花谷寿人の体温計
人生100年は幸せか
毎日新聞2020年10月1日 東京夕刊
100歳以上の高齢者が初めて8万人を超え、50年連続で過去最高を更新した。
長寿はめでたい。だが政府の「人生100年時代」のお題目には違和感がある。
<高齢者から若者まで全ての人が元気に活躍し……>
社会保障制度を維持するため、老いても隠居せず、元気で働いてもらいたいのが本音だろう。
だからといって、それが理想の社会だと国が唱えることは、果たして幸せをもたらすのだろうか。
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この夏出版の「死を受け入れること」(祥伝社)は医師の小堀鷗一郎さんと、ベストセラー「バカの壁」の著者で解剖学者の養老孟司さんの対談集。
ともに82歳。
小堀さんは埼玉県で患者の自宅を訪問する在宅医療を担う。
体験記録「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」(みすず書房)は2019年の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
東大病院などで外科医として40年間勤務した。
「患者をどうやって生かそうかと考えていましたが、今は患者をどうやって死なそうかと考えるのが仕事です」。
高齢者の終末期に接し「その人らしい死に方とは何か」を考えるようになったという。
診てきた高齢者の大半はお金や健康に恵まれず、社会の支援も乏しい。
内閣府主催のフォーラムで講演を頼まれた時のこと。
80歳を過ぎても元気に働く自分のような人間をモデルに、国民を勇気づける催しだと気づいた。
だが、多くの高齢者がそれで力を得られるわけがない。
講演で国の姿勢を皮肉った。
それと同時に、恵まれない境遇でも豊かな老後を送る患者の話をした。
学校へ行けず、字を覚えたいという女性がいた。
新聞や雑誌からノートに書き取る。
「葵(あおい)」はどんな花ですか。
そう聞かれた小堀さんは「今度デジカメで撮ってくるよ」と答えたが、約束を果たせぬまま女性は亡くなる。
「元気で活躍する」ことはなくても、彼女の老後は幸せだったと思う。
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森鷗外に短編「妄想」がある。
老人は本を読み、摘んできた草花をルーペで見る。
<折々のすさびである>。
すさびとは、心の思うままにという意味だ。
死を恐れず、死に憧れることもなく。
鷗外は小堀さんの祖父。文豪が生きた時代より、高齢者は幸せになっただろうか。
(論説委員)