2020年08月02日

「普通の人」がなぜ過激化するのか<歪んだ正義>(1)

「普通の人」がなぜ過激化するのか<歪んだ正義>(1)
8/2(日)  毎日新聞  

◇「自粛警察」はもともとある敵意や差別感情の現れ
 マスクをしていない人を激しく叱責する。
政府の自粛要請下で地元以外のナンバーの車を傷つけたり時間を短縮して営業する店に嫌がらせをしたりする。
中国人が経営する店やその関係者をSNS上で中傷する。  
新型コロナウイルス禍に現れたいわゆる「マスク警察」「自粛警察」現象は、人間の攻撃性を顕在化させた。

 「人を傷つける心―攻撃性の社会心理学」(サイエンス社)などの著書がある大渕憲一・東北大学名誉教授(社会心理学、現・放送大学宮城学習センター所長)によると、「災害や犯罪などによって社会不安が高まると、それに伴い人々の間で生じる不快感情が攻撃性に転化されやすくなる」という。
 もともと他の集団や民族に対して敵対的な、あるいはマイノリティーに対して差別的な態度を持っている人でも、冷静な時はそれを不合理なものとして自制することができる。
ところが不安や恐怖が高まっている時には「認知資源の不足などからこうした抑制力が低下し、敵意や差別感情が噴き出しやすくなる」という。

社会が不安定な時には敵意や差別感情を「正当化」する理由を見つけやすくなり、また周囲の人々からの支持が得られやすいと感じて抑制力はいっそう低下しやすくなるというのだ。

 ◇「自分は絶対に正しい」と思い込むと、人間の凶暴性が牙をむく
 人間の攻撃性といえば、最近はSNSを舞台とした言葉による暴力が過激化している。
性被害を実名で告発したジャーナリストの伊藤詩織さんを中傷したSNS上の書き込みは70万件にも達し、人気番組「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラーの木村花さんもSNS上で激しい攻撃を受け、亡くなった。

 また近年日本では、 ローンウルフ(一匹オオカミ)による通り魔や襲撃事件が増加傾向にある。
治安問題を研究する公益財団法人「公共政策調査会」(本部・東京都千代田区)が2019年3月に発表した東京五輪の治安対策に向けての提言書によると、国内におけるローンウルフ型のテロ類似犯罪は増加傾向にあり「未然に探知し防ぐのが難しい」という。
さらにその脅威は「すぐそこに差し迫っていると認識しなければならない」としている。  19年7月、「京都アニメーション」第1スタジオ(京都市伏見区)にガソリンをまいて放火し70人を死傷させた青葉真司容疑者(42)による事件は記憶に新しい。
青葉容疑者は「京アニに小説を盗まれた」とまるで自分が被害者であるかのように訴え、犠牲者への謝罪は今もって口にしていないという。

 16年7月に起きた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」への襲撃事件でも元同園職員、植松聖死刑囚(30)は裁判で「意思疎通が取れない人は社会の迷惑」「殺した方が社会の役に立つ」と語った。
障害者という「負担」を抱える社会を救済したとでも言わんばかりに殺害の正当性を訴えた。
 こうしたローンウルフによる事件は一見「自粛警察」やSNS上の過激な攻撃とは無関係のように見えるが、いずれの当事者にも通底する思考が垣間見える。

自分や自分が帰属意識を抱く集団を「絶対的被害者=善」と見立て、「絶対的悪」である他者への攻撃を正当化するという「歪(ゆが)んだ正義」だ。
「自分は絶対に正しい」と思い込んだ時、人間の凶暴性が牙をむく。

 ◇「あなたは、自分がテロリストになることもありうると思いますか」
 私が人間の攻撃性に関心を抱いたのはイスラエルの大学院で受けた授業がきっかけだった。
13年春から4年余りエルサレム特派員を務めた私は日本への帰任を前に仕事を2年間休職してイスラエルの大学院や併設のシンクタンクを拠点に研究生活を送った。
 イスラエルといえばその占領地・パレスチナに住む人々への強硬な対応で知られる。
私は留学1年目、イスラエルの中でも最も保守的で、「テロ対策」に関する研究で世界的に知られるヘルツェリア学際研究所(IDCヘルツェリア)の大学院に進学し「テロリズム対策・国土安全保障論(サイバーセキュリティー専攻)」を学んだ。

特派員時代の取材でイスラエルの「テロ対策」には学ぶべき点とあしき手本とすべき点が混在しているように感じ、その最先端で知見を広げようと考えた。
 懐に深く入ってこそ取材対象の「素顔」は見えてくる。
イスラエルの「素顔」を見たいとの思いからの決断だったが、パレスチナの人々すべてを「テロリスト」よばわりするような差別と偏見に満ちた授業ばかりではいたたまれなくなる、と内心危惧していた。
だが授業ではむしろ私自身が無意識のまま抱えてきた偏見や思い込みを自覚することになった。

 進学した大学院のプログラムは1学年150人余りで約4割が米国系ユダヤ人、約3割が欧州系ユダヤ人、3割弱がイスラエルのユダヤ人で、それ以外はアフリカ系が男女ひとりずつ、アジア系は私ひとりだった。
大半は20〜30代で米国からは米軍のエリート、陸軍士官学校(ウェストポイント)と米議会から女性2人が公費で派遣されていた。
イスラエルからは国防総省や首相官邸の幹部候補のほか私と同じ50代の警察・爆弾処理班元トップと現職トップもやはり公費で来ていた。

 「あなたは、自分がテロリストになることもありうると思いますか」
 イスラエル軍兵士の心理的危機管理を担当してきたという元軍幹部の博士(心理学)が「テロリズムの心理」という授業の冒頭、私たちにそう尋ねた。
受講生の約半数が「ありうる」と答え、残る半数が「ありえない」と答えた。
「絶対ありえない」。
私はそう直感したので、多くの生徒が肯定的に答えたのにはむしろ驚いた。
 博士の言葉を聞いて浮かんだのはワシントン特派員をしていた09年春に経験したある事件だった。
アフガニスタンに駐留する米陸軍の部隊に1カ月ほど従軍取材した。
米兵らと村から村へと移動していたある日、乗っていた軍用車がイスラム原理主義組織タリバンの爆弾攻撃を受けて大破した。
同乗していた米兵4人と共に奇跡的に命を取り留めたがテロリズムの脅威を文字通り肌で実感した。
そして地元の女性や子供すら手にかけるタリバンの「狂気」に強い憤りを感じた。
だから博士の問いかけにも「あんなことを私がするわけがない」と感じたのだ。

 だがこの確信は、研究を進めるにつれ徐々に崩れていくことになる。
 博士はさらに衝撃的な言葉を口にした。
 「テロリストの頭の中を考えるには、まず普通の人々の頭の中を考える必要がある。
そうしていくと、大半の人は状況さえ整えばテロリストにさえなりうるのだということが分かる」
 彼は自分たちユダヤ人も含め、誰もがテロリストになりうるのだと断言した。
その根拠として見せたのが一本の動画だった。

 ◇監獄実験が顕在化させた人間の攻撃性
 米スタンフォード大学のフィリップ・ジンバルドー名誉教授(心理学)が行った、有名な「監獄実験」の撮影フィルムだ。

1971年、ジンバルドー名誉教授は24人の中流階級の米国人学生を対象に12人を看守役、残りを囚人役にした。
囚人役は囚人服を着せて足をつなぎ番号で呼ぶ。
看守役はアイコンタクトをしなくてすむようにサングラスの着用が認められ、制服や笛、警棒、鍵を渡されて「囚人に何をしてもよい」という支配権も付与される。
その結果、実験は想定よりかなり短い6日間で終了せざるをえなくなった。
看守役が予想以上に残酷な行為を繰り返し始めたからだ。
 囚人にろくに食事を与えず頭巾をかぶせて鎖でつなぎ、トイレを手で掃除させた。
36時間後にはひとりの囚人が急性のうつ状態になり、解放せざるをえなくなった。

ジンバルドー名誉教授は「ごく普通の人が状況次第で悪魔にもなる」と分析し、人間が持つ攻撃性の普遍性を指摘した。
倫理的観点からこのような実験はその後行われていない。
それもあり、たまたまこの実験の参加者が異常な集団だったのではないかと感じる人もいるかもしれない。
だが実験で起きたことをまさに再現したかのような事件が現実に起きている。

04年に発覚したイラクの首都・バグダッド郊外のアブグレイブ刑務所におけるイスラム教徒への虐待事件だ。
看守の米兵らはこの実験結果以上に残酷な虐待を行った。
 動画が終わると米陸軍士官学校から来ていた女性士官が手を挙げてこう語った。
「私はイラクでアブグレイブ事件の調査に実際に関わっていました。
具体的なことは言えませんが、刑務所にいた兵士すべてが残虐な行為をしたわけではありません。
ごく一部がやったことなのです」

 ◇過激化する人としない人の違い
 先の大渕名誉教授はその論文「無差別テロの心理分析」の中で次のように述べている。
「テロ事件を起こす人は特殊な思想信条の持ち主、あるいは偏った性格・異常な心的状態にある人であるとの特異心理仮説に基づく研究が中心だったが、近年は、先進諸国からIS(筆者注:過激派組織『イスラム国』)に参加する若者、ホームグロウン・テロリスト、ローンウルフ型の増加などを背景に、誰でもが状況によっては過激主義に陥り、テロ事件に関与するようになりうるのではないかという一般心理仮説に基づく分析が主流になりつつある」

 私たちは誰しも攻撃性を持っている。
それを過激化させるとテロリストにさえなりうるのかもしれない。
だが一方で、紛争地を長く取材して感じてきたことがある。
同じような極めて重い社会経済的ストレスを受けてもその攻撃性を過激化させる人はほんの一部で、大半の人はそうはならない。
紛争地に限らず日本社会においても日常のストレスなどから会社や学校、SNS上で陰湿ないじめやハラスメントをして他者を攻撃したり「正義」を振りかざしたりする人がいるが、大多数の人はそこまではしない。

だとするとその攻撃性を過激化させてしまう人とそうならない人の違いはどこにあるのか。
過激化する人には何があり、あるいは何がないのか。
そこに通底するメカニズムはあるのか。  
私はこの疑問を出発点に研究生活を始めた。

   【編集委員(専門記者)・大治朋子】
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迷惑を恐れ何が産まれるのか 日本を劣等国にする同調圧力

迷惑を恐れ何が産まれるのか 日本を劣等国にする同調圧力
2020/08/01 日刊ゲンダイ
三枝成彰 作曲家

先日、遅ればせながら米映画「ジョーカー」を見た。
 今年2月のアカデミー賞では主演男優賞と作曲賞の2冠に終わっているが、私は作品賞や監督賞、脚本賞などを総なめにした「パラサイト 半地下の家族」よりもいいと思った。
 舞台はコミック「バットマン」の舞台であり、ニューヨークをモデルにしたと思われるゴッサム・シティ。
人生に絶望したしがないひとりの道化師が起こしたある行動によって、社会に不満を持つ若者や貧困層が暴徒と化し、暴行や破壊行為を繰り広げる。深刻な社会格差を狂気や暴力で表現した作品だ。
 米国の奥深さを見せられた。

日本では到底つくれない作品である。
カネを出すスポンサーが絶対に見つからないだろう。
自分の理解が及ばないことを批判し、害悪であるかのように叩く。
それが正義だと妄信し、枠から外れた人たちを激しく罵る。
そんな国民性から生じる同調圧力に屈する日本人は多いのだ。

 新型コロナの感染者が再び増加している今は、圧力が強まっているからなおさらだろう。
テレビではもう一度、自粛を要請すべきだとか、罰則を設けるべきだとか、声高に主張するコメンテーターすらいるのだから、理解に苦しむ。
 以前も当欄で書いたが、日本では“平時”でも1日当たり3700人がさまざまな病気や事故などで亡くなっている。
コロナによる死者は累計でも1000人を少し超えた程度だ。
確かに大変なことには違いないが、それでも進んで私権の制限まで提案する神経を疑ってしまう。

 かつて日本はファシズムに支配された。
その反省もなく、また自らファッショをつくろうとしているのか、不都合な社会を欲しているのか。
 これから日本では膨大な数の失業者が街にあふれるだろう。
知人の中には、3割の会社が潰れてなくなると予想する人もいる。
日本は終戦直後のような状況を迎えるのだ。
そんな中で営業するな、マスクを外すな、旅行に行くなと同調圧力を強めれば、日本の社会は立ち行かなくなる。

今必要なのは、新しいものを生み出す力だ。均一で同質の製品を数多くつくるのではない。
見たこともない商品やサービスだ。
それで世界と勝負して生き残るしか道はない。
周囲の批判など気にせず、「ジョーカー」を生み出すセンスとパワーが求められているのだ。

 真のアーティストは他人に迷惑をかけることなど恐れない。
自分と自分の考えを何よりも大切にする。
だから同じ時代に生きていながら、常人の発想ではつくれないものをつくれるのだ。
これは、どんな世界でも同じだろう。
自分たちと同じように振る舞うことを求めて個を否定する考えは、日本を劣等国に押し下げる。
厳に慎むべきだ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする