2020年05月16日

ぱちんこ・風俗vsお上・世間の衝突は自由をめぐる闘争の最前線だ

ぱちんこ・風俗vsお上・世間の衝突は自由をめぐる闘争の最前線だ
5/15(金) 現代ビジネス
山本 一郎(個人投資家・作家)

緊急事態宣言は延長され、概ね5月末までは「コロナウイルス対策のための緊急事態である」と政府が言っています。
 単純にコロナウイルスという感染症対策のためであれば、確かに自粛してお家にいるのが感染を広げないという意味において正解だと思うんですよね。わかる。
 でも39県については緊急事態が解除されてしまいました。
うっかり感染再拡大しないことを祈るのみです。

 いまや「8割おじさん」として国民のヒーローになった北海道大学の西浦博先生もコロナ対策を放置すれば「国内で約85万人が重篤になる」とし、最大で42万人が亡くなるとの試算を4月15日に発表。
人と人との接触を8割減らすことでコロナ感染者数を大幅に減らすことができるとの説得は政府も国民もメディアもおおいに納得し、それじゃあ頑張って自粛しようかと真面目な日本人は家籠りに徹します。

 しかしながら、問題になるのは「そうは言っても」という人たちです。
 用事があって朝に電車に乗ればいまだ少なくない数のサラリーマンが通勤電車に揺られて仕事に向かっていますし、薬局の前を通ればマスクを求める高齢者が密接な距離感で列を作っているのが見られます。
さらにぱちんこ屋の前、繁盛しているラーメン屋、バーベキュー禁止と書いてある公園で肉を焼いている人たちなどなど、緊急事態など我関せずという人たちもおられます。

いろんな考え方の人がおるんですね。世の中。
 もちろん、電力やガス、水道、ネット・通信、港湾、輸送、食料品店ほか、人間が暮らしていくのに必要な仕事に従事している人たちは、本当は家で作業できればしたいのにそうは言っていられず現場に出ざるを得ない日本人もたくさんいます。  

コロナ対策の最前線で戦っている医師や看護師など医療関係者や、不安とストレスでいかれた注文を役所に平然と持ってくる連中に対処している公務員の皆さん、さらには海外で死者続発の介護施設でお年寄りを介護しておられる介護職員の方々など、仕事柄自粛とは無縁な人々の活躍があって初めて私たちはコロナ対策による自粛要請の美名のもとに自宅に長らくいることができます。
 本当に、ありがとうと言いたい。

「自粛」とは第三者によって強制されるものか
 一方で、自粛だと言われているのに営業しているぱちんこ店があり、ネイルサロンがあり、SMクラブがあります。
何してんだおまえ。
開店前のぱちんこ店に並んでいる長蛇の列を見ると「このご時世に営業しているのかよ」と思わず2度見して、さらに並んでいる人たちの寒色形&黒および濃いグレー中心のいでたちをチェックすることになります。
 慎ましくも誠実な日本人のあるべき姿からすると、わざわざ営業中のぱちんこ店を探し出し、県外ナンバーの車を駐車場まで乗りつけて開店前から並ぶぱちんこ愛好者の姿を見て「いや、何もそこまでせんでも」と思ったりもします。

 ただこれ、見方を変えれば「自粛」と「自由」の最前線でもあります。
飲食店であれアパレルであれ、国家が、都道府県が、各自治体が、国民に要請する「自粛」という名の強制力のないお願いは、日本特有の同調圧力もあって、強烈な閉店へのプレッシャーとして機能します
 私の住む街でも確かにゴールデンウィーク前、ランチ時間帯に限って営業していた若者に人気の家系ラーメン屋に、夜何者かにより「この状況で営業するな」の匿名の張り紙をシャッターに複数貼り付けられており、その週末から「事情により営業休止します」と自粛に追い込まれていました。
 おお、自粛というのは、第三者によって追い込まれるものだったのかという新たな発見をするわけなんですよ。

 そこへ、大阪府や茨城県、千葉県などで、自粛要請に応じず、堂々と営業するぱちんこ店が出現。
東京都でもいつになく濃い眼元メイクが眩しい都知事・小池百合子さんがマスク越しにやや声を大きくして営業しているぱちんこ店に対して自粛するよう求める記者会見をしていました。
 メディアも「こんなときに営業しているぱちんこ店など非国民も同然」と非難のトーンを強めます。
このコロナウイルス対策で国民が一丸となるべきときに、遊戯業界は何をしているのか、と。不謹慎であると。
制裁を加えるべきだと。

 ところが、我が国は民主主義国家です。
超リベラルだったんだな、と改めて思い知らされるのは、この期に及んでなお、国家は私権を制限できないのであります。
ここでいう私権とは財産権のことであり、営業を行っていれば本来得られたであろう逸失利益があるならば、仮に国家がコロナウイルス対策の事情をもってなお、営業を制限できないことになります。
これ何のための緊急事態の認定なのでしょうか。

そんなに他所の「軍政」「戒厳令」国家がいいですか  
海外に目を転じれば、各国事情が違います。
 一時期コロナウイルス対策に成功した韓国は、社会制度自体がそもそも休戦中であるという状態で、首都ソウルのご近所に武装した独裁者一家がお住まいであることもあり国民の自由や権利を制限できる仕組みを擁しており、いまや国民の私権の制限どころか位置情報の提供まで義務付けています。
 その割に、位置情報を晒したくない事情にまみれたゲイコミュニティで、同性愛者の皆さんがハッテンした結果、コロナ大量感染が発生したうえに、そこにいたはずの2500人の行方が分からないとかいう事態を引き起こしておられました。
待ちに待ったイベントで羽目を外したいと思った皆さんの気持ちはよくわかります。本当に。

 また、中国からの旅行者によりコロナウイルスが持ち込まれた州都ミラノを含む北部イタリア・ロンバルディア州では感染者多数、死者も続出する大流行。もともと濃厚接触を大前提とする風習と相俟って一気に感染が広がったことへの対策として、ロンバルディア州で外出禁止令が発令されて自粛どころではない感染拡大抑え込みに打って出ました。

 ところが、実際には外出禁止になると察知したイタリア国民が次々とロンバルディア州からイタリア各地へと脱出してしまいます。
その中には当然感染しているけど症状のない人たちも多数含まれ、結果としてロンバルディア州を超えてイタリア全土にコロナウイルスが拡散されてしまったのであります。

 我らが安倍晋三総理も、このイタリアの状況を見ていたからか、遅れに遅れた緊急事態宣言は日本全国に発令したものの、強い外出自粛の要請は繰り返しになりますが「お願い」レベルのものです。
 県をまたいだ移動をしないで欲しいと要望をしつつも、実際には埼玉神奈川千葉から東京へ、和歌山奈良滋賀岡山から大阪京都兵庫へと働く人たちの移動は続き、茨城に営業しているぱちんこ店があると聞けば東京群馬埼玉栃木など近隣都県から愛好者が殺到するのです。

 営業自粛というお願いを聞き入れて、コロナ対策のためにと営業を自粛したぱちんこ店は収益がゼロになって赤字になる。一方、自粛などふざけるなと営業を強行したぱちんこ店は県内のみならず県外各地からお客さまが殺到し、超シブい釘でも打てるだけ幸せと超密接してぱちんこに熱中する皆さんで溢れ返っておるわけです。

自主判断は罪なのか
 それもこれも、自粛を要請して逸失利益を出させておきながら、あくまでお願いなのだから休業補償は全額は出さない、助成もあくまで雇用調整助成金が中心で、それ以外の支援策は原則として政府系金融機関からの無利子・無担保の特融が中心であるという補償の薄さが非常に厳しい判断を民間に押し付けているところによります。

 もちろん、休業要請の理由は感染症対策であり、政府の責任で起きたことでもなければ、日本国民が悪いわけでもありません。
あくまで感染症が広がれば日本人全体で少なくない死者が出かねないのだから、感染を広げかねない営業はやめてくれというのは政府としても当然です。
 いつの間にか営業自粛や休業要請と休業補償はセットであるという議論がありますが、世界を見渡しても大見得的に飲食店や芸術家には大盤振る舞いを政府がするかのように見せておきながら、実際には給付が進んでいないのは日本と諸外国とでも事情はほとんど変わりません。特にドイツ、お前だ。

 そういう薄い補償や助成で営業を自粛しない、断固営業するのだと判断した飲食店やぱちんこ店、イオンなどの大規模GMS(総合スーパー)、あるいはスナックやSMクラブのような小規模店舗は、はたして咎を負うべきなのでしょうか。
 そこの店のスタッフやお客さまから感染者が大量に出たら、すぐに報じられて社会的にリンチされてしまう危険を犯してでも営業を強行する、という自由をどう考えればいいのでしょうか。
 さらには、一部工事を再開すると宣言した大手建設会社・清水建設と鹿島。
一方、工事再開を再延期して万全を期する大林組。
政府からの自粛要請は自粛要請として受け止めつつも、必要な営業を行い、自粛に対して事業者としての考えを示し、政府からの命令出ない限りにおいては雇用や顧客を守るために頑張るのだ、と事業者が判断することについて、政府や国民はどう受け止めるべきなのでしょう。

民主主義なら自分の頭で考えるもの
 ここに、同調圧力をかける国民の存在もあり、いまや自粛警察、自粛自警団という謎の国民感情もあって、うっかり車で仕事で地方に出ると「コロナは来るな」と張り紙をされ、公園で子どもと一緒に他の人と距離を取りながらジョギングしていると年寄りから「不謹慎だ」「公園に来るな」と怒鳴られる。
 しかし、あくまで西浦博さんのシミュレーションは「8割の接触を削減する」のであって、飛沫が出ないようマスクをしたり、距離をしっかりとったり、手すりその他いろんなところに触った手で顔などをこすらず、帰宅後に限らずこまめに手を洗い、うがいをする――つまりは、自粛とは自分で考えた最善の感染症対策を各位が自らの責任でしっかりと行い、相応の対策で身を守りながら勤労や健康、そしてストレス解消に資する活動をきちんと取ることで長丁場となるであろうコロナ対策、ニューノーマルに向かい合っていけばよいのではないかと思うのですよ。

 自分の頭で考えて判断して、最善の防御策をとりながらコロナ下でも日常をしっかりと生き抜くことが、強制されない民主国家・日本で生きる私たちのあり方なんじゃないでしょうか。
 もちろん、県外までぱちんこ打ちに行って感染症にかかってしまいました、というのは自己責任だけでなく、ただでさえパンパンになっている医療機関に迷惑をかけることになるのでそれは控えましょうとか、そういう警句がしっかりとあり、何らか混雑緩和のための入場制限・整理券制みたいなものがあれば良いのではと思いますし、夜の街クラスターと名指しされる風俗産業やパパ活ラウンジ、SMクラブなどなどについても、お前らが好き勝手セックスして感染させあうことのないよう、欲情の制御も含めた慎みある日本人としての矜持を何とか保ってほしいと願っています。

どさくさ紛れの憲法改正なんて  
ところが、この政府から何を模倣的に強制されない美しい民主主義国家である日本において、コロナ担当大臣を兼ねる西村康稔さんから「国民の総意があれば強制力を持つ法整備もやぶさかではない(行う意志がある)」とかいうネタが降ってきました。
 いやいや、ただでさえ国民の総意なんて動くゴールポストというかポピュリズムそのものの話なのだから、目の前のコロナ対策のためなのに泥縄的な対策を打ち出すのはまずいんじゃないでしょうか。
 さらには、憲法記念日に我らが総理・安倍晋三さんが「緊急事態に対応するための憲法改正を」とかいきなりブチ上げ始め、ドン引きであります。

 それ、あなたが憲法改正を戦後初めて成し遂げた宰相と、教科書に名前を刻みたいだけなんじゃないですか。
やめましょうよ、どさくさに紛れて自分のやりたいことを、このご時世にブチ込むの。
いままさに国民が一丸となってコロナウイルス撲滅のために団結しながらアフターコロナの日本の青写真をどう描き出すか考えなければならないときに、わざわざ国論が2分するような憲法改正議論にまで持っていくの、実によくないと思うんですよ。

 つまりは、国民の私権(財産権)をコロナ対策のような緊急事態のときに制限できるようにする、さらにはシンガポールや韓国のように国民の外出禁止を政府が発令できるようにし、破った人たちには罰金を支払わせたり身柄を押さえたりするという、いわゆる「緊急事態でも国家から自由であること」の最前線が、あるのです。

 それは、いま自粛を振り切って生き残るために営業しているぱちんこ店や夜の街クラスターを構成している風俗店など、不要不急の極みな産業を巡る争いなんですよね。
 そりゃ一つひとつ見ていけば「このご時世なんだからぱちこぐらい我慢しろよ」「社会の窓からご自慢の逸品を出すのやめろよ」とは思うけれど、なんぴとも、その人の自由を奪うことはできないという信条と、世の中どんなに技術が進歩してもイカれた奴らは一定の割合いるのだという諦めとの間に「自由をめぐる闘争」が、確かにそこに、あるのです。 
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする