日本人の健康に「予防」の観点が欠かせないワケ
2020/07/31 東洋経済オンライン
中室 牧子 : 慶應義塾大学総合政策学部教授
うえの賢一郎・自民党衆議院議員と、ミナケアの山本雄士社長、東京大学の近藤尚己准教授が健康経営や街づくりなどについて議論した。(取材はZoomで2020年6月25日に実施)
コロナ禍、社会を変えるきっかけに
山本雄士(以下、山本)
:今年の3月ごろから日本国内でも感染者が拡大し始めた新型コロナウイルスがもたらした影響は甚大でした。
緊急事態宣言が解除された今なお心配な状況が続きます。
このような中ではありますが、うえのさんは衆議院議員として、このコロナ禍の状況、そして、新型コロナウイルスが社会にもたらした影響について、どのように受け止めていますか。
うえの賢一郎(以下、うえの)
:一言でいうと、私はこれを社会を変えていくきっかけにすべきだと思っています。
とくに、行政のデジタル化を進めるべきということは論を俟(ま)たないでしょう。
今回、政府は、緊急経済対策として、対象者1人につき10万円を支給する「特別定額給付金」や、コロナの問題で収入が減った中小企業に最大200万円を払って支援する「持続化給付金」を給付することを決めました。
しかし、これが必要な人や企業に行き届くまでに相当な時間を要しています。
なぜ、こんなことが起こるのか。
旧態依然とした行政の事務に問題があります。
行政のデジタル化が遅れており、オンラインで手続きをすることができないからです。
政府や自治体はもっとデジタル化によってイノベーションをもたらす「デジタルトランスフォーメーション(DX)」を進めていかなければなりません。
この課題は、医療・社会保障分野にも共通します。
医療・社会保障分野でもやはりITインフラへの投資は十分ではなく、デジタル化が遅れています。
患者さんのことを、紙のカルテではなく電子カルテで管理をすれば、患者さんが過去どのような治療を受けたか忘れてしまったという場合も速やかに情報を取り出せ、患者さんが違う診療科にかかったという場合も速やかに情報を共有できます。
もちろん、個人情報の取り扱いには十分注意を払わねばなりませんが、こうした個人の健康にかかわるデータを使うことで、国民の健康管理を効率的、効果的に行うことができるようになると思っています。
加えて、今、初診からのオンライン診療が可能になっています。
コロナウイルスへの感染を恐れ、病院で受診するのを我慢したりすることがないように、電話やオンラインで治療を受けることができます。
医療従事者の感染リスクを低下させることも期待されます。
しかし、初診からのオンライン診療は、コロナ禍における時限的な特例措置として規制緩和が行われたにすぎません。
私はこれを恒久化していくべきだと考えています。
人生100年時代の医療・社会保障とは
山本
:医療・社会保障分野でのデータ活用によって健康管理を効率化する、という考え方は「人生100年時代」に向けた提言とも通じると思いますが、うえのさんは人生100年時代に、医療・社会保障分野はどのように変わっていくべきとお考えでしょうか。
うえの
:「人生100年時代」が現実になる中で、その100年間を健康に過ごせることが重要だと思っています。
100歳まで長生きしても、ベッドで寝たきりになっている時間が延びただけというのでは意味がありません。
「人生を100歳まで健康で過ごす」ために「病気との付き合い方」が重要です。
病気や障害があっても、病と共生し、健やかに生活できるように、社会保障を今日的な状況に合わせて、充実させていくことが重要です。
そして、そうした病気との「共生」だけでなく、「予防」も重要です。
これまでは、病気になってから病院でどのような治療を受けるかを考えてきましたが、その前に、病気にならないための努力や工夫をしていく必要があります。
こんな風に申し上げれば、「予防が大切だ」と共感いただける方は多いと思うのですが、実はこれを政策として推し進めるのは簡単ではありません。
国の審議会では「予防をすれば、かえって医療費を増やすのでないか」という議論があり、なかなか理解を得られません。
しかし、私は「予防は医療費を増やす」とか、逆に「減らす」といった、過度な一般化にはあまり意味がないと思っています。
そうではなく、「何の」病気を「どのように」予防すれば意味があるのかを知ることこそが重要なのです。
このためには、きちんとデータを取って、科学的根拠を積み上げていかなければなりません。
現在、政府は、認知症や糖尿病の予防の効果を明らかにする大規模な実証事業を進めています。
私が会長を務める議員連盟でも「何の予防に健康を増進させる効果があり、医療費を削減する効果があるのか」を明らかにするエビデンスを創出するための実証事業を提案しています。
地味なようですが、実はこれこそが社会に「予防」を定着させていくうえでの大きな第一歩となりえます。
皆さんも、効果がある予防が何かわかれば、それを積極的に取り入れたいと思うのではないでしょうか。
「予防」をキーワードに、社会全体に大きなムーブメントを起こしていきたい。
そしてもう1つは「社会全体での健康づくり」をすることです。
これまでの医療・社会保障は、個人が健康管理するというのが基本でした。
しかし、これからは個人という単位だけでなく、企業や地域の単位でも健康管理をするのはどうかということです。
個人への保障だけでなく、企業や地域も巻き込む
山本
:社会全体での予防や健康づくりというコンセプトは非常に納得感があります。
新型コロナウイルスへの対策も結局はこうした取り組みが重要だと再認識させてくれたと思います。
社会とひと口に言ってもその単位はさまざまと思いますが、たとえば企業ではどのような取り組みがありますか。
うえの
:最近は、「健康経営」という言葉を聞くことが増えました。
企業が従業員の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践することで、経済産業省が主導して推進しています。
たとえば、健康経営を行う企業を顕彰しており、2014年度から経済産業省は株式市場の「健康経営銘柄」の選定を行っています。
2016年度には「健康経営優良法人認定制度」も創設しています。
2020年の現時点で、優良法人として顕彰されている大企業は1477社、中堅企業は4817社、中小企業は3万社程度まで増えています。
だんだん健康経営に対する認識が広がり、その裾野も広くなっているということでしょう。
ただ、企業ごとの取り組みに濃淡はありますし、まったく進んでいない企業もありますので、日本全体の底上げをやっていかなければなりません。
山本
:確かにこの数年で健康経営というキーワードをよく目にするようになりました。
今後、さらにこの取り組みを推進するうえでの課題とはどのようなものなのでしょうか。
うえの
:健康経営を実践している企業にどういった具体的なメリットがあるのかを見える化しにくい点です。
従来の財務情報だけでなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した「ESG投資」を強化していくのは世界的な潮流ですから、当然、健康経営もESG投資の1つと位置付けられると思います。
一方で、経営側としては、健康経営を実践すれば、従業員の離職率が下がるのか、株価が上がるのかといった点も気になるでしょう。
限定的ですが、今すでに明らかなこともあります。
例えば、健康経営を実践している企業は実践していない企業と比較して、離職率が約10分の1程度ということを示すデータがあります。
健康経営を始めた後、売上高営業利益率が大きく改善したという事例もあります。
これ以外にも、経済産業省が実施した調査では、健康経営を率先してやっている健康優良企業の株価は、TOPIX(東証株価指数)で市場平均よりも約30%以上高いということを明らかにしています。
ただし、これらのデータからは、健康経営をしているから離職率が低い、あるいは株価が高いという因果関係があるとまでは言えません。
健康経営を実践している企業はもともと業績が好調な企業であり、それがゆえに離職率が低く、株価が高いというだけという可能性も残されているからです。
この点はこれからも研究を積み重ねていきたいと思っています。
山本
:日本全国に中小企業は約400万社あると言われていますから、健康経営優良法人として認定されているのが3万社程度だとすると、まだまだ少ないとも言えますね。
健康経営に取り組むことが当たり前のことになるために必要なものはなんでしょうか。
うえの
:中小企業の皆さんにも健康経営に取り組んでいただくためには、「インセンティブ」が重要です。
例えば、税制や補助金制度での優遇です。
青森県では、自治体が入札基準として、健康投資を実践しているかどうかを加点要素にしています。
山本
:税制関連は経営者側に非常にわかりやすいインセンティブですね。
ぜひ実現していただきたいですが、国の財政を考えると簡単なことではないのでしょうか。
うえの
:確かに当面は、新型コロナウイルスの感染拡大に対応するための緊急経済対策で財政支出が大きいことを考えると、来年度、再来年度の税制改正で進めるのは厳しいでしょう。
そうはいっても、企業の行動変容を促していくためには税制変更は非常に有効です。
健康経営の効果をしっかりと示しつつ、企業側のインセンティブを高められるようにしていきたいと思います。
国民が自然と健康になれる環境整備
近藤尚己(以下、近藤)
:健康づくりの活動に地域やコミュニティをどう巻き込んでいったらいいかという視点で伺います。
最近、「自然と健康になれる環境整備」の取り組みとして、とくに「住宅」と「街づくり」が注目されています。
「住めば自然と健康になる家や街をつくる」という取り組みです。
うえの
:実は、脳卒中の79%、心筋梗塞の67%は家の中で発生しています。
これをどう防ぐか。
例えば、家の中で、脳卒中になったり心筋梗塞になったりすれば、家に人がいなくても、自動的に検知され、救急車が手配され、病院にこれまでの通院や服薬履歴などのデータが送信されたらすばらしいと思いませんか。
実は今、大手ハウスメーカーの中に、こうした住宅の実用化を目指しているところがあります。
しかし、実用化されたとしても非常に高額な住宅だと多くの人がその恩恵を受けられませんから、国も助成制度などで応援できるような仕組みが必要だと考えています。
近藤
:私自身、医師として救急医療もやっていた時期に「もうちょっと早く見つかっていれば」という脳卒中の患者さんにたくさん出会ってきました。
新しい住宅でのテクノロジーを使って、そのような患者さんが1人でも救われる世界が来ることを願います。
住宅については、断熱技術の向上も目覚ましいですね。
伝統的な日本の家は「夏をもって旨とすべし」と言われ、冬は寒い。
寒いことで子どもが風邪をひきやすいという医学データもあり、住宅という面では課題もあると感じています。
うえの
:ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)という年間の一次消費エネルギー量(空調・給湯・照明・換気)の収支をプラスマイナス「ゼロ」にする住宅の普及がこれから本格化しますが、同時に断熱性能を上げて日本の住宅を「冬は暖かく、夏は涼しく」していくことも大事だと考えます。
平均的に血圧が下がったり、健康診断を受けた際に、異常が発見されたりする割合が低下するというエビデンスも示されているからです。
つい歩きたくなるような街づくりは健康につながる
近藤
:海外では地域の歩きやすさをウォーカビリティと言うようですが、つい歩きたくなるような「歩きやすい街」、「外出したくなるような街づくり」をすることで、運動、身体活動量も増え、人との交流も増えると期待されます。
そんなことが国土交通省で実際に事業として始まっていると聞きました。
「自転車で移動しやすい街づくり」も進められているようですね。
これは環境や健康の観点からも、そしていろいろな関連する産業という面で、「三方おし」のやり方だと個人的に注目しています。
うえの
:国土交通省の歩きたくなる街づくり都市計画では、中心市街地については車中心ではなく、人中心の生活ができる街づくりを施行していく動きが強まっています。
歩くということは、まさに健康と直結をするので、そうしたウォーカブルな街づくりの中に、さらに健康という要素を大きく盛り込んでもらえるような働きかけを国土交通省でもしています。
いくつかの先進的な事例があり、新潟県のある市においては、「歩こう条例」というのを作って「歩きましょう」と市民に呼びかけをしています。
その中でポイント制度を導入して、たくさん歩くことでポイントがもらえ、何かに交換できるという取り組みを行っている市があります。
実証的な効果を検証されていますが、介護の認定率が、新潟県の中では最も低く、それが抑えられる傾向があることが明らかになっているデータが示されています。
歩きたくなる街、それもハードの整備だけではなく、そういった条例を作ったり、何らかのインセンティブを作ったりすることにより、住民の意識を変えていくことが大切だと思います。
ちなみにその市は、「歩こう街づくり」を始めることによって、年間5億円もの介護の費用が抑制されているということを、発表しました。
財政的にもそういった面は非常に注目されると思います。
世の中全体、各自治体にもそういった意識をもってもらえるような働きかけの努力をしていければと思います。
山本
:今日のお話や議連での議論にあった、「企業や地域を舞台とした予防・健康づくり」を、今後はどのように推進・実現していこうとお考えなのですか。
政策立案や世論の醸成に向けた具体的なステップをお聞かせください。
「三方よし」の考えに沿って
うえの
:自民党の中で、何か政策を決める際には、「政務調査会」という公式の組織があって、その下には経済関係なら「経済産業部会」、厚労省の所管する領域であれば「厚生労働部会」など、さまざまな部会があります。
そこで意思決定をして政策を積み上げていくのが、自民党の政策形成における1つのスタイルです。
実はこれ以外に、議員連盟(議連)という組織があります。
公式の組織ではありませんが、政策実現の1つの大きな原動力になれるように、同じような目的意識を持った議員が集まり、政策の方向性を議論して、それを政権与党である自民党や政府に対して提言していきます。
私は今日お話ししたようなことを実現するために、「明るい社会保障推進議員連盟」を立ち上げ、その会長を務めています。この議連でまとめた報告書を基に、政府に提言を行い、具体的な政策につなげていきます。
先ほど、近藤さんから「三方よし」という言葉が出ましたが、実はこの言葉は私の出身地である滋賀県の近江商人が「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」を家訓としていることで有名です。
信頼を得るために、売り手と買い手がともに満足し、さらに社会貢献もできるのがよい商売である、という考えです。
「明るい社会保障議連」の中でも、個人の健康の増進や、社会保障の担い手が増えること、それに応じて新しいビジネスチャンスが生まれることで「三方よし」を実現できる政策を提言していきたいと思っています。
(
構成:二宮 未央/ライター、コラムニスト)