2020年08月01日

日本人の健康に「予防」の観点が欠かせないワケ

日本人の健康に「予防」の観点が欠かせないワケ
2020/07/31 東洋経済オンライン
中室 牧子 : 慶應義塾大学総合政策学部教授

うえの賢一郎・自民党衆議院議員と、ミナケアの山本雄士社長、東京大学の近藤尚己准教授が健康経営や街づくりなどについて議論した。(取材はZoomで2020年6月25日に実施)

コロナ禍、社会を変えるきっかけに
山本雄士(以下、山本)
:今年の3月ごろから日本国内でも感染者が拡大し始めた新型コロナウイルスがもたらした影響は甚大でした。
緊急事態宣言が解除された今なお心配な状況が続きます。
このような中ではありますが、うえのさんは衆議院議員として、このコロナ禍の状況、そして、新型コロナウイルスが社会にもたらした影響について、どのように受け止めていますか。

うえの賢一郎(以下、うえの)
:一言でいうと、私はこれを社会を変えていくきっかけにすべきだと思っています。
 とくに、行政のデジタル化を進めるべきということは論を俟(ま)たないでしょう。
今回、政府は、緊急経済対策として、対象者1人につき10万円を支給する「特別定額給付金」や、コロナの問題で収入が減った中小企業に最大200万円を払って支援する「持続化給付金」を給付することを決めました。
しかし、これが必要な人や企業に行き届くまでに相当な時間を要しています。
なぜ、こんなことが起こるのか。
旧態依然とした行政の事務に問題があります。
行政のデジタル化が遅れており、オンラインで手続きをすることができないからです。
政府や自治体はもっとデジタル化によってイノベーションをもたらす「デジタルトランスフォーメーション(DX)」を進めていかなければなりません。
この課題は、医療・社会保障分野にも共通します。
医療・社会保障分野でもやはりITインフラへの投資は十分ではなく、デジタル化が遅れています。
患者さんのことを、紙のカルテではなく電子カルテで管理をすれば、患者さんが過去どのような治療を受けたか忘れてしまったという場合も速やかに情報を取り出せ、患者さんが違う診療科にかかったという場合も速やかに情報を共有できます。
もちろん、個人情報の取り扱いには十分注意を払わねばなりませんが、こうした個人の健康にかかわるデータを使うことで、国民の健康管理を効率的、効果的に行うことができるようになると思っています。
加えて、今、初診からのオンライン診療が可能になっています。
コロナウイルスへの感染を恐れ、病院で受診するのを我慢したりすることがないように、電話やオンラインで治療を受けることができます。
医療従事者の感染リスクを低下させることも期待されます。
しかし、初診からのオンライン診療は、コロナ禍における時限的な特例措置として規制緩和が行われたにすぎません。
私はこれを恒久化していくべきだと考えています。

人生100年時代の医療・社会保障とは
山本
医療・社会保障分野でのデータ活用によって健康管理を効率化する、という考え方は「人生100年時代」に向けた提言とも通じると思いますが、うえのさんは人生100年時代に、医療・社会保障分野はどのように変わっていくべきとお考えでしょうか。

うえの
:「人生100年時代」が現実になる中で、その100年間を健康に過ごせることが重要だと思っています。
100歳まで長生きしても、ベッドで寝たきりになっている時間が延びただけというのでは意味がありません。
「人生を100歳まで健康で過ごす」ために「病気との付き合い方」が重要です。
病気や障害があっても、病と共生し、健やかに生活できるように、社会保障を今日的な状況に合わせて、充実させていくことが重要です。
そして、そうした病気との「共生」だけでなく、「予防」も重要です。
これまでは、病気になってから病院でどのような治療を受けるかを考えてきましたが、その前に、病気にならないための努力や工夫をしていく必要があります。
こんな風に申し上げれば、「予防が大切だ」と共感いただける方は多いと思うのですが、実はこれを政策として推し進めるのは簡単ではありません。
国の審議会では「予防をすれば、かえって医療費を増やすのでないか」という議論があり、なかなか理解を得られません。
しかし、私は「予防は医療費を増やす」とか、逆に「減らす」といった、過度な一般化にはあまり意味がないと思っています。
そうではなく、「何の」病気を「どのように」予防すれば意味があるのかを知ることこそが重要なのです。
このためには、きちんとデータを取って、科学的根拠を積み上げていかなければなりません。
現在、政府は、認知症や糖尿病の予防の効果を明らかにする大規模な実証事業を進めています。
私が会長を務める議員連盟でも「何の予防に健康を増進させる効果があり、医療費を削減する効果があるのか」を明らかにするエビデンスを創出するための実証事業を提案しています。
地味なようですが、実はこれこそが社会に「予防」を定着させていくうえでの大きな第一歩となりえます。
皆さんも、効果がある予防が何かわかれば、それを積極的に取り入れたいと思うのではないでしょうか。
「予防」をキーワードに、社会全体に大きなムーブメントを起こしていきたい。
そしてもう1つは「社会全体での健康づくり」をすることです。
これまでの医療・社会保障は、個人が健康管理するというのが基本でした。
しかし、これからは個人という単位だけでなく、企業や地域の単位でも健康管理をするのはどうかということです。
個人への保障だけでなく、企業や地域も巻き込む

山本
:社会全体での予防や健康づくりというコンセプトは非常に納得感があります。
新型コロナウイルスへの対策も結局はこうした取り組みが重要だと再認識させてくれたと思います。
社会とひと口に言ってもその単位はさまざまと思いますが、たとえば企業ではどのような取り組みがありますか。

うえの
:最近は、「健康経営」という言葉を聞くことが増えました。
企業が従業員の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践することで、経済産業省が主導して推進しています。
たとえば、健康経営を行う企業を顕彰しており、2014年度から経済産業省は株式市場の「健康経営銘柄」の選定を行っています。
2016年度には「健康経営優良法人認定制度」も創設しています。
2020年の現時点で、優良法人として顕彰されている大企業は1477社、中堅企業は4817社、中小企業は3万社程度まで増えています。
だんだん健康経営に対する認識が広がり、その裾野も広くなっているということでしょう。
ただ、企業ごとの取り組みに濃淡はありますし、まったく進んでいない企業もありますので、日本全体の底上げをやっていかなければなりません。

山本
:確かにこの数年で健康経営というキーワードをよく目にするようになりました。
今後、さらにこの取り組みを推進するうえでの課題とはどのようなものなのでしょうか。

うえの
:健康経営を実践している企業にどういった具体的なメリットがあるのかを見える化しにくい点です。
従来の財務情報だけでなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した「ESG投資」を強化していくのは世界的な潮流ですから、当然、健康経営もESG投資の1つと位置付けられると思います。
一方で、経営側としては、健康経営を実践すれば、従業員の離職率が下がるのか、株価が上がるのかといった点も気になるでしょう。
限定的ですが、今すでに明らかなこともあります。
例えば、健康経営を実践している企業は実践していない企業と比較して、離職率が約10分の1程度ということを示すデータがあります。
健康経営を始めた後、売上高営業利益率が大きく改善したという事例もあります。
これ以外にも、経済産業省が実施した調査では、健康経営を率先してやっている健康優良企業の株価は、TOPIX(東証株価指数)で市場平均よりも約30%以上高いということを明らかにしています。
ただし、これらのデータからは、健康経営をしているから離職率が低い、あるいは株価が高いという因果関係があるとまでは言えません。
健康経営を実践している企業はもともと業績が好調な企業であり、それがゆえに離職率が低く、株価が高いというだけという可能性も残されているからです。
この点はこれからも研究を積み重ねていきたいと思っています。

山本
:日本全国に中小企業は約400万社あると言われていますから、健康経営優良法人として認定されているのが3万社程度だとすると、まだまだ少ないとも言えますね。
健康経営に取り組むことが当たり前のことになるために必要なものはなんでしょうか。

うえの
:中小企業の皆さんにも健康経営に取り組んでいただくためには、「インセンティブ」が重要です。
例えば、税制や補助金制度での優遇です。
青森県では、自治体が入札基準として、健康投資を実践しているかどうかを加点要素にしています。

山本
:税制関連は経営者側に非常にわかりやすいインセンティブですね。
ぜひ実現していただきたいですが、国の財政を考えると簡単なことではないのでしょうか。

うえの
:確かに当面は、新型コロナウイルスの感染拡大に対応するための緊急経済対策で財政支出が大きいことを考えると、来年度、再来年度の税制改正で進めるのは厳しいでしょう。
そうはいっても、企業の行動変容を促していくためには税制変更は非常に有効です。
健康経営の効果をしっかりと示しつつ、企業側のインセンティブを高められるようにしていきたいと思います。

国民が自然と健康になれる環境整備
近藤尚己(以下、近藤)
:健康づくりの活動に地域やコミュニティをどう巻き込んでいったらいいかという視点で伺います。
最近、「自然と健康になれる環境整備」の取り組みとして、とくに「住宅」と「街づくり」が注目されています。
「住めば自然と健康になる家や街をつくる」という取り組みです。

うえの
:実は、脳卒中の79%、心筋梗塞の67%は家の中で発生しています。
これをどう防ぐか。
例えば、家の中で、脳卒中になったり心筋梗塞になったりすれば、家に人がいなくても、自動的に検知され、救急車が手配され、病院にこれまでの通院や服薬履歴などのデータが送信されたらすばらしいと思いませんか。
実は今、大手ハウスメーカーの中に、こうした住宅の実用化を目指しているところがあります。
しかし、実用化されたとしても非常に高額な住宅だと多くの人がその恩恵を受けられませんから、国も助成制度などで応援できるような仕組みが必要だと考えています。

近藤
:私自身、医師として救急医療もやっていた時期に「もうちょっと早く見つかっていれば」という脳卒中の患者さんにたくさん出会ってきました。
新しい住宅でのテクノロジーを使って、そのような患者さんが1人でも救われる世界が来ることを願います。
住宅については、断熱技術の向上も目覚ましいですね。
伝統的な日本の家は「夏をもって旨とすべし」と言われ、冬は寒い。
寒いことで子どもが風邪をひきやすいという医学データもあり、住宅という面では課題もあると感じています。

うえの
:ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)という年間の一次消費エネルギー量(空調・給湯・照明・換気)の収支をプラスマイナス「ゼロ」にする住宅の普及がこれから本格化しますが、同時に断熱性能を上げて日本の住宅を「冬は暖かく、夏は涼しく」していくことも大事だと考えます。
平均的に血圧が下がったり、健康診断を受けた際に、異常が発見されたりする割合が低下するというエビデンスも示されているからです。

つい歩きたくなるような街づくりは健康につながる
近藤
:海外では地域の歩きやすさをウォーカビリティと言うようですが、つい歩きたくなるような「歩きやすい街」、「外出したくなるような街づくり」をすることで、運動、身体活動量も増え、人との交流も増えると期待されます。
そんなことが国土交通省で実際に事業として始まっていると聞きました。
「自転車で移動しやすい街づくり」も進められているようですね。
これは環境や健康の観点からも、そしていろいろな関連する産業という面で、「三方おし」のやり方だと個人的に注目しています。

うえの
:国土交通省の歩きたくなる街づくり都市計画では、中心市街地については車中心ではなく、人中心の生活ができる街づくりを施行していく動きが強まっています。
歩くということは、まさに健康と直結をするので、そうしたウォーカブルな街づくりの中に、さらに健康という要素を大きく盛り込んでもらえるような働きかけを国土交通省でもしています。
いくつかの先進的な事例があり、新潟県のある市においては、「歩こう条例」というのを作って「歩きましょう」と市民に呼びかけをしています。
その中でポイント制度を導入して、たくさん歩くことでポイントがもらえ、何かに交換できるという取り組みを行っている市があります。
実証的な効果を検証されていますが、介護の認定率が、新潟県の中では最も低く、それが抑えられる傾向があることが明らかになっているデータが示されています。
歩きたくなる街、それもハードの整備だけではなく、そういった条例を作ったり、何らかのインセンティブを作ったりすることにより、住民の意識を変えていくことが大切だと思います。
ちなみにその市は、「歩こう街づくり」を始めることによって、年間5億円もの介護の費用が抑制されているということを、発表しました。
財政的にもそういった面は非常に注目されると思います。
世の中全体、各自治体にもそういった意識をもってもらえるような働きかけの努力をしていければと思います。

山本
:今日のお話や議連での議論にあった、「企業や地域を舞台とした予防・健康づくり」を、今後はどのように推進・実現していこうとお考えなのですか。
政策立案や世論の醸成に向けた具体的なステップをお聞かせください。

「三方よし」の考えに沿って
うえの
:自民党の中で、何か政策を決める際には、「政務調査会」という公式の組織があって、その下には経済関係なら「経済産業部会」、厚労省の所管する領域であれば「厚生労働部会」など、さまざまな部会があります。
そこで意思決定をして政策を積み上げていくのが、自民党の政策形成における1つのスタイルです。
実はこれ以外に、議員連盟(議連)という組織があります。
公式の組織ではありませんが、政策実現の1つの大きな原動力になれるように、同じような目的意識を持った議員が集まり、政策の方向性を議論して、それを政権与党である自民党や政府に対して提言していきます。
私は今日お話ししたようなことを実現するために、「明るい社会保障推進議員連盟」を立ち上げ、その会長を務めています。この議連でまとめた報告書を基に、政府に提言を行い、具体的な政策につなげていきます。
先ほど、近藤さんから「三方よし」という言葉が出ましたが、実はこの言葉は私の出身地である滋賀県の近江商人が「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」を家訓としていることで有名です。
信頼を得るために、売り手と買い手がともに満足し、さらに社会貢献もできるのがよい商売である、という考えです。
「明るい社会保障議連」の中でも、個人の健康の増進や、社会保障の担い手が増えること、それに応じて新しいビジネスチャンスが生まれることで「三方よし」を実現できる政策を提言していきたいと思っています。
構成:二宮 未央/ライター、コラムニスト)
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人を傷つけずに問題点を指摘する――「ひよコード」という武器

人を傷つけずに問題点を指摘する――「ひよコード」という武器
2020.8.1 ダイヤモンドオンライン
小野和俊:クレディセゾン 常務執行役員CTO

「言わない優しさ」は美徳か?
 プログラミングの世界では、「レビュー」が重要視されている。
ミスやバグが原因で、セキュリティー上の重要な問題が発生したり、お金の計算が合わなくなったりすることもあるからだ。  加えて、ソースコードの美しさや読みやすさに関するチェックも行う必要がある。
美しく設計されたコードは再利用性が高く、そうではないコードは変化に弱く、応用が利かない。
さらに読みやすさは、チームのレベルも加味しながらチェックする必要がある。

 ところが、この「レビュー」には問題がある。
それは、相手を傷つけてしまうことだ。
プログラマーはみな、自分の自信作のソースコードのことで、他人からとやかく言われたくないのだ。
 例えば料理を作ったときに、食べている人がその料理のダメなポイントを列挙し始めたらどんな気持ちになるだろうか。
みな嫌な気持ちになるだろう。
自分が丁寧に作り上げた作品に文句を言われたくないのだ。

「相手を傷つけてしまう」ことを重く見て、それを回避するために「あえて言わない」人もいる。
こうした「言わない優しさ」は美徳として受け止められる場合もあるかもしれないが、レビューの際には持ち出してはいけない。
 後に問題が発覚したとき「なぜレビューで見抜けなかったのか?」と、レビュアーに返ってくるからだ。
場合によってはレビューされた人から「どうして言ってくれなかったの!」と詰め寄られることもある。

 レビューの難しさは、「言わなければならないこと」と「傷つけないようにすること」の2つを両立させなければならない点にある。  
レビューの難しさとどう向き合っていくべきなのかを協議した結果、私たちは「ひよコード」という表現を発明した。

 未熟で修正の必要があるソースコードに直面したとき、「なにこのクソコード」とは決して言わず、その代わりに「少しここがひよコードだね」「この箇所が少しピヨピヨしてるね」とコメントする。
 ひよコードとは、「ひよこ」と「コード」(ソースコードの略)をかけ合わせた言葉だ。
ひよこはかわいらしく人から愛される生き物だ。
そしてこれから成長していくことを暗黙のうちに期待されている。
 つまり、「伸びしろ」しかないということだ。
だからネガティブなことを言わざるを得ないとき、精いっぱいの愛情を込めて「ひよコードだね」と伝えるのだ。

ネガティブなことを伝える「3つのテクニック」  
レビュー文化の浸透した開発チームでは、プログラマー同士の会話は、ときに知的ボクシングのような様相を呈する。
「ここはもう少しこういう書き方のほうがよいかと」 「いや、こうしたのには理由があって。〇〇を重視してあえてこうしたんです」 「そのやり方は少し前に流行ったやり方なんだけど、現代的ではないよね。なぜ廃れていったかというと、××という問題があり、いまは使われていないわけで」
 こんなやりとりがかわされる。

角かどのある発言をすることは、この知的ボクシングのグローブに釘を仕込むのと同じだ。
レビュアーの宿命を引き受けたうえで、このグローブをふかふかのクッションにしなければならない。
 これはレビューだけでなく、さらに言うとビジネスだけでなく、人間関係にも同じことが言える。

 コミュニケーションはいつだって、楽しさや笑いに満ちていたほうがいい。
ではどうすれば、グローブをソフトで心地よいものにできるのだろうか。コツは3つある。

(1) 優しく言う:「ちょっと思ったんだけど」「〜かもね」  ときには「ひよコード」でさえ凶器になる。
「またひよコードかよ」と言ってはいけない。
何かを指摘しなければならないときには「ちょっと思ったんだけどさ」と優しく語りかけるように心がける。
確実に問題があるときでも「〜という課題があるかもね」と、最後に「かもね」をつけるだけで一気にマイルドになる。

(2) 自分が過去に同じミスをした話から入る:「ここはミスしやすいところなんだよね、昔自分も……」 「問題点に気づくのは、かつて自分も同じミスをしたから」という場合も多い。
相手に問題点を指摘する前に、自分も同じミスをしたことがあることを告白しよう。
相手との関係を「レビューする人とレビューされる人」から「同じミスをしたことのある仲間同士」へと転換することができる。

(3) 相手に敬意を払う:「〇〇さんの言うことは本当にそうだなって思って」 「そもそもそれは間違ってますよ」などと言うと、内容を聞く前に相手が精神的ガードを上げてしまう。
「〇〇さんの言うことは本当にそうだなって思って」と相手の考えを理解し、敬意を払う。
そのうえで、「それで言うと、ここも直したほうがいいかなって思ったんだよね」と問題点を伝えよう。
ただし、これは相手の言っていることと問題点とのつながりを見出したときのみ使える手法だ。
むやみに使うと説得力が落ち、さらに頭が悪いと思われるので気をつけてほしい。
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2020年08月02日

迷惑を恐れ何が産まれるのか 日本を劣等国にする同調圧力

迷惑を恐れ何が産まれるのか 日本を劣等国にする同調圧力
2020/08/01 日刊ゲンダイ
三枝成彰 作曲家

先日、遅ればせながら米映画「ジョーカー」を見た。
 今年2月のアカデミー賞では主演男優賞と作曲賞の2冠に終わっているが、私は作品賞や監督賞、脚本賞などを総なめにした「パラサイト 半地下の家族」よりもいいと思った。
 舞台はコミック「バットマン」の舞台であり、ニューヨークをモデルにしたと思われるゴッサム・シティ。
人生に絶望したしがないひとりの道化師が起こしたある行動によって、社会に不満を持つ若者や貧困層が暴徒と化し、暴行や破壊行為を繰り広げる。深刻な社会格差を狂気や暴力で表現した作品だ。
 米国の奥深さを見せられた。

日本では到底つくれない作品である。
カネを出すスポンサーが絶対に見つからないだろう。
自分の理解が及ばないことを批判し、害悪であるかのように叩く。
それが正義だと妄信し、枠から外れた人たちを激しく罵る。
そんな国民性から生じる同調圧力に屈する日本人は多いのだ。

 新型コロナの感染者が再び増加している今は、圧力が強まっているからなおさらだろう。
テレビではもう一度、自粛を要請すべきだとか、罰則を設けるべきだとか、声高に主張するコメンテーターすらいるのだから、理解に苦しむ。
 以前も当欄で書いたが、日本では“平時”でも1日当たり3700人がさまざまな病気や事故などで亡くなっている。
コロナによる死者は累計でも1000人を少し超えた程度だ。
確かに大変なことには違いないが、それでも進んで私権の制限まで提案する神経を疑ってしまう。

 かつて日本はファシズムに支配された。
その反省もなく、また自らファッショをつくろうとしているのか、不都合な社会を欲しているのか。
 これから日本では膨大な数の失業者が街にあふれるだろう。
知人の中には、3割の会社が潰れてなくなると予想する人もいる。
日本は終戦直後のような状況を迎えるのだ。
そんな中で営業するな、マスクを外すな、旅行に行くなと同調圧力を強めれば、日本の社会は立ち行かなくなる。

今必要なのは、新しいものを生み出す力だ。均一で同質の製品を数多くつくるのではない。
見たこともない商品やサービスだ。
それで世界と勝負して生き残るしか道はない。
周囲の批判など気にせず、「ジョーカー」を生み出すセンスとパワーが求められているのだ。

 真のアーティストは他人に迷惑をかけることなど恐れない。
自分と自分の考えを何よりも大切にする。
だから同じ時代に生きていながら、常人の発想ではつくれないものをつくれるのだ。
これは、どんな世界でも同じだろう。
自分たちと同じように振る舞うことを求めて個を否定する考えは、日本を劣等国に押し下げる。
厳に慎むべきだ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「普通の人」がなぜ過激化するのか<歪んだ正義>(1)

「普通の人」がなぜ過激化するのか<歪んだ正義>(1)
8/2(日)  毎日新聞  

◇「自粛警察」はもともとある敵意や差別感情の現れ
 マスクをしていない人を激しく叱責する。
政府の自粛要請下で地元以外のナンバーの車を傷つけたり時間を短縮して営業する店に嫌がらせをしたりする。
中国人が経営する店やその関係者をSNS上で中傷する。  
新型コロナウイルス禍に現れたいわゆる「マスク警察」「自粛警察」現象は、人間の攻撃性を顕在化させた。

 「人を傷つける心―攻撃性の社会心理学」(サイエンス社)などの著書がある大渕憲一・東北大学名誉教授(社会心理学、現・放送大学宮城学習センター所長)によると、「災害や犯罪などによって社会不安が高まると、それに伴い人々の間で生じる不快感情が攻撃性に転化されやすくなる」という。
 もともと他の集団や民族に対して敵対的な、あるいはマイノリティーに対して差別的な態度を持っている人でも、冷静な時はそれを不合理なものとして自制することができる。
ところが不安や恐怖が高まっている時には「認知資源の不足などからこうした抑制力が低下し、敵意や差別感情が噴き出しやすくなる」という。

社会が不安定な時には敵意や差別感情を「正当化」する理由を見つけやすくなり、また周囲の人々からの支持が得られやすいと感じて抑制力はいっそう低下しやすくなるというのだ。

 ◇「自分は絶対に正しい」と思い込むと、人間の凶暴性が牙をむく
 人間の攻撃性といえば、最近はSNSを舞台とした言葉による暴力が過激化している。
性被害を実名で告発したジャーナリストの伊藤詩織さんを中傷したSNS上の書き込みは70万件にも達し、人気番組「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラーの木村花さんもSNS上で激しい攻撃を受け、亡くなった。

 また近年日本では、 ローンウルフ(一匹オオカミ)による通り魔や襲撃事件が増加傾向にある。
治安問題を研究する公益財団法人「公共政策調査会」(本部・東京都千代田区)が2019年3月に発表した東京五輪の治安対策に向けての提言書によると、国内におけるローンウルフ型のテロ類似犯罪は増加傾向にあり「未然に探知し防ぐのが難しい」という。
さらにその脅威は「すぐそこに差し迫っていると認識しなければならない」としている。  19年7月、「京都アニメーション」第1スタジオ(京都市伏見区)にガソリンをまいて放火し70人を死傷させた青葉真司容疑者(42)による事件は記憶に新しい。
青葉容疑者は「京アニに小説を盗まれた」とまるで自分が被害者であるかのように訴え、犠牲者への謝罪は今もって口にしていないという。

 16年7月に起きた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」への襲撃事件でも元同園職員、植松聖死刑囚(30)は裁判で「意思疎通が取れない人は社会の迷惑」「殺した方が社会の役に立つ」と語った。
障害者という「負担」を抱える社会を救済したとでも言わんばかりに殺害の正当性を訴えた。
 こうしたローンウルフによる事件は一見「自粛警察」やSNS上の過激な攻撃とは無関係のように見えるが、いずれの当事者にも通底する思考が垣間見える。

自分や自分が帰属意識を抱く集団を「絶対的被害者=善」と見立て、「絶対的悪」である他者への攻撃を正当化するという「歪(ゆが)んだ正義」だ。
「自分は絶対に正しい」と思い込んだ時、人間の凶暴性が牙をむく。

 ◇「あなたは、自分がテロリストになることもありうると思いますか」
 私が人間の攻撃性に関心を抱いたのはイスラエルの大学院で受けた授業がきっかけだった。
13年春から4年余りエルサレム特派員を務めた私は日本への帰任を前に仕事を2年間休職してイスラエルの大学院や併設のシンクタンクを拠点に研究生活を送った。
 イスラエルといえばその占領地・パレスチナに住む人々への強硬な対応で知られる。
私は留学1年目、イスラエルの中でも最も保守的で、「テロ対策」に関する研究で世界的に知られるヘルツェリア学際研究所(IDCヘルツェリア)の大学院に進学し「テロリズム対策・国土安全保障論(サイバーセキュリティー専攻)」を学んだ。

特派員時代の取材でイスラエルの「テロ対策」には学ぶべき点とあしき手本とすべき点が混在しているように感じ、その最先端で知見を広げようと考えた。
 懐に深く入ってこそ取材対象の「素顔」は見えてくる。
イスラエルの「素顔」を見たいとの思いからの決断だったが、パレスチナの人々すべてを「テロリスト」よばわりするような差別と偏見に満ちた授業ばかりではいたたまれなくなる、と内心危惧していた。
だが授業ではむしろ私自身が無意識のまま抱えてきた偏見や思い込みを自覚することになった。

 進学した大学院のプログラムは1学年150人余りで約4割が米国系ユダヤ人、約3割が欧州系ユダヤ人、3割弱がイスラエルのユダヤ人で、それ以外はアフリカ系が男女ひとりずつ、アジア系は私ひとりだった。
大半は20〜30代で米国からは米軍のエリート、陸軍士官学校(ウェストポイント)と米議会から女性2人が公費で派遣されていた。
イスラエルからは国防総省や首相官邸の幹部候補のほか私と同じ50代の警察・爆弾処理班元トップと現職トップもやはり公費で来ていた。

 「あなたは、自分がテロリストになることもありうると思いますか」
 イスラエル軍兵士の心理的危機管理を担当してきたという元軍幹部の博士(心理学)が「テロリズムの心理」という授業の冒頭、私たちにそう尋ねた。
受講生の約半数が「ありうる」と答え、残る半数が「ありえない」と答えた。
「絶対ありえない」。
私はそう直感したので、多くの生徒が肯定的に答えたのにはむしろ驚いた。
 博士の言葉を聞いて浮かんだのはワシントン特派員をしていた09年春に経験したある事件だった。
アフガニスタンに駐留する米陸軍の部隊に1カ月ほど従軍取材した。
米兵らと村から村へと移動していたある日、乗っていた軍用車がイスラム原理主義組織タリバンの爆弾攻撃を受けて大破した。
同乗していた米兵4人と共に奇跡的に命を取り留めたがテロリズムの脅威を文字通り肌で実感した。
そして地元の女性や子供すら手にかけるタリバンの「狂気」に強い憤りを感じた。
だから博士の問いかけにも「あんなことを私がするわけがない」と感じたのだ。

 だがこの確信は、研究を進めるにつれ徐々に崩れていくことになる。
 博士はさらに衝撃的な言葉を口にした。
 「テロリストの頭の中を考えるには、まず普通の人々の頭の中を考える必要がある。
そうしていくと、大半の人は状況さえ整えばテロリストにさえなりうるのだということが分かる」
 彼は自分たちユダヤ人も含め、誰もがテロリストになりうるのだと断言した。
その根拠として見せたのが一本の動画だった。

 ◇監獄実験が顕在化させた人間の攻撃性
 米スタンフォード大学のフィリップ・ジンバルドー名誉教授(心理学)が行った、有名な「監獄実験」の撮影フィルムだ。

1971年、ジンバルドー名誉教授は24人の中流階級の米国人学生を対象に12人を看守役、残りを囚人役にした。
囚人役は囚人服を着せて足をつなぎ番号で呼ぶ。
看守役はアイコンタクトをしなくてすむようにサングラスの着用が認められ、制服や笛、警棒、鍵を渡されて「囚人に何をしてもよい」という支配権も付与される。
その結果、実験は想定よりかなり短い6日間で終了せざるをえなくなった。
看守役が予想以上に残酷な行為を繰り返し始めたからだ。
 囚人にろくに食事を与えず頭巾をかぶせて鎖でつなぎ、トイレを手で掃除させた。
36時間後にはひとりの囚人が急性のうつ状態になり、解放せざるをえなくなった。

ジンバルドー名誉教授は「ごく普通の人が状況次第で悪魔にもなる」と分析し、人間が持つ攻撃性の普遍性を指摘した。
倫理的観点からこのような実験はその後行われていない。
それもあり、たまたまこの実験の参加者が異常な集団だったのではないかと感じる人もいるかもしれない。
だが実験で起きたことをまさに再現したかのような事件が現実に起きている。

04年に発覚したイラクの首都・バグダッド郊外のアブグレイブ刑務所におけるイスラム教徒への虐待事件だ。
看守の米兵らはこの実験結果以上に残酷な虐待を行った。
 動画が終わると米陸軍士官学校から来ていた女性士官が手を挙げてこう語った。
「私はイラクでアブグレイブ事件の調査に実際に関わっていました。
具体的なことは言えませんが、刑務所にいた兵士すべてが残虐な行為をしたわけではありません。
ごく一部がやったことなのです」

 ◇過激化する人としない人の違い
 先の大渕名誉教授はその論文「無差別テロの心理分析」の中で次のように述べている。
「テロ事件を起こす人は特殊な思想信条の持ち主、あるいは偏った性格・異常な心的状態にある人であるとの特異心理仮説に基づく研究が中心だったが、近年は、先進諸国からIS(筆者注:過激派組織『イスラム国』)に参加する若者、ホームグロウン・テロリスト、ローンウルフ型の増加などを背景に、誰でもが状況によっては過激主義に陥り、テロ事件に関与するようになりうるのではないかという一般心理仮説に基づく分析が主流になりつつある」

 私たちは誰しも攻撃性を持っている。
それを過激化させるとテロリストにさえなりうるのかもしれない。
だが一方で、紛争地を長く取材して感じてきたことがある。
同じような極めて重い社会経済的ストレスを受けてもその攻撃性を過激化させる人はほんの一部で、大半の人はそうはならない。
紛争地に限らず日本社会においても日常のストレスなどから会社や学校、SNS上で陰湿ないじめやハラスメントをして他者を攻撃したり「正義」を振りかざしたりする人がいるが、大多数の人はそこまではしない。

だとするとその攻撃性を過激化させてしまう人とそうならない人の違いはどこにあるのか。
過激化する人には何があり、あるいは何がないのか。
そこに通底するメカニズムはあるのか。  
私はこの疑問を出発点に研究生活を始めた。

   【編集委員(専門記者)・大治朋子】
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2020年08月03日

<日常における過激化に潜む「置き換え」と喪失経験>歪んだ正義(2)

<日常における過激化に潜む「置き換え」と喪失経験>歪んだ正義(2)
2020年8月2日 毎日新聞
大治朋子・編集委員(専門記者)

 入り口にある「疑問と答え」
イスラエルにあるヘルツェリア学際研究所の大学院を拠点に研究生活に入った私は、大学院で学びながら併設のシンクタンク「国際テロリズム研究所」(ICT)でインターンを始めた。
研究者の求めに応じてデータを集めたりリポートを書いたりするのが仕事だ。
 研究者の中にインテリジェンス(諜報=ちょうほう=)を担当する専門家がいた。
彼は複数の言語を使う環境に生まれ育った経験を生かし、世界中の過激派が集まるインターネット上の会員制フォーラムやダークウェブと呼ばれる「闇サイト」に行き交う情報の収集・分析を担当していた。

ICTでは過激派の分析で彼の右に出る者はいなかった。
 ある日、彼と大学のカフェでコーヒーを飲みながらかねて疑問に思っていたことを聞いてみた。  
「過激化の入り口には何があると思う?」
 前回のこのコラムでも書いた通り、私は「テロリズムの心理」という授業で担当の博士から「状況さえ整えば大半の人はテロリストにもなりうる」と聞いて衝撃を受け「普通の人の過激化」を研究のテーマに決めた矢先だった。
 彼はいつもの静かな口調でこう答えた。  

「疑問と答えだよ」
 無差別殺傷事件などが起きると大抵その実行犯や所属集団は彼らが信じる宗教や政治的イデオロギーを犯行の「大義」として掲げる。
だからつい、私たちは排他性の強い一神教の熱狂的信者やイデオロギーで凝り固まった特別な人の特別な行為だという印象を抱く。
しかしこのインテリジェンスの専門家によればそれは表向きの宣伝(プロパガンダ)であり最初に彼ら一人一人を過激化へと突き動かすものはもっと日常的な問題だという。

 「例えば?」。
そう尋ねると彼は「失恋だったり、失業だったり」と答えた。
いずれも心理学の世界では損失とか喪失経験と呼ばれるものだ。
人間にはこれから得るもの(利益)への喜びより、すでに持っているものを失う(損失)悲しみの方に強く反応する思考のクセ、いわゆる損失回避バイアスがある。

 これを聞いて私は特派員時代にインタビューしたさまざまな「過激派」の顔が浮かんだ。
例えば2015年1月に発覚した過激派組織「イスラム国」(IS)による日本人男性誘拐事件の取材でトルコ滞在中にインタビューした元戦闘員7人はいずれも「なぜISに入ったのか」という私の質問に「内戦で友人を失くした」「仕事を失った」「故郷を失った」などと喪失経験を語った。
彼らにとってISはそうした喪失感を新しい仲間や仕事(ISは戦闘員に金を支払っていた)、シリア再建の夢などで穴埋めしてくれるような存在だった。

ISが喧伝(けんでん)するような「イスラム VS 西欧社会」といった抽象的な価値観論や宗教論、イデオロギーを口にした青年は一人もいなかったし彼らは狂信的なイスラム教徒でもなかった。


被害者意識という依存性の高い劇薬
 過激化は「疑問と答え」から始まるという彼の言葉の本質的な意味を理解したのはさらにその後、さまざまな文献で同様の指摘がなされていることを知ってからだ。
例えばカナダ・マギル大学のドナルド・M・テイラー教授(心理学)らは論文「テロリズムとアイデンティティーの追求」で、苦境にある人々は「自分たちが直面しているストレスに満ちた不遇な状況の原因を理解したいという動機に駆られる」と分析している。
人間は「自分がなぜこれほど苦しまなければならないのかという問いの答え」が必要なのだという。


 またテイラー教授らによればこうした疑問を抱いた人は往々にして「世の中には不正義が存在するという確信を持つことや、不正義を広めている邪悪な敵を特定し、その敵に自分たちの苦境の原因を帰結」させたいという欲求に駆られるという。
特定の人物や集団に責任を見いだすことで自分自身を「被害者」と見なし自尊心やアイデンティティーを守るのだ。

 こうした「絶対的に正しい被害者の自分 VS 絶対的に悪い加害者の他者」という善悪二元論で社会を分ける思考や被害者意識は単純明快で魅力的だが依存性の高い劇薬でもあり人々を過激化へといざなう要因の一つになっている。

 例えば19年7月、「京都アニメーション」第1スタジオ(京都市伏見区)にガソリンをまいて放火し70人を死傷させた青葉真司容疑者(42)は「京アニに小説を盗まれた」と供述。
自分は被害者だと訴え続け犠牲者への謝罪の言葉すら口にしていないという。

 また16年7月に起きた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」への襲撃事件では元同園職員、植松聖死刑囚(30)が事件前に大島理森衆院議長に宛てたという手紙の中で一種の被害者意識を見せ、自らの攻撃を正当化している。以下はその文面の一部抜粋だ。
 「保護者の疲れ切った表情、施設で働いている職員の正気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した」
 自分や同僚の職員、障害者の家族らは障害者に疲労困憊(こんぱい)させられている「犠牲者」であり、障害者の命を奪おうとしている自分は自己犠牲をもいとわない「正義の人」だといわんばかりだ。

 こうした事件の実行犯は残酷な攻撃者と社会からは非難されるが彼ら自身はむしろ「被害者」として不平等や不公正、不正義をただし「正義」を全うしたという思い込みの中にいるように見える。
しかし他者をいくら攻撃しても彼らが最初に抱いたであろう人生の問いへの答えはもちろん得られない。
彼らは自分の問題を他者に置き換えたにすぎないからだ。

「置き換え」が問題の本質を見えなくする
 「人を傷つける心―攻撃性の社会心理学」(サイエンス社)などの著書がある大渕憲一・東北大学名誉教授(社会心理学、現・放送大学宮城学習センター所長)によると、「置き換え」とは自分の不快感情の元凶を攻撃できない場合に別の対象に向ける行為で、簡単に言えば八つ当たりだ。
欲求不満から来る不快感を発散したいという思いをもともと持っている人は、ささいな刺激に誘発されて自分の不満とは関係のない対象を攻撃することがあるという。

 例えばコロナ禍においては攻撃対象が「感染症拡大をもたらす加害行動をしている」と見なして自分の攻撃行動を正当化しようとする。
米国では不況になると白人の黒人に対する差別的な暴力が増えることが知られているが、大渕名誉教授によるとこうした攻撃も典型的な置き換えだという。
最近もコロナ禍で不安が広がる米国において白人警察官が黒人男性を拘束し死亡させる事件が起きたが、当該警察官は何らかの別の理由で攻撃欲求を抱えていた可能性もある。

 レベルの差こそあれ私たちはモノや他者に八つ当たりをしてしまうことがある。本当に怒りを抱いている対象は自分自身や思い通りにならない自分の人生だったりするがそれを認めてしまうと自尊心を支えられなくなるので他者に八つ当たりをしたうえで適当な理由を作りあたかもその攻撃対象に問題があるからそれを正すための「正義」だったと理由を後付けする。

 SNS上での執拗(しつよう)な攻撃や学校における体罰、いじめ、家庭や職場における虐待やハラスメントも、もともと攻撃欲求を抱えている人物による「置き換え」であることが少なくないという。

千葉県野田市で19年1月に小学4年の女児(当時10歳)が痛ましい虐待の末に亡くなった事件では、傷害致死罪などに問われた父親が裁判で「しつけが行き過ぎた」などと語り、自分は問題のある子どもを抱えて苦労した父親(被害者)であり正当な教育(正義)の一環であったかのように訴えた。
検察側は「この期に及んで女児に責任を押しつけている」と批判した。

 こうした事件では、被害者と加害者の関係性をいくら調べたり分析したりしても問題は必ずしも見えて来ない。
被害者とはまったく関係がない本質的な問題が加害者側に潜んでいることが少なくないからだ。
しかし攻撃者が自分の問題を見て見ぬふりをしていることも多く彼らの内面への社会的な介入は容易ではない。

 日本で凶悪事件の実行犯が逮捕され有罪になるとその多くは死刑に処せられてしまうので彼らがどのような心理から最終局面にいたったのかは最後まで分からず真相は闇の中に葬り去られる。
彼らの「置き換え」やその攻撃性の過激化プロセスを追うことは彼らに免罪符や釈明の機会を与えるものではなく社会的な介入・対応策を検証し未来の命を守るために必要なのだ。

自己過激化(self-radicalization)の分析は緒に就いたばかり
 こうした過激化メカニズムの研究は世界的にもまだ緒に就いたばかりだ。

 1970年代、欧米の心理学者らはテロリズムや攻撃性の背景には反社会的人格障害者や精神障害がありナルシシストやサイコパスが多いという仮説を立てた。
だが直接的な因果関係は証明できなかった。

 日本ではこうした分野の専門家が「普通の人」の攻撃性まで特殊な人の問題であるかのように説明しようとすることがあり誤解を与えかねず残念だ。

 個人の資質に因果関係を見いだせなかった世界の心理学者らが次に注目したのが社会経済的環境要因(貧困や教育など)だ。
しかしこれらは誘因にはなりえても直接的な原因にはならないとの見方が有力だ。
そもそも同じ社会経済的環境にいても過激化する人としない人がいるためこうした「環境説」だけでは説明しきれない。

 テロリズム研究で世界的に知られる元CIA精神科医のマーク・セイジマン博士によると01年の米同時多発テロ以降、イスラム系過激派組織がいかに個人を過激化させるかの研究は急速に拡大したが、組織に属さない個人が過激化するプロセスに関する心理分析が本格化したのは00年代半ば以降だ。
欧米各地でホームグロウン(自国生まれの)・テロリズムが火を噴き、実行犯の多くがテロ組織に勧誘されたわけでもなく自ら過激化(自己過激化)していると分かったためだという。

最近はイスラム系に限らず欧米で多発するキリスト教系右派によるテロや学校襲撃(school shooting)、通り魔などの無差別殺傷事件を起こすローンウルフ(単独犯)に通底する自己過激化プロセスの存在も注目を集めている。

 次回はこうした分野において私が探究した自己過激化メカニズムに関する報告をしたい。
◇ ◇ ◇
 私たちの中に潜む攻撃性。「自分は絶対に正しい」と思い込むと人間の凶暴性が牙をむく。
「普通の人」が過激化する過程にはどのようなプロセスやメカニズムがあるのか。
新刊「歪(ゆが)んだ正義『普通の人』がなぜ過激化するのか」を毎日新聞出版から8月3日に刊行します。
一部要約などを、政治プレミアのコラム「虫の目 鳥の目 魚の目」で7月26日から事前公開しています。
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2020年08月04日

自民党が今後も常に与党で、公約泥棒も失政も許されるなら、独裁国と変わらない

自民党が今後も常に与党で、公約泥棒も失政も許されるなら、独裁国と変わらない
2020年08月03日 SPA!
倉山 満】憲政史研究家 

◆自民党が今後も常に与党で、公約泥棒も失政も許されるなら、独裁国と変わらない
 この御方、憲政史上最低の野党党首を目指しているのか。
 枝野幸男のことだ。
 この御仁、現在の野党第一党たる立憲民主党の代表である。
昨年の参議院選挙で与党が「増税」を掲げたにもかかわらず、勝利を許した。
全野党が「増税反対」で結束したにもかかわらず、最後まで抵抗した。
渋々「増税反対」の旗を掲げるのに納得したが、その時には大勢は決していた。
自民党勝利の立役者である。

 その枝野立民が野党第二党の国民民主党に合併を呼び掛けている。
その条件は三つ、「党名は立憲民主党、党首はオレ、政策は後で決める」である。
これでは無条件降伏を迫っているに等しいではないか。

 国民民主党は第三党で、実は公明党よりも議席が多い。
しかも組織と資金に恵まれている。
枝野氏は「自民党に対抗できる野党共闘」を理由に合併を呼び掛けているが、要するに体のいいカツアゲだ。
ありていに言えば、国民民主党の金と票が欲しいだけだ。
 そんな話に乗ったが最後、国民民主党の議員など「奴隷」か「謀反人」の如き扱いをされるに決まっている。
その証拠に、山尾志桜里衆議院議員や須藤元気参議院議員は、立民幹部の専横に嫌気がさして党を出て行った。

中堅若手の間では、不満が爆発寸前と伝わる。
そんな「枝野新党」に何の魅力があるのか。
 それでも、枝野幸男党首の新党が政権を奪取し、国民を幸せにしてくれるなら我慢もできよう。
しかし、そのようなファンタジー、よほどの枝野信者以外に信じる人間などおるまい。
ちなみに、この世には「枝野信者」が実在するらしいが、幻想と現実の区別がつかないから信者などやっていられるのだ。  

昨年の消費増税に伴う景気の悪化に加え、いつまで続けるか先の見えないコロナ騒動だ。
もはや国民は自民党に限界だ。
だが、立憲民主党はもっと絶望的だ。
どこに選択肢があるのか。

 この局面で正論を吐いている人物がいる。
 国民民主党の玉木雄一郎代表だ。
 玉木氏は昨年の参議院選挙後に「私は生まれ変わった」と宣言、確かに正論を吐き続けている。
記憶に新しい国民一律給付金10万円も、最初に言い出したのは玉木氏だ。
経済にしても安全保障にしても、口の悪い向きからすらも「最近の玉木は違う」との評価が聞こえてくる。
 ちなみに御本人にインタビューすると、「もともとの本音を言っているだけ」とのことだったが。

 野党界隈で言論の自由が無いのは、容易に想像できる。
定型文のような安倍批判を続ければ一定の支持を得られて野党第一党ではいられるのだが、絶対に自民党は倒せない。
しかし、それで満足な連中が旧民主党以来の中枢を占める。
だから、安倍内閣に国政選挙で6連勝など許し、全く反省がないまま同じ戦い方をしているのだ。

そして、従来の野党は、よりによって安倍内閣の正しいことだけを批判してきた。
他にいくらでも攻撃材料などあるにもかかわらず。
 こうした中で、玉木代表がコロナ騒動での不手際に対し正論をぶつけ、次の選挙を「減税」で戦おうとしているのは明らかに正しい。
ここで昔のイギリスの政治家なら、「玉木君、君は正論を言い続けてきた。あなたを総理大臣候補として戦うのが正しい」と野党幹部がこぞって推戴しただろう。
しかし、枝野幸男とその取り巻きに英国流の紳士を求めても、無駄か。

 むしろ、「減税」に反応しているのは、自民党だ。
今の支持率が下がりっぱなしでレイムダックの安倍内閣で選挙をしたい人など、少数だろう。
だが、自民党の本音は「枝野なら勝てる!」だ。
これだけの失政を重ねても、「枝野がマトモな野党の出現を阻止してくれる」という、自民党にとっての大いなる希望が存在するのだ。

そして、戦術的には、「野党がまとまらない内に解散」を仕掛けたい。
早い内に安倍首相を降ろし、新内閣がボロを出さない内に選挙を終えてしまいたい。
 そして、最も勝ちやすい旗印は減税だ。
ここまで増税で国民を苦しめてきた自民党が、何を減税か。
常識で考えれば、選挙民への裏切りである。
選挙に負けるのが怖いからと反対党の公約を奪うなど、卑劣である。
しかし、これまでは「マトモな野党が無い」で自民党は許されてきたし、このままだと何も変わらないだろう。

◆もし現代で憲政の常道に従うなら、安倍内閣は総辞職、自民党は下野、「玉木選挙管理内閣」で解散だ
 今後もこのような公約泥棒が横行するようでは、選挙の意味がない。
自民党が常に与党で、いかなる失政も許されるなら、独裁国と変わらない。
それでも、自民党支持者は言う。
「政治は結果責任。選挙は何をやっても勝てばよい。野党に政権を渡して責任を取れるのか」と。

 これは、憲法政治の母国のイギリスでは、19世紀に否定された考え方だ。
時のロバート・ピール首相はそれまでの政策を変えて、反対党の公約を訴えた。
これに異を唱えたのが与党一年生議員のベンジャミン・ディズレーリだ。
ディズレーリはピールに向かって「公約泥棒は風呂で他人の衣服を盗むのと同じだ!」とまで演説し、遂に政権が倒れた。  

政策に失敗したら与党は下野し、反対党に政権を譲り渡す。こうした慣例は我が国でも昭和初期に、「憲政の常道」として確立された。
その際、第二党が政権を担うので少数与党だ。
議会運営はままならない。
だから1年以内に総選挙が行われ、政権の信を問うというメカニズムが働く。
政策に失敗した政党が与党に居座り、人気が回復した時に解散総選挙を行って良いなどという考え方は、戦前の日本には無かった。

 もし現代で憲政の常道に従うなら、どうすべきか。
安倍内閣は総辞職、自民党は下野し、「玉木雄一郎選挙管理内閣」で解散を行うべきだ。
 現実にはそんな事態になるはずがないが、少なくとも自民党に「減税」を語る資格が無いとだけは言っておく。

 さて、属人的な話を離れて、「選択したりうる野党」の条件を述べる。
 第一は、魅力ある党首だ。「この人を総理大臣にしたい」と国民に期待させる政治家でなければならない。
 第二は、主要政策の一致だ。それは今の状況では「減税」による景気回復しかない。
 第三は、自民党を総選挙で2回負かすまでは仲間割れをしないことだ。

 自民党は連続2回負けたことが無いから、簡単に復活してきた。
 国民は選択肢を求めるべきだ。
             ―[言論ストロングスタイル]―
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2020年08月05日

落選させるべき国会議員、無策でコロナ禍を拡大させた7人の名

落選させるべき国会議員、無策でコロナ禍を拡大させた7人の名
8/4(火) NEWSポスト

〈一国の政治は、国民を映し出す鏡にすぎない〉とは、英国の作家サミュエル・スマイルズの『自助論』の一節だ。
 政治には国民の質が如実に反映され、無知な国民は腐敗した政治しか持ち得ない。
立派な政治は国民が目覚めることでしか生まれない。スマイルズは、「天は自らを助くる者を助く」と説いた。  しかし、権力は往々にして国民を無知の状態に置こうとする。

安倍政権の8年間、数々の不祥事で説明責任を果たさず、記録を改竄させ、臭い物にフタをした。
時の権力が強大で、野党に民意の受け皿になり得る信頼がない時、選挙で健全な民主主義は機能しない。

 そうした状況では、「落選運動」が国民にとって唯一の武器と言える。
選挙の投票行動は候補者の政党、公約で判断されることが多いのに対し、「落選運動」は現職議員の発言や行動を検証し、「国民のためにならない」と評価された政治家を落選させるように呼びかける運動だ。

憲法学者の上脇博之・神戸学院大学法科大学院教授が語る。
「特定の候補を当選させる目的の選挙活動は公職選挙法で様々な制約があるが、落選運動は公選法の対象ではない。
だから選挙期間外でも運動できるし、年齢制限もなく、選挙権がない18歳未満でも参加できる。
ネット選挙の規制にもかからないため、SNSやメールで運動できます」

 使い方によっては、安倍首相を退陣に追い込む装置にもなる。
 たとえば「危機対応を誤った大臣」など、安倍首相がお友達人事で起用した無能な大臣、副大臣などを片っ端から落選運動のターゲットにすることで首相の任命責任を厳しく問い、政権が維持できないように追い込むのだ。

国民の難局を政治利用  まずは何と言っても今回のコロナ対応で失敗した首相側近の大臣たちだ。

政治ジャーナリスト・藤本順一氏が真っ先に名前をあげるのは、「アベノマスク」担当の加藤勝信・厚労相とGo To キャンペーンなど経済対策担当の西村康稔・経済再生相だ。
いずれも首相に重用され、次の総理・総裁候補とさえ目されている。

「加藤さんはPCR検査を受けられずに重症化したり、死亡者が出たことに批判が高まると、37.5度以上が4日間という厚労省が決めた検査基準を『国民の誤解』と責任転嫁した。
自分の失敗を他人のせいにしたり、組織防衛と自己正当化のために理屈をこねて結果責任を負わない政治家には大臣どころか国会議員の資格もない」(藤本氏)

 コロナ対応の担当大臣として知名度急上昇中の西村氏も失格という。
「感染が拡大しているときに、『Go Toキャンペーンを広めましょう』などと言った人を大臣にしておきたくないでしょう。西村さんは専門家会議を廃止して自分の肝煎りで経済再生のコロナ対策会議をつくったかと思うと、政府の今後のコロナ対策『骨太の方針』をまとめるために私的諮問機関をつくるなど、総裁選出馬をにらんでコロナ危機を自分のブレーン集めに利用して政策を混乱させている。
国民の難局を政治利用する政治家は落選させるべきです」

 他にもGo Toキャンペーンの方針転換で国民に混乱を招いた赤羽一嘉・国土交通相、経産省の持続化給付金の“中抜き”問題で責任を取らない梶山弘志・経産相をはじめ、落選運動の対象には重要閣僚がズラリと並ぶ。
 他にも表には菅義偉官房長官高市早苗総務大臣の名前も挙げておいた。

※週刊ポスト2020年8月14・21日号
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浜松コロナ【感染者狩り】被害者の告白「人殺し扱いされ、外を歩くのも人に会うの怖い」

浜松コロナ【感染者狩り】被害者の告白「人殺し扱いされ、外を歩くのも人に会うの怖い」
2020/08/04  「文春オンライン」特集班

 全国で感染拡大が広がる新型コロナウィルス。
7月29日に初めて感染者が確認された岩手県では、感染した40代男性に対してインターネット上で誹謗中傷やデマ憶測などの書き込みが相次ぎ、県でも対策を講じ始めた。

達増拓也県知事は31日、「犯罪にあたる場合もある。厳格に臨む意味で(中傷に対して)鬼になる必要がある」と強調している。
コロナ感染者をまるで“魔女狩り”のように吊し上げるケースは岩手だけではない。

7月下旬、2つの店舗でクラスターが発生した静岡県浜松市では、クラスター発生が確認された飲食店2店舗と、陽性反応が確認された男性客・Aさんに対し、いわれなきバッシングが続いている。

《コイツが撒き散らしたらしい》
 7月23日、浜松市は飲食店2店舗でのクラスター発生を確認。
男女複数人が新型コロナウィルスに感染したことが確認された。
濃厚接触者である来店客や従業員160人に対し、市はPCR検査を始めたことを発表。
店名も公表された。
 すると同日、浜松市民の間にはLINEやSNSを介して感染者を特定するような情報が一気に拡散し始めた。
市内在住の30代主婦に聞いた。

「同級生の友達やママ友など、複数のグループLINEで、《コイツが撒き散らしたらしい》といったメッセージが飛び交って、その日は通知音が鳴り止まなかった。
感染者を出したラウンジ『X』やマジックバー『Y』の情報、店のママのSNS、立ち回り先などの情報も回ってきました。『X』や『Y』のお客で、感染が早くに確認された経営者のAさんについては顔写真、会社名、出身高校、出身中学、親や子供のことも書かれていました」

 Aさんは30代で、市の中心部からは少し離れた場所で不動産会社を営む地元出身の若手経営者だ。
Aさんも「県内で誰かからうつされた」 「不動産屋の仕事柄、どうしても営業や接待の仕事で夜の店を使うことが多かったそうです。
Aさんは7月中旬に『X』と『Y』の両店舗を利用。
結果、取引先の相手にも感染させてしまった。

感染が広がったことで、やっと活気が戻ってきた浜松の夜の街は大ダメージ。
Aさんへの誹謗中傷はどんどん酷くなっていき、デマも広がっていった」(地元紙記者)
《Aは東京に遊びに行ってコロナをもらってきたらしい》 《Aはコロナとわかっていて、周りに酒を勧めたらしい》
 飛び交う噂話のほとんどがデマだ。

Aさんの友人が事情を説明する。
「Aは3月末に東京に仕事に行っていますが、それ以来、行ってませんし、最近は県外への移動もしていない。
つまりAも県内で誰かからうつされたわけです。
『X』を利用した日は、別の飲食店で体温を計っているのですが、36度台の平熱で、体調が悪くなったのは『X』を利用した翌日、外出先でのことだった。

それでも医者は最初、風邪と診断して、後日もう一度受診して、念のために検査をしたら、まさかの陽性だったのです」
 Aさんは驚きのあまり、対応を誤ってしまった。
「(取引先などの)相手に迷惑をかけたくない」という思いから、保健所の聞き取りに対して「X」や「Y」の店名を伏せたのだ。
結果、保健所が両店舗に検査に入るのが遅れることとなった。
これがのちに発覚し、誹謗中傷の火に油を注ぐ結果となった。

「コロナで損失した分を立て替えろ」電話が日に30件
「Aのもとには連日、日に30件以上の無言電話や嫌がらせの電話がかけられています。
『コロナで損失した分を立て替えろ』とか『税金でPCR検査が行われるから全てオマエが払え』とか。ですが、AがPCR検査を受けていなければ、被害はもっと広がっていたわけですから、Aを責めるのは筋違いだと思うのですが……」(同前)

 8月1日までに「X」や「Y」関連での感染者数は約100名に上る。
誹謗中傷の声はAさんだけでなく、店舗にも波及している。
「X」のママを務める経営者はこう話す。

「店を潰してやる」「人殺し!」
「知り合いの方は心配してくださるのですが、面識のない方から厳しい言葉を浴びせられます。
『もしうちの家族に何かあったら店を潰してやる』とか『人殺し!』とか、脅迫めいた電話がお店にかかってくる。
検査で陰性だったアルバイトの従業員も昼の職場を不当に解雇されました。
私をはじめ、スタッフや家族の写真がSNSで拡散され、Aさんと同じようにデマが拡散されています。

私が東京にホスト遊びに行ったから感染したとか……。
コロナより人の怖さを感じています。
々の感染対策は甘かったのかもしれません。
ですが、それは緊急事態宣言が解除されて以降の浜松の街全体に言えることだと思います」

「文春オンライン」特集班は6月に別件の取材で浜松市を訪ねたが、たしかに繁華街では多くの人がマスクを外し、至るところの店で酒宴が開かれ、街はコロナ禍以前の生活様式に戻っているようだった。
だが、今回のクラスター発生が公表されて以降、ふたたび夜の街には閑古鳥が鳴くようになった。

野次馬がAさんの会社の写真を撮影しにくる
 一時は入院していたAさんだが、体調は回復し、すでに退院している。
だが、今も外出できずにいるという。
会社の扉は閉められ、明かりは消えている。
近隣住民の証言。
「たまに(Aさんの)会社の前に車を停めては指さしたり、野次馬が(会社の)写真を撮ったり、心ない人がいるんです。
私も近所に住んでいるだけなのに、コロナ患者の扱いをうけて、他の町内の人から『うつりたくないから近寄らないで』って言われたこともありました」

 電話で取材を申し込むと、Aさんは怯えた様子を見せながらも心境を吐露した。
「最近励ましのメールもいただけて何とかやっていけていますが、今もコロナのことを考えると胸が苦しくなります。
外を歩くのも人に会うのも怖いです」

Aさんはネットに謝罪文を掲載した
 7月31日、Aさんは会社のホームページに《お詫び》と題し、長々とした謝罪文を掲載した。
《〇〇不動産のAと申します。
この度は、私が新型コロナウイルスに感染してしまいご心配、ご迷惑をお掛けしてしまった方々、感染させてしまった方々、浜松市の多くの飲食店関係者の皆様、医療関係者の皆様、不安な日々を送らせてしまっております浜松市民の皆様、その他全ての皆様、この度は誠に申し訳ございませんでした。
心よりお詫び申し上げます。
(略)浅はかで自分勝手な判断をしてしまいました。
その結果、数多くの方々に、取返しのつかない多大なるご迷惑をお掛けしてしまいました。
この度は誠に申し訳ございませんでした》

 地元記者が故郷の現状を深く憂う。
「こんなの間違っています。
コロナに罹ってしまったことを責めるべきではなく、むしろ積極的に検査を受けたAさんの勇気をたたえるべきでしょう。
浜松には『やらまいか』という方言が息づいています。
『やりましょう』『やろうじゃないか』というチャレンジ精神にあふれた浜松を象徴する言葉なんです。
今こそ、この浜松の力を見せるべきときなのに……」  

海、山、川、湖に囲まれた、自然豊かでのどかな鰻の名産地が戦々恐々とした空気に覆われている。

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班)
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2020年08月06日

黒い雨「控訴断念容認を」

黒い雨「控訴断念容認を」
2020年8月5日 毎日新聞 大阪朝刊

 広島への原爆投下直後に降った「黒い雨」を浴びたのに国の援護対象から外れた住民ら84人を被爆者と認め、広島県と広島市に被爆者健康手帳の交付を命じた広島地裁判決について、広島県の湯崎英彦知事は4日の記者会見で「被爆者援護の立場から、県としては控訴したくない」と述べた。

広島市の松井一実市長も同様の意向を示しており、援護対象を定める国に控訴断念を容認するよう強く迫る形となった。

 訴訟で県市は国からの受託事務で手帳の交付審査を担うため形式的に被告となっていたが、黒い雨の援護対象区域の拡大を求めてきた経緯がある。
このため県市は判決翌日の7月30日に厚生労働省の担当者を交えた3者協議で、控訴断念を容認するよう求めていた。
会見で、湯崎知事は「黒い雨を浴びたとの証言が一定程度矛盾しないのであれば、幅広く救済すべきだ」と主張した。

   【池田一生、小山美砂】
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藤井聡太棋聖、最年少二冠&八段に王手!木村一基王位に無傷の3連勝/将棋・王位戦七番勝負

藤井聡太棋聖、最年少二冠&八段に王手!木村一基王位に無傷の3連勝
/将棋・王位戦七番勝負
2020年8月5日 ABEMA TIMES

 将棋の最年少棋士・藤井聡太棋聖(18)が8月4、5日に行われた王位戦七番勝負第3局で、木村一基王位(47)に149手で勝利、シリーズ3連勝でタイトル奪取に王手をかけた。
藤井棋聖は王位を獲得すると、最年少での二冠・八段昇段という2つの記録を同時に達成する。

▶中継:藤井聡太棋聖、タイトル二冠に王手!木村一基王位に3連勝
 昭和初期に生まれた戦法を用いて、令和の天才棋士が輝いた。
第1局の角換わり、第2局の相掛かりに続いて、第3局で先手の藤井棋聖が選んだのは矢倉戦。
中でも約80年前に土居市太郎名誉名人が、名人戦で用いたという「土居矢倉」で木村王位に戦いを挑むと、周囲を驚かせた。

 木村王位も得意とする矢倉戦で、1日目はじっくりとした進行。
2日目に入り、藤井棋聖がじりじりと攻め、受けの名手・木村王位が応じる局面が続いたが、残りの持ち時間も両者1時間ほどになったところから、形勢は藤井棋聖の有利、さらには優勢に。

木村陣に攻略の糸口を見つけたのか、じっくり時間を使って考えた序中盤とは異なり、本格的な攻めに入ったところでは、あまり時間も使わずに一気呵成に鋭く確実な手を連発した。
ところが最終盤では寄せの一手により形勢が互角に戻る大混戦。
藤井棋聖がなんとか持ち直し、勝利をもぎ取った。

 対局後、藤井棋聖は「早囲いを目指していたんですが、少し時間を失敗してしまったと思います。
(1日目は)自信のない展開かなと思っていました。
(2日目は)途中から調子がいいのかなと思ったんですが、受けられてみると大変かなと思っていました。
少し寄せに行ったところで誤算があって、負けにしてしまったかもしれないと思っていました」と、最終盤の苦戦についても言及していた。

第4局への抱負には「ここまでの将棋の内容を反省して、いい将棋を指せればと思います」と語った。

 長い将棋界の歴史において、七番勝負で3連勝した棋士が4連敗してタイトルを逃したのは過去2回だけ。
そのうち1回は、くしくも木村王位が初タイトル目前にしながら逃したというものだ。
データでは藤井棋聖が圧倒的に二冠達成に近づいたが、木村王位は今シリーズで逆に「3連敗から4連勝」で防衛を果たせるか。

 次回、第4局は8月31日、9月1日に行われる。
藤井棋聖が勝利した場合、達成できる最年少記録は2つ。
二冠は、羽生善治九段(49)の21歳11カ月を3歳近く更新。
「タイトル2期」の条件を満たすことでの八段昇段は、加藤一二三九段(80)の18歳3カ月を3カ月ほど更新する。

(ABEMA/将棋チャンネルより)
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被爆75年「核なき世界」は、いつか 被爆者平均年齢83.31歳

被爆75年「核なき世界」は、いつか 被爆者平均年齢83.31歳
2020年8月6日 毎日新聞【小山美砂】

 太平洋戦争末期の1945年8月、米軍によって原爆を投下された広島は6日、被爆から75年を迎えた。
人類史上初の核攻撃から四半世紀を三たび重ねた今も、被爆者が訴え続けてきた「核なき世界」は実現できていない。
米中露による軍拡競争再燃への懸念が広がり、新型コロナウイルスの感染拡大を背景に国家間の対立も強まる。

広島市中区の平和記念公園では午前8時から平和記念式典が営まれ、松井一実市長が平和宣言で核兵器廃絶に向け、世界に連帯を呼びかける。
 厚生労働省によると、広島と長崎で被爆し、被爆者健康手帳を交付された人は3月末時点で13万6682人。
80年度末の37万2264人をピークに減少し、2013年度末に20万人を割り込んだ。
平均年齢は83・31歳に達した。

 高齢の被爆者らに共通するのは「生きている間に核廃絶を」という切実な願いだ。
「残された時間が少ない」という焦りから、証言を始めた人もいる。
「被爆者による実質的に最後の訴えになる」と被爆者団体は核兵器廃絶を求める署名活動に力を入れ、1184万筆を集めた。

3年前に国連で採択された核兵器禁止条約の早期発効に向け、4月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で提出予定だったが、コロナ禍で会議が延期になり、活動も足踏みを余儀なくされた。
 始まって63年が経過した被爆者援護も課題が残る。
原爆投下直後に降った「黒い雨」を浴びたのに国の援護対象から外れた住民ら84人を被爆者と認定し、広島県・市に被爆者健康手帳の交付を命じる判決が広島地裁で出された。
県・市が控訴するかどうかの判断は、政府に委ねられている。

 75年を四半世紀ごとに振り返ると、被爆25年(70年)は米ソ冷戦下の軍拡競争の中にあり、冷戦終結後に迎えた被爆50年(95年)は軍縮への期待も広がった。

 核兵器禁止条約の批准国は発効要件の50に近づいているものの、米露間の中距離核戦力(INF)全廃条約は19年に失効し、21年2月に期限が迫る新戦略兵器削減条約(新START)の延長も不透明だ。
北朝鮮やイランの問題の解決も見通せず、核軍縮や核不拡散の「冬の時代」を迎えている。

 原爆死没者名簿には8月5日までの1年で4943人が新たに加えられた。
全部で32万4129人の名前が記された名簿は、6日の記念式典で平和への願いとともに慰霊碑に収められる。
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2020年08月07日

広島市長「日本は核兵器禁止条約の締約国に」 75回目の原爆の日

広島市長「日本は核兵器禁止条約の締約国に」 75回目の原爆の日
2020年8月6日 毎日新聞【小山美砂】

 広島は6日、米軍による原爆投下から75回目の「原爆の日」を迎え、広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が開かれた。

松井一実市長は平和宣言で、新型コロナウイルスの感染拡大による自国第一主義の台頭に懸念を示し、核兵器廃絶と世界平和の実現に向け、連帯を呼びかけた。
日本政府には昨年に続き、被爆者の思いを受け止め、3年前に国連で採択されたものの未発効となっている核兵器禁止条約の「締約国」になるよう求めた。

 式典は、新型コロナ対策で参列者を例年の1割に満たない約800人に限定して午前8時から開かれ、83カ国や欧州連合(EU)代表部の駐日大使らが出席した。

核保有5大国は中国を除く米露英仏が参列し、原爆が投下された午前8時15分に合わせて1分間の黙とうをささげた。

 平和宣言で松井市長は、約100年前にスペイン風邪が流行したのち国家主義が台頭し、第二次大戦から原爆投下に至ったと指摘。
「自国第一主義によることなく、『連帯』して脅威に立ち向かわなければならない」と訴えた。
 そのうえで「広島には核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて連帯することを市民社会の総意にしていく責務がある」と表明。
50年前に発効した核拡散防止条約(NPT)と、核兵器禁止条約について「この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきだ」と世界の指導者に呼びかけた。
また、被爆者支援の充実に言及し、日本政府に原爆投下直後に降った「黒い雨」の援護拡大に向けた「政治判断を改めて強く求める」と述べた。

 安倍晋三首相はあいさつで核兵器禁止条約と黒い雨の援護拡大には言及せず「核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取り組みをリードする」「高齢化が進む被爆者に寄り添い、総合的な援護施策を推進する」と述べるにとどめた。

 式典では、新型コロナの影響で来日を取りやめたアントニオ・グテレス国連事務総長が「核兵器の危険を完全に排除する唯一の方法は、核兵器を完全に廃絶することだ」と語るビデオメッセージも紹介された。

 広島市の小学生から選ばれた子ども代表、市立矢野南小6年の大森駿佑さん(12)と市立安北小6年の長倉菜摘さん(12)は「人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。
私たちの未来に、核兵器は必要ありません」と訴えた。

 松井市長と遺族代表は式典で、この1年間で死亡が確認された4943人の名前が記された原爆死没者名簿を原爆慰霊碑下の奉安箱に納めた。
名簿119冊に記帳された人数は全部で32万4129人となった。
被爆者健康手帳の所持者は3月末現在で過去最少の13万6682人となり、平均年齢は83・31歳に達している。
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あやしいがん治療が日本でなくならない理由

あやしいがん治療が日本でなくならない理由
『世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療』著者・勝俣範之インタビュー
2020.8.6  ダイヤモンド社書籍編集局

日本では「トンデモ医療」の 情報が規制されていない
――『最高のがん治療』は、がん治療の専門医・勝俣範之先生と、新薬開発の研究者・大須賀覚先生、医療データ分析の専門家・津川友介先生の3人の共著ですね。
なぜこの3人で本を書くことになったのでしょうか?

勝俣範之(以下、勝俣)
 津川先生も大須賀先生も、日本にがんについての正しい情報が少ないことをずっと懸念されていました。
それは私もまったく同じで、以前、津川先生と対談したときに、「正しいがん情報を伝えたいですね」という話になったんです。
その後、津川先生から連絡をいただいて、「正しいがん情報だけまとめた教科書のような本を大須賀先生と3人で作りましょう」と。
そこから話がはじまりました。

――日本にはがん情報があふれていますが、それはほとんど正しくないと?

勝俣 
 特に一般向けの情報はそうですね。
新聞、テレビ、書籍、ネットの情報も含めて、日本のメディアのがん情報はひどいものですよ。
「こうすればがんが治る」、「こうすればがんが消える」といった「トンデモ医療」が多くて、どこもそれを規制しませんから、よっぽど悪質でない限り問題になりません。
新聞の全国紙でさえも、がん治療のトンデモ広告を一面に載せているのが現状です。

――よくあるトンデモ医療に、「糖質を摂取しなければがんが小さくなる」、「にんじんジュースには抗がん作用がある」、「オゾン療法(血液クレンジング)はがんの予防・再発防止に有効」といったものがあると本の冒頭にも出てきます。

勝俣
 それはほんの一部です。
他にもあやしい治療法が日本のメディアで広められています。
海外では、医療情報はかなり厳しく規制されているので、比較的まともです。
命に関わることですから。グーグルの検索画面で間違ったがん情報がトップ画面に出ないようにしていますし、怪しげな医療の広告も載りません。
一方日本では、「がん治療」と検索すると、怪しげな医療情報や、怪しげな医療広告のリンクがたくさん出てきます。

――つまり、それだけ一般に向けて正しい情報を発信するメディアや機関が少ないわけですね。

勝俣
 トンデモ医療が増える一番の原因は、そのほうが注目されやすいからです。
トンデモ医療は基本的に、都合がよく、わかりやすく、センセーショナルで意外性があるという特徴を持っています。
がんを治したい人、がんになりたくない人の弱みにつけこんで、ワラにもすがる人たちが飛びつきやすい情報を垂れ流しているのです。
 医療の世界も例外ではありません。
効果が証明されていない治療法を「自由診療」として医師が提供して、数十万円から数百万円単位の高額な治療費を請求しているケースが非常に多いんですね。

――本では、「自由診療」の代表的なものとしてビタミンC療法を挙げています。
でも、長年の研究で有効性はまったく証明されていない(注1)と知って驚きました。
アメリカの政府機関である食品医薬品局(FDA)は、ビタミンC療法を行っている施設は違法だと注意喚起をしている(注2)そうですが、日本は野放しですよね。

注1 Jacobs C, Hutton B, Ng T, Shorr R, Clemons M (2015) “Is there a role for oral or intravenous ascorbate (vitamin C) in treating patients with cancer? A systematic review,” Oncologist; 20(2): 210-23.
注2 FDA, Warning Letter https://www.fda.gov/inspections-compliance-enforcement-and-criminalinvestigations/ warning-letters/vitamin-c-foundation-514071-04172017

勝俣
 そうなんです。
本にも書きましたが、インターネットで検索すると、300件以上のクリニックが、がんのビタミンC療法をやっていることがわかります。
海外先進諸国では基本的に、根拠のない治療を医師が勝手に自費でがん患者さんに投与することは厳しく規制されています。日本のこの現状はかなり異常だと言わざるを得ません。
がんに直接効果があると 証明された民間療法はひとつもない

――ほかにも医師によって提供されない「民間療法」も本で問題視しています。
健康食品、サプリメント、ヨガ、漢方薬、鍼灸などは、信じて続けている人もいます。
でも、がんに直接治療効果があると証明された民間療法は、本のデータによるとたったのひとつもないんですね……(注3)。

注3 日本緩和医療学会『がんの補完代替療法、クリニカル・エビデンス』金原出版、2016年版

勝俣
 本当にがんに効くのだったら、われわれ医師がまず提供していますよ。
世の中には、「がんに効く」とうたっている治療法が何百とあります。
その中で、我々のようながん治療の専門医が提供している「標準治療」、つまり保険が適用される治療法というのは、どれだけ厳しいプロセスを経て世界で承認されているか、知っていますか?

――たしか本には、マウスなどを使った細胞実験から、実際のがん患者さんの臨床試験まで、効果がきちんと証明された薬は1万個に1個ほど(注4)と書いてありました。

注4 United States Government Accountability Office (2006) “NEW DRUG DEVELOPMENT: Science, Business, Regulatory, and Intellectual Property Issues Cited as Hampering Drug Development Efforts.”

勝俣
 正解です。
スポーツ選手でいえば、全国大会で活躍したようなスーパーエリートしか、「標準治療」の薬として認められていないんですね。
現在標準治療として認められている抗がん剤は、何十年もの間、研究者が競い合うように実験したなかで残ったものしか使われていません。
割合にすると0.01%ですが、現在までに承認された抗がん剤は、150種類ほどになります。
ですから、科学的に有効性が認められていない高額なトンデモ医療を受けるのは、よい選択肢とはいえないんですよ。
教育レベルと収入が高い人ほど トンデモ医療を信じる傾向がある

――本を読んでさらに驚いたのは、教育レベルと収入が高い人ほど、トンデモ医療を信じる傾向がある(注5)ということです。

注5 Johnson SB, Park HS, Gross CP, Yu JB (2018) “Use of Alternative Medicine for Cancer and Its Impact on Survival,” J Natl Cancer Inst; 110(1), 121-4.

勝俣
 教育レベルと収入が高い人ほど、「自分はたくさん調べているから大丈夫だ」、「知識はあるから自分で判断できる」と思ってしまう傾向があります。
本やインターネットを調べていくうちに、間違った情報やがん経験者の極端な体験談にどんどん触れてしまい、次第にトンデモ医療を受け入れてしまうのです。
 逆に、自分は何もわからないし、お金もないから、医師のアドバイスに従うしかないと思っている人は、保険適用で標準治療を受ける人が多いです。
標準医療を受けた患者さんと、代替医療のみを受けた患者さんを比較したら、代替医療を受けた患者さんのほうが生存率が低いというデータも出ていますからね(注5、図表1)

――では、本で紹介されている標準治療の、「がんを摘出する手術」、「放射線治療」、「抗がん剤治療」の三大治療さえしっかり受ければいいと?

勝俣
 基本的にはそうなんですが、知っておいてほしいのは、これらの三大治療を受ければ、必ず治るということではありません。
最善の治療が三大治療というわけです。
また、治す治療には限界もあるということです。
 しかし今では、治すことは難しくとも、共存できる時代になっています。
緩和ケアも標準治療の一つであることは、あまり知られていません。
一部のがんには、延命効果も示されています(注6)。
また、緩和ケアは、患者さんの生活の質を高めるためには必須の療法です。
緩和ケアを受けながら、がんとうまく付き合い、うまく共存を目指し、正しく向き合ってほしいと思います。

注6 Temel JS, Greer JA, Muzikansky A, Gallagher ER, Admane S, Jackson VA, Dahlin CM, Blinderman CD, Jacobsen J, Pirl WF, Billings JA, Lynch TJ (2010), “Early palliative care for patients with metastatic non-small-cell lung cancer,” N Engl J Med; 363(8): 733-42.

トンデモ医療を見分けるには どうしたらいいか
――なぜ日本には、専門的な正しい知識を発信する人が少ないのでしょうか。

勝俣
 一般の方向けに専門的な知識をわかりやすく伝えるのが、非常に難しいからです。
医療の世界では、「こうすれば治る」「この治療法で大丈夫」と簡単に言い切れない、不確定な要素が多いんです。
専門医は、情報発信のプロではないですから、わかりやすく伝えるのは難しいことなんですね。
 がん治療は、まだまだ難しく不確実なことも多いので、一般の方やがん患者さんが不安を募らせるのも無理はありません。そういった際には、耳に優しく聞こえる安易な「こうすれば治る」「〇〇治療で必ずよくなる」といった情報には少し慎重になるべきだと思います。
 あと、信頼できる情報源かどうかを確認することが重要です。
人の口コミ情報などは、それがたとえどこかの大学教授が言ったことであったとしても、特定の個人による言葉だけでは、信頼性は乏しいです。
国立がんセンターなどの公的機関の発信する情報や、学会の発信するガイドラインなどの情報を確認するのがよいと思います。

――では、日本で正しいがん情報を入手したいときは、本で紹介されている国立がん研究センターの「がん情報サービス」(注7)をはじめとした情報源を確認すればいいわけですね。

注7 国立がん研究センター「がん情報サービス」 https://ganjoho.jp/public/index.html

勝俣
 基本的にはそうです。
『最高のがん治療』で紹介している情報源はどれも、がん治療について科学的根拠にもとづいた解説をしています。
 インターネットにはよく、「私は〇〇を飲んだらがんが良くなった」などの、個人の体験談が載せられているのを見かけます。
こうした口コミ情報や体験談の情報には注意が必要です。
がんの種類やタイプ、治り方はそれこそ千差万別で、人それぞれです。
 個人の体験談というのは、本当にその治療法に効果があったかどうかは、厳密にはわかりません。
その治療をやらなくても自然によくなったかもしれないし、他のがんの治療と併用していてその効果なのかもしれない。
「効果があった」という事実がそもそもでまかせだった可能性もある。
本当に効果があったかどうかを証明するには、個人の体験談レベルというのは非常に科学的な信頼性が低いということなんです。
 一方、「標準治療」で使われている抗がん剤は、厳しく評価する臨床試験を何段階も重ねます。
最後には、新治療とこれまでの標準治療とをランダムに割り付けて、長期間の効果を第三者が厳密に評価する臨床試験(臨床第三相試験、ランダム化比較試験とも言います)によって、効果が正確に評価されたものしか使われません。
その違いをぜひ知っておいてほしいと思います。

『世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった 最高のがん治療』著者からのメッセージ

『世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療』
津川友介、勝俣範之、大須賀覚 著
定価(本体1500円+税)ダイヤモンド社刊

 がんを治せるなら、いくらお金を出してもいいと思っている方はたくさんいるでしょう。
残念なことに、そこにつけ込んで怪しい治療法をがん患者さんに売りつける業者が実際に存在します。
それだけでなく、手術や抗がん剤治療などの有効な治療法を悪く言うことで、怪しい治療法を信じ込ませようとさえします。

 そのような状況を少しでもよくしようと思い、『世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療』を書くことにしました。
 がんの専門家の間には、世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった、現時点でがんに最も効果が期待できる治療法が共有されています。
その治療法をやさしく解説することが、本書の目的です。

 なぜ「現時点でがんに最も効果が期待できる」と言い切れるのか、根拠に触れながらわかりやすく解説するので、きっと納得していただけると思います。治療法だけでなく、食事との関係、発生原因、情報の見分け方、検診、予防法に関してもご説明します。
一読すれば、がんについての必要な情報がひととおりわかるようになるでしょう。  

「がんは国民病」と言われているのに、学校ではがんについて十分に習うことはありません。
最低限の知識がなければ、だまされてしまうのも無理のないことです。
学校では習わないけれど、皆さまに知ってほしいとても大事なことがある。
そう思いながら、この1冊を書き上げました。
 この本を読んでいただくことで、間違った情報で苦しむ方が1人でも多く減るのであれば、これに勝る喜びはありません。
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2020年08月08日

言い負かされる人と言い返せる人の決定的な差

言い負かされる人と言い返せる人の決定的な差
ありえない一言を放たれたときの賢い対処法
2020/08/07  東洋経済オンライン
ゆうきゆう : 精神科医

相手の話に対して即断を避ける
◎押し切られそうになったら、「延期の戦術」
 この方法はいたってシンプル。
ただ単に「延期」するだけ。
相手の話に対して、とにかく即断を避け、「考えさせてください」と言うのです。

「今ここでは決められません。すみませんが、考えさせてください」
「おっしゃることは分かりました。ちょっと持ち帰ってもいいですか?」

延期のための言葉はこの際、何でも構いません。
大切なことは、とにかく「即断しない」ことです。
人は「雰囲気にのまれてしまう」ということがよくあります。
言い返せない人の大半は、相手の勢いについその場でうなずいてしまうもの。
そのため、いったん冷却時間をおいて、相手の主張や要求をじっくり冷静に考えてみることが大切なのです。

どんなに勢いに押されている場合でも、「ストップ」することによって、冷静になり、戦況を立て直すことができるのです。 しかも、ゆっくり考えてみれば、実は相手の主張もたいしたことを言ってないことに気がつくことが多いもの。
この戦術は、自分の権威を振りかざして強引にコトを進めたがる相手には、特に有効です。

◎「ありえない」ひと言は、「そのまま」返せ!
たとえば、あなたに、 「てめえ、そんなことも分からねぇのか! 小学校からやり直せ!」 と叱責する上司がいたとしましょう。
こんなときに、相手と同じように「てめえ」とやり返すのもひとつの手ですが、現実的ではありません。
「相手の言い方」を“間接的に表現する” 簡単なのは、「相手の言い方」を“間接的に表現する”ことです。
返答の代わりに、その言葉を繰り返す。つまり、「オウム返し」が一番効果的です。

「『てめえ、そんなことも分からねぇのか』、ですか…」 「『小学校から』、ですか…」
人は自分の状態を意識させられるだけで緊張してしまうと言われています。
あなたに自分の言葉を繰り返された相手は、自分の言葉の録音を聞かされたようになり、少しだけ恥ずかしくなってきます。それと同時に、自分の暴言の愚かさに、気がつかされることになります。

相手は、「そうだよ! だから、なんだよ!」と反応するかもしれませんが、それ以降、少しずつそういう言い方は減るはずです。
ぜひ一度、試してみてください。

◎イヤミな一言には「無邪気に」切り返す
「きみってよく、カメみたいだって言われない?」
こんなふうに、ちょっとイラっと来る皮肉を言われました。
さてこんなとき、どうするのがいちばんでしょうか?

@ 無言のまま、反論しない
A 「人のこと言えるんですか?」
B「どういう意味でしょうか?」

このような「皮肉っぽい悪口」を言ってくる人は多いもの。
さすがにハッキリ言うのは、カドが立つと思っているのでしょう。
そのために「カメみたい」などとあえてボカしてくるわけです。
言われたほうは、「どういう意味だろう。まさか…!?」というように、自分で考えることになります。
これを「自己説得効果」といいます。
自分で考えて答えを出すことで、ハッキリ悪口を言われるより、ずっと強く心に響いてしまうのです。

「どういう意味でしょうか?」が効く ですから、
@の無言のまま、反論しないというのはいちばんよくありません。
その言葉を何度も心の中で反芻することになってしまいます。
だからといって、Aのように売り言葉に買い言葉で反撃するのも、いい答えではありません。
後悔する可能性だってあるでしょう。

正解はBの「どういう意味でしょうか?」。
こう聞かれたら、悪口を言った相手は発言した手前、それを説明しなくてはならなくなります。
何かを分かりやすく説明するというのは、かなり大変なこと。
それだけでも、相手の気勢は削がれます。

さらに当然ですが、説明すると「ハッキリとした悪口」になってしまいます。
それを言う勇気がないからこそボカしているわけで、「いや、もう、いいよ…」と及び腰になるはず。
そして、その後に同じことを繰り返す可能性は少なくなるでしょう。

たまに、「そういう意味だよ」「自分で考えれば?」などと言う人もいますが、その場合はもう一度、「ごめんなさい。だから、分からないので、教えてください」と言えばいいでしょう。
これは、セクハラ発言の場合でも使えます。

「○○くん、最近、夜の調子ってどうなの?」
これに対して、「え、どういう意味ですか?」と聞かれて、ハッキリ言える人はいないでしょう。
相手は「これは、怒っている…!」と気がつくはずです。
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離島で今、伝えたい 被爆体験、共有者減 「もうひと頑張り」 /長崎

離島で今、伝えたい 被爆体験、共有者減 「もうひと頑張り」 /長崎
2020年8月8日 毎日新聞地方版

 「やはり、伝えておきたい」。
あの日から75年、長崎の離島の被爆者がそう思い始めている。
ー1945年8月9日、原爆が落とされた時は長崎市内にいて、その後、離島に帰った人たちだ。

本土に比べれば数は少なく、周囲に被爆体験を共有している人がほとんどいないため語る機会もなかったという。
しかし、毎年8月9日が来ると凄惨(せいさん)な情景や亡くなった人たちへの思いを募らせていた。【今野悠貴】

 「ほとんど被爆体験は語ってこなかった。でも忘れたことはない」。
対馬市の鈴木好長(よしなが)さん(93)がゆっくりと口を開いた。
41年4月、対馬の国民学校高等科を卒業し、長崎市浜口町の三菱長崎工業青年学校に入学した。
 45年8月9日、爆心地から3・2キロの三菱重工長崎造船所内でフラッシュをたいたような光に包まれ、爆風で窓ガラスが吹き飛んだ。
翌朝、同僚らと爆心地に近い浜口町の工場へ負傷者の救護に向かうと、一帯は焦土と化し、浦上川には多くの遺体が浮いていた。
「あの光景は脳裏にこびりついて離れない」
 原爆投下の2週間後、対馬に向かう貨客船珠(たま)丸の甲板からは機雷がいくつも見えた。
両親は死んだと思った息子の姿に涙を流して喜んだ。
珠丸は約2カ月後、対馬海峡の機雷に触れて沈没し数百人が亡くなった。

戦後は対馬で理容室を開店。
子供2人を育て、今は孫やひ孫もいる。
しかし、これまで自身の被爆体験は次男に一度語っただけだという。
 8月9日が近づくと祈る気持ちが湧き上がってくる。

7月下旬、数年ぶりに被爆者の平間(へいま)淳さん(89)方を訪ねて胸にしまってきたあの日のことを語り合った。
「普段の生活で原爆のことを口にする機会がなく、思い出すきっかけもない」と話す平間さんも、この日は久しぶりに75年前を回想した。    

 ◇  五島列島の東端に位置する新上五島町では、旧制県立瓊浦(けいほ)中1年生の時に被爆した高井良(たかいら)明さん(87)が「県被爆者手帳友の会」の上五島支部会長を務めている。
 20年前に約150人いた会員は現在、20人ほどになった。

2004年に5町が合併した新上五島町は中通(なかどおり)島、若松島と周囲の小さな島にまたがっているため、足が不自由になった被爆者同士の交流はほぼなくなった。

高井良さんは「そろそろ潮時かな」と語る。
 離島の被爆者は本土に比べて被爆者の数が少なく、3月末時点で五島市が400人で新上五島町が294人、壱岐市は72人、対馬市は59人。
2万5726人いる長崎市などに比べて被爆者団体の活動が盛り上がりにくく、被爆者とそうでない人の間に温度差がある。

 近年、高井良さんの元に地元小中学校からの講話依頼はなく、子供たちに75年前の話をうまく伝えられるのか自信もない。
日々の暮らしも妻(83)の介護などで手いっぱいだ。
今年は毎年8月9日に営まれている旧制瓊浦中の慰霊式も新型コロナウイルス感染予防のため参列を見合わせなければならなかった。
 弱気になる時もある。
しかし、そんな時には若くして人生を奪われた同級生たちの顔を思い浮かべる。
級友からもらった手紙を読み返すことも。「こっちでも平和の大切さを伝えるため、もうひと頑張りしようか」。
そう自らを奮い立たせる。 〔長崎版〕
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2020年08月09日

「あなたを嫌う人の9倍、あなたを応援する人がいる」精神科医が断言する人間関係の教え

「あなたを嫌う人の9倍、あなたを応援する人がいる」精神科医が断言する人間関係の教え
2020.8.8  ダイヤモンドオンライン
樺沢 紫苑:精神科医、作家

好意の1対2対7の法則
人から嫌われたくない人は、多くいることでしょう。
「誰からも嫌われたくないか」と質問したある調査によると、42%が「はい」と答えました。
特に20代女子では嫌われたくない傾向が強く、54.6%にも及んでいます。

その対処法について説明していきましょう。
次の一節を、初めて読んだとき、私はドキッとしました。

「10人の人がいるとしたら、そのうちの1人はどんなことがあってもあなたを批判する。
あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。
そして10人のうちの2人は、互いに全てを受け入れ合える親友になれる。
残りの7人は、どちらでもない人々だ。 ―」(ユダヤ教の教え、『嫌われる勇気』より)

私の経験でも、SNSのネガティブなコメント1に対して、好意的なコメントは2倍以上あり、そして7割ほどはコメントせずにただ読むだけの「サイレントマジョリティ」であると感じていました。

「嫌い1、好意2、中立7」。
これを「好意の1対2対7の法則」と呼びましょう。
この「サイレントマジョリティ(物言わぬ多数派)」は、積極的な意見は出しませんが、自分をフォローしている人たちです。
だから、明らかに好意です。
「中立」は、「プチ好意派」と考えてよいのです。
すると、あなたを嫌い、批判する人が1人いる場合、あなたを応援している人は9倍もいるわけです。

職場の人間関係に当てはめよう
「好意の1対2対7の法則」は、あなたの周囲にも当てはまると思います。
職場に20人いるとしたら、あなたを嫌う人は2人くらいで、親しい人が4人という数字になるのではないでしょうか。
いろいろな性格や考え方の人がいます。
あなたと気の合う人もいれば、気の合わない人もいる。
それは、当然です。

「全員と気が合う」ということもなければ「全員と気が合わない」ということもありません。
そんな状況の中で、「誰からも嫌われない」とか「全員と仲良くする」というのは不可能です。
あなたを嫌う人の2倍、好意的な人がいるし、まったく嫌っていない人がその7倍もいるのです。

たった1人からの誹謗中傷を受けて、SNSの投稿をやめてしまう人がいます。
しかし、その9倍の人たちが、あなたの投稿を楽しみに待っているとすると、とても残念なことです。
あなたは「嫌いな1割」の人に迎合することを優先し、その他の人を犠牲にするのですか。
それとも、あなたのことを大好きな2割の人を大切にして生きますか。
どちらが幸せに生きられるかは歴然としています。

「1対2対7の法則」をイメージするだけで、「自分には味方がいる!」ということが明確になり、勇気が湧いてくるのです。

「ストレスへの対処法」は不変のスキルだ!
私の臨床経験では、「几帳面でまじめな人ほどうつになりやすい」傾向を感じます。
なぜなら、ストレスの原因を真正面から受け止め、不安になり、悩み続け、リセットできないからです。
悪いストレスをなくしていくことが、「ストレスフリーな人」になるためには重要です。
あなたの「考え方」「受け止め方」を少し変えるだけで、ストレスを受け流せるようになります。それだけで、「不安」や「悩み」の9割は消すことができます。
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先の大戦と酷似 デマと精神論が蔓延するコロナ禍ニッポン

先の大戦と酷似 デマと精神論が蔓延するコロナ禍ニッポン
2020/08/08 日刊ゲンダイ
適菜収 作家

 先日面白い記事を読んだ。
「婦人公論.jp」が猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」を紹介した文章だが、現在わが国で発生している状況に極めて近いと感じた。

昭和16年12月、日米開戦の8カ月前に「総力戦研究所」がつくられ、「官民各層から抜擢された有為なる青年」36人が全国から集められた。
条件として挙げられたのは、「人格高潔、智能優秀、身体強健にして将来各方面の首脳者たるべき素質を有するもの」だった。
彼らは闊達な議論を行い、あらゆるデータを集め、開戦後のシミュレーションを繰り返し、「緒戦、奇襲攻撃によって勝利するが、長期戦には耐えられず、ソ連参戦によって敗戦を迎える」との結論に達した。
見事にそれは的中する。

 しかし日本は開戦に踏み切った。
なぜか?
 開戦後の石油保有量を予測した数字が出たからだ。
戦争を始めたい勢力はそれに飛びついた。
たとえ「客観的」なデータであっても、解釈するのは人間である。

 今回の新型コロナとの戦いにおいても愚行は繰り返された。
2020年2月16日、官邸にエリートが集められた。
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議である。
安倍晋三周辺は、彼らが出した予測を無視し、妨害してきた。
国民の生命より財界の意向を重視し、専門家会議をネグって緊急事態宣言の解除を決めた。

「コロナはただの風邪」「夏には終息する」などと言いだすデマゴーグも登場したが、戦局が悪化すると、都合のいいデータを探し出してきて自己正当化を図ろうとしている。
「竹やりでB29を落とせ」というレベルの精神論も蔓延した。
しまいには市販のうがい薬の効果まで持ち出す政治家が現れた。

 結局、反省しないからこういうことになるのだ。
大正12年の関東大震災では、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というデマが流され、朝鮮人が虐殺された。
 錯綜する情報にわれわれはどう向き合えばいいのか。

まずは専門家の意見を尊重することだ。
もちろん彼らが間違えることもある。
だからといって素人の意見のほうが正しいとは言えない。
専門家の意見が割れているなら、両方の議論を追うべきだ。
一つの意見を妄信するのは危険である。

ましてや自称文芸評論家や元IT企業社長、畑違いの分野の大学教授など、外野の意見は害しかない。
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2020年08月10日

「首相は『橋渡し』と言うが何もしない」 核兵器禁止条約署名せぬ政府に被爆者抗議

「首相は『橋渡し』と言うが何もしない」 核兵器禁止条約署名せぬ政府に被爆者抗議
2020年08月9日 毎日新聞

 米軍が長崎に原爆を投下してから75年となる9日、原水爆禁止長崎県民会議は長崎市の爆心地公園で核兵器廃絶を訴えて座り込みをし、約150人が参加した。

被爆者たちは、日本政府が核兵器禁止条約に賛同せず、長崎を訪問した安倍晋三首相が長崎原爆資料館を今年も訪問しなかったことに怒りの声を上げた。
 長崎の被爆者団体は、日本政府が核兵器禁止条約に署名・批准するよう繰り返し求めているが、政府は米国の核の傘に依存していることを理由に賛同していない。

安倍首相はこの日の平和祈念式典でのあいさつでも核兵器禁止条約については触れず、「(核兵器の保有の有無などで)立場の異なる国々の橋渡しに努める」との従来の考えを述べただけだった。

 長崎で被爆した原水爆禁止日本国民会議の川野浩一議長(80)は「75年、核廃絶はなんでできないのか。首相は『橋渡しをする』と言うが何もしない。
『米国の核の傘の下でぬくぬくと住んでいけばいい』という考えだ」と批判。

参加者は原爆投下時刻の午前11時2分に合わせて黙とうした。
 長崎の被爆者5団体は1年前の原爆の日に長崎で安倍首相と面会した際、長崎原爆資料館に展示されている黒焦げになった少年の写真を見せて同館を訪問するよう強く要請したが、この日も安倍首相は同館を訪問しなかった。

川野さんは「長崎の被爆者として怒りを覚える。いかに悲惨であるか、その目で見てほしい」と訴えた。
            【樋口岳大】
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2020年08月11日

読みやすく伝わりやすい文章を書くコツ、才能やセンスはいらない!

読みやすく伝わりやすい文章を書くコツ、才能やセンスはいらない!
『言葉を減らせば文章は分かりやすくなる』
山口謠司著 ワニブックス刊 1400円+税
2020.8.10  ダイヤモンドオンライン

本書の要点
(1)読みやすい文章は、要点のみを押さえたシンプルで短いものである。
だらだらと長い文章を書いてしまう人は、不要な情報や言葉を適切に削ったムダのない文章を書けるようになろう。
(2)シンプルな文章を書くためには、まず自分の頭の中で書きたいことを整理する必要がある。
文章が上手く書けない原因のひとつは、「書くことが明確になっていない」ことである。
(3)文章に触れる習慣をつくり、テクニックを身につけていけば、書くこと自体が楽しくなっていくだろう。

要約本文
◆「何を書くか」決まらない
◇伝えたいことをまず明確に  
文章を書くためにはまずその内容が必要となる。
これは当たり前のことのように思えるだろう。
実は、多くの人は書くべきことを明確にできていないために、文章作成に苦労しているのだ。

文章の質を上げるための第一条件は、思考が明確になっていることである。
「伝えるべきこと」「伝えたいこと」が自分の中ではっきりと整理できている人は、思考を上手く文章化することができるだろう。
「何となくこういうことを伝えたい」という漠然とした考えで文章を書き始めてしまうと、何を言っているのかよくわからない内容になってしまう。
わかりやすく納得できる文章には、短くシンプルな文が集まっている。

一方で、整理されていない人の文章はだらだらと冗長になりがちだ。
文章を書く前に、漠然とした思考をしないようにする。
これを怠ってしまうと、「自分はこれが言いたい」と思うことを的確に言語化することができない。

◇2つの軸を使う
 思考を整理するために最適な方法は、2つの軸を立てて考えを明確にすることだ。
軸の内容は人それぞれ異なっているが、その2つの軸が交差するところに、「あなたが伝えたいこと」がある。

たとえば、あなたが「新しい洋服を買いたい」と思ったとき、「シャツ」の軸と「好きなブランド」の軸の2つを設定すれば、欲しい商品を明確にすることができる。
それと同様に、自分が書くべき文章の要素を2つ軸に当てはめるとよい。

商品開発の企画書であれば、「自分が興味関心を寄せている商品」と「お客様のメリット」の2つを交差させる。
そこで浮かび上がった商品をプレゼン資料の文章に落とし込む。
こうした2軸の考え方を日ごろから行なうようにしたい。

 これだけでは具体性がないため文章化がしづらいという人は、2つの軸を設定した上で「それを形にするための情報を集める」作業をしよう。
営業職の人であれば、他社の商品のアフターケアの内容など、何でもよいので間口を広くして情報を集める。
キーワードを設定して具体化することも効果的だ。
そうして伝えたいことについて詳しくなるにつれて、あなたの思考はより明確なものとなるだろう。

◇それでも書けない
 そもそも書く習慣のない人は、1つの軸だけでもいいから思考を全部書き切る練習をしてみよう。
そうして書いているうちに、文章を書くことに慣れていく。
そのあとに、2軸で思考を明確にして書く段階をふむ。

 それから、書いた内容を推敲してみよう。
その際、「同じことを何度も言っていないか」「文から文への流れがスムーズか」「不必要な情報が入っていないか」「論旨は明快か」「スムーズに速く読めるか」の5つのポイントをチェックしてみよう。

【必読ポイント!】
◆型を知れば、文章は短くできる
◇一文一要素が原則
 そもそもどのように文章を書き始めればいいのかわからないという悩みを持っている人は、文章には型があることを知るのが克服の近道になるだろう。
文章がだらだらと長くなってしまう人も同様に、文章の型や最低限のルールを知ると改善されるはずだ。

 文章が長くなる原因として、一文にいくつかの要素を入れてしまうということが挙げられる。
これによって、その情報がまったく読み手の頭に残らない可能性がある。
たとえば商品はいくつかの要素で成り立っているが、それらを一気にお客さんに提示すると、魅力がうまく伝わらない。
ある要素だけを説明したあとに、次の要素に移ったほうがよい。

したがって、ひとつの文章にはひとつの要素しか入れずに書くことを心がけよう。
これを意識することで文章は短くなり、それが読みやすさにもつながっていく。  
また、英語で習う5W1Hは、日本語の文章でも重要な型となる。
「いつ」
「どこで」
「誰が」
「何を」
「なぜ」
「どのように」を意識して文章を作ると、伝える情報が明確になると言われている。
簡単に状況や内容を伝えることができるのだ。

◇順番で伝わりやすさが変わる
 文章を書くときには、読み手に何をしてもらいたいのかを示すことから始めると伝わりやすくなる。
ビジネスのシーンでは、最も重要な情報となる結論が、最初に来るように文章を組み立てた方がよい。
伝えたい内容ははっきりしていても、情報を出す順番を間違えると自分の思惑通りに相手を動かすことができなくなってしまう。
結論がなかなか出てこない文章は、読んでいて疲れるし、理解させづらい。

 だから、文章を書くときには、伝えたいことから書くようにする。
そのあとで、説明を補う文章を続ける。
 起承転結という言葉があるが、ビジネスシーンではこれとはもう少し違う方法をとったほうがよい。
すなわち、結論から始まって、話の背景などが続き、再度結論を述べる。
その話を受けて展開しつつ、またさらに結論を強調する。

英語の文章はよくこういう構造になっている。
結論を何度も言われるので、内容が理解しやすいのだ。

◆ムダな言葉を削るコツ
◇削る勘所を知る  
文章をすっきりさせたいけれど、どこがムダなのか見極められないという人は多い。
言葉が少なくなると情報不足でわかりにくくなるのではないか、という懸念を持つ人もいる。
しかし一文の中には、たいていムダな言葉が入っているものだ。
削るべき場所が自分でわかるようになれば、要点だけが目立つ、
短い良質な文章が書けるようになるだろう。

 文章に書くことに慣れていないと、気づかないうちに不要な言葉を入れてしまうことがある。
断定をつい避けてしまったり、話し言葉の調子が出てしまったり。書いた文章を一度読み直して、「この言葉は本当に必要なのか」と考えてみよう。

不要な言葉の代表的なものとして、「〜の方」「〜かどうか」「〜のような」といったものがある。
読み返してみると、なくても意味が通じる言葉が案外見つかるものだ。

◇すべて改行してみよう
 文章自体を短くすることができるようになっても、文の数が多すぎればやはりだらだらとした印象を与えてしまうだろう。それらの中に、一文を丸ごと削除しても差し支えないものはないだろうか。
 文章を読み直す前に、句点を基に一度すべて改行してみよう。
そうすることで、前後の文章でつながりがない、あるいは内容が重複している文を見つけ出すことができる。
そうしたムダを削ることで、より要点の伝わりやすい文章に仕上がる。

◆表現を変えて短くする
◇話す口語から書く文語へ
 文章の表現には、口語と文語の2種類がある。
口語は会話の中で使われるため柔らかい表現になり、文語は思考を伝えるため硬い雰囲気になる。
普段のコミュニケーションではくだけた表現を使うので、文章においても口語になることが多い。
SNSでもそうした書き方が一般的だ。

一方ビジネスシーンではスマートな表現が好まれる傾向にあるため、文語を使用して文章を短くするテクニックを知っておいて損はない。
 同僚に使うような言葉を、社長に対して使うときにはどのように言い換えるか、といった意識を持つことがコツだ。
たとえば「ちょっと」を「少し」に、「かなり多い人数」を「膨大な人数」といったように、案外文語に修正できる部分は見つかる。

◇ネガティブ文はポジティブ文へ
 ネガティブな文章は長くなりがちだ。
否定や禁止、拒絶など、マイナスの感情を表す文章を肯定文にすると、内容が理解しやすくなる。
たとえば、「会議が終わるまで参加できません」と言うよりも、「会議が終わったら参加します」とした方が文字数を減らすことができる。
そのうえ、要点が明確になるというメリットもある。
肯定文を基本にした方が相手に与える印象も良くなるだろう。

 また、伝わりやすい文章にはリズムがある。
日本のリズムの基本は五・七調と七・五調で、この言葉の数で区切って話すとテンポが良く、文章を理解しやすくなる。
和歌や短歌、俳句の文化を考えてみると、その理由は明白だろう。
なお、五・七調は強い印象を、七・五調は優しい雰囲気を人に与える。

◆「意味の文章化」をなくす
◇語彙力で言葉を削れる
 知っている言葉が豊富で使いこなせている人は、文章を短くすることができる。
たとえば、「矜持」とは自信や誇りを持って堂々と振る舞うことを意味する。
この言葉を知らなければ、「自信や誇りを持った振る舞い」というようにその意味をすべて文章化することになる。
言葉を知っているかどうかで文章作成力に大きな差が出るのだ。

語彙力を身につけることには、「頭の中にある考えを的確に文章化できる」、「企画書などのビジネス文書で社会人としてふさわしい表現ができる」といったメリットもある。
 私たちは、語彙力のレベルによって社会人としての評価を決められてしまう。
使う言葉で頭の良さを判断されてしまうのだ。
能力があっても語彙力がないせいで評価が下がるのはもったいないので、熟語などの知識を身につけるとよいだろう。
類語辞典などに親しむのも効果的だ。

◇文字数を優先!
 最近はビジネスシーンで、英語由来の言葉が使われることも多くなった。
英語の言い回しを使うことで文章が短くなるというメリットがある。
リスケジュールの略であるリスケは、「予定を変更する」と書くよりも文章を短くすることができる。
 しかし、常に英語を使用したほうがいいというわけではない。

たとえば「フレキシブル」を「柔軟」に、「マイルストーン」を「標識」に置き換えた方が、文章をすっきりと見せることができる。
英語を使うと格好よかったり、賢く感じられたりするが、文章に用いると長くなることが多々ある。
口に出す分には洗練された雰囲気になることもあるが、文面上では雰囲気よりも文字数を優先するべきだろう。

◆要約力が短文づくりを楽にする
◇文章を再構築できる力
 文章を短くする力を高めるために最適なのが、要約力を鍛えることだ。
要約によって文章や話の要点を短くまとめることで不必要な情報を削除したり、大事なことを見極めて書いたりする力が養われる。
自分が書いた文章を読み直して要点を確認すると、再構築して短くすることもできる。

 要約力を鍛えるトレーニングをすると、文章を正しく読み取り、長い文章を短くまとめられるようになる。
それと同時に論理力や読解力まで身につく。
 この要約力は文章だけに限らず、会話の質を上げることにもつながる。
ことビジネスにおいては相手の時間を尊重するために、短くわかりやすく伝えることが求められる。
要約力をつけることで、コミュニケーション時間を短縮することができる。
説明や提案、相談をするときに相手がすぐに理解できるような話し方をすることは、社会人としてのマナーでもある。

◇他人の文章を書き写して音読する
 なかなか文章が上手く書けないという人は、人の文章を真似して書いてみるといいだろう。
新書を読んで書き写した上で、余裕がある人は音読もしてみるといい。
自分の好きなテーマや著者の本であれば、楽しみながら文章力を向上させることができる。
書き写して音読することで、文章のリズムが頭に入り、文章のつくりを覚えることができるのだ。
また、新書にはいくつかの構成のパターンがあるので、その構造を覚えることも有益である。
こうして文章に触れる習慣をつくり、テクニックを身につけていけば、書くこと自体が楽しくなっていくだろう。
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2020年08月12日

日航機墜落現場を写した私の忘れられない記憶



日航機墜落現場を写した私の忘れられない記憶
35年前の御巣鷹山を撮影したカメラマンが残す
2020/08/08  東洋経済オンライン
小平 尚典 : 写真家、メディアプロデューサー

1985年8月12日、日本航空JAL123便が御巣鷹山に墜落してからまもなく35年、またあの暑い夏がやってきた。
ご遺族の方々にとっては、また悲しみの夏である。
昭和という時代の出来事の中では戦後の大きなニュースになったことは言うまでもない。

一方、この時間軸の歳月が、この事故を私たちの記憶の中から少しずつ忘れさせているとしても、それは仕方のないことなのかもしれない。
その時間で癒やされていった方々もいるのだろうが、最愛の方を失った悲しみは今も癒えないと察する。

いまだ、墜落の原因は諸説あり、多くの書籍も刊行されている。
そんな中、当時の現場を取材した身として私の記憶と記録としての当時の写真を残しておきたい。

35年前、私は新潮社『FOCUS』誌の契約カメラマンとして、生存者のいる事故現場にいち早く到着した。
当時31歳だった。

東京から車で南相木村へ
あの日、初めての合併号で夏休みであったが、私は東京留守番チームで都内にいた。
北海道にいるスタッフからの電話により、「日航機に異常の事態が生じたかもしれない」という第1報があり、慌ててカーラジオでNHKニュースを聞いたのは夜7時15分頃であっただろうか。
どうも長野県と群馬県との境にて航空管制官との通信が途絶えたような情報がアナウンスされている。
その直後、同僚だった『FOCUS』誌のT記者は、長野県の別荘にいた知人から「少し前に凄い音で飛行機が飛んでいった」という電話を受けた。

T記者は前日まで、そこで久しぶりの休暇を楽しんでいたのであった。
私もアウトドア雑誌の取材で八ヶ岳方面や南相木村のあたりの地理には詳しかったので、T記者と2人で落ち合ってともかく現場(その時点ではまだ墜落現場が確定できなかった)近くまで行くことになり、午後8時半頃に東京を出発し、車で南相木村に向かった。

携帯電話がない時代、数日前に自動車電話を搭載したばかりで、高速道での情報交換で非常に助かった。
3チームで現場に向かうことにし、私たちが南相木から、あとは上野村と三国峠からだった。
ラジオからは日航123便の乗客名簿を読み上げるアナウンサーの淡々とした声が流れてきた。
南相木村に着いたのは深夜の11時半だった。
すでに地元の消防団や警察が集まっていたが、いわば右往左往しているという状態であった。
小学校の運動場に車を誘導されて、急ごしらえの白いテントの対策本部が慌ただしく設置されていた。

夜が明ける頃、20名余りの自衛隊員が現場の捜索に行くと言う、私たちはともかく彼らを追いかけていくことにした。
山に登るのだから、軽装で靴はトレッキングシューズにした。
装備はノースフェイスのバックパックに軍手やパンを詰め込んだ。
カメラはモータードライブを外した機械式一眼レフのニコンF2とFM2を、レンズは現場に近寄れるか、またはまったく近寄れないかのどちらかだと考えて、20ミリと300ミリと1.4倍のテレコンバーター。
それから、機動性を考えて、28ミリのレンジファインダーのライカCLEを首にぶら下げた。
フィルムはトライXを7本ばかりケースごと投げ入れて合計10本という計算だ。

デジタルカメラ時代では考えられないことで、今を思えば頑張っても360カットしか撮影できない計算だ。

飛行機の翼を望遠レンズで確認
私たちの足で自衛隊を追いかけるのは無理であった。
とてもついてはいけず、一緒に歩き出したテレビ局のクルーは機材の重さもあり遅れ出した、ひと山越えて峰の頂上に出た、眼下にJALの文字が見える飛行機の翼が望遠レンズで確認できた。
そこにどれくらいいたかは定かではないが、現場を目視できたことは非常に助かった。
そのまま無謀にも崖を降りていった。

道もない深い森林に入って急に不安になったが相棒の記者と、とにかく現場に行くという使命感だけは強くあった。
しかし、すぐに方向感覚がおかしくなり、どこをどう進めばよいのかわからなくなって途方に暮れたが、もう後戻りはできない。
なんとか上空の自衛隊の大型ヘリコプターが飛んでいる音の方角に向かって、たまたま出た沢を伝っていくことにした。
何度も立ち止まり方向を確認したり、喉の渇きを潤すのにフィルムのケースで沢の水をすくって飲んだりもして、黙々と清水が流れている小さな沢を歩き続けた。

無我夢中という表現がぴったりだった。
どのくらいの時間が経過しただろうか。
徐々に断熱材のようなものがふわふわと舞ってきて、飛行機の小さな残骸が落ちているのがわかった。
不思議だがトランプのスペードのエースが落ちていた。
飛行機が墜落した場所が近いことを悟って、足早に向かった。
10時過ぎだったであろうか、目の前がパッと開け、木漏れ陽のようにキラキラ光るものが見えた。
近づくと、木の枝がからまりあって塊のようになっているのが目に飛び込んできた。

飛行機らしき翼の残骸やブルーのシートも目に留まった。
人の声がした。
私たちは「プレスの者です」と、手を振りながら、彼らのほうに近づいていった。
数人の地元消防団員の救援隊の人々は、何をどうしたらよいのかわからないまま茫然と山の中腹の丘に座っている。
「よく来たなあ」と言われて私たちも彼らの近くに座って、夢の島のような残骸を見ていた。
信じられないが木々をなぎ倒したため新鮮な樹木の匂いがした。

残骸の中から、白い手が一度だけ振られた。
ピカッと、指輪のリングが光る。
途方に暮れていた捜索隊は一目散に駆けだした。
「何か動いたぞ、生存者がいるぞ」の声が谷間に響く。
手を振りリングが光ったのはパーサーの落合由美さんだった。
よくも負傷しながら残骸の中から最後の力を振り絞って手を振ったものだ。

事前に放射性アイソトープを積んできたので、機体には近づくなみたいな注意があったが皆、忘れていた。
とにかく、生存者がいることがわかってからの救援隊の行動は素早かった。
いつの間にか長野県警や自衛隊が集まり、吉崎博子さん、美紀子さん母娘、落合由美さん、川上慶子さんと4人を次々救出していった。

樹木がクッションの代わりになったか
そこは「すげの沢」という場所で、飛行機は機首から山頂にぶつかり、胴体後部だけが山の裾野の沢に後ろ向きで雪崩れ込んだ形であった。
樹木がクッションの代わりになって最後部あたりに座っていた4名が生き残ったと推測される。

自衛隊のチームがジュラルミンのドアや近くの木々を利用して次々にタンカをつくっていく。
ヘリコプターが近づくと埃が舞い一瞬身動きができない。
少し雨も降ってきた。

残念ながら「5人目がいるぞ」の声は聞けなかった。
撮影したモノクロ写真51カットを選んで、1991年に墜落事故写真集『4/524』を新潮社から出版した。
編集とも相談して、単独では世界最大の事故であり524人の乗客のうち4人が奇跡的に生存したことを表す数字のタイトルにした。
後に再編集しKindle版も英語表記を入れて出版した。

それからが遺体の収容など、皆黙々と作業が始まる。3時間の滞在で午後1時過ぎには、ここでは待機できないので報道陣は下山するように促され、皆で並んで上野村を目指した。
またこれが大変で、ほぼ夕暮れ時にフラフラになり村道に出て、村役場の消防自動車にぶら下がって役場に戻ってきた。
T記者は10円玉をたくさん持って、公衆電話に並んで報告していた。上野村からタクシーを頼み、南相木村に戻り、早朝に東京に帰還した。人生で一番長い1日だったような気がする。

非情な夏の出来事であり、報道写真家としてあの時感じた「生」への痛切な願いと祈りをいまだに毎年のこの時期に思い出す。

墜落地点/東経138度41分49秒、北緯35度59分54秒。
墜落時刻/1985年8月12日、18時56分27秒92。乗員・乗客524人、生存者4人。
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2020年08月13日

自粛・マスク警察の根底にある「他人の自由を許さない団結力」の歴史

͡小だぬき→今日は「糖尿内科」の通院日と銀行による用事のため訪問が午後になると思います。
交流させていただいているブログの皆さんには申し訳ありません。
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自粛・マスク警察の根底にある「他人の自由を許さない団結力」の歴史
2020.8.12 ダイヤモンドオンライン
河合 敦:歴史研究家 

 いまだ終息の見通しもたたない新型コロナ禍は、世界規模で多くの人を不安や苦境に陥れ、経済を破綻させつつある。
しかし、人類はこれまで、感染症のパンデミックを何度も経験している。
そのたびに先人たちは大きな犠牲を払いながら乗り越えてきた。
歴史は常に繰り返している。
過去をひもとけば対応策も見つかるのではないだろうか。前回に続き今回も、わかりやすい解説で定評のある歴史研究家・河合敦氏の新刊『繰 り返す日本史』(青春出版社)から、昔から日本人が重んじている「団結力」「合議制」の歴史について解説していく。

団結を重んじる一方、他人の自由を許さない日本人
 2019年の流行語大賞は「ONE TEAM(ワンチーム)」だった。アジア初開催のラグビー・ワールドカップ日本大会―そこで日本代表チームが掲げたスローガンだ。
ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフ氏が考案した言葉だというが、日本代表はまさに「ONE TEAM」になって見事、史上初のベスト8を勝ち取った。
その間、多くの感動を私たちに与え、国内におけるラグビーの地位を不動のものにした。

 日本人は今も「皆で力を合わせてがんばろう、団結して一つになり目標を達成しよう」という傾向が、他の国よりかなり強い気がする。
そのためには、個人の犠牲や自由の制限もある程度やむをえないと考える人も多いのではないだろうか。

 ラグビー日本代表の活躍と国民の熱狂ぶりを目にしながら、「ONE TEAM」という精神は、日本人の中に根付いた行動原理の一つだと改めて確認することができた。
ただ、考えてみるとこの原理はプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともある。

 最近でいえば、プラスに働いたのがまさにラグビー日本代表の活躍であり、マイナスに働いたのがコロナ禍での自粛警察やマスク警察ではないかと考えている。
その同調圧力が半端でないことは、多くの読者も実感しているはずだ。

 じつは、戦前も同じようなことがあった。
軍国主義に突き進んだ挙国一致政策だ。「欲しがりません勝つまでは」、「ぜいたくは敵だ」という言葉は有名だが、これは、戦時中に戦意高揚のために新聞各社と大政翼賛会が主催して国民から公募した「国民決意の標語」だ。
 そして、ほとんどの国民は、この標語を遵守し、つましい勤倹生活をまじめに送ったが、一方でそれを守らない人々を「皆ががんばっているのに、なぜ勝手な行動をするのか」と激しく攻撃した。
中には「町会決議により、パーマネントの方は当町の通行をご遠慮下さい」と立て看板を掲げた町も出てくる始末だった。  

今回は、団結を重んじる一方、他人の自由を許さない日本人の行動原理を歴史的に考察していこうと思う。

いつの時代も「合議制」を貫いてきた日本の政治体制
 聖徳太子(厩戸王)が定めたとされる憲法十七条(六〇四年)は、「和(やわらぎ)を以て貴しとなし、忤(さか)ふること無きを宗(むね)と為よ(和を尊び、人に逆らわないようにしなさい)」という条文があまりに有名なものだから、「和」というものの大切さを人々に説いたのだというイメージが定着してしまっている。
しかし、それは間違いだ。

 憲法十七条は、大和政権の豪族たちに出された通達であり、中国の隋のように天皇(皇帝)のもとに権力を集めて支配を秩序づけ、豪族たちに国家の官僚としての自覚を求めたものである。
また、憲法十七条には「それ事は独り断(さだ)むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし(物事は独断で決めるな。
必ず皆と議論して決めなさい)」という一文があるが、これも、特定の豪族による専横を諫めたものだ。  
とはいえ、「和」の精神を重んじ「衆と論ふ」という文言は、まさに日本人の特性を指摘しているようで、だからこそ、こうした勘違いも起こるのだろう。

強い自己主張をせず、協調的に物事を進めていく日本人―それは歴代の政治を見ても、明らかである。
昔から日本の為政者たちは、衆議を重んじつつ政治を運営するのが常態だったのである。

 奈良時代前後に成立した大宝律令や養老律令によって、朝廷の政治制度はしっかりと定まった。
中央の政治組織を太政官といい、太政大臣、左大臣、右大臣、大納言といった構成員の公卿たちが、合議によって政策を決め、決定事項は天皇の裁可を得て、天皇の命令(意志)として詔や勅という文書形式で発布された。
公卿の決めたことに天皇が異を唱えることはなかった。
衆議を重んじたのである。

「摂政や関白が独裁していた」という誤解
 合議という政治手法は、平安時代に藤原氏(北家)が権力を握った摂関政治も同様だった。
すべてを摂政や関白が独裁していたという印象が強いが、それはまったく正しくない。
摂政・関白(外戚)は、官人(官僚)の任免権を有したので力があったのであり、専政を行なったわけではない。
おもな政策は太政官の公卿会議で審議されて決まった。
 とくに重要問題に関しては、陣定(じんのさだめ)(内裏の左近衛府の陣が置かれた陣という場所で開催される公卿会議)が開かれ、各公卿たちの意見が求められた。
最終的に天皇や摂関が決断を下したが、だいたいにおいて多数派の意見が尊重された。

 では、初めての武家政権である鎌倉幕府はどうだったのだろうか。
こちらも二代将軍源頼家以降は、将軍は幕府のお飾り的存在になり、実質的には執権北条氏がリーダーシップを取りつつも、有力御家人から構成される評定衆の合議というかたちで政治が運営された。
 とくに三代執権北条泰時は、御成敗式目に基づき、評定衆の意見を尊重した衆議政治を進めた。
これを執権政治と呼ぶ。
しかしやがて北条氏が独裁色を強めていく。
そうなると御家人たちの気持ちが離れ、鎌倉幕府は瓦解していくことになったのである。

 江戸幕府の支配機構(職制)がしっかり整備されたのは、三代将軍家光の時代である。
重職は譜代と旗本で占められ、外様や親藩(徳川一族)は政治に参加させなかった。
将軍のもとで政務にあたるのが、二万五千石以上の譜代から任命された老中だ。
定員はおおむね三〜五名。
ただ、政務は月番制(一カ月交替制)だった。
これは老中だけでなく、重要な役職はみな同様。しかも大事な要件は、話し合って決めていた。
 こうした合議制の採用は、独裁を防ぐためであった。

これまで見てきたように、日本の政治は古代から衆議によって決定してきたのである。
もちろん、独裁が行なわれた時期も存在するが、それはいずれも長続きしなかった。

日本では「独裁政治」は長続きしない
 内閣総理大臣は九十七代を数えるが、一年間も首相の座にいなかった人がおよそ三分の一を占める。
ここまで為政者がコロコロと変わる国は少ないと思う。
 これは内閣制度に限らない。
歴史をさかのぼっても同じ事が言えるのだ。

政権交代の頻繁さは、ある意味、日本特有のものではないかとさえ思えてくる。
とくに強権を発動して慣例を大きく変えようとする為政者に対しては、必ずといってよいほど反乱が起こったり、当人が死去してすぐ政変が勃発している。

 たとえば、織田信長は、明智光秀に殺害された理由は不明だが、荒木村重、松永久秀、浅井長政、武田信玄など、これまで多くの家臣や大名に背かれている。
彼の強引で人間を理解しようとしない性格が災いしてのことだと思われる。

 幕府の老中・水野忠邦は、将軍家斉の文化・文政期に弛緩した政治状況を正そうと、天保の改革を断行した。
その理念は見上げたものだったが、あまりに性急で厳しかったこともあり、わずか二年で大名や旗本に反発を受けて失脚してしまった。

 太平洋戦争を勃発させた東条英機も、戦時中に失脚している。
日本が連戦連勝している間は国民は熱狂的に東条を支持したが、戦況が悪化すると東条内閣を憎悪するようになり、失脚してしまったのである。

 このように日本史上、大きな権限を握った為政者たちは、短期間のうちに自滅していった。
他国のように数十年続く専制政治は皆無といってよい。
とくに多数に犠牲を強いることが明らかになると、とたんに人々は為政者に噛みつき、寄って集ってその座から引きずり下ろそうとした。

 民を虐げる独裁には屈しない。
それがどうやら、昔から受け継がれている日本人の特徴らしいのである。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月14日

75年前を忘れない=与良正男

75年前を忘れない=与良正男
2020年8月12日 毎日新聞東京夕刊

この夏、敬愛する小説家、吉村昭(1927〜2006年)の「殉国 陸軍二等兵比嘉真一」を読み返した。
 終戦の年の3月に始まった沖縄陸地戦。
ガリ版刷りの召集令状で「鉄血勤皇隊」に喜んで加わった14歳の中学生・真一が、だぶだぶの軍服を着て洞窟を転々とする。
そして「必ず米兵を殺す」という忠誠心も自決の願いもかなわず、最後は米兵に捕らえられるまでを書いた67年の著作だ。

 単に「戦争反対」というのではなく、右・左の歴史観を排して当事者への徹底的な取材に基づく冷酷なまでの描写が、沖縄戦の悲惨さ、無謀さを逆に浮き彫りにする。
今度も涙した。

 ただし、この作品をはじめ「戦艦武蔵」等々の戦史小説で知られた吉村が先の大戦を題材にしなくなったのは、もう40年近く前だ。
戦争を実際に体験した人が高齢となり、あるいは亡くなって実証的な作品が書けなくなったというのが理由だった。
 実は「殉国」を再読したのはNHKが先日放映した沖縄戦の検証番組を見たからだ。

「政権への忖度(そんたく)が目立つ日ごろの政治報道になぜ、この取材力が生かされないのか」と感じるほど、よくできたドキュメンタリーだった。
 一方で改めて気づいたのは検証の多くが、既に亡くなった人が残した手記や録音に頼らざるを得なくなっている現実だ。  

記憶はいずれ薄らぐ。だからこそ記録が大切だ。
私(63)はそう言われて記者生活を送ってきた。
 日本の政府と軍部は敗戦が決まった直後から戦争関連資料の多くを焼き尽くした。
マスコミや研究者が個々の証言に加え、米国などが保存する公文書の発掘に今も力を注いでいるのはそのためだ。

 では75年前の文書廃棄の教訓が今、生かされているだろうか。
 森友問題で財務省は公文書の改ざんにまで手を染めた。
首相主催の「桜を見る会」もしかり。招待者名簿の電子データは破棄され、安倍晋三首相(65)は「復元は不可能」と堂々と言う。
政権に都合の悪い文書は隠し、捨てる。

 新型コロナウイルスに関する政府対応記録も後世に受け継ぐべく、きちんと保存しているのか。
 私たちはまず、そんな深刻な事態が進んでいることを忘れないでおこう。
「日本は変わらない」と人ごとのように嘆いてばかりはいられない。
         (専門編集委員)
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クリニック騒動記

昨日 クリニック上りエスカレーターの中段から バランスを崩し転落。
8時 糖尿外来受診前検査のため 尿検査・血液検査をして血圧-身長測定。
普段、高血圧で「降圧剤」を服用しているのですが、その時の数値は 110-51。

何かがおかしいと思いつつ 診察室移動のためエスカレーターへ。
2階から3階は無事通過、3階から4階に移動途中、バランスを崩し 頭と腰を打ち 立ち上がれず、約4時間のストレッチャー生活。

5年前と同じか・・・
5年ほど前、突然意識を失い 倒れるということが 頻繁に起こり クリニック「脳外科」を受診。

2015/11/26のMR検査で
「両側基底核、側脳室周囲、半卵円中心に低吸収が認められ、ラクナ梗塞と慢性虚血性変化と思われます。
左側頭部に 石灰化病変がみとめられます(髄膜腫などの可能性があります)」と読影医の診断。

職場近くの 板橋愛誠病院内科から 川崎幸クリニック「内科」「脳外科」に転院。
月に1度の外来、高血圧剤処方で 突然倒れる症状は治まっていました。

今回のエスカレーター転落の 診断も「ラクナ梗塞と虚血性変化」
5年前と 同じ画像とのこと。

また 突然の意識喪失がはじまるのか・・と不安を口にすると、
「睡眠不足の改善、3度の食事、脱水を防ぐ」熱中症対策と同じで 出る可能性は減るとのこと。

尻。背骨も悪いなりに変化なし
人工股関節は 正常な位置にある。
背骨は、以前の検査と変化なし「背骨の曲がり、椎間板2ケ所の摩滅」「脊柱管狭窄症」
今回の転落での新たな所見なし。
不安になり 整形の先生に「このままにしていて大丈夫ですか??」と聞くと、「まずは大丈夫」とのこと。

ネットワーク情報管理
2015年から 精神科以外は 板橋愛誠病院から幸クリニックに転院しているのですが、
今までの検査記録、外来記録が 瞬時にPC画面に現れることにビックリ。
「泌尿器科」「心臓外科」「脳外科」「皮膚科」「整形外科」「内科」「糖尿内科」「呼吸器科」・・・。

クリニック内での転倒だったので 大事にはいたりませんでしたが、これがショッピングモールだったら どこか他病院救急にまわされ 検査漬けになりかねませんでした。

大人しく寝てなさい!!
意識がハッキリしてくると ストレッチャーに乗り 若き看護師に移動をお願いすることが 無性に恥ずかしくなり、起き上がろうとすると「先生の許可がでるまでは、おとなしく寝ていてください」「私たちは これが仕事ですから 気にしないでください」とピシャリ。

異変があればすぐ来てください
「頭部打撲は 後で内出血する場合があります。吐き気や眩暈を感じたら 躊躇なく来院してください」と、12時過ぎに ストレッチャーから解放されました。

銀行へは 父の七回忌のお布施などの費用を下ろす予定でしたが 延期し タクシーで帰宅。

打撲の傷みが遅れて・・
帰宅後、腕が痛い・腰が痛い・尻が痛いと 打ち身したところの傷みが出ましたが、定期通院の整形外科から貰っていたシップを貼りまくりました。
大げさですが、「痛みも生きている証拠」と感じた昨日でした。

教訓
・普段と違う 検査結果がでたら 慎重に移動する
・かかりつけ医を持つことの 大切さ
・日中の移動は 水分補給をこまめに
・人体の疲労、故障とうまくつきあうこと

今も 行動が慎重になっています。
看護師さんを独占できるとの妄想は 健康だから言えることで、その立場になったら ただただ「ありがとう」
posted by 小だぬき at 04:19 | 神奈川 | Comment(6) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月15日

敗戦記憶日? 「終戦記念日」

 少年サンデー、マガジンの「ゼロ戦はやと」「紫電改のタカ」などを読み 「何の憎しみもないのに殺し合うのが戦争」「撃墜することは 一人を殺したことに・・」と 思い悩む主人公を通して「戦争」を見ていました。
成長するにつれ 父が高等小学校卒業後 海軍に志願入隊したことを聞き 戦記物を読んだ時に感じる違和感を 父に聞いて育ちました。

指導者目線と兵士目線
昭和40年代の戦記は 指揮者・幕僚が書いたものが多く 作戦そのものを美化し責任はない、米軍の物量に負けたのだとの論調が主流だったのです。
「神風攻撃隊」と「きけわだつみの声」をほぼ同時に読んだ時、人間を爆弾と一体化した10死0生の攻撃法。
しかも故障の多い 中古のゼロ戦、練習機「白菊」、複葉初等練習機「赤トンボ」などに爆弾をワイヤーで固定して 戦果を挙げるより「死ぬことを目的」にしたような 特別攻撃

指導層は「特攻隊員の愛国心が 戦後の礎になったと肯定」し、指導層は「後に続くとの約束を反故」にした上、戦後航空・海上自衛隊に大量に入隊して 航空幕僚の中心人物 源田実氏は空幕長から参議院議員にまでなっている。

なぜ特攻隊に拘るかというと 敗戦後の15日以後も出撃していること 父は18日 一式陸攻爆撃機の機銃手として一機6人の定員で 特攻待機中だったことです。

鹿児島県鹿屋基地での様子は 遺書にあるような 勇ましくも心優しい文面とは 違い、出撃前の荒れ方は見ていられなかったといっていました。

玉音放送を聞く前から 基地司令。飛行長、幕僚は 軍需物資を袋に詰め込み 基地から逃げ出していたそうです。
こんな指導層・命令者の 指名で 出撃していった若者たちは 軍の退廃を見たら どう思っただろうか??

父は
〇公式の遺書は 軍の検閲があり 心情を率直に表明したものではない。
〇人間は そう簡単に「死を受け容れられる」ものではない。
〇いつでも 指揮者は生き残り 犠牲になるのは 若者だということ

大正15年1月うまれだったから 敗戦時20歳。
アメリカの国威高揚ドラマを観ていた時 「アメリカは 人間に服を合わせるんだ、指揮官が前線にでていたんだ」とため息。
テレビ「コンバット」「頭上の敵機」をため息をつきながら観ていました。

現在の問題点
〇都市無差別爆撃や原爆投下で一般市民虐殺の 米軍の戦争犯罪を直視していない。
〇多くの戦場での死者の多くは 餓死・病死という悲惨なものであったこと。
〇「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓で 婦女子・子ども・老人まで 集団自殺を選択せざる得なかったこと。

なにか日本という国は 指導者目線での「愛国心、国のため」は強く叫ばれるが 国民の生命財産を守るという愛国心は蔑ろにされ続けているように思う。

指導者先導は 口だけで、多くは現場に負担を強いている。
コロナウィルスでの対応も 安倍首相・加藤厚労相のメッセージ、施策が伝わらない。
病院スタッフ、介護スタッフ、保健所スタッフへの援助体制もなく 疲弊させているのみ。


小学校勤務時 地震や火災の避難訓練の度に 実際の時「子供に死者がでたら 辞めるか 死しかないね」と現場では責任感と緊張感で働いています。

内閣。国会は 机上の空論・数値を 現場に下ろすだけとしか思えない対応から脱却し、率先垂範の健全な組織になって欲しいと強く感じます。

・特攻隊の教訓は 二度と死の強制があってはならない。
・指導層の責任を明確にして きちんと教訓として後世に残すこと。
・二度と指揮官の無能のための死者はだしてはならない。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(6) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

支配層のメンタリティの不思議

私が いまだわだかまりをもっているのは、 天皇制・国体さえ維持出来たら指導層は 鬼畜米英から親米に180度転換できたメンタリティが理解できないのです。

狂気の戦争に突入し「鬼畜米英」と国内を統一して 多くの国民の生命財産を犠牲にさせておいて 戦後一転して親米従属に180度国策を変えるには、国民に対する謝罪と責任をとることが必要だと思うのです。
未だになされていないと思うのです。

靖国参拝にしても「国のために犠牲になった御霊に感謝」という神経がわからないのです。
参拝する目的は「日本政府・帝国陸・海軍の国策の誤りから 犠牲にしてしまった御霊への謝罪と反省」ではないかと思うのです。

A級戦犯として裁かれた 岸信介氏が 60年「安保改定強行」時の 内閣総理大臣で 戦後一貫して 対米従属を推進しているのが自民党。
戦後政治の総決算というなら「鬼畜米英で戦った総括」「それを進めた官僚・政治家・経済人・元軍人」が 自民党に結集して保守党と自己規定しているのはおかしくはないのでしょうか??

1945年という年の総括をしっかりとしなければ 自民党は保守ではなく 「売国」「米傀儡」政権にすぎないといえないだろうか・・・。

親米政策に異論はありません。
ただ 憲法だけは「占領軍の押しつけ」とするには 無理はないでしょうか・・・
最近は 経済的利益のために「中国共産党」の支配する中国に すり寄り 「親中派」といれる人もいる。

日本の伝統文化を守るといいながら 自国の立ち位置がハッキリしない 安倍内閣。
なにか節操のない「国」が日本なのだろうか・・・。

posted by 小だぬき at 20:57 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月16日

「終戦記念」は未だに取っつきにくい 10代の頃から違和感

「終戦記念」は未だに取っつきにくい 10代の頃から違和感
2020/08/15 日刊ゲンダイ
井筒和幸 映画監督

 15日を日本は「終戦」記念日としているが、我らは10代の頃からその語にはずーっと違和感があるし、当時の国民が皆でちゃんと「終戦」を迎えるのはもっと後日のことだし、どうもピンとこないままだ。

 中学3年の夏休みに、三船敏郎が阿南陸相役で切腹し、どす黒い血の海の中で悶死する(白黒画面が余計に恐ろしく、二度と見たくなかった)、東宝の「日本のいちばん長い日」という映画で、前日14日(つまり今日)に政府の戦争指導者らと本土決戦クーデターを企む陸軍の“戦争やめるやめないの大騒動”を見たせいもあり、「終戦記念」というのはいまだにとっつきにくいのだ。

 本日14日は、閣議で指導者たちがすったもんだした末、天皇が「これ以上戦争は無理なのでポツダム宣言を受諾してよろしい」と決断し、政府が「受諾します」と連合国に通告した日だ。
天皇がその深夜に朗読し録音したレコード盤の声を、明けた15日の正午に、NHKラジオで日本は降伏しますと国民に伝えたのは伝えたが、それで戦いが完了したのではなく、戦争のすべてが終わるのはまだ先のことなのだ。

 広島に原爆が投下され、9日にソ連軍が満州国境から侵攻してきて、それで初めて、いよいよポツダム宣言に応じるしかないと決め、10日に天皇制護持だけ降伏条件に、受諾をアメリカに伝えたんだな。
連合国ではそれを聞くや、早々と勝利を祝う人々もいたとか。それが「終戦」の一報だったようだ。
日本国民はそんな交渉は誰も知らないのだから、哀れなもんだ。

 特攻で飛び立つ兵士もいたし、東北や九州、全国各地で空襲されて大勢が死んだ。
政府は連合国に受諾は伝えたものの、軍部に「国体はどうなる? 降伏後も天皇は身柄保証されないとダメだ」と詰められ、連合国の返答も曖昧なので、14日の御前会議で、もう無条件で降伏しますと改めて決め、世界に伝えたのが、「敗戦」までの戦争指導会議のドタバタ劇だ。

天皇の朗読を録音してる最中も、伊勢崎市や高崎、熊谷、小田原が空襲され、どこでも死者が出たのだ。
誰を恨めばいいのだろうかな。

 南方派遣軍に戦闘停止命令が出たのはもっと後で、8月末まで戦わされたし、大陸じゃソ連軍や中国軍と戦闘が終わらなかったんだから、これも哀れだ。

日本が降伏文書に調印するのは9月2日。
ここで初めて終戦協定が結ばれたので、日本人はこの調印の日を「降伏記念日」「敗戦記念日」と言っていたのだが……。  

あす、戦没者追悼式や平和集会がどんなふうに行われるのか知らないが、酷暑のウィズコロナでマスクはたまらんよ。
早いとこ、最強ワクチンを作って、コロナ勝利、いや、コロナ終戦記念日ができて欲しいもんだな。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

チョット息抜き??「通勤」

私は 川崎から川口への約1時間の電車通勤をしていました。
口の悪い者からは 「風俗地から風俗地」の移動だなどといわれたものですが、その度に「コンビナートから町工場」への移動と答えていました。

電車通勤の心得として 各停車駅のホームの状況把握は欠かせません。

体調の悪い時は
・停車駅のトイレ位置に近い車両・ドア。

事故停車にそなえては
・公衆電話の位置、キヨスクの場所の把握

普段は
・階段、エレベーター、エスカレーターの一番近い車両・ドア

それぞれに 乗る車両の選択も変わるのです。
そして 顔見知りになっている通勤客が どの駅で降りて 座れる可能性が増すか・・・ 。
通勤時から 意識しなくても「情報戦」が始まるのです。

定期券購入にしても 安い6ヶ月定期を買うべきか 3ヶ月・1ヶ月の組み合わせにするか。
座れる可能性の時間から 新聞か単行本か・・。

通勤客の会話の中から ヒントやネタ?? を貰うことも 多かったのです。

今では個人情報保護法でできませんが、現役の頃は 帰宅時 日記の添削・テストの採点は どの程度できるか・・、通信簿の下書きなども可能かなどで カバンの中身に違いがでていました。


リモート勤務が多くなり 勤務時間管理も自宅でするなどという 傾向があるということですが、私の現役の頃は 通勤の往復も 仕事の準備時間だったのです。

リモート勤務、自宅勤務の場合は 時間ではなく 仕事の内容が重視されなければなりません。
職場の団らん・会話の中で得られた刺激で 浮かぶアイデアや新しい着想が得られなくなるのですから、自宅勤務では「報告・連絡・相談」の回路だけは開けて 過ごし方の自由度を広げなければ いい仕事には繋がらないと思うのです。

よく自宅勤務の定時連絡を頻繁に求める企業があると聞きます。
そんなことに労力を使う位なら 感染対策を施した上 時差通勤で 出社させた方が 余程生産的だと思うのです。
自宅勤務を時間管理するのは適さないと思いますが、数量管理は出来ます。
総務、労務。 会計。 マネージメント調整などは 自宅勤務でも 数量管理は可能だと思います。
広告や芸術関連のクリエイティブな部門、営業・企画などは そもそも 自宅勤務が可能なのかは 検討される必要があると思います。

通勤から脱線しましたが 古い考えかたかもしれませんが 「対人接触、会話、衝突、和解」で 物事がより信頼関係の元に進むことが多いのではないでしょうか・・・。
景色や映画・観劇・読書、あるいはうたた寝でも 仕事のヒントは得られるものです。

コロナ感染が広がる中「新しい生活様式」などといわれますが、変えられない、変えてはならないものは確実にあると思うのです。 
posted by 小だぬき at 15:13 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月17日

終戦75年の靖國神社で思ったこと〜特攻隊員の思いに私たちは応えているか?

終戦75年の靖國神社で思ったこと〜特攻隊員の思いに私たちは応えているか?
8/15(土) YAHOO!ニュース
相澤冬樹 | 大阪日日新聞編集局長・記者(元NHK記者) 

 8月15日正午。東京・九段下、靖國神社。
玉音放送が流れ全国民が敗戦を知ってから75年となるその時。
体か溶けるかと思うような猛暑の中、何千何百の参拝者が訪れ、本殿参拝のため列を作っていた。
コロナ禍の中、きちんと間隔を空けながら。老若男女、様々な人がいる。

この日はすべての日本人にとって大切な日。
その日に靖國神社を訪れようという人がこれだけ大勢いる。
 参拝をし、記念撮影を済ませて帰る人もいるが、靖國神社には遊就館という資料館もある。
その館内も多くの人で混み合っていた。

いろいろな展示がある中で、私は次の2つに目をとめた。
 一つは沖縄戦で海軍の指揮官だった大田實海軍少将が自決前に本土に打電した有名な電文。
「沖縄県民斯く戦へり 県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」
 もう一つは、海軍報道班員だった山岡荘八の記事に描かれている特攻隊員の言葉。
彼はこう語ったという。
「学鷲(高等教育を経た航空隊員)は一応インテリです。
そう簡単に勝てるなどとは思っていません。
しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです。
…おわかりでしょう。
我々の生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。
そう、民族の誇りに…」
こう語った西田中尉は、それから間もない昭和20年(1945年)5月11日、500キロ爆弾とともに飛び立ち、帰らぬ人となった。

 私たち今を生きる日本人は、この人たちが命を賭けて託した思いに応える義務があるだろう。
「民族の誇り」に。
では、今の我が国は西田中尉の思いに応えているか?
 西田中尉は何と戦っていたのか?
 もちろん米軍だ。
特攻はすべて米軍の艦船をターゲットにしている。
当時の日本は中国ともイギリスとも戦っていたが、最強の敵はアメリカだった。
アメリカに対し、国威を賭けて戦っていた。
その大義に特攻隊員は殉じた。

では戦後どうなったか?
 西田中尉が語ったように「我々の生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっ」たのか?

 現代の我が国では、西田中尉にとっての敵軍、アメリカ軍が日本国土の各地に駐留し、「思いやり予算」の名の下に私たちの税金で駐留経費の一部を賄い、さらにはあろうことか「日米地位協定」の名の下に事実上の治外法権をほしいままにしている。
かつての敵軍に治外法権を許す、これを特攻隊員達が望んでいたのか?

 しかも、海軍司令官が「特別の御高配を」と願った沖縄に対しては、サンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復した後も米軍の施政権下に置いたままにして、事実上「人身御供」に出した。
沖縄返還後も全国の75%の米軍基地が沖縄に集中し、駐留米軍人は治外法権をいいことに、あたかも植民地の如く我が物顔に振る舞っている。
これが「民族の誇り」のために命を散らした特攻隊員の思いに応えることになるのか?

 そしてさらに私は赤木俊夫さんのことを考える。
公務員にあるまじき公文書の改ざんを上司に命じられ、反対したのに無理矢理やらされた、
財務省近畿財務局の職員。
「こんなことは公務員がしてはならないことです」と反対したのに聞き入れられなかった。
無理矢理やらされた後は、人事異動で自分だけその職場に残され、命じた上司らはみな転勤していなくなった。
「自分だけの責任にされる」とおびえ苦しみ、心の病が深まって、自ら命を絶った。

「これが財務官僚王国。最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」という悲痛な言葉を書き遺して。
 それで上司達はどうなったか?
 「赤木さんを食い物にして全員、異例の出世をした」と告発する文書が、妻の赤木雅子さんのもとに届いた。
そしてそこに書かれていた異動は事実だった。

 どこか特攻隊員の姿に似ていないか?
 特攻隊員を死地に送り出しておきながら、終戦時、責任をとって自決したのは神風特別攻撃隊の創始者、大西瀧治郎海軍中将ただ一人。
後は誰も何ら責任を負わず生き延びた上官達が多かった。

満州でも、開拓民達をほったらかしにして、一足先に逃げた関東軍幹部が多かったと聞いている。
これは卑怯者のすることだろう。

特攻隊員が殉じた「民族の誇り」から一番遠くにあることだ。
 特攻隊員の心情に思いを致すなら、まず米軍の治外法権は撤廃すべきだ。
そして赤木俊夫さんのことは、財務省ではなく、第三者の手できちんと再調査して真相を解明すべきだ。
それでこそ正義の国になる。

今のままでは「卑怯者と嘘つきの国」である。
これでは特攻隊員は浮かばれない。

 真実を愛する国であってほしいという願いを込めて、赤木俊夫さんの妻、雅子さんは私と共著『私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』を出した。
8月18日には国を訴えた裁判の法廷に立つ。
その後の記者会見には俊夫さんの遺影とともにこの本も持参するつもりだ。
             【執筆・相澤冬樹】
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病院送迎バス・・・

今日は 整形外科の主治医診察。

9時予約なので  余裕を取り 自宅を8時10分に出発、
普段は 約1.5qのクリニックに20分弱で着くのですが、暑さで慎重になったのか 30分かかってしまいました(歩数3210)。

クリニックに入ると エスカレーター側に「事故危険、よろしければエレベーターをお使いください」の張り紙。

ウッ、木曜日の私の転落の影響か・・、受付の女性にそれとなく聞くと「先週 転落事故があり、救急から 安全のためにエレベーターに誘導するようにと要請があった」とのこと・・。
今日は 図々しく「第二、第三の事故防止・注意喚起になったのだ」と居直り エレベーターに。

待合室で クーラーで涼んでいると 多くの待機者の中で 9時ジャストに「小だぬきさーん」。
主治医と対面すると
すぐ「ころんだんだって??」と・・
小「幸い 人工股関節が無事でほっとしました。」
主医「本当ですよ、外れたら即再手術だったんだよ、気をつけてね。痛みはない??」
小「痛みは出ていません(嘘)、臨時でいただいた 塗り薬の予備を頂ければ・・・」
主医「塗り薬でいいんだね。お大事にね」

!5分かけ 終了。

薬局では 「もう無くなりましたか??」
小「いや 次の通院日までの予備をもらいたいと・・」
薬「効きました? 」
小「冷ーっとするだけ 効いている気がします」

何か薬剤師と患者の漫才のような会話をしてしまいました。

川崎駅までの「送迎バス」を待っていると
後から来た人が並ばず 先頭に立ち 定員オーバー。

このこと2台、諦めのいい小だぬきが 黙って待つこと30分。
見かねたのか 案内の職員から「旦那さん、人がよすぎますよ。次は 先頭に立てるよう 私が乗車整理をしますから・・・」

3台めが来たとき 職員の方が「この方が先頭です。後ろに並んでください」と整理してくれて 無事乗車。

世間的には「人が好い」より「とろい」「バカ」になるんでしょうね。

川崎駅で法事の水戸駅までの 特急券が買えればいい程度の思いだったので 我先にの人の迫力に負けたのが原因。

その後、川崎駅地下商店街のクーラーを浴びながらのウィンドーショッピング。
南武線までの暑さに耐える「決意?」ができるまで。
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2020年08月18日

ネットで中傷する人が変わるには 依存症専門家が必要と説く「周囲の変化、心のつえ」

匿名の刃〜SNS暴力考
ネットで中傷する人が変わるには 依存症専門家が必要と説く「周囲の変化、心のつえ」
2020年8月17日 毎日新聞
野村房代/統合デジタル取材センター】

 SNS上の誹謗(ひぼう)中傷に加担してしまう人の心理とは、どんなものなのだろうか。
一部には「ネット依存」状態にある人もいるという。
ネット依存の人とその家族の相談に乗っている精神保健福祉士の八木真佐彦さん(56)は、「『罵詈雑言(ばりぞうごん)を書き込むなんてとんでもないやつだ』という視点だけでは、解決しないと思います」と語る。
【野村房代/統合デジタル取材センター】

ネット依存とは 昼夜逆転など日常生活に支障、つながっていないとイライラ、憂鬱  
――専門的見地から、どういう状態を「ネット依存」と判断するのでしょうか。  

◆SNSや(主にSNSで提供され、他のプレーヤーと協力したり競い合ったりする)ソーシャルゲームをするために睡眠時間が削られ、昼夜逆転になるなど学業や仕事といった日常生活に支障をきたしている状態です。
また、ネットにつながっていないとイライラしたり憂鬱になったりして感情の抑制が利きづらくなり、時にはネット上でも感情的なやり取りを繰り返してしまいます。  

――ネット依存の相談者は、どんな人なのでしょうか。  

◆2013年からゲーム依存を含めたネット依存の相談に乗っていますが、相談時間は当事者とその家族を合わせて月80時間を超えます。
 相談に来るのは中高生とその家族が6割ほどで、不登校や引きこもりになってから家族が駆け込んでくるケースが多い。
成人の当事者は2割に満たず、ネット上の課金サービスで借金が膨らむなどした結果、親族が持て余してようやく相談に来る、といったことが多くみられます。

「自己肯定感が低く、つらい現実から逃れる手段がネットしかない」
 ――当事者本人が相談しに来ることは少ないのですね。  

◆その通りです。
なぜかというと、周囲に「助けて」と言いにくい、孤立した環境で過ごしているからです。
ネット依存者には、次のような特徴がよく見られます。
親が高学歴だったり高い地位に就いていたりして、過度なプレッシャーにさらされている
▽モラルハラスメントやドメスティックバイオレンス(DV)が家庭内にあり、安心できる居場所がない
▽感覚過敏など発達障害の特性を周囲に正しく認識されず、常に否定されている――。
つまり、総じて自己肯定感が低く、つらい現実から逃れる手段がネットしかない、ということです。
 また、他の依存症と比べると、IQが高い人が多いと感じます。
偏差値70以上の高校に合格したのに親族に『バカ』などと言われ、褒められたことがない、という女の子もいました。
日本では、知的な遅れに対しての特別支援学級などはありますが、知能が高すぎる人への支援はほとんどない。
知能が高すぎることもまた、集団になじめず孤立する原因となります。
知能は高いけれども視野が狭かったり、人にだまされやすかったり、ということは珍しくありません。
ゲーム依存とネット依存の本質は同じ  

――ゲーム依存とネット依存の双方の相談に乗っているのはなぜですか?  

◆それは両者の本質が同じものだからです。
ゲームで勝って評価されることと、SNSでたくさんの『いいね!』をもらうことは、どちらも承認欲求を満たすものです。
またソーシャルゲームは、他者とのつながりを求めてやっている人が多いという点で、SNSと共通しています。
つまり、いずれも現実社会に安心できる居場所がない、肯定してもらえない人が、それらを求めて依存を深めているとみることができます。
 それなのに、ゲーム依存がメディアで近年よく取り上げられるのに対し、SNSなどのネット依存は注目度が低く、顕在化しにくいのが現状です。
ゲーム依存は扱っていても、ネット依存は対象にしていない医療者や相談機関が多い。
両者を分断することなく、統一的に対処法を考えるべきだと思います。

「誹謗中傷は同時に自分も傷つける。一方的に悪いというのは逆効果」  
――現実社会で生きづらく、ネットに居場所を求めているはずの人が、他者を傷つけるようなことを書き込んでしまうのはなぜなのでしょうか。  

◆誹謗中傷を書き込むことは同時に自分も傷つける行為なので、ある意味でリストカットと同じことなんです。
死にたい思いや自暴自棄になる気持ちを抱えていて、中傷を書き込むことでそうした思いが緩和され、精神の安定を保っている人もいます。
 攻撃する多数派に回り、「いいね」をもらうことで自己肯定感を感じることもあるでしょう。
ですから一方的にSNSが悪い、ゲームが悪いと言って、それらを取り上げるのは逆効果なんです。
必要なのは、ネット以外にも「心のつえ」を見つける「置換スキル」です。  

――具体的にどんな方法でしょうか。  

◆例えば、ジェットコースターに乗ったりラフティングを体験したりするといった、物理的な刺激を感じること。
大声を出したりドラムをたたいたり、やったことのない料理をしたりすることもその一つです。
ストレスとなる家庭や学校、会社とは関係のない場所に居場所を作り、人生を楽しむ複数の方法を見つけ出せると良いでしょう。

「環境を変えるだけで改善されることもある」  
――家族や周囲の人はどのように接すればいいのでしょうか。

◆家族を含めた環境を、安心して弱音を吐ける雰囲気に変えることが重要です。
時には本人に直接関わらなくても、環境を変えるだけで改善されることもあるくらいです。
アディクション(依存)の反対はコネクション(つながり)。
現実世界につながりが感じられないから、SNSやゲームの評価に過剰に依存する。自他ともに完璧を求めず、責めずに受け止めてくれる温かな環境づくりが大事なのです。

やぎ・まさひこ  1963年、神奈川県生まれ。
東北福祉大卒業。社会福祉士・精神保健福祉士。
2004年から法務省東京保護観察所で社会復帰調整官として約9年間、医療観察対象となった患者の支援に携わる。
13年からネット依存問題に取り組み、現在は「周愛荒川メンタルクリニック」(東京都荒川区)で当事者と家族の相談に乗っている。
共著に「ゲーム依存からわが子を守る本」(大和出版)。
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思い出した時は アウト!!

小だぬきは 最近 小さな字が読みにくい。
先週12日、うつ病発症以来 外していて 引っ越しのどさくさで紛失した 眼鏡の再購入を決意して眼鏡店へ。

もともと 視力というより「乱視」を重視した眼鏡だったので 10数年 視力的には困らないまま放置していました。
もっとも「鬱病」って 気力がわかず集中して何かに取り組むことが困難なので 目が疲れたら寝るではなく 起きられたら見る状態が長かったのです。

最近 やたらと小さい字が見えず 百均の老眼鏡でみていたのですが いつの間にか プラス0・5からブラス4・5に。
身体の最後の防衛ラインの目まで 悪くし失明でもしたら 年金=医療費・介護費になりかねない。

眼鏡店で約1時間の検査の上 購入。

検査結果の比較は 以前裸眼0・7→0・2
                          矯正視力1・2→0・7   
             乱視はより進行。

もう「温泉療法」で使い 無くなっているハズの「定額給付金」にブラスした値段でとの 変な計算で契約。
もういちど、支給があると きちんと計算が成立するので 安倍さん おねがい・・。

予想外の悲劇

22日引き渡しの「引き渡し書と領収書・検査票」が ウッカリミスで 白紙ボロボロに。
晴れの日、何を血迷ったのか バックを洗濯、おまけに陽にあて乾かしてしまってのです。

取り込んでから ふと あの書類はどうしたっけ?? と思い出した時、バックポケットにゴワゴワした紙発見。
慎重に剥がしていっても 白紙また白紙。
変わり果てた姿の 書類。 
洗濯の上 陽にあてたのですから インクと感光紙は踏ん張りきれず。

教訓
・何か急に普段と違うやる気が出た時こそ 慎重さを・・。
・いつ このような場合があるかもしれないので 全額前払いではなく 引き渡し払いにするのが賢明。
・出入りの店は 変えない。値段より 信頼。

 眼鏡屋さん 引渡し書がなくても 引き渡してね。
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2020年08月19日

ゆるりと生きる

香山リカのココロの万華鏡
ゆるりと生きる
2020年8月4日 毎日新聞 東京地方版

 難病にかかった人が医師に安楽死を依頼したとされる事件、そして有名な俳優が自ら命を絶つ事件と大変なニュースが続き、診察室で「生きる意味について考えてしまった」という話を相次いで聞いた。
「私は病気で仕事もできないし、世の中に役に立つこともできません。
こんな私の人生に価値なんてあるんでしょうか」
「ご自分の人生にまじめに取り組んでるんですね」などと言葉をはさみながら、まずはその人の話をじっくり聞く。

そういうときに決まって思い出すことがある。
 それは、漫画家・水木しげるさんの妻である武良布枝さんが書いたエッセー集「ゲゲゲの女房」のことだ。
この本を原作とするテレビドラマも大ヒットしたから、名前を聞いたことがある人も多いだろう。
 私が診察室で思い出すのは、本の内容のことではなく、表紙の下に巻かれる「帯」に書かれていた、水木さんの言葉だ。

そこにはこうある。  
<家内は、「生まれてきたから生きている」というような人間です。
それはそれでスゴイことだと水木サンは思う。>
 それ以上の説明はないので、この言葉の正確な意味はわからない。
おそらくは、妻のおおらかさやこだわりのなさを、夫なりにほめたのだろう。

 「生まれてきたから生きている」とは、それにしても強烈な言葉だ。
「なぜ生まれてきたんだろう」とか「私の人生にはどういう価値があるんだろう」などとあまり考えることなく、とにかく目の前の生活に一生懸命に取り組む。
先のことを心配しすぎずに、日々の楽しみを大切にする。

「ゲゲゲの女房」にはたしかに武良さんのそんなひたむきさや、くよくよしない一面が描かれており、だからこそテレビドラマも多くの人の共感を呼んだのだろう。

 もちろん、「生まれたからには人の役に立てる、意味のある人生を送りたい」と思う気持ちは大切で、そこから夢や目標も
生まれてくる。
 しかし、人生は思い通りにはいかない。いろいろなアクシデントもつきものだ。
そんな壁にぶち当たったときは、「生まれてきたから生きている、でいいじゃない」とつぶやいてみるのはどうだろう。

実は、私もときどきこの言葉をおまじないのように唱えている。
 たいていは一生懸命。
でもときには「これでいいじゃない」と、思い詰めるのをやめる。
そんなゆるりとした生き方はどうだろう。
             (精神科医)
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2020年08月20日

「ゆがんだ正義」の正体 「普通の人」が過激化する

小だぬき→今日 父の七回忌法要を水戸の菩提寺でおこなうため ブログ訪問を休止いたします。
訪問していただいた方には 失礼をおかけしますが、お許しください。
「ゆがんだ正義」の正体 「普通の人」が過激化する
2020年8月19日 毎日新聞 ・大治朋子(専門記者)

 コロナ禍で現れた「自粛警察」、ネット上で過熱する言葉の暴力。
「自分は絶対に正しい」と思い込むと人間の凶暴性が牙をむく。
他者を激しく攻撃する人々が抱える「ゆがんだ正義」の正体とは。

イスラエルの大学院で2年余り研究生活を送り、人間の攻撃性とその過激化を探究した。
 2013年春から4年余りエルサレム特派員を務めた。
暴力を肯定する人々を取材することも少なくなかった。
彼らは実際に会うと拍子抜けするほど「普通の人」だが、自分の正当性を語り始めると「正義の顔」へとゆがみ始める。

相手はモノ以下 攻撃行動正当化
 そのギャップの意味を改めて考えたのは研究生活に入ってからだ。
通っていた大学院の博士(心理学)がこう語った。

「テロリストの頭の中を考えるにはまず普通の人々の頭の中を考える必要がある。
そうすると状況さえ整えば大半の人がテロリストにもなりうることが分かる」。
人間には攻撃性があり、それはいかようにも過激化しうるという

 私は「普通の人の過激化」に関心を抱いた。
関連の文献を読み進め、攻撃性がいくつかの段階を経ながらエスカレートしていくことに気づいた。
 例えば米インディアナ州立大のマーク・ハム教授(犯罪学)らは、米国で1940〜16年にかけて起きた単独犯によるテロ、学校銃乱射などの無差別殺傷事件123件を調査した。
それによると実行犯は過激派組織に勧誘されたわけでもなく、自分で過激化(self−radicalization)していた。

その8割は日常の苦境をきっかけに「なぜ自分はこれほど苦しまなければならないのか」と疑問を抱き、答えを探す中で被害者意識を強め過激化していたという。
 こうした事件は一神教の熱狂的信者や政治的イデオロギーに凝り固まった人々が起こすものだと私たちは思い込みがちだが、彼らはもっと日常に根ざした問題から攻撃性を激化させているという。

 また、一旦過激化プロセスに入った人に表れやすくなると指摘されるのが攻撃欲求を抱く相手を人間以下のモノと見なす非人間化の認知だ。
 米心理学会元会長の心理学者、アルバート・バンデューラ氏らが、ベトナム戦争下で起きた現地住民虐殺事件をもとに75年に提唱した概念。
無差別殺傷事件の実行犯には必ずと言ってよいほどこの意識が存在するとされる。

 他者を人間以下の愚鈍なモノと見なすことで何をしてもよい、と自分の攻撃行動を正当化し、なおかつ自尊心を高めることができるという。
 背景にあるのはストレスや不安の解消欲求で、攻撃は問題のすり替え(心理学でいう「置き換え」)に過ぎない。

 日本では近年、個人(ローンウルフ)による無差別殺傷事件が相次いでいる。
身近なレベルでは、コロナ禍に伴う自粛警察やネット上での陰湿な中傷の過激化が目につく。
レベルこそ異なるが「自分は絶対に正しい」という思い込みが生み出す凶暴性や相手の人間性、人格を無視した激しい攻撃という点で通底する。

メカニズム解明 被害防止に必要
 ジャーナリストの伊藤詩織さんは性暴力被害をソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で中傷されたとして勇気を持って裁判に訴えたが、大半の人は匿名の壁などに阻まれ泣き寝入りするしかないのが現状だ。
 個人の過激化プロセスや攻撃性のメカニズムに関する研究が本格化したのはごく最近のことだ。

 70年代、心理学者らは、テロリズムや攻撃性の背景には反社会的人格障害や精神障害があり、ナルシシストやサイコパスが多いという仮説を立てた。
だが、因果関係は証明できなかった。

 次に世界の心理学者らが注目したのが社会経済的環境要因(貧困や教育など)だが、これらは誘因にはなりえても直接的な原因にはならないとの見方が有力だ。
同じ社会経済的環境にいても過激化する人としない人がいるからだ。

 大渕憲一・東北大名誉教授は、その論文「無差別テロの心理分析」で「テロ事件を起こす人は特殊な思想信条の持ち主、あるいは偏った性格・異常な心的状態にある人であるとの特異心理仮説に基づく研究が中心だった」と指摘。
しかし近年は、ローンウルフ型の犯罪の増加などを背景に「誰もが状況によっては過激主義に陥り、テロ事件に関与するようになりうるのではないかという一般心理仮説に基づく分析が主流になりつつある」と述べている。

 歴史の浅い研究分野だが、私はこの過激化プロセスと自己過激化メカニズムを探究し「歪(ゆが)んだ正義『普通の人』がなぜ過激化するのか」(毎日新聞出版)を出版した。

 「攻撃者」を訴追し裁くだけでは新たな被害を防ぐことはできない。
「ゆがんだ正義」がもたらす過激化メカニズムの解明が喫緊の課題である。
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2020年08月21日

ネトウヨよ、そのエネルギーを他のことに向ければいいのに

ラサール石井 東憤西笑
ネトウヨよ、そのエネルギーを他のことに向ければいいのに
2020/08/20 日刊ゲンダイ

 私はツイッターでもたまに発言している。
 いつもは他の人の呟きにリツイート(以下RT)して書くことが多い。
これはただでさえ制限された字数の中で真意を伝えるため、前提状況の説明を省けるからなのだが、先日こんなことがあった。

 いつもお互いにRTしたりされたりしている人がこう呟いていた。
「どうしてこんなに糞リプが来るんだ? また誰かリツイートしたろ? ラサールか?」
「いやいやしてませんけど(笑い)」と思ったが考えた。

 たしかに私がツイートすると、ネトウヨと呼ばれる人たちがわらわらとイナゴのように飛んできては罵詈雑言を浴びせてくる。
それは本当に酷くて、私などは一切相手にしないのだが、それでも私に来ている分には私だけの問題で済む。
 しかしツイッターの構造上、RTするとその人にも同じように糞リプが飛んでいってしまうのだ。そうか。分かってはいたがそんなにすごいことなのか。

「またラサールか」と愚痴られるぐらいなのだから。これは反省した。
 まあ、事ほどさように、私への口撃は聞きしに勝るものがある。
そもそも彼らはその大嫌いな私をフォローしているのが不思議だ。
12万人フォロワーがいるが、6万ぐらいはアンチかもしれない。
なんだファンなのかよと思う。ずっとウオッチしていて何か呟けば反射的にリプしてくる。
どれだけヒマなのか。

 言ったことの反論ならまだマシだ。
ただもう関係なく脊髄反射のように悪口を書く。
それもできるだけ神経を逆なでし、心をズタズタにする表現ができるように日々切磋琢磨してくれている。
そのエネルギーを何か他に向けたらいいのにと心配になる。

 ある女性の記事を読んだ。
彼女はある女優さんにもう10年粘着している。
最初はただリプ欄の悪口を見て同意していただけだった。
しかしある日、勇気を出して批判リプを飛ばしてみたら、あろうことか彼女自身から反論がきたのだ。
 そこからは毎日が彼女との闘いだ。
ひたすら攻撃した。
しかしそのことで削られる時間はかなりのもの。

先生になるのが夢で勉強しているがその時間がなくなる。
もうやめよう、勉強しようと思っても、彼女が何を言っているのか気になる。
読めば気持ちが収まり、悪口を書けばスッとする。
自分でも分かっている、これはある種の依存症だ。
病気だ。しかしやめられない。

 こんな人が一体何人いるのだろう。
人間なんて実際会ってみたらいいヤツだったなんてことの方が多い。
顔も名前も知らない人間がいがみ合うなんて、こんな非生産的なことはない。

 有名人を叩き、社会から抹殺して、いっちょ上がりとほくそ笑む。
そんなゲームのような感情は、実際に会ってみれば起きないものだが。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月22日

激しいバッシングに自粛警察。コロナ禍に露呈した日本の「同調圧力」とは

激しいバッシングに自粛警察。コロナ禍に露呈した日本の「同調圧力」とは
8/21(金) mi-molleto(ミモレ)

コロナという未知のウイルスへの恐怖、一人ひとりに責任がのしかかった自粛要請。
高い緊張状態は夏になった今もなお続き、日々の不安は尽きることはありません。
ウイルスそのものはもちろん、コロナ禍の「他人の目」が気になるという人も少なくないはずです。
普通の暮らしすら萎縮させてしまう自粛警察による圧力、熾烈化するバッシングなど、コロナの二次被害ともいえる現象はなぜ生まれてしまうのでしょうか。
作家の鴻上尚史さんと、世間学などを専門とする学者の佐藤直樹さんの共著『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』によれば、日本独自の「同調圧力」が原因だと言います。
未曾有のコロナ禍、冷静さを取り戻すための一助となる本書から、対談の一部を特別に抜粋してご紹介します。(本文中敬称略)

鴻上
 2020年の前半はコロナ禍によってさまざまな風景が現れました。
「自粛警察」「マスク警察」といった言葉に代表される、監視や排除の心情、あるいは差別と偏見。
そうしたものが一気に炙り出されたと思います。
なかでも、より分かりやすいかたちで可視化されたのが、日本社会の同調圧力だったのではないでしょうか。
コロナが怖い、確かにその通りなのですが、それ以上に、何かを強いられることが、そして異論が許されない状況にあることが、何よりも怖い。

佐藤
 もちろんどこの国も極限状態にありますから、それなりに同調圧力はあると思います。
けれども程度のひどさという点で、日本は突出している。
海外ではコロナ禍にあっても、ロックダウン反対などの大規模なデモがくりかえされるわけです。
堂々と国の方針に逆らい、異論をぶつける人も少なくない。
日本はどうでしょう。
「ルールを守れ」「非常時だから自粛しろ」といった多数の声、つまりは同調圧力によって、異論が封じられています。
感染者のプライバシーまで暴かれる始末です。

鴻上 
日本では欧米のような「命令」も「ロックダウン」もありませんでした。
市民に対しては「外出自粛」、商店や企業に対しては「休業要請」です。
ある意味、ゆるい。ゆるいけれども、多くの人びとはそれに従い、従わない者が白眼視されていきます。
「空気を読め」といった感覚に支配されています。

佐藤
 海外、特に欧米は厳しい対応をしました。
外出禁止命令を出し、マスクの着用も義務付け、違反に対してそれなりの罰則を設けた国も少なくない。
法を整備し、ルールをつくり、罰則も定め、しかし、同時に補償も用意するわけです。
命令と補償がセットになっています。
しかも、政治指導者がそれなりに国民に語りかけ、納得を得ようと努力した。

鴻上
 政治指導者には指導者としての「言葉」がありましたね。
演劇の演出家から見ると、自分の言葉で話しているという説得力がありました。
しかし日本の場合は……。

佐藤
 日本は強制力もなければ補償も明確でない「緊急事態宣言」です。
「自粛」と「要請」ばかりで、海外からも「ゆるすぎる」といった批判がありました。
でも、日本ではこれで充分なんです。
罰則がなくとも、人びとは羊のように大人しいし、従順にこれを受け入れる。

鴻上 
 「要請」ですから、最終的に政府は責任をとらなくてもよいわけです。
イギリスでも当初、政府は劇場の休業を「要請」したんです。
でも、イギリスの演劇人たちは、それでは補償の対象にならないから、はっきりと閉鎖の命令を出してほしいと声を上げました。
これに対し日本は責任を国民に押しつけるシステムです。

佐藤
 しかし、それが意外とうまく機能してしまう。
それを「民度」が高いと考える人もいるのかもしれませんが、実際は、「周囲の目の圧力」、つまりは同調圧力がきわめて強いからですよ。
強制力のない「自粛」や「要請」であっても、それを過剰に忖度し、自主規制する。
まわりが「自粛」し「要請」に従っている場合、それに反することをすれば、「空気読め」という圧力がかけられます。
圧力は人びとの行動を抑制するだけでなく、結果として差別や異質な者の排除にも発展していく。

鴻上
 コロナに感染しただけで何か凶悪事件でも起こしたかのように責められますからね。
社会の中に感染者を差別、排除しようとする強い空気を感じます。
そこには病者への気遣いも同情も見えない。
ウイルスは人を選ばないのだから、誰であっても感染する恐れはありますよね。
本来、頭を下げて謝るようなことではないと思います。

佐藤 
  僕は最近ずっと、加害者家族に対する「バッシング問題」を考えています。
日本では、殺人などの重大犯罪が犯された場合、加害者の家族がひどい差別やバッシングを受けます。
これは、コロナ感染者に対する差別やバッシングと非常によく似ていると思いました。
日本人の間に「犯罪加害者とその家族は同罪」といった意識が浸透しているからです。
加害者家族に対するバッシングとまったく同質の問題が、いま、コロナ禍をきっかけに大挙して噴き出てきたわけです。
感染者やその家族に向けられた差別やバッシングというかたちで。感染者が悪くもないのに謝罪するのも、そうした圧力があるからですね。

鴻上
 感染者の女性がカラオケに行っただの、バーベキューに参加しただの、真偽不明の情報が出回って、バッシングされました。
これまた「親の顔が見てみたい」とまで口にする人がいました。
もう、謝罪するまで許さないという状況が生まれたわけです。
実際、感染してしまった著名人、たとえばニュースキャスターも芸能人も野球選手も、みんな頭を下げました。
「申し訳ない」と。

佐藤
 「世間」の感情が許しませんからね。
迷惑をかけられたと思っているんですよ。
みんな家庭で「他人に迷惑をかけない人間になれ」と言われて育っているんです。
だから他人から迷惑を受けるということについてものすごく過敏なところがある。
それが「世間」のあり方ですから。
日本では、あたかも病気=悪であるかのように、感染者が犯罪者のようにみなされてしまう。
責任があるとは到底思えないのに、感染者やその家族は「世間」への謝罪を強いられるんですね。

鴻上
 自分が迷惑をかけちゃいけないと教えられてきたから、同時に他人の迷惑に対してすごく敏感になる。

佐藤 
  たとえば芸能人が感染したとしても、テレビで見ているだけの人にとっては何も関係がない。
なのに謝罪を求めますよね。
それはね、やはり、自分が迷惑をかけられたと思っているからですよ。
何というか、それまで信じていた芸能人のイメージみたいなものが崩れて、その感情が反転し裏切られたと思って、それがバッシングにつながっていく。

鴻上
 何でこんなに「他人に迷惑をかけるな」という言葉が呪文になったんでしょうね。
だいたい、日本ってコロナどころか普通に風邪ひいて会社を休んだだけでも謝るじゃないですか。
それどころか、バカンスをとっても謝る。
なんて息苦しい社会なんだと思いますね。

息苦しさはあなたに責任があるのではない
佐藤
 すごく興味深い本がありました。
社会学者の岡檀(おか・まゆみ)さんが書いた『生き心地の良い町』(講談社)。
岡さんは日本で最も自殺率の低い徳島県旧海部町(現・海陽町)でフィールドワークをおこない、他の地域にはない「自殺予防因子」を探るんです。
なぜ、この町では自殺者が少ないのか、岡さんはその理由をこう示しています。
まず、人や考え方の多様性が認められていたこと。
どんな人がいてもいい、いるべきだ、といった考え方が町に浸透している。
次に、人物本位主義が生きていること。
職業上の地位、家柄、学歴ではなく、人柄を見て判断するのだという考え方が重んじられている。
そして町民の間に社会参加の意識があること。
もうひとつ、町民がゆるやかにつながっていること。
けっして濃厚で窮屈なつながりではなく、個人と個人が息苦しくならない距離感を保ちながら、連携しているんですね。
これらは、「世間のルール」はあっても、きわめてゆるいものであることを示していると思います。

鴻上
 それは地域の伝統なんですか?

佐藤
 岡さんの推測ですが、材木の集積地として古くからたくさんの他者を受け入れてきたために、地縁血縁が薄い共同体になったのではないかと。
そのなかで相互扶助に力点を置いた“やさしい世間”が歴史的に継承されてきたのではないかと思います。

鴻上
 “失敗の許されない世間”が、その町では育たなかったということですね。

佐藤
 そうなのかもしれません。
つまり、「世間のルール」というものを少しずつゆるめていけば、おそらく自殺も減っていくんじゃないかと思うんです。
だから僕としては、そうした生き方のほうが楽ですよ、ということを訴えたいんです。

鴻上
 そうですよね。
世界は簡単には変わらない。
世間や同調圧力を一気に消し去る特効薬があるわけでもない。
ただ、「楽かもしれない」道を模索することは大事だと思います。

佐藤 
  つまり、息苦しさを与えている「敵」の正体を知るということです。

鴻上
 息苦しさの正体は、あなたを苦しませているものの正体は、まさに世間であり、同調圧力。
それを知ることで、少なくとも自分自身に責任がないことは理解できると思います。
(構成/金澤英恵)


『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』
著者:鴻上尚史、佐藤直樹 講談社 840円(税別)
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2020年08月23日

これは「新党」結成ではなく「旧民主党の復活」にすぎない

ここがおかしい 小林節が斬る!
これは「新党」結成ではなく「旧民主党の復活」にすぎない
2020/08/22  日刊ゲンダイ

 解散・総選挙の噂が立ってから、旧民主党の政治家たちによる再集合の駆け引きが激しくなってきた。
しかし、有権者にとって、この光景には既視感があり、「またか」とウンザリされていることに気付けないほど当の議員たちは合併騒ぎに熱中している。

 思えば、かつての民主党は、政権を取る前の公約などはなから無視して、重要な政策上の論点についてまるで学生のような論争を繰り返しながら分裂していった。
 それが、3年前の「希望の党」騒ぎでは、当時の民進党は、いったん「全会一致」で希望の党への合流を決めた。
その時の彼らの「これで小池都知事の人気にあやかって『議員』で居続けられる」と安堵した表情を覚えている人は多いはずだ。
その時、彼らが熱心であったはずの政策論争は消えてしまっていた。

 ところが、小池党首の「(政策の違いにより)排除します」との発言で事態は一変してしまった。
「排除される」と思った議員たちが、「判官びいき」の(弱者に味方する)民意に訴える形で立憲民主党を旗揚げして全滅は免れた。
その際にはまた「政策の違い」が強調された。

 しかし、その後の今日に至る彼らの離合集散を見ても明らかなように、彼らはいずれも、自分が「議員」であり続けられるならば「政策」も「党名」もどうにでも変えられる者たちだということである。
つまり、議員でいることだけが目的の「商売政治屋」である。

 今回も、あれだけ政策が違うと競い合っていた2党を中心に、旧民主党の議員たちが、立憲民主党の人気(?)と国民民主党のお金に期待して、とにかく再結集しようとしている。
 しかも、これで「新党」だとか「政権奪還」などと本気で言っているとしたら、私は彼らの頭を疑ってしまう。
もう血迷って自分たちの姿が見えないのではなかろうか。

 権力の私物化が白日の下にさらされてしまった上に、未曽有のコロナ禍に対して政治の責任を果たしていない安倍政権に、国民は明らかに倦んでいる。
しかし、だからといって、かつて政権運営に失敗して、今、商売野党に堕して役立たずの旧民主党にも期待のしようがない。これでは国民が不幸である。
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2020年08月24日

「自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にする 歪んだ正義

「自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にする 歪んだ正義
8/23(日) 毎日新聞【編集委員(専門記者)・大治朋子】

◇不安から「正義」を振りかざす
 「なんでこの時期に東京から来るのですか? 知事がテレビで言ってるでしょうが!! 知ってるのかよ!!」
「さっさと帰ってください。皆の迷惑になります」
 東京都内在住の男性が青森市の実家に帰省するとそんな内容の手書きのビラが玄関先に置かれていたという。
男性は帰省までに自主的に新型コロナウイルスへの感染を調べるPCR検査を2度受けいずれも陰性だった。
帰省後もできるだけ自宅で過ごしていたという。

 大渕憲一・東北大学名誉教授(社会心理学)によると、新型コロナウイルスで顕在化した人間の攻撃性の一つに「制裁・報復」感情や「同一性」(自尊心)を動機とするタイプがある。
政府から自宅待機の要請が出ている時に外出している人やマスクをしないで歩いている人を激しく非難する――そんな「自粛警察」がこれに当てはまるという。

 「社会秩序や規則順守といった『正義』を振りかざして人を攻撃することは自尊心を満たし、周りの人たちから賛同が得られれば承認欲求も満たされる」(大渕名誉教授)。

「規則を守る人」と「守らない人」、「絶対的に正しい自分(たち)=善」(内集団)と「絶対的に間違った他者=悪」(外集団)に社会を二分して上から目線で懲らしめる行為で、通常なら「やり過ぎ」との自制心も働くがコロナ禍という非常事態においては「(内集団から)理解や承認を得られるはずだ」という思い込みから抑制が利かなくなりがちだという。

「自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にするのだ。  

◇いじめ、虐待、紛争による抑圧。受けた暴力を他者に向ける
 私はイスラエルの大学院で「普通の人の攻撃性」について研究した。
専門家から話を聞いたり文献を読んだり、また計8年余りにわたるエルサレム、ワシントン特派員としての取材経験も踏まえたりして攻撃性がエスカレートしていく過程を五つのステップに集約し過激化プロセスとして図式化した。
 しかし大半の人はそもそもそれほど攻撃性を激化させることはない。となるとエスカレートしてしまう人とそうはならない人の違いはどこにあるのか。

 カギを握る視点の一つを先日、毎日新聞の取材を受けた人が言及していた。
インターネット上で他者を激しく誹謗(ひぼう)中傷した経験があるというこの男性は以前、自身もいじめを受けた経験があると語っていた。
 2008年6月に東京・秋葉原でトラックを暴走させ7人を殺害、10人に重軽傷を負わせた加藤智大死刑囚は裁判で、母親による虐待を明かした。
「九九が言えないと風呂に沈められ、食事が遅いとチラシにぶちまけられたご飯を床の上で食べさせられた」
「(学校に提出する絵や作文は)いつも直されて自分の作品じゃなかった。
進路も小学校低学年の時から母に北海道大工学部と決められていた」
 彼はこうした経験が自分の攻撃性にどのような影響を及ぼしたかについて、獄中から出版した著書「東拘永夜抄」(批評社)で自己分析している。

「学校では、私がクラスメイトを『しつけ』しました。
世界は加藤家によって支配されているのであり、母親が『将軍様』なら私は『小役人』で、クラスメイトらは『市民』です。間違ったことをしているクラスメイトらに対して、私は、殴り、ひっかき、蹴とばし、物を投げ、睨(にら)みつけ、怒鳴り、知っている限りの暴言を吐いて『しつけ』しました。
母親から教わった通りに、です」

 私は研究生活を通じて、いじめや虐待、紛争による抑圧などでトラウマ(心的外傷)を負った人がその後自らも攻撃者となり家族や不特定多数、敵対する相手などにその攻撃性を向ける傾向があるとする調査や論文を多数目にした。
 例えば1974年から2000年にかけて米国の学校で起きた41件の銃乱射事件を調査した米教育省と米シークレットサービスの報告書によると、実行犯の大半が学校でいじめられた経験があった。
99年に起きたあの悪名高い米コロンバイン高校銃乱射事件の実行犯の高校生2人も学校で壮絶ないじめを受けていた。

◇ストレスへの脆弱性
 いじめや虐待、抑圧を受けると人間は攻撃性を強めるというデータを示す研究論文は確かに多数存在する。
しかしだからといってそうした経験を持つすべての人が暴力的になるわけではない。
自分が受けたような痛みや傷を他者に与えないように自らを律する人も少なくない。

だからこそ攻撃性をエスカレートさせる人とさせない人の違いを知りたい。
 それはこれまでの記者生活でずっと頭の隅に押しやったままの疑問でもあった。
記者という仕事は暴力に関する取材が少なくない。
いじめ、虐待、ドメスティックバイオレンス(DV)、殺人、無差別殺傷事件、テロ――。
 そうした事件を取材するたびに攻撃者の生い立ちや経済的な環境、移民として差別されていたかどうかなどを「背景」として書き続けてきた。
しかしこれらの要素が彼らの攻撃性をどうエスカレートさせたのかについては科学的データがあるわけでもなく知る由もなかった。

兄弟姉妹のように同じ家庭、学校、地区に育ってもその一部だけが攻撃的になることは少なくない。
環境からのアプローチだけでこの原因を探るのは到底不可能だった。
 この長年の宿題を少しでも消化したいという思いもあり、私は留学を1年延長してヘルツェリア学際研究所(IDCヘルツェリア)を拠点とする研究を続けながらテルアビブ大学の「危機&トラウマ(Crisis & Trauma)」プログラムにも参加した。

生命の危機に遭遇するなどして起きるトラウマ(心的外傷)の実態やトラウマを受けた人への介入策を学ぶものだった。
 ユダヤ人はホロコーストが始まるずっと前から欧州の各国政府や役人はもちろん、一般市民(キリスト教徒)からも差別を受けてきた。
経済の悪化や疫病などで社会不安が広がるたびにキリスト教徒らは「少数派」であるユダヤ教徒に一方的な「正義」を振りかざして暴力を振るったり、資産を収奪したりした。

大学院のプログラムもまさに、「普通の市民」がいかに過激化し、自分たちと「違う人」を差別したり暴力的に扱ったりするかというメカニズムの一端を探る内容だった。
 トラウマを専門とするある博士(心理学)は講義の中でストレスやトラウマに対する人間の弱さ(脆弱<ぜいじゃく>性)について説明した。
「トラウマを受けてもそれが大きな傷(PTSD=心的外傷後ストレス障害)となって長期間残る人もいれば徐々に回復する人もいる。
その違いを生み出す要素の約3割は遺伝子レベルの問題だとするデータもある」
 博士の言葉にアメリカ人のある女性研究者が「3割もですか」と驚きの声を上げた。

トラウマが残りやすいかどうかは遺伝子の影響が否定できないという。
 他にも民族性などの社会的要因や親との愛着関係など個人的な要因が耐性に影響を及ぼすという。
博士によると、特に幼少期に虐待やいじめを受けた人は一定の種類のストレスに対する脆弱性が確認されている。
 また社会的要因の一つである民族性に関しては、日本人は「一般に不安を感じやすく、ネガティブなことに非常に反応しやすい特徴を持つ」(大渕名誉教授)ことで知られる。  

◇攻撃で心身のバランスを図る
 しかし繰り返しになるが虐待やいじめを受けた人であってもそのすべてが攻撃的になるわけではない。
私の周囲でもそうした過酷な経験を持つ人はむしろ他者を助けたり寛容であろうとしたりしているようにさえ見える。

 積年の疑問に行き詰まりながら大学教授らに勧められた論文を読み進めていた時、いくつかの重要な視座を得た。
その一つが、世界的に有名なギリシャ・アテネ大学のジョージ・クルーソス名誉教授(小児科)が2009年に提唱した「ホメオスタシス(平衡維持力)」の概念だ。
人間には無意識的に心身の均衡を保とうとするバランス機能があるという。
そしてもう一つ大きなヒントを与えてくれたのが行動科学で世界的に著名な米国人のステバン・ホブフォル博士が1989年に発表した「資源(リソース)の保存」という論文だ。

 両者がまとめた複数の研究論文から得られたことを簡略にまとめれば、ストレスなどがかかって心身のバランスがマイナスに大きく傾きそうになると人間は自分を支えるための資源をつかもうとする。
まさに溺れる者はわらをもつかむ、である。
そしてある時は本質的に役立つ資源(新たな人間関係や周囲の支援など)をつかむことができるが、見せかけの「資源」や有害なものをつかんでしまう時もある。

 具体例を見てみたい。
米国を代表する心理学者の一人でカリフォルニア大学バークリー校の名誉教授だったリチャード・ラザラスらは人間のストレス対処法にはおおむね2種類あるとした。
そのひとつは感情を一時的に和らげようとするアプローチ(emotion-focused)だ。
これには音楽を聴いたり運動をしたりする行為が当てはまるが、やけ食いや過度の飲酒、薬物乱用、過剰な買い物、そして他者への攻撃行動も含まれる。
もうひとつはストレスのもとになっている問題そのものの解決に向けて対処する(problem-solving-focused)方法だ。

 両者をバランス良くできれば最善だろうが、往々にして私たちは不健全な回避的行動ばかりを繰り返し本質的な対処を怠ることが少なくない。
特に「正義」に基づく他者への攻撃行動は自尊心を高め、ストレスや不安を一時的に解消できることから快楽をもたらしやすく依存性が高い。
 人によってはこのストレス解消アプローチに強い傾向やクセがあり、一部の人は負荷がかかると攻撃性を極端にエスカレートさせることで心身のバランスを図る。
ここに攻撃性を激化させてしまう人とそうはならない人の道を分ける要素の一つが潜んでいる。

 日本ではコロナ禍に伴うストレスを背景に、ごく一部のこうした「正義」の攻撃者たちがネット上のコミュニティーなど介して共鳴し合い過激化の波を目立たせている傾向にある。  

◇為政者も「正義」を悪用
 為政者もそうした波を利用する。
自己の利益にかなうと見れば市民が掲げる「正義」を称賛し、たきつける。
あるいは政治や経済の不調から市民の目をそらすために「正義」を振りかざし、ストレスや不安を抱える大衆に「敵」や少数民族などへの攻撃をけしかける。
ナチス・ドイツを率いたヒトラーはその典型だ。

 「正義」の顔をした攻撃はより多くの大衆を巻き込む可能性があり極めて危うい。
イスラエル・パレスチナの取材ではちょっとしたきっかけで双方の市民間で「正義」の衝突が始まり、これ幸いとそれぞれの指導者たちが利己的な目的でその波をあおって多数の人々が死傷する陰惨な状況を何度も目の当たりにした。
暴力の応酬は社会現象のように見られがちだが、扇動者が小さな発火をあおって大火に見せかけていることも少なくない。  

いじめや虐待、紛争に伴う抑圧などさまざまな日常の体験が人の心にトラウマを与え、傷を残す。
それがストレスへの耐性を弱めることもある。
心身のバランスを維持するために自分を支えるより多くの資源が必要になるが、本質的な問題解決につながる資源をつかむのは容易ではない。
ましてや「正義」を掲げる攻撃者は他者を見下すことで自分を支えているので周囲の支援を得にくく暴走しやすい。
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2020年08月25日

新学期の子ども体力低下!? コロナ×猛暑で「家にいた」

新学期の子ども体力低下!? コロナ×猛暑で「家にいた」
2020年8月24日 FNNプライムオンライン

24日から、東京都内の多くの学校で新学期が始まった。
ところが、学校が始まって、子どもたちの「思わぬけが」が増えている。

24日、東京で新たに確認された感染者は95人。
7月8日以来、47日ぶりに100人を下回った。
こうした中、政府は新型コロナウイルス対策分科会の中に、感染者や家族などへの誹謗(ひぼう)中傷に対するワーキンググループを立ち上げたと発表。
西村経済再生相「来週にも第1回会合を開催するため、調整中であることをご報告させていただく」

一方、都内の多くの学校で、通常よりも早く新学期がスタートした。
学習の遅れを取り戻すため、この学校では初日から早速授業が行われ、給食の時間には、生徒数の多いクラスでは密を避けるため、担任の先生だけが廊下で食事をとる姿も。
再び始まった、withコロナの学校生活。
当の子どもたちは、コロナ禍と猛暑の中で、夏休みをどう過ごしたのか。

小学5年生「(夏休みどこかに行った?)いや、家にずーっといました」
小学4年生「(夏休みどこかに行った?)ほぼ、おうちにいました。暑かったから、あまり外に出たくなかったです」
実は、こうしてステイホームを続けてきた子どもたちに懸念されているのが、深刻な体力低下。

臨時休校が明けた6月には、それが顕著に表れたという。
体育教師「スポーツテストをしたら、数値が去年よりガクッと落ちていて。50メートル走も、去年の子たちに比べたら、全然伸びていなかった」
品川区立荏原平塚学園・米塚裕貴校長「ケンケンで片足で跳んでて、バランスを崩してけがしたり、けがが、やっぱり多かったようですね」
埼玉県では実際、軽い運動中に大けがをしたケースが。
高校1年の宮内麻菜美さん(16)。
学校が始まってすぐ、左足首のじん帯を損傷した。
宮内麻菜美さん「バスケのウオーミングアップでダッシュがあるんですが、それをしている時につまずいてしまって、足をけがしてしまいました。
普段けがしないので、ショックというか、衝撃が大きかったです」

臨時休校中の宮内さんは、運動らしい運動をほとんどしない生活を送っていたという。
宮内さん「ずっと家にいました。毎日動画がアップされて、毎日動画見て勉強するというのが続いていました」

急増する子どものけがについて、現場の医師は...。
林整形外科・林承弘院長「自粛期間長かったので、体力的に落ちたりとか。運動機能が一時的に低下したりとか、ちょっとしたことでけがしたり、あるいは故障を起こしたり。そういった患者さんが増えている」

一度低下した体力を戻すのは、簡単ではない。
小学3年生の川上敦史君(9)。
7月、少年野球の練習中に、右足首を剥離骨折した。
川上敦史くん「野球のスライディングで、けがした。こうなった。痛かった」
父・昌司さん(43)「久しぶりにやったらけがをした、という感じではないんですね」
けがをしたのは、野球の練習再開後、1カ月がたったころ。

林整形外科・林承弘院長「基本的な動作っていうのは、自粛生活で少し落ちたんじゃないかなと。戻ってなかったと思うんだよね、機能が」

夏休みが明けて、各地で始まる学校生活。
林整形外科・林院長「子どもたちには、けがとか予防、少なくとも少しでも減らす可能性が出てきますし、ラジオ体操でもいいし、意識して毎日少しずつやるということが大事ですよね」
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2020年08月26日

「たいしたことない」

香山リカのココロの万華鏡
「たいしたことない」
2020年8月25日 毎日新聞都区内版

 総理大臣が検査のために病院を受診したことが、テレビや新聞で大きく報道されていた。
検査を受けるだけでニュースになってしまうのだから、地位のある人はたいへんだ。
 「その点、あなたは自分が医者だから、何かあったらつとめ先の病院で診てもらえていいね」と言われることがある。
でも、私は自分がいる病院にはなるべくかからないようにしている。
たとえばおなかが痛くて同僚の医者に診てもらったとしても、つい「たいしたことはないのですが」と平気なふりをしてしまうからだ。

 先日、じんましんが出て皮膚科を受診した。あえてまったく知らない病院に行った。
待合室では大勢の患者さんが診察を待っており、私を含めて座れない人もいた。
看護師さんがときどき待合室に来て、立っている人には「だいじょうぶですか」と声をかけていた。
私は、条件反射のように「平気です」と笑顔で答えた。

 しばらくして順番が来て、診察室に呼び入れられた。
自分よりずっと若いドクターに「どうしましたか」ときかれると、ここでもつい「それほどたいしたことではないのですが」と言ってしまった。
同業者の前では弱音を吐きたくない、というのが身にしみついてしまっているのかもしれない。
 その医師は「じんましんとはたいへんでしたね」と必要な薬などを出してくれたからよかったが、「たいしたことないなら治療もいらないですね」となったら、何のために受診したかもわからない。

 私の場合、「たいしたことない」は強がりから来ているが、まわりの人に心配をかけたくないと思って、「たいしたことない」と言ってしまう人もいるのではないか。
そういえば私のマンションの管理人さんも、「忙しそうですね」「疲れるでしょう」と何をきいても「いえ、たいしたことは……」と答える。
 「たいしたことない」は、強がりだけではなくて、気づかいや思いやりの言葉でもあるのだ。だからこそ、相手からその言葉を聞いたら、「それはよかった」と言う前に、「本当ですか? 無理はいけませんよ」と声をかけることにしたい。

 そして、自分でもつらいことがあるのに「たいしたことない」を連発するのはやめて、正直に「疲れた」「実はしんどくて」と言うようにできたらもっといい、と思う。
私も自分が受診するときは、今度こそ「先生、体調が悪いんです」と正直に話せるようにしたいものだ。
             (精神科医)
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コロナの時代 つながりの再構築 「お互いさま」を広げたい

コロナの時代 つながりの再構築 「お互いさま」を広げたい
2020年8月25日 毎日新聞「社説」

 手を洗えば新型コロナウイルスに感染する確率は下がる。
でも、心の中にひそんでいて、流れていかないものがある。
それは人から人に伝わっていく「恐怖」だ。

 日本赤十字社がユーチューブにアップした動画にある言葉だ。
恐怖が広がれば「人と人が傷つけあい、分断が始まる」と訴える。
 新型コロナは他者への差別や偏見を生み、社会に亀裂をもたらしている。
感染した人や家族を非難する声は収まらない。
自分の「正義」を振りかざし、マスクをしない人をとがめる「マスク警察」の現象は今も続く。
 背景に浮かぶのは、感染への不安ばかりではない。

 「ステイホーム」や「ソーシャルディスタンス」で他者とのつながりが希薄になった。
個人が次第に孤立していったことが分断に拍車をかけている。

社会のゆがみあらわに
 大阪大などの研究者による国内外の意識調査は興味深い。
各国400〜500人を対象に行われ、「感染するのは本人が悪い」と答えた日本人は3〜4月時点で約11%に上った。
1〜2%台にとどまる米国、英国、イタリアと比べ突出して高い。

 一人一人が感染を広げない自覚を持つべきだという考えは大事だ。
だが、個人が孤立を深める中、その意識が過剰になれば、他者を責める声が大きくなる。
 こうした状況は社会がコロナ禍の前から抱えていたゆがみの表れでもある。

 たとえば経済的に恵まれない人を「自己責任論」で切り捨てる風潮だ。
それは他者に対する配慮や連帯とは対極にある。
LGBTなど性的少数者を排除する価値観も根強い。

 分断に歯止めをかけるには、政治の指導者がどんなメッセージを発するかが重要だ。
しかし、安倍晋三首相をはじめ、国民の心に響く発言はほとんど聞かれない。
 そうした中でも、連帯を模索する人たちは少なくない。

 北九州市のNPO法人「抱樸(ほうぼく)」は大規模なクラウドファンディングを行った。
仕事や住む場所を失い「ステイホーム」さえできなかったり、住所がなくて10万円の特別定額給付金を受け取れなかったりする人を支援するためだ。
 人と接しなくても自宅からできる支援を「フロムホーム」と名付け、寄付を呼びかけた。
3カ月で目標額を大きく超える約1億1500万円が集まった。

 社会が危機に直面すると、分断の一方で、誰かのために何かをしようという結束が生まれる。
 医療従事者や、ゴミ収集を担う人をねぎらう声が湧き起こったり、街の飲食店やミニシアターを支える動きが広がったりしたのも、その表れだろう。

 コロナの時代に求められるのは、この思いを継続させ、人と人とのつながりを再構築していくことである。

分断乗り越えて連帯を
 横浜市に注目すべき取り組みがある。
市民団体や行政、企業、大学が一緒に立ち上げたインターネットのプラットフォーム「#おたがいハマ」だ。
 経験やアイデアを共有し、オンライン会議で対話を重ねてイベントなどを企画する。
コロナ禍で市民活動の停滞が心配されていたが、これまで交流することのなかった人がネットで出会い、新たな連携のきっかけになっている。

 その一つがガーゼマスクを手作りして販売するプロジェクトだ。
主婦や障害者が自宅で縫製する。
登録した地域の商店に卸し、店頭に並べられる。
 商店はコロナ禍の減収を販売利益で補える。

主婦らには作業の謝礼として、売り上げの一部で購入された地元の食料品などが届く。
食品ロスの削減にもつながる。
まさにお互いさまである。

 このネットワークはコロナの収束後にも役立つはずだ。
「#おたがいハマ」をつくった一人、杉浦裕樹さんは「地域への関心が高まり、人を思いやる共生社会へ進む希望を感じる」と言う。

 コロナ禍を経験した私たちは他者の支えなくしては生きられないことを思い知った。
今年ベストセラーになったカミュの小説「ペスト」も、人々が感染症との闘いで知った友情や愛情を記憶に刻み続けることの大切さを伝える。

 自分本位ではなく、「利他」の思いをどれだけ広げられるか。
時代が移っても、その問いかけの重さが変わることはない。
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2020年08月27日

都医師会長が政権に三行半「国に頼るのは諦める」の衝撃

都医師会長が政権に三行半「国に頼るのは諦める」の衝撃
2020/08/26 日刊ゲンダイ

 新型コロナウイルスの「第2波」に国民不安が高まる中、医療界の重鎮が安倍政権に三行半を突きつけた。
東京都医師会の尾崎治夫会長が「国に頼るのは諦める」と宣言。
公然と反旗を翻す異常事態だ。
批判の的となった安倍首相は歴代最長政権を手にしたものの、体調不安説の拡散も重なって求心力が急低下。
28日に予定される会見であれやこれやの懸念払拭を狙うようだが、もはや絶体絶命なんじゃないか。  
 ◇  ◇  ◇
 都医師会の上部組織である日本医師会は、自民党とベッタリの強力な支援団体。
にもかかわらず、尾崎会長は政府のコロナ対応をたびたび批判してきた。
先月末の会見では「国の無策の中、感染者が増えるのは我慢できない」
「コロナに夏休みはありません。一刻も早く国会を開いて国ができることを示して国民を安心させて下さい」と発言。

拡充しない検査体制に業を煮やし、都内のPCRセンター設置も主導した。
その尾崎会長の24日のフェイスブックへの書き込みは、とにかく強烈だ。

〈国は動く気配がありません。
安倍首相の健康問題を取り上げ国会を開くことには、さらに消極的になったような気がします〉と書き出し、〈コロナ危機を考えると首相代行を立ててでも厚労大臣やコロナ担当大臣が協力すれば、法改正の議論はできるはずなので、是非、国会を開いてほしい〉とアベ抜きの臨時国会召集を要望。

一方、インフルエンザ流行期に備えて〈現行法の中でできる対策を考え、都民のために頑張ることに重点をおこうと思います。
国に頼ることは、もう諦めようと思います〉と、都医師会は独自路線を歩むとした。

安倍首相は会見で「重病」「退陣」払拭狙い
 尾崎会長の指摘の通りで、安倍首相の健康不安が国政を一層停滞させているのは疑いようがない。
慶大病院に2週連続で通い、「時短勤務」を続行中だ。
時事通信の「首相動静」によると、25日は14日ぶりに午前中に官邸入りしたが、執務は計154分。
閣議出席後は「空白の4時間」を過ごしていた。

持病の潰瘍性大腸炎の悪化で顆粒球吸着除去療法(GCAP)を受けてフラフラだとか、亡父と同じ膵臓がんに罹患した、大腸がんを患っているとの情報も飛び交う。
麻生財務相に臨時代理を託し、休養に入るシナリオも既定路線化しつつあるが、28日に会見を開いてコロナ対策を打ち出し、退陣説を打ち消すつもりだという。

「24日に報道陣から検査結果を問われた総理は、〈またお話しさせていただきたい〉と言ったきり。
野党からも国会説明を求められている。
会見で多少でも話せば、世論の不安を払拭し、野党の要求もかわせるとの算段で会見セットに動いているようです」(与党関係者)

 歴代最長、最悪政権の悪あがきにはほとほとウンザリだ。
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2020年08月28日

平和が続く日本で高まる「敵地攻撃論」の想像以上の危うさ

平和が続く日本で高まる「敵地攻撃論」の想像以上の危うさ
2020.8.27 ダイヤモンドオンライン
田岡俊次:軍事ジャーナリスト

 8月15日の全国戦没者追悼式で天皇陛下は「終戦以来75年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき誠に感慨深いものがあります」と述べられた。
 第2次世界大戦以後の75年間、世界各地で戦争、内乱、軍のクーデターなどが絶えず、ほとんどの国が戦争をしてきたことを思えば、日本が平和を維持してきたのは例外的で慶賀すべきことだ。

 だが一方でそのために、戦争を現実に起こり得るものとして、具体的に考える能力を欠き戦争の危険を軽視する「楽観的防衛論」が台頭する要因にもなっている。

戦後75年間、平和を謳歌 直接戦闘を回避できてきた日本
 米国は1950年に始まった朝鮮戦争以後、戦争をしなかった年はまれだ。
アジア、中南米、中東・北アフリカ、バルカン半島に出兵して戦い続け、その同盟国、友好国も協調出兵を迫られた。
 朝鮮戦争では米軍、韓国軍側を支援して英、仏、カナダ、豪州など15カ国も参戦、北朝鮮軍、中国軍と激戦し、ソ連も技術者、教官などを派遣した。
米国の占領下にあった日本からは海上保安庁の掃海艇が米軍の上陸地点で機雷除去を行い、1隻が爆沈した。

 ベトナム戦争では1964年から本格的に南ベトナムに出兵した米軍側に韓国、豪州、タイ、フィリピン、ニュージーランド軍が加わり、北ベトナム側には中国、ソ連は対空部隊や多数の技術者などを送り込んだ。
 1991年の湾岸戦争では米軍主体の多国籍軍に英、仏、伊、カナダやエジプト、シリアなど14カ国軍が加わり、他にソ連を含む18カ国が多国籍軍への非戦闘支援を行い、日本も停戦後にペルシャ湾に掃海艇を派遣した。

 2001年に米、英が行ったアフガニスタン攻撃は長期のゲリラ戦となり、米軍主導の国際治安維持部隊(ISAF)には北大西洋条約機構(NATO)の28カ国の他に、非加盟国のスウェーデン、フィンランドなど15カ国も加わった。
日本は補給艦、護衛艦を派遣、8年間米国などの艦艇に給油を行った。
 2003年に始まったイラク戦争では米、英、豪、ポーランド軍が侵攻したが、その後の治安維持に42カ国が参加。
日本も陸上自衛隊約600人、C130輸送機を出し、学校、道路の補修や医療支援を行い、輸送機は米兵の輸送も行った。

 補給や占領地での民衆の懐柔も戦争で重要な要素だから日本もその一端を担ったが、直接の戦闘は辛うじて避けられたから、日本は「75年間平和を保った」と言うこともできなくはない。

陸上国境、人種や宗教対立なく 一方で「楽天的な防衛論」
 世界で大多数の国が近隣諸国との武力紛争や独立戦争、内戦、海外派兵などで、多数の死傷者、難民を出し、経済、財政に重大な損失を招いてきた中、日本がほぼ3世代戦禍を免れてきたのは、いくつかの要因が考えられる。

(1)島国で陸上国境がないため紛争が起こりにくいこと
(2)世界的制海権を持つ米国に占領され、その同盟国となったため他の国の侵攻を受けにくいこと
(3)人種、宗教間の対立が少ないこと
(4)憲法による規制があり、第2次世界大戦での惨敗、それを招いた軍の横暴の経験から、国民に戦争、軍事問題に対する忌避感が強かったこと――などだ。

 日本が平和を謳歌し繁栄したのは結構この上ないが、その結果、戦争はめったに起きないように感じ、戦争の危険を軽視した楽天的な防衛論が台頭することは寒心に堪えない。
 その一つは北朝鮮の弾道ミサイルの脅威に対処するため、敵のミサイル基地を攻撃する能力を持つべきだとする「敵基地攻撃論」だ。

「敵地攻撃論」の非合理 ミサイル「発射」の把握困難
 敵ミサイル基地攻撃を唱える人々の主張には、軍事知識や戦争の現実についての認識の「欠落」がある。
 小銃射撃や砲撃でも、攻撃をするには目標の位置を知ることが不可欠であるのは自明のことだが、敵基地攻撃を唱える人々は「どのようにして相手のミサイルを探知するのか」を考えていない様子だ。

 偵察衛星は地球をほぼ南北方向に約90分で周回する。
地球は東西方向に自転するからおよそ1日に1回、世界各地の上空を高度200キロ程度、時速約2万9000キロで通過する。  カメラの首振り機能を生かしても北朝鮮を撮影できるのは1日に数分でしかない。
夜間や雲がある場合には光学カメラは使えないから、精密レーダー衛星があるが、解像度は劣る。
 偵察衛星は飛行場や造船所など、固定目標を撮影するには有効だが、移動目標を探知し、監視するにはほとんど役に立たないのだ。

 米軍は光学カメラを搭載した光学衛星5機、レーダー衛星7機(他に実験中の小型衛星5機)を持つ。
日本は光学衛星2機、レーダー衛星5機を持つが、故障しているものもあり、実質的には計5機と思われる。
 常時監視をしようとすれば偵察衛星が数分置きに1地点上空を通るよう、百数十機を上げておく必要がある。
「静止衛星で見張れるのではないか」と言う人も少なくないが、それも不可能だ。
 静止衛星は地球の直径の3倍に近い高度約3万6000キロで赤道上空を周回する。
この高度だと衛星の速度と地球の自転の速度が釣り合って、地球から見て止まっているように見える。
だから電波の中継などには活用されるが、この距離からはミサイルのような小さい物体を撮影することは不可能だ。

 弾道ミサイル発射の際に出る大量の赤外線は探知できるから、「発射」の第一報を出し、ミサイル防衛(迎撃)には有効だが、敵基地攻撃の役には立たないのだ。

ミサイルの「破壊」も難しい
移動式や即時発射能力向上
 北朝鮮の弾道ミサイルは移動発射機に搭載し、北部の山岳地帯などのトンネルに隠され、燃料を注入したまま待機できる「貯蔵可能液体燃料」を使用、新しい物はさらに即時発射が可能で、移動も楽な固体燃料になってきている。
 これはトンネルから出てきて、ミサイルを立て、発射まで15分程との推定もあるから、ジェットエンジン付きの大型グライダーのような「グローバル・ホーク」など無人偵察機を北朝鮮上空で常に旋回させてもトンネルから出て来たところを攻撃することも困難になっている。
 しかも北朝鮮は、旧ソ連製の「S200」や国産の「ボンゲ(稲妻)5」など高度3万メートルに達する対空ミサイルを持っているから、偵察機が上空で旋回していれば撃墜される公算が大きい。

 隠れている弾道ミサイルを発見、破壊するのは米軍にも容易ではない。
 1991年の湾岸戦争ではイラク軍の「アル・フセイン」(スカッド改)弾道ミサイルに対し、米軍は1日平均64機を「スカッド・ハント」に投入、発射地域の上空で監視、攻撃させたが、イラクは停戦の2日前までイスラエルや米軍基地にミサイル発射を続けた。
 停戦後に米軍が調べると、空軍機が破壊したと報告したのは、実はカラのミサイル発射機やトラックなどだったことが分かった。
 発射前に破壊できたのは、夜間に特殊部隊を運んでいたヘリコプターが偶然ミサイル発射の火柱を目撃、そちらに向かってみると、もう一発が発射準備中だったため、ヘリコプターのドアからの機銃射撃で壊した例だけだった。
 その後、約30年間で対地攻撃用の精密レーダーや赤外線探知装置の性能は進歩したが、他方で弾道ミサイルの機動性や即時発射能力も飛躍的に向上したから、その破壊は容易ではない。

 日頃の偵察衛星の画像や通信傍受で弾道ミサイルの展開地域は分かっても、攻撃するには精密な地点の緯度、経度のデータが必要だ。
 特に山腹のトンネルに隠されると、出入り口は分かってもダミーも多いし、トンネルが地下でどちらに曲がったり、枝分かれしたりしているかは分からない。
地中貫通用の大型爆弾でも数十メートルの深さにしか届かないから、山の上空から攻撃するのは困難だ。

 敵基地攻撃を唱える人々は、北朝鮮の「テポドン」の発射のテレビ映像などを見て、それをミサイル基地だと思っている人も少なくないようだ。
「テポドン」は高さ65メートルもある巨大な櫓の側で、何週間もかけて組み立てられ、北朝鮮はその発射を事前に公表している。
 2012年12月と16年2月の2回、人工衛星と称する物体を周回軌道に乗せることに成功したが、衛星は故障したのか電波は出ていない。
「弾道ミサイルと人工衛星打ち上げ用のロケットは技術的には同じ」と言われることが多いが、これは「大型旅客機と戦闘機は基本的には同じ」と言うような粗雑な論だ。

 1957年にソ連が初の人工衛星を打ち上げ、翌年に米国もそれに続いて競い合った時代には、双方とも軍用のミサイルを転用した。
だがそれ以来60年以上の歳月に、弾道ミサイルと人工衛星用ミサイルは別の方向に進化した。
 弾道ミサイルはたて穴に入れるか、潜水艦や車両に積んで移動するからなるべく小型にすることが望ましく、即時発射機能が必要だ。
米国の主力ICBM「ミニットマン」は固体燃料を使い全長18メートル、重量35トンになった。
 一方、人工衛星は大型の反射望遠鏡やレーダー、送信機など多くの電子装備を搭載、寿命を長くするため大量の姿勢制御用燃料も積みたいからどんどん大型化し、「スペース・シャトル」は2000トンを超す大型となった。

人工衛星を打ち上げる場合は、即時発射の必要はないから推力の強い液体燃料が使われた。
「テポドン」のように全長が10階建てのビル並みの30メートル、重さは80トンもあり、移動も即時発射もできないものは、戦時では簡単に破壊されるから弾道ミサイルの適性を欠く。
現実にいまは人工衛星の打ち上げに使用されている。

日米韓の連携どこまで 北朝鮮への抑止効果は疑問
 米軍、韓国軍との密接な情報交換で、移動発射のミサイルが山腹のトンネルなどから出て来た位置をつかんで攻撃できるようなことを言う自衛隊幹部もいる。
 だが、もし米、韓国軍がその情報を得れば、1分1秒を争うからただちに自分が攻撃するはずだ。
日本に教えて手柄を譲ることはないだろう。
 また自衛隊が巡航ミサイルによる攻撃を朝鮮半島で行う場合には、味方討ちや誤爆を避けるために米韓合同司令本部の許可が必要だ。
韓国軍がそれを歓迎することも考えにくい。

 また敵基地攻撃を唱える人々は「外国がいままさに日本に向けてミサイルを発射しようとしている際には、それを攻撃するのは自衛権の行使に当たる」と言う。
 法的にはそれにも一理はあるが、仮にミサイルの発射準備が行われていることを知っても、それが日本に向けて発射されるのか、単なる日常の訓練か、海に向かって試射するのか、他の国を狙うのかは、まず分からない。

日本がミサイル攻撃を受けた後に、平壌などの固定目標に巡航ミサイルを発射するなら可能だが、核ミサイル攻撃の能力を持つ相手に、火薬弾頭の巡航ミサイルなどで対抗するのは破壊力が段違い。
大砲に対して弓矢で立ち向かうようで抑止効果は無きに等しい。

購入予定だった「SM3」48発は イージス艦搭載が効果的
 いまの日本のミサイル防衛は、弾道ミサイルに対して、イージス艦の「SM3」ミサイルや航空自衛隊の「ペトリオットPAC3」で迎撃する体制だが、完全な防衛とはならず、突破される公算が大だ。
 それでも飛来する弾道ミサイルの一部でも阻止できればその分だけ被害が減じるという、せめてもの効果は期待できる。
ただ現状はミサイル防衛は実は形だけのものと言わざるを得ない。

 近く8隻になるイージス艦は、各艦の垂直発射機に90発ないし、96発のミサイルが入り、対航空機用ミサイル16発、対潜水艦ミサイル16発を積んでも、「SM3」ミサイルを58発ないし64発収納できる。
 だが1発約40億円もするから、各艦はそれぞれ8発ずつしか積んでいない。
北朝鮮は核付き弾道ミサイルを約20発、火薬弾頭付きは約200発持つと推定されている。
 相手が核付きと火薬弾頭付きの弾道ミサイルを交ぜて発射してくれば、日本のイージス艦は最初の8発だけに対処すれば、「任務終了、帰港します」とならざるを得ない。

 短射程の「ペトリオットPAC3」も同様で、34両の移動式の発射機には各16発を積めるが4発しか搭載していない。
「イージス・アショア」は、イージス艦と「PAC3」の体制に加えて、秋田と山口の2カ所に配備する計画だった。
 費用は米国への支払いが4614億円、その「SM3」ミサイルが48発で約1900億円、日本側の用地買収、施設建設を含むと7000億円以上かかるとみられていた。
 その計画は中断されたが、ミサイル48発だけは買い、交代で日本海などに出動して警戒配置につく2隻のイージス艦に24発ずつ追加搭載させれば、1隻で計32発を積むことになり、ミサイル防衛能力は一気に4倍になる。

具体的に考える能力欠如 法律整備に傾いてきた議論
 以上のことを考えれば、イージス・アショア計画を中断したから、代わりに全く役に立たない「敵基地攻撃能力」を保有しようとするのは、非合理なことが明らかだ。
 日本人は幸い75年も平和の中に暮らし、軍事問題から目を背けてきたため、戦争を現実に起こり得るものとして、具体的に考える能力を欠いている。

 しかも憲法問題があったから、防衛政策の論議は、憲法の規定との整合性や専守防衛の解釈などに偏ることになり、軍事知識を必要としない法律論に傾いてきた。
 これは、あたかも企業が新事業に乗り出すか否かを役員会で討議する際、技術的な難点や市場、資金、採算などを論じるよりも、会社の定款に合致するかどうかを議論するような格好だ。

 だがこうした防衛に関する現実感の欠如は、防衛の専門家と思われている人や自衛隊の幹部にも見受けられる。
 防衛庁はテポドン登場当初には詳細が分からないから「弾道ミサイル実験」と称し、いまもそれを変えずにいる。
 だから防衛政策に関与する国防族のなかからも、北朝鮮の西海衛星発射場の映像を見て「ミサイル基地を攻撃して潰せる」との甘い考えを抱く議員も出るのではないか。

 西海発射場は米国のケネディ宇宙センターの廉価版のような施設だから、それを叩いても相手のミサイル戦力を奪えるわけではない。
 航空自衛隊は対地攻撃の訓練を三沢の射爆場で行っているが、定まった位置にはっきり見える標的を設置して行うから、どこに隠されているか不明確な目標を探して攻撃する困難さの実感がなく、攻撃兵器さえ充実すればミサイル陣地を破壊できるように感じているようだ。

 海上自衛隊も護衛艦、潜水艦から発射する巡航ミサイルを欲しがるが、相手の移動式ミサイル発射機がトンネルから出て来てごく短時間で発射するなら、こちらが洋上から巡航ミサイルを発射しても間に合わない。
 このため「巡航ミサイルは北朝鮮のミサイルに対しては役立たないとしても、中国軍の基地などの固定目標攻撃に効果がある」との説も出る。

 だが尖閣諸島を巡って戦争が起きれば、仮に一時的に日本が優勢になったとしても「尖閣戦争」でおさまらず、真珠湾攻撃で日米戦争が始まったのと同様、日中全面戦争の第一幕となる公算が大きいことを考えておかねばなるまい。
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2020年08月29日

安倍首相が辞任を表明「国民の負託に応えられない」

安倍首相が辞任を表明「国民の負託に応えられない」
2020年8月28日 東京新聞

 安倍晋三首相は28日夕、首相官邸で会見を開き、「総理大臣の職を辞することといたします」と辞任する意向を述べた。持病の悪化で職務の継続が困難になったといい、「国民の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にありつづけるべきでない」と理由を語った。

 首相は、潰瘍性大腸炎の持病があり、会見で「6月の定期健診で再発の兆候がみられる」と指摘されたと説明。
薬を使いながら職務にあたってきたが7月中ごろから体調に異変が生じ、8月上旬には再発が確認されたという。
 新しい薬も投与を受け始め、継続的な治療が必要な状況と明かした上で、「病気と治療を抱え、体力が万全でない苦痛の中、大切な政治判断を誤る、結果を出せないことがあってはならない」と語った。

 新型コロナウイルスの感染者数が減少傾向に転じ、今後の対策を取りまとめることができたことから、「新体制に移行するならこのタイミングしかない、と判断した」と強調した。
 2012年12月の第2次内閣発足から約7年8カ月、改憲や北朝鮮による日本人拉致問題の解決に道筋を付けられないまま退陣となった。
「拉致問題をこの手で解決できなかったことは痛恨の極み」と話した。
「ロシアとの平和条約、憲法改正、志半ばで職を去るのは断腸の思いだ」と述べた。

 13年前、突然辞職することになった第1次政権に続いて任期途中で、コロナ禍の中での辞任に、「国民のみなさまに心よりおわびを申し上げる」と謝罪した。
 後任については、「私が申し上げることではない」と述べるにとどめた。
次の衆院選には「1議員として臨む」として、政界引退は考えていないことを明らかにした。

 首相は東京・信濃町の慶応大病院で半年に1回程度のペースで人間ドックを受けており、直近では6月13日に受診。さらに今月17日には同病院で約7時間半にわたって「日帰り検診」を受け、24日に再び受診した。
両日とも「検査」と説明していたが、異例の2週連続の通院で、体調不良との臆測が広がっていた。
首相は第1次安倍政権時の2007年9月、持病の潰瘍性大腸炎の悪化を理由に退陣していた。
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安倍政権が7年8カ月で「成し遂げた」のは国家と社会の破壊

安倍政権が7年8カ月で「成し遂げた」のは国家と社会の破壊
2020/08/29 日刊ゲンダイ
適菜収 作家

 安倍晋三の首相連続在職日数が24日で2799日となり憲政史上最長となった。
 安倍は「政治においては、何日間在職したかでなく、何を成し遂げたかが問われるんだろうと思うが、この7年8カ月、国民の皆さまにお約束した政策を実行するため、結果を出すために一日一日、その積み重ねの上にきょうの日を迎えることができたんだろうと考えている」とコメント。

 え?  どこのパラレルワールドの住人か知らないが、成し遂げたのは社会の破壊くらいだし、国民との約束を守らなかったことが現在問題になっているのにね。
 自民党は2017年に党則をねじ曲げ総裁任期を「連続3期9年」に延長したが、二階俊博も甘利明も麻生太郎も安倍4選に言及。永久に安倍を担ぐ算段だったのかもしれない。
しかし、現実世界ではそれは無理。

 8月17日、東京・信濃町の慶応大病院を安倍は訪れ、約7時間半滞在。同24日にも再び病院を訪問した。
安倍周辺は「前回の続き」と説明したが、持病の潰瘍性大腸炎が悪化したという説や、検察の捜査(公職選挙法違反)から逃れるための入院の準備といった説も流れた。
 こうした中、SNSでは「さっさと死ね」といった類いの意見が散見されたが、乱暴なことは言ってはいけない。
病気になったのは安倍の責任ではない。
それに今、死んだら逃げ得だ。
一連の「安倍晋三事件」の追及がうやむやになる可能性もある。

 安倍が7年8カ月で日本に与えたダメージは凄まじい。
北方領土をロシアに献上し、アメリカからはガラクタの武器を買い、拉致問題を放置。
国のかたちを変えてしまう移民政策を嘘とデマで押し通し、森友事件における財務省の公文書改ざんをはじめ、防衛省の日報隠蔽、厚生労働省のデータ捏造などで国家の信用を地に落とした。
 安倍は、水道事業の民営化や放送局の外資規制の撤廃をもくろみ、「桜を見る会」には悪徳マルチ商法の会長や反社会勢力のメンバー、半グレ組織のトップらを招いていた。

 この悪党を支えてきたのがカルトや政商、「保守」を自称するいかがわしい言論人だった。
 今、安倍がやるべきなのは無理をせずにしっかりと体調を整え、わが国で何が発生したのか、この先の検証に協力することだ。
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2020年08月30日

モリカケ、桜…「疑惑にふたして逃げるのか」「うやむやのまま」追及の関係者憤り

モリカケ、桜…「疑惑にふたして逃げるのか」「うやむやのまま」追及の関係者憤り
8/28(金)  毎日新聞

安倍晋三首相を巡っては、学校法人「森友学園」(大阪市)と「加計学園」(岡山市)、「桜を見る会」などの疑惑が浮上してきた。
説明が尽くされたとは言いがたく、辞任で真相究明がさらに遠のく恐れがある。
問題を追及してきた関係者からは、「疑惑にふたをしたまま逃げるのか」などと怒りや戸惑いの声が上がった。

 森友問題は2017年に公になった。大阪府豊中市の国有地が約8億円値引きされて学園に売却され、学園が開校を予定していた小学校の名誉校長に、安倍首相の妻昭恵氏が一時就任していたため国会が紛糾。安倍首相が「私や妻が(売却に)関係していれば首相も国会議員も辞める」と発言する一幕もあった。
その後、売却に関する決裁文書を財務省主導で改ざんする不正も判明した。
改ざんに加担させられたことを苦に、近畿財務局職員だった赤木俊夫さん(当時54歳)が18年3月に自ら命を絶った。

 問題発覚のきっかけとなる訴訟を起こした木村真・豊中市議は「真相究明に背を向けたまま辞任するのは許されない」と憤った。
訴訟では、値引きの根拠などを開示しなかった国の対応を違法とした判決が確定している。
木村市議は「値引きの経緯に首相が関わっていると疑念を持たざるを得ない」と述べた。
亡くなった赤木さんの妻雅子さん(49)は代理人を通じ、「次の首相には夫がなぜ自死に追い込まれたのか、公正中立な調査をしてほしい」とのコメントを出した。

 森友問題に続いて明るみに出た疑惑が、加計学園が18年4月に愛媛県今治市に開学した岡山理科大獣医学部を巡る便宜供与だ。
学園の理事長は、安倍首相の親友である加計孝太郎氏。
首相秘書官が獣医学部新設を「首相案件」と述べたり、安倍首相が加計氏に「新しい獣医大学の考えはいいね」と伝えたりしたとされる記述が愛媛県の文書に残っていた。
 この問題を追及してきた市民団体「今治加計獣医学部問題を考える会」の黒川敦彦共同代表(41)は「(疑惑が)うやむやになったままだ。総理でなくなると注目度が下がり、忘れ去られる恐れもある」と指摘した。

 19年には、首相主催の桜を見る会がクローズアップされ、安倍首相の後援会関係者が多数招待されていたことが批判を浴びた。
この問題で安倍首相を背任容疑で告発した神戸学院大の上脇博之教授は「辞任しても疑惑の説明責任は消えるわけではない。安倍さん自身がきちんと説明すべきだ」と述べた。
 【千脇康平、松本紫帆、木島諒子、南茂芽育】
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2020年08月31日

何もかも行き詰まった安倍首相 辞意と病気の全真相

何もかも行き詰まった安倍首相 辞意と病気の全真相
2020/08/29 日刊ゲンダイ

潰瘍性大腸炎の悪化は表向きか、飛び交うがん説の真相
 歴史は繰り返した。13年前のブン投げ辞任の再来である。
持病の潰瘍性大腸炎が悪化した安倍首相が28日、官邸で71日ぶりに開いた会見で辞意表明。
歴代最長政権の称号を手にした4日後、唐突にピリオドを打った。
その6時間前に菅官房長官は「お変わりない」と言い、側近らも「非常にお元気」などと健康不安説の打ち消しに躍起だったのは一体何だったのか。

 自民党の党則を変更して連続3期9年に延長した総裁任期を1年残し、コロナ禍の混乱の最中に途中辞任。
「責任は私にある」と繰り返しながら、一度も責任を取ったことがない口先男らしい去り際だが、土気色の顔はむくみとたるみで精彩を欠き、声もかすれかすれ。生気のなさは一目瞭然だった。

「先月中ごろから体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況となりました」と経緯を説明した安倍によると、退陣を決めたのは慶大病院を受診した24日。
2週連続の通院で永田町では辞任観測が一気に高まっていた。
「総理の容体は13〜14日に悪化し、終戦記念日の全国戦没者追悼式への参列も危ぶまれるほどだったといいます。
慶大病院ではがん検査も受けたようで、亡父の安倍晋太郎元外相と同じ膵臓がんを罹患したとの懸念も消えません」(与党関係者)

 安倍は先月6日に官邸の執務室で嘔吐。吐血したとも報じられている。
歩幅は小さく、歩みはのろくなり、黒い雨訴訟の控訴を受けた12日のぶら下がり会見では小声でボソボソと話すことしかできず、官邸詰めの記者たちは聞き取りに苦労したという。

 政治ジャーナリストの角谷浩一氏は言う。
「大叔父の佐藤栄作元首相の連続在職日数超えまでもたせ、その後は体調をだましだまし続けるつもりが、ドクターストップで幕引きとなったのでしょう。
安倍首相は新型コロナウイルスの感染状況が落ち着いてきたとか、秋以降のコロナ対策をまとめたとか、体制を整えたと言っていましたが、第1次政権のブン投げ辞任と何が違うのか」
無策愚策コロナ対応で求心力はみるみる低下。

安倍首相を隠し、国民を騙し続けた黒幕たちの大罪
「病気と治療を抱え、体力が万全ではないという苦痛の中から、大切な政治判断を誤ること、結果を出さないことがあってはなりません」
 安倍は辞任の理由をこう説明した。
もっともらしく聞こえるが、会見では「先月中ごろから体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状態となりました。
そして8月上旬には潰瘍性大腸炎の再発が確認されました」とも言っていた。
じゃあ、なぜその時に辞めなかったのか。

 6月18日から会見も国会も開かず逃げ続け、その結果、安倍は今月24日に在任期間歴代最長の称号を手にした。
自分の栄誉のために首相の椅子にしがみつき、国民生活を見殺しにしてきたとすれば、許しがたい話だ。

「長いだけで何の実績もなく、権力を私物化し、日本の社会も経済もメチャクチャにしただけの政権でした。
こんな無能首相が7年8カ月も続いてきたことが不思議です。
モリカケ桜など数々の疑惑もあり、本当はもっと早くに辞めるべきでしたが、軽いみこしを担いで利用する勢力が長期政権を支えてきた。
首相の威光をカサに着て権勢を振るってきた官邸官僚、国民を窮乏化させて肥え太ってきた財閥、そして税金を食い物にしてきた電通などです」(政治評論家・本澤二郎氏)

 持病の悪化が辞任理由であれば気の毒だし、治療に専念して欲しいが、それと首相の資質は、また別の話だ。
 職務が遂行できない首相を「疲れているから休ませろ」と隠し、このコロナ禍で政治空白を是認してきたのは言語道断だし、病気でなくても、これほど長く続けさせるべきではなかった。
それなのに「安倍しかいない」とか言って祭り上げ、党則変更で連続3選を可能にしてまで無能首相を担ぎ続けてきた自民党の罪もかぎりなく大きい。

持病悪化の原因は政策の行き詰まりか追訴の恐怖か
 持病が悪化した原因は、政策がことごとく行き詰まり、今後の展望もなくなったことだ。
会見で自ら「痛恨の極み」と語った通り、拉致問題も、北方領土返還も、悲願の改憲も、全て暗礁に乗り上げている。
 政策の行き詰まりがストレスとなり、潰瘍性大腸炎を悪化させたのは間違いない。
さらに、司直の手が伸びないか、恐怖を募らせていた可能性がある。

 河井克行前法相と妻の案里参院議員の公職選挙法違反(買収)事件は、安倍自身に捜査が及んでもおかしくない。
夫妻が地元の広島政界で配ったカネの原資は、党本部から夫妻側に渡った1・5億円だったと指摘されている。
検察が党総裁の安倍の関与に踏み込む可能性はゼロとは言えない。
交付罪に該当する可能性があるのだ。

 さらに、安倍の胃腸をキリキリさせたのが「桜を見る会」だ。
安倍後援会が前日に主催した「夕食会」を巡っては、安倍本人が最高裁の元判事を含めた弁護士・法学者らに刑事告発されている。
訴追の恐怖は相当なものだっただろう。
「首相は、1億総活躍や女性活躍など次々と新政策を掲げて、国民の不満をそらし続けてきました。
全て看板倒れに終わり、ついに打つ手がなくなったところにコロナ禍が起きた。
唯一のレガシーとなり得る東京五輪も不透明となり、今後の展望も消えてしまった。
祖父である岸信介元首相を超えることはできないと悟ったのでしょう」(高千穂大教授・五野井郁夫氏=国際政治学)

 人間、希望がなくなると何もかも投げ出したくなるものだ。
ただし、長きにわたりストレスをため込んだのは国民の方だ。

辞意表明、最大の理由は国会答弁不能のコロナ迷走
 このタイミングでの辞意表明は、秋に国会を開いたらマトモに答弁できないと悟ったからではないか。
なにしろ、今年1月以降、新型コロナ対応を巡り、安倍政権は迷走に迷走を重ねている。
感染初期は東京五輪の開催や中国の習近平国家主席の来日を気にして、水際対策など初動対応は後手に回った。
2月末には専門家に相談もなく突然、全国の小中高に一斉休校を要請。
巨額の血税を投じたアベノマスクは大ヒンシュクを買った。
緊急事態宣言で経済が冷え込むと、今度は経済一本やり。
感染再拡大の真っただ中に「Go To トラベル」を前倒し実施し、第2波を大きな波にしてしまった。  
 これでは、国会を開いても、野党からの追及に立ち往生するのは目に見えていた。

 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。
「これまでのむちゃくちゃなコロナ対応について、安倍首相はマトモな答弁ができなかったのでしょう。
だから、野党が要求しても国会を開かないし、閉会中審査にも安倍首相は出てこなかった。
ニッチモサッチモいかなくなって、臨時国会が開かれる前に逃げたというのが、辞意表明の最大の理由ではないのでしょうか」

 28日の会見で、安倍は「(コロナ対応について)実施すべき対応策をとりまとめることができた。
(辞任は)このタイミングしかないと判断いたしました」と区切りをつけたかのような言いぶりだったが、何一つ有効なコロナ対策を打てなかったのが実態だ。
PCRの検査数もG7で最下位という体たらくである。

こんな辞め方の首相にTV局のチョーチン報道
 さすがにコロナ禍の真っただ中の辞任には、SNSでも〈何のレガシーも残さずに辞めた〉〈コレといった功績がないまま終わりました〉といった批判が上がっている。
ところが大新聞テレビは、7年8カ月の負のレガシーを検証するどころか、チョーチン報道に終始しているのだから、どうかしている。
 辞任をスクープしたNHKはロコツだった。
午後2時すぎの第一報直後から、準備万端で、過去7年8カ月の安倍の映像をタレ流し。
安倍が“ドヤ顔”で「アベノミクス!」「アベノミクスは買いです!」と語る様子や、株価の上昇ぶりを何度も流し続けた。

民放も、安倍が有権者と笑顔でハイタッチする様子や、2013年当時の五輪招致演説を長々と流すありさま。
安倍の地元・山口県内の有権者の「長い間よく頑張ってくれた」といった声を延々と放送する局もあった。
 会見の場でも大手メディアの記者は、「歴代最長政権のレガシーは」「後継に期待することは」などとヨイショ質問。
公文書改ざんや桜を見る会を巡る問題、政権の私物化など、負のレガシーを問いただすメディアはわずかだった。

法大名誉教授の須藤春夫氏(メディア論)はこう言う。
「本来は公文書管理や権力の私物化など、過去の問題を追及すべきですが、辞任の原因が健康問題だから遠慮しているのか、メディアの報道姿勢は甘かったように思います。
次の政権でも同様の姿勢が続けば、国民のメディアへの不信感は広がる。
結果的に国民の知る権利が損なわれてしまうでしょう」
 長期政権ですっかり飼いならされてしまったようだ。

安倍の病気を最大限悪用する「新内閣で冒頭解散」現実
 9月に新首相が誕生することが決まり、早くも政界では「解散・総選挙はいつか」が取り沙汰されている。衆院議員の任期は来年10月までだ。どんなに遅くても1年後には衆院選が実施される。
 常識的には、このコロナ禍が収まるまで解散は打ちづらい。
選挙となったら1カ月の政治空白が生じるうえ、選挙運動は“密”となるからだ。
ところが、早期解散説が浮上している。
日程は「10・25」投開票だ。
「10・25選挙は、以前から囁かれていました。
年内に解散するとしたらこの日しかないとみられていた。
実際、この日を逃すと、限りなく任期満了選挙に近づきます。
来年までズレ込むと、予算が成立するまで解散は事実上、不可能だし、予算成立直後も、7月に公明党が重視する東京都議選があるので難しい。
公明党は都議選とのダブルを嫌がりますからね。
早期の解散を狙うなら、10・25投開票はワンチャンスなのです」(政界関係者)

 早期解散の方が、自民党にとっても断然有利だという。
自民党内からは、「早い解散なら病気で辞任した安倍さんへの同情票も集まる」という声さえ飛んでいる。

 政治評論家の有馬晴海氏はこう言う。
「新政権が誕生した後、新しい総理がすぐに解散に打って出る可能性は十分あると思います。
特に国民の人気が高い石破首相ならば、自民党内で早期解散への期待が高まるでしょう。
まず、政権発足直後ならご祝儀もあり、支持率は高い。
9月解散なら、野党の選挙態勢も整っていない。
それに長くやれば必ずボロが出てきます。
時間をかけても、内政も外交も難問山積だから、成果を上げることも難しい。
勝敗だけを考えたら、新政権は早期解散に動くはずです」

 勢力結集にもたついている野党は、新党結成を急いだ方がいい。

ロクでもない首相の辞任で最悪事態は免れた
 もし、無能な安倍政権がいつまでも続いていたら、コロナ禍は拡大し、経済も落ち込み、日本はトンデモナイことになっていたはずだ。
 新型コロナの第1波が収まった後、安倍が「日本モデル」と胸を張ったのも束の間、7月に入り感染が再拡大。
新規感染者数は第1波を超える勢いだ。
高齢者感染が増えるにつれ、重症者数や死者数もジワジワ増えている。
人口10万人当たりの死者数も、アジア圏で比較すれば日本はフィリピンに次ぐワースト2位。
PCR検査数も増えない。

 涼しくなる秋以降はウイルスが活発になり、もっと強烈な波が襲うと心配されている。
手を打とうとしない安倍政権が続いていたら恐ろしいことになっていたはずだ。
 アベノミクスは失敗し、足元の日本経済もボロボロ。
20年4〜6月期の実質GDPは、年率換算27・8%減の戦後最大のマイナス成長だった。
消費増税が直撃した昨年の10〜12月、今年1〜3月に続き、3四半期連続のマイナス成長である。 

経済無策の安倍政権では、この先も絶望的だった。
経済評論家の斎藤満氏が言う。
「秋以降、経済状況は厳しくなります。
GDPも20年10〜12月期以降に2番底、3番底が来てもおかしくありません。
問題は第1波の時と違い、国も自治体も企業も、もうお金がないことです。
これまでは資金繰りの脆弱な中小企業の倒産が中心でしたが、内部留保を吐き出した大企業の資金繰りも厳しくなるでしょう」

 このままいけば地獄へまっしぐらだった国民生活。
安倍の辞任で政策が修正される可能性が出てきたのが唯一の救いだ。

権力亡者たちが流す「コロナだから政策継続」というオタメゴカシ  
ポスト安倍レースの号砲に自民党は浮足立っている。
辞意表明会見に先立つ臨時役員会で、総裁選の時期、形式について一任された二階幹事長は、国会議員と各都道府県連3票による投票で実施する方針を固めた。
来月1日の総務会で決定し、同15日に総裁選を実施する見通しだ。
二階は「首相の実績を汚さず、やがて上回る人を選びたい」と言い、ブン投げ当事者の安倍は「ウィズコロナ、ポストコロナ時代に向けてビジョンを示しているわけで、そうしたものを共有していただきたい」と発言。

「コロナ禍に政治空白は許されない」を免罪符に、新政権は「アベ居抜き内閣」となりそうな雲行きである
「長らく主要閣僚を動かさなかったので人材が育っていません。
だから、ポスト安倍に名前が挙がっているのは、安倍政権のヒモ付きばかり。
安倍政権と一線を画した本格政権の誕生は期待薄です」(角谷浩一氏=前出)

 ポスト安倍の亜流は「悪夢の安倍政権」の継続に他ならない。
安倍は権力を悪用し、徹底して国家を私物化してきた。
身内に甘い汁を吸わせたモリカケ桜疑惑のド真ん中にいるのは安倍本人だ。
森友疑惑を巡って「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」とタンカを切り、財務省は公文書の改ざんに手を染め、不正を強いられた職員は自殺に追い込まれた。

アベノミクスの演出で厚労省は統計不正に走った。
民主主義の根幹である公文書をメチャクチャに扱い、犯罪行為をもみ消すために検察人事にまで手を突っ込む犯罪者集団なのである。
 権力の暴走を厳しく監視する役割を負うはずのメディアもアメとムチで飼いならされ、政権の言い分を垂れ流し。数々のペテンやインチキに目をつぶってきた。
安倍がこの国に残したのは負のレガシーしかないのを決して忘れてはいけない。

悪政の膿を出し切るには安倍一派の一掃が必要
 安倍の健康不安が強まったきっかけは、慶大病院を最初に受診した17日の前日、テレビ出演した“盟友”の甘利明自民党税制調査会長が安倍の体調について「ちょっと休んでもらいたい」と発言したことだ。
「そこまで悪いのか」という驚きが永田町に広がったのだった。
 麻生財務相も「147日間、休まず働いたら普通、体調はおかしくなるんじゃないの」と安倍を擁護していたが、今から考えれば「安倍退陣」を先読みして、その後の流れを自分たちでつくろうという魂胆ではなかったか。

 健康問題すらも政局にする。
それが安倍政権の正体。
7年8カ月続いた歴代最長政権が史上最悪政権というのは国民にとって不幸でしかない。
 政権初期から、安倍に麻生、甘利、菅を加えた「3A+S」が“骨格”と言われてきた。
途中から、二階を加えて政権の“屋台骨”とされてきたが、安倍を筆頭に彼らは「自分たちの権力を脅かす危険な芽は、早めに摘んでおく」という利害の一致で、後継人材をマトモに育ててこなかった。

 安倍が辞めても、この連中が新政権を牛耳るなら、何も変わらない。
悪政の膿を出し切るには安倍一派の一掃が必要である。

 政治評論家の森田実氏が言う。
「論語の『巧言令色、鮮し仁』。
うまい言葉を操って飾り立てる者は仁(本当の愛)が少ない、という意味ですが、安倍政権はまさにこれでした。
長きにわたって日本に害毒を流してきたのです。
次の政権は少なくとも、ごまかしのない、正直な政権でなければなりません。
国民を騙してきた“共犯者”に出番を与えてはいけません」

 今こそ、ドラスチックな人心刷新がなければ、自民党は国民から見放されるだけだ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする