2020年11月28日

「右派」vs.「左派」では、もはや世界は読み解けないワケ

「右派」vs.「左派」では、もはや世界は読み解けないワケ
11/27(金) Voice

今、世界中で大分断が進んでいる。
しかも様々な思想が入り乱れ、対立構造が非常に複雑にわかりづらくなっている。
そこでカリスマ予備校世界史科講師であり、時事問題に詳しい茂木誠氏に、現在の複雑な世界情勢をシンプルに整理する視点を教えてもらった。
※本稿は、茂木誠『世界の今を読み解く「政治思想マトリックス」』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

なぜ、思想のねじれ現象が起こるのか
「朝日新聞は、左がかっている」とか、「産経新聞は、右寄りだ」とよく言われます。
どうやら、政治思想を説明するうえでもっともベーシックな対立構造が、「右派」VS.「左派」ということのようです。

そもそも政治思想において、何が「左」で、何が「右」なのでしょうか。
たとえば「左」の人たちは日本政府に対して、「女性や外国人の人権を守れ!」「国旗や国歌を押しつけるな!」「軍国主義反対!」「国家より個人が大切だ!」と大きな声でおっしゃいます。
「左」の中でも一番「左」が共産党であることは、共通認識になっていると思いますが、その共産党が長期政権を維持している中国で、少数民族が抑圧され、愛国心を徹底教育され、年10%の軍備増強を続け、共産党が独裁権力を保持し、個人の人権が無視されている。
このことに対して、「左」の人たちが中国大使館前でデモをやったり、反対署名活動をやったりするのを見たことがありません。
ということは「左」の本質は、中国共産党のような一党独裁体制を、是とするということでしょうか。
普段言っている「人権!人権!」とどのように整合性をつけているのでしょうか。
アメリカの二大政党は、「右」の共和党と「左」の民主党です。
共和党は北部の大資本家の支持をバックに成立し、これに対する民主党は労働者の政党として、社会保障政策や労働者保護法の制定など、弱者の側に立った政策を実施してきた─―と世界史の教科書には書いてあります。

歴史的には、これは間違いではありません。
ところが2016年の大統領選挙では、「右」と思われてきた共和党のトランプ大統領が、「アメリカ人の雇用を取り戻す!」と訴え、もともと民主党支持だった労働者層の支持を受けて当選しました。
民主党と共和党の役割が、入れ替わったようにも見えます。
同じような現象がヨーロッパ諸国でも起こり、「右」と思われてきた政党が大躍進しています。

いったい、何が起こっているのでしょうか。
思想の大逆転「ルーズヴェルト大統領のリベラル宣言」 本来「右派」は、共同体(社会や家族)の伝統や秩序を重んじ、急激な変化を求めない考え方です。
「保守主義」と言ってもいいでしょう。
社会や家族を守ることが最高の価値であり、個人はその一員として頑張ろう、という立場です。
これに対して「左派」は、「共同体より個人。個人の権利と自由を制限するような伝統は、根本的につくり変えてしまえ」という考え方。

改革や進歩を好み、言葉の本来の意味で「リベラル(自由主義者)」と呼ばれる人々です。
ところが、20世紀初頭のアメリカで大転換します。
世界恐慌に喘いでいた当時のアメリカでは、民主党のフランクリン・ルーズヴェルト大統領が登場し、実験的な経済政策を次々に打ち出していきました。
「ニューディール政策」です。

企業間で協定(カルテル)を結ばせ、生産量や価格をコントロールする。
政府が農家に対して生産量を制限させ、補助金を支払う。
大規模な公共事業を行い、政府が失業者に職を与える……。

これらの政策は、「ニューディーラー」と呼ばれるルーズヴェルト大統領の側近たちによって立案、実行され、25%の失業率を15%まで下げるという成果を残しました。
彼らの多くは社会主義者でしたが、国民はこれに熱狂します。
いずれにせよ、この政策はアメリカの伝統的な自由経済をストップさせる抜本的な取り組みでした。
このニューディールに対して、財界から疑問の声が上がりました。

「政府の強力な権限によって経済を指導する。
果たして、これが自由主義経済と呼べるだろうか。
アメリカは自由の国だ。
経済活動の自由は、合衆国憲法で保障されている。
ニューディールは憲法違反だ!」

実際、彼らは最高裁に提訴し、企業間カルテルは憲法違反という最高裁判決を勝ち取りました。
思想史のうえで特筆すべきは、この時ルーズヴェルト政権が、「我々こそがリベラルだ!」と主張したことです。

ここで、自由主義(リベラル)とは本来、どういうものだったのか、もう一度振り返ってみましょう。
リベラルの思想は、もともと「個人の自由と権利が最大限に尊重される」自由主義の考え方でしたね。
ところが、ルーズヴェルト大統領がリベラルの意味を逆転させてしまいました。
彼の言い分はこうです。
「自由放任の古典的な自由主義が貧富の差を拡大し、個人を不幸にした。
国家が責任を持って、個人の生活を守るべきだ。
社会保障をしっかりと提供し、一人ひとりの生活の面倒を見るべきなのだ。
これが本当のリベラルだ」と。

ここに「リベラル」の逆転現象が起こりました。
今日、「リベラル」という言葉は、手厚い社会保障、これを実現するための強力な政府と巨大な官僚機構(大きな政府)、重い税負担と、一人ひとりに富を平等に分配するシステムのことを指しますが、これはルーズヴェルト政権に始まるのです。
ニューディール政策が政治思想史に与えた影響がいかに大きかったか、これでわかるでしょう。

「右派=国家」「左派=個人」の矛盾が混乱を生む
大きな政府を志向する民主党的、ルーズヴェルト的リベラルは、個人の自由を最大限に尊重する古典的リベラルとは真逆です。そのため古典的リベラルを志向するアメリカ人は、「リベラル」という言葉を嫌い、新しい言葉を使い始めます。
それが「リバタリアニズム」です。

この思想を支持する人々を「リバタリアン」と呼びます。
リバタリアンは、あらゆる国家の統制や規制に反対する人たちです。
銃は規制するな、重税も反対、福祉も必要ない、国家は治安維持だけやっていればいい。
とにかく、個人の生活に干渉するな、という「小さな政府」を志向する、究極の自由主義者です。

アメリカでは世界恐慌以降、左派であるリベラル(民主党)が、大きな政府による平等分配を志向するようになりました。
すると今度は、対抗する右派の保守(共和党)が、ニューディール政策に反対します。
「あんな政策は、ソ連の官僚統制経済となんら変わらない。
国家権力の強大化は、個人の抑圧を招く。我々は認めない」と。
そして、「個人の自由を尊重し、福祉は最小限に抑えて減税を要求する。小さな政府を求める」というリバタリアンの思想が生まれました。
これは19世紀以来の開拓農民の思想であり、アメリカにおける「保守主義」「右の思想」なのです。

このように、リベラルと保守の意味が逆転したまま現在に至り、日本でも直輸入されて使われています。
リベラルの人たちが、口を開けばやれ人権だ、国家統制をやめろ、と主張しながら、目指している方向は大きな政府、巨大な官僚機構、統制経済であり、中国の独裁と人権抑圧の体制には口をつぐむのはこういうわけです。
こうした矛盾は、リベラルと保守のねじれが原因です。
      茂木誠(駿台予備学校世界史科講師)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする