日本になぜ「自粛警察」が生まれるのか
日本世間学会の研究者に聞いた
7/15(水) GLOBE+
世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大する危機のさなか、日本では「自粛」「要請」という言葉が飛び交った。
法的強制力や罰則があるわけではなかったが、人々の外出を抑制するのに一定の効果があった。
九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏は、日本人のこうした行動の背景には「世間」というものの存在があると指摘する。
日本人と世間の関係について語ってもらった。
(聞き手・畑中徹)
――コロナ危機では、政府による「自粛要請」を、多くの日本人は受け入れて外出が大きく減りました。
法的強制力や罰則などを伴った諸外国の政府の対応とは異なりましたが、ある程度の成果がみられました。
それはなぜでしょうか?
欧米におけるコロナ危機への対応は、外出禁止命令や罰則付き外出制限、ロックダウン(都市封鎖)などでした。
一方、日本では「自粛」「要請」といった言葉に象徴されるように、命令や罰則もロックダウンもない、(新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく)
緊急事態宣言での「外出自粛」「休業要請」という、きわめて「ゆるい」ものでした。
それでも一定の効果がみられたのは、日本には欧米には存在しない「世間」というものがあるからです。
――「世間」がキーワードなのですね。
そうです。
日本には「世間の目」というものがあるので、自粛や要請に応じないものに対しては、周囲から「世間のルールを守れ」という強い同調圧力がかかります。
ルールを順守しないと世間から排除されるため、日本人はじつに生真面目にこれを守っています。
「世間を離れては生きていけない」とも思っていて、排除されないように、つねにまわりのことに気をつかって生きているのです。
――同調圧力がかかるということですが、コロナ危機では、日本人は「あの人はマスクをしていない」とか「外出自粛要請があるのに、お隣さんは出かけていった」というほどに周囲を気にしていたと思います。
これらも、やはり世間に起因するのでしょうか?
そのような同調圧力も世間に由来するものでしょう。
日本人の間では「みんな同じ」という同質性の同調圧力が働くために、隣の人がちょっとでも違う行動をとることに過敏でした。
たとえば屋外でマスクをしなかったり、外出自粛要請を守らなかったりと、「世間のルール」に反する逸脱行為とみなされます。
これが相互監視を生み出すのです。
コロナの感染が広がる中では、世間による同調圧力と相互監視の肥大化につながりました。
――コロナ危機下では、日本国内のあちこちで「自粛警察」と呼ばれる動きも出てきました。
自粛警察として、抗議や通報、ときには脅迫をする人たちの心理はどのようなものでしょうか?
緊急事態宣言のもと、国内で登場した「自粛警察」も、世間の同調圧力と相互監視の一つのかたちでしょう。
自粛や要請に逆らっているものを発見したとき、自分に直接危害を加えるものでなくても「迷惑をかけられた」と思い込みます。
そこに正義感も加わり、「人に迷惑をかけるな」という意味での抗議や通報、脅迫にいたってしまう。
それが正当化されるのは、「人に迷惑をかける」行為が、日本ではきわめて悪いことであるとみなされているためです。
日本では「世間のルール」に反したものに対して、法的根拠もなく、権利や人権も無視されて、世間が事実上の処罰をおこなっているといえます。
1000年前から日本にある「世間」
――世間のルールというものは、ほかにどんな場面ではたらくのでしょうか?
思い浮かぶのは、たとえば東日本大震災のような大きな自然災害が起きたときの日本人の対応です。
被災者が避難所で整然と行動していたことをみて、海外メディアからは日本では非常時に略奪も暴動も起きないと驚きの声があがりました。
海外の場合、災害などで警察が機能しなくなり「法のルール」が崩れてしまうと、略奪や暴動に結びつくこともあるでしょう。
ところが日本では、そのような状況であっても避難所では「世間」が形成され、世間のルールが強力に作動するために、略奪や暴動にはならないのです。
――近年よく使われた言葉に、「空気を読む」「忖度(そんたく)」があります。これらも、「世間」につながるものでしょうか?
「空気を読む」「忖度(そんたく)」という言葉も世間に密接に関係していると考えます。
劇作家の鴻上尚史さんは「『空気』とは『世間』が流動化した状態である」と定義しています。
つまり、がっちりとしていない、ゆるい「世間」が空気だといえます。
「KY(空気が読めない)」は、2007年ごろから若い世代の間で広がったといわれますが、この空気に動かされるのも世間の特徴でしょう。
森友学園問題の籠池泰典前理事長が、以前、日本外国特派員協会主催の記者会見で発した「忖度」という言葉は、通訳者が英語にうまく翻訳できなかったと記憶しています。
ここでは、「空気を読んで、あらかじめ上の意向を察して、自分の行動を決定する」という意味で使われましたが、日本に特有の概念であるため、通訳者も対応に困ったのでしょう。
――日本において、世間というものはいつごろからあるのでしょうか?
万葉歌人として有名な山上憶良は「世間(よのなか)」という言葉をたびたび使っていますね。
「世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」などが知られています。
日本では「世間」が千年も前から連綿と続いているのです。
そして、日本人は、いまなお「世間」というものに縛られているのです。
佐藤直樹(さとう・なおき)
1951年生まれ。専門は世間学、刑事法学。
日本世間学会幹事。
著書に「目くじら社会の人間関係」「加害者家族バッシング」など。
朝日新聞社