2020年10月12日

「#先生死ぬかも」日本の教育現場はあと10年も持たない

「#先生死ぬかも」日本の教育現場はあと10年も持たない
10/11(日) 現代ビジネス
たかまつなな 芸人 時事YouTuber

担任の先生が「死にたい」…疲弊する学校の現場
 今から3年前、私は大学院生だった。
深夜2時過ぎだったろうか。LINEに電話がかかってきた。
「誰だろう?」と思いながら電話をとると、相手は相当泥酔していた。
どこかで聞いたことのある声だなと思い聞いた。
「あの〜もしかして、●●先生ですか?」。
電話をかけてきたのは、私の昔の担任の先生だった。
明らかに様子がおかしく、自殺をほのめかす言葉を次々に発した。
後日、他の先生にも話を聞いたら、「働きすぎ」だということだった。

 私は1年間で1万人以上の子どもたちに出張授業を届けている。
学生時代からお笑い芸人として活動している私は、お笑いの力で教育界を変えたいと考え、全国の学校へ出張授業をしている。
そんな中で強く感じることがあった――このままじゃ先生死ぬかも 。

 時代の要請で新しい授業が求められているが、それらに対応できない現場。
その大きな要因として、忙しすぎる先生の実態があることをこの目で見た。
子どもの自殺、不登校の取材をした際も、こんなに忙しい先生にもうこれ以上の対応を求めるのは難しいと思った。

学校問題の根っこの問題は、この先生の忙しさである。

中学校教師の6割が過労死ライン超え
 学校への出張授業を通して寄せられる悲痛な声を受けて、私は3年近く先生の過労問題を取材した。
すると、小学校の教師の3割、中学校の教師の6割が過労死ラインを超えて働いていることがわかった。
これは言い換えると、いつ死んでもおかしくない先生が小学校には3割、中学校には6割もいるということだ。
過労死で亡くなってしまった先生のご遺族の方とお話しする度に、繰り返してはいけないと痛感する。

 先生たちは、本当に生徒のことを愛している。
今、先生方は特殊な法律上、残業代は0円で働いている。
いくら働いても残業代がもらえないという仕組みのため、管理者側に人件費というコスト意識がなく、子どものためといって際限なく仕事が増えてしまうのだ。

「子どものため」を思うと仕事を減らすのはなかなか難しい。
ほぼただ働きだ。
 より面白い授業を、より充実した部活動をするため、どんどん忙しくなる。
そして、倒れていく先生があとを絶たない。
なんとか、この先生の悲惨な状況を知っていただきたい。
そう思い今年の8月、私が先生たちにSOSを発してくださいとツイートで呼びかけたところ、「#先生死ぬかも」がtwitterのトレンド入りした。
タイムラインには、先生の悲痛な声が溢れ返っていた。

ネガティブな印象を隠したがる教育界
 それに対して、文科省のオープンな会議である三鷹市の当時の首長が「ブラックだと言われすぎだから、やりがいのある仕事だと訴えましょう」と平然と言ってしまうぐらい、世間との認識はズレている。
自分の部下が過労死ラインを超えている、だから自分の会社の人気が落ちた。
そんな時に一番すべきことは、部下を守るために残業時間を削ることだ。
仕事の量を減らすなり、新しい人を採用するなり、アウトソーシングできることはするなりの対応が必要だ。

 そんな時に、やりがいのある仕事だと訴えようとするのはおかしい。
これでは、学校は「ブラック企業」そのものだ。
そして、過労死されたご遺族の方にお話をお伺いすると、地方紙に「美談」として取り上げられたり、生徒のことを思って労災を申請しにくいという声が聞こえ、実態がわかりにくくなっていることを知った。
それでも、厚労省が出している「過労死白書」の中には、過労死が多い職業として教員が入っている。
このままの状況でいい訳がない。

学校の教育現場は、もう崩壊している。
学校の先生の「子どものために」という気持ちに依存している。

SDGsを教える学校現場の矛盾
 東京都では、平成29年度の教師の採用倍率が7.1倍だったのに、令和3年度の採用倍率は3.9倍に低下した。
教員の採用倍率は全国的に低下傾向にあり、大学の教授からも「この子は先生になって大丈夫なのかと危惧する子が就職することがある」と、たまに聞く。
倍率が1倍台のところもある。
受けたらほぼ全員受かるのだ。
教員の質もどんどん低下するだろう。

 今学校では、小学校の教科書にSDGs(国連が作った、持続可能な世界に変えるための17個の目標)が登場し、中学校でもSDGsの副教材が配布されるなど、持続可能な社会について考える機会が増えている。
これは、とてもいいことだ。
今生きている自分たちさえよければいいのではなく、この先も地球環境や人類の暮らしがよくなることを目指すことは、若い人たち自身にとっても有益なことだ。

 SDGsの中には、目標8に「働きがいも経済成長も」がある。
「包摂的かつ持続可能な経済成⻑及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用 (ディーセント・ワーク)を促進する」というもの。
でも、SDGsを教える教育現場、教える先生の働き方に持続可能性がない。
そんな矛盾を抱えている。

現場に行って感じるのは、先生が忙しすぎて、授業や子どもたちと向き合う時間がなくなり本末転倒になっているということだ。
SDGsをはじめ、英語やプログラミングなど教える内容が増えても、やることが減ることはない。
先生が増えることがない。
どんどん現場の先生に押し付けられている。

文科省の対策は意味をなさない
 こんな状況に対して文科省が何もしていないわけではない。
政府が働き方改革を旗印にした時に、学校の先生の働き方を見直すという議論になった。
そして、そもそも学校の先生の仕事はどこまでなのかが議論され、それが発表された。
 また、「変形労働時間制」という制度を導入することができるようになった(最終的な決定は各自治体が導入するか判断する)。
同制度は、夏休みにリフレッシュするために先生に長期休暇をとってもらい、その分浮いた労働時間を忙しい時間に振り分けるという制度だ。

勤務時間が延びる分、見かけ上の残業は減るという恐ろしい制度である。
教師が長期の休みをとりながらも学校側にお金のロスがない、という点ではいいのかもしれないが、何の意味もなさない。  そして、2019年1月に「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」を文科省は策定し、上限時間数を「月45時間、年360時間」と決めた。
月80時間以上残業をしている先生が小学校の3割、中学校の6割いるという現状を考えるとなかなか難しいことは明らかだろう。
仕事量を大幅に減らすか、先生を増やすのどちらかしかないのに、抜本的な改革がなされないまま、この件については終了したかのような空気が漂っている。

 メディアも、先生が忙しいことはすでに周知されたという認識で、政治的な動きもないこの問題についてニュース性を感じられないのか、報じられる機会が減ってしまった。
また以前よりも取材のハードルが高くなった。
採用倍率が下がっているのは、忙しい、過酷だと報じられすぎたからだと考える教育委員会や校長が増えたように感じる。

忙しい実態を隠したところで何も変わらない。
むしろ、忙しいことや SOSを社会に求めて、先生の増加などを社会に訴えかけたりするほうが健全だろう。

教育のプライオリティが低い日本
 私は今回、自民党の総裁選挙を取材して痛感したことがある。
それは、教育に関する質問がほぼ皆無だということだ。
世間が関心がないのか。
票がとれないのか。
今子どもがいる世帯数自体が非常に少ない。
18歳未満の子どもがいる世帯は全体の5分の1ほど。
教育への優先順位は下がってしまうのも仕方ないのかもしれない。

 また教員の働き方改革も、コロナですっかり白紙になってしまったように感じる。
クラスターが出たら、先生の責任を強く報じられる。
消毒をしたり、ソーシャルディスタンスを保ちながら授業をしたり、新たな負担が増えるばかり。
医療従事者の労いはあっても、先生への労いはなかなか見られない。

 SDGsはあくまで目標。
つまり、目標は達成しないといけない。
目標をどう達成するか、一人ひとりが考え、実行しなければならない。
私が書いた『お笑い芸人と学ぶ13歳からのSDGs』(公文出版)では、今日からできるSDGs100のアクションを紹介している。
いかに行動につなげるかを大切にしている。

先生たち、今こそ持続可能な教育現場を作るために、「変える」努力をしてほしい。
そのために私もできることは全てやる。
子どもにツケを回さないために、一緒に変えましょう。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(4) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする