少年サンデー、マガジンの「ゼロ戦はやと」「紫電改のタカ」などを読み 「何の憎しみもないのに殺し合うのが戦争」「撃墜することは 一人を殺したことに・・」と 思い悩む主人公を通して「戦争」を見ていました。
成長するにつれ 父が高等小学校卒業後 海軍に志願入隊したことを聞き 戦記物を読んだ時に感じる違和感を 父に聞いて育ちました。
指導者目線と兵士目線
昭和40年代の戦記は 指揮者・幕僚が書いたものが多く 作戦そのものを美化し責任はない、米軍の物量に負けたのだとの論調が主流だったのです。
「神風攻撃隊」と「きけわだつみの声」をほぼ同時に読んだ時、人間を爆弾と一体化した10死0生の攻撃法。
しかも故障の多い 中古のゼロ戦、練習機「白菊」、複葉初等練習機「赤トンボ」などに爆弾をワイヤーで固定して 戦果を挙げるより「死ぬことを目的」にしたような 特別攻撃
指導層は「特攻隊員の愛国心が 戦後の礎になったと肯定」し、指導層は「後に続くとの約束を反故」にした上、戦後航空・海上自衛隊に大量に入隊して 航空幕僚の中心人物 源田実氏は空幕長から参議院議員にまでなっている。
なぜ特攻隊に拘るかというと 敗戦後の15日以後も出撃していること 父は18日 一式陸攻爆撃機の機銃手として一機6人の定員で 特攻待機中だったことです。
鹿児島県鹿屋基地での様子は 遺書にあるような 勇ましくも心優しい文面とは 違い、出撃前の荒れ方は見ていられなかったといっていました。
玉音放送を聞く前から 基地司令。飛行長、幕僚は 軍需物資を袋に詰め込み 基地から逃げ出していたそうです。
こんな指導層・命令者の 指名で 出撃していった若者たちは 軍の退廃を見たら どう思っただろうか??
父は
〇公式の遺書は 軍の検閲があり 心情を率直に表明したものではない。
〇人間は そう簡単に「死を受け容れられる」ものではない。
〇いつでも 指揮者は生き残り 犠牲になるのは 若者だということ
大正15年1月うまれだったから 敗戦時20歳。
アメリカの国威高揚ドラマを観ていた時 「アメリカは 人間に服を合わせるんだ、指揮官が前線にでていたんだ」とため息。
テレビ「コンバット」「頭上の敵機」をため息をつきながら観ていました。
現在の問題点
〇都市無差別爆撃や原爆投下で一般市民虐殺の 米軍の戦争犯罪を直視していない。
〇多くの戦場での死者の多くは 餓死・病死という悲惨なものであったこと。
〇「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓で 婦女子・子ども・老人まで 集団自殺を選択せざる得なかったこと。
なにか日本という国は 指導者目線での「愛国心、国のため」は強く叫ばれるが 国民の生命財産を守るという愛国心は蔑ろにされ続けているように思う。
指導者先導は 口だけで、多くは現場に負担を強いている。
コロナウィルスでの対応も 安倍首相・加藤厚労相のメッセージ、施策が伝わらない。
病院スタッフ、介護スタッフ、保健所スタッフへの援助体制もなく 疲弊させているのみ。
小学校勤務時 地震や火災の避難訓練の度に 実際の時「子供に死者がでたら 辞めるか 死しかないね」と現場では責任感と緊張感で働いています。
内閣。国会は 机上の空論・数値を 現場に下ろすだけとしか思えない対応から脱却し、率先垂範の健全な組織になって欲しいと強く感じます。
・特攻隊の教訓は 二度と死の強制があってはならない。
・指導層の責任を明確にして きちんと教訓として後世に残すこと。
・二度と指揮官の無能のための死者はだしてはならない。
posted by 小だぬき at 00:00
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