<日常における過激化に潜む「置き換え」と喪失経験>歪んだ正義(2)
2020年8月2日 毎日新聞
大治朋子・編集委員(専門記者)
入り口にある「疑問と答え」
イスラエルにあるヘルツェリア学際研究所の大学院を拠点に研究生活に入った私は、大学院で学びながら併設のシンクタンク「国際テロリズム研究所」(ICT)でインターンを始めた。
研究者の求めに応じてデータを集めたりリポートを書いたりするのが仕事だ。
研究者の中にインテリジェンス(諜報=ちょうほう=)を担当する専門家がいた。
彼は複数の言語を使う環境に生まれ育った経験を生かし、世界中の過激派が集まるインターネット上の会員制フォーラムやダークウェブと呼ばれる「闇サイト」に行き交う情報の収集・分析を担当していた。
ICTでは過激派の分析で彼の右に出る者はいなかった。
ある日、彼と大学のカフェでコーヒーを飲みながらかねて疑問に思っていたことを聞いてみた。
「過激化の入り口には何があると思う?」
前回のこのコラムでも書いた通り、私は「テロリズムの心理」という授業で担当の博士から「状況さえ整えば大半の人はテロリストにもなりうる」と聞いて衝撃を受け「普通の人の過激化」を研究のテーマに決めた矢先だった。
彼はいつもの静かな口調でこう答えた。
「疑問と答えだよ」
無差別殺傷事件などが起きると大抵その実行犯や所属集団は彼らが信じる宗教や政治的イデオロギーを犯行の「大義」として掲げる。
だからつい、私たちは排他性の強い一神教の熱狂的信者やイデオロギーで凝り固まった特別な人の特別な行為だという印象を抱く。
しかしこのインテリジェンスの専門家によればそれは表向きの宣伝(プロパガンダ)であり最初に彼ら一人一人を過激化へと突き動かすものはもっと日常的な問題だという。
「例えば?」。
そう尋ねると彼は「失恋だったり、失業だったり」と答えた。
いずれも心理学の世界では損失とか喪失経験と呼ばれるものだ。
人間にはこれから得るもの(利益)への喜びより、すでに持っているものを失う(損失)悲しみの方に強く反応する思考のクセ、いわゆる損失回避バイアスがある。
これを聞いて私は特派員時代にインタビューしたさまざまな「過激派」の顔が浮かんだ。
例えば2015年1月に発覚した過激派組織「イスラム国」(IS)による日本人男性誘拐事件の取材でトルコ滞在中にインタビューした元戦闘員7人はいずれも「なぜISに入ったのか」という私の質問に「内戦で友人を失くした」「仕事を失った」「故郷を失った」などと喪失経験を語った。
彼らにとってISはそうした喪失感を新しい仲間や仕事(ISは戦闘員に金を支払っていた)、シリア再建の夢などで穴埋めしてくれるような存在だった。
ISが喧伝(けんでん)するような「イスラム VS 西欧社会」といった抽象的な価値観論や宗教論、イデオロギーを口にした青年は一人もいなかったし彼らは狂信的なイスラム教徒でもなかった。
被害者意識という依存性の高い劇薬
過激化は「疑問と答え」から始まるという彼の言葉の本質的な意味を理解したのはさらにその後、さまざまな文献で同様の指摘がなされていることを知ってからだ。
例えばカナダ・マギル大学のドナルド・M・テイラー教授(心理学)らは論文「テロリズムとアイデンティティーの追求」で、苦境にある人々は「自分たちが直面しているストレスに満ちた不遇な状況の原因を理解したいという動機に駆られる」と分析している。
人間は「自分がなぜこれほど苦しまなければならないのかという問いの答え」が必要なのだという。
またテイラー教授らによればこうした疑問を抱いた人は往々にして「世の中には不正義が存在するという確信を持つことや、不正義を広めている邪悪な敵を特定し、その敵に自分たちの苦境の原因を帰結」させたいという欲求に駆られるという。
特定の人物や集団に責任を見いだすことで自分自身を「被害者」と見なし自尊心やアイデンティティーを守るのだ。
こうした「絶対的に正しい被害者の自分 VS 絶対的に悪い加害者の他者」という善悪二元論で社会を分ける思考や被害者意識は単純明快で魅力的だが依存性の高い劇薬でもあり人々を過激化へといざなう要因の一つになっている。
例えば19年7月、「京都アニメーション」第1スタジオ(京都市伏見区)にガソリンをまいて放火し70人を死傷させた青葉真司容疑者(42)は「京アニに小説を盗まれた」と供述。
自分は被害者だと訴え続け犠牲者への謝罪の言葉すら口にしていないという。
また16年7月に起きた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」への襲撃事件では元同園職員、植松聖死刑囚(30)が事件前に大島理森衆院議長に宛てたという手紙の中で一種の被害者意識を見せ、自らの攻撃を正当化している。以下はその文面の一部抜粋だ。
「保護者の疲れ切った表情、施設で働いている職員の正気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した」
自分や同僚の職員、障害者の家族らは障害者に疲労困憊(こんぱい)させられている「犠牲者」であり、障害者の命を奪おうとしている自分は自己犠牲をもいとわない「正義の人」だといわんばかりだ。
こうした事件の実行犯は残酷な攻撃者と社会からは非難されるが彼ら自身はむしろ「被害者」として不平等や不公正、不正義をただし「正義」を全うしたという思い込みの中にいるように見える。
しかし他者をいくら攻撃しても彼らが最初に抱いたであろう人生の問いへの答えはもちろん得られない。
彼らは自分の問題を他者に置き換えたにすぎないからだ。
「置き換え」が問題の本質を見えなくする
「人を傷つける心―攻撃性の社会心理学」(サイエンス社)などの著書がある大渕憲一・東北大学名誉教授(社会心理学、現・放送大学宮城学習センター所長)によると、「置き換え」とは自分の不快感情の元凶を攻撃できない場合に別の対象に向ける行為で、簡単に言えば八つ当たりだ。
欲求不満から来る不快感を発散したいという思いをもともと持っている人は、ささいな刺激に誘発されて自分の不満とは関係のない対象を攻撃することがあるという。
例えばコロナ禍においては攻撃対象が「感染症拡大をもたらす加害行動をしている」と見なして自分の攻撃行動を正当化しようとする。
米国では不況になると白人の黒人に対する差別的な暴力が増えることが知られているが、大渕名誉教授によるとこうした攻撃も典型的な置き換えだという。
最近もコロナ禍で不安が広がる米国において白人警察官が黒人男性を拘束し死亡させる事件が起きたが、当該警察官は何らかの別の理由で攻撃欲求を抱えていた可能性もある。
レベルの差こそあれ私たちはモノや他者に八つ当たりをしてしまうことがある。本当に怒りを抱いている対象は自分自身や思い通りにならない自分の人生だったりするがそれを認めてしまうと自尊心を支えられなくなるので他者に八つ当たりをしたうえで適当な理由を作りあたかもその攻撃対象に問題があるからそれを正すための「正義」だったと理由を後付けする。
SNS上での執拗(しつよう)な攻撃や学校における体罰、いじめ、家庭や職場における虐待やハラスメントも、もともと攻撃欲求を抱えている人物による「置き換え」であることが少なくないという。
千葉県野田市で19年1月に小学4年の女児(当時10歳)が痛ましい虐待の末に亡くなった事件では、傷害致死罪などに問われた父親が裁判で「しつけが行き過ぎた」などと語り、自分は問題のある子どもを抱えて苦労した父親(被害者)であり正当な教育(正義)の一環であったかのように訴えた。
検察側は「この期に及んで女児に責任を押しつけている」と批判した。
こうした事件では、被害者と加害者の関係性をいくら調べたり分析したりしても問題は必ずしも見えて来ない。
被害者とはまったく関係がない本質的な問題が加害者側に潜んでいることが少なくないからだ。
しかし攻撃者が自分の問題を見て見ぬふりをしていることも多く彼らの内面への社会的な介入は容易ではない。
日本で凶悪事件の実行犯が逮捕され有罪になるとその多くは死刑に処せられてしまうので彼らがどのような心理から最終局面にいたったのかは最後まで分からず真相は闇の中に葬り去られる。
彼らの「置き換え」やその攻撃性の過激化プロセスを追うことは彼らに免罪符や釈明の機会を与えるものではなく社会的な介入・対応策を検証し未来の命を守るために必要なのだ。
自己過激化(self-radicalization)の分析は緒に就いたばかり
こうした過激化メカニズムの研究は世界的にもまだ緒に就いたばかりだ。
1970年代、欧米の心理学者らはテロリズムや攻撃性の背景には反社会的人格障害者や精神障害がありナルシシストやサイコパスが多いという仮説を立てた。
だが直接的な因果関係は証明できなかった。
日本ではこうした分野の専門家が「普通の人」の攻撃性まで特殊な人の問題であるかのように説明しようとすることがあり誤解を与えかねず残念だ。
個人の資質に因果関係を見いだせなかった世界の心理学者らが次に注目したのが社会経済的環境要因(貧困や教育など)だ。
しかしこれらは誘因にはなりえても直接的な原因にはならないとの見方が有力だ。
そもそも同じ社会経済的環境にいても過激化する人としない人がいるためこうした「環境説」だけでは説明しきれない。
テロリズム研究で世界的に知られる元CIA精神科医のマーク・セイジマン博士によると01年の米同時多発テロ以降、イスラム系過激派組織がいかに個人を過激化させるかの研究は急速に拡大したが、組織に属さない個人が過激化するプロセスに関する心理分析が本格化したのは00年代半ば以降だ。
欧米各地でホームグロウン(自国生まれの)・テロリズムが火を噴き、実行犯の多くがテロ組織に勧誘されたわけでもなく自ら過激化(自己過激化)していると分かったためだという。
最近はイスラム系に限らず欧米で多発するキリスト教系右派によるテロや学校襲撃(school shooting)、通り魔などの無差別殺傷事件を起こすローンウルフ(単独犯)に通底する自己過激化プロセスの存在も注目を集めている。
次回はこうした分野において私が探究した自己過激化メカニズムに関する報告をしたい。
◇ ◇ ◇
私たちの中に潜む攻撃性。「自分は絶対に正しい」と思い込むと人間の凶暴性が牙をむく。
「普通の人」が過激化する過程にはどのようなプロセスやメカニズムがあるのか。
新刊「歪(ゆが)んだ正義『普通の人』がなぜ過激化するのか」を毎日新聞出版から8月3日に刊行します。
一部要約などを、政治プレミアのコラム「虫の目 鳥の目 魚の目」で7月26日から事前公開しています。