2020年12月29日

コロナ禍で軽んじられる看護師の命と罪深き「天使幻想」

コロナ禍で軽んじられる看護師の命と罪深き「天使幻想」
12/27(日) 日経ビジネス(河合 薫)  

「正体がつかめない未知のウイルスへの恐怖に、泣きながら防護服を着るスタッフもいた。
防護服の背中に名前を書いてあげながら、仲間を戦地に送り出しているような気持ちになった」
 「『頑張れ、永寿病院 地元有志一同』の横断幕が目に入り、まだ私たちはここにいてもいいんだと思えた」
 これらは2月26日に脳梗塞の診断で入院した1人の患者さんを起点とする新型コロナウイルスの集団感染が発生し、214人が感染、43人が亡くなった永寿総合病院(東京・台東)の看護師さんたちの言葉である。

●精神的にも肉体的にも限界……
 コロナ感染第1波で“炭鉱のカナリア”となった同病院の院長が、当時の状況をつまびらかに報告・説明したのは2020年7月のこと。
 「私どもの経験をお聞きいただくことで、新型コロナウイルス感染症に対する皆様のご理解や、これからの備えにお役に立てれば」と、院長は会見で話していたけど、再び、いや、“このとき以上”の悲鳴が、日本全国の医療現場で上がっている。  

そして、その悲鳴はもはや「目の前の人をとにかく助けたい」という、医療従事者たちの使命感だけでは乗り切ることができない事態に発展していることは、連日メディアで医師や院長先生が窮状を訴えているので、皆さんもご承知のとおりだ。

 そこで今回は、現場の医療スタッフから話を聞くことができたので、この話題を取り上げようと思う。
 ただし、病院によっては現場の看護師や医師にSNSなどでの発信を禁じているケースもあるし、今回答えてくれた私の知人も、「医療関係者ということ以外の属性は決して出さない」という条件で、掲載を承諾してもらった。
 なので、“いち医療関係者の声”ということで、まずは聞いてほしい。  
「世間では医療崩壊が起きるだの、医療崩壊を起こさないようにしなければだのといったコメントが氾濫していますが、起こる起こらないに関係なく、すでに看護師や医師は精神的にも肉体的にも限界です。
 同僚の中には、家族に『もうやめてほしい』と言われて辞めた人もいます。

 若い看護師の中には子供がいる場合もあるし、みな家族に感染させる不安を抱えているので、1人が辞めてしまうと退職者が続くことも少なくありません。
 幸いうちの病院ではそういった状況にはなっていませんが、もともと職場の人間関係や上司との折り合いが悪かった看護師は、やっぱり辞めちゃいますよね。
 でもね、それを誰が責められますか?
 責められないですよ。それほどまでに疲弊してるんです。

 だいたいコロナ感染の最前線で働いている看護師たちは、通常の業務だけを任されているわけではありません。
患者さんが高齢の場合には、意思疎通が難しく時間がかかったり、着替えやトイレなどの介護業務を兼任したりするケースもあります。
コロナ感染ではさまざまな書類を記録しなくてはいけないので、そういった業務に割かれる時間も負担です。

●犠牲を「美徳」とする空気
 病院からクラスター(感染者集団)は絶対に出せないという恐怖感は、ものすごいプレッシャーです。
看護師は患者さんの検温を繰り返し行い、症状や呼吸器の確認も頻繁に行うので、感染リスクは当然高くなります。
 なのにクラスターを出した病院への誹謗(ひぼう)中傷は、ものすごいです。
プロ意識が欠けているとか、医療従事者として失格だとか。
なんでそこまで言われてしまうのかと情けなくなる。
感染の不安からうつ傾向になってしまう看護師もいるほどです。

 自宅に帰っていないスタッフは、精神的な疲れを癒やす時間もありませんし、院内では飲食の提供をしていた店をクローズしているので、食事ひとつ取るのも大変です。
 ただ……個人的には、今に始まったことじゃないという思いもあります。
確かに今の状況は限度を超えてますが、もともと看護の現場は決して楽なものではありませんでしたし、理不尽を感じることも度々ありました。
 夜勤できる看護師は限られていますので、よほど経営状態がいい病院以外は慢性的に人手不足です。
世の中には看護師の給料は高いと思い込んでいる人もいるようですが、決して高くありません。
 そもそも医師と看護師は両方とも専門職として対等なのに、医師の下に看護師がいるという、いわば看護師を医師の補助的な役割とする昔ながらの認識がいまだに強く残っているんです。

 それって、どういう意味かわかります?
 看護師という仕事では、常に女性性が求められてしまうのです。
もちろん患者さんに寄り添った看護はプロとして必要です。
 でも、『女だからこれくらいして当たり前』といった見方が強い。
『女の癖にこんなこともできないのか』と叱られることもあります。
なのに産休が取りづらい空気があり、出産と育児のために退職し、その後、非常勤で勤めているというパターンが多いんです。
 極論を言うと、患者さんや医師のために自分を犠牲にしてでも、身を粉にして働くことが美徳とされてしまうのです。
そういった空気が、コロナ感染拡大でも余計に看護師たちを追い詰めているんじゃないでしょうか」

 ……さて、いかがだろうか。
 件のコメントにあったような連鎖退職は、今後さらに増えるのではないか。
私がコンタクトした他の医療関係者も、そのことを懸念していた。
第1波における、4月の緊急事態宣言のときも、松井一郎大阪市長が、「医療崩壊させないためのとりで」としてコロナ専門病院に位置付けた大阪市立十三市民病院では、多くの離職者が出た。
コロナ患者が一時的に減った6月ごろから医師や看護師らの離職が相次ぎ、10月までに医師4人、看護師14人を含む25人ほどの職員が病院を離れてしまったのだ(12月2日付朝日新聞)。

 朝日新聞の取材によれば、今回の第3波で病院を運営する地方独立行政法人大阪市民病院機構や市などは、市立総合医療センターなどから、看護師や医師を十三市民病院に派遣することを決めたという。
 しかし、十三市民病院の西口幸雄院長は「精神的な負担を考えると、離職を防げないかもしれない。
やっていけるのかという不安は変わらない」とコメントしている。

●今起きている問題、根っこはコロナ前から
 また、自衛隊の「看護官」ら10人が、旭川市の病院と福祉施設に派遣され、12月15日には7人が大阪市に設置される大阪コロナ重症センターに派遣されることになったが、看護官たちが普段勤務している自衛隊の病院でも多くのコロナ感染者を受け入れているので人手は限られる。
 岸信夫防衛相が「(医官と看護官の)余力を精査しているところ。
派遣要請をそのまま受け入れるのは困難を伴うと思う。
現段階ではできる限り対処していきたい」と12月8日の記者会見で述べたように、“看護官”も“看護師”と一緒。
厳しい状況で身を粉にして働いてるのだ。

 そして、何よりも問題なのは、もともと医師、看護師は、介護士と同様に人手不足が深刻な職種の代名詞で、1990年に1万2199床あった感染病床は、2019年には1888床まで減少しており(厚労省「令和元(2019)年医療施設(動態)調査・病院報告の概況」)、今回のようなパンデミックに耐えられる状況ではなかった。
 “医療崩壊”という言葉から、あたかも医療現場のひっ迫ぶりは「コロナによるもの」と受け止められがちだが、これまで繰り返し書いているとおり、コロナ禍で起きているすべての問題はコロナ前の社会に内在していたもので、それが顕在化したにすぎない。

 冒頭の医療従事者の話からもわかるように、医療現場にかねてあった“ひずみ”がコロナ感染拡大で、より激しくなってしまったのだ。
 だいたい夏前から「冬場の感染者は増える」と専門家たちが散々警戒を促していたのに、悲しいかなその声は届かなかった。
もちろん国だって何もしなかったわけではないし、それなりの準備はしてはいたのだろう。
が、備えは薄かったと言わざるを得ない。

 NHKが全国の医療機関で感染対策にあたる看護師を対象に調査したところ、「医療用の手袋が不足している」とおよそ60%が回答(「しつつある」も含む)。
価格が2倍以上になり、病院の経営もギリギリなので入手困難になっているという(12月8日付NHKサイトなど)。
 6月には厚労省が在庫が底を突きそうな医療機関を対象に優先的に配布したけど、全く足りていない。
世界的な品不足に加え医療現場以外の「必ずしも必要ではない人」たちが購入しているなど、「必要な人に必要なモノ」が届くようにコントロールできていないのだ。

●軽んじられる看護師たちの命
 必要な人も、必要な物も、必要な金も、足りていないのに、現場の人たちには「やる」という選択肢しかない。
いつだって不合理のしわよせは現場に押し付けられる。
医師も、看護師も、介護士も、保健師も、「労働者」である以前に「人」なのに、「人」として守られていないのだ。
 そんなギリギリの状態で「私」たちを助けるために踏ん張っている人たちに、刃を向ける人たちもいる。
あれだけ第1波のときにも、「医療従事者に心ない言葉をぶつけるのはやめて!」と医師たちが声を大にして訴えたのに、今もなお、医療従事者差別なるものが「ある」と知人の一人は断言する。

 大阪府が5〜7月に、新型コロナ対応にあたる医療従事者約1200人を対象に実施した調査では、13%が「中等度以上のうつ症状」にあることがわかり、日本赤十字医療センターが4〜5月に2000人に行った調査でも、3割が「うつ状態」。
 「人の命は何よりも重い」と誰もが言うけど、医師や看護師の命は?
 目の前の命を助けるために奮闘している人たちの命が軽んじられている。

医者は聖職でもなければ、看護師は天使でもない。
私たちと同じ「人」だ。
 なのに、その“当たり前”が忘れられている。
いや、正確には「忘れ続けられている」。
 その結果として、再び医療現場が戦場と化してしまったのだ。

 前述したとおり人手不足の代名詞である看護師だが、看護師の数自体は増えているのに全く足りていないという、日本ならではの問題がある。
 例えば、看護師の数だけを見ると08年の約87万7000人から、18年は約121万9000人で、10年間で約1.4倍も増加している(厚生労働省「平成30年衛生行政報告例の概況」)。
 また、海外と比較しても人口1000人あたりの看護師数は11.8人で、OECDの平均を上回り看護師の数は決して少なくない[Nurses(indicator)。
doi: 10.1787/283e64deen]。

 一方、制度が異なるので単純に比較はできないけど、病院ベッド100床あたりの看護師数はドイツやフランスの半分程度しかいないのに、看護資格の必要のない仕事(ベッドメーキング、配膳、薬剤などの在庫管理、心電図モニターの保守点検など)や医師の業務を任されていて、「看護師は専門職としてではなく、使いやすい安価な労働力とされ続けている」という批判もある。
 医療現場に代表されるヒューマンサービスの現場では、相手の人格やプライベートにまで踏み込んだ理解が必要な場合もあり、そこに費やされるエネルギーは並大抵ではないのに、看護師は「低賃金で都合よく使われている」。

 その背景にあるのが、看護師=医師の補助的な仕事=女性の仕事 という価値観の根深さだ。

●柔軟な働き方ができない看護師のリアル
 最近は、病院に行くと男性看護師が増えていると実感する人も多いかもしれないけど、男性看護師割合は7.3%(平成28年衛生行政報告例の概況)。
つまり、看護職は90%以上が女性で、「働く女性の20人に1人が看護職」といわれるほどジェンダー化されている。
 冒頭の医療関係者が指摘するように、育児との両立が難しいどころか、育児休暇を取るのも厳しい。
夜勤もあるので、家族の理解も必要になる。
 女性が活躍している職業なのに、女性であることの犠牲を強いられる。
柔軟な働き方だの、育児と仕事の両立だのといわれるのに、それができない環境がある。

看護師の数は増え続けているのに、その陰では(65歳以下で資格を持っているのに、現職の看護師として臨床現場で働いていない)潜在看護師も増え続けているという悪循環が生じている。
 一方、ジェンダー化されていることで、「男なんだから機械に強いでしょ」「男なんだからこれ運んで」といった男性看護師差別問題もあとを絶たない。

 厚生労働省の推計によれば2025年には6万〜27万人の看護師が不足すると推計されているのに、看護師さんたちが安心して働き続けられる環境になっていないのだ。
4年に1度行われる「平成30年度 厚生労働科学特別研究事業 『看護職員確保対策に向けた看護職及び医療機関等の実態調査』」でも、様々な事情や希望に対応した、柔軟な働き方ができるような環境整備が職場に求められていることがわかっている。
 そんな状況で起きたコロナ感染拡大。
今、この時間も必死で働いている医療関係者たちのために、私たちができること。
それぞれの立場でできること。たくさんある。
どうか誹謗中傷や差別だけは絶対にやめてください。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする