2020年08月16日

チョット息抜き??「通勤」

私は 川崎から川口への約1時間の電車通勤をしていました。
口の悪い者からは 「風俗地から風俗地」の移動だなどといわれたものですが、その度に「コンビナートから町工場」への移動と答えていました。

電車通勤の心得として 各停車駅のホームの状況把握は欠かせません。

体調の悪い時は
・停車駅のトイレ位置に近い車両・ドア。

事故停車にそなえては
・公衆電話の位置、キヨスクの場所の把握

普段は
・階段、エレベーター、エスカレーターの一番近い車両・ドア

それぞれに 乗る車両の選択も変わるのです。
そして 顔見知りになっている通勤客が どの駅で降りて 座れる可能性が増すか・・・ 。
通勤時から 意識しなくても「情報戦」が始まるのです。

定期券購入にしても 安い6ヶ月定期を買うべきか 3ヶ月・1ヶ月の組み合わせにするか。
座れる可能性の時間から 新聞か単行本か・・。

通勤客の会話の中から ヒントやネタ?? を貰うことも 多かったのです。

今では個人情報保護法でできませんが、現役の頃は 帰宅時 日記の添削・テストの採点は どの程度できるか・・、通信簿の下書きなども可能かなどで カバンの中身に違いがでていました。


リモート勤務が多くなり 勤務時間管理も自宅でするなどという 傾向があるということですが、私の現役の頃は 通勤の往復も 仕事の準備時間だったのです。

リモート勤務、自宅勤務の場合は 時間ではなく 仕事の内容が重視されなければなりません。
職場の団らん・会話の中で得られた刺激で 浮かぶアイデアや新しい着想が得られなくなるのですから、自宅勤務では「報告・連絡・相談」の回路だけは開けて 過ごし方の自由度を広げなければ いい仕事には繋がらないと思うのです。

よく自宅勤務の定時連絡を頻繁に求める企業があると聞きます。
そんなことに労力を使う位なら 感染対策を施した上 時差通勤で 出社させた方が 余程生産的だと思うのです。
自宅勤務を時間管理するのは適さないと思いますが、数量管理は出来ます。
総務、労務。 会計。 マネージメント調整などは 自宅勤務でも 数量管理は可能だと思います。
広告や芸術関連のクリエイティブな部門、営業・企画などは そもそも 自宅勤務が可能なのかは 検討される必要があると思います。

通勤から脱線しましたが 古い考えかたかもしれませんが 「対人接触、会話、衝突、和解」で 物事がより信頼関係の元に進むことが多いのではないでしょうか・・・。
景色や映画・観劇・読書、あるいはうたた寝でも 仕事のヒントは得られるものです。

コロナ感染が広がる中「新しい生活様式」などといわれますが、変えられない、変えてはならないものは確実にあると思うのです。 
posted by 小だぬき at 15:13 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「終戦記念」は未だに取っつきにくい 10代の頃から違和感

「終戦記念」は未だに取っつきにくい 10代の頃から違和感
2020/08/15 日刊ゲンダイ
井筒和幸 映画監督

 15日を日本は「終戦」記念日としているが、我らは10代の頃からその語にはずーっと違和感があるし、当時の国民が皆でちゃんと「終戦」を迎えるのはもっと後日のことだし、どうもピンとこないままだ。

 中学3年の夏休みに、三船敏郎が阿南陸相役で切腹し、どす黒い血の海の中で悶死する(白黒画面が余計に恐ろしく、二度と見たくなかった)、東宝の「日本のいちばん長い日」という映画で、前日14日(つまり今日)に政府の戦争指導者らと本土決戦クーデターを企む陸軍の“戦争やめるやめないの大騒動”を見たせいもあり、「終戦記念」というのはいまだにとっつきにくいのだ。

 本日14日は、閣議で指導者たちがすったもんだした末、天皇が「これ以上戦争は無理なのでポツダム宣言を受諾してよろしい」と決断し、政府が「受諾します」と連合国に通告した日だ。
天皇がその深夜に朗読し録音したレコード盤の声を、明けた15日の正午に、NHKラジオで日本は降伏しますと国民に伝えたのは伝えたが、それで戦いが完了したのではなく、戦争のすべてが終わるのはまだ先のことなのだ。

 広島に原爆が投下され、9日にソ連軍が満州国境から侵攻してきて、それで初めて、いよいよポツダム宣言に応じるしかないと決め、10日に天皇制護持だけ降伏条件に、受諾をアメリカに伝えたんだな。
連合国ではそれを聞くや、早々と勝利を祝う人々もいたとか。それが「終戦」の一報だったようだ。
日本国民はそんな交渉は誰も知らないのだから、哀れなもんだ。

 特攻で飛び立つ兵士もいたし、東北や九州、全国各地で空襲されて大勢が死んだ。
政府は連合国に受諾は伝えたものの、軍部に「国体はどうなる? 降伏後も天皇は身柄保証されないとダメだ」と詰められ、連合国の返答も曖昧なので、14日の御前会議で、もう無条件で降伏しますと改めて決め、世界に伝えたのが、「敗戦」までの戦争指導会議のドタバタ劇だ。

天皇の朗読を録音してる最中も、伊勢崎市や高崎、熊谷、小田原が空襲され、どこでも死者が出たのだ。
誰を恨めばいいのだろうかな。

 南方派遣軍に戦闘停止命令が出たのはもっと後で、8月末まで戦わされたし、大陸じゃソ連軍や中国軍と戦闘が終わらなかったんだから、これも哀れだ。

日本が降伏文書に調印するのは9月2日。
ここで初めて終戦協定が結ばれたので、日本人はこの調印の日を「降伏記念日」「敗戦記念日」と言っていたのだが……。  

あす、戦没者追悼式や平和集会がどんなふうに行われるのか知らないが、酷暑のウィズコロナでマスクはたまらんよ。
早いとこ、最強ワクチンを作って、コロナ勝利、いや、コロナ終戦記念日ができて欲しいもんだな。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする