場合はうつ病や自殺願望を抱くまで、自分を追い詰めてしまうこともあるのです。

■加齢と共に失うものも多くなり自信も失いがちに
年を取れば失うものも多くなります。
若さ、美しさ、かわいらしさ、新鮮な気持ち、そして人生の残り時間など……。

女性なら特に加齢と共に「喪失感」を感じやすくなるものです。
これが原因で、自分に自信が持てなくなったり、自分を価値のない存在に思ってしまうと、心が常に不安と不満とストレスでいっぱいになります。
物事をネガティブに考え続けていると、うつ病や対人恐怖、パニック障害、社交不安障害などに陥ってしまいます。

■心のエイジングケアとは?
ではどうすれば、心の老化を防げるのでしょうか?
私は世界中の科学者が研究した結果をもとに、「心を老けさせないエイジングケアのポイント」を10カ条にまとめてみました。
すべてを実践する必要はありませんが、そのときの自分の気分で、「ああ、これやってみよう!」と思ったことにトライしてください。
どれもみんな簡単にできることばかりです。

■1. 恋をする〜恋は心の鎮痛剤
恋をすることは、人を前向きにして、ストレスなどを克服する力を与えてくれるもの。

米国・スタンフォード大学のSean Mackey准教授らがPLoS ONE 2010年10月13日号に発表した研究で、激しい情熱的な恋愛感情には、鎮痛薬やコカインと同等の鎮痛作用があることが明らかになりました。
「身を焦がすような激しい恋」といいますが、実は激しい恋に落ちた人は、その痛みを感じないということなのでしょう!
恋は痛みを忘れる鎮痛剤になるのです。

■2. 運動をする〜運動でストレスを発散
運動することで、ストレスから解放され、若さと健康を保つことができます。

米国・カリフォルニア大学サンフランシスコ校のElissa Epel准教授らがPlos one 5月26日オンライン版に発表した研究で、強い運動をすることにより慢性的ストレスがテロメアを短縮することを妨げる効果があることがわかりました。
テロメアが短いことは、心臓病や糖尿病などの病気や短命と関係していることがわかっています。

■3. よく笑う、思いっきり笑う
よく笑うことで人生を楽しく感じさせることができます。
もちろんよく笑い、笑顔が大きい人のほうが長生きすることも、デトロイトのウェイン州立大学Ernest L Abel教授らがPsychological Science Online Firstに発表した研究で明らかになっています。

教授らはアメリカ大リーグの選手の写真と寿命の関係を分析。選手の平均寿命は72.9歳で、口元だけ笑っていた選手の寿命は75歳、目まで笑う大きな笑顔の選手の寿命は79.9歳だったそうです。
笑うことで、免疫細胞(NK細胞)を活性して、病気になりにくい体をつくるという笑顔の効果も報告されています。

■4. 楽観的に考える
物事を悪いほうに考えずに、自分の都合のいいように楽観視することも大切。
95点のテストでも、「100点満点でなければ意味がない」と思っては、暗い気持ちになってしまいます。
特に忙しいときやストレスが溜まっているときには悲観的に考えずに、自分に甘く「よくがんばっている、エライ!」、現実に甘く「何とかなるよ、がんばれ!」と楽観的に考えましょう。

アメリカケンタッキー大学心理学部教授のSuzanne C Segerstrom博士が行った研究で、124人の学生を対象に免疫能を測定し、学生たちが楽観的なときのほうが免疫反応が活発で、悲観的になると免疫反応が鈍くなることがわかりました。

■5. 怒らない、嫉妬しない
アメリカのUniversity of Delawareの Steven Most教授らが、Emotionという雑誌に発表した研究によると、嫉妬の感情に駆られた女性は注意力がなくなり、実際には見えるはずのものが見えなくなったりしてしまうことがわかりました。
嫉妬や怒りはとても強いエネルギーが必要ですし、とても疲れます。
後悔して自分を責める原因にもなるので、とにかく怒らず、嫉妬せず、大らかな気持ちでいましょう。
怒りの表情を続けていると、ほうれい線や眉間のシワの原因にもなりますよ!

■6. 緑の中を散歩する
英国・エセックス大学のJo Barton博士らがEnvironmental Science & Technology に発表した研究によると、たった5分間緑豊かな環境でウォーキングなどをするだけで、気分が良くなるなど、心の健康にプラスの効果があることがわかりました。

■7. 音楽を聴く、特にロマンチックな曲がオススメ
お気に入りの音楽を聴くことで、気持ちが明るく、ストレスや不安、暗い気持ちが改善されます。
特にロマンチックなバラードなどは、恋をしたくなる気持ちを盛り上げてくれるようです。

フランス南ブルターニュ大学Nicolas Gueguen教授らがPsychology ofn Musicに発表した研究で、若い女性はロマンチックな歌詞のバラードを聞くと、男性のデートの誘いに乗りやすくなることが明らかになりました。
またフィラデルフィア州テンプル大学のChryl Dileo博士がCochrane Database of Systematic Reviewに発表した研究で、音楽を聴かせることで人工呼吸器を使用している患者さんの不安やストレスが改善されることが明らかになりました。

■8. よく写っている自分の写真を眺める
自分が最高にキレイに写っている写真を眺めましょう。
「そんなのない!」という人は、モデルさんのようにキレイに写真撮影してくれるスタジオで記念写真を撮りましょう。
一生の記念になりますし、自分のかわいさ、美しさ、新しい魅力を発見するチャンスになります。
自分の顔やスタイルの悪いところばかりを気にし続けているとだんだんと心が落ち込んで自分が嫌いになってしまいます。

カリフォルニア大学Feusner博士らのArchives of General Psychiatryに発表した研究で、自分の姿形を正しく認識できないと、自分の見かけに対する嫌悪感が芽生え、恐怖症や強迫観念になって、心的ダメージを与えることがわかりました。

■9. 楽しい予定を立てる
「人と会う」「レストランを予約する」「パーティーを開く」「遊園地に行く」など、楽しい予定を立てておくことで、それに向かってがんばろうといういい刺激になり、生活にメリハリが生まれます。
何も予定がない毎日では、明日に向かって生きる張り合いがないですからね。

オハイオ州立大学Matthew J. During教授らがCellに発表した研究によると、身体的・精神的に適度な刺激があるほうが、ストレスがまったくない状況よりもがんを抑制する効果があることがマウスの実験でわかりました。

■10. ブランド品、お気に入りアイテムを持つ
お気に入りのアクセサリーや服を身につけたり、ブランド品を持ったりすることで、自分に自信が持てるようになります。
全身をブランドで固めなくても、何かひとつだけ、お気に入りのブランドを身につけてみましょう。
ブランド品を持つと自分に自信が持てるようになることが、ミネソタ大学Debora Rordder John教授らがJournal of consumer researchで発表した研究で明らかになっています。
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安倍昭恵夫人「コロナ感染拡大を招きかねない総理の呆れた弁明」

安倍昭恵夫人「コロナ感染拡大を招きかねない総理の呆れた弁明」
5/6(水) 女性自身

1月16日の「初感染者」発表から、100日が経った新型コロナウイルスとの闘い。
はたして、指揮官を務める安倍晋三首相の判断は適切だったのか?
 安倍首相の「コロナ対策」を識者が斬るーー。

【政治責任】
呆れた弁明で感染拡大の懸念
日本で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは1月15日のこと。
翌16日に発表され、この日から新型コロナウイルスとの長い闘いが始まった。
3月25日、東京都・小池百合子知事が記者会見。
週末の不要不急の外出自粛を呼びかけ、外務省は全世界への渡航自粛を要請。

その翌日の26日、安倍昭恵首相夫人がタレントやモデルらとともに桜の前で撮った写真が週刊誌で報じられる。
「安倍昭恵さんについて、『夫の足を引っ張って……』という家父長制的な視点で批判するのは的外れです」 そう語るのは、「2人の子どもを持つ働く女性」である、タレント・エッセイストの小島慶子さん。

総理夫人といえども総理とは別人格だと、小島さんは考えている。
「でも、国会で昭恵さんについて追及を受けたときの安倍首相の“いいわけ”はよくありません」

花見の自粛が求められているなか、昭恵夫人が芸能人らと桜の前で撮った写真が報じられたときには“レストランの敷地内だから花見ではない”と強弁した安倍首相。
さらに4月15日、『文春オンライン』が3月15日に昭恵夫人が大分旅行に行っていたことを報じると、 “3密ではない”から大丈夫と4月17日の国会で擁護している。

「しかし、この答弁の翌日からの週末、江の島や吉祥寺で人出が多かったことが報じられました。
『3密でなければ出歩いて大丈夫』と、安倍さんの弁明がお墨付きを与えてしまったのではないかと懸念しています」(小島さん)

コロナとの闘いが始まって100日。
識者の評価は辛辣だが、闘いの終わりはまだまだ見えていない。
これからの100日も厳しく見守ろう。

「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月08日

「緊急事態宣言」の延長は本当に正しかったのか

「緊急事態宣言」の延長は本当に正しかったのか
新型コロナウイルス政策をめぐる3つの疑問
2020/05/07 東洋経済オンライン
小幡 績 : 慶應義塾大学大学院准教授

緊急事態宣言が延長されたばかりのタイミングなので、ここは改めてじっくりこれまでの新型コロナウイルス対策の政策に関して、少し「外野的な議論」をしてみたい。
政策の是非は問わず、どのような立場にも立たず、純粋に議論することは有益だと思う。

そこで今回はコロナ対策の政策の議論を観察してきた中で、私が素朴に疑問に思っていることを、五月雨式に書いてみたい。私自身結論のないものを、あえてここで3つ取り上げてみたいとおもう。

いまさらだが、そもそも「行動変容」って何だ?
まず1つ目。
行動経済学者の私にとって、一番不思議なのは「行動変容」という言葉だ。
緊急事態宣言を延長するかどうか議論するときにも、「行動変容」が十分に起きているか、8割削減が達成されているか、というフレーズが何度も繰り返される。

しかし、そもそも「行動変容」って何だ?
これほど多用されているのに、政府が直接説明したのを記者会見の報道では見たことがないし、新聞などでもワード解説みたいなものは目にしない。
さらに疑問なのは「本当にみんなわかっているのか?」
「わかって使っているのか?」という点だ。 「いまさら何を言っているんだ。
『行動が変わること』だよ。それ以外あるのか?」と言われるかもしれない。

しかし、どういう行動の変化を指すのか?
 たとえば、馬券が当たったから、いつも食べているカツ丼の並を上に変えるということか?
あるいは、うちの息子に彼女ができて、急におしゃれになったとか?
毎日風呂に入るようになったとか?
カネが必要だからバイトを始めたとか?

行動経済学の範囲に入るのかもしれないが、その他の学問などいろいろな分野でも使われているようだ。
おおむね、学習の心理学から出てきた概念で、「経験によって生じる比較的永続的な行動の変化」ということのようだ。
また、医療保健の分野では、人間の行動が変わるときにはいつくかのステージを経て変化するという「行動変容ステージモデル」というものが使われているらしい。

禁煙の研究などで生まれたようだ。
たとえば、厚生労働省のサイトでは「人が行動(生活習慣)を変える場合は、「無関心期」→「関心期」→「準備期」→「実行期」→「維持期」の5つのステージを通ると考えます」と説明されている。
これをコロナ感染拡大防止の点で考えると、行動変容とは、外出を自粛してステイホームを徹底するとか、三密を避けるとか、マスクを必ずするとか、手洗いは欠かさないとか、そういうことであろうか?
それともパチンコ屋に行くのをやめる、夜、飲むお店に行くのをやめるということか?
そうであるし、そうではないとも言える。

行動変容とは「永続的に変わる行動変化」のこと
つまり、単純なことだが、大まかに言って行動変化には2通りあり、

1つは制約条件が課されたために行動が変化した場合。
もう1つは、行動する人間の行動原理が何らかの理由で変わった場合だ。

前述のように、行動変容というのは、永続的に変わることだから、後者のことを指す。
前者の行動変化は意味がない。
なぜなら、制約条件が外れれば行動は元に戻るわけだから、行動原理はまったく変わっていないからだ。

馬券が当たってカツ丼を上に変えても、明日からは並に戻る。
息子も彼女に振られれば、ファッションのことは忘れ、バイトも止める。
これらは意味がない。
では風呂はどうか? 
もし風呂に入る習慣ができて、彼女と別れても毎日風呂に入るようになったらどうか?
 これは行動原理が変わるというよりは、風呂に入るということの価値に気づいたことによって、これまでの行動を決定するときの行動の選択肢に関する価値評価が変化することであり、「行動変容」である。

さて、緊急事態宣言を続けると「行動変容」が起きる、というのはどういうことか?
マスクをしなかった人たちがマスクを嫌がらずに必ずするようになる。
頻繁に手を洗うようになり、外出先でも食事の前には必ず手を洗うようになる。
満員電車はコロナがあろうがなかろうが、インフルエンザにもただの風邪にも良くないから、避けようとするようになる。
企業は、テレワークのほうが効率的な部分もあるから、今後永続的にテレワークの割合を増やす。
夜の店の濃厚接触というのはいろんな感染リスクがあるから、もともと必需でもないからこれを機会に通うのを止める。
こういうことが起これば、「行動変容」であろう。

一方「今はステイホームがんばろう」「緊急事態宣言が外れた、よし、外出しまくろう」「ライブに行こう」「みんなでパーティやろう」。
これでは「行動変容」は起きていないことになる。
この観点で見ると、緊急事態宣言、とりわけその延長というのは「行動変容」に関して、どのような意味があるのだろうか?

「マスクをするようになる」。
これは日本ではもともと確立していた習慣だから、効果はない。
欧米には大きな効果があっただろう。
マスクをしなければ外出できないのであれば、嫌がらずにマスクをしよう。
欧米の人々はこれまでほとんど手を洗わなかったから、手を洗う習慣ができる、トイレに石鹸が置いていなかったのが置いてあるようになった、それを使う習慣ができた、ということで欧米には絶大な効果があったはずだ。

「緊急事態宣言延長」は「行動変容」に対して効果なし?
一方、日本ではほとんどない。
そんなことは分かっているし、多くの人がしていた。
「満員電車を避ける」「テレワークが進む」。
これらは大きな効果があっただろう(と期待したい)。
ただ、延長してもしなくても関係なかったかもしれない。
要は企業側次第だが、延長してもしなくても、しないところはしないだろうから、延長の意味はないだろう。

そして、パーティなどは、延長は逆効果ではないか。
延長で不満が溜まる。
規制が外れたらとことん遊んでやる、騒いでやるという気持ちが、ストレスの高まりとともに、限界値を越えて高まったのではないか。
夜の店に通うのはどうか。
パチンコはどうか。
一種の中毒だとすると、規制が外れればとたんに押し寄せるだろう。
この意味でも、緊急事態宣言はその期間だけ押しとどめているだけだから「行動変容」にはつながらず、意味はないだろう。

もともと、「行動変容」は、タバコ中毒、アルコール中毒に対して、それを脱却するために不可逆的な行動の変化をもたらすために、ある程度の期間が必要で、その期間において前述の5つのステージを経てようやく実現する、というものだ。

肥満対策として、運動習慣、食習慣を変えさせるというのが、今回のコロナ対策における「行動変容」としては近いだろう。 あらゆる意味で、少なくとも「行動変容」に対して、緊急事態宣言の延長というのは効果がない、あるいは逆効果なのではないか。

「行動変容」にも関係するが、2つ目の大きな疑問は、「8割」「8割」とノイローゼになるぐらい繰り返されるお説教である。
第1に、8割というのは人出なのか、接触なのか?という疑問である。
これは、安田洋祐氏なども指摘しているが、当初は、人出を8割減らせというように、政府側も言っていたようであるが、あるときから、接触率を8割減らせ、という風に変わった。
もし接触率8割でよいなら、人出は8割減らす必要はない。
10人同士で接触するのが10×10=100だったのが、2人になれば2×2=4で、8割の人出削減だと接触は96%減るからだ。

第2に、私の反論は、4月17日配信の記事「接触機会8割削減策がズレていると考えるワケ」でも述べたように、接触の質にもよるので、濃厚接触を厭わない人の外出が減らなければ意味がない。
逆に言えば、非常に気をつけて外出する人が多ければ8割減らす必要もないということだ。
ここでは、「住宅地のスーパーで多少の密になったときに、本当に感染が起きているのか?」あるいは「通勤の電車で、満員でなく普通に少し混んでいるときぐらいで、本当に感染が起きているのか?」。
そういうデータも分析も公開されないので、どこをどう自粛していいのか、どういう自粛がもっとも効果的なのか分からない、ということが問題だ。

ライブに行くこと、夜の店に行くこと、みんなで飲み会をすること、これらが悪いのは分かったが、あとは良く分かっていないのだ。

「8割達成」も「延長の判断」とは無関係?
しかし、ここでもっとも大きな疑問は、緊急事態宣言が必要かどうかだ。
「行動変容が起きているか」「8割達成できているかどうか」ということがしつこく言われるが、それは、そりゃあ自粛しろ、といわれているから達成できているが、緊急事態宣言が外れれば、すぐに動き出すわけだから、今8割達成できているかどうかは、緊急事態宣言の延長の判断とは無関係であるはずだ、ということだ。

なぜそこまで8割にこだわり、街中に出ている人を見つけて批判したり、戦時中の隣組みたいに、近所の人に白い目で見られなければいけないのか。
1つ考えられるのは、感染者数というのは1週間前から2週間前の感染状況であるから、足元の感染状況は、今、人出が少ないかどうか、それしか判断材料がないから「今8割削減が達成されていれば、2週間後の数字はきっといいだろう、感染者数の増加幅は減少しているだろう」、という推測に使えるということだ。
  おそらくこれなのだと思うが、そうすると最大の疑問点について考えざるを得ない。

つまり、ロックダウン(都市封鎖)、外出自粛はどこまで効果があるのか?
これが3つめにして最大の疑問点だ。
外出を自粛したほうがしないよりも、感染の拡大が少ないのは分かる。
だがロックダウンを外せばまた感染が始まってしまうのだから、意味があるとするなら、あくまで、感染スピードが加速しているときにそのスピードを一時的に抑えるということが最重要である場合にやるべきということだ。
感染者をゼロ、ウイルスを根絶できない以上、外出制限はあくまでそのときだけ効果があり、制限を外せば、また感染の広がりは始まるわけだから、あくまで緊急避難的な措置だ、ということだ。

ロックダウン=「命も経済も守れる」という前提 ここで最大の疑問は、その効果の程度なのである。
いったい、どこまで効果があるのだろうか?
すでにアメリカでは、アカデミックな議論が盛んである。
もっとも有名なのは、3月末に発表された1918年のスペイン風邪の流行のときに、政府介入による行動規制を行った都市の方が、健康被害も経済被害も長期的には小さかったという論文だ(Sergio Correia et. al.Pandemics Depress the Economy, Public Health Interventions Do Not: Evidence from the 1918 Flu)
したがって「命か経済か」というトレードオフではなく「命も経済も」、とにかく厳しい外出制限、ロックダウンを長期に継続したほうが守れるという主張に学問的なサポートを与えた。
経済学者達は、トレードオフに見えるが実はそうではない、というロジックの美しさに興奮しており、これに注目が集まっている。
だが批判もあり、私も疑問を持っている。

実例として1回の例に過ぎないこと、1918年と現在ではすべての環境が大きく異なること、データが年度ごとなので、経済回復の影響が行動規制によるものなのか、第1次世界大戦によるものなのか、さらにアメリカの西部と東部、中西部ではそもそも経済環境や状況、成長段階が異なったのではないかなど、さまざまな疑問がある。

一方「ロックダウンが唯一の感染拡大防止策であり、かつ効果的だ」、という断定的な論調に疑問を投げかけたのは、2013年にノーベル化学賞を受賞したスタンフォード大学医学部で生物学教授であるマイケル・レビット氏だ(参照記事はこちら)
彼は「感染症が専門ではない」と強く留保条件をつけたうえで、「純粋に統計的な数字を見ると、疫学の学者達が前提とするような、指数関数的な感染爆発は、世界中のどこでも起きておらずもっと緩やかだ」、と主張する。
かつ、「どこの都市も、感染拡大のスピード、最終的な感染者数や死亡者数の規模が余りに良く似ており、各都市の都市封鎖の程度や方法は異なるにもかかわらず、同じような感染拡大カーブを描いているのは驚きだ」と指摘し、ロックダウンの効果に疑問を投げかけている。

彼の主張は、ロックダウンに効果がないことを示すものではない。
だが、これまでのすべての議論は、ロックダウンの感染拡大防止効果は絶大であることを前提としてきた。
それゆえ、こうした前提は定量的にどこでも示されておらず、効果はあるが、どの程度か、それは地域、対象の人種、そのほかの環境によってどう変わるか、まったくわからないまま、「とにかくロックダウンするしかない」「命を守るためには何がなんでもするべきだ」、という議論に対する疑問としては、意味のあることだと思う。

ちなみに、彼は、ロックダウンではなく、普通の行動制限、感染拡大防止行動(マスクや手洗い)をした上で、死亡リスクの高い人々を隔離して徹底的に守るべき、こちらの守りを固めるべきだと主張している。
この主張と整合的なMIT(マサチューセッツ工科大学)の経済学者達の分析もある(Daron Acemoglu et. al., A MULTI-RISK SIR MODEL WITH OPTIMALLY TARGETED LOCKDOWN)

この出来立てほやほや(5月3日公表)の論文では、人々を年齢によって3つの世代に分けたシミュレーションを紹介している。
結論として、国民全体に一律の行動制限、ロックダウンをかけるのでなく、世代ごとに分け、特に高齢者世代に絞って、徹底的なロックダウンをかけた方が、健康被害を減らすという意味では断然効果的であり、経済的被害も健康被害もともに最小化できる、ということが示されている。
このようにアメリカでもさまざまな議論が行われているのだが、読者の皆さんはどう思われるだろうか。
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2020年05月09日

「緊急事態宣言延長」は国民のせいなのか。安倍晋三は1カ月何をやってきたのか

「緊急事態宣言延長」は国民のせいなのか。
安倍晋三は1カ月何をやってきたのか
2020年05月08日 PRESIDENT Online
早稲田大学招聘研究員 渡瀬 裕哉

■安倍晋三が何もやってこなかったこの1カ月間
経済活動再開に向けて、日本政府がほとんど何もしてこなかった1カ月間。
それが4月7日〜5月6日までの安倍政権の緊急事態宣言期間だったと言って良いだろう。

5月4日に行われた安倍首相による緊急事態宣言延長の記者会見の内容は驚くべきものだった。
一体何に驚かされたかというと、緊急事態宣言の解除後に国民が日常に復帰していくための諸施策が5月中に作られるというものだったからだ。
たとえば、安倍晋三首相は5月4日から2週間を目途として各種業態ごとに専門家と協力して事業活動を再開するための詳細な感染予防ガイドラインを策定する旨を発表した。
そもそもこのようなガイドラインは、緊急事態宣言を発出した段階ですでに策定開始していて当然のものだろう。

仮に5月6日で緊急事態宣言を解除したとしても、事業者は新型コロナウイルス蔓延事例が自己の責任が及ぶ範囲内で発生した場合の風評被害・訴訟リスクを懸念し、その事業活動を安心して再開することは困難だろう。
まして、これだけ政府が自粛を煽った後であるから一層リスクが高まっていることも間違いない。
そのため、政府が一定の責任を引き受ける形になるガイドラインの存在は極めて有用である。

■自粛圧力に耐えている民間事業者を馬鹿にするのもいい加減にしろ
したがって、緊急事態宣言延長後にガイドラインを作ることは論外なことは明らかだ。
緊急事態宣言期間中に策定が完了することは最低限のことであり、可能であれば先月の同宣言公表以前の段階で作られていることが望ましいのは当然だ。
むしろ、事業活動再開のためのガイドラインが緊急事態宣言解除判断日に揃っていないということは、政府は最初から1カ月で緊急事態宣言を解除するつもりが無かったと言っているに等しい。

苦しい思いで自粛圧力に耐えている民間事業者を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。
安倍首相は「わが国の雇用の7割を支える中小・小規模事業者の皆さんが、現在、休業などによって売上げがゼロになるような、これまでになく厳しい経営環境に置かれている。
その苦しみは痛いほど分かっています」と述べている。
その中で5月1日からの持続化給付金、すでに対応が行われている中小企業への融資や雇用調整助成金の措置について触れている。

■安倍晋三の国民生活への無理解が明らかになった
だが、すでに実施されている施策についても制度の複雑さや対応速度等の使い勝手の悪さによって中小企業の怨嗟の声が渦巻く状態となっている。
雇用調整助成金を受給するための基準には、行政用語に慣れていない中小企業側にとってはチンプンカンプンな文言が並んでおり、結局は社労士に頼まない限りは申請すらままならない。
諸々の対応策の実施が遅れた理由として補正予算の成立が遅れたこともある。

その理由は安倍政権が作成した限られた人しか受け取ることができない30万円給付金にあった。
その理不尽さが国民の怒りを買って連立与党の公明党が動いたことで、補正予算閣議決定後に一律10万円給付金に予算の組み直しを行う羽目になったのだ。
つまり、国民の現場の声に耳を貸さず、安易に表面上の額面だけを増やした給付金が却下されたのだ。
公明党の対応は生活者の声に敏感だったと思うが、逆に安倍政権の国民生活への無理解が明らかになった出来事だった。

■人間社会の現場を全く理解していない専門家集団が経済を壊す
その無理解の極みが専門家会議による「新しい生活様式」の発表だ。
この「新しい生活様式」の内容に従った場合、多くの中小企業(飲食店等)は廃業に追い込まれるだろう。
提言内容には、食事は「対面ではなく横並びで座ろう」「大皿は避けて料理は個々に」「屋外空間で気持ち良く」と御託が並べられているが、これではほとんどの飲食店にとって回転率が悪すぎて商売が成り立たないことは自明だ。

娯楽・スポーツについても「筋トレやヨガは自宅で動画を活用」「予約制を利用してゆったりと」「歌や応援は十分な距離かオンライン」とされているが、多くのレクリエーションはそれでは当然に成り立たない。

人間社会の現場を全く理解していない専門家集団による提言とは、斯様に専門家への信頼自体を揺るがすものになるのかと実感する良い見本だ。
安倍政権は、民間事業を潰す提言内容を「新しい生活様式」として持ち上げている暇があるなら、この1カ月の間に上述の経済再開のためのガイドラインや緊急事態宣言停止のための基準を作成しておくべきだった。

■米国の猿真似を何でもするが、肝心なことだけは真似しない日本
実際、専門家会議の副座長である尾身氏からも「我々のような公衆衛生、感染症のプロと経済のプロの両方が政府に提言し、政府は両方を見た上で最終的な判断をしてほしい」と要請されたほどに、経済面に関しての意識が低かったように思われる。

政府の回答は「分かった。何とかしよう」というものだったらしいが、感染症の専門家に経済政策の心配をされるとは政府は恥を知るべきだろう。
海の向こうでは、米ドナルド・トランプ大統領は経済人会議を創設して経済活動再開のためのガイドライン作成に以前から着手しており、すでにそのためのガイドラインは公表されている。
米国の場合、ロックダウン解除権限を持つ民主党系州知事が頑なに解除に反対しており、トランプ大統領は経済活動再開に向けて国民の世論を形成するために連日のようにメッセージを発している状況だ。

米国の猿真似を何でもしているわが国政府は、このような肝心なことだけはあせて真似しないとはどうしたことか。
効果の有無すら不確かな緊急事態宣言の紛い物を発し、経済活動再開に向けてはボケっとしているようでは、現政権は得意の物真似芸すらまともに務まらないと言えるだろう。

■世襲政治家や試験秀才の官僚の国民生活への無関心さが露呈した
国民がひたすら理不尽に耐えてきたこの1カ月間、政府がやったことは、同調圧力による私刑を背景とした自粛を国民に強制し、多大な経済被害を与えながら、経済・雇用の命運がかかった経済活動再開についてほぼ何も準備せず、むしろ自粛で困窮する人々への補償を出し渋っていただけだ。

安倍政権の担当者たちは会議室の中で毎日のように新規感染者数の発表を確認することにさぞ忙しかったことだろう。
政権の有様から察するに、市井で失業者、倒産者、融資申請件数がどれだけ増えたかは彼らの目には何も入っていないのだろう。
国民生活が何によって支えられているかを理解しておらず、世襲政治家や試験秀才の官僚が人々の生活について無関心な有様が露呈している。
ちなみに、筆者の手元に、官邸肝いりのアベノマスクが届いたのは5月頭。
うちの町内会はとっくの昔にマスクを早く配布してくれたし、虫入り・カビだらけの可能性があるマスクを貰うよりも、地域コミュニティからの贈り物のほうがよほど役に立つ上に安心だ。

■真面目に働いたと思われる国内事例を一つ紹介する
最後にこの一カ月の間に経済活動再開に対し、その賛否はあるものの、真面目に働いていたと思われる国内事例を一つ紹介しよう。
大阪府は緊急事態宣言延長の翌日5日に、休業及び外出自粛要請の段階的な解除基準を定めている。
その基準は重症病床率、検査対象者の陽性者率、感染経路不明新規感染者数などであり、クラスターが発生していない業種などを解除対象とすると言う。
その上で、国の対応について「具体的な基準を示さず、延長することは無責任」と断じている。
大阪の吉村洋文知事の政治姿勢は、政府が緊急事態宣言解除の基準すら示さず、自らの判断を専門家会議の判断に丸投げしている姿とは大違いだ。
ちなみに、西村康稔経済再生担当大臣が吉村知事の発言にメディア上で噛みつき、吉村知事が大人の対応として陳謝することになったが、誰が仕事をして誰が仕事をしてないかは、衆目の目には明らかだっただろう。

政治家が責任を持って基準を公表することは、その政治生命に対するリスクを自ら背負う行為だ。
しかし、それはあくまでも政治生命でしかなく、国民の生命・財産と比べられるようなものではない。
内閣総理大臣の政治生命は、失業・倒産がもたらす経済苦で命を落とす国民の命に比べれば何の価値もないものだ。

■一体誰のための政治か、国民はわが国の民主主義を問い直すべき
しかし、残念なことに今の永田町の空気からは、このような筆者の言葉に冷笑を浴びせかけるような雰囲気すら感じる。
政治責任をできるだけ回避しようと奔走する政権の有様を見ると、この国の政治家は国民との関係において根本的な部分を履き違えてしまっているように見える。
一体誰のための政治か、国民はもう一度我が国の民主主義の在り方を問い直すべきだろう。

今回の自粛延長は政府が目標に掲げた「接触8割削減」などを国民が守り切れなかったからではない。
安倍首相が国のリーダーとしてあまりに無能すぎるからだ。

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渡瀬 裕哉(わたせ・ゆうや)
早稲田大学招聘研究員
国内外のヘッジファンド・金融機関に対するトランプ政権分析のアドバイザー。
米国共和党保守派やトランプ政権と深い関係を有する。
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2020年05月10日

「自粛警察」危うい正義感 強まる圧力「店シメロ」 専門家が警鐘・新型コロナ

「自粛警察」危うい正義感 
強まる圧力「店シメロ」 専門家が警鐘・新型コロナ
5/9(土) JIJI.com

 新型コロナウイルスの感染拡大とともに、自粛要請に応じない人を攻撃する風潮が社会で強まりつつある。
営業を続ける店や県外ナンバーの車などが標的となっており、インターネット上では周囲に自粛を強いる人を指す「自粛警察」という言葉が話題に。

専門家は「正義感に基づいていても、嫌がらせ行為は許されない」と戒める。

 「コドモアツメルナ。オミセシメロ」。
千葉県八千代市の駄菓子屋「まぼろし堂」では4月下旬、何者かがこんな貼り紙をした。
店は3月下旬から既に休業しており、店主の村山保子さん(74)は「恐怖感がすごかった。今はこんなことではなく、みんなの気持ちを明るくすることを心掛けてほしい」と訴える。

 東京都内では、自粛要請に従って時短営業をしていた居酒屋やライブバーが「この様な事態でまだ営業しますか?」「自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます」などと貼り紙をされたケースも。

徳島県では県外ナンバーの車が傷を付けられたり、あおり運転をされたりする被害が相次ぎ、自衛のため「県内在住者です」と書かれたステッカーが売られる事態となった。

 東京都立大の宮台真司教授(社会学)は「自粛警察」の心理について、
「非常時に周りと同じ行動を取って安心したい人々だ。
いじめと同じで自分と違う行動を取る人に嫉妬心を覚え、不安を解消するために攻撃する」と解説。
「人にはそれぞれ事情があり、非常時の最適な行動も人によって違うことを理解しなければならない」と呼び掛ける。

 企業や事業者の法的支援に詳しい関口慶太弁護士は「営業の自由も移動の自由も憲法に保障された権利。
たとえ公共の目的でも、営業や外出の権利制限は目的に照らし必要最低限でなければならない」と指摘する。

不当な同調圧力をかけてくる人は「直接相手にせず、被害を公に訴えて味方を増やす方が効果的だ」と話した。
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2020年05月11日

コンビニ店員を悩ませるご近所さんの嫌味「非常識と言われても…」

コンビニ店員を悩ませるご近所さんの嫌味「非常識と言われても…」
2020.5.10 日刊SPA (取材・文/吉沢さりぃ) 

ご近所さんから嫌味「コンビニで働くなんて非常識」
 テレワークが推進される中でも普段と変わらず勤務しなければならない仕事もある。
我々の生活に欠かせない、スーパーマーケットやコンビニエンスストアだ。
 しかし、そこに勤めている人々にもさまざまな苦悩や葛藤があった。

客からのクレームで精神的にボロボロ
「スーパーで働くうちの母が心配です……」
 現在、紗綾さん(23歳・仮名)は母親(55歳)のことが気がかりだという。
紗綾さんは三人兄弟。
全員が実家を出ており、お金に困っているわけではないが、3年前から母親は「気分転換」程度のつもりで週3回程度働き始めた。
しかし、コロナをきっかけに状況が大きく変化した。
「東京がロックダウンするかもって噂が3月にあったじゃないですか? あの辺りから、もうスーパーの混み方が尋常ではないみたいで。母は連日のニュースを見るたびに『辞めたい』と嘆いていますが、そうもいかないみたいで……」

 小さい子どもがいる母親や高齢者と同居している人は、コロナ感染への不安からパートを辞めてしまった。
そんななか、紗綾さんの母親は逆にシフトを増やされてしまったそうだ。
「完全に辞め時を見失った感じですね。

スーパーは休業要請が出ていないし、休んでしまったら困る人が多いから。
私たちも心配だから辞めてほしいし、父なんか『何で辞めれないんだ!』ってカンカンなんですけど、母も責任感があるだろうし、急に辞めれないですよね」
 これまでは週3のパートだったが、ここ最近は週5で働くことも増えた。

電話越しでいつも『しんどい』と言っているそうだが、肉体的な疲労よりもっとキツいことがあったという。
「お客さんに『いらっしゃいませ』と言ったら、『(コロナが)移るかもしれないから喋るな!』と怒鳴られたらしいんですよね。
他にも買ってくれた商品で野菜や卵は別途小さいビニール袋に入れるんですが『触るな!』とか。
気持ちはわかりますけど、母だって感染しないように最大限努力している。
 それにそんな暴言を吐いてきた人だって、無症状なだけでコロナ感染者かもしれないじゃないですか。
最近『私がパートを辞められるのはコロナにかかった時かな』なんて言っていたんで、本当に肉体的にも精神的にも心配なんです」

 現在は多くのスーパーやコンビニでレジに“飛沫防止シート”が導入され、ビニール手袋を着用したうえでの会計となっているが、それ以前はこのような出来事が日常茶飯事だったのだ。

実家ぐらしのシングルマザーである里美さん(34歳・仮名)は、コンビニでアルバイトをしている。
週5で出勤して月16万円前後の収入を得ているそうだが、多くの葛藤があるという。
「今までは近くの会社や学校のお昼休みなど、就業時間内はそこそこ混んで、あとはまったりしているような店でしたが、ここ最近は“常にそこそこお客さんが入っている”という状態ですね」

 小学生の息子と両親の4人暮らし。
コロナをきっかけに辞めるという選択肢もあったが……。
「多少の蓄えと両親の年金もありますが、子どもの学資保険とか支払いは多い。
いつコロナが終わるかわからないなかで、いきなり無職は怖い。
いまは失業者が増えているから、仕事があるだけマシなのかもしれないし……。
とはいえ、感染したくはないので、仕事終わりは玄関で服を脱いでシャワーを浴びてから部屋に入るようにしています。
 子どもに関しては基本的な対策をしているので、そこまで心配していません。
ですが、なにより両親がどちらも65歳をこえているので、万が一、私が職場からもってこないか心配です」

 そんな思いを抱えつつ里美さんは勤務を続けているが、気を揉んでいる大きな理由は、近所の人からの目だ。
「自宅に近いコンビニで働いているので、近所の人も知っているんです。
両親がちょっと外に出たら、80代の老夫婦に『おたくの娘さんまだあのコンビニで働いているの?』って嫌味を言われたそうなんです。
『あんな不特定多数の人が来るところで働いてるなんて非常識じゃないですか?』とも。

両親もなんて答えたらいいかわからず平謝りしたそうですが、いたたまれない気持ちになりました。
 その老夫婦の意見もわかります。
でもコンビニやスーパーの従業員が休んだら、皆さんの生活が大変になるんですよって言いたい。
辞められるなら辞めたいけど、辞めたい人が全員辞めたらどうなるのか、1度考えて欲しいですね」

 連日のコロナに関する暗いニュースの連続でナーバスになる人が多いのは分かる。だが、こんな時だからこそ他人を思いやったり、優しい気持ちを持つことが大切ではないだろうか。

 吉沢さりぃ
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。
近著に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)がある。
趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。
Twitter:@sally_y0720
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2020年05月12日

コロナ禍のさなか検察庁法改正案 “抗議デモ”470万件の衝撃

コロナ禍のさなか検察庁法改正案 “抗議デモ”470万件の衝撃
2020/05/11 日刊ゲンダイ

 コロナ禍のさなかに、改めて安倍政権の無法ぶりが浮き彫りになっている。
検察官の定年を延長する「検察庁法改正案」を政府・与党が“強行成立”させようとしていることに猛烈な批判が集中。
ツイッター上で週末(9〜10日)、「#検察庁法改正案に抗議します」とのハッシュタグを付けた投稿が470万件を超え(10日午後10時)、巨大なネットデモに発展している。

 そもそもこの問題は、安倍官邸の“守護神”と呼ばれる黒川弘務東京高検検事長を今年1月に、国家公務員法の解釈変更により閣議決定して定年延長させたことが発端。
検察トップの検事総長に就任させることを狙ったとの疑惑が渦巻いた。
つまり、今度の法案は官邸の“脱法行為”を後付けで正当化する弥縫策である上、成立すれば、起訴権限をほぼ独占する検察が官邸に牛耳られることになりかねない大問題なのである。

 8日に与党は、野党の反対をはねのけ、委員会を強行開催する横暴ぶりだったが、コロナショックのさなかに検察人事をいじることがそんなに重要なのか。
世間の関心がコロナに集まっている隙に、法案を通すつもりではないのか。
そんな当たり前の疑問からネットデモは急拡大。

プロレスラーの大仁田厚や歌手のきゃりーぱみゅぱみゅ、女優の小泉今日子らが声を上げ、ハッシュタグ付きの投稿は470万件を超えるに至ったのだ。

不要不急の法案審議
 目立つのは「火事場泥棒」とのコメントだ。
演出家の宮本亜門は〈このコロナ禍の混乱の中、集中すべきは人の命。どうみても民主主義とはかけ離れた法案を強引に決めることは、日本にとって悲劇です〉と投稿。
混乱に乗じて問題法案の審議を強行するのは、あまりにもあくどい。

 高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言う。
「起訴権限を持つ検察の幹部はフラットであることが大前提で、個人によって判断にバラつきがあってはいけないポジションです。
そこに、特定の個人を充てようということはあってはなりません。
人事について議論するにしても、少なくとも今はそのタイミングではないでしょう。
与野党が最優先すべきはコロナ対策です。
不要不急の外出自粛を求める政府・与党が、まさに不要不急の法案を審議している。
自分たちに都合のいい法案をシレッと成立させる気なら、火事場泥棒との批判は免れません」

 一部では、安倍首相はコロナ対策に疲れ果て、周囲に「もう辞めたい」などと漏らしていると報じられている。
それならば、さっさと退場してもらった方が国民のためになる。
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2020年05月13日

全員解雇タクシー・ロイヤルリムジン 失業保険巡り「不適切文書」

全員解雇タクシー・ロイヤルリムジン 失業保険巡り「不適切文書」
2020年05月12日 文春オンライン

 4月7日に全従業員約600人の解雇を発表した東京のタクシー会社・ロイヤルリムジングループ。
金子健作社長(45)は「休業手当を支払うより、解雇して雇用保険の失業保険の給付を受けた方がいいと判断した」と説明したため、社員のことを考えた“英断”との声も一部にあがっていた。

 今回新たに、ロイヤルリムジンのグループ会社「ジャパンプレミアム社」が解雇の際、一部従業員と「再雇用」を前提として退職の合意書を交わしていたことが「週刊文春」の取材でわかった。
これは失業保険の不正受給に当たる疑いがある。

「週刊文春」が入手した「退職合意書」には、このように記載されている。
〈甲乙は、甲の事業が正常化し雇用を再開する際には乙を再雇用する事を、相互に確認する〉

 解雇に反対して団体交渉を続けている50代の男性社員が話す。
「社長は4月7日から各営業所で解雇通告を行なっていますが、7日時点では一部営業所でこの『退職合意書』に従業員たちがサインしています。
後で『再雇用』の文言が削除された『退職合意書』にサインさせ直していますが、従業員にはそれについてなんの説明もなかったので、再雇用を信じて退職に合意した従業員も多かったと聞きます」

 そもそも、金子社長は4月6日付で営業所に張り出した文書でこう訴えていた。
〈完全復旧した暁には、みんな全員にもう一度集まっていただき、今まで以上に良い会社を作っていきたいと思います。ロイヤルリムジンは永久に不滅です。かならず皆さん、再会しましょう!〉

 だが、5月6日に行われた団交では、従業員が再雇用について確認すると、金子社長は 「(営業所に張り出した文書を)よく読んで下さい。
僕が再雇用を約束したかどうか。してないですよ!
 夢や希望は語っているかもしれませんが」

 労働問題に詳しい旬報法律事務所の佐々木亮弁護士が指摘する。
「雇用保険法施行規則にある通り、失業保険の給付条件は、離職前の事業主に再び雇用されたものでないことです。
つまり、経営者側が従業員に再雇用することを前提として失業保険の受給を促したとすれば、『不正受給』に当たる可能性があります。
また、不透明な再雇用の約束で退職に合意させたのであれば、従業員を騙して合意させたことになります」

 5月13日発売の「週刊文春」では金子健作社長の過去や、二転三転する主張などについて詳細に報じている。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年5月21日号)
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2020年05月14日

コロナが試す「人間性のテスト」で問われること

コロナが試す「人間性のテスト」で問われること
「過去」に学び、「水平思考」で攻めていく
2020/05/13 東洋経済オンライン
清水 久三子 :
アンド・クリエイト代表取締役社長・人材育成コンサルタント

緊急事態宣言の延長が決まり、コロナ禍での生活が長期戦・持久戦となってきました。
短期間の戦いであれば、守りを徹底してやり過ごすということも可能ですが、長期にわたる場合には、守りと攻めとを両輪で考える必要があります。

コロナ感染拡大は人間性のテスト
ドイツのシュタインマイヤー大統領は国民向けのスピーチでこのようなことを述べています
「新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は戦争ではない。
国と国、兵と兵が相対しているのではなく、私たちの人間性が試されている。最高の姿を示そう」

確かにコロナ禍は戦争というよりも、人間性のテストと言ったほうがしっくりくるかもしれません。
自分勝手な振る舞いをせず、他人を思いやり、職務に誠実であること、さらに言えばアフターコロナ時代をよりよいものにするために新しいやり方を見いだしていくこと。
これはまさに人間性のテストといえるでしょう。

この人間性のテストに合格するために、攻めと守りの思考で今、何をすべきかを考えてみたいと思います。
私たちがコロナ感染拡大に対してどう守りを固めるかは、やはり古典から学ぶことで得られることが大きいでしょう。
全世界で今再び多くの人に読まれている、カミュの『ペスト』は読むのがとてもしんどい本ではありますが、コロナ時代のあり方について多くの示唆を得ることができます。一部を引用します。

「りっぱな人間、つまりほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。
しかも、そのためには、それこそよっぽどの意志と緊張をもって、決して気をゆるめないようにしていなければならんのだ」

まずは、自分自身の守りの姿勢として、気を緩めないことが必須だということ、大前提だということが実感できます。
「自粛に飽きた」「コロナ疲れ」などという言葉も聞きますし、感染者の少ないエリアに旅行に行く、レジャースポットや商業施設に人が集まるという事象も散見されますが、今気を緩めることは守りの壁を崩してしまうことにつながります。

また、この後には以下のように続きがあります。
「ペスト患者になることはもちろん苦しいことだが、ペストになるまいとすることはもっと疲れることだ」

すでに多くの方が自粛によるストレスを感じ、疲れがたまり始めているでしょう。
しかし、そのストレスを身近な人にぶつけたり、他者を非難することで解消しようとすることは内側から守りを崩す行為と言えます。
疲れている中で他者をどれだけ思いやれるか、人間性のテストは範囲が広くかつ、深いものです。

そして、医師であるリウーの言葉は私たちが持久戦でどうあるべきかを端的に示唆しています。
「これは誠実さの問題なんです。
こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、ペストと戦う唯一の方法は、誠実さです。
僕の場合には、自分の職務をはたすことだと心得ています」

医療現場の方々は今、まさに誠実さを持ってコロナに立ち向かってくださっていますし、製造・物流・小売り・社会インフラに携わるエッセンシャル・ワーカーの方たちの誠実さなくしてはステイ・ホームはなしえません。
もちろんそれ以外の職種は何もできないかと言えばそういうわけではなく、例えばミュージシャンが自宅での演奏を動画で公開するなどはそれぞれが自分の仕事において何ができるかを考えて誠実に行動している例でしょう。
多くの方はこれで儲けようという気持ちではなく、「今、自分にできることをしよう」という気持ちで行動に移していると考えられます。

長期にわたり、気を緩めず、疲れている状況で誰も責めず、誠実に今できることをする。
コロナに対する守りとはかくも難しいのかと少し気が遠くなりますが、これは人類として一致団結して取り組むべき壮大な試験問題だと認識すべきではないでしょうか。

攻め方は「未来」から考える
守りは過去に学んでみましたが、攻めはどうしたらよいでしょうか。
ここでいう攻めとは直接コロナを打ち負かすということではありません。
ワクチンや治療薬など直接的なコロナへの攻めは研究者や医療従事者にしかできませんが、それ以外の人は攻められないかと言えばそうではありません。
コロナ時代のマイナスをプラスにしていくために何ができるかを、考えてみたいタイミングです。

私はコンサルタントとしてさまざまな思考法を研修や書籍でご紹介していますが、今の時代に攻めに転じるにはラテラルシンキング(水平思考)という思考法を使ってみるとよいと考えています。
ラテラルシンキングとは物事を見る角度を変えて発想の確率を上げる思考法です。
私が行う研修の中では視点移動を身に付けてもらうために「それはちょうどいい!」というエクササイズをやってもらいます。
このエクササイズは数人のグループの中の1人を「社長役」とし、ほかの人は社員として以下のように社長に困難な状況を報告、社長が視点移動をして発想します。

例:「社長、大変です!オフィスビルが火事になり仕事が当面できません」
社長は「それはちょうどいい! ◯◯◯しよう!」とプラスに転じるアイデアを出します。

例:「それはちょうどいい! 社員全員テレワークにしよう!」
社員は「さすが社長!」とポンと手を打ち、「ついでにこうしてみてはいかがでしょう?」と補足していきます。

例:「ついでにコールセンターもリモート対応にしましょう!」 社長が困ってしまい、よいアイデアが出てこない場合は、部下が「それはつまり◯◯するということをおっしゃりたいのでは?」など助けてあげます。

この「それはちょうどいい!」エクササイズのポイントは問題そのものを解消する(例:火を消す)のではなく、あくまでもプラスに転じるアイデアを出すという点です。
これは何を意味しているかというと、出来事はあくまでも出来事であり、問題かどうかは見方や解釈で決まるということです。
出来事をあくまでも出来事として受け止め、出来事があったからこそ起こる未来に意識を集中させることが目的なのです。

「肯定的な見方をする」という考え方が必要
目の前で起きている出来事は、現時点での視点で見ればトラブルや問題と認識されますが、未来から見ればそれは1つのきっかけと認識できます。
もちろんコロナ禍を「それはちょうどいい」と思うのは難しいことですが、コロナ禍を1つのきっかけとして、これまでのやり方を大きく変えていくことはできます。
「災い転じて福となす」ということわざがありますが、これは単に災いが過ぎ去ったらよい結果になっていたという受動的な意味ではなく、自分の身にふりかかった災難や失敗をうまく利用して、よりよい状態になるよう工夫するという能動的な意味です。

災いを福とするには、まずは「状況に対して肯定的な見方をする」という考え方が必要です。
状況に対して、「ああ、最悪だ……」「困ったな……」「早くこの状況が変わらないかな……」と否定的に捉えるのではなく、まさに「それはちょうどいい!」と、思い切って肯定してみるのです。
前述の「それはちょうどいい!」という思考のエクササイズは、初めのうちは社長役の人は「え〜! それは困ったなあ……」となってしまい、なかなかよいアイデアが出てこないのですが、繰り返すうちにほかの人も「お〜!」と感嘆するようなアイデアが出てきます。
このように発想の切り替えは訓練で身に付けることができるのです。

思考は言葉で動き出します。
無理やりでもまずは「それはちょうどいい!」と言ってみると、頭はちょうどよくなることを考え始めます。

例えば、「外出自粛だ。料理教室に人が来られない。これは困った」を「外出自粛だ。料理教室に人が来られない。それはちょうどいい!」と考えてみると「みんな家にいるんだから自宅からオンラインで教室に参加してもらったらどうだろう?」というアイデアが出てきます。
通常の料理教室では作った料理を持ち帰ることはできませんし、いざ自宅で1人で作ろうとすると「あれ、どうやるんだっけ?」とわからないことがあります。
それを夕飯時刻に合わせて自宅のキッチンで先生にオンラインで教えてもらいながら作れば、レッスン終了後にはそのまま家族の夕食の出来上がりです。
自粛生活のストレスにあげられる食事作りも解決され、まさにちょうどいい結果につながるでしょう。

外出自粛という状況をチャンスと捉えればほかにもいろいろなことが考えられると思います。

変えるべきことを変えれば未来は生きやすくなる
また、新しいことを生み出すだけでなく、あえてこの状況において、今まで困っていたことを解消するのも「それはちょうどいい!」と考えることから始まります。
企業においては無駄な会議や承認プロセスを見直すなど、今まで進まなかった働き方改革を進めるチャンスです。
家庭では家族全員が家にいることが多い今、家事の役割分担を決めたり、思い切った片付けをするなどをして、より快適な家庭環境にするよいチャンスでしょう。

コロナ禍の状況だからこそ変えるべきことをしっかりと変えておけば未来はさらに生きやすくなるはずです。
さらに「それはちょうどいい!」エクササイズのポイントをいうと、「さすが社長! ついでにこういうのはどうでしょう?」とアイデアに乗っかり、もっとよくしていくという姿勢です。
ここで「いやそれはやりすぎでしょう」「それは無理でしょう」「これまでのやり方を変えるのはちょっと……」と否定をしてしまうと、災いをやり過ごすだけの受け身の姿勢になってしまいます。
コロナ禍で上昇気流に乗るのか下降気流に落ちるのかはこの考え方の違いが大きいと言えます。

社会、企業、教育期間、コミュニティー、個人がそれぞれのレベルで「それはちょうどいい!」と考え、つながることがコロナ時代の攻め方だと考えます。
ちょうどいいことを自ら探し、ちょうどいいことを思いついた人を称賛して自分も巻き込まれて大きなよい渦を作り出していけば、コロナ後の世界はもしかするとコロナ前より輝くかもしれません。

私たちが受けている人間性のテストに合格するために、過去に学ぶ守りの思考と未来を作り出す攻めの思考で、今何をすべきかを考える一助になればうれしいです。
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2020年05月15日

コロナいじめで暴走する自粛ポリス、潔癖すぎる日本人の「いつか来た道」

コロナいじめで暴走する自粛ポリス、潔癖すぎる日本人の「いつか来た道」
2020.5.14 ダイヤモンドオンライン
窪田順生:ノンフィクションライター

増える新型コロナ患者や家族への 嫌がらせ、医療従事者への誹謗中傷
 ちょっと前、パンデミックのパニックを描いた映画『コンテイジョン』の「恐怖はウイルスよりも早く感染する」というキャッチコピーに共感の声が集まったが、最近の日本はどちらかといえば、「狂気はウイルスよりも早く感染する」という表現の方がしっくりくる。

 どう考えても正気を失っているとしか思えないような、新型コロナ患者やその家族への嫌がらせ、医療従事者への誹謗中傷が増えているという報道が相次いでいる。
 たとえば、感染者のいる家族や病院に「感染が広がったらお前らのせいだ」などという嫌がらせの電話を入れる。
あるいは、医療現場で必死に戦っている医療従事者の子どもを「ばい菌」扱いしたり、保育の受け入れを拒否する。
さらには、仕事でやってきている他県ナンバーの車に、「おらが県にコロナを持ち込むな!」と石を投げるという“自粛ポリス”も問題になっている。

 なぜ、こんな常軌を逸した振る舞いが広がってしまっているのか。
立派な学者センセイや評論家の皆さんは、ざっとこんな感じで分析をしている。

・新型コロナに対する正しい知識を持っていない人が多い
・なかなか感染が収束しないことを「誰かのせい」にしたい
・コロナ禍で、戦時中から引きずる日本人の排他的な国民性が浮き彫りになっている

 なるほど、と納得させられるものもあるかもしれないが、個人的にはかなりモヤモヤが残っている。
「病で苦しむ人」への迫害、差別、偏見というのは、なにもコロナに限った話ではなく、これまでも幾度となく繰り返されてきた「日本人あるある」ともいうべきテッパンのリアクションだからだ。

 原爆症、結核、エイズなどなど例を挙げればキリがないが、今回のコロナと非常によく似通っているのが「ハンセン病」である。
NHKハートネット『ハンセン病家族 知られざる被害と終わらない差別』(2019年10月8日)には、1960年に父親が熊本の療養所に収容されたという女性が、当時家族が受けた「迫害」をこのように振り返っている。
「『病気の子』『そばに行ったら菌がうつる』『どっか行けばいいのに』とか、いろんなこと言われました。
ちょっと家を空けたときに、燃えた跡があったんですよ。
火をつけるぞ、この家燃やしてやるよっていう見せしめだと思うんですね。
さらに、うちで飼ってた犬が首をつられて、体中棒で殴り殺されてたんですよ。
泣くしかなくて、子どもだったので」

なぜコロナいじめと ハンセン病差別は似通うのか
 どうだろう。程度の差はあっても、コロナの感染者や医療従事者が受けている嫌がらせと、思いっきりかぶらないか。
ついでにいえば、家に火をつけるなどの嫌がらせも、休業要請に応じないで営業を続ける店に貼り紙や落書きをする自粛ポリスの手口とソックリなのだ。
 なぜ両者が似通ってしまうのかというと、人々を狂気に走らせるプロセスが同じだからだ。

 今回のコロナ患者や医療従事者への差別というのは、政府や自治体の対策の中に「隔離」という重々しい言葉が登場としたことに加えて、マスコミが連日のようにどこの自治体で「感染者が増えた、減った」と大騒ぎをし、「みんなで頑張って感染者をゼロにしましょう!」といった具合に国民運動化してしまったことが大きい。

 このムーブメントの問題点は、本来は「感染者を治療する」ことに注力しなくてはいけないところを、「感染者を社会からなくす」という点にフォーカスが当たってしまうことだ。
感染者の数を減らすことに対する過度の執着は、「感染した人たちさえいなくなってくれれば、みんなの頑張りが報われて平和になるのに」という感染者排除のムードをつくりかねない。
つまり、患者や医療従事者への差別や偏見を助長するのだ。

 なぜ、そんなことがいえるのかというと、ハンセン病がそうだったからだ。
「らい菌」に感染することで起こるこの病気は、他人への感染力が非常に弱く、治療法もある。
しかし、世間にはそのような情報は広まらず、「怖い伝染病」というイメージが定着した。
国や自治体から「療養所での隔離」という重々しい政策がとられたということもあるが、それに加えて、「みんなで頑張ってハンセン病を撲滅しましょう」という国民運動が全国で行われたからだ。
 それは、「無らい県運動」だ。
ハンセン病の根絶を掲げた厚生省(当時)が地方自治体に指示したことによって起きた、官民一体の国民運動である。
自治体が競い合うように「患者狩り」を行い、県民たちも「あそこの家は怪しい」などと通報や投書を行った。

「そんなのは戦前の話だ」と言うかもしれないが、世界では1941年に治療法が確立され、隔離治療から通院治療に切り替えられて、差別や偏見が薄れていく中で、日本ではこの「無らい県運動」が続いていた。
事実、先ほど紹介した患者家族への攻撃は1960年のケースだ。

実態以上に恐ろしい病気に されてしまったハンセン病
 つまり、「みんなで協力してこの県の感染者をゼロに」という国民運動が盛り上がったことによって、ハンセン病患者は地域に存在することさえ許されない存在になってしまったのだ。
こうなると、ムラ社会で生きる日本人は容赦がない。
患者や家族にあらゆる嫌がらせをして、地域社会から追い出すのだ。

 厚生労働省の「わたしたちにできること〜ハンセン病を知り、差別や偏見をなくそう〜」という特設ページ内に掲載されている、16歳で療養所に入所した元患者の方の手記を引用しよう。

《私が発病すると、私たち一家は村八分(仲間はずれ)にあいました。
親しかった隣人たちも寄りつかなくなりました。
幼い妹はほかの子に遊んでもらえず、弟もいじめにあい、婚約していた姉は破談(結婚の取り消し)になり家を飛び出しました。
私は家族への迫害(苦しめ悩まされること)を断ち切るために療養所へ行くことを決心したのです》

 ほんのちょっと前まで、日本中で「あそこの家から、らい病が出たらしいぞ」などと差別が横行していた。
その意味では、SNSで血眼になって「あそこの家からコロナが出たらしい」といった感じで患者特定をしている令和の日本人のやっていることは、極めて平均的な日本人の立ち振る舞いなのだ。

コロナ狩りの背景にあるのは 陰湿さではなく「清潔さ」
 では、なぜこうなってしまうのか。
 もちろん、中世などにおいては、世界のどこでもこうした「患者狩り」は珍しくなかった。
疫病の罪をなすりつけられて、虐殺される少数民族などもいた。
 しかし近代において、なおかつ医療がそれなりに発展していて、自分たちでは「民度」も高いと自負している日本人が、いくら恐怖でパニックになっているとはいえ、なぜ露骨な「患者攻撃」に走るのか。

「それが日本人の陰湿さだ」という人もいるだろうが、筆者はその逆で、日本人の美徳が悪い方向に出てしまっているのではないかと考えている。
それが日本人の「清潔さ」だ。
 日本人が世界一清潔だということは、よくいわれる。
手洗い、うがいが普段から習慣になっていることに加えて、家では靴を脱ぐし、よく入浴をする。
このように、世界でも珍しいほどの高い衛生観念が、今回のコロナの致死率の低さにも影響しているのではないかといわれる。

 実は、この日本人の清潔好きは昨日、今日に始まったことではない。
 明治時代にアメリカで神学を学び、立教大学の初代学長となった元田作之進は、大正5年、『善悪短所日本人心の解剖』(広文堂書店)の中で、中国やインドの家屋は大きいが、掃除が行き届いておらず街にも悪臭が漂っているのに比べ、「日本の街路にて臭のするものは漬物屋と鰻屋の前位である」としている。
 また、西洋諸国と比べても、靴を脱いで家屋に上がるという点において「便不便の問題は別として、単に清潔不潔と云う點よりすれば日本人の習慣の方が清潔である」とし、日本人を「世界一の潔癖国民」と評している。

 明治時代にハーバード大学に留学した宗教学者、岸本能武太は、『日本人の五特質』(警醒社)の中で、1887年にイギリスの新聞を読んだところ、諸国の清潔度ランキングのような記事があって、「世界中で日本人を最も清潔な人種として一番先に挙げてあつたを覚えて居ります」と述べている。
 つまり日本は、130年以上前から自他ともに認める「世界一の潔癖国民」だったのである。

「感染者をゼロに」は 自粛ポリスを暴走させかねない
 誇らしげな気持ちになっている人たちも多いだろうが、物事には何でもいい面と悪い面がある。
潔癖ということは裏を返せば、「不潔」「不浄」を忌み嫌い、時には差別や攻撃の対象とするということでもあるのだ。

 古来から日本人は、死や疫病を「穢れ」として忌み嫌ってきた。
それが世界でも異常なほどの「清潔な国」をつくり、高い公衆衛生を実現してきた反面、「隔離」をされた病人を徹底的に排除をしなくては気がすまない、という強迫観念に繋がっている側面はないか。

 いずれにせよ、国民性を持ち出したところで、患者やその家族、医療従事者への差別や偏見などは決して正当化できない。  そのためにも、政府や自治体、そしてマスコミは「みんなで頑張って感染者をゼロに」などと呼びかけるのをやめるべきだ。

「世界一の潔癖国民」にゼロを目指せということは、それはつまり患者や疑わしい者を徹底的に排除せよと命じているに等しい。
我々が目指すべきは、「感染者をゼロにすること」ではなく、「感染者を治療すること」なのだ。
 この致命的な勘違いを解消するためにも、マスコミは、ハンセン病患者に対して我々がどんなひどい仕打ちをしてきたかという歴史を丁寧に伝えて、二度と過ちを繰り返さないように呼びかけるべきではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)
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2020年05月16日

ぱちんこ・風俗vsお上・世間の衝突は自由をめぐる闘争の最前線だ

ぱちんこ・風俗vsお上・世間の衝突は自由をめぐる闘争の最前線だ
5/15(金) 現代ビジネス
山本 一郎(個人投資家・作家)

緊急事態宣言は延長され、概ね5月末までは「コロナウイルス対策のための緊急事態である」と政府が言っています。
 単純にコロナウイルスという感染症対策のためであれば、確かに自粛してお家にいるのが感染を広げないという意味において正解だと思うんですよね。わかる。
 でも39県については緊急事態が解除されてしまいました。
うっかり感染再拡大しないことを祈るのみです。

 いまや「8割おじさん」として国民のヒーローになった北海道大学の西浦博先生もコロナ対策を放置すれば「国内で約85万人が重篤になる」とし、最大で42万人が亡くなるとの試算を4月15日に発表。
人と人との接触を8割減らすことでコロナ感染者数を大幅に減らすことができるとの説得は政府も国民もメディアもおおいに納得し、それじゃあ頑張って自粛しようかと真面目な日本人は家籠りに徹します。

 しかしながら、問題になるのは「そうは言っても」という人たちです。
 用事があって朝に電車に乗ればいまだ少なくない数のサラリーマンが通勤電車に揺られて仕事に向かっていますし、薬局の前を通ればマスクを求める高齢者が密接な距離感で列を作っているのが見られます。
さらにぱちんこ屋の前、繁盛しているラーメン屋、バーベキュー禁止と書いてある公園で肉を焼いている人たちなどなど、緊急事態など我関せずという人たちもおられます。

いろんな考え方の人がおるんですね。世の中。
 もちろん、電力やガス、水道、ネット・通信、港湾、輸送、食料品店ほか、人間が暮らしていくのに必要な仕事に従事している人たちは、本当は家で作業できればしたいのにそうは言っていられず現場に出ざるを得ない日本人もたくさんいます。  

コロナ対策の最前線で戦っている医師や看護師など医療関係者や、不安とストレスでいかれた注文を役所に平然と持ってくる連中に対処している公務員の皆さん、さらには海外で死者続発の介護施設でお年寄りを介護しておられる介護職員の方々など、仕事柄自粛とは無縁な人々の活躍があって初めて私たちはコロナ対策による自粛要請の美名のもとに自宅に長らくいることができます。
 本当に、ありがとうと言いたい。

「自粛」とは第三者によって強制されるものか
 一方で、自粛だと言われているのに営業しているぱちんこ店があり、ネイルサロンがあり、SMクラブがあります。
何してんだおまえ。
開店前のぱちんこ店に並んでいる長蛇の列を見ると「このご時世に営業しているのかよ」と思わず2度見して、さらに並んでいる人たちの寒色形&黒および濃いグレー中心のいでたちをチェックすることになります。
 慎ましくも誠実な日本人のあるべき姿からすると、わざわざ営業中のぱちんこ店を探し出し、県外ナンバーの車を駐車場まで乗りつけて開店前から並ぶぱちんこ愛好者の姿を見て「いや、何もそこまでせんでも」と思ったりもします。

 ただこれ、見方を変えれば「自粛」と「自由」の最前線でもあります。
飲食店であれアパレルであれ、国家が、都道府県が、各自治体が、国民に要請する「自粛」という名の強制力のないお願いは、日本特有の同調圧力もあって、強烈な閉店へのプレッシャーとして機能します
 私の住む街でも確かにゴールデンウィーク前、ランチ時間帯に限って営業していた若者に人気の家系ラーメン屋に、夜何者かにより「この状況で営業するな」の匿名の張り紙をシャッターに複数貼り付けられており、その週末から「事情により営業休止します」と自粛に追い込まれていました。
 おお、自粛というのは、第三者によって追い込まれるものだったのかという新たな発見をするわけなんですよ。

 そこへ、大阪府や茨城県、千葉県などで、自粛要請に応じず、堂々と営業するぱちんこ店が出現。
東京都でもいつになく濃い眼元メイクが眩しい都知事・小池百合子さんがマスク越しにやや声を大きくして営業しているぱちんこ店に対して自粛するよう求める記者会見をしていました。
 メディアも「こんなときに営業しているぱちんこ店など非国民も同然」と非難のトーンを強めます。
このコロナウイルス対策で国民が一丸となるべきときに、遊戯業界は何をしているのか、と。不謹慎であると。
制裁を加えるべきだと。

 ところが、我が国は民主主義国家です。
超リベラルだったんだな、と改めて思い知らされるのは、この期に及んでなお、国家は私権を制限できないのであります。
ここでいう私権とは財産権のことであり、営業を行っていれば本来得られたであろう逸失利益があるならば、仮に国家がコロナウイルス対策の事情をもってなお、営業を制限できないことになります。
これ何のための緊急事態の認定なのでしょうか。

そんなに他所の「軍政」「戒厳令」国家がいいですか  
海外に目を転じれば、各国事情が違います。
 一時期コロナウイルス対策に成功した韓国は、社会制度自体がそもそも休戦中であるという状態で、首都ソウルのご近所に武装した独裁者一家がお住まいであることもあり国民の自由や権利を制限できる仕組みを擁しており、いまや国民の私権の制限どころか位置情報の提供まで義務付けています。
 その割に、位置情報を晒したくない事情にまみれたゲイコミュニティで、同性愛者の皆さんがハッテンした結果、コロナ大量感染が発生したうえに、そこにいたはずの2500人の行方が分からないとかいう事態を引き起こしておられました。
待ちに待ったイベントで羽目を外したいと思った皆さんの気持ちはよくわかります。本当に。

 また、中国からの旅行者によりコロナウイルスが持ち込まれた州都ミラノを含む北部イタリア・ロンバルディア州では感染者多数、死者も続出する大流行。もともと濃厚接触を大前提とする風習と相俟って一気に感染が広がったことへの対策として、ロンバルディア州で外出禁止令が発令されて自粛どころではない感染拡大抑え込みに打って出ました。

 ところが、実際には外出禁止になると察知したイタリア国民が次々とロンバルディア州からイタリア各地へと脱出してしまいます。
その中には当然感染しているけど症状のない人たちも多数含まれ、結果としてロンバルディア州を超えてイタリア全土にコロナウイルスが拡散されてしまったのであります。

 我らが安倍晋三総理も、このイタリアの状況を見ていたからか、遅れに遅れた緊急事態宣言は日本全国に発令したものの、強い外出自粛の要請は繰り返しになりますが「お願い」レベルのものです。
 県をまたいだ移動をしないで欲しいと要望をしつつも、実際には埼玉神奈川千葉から東京へ、和歌山奈良滋賀岡山から大阪京都兵庫へと働く人たちの移動は続き、茨城に営業しているぱちんこ店があると聞けば東京群馬埼玉栃木など近隣都県から愛好者が殺到するのです。

 営業自粛というお願いを聞き入れて、コロナ対策のためにと営業を自粛したぱちんこ店は収益がゼロになって赤字になる。一方、自粛などふざけるなと営業を強行したぱちんこ店は県内のみならず県外各地からお客さまが殺到し、超シブい釘でも打てるだけ幸せと超密接してぱちんこに熱中する皆さんで溢れ返っておるわけです。

自主判断は罪なのか
 それもこれも、自粛を要請して逸失利益を出させておきながら、あくまでお願いなのだから休業補償は全額は出さない、助成もあくまで雇用調整助成金が中心で、それ以外の支援策は原則として政府系金融機関からの無利子・無担保の特融が中心であるという補償の薄さが非常に厳しい判断を民間に押し付けているところによります。

 もちろん、休業要請の理由は感染症対策であり、政府の責任で起きたことでもなければ、日本国民が悪いわけでもありません。
あくまで感染症が広がれば日本人全体で少なくない死者が出かねないのだから、感染を広げかねない営業はやめてくれというのは政府としても当然です。
 いつの間にか営業自粛や休業要請と休業補償はセットであるという議論がありますが、世界を見渡しても大見得的に飲食店や芸術家には大盤振る舞いを政府がするかのように見せておきながら、実際には給付が進んでいないのは日本と諸外国とでも事情はほとんど変わりません。特にドイツ、お前だ。

 そういう薄い補償や助成で営業を自粛しない、断固営業するのだと判断した飲食店やぱちんこ店、イオンなどの大規模GMS(総合スーパー)、あるいはスナックやSMクラブのような小規模店舗は、はたして咎を負うべきなのでしょうか。
 そこの店のスタッフやお客さまから感染者が大量に出たら、すぐに報じられて社会的にリンチされてしまう危険を犯してでも営業を強行する、という自由をどう考えればいいのでしょうか。
 さらには、一部工事を再開すると宣言した大手建設会社・清水建設と鹿島。
一方、工事再開を再延期して万全を期する大林組。
政府からの自粛要請は自粛要請として受け止めつつも、必要な営業を行い、自粛に対して事業者としての考えを示し、政府からの命令出ない限りにおいては雇用や顧客を守るために頑張るのだ、と事業者が判断することについて、政府や国民はどう受け止めるべきなのでしょう。

民主主義なら自分の頭で考えるもの
 ここに、同調圧力をかける国民の存在もあり、いまや自粛警察、自粛自警団という謎の国民感情もあって、うっかり車で仕事で地方に出ると「コロナは来るな」と張り紙をされ、公園で子どもと一緒に他の人と距離を取りながらジョギングしていると年寄りから「不謹慎だ」「公園に来るな」と怒鳴られる。
 しかし、あくまで西浦博さんのシミュレーションは「8割の接触を削減する」のであって、飛沫が出ないようマスクをしたり、距離をしっかりとったり、手すりその他いろんなところに触った手で顔などをこすらず、帰宅後に限らずこまめに手を洗い、うがいをする――つまりは、自粛とは自分で考えた最善の感染症対策を各位が自らの責任でしっかりと行い、相応の対策で身を守りながら勤労や健康、そしてストレス解消に資する活動をきちんと取ることで長丁場となるであろうコロナ対策、ニューノーマルに向かい合っていけばよいのではないかと思うのですよ。

 自分の頭で考えて判断して、最善の防御策をとりながらコロナ下でも日常をしっかりと生き抜くことが、強制されない民主国家・日本で生きる私たちのあり方なんじゃないでしょうか。
 もちろん、県外までぱちんこ打ちに行って感染症にかかってしまいました、というのは自己責任だけでなく、ただでさえパンパンになっている医療機関に迷惑をかけることになるのでそれは控えましょうとか、そういう警句がしっかりとあり、何らか混雑緩和のための入場制限・整理券制みたいなものがあれば良いのではと思いますし、夜の街クラスターと名指しされる風俗産業やパパ活ラウンジ、SMクラブなどなどについても、お前らが好き勝手セックスして感染させあうことのないよう、欲情の制御も含めた慎みある日本人としての矜持を何とか保ってほしいと願っています。

どさくさ紛れの憲法改正なんて  
ところが、この政府から何を模倣的に強制されない美しい民主主義国家である日本において、コロナ担当大臣を兼ねる西村康稔さんから「国民の総意があれば強制力を持つ法整備もやぶさかではない(行う意志がある)」とかいうネタが降ってきました。
 いやいや、ただでさえ国民の総意なんて動くゴールポストというかポピュリズムそのものの話なのだから、目の前のコロナ対策のためなのに泥縄的な対策を打ち出すのはまずいんじゃないでしょうか。
 さらには、憲法記念日に我らが総理・安倍晋三さんが「緊急事態に対応するための憲法改正を」とかいきなりブチ上げ始め、ドン引きであります。

 それ、あなたが憲法改正を戦後初めて成し遂げた宰相と、教科書に名前を刻みたいだけなんじゃないですか。
やめましょうよ、どさくさに紛れて自分のやりたいことを、このご時世にブチ込むの。
いままさに国民が一丸となってコロナウイルス撲滅のために団結しながらアフターコロナの日本の青写真をどう描き出すか考えなければならないときに、わざわざ国論が2分するような憲法改正議論にまで持っていくの、実によくないと思うんですよ。

 つまりは、国民の私権(財産権)をコロナ対策のような緊急事態のときに制限できるようにする、さらにはシンガポールや韓国のように国民の外出禁止を政府が発令できるようにし、破った人たちには罰金を支払わせたり身柄を押さえたりするという、いわゆる「緊急事態でも国家から自由であること」の最前線が、あるのです。

 それは、いま自粛を振り切って生き残るために営業しているぱちんこ店や夜の街クラスターを構成している風俗店など、不要不急の極みな産業を巡る争いなんですよね。
 そりゃ一つひとつ見ていけば「このご時世なんだからぱちこぐらい我慢しろよ」「社会の窓からご自慢の逸品を出すのやめろよ」とは思うけれど、なんぴとも、その人の自由を奪うことはできないという信条と、世の中どんなに技術が進歩してもイカれた奴らは一定の割合いるのだという諦めとの間に「自由をめぐる闘争」が、確かにそこに、あるのです。 
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2020年05月17日

コロナ禍で「自粛警察」が横行…正義はいつも正しくない

コロナ禍で「自粛警察」が横行…正義はいつも正しくない
2020/05/16 日刊ゲンダイ(三枝成彰.作曲家)

 新型コロナウイルスの感染が広まっても、絶対に犠牲にしてはいけないものがある。
それは他者に縛られることのない「自由」だ。

 古代ローマ帝国では、権力者が食糧と娯楽を提供することで市民の歓心を買おうとした。
一方で市民は、この「パンとサーカス」で飼い慣らされた犬のようになって愚民化する。
自分で考え、自由な発想で政府に意見を述べようとしなくなったのだ。

 現代に生きる我々は自由を知っているし、その大切さも理解している。
それを今、「感染症が広まっているから」と捨てるのか。

■自由を失うのは死ぬことより怖い
 当欄でも何度か書いたが、77歳と10カ月の私は新型コロナで死亡するリスクが高い。
糖尿病もあるし、心臓にも腎臓にも疾患を持っている。
感染すれば命を落とす可能性が高いだろう。
 それでも言わずにはいられない。
自由を捨てるぐらいなら死んだ方がマシだ。

年を取れば誰もが死ぬ。
これは自然の摂理である。
何ら恐れることはない。
それよりも自由を失うほうが怖い。

 イタリアやスペイン、フランスで感染が終息しないのは、罰則付きの行動制限をかけられても自由を重視する人が多いからだろう。
 それが世界をリードする文化や芸術を生み育てる土壌にもなっている。
ナチを生んだドイツや自由のない中国で終息の兆しが見えてきたのとは対照的だ。

 そもそもこのウイルスは、かつてのペストや致死率が高いエボラ出血熱とは違う。
日本での死者も700人ほど。がんや交通事故などで1日に3700人が亡くなっていることを考えれば、大した数字ではない。
このまま経済を止めていれば、コロナで亡くなるよりも、生活ができなくなって首をくくって死ぬ人の方が多くなってしまいそうだ。
 それなのに最近は、営業を続ける店に圧力を掛けたり行政に密告したりと、戦時中に「隣組」の市民がお互いを監視していた頃を思わせる「自粛警察」まで横行している。
 そこまでして自由を毀損し、窮屈な社会を欲してどうなるのか。
街をパトロールして営業中の店舗に嫌がらせをする人たちは、それが正義であると勘違いしているのだろう。

 だが、正義はいつも正しくない。
日本ではかつて「鬼畜米英」が正義だった。
明治維新は、薩長が武力によって幕府を打ち倒したものだ。
冷静に分析すればテロである。

何をもって正義と定義するかは、その時々の立ち位置によって違う。
自分だけが正しいと考え、他人にも同じような行動を取るように強要するのは、ファシストの発想に他ならない。

「自粛が必要だ」とテレビで主張するコメンテーターは、みんな肩書があり、大学や研究所の名刺を持っている。
この事態で生活が苦しくなる人たちではないことも忘れてはならない。
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2020年05月18日

不安の波が消えない日々…

きょうの潮流
2020年5月17日(日) しんぶん赤旗

 手洗い、マスク着用、「3密」を避ける…。
新型コロナウイルスに感染しない、させないように努力する毎日。
そんな中、コロナに感染した力士が亡くなりました。
基礎疾患があったとはいえ、28歳という若さ。
衝撃を受けました

▼不安の波が消えない日々…。
気分転換したくなりますが、東京では映画館もライブハウスも閉まっています。
公園でのピクニックも難しい。
自粛、自粛で鬱々(うつうつ)とした気分になります

▼休業を余儀なくされて収入が減った人。
解雇された人。
外遊びできない子ども。
“コロナに負けるな”のフレーズは、お互いに励まし合う思いからでしょう

▼でも―。「ちょっと違和感があるな」という声を聞きました。
「感染者や命を落とした人は、新型コロナに負けたってことになるような気がして」。
勝ち負けという意識が、さまざまな偏見や差別を生むことになるのではないかと

▼偏見・差別が広がると、排除の社会的風潮も強まります。
それは、人には優劣があり、劣る者は不要だとする「優生思想」につながります。
感染しやすいとされているのは、障害がある人や持病がある人、高齢者や低所得者。
いわゆる社会的弱者です

▼重症患者は治療の対象外とするガイドラインを策定したり、高齢者の呼吸器を外して、“治療効果のある”若者につけ直したりする国も出ています。
救命救急や人工呼吸器がひっ迫したとき、どう対応するのか。
命の選別をせず、あらゆる人の尊厳が尊重されるように。
社会のありようが今、問われています。
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2020年05月19日

安倍内閣の緊急事態宣言による自粛の強要は、日本国民を使った動物実験だ

安倍内閣の緊急事態宣言による自粛の強要は、日本国民を使った動物実験だ
2020年05月18日 日刊SPA(倉山 満)

専門家と称して集められた医者たちの「このままだと42万人が死ぬ!」との脅しによって、緊急事態が宣言されて1か月強。伝染病で死ぬ前に、経済苦で日本国そのものが風前の灯火だ。

 私は再三再四、「今の日本政府に好きにやらせると国民は殺される」と警告してきたが、事態は想定よりも悪化した。
安倍内閣の緊急事態宣言による自粛の強要、そして延長は、日本国民を使った動物実験なのだ。
 安倍内閣は「新しい生活様式」などと国民に押し付けてきた。
「食事の時はおしゃべりをやめましょう」など、舐めているのか?
国民をモルモットか何かと勘違いしているのか?

医者に「命は大切だ」と言わせたら、黙ると思っているのか?
「まさか、そんなはずは?」と疑うなら、今の安倍内閣を信じ、家畜のように殺処分されるのを待てばよい。
 それが嫌なら、現実に目を向けることだ。
とはいうものの、今次コロナ禍で何が起きているか、わかっている日本人は多くあるまい。
だから、一から話す。

 まず一般論として、政府が自ら招いた「専門家」に尊敬の念を払うなど、ありえない。
政府が「有識者会議」だの「専門家会議」だのを開くときの目的は、もっともらしい肩書の人間による権威付けだ。
人選も、テキトーだ。
東大が中心で、他に旧帝国大学から一人ずつ、早稲田か慶応はどちらかから最低一人、必ず女を入れろ、一人か二人くらいなら反対意見の論者をガス抜きで入れていい、などの暗黙のルールが存在する。

 今回の専門家会議も、政府が決めた結論を正当化する理屈を並べて、国民を黙らせるのが役割である。
「専門家」の知見など道具にすぎない。
最初から大枠の結論は決まっているのであり、「専門家」の仕事は細部を詰める下作業にすぎない。
仮に政府が用意した結論から外れた時は、官僚が修正する。
 ここに本気でコロナ禍を根絶させようとする医者が混じると、狂気が発生する。現に生じた。

 医者の本能は、「すべての患者を救いたい」である。
未知の伝染病に対しては、真面目に考えれば考えるほど、悲観的に警戒する。
そこへ「自由に意見を述べよ」と言われたら、純粋に医学的見地から私見を述べる。
中には「一年くらい自粛が必要だ」と主張した専門家もいたとか。

 医者が、科学者の良心にかけて自分の意見を述べるのは構わない。
経済など他のすべての要素を無視してでも、医学的根拠がある限り、本来は責められる話ではない。
ただし条件があって、「一年間、あらゆる経済活動を止めよ」のような提言がなされた時、最終判断をする政治家が「できるか!」と一喝で斥け、「代案を出せ」と要求できる場合である。
相手が権力を持った白痴だと知りながら、そのような提言をした場合は、その医者は倫理的責任を免れない。
殺人に加担したのと同じなのだから。

 では、専門家会議を招集した官僚や自民党政治家の思惑は、どうか。

権力行使に酔いしれる政府に、地獄へ落とされたくなくば、国民は内閣を倒すほか道はない!
 官僚が欲する最大の欲求は、権力欲である。
色欲物欲金銭欲のような欲求よりも何よりも、出世と権力を求めるのが、官僚である。

 たとえば文科省という、自分たちを二流官庁と思いあがっている五流官庁がある。
文科省の中の旧文部省は、公務員試験をビリで受かった落ちこぼれが行く官庁である。
科学技術庁は文部省と合併したので、霞が関最下層の五流官庁に転落した。
そんな五流官僚でも、権力は握っている。

文部の主要監督対象は大学である。
文部官僚の一声で、ほとんどの大学は右往左往する。
なけなしの予算を恵んでもらうために、全国津々浦々の大学学長が東京の霞が関に通い、文科省の木っ端役人に頭を下げる。大学教授にはノーベル賞受賞者もいるが、平気で頭を下げさせる。それが官僚の心性だ。

 つまり官僚とは、「民間人に権力を使って命令するのが快感」という人種なのだ。
しかも今回の緊急事態宣言は、ただ「緊急事態を宣言する」だけで、法律上は強制力を伴わない。
だから、国民に外出や商売をやめさせながら、金銭的補償を行う義務は無い。
それでいて、「要請」と称して「自粛」を強要する命令だ。
従わなければ、容赦なく権力を使って、あるいは無知蒙昧な「自粛自警団」を利用して、制裁を加える。

 義務を何一つ果たさないで、権力だけ振るえるのが、今回の緊急事態宣言だ。
官僚は、一日でも長く続いてほしいに決まっている。
 自民党の政治家は、どうか。今や安倍首相は一部の側近だけで政治を進めている。
安倍は、首相秘書官兼補佐官の今井尚哉の言いなりだ。
今井は煙たい菅義偉官房長官を失脚状態に追い込み、加藤勝信厚労大臣や西村康稔経済再生大臣といった、手下の政治家を従えて首相官邸を切り回している。
(大臣が選挙で選ばれていない官僚の言いなりになるのも、おかしな話だが……)

 もはや形骸と化した安倍首相だが、それだけに地位への執着は、妄執と化している。
一体に何に怯えているのかは知らない。
ただ、検察が絡む案件であるのは、間違いない。
 河井克行前法相と妻のあんり参議院議員は、公職選挙法違反の容疑で逮捕寸前だ。
もし、このコロナ騒動が無ければ、とっくに牢屋の中だ。
疑惑は、選挙投票日直前に振り込まれた1億5千万円に向けられている。
こんな額、投票日直前に振り込まれても、使いきれるはずがない。
マトモな使い方なら。

だから、検察は裏金に使ったのではないかと疑惑を向けている。
「法務大臣の公職選挙法違反」だけでも大事件だが、そこに現職総理大臣が絡んでいたとしたら? 間違いなく、政権は飛ぶ。  危機においては政争を中止するのは当然だ。
だが、それを悪用したら、権力者は反対派を封じることができる。
また、己の権力を維持するために、あえて危機を続けさせた例など、歴史上いくらでもある。
最近だと、東日本大震災の時に当時の菅直人首相が、原発事故を煽りまくった。

 さて、ここまで聞いて、疫病対策や経済政策など、考慮の外であるのがおわかりか。
コロナウイルスの実効再生産数が2.5だったので、1より下に下がらねばと自粛を強要された。
結果0.7となったが、延長された。
延長自体が目的なのだから。
 こうした状況を見て、敵国が笑い転げている。日本は亡国前夜だ。

 もはや国民が殺られる前に、生き残る道は一つ。増長する安倍内閣を殺処分するしかない!
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2020年05月20日

「権力者に逆らう人間」が少数派である根本原因

「権力者に逆らう人間」が少数派である根本原因
「生存競争の手段」としては当然の選択である
2020/05/19 東洋経済オンライン
堀田 秀吾 : 明治大学教授

なぜ「権力に逆らう」のは難しいのか?
人間が強い権力者に従う理由を、明治大学教授の堀田秀吾氏が解説。
『「勘違い」を科学的に使えば武器になる』から一部抜粋・再構成してお届けします。

身も蓋もないことを言ってしまえば、人間は権力に弱いです。
単に「権力に弱い」と書くと、虚しく、情けなく見えるかもしれません。
ですが、これも進化心理学から見れば、より強い遺伝子を残すために、生存競争の手段として人間が選んだ仕組みで、当然のことなのです。

ちなみに、ここで権力に弱いというのは「権力を持っている人の意見が正しい、間違いを言うはずがない」あるいは、逆に「自分の意見など通るわけがない」というバイアスを抱き、相手の意見にしたがってしまう傾向があることです。
たとえば、大企業の社長の意見は、なんとなく合理性を帯びていて、正しく感じてしまうような場合です。
そう、ハロー効果の権力版です。

権力に抗うのは、いつの時代もリスキーだし、難しいものです。
ただ、権力者には権力者の特徴があります。

権力者ほど「リスク」を低く見積もる
横浜国立大学の佐々木秀綱氏の研究によると、

自分に権力があると感じている人ほど、しっかりと考えるよりも、直感的にリスクのある選択をする傾向があるそうです。
逆に、権力がないと感じている人は、リスクを避けるため、しっかりと考えて意思決定する傾向がある、ということを明らかにしています。

つまり、権力感を持つ人のほうがリスクを低く見積もってしまうバイアスがある、ということです。
権力感が強い人たちのほうが、直感的に判断している可能性が高いということは、相手の心理に働きかける戦略が、功を奏す可能性が高いということになります。
ここがある意味、彼らを説得する突破口となりそうです。

一方、対等の立場で、楽しい会話を気楽にできる人との交流を望んでいる節があります。
やはり、ずっと偉い人扱いを受けるのは疲れるのでしょう。
なんだかんだ言っても、権力を持つ人も1人の人間なのです。
ビジネスにおいても「もう少し気楽にやってほしい」と感じるシチュエーションが結構あるそうです。

窮屈な苦しい雰囲気の中では、楽しい雑談はもちろん、有益な議論や交渉はしにくいこともわかります。
また「偉い人」とのあいだに、立場の差があるということ自体が、すでに同じ土俵に立っていないという心理的ハンディキャップとなっています。
こうしたハンディが、あなたの言動を制限してしまうのです。

そこで、まずは土俵を同じにするという戦略が大切です。
とはいえ、変に勘違いしてはいけません。
目上には変わりませんから、偉そうにせず、礼節は守りながらも、気取らないコミュニケーションを取ることも重要です。

権力者も「かまってちゃん」
ハーバード大学ビジネススクールのフアンらの研究によると、被験者を4つまでしか質問できないチームと、9つまでできるチームに分けた結果、後者のほうが、相手からより強い好意を抱かれたそうです。
これは、人間の承認欲求と深い関係があります。
たくさん質問してもらったほうが自分のことを知ってもらえるために嬉しく感じ、相手に好意を抱くのです。
権力者でも同じことです。
人間、結局は誰もが「かまってちゃん」なのです。

車、スポーツ、映画、音楽、ファッション、グルメ……。あるいは、相手の身に着けているものや持っている小物、さらにことばの端々などを観察し、話題になりそうなものを見つけて、質問を投げかけましょう。
ただし、矢継ぎ早に質問して、警官の取り調べのようになっては逆効果です。
加減には注意してください。

初対面など、相手をあまり知らなくて、さらに話題のネタが見つからない場合は、相手のことをじっくり観察してみてください。
本人が身に着けているものの中で、こだわりを持っていそうなアイテムを褒めましょう。
バッグ、ペン、ポケットチーフ、香水、髪型、靴、ストール、スーツ、ジャケットなど、何でもいいので、こだわりが見えるものを見つけて褒めましょう。
権力者なら、服装や持ち物などに、人一倍こだわっているものがあるかもしれません。
「そのネクタイ、とてもお似合いですね! 僕もそういう柄のネクタイを買いたいと思っていたんです。
どちらで買われたんですか?」

人間には承認欲求がありますし、自分のこだわりに気づいてもらえるのは、とても嬉しいもの。それが、なかなか普通は気づかないようなものなら、なおさらあなたの株が上がるはずです。

カリスマ添乗員から学ぶ「人を喜ばす技術」
ちなみに、そういうものが見つからないときでも、ポイントは同じです。
日本旅行のカリスマ添乗員として、関西のテレビ番組でもおなじみの平田進也さんは、年間8億もの売り上げを叩き出す、軽妙な話術の達人として有名です。
そんな彼によると、トークのコツは、なんでもいいので相手の身に着けているものをはじめ、目についたものをとにかく褒めまくることだそうです。
なんなら洋服のチャックでさえも「わあ、世界のYKKやないですか! さすがやわ!」のように褒めるそうです(笑)。
人を喜ばせ、楽しませる天才だと思います。

 仕事の基本はエンターテインメント。
エンターテインメントとは、人を喜ばせることです。
客を喜ばせ、ユーザーを喜ばせ、クライアントを喜ばせ、仕事仲間を喜ばせ、そして自分自身を喜ばす……。
そう、相手を喜ばせたいという「愛情」です。
平田さんの「イジリ」には、つねに愛があります。
愛のないイジリは、単なる侮辱になってしまいます。

愛を持って好意的に接すれば、相手も好意を抱いてくれます。
相手に対する愛を、つねに忘れずにいきたいですね。
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2020年05月21日

国民が声上げれば政治は動く

検察庁法案見送り
国民が声上げれば政治は動く
2020年5月20日(水) しんぶん赤旗「主張」

安倍晋三・自公政権は18日、検察幹部の定年を政府の意向で特例的に延長することなどを可能にする検察庁法改定案の今国会での採決・成立を断念しました。
インターネットなどで急速に広がった反対の世論と運動、野党の共闘と論戦による画期的な成果です。

「国民が声を上げれば政治は動く」。
このことを劇的な形で示しました。

「ツイートは世論体現」
 改定案は、現在63歳の検察官の定年(検事総長は現行も65歳)を段階的に65歳に引き上げるとともに、役職定年を導入することなどを柱にしています。
大きな問題となっているのは、検察幹部の定年と、63歳になれば幹部ポストを退く役職定年を、内閣や法相の判断で延長できる特例が盛り込まれていることです。

政権にとって都合のいい幹部だけを恣意(しい)的にその役職にとどめることができるようになり、憲法の基本原則である三権分立や、検察に求められる独立性・政治的中立性を脅かすものです。

 改定案を強行しようとした安倍・自公政権に対し、市民が立ち上がり、ツイッター上の「#検察庁法改正案に抗議します」の投稿は数百万の規模に上りました。
俳優や歌手、作家ら著名人も次々と声を上げ、日本弁護士連合会会長や、元検事総長ら検察OB、東京地検特捜部OBも異例の反対声明・意見書を発表しました。

 「朝日」が16、17日に実施した世論調査では、改定案に「賛成」は15%にとどまり、「反対」は64%になり、成立を「急ぐべきだ」はわずか5%、「急ぐべきではない」は80%にもなりました。
安倍内閣の支持率も4月調査の41%から33%に下落しました。

 自民党の石破茂元幹事長も自身のブログで「ツイート件数の激増は、世論を体現するものでしょう。
検察OBの方々の意見は、正義と公正を実現すべく検察官の職に人生をかけてきた方々の思いとして大きな力がありました」と認めています(18日)。

 野党の国会論戦も、安倍・自公政権を追い詰めました。
 安倍首相は今回の改定案の下で「恣意的な人事が行われることは全くない」と繰り返しています。
このため野党は、定年延長や役職定年延長の具体的な基準を示せと迫りました。
しかし、政府は施行日までに定めるなどとし、事実上、答弁不能になりました。

 政府が具体的な基準を示せないのは、そもそもそれが不可能だからです。
政界の贈収賄事件などの捜査・訴追を任務の一つとする東京地検特捜部OBが森雅子法相あてに提出した意見書(18日)は「これまで多種多様な事件処理等の過程で、幹部検察官の定年延長の具体的必要性が顕在化した例は一度もありません」と明確に述べています。

改定案は、検察幹部の勤務延長を時の政権の判断に白紙委任するものに他なりません。
撤回に追い込むまで  安倍・自公政権は改定案の成立を諦めたわけではありません。
今秋の臨時国会で採決・成立を狙っています。
たたかいは続きます。

 問題の解決には、二つの「撤回」が必要です。
改定案のうち検察幹部の勤務延長を政府の一存で可能にする特例の撤回と、改定案の発端である黒川弘務東京高検検事長の定年延長という違法な閣議決定の撤回です。
そのために世論を一層高めることが求められます。
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2020年05月22日

ご近所の自粛警察に感じる不安。本家警察も手を焼くありさま

ご近所の自粛警察に感じる不安。本家警察も手を焼くありさま
2020年05月21日 SPA!

新型コロナウイルスの感染拡大によって、多くの国民が自粛生活を強いられている。
とはいえ、外出を厳しく罰則付きで制限している諸外国とは違い、ジョギングや散歩など、気分転換に近所を出歩くことまでは制限されていない。
だが、いわゆる“自粛警察”の目にはそれすらも“犯罪”に映るらしい。

◆外出自粛中にご近所トラブルが多発
 大手キー局記者・鈴木恵介さん(30代・仮名)がため息混じりに漏らす。
「主に中高年の視聴者から毎日のように、近所の公園で子どもが遊んでいるから取材しろ、と情報提供が寄せられます。
犯罪じゃないんですよ、と言ってもわかってくれない。
 子ども達もツラいからしょうがないですよね、なんて言おうものなら烈火のごとく怒り出し『お年寄りが死んだらどうするの!』なんて。公園で遊ぶ子ども達の姿を隠し撮りした動画や写真を、罵詈雑言とともにネットにあげている人もいます。
そっちの方が犯罪なんですけどね……」(鈴木さん、以下同)

 実際、全国各地の警察や役所にも同様の“通報”が相次いでいるともいう。 「警察にはもっと多くの“通報”が寄せられているようで、毎回いさめているというのですが……。
中にはクレームが本当のトラブルになって、いよいよ警察が出動するような事態も起きており、自粛警察に本家警察も手を焼いているようです」

 実際に自粛警察のせいで思わぬトラブルに遭遇したというのは、埼玉県さいたま市在住の会社員・横田雄一さん(仮名・30代)だ。
「戸建ての自宅前で、運動不足の子どもに縄跳びをさせていたんです。
そしたら翌日、玄関に張り紙がしてありました。
勝手な子どものせいで、病気のお年寄りが死んだら殺人犯になる、などとおどろおどろしいことが書いてありました。
さらに確認したところ、近隣の子持ちの住人宅にも、同じような張り紙や手紙が投函してあったのです」(横田さん、以下同)

 実は横田さん宅、数年前に造成された新興住宅地。
すぐ近くの古い住宅が立ち並ぶエリアに住んでいる高齢の男性が送り主であることが判明した。
「早朝にこちらまでやってきては、子どもが外出をしていると怒鳴っていたことが発覚。
ある朝、私が待つ伏せしていると、やはり子ども達を怒鳴り散らしていたので出て行きました。
私が言い返すと、『年寄りをいたわらない人間は地獄に落ちる!』とのことで。そのおじいさん、今度は別の新興エリアに現れたようで、そこでも子どもや女性に怒鳴り散らしているとか。
そんな元気があるのなら、まだまだ大丈夫だろうって(苦笑)」

◆テレビで報じられる「おうちBBQ」に過剰反応する人も…
 最近、テレビや新聞で取りざたされているのは、いわゆる「おうちBBQ」での弊害だ。
自粛生活が続くなか、庭やベランダでBBQを楽しむ家庭が増えているが、その煙や騒音が近隣住人の迷惑になっている、というもの。
確かに、密集したマンションの狭いベランダでモクモクとやられれば、気になるだろうが……。

「マンション上階の住人から『おたくのBBQで迷惑している』と電話がかかってきました。心当たりがないというと、嘘を言うな、と。
その住人はうちがベランダでBBQをしていると思い込んでいたのです」
 こう証言するのは、東京都葛飾区のマンションに住む会社員・柘植大智さん(仮名・40代)。
そもそもベランダでのBBQはご近所さんに迷惑がかかると思い、一度も実施したことがなかったという。
「ちょうど前日に、確かにホットプレートを使って焼肉をしていました。
ですが、マンションの構造上、キッチンやダイニングの排気がベランダに流れるようになっているのです。
焼肉の匂いをBBQと勘違いしたんでしょうけど……。
クレーマーのような言い草で、ほとんど初めて話すような間柄なのにですよ?
今後も住み続けるのが怖くなります」(柘植さん)

 この住人、今では四六時中ベランダに出ては、ご近所さん宅の換気扇から出る匂いを嗅ぎつけて各家庭にクレームを入れまくっていると言うから始末に負えない。
 東京や大阪をのぞき、全国で緊急事態宣言が解除されつつあるが、その時、自粛警察たちは何を思うのか。自粛の呪縛から逃れられず、延々と「自粛、自粛……」と唱え続けているのか。
            <取材・文/森原ドンタコス>
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2020年05月23日

黒川検事長、「賭けマージャンで辞職」の衝撃度

黒川検事長、「賭けマージャンで辞職」の衝撃度
2020年05月22日 東洋経済オンライン
泉 宏 : 政治ジャーナリスト

「官邸の守護神」とも呼ばれてきた東京高検の黒川弘務検事長が辞職することになった。
緊急事態宣言下の5月1日と13日に、黒川氏が懇意の記者の自宅マンションで賭け麻雀に興じていたことを、5月21日発売の週刊文春が暴露したためだ。
安倍晋三首相の意向も踏まえた事実上の更迭となるとみられる。
前代未聞の定年延長によって検察ナンバー2に居座った黒川氏だが、検察首脳としての資格や資質を疑わせるスキャンダルが明らかになり、すみやかに辞職するしか道はなかったとみられる。
政府は検察庁法改正案の今国会成立を見送ったばかりで、支持率低下に焦る安倍首相にはさらなる追い打ちとなる。

■法務・検察は「最悪のタイミングだ」
週刊文春は「黒川弘務検事長は接待賭けマージャン常習犯」との見出しで大々的に報じた。
グラビアを含めて9ページにわたる記事は、麻雀を終えて5月1日未明にマンションを出る黒川氏らの写真付きで、「言い逃れができないスクープ」(自民幹部)だった。
他の3人のメンバーは黒川氏と親しい産経新聞記者2人と朝日新聞社員とされ、朝日新聞は「不適切な行為」と謝罪。
産経新聞は「不適切な行為があれば、適切に対処する」とコメントした。

この内容は5月20日午前に伝わり、一気に政官界に広がった。
野党側は同日の衆院内閣委員会で取り上げ、菅義偉官房長官に黒川氏を辞任させるよう迫った。
菅氏は「事実を確認できていないのでコメントは控える」とかわし、記者会見でも「法務省が適切に対応する」と苦しげな表情で繰り返した。

与党内からは「事実なら、辞任は避けられない」との声が相次ぎ、野党は「言語道断」「直ちに辞職させるべきだ」と即時更迭を求めた。
当事者である法務・検察当局も「最悪のタイミングだ」と事態の深刻さを認め、21日午後までの事情聴取に対して黒川氏も辞職の意向を示したことから、後任も含めた交代人事を急ぐことになった。
黒川氏は2月に63歳で定年退官予定だったが、政府が過去に例のない解釈変更による閣議決定で定年を半年間延長。政官界には「官邸に近い黒川氏を総長に据える布石だ」との憶測が広がった。

賭け麻雀疑惑について、野党は「余人をもって代えがたいどころか、検察トップに据えてはいけない人物」(立憲民主幹部)と安倍首相らの責任を追及している。
東京高検検事長がスキャンダルで辞任するのは、1999年4月に当時の則定衛同検事長(現弁護士)の愛人疑惑を、朝日新聞が1面トップで報じて辞任に追い込まれて以来のことだ。
これにより、「黒川検事総長」説は完全に消滅した。
黒川氏の定年延長や検察庁法改正案に含めた定年延長の際の特例措置などについて、安倍首相は「そもそも法務省が提案したことだ」と繰り返し、黒川氏との関係についても「2人で会ったこともない」と親密な関係を否定してきた。

政府与党が目指す秋の臨時国会での法案成立も「(安倍首相は)意欲を示していない」(周辺)とされる。
これまで政府与党内でも「黒川氏をことさら重用してきたのは菅義偉官房長官」(自民幹部)との見方が多かった。
このため、首相サイドには「今回の混乱は菅氏の責任」との声もある。

2019年秋以来、ことあるごとに政界で取り沙汰されてきた「官邸にすきま風」との憶測を裏付けた格好でもある。

検察と新聞記者の不透明な関係
東京都の小池百合子知事が不要不急の外出自粛を呼びかけ、安倍首相も人との接触8割減を強く求めていた緊急事態宣言下で、黒川氏と新聞記者が麻雀卓を囲んでいたことで、検察と報道機関の不透明な関係も一気に表面化した。
黒川氏と大手新聞の記者らが未明まで麻雀に興じたうえ、黒川氏は産経新聞の用意したハイヤーで帰宅したとされる。
それは「癒着以外の何物でもない」(司法関係者)のは明らかで、部屋に4人が密集して麻雀卓を囲むのは「3密」の典型だ。

さらに、刑法上は賭けが少額でも賭博罪に該当し、国家公務員の倫理規程にも抵触する可能性がある。
当事者である新聞社の対応も含め、「新聞報道への国民の信頼を踏みにじる」(有識者)との批判は免れない。
司法担当記者の間では「黒川氏の麻雀好きは昔から有名だった」(通信社記者)とされるが、本来の司法とメディアの緊張関係を無視するような双方の姿勢は、「国民の知る権利を奪いかねない事態」(政界関係者)とみえる。

21日朝刊の報道ぶりも「何やら及び腰で、切れ味の悪さが目立った」(有力大手紙OB)のは否定できない。
当事者となった朝日新聞は「黒川検事長が辞意」と1面トップで大きく報じ、社会面で「本社社員も参加 おわびします」との見出しで反省のコメントを掲載した。
一方、産経新聞は3面に「黒川検事長賭けマージャン報道」とやや地味な報道ぶりで、「取材源秘匿は責務、不適切行為あれば対処」との見出しで編集局長の見解を載せた。

読売、毎日はどちらも1面で報じたが、検察とメディアの関係について踏み込んだ社はなかった。
政府は21日に関西圏の緊急事態宣言解除と、首都圏と北海道の宣言継続を決めた。
安倍首相はその際のインタビューで、黒川氏の辞職について「法務省の対応を了承した。
首相として当然責任がある」と平静を装った。

ただ、政界には今回の黒川氏の辞任劇による安倍政権への打撃が「今後の政府のコロナ対応にも悪影響を及ぼす」(自民長老)との不安も広がっている。
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2020年05月24日

命運尽きた安倍首相 逮捕か総辞職か野垂れ死にか

命運尽きた安倍首相 逮捕か総辞職か野垂れ死にか
2020/05/23  日刊ゲンダイ

 黒川騒動はもちろん、これからが本番だ。
そのほか、弁護士の桜告発でホテルがしゃべればアウトだし、稲田検事総長を切れば、世論は一気に退陣要求。
コロナ対応でも現場は支離滅裂の混乱で、いよいよ錯乱官邸は断末魔。
 ◇  ◇  ◇
「#辞めるなら今だぞ安倍晋三」――。
21日、ツイッターのトレンド1位となったタグだ。
 この日、東京高検の黒川弘務検事長が賭けマージャンを認め、辞表を提出。
自民党幹部は「首相が『人事に介入した』と騒がれた人がいなくなり、むしろすっきりした」とホザいたようだが、世論をナメている。

「#検察庁法改正案に抗議します」のツイッターデモも当初は「世論のうねりは感じない」(政府高官)と軽視し、完全に読み間違えた。
不要不急の審議強行に世論の反発は大きな「うねり」となり、採決断念に追い込まれ、内閣支持率も急落。
痛い目に遭ったばかりなのに、どれだけ学習能力がないのか。

 違法な賭博行為をとがめられた黒川氏の辞任騒動は「すっきり」どころか、これからが本番だ。
潔く任命責任を取り、安倍首相の辞任を求める声は沸騰しつつある。
それでも懲りないのが安倍の恐ろしさだ。

■論点スリ替えで責任逃れの卑怯者
 22日の衆院厚生労働委員会で野党議員の辞任要求を拒否。
「感染拡大を防止し、国民の健康と命、雇用と事業の継続を守り抜く責任を果たすのが私に課せられた使命だ」とナルシスティックな妄言を吐いた。
 黒川氏の定年を延ばした閣議決定についても「延長自体に問題はなかった」と開き直り、決して撤回しない。
「(任命)責任は私にある」と言いながら、「法務省、検察庁の人事案を内閣として認めた」と棚上げ。すべての責任を法務省と検察庁になすりつける。
この1週間、「検察庁も含めて法務省が人事案を持ってきた」と珍妙な言い訳を続けてきた。
 助け舟を出すように、安倍の“寿司友”である政治コメンテーターも「無理な人事をやったのは、検事総長の稲田伸夫さんが、なかなか辞めないもので、無理な定年延長をせざるを得なくなったと言う人もいる」と、民放の情報番組で散々吹きまくった。

 冷静に考えれば「そんなバカな」だ。
検察庁法に違反し、政府の法解釈まで覆す人事を法務省が提案するワケがない。
定年延長には安倍官邸の意向が強く働いたと読売も朝日も報じた。
 昨年末から官邸と法務省との間で水面下で進められた次期検事総長の人選。
法務省提示の複数候補から、安倍と菅官房長官が黒川氏の昇格が望ましいとの意向を示したという。
 官邸の意向に沿うように編み出されたのが前例のない定年延長で、安倍が「法務省の判断」と強調するのはムリ筋である。

しかも検事総長の在任期間は、2年前後が慣例だ。
黒川氏の定年延長の閣議決定時点で、稲田氏の在任期間は約1年半。
寿司友に「なかなか辞めない」と言われる筋合いはないが、今度は「黒川さんを指揮監督する立場にあるのは最高検の検事総長」と賭けマージャン騒動を機に稲田氏の責任問題を言い募る。

 稲田氏は官邸べったりの「密」な関係を苦々しく思っていたのか、黒川氏が法務省事務次官や東京高検検事長に就任する際も反対。
「なかなか辞めない」との指摘も、官邸が次期検事総長に“守護神”を据えようとする動きを阻むため、勇退を拒否したとされる逸話をネジ曲げたものだ。

大甘処分で退職金満額支給の後ろ暗い関係
 官邸にとって稲田氏は「目の上のたんこぶ」。
そこで黒川騒動を都合よく利用し、監督責任に論点をスリ替え。
目障りな稲田氏に全責任をかぶせ、排除の算段である。
「毎度の悪あがきは、もはや通じません。
既に『#稲田検事総長を守ろう』がツイッターのトレンド入り。
世論は首相の責任逃れの詭弁を見抜いています。
稲田氏を巻き添えにして、邪魔者のクビを強引に切れば世論の怒りの炎に油を注ぐようなもの。
今度は『#辞めるなら今だぞ安倍晋三』のネットデモが拡大し、一気に退陣要求のうねりが湧き起こりますよ」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 安倍は今さら、束ね法案の検察庁法改正案ごと国家公務員法改正案の廃案検討を指示。
新型コロナウイルスによる雇用環境悪化を理由に「官が先走り過ぎているとの批判もある」と弁解したが、支離滅裂だ。
とうにコロナ危機だったホンの10日前、自ら国会で「高齢期の職員の豊富な知識と経験を最大限活用する」と法案の必要性を訴えていた。

これまでの答弁との整合性はシッチャカメッチャカのちゃぶ台返しは、何が何でも騒動の幕引きを急ぎたいだけ。
あがけばあがくほど、世論の激怒を買うことに気づかないのか。

 盗人に追い銭のような高額退職金問題もくすぶる。
早期の幕引きを図った政権側は、黒川氏の賭けマージャンを「訓告」、単なる注意にとどめた。
大甘処分で懲戒を免れた黒川氏には退職金が満額支給。
その額はナント、6700万円超だ。

 黒川氏は3年前から産経記者2人に朝日の元記者と月2〜3回ペースで賭けマージャンに興じ、1回の勝ち負けは1人数千円から2万円程度。
単純計算で最大約200万円の金が動いたことになる。
ギャンブル依存症を疑わせる「雀鬼」ぶりだが、常習賭博は懲役3年以下の量刑が科される立派な犯罪だ。
人事院指針でも常習賭博は「停職」処分の対象となる。

■誰もギャンブル狂いを知らなかったのか
ここで素朴な疑問が浮かぶ。
政権内で誰も黒川氏のギャンブル狂いを知らなかったのか。
元文科次官の出会い系バー通いを突き止めたように“官邸のアイヒマン”が動けば、すぐ判明したに違いない。
 ハレンチな罪の証拠を握られたため、黒川氏は“守護神”として従順に働き、官邸も図に乗った。
今回はたまたま、産経関係者に刺されただけではないのか。
 いずれにせよ、異常な厚遇は後ろ暗い関係をうかがわせる。

「森友文書改ざんの佐川宣寿元国税庁長官だって減給処分を受け、退職金を削られました。
小渕優子元経産相や甘利明元経済再生相らの不祥事の捜査はなぜ潰されたのか。
退職金の満額支給は、全てを知る立場の黒川氏への口止め料と勘繰られても仕方ありません」(五十嵐仁氏=前出)

 肝心のコロナ対応でも現場は大混乱。
アベノマスクは不良品の検品に追われ、配布開始から1カ月以上経っても、きのう時点で全国34県にまだ1枚も配られていない。
安倍が「スピード重視」と胸を張った10万円給付のオンライン申請も無残だ。
誤入力が多く、職員の確認・修正作業に手間取り、休止する自治体が相次いでいる。

政治評論家の森田実氏が言う。
「黒川騒動にコロナ対応のお粗末と取るべき責任の数は日々増え続けるのに、いまだに政権は不正義を貫く。
50年前の歌謡曲『傷だらけの人生』のように『何から何まで真っ暗闇よ すじの通らぬことばかり』です。
かと思えば桜を見る会の前夜祭を巡り、全国の弁護士ら約660人から公選法違反容疑などで首相が告発される異常事態も招いた。
錯乱状態の官邸はもう断末魔。
いい加減、引き際です」

 守護神を失った今、告発を受け前夜祭会場のホテル側が一切合切をしゃべれば安倍はアウトだ。
待ち受ける運命は逮捕か、総辞職か、野垂れ死にかの3つしかない。
やはり「#辞めるなら今だぞ安倍晋三」――。
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2020年05月25日

【点描・永田町】心に響かない首相の記者会見

【点描・永田町】心に響かない首相の記者会見
5/24(日) JIJI.com

 コロナ禍に対応するための緊急事態宣言の期限が5月31日まで延長され、外出自粛による国民の“総巣ごもり状態”は長期化している。
1カ月近い延長決断を余儀なくされた安倍晋三首相は、4日の記者会見で「責任を痛感」「国民にお詫びする」と、自責の念を繰り返した。
併せて首相は6月からの宣言解除への意欲をにじませ、「人と人との絆の力」などと情緒的な言葉で国民全体の協力を訴えたが、「国民の心には響かない会見」(立憲民主党幹部)との不満や批判が相次いだ。

これまでと同様に午後6時から始まった記者会見。
カメラのフラッシュを浴びて登壇した首相は、慣例の冒頭発言(スピーチ)で「緊急事態宣言から間もなく1カ月。国民の皆さまには大変なご協力を頂きました」と切り出し、全国の新規感染者数がピーク時の約3分の1まで減少したことなどを挙げて「皆さんの行動が未来を確実に変えつつある」と、まずは国民の努力を称えた。

その上で、「現時点では感染者の減少が十分なレベルとは言えない」「医療現場の過酷な状況が続いている」などと期限延長の理由を説明する一方、「5月は終息のための1カ月で、次なるステップに向けた準備期間」と再延長には否定的な考えを示した。
 ただ、首相は宣言解除の具体的条件や出口戦略については、数値目標も含めて明確な言及は避けた。
専門家会議での議論が錯綜したことが原因とみられているが、首相は会見の中で「全国で毎日100人を超える方々が退院しているが、その水準を下回るレベルまでさらに新規感染者数を減らしていく必要がある」とも述べた。
これは専門家会議の主要メンバーが「新規感染者数100人以下が続く状態」と指摘したのと符合する。

ただ、その前提となる新規感染者数については、極めて少ない日本のPCR検査数からみて「実態を表していない」(医療関係者)ため、現状では「感染者数を基準にする限り、出口戦略も組み立てようがない」(感染症専門家)のが実情だ。

問われるコミュニケーション力
 4日の首相会見は、左右と手元に設置されたプロンプター(原稿映写機)を見ながらの冒頭発言などは、これまで通り。
身振り手振りの熱弁とも見えたが、ネットのライブ中継では、画面余白の書き込み欄に「がっかり」「悲しい」など、不満や落胆の投稿が続いた。
中でも批判の投稿があふれたのは、冒頭発言の半ばに事業者が期待する持続化給付金に言及した際。首相が「5月1日から最大200万円の持続化給付金の受け付けを始めたが、最も早い方で『8月』から入金を開始します」と説明した途端、「ウソー!」「遅すぎ!」「もう駄目!」など悲鳴の書き込みで大炎上した。

 メモにあった「8日」(5月8日)を「8月」と読み間違えたようだが、首相が気付いたのは冒頭発言後に手元に届いた「連絡メモ」を見た時とみられる。
国会での演説や答弁でも首相の言い間違いや読み間違いは少なくないが、この持続化給付金は最も首相がその効力をアピールしていたもので、「すぐ言い間違いに気付かなかったのは考えられない事態」(閣僚経験者)だ。

 首相は、その後の質疑の中で、そっと訂正したが、「メモ読みに集中して、内容は上の空だった」(自民長老)とも指摘された。
これまでの首相の「コロナ会見」には「説明不足」「言葉に力がない」などの不評、不満が付きまとってきただけに、感染者の大幅減で、首尾よく6月からの宣言解除に踏み出すことができたとしても、期限の5月末の記者会見などでは、改めてコミュニケーション力が厳しく問われることになりそうだ。
        【政治ジャーナリスト・泉 宏】
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2020年05月26日

木村花さんを追い詰めた「匿名卑怯者」の深い罪

木村花さんを追い詰めた「匿名卑怯者」の深い罪
無責任にできる投稿がモラル意識を低下させた
2020/05/25 東洋経済オンライン
本田 雅一 : ITジャーナリスト

5月23日未明、Twitterのタイムラインが騒がしくなっていた。
恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演していたプロレスラー・木村花さんの様子がおかしいという話題だったが、その時点では詳細はわからなかった。
後になって知ったことだが、このとき、花さんは血だらけの手首の写真、謝罪と自虐の言葉、それに別れの言葉を発していた。
異変を感じた花さんのフォロワー、元共演者や所属プロレス団体関係者などが、花さんの身を案じるツイートを発信していた。

詳細は明らかになっていないが、関係者が彼女を発見して消防署に通報。救急車に運ばれた花さんはぐったりとして呼びかけに反応する様子はなかったという。
花形女子プロレスラーの娘として生まれ育ち、母に憧れてプロレスラーへの道を歩んだ花さんは、スターレスラーへの道を着実に歩んでいた。
それにもかかわらず、わずか22年でその命を自ら断つという道を選択せざるをえない精神状態へと追い込まれた。
彼女の死が明らかになると、花さんに対する一連の誹謗中傷、彼女が深く悩み、精神的に追い詰められたことが広く知られることになった。

すると、今度は彼女を追い込んだとされる中傷メッセージを送っていた匿名の者たち、中傷の原因となっていた出来事の当事者、そして番組関係者などへの非難の声が相次ぎ、憎悪の連鎖が広がりつつある。

今回のような不幸はいつ起きても不思議ではない
ネットを通じコミュニケーションの力(プラスもあればマイナスもある)が増幅される中、今回のような不幸はいつ起きても不思議ではない。
われわれができることは、花さんが置かれた状況を省みることで、少しでも不幸な連鎖を減らすことだろう。
本稿では、3つの切り口から話を進め、花さんが自らの命を断つこととなった状況について情報を整理したい。

まずは、SNSというメディアの対称性と非対称性について、あらためて考えてみたい。
次に、“リアリティー番組”という番組制作から見た切り口について。
最後に自分や自分の大切な人の心を守るために必要な心構えについても言及する。

インターネットは人のコミュニケーション能力を増幅し、新しいサービスを次々に生み出した。
SNSもその1つだ。
元々、インターネットは情報を受け取る際にも、発信する際にも有益な優れた双方向メディアだが、すべての人にとって“対称性”のあるメディアではない。
例えば内輪だけで使っている100人程度のフォロワーのTwitterアカウントは、時にタイミングと内容次第で数百万以上の人たちに発信したツイートが読まれる可能性を持つものの、多くの場合、フォロワー数に応じた発信力しか持たない。
一方で不特定多数に興味を持たれることもないため、発信者の状況や心情などを理解しない有象無象の不特定アカウントから攻撃されることもない。

自分をフォローしているアカウント、自分自身に向けられたツイート、自らがフォローするアカウント。
それらの重みに大きな違いはなく、せいぜい仲間内の冗談めかした会話で済むことが多い。
ところが芸能人、あるいは花さんのように人気番組に出演者として登場している場合、出演者自身の発信力が極めて強くなる。
こうした状況ではネットからの反応も、自身の発信力の強さに応じて強力なものになる。

1999年、コメディアンのスマイリーキクチさんは、突然、ネットで殺人犯だと指名された。
証拠は皆無に等しかったが、2ちゃんねる(当時、現在は5ちゃんねる)で「犯人に似ている」と指摘されると次々に“もっともらしい”傍証が繰り返し語られた。
事実無根の情報を発信していた19人が摘発されるまで、実に10年という年月が必要だった。

俳優の西田敏行さんは、覚醒剤を使用している可能性が高いという匿名のブログを発信源に、まるで犯罪者のように告発される日々が続いた。
警察による捜査の結果、3人のブロガーが摘発されたが、覚醒剤を使用していたことを示す証拠やうわさなどは一切なく、単に芸能人の知名度を利用してアクセス数を稼ぐために虚偽の記事を掲載していただけだった。
西田さんはSNSを通じて何かしらの意見や情報を発信しているわけではない、完全なる善意の第三者だが、あまりにも知名度が高すぎた。
知名度が高い一方で、そのプライベートは俳優としての西田さんほどには知られているわけではない。
“知られていない一面”をそれらしく、本人の預かり知らぬところで勝手に描かれただけだった。

0.1%を100倍にすれば10%になる
どの例にも言えることだが、攻撃する有象無象の声の主は、自らが加害者になることなど微塵も意識していない。
自分自身の言葉が社会に影響を与えることなど想像もしていないからだ。
実際、多くの攻撃者は社会的強者ではないことのほうが多いだろう。
言い換えれば、自己評価が低いからこそ、平気で他者に対して強い言葉で罵詈雑言を浴びせることができる。
自己評価が低い人間は、自分の声を相手が真剣にとらえることなどないと思っているからだ。

しかし、受け取る側にとっての重みは必ずしも軽くはない。
花さんは見ず知らずの人たちから、SNSを通じて毎日100件もの非難の声を受け取っていたとつづっている。
発信者にとっては、さして大きな意味はないのかもしれない。
単なるストレスの捌け口だった場合も少なくないだろう。
しかし軽い気持ちで発した、毒性が0.1%の言葉であったとしても、100人が同じ毒を浴びせれば10%になる。
毎日、その毒を浴び続ければ、いつか許容量を飛び越えてしまうことは誰もが想像できるだろう。
ましてや今回のケースでは、さらに花さんへの攻撃、花さん自身の感受性が高まる環境が偶然にもそろっていた。

コロナ下で動画配信サービスの視聴数が伸びたことで、Netflixで配信されている花さん出演の番組への注目は、以前にも増し、ネットを通じた彼女へのポジティブ、ネガティブ両面の名指しでの意見は急増していたと考えられる。
一方、花さんが自分自身を捧げてきたプロレスは、コロナ自粛の中ですべてのイベントがキャンセルされ興業再開の目処が立たず、自分自身を表現する場所を喪失。
出演していたテラスハウスの収録も中断。

自粛生活の中にあって、直接、信頼できる誰かに心の中を打ち明けることもできなかっただろう。
そうした状況下において、花さんは別の役割も負っていた。
自粛が明けた後の所属団体の活動を活性化するため、SNSを通じた女子プロレスのプロモーションに力を尽くす役割を与えられていた。
それだけに、ネットを通じて集まる名前なき憎悪を無視することができず、ストレートに彼女の心に飛び込んできたのではないだろうか。

匿名の発信者は、どう反論されようが心を侵されることはない。
発言が非難を浴び、それが誹謗中傷へと発展しようと、決して“自分自身に矛先が向く”ことはないからだ。
世間に顔も名前も知られていない存在なのであれば、いくら強い口撃を受けようと現実の生活には何の影響も及ばない。
涼しい顔で聞き流せばいいだけだが、自分自身をさらけだすことを求められる花さんのような立場では、ひたすらに流れ込む悪意を受け止めざるをえなかったはずだ。

問われるリアリティー番組制作の倫理観
花さんが誹謗中傷を受ける原因となったのは、前出の「テラスハウス」で剥き出しの感情を露わにしたことがきっかけだった。
テラスハウスはシェアハウスを舞台にした共同生活の場で起きる、男女の恋愛を捉えるリアリティー番組だ。
本稿を執筆するにあたって中傷を受ける原因となった前後のエピソードを観たが、長期間、生活を共にする相手への鬱積した感情を考慮するならば、花さんが特別に問題ある行動を取ったようには見受けられなかった。

しかし、花さんが亡くなった後は中傷する声は鎮静化しているものの、批判の声は収まっていない。
「リアリティー番組に出演し、プライベートを犠牲に生業を得ているのだから、ある程度のプライバシーの侵害やネットからの攻撃は想定すべきだ」
「番組中、アンチファンが増加するような言動、態度を取った被害者に非がある。
批判に耐えられないのであればリアリティー番組に出るべきではない」

彼女の自殺は、彼女の行動と決断がもたらしたものであって自業自得ではないかという声だ。
女子プロレスという世界、自分という人間を知ってほしいと考えて出演した彼女も一定の覚悟はしていたことだろう。
しかし、偶然も重なって彼女への攻撃は苛烈なものとなった。

ここで問いたいのは、リアリティー番組の制作側による出演者保護のケアである。
リアリティー番組とは、あらかじめ脚本を用意せず、その場で現実に起きる様子を記録、編集して放送するタイプの番組のこと。
古くから存在する手法だが、'90年代後半以降は映像編集技術の向上から、膨大な収録映像を編集することで容易に番組を構成可能になったことで、このジャンルが大きく発展し、世界中でさまざまなヒット番組が生まれることになった。
テラスハウスは「ウンナンのホントコ!」の企画として放送された“未来日記”(1998〜2002年)や「あいのり」(1999〜2009年)など恋愛リアリティー番組人気が高かった日本で、フジテレビが2012年に放送を開始。
2014年に放送終了していたが、海外向け番組販売で好調だったことから2015年からNetflixとフジテレビが手を結ぶ形で復活。
グローバルでの配信が行われ日本以外での人気も高まっていた。

テラスハウスの制作手法は承知していないが、一般論としてこうしたリアリティー番組では“テーマ設定”や“場面設定”などは行われるものの、収録される映像に対して演出を入れないことが原則だ。
一方で演出がまったくないかといえば、当然、そこにはリアリティー番組として成立させるための創意工夫は当然のように行われる。
海外では、一部の出演者に対して特定の役割や発言を促すといった演出が行われている。

テラスハウスに関して、海外のリアリティー番組にあるような恣意的な演出、出演者への働きかけがあったか否かはわからない。
しかし、例え演出が最小限であったとしても(そのことは肯定する材料も、否定する材料も持っていない)、最終的に求められるのはストーリーだ。
映像制作を行う側は、膨大な映像を編集し、出演者の意志とは無関係に物語を紡いでいく。
出演者自身も「どう描かれているか」わからない テラスハウスは、共同生活を続けながら、スタッフが映像を編集、配信・放映を続けるというスタイルであるため、放送されるまで出演者自身も自分のことをどう描かれるかは、知る由もない。
その中で、思わぬ形で出演者が傷つくことは容易に想像できる。

例えば、リアリティー番組への人気が高いアメリカでは、リアリティー番組を通じてアメリカ全土に知られるセレブへと上り詰めた人たちも生まれているが、一方で自らの命を絶つ出演者もいる。
番組制作側は出演者たちの物理的、精神的、両面のケアを行う必要性は8年もの制作経験の中から十分認識していたはずだ。 コロナ禍にあっては、そうしたケアを施し難かった事情はあったのかもしれない。
しかし、長年の制作経験を経て人生経験が少ない出演者の心のケアが行き届いていなかったり、あるいはSNSを通じての苛烈な攻撃を認識していなかったのだとしたら、リアリティー番組を業務として制作している側は“杜撰”とのそしりを免れることはできない。

リアリティー番組において、放映される映像は出演者たちの生活の“ごくわずかな一部分”でしかない。
よほど非日常的な生活を送っていない限り、人の日常は特別なものではない。
特別ではないからこそ日常なのだ。
言い換えれば、特別なものではない日常をつなぎ、出演者の感情や気持ちの濃度を高め、視聴者の期待、想像力を高めることでエンターテインメントとして作り上げているのがリアリティー番組とも言える。
そこには編集する側の意図が明確に存在する。

テラスハウスでは、番組冒頭で「台本は一切ございません」のナレーションが入る。
実際、日常生活を捉えるこの番組において、コンテンツに現実味と意外性を持たせるには台本がないほうがいい結果が得られるだろう。
ほとんどの出演者が駆け出しのモデルやタレント、俳優やスポーツ選手で構成されるこの番組の場合、出演者自身の思惑や期待を刺激しつつ生活させ、その中から数字が取れるシーンをつなぎ合わせることが多いと考えられる。
とはいえ、それは番組制作上の手順にしかすぎない。

例えば、あなたが気のおけない友人と異なる意見を持って対立していたとしよう。
気持ちが通じているからこそ、親しい友人とは激しい口調になるかもしれない。
互いにわかり合っているからこそ、踏み込める領域がある。
ところが2人の関係を知らない者が、偶然、口論をしている2人を見かけたらどう思うだろうか。
シーンを切り取っただけでは理解できない心の動きは、どんな場面にもある。

生身の人間が普段の生活をさらし、そこに出演しているのは若く、人生経験も豊富ではない若者たちばかり。
テレビ番組の中に紡がれる物語は、出演者自身の気持ちを反映したものではなく、制作者の意図によって物語の骨格が形作られていることは忘れてはならない。

本当の真実、リアルは何なのかは、すべての時間を共有した者同士にしかわからないものだ。
リアリティー番組は、あくまでも“リアリティー”を求めて生まれたものであって、本当のリアルではないのだから。

自分自身と「大切な人」を守るために必要なこと
花さんを追い込んで行った“アンチファン”も、さして強い言葉をぶつける意図はなかったのかもしれない。
しかし、花さんがアンチファンからサンドバッグのように打たれ続ける中で、その攻撃はエスカレート。
自粛生活の中で、毎日、言葉の剣を突き刺される中で花さんは命を絶ってしまった。

精神的に誰かを追い詰めていけば、いつか誰もが加害者となりうる。
何気なく発した言葉も、さまざまな形で増幅され、発した本人の思いの強さ以上の形になって相手に届くこともある。
また自分の言葉がほかの誰かに伝搬し、攻撃者を増やしてしまうこともあるだろう。
その結果、攻撃していた本人が被害者の痛みを抱え、その後の人生を生きねばならないこともあるに違いない。

今回、花さんを追い込んでしまった誰かもまた、自らの行いを悔いているはずだ。
花さんの家族はもちろん、憎悪に満ちた言葉を投げかけた誰か、SOSを見逃してしまった番組制作スタッフ、共演者、花さんを取り巻くさまざまな人たちが、大小の違いはあれ共トラウマを抱えながら生きていくことになるだろう。
では悲劇を繰り返さないために、自分たちに何ができるだろうか。

あらゆる日常の中で、パートナー、家族、友人、同僚、さまざまな形の人間関係から、100%の確率で問題を発見し、救いの手を差し伸べるのは難しい。
しかし、自らの心の声に尋ねて何をすべきかを考えることは誰にでもできる。
「自分にとって、最も大切な人は誰なのか。その人はどのようなことを一番大切だと考えているのだろうか」
この問いを続けていると、意外にも最低限、守らねばならないことは少ないと気付かされるだろう。

手にしているスマートフォンやパソコン、そもそもネット接続してのコミュニケーションなどは、決して一番大切なものには入ってこない。
一方で最も大切なものは家族であり、身近に感じるパートナーだ。
花さんは命を絶つ決意をしたと思われるSNS投稿の前、自分に向けられた憎悪のメッセージに対して「いいね!」をクリックしていた。
自分は間違っていないという確信を持ちつつも、繰り返しの中傷に自分の存在意義を見失ってしまったのだろうか。
匿名での発言者にモラルなど求められないものだが、そうした常識さえも見失わせるほどの精神状態に追い込まれていたのだろう。

もし、自らを否定したくなる気持ちになった場合、あるいは身近な誰かが自分を見失いそうになっていたならば、まずはスマートフォンの電源を切り、しばらくは生身の声の中で暮らしてほしい。
顔がない相手ではなく、顔が見える友人と対話の機会を作ろう。
本当に大切なものは、ネットの中ではなく、目の前の現実の中にある。
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2020年05月27日

コロナよりも恐ろしく私たちが回避すべきもの

コロナよりも恐ろしく私たちが回避すべきもの
魔女狩りや全体主義を蔓延させてはならない
2020/05/26 東洋経済オンライン
大崎 明子 : 東洋経済 解説部コラムニスト

緊急事態宣言がようやく全国的に解除となった。
こうした中、気になるのはコロナ禍を恐れるあまり、政府方針に従わない人を誹謗し中傷する「自粛警察」が跋扈するなど、正常な人間同士の社会的関係が失われていることだ。

こうした自粛警察が跋扈する理由は、日本国民の多くが新型コロナウイルスへの恐怖感を募らせているからだろう。
日本は新型コロナにかかわる人口対比の死者数がアメリカや欧州諸国に比べて圧倒的に少ない。
ところがこの間、ネット上には「ロックダウンをしていない日本は危ない」「PCR検査が不十分な日本はもう終わった」などという記事があふれた。
日本よりもずっと人口対比の死者数を多く出している国の対策と比較して「日本はダメだ」という記事のオンパレードだ。

最近のメディアと読者、国家との関係には危ういものを感じる。
国に対してコロナ対策が緩すぎるとして、ロックダウンを求めたり、PCR検査を国民全員に行って陽性者の「隔離」をせよと提案したり、国民を監視する海外の政策を推奨したりすることだ。

権力の乱用を防ぐための政府批判はもちろん活発に行うべきだ。
たとえば、税金の無駄遣いと思えるアベノマスク、政権寄りの検察官の定年延長を可能にする検察庁法改正案への批判などだ。
しかし、政府に対し極端な私権制限を要請するメディアや一部の学者たちと、それに同調する人々の動きには賛成できず、危険なことだと考えている。

国家総動員法と同じ論理
重要なのは患者の治療であるのに、なぜか検査が国民の一大テーマになってしまったのは、テレビの影響力が大きいようだ。コメンテーターがコロナ危機を戦争に例えて、旧日本軍と同様に負けるなどと叫んでいるが、こうした煽動こそ危険だ。
太平洋戦争前夜にマスコミが積極的に国民の不安と不満を醸成していった状況に似ている。

マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威を持ちはじめ、不動のもののように人々を引っ張ってゆき、流してきました」(半藤一利著『昭和史』平凡社)。
煽動の甲斐あってか、一部の経済学者たちが国民全員を対象に新型コロナに感染しているかどうかのPCR検査を行って、「陽性であれば隔離・治療へ」「継続的な陰性は社会活動・経済活動へ」との提言を出している。
内容を読むと、個人の意思や選択権などないか、あっても簡単に従わせることができるという傲慢な前提が置かれている。
国家規模のGDP(国内総生産)の維持が重視され、国家経済のために「国家総動員法」と同じ発想で出している提案なのだ。

「隔離」は私権制限の最たるものだ。
日本でも結核患者やハンセン病患者に対する国家の強制隔離が基本的人権を侵害してきたことは恥ずべき歴史の一部だ。
そうした歴史への配慮もない提案は驚きである。
新型コロナは未知のウイルスであり、その性質などは現在解明が進められている。
そのため、「専門家」とされる人々の間でもその説明や対策などで意見が一致しない。
日本がなぜ感染者を抑え込めているのかもはっきりしないのは確かだ。

明らかなデマやフェイクニュースは論外だが、厚生労働省の発表やNHKの報道であっても、事後的に正しかったといえるかどうかはわからない。
こうしたもどかしい状況下では、メディアの報道も勢い大げさなものになりがちだ。
そして、メディアが新型コロナの脅威を報道すればするほど人々の恐れも必要以上に拡大していく。
そうした中で、人々は政府に対し魔法の杖のようにコロナの感染拡大を止めてくれる手段を望んでしまう。

しかし、魔法の杖はなく、極端な解決策ほど大きな副作用や大きな落とし穴が待ち受けているものだ。

管理国家への誘惑を断ち切る必要
「9.11」後のアメリカで、人々の監視を強化する米国愛国者法の成立や対イラク戦争に国民を駆り立てていったものとして、マイケル・ムーア氏の映画『華氏911』ではメディアによる「恐怖と消費の大宣伝」の存在が指摘されている。
コロナ危機でもそうした動機の存在を注意深く疑ったほうがいい。

韓国や中国など海外で実施されている厳格な新型コロナ感染症対策の裏側では、個人の自由やプライバシーが侵害されていることも冷静に考えるべきだ。
私たちは本当にかの国のような管理国家を望むのか。
いわゆる「自粛警察」がはびこる今の日本にそうした予兆を感じないだろうか。
すでに、新型コロナで家族を亡くした人がそのことを親しい友人にも言えないという不自由な国になってしまっている。
普通の葬儀も出せない状況だ(参考記事『新型コロナでも「普通の葬儀ができるはずだ」』)。

また、感染者が家族にいるということも、子どものいじめなどを恐れて友人に相談できないのだという。
そうした怖い状況の中から、「陽性者は隔離」という発想は出てきた。
新型コロナを恐れるあまり魔女狩りや全体主義をはびこらせてはならない。

日本のように同調圧力の強い社会では、そうしたことが自殺に結び付きやすい。
新型コロナによる死者は少ないが、新型コロナにまつわるいじめで自殺者が増えた、というようなことになりかねない。

自由な議論に基づく寛容な社会の維持を
あえていうが、安倍政権に強力なリーダーシップなど求めない。
求めるのは情報開示である。
新型コロナウイルス感染症専門家会議のどのような議論を経て対策が決められたのか、開示が不十分な点は気になる。

一方で、専門家会議が「新しい生活様式」といった大仰な言葉で、日常生活の各場面に及ぶ指導を列挙するのは行きすぎだ。 専門家会議の議事録をどんどん公開し、それを受けて、個々人が必要だと思う感染防止策を実施し、経済活動の再開の仕方を工夫していくというのが民主主義下のコロナ対策の望ましい姿である。
そして、ほかの人の判断の自由も尊重するべきだ。
「自粛警察のターゲットにならないように注意しよう」というアドバイスも散見されるが、それは本来順序が逆だ。
意見の異なる人への嫌がらせやいじめは、それをする人のほうが戒められるべきだ。
※5月25日発売の週刊東洋経済のコラムに加筆しました
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2020年05月28日

自粛警察、緊急事態解除でも暴走は止まらない? パチンコ店で県外ナンバーに生卵が…

自粛警察、緊急事態解除でも暴走は止まらない?
パチンコ店で県外ナンバーに生卵が…
2020年05月27日 SPA!

新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるべく、政府が行った自粛要請に応じない店や人々を勝手に取り締まる「自粛警察」の暴走が止まらない……。
時に、犯罪すれすれとも言える異質な行動を取る彼らが振りかざす正義とは何なのか?
今回、被害者の声から探ってみた。

◆再開の動物園に「殺すぞ」、駄菓子屋に「オミセシメロ」
「再開したらどうなるかわかっているのか」「殺すぞ」
 全国39県で緊急事態宣言が解除された1週間前の5月6日、営業再開を告知していた茨城県石岡市の自然動物公園「東筑波ユートピア」には、こんな匿名の脅迫電話がかかってきたという……。

 長らく続いていた「自粛生活」もようやく終わりが見えてきたが、独りよがりの歪な正義感から、要請に従わない店や人をやり玉に挙げる「自粛警察」の暴走は、しばらくは収まりそうにない気配だ。

下記の表にも列挙したが、あるときは、無観客で配信ライブを行っていたライブバーに「自粛してください。次発見すれば警察を呼びます」と因縁をつけ、あるときは高齢女性が細々と営む町の駄菓子屋に「コドモアツメルナ オミセシメロ マスクノムダ」と書かれた怪文書を貼りつけるなど、いきすぎた振る舞いをする「自粛警察」は後を絶たない。

 実際、外出や休業要請に応じていないと警察に通報するケースも激増しているというが、彼らはなぜ、そうまでして自らの正義を押しつけようとするのか? 

今回、都内の人気沿線で居酒屋を経営する40代の男性に話を聞いた。
男性は都の感染拡大防止協力金の実施概要が発表された4月15日以前に、「ウイルスが住みついている可能性大なので、近づかないようにしましょう」と書かれた紙を店の壁に貼られたという。
「15日以降は夜8時までの営業にして、酒類の提供も夜7時までにしたのですが、貼り紙は都から正式な要請が出る前にフライング的に貼られました。

ただ、その後ある男が、貼り紙と同じような文章をSNSに上げているのを常連のお客さんが見つけてくれたんです。
おそらくその彼が犯人だと思うのですが、ウチの店と特定できるような形で批判して、フォロワーの人たちとクラスター感染のリスクについて熱心に語り合っていました……」

 男は店に何回か来たことのある客だったという。
ただ、連れの女性があまりにも酒癖が悪かったので出禁にしたため、「もしかしたら、逆恨みされたんじゃないか……。
ウチの店は『コロナが出たから危険だ』というデマを流していたとも聞きました」と話す。
結局、警察に被害届を出しに行ったが、後日、『犯人には辿り着けなかった』と報告を受け今に至っています」

 店に対する嫌がらせはこれだけではない。
電話で「なんで開けているんだ。気持ち悪いから閉めなさい」と注意してくる人をはじめ、営業中に外から勝手に写真や動画を撮っていく人もいたのだとか。
 都の要請に従って営業しているにもかかわらず、一度、標的と定めたら猛然と牙を剥く「自粛警察」。
緊急事態宣言が解除されたからといって、彼らはそう簡単に正義の拳を下ろすのだろうか……。

◆自分や身内を守るためなら他県ナンバーは排斥の正義
 クレームの電話は常套手段のようだが、栃木県にある某パチンコ店の電話被害は度を越している。
店長に話を聞いた。
「ある日、電話が鳴りやまない日がありまして。終日70〜80件のクレーム電話。
『なんで県の休業要請に従わないんですか?』とか言うから『いや、要請書や要請の電話は来てないですし、パチンコ店はセーフティネット保証5号の対象外という業種差別を受けていますからね。
逆に保証ありきで安心して休めるように役所とかけあってもらえませんか?』なんて受け答えをしていたら、2日目の途中から無言電話になりました」

 セーフティネット保証5号とは業況の悪化している業種に属することで経営の安定に支障を生じている中小企業者への保証制度のひとつ。
通常の保証限度額とは別枠で80%の保証がなされる。
パチンコ店は5月1日の指定業種拡充によって対象になった。

「結局、3日目まで無言電話が続きましたが、次の日からパタリと来なくなりました。
声を聞いていた感じでは7〜8人がそれぞれ10回くらい電話していたんでしょう。
先に自粛していた競合店の嫌がらせか、いわゆるプロ市民だと思っていますけどね。
何せ、この店は見通しのいいバイパス沿いにあるので近隣住民はいませんから」

 このパチンコ店では他にも駐車場で横浜ナンバーの車の下に無数の釘がばらまかれていたり、茨城ナンバーの車のフロントガラスに生卵が投げつけられたりという他県ナンバー狩りがあったという。

◆なぜ「自粛警察」は向こう見ずな行動を?
 なぜ、「自粛警察」はこういった向こう見ずな行動に出てしまうのだろうか……。
社会心理学者の碓井真史氏に聞いた。

「基本は不安だと思うんですよね。
自分が病気にかかる不安であり、自分の周りや住んでいる街、地域に感染が増える不安。
身内だけはなんとか守ろうと外からやってくる他県ナンバーに石をぶつける。
商店街でみんなが店を閉めているのに開けているヤツはもはやよそ者だから村八分にしてしまう」

 みんなと同調しないヤツがいると不安だから排斥するという論理。
「あとは処罰感情です。
例えば山梨県で感染した女性が動き回るのはサリンを撒いたオウム真理教と同じだという発想から、ものすごく悪いヤツなのに警察は動かないし、名前も明かさない。それなら俺が警察になるしかないな、と」

 まさに自粛改め“自称警察”。
正義と信じているから厄介である。

◆《自粛警察事件簿》
●4/19:フリーアナが『あつ森』上で弟の島へ遊びに行っただけなのにツイッターで指摘される。
●4/26:東京・高円寺のライブハウスに無観客ライブ配信の自粛を求める貼り紙を貼られる。
●4/29:東京都葛飾区で営業自粛に応じないパチンコ店の前で開店待ちをしている客に「帰れ!」と罵声を浴びせた上、詰め寄って写真を撮り、ネット上に晒す。
●4月下旬:千葉県八千代市で自粛要請中に休業している駄菓子屋に「オミセシメロ」と貼り紙。

●5/2:兵庫県神戸市で休業指示を無視して開店しているパチンコ店にYouTuberが突撃。
●5/3:東京・井の頭公園で活動する太極拳グループを自粛警察が通報。本物の警察が大量出動したが要請しかできず。それに不服の自粛警察が騒いで連行されてしまう。
●5/3頃:山梨県で感染確認女性がSNS上に個人情報を晒される。
●5/4:神奈川県横浜市の公園砂場にカッターナイフの替え刃発見。
●5/6:茨城県で営業再開の動物園に「殺すぞ」と脅迫電話。
●5月上旬:「(クラスター発生の兵庫県の病院に勤める)妻が看護師を続ける限り、あなたは出勤できない。会社を辞めるか、奥さんが看護師を辞めるか」と会社側に言われる。
●5/12:石川県小松市で休業要請に応じず営業していたパチンコ店でガラス破損。
●5/13:大阪・心斎橋の美容院に「さっさと店閉めて大人しく寝ててください。 次、発見すれば通報します」のと貼り紙。 ●5/15頃:北海道の建設現場事務所に「工事ヤメロ」「火ツケル」など、大量の貼り紙。

◆「自粛警察」は主に犯罪です!
 自粛警察たちが正義だと思っている行為も、ほとんどは犯罪だと知っているのだろうか。
弁護士の河瀬季氏に解説していただいた。

「まずメディアでもよく取り上げられている貼り紙ですが『店閉めろ』などと書かれている場合は業務を妨害するので威力業務妨害罪になります。
一方、『ウイルスが住みついている可能性が大』という嘘なら名誉毀損罪になります」
 威力業務妨害罪は3年以下の懲役または50万円以下の罰金。
  名誉毀損罪は3年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金。

 感染が発覚した女性の個人情報が流された件もガセ情報に関しては名誉毀損罪になるが、本当の情報に関しては刑法ではなく民法上の「プライバシー侵害」になり、損害賠償請求ができるとのこと。
「パチンコ店にかかってきたというクレームの電話は、同一人物が何十回もかけてきた場合は威力業務妨害で普通に捕まります。
ちなみに店長に『殺すぞ』と言ったら脅迫罪になりますね」
 脅迫罪は2年以下の懲役または30万円以下の罰金に処される。
「他県ナンバー狩りで窓ガラスを割ったりしたら器物破損です」  
器物破損は3年以下の懲役または30万円以下の罰金もしくは科料。

「このように自粛警察の行動の多くは犯罪なんですよ」

 緊急事態宣言が解除された後もしばらくは自粛ムードが続くため、自粛警察として活動してしまう人もいるだろうが、それは犯罪だと肝に銘じていただきたい!

【社会心理学者 碓井真史氏】
新潟青陵大学大学院教授。
著書に『誰でもいいから殺したかった!追い詰められた青少年の心理』(ベストセラーズ)など

【弁護士 河瀬 季氏】
モノリス法律事務所代表弁護士。
東京大学法科大学院卒業。IT企業の顧問弁護多数。
NHK土曜ドラマ『デジタル・タトゥー』原案担当

<取材・文/週刊SPA!編集部>
※週刊SPA!5月26日発売号より
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2020年05月29日

「日本の奇蹟をぶっ壊す!」安倍晋三の新トンデモ政策であなたの自由は奪われる

「日本の奇蹟をぶっ壊す!」安倍晋三の新トンデモ政策であなたの自由は奪われる
2020年05月28日 PRESIDENT Online
早稲田大学招聘研究員 渡瀬 裕哉

■竹森氏の「国内パスポート」発言は冗談だと思われたが…
5月20日、衆議院予算委員会の新型コロナウイルス対策に関する参考人質疑で驚くべき発言があった。
国民民主党・渡辺周衆議院議員の「インバウンドが厳しい、消費も厳しい、GDPの速報値も厳しい、日本はどのような形で内需をけん引するべきか」という質問に対し、経済学者の竹森俊平慶応義塾大学教授が雄弁に自説を語ったときのことだ。

竹森氏は、インバウンドや観光の現状・対策について触れたのち、県をまたいで移動をする際の対策として、 「(県をまたいだ移動の)安全性を宣言するためには一種のパスポート、まずは国内パスポート、手形のようなものをどう作るのか考えていて……」 と尋常とは思えぬアイデアを開陳したのだ。

「国内パスポート」発言は日本国民に衝撃を与え、ネット上では「通行手形」の復活を揶揄(やゆ)する投稿が相次ぐ事態となった。
竹森氏が「私も温泉に行きたい」と冗談を交えたこともあり、今のところ竹森氏の主張を本気にしている人は少ない。
「『翔んで埼玉』のようだ」というコメントがネット上にあふれていることからも面白いジョークとして受け止められているようだ。

■安倍政権は「国内パスポート」に前向きに取り組む可能性がある
しかし、このアイデアは冗談では終わらないかもしれない。
筆者も竹森氏の「国内パスポート」発言は冗談だろうと思っていた。
ところが同日に行われた参議院予算員会での公明党・浜田まさよし参議院議員の地方創生にまつわる質問に際し、 「私はパスポートという感覚があるのですけど……」 とまたもや「国内パスポート」の持論を展開した。

竹森氏が二度も同じ内容を発言したということは、「国内パスポート」政策に本気である可能性を示唆しているのではないか。
竹森氏は、新型コロナウイルス対策のため政府が設置した「基本的対処方針等諮問委員会」の1人であり、政府の経済政策の方向性を決める経済財政諮問会議の委員も務めている。
いわば、安倍政権のお気に入りの経済学者である。

実際、消費税増税の際も参考人として国会に招致され軽減税率の導入などを事実上擁護していた。
したがって、その発言は政府に対して一定の影響を与える可能性がある。
いや、むしろ現政府の代弁をしていると捉えても良いのかもしれない。
つまり、安倍政権が「通行手形」の復活に前向きに取り組む可能性はゼロではないのだ。

■WHOは警鐘を鳴らすが、各国の対応は…
実際、このような国内パスポートのモデルとして、EUでは現在「COVID-19 passport」が検討されている。
シェンゲン協定によってEU加盟国間の往来は自由化されてきた。
しかし、新型コロナウイルスの蔓延により加盟国間においても国境封鎖や外出規制などといった制限措置を実施せざるを得ず、観光産業が深刻な打撃を受けている。
そのため、ギリシャはEU圏内での旅行の再開を目指し、旅行者が渡航前に感染検査を受けることを義務付けたうえでの「パスポート」発行を求めている。

米国をはじめ他のいくつかの国においても、抗体検査で「抗体がある」と証明された人に「パスポート」を発行し職場に復帰させるという動きがある。
各国は自国の生産力を回復するために、抗体検査を用いてどうにか建前を整えようと必死になっているのだ。

一方、WHOは4月25日、都市封鎖や移動制限緩和の基準として抗体検査を用いないように警告している。
その理由は単純明快で「同一人物が新型コロナウイルスに感染しないという根拠はないから」としている。
ただし、経済再開を求める多くの国の指導者はWHOによる警告を真摯に受け止めない可能性もあり、依然としてどのような方向に事態が進んでいくかはわからない。

■コロナ禍ではっきりした日本政府と国民の性質
国会の参考人質疑で竹森氏が述べた「国内パスポート」は上記のような諸外国の状況を踏まえたものであろう。
そのため、「通行手形の復活」をリアリティのある話として日本国民は受け止めるべきだ。
「関所」をどのように復活させるのかについては極めて疑問があるが、他の都道府県在住者が宿泊施設などを利用する際に証明書の提示を求めることを義務化すれば一定の効力を及ぼすとも考えられる。

ホテル宿泊時にフロントで記載する何の意味もない書類が久しぶりに意味を持つようになるかもしれない。
極めてばかばかしい冗談と思われた「国内パスポート」が現実化しかねない状況なのだ。
日本政府は、新型コロナウイルスに対しこれからも「想像を絶する」対応をするかもしれない。

国民は、自らの生活を防衛するため、政府の行動に対して常に最大限の監視と警戒を怠るべきではない。
既に日本政府は「自粛」によって日本国民の経済活動に多大な損害を与えてきた。
政府による「自粛要請」とそれに従わない店舗名の公表、そして正義感に駆られ「自粛警察」化した国民によって、多くの店舗が休業に追い込まれ十分な補償も受けられぬまま廃業の道を選んだ。

5月25日に政府の緊急事態宣言は解除されたものの、それらが残した経済へのダメージや後遺症は計り知れないものとなっている。
そして大都市部では根拠不明の「休業要請」が依然として継続している。
このように、通常ではおよそ実現不可能なようなことでも、政府がやろうと思えば実現しうるという現実をわれわれは重く受け止めるべきだ。

■国民よ、政府にNOと言え
筆者は、医療専門家ではないが、政府が採用した一連の政策が日本経済を破壊したことは分かる。
一方で、欧米の新型コロナウイルスによる被害状況と比べて、日本の新型コロナウイルスの被害状況は極めて軽微だ。
強烈なロックダウンを実施した欧米に対し、そもそも日本の「自粛」がどこまで効果があったのかという点は後々検証されるべきであろう。

現在も第2波・第3波が来ることを想定し、専門家は厳しい声を上げつづけている。
たしかに、それらの警告は彼らの職務を果たした発言として尊重されるべきものだろう。
だが、その際に本来は政治家が医療と経済の見極めを行った対応を打ち出すべきであるにもかかわらず、現在までの後手に回りつづけた政府の対応を見る限りでは全く頼りにならない。

われわれ日本国民は自らの生活の糧を守る必要がある。
政治家が頼りにならない中で、政府が押し付けてくる「新しい生活様式」という夢想を真に受けていては、「古い生活様式」である現実の生活が破壊される一方だ。

新型コロナウイルスだけに気をやっていて、生きていけるはずもない。
政府の言いなりになってその意向に追随するだけでは自らの生活を守ることはできないだろう。
国民側から政府の政策に堂々とNOを突き付ける動きが活発になるべきだ。
そうでなければ、日本において都道府県の移動が「通行手形」で制限される未来が待っているのだから。

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渡瀬 裕哉(わたせ・ゆうや)
早稲田大学招聘研究員
国内外のヘッジファンド・金融機関に対するトランプ政権分析のアドバイザー。
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2020年05月30日

"アホノミクス"…安倍晋三が日本国民を見捨てたとき

"アホノミクス"…安倍晋三が日本国民を見捨てたとき
2020年05月29日 PRESIDENT Online
文筆家 古谷 経衡

■大恐慌をさらに悪化させたとされる清算主義
“恐慌によって腐った部分を経済システムから一掃してしまえば、生計費も下がり、人々はよく働くようになり、価値が適正水準に調整され、無能な連中がだめにしてしまった事業を再建する企業家も現れるだろう”
これは1929年の世界恐慌時、米フーバー政権下で財務長官を務めたアンドリュー・メロンの言である(*「清算主義」対「リフレーション」の構図は正しいか?、田淵太一、東亞經濟研究會、2003)

要するにメロンは、大不況で「潰れるべきモノ(企業や人)」が淘汰されてしまえば、その代わりに優秀な企業や人が勃興するので、却って経済には良いと説いたのである。
この考え方は「清算主義」と呼ばれ、これによってフーバー政権は世界恐慌時に何ら有効な経済対処を取らなかった。
このことが、大恐慌をさらに悪化させたとされる。
この「清算主義」的発想は、安倍政権にも根強く存在すると私は見る。

■「もたない会社は潰すから」自民党の正体見たり
自民党の安藤裕衆院議員が4月11日、ある自民党大物議員からの伝聞として〈自民党が冷たくなったよねというのはその通りで、提言の話で「損失補償、粗利補償しないと、企業は絶対潰れますよ」という話をある幹部にしたときに、「もたない会社は潰すから」と言うわけですよ〉と右派系ネット番組で発言したのだ。

安藤議員はその後、日刊ゲンダイの取材に対してこの発言を釈明したが、自民党の正体見たりという実感がする。

第2次安倍政権が政権を握って早8年強。
田中・竹下系の経世会の領袖だった小渕恵三首相が急逝(2000年)し、「密室内閣」と揶揄された森喜朗内閣に政権が交代すると、民主党時代の約3年半・麻生太郎内閣の約1年間を除けば日本はずっと、自民党清和会内閣が実に15年以上続いている状況である。

かつて「クリーンなタカ派、ダーティーなハト派」と指摘されたように、ハト派で鳴らした田中・竹下系の派閥にはロッキードやリクルート事件は言うに及ばず、腐敗や疑獄が付きまとった。

一方清和会は典型的な親米タカ派路線だが、元来代議士一家や土着の資産家が多いので疑獄系の醜聞は比較的少ないように思える。
こういった意味では、15年以上続いてきた清和会内閣で「政治とカネ」の問題は徐々にだがクリーンになっていったことは間違いない。
しかしながら一方で、清和会による自民党支配は自民党という大衆政党の性質を一変させた。

■大企業と都市部の中産階級さえ確保できれば政権維持できる
それまで、地方の職能団体(農協、漁協、郵便局、中小自営業者等)から支持を受け「一票の格差」を逆手にとって衆議院で過半数を保ち続けてきた田中・竹下系の性質からがらりと一変し、清和会は大企業、都市部の中産階級をその支持基盤として小選挙区下、一挙に大勝を重ねてきた。
それまで自民党の伝統的な支持基盤だった地方の職能を「抵抗勢力」と名付けて敵視した小泉純一郎内閣以降、この傾向はますます揺らがない。

よって現在の清和会内閣は、かつての田中・竹下系内閣では「聖域」とされた農業分野までその構造改革のメスを入れている。
代表的なものがTPP推進(―皮肉にもトランプ政権の意向により断念する格好となったが)だ。

現在の自民党は、地方の足腰の弱い職能団体に利益を再分配するという構造は希薄で、大企業と都市部の中産階級さえ確保できれば政権党を維持できるという体制が出来上がっている。

■公明党の最終カードをちらつかせた強硬論
ここに清算主義の根本がある。
足腰の弱い、支援なくば恐慌下で潰れてしまうような企業や人は、田中・竹下系の内閣では重要な票田だったが、清和会内閣ではそうではない。
清和会内閣で一貫して法人税減税が行われてきたのはその派閥の性質によるところが多い。
法人税減税は中小零細企業よりも大企業にとってより便益となるからである。

このような状況下で再分配傾向の薄い清和会内閣の補助・助力として期待されていたのが小渕恵三内閣時代から連立を組む公明党の存在である。
公明党は元来、その支持母体・創価学会を中心として、大都市部の低所得者層や零細自営業者を支持基盤としており、田中・竹下系の政権と政策的に相性が良い。
公明党が初めて連立を組んだのが経世会の小渕内閣であったこともその証左である。

ところが前述のとおり、小渕首相が急逝して「棚ぼた」的に清和会・文教族の森喜朗が首班につくと、公明党は政策的に肌が合わない自民党・清和会との連立を、実に20年の長きにわたって強いられたのであった。
もっともこの部分には公明党の政権権力への拘泥があったし、また公明党の支持基盤自体が経済成長によって中産階級に成長した側面もあった。
とはいえ今回のコロナ騒動で、当初「困窮世帯に限定して30万円」としたものを「一律10万円給付」に転換させたのは、公明党による「連立離脱」という最終カードをちらつかせた強硬論に官邸が押されたからと言えよう。

■安倍晋三の経済対策はどれも後付け・小出し
大企業と都市部の中産階級の支持を受ける清和会内閣は、根底に「弱い者は潰れてしまっても、その溝を優秀な会社や起業家が埋めるので構わない」という清算主義的観念があるとはすでに述べた。
コロナ禍で様々な経済対策が打ち出され、またされる予定だが、どれも後付け・小出しであり、「強者の発想」に拘泥する清和会内閣の根底に変化はないように思える。

東証一部上場企業では繊維業のレナウンがコロナ禍で倒産したが、この会社の倒産はコロナ禍以前からの経営基盤弱体をその始祖としていた。
多くの大企業は、コロナ禍での一時的な利益の激減すらも内部留保や大規模融資によって概ね乗り切るだろう。
それもこれも、2000年の森喜朗内閣から計15年以上も、大企業を支持基盤とした大企業優遇政策が清和会内閣によって実行されてきたからだ。

■経済成長を支えた「非合理的不採算企業」
清和会内閣が支配する以前、田中・竹下系内閣が一時期自民党派閥の頂点として君臨してきた時代、「本来、市場の摂理に任せておけば倒産するべき不採算企業を、公的助成や支援で温存してきたために、日本経済の生産性は低くなっている」という批判が跋扈(ばっこ)した。
こういった批判が、のちの構造改革路線・新自由主義路線につながることとなる。

しかし50年代〜70年代前半の高度成長下、いわゆる「非合理的不採算企業」は都市部・農村部を問わずいたるところに存在した。
従業員が10人未満の下請け町工場が工業地帯には乱立し、都市下層民の雇用を支えた。
当然、ひとたび不況の風が吹くとそれらの企業は倒産し、不況が収まると類似企業が息を吹き返した。

こういった企業は、あきらかに「非合理的不採算企業」だが、当時はこういった企業の近代化の必要性は唱えられど、「潰れるべき企業は潰れてしまって構わない」という意識は希薄だった。
なぜなら経済全体が成長していたし、そういった経済成長はとどのつまり大企業の下請けとして機能していた「非合理的不採算企業」が支えていたからである。

■今こそ必要なのは迅速かつ大胆な支援である
ところが経済成長が一服して日本経済に成長余地が無くなると、こういった「非合理的不採算企業」への補助や支援は無駄だ、というように言われるようになった。
市場原理という競争社会の中では、こういった企業は自然淘汰されていくべきだ、という考え方が主流になり出した。

しかし現代的市場経済は、すべてにおいて市場原理主義を肯定しているわけではない。
外部から見て不採算、非合理的と見なされる企業や人にも、社会の中で一定の役割を担い、ややもすればそこから大発明や天才が輩出されることもある。
すべての企業や人を合理的か否か、不採算か否か、で決めてしまえば、小説も演劇も音楽も一切必要が無い、ということになる。

しかし社会の構造はそうなってはいない。
たとえ一見不採算でも非合理的でも、社会の構成員として一定の役割を果たしている企業や人を、市場原理の名のもとに切り捨ててよい法は無いのである。
清和会内閣として最も「長寿」を誇る第2次安倍内閣には、この視点が欠落しているように思えてならない。

今こそ必要なのは「市場原理に任せておけば淘汰されかねない企業や人」への迅速かつ大胆な支援である
ここを怠ると、大変なしっぺ返しを食らうであろう。

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古谷 経衡(ふるや・つねひら) 文筆家
1982年、札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。
保守派論客として各紙誌に寄稿するほか、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。
オタク文化にも精通する。
著書に『「意識高い系」の研究』( 文春新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)など。
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2020年05月31日

マイナンバーカード なぜ役立たないか猛省を

マイナンバーカード なぜ役立たないか猛省を
2020年5月30日 毎日新聞「社説」

 新型コロナウイルス対策の国民への一律10万円給付を巡り、マイナンバーカードによるオンライン申請で混乱が生じている。
 給付に支障を来しかねないとして、この方法での受け付けを取りやめる自治体も現れた。
システムの信頼に関わる深刻な事態だ。

 マイナンバーは、番号で行政が国民を識別する制度だ。
政府は今回、郵送に加え、マイナンバーカードによる申請も採用した。
 ところが、暗証番号を忘れたり、窓口サイトへの入力ミスでロックされたりして、申請者が相談のため役所に殺到するケースが続出した。
システムに負荷がかかり、作業が停滞する問題も起きた。

そもそも申請にカードのほか、読み取り機材や暗証番号が必要なことを知らない人も多かった。
 窓口サイトでは、二重申請を防止できないという問題点も露呈した。
自治体は二重申請や入力ミスの点検、金融機関の口座などを照合する負担に直面している。
結局、多くの自治体で、入金までかなりの日数を要しそうだ。

 マイナンバーカードの普及率は15%程度と伸び悩んでいる。
トラブルはある程度予想できたが、カード普及の好機とみて見切り発車し、墓穴を掘ったのではないか。
 まずは混乱収拾のため、国が手立てを尽くすのは当然だ。

 政府・与党は今後の同様の給付に備え、法改正も検討している。
今回申請されたデータや口座情報については自治体が保存できるようにしたり、窓口サイトの段階で二重申請をはねたりするなどの対策は必要だろう。

 政府にはこれに加え、マイナンバーとすべての口座の「ひも付け」を義務化することで、給付の迅速化を図ろうとする動きがある。
だが、資産把握やプライバシー保護との兼ね合いから十分に議論を重ねる必要がある。

 マイナンバーカードがいまだに普及しないのは利便性の低さに加え、個人情報保護への不安が根強いためだ。
どさくさまぎれに管理強化を急ぐべきではあるまい。

 来春からカードは健康保険証代わりにもなる。
利便性を向上させつつ、個人情報を保護する仕組みの整備にも着実に取り組むべきだ。
信用がないまま、国民に利用を押しつけてはならない。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(4) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする