2021年01月01日

本年のスタート いい年に

本年もよろしくお願いします。

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tanuki06.gif体調が一定せず ご心配をおかけして
います。早く心身を安定させ 皆様のブログに
訪問したいです。
いい年にしていきましょうね。

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2021年01月02日

年始に始める「新習慣」が、だいたい挫折で終わる根本原因

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箱根大学駅伝往路→神奈川大学のシード権獲得への応援もよろしく

年始に始める「新習慣」が、だいたい挫折で終わる根本原因
2021年01月01日 PRESIDENT Online

「目標にしていた英語の勉強ができなかった」「ダイエットがちっとも続かなかった」──昨年1年を振り返って嘆く人は多いのでは。
新しい習慣を「習慣化」できずにさまよう私たちのために、習慣化コンサルタント・古川武士氏がセブン‐イレブン限定書籍『習慣化のプロが教える 幸福感を高める7つの小さな習慣』(プレジデント社)を刊行。
同書から、やる気があってもなぜ「新しい習慣」が三日坊主で終わるのか、その根本的な理由について特別公開します。
※本稿は、古川武士『習慣化のプロが教える 幸福感を高める7つの小さな習慣』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■「新しい習慣」をなかなか身につけられないワケ
「いい習慣」を身につけることは簡単ではありません。
新しい習慣を身につけるのは非常に難しく、人間とは、いわば「続けられない生き物」なのです。
では、なぜ習慣化は難しいのでしょうか? 

その答えは、人間には「新しい変化に抵抗し、『いつもどおり』を維持しようとする傾向」があるからです。
人間を含む生き物は、環境の変化などに対して生理状態を一定に保つようにコントロールする働きを持っています。
「ホメオスタシス(生体恒常性)」と呼ばれるこの働きにより、わたしたちは周囲の変化から身を守っているのです。
たとえば、このホメオスタシスは体温にも見られます。
みなさんの体温は、気温が40度近い猛暑の日も、気温が氷点下となる真冬の日も、ほとんど変わりないですよね。
周囲の環境の変化に流されず、みなさんの体は自動的に体温を調節し、それぞれの平熱を維持しようとするのです。

■「変化」は、心にとって「脅威」
また、ホメオスタシスが作用するのは、体内環境に限りません。
心にも作用します。
たとえば、もし性格が周囲の影響でどんどん変わっていくとしたらどうなるでしょうか?
朝に社交的な人と会えばその影響を受けて社交的になり、昼に怒りっぽい人に会えば怒りっぽくなり、夜に心配性の人に会えば心配性になる……。

なんだかつきあうのも面倒そうですし、そんな人がまっとうな社会生活を営めるとはとても思えません。
体も心も、「いつもどおり」を維持できなければ、わたしたちは変化の波に振りまわされ、多くの問題に直面することになります。

人間にとって「いつもどおり」であることは居心地がよく安全で、変化は脅威なのです。
そして、「いつもどおり」を維持しようとするホメオスタシスは、習慣化のプロセスにも作用します。
わたしたちは、新しい習慣を身につけるという変化を脅威に感じるために、なかなか習慣化できないのです。

■習慣化を阻害する「心の機能」
わたしは、習慣化に作用するホメオスタシスの働きを、「習慣引力」と呼んでいます。
この習慣引力は、いまお伝えした2つの働きを持っています。

1つは、「新しい変化に抵抗する」というもの。
身につけようとしている習慣がどんなにいいものだとしても、変化には変わりありません。
変化は脅威ですから、わたしたちの脳は一生懸命に抵抗します。
そういう意味では、三日坊主を繰り返すことは、脳が正常に働いている証ともいえます。

そして、習慣引力のもう1つの働きが、「『いつもどおり』を維持する」というもの。
過度の飲酒や喫煙など、本人がどんなに「やめたい」と思っている悪習慣でも、なかなかやめられないのは、脳がその習慣を「いつもどおり」だと認識しているからです。
習慣引力が持つこれらの働きを思えば、「新しい習慣を身につけるのは難しい」ことがよくわかっていただけると思います。 でも、見方を変えれば、「習慣引力があるからこそ習慣化できる」ともいえるのです。

身につけたい習慣を一度「いつもどおり」に組み込むことさえできれば、その後は特別な努力など必要なく習慣を維持することができます。
それが「いつもどおり」のことになったからです。

■「複数の習慣を一度に身につけようとする」から続けられない
新しい習慣を身につけるのが難しいことの要因は、「習慣引力」の働きだけではありません。
「複数の習慣を一度に身につけようとする」ことも、習慣化を難しくさせている要因の1つです。
複数の習慣を一度に身につけようとした場合、その習慣化の難易度は、「成功しにくい」といったレベルではありません。
多くの人の習慣化をお手伝いしてきたわたしの経験からいえば、「無謀」という言い方をしてもいいでしょう。
でも、多くの人は、つい複数の習慣を同時に身につけようとしがちです。

■「やる気」が習慣化の邪魔をする
みなさんが新しい習慣を身につけようとしているときは、どんな気持ちになっているでしょうか?
 おそらく、「やる気満々で張り切っている」という人がほとんどであるはずです。
わざわざ新しい習慣を身につけようとしているのですから、「このままの自分では駄目だ!」「わたしは変わらないといけない!」「今度こそいい習慣をしっかりと身につけるぞ!」と思っているのですから、やる気満々で張り切っていて当然です。 すると、人間はつい欲張ってしまいます。

たとえば、「出勤前の朝に勉強をする」という習慣を身につけたいという人がいるとします。
では、その人は、「出勤前の朝に勉強をする」という習慣だけを身につければいいのでしょうか? 
その答えは、「NO」です。
そもそも、出勤前の朝に勉強をするには、その勉強時間を確保する必要があります。
つまり、「出勤前の朝に勉強をする」という習慣を身につけるためには、「早起きをする」という習慣も同時に身につけなければならないのです。

■複数のアクションを同時に習慣化することはできない
しかも、やる気満々で張り切っている人の場合、それだけで終わらないということもあります。
「せっかくだから」と考えるのです。
「せっかく早起きするんだから、勉強だけでなく運動もしよう」「せっかく早起きするんだから、勉強だけでなく掃除もしよう」というふうに、ついつい欲張ってしまうという具合です。

つまり、この場合には、「早起きをする」「出勤前の朝に勉強をする」「出勤前の朝に運動をする」「出勤前の朝に掃除をする」という、じつに4つもの習慣を一度に身につけようとしていることになります。
冷静に考えれば、そんなことが簡単にできるはずはありません。

■習慣化は1つずつ行うこと
きちんと早起きできたとしても、勉強する気にならないこともあるでしょう。
このケースの場合、勉強に加えて運動も掃除もしようとしているわけですから、たとえ勉強する気になっていたとしても、運動や掃除をする気にならないこともありえます。
そして、どれかひとつでもできなければ、「きちんとできなかった……」と思ってしまう。

すると、習慣化の天敵である、「どうせ自分にはできない」という「学習性無力感」におちいってしまうリスクも高まっていきます。
「習慣化」の際は、複数の習慣を同時に身につけようとすることなく、興味を持ったものから1つひとつ身につけていくことを心がけてほしいと思います。
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古川 武士(ふるかわ・たけし)
習慣化コンサルタント
習慣化コンサルティング株式会社代表取締役。
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2021年01月03日

コロナ禍の"寝正月”睡眠リズムを崩さず早く取り戻す3つのコツ

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箱根駅伝往路、皆様の応援のおかげで 神奈川大が8位でした。
今日の復路でシード権がとれるか決まります。昨日に増しての応援 よろしくお願いいたします。

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ロナ禍の"寝正月”睡眠リズムを崩さず早く取り戻す3つのコツ
2020年12月30日 日刊ゲンダイ

 コロナ禍で迎える今年の正月休みは、自宅にこもって“寝正月”なんて人も多いだろう。
ただ、深夜まで起きていて昼すぎまで寝ている……なんてパターンを休みの間ずっと続けていると、睡眠のリズムが崩れて休み明けに不調を招いてしまう。
睡眠リズムを大きく崩さず早めに取り戻す方法を東京疲労・睡眠クリニック院長の梶本修身氏に聞いた。

 休み中も普段と同じ時間に起床すれば問題ないが、せっかくの休みだから寝坊したい。
そんな人でも、睡眠リズムを大幅に崩さないコツがある。
「睡眠のリズムは1時間ずれると元に戻すには1日かかるとされています。
ですから、正月休み中でも、普段の起床時間から3時間以内に起きるように心がけましょう。
その上で、仕事が始まる3日前くらいから起床時間を1時間ずつ早めていけば、スムーズに普段の睡眠リズムに戻せます」 

休み中にいつもより遅く起きる場合でも、起床したらすぐにカーテンを開け、日の光を浴びることが重要だ。
「睡眠ホルモンと呼ばれるメラトニンは、神経伝達物質のセロトニンをもとに作られます。
日の光を浴びるとセロトニンの分泌が始まり、脳と体を覚醒させます。

朝に光を浴びてセロトニンをしっかり作っておくことで、夜にはセロトニンからメラトニンが合成され、自然な眠りへ誘います」

■朝食でリズムのズレを調整
 また、良質な睡眠を取るためには、自律神経の日内リズムとバランスを整えることが欠かせない。
昼間は活動時に活発になる交感神経を優位にして、夜にはリラックス時に活発になる副交感神経を優位にする必要がある。
日の光は、自律神経の日内リズムをつくったり、調整するための基準になっている。

目覚めたらまず日の光を浴びる習慣を身に付けておきたい。
 起床したら朝食を取ることも睡眠リズムの調整にとって大切だ。
 われわれは、食事と食事の間=絶食している時間が最も長かった後の食事をきっかけに生体リズムをスタートさせる仕組みが備わっている。
ほとんどの場合、夕食と朝食の間が最も長い絶食時間だから、朝食を取った時点から自然と活動的になっていく。
朝食で生体リズムのずれを調整しているのだ。

「朝食は自律神経を目覚めさせる重要なスイッチです。
朝にしっかりスイッチを入れることで、その日一日の生体リズムがうまくつくられ、睡眠リズムも整ってきます。
起床してから1時間以内に取るのが理想的です」

 睡眠リズムを整えてすっきりした休み明けを迎えたい。牛2.jpg
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2021年01月04日

日本なのに「餓死」が増えている? データが語る「ヤバすぎる未来」

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応援いただいた箱根駅伝、残念ながら13位でシード権は得られませんでした
卒業して40数年、母校を思い出した一時でした。

日本なのに「餓死」が増えている? データが語る「ヤバすぎる未来」
1/3(日) 現代ビジネス(鷲尾 香一(ジャーナリスト))

餓死の要因「食糧不足」は抑えられているが…
 新型コロナウイルス感染拡大の影響は、多くの産業にダメージを与え、多くの失業者を生み出している。
そして今、懸念されるのが“餓死”の増加だ。

 大阪府高石市では、9月に高齢女性が餓死し、同居の息子も衰弱して入院したことが明らかになった。
大阪市港区ではマンションの一室で女性2人の遺体が見つかり、司法解剖したところ、2人とも餓死したとみられることが判明した。
 厚生労働省の人口動態調査には、さまざまな死因による死者数が報告されているが、その中で餓死の理由に相当する死因として考えられそうなのが、“栄養失調”と“食糧の不足”である。
 そこで、2003年以降の栄養失調と食糧の不足による死者数、その合計を餓死としてグラフ化したのが表1だ。

 データによると、2003年は栄養失調が1338人、食料の不足が93人、2019年では栄養失調が1934人、食料の不足が23人と、“栄養失調”が圧倒的に多いことが分かる。
“食糧の不足”は2003年(93人)から低下を続けており、2012年以降は年20人程度に抑えられている。
 ただし、栄養失調の原因には、高齢者等の病気に起因するものも多く、これらを一概に餓死とするのは難しい面もある。
一方で、食糧不足による死者は明らかに餓死と見ることができるのではないか。

 では、食糧の不足についてもう少し見てみよう。
2005年、2008年、2009年、2011年に増加してはいるものの、その後は減少を辿っている。
特に2008年はリーマンショック、2011年には東日本大地震が発生した年であり、新型コロナ禍で苦しむ現在と同じように、経済的に大きなダメージを受けた労働者が多く発生していた。
 どうやら餓死数の変移を読み解くにあたり、経済的困窮者の推移がカギになりそうだ。

生活保護が餓死のセーフティネットに
 表2は“完全失業者数”と“生活保護者数”の推移だ。
 完全失業者数はリーマンショック直後の2009年度、2010年度と増加し、その後に減少している。
そして、生活保護者数は2009年度から急激に増加し、その後は高止まりを続けている。
これは“格差社会”の表れということなのかも知れない。

 さらにここで、「“完全失業者数”と“食糧不足による餓死”」、「“生活保護者数”と“食糧不足による餓死”」に相関関係があるか検証してみたい。
 まず、“完全失業者数”と“食糧不足による餓死”は似た推移をしているのがわかる(表3)。
 さらに“生活保護者数”が増加すると、“食糧不足による餓死数”は減少している(表4)。
これは生活保護というセーフティネットによって、食糧不足による餓死が年20人程度に抑えられている可能性がある。

 つまり、生活保護受給者が高止まりしていることが、結果的に食糧不足による餓死を防いでいると考えられる。
 では、新型コロナ禍に苦しんだ2020年はどうなのか。

厳しすぎる2020年の雇用状況… 
 次に2020年の雇用者数を見ていきたい。
新型コロナウイルスの感染が拡大した4月以降、全体の雇用者数の前年同月比は大きく減少している(表5)。
 中でも、“正規雇用者”は5月に前年同月比で1万人程度の減少となったものの、それ以外の月は増加を維持。
ただし、9月、10月の増加幅が大きく減少している点は気掛かりだ。

 これは、12月6日の「報道されない『男性の失業率』の増加、実は『雇用崩壊』の超危険シグナルだった…!」でも指摘したが、雇用調整が非正規雇用者から正規雇用者に波及し始めているシグナルの可能性が高い。
 一方、“非正規雇用者”は2月を除いて、すべての月で前年同月比減少し、特に6〜9月は同100万人以上の減少となっている。

多くで報道されているように、非正規雇用者への影響は甚大だ。
 特に、表6のように女性の非正規雇用者は男性に比べて減少幅が大きい。
同50万人以上の減少が11ヵ月中5ヵ月にのぼり、7月、8月は80万人を超える減少となった。
]
不気味な「逆相関関係」 
 表2、表3で述べたように、完全失業者数が増加すると生活保護者数が増加する。
そして、生活保護者数が増加することで“食糧不足による餓死”が防がれていると考えられる。

 しかし、2020年はどうやら様子がおかしい。
2020年の生活保護者数と完全失業者数は逆相関関係にあるのだ(表7)。
2020年は3月以降に完全失業者数が増加の一途を辿っているにもかかわらず、生活保護を受けている人数が減少している。

 もちろん失業しても、生活が困窮するまでには時間があることや、生活保護には申請してから受給までに時間がかかることが要因の一つだと考えられるが…。
 セーフティネットをすり抜けて、餓死の危機に晒される人が増えることだけはあってはならない。
政府には、くれぐれも食糧の不足による餓死者を出さないように、失業者に対する生活の保護を図っていくことが求められている。
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2021年01月05日

「今年こそ」を実現するほんの少しの取り組み

「今年こそ」を実現するほんの少しの取り組み
自分を好きになり、叶う目標を掲げるポイント
2021/01/04 東洋経済オンライン
大野 萌子 : 日本メンタルアップ支援機構 代表理事

こんにちは。生きやすい人間関係を創る「メンタルアップマネージャⓇ」の大野萌子です。
昨年は、取り組みたいと考えていたことが、思うようにできなかった方が多いと思います。
もちろん、物理的に難しくもあり、状況が許さなかったこともあったと思います。
しかし、もしかしたら、「コロナ」を大義名分にして先送りしていたこともあるかもしれません。

実行できる目標の立て方
やりたい、したいと思っていたことが、長いことかなわないと、できない自分、できない状況を恨みがちになります。
自己否定にもつながり、前向きな気持ちを阻害して、モチベーションを下げてしまう原因にもなります。
達成感や満足感を次につなげていくためにも、実行できる目標を設定することが大切です。
そうした目標の立て方をお伝えします。

私の研修の中で、行っていることをご紹介します。
まず、「私は、○○できない」という文章をいくつか作成してみましょう。
日々やりたいと思っていることや、やりたくてもなかなかできずにいることを2〜3つほど挙げていただけるとよいかと思います。
「私は、部屋の掃除ができない」「私は、ダイエットを続けることができない」「私は、資格試験の勉強に取りかかることができない」などです。
いかがでしょうか。

書き終えたら、文章を書き直します。
すべての文末は、「〜できない」になっているかと思います。それを「〜しない」に変換して、文章すべて書きうつします。そして、書き直した文章をもう一度読み直してみてください。
胸に去来することが少なからずあるはずです。

先週も研修に参加していた方々の中から「うわ、確かに」「やられた」といった声が漏れ聞こえていました。
できないのではなく「やらない」「やっていない」だけのことが実はとても多いのです。
そもそも、すぐに取りかかれないということは、すぐに取りかかろうとしていないことでもあり、実は、ご自身の中での優先順位は低いのです。

人が行動に移す原動力は気持ちです。
もし、何が何でもやりたいという強い気持ちがあれば、できない理由を挙げるのではなく、何とかしてやろうとする方法を探し始めます。
それをしていないということは、ご自身では気づいていないうちに、やらなくてもいい目標を掲げ、やれない自分に自己嫌悪してしまっている可能性があります。
できない自分を感じ続けることは、それだけで、自己肯定感を低くしてまい、日々の生活の質を下げてしまいます。
ですので、思い切って、その目標は断捨離してしまったほうがよいかもしれません。
できないことを長いこと抱えているのは、かえってよくありません。
スッキリ手放しましょう。

今まで、抱えていたもやっとしたものがなくなれば、次の新しい目標が手に入るかもしれません
手放すと、そこに余裕ができるので、新しいことに気持ちが向くようになるからです。

物事は少しずつの積み重ね
しかし、もし書いた文章を読んで、「いや、手放したくない。
これは自分にとって大切で、やりたいことだ」と再認識したのなら、ぜひ今日から始めてください。
物事は少しずつの積み重ねです。
とにかくどんなことでもよいので、それにつながるようなことをささいなことでも始めることが大切です。
今日の1歩が大切で、続けていくことこそが目標を達成するためのプロセスなのです。
一度に全部をクリアしなくてよいし、そもそも一度にゴールまで達することなど不可能です。

例えば、小学生のお子さんが、理科が苦手で、得意にしたいという思いがあったとします。
国語は好きで、言わなくても宿題をしたり、問題集に取り組む。
ところが、理科だけはなかなか進まない。
もともと嫌で苦手なことは、そもそも苦痛を伴います。
毎日全教科1ページずつ、問題集をやるという目標を立てれば、途端に挫折するでしょう。
好きな教科、得意な教科は、1ページを難なくこなせても、理科はそうはいきません。
それでも、無理して計画を変えずにいたら、今日もできなかったと、ますます理科を遠ざけてしまい、苦手科目としての認識が強まってしまうと思います。
その場合の対策は、理科は1問にすることです。
たったの1つです。
問題1の(1)だけです。
これを毎日行えば、ひと月で30問、3カ月経つ頃には100問ぐらいを解き終えます。
この頃にはおそらく、最初の苦手意識はかなり改善されていると思われます。
いつの間にか知識が増えて得意にさえなっているかもしれません。

「雨垂れ石を穿つ」というように、嫌でもどうしてもやらなければならないなら、そんなに苦にならないほんのちょっとを積み重ねていくことで、知らず知らずのうちに変化が起こるのです。
私が学生時代に予備校の合格者体験で聞いた話です。
高校1年生のときに「東大に入るにはどうしたらよいですか」と先生に尋ねたら、まずピーナッツを1袋買うように指示されたとのこと、そして、これから3年間、1日も欠かさずにピーナッツを1粒ずつ食べることができたら、きっと合格するといわれ、それを愚直に実行し、1日も欠かさずピーナッツを食べて無事に東大に合格したという話でした。

目標を達成するために取捨選択から始めよう
もちろん、ピーナッツを食べたから合格したとは誰も思わないと思いますが、ほんの少しを継続できる力が実を結ぶことの力を実感していただけたらと思います。
小学生の勉強は、ある程度必須な部分があるとは思いますが、大人の皆さまは、まずは、目標の取捨選択から始め、繰り返しになりますが、思い切って手放すことを考えましょう。
それができない、したくないなら、ほんの少し毎日できることを見つけて、取り組んでいただけたらと思います。
今年の終わりには、きっと違う景色が見えていること間違いなしです。
皆さまにとって、目標達成の1年となりますように。
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2021年01月06日

山本太郎氏「コロナに打ち克った証としての五輪」は寝言でしかない

山本太郎氏「コロナに打ち克った証としての五輪」は寝言でしかない
1/5(火) NEWSポストセブン

 新型コロナウイルスの感染拡大によって、2021年に開催が延期となった東京五輪。
しかし、そもそも“開催すべきかどうか”という点で、世間の声も分かれている。
「五輪中止」を主張する、れいわ新選組代表の山本太郎氏の見解を聞いた。
 *   *   *
 昨夏の東京都知事選出馬でも五輪中止を公約に掲げましたが、この冬のコロナ第3波でその思いはより強まりました。
 これだけ感染が拡大している中で強行開催するのなら「具体的な感染予防策」「医療体制の抜本的な増強」など対策をひとつひとつ明示して国民を納得させるという作業が必要でした。

 しかし政府はまるで無策。
すでに医療崩壊が迫っている都市もある。
この状況で「コロナに打ち克った証として開催する」という主張は寝言でしかありません。
 確かに日本は諸外国に比べて感染者数も死亡者数も少ないですよ。
しかしその理由を明確に説明できる人がいますか?

 単にラッキーだっただけですが、その奇跡的に与えられた猶予さえ活かさなかった。
「ワクチンが普及するから大丈夫」という主張も情けないですね。
ただ製薬会社の成果に身を委ねるだけ。

 コロナで職を失い、困窮している人がたくさんいる。
なのに五輪に3000億円近くの追加費用を投入することがポンと決まってしまう。
庶民にカネを渡すのは躊躇するが、何かしら自分たちに環流できそうなカネなら大盤振る舞い。

 そもそも今回の五輪は「震災復興のため」としてスタートしましたが、そんな理念はただの建前です。
誘致の際に一番急がなければならなかった原発事故の収束や被災者支援は蔑ろにされ、いまだ復興は進んでいない。
そしてコロナ対策でも同じことが起こっている。
誰のための五輪なのか理解に苦しみます。
即刻中止すべきです。
  ※週刊ポスト2021年1月15・22日号
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2021年01月07日

最強の第三寒波襲来へ、猛吹雪や大雪に厳戒を

最強の第三寒波襲来へ、猛吹雪や大雪に厳戒を
1/6(水) ウェザーニューズ
杉江勇次 | 気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ所属

最強の第三寒波襲来へ
日本列島に再び強烈な寒波が襲来しようとしています。
今季の目立った寒波という意味では、昨年12月半ばの第一波、年末の第二波、そして今回の第三波ということになりますが、今回の寒波がこの三波の内で最も強力な最強寒波の襲来となりそうです。

上空1500メートル付近の寒気の強さを、第一波、第二波の解析値、及び第三波の予想値でみてみると、いずれも西回り(西日本周り)で流れ込んできていますが、福岡や鳥取に流れ込む強さでみてみると、第一波は−9度ライン、第二波は−12度ライン、そして今回の第三波はこれよりもさらに強い−15度ラインの南下が予想されています。

図中の濃い青色表示でも分かりますが、これは厳冬期の今の平年値よりも10度前後も低い、まさに数年に一度レベル(あるいはそれ以上)の強烈な寒波の襲来ということが出来るでしょう。

海水温は低下傾向でも要警戒
昨年12月半ばの第一波襲来時には群馬県や新潟県の山沿いで24時間降雪量が100センチ以上に達するような記録的な大雪となり、関越自動車道では大規模な立ち往生の被害も発生しました。

この時、話題となったのが日本海の海水温の高さで、第一波襲来時をみると、暖かかった秋の影響もあり、平年より2度前後も高く、日本海中部でも15度前後あります。
この相対的に暖かな日本海から多量の水蒸気が蒸発し、活発な雪雲(雨雲)が発生して降水量がかなり多くなったのが記録的な大雪の一因でもありました。
その後、年末の第二波襲来を経て冷やされた結果、徐々に海水温は低下傾向(2度前後低下)となっていますが、それでも直近の1月4日ではまだ全体として平年よりやや高い値となっています。
海水温はやや下がりましたが、上空の寒気は今回の第三波が最も強いということで、やはり今回も記録的な大雪となる所があるかもしれません。
なかでも降雪量が増えそうなのが活発な雪雲の流れ込みやすい新潟県を中心とした北陸地方で、24時間の降雪量は最大で90センチが予想されており、これが国道などを直撃すると再び大規模な立ち往生などが発生するおそれもあり、厳重な警戒が必要です。

もちろん北陸だけではなく、西日本の平地でも積雪が予想されますので、雪の降る所では、週末9日(土)頃までは不要不急の外出はなるべく避けた方が無難かもしれません。
”爆弾低気圧”で猛吹雪に 今回の第三寒波は大雪だけではなく、見通しがほとんどきかないような猛吹雪に厳重な警戒が必要です。
その原因は寒気に伴って急速に発達する低気圧、いわゆる爆弾低気圧の存在です。

7日(木)は日本海で二つの低気圧が発生し、それが夜には津軽海峡付近で一つにまとまり、さらに発達する予想です。
急速に(急激に)発達するため、低気圧周辺では平均風速20メートル前後、最大瞬間風速30メートルから35メートル程度の暴風となる予想で、特に低気圧が通過し、寒波襲来とともに非常に強い北西風の吹き付ける東北の日本海側では見通しのほとんどきかないような猛吹雪に見舞われるおそれがあります。

青森県、秋田県、山形県を中心に7日(木)夕方から夜にかけて、急激に天候が悪化するおそれがありますので、厳重な警戒が必要です。
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2021年01月08日

医療危機に「国民のがんばり」で立ち向かう、戦時中と変わらぬ日本の姿

医療危機に「国民のがんばり」で立ち向かう、戦時中と変わらぬ日本の姿
2021.1.7 ダイヤモンドオンライン
窪田順生:ノンフィクションライター

緊急事態宣言の再発令で 疲弊する医療機関にトドメか
 いよいよまた、緊急事態宣言が発出される。
「再び全国で緊急事態宣言を出すべきだ」という声が世論調査などで6割を超え、専門家などからも「遅すぎだ」「もっと早く出すべきだった」という声があふれる中で、こんなことを言うと「非国民」扱いされてしまうかもしれないが、筆者は今回の緊急事態宣言には反対だ。

 まず、よく言われることだが、大した休業補償がない中で8時以降の営業をやめさせるというのは、飲食業などの人々への負担があまりに大きい。
前回の緊急事態宣言後に廃業や失業が相次いで、コロナの死者数を上回るほどの自殺者が出たことを踏まえると、社会へのダメージが大きすぎる。
 また、ただでさえ疲弊する医療機関にトドメを刺す恐れもある。

 昨年末、『医療崩壊の真実』(エムディエヌコーポレーション)を上梓した、全国800以上の急性期病院のビッグデータを有するグローバルヘルスコンサルティング・ジャパンの分析でも、緊急事態宣言を境に多くの病院の経営が急速に悪化していることが明らかになっている。
外出自粛で新規感染者数は減ったが、同時に感染を恐れてコロナ以外の患者も病院に近づかなくなったことで、通常の医療をしている病院の収入がブツリと途絶えてしまったからだ。

 人の流れを止めれば、確かに感染者数は減る。
が、それは「カネ」の流れを止めることでもあるので、多くの人々が「経済死」する。
医療は商売ではないが、医療費で運営されている以上、この構造はそれほど変わらない。
つまり、緊急事態宣言の乱発は回り回って、疲弊する医療従事者の皆さんの「経済死」を招くことになり、医療体制をこれまで以上にシビアなものにするだけなのだ。  

という話をすると、「これだけ感染者が出ているのに、経済死だなんだと言っているような場合ではない!」と怒る方たちがたくさんいらっしゃると思うが、筆者からすれば、いくらコロナを恐れるからといって、それはあまりにも「経済死する人」の命を軽視している。

国民に「経済死」を強いる政府が まだ手を尽くしていないこと
 本来、国家が国民に「経済死」を強いるなどということは、最後の最後にやる奥の手だ。
しかし、今の日本政府はまだ手を尽くしたとは言い難い。
 その最たるものが、コロナ医療資源の「偏在」の解消である。
 今回の問題の本質は、1400万人という世界有数の大都市であり、医師が4万人以上、看護師が10万人以上もいる東京が、コロナ重症患者100人たらずで「崩壊」してしまったように、日本の医療資源のポテンシャルを活かしていない「戦略ミス」にあることは明白だ。
 前回の「『多すぎる病院』が、コロナ禍で医療現場の危機を招きかねない理由」の中でも触れたが、世界一病院も病床も多い日本で、諸外国と比べてケタ違いに数が少ない感染者、重症者によって医療がパンクをしてしまっているのは、よく言われる「2類相当の指定感染症」という非効率な対応方針もさることながら、コロナ治療に投入する医療資源が偏りすぎていることが大きい。

 わかりやすく言えば、一部の病院だけに重症患者が集中して「野戦病院」のようになっている一方で、コロナ患者を受け入れることなく、いつも通りにのんびりとした診療を行っている病院も山ほどあるのだ。
 この「偏在」の問題を解消したうえで、それでもなお持ちこたえられないというのなら、営業自粛でもロックダウンでもなんでもやればいい。というか、躊躇なくやるべきだ。

 しかし、今のコロナ医療はまだ見直すべきところが山ほどある。にもかかわらず、早々に「国民のがんばり」に依存するのは、あまりにもご都合主義というか、筋が違うのではないかと申し上げたいのだ。
「コロナの専門家でもないくせに、わかったような口を叩いて、医療従事者にすまないと思わないのか!」というお叱りを受けるだろうが、国民の一致団結が求められるムードの中であえてこんなことを言わせていただいたのは、これが日本の陥りやすい「負けパターン」だからだ。

「無策」を放置して、「国民一丸となって頑張るぞ」と突き進むと、結局最前線で戦っている人たちや国民に、多数の犠牲者が出る。
そんな悲劇が過去にもあった。そう、先の太平洋戦争だ。
 いろいろな分析がなされているが、日本が戦争に敗れてしまった原因の1つに「無策」があったということに、賛同する方は少なくないのではないか。
 その象徴が、一説には140万人とも言われる日本軍の膨大な餓死者だ。自身も復員経験のある歴史学者の藤原彰氏の『餓死した英霊たち』(ちくま学芸文庫)によれば、日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者数約230万人のうち、140万人(全体の61%)は餓死、もしくは栄養失調による病死だと推察されるという。

「国民のがんばり」に頼って 大量の犠牲者を出した戦時中の教訓
 なぜこんなことが起きたのかは、専門家によって意見もさまざまだ。
「兵站」を軽視していたという人もいれば、「いや、日本軍のインフラは当時でも世界トップレベルだった。能力以上に戦場を広げすぎたことが敗因だ」という人もいる。
 いずれにせよ、「お国のために1人でも多くの鬼畜米英を殺して来い!」と送り出され、時に玉砕まで命じられた日本の若者たちの多くは、戦闘ではなく飢えや病で亡くなっているのだ。

「無策」のツケを「国民のがんばり」で払うという意味では、これほどわかりやすく、これほど残酷なケースはない。
 もちろん、この構造は戦地の兵士だけではなく、国民にも当てはまった。
「欲しがりません勝つまでは」などというスローガンのもとで、「贅沢は慎め」と自粛ムードが社会を支配する中で、国民一丸となって頑張った。
飛行機をつくる鉄が足りないと鍋や釜を差し出して、食料も取り上げられて「経済死」をする人もたくさんいたが、「戦地で戦う兵隊さんのため」と文句を言わずに歯を食いしばった。
 しかし、戦地で140万人の餓死者が出たことからもわかるように、この「国民のがんばり」は意味がなかった。

戦争に負けたのは、日本人の「がんばり」が足りなかったからではなく、もっと根本的な国家の方針や、戦争のやり方が間違っていたからだ。
 つまり足りなかったのは、世の中のムードに流されず、「この方向で突き進んだらやばいかも」と立ち止まる勇気や、自分たちが置かれた状況を客観的に分析する、冷静な視点だったのである。
 そんな戦時下のムードと、昨年1年間の日本のムードは妙に重なる。
「コロナに負けるな」「みんなでステイホーム」などのスローガンのもと、自粛ムードが支配する社会において、国民一丸となって頑張った。
営業自粛を強いられて「経済死」をする人もたくさんいたが、「現場で戦う医療従事者のため」と文句を言わずに歯を食いしばった。

責任感の強い人たちは、自粛をしない人たちを探し出して注意もした。
感染拡大地域のナンバーをつけた自動車に石を投げる人もいた。
やっていることは、戦時中の「非国民狩り」と変わらなかった。
 しかし、そんな国民の血のにじむような努力も、最前線の医療従事者を救うことはできなかった。
日本看護協会が昨年、コロナ感染者を受け入れた病院の21%で看護師が離職したことを明らかにしたことからもわかるように、「第1波」時程度の感染者数であっても、コロナ医療の現場は日本軍のガタルカナル島の戦いのように、厳しい消耗戦を強いられたのだ。

 戦時中の国民の自粛が最前線の兵士にとって何の役にも立たなかったように、「国民のがんばり」がコロナ医療の現場に届いていないのである。

政府が後ろ向きな緊急事態宣言を 自ら求める日本人の「自粛意識」
 ただ、このような共通点もさることながら、筆者が今の日本と戦時中の日本のムードが丸かぶりだと感じるのは、政府が後ろ向きな「緊急事態宣言の発出」を多くの国民が望んでいるという点だ。
要するに、国民の「自粛意識」が政府のそれを飛び越えてしまっているのだ。  実は、戦時中もそうだった。
わかりやすいのが娯楽規制だ。
 戦争中の映画、ラジオ、演劇、落語などの大衆娯楽は軍部が厳しく弾圧したというイメージが定着しているが、最近の研究ではそうではなく、軍は国民の「自粛ムード」に突き動かされていたことがわかっている。

 金子龍司氏の『「民意」による検閲―「あゝそれなのに」から見る流行歌統制の実態』(日本歴史 2014年7月号)によれば、ラジオの選曲が西洋風だと「日本精神に反する」と怒りのクレームを寄せる「投書階級」と呼ばれる人々がたくさんいた。
投書は年間2万4000件にものぼり、番組編成や検閲当局にも影響を与えていたという。
言論統制や娯楽統制を強く求めたのは、軍ではなく実は「民意」だったのだ。

 当時の日本には、このようなポピュリズムが蔓延していた。
『戦前日本のポピュリズム』(筒井清忠著 中公新書)でも、大衆を支持基盤とする近衛文麿とポピュリズム外交をしていた松岡洋右が、日本の開戦を引き返せないところまでもっていったとして、日米開戦を引き起こしたのはポピュリズムだったと考察している。

令和日本のポピュリズムが 「コロナ敗戦」を招く
 令和日本にもそんなポピュリズムの匂いが漂う。
菅義偉首相は緊急事態宣言に対してずっと消極的な姿勢を貫いていた。
しかし、世論調査で支持率が急落して世間から叩かれ始めた途端、あっさりとその信念を覆した。
ニコニコ生放送で「どうも、ガースーです」などと柄にもないことを口走ったように、菅首相もポピュリズムに傾倒しつつあるのだ。

 ということは、令和日本も太平洋戦争時の日本と同じ道を辿る恐れがあるということでもある。
つまり、最前線で戦う人々が援軍もないまま次々と倒れているのに、「戦略ミス」を認めず、ただひたすら国民に「自粛」を呼びかける。
根本的な問題が解決されないので、犠牲者はどんどん増えていくのだ。

 ちなみに今問題になっている、政治家が国民に自己犠牲と我慢を呼びかける裏で、実は優雅な会食やパーティをして叩かれるという現象は、太平洋戦争時にもあった。
時代背景は違うが、社会のムードは驚くほど酷似している。

 今回の「戦争」の犠牲者は、前回と異なって「経済死」や「自殺」なのでわかりづらいが、今のまま「国民のがんばり」で押し切ろうとすれば、甚大な被害を招くはずだ。
ましてや数カ月先には、100人程度の重症患者で医療崩壊している東京で、世界中からアスリートを招いて五輪を開催するという「無謀な作戦」も控えている。
「コロナ敗戦」という言葉が頭にちらつくのは、筆者だけだろうか。
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2021年01月09日

「医療崩壊」はもう起きている…遅すぎた宣言発令で見えた菅政権のお粗末ぶり

「医療崩壊」はもう起きている…遅すぎた宣言発令で見えた菅政権のお粗末ぶり
1/8(金) 現代ビジネス
長谷川 幸洋(ジャーナリスト)

入院できない感染者が3000人
 新型コロナの感染拡大を受けて、2度目の緊急事態宣言が発令される中、衝撃的な数字が発表された。
東京都で「入院や療養先が決まらない人が3000人を超えた」という。
もはや完全な医療崩壊である。
宣言より先に、現実はとっくに緊急事態に突入していたのだ。

 1月7日付各紙は政府の緊急事態宣言絡みの話を大きく扱った。
たとえば、読売新聞1面トップの大見出しは「緊急事態 来月7日まで」である。
だが、私は、その横の縦3段見出し「都内『自宅待機』週3000人」に目を奪われた(https://www.yomiuri.co.jp/medical/20210106-OYT1T50215/)
 記事は「東京都で新型コロナに感染したが、入院先や療養先が決まらず『調整中』となっている人が12月27日から1月2日までの週で3000人を超えた」と伝えている。
ようするに「感染しているのに、病院やホテルに入れない人が3000人もいる」というのである。
 医療崩壊の定義はいろいろあるかもしれないが、私はこれこそ「医療崩壊」と思う。

厚生労働省の資料を探してみたら、10分ほどで見つかった。
「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」の会合に添付された「東京都内の陽性者の調整状況(週別)」という資料である(https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000715529.pdf)
 これを見ると、12月20〜26日の週は「入院・療養等調整中」が1700人超くらいだったが、27〜1月2日の翌週は一挙に3000人を超えた(青い棒グラフ)。
「調整中」は11月29〜12月5日の週の700人超から徐々に増えていたが、ここへきて突然、急増したのは明らかだ。
 これとは別に「東京都内の陽性者の調整状況(処遇別)」というグラフもある。
処遇が「自宅療養」と決まった場合は「自宅療養」として記載されている。
調整中は処遇が決まらず「宙ぶらりん」の状態にある人だ。
ほとんどが「自宅待機」だろう。

 この事態について、同じ会合の別資料はこう記している(https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000715536.pdf)
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〈入院調整に困難をきたす事例や通常の医療を行う病床の転用が求められる事例など通常医療への影響も見られており、各地で迅速な発生時対応や新型コロナの診療と通常の医療との両立が困難な状況の拡大が懸念される。
また、入院調整が難しい中で、高齢者施設等でのクラスターの発生に伴い、施設内で入院の待機を余儀なくされるケースも生じている〉
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 後段にある「高齢者施設内で待機を余儀なくされるケース」は、とりわけ深刻だ。
施設でクラスターが発生しているのに「入院先が見つからないから、やむを得ず、そのまま施設にとどまっている」という状態である。

医師の治療すら受けられない 
 これが現状だとすると、東京では「これから新型コロナに感染しても、入院できない」と覚悟しなければならない。
となれば、自宅にとどまらざるを得ないが、そうなると当然、家族に感染する可能性が高くなる。
 だからといって、自宅で家族と完全に分かれて暮らすのは、難しい。
トイレも風呂も別にするなど不可能だ。
もはや感染は本人の話だけではない。
「自分が感染したら、家族にも感染させてしまう」と考えなければならない。これが一点。

 医師と看護師による治療も受けられない。
6日には「昨年3〜12月で全国の変死事案で新型コロナに感染していた人が122人いた」というニュースも報じられた(https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG061OU0W1A100C2000000)
とくに、12月は56人と急増した。
これは「自宅待機」が増えた話と裏腹だろう。
話が東京だけにとどまらないのは、このニュースで分かる。

 自宅待機あるいは自宅療養が続いて、十分な治療が受けられなかったので、死亡してしまったのだ。
今後、こうしたケースが続発する可能性は極めて高い。
こうなってしまったからには、とにかく感染しないように、当面は自主防衛するしかない。
 ここまで書いたところで、7日の東京都の新規感染者が過去最多の2447人に達した、というニュースが入ってきた。
中には、自宅療養する人もいるだろうが、入院ないし宿泊療養が必要な人は当分、受け入れ先が見つからない。
明日以降もこの状態が続くのだ。

 以上を踏まえれば、1月7日に発令された「緊急事態宣言はやはり遅かった」と言わざるを得ない。
本来であれば、医療崩壊を避けるための宣言であるはずなのに、現実は「医療崩壊が始まってからの宣言」になってしまった。

後手に回った菅政権の残念さ
 宣言発令までのプロセスも残念だった。
菅義偉内閣は小池百合子東京都知事らの発令要請を受けて、仕方なく発令したような印象がある。
小池氏ら1都3県の知事が西村康稔経済再生担当相と会談し、発令を要請したのは1月2日、政府が発令を検討すると表明したのは2日後の4日だった。

 政府が宣言発令を想定していなかったのか、と言えば、そんなことはない。
たとえば、西村氏は昨年12月30日、ツイッターで「感染拡大が続けば、国民の命を守るために、緊急事態宣言も視野に入ってくる」と発信している。
大臣がこう言うからには、当然「いずれ発令もあり得る」と考えていたはずだ。

 同僚コラムニストで内閣官房参与を務めている高橋洋一さんは1月6日に収録した「長谷川幸洋と高橋洋一のNEWSチャンネル」で「第3次補正予算をあれだけ大きな規模で組んだのだから、12月の段階で当然、頭に入れていた」と語っている。  だが、そんな政府の姿勢はまったく国民に伝わっていない。
決定的だったのは、昨年12月31日の大晦日である。
この日、東京都の新規感染者が1337人というショッキングな数字が出た。
これを受けて、菅首相は官邸で即席会見に応じた。

 記者が「緊急事態宣言について、どう考えているか」と質問すると、首相は宣言には触れず「いまの医療体制をしっかり確保し、感染拡大に全力を挙げる」と答えた。
記者が重ねて問うても、首相は「いま申し上げた通りです」と語っただけで、後ろを向いて歩き去ってしまった。
これで、菅首相が発令に消極的な姿勢が鮮明になった。

 こういう経緯があるから「宣言に慎重だった菅政権が4知事の要請を受けて、しぶしぶ発令した」という印象が強まるのだ。
政府の実情を知る高橋さんが後で「実は政府も検討していた」と解説しても、普通の国民に政権内部の様子は分からない。
報道で知るだけだ。
 「いま何を、どのように検討しているか」を国民に伝えるのは、政権の重要な仕事である。
「決定前には話せない」としても、そこを微妙なニュアンスで伝えるのが広報の役割だ。
政府と国民のコミュニケーションとは、そういうものだ。

 たとえば、首相は「1337人という数字には、私も衝撃を受けている」くらいは言うべきだった。
そう言えば、国民も共感する。
深読みする記者なら「もしかしたら宣言を出すかも」とピンと来て「政府が宣言、検討」と報じたかもしれない。
首相の言葉次第なのだ。
 それがないから「あたかも、小池氏らに押し込まれて出した」という話になってしまう。

ずばり言えば、これは「広報の失敗」である。
このままでは「菅政権のコロナ対策は後手後手だ」という批判を避けられない。
菅政権は早急に広報体制を立て直す必要がある。
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2021年01月10日

「正義に燃える人」ほど他人に危害を与えてしまう理由

「正義に燃える人」ほど他人に危害を与えてしまう理由
1/9(土)  東洋経済オンライン
弘兼 憲史 :漫画家

正義を尊ぶ気持ちは、時に他者を傷つける刃ともなりうる。
正義感に溺れてしまった人の危うさを、『島耕作』や『黄昏流星群』などでおなじみの漫画家・弘兼憲史氏による新書『弘兼流 やめる! 生き方』より一部抜粋・再構成してお届けする。

 僕は全共闘世代ですから、大学時代には人とぶつかったほうがカッコイイと思って、ディベートなどをやった時期もありました。
 当時、大部分の学生たちは確固たる思想があって討論しているわけではなかったので、自分が間違っていると気がついても突っ張って曲げようとしません。
それで最後はつかみ合いになる。
そんな現場を見ているうちに、「くだらんことだなあ」と思って参加するのをやめました。
「人と言い争ってもプラスになることはない」「人とぶつからないようにしよう」と思うようになったのは、その頃からです。

■「正義」が抱える危うさ
 僕が大学生だった1960年代の後半は、正義の名のもとにベトナム戦争に介入したアメリカが戦線を拡大する一方で、反戦運動が盛んになっていく時代でした。
 「正義」によって戦争をするということは、「自分は正しい」という大前提のもと、「対立するやつらは悪だ」「だから懲らしめる」という論理。
お互いの国に正義があるから戦争になるのです。

だから、正義を声高に主張するのは、相手の立場を受け入れないという意思表示でもあるわけです。
 こういうことに気づいたときから、正論を主張したり正義をかざしたりすることはやめました。
そういう「議(自分の中にある意思)」というものは口に出さず、自分がやるべきことを黙ってやればいいと思うようになったのです。

 「自分からは争いに参加しない」という考え方は、今も変わりません。
誰かとぶつかりそうになったら、その場から逃げるか、話題を変えます。
 新型コロナウイルス感染が広がる中で現れた「自粛警察」と呼ばれる人たちは、感染症という不安や恐怖が根底にあるものの、論理は過激な反戦運動家と同じです。

 感染を防ぐためにはマスクをしていなければいけない、ソーシャルディスタンスを守らなければいけない、他県から移動してくるなんてもってのほかだ、という正義を掲げて、相手にどういう事情があるかということは考えずに懲らしめようとするわけです。
 不安の裏には必ず願望があります。
自粛警察と呼ばれる人たちは、安全でいたい、健康でいたいという「願望=自分の正義」を脅かされることが怖いために、視野が狭くなり、感染症の実情や他人の事情が見えなくなってしまうのでしょう。
まじめに自粛している自分の正義を否定されたくないという願望もありそうです。
 正義を口にしたくなるのは、自分の願望が脅かされることへの恐れから生まれるものだということがわかれば、そこで争う必要などなくなります。
黙って自分の不安や恐れと向き合い、冷静に願望への対処を考えればいいのです。

■争わなければストレスも減る
 テレビの仕事をしている頃、何度もオファーをもらっていたのに、自分の中でこれだけは出るのをやめようと決めていた番組がありました。
深夜から朝まで討論する有名な番組です。
お互いに自分が正しいということを声高に主張し、相手を否定し合う、議論とはほど遠い内容が嫌だったからです。
 視聴者は、論破というよりも、大きな声と矢継ぎ早の口調で誰かが誰かを打ち負かすところが観たいのでしょう。
そんな討論ショーに自分が出ても何のプラスにもならないと思って、ずっとお断りしていました。

 銀座でクラブ活動(笑)をしていた頃には、知らない男から「あんたの漫画はつまらない」などと絡まれることもありました。
 学生時代だったら、正論をかざして相手を論破しようと思ったでしょうけど、「それは失礼しました。これからはもっと面白い漫画を描けるように頑張ります」とあしらって、その場を離れました。
 最初から争うつもりがなければ、ムキになることもなく、ストレスを感じることもないのです。
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2021年01月11日

それでも「臭いものにふたをすれば民主主義の危機だ」と叫びたい

それでも「臭いものにふたをすれば民主主義の危機だ」と叫びたい
1/10(日) 現代ビジネス
大原 浩(国際投資アナリスト)

トランプの責任はどこまで
 世界が注目していた、
大統領選の投票結果を認定するため上下両院合同会議が1月6日午後(米国時間)開かれた。
しかし、審議が始まって間もなく、群衆が議会内に侵入し中断した。
 結果、トランプ支持者と見られる4名の方が亡くなったと伝えられる。
亡くなった方々のご冥福を祈る。
 もちろん、これは重大な事件であり、国民を代表した国会議員が討論をする場である議会に勝手に侵入することは許すべきではない。
 しかし、オールドメディアの報道では「トランプ大統領が演説で煽って、支持者が武器を持って乱入」したという形で伝えられている。
だが、彼らはきちんと「ファクトチェック」を行ったのであろうか? 

 いつものことだが、オールドメディアがたれ流すニュースは「眉に唾をつけて」聞いた方が良い。
 まず、大紀元の「Antifaがトランプ氏支持者に変装、議会に侵入=米メディア」というニュースがある。
これは1月6日付のワシントン・タイムズの記事を引用したものだ。
XRVision社が顔認識ソフトウェアを使用して事件当時の映像コンテンツの解析を行った結果などから、アンティファの関与は明らかだと述べている。
 また、ネットにアップされている各種写真・映像を見る限り、非武装と考えられる民間人の女性を射殺しなければならないほど緊迫しているようには見えない(残り3名は医療上の緊急事態による死亡とされるが詳細はわからない)。
 さらに制服姿の警官(と思われる人物)が、手招きしてデモ隊を中に入れたとも伝えられる。
アンティファなどのメンバーが変装していたり、本物の警官が賄賂によって「意図的に騒ぎを拡大」した疑念を排除することはできない。

大手SNSがこのような投稿を積極的に排除しているのも怪しい。
 そもそも、今回の不正選挙問題では、ジョージア州において、開票所の水道管が破裂したので、選挙関係者は出て行くようにと指示したなどの問題が多発している(参照;朝香豊氏「ジョージア州で発覚した異常開票状況! それでも主流派メディアは言い逃れに必死!」)。

 むしろ、商店の窓ガラスを割って侵入し商品を略奪したり、放火したりの狼藉を働いてきたのは、BLM運動に名を借りアンティファなどの極左組織に先導された勢力だとえよう。
 トランプ支持者は、これまでそのような集団的な暴力行為を行ってこなかった。
さらに、「戒厳令発冷か?」と噂される中でも、トランプ氏は法廷闘争・議会戦略に注力し、「民主主義を守る」姿勢を強固に示した。

誰に「動機」があるのか?
 もちろん、トランプ支持者の怒りもたまっていたから偶発的に事件が起こった可能性も否定できないが、同時に「選挙不正を覆い隠したい勢力」が、意図的に混乱を起こした可能性も捨て去ることができない。
 これまでの「選挙不正問題」という臭いものにふたをするために行われてきたとして伝えられる脅迫、妨害などを考えれば、今回の「議会侵入」の背景にどのような謀略が隠れていても驚きはしない。

 犯罪捜査において「動機」は極めて重要だ。
大概の犯罪には目的がある。
その点で言えば、今回の「議会侵入」で「得をしたのは誰か?」ということである。
決してトランプ陣営ではない。
 その証拠に、再開後の上下両院合同会議でバイデン氏が「勝利を確定」したわけだし、トランプ氏は各方面からの批判にさらされている。
このようなことになるのは簡単に予想できることであるし、トランプ支持者も自ら支持する人物に不利になるようなことは慎むはずである。

本当の争点
 2020年から始まる米国大統領選挙をバイデン(民主党)とトランプ(共和党)の対決とだけ考えると誤る。
 実際には「不正選挙の疑惑解明に背を向けてバイデン当選をごり押ししたい勢力」と「不正を解明し公正な選挙によってトランプを当選させたい勢力」のぶつかり合いなのである。
 バイデン一族、クリントン夫妻など民主党金権政治家たちの疑惑については昨年10月25日の記事「【米大統領選】ヒラリー疑惑もバイデン疑惑も『報道しない自由』って…」や、昨年11月7日の記事「郵便投票不正疑惑―結局、不信と分断を決定的に増幅した米大統領選挙」、昨年12月25日の記事「中国の学者が大暴露『米国は中国に支配されつつある』って本当?」などで触れた。

 また、選挙不正問題については昨年12月8日の記事「どこまでも粘るトランプが、いまだ「絶大な支持」を得ているワケ」昨年11月22日の記事「まだまだ揉める米大統領選、トランプは一体何をしようとしているのか」などで述べた。
 さらに、木村郎氏の、昨年12月11日の記事「大噴出した『不正選挙疑惑』…トランプは本当に負けたのか」、今年1月5日の記事「トランプがいまだ『敗北宣言』をしない『シンプルな理由』」でも「山ほどの疑惑」が紹介されている。

 つまり、バイデン氏や民主党が「疑惑のデパート」であるだけではなく、「大統領選挙」そのものが「疑惑のデパート」なのだ。
 つまり、誰が大統領になるのかよりも「不正選挙の疑惑解明を行うかどうか」が重要な争点である。
世界の超大国米国の大統領選出の過程で大規模な不正が行われていたとしたら、日本にとっても大問題である。

バイデン氏や民主党だけではない
 その点で言えば、最高裁判所(長官)を筆頭とする司法、民主党だけではなく共和党の(金権)議員たちも「不正選挙問題」という臭いものにふたをすることに加担しているように見える。
民主主義の根幹である「選挙」の「公正=正義」を守ろうとすることにほとんど無関心だと言えよう。

 遠山の金さんがお白砂で見せる「動かぬ証拠」にも匹敵する前述の「山ほどの証拠」を突きつけられながらも、「私には見えませんが……」と言い逃れ、「見てみぬふり」をしてスルーする態度はあきれるばかりだ。
 もちろん、司法、行政、立法の3機関は民主主義の基礎だ。
だからむやみやたらにそれらの尊厳を傷つける行為は慎むべきである。
しかしながら、それらの3機関は、きちんと民主主義を守るために機能して初めて価値が生まれるのだ。

 我々が守るべきなのは「民主主義」であって、3機関はそのための道具にしか過ぎない。
その道具である三機関を守るために「民主主義」が破壊されてしまっては本末転倒である。
そして、現在3機関の人々は「自らの保身」に汲々として「守るべき民主主義の大義」などすっかり忘れているように思える。

フランス革命前夜に似ている……
 フランス革命は1789年のバスティーユ襲撃に始まる。
1776年の米国独立宣言も彼らに勇気を与えたはずだ。
 そして、この革命は、三部会での対立がきっかけとなったと言われる。
 三部会とは現在の先進国の議会とは違って、議員ごとに1票の権利を持つのではなく「身分ごとに1票」を持つ仕組みであった。
三部会という名前のとおり、第1身分=聖職者、第2身分=貴族、第3身分=その他(ブルジョアジーを含む庶民)によって構成される。
 つまり、特権階級である第1身分と第2身分が結束すれば2票を獲得できるので、どんなに頑張っても1票しか獲得できない人口のほとんどを占める第3身分は、手も足も出ないということである。
 最初、第3身分の庶民たちは「議会」が開かれるから自分たちの意見が反映されると大喜びしたのだが、この仕組みを理解した後激怒してフランス革命が起こったと言われる。

 現代の米国議会はまさに、革命前夜のフランスだと言えよう。
現代の第1身分・第2身分である金権政治家、ウォールストリートの金持ち、金満IT企業経営者などに牛耳られ、第3身分である大衆の投じた貴重な票が公正に扱われることがないがしろにされている。

「公正な選挙」が民主主義の根幹だ
 これまでの状況を見る限り、第1身分・第2身分の権力者たちにとって「公正な選挙」などどうでもよく、自らの利権の確保が最優先事項のように思える。
 そもそも、フランス革命に先立つ米国独立は宗主国英国の横暴に立ち上がるために行われたから、独立軍総司令官ジョージ・ワシントンは英国から「反逆者」として扱われた。
 また、強大な英国軍との戦闘において3勝6敗と苦戦したとされることは、昨年12月28日の記事「晩年に成功する人生の必勝法『負け続けても最後に勝てればいい』」で述べたとおりだ。

米国での「革命」はあるのか?
 トランプ氏はあくまで「平和的」な解決にこだわってきた。
戒厳令の発令などの進言もあったようだが、法廷闘争や1月6日の議会での決着に注力した。
ネット上で流れている「トランプ氏は嵌められた」という話が本当であれば、足元をすくわれたということだ。

 しかし、今回の大統領選挙は既に述べたように両候補の対決というだけではない。
第3身分である大多数の国民の「一票の価値が適正に扱われるかどうか」の問題なのである。
 山ほどの証拠がある選挙不正問題を無視して「バイデン当選ごり押し」を行うことに対して怒っているのはトランプ大統領だけでは無い。
共和党支持者の大部分はもちろんだが、民主党支持者の中にも「今回の大統領選挙では不正があった」と考える人々が少なからず存在する。
 例えば、朝香豊氏がワシントン・ポストで報道されたデータに基づいて書いた「単純な算数でわかる今回の不正選挙! バイデン勝利はありえない!」や「姓から考える選挙不正! 数学者が発見!」などの簡単な算数や統計に基づく疑問にもまったく答えが返ってこない……
 これからのトランプ氏の去就も注目されるが、最大の焦点は選挙不正問題に対して「怒れる国民」がどのような行動をとるかということである。
 昨年11月24日の記事「共通の敵を失った米民主党を待ち受ける内ゲバ、『特定野党』化」や昨年10月27日の記事「第2次南北戦争も―選挙結果がどうなっても米国の分断は避けられない」のようなことも十分考えられる。

 しかし、第1・第2身分と第3身分の亀裂が明確になっている現在、「米国革命」という「伝家の宝刀」を国民が抜く時が来るかもしれない。
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2021年01月12日

さらば菅首相 国家の危機に“虚像の仕事師”の出る幕はない

さらば菅首相 国家の危機に“虚像の仕事師”の出る幕はない
2021/01/10 日刊ゲンダイ

「だめだこりゃ」――。
多くの国民はそう言って、悪夢のような「もしもシリーズ」を終えたい心境だろう。
その「もしも」とは、どうしようもないポンコツが総理大臣になってしまったら。就任から3カ月余り。菅首相が見せつけたのは、笑うに笑えないコントのような失政の連続だ。

「最優先課題は新型コロナウイルス対策です」
 菅は昨年9月16日の就任会見でそう息巻いたが、自ら旗振り役として始めた「Go To トラベル」に固執し、コロナ対策は後回し。
11月以降、政府分科会の尾身茂会長がGo Toの運用見直しを強く主張したのに、とことん「専門家」の意見を軽視。
65歳以上の利用自粛など半端な制限にとどめ、感染拡大が止まらない悪循環に陥った。

 ようやく先月14日に重い腰を上げ、全面停止を決めた理由も、直前の世論調査で当初70%近かった支持率が3割台にほぼ半減したことへの焦燥感から。
わが身可愛さで国民のことなど二の次、三の次。
その上、停止まで約2週間の猶予を設ける「うすのろ」ぶりだ。

とうとう大晦日には東京の新規感染者が1000人を軽く突破。
新春早々、緊急事態宣言の再発令に追い込まれたが、この期に及んで「感染リスクが高い」と勝手に決め付けた飲食店を狙い撃ちの限定策に過ぎない。
 こんな生ぬるい対応で、1日1万人に近づく感染者数を封じ込められるわけがなく、恐らく宣言延長や対象地域の拡大、規制を強化することになるだろう。
再び小出し、後出し、国民のダメ出しは目に見えており、つくづく菅は学習能力に欠けている。

 まさに「バカな大将、敵より怖い」。
今や後手後手首相の存在こそ感染爆発の元凶と言っていい。
政治評論家の本澤二郎氏はこう言う。
「感染症対策はスピード勝負です。早いほど対策期間は短くて済むのに、菅首相は後手後手の場当たり策の連続で感染を拡大。医療機関はコロナ対応に追われ、崩壊寸前です。実際、冬場に増える脳卒中や心筋梗塞の『緊急患者を受け入れられない』と明言する大学病院も出てきました。
救える命が救えない事態なのに、その惨状を招いた自覚と反省が菅首相からは感じられません。いまだに『人類がウイルスに打ち勝った証し』として“バラ色の五輪”開催にこだわり、海外から人を呼び込もうとするヨコシマな気持ちが抜本対策への重しとなっている。
国民の命より五輪優先の政治姿勢は万死に値しますよ」

庶民派どころか、強烈な選民思想の持ち主
 記者会見や国会答弁では言い間違いを連発。
許されないタイミングで「ガースーです」とやらかす。
たった3カ月強で誰の目にもポンコツぶりが露呈した菅だが、それにしても前評判との落差に愕然とする。
「最強の官房長官」「鉄壁の危機管理」なんて触れ込みは全部嘘だ。
首相になっても「その指摘は当たらない」「答えは差し控える」とマトモな説明を拒み続けた7年8カ月もの長官時代と変わらぬスタンス。その場しのぎの逃げと、ごまかし話法で塗り固めたメッキは、はげ落ちた。

 発足当初に「手堅い仕事師内閣」とか言われたのも、今となっては信じがたい。
菅は「Go To 感染」の失政を、さも飲食店の感染リスクは高いと決め付け、論点ずらし。宣言発令の土壇場で政令改正によって休業や時短営業を要請できる施設に飲食店を追加。
要請に応じない店名を見せしめ的に公表し、新型コロナ特措法を改め、罰金まで科そうとしている。

「『仕事師』のクセにロクに仕事もせず、意に沿わない国民に罰を与えるとは、まるで『仕置人内閣』の恐怖政治です。
かように愚劣な政治家の『雪深い秋田の農家に生まれ』というメッセージをことさら強調。
『パンケーキ好きの令和おじさん』などと庶民派PRに加担した大マスコミの責任も重い。
高ゲタを履かせた印象操作で、無能首相に期待を持たせた国民に謝罪すべきです」(本澤二郎氏=前出)

 時短要請の夜8時までの繰り上げに応じなかった小池都政に、菅は不満タラタラだったようだが、Go To 全面停止の発表当日の夜を忘れたのか。夜9時寸前に銀座の高級ステーキ店に駆けつけ、忘年会に興じていた二階幹事長や「世界の王」と野球談議に花を咲かせたのは、どこの誰だ?

■首相にひれ伏し、ヨイショしてきた自民党も同罪
 首相である自分は特別な存在で、多人数での夜の会食も許されると思っていたなら、大間違い。
あのステーキ会食が象徴するのは庶民派どころか、菅の選民意識。
「自助」だけで総理の座まで上り詰めた強烈な自負心というよりも、勘違いの上に成り立つ驕りだ。

 菅の目に国民は愚弄し、見下す対象としか映っていないのだろう。
でなければ、コロナ禍の苦境に立つ国民をさらに痛めつけ、見殺しにするような失政を続けられるわけがない。
こんな首相にひれ伏し、ヨイショしてきた自民党も同罪だ。

 しゃべれない、逃げる、ごまかす。Go Toに頑迷固陋と政策の優先順位はトンチンカン。
このコロナ禍にマイナンバーと免許証や預貯金口座のひもづけなど不要不急の仕事をやりたいと力む。
やっぱり、菅はただのバカだ。
法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)はこう言った。
「もはや国家観がないというレベルではなく、菅首相には政治観がないのです。
そもそも人前に出ることを恐れていては政治家としての資質にも欠けます。
権謀術策を好み、闇に隠れて生きるタイプで、コロナ禍に必要な国民との絆は結べそうにない。
安倍前首相同様、嘘とゴマカシにたけた人物をトップに担ぎ上げた自民党の“土壌”が腐敗しているとしか思えません。
4月25日予定の2補選で『連敗すれば菅降ろし』との声も聞こえてきますが、そんな悠長なことを言っている場合ではない。

政権の命脈よりも国民の命の方が大事。
無能首相には即、退場を勧告します」
 感染爆発という国の危機に、虚像の仕事師の出る幕はない。
さらば菅首相。
サッサとお引き取り願い、「次、行ってみよう」が国民の望みだ。
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2021年01月13日

野上忠興氏が衆院選大予測「自民42議席減で菅首相は退陣」

野上忠興氏が衆院選大予測「自民42議席減で菅首相は退陣」
2021/01/11 日刊ゲンダイ

 衆院議員は今年10月21日に任期満了を迎える。
それまでに必ず総選挙が実施されるが、菅政権はここへきて逆風にさらされている。
「自民敗北」は、あり得るのか。選挙情勢分析に定評のある政治評論家・野上忠興氏に話を聞いた。(聞き手=小塚かおる/日刊ゲンダイ)

■選挙は五輪後 勝敗ラインは単独で絶対安定多数
 誰が考えてもコロナ禍が、ある程度収束するまで選挙は難しい。
菅首相自身も「まずは新型コロナウイルス対策に全力を尽くす」と言っています。
机上では、来年度予算を3月中旬に上げて「春解散」ということも考えられますが、東京五輪があると仮定すれば、常識的には五輪後に時間を置かずに選挙をやって、自民党総裁選は「追認」という形でしょう。
「五輪後総裁選吹き飛ばし解散」ですね。

 五輪が中止になった場合は、残り任期を全うして、解散は次の総理に譲るという可能性もなくはないですが、とにかく菅首相は五輪にかけ、ワクチンに期待しているのだと思います。
「人類がコロナに打ち勝った」とうたい上げて成果をアピールするのでしょう。
ただし、総裁選で「追認切符」を手にするためには、言わずもがな、衆院選でそこそこの数字(議席数)が必要となります。安倍前首相は責任を問われる勝敗ラインを「自民党が50以上、負けなければいい」と言っていました。
しかし、現有議席は282ですから、50減なら232で、単独過半数(233)を割り込みます。
与党で過半数を維持したとしても、それで勝利とはいえません。

勝敗ラインは、せいぜい自民単独で絶対安定多数(261)確保、つまり、21議席減まで。
「よく奮闘した」という格好に収まるのはこのラインでしょう。

■公明の組織弱体化が自民にも影響
 議席予測は<別表>の通りです。
全選挙区を個別に分析し、自民党は現有から42議席減となりました。
自民党自体も昨年12月の第1週に独自の情勢調査を行い、やはり40議席程度を減らすという結果だったと聞いています。

 世論調査で内閣支持率はガタ落ちなのに、自民党の支持率が堅調なのは、野党が相変わらず不甲斐ないからで、「平時」なら選挙で自民が負けることはありません。
しかし、コロナ禍は命と生活に関わる問題であり、後手後手のコロナ対策への不満で有権者は鬱屈しています。
 さらには、有権者が首相の資質に疑問を抱き、桜を見る会や鶏卵汚職と不祥事も続いた。
経済状況も厳しい。信を問うには最悪な状況です。

いざ選挙となれば、自民支持者でも、選挙区は自民に投票しても、比例は自民に入れないという現象が起き得るのではないでしょうか。
 自民にとって、もうひとつ痛いのは、友党である公明党の組織の弱体化でしょうね。
最盛期だった小泉時代の898万票(2005年衆院選比例)から前回は697万票(17年衆院選比例)まで200万票も減っています。
これは、各選挙区で公明票をもらっている自民にも影響する。

 前回、野党候補と1万5000票差以内で勝利した自民議員は34人。
公明票は表向き各選挙区に2万〜2万5000票といわれますが、比例票を選挙区数で割ると、実質1万7000票程度になります。
自民でギリギリ当選してきている34人は、公明票がしっかり出なければ落選の憂き目に遭うことになります。
 ただでさえ、自民議員の4割を占める3回生以下は、これまで「風」に乗って楽な選挙ばかりしてきた。
後援会活動や党員集めもほとんどしていないツケが回ってくるということになります。

 選挙関係者の中には、自民が70議席くらい減らしてもおかしくないという見方もありますからね。

4.25補選勝利で野党一本化に弾み
 野党については、共産党が候補者を降ろすかどうかが鍵です。
吉川貴盛元農相の辞職に伴う北海道2区の補欠選挙(4月25日投開票)は、立憲民主党の候補に一本化することで調整が進みそうです。
補選で野党が大勝すれば、他の選挙区での一本化にも弾みがつく。
前回1万5000票差以内で負けたような選挙区は、野党がひっくり返すことになるでしょう。

 現状、立憲の支持率は低迷しています。
直近の朝日新聞の世論調査でも、前回の6%が5%に落ちました。
しかし、比例区の投票先では12%から14%にアップしています。
政党支持率の約3倍です。
ある与党の選挙関係者の言葉を借りれば、「選挙というのは自民党に入れたいか、入れたくないか」となります。
このご時世に積極的に自民に投票したい人がいるのかどうか。
特に無党派層は、そうでしょう。

全国の有権者は約1億人。
自民にお灸を据えようということで投票率が2ポイント上がっただけでも200万票増え、比例区への影響は大きい。
 野党の一本化に加わらない日本維新の会については、関西は強いものの、全国的な広がりはないとみています。
東京でも候補者を擁立しますが、選挙区での当選は難しく、自民に投票したくないけれど、立憲にも入れたくないという保守票の受け皿にはなるでしょう。
れいわ新選組は山本太郎代表の人気だけなので、選挙区と比例区で1人ずつ取れば御の字でしょう。

■東京、静岡で閣僚経験者が落選危機
 ブロック別では、北海道は立憲と共産の共闘が他ブロックより進んでいます。
共産は北海道で比例1議席獲得を悲願にしています。
前回、8000票強足りずに議席に届きませんでしたからね。
 今回は共産が選挙区で候補者を降ろす代わりに、立憲系の労組が比例で共産に協力するなどバーターがあるかもしれません。
北海道は自治労を中心に労組が強いところですからね。
そうなると自民は現有6議席から半減の可能性があります。

 東北は青森と山形以外は、自民にとって厳しい選挙となりそうです。
コロナ禍の影響で野菜が大暴落して、農家は参っている。
東北、新潟、長野は農家の「反乱」が起きやすい土壌。
秋田、福島、岩手では、花の1区で自民が敗れる可能性があります。

 勝敗の行方を左右する首都圏については、自民党調査でも厳しい結果が出ているといいます。
特に大票田の東京では自民は1区が厳しい。野党が候補者を一本化できれば、埼玉1区と千葉1区も自民現職が危なくなります。
都市部は政治意識が高いので、「政府は何をやっているのか」という怒りが投票行動に結びつきやすいのです。
東京は共産が候補者を降ろすかどうかで結果が大きく変わってくる。
野党が一本化できれば、8区の石原伸晃元幹事長や14区の松島みどり元法相が敗れることも。
24区の萩生田光一文科相も安泰ではありません。

 東海では静岡1区の上川陽子法相。後援会活動をおろそかにしていることが響いていると言われています。
まだ野党が乱立しているので落選までは分かりませんが、大苦戦しそうです。

■山口では林待望論、安倍前首相は不出馬情報
 西日本では広島3区が話題です。
公選法違反で起訴され公判中の河井克行元法相の選挙区に、公明が斉藤鉄夫副代表を擁立しました。
これに地元の自民は反発していて、「もう自民党員を辞める」との声も出ていると聞いています。
漁夫の利で野党が議席を獲得しそうです。

公明は最悪ケースでは、広島3区に加え、北海道10区、神奈川6区、大阪3区の計4議席を落とす可能性があります。

 中四国、九州は波乱の少ないブロックですが、香川1区の平井卓也IT担当相は選挙があまり強くなく、波乱要因です。  注目は、やはり山口。
自民の河村建夫元官房長官の3区で、同じく自民の林芳正参院議員が立候補を模索しています。
実は山口では、安倍政権が幕を下ろしたことで、林待望論がジリジリと増している実相があります。
下手すれば、林氏が3区ではなく、安倍前首相の4区で出馬する可能性もないとはいえない。
4区の大票田の下関市は、もともと林氏の地盤ですからね。

 安倍前首相については、再々登板はあり得ません。
体調も、総理大臣のプレッシャーから解放され、ストレスがなくなって気分が良くなっているようですが、決して潰瘍性大腸炎の持病が良くなったわけではないと聞いています。
そのため、安倍氏が衆院選に不出馬で政界引退する可能性も絶無ではないとの情報もあります。
その場合、後継は弟の岸信夫防衛相の長男になるのか、兄の長男になるのか不確かですが、いずれにしても故・晋太郎から3代続けて安倍家が4区を確実に維持できるのかどうか。
 国会で虚偽答弁を繰り返した桜を見る会の件で、安倍氏は地元でもかなり評価を落としていますからね。(表あり)

▽のがみ・ただおき
 1940年生まれ。64年早大政経学部卒。
共同通信社横浜支局勤務後、政治部へ。
佐藤栄作、田中角栄両首相番後、主に官邸・自民党を担当し、福田派・安倍派をカバー。
政治部次長、整理部長、静岡支局長などを経て2000年からフリー。
著書に「気骨 安倍晋三のDNA」(講談社)、「ドキュメント安倍晋三」(同)、「安倍晋三 沈黙の仮面」(小学館)などがある。
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2021年01月14日

緊急事態宣言でまた…「知人が自粛警察で困ってます!」

緊急事態宣言でまた…「知人が自粛警察で困ってます!」
2021/01/13 日刊ゲンダイ

「緊急事態宣言の再発令で、小うるさい知人がまた面倒くさいことになりそうで……」
 電機メーカーに勤める和彦さん(49=仮名)はため息をつく。
 その知人男性とは趣味を通じて知り合い、趣味仲間の数人でちょくちょく集まって飲んだりしていたが、コロナ禍で会う機会も減ったという。
「私がSNSに外食の写真をアップしたら、彼は〈あなたの身勝手な行動が感染者を増やしていることに気づきませんか〉なんてコメントを付けてきたんです。
聞けば、他の仲間も同じようなことを言われているらしい。
彼は、仲間の行動をSNSでチェックする“自粛警察”なんですよ」

 自粛警察とは俗語で、外出や営業自粛の要請に応じない個人や店舗を私的に取り締まろうとする人や行為のことを指す。
昨年4月、千葉県八千代市の駄菓子店が、何者かに「オミセシメロ」などと赤い字で書かれた張り紙をされ、話題になったのは記憶に新しい。
前出の和彦さんがこう続ける。
「実害はないんで、今のところスルーしていますが、再度の緊急事態宣言で彼の自粛警察っぷりがヒートアップしそうで、不気味なんですよ」

 7日には、東京都のコロナ新規感染者数が初の2000人台に。不要不急の外出は控えた方がいいに決まっている。
一方で、家族でもない趣味仲間から、うるさく指摘されたくない気持ちも分かる。
「おまえに言われる筋合いはない!」だろうが、米心理学博士で医学博士の鈴木丈織氏は「それを言ったらこじれるだけ」と、こう続ける。

「自粛警察には2タイプあって、
ひとつは、生まれつき正義感が強すぎるタイプ。
もうひとつは、後から芽生えるタイプ。

自分や身内が“何か”に傷つけられたことをきっかけに、〈自分が世の中を正さなければ〉などと思っている。
さらにこじれて〈世の中に罰を与えなければ〉と、私的な制裁を加えようとする“私刑執行人”もいます。
いずれにせよ後は、正義感に加えて被害者意識も持っている。
こちらのひと言に、牙をむいてくる恐れがあります」

 緊急事態宣言の再発令で、またぞろ自粛警察が増えそうだが、何を言われても、しつこく言われても「ごめんなさい。気づかなかった。指摘してくれてありがとう」などと、謝罪と感謝の言葉で受け流しておくのが無難なんだとか。
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2021年01月15日

「関生事件」が揺るがす労働基本権<労働裁判が働き手を素通りするとき>

「関生事件」が揺るがす労働基本権<労働裁判が働き手を素通りするとき>
1/13(水) HARBOR BUSINESS Online

 労働条件の改善の王道は、労使交渉といわれる。
会社の内情を知っている労使がそれぞれの立場から話し合い、適切な落としどころを探ることができるなら、それに越したことはない。
 また、働く側は会社より弱い立場にあり、一致団結しないと会社との対等な交渉は難しい。
そのために憲法28条は、労組を作って団体交渉やストライキをする権利を「労働基本権」として保障している。

ところが、そうした交渉を最も必要とするコロナ禍の下、その基本権を揺るがしかねない判決が近畿圏で相次いでいる。
「関西生コン事件」地裁判決だ。

保育園の入所書類求めたら「強要未遂」
 2020年12月17日、京都地裁で、生コンミキサー車の運転手らが加入する全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(関生支部)の労組員に、有罪判決が言い渡された。
労組に加入した男性の子どもの保育園通園のため、就労証明書の不交付に抗議したことを「強要未遂」とし、参加したメンバーのうち2人を懲役1年と懲役8カ月(いずれも執行猶予3年)とする判決だった。

 共働きに、保育園は不可欠だ。
そんな生活の基礎となる就労証明書の要求が、なぜ、逮捕、起訴に発展するのか。
 生コン業界とはおよそ縁のなかった筆者が最初にこの事件に注目したのは、そんな疑問からだった。
 判決文や公判での証言などによれば、事件の発端は、2017年10月、京都府内の生コン製造販売会社で、短期契約のミキサー車運転手としてとして働いていた男性が正社員化を求めて関生支部に加入し、これを会社に通告したことだ。
 会社は、「廃業する」「男性は個人事業主の請負運転手で社員ではない」として団体交渉を拒否した。
11月中旬には、男性が毎年交付されていた就労証明書も出せないと言われた。

11月30日の期限までに市に証明書を出さないと、次年度の保育園の手続きが難しくなる。
男性も労組員たちも焦った。
労組に加入したことへの嫌がらせではないかとの疑いも抱き、何度も会社に要求に出かけた。
 市からは、「廃業の予定があっても、現段階でその会社で働いているならその証明書を出してほしい」と言われた。
11月27日、労組は要求の場でこれを会社側に伝え、交渉相手になっていた経営者の妻は、市に確認の電話を入れた。
市が確認した直後、妻は体調不良を訴え、救急車を呼んだ。
 その後も交付はなく、労組員たちは期限の直前に市に相談に駆け込んだ。
市は、保護者が暫定的な書面を書くことでとりあえず手続きを取るという代替案を示し、正式な就労証明書を後で提出することを条件に、かろうじて通園はできることになった。

証明書の要求が罪に問われた
 それから1年半たった2019年6月、この事件を理由に労組員らが逮捕された。
容疑は刑法223条の「強要罪」。
「生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者」に対する罪だ。
 起訴状では最初、男性が「個人事業主の請負」で、雇用されていないから団体交渉権はないとされ、「義務なきこと」を求めたとされた。
だがその後、男性は「日々雇用」「アルバイト」など、会社専属の被雇用者として働いていたことがわかっている。
 とすれば、今回の判決で「義務なきこと」はどう判断されたのか。
 検察側は団交申し入れ後のすべてを「強要未遂」としたが、判決では、経営者の妻が体調不良を起こすまでの労組の行動は「団体交渉の要求を超えて脅迫に至っているとまではいえない」とされた。
ただ、その後は、体調不良にもかかわらず執拗に要求したので強要罪の中の「脅迫」にあたるとし、ただ、証明書は結局交付されなかったので「強要未遂」、との言い渡しになった。

 子ども子育て支援法4条には「事業主の責務」として、「子育ての支援に努めるとともに、国又は地方公共団体が講ずる子ども・子育て支援に協力しなければならない」とある。
これをもとに弁護側は、会社側には就労証明書を発行する「義務」があったと主張した。
だが裁判所は、「その条項は理念的なもの」とし、就労証明書がなくても入園は認められたのだから「義務」があったとまでは言えないとした。
 これは重大な判断だ。
そうした解釈が横行すれば、働く父母は勤め先から就労証明書を出してもらえなくても責任を問えないはめに陥りかねないからだ。

ストライキが威力業務妨害罪に
 この事件は、実は単発のものではない。
2018年夏以来、大阪、京都、滋賀、和歌山の二府二県の警察が、同労組のストライキや団体交渉を「威力業務妨害」「強要未遂」などとして刑事事件として扱い、同労組員ら延べ89人が逮捕、うち約70人が起訴されるという動きがあったからだ。

今回の京都地裁判決は、そうした事件の一つに対するものだ。
 これに先立つ2020年10月には、同労組が2017年12月に行ったストライキを「威力業務妨害」とし、大阪府警が労組員らを逮捕した事件の大阪地裁判決が出た。
この事件では、スト現場にいた労組員らを被告とする裁判が別に進行中だが、10月の判決が特異なのは、ストの現場にいなかった労組役員と元役員の2人が被告とされた点だ。
2人は、押収された通話履歴などから、事務所から現場の労組員に「電話したこと」(通話内容ではない)が「ストの指示」とされ、威力業務妨害罪と判断された。
このストライキでは、傷害や暴行などの「手を出した」ことによる逮捕はない。

当時、現場に警察官が多数配置されていたが、その場での逮捕もなく、約9ヶ月たった2018年9月、突然16人が逮捕されている。
 今回の判決では、セメントの出荷基地に出入りする輸送車の運転手にストへの参加を呼びかけてビラを手渡そうとしたなどの行為が、車の前に「立ちはだかって輸送を妨害」し、会社に損害を与えたとされた。
スト参加者によると、会社側の従業員らが多数、輸送車と労組員らとの間に立ちはだかり、労組員らはこれに抗議して声を上げたという。
この点が「大声を上げるなどの穏当とは言い難い言動」「心理的な意味においても、ミキサー車の入出場を強烈に妨げたと認められる」とされ、「威力を用いて業務を妨害する行為」の根拠となった。

 判決文の「穏当とは言い難い」「強烈に」といった主観的ともいえる表現が、手を出していない「事実」を覆い隠す効果を生んでいる。
 だが、冒頭でも述べたように、団体交渉やストは憲法で保障され、労働組合法1条でも、労働者の地位向上や労働条件向上などの目的を達成するための正当な行為については罰しないとされていたはずだ。
これについては、出入りしていた輸送車が所属する会社に関生支部の労組員がいなかったことから、「関生支部との関係で争議行為の対象となる使用者とはいえない」と却下された。

産別労組を忘れた社会
 ここでは、関生支部が、企業別労組ではなく、産業内の労働者を特定企業の垣根を超えて組織する産業別労組であることが忘れられている。
 日本企業では戦後、こうした産別労組が排除され、企業別労組中心の社会が作られてきた。
だが、国際的には産別労組はむしろ主流だ。
どの企業に所属するかに関わりなく産業内で働く労働者を組織する労組は、短期契約で簡単に失職しがちな非正社員も加入しやすい。
前回、「同一労働同一賃金は当事者の交渉で」という提案の実現には産別労組の方が向いている、と述べたのはこのためだ。

 関生支部がこの方式をとったのは、この業界では、原料を供給する大手セメント会社や、販売先のゼネコンの緩衝材として中小零細の生コン会社や輸送会社が乱立させられてきたからだ。
そこでは大手の求める価格に対応して人件費を削減できるよう、日々雇用などの非正規労働者が多数を占める。
京都の事件にもあるように、労組ができたりすると、廃業して別の会社を立ち上げることも日常的だ。
会社を超えて移動せざるを得ない働き手の労働条件の引き上げは、産別労組なしでは難しい。
 これらの活動の結果、非正規がほとんどの関東に比べ、関生支部のある関西では無期契約の正規が3割を確保している。
この比率を5割に引き上げるため、業界の利益を人件費に回す約束もできていた。

2017年のストは、その約束が果たされなかったことに対するものだった。
「労働条件の引き上げが目的」として、労組法の適用があってもおかしくない例だ。
これも、判決では考慮されなかった。
 関生幹部が逮捕された後、生コンの運転手の賃金の日額は2万5000円から1万7000円程度に下がった。
週休2日制がなくなり、残業代未払いも多発している。

 12月17日の京都地裁判決後の記者会見で、被告側意見書を書いた吉田美喜夫・立命館大名誉教授は、こう呼びかけた。  「いま全国にコロナで職を失う人々が多数生まれている。みなバラバラの状態で苦労している。
労組を作り、個別の企業を超えてまとまることで生活を守る関生支部のような、国際的には当たり前の労組活動が減ったことが大きい。
それが刑事罰の対象になることを許すような今回の判決が何を意味するか、みな、自分のこととして考えてほしい」

<取材・文/竹信三恵子> <撮影/土屋トカチ>

【竹信三恵子】 たけのぶみえこ
●ジャーナリスト・和光大学名誉教授。
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2021年01月16日

「尾身さんを少し黙らせろ。後手後手に見えるじゃないか」“やり手”のはずの菅首相、新型コロナで無力な理由

「尾身さんを少し黙らせろ。後手後手に見えるじゃないか」“やり手”のはずの菅首相、新型コロナで無力な理由
2021年1月15日 文春オンライン

「実務型」だと聞いていたけれども、まったくそんなことはなかった。
菅義偉のことだ。
  新型コロナウイルスについて「年末年始で感染状況のベクトルが下向きになると考えていた」、緊急事態宣言の効果は「1カ月で事態改善」と述べるなど、見通しの甘さが方々から指摘されている。
おまけにビジネス関係者の入国が「首相の強い思い」によって継続したかと思えば停止になるなど、喋りも意思決定もおろおろしている状態だ。

「尾身さんをもう少し黙らせろ。後手後手に見えるじゃないか」
 こうなると、菅がなぜ総理大臣になってしまったのか、「実務型」「影の実力者」という神話はいったい誰が作ったか、そうした疑問が湧いてくる。
「尾身さんをもう少し黙らせろ。政府の対応が後手後手に見えるじゃないか」。
週刊文春12月24日号によると、専門家たちが、完全なエビデンスまではないものの、「GoTo」と感染拡大の関連性を指摘することから、分科会の尾身茂会長は「GoTo」も含めて人の動き・接触を控える時期だと何度も政府に言っていると答弁した。
それに怒った菅首相は、コロナ担当の西村大臣に上記のように命じたという。
 これは菅義偉という政治家の習性を端的に表すエピソードだ。

新型コロナウイルス相手にはまったくの無力
 たとえば昨年末に刊行された読売新聞政治部『喧嘩の流儀』(新潮社)に、こんな人物評がある。
「菅さんの外交っていうのは直接、外国の相手とやり合うことじゃなくて、日本国内の力を持っている人間を押さえて実現させるっていうやり方だ」(外務省幹部・談)。
TPP協定でいえば、担当大臣の甘利明をバックアップし、「甘利に刃向かう奴は俺がぶっつぶす」とすごんでみせたという。

 菅は自分の意に沿わない者を敵とみなし、潰しにかかる。
それは自民党議員や官僚、メディアといったインナーサークルの住人に対してであって、本来、対峙すべき相手やコトに対してではない。
だから菅は昨年来、ウイルスと戦うのではなく、「GoTo」に反対する者と戦っている。
そもそも人事権や同調圧力、恫喝を使いこなす菅の能力など、新型コロナウイルス相手にはまったくの無力である。

 こうした内向きの政治技術しかもたない菅が、なぜ総理大臣になってしまったのか。
前掲の『喧嘩の流儀』を大雑把にまとめれば次のような話になる。
「総理になると思っていなかった。だから、こんなのやっているんだ」と矯正治療中の歯を見せたというくらい、菅は首相の座に色気をもっていなかった。
安倍晋三も岸田文雄を後継にと考えていた。

一方、二階俊博は昨年6月、国会閉幕当日の会食の席で「次の総理はどうか。やるなら応援するよ」と菅に持ちかける。
それを否定しなかったことで、二階は菅のやる気を感じ取る。

関心を向けるのは「GoTo」ばかり
 政府では当時、春先に官邸官僚の主導でおこなった「アベノマスク」&「うちで踊ろう」が不評を買ったことから、菅抜きでは駄目だとの論調が生まれていた。
そんななかで、菅は「GoTo」キャンペーンを推し進め、反対する者を抑え込んでそれを実現し、存在感を改めて示す。
 そして8月、安倍の体調悪化から政局は一気に動き、安倍辞任から総裁選へとなる。
すると菅は二階に出馬する旨を伝え、安倍は安倍で「1対1だと石破が岸田に勝つ」、そんな不安にかられて菅の支持にまわる。
なにしろ安倍の石破嫌いは尋常でなく、人を「さん」付けで呼ぶことの多い安倍だが、石破茂だけは呼び捨てにし、ときには「あいつはどうしようもない」とコキ下ろすこともあったというほどだ。
 このように、二階にそそのかされてその気になって、おまけに「GoTo」で得た自信と、安倍の石破嫌いによって、菅は内閣総理大臣になってしまったのである。

 そんな菅に対してSNSでは、「コロナ対策について、他人事のようだ」との批判をよく目にする。
日々深刻化していく感染拡大と向き合わずに、「GoTo」ばかりに関心を向け、そのうえ「人類がコロナに打ち勝った証」として東京オリンピックを開催するなどと繰り返すためだ。
おまけに緊急事態宣言発令にあたっての記者会見では、説明の最後を「私からの挨拶とさせていただきます」と結婚式の祝辞のような言葉で締める有り様であった。

「説明が足りない」ではなく「説明能力が足りない」
 官房長官時代は「全く問題ない」「批判には当たらない」などと、そっけないことを言っていても「鉄壁のガースー」と記者などから内輪褒めされて済まされていた。
しかし首相となるとそうはいかない。
まして人々の生命や生活を脅かすコロナ禍の最中である。

 歴代最長在任日数を誇る安倍元首相に言わせれば、総理大臣とは「森羅万象すべて担当している」のである。
これに従えば、すべて自分ごとになるのが総理大臣の職だ。
だが菅は、いつまで経ってもコロナ対策を自分ごとにせずにいる。
だから記者をはぐらかす話術はあっても、危機に際して、人の心を動かす言葉を持てずにいるままだ。

 こうした菅について、官房長官時代の番記者が書いた書籍がある。
秋山信一『菅義偉とメディア』(毎日新聞出版)だ。
秋山は政治部の仕事にやりがいを見いだせずにいたところ、先輩記者から「政治部の記者を観察するつもりでやれば良いじゃないか」と助言される。
そうした著者による本書は、いわば菅官房長官の番記者グループへの潜入ルポである。
 ここで著者は「菅に説明能力が足りないことは、毎日のように会見に出ている長官番記者なら誰でも知っていることだった」と述べる。
ポイントは「説明が足りない」ではなく「説明能力が足りない」と記述していることだ。

こうした政治家としての能力不足を知りながら、政治記者たちはそれを隠蔽することに加担してきたと続けている。

政治部の記者たちは有力な政治家とべったりになりながら出世
 たとえば「桜を見る会」の招待客名簿の存否が問題になったおりの記者会見でのこと。
「調査は今後されるということか」と質問された菅はこう答えた。
「して、対応しているということです」。
何を言っているのかわからない。
別の記者会見での発言から、それは「(既に調査)して、(必要な)対応(を)している」と言いたかったのだとわかる。  

このように菅の言葉足らずを記者たちは補ってあげていた。
すなわち記者たちは、菅の能力の欠如を取り上げずに、「不足している部分を取材でどう補うか」あるいは「目をつぶって、分かりやすい部分をどう切り取るか」という方向を向いていたと著者は述懐している。
 菅は菅で、自分の能力が足りないことをわかっている。
だからなおさら番記者たちを取り込み利用することでそれを補おうとする。
秋山によれば、菅は記者心理をくすぐるのがうまく、毎晩のように議員宿舎に招き入れるなど番記者たちには丁寧に接して心証をよくし、自分の応援団に変えていく。
そのうえで週刊文春が菅原一秀の疑惑を報じると、菅は「所詮は週刊誌報道だろ」と新聞・テレビの記者たちの優越感を煽って、後追いしないよう牽制したという。
 かくして「菅と16人の長官番」(前掲書)という一つの組織が出来上がる。
政治部の記者たちはそんなふうに有力な政治家とべったりになりながら出世していくのだろう。
では出世した記者はどうなるのか。
それはいみじくも安倍が教えてくれる。
桜を見る会について「まさに皆さんの会社のですね、トップの方、幹部の方、報道機関のキャップの方等、たくさん来られてますね」といった通りだ。

政治部の常識は、ムラの外では非常識である
 菅が総理大臣になってからも、事前に質問を記者クラブの幹事が取りまとめるなど配慮がなされている。
ところがそうした政治部記者と違い、権力者に無遠慮な人もいる。
NHKの報道番組「ニュースウオッチ9」の有馬キャスターがそうだ。

 有馬は番組に出演した菅に、学術会議の任命問題について質問をぶつける。
すると放送後に官邸官僚の一人が「所信表明の話を聞きたいといって呼びながら、所信表明にない学術会議について(菅義偉首相に)話を聞くなんて。全くガバナンスが利いていない」と発言したと朝日新聞が報じた。
 それに対して金融業界からNHK会長に就任した前田晃伸は、「でも、取材ってそういうものでしょ? その時、聞くべきことを聞かなかったらヤラセじゃない。そっちの方がおかしいでしょう」、「そういうの、ガバナンスっていうのかな」と述べている(週刊文春12月24日号)。
まっとうな見識である。

 政治部の常識は、ムラの外では非常識である。菅はそうしたムラに囲われることで「影の実力者」「実務型」の幻影を生み出した。
ところがムラの外に一人で出てしまうと「ガースーです」などと言ってしまう。
この程度の政治家だったと、世の中が菅の実像を知ったときには、もう遅かった。
 菅政権とは、政治記者文化が作り出したモニュメントである。 
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2021年01月17日

補選「不戦敗」で痛撃回避 内閣支持急落、苦境一段と 春解散論下火に〔深層探訪〕

補選「不戦敗」で痛撃回避 内閣支持急落、苦境一段と 春解散論下火に〔深層探訪〕
1/16(土) ji.ji.com

 4月25日投開票の衆院北海道2区補欠選挙まで3カ月を残し、自民党は候補者擁立を断念した。
収賄罪で在宅起訴された吉川貴盛元農林水産相の議員辞職に伴う選挙とあって、逆風は必至。
同日選となる参院長野選挙区補選も旗色が悪く、2敗すれば政権に深刻な打撃になるとみて「不戦敗」を選択した。
新型コロナウイルス対策への批判を背景に内閣支持率の低下にも歯止めがかからず、菅義偉首相の苦境は一段と鮮明になった。

◇「2敗よりまし」
 「今回の事態を重く受け止め、深く反省し、有権者の信頼回復に努めることを優先すべきだと考えた」。
首相は15日、擁立見送りの理由について記者団にこう説明した。
 自民党細田派中堅は「2敗するより、一つを不戦敗にした方がダメージは少ない」と、同時に行われる参院補選も勝ち目がないとみていることを明かした。
公明党の石井啓一幹事長も記者会見で「厳しい補選」と認めた。

 自民党は、「桜を見る会」をめぐる問題で安倍晋三前首相の公設秘書(当時)が略式起訴されたばかり。
菅政権は立て続けに「政治とカネ」の問題に見舞われている。
固い地盤を誇った立憲民主党の羽田雄一郎元国土交通相の死去に伴う参院補選は、立憲にとって「弔い合戦」となり、自民党が議席を奪還するのは困難との判断だ。

 コロナ対策に手を焼く政権の苦境を、内閣支持率の急落が映し出す。
時事通信の1月の世論調査で、支持は34.2%と前月から8.9ポイント下落。
不支持は39.7%で、初めて支持を上回った。
「危険水域」とされる30%割れも目前に迫る。
 自民党内では「コロナ対応は誰がやっても批判される」(麻生派中堅)と首相を擁護する声もある。
だが、党国対幹部は18日召集の通常国会で首相が野党の追及の矢面に立たされ、「支持率はさらに下がる」とみる。
「『菅首相で衆院選は戦えない』という声が出てくるかもしれない」と漏らした。

◇五輪開催に悲観論
 自民党内では衆参補選に合わせた衆院解散・総選挙論が取り沙汰されていたが、衆院補選を不戦敗としたことで、こうした見方は下火になりそうだ。
擁立見送りは、解散権を握る首相と、二階俊博幹事長も了承済みだ。
感染収束の見通しが立たず、4月の衆院選は困難との見立てもある。
若手議員は「4月はもうないんだろう」と語った。

 次のタイミングは7月22日の任期満了に伴う東京都議選との同日選だ。
同23日から東京五輪が予定通り開催されれば、事実上の任期満了選挙となる秋の解散を避ける最後のチャンスとなるが、都議選に集中したい公明党が難色を示す。
ここを逃すと、パラリンピックが閉幕する9月5日より後しかない。

 秋の段階で東京五輪とパラリンピックが成功裏に終了していれば、政権に追い風となる可能性もある。
だが、感染拡大を抑え込めない現状から、政府・与党内では開催そのものへの悲観論が急速に広がっている。
中止となればコロナ対策の失敗を意味し、政権は窮地に追い込まれかねない。

首相は自身の手で解散どころか、9月末に任期を迎える党総裁選での再選もおぼつかない。
 V字回復を繰り返した安倍政権を引き合いに、政府関係者はこう語った。
「支持率は今後も上がる要素はない。菅首相は外交でも得点を挙げられないからきつい」
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2021年01月18日

感染者の個人情報をネットでさらし…なぜ日本人の“正義感”は暴走してしまうのか?

感染者の個人情報をネットでさらし…なぜ日本人の“正義感”は暴走してしまうのか?
1/16(土) 文春オンライン

「コドモアツメルナ オミセシメロ マスクノムダ」
 定規を使って書かれたと思われるカナクギ文字。
コロナ休業中の74歳の女性が営む小さな駄菓子屋には、何者かによってこんな脅迫ともとれるメッセージが貼られていた。
ネット上には感染した人の氏名や住所、顔写真までさらされている。
コロナ禍の社会にあっては、このような歪んだ“正義感”が暴走している。

 劇作家の鴻上尚史さんは、「自粛警察」「マスク警察」のような世間の「同調圧力」に早くから異を唱え、「空気は読んでも合わせなくていい」と訴え続けてきた。
脳科学者の中野信子さんも「自粛警察」のような人間の行動に「正義中毒」と名を付け、警鐘を鳴らしている。

 この「反・同調圧力」の二人が今回、初めて顔を合わせた。
対談は中野さんが強く希望して実現したものだ。というのも──。

32年前の作品がきっかけだった

中野 私がこういう問題に興味を持つようになったのは実は鴻上さんが書かれた戯曲『ピルグリム』がきっかけだったんです。

鴻上 おお、32年前の作品。

中野 例えば、終盤にとても印象的な台詞があります。
〈イケニエが必要なのです。そして、同時にいらないのです。必要なくせに排除する物が、必要なのです〉
 登場人物たちは、噂をもとに一人のイケニエを見つけ、その一人がいなくなったらまた別のイケニエを見つけ、いなくなったらまた別のイケニエを見つけ──コミュニティにはイケニエが必要で、それを排除することでコミュニティが維持されていくという物語なんですね。
まるで自分たちに同調しない人を激しくバッシングして排除しようとする現在の世の中を予見しているかのようです。

鴻上 脚本を読んだのは高校生の頃ですか。

中野 高校に入ったばかりでした。すごく感銘を受け、こういう集団心理を科学で掘り下げたいと思っているうちに、脳科学の道に進んだんです。
ですから私、鴻上チルドレンなんです。

鴻上 いまや飛ぶ鳥を落としている中野信子が何をおっしゃいますやら(笑)。

日本で「同調圧力」が生まれるのはなぜ?
 当日は思いがけない中野さんの告白に、鴻上さん大照れで始まった師弟(!?)対談。
鴻上さんも中野さんに脳と国民性の関係をたっぷり聞こうと準備して臨んでいた。
 そもそも日本人は自分と近しく意見がかみ合う他者には優しく、固い絆で結ばれるが、一方で知らない他者には冷たい。
それはなぜなのか。
パートナーを束縛したがる人と、束縛しない人がいるのはなぜなのか。
そして日本人が世界で最も実直で真面目で自己犠牲さえ厭わないのはなぜなのか。

中野さんがそんな疑問に脳科学的な解説を加えていくうちに、なぜ日本で「同調圧力」が生まれ、息苦しい社会になってしまうのか、そのからくりも明らかになっていく。
 では、同じ日本人でも大阪人はなぜ、そのからくりから自由でいられるのか。
どうしたら私たちもそのからくりから逃れ、自分らしく自由に生きることができるのか。
二人の話は、そのために「演劇」が果たす役割にまで及んだ。

対談を通して二人は、「演劇」には、私たちに遺伝的にビルトインされている変えることができないと思われていたものを変えることができる可能性があることに気づいた。
 対談「 日本人の『脳』がつくる『同調圧力』 」は「文藝春秋」2月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。
対談の最後には、師たる鴻上さんからチルドレンの中野さんへの切ないクレームが。

  こみね あつこ/文藝春秋 2021年2月号
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2021年01月19日

菅首相の思い・本気度 今ひとつ伝わらない施政方針 従来発言繰り返し

菅首相の思い・本気度 今ひとつ伝わらない施政方針 従来発言繰り返し
1/18(月) 毎日新聞

 菅義偉首相は18日の施政方針演説で、国民の「安心」と「希望」をキーワードに掲げ、安心と希望に満ちた社会の実現を訴えた。
だが、約1万1000字にわたる演説の大半は、既に取り組んでいる政策や従来の発言の繰り返しで、首相の思いや本気度は今ひとつ伝わってこなかった。

 首相は演説の締めくくりで、1996年衆院選で初当選した際、政治の師と仰ぐ梶山静六官房長官(当時)からかけられた言葉を紹介した。
少子高齢化やデフレを見据え、「国民に負担をお願いする政策も必要になる。その必要性を国民に説明し、理解してもらわなければならない」と言われたといい、自らの政治信条としてきたと強調した。

 しかし、毎日新聞と社会調査研究センターが16日に実施した世論調査では、2020年9月の発足当初に64%あった内閣支持率は33%にまで落ち込んだ。
特に緊急事態宣言の再発令に伴う夜間の外出自粛要請などを巡り、首相のメッセージが「伝わっていない」との回答は8割に上った。
首相の説明に対し、国民の理解を得られているとは言いがたい状況だ。

 できもしない政策を掲げたり、絵空事を並べたりする必要はない。
だが、梶山氏の言葉通り、国民の理解を得て、安心と希望を抱けるような社会を実現するには、各省庁が練り上げた政策を並べた紙を読み上げるだけではなく、首相自身の明確なメッセージが求められている。

 首相が紹介する梶山氏の言葉には「資源の乏しい日本にとって、これからがまさに正念場となる」とのくだりも登場する。新型コロナウイルスの感染拡大という危機に直面し、首相はまさに正念場を迎えている。【笈田直樹】
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2021年01月20日

菅政権の終わりの始まり…“支持率急落&中身ナシ”という「絶望的現実」

菅政権の終わりの始まり…“支持率急落&中身ナシ”という「絶望的現実」
1/19(火) 現代ビジネス
安積 明子(政治ジャーナリスト)

「対策が遅すぎる!」 「予算の規模が小さすぎる!」 「こんなわかりにくい内容で、国民の理解が得られるのか!」

 第204回通常国会が始まった1月18日午前、自民党本部で開かれた「経済成長戦略本部」。
コロナ禍対策を審議するこの会議では、次のような意見すら出たのだった。
 「こんなことでは、政権交代もありうるぞ!!」
 これは冗談から出た言葉ではないに違いない。

実際に自民党内から、次期衆議院選に向けてこれまでにない危機感が湧き出ている。
たとえば自民党のある議員は、「経験したことがないほど、地元の有権者は厳しい。私はいつも叱られる」と述べている。
いや、まだ有権者が叱ってくれる方がましだ。
有権者から無視されるようになれば、政権を維持できなくなる。
それこそ自民党の終わりになる。

 このような危機感が自民党で噴出している原因は、おそらく週末に公表された2つの世論調査結果だ。
日テレと讀賣新聞の共同調査では、内閣支持率は前月比6ポイント減の39%で、不支持率は同6ポイント増の49%。支持率より不支持率が上回ったのだ。
テレビ朝日の世論調査でも支持率が34.8%で、不支持率が42.5%。

そして注目すべきは自民党の政党支持率が45.7%と、内閣支持率を上回っている点だろう。
 これは自民党に対する官邸からの“睨み”が利かなくなっていることを意味する。
もちろん菅政権を生み出した二階俊博幹事長は菅義偉首相の味方に違いない。
だが衆参合わせて394名の自民党の国会議員のうち、二階派のメンバーは47人(他に無所属の特別会員が3名いるが)で、大きさでいえば党内で4番目の派閥に過ぎない。

昨年9月の自民党総裁選では菅総裁への流れを作った二階氏に対し、志公会の麻生太郎副総理兼財務相、清和会の細田博之会長、そして平成研の竹下亘会長が渋々同調した。
だがメンバーの数からいえば、後者3派閥の方がはるかに多い。

 実際には菅首相に替わって擁立できる人材がいないために、動きを止めているにすぎない。
だが地表に出ていなくても、地下深くでマグマはエネルギーを貯めるつつある。

またもや「短冊型」原稿…
 さらに二階幹事長にしても、全面的に頼るわけにはいかない。
そもそも国民の大ブーイングを招いた「ステーキ会食」は二階幹事長が主催したものだった。
二階幹事長からお呼びがかからなければ、菅首相は合流しなかったはずだ。
しかも二階幹事長が菅首相をサポートした理由は、ただ二階派が生き残るために幹事長職にとどまるのが目的で、菅首相の政治的手腕に期待したわけではない。

 鳴り物入りで打ち出したGO TOキャンペーンも、所詮は二階幹事長の支持団体のためのものにすぎず、感染拡大の原因として中止せざるをえなかった。
菅政権の最大の失敗といえる。
 すでにそれらを痛感しているのだろう、この日の菅義偉首相の表情は冴えなかった。
信頼できる有能な側近を持たない菅首相は、まさに孤独の宰相といえる。
目は落ちくぼみ、かなりやつれたという印象だった。

 菅首相は18日の施政方針演説に備え、前日の日曜日は外出もせずに赤坂宿舎で演説原稿を何度も読んだというが、それでも施政方針演説では読み間違いが目立っていた。
それに対して原稿案を黙読しながら聞いていた自民党議員の何人から、野次を飛ばすように異例の訂正が入っている。
 そもそもこの施政演説の原稿は、果たして菅首相の“国民への思い”が入ったものだったのか。

 実はその数日前に原稿案を読んだのだが、その硬直した内容に驚いた。
決して評判が良かったとはいえない10月の所信表明演説と、ほとんど変わらなかったからだ。
10月の所信表明演説は菅首相が総理大臣になって最初の記念すべき演説だったが、各省庁からの政策を羅列したいわゆる「短冊型」というもの。
残念ながら、政治家としての見識や国家観をうかがわせるものではなかったというのが大勢の見方だ。
 そうした批判が多かったため、施政方針演説では改善されるだろうと思っていたのだが、またもや同じ「短冊型」原稿だった。
しかも挿入されたエピソードといえば、菅首相が1996年の衆議院選で初当選した当時、菅首相にとって「政治の師」ともいえる故・梶山静六元通産大臣から言われた2つのことのみだった。
すなわち、少子高齢化社会にあっては、国民に負担を強いることになるが、それを国民に説明すること。
そしてこれからの正念場に、国民の食い扶持をつくっていくのが政治家の役割だということである。

 しかしこれらは「平時」の心得であって、「戦時」のものではない。
コロナ禍にあって多くの国民は生活に不安をいだき、それに押し潰される人たちも増えているのだ。
まさに命が脅かされている状態だ。
 実際に2020年8月の自殺者数は1849人で昨年同月比で246人も増えており、9月10日付で加藤勝信厚労大臣(当時)より国民に向けて「生きづらさを感じている人へ」という異例のメッセージも出ている。
 こうした危機的状況は菅政権発足前から発生しており、それを菅首相は受け継ぐ形で国のトップに就任した。

「未曾有の国難に対処する内閣」という意味で菅(すが)内閣は、東日本大震災時の民主党の菅(かん)内閣とよく比較されるが、菅(かん)内閣の場合はその任期中に全く予想外に発生したものだが、菅(すが)内閣はそれを認容した上で発足したという点で全く異なる。

新型コロナウイルス感染症の国内感染例が最初に発覚したのは2020年1月だから、菅首相は安倍内閣の中心である官房長官として8か月間、コロナ禍対策を行ってきたことになる。
 しかも総裁選でも総理大臣就任時でも、菅首相は新型コロナウイルス感染症対策を第一に挙げていた。
覚悟とやる気は十分にあるはずだ。
ところがその後、それがさっぱりと見えてこない。

野党の政権批判の言葉
 「“熱意”と“ビジョン”と“具体性”に欠けている。加えて“スピード感”がない」
 衆議院で施政方針演説が終わった後、国民民主党の玉木雄一郎代表は危惧をもってこう述べた。
 参議院での施政方針演説の後、立憲民主党の福山哲郎幹事長も次のように述べている。
 「経営者、雇用者、1人親世帯などをどのように救済し、生活を守っていくのか言及がない」
 普段ならバイアスがかかって聞こえる野党の政権批判の言葉が、命の瀬戸際で絶叫する国民の声のように思えてくる。
 果たしてその声は菅首相に届くのか。

新型コロナウイルス感染症対策を巡る本格的な論戦は、20日から始まる。
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2021年01月21日

麻生財務相の一律10万円再給付「するつもりない」上から目線の発言に若者が怒り心頭

麻生財務相の一律10万円再給付「するつもりない」上から目線の発言に若者が怒り心頭
1/19(火) 日刊ゲンダイ

 コロナ禍で苦しむ庶民生活など、少しも考えたことがないのだろう。
 19日の閣議後会見で、昨年の緊急事態宣言発令時に行われた国民一律の「定額給付金」の追加支給について問われ、「国民に一律10万円の支給をするつもりはない」と切り捨てた麻生財務相。

1979年の衆院選初当選から数えると、国会議員生活は40年近く。短命政権に終わったとはいえ、総理大臣を務めた経験がありながら、今の国民生活がどういう状況にあるのかを全く理解していないらしい。
 麻生大臣は以前から「口の悪さ」で知られていたものの、メディアの“麻生節”という常套句で誤魔化され、見逃されてきたため、本人は「何を言っても許される」と勘違いしたのだろう。

年齢を重ねるにつれて会見で傲岸不遜な態度が目立つようになり、このコロナ禍で若者などから麻生大臣の資質を問題視する声が出始めた。

 今回の「(定額給付金を)支給するつもりはない」と突き放した発言に対しても、ネット上は非難ごうごうだ。
<私たちが納めた税金で毎日いい物食べながら、国民には自粛を求めて緊縮しろというのはおかしい>
<納税は国民の義務とはいえ、なぜ、上から目線でカネはやらないなどと言われなければならないのか。
支給云々は大臣が決めることではなく、国会で決めること。麻生大臣のカネではない。国民のものだ>
<国会議員を支給対象から外せばいいだけ。
このままだと本当に失業者ばかりになってしまう。
麻生大臣は、国民は税金を納めるだけの存在としか考えていない>

 パンケーキ好きのたたき上げ、などと評されていた菅首相もコロナ禍で化けの皮がはがれたが、麻生大臣の“正体”に国民もようやく気付き始めたようだ。
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2021年01月22日

茂木氏「ぼくは苦手」#自民の二大老害は−に苦言

茂木氏「ぼくは苦手」#自民の二大老害は−に苦言
1/21(木) 日刊スポーツ

脳科学者の茂木健一郎氏(58)が、ツイッターで「#自民の二大老害は政界を去れ」というハッシュタグが拡散されている状況に、「こういうものが許容される日本のネット文化はおかしい」と苦言を呈した。

自民党が内規で定める衆院比例代表の「73歳定年制」の是非をめぐる議論がネット上で盛り上がる中、ツイッターでは21日、同ハッシュタグがトレンド入りした。
茂木氏は「このハッシュタグ、ぼくは苦手です」と言及。

「政策の内容を具体的に批判するのならいいし大いにやったらいいけれども、『老害』というエイジズムに基づく言葉を平気で使っている時点で、即アウトです。
こういうものが許容される日本のネット文化はおかしい」と批判した。

茂木氏は前日にも、自民党の青年部が二階俊博幹事長ら党幹部に73歳定年制のルール厳守を求めたことが報じられたことを受け、「年齢で人を判断するのはエイジズムだし、若手議員が要望しているというのは利害関係も明白で、このニュースはどうなんだろうと思います。
個人差が多すぎて、年齢だけであれこれ言うのは無理」とツイート。

「老害と安易に言う人の方がよっぽど『老害』
 人を年齢で決めつけるエイジズムにとらわれている人の方が、固定観念に縛られているという意味で『老害』。
年齢じゃなくて個人を見ないと」と私見を述べていた。
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人生の失敗・不幸はすべて自分の責任?安易な「自己責任論」が追いつめる先

人生の失敗・不幸はすべて自分の責任?安易な「自己責任論」が追いつめる先
1/22(金) 現代ビジネス..吉野 なお(モデル)

 生活の困窮、パートナーからのDV、予期せぬ妊娠……コロナ禍で苦境に立たされる人が増えている。
SNSやネットニュースのコメントでそんな状況の告白に対して、自己責任や考えの甘さを指定するレスが、増えている。  SNSを中心に、体型に関するポジティブなメッセージを配信し続けている、プラスサイズモデルの吉野なおさん(モデル名:Nao)のところにも、自己責任論を突き付けられて苦しむ人たちからの悩みが増えているという。

 「太ったのはだらしない生活のせい」「デブと言われるのは自業自得」「心が弱いから摂食障害になる」といった刃物のような言葉たち。
今回は、ネットに増加する、呪いの「自己責任・自業自得」について、自らの経験とともに執筆してくれた。

人生の失敗や不幸はすべて自分の責任なのか?
 あなたはこれまでの人生で「あのとき、あんなことしなければよかった」「別の選択肢を選べばよかった」と後悔したり、反省した経験はあるだろうか? 
 就職した会社がブラック企業だったとか、良い人だと思って付き合ったらモラハラ男だったとか、安く買えたと思った物がすぐ壊れてしまったとか。
物事の程度に差はあれ、後になってもっと良い選択に気づくパターンは、誰もが身に覚えがあると思う。

 日本人の私たちは、日常生活で悪いハプニングが起きると、その人自身の過去に悪い原因を探してしまいがちだ。
「日頃の行いが悪かった」「因果応報だった」「自業自得だった」などの言葉で受け入れ難いことをまとめようとしたりもする。
でも、何も悪いことをしていなくても、良い行いをしていても、悪いことは起きるし、止むを得えず導き出した答えの後、ハプニングが起きることだってある。

 最近、ニュースやSNSをみていてちょっとモヤモヤすることがある。
それは『その状況にならざる負えなかった人』が傷付き助けを求めているときに、「あなた自身に問題の原因がある」と責め立てる人を見るときだ。
 例えば、コロナ禍で生活が困窮している人に「貧乏は個人責任。仕事はいくらでもある」、モラハラ夫に苦労している人に「悪い人だと見抜けず結婚したあなたが悪い」、コロナ感染した人に「そこへ行ったあなたにも責任がある」などなど……。すでに傷ついている人の傷を更にえぐる言葉が最近、あまりに増えている。

 人の人生は簡単に他人に語れるほど単純ではないのに、表層の情報とイメージで他人を解釈し、傷ついた人を説教するくだりには、傲慢さを感じてしまう。
もう変えることができない過去の原因や選択を責め続けても、困っている現状は変えられないのに……。

『自己責任』という言葉が人をより孤独にさせる
人から非難やマウントをさけて、声に出せなくなっている人も……。
 かくいう私も、『自己責任』『自業自得』という言葉に囚われ、人を頼りにできなかった経験が何度かある。
 私は、昔から人を頼りにするのが下手だった(今でも得意な方ではないけど)。
 例えば、オフィスワークの仕事をしていた時には、『他人に頼むより自分がやればいいや精神』『頼まれたら断れない性格』で仕事を抱え込み、キャパオーバーになって体調を崩した。
摂食障害だったときには、余計な心配をされないよう他人の前では『大丈夫な人』のフリをして明るく自分のキャパ以上に明るく振舞っていたが、心の中はまったく大丈夫ではなかった。

 モラハラ男性にひどい扱いをされたときも、その事情を知って助けてくれようとしてくれた人がいたのに「いいのいいの、大丈夫!」と頼らず自己解決しようとしたことで、状況が悪化した。
あのとき素直にその助けに乗れていたら、どうなっていただろうかと思う。
 でも当時の私は、例え目の前に自分の声に耳を傾けてくれる人がいたとしても「自分の性格や考え方が悪いのだ」「相手に迷惑をかけてしまうかもしれない」という思考になっていて、悪い状況であっても今のままでいるほうが、リスクを減らすことができると感じて、頼ることができなかったのだ。
過去の私のような思考に陥っている人は少なくないように思う。

 いざ勇気を出して相談してみたところで、万が一『つらい人はもっといる理論』や『根性論』を持ち出されたりすると「もう誰にも話さないでおこう」となってしまったり、相談すべき相手を間違えてしまう場合もある。
 よく「独りにならないで」という言葉があるが、これは物理的に誰かと一緒にいることが大事なのではない。
本当の孤独や不安は、誰かと一緒にいるときにも感じるものなのだと思う。

 仕事・人間関係・子育て・介護など、自責して自己解決しようとしたことで心身の病を患ったり、『正しい人』を頼れず物事がもっと悪い方向へ進んでしまったという話は、枚挙にいとまがない。
切羽詰まった人間は、他の選択肢に気づけなかったり、判断力が鈍ってしまうからだ。
家族の無理解な助言が孤立を深めてしまうことも 認知のゆがみが起きている摂食障害。
ここへの理解なく、食べろ食べるな、そんなことになるのはおかしい! という声は逆に症状を悪化させてしまう。
 過去に私自身が摂食障害だったこともあるので、摂食障害に苦しむ女性からよく相談を受けるのだが、よく聞くのが、家族に過食症の症状を否定されるという悩みだ。

 過食症は、理解の無い人からすると『単なる大食い』だと思われることが多い。
そういった無理解な人が身近な存在の家族にいると「また食べてるの!? 太るよ!」「いい加減にしないと怒るよ!」と呆れられたり、ひどいときには家族の勝手な判断で食べ物を隠されてしまったりする。
こういった否定や拒否行為は、本人にとっては相当つらいことになり、逆効果になることも多い。
本人にとっても過食症は辞めたいことであり、自責していることであり、そして、自分の意思ではコントロールできないから困っているのだ。
 また過食症のことを家族に説明しても「考えすぎ。あなたがそんな病気なはずはない!」(家族は励ますつもりでこういった言葉を使いがちだ)なんて言われると、家庭の中で落ち着く場所が無くなっていく。
『過食症』を知らない人には、過食という行為自体に問題があるように見えるが、そういった症状が起きている背景に、このようにもっと複雑な問題が起きている場合がある。
これでは逆効果で、本人はますます一人で我慢していくことになる。
 この場合だと、理解のない家族と距離を置けるような、働いていて自立できるような状況であればまだ良いが、働く気力も金銭的余裕もない場合は、八方塞がりになってしまう。
また、過去の私のように「これは自分の問題で、人に話しても解決しない」と思い込み、友達やカウンセリングに相談しない人も多い。

傷ついた人が求めているのは「共感」
周囲の声を恐れ、相談できず孤立してしまったり、間違った相手に相談をし、闇の中に埋もれてしまうケースも。
 そういった“心の居場所”の無い状況下で、SNSを通して話を聞いてくれる男性が現れ「可愛いのに、かわいそう」「僕なら理解してあげられるのにな」「そんなに困ってるなら、家においでよ^^」と言われたら、フラっと行ってしまう人もいるかもしれない。
側から見たらどう考えても怪しいのに、本人からすると藁をも掴みたいみたい状況なのだ。

 心の居場所の無い女性を探し当て、利用したり支配しようとする男性は残念ながら実在する。家出したい少女をSNSで待ち構えている輩や、「自信がない女は褒めればすぐに落とせる」と解説する輩までいる(裏を返せば、それは対等な立場の女性と向き合えないということでもあるのだが)。
 「でも、需要と供給があってるんだからいいだろう」と弁明する男性もいるが、彼女たちが本当に必要な繋がりは、もっと別なところにあるのではないだろうか。
1月5日に死刑確定した『座間9人殺害事件』が過去に発生しているが、こういった犯罪に巻き込まれる可能性は大いに高くなる。

 また、これは女性に限ったことではないが、金銭的余裕の無い人に対し投資という名目の詐欺や、犯罪の共犯を持ちかける行為も存在する。
「誰にでも出来る簡単な仕事です! スマホ一台で完結します!」という言葉に誘われ、怪しいネットワークビジネスに契約させられたり、何かの運び屋や振り込み詐欺の出し子になってしまった話もある。

 日本でも少しずつカウンセリングに行く人が増えてきたように感じるけれど、まだまだ心に抱える悩みを自己解決しようとする人は多い。
私も以前は『人に相談すること=意味がない』と諦めていたので、その気持ちはよくわかる。
しかし今思うと、身の回りの人やカウンセリングに相談することだけが選択肢ではなかった。
当時は知らなかっただけで、ピアサポートや悩み相談ホットライン、NPO支援団体など、利用できるサービスが様々あったのだ。
そういったところを当たってみれば、生きやすくなる選択肢がもっとあったのかもしれない。

 『自立とは、依存先を増やすこと』という言葉を最近よく耳にする。
主催したワークショップイベントや講演に参加した女性たちからも「自分以外にも同じように悩んでいる人がいると知れてよかった、共感できて少し安心した」などと言われることがよくある。

 コロナ禍の今、SNSなどのネットツールがコミュニケ―ションの大きな柱になっている。
だからこそ、他者への言葉には心を砕きたいと思う。
困った人や傷ついた人にまず必要なことは、少なくとも「自己責任でしょ」「自業自得でしょ」と責められることではなく、『共感』という癒しなのだと思うのだ。
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2021年01月23日

「有事だから、なし崩し的にやっちゃえ!」は危険

「有事だから、なし崩し的にやっちゃえ!」は危険
豊田真由子が強制的な私権制限に警鐘
1/22(金) まいどなニュース

緊急事態宣言発令から2週間、1月21日現在、新規感染者数は漸減傾向ではありますが、死者、重症者、高齢の新規感染者、入院・宿泊療養待機者等は、依然高い水準にあり、引き続いての感染防止策の徹底が求められます。

米国第46代ジョー・バイデン新大統領が就任しました。
就任演説で「すべてのアメリカ人のための大統領となり、私を支持した人と同じくらい、私を支持しなかった人のために懸命に戦う」と述べ、結束と国際協調を強調しました。

分断を生み出す白人至上主義や差別・排外排斥主義、自国第一主義などは、歴史的にも非常に根深いものですし、その根底にある経済的・社会的格差などの構造的問題を、どのように解消・改善していけるのか、新大統領は、困難な船出・舵取りを担うことになります。

それでも、「『結束』などと言うのは、ばかげた幻想だと思う人もいることは承知している、されど、アメリカは数々の苦難の歴史を乗り越えてきた、今回も、我々は乗り越えていける」と述べ(トランプ前大統領に投票した7400万人の耳や心に、どれだけ届いたかは疑問ですが…)、真実・正義・希望を語った新大統領に、新型コロナで2400万人の感染者と40万人の死者を出し、暴動や深刻な人種差別に不安が広がる米国民は、一筋の光を見出し、未来を託すことになります。

米CNNの調査によると、バイデン氏が正当に大統領に選出されたと考える人は、民主党支持者の99%、共和党支持者の19%であり、米YouGuvの調査によると1月6日の米連邦議会襲撃事件について、民主党支持者の93%が「民主主義への脅威」と捉える一方で、共和党支持者の50%が「自由を守るためだった」と考えているとのことです。
民主主義は、国民の意思が正当なプロセスで尊重されていることへの信頼に基づいて成り立つものですが、これが当然のことでなくなっていることを示しています。

そして、暴動やテロ行為により、己や属するグループの意思を顕示・実現しようとの試みが、一定の正当性を持って受けとめられていることにも、危惧を持たねばならないでしょう。
過激思想は欧州などにも広がり、バイデン政権の成否は、世界にも大きな影響を与えます。
「一度獲得した『自由』や『民主主義』は、後退しない」と漠然と考える方が、わが国でも多いのではないでしょうか。
実は歴史を見れば、そんなことはちっともなく、自由や人権や民主主義の維持には、公権力の側にも国民の側にも、不断の努力が必要なのです。
だからこそ、「法と秩序」によって、人々と社会が制度的に守られるシステムが、極めて重要になります。

例えば、スウェーデンのV-Dem研究所によると、2019年に民主主義国・地域は世界に87、非民主主義は92で、2001年以来初めて、非民主主義が民主主義の勢力を上回りました。
非民主主義国・地域に暮らす人は、世界人口の54%と多数派になり、旧ソ連が崩壊した1991年以来の水準に逆戻りしました。
2018年にハンガリーやアルバニア、19年にフィリピンなどが非民主主義に逆戻りし、ブラジル、インド、米国、トルコ等、人口・軍事・経済・政治的影響の大きい国でも、独裁下・専制化(autocratization)の傾向が進んでいるとされています。

今国会では、新型コロナウイルス感染拡大を受け、特措法や感染症法等が改正の予定です。
感染拡大防止のため、対策に実効性を持たせることが必要、ということは、もちろん理解します。
ただ、公権力の行使を巡る苦難の歴史や、法学・法理論の観点からは、多くの問題があり、“有事だから、なし崩し的に、なんでもやっちゃえ!”という考えと、それを許容する流れには、危惧を覚えます。
少なくとも、そういう問題がある、ということを、広く知っていただくべきではないかと思います。

そもそも、わたくしは、昨年春の時点で、都道府県知事の外出自粛や休業要請等は、特措法上、本来緊急事態宣言が出されて、初めて行使することができるものであり、緊急事態宣言が出されていない中で、都道府県知事が外出自粛や休業要請を矢継ぎ早に出すことに、疑問を呈してきました。
特措法の逐条解説(法案を作成し、内閣法制局と喧々諤々の議論を経て、国会に提出した各省の担当者たちが、法令の正確な理解と適切な運用のために作成するもの)からも、それは明らかです。

■明確な法律の根拠とそれに基づく厳格な手続き等が必要
法治国家や民主主義の根幹として、移動の自由や経済活動の自由といった憲法上の基本的人権を、公権力が制限するのであれば、公共の福祉との関係での必要性、内容の妥当性、明確な法律の根拠とそれに基づく厳格な手続き等が必要です。
もちろん、社会状況の変化に応じて、法律を変えていくのは必要・有益なことであり、わたくし自身、役所で多くの法律改正作業に携わった経験からもよく分かります。

ただし、さまざまな歴史的経緯等を踏まえ、「それはやっちゃいけないよね」とされたことを、復活させることには慎重さが求められます。
当初、どういった検討があってそういう規定にされていたのか、どういう歴史を踏まえているのか、そして、公権力は人権制限に対して極めて抑制的でなければならない、といったことを、ないがしろにしてよいはずはないのです。

具体的に考えてみます。
(1)入院勧告や保健所調査の拒否に対して刑事罰(懲役1年以下または罰金100万円・50万円以下)を科すことについて 身体的拘束やプライバシーの侵害に対して、罰則を持って強制することになります。
現行の感染症法は、かつて結核やハンセン病等の患者が強制収容され終生隔離生活を強いられるなど、感染症のまん延防止の名目で、著しい人権侵害が行われてきたことへの深い反省の上に成立したものです。
そして、現行の感染症法においては、エボラ出血熱やペストなど、非常に毒性の強いものも含め、入院や調査拒否に対する罰則は存在しません。
こうしたことの理由や意味、重みを、どう考えるのでしょうか?
さらに、実効性の観点からは、罰則を伴う強制によって、恐怖や差別を引き起こすことにつながり、却って協力が得られなくなるおそれもあり、刑事罰をおそれて、そもそも検査を受けなかったり、検査結果を隠したりして、対策が困難になる可能性もあります。

(2)時短や休業要請に応じない飲食店の店名公表及び過料(“予防的措置”の段階で30万円以下、緊急事態宣言の発令後は50万円以下)について 要請に応じない施設(※元々の対象は、学校や社会福祉施設、映画館、デパート、ホテルなどに限定されていたが、臨時閣議で政令を改正し、飲食店を追加)の公表については、もともと「(施設の)利用者のため、事前に広く周知を行うことが重要であることから、公表することとしたもの」です。
また、施設の使用制限等の要請等の措置は、「罰則による担保等によって強制的に使用を中止させるものでない」とされていました。
施設名を公表することは、今の日本では、SNS等を通じた、いわゆる私刑による制裁を与えることを意味することになり、本来の法の趣旨とは違っています。

国がそういったことを奨励し、互いの監視や「自粛警察」等を招くことにもなりかねません。
過料を科すことについては、例えば、スピード違反や脱税という行為に罰金を課すのとは異なり、「倒産や事業継続、雇用の維持ができなくなる可能性がある行為(時短営業や休業)」を、罰則で強制するものであり、財産権等の侵害が公共の福祉との関係でどこまで許容されるか、という問題でもあります。

今回は、行政罰とともに、事業者支援の規定(「必要な措置を効果的に講ずるものとする」)を設けることで、バランスを取ることにしたわけですが、いずれにしても、大きな方針転換であり法の趣旨の変更になります。
いずれの条文も、国会に法案が提出される以上、関係省庁と内閣法制局の協議の結果(※今回の法案は、議員立法ではなく、緻密さ・厳格さが要求される閣法です)、様々な規制や罰則について、憲法等との整合性は保たれるとの認識となったわけですが、異論もあると思います。
(最終的に判断するのは、違憲立法審査権を有する司法(裁判所)になります。)

いずれにしても、政府には、強制的な私権制限を行うことの妥当性や法的整合性、公平性・実効性の担保方法などについて、懸念を払しょくするに、十分な説明が求められます。

豊田 真由子 
1974年生まれ、千葉県船橋市出身。
東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。
ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。
医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。
2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。
衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。
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2021年01月24日

室井佑月が石原氏の無症状入院を皮肉る「私もすぐ入れてくれるんだよね?」

室井佑月が石原氏の無症状入院を皮肉る「私もすぐ入れてくれるんだよね?」
1/23(土) 東スポWEB

 タレントの室井佑月(50)が23日、ツイッターで日本の医療体制の矛盾を指摘した。
 自民党の石原伸晃元幹事長(63)が22日、新型コロナウイルスに感染したことが判明。
無症状だったが即日入院した。
不整脈などの持病があるためだが、前日の派閥総会への出席や、その後の会食といった行動と合わせて「特別待遇」「上級国民」と批判されている。

 室井はこの状況に「日本の医療のトリアージって、急を要する者からってことじゃないのかもね。
となると、トリアージってヤバい。
命に格差をつける、ってことになるんじゃないのかな?
全国の公立病院を減らす、っていうのもそういう意味はあったよね」と治療の優先順位を決める「トリアージ」の運用に疑問の声を上げた。

 さらに「あたしは不整脈のほかに糖尿病も持っているから、具合悪くなったらあそこの病院へいくわ。検査して、すぐ入れてくれるんだよね? 忘れてないでおこう」と石原氏の入院を許可した病院を口撃=B  

 続けて「こっちは陽性で具合悪くなった状態なんだから、空きベッドない、っつーことはないわな。
今ならあの人と交代してもらえるよね」と追い打ちをかけた。
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2021年01月25日

結局、国民が被害…スガ発言が意味不明なのは他人事だから

結局、国民が被害…スガ発言が意味不明なのは他人事だから
2021/01/23 日刊ゲンダイ( 適菜収 作家 )

 菅義偉、ダメ人間だとは思っていたが、想像以上にダメでしたね。
麻生太郎は漢字が読めなかったし、安倍晋三は日本語が苦手だったが、菅の場合、それ以前に自分の発言の内容すら理解していない。

 菅は施政方針演説(18日)で、脱炭素化の推進に関連し「あらゆる主体」を「あらゆるぜんたい」、不妊治療と仕事の両立を巡っては「後ろめたい」を「後ろめいた」と原稿を読み間違えた。
 昨年10月の所信表明演説では「重点化」を「げんてん化」、「改定」を「かいせい」、「貧困対策」を「貧困せたい」、「被災者」を「ひがいしゃ」と誤読。
 外遊先のベトナムでは「ASEAN」を「アルゼンチン」、「カバレッジ」を「カレッジ」と勝手に脳内変換した。
 揚げ足を取りたいのではない。
誰でも読み違えることはある。
しかし、菅の場合、政治家としてのデタラメさに直接つながっているのだ。

 政府のコロナ対策本部における発言では、緊急事態宣言の対象に追加された「福岡」を「しずおか」と誤読(13日)。
議論の経緯を理解していればこういう誤読が発生する余地もない。
要するに他人事なのだ。
結局、被害を被るのは国民である。

 官房長官時代には、愛媛県の「伊方原発」を「いよく原発」、大阪府北部を震源とする地震の際には「枚方市」を「まいかた市」と誤読した。

 挙動も言動も不審。
会見で医療体制を強化するための法整備について、「国民皆保険、そして多くのみなさんがその診察を受けられる今の仕組みを続けていくなかで、コロナがあって、そうしたことも含めてもう一度検証していく必要があると思っている。
必要であれば、そこは改正をするというのは当然のことだと思う」と発言。

国民皆保険制度を廃止するのかと騒ぎになり、官房長官の加藤勝信が火消しに追われた。
 発令した緊急事態宣言の効果が出なかった場合について質問されると「仮定のことは考えていない」と返答。
 意味不明。

最悪のケースを仮定して、対策を怠らないのが危機管理の基本ではないか。
 コロナ対策で迷走した揚げ句、「ワクチンは感染対策の決め手だ」と結局は神風頼み。
これでは国が滅びる。

菅の持論は「国民から見て当たり前のことをやる」である。
だったら、今すぐに総理を辞めろ。
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2021年01月26日

コロナ患者「退院後12.3%死亡」の衝撃!回復しても3割が再入院

コロナ患者「退院後12.3%死亡」の衝撃!回復しても3割が再入院
1/25(月)  日刊ゲンダイ

 回復したからといって安心ではない――。
新型コロナウイルスの感染拡大が続く英国で衝撃の研究結果が発表された。
退院した新型コロナ患者の3人に1人が5カ月以内に再入院し、うち8人に1人が亡くなっているというのだ。
 ◇   ◇   ◇
 研究論文を発表したのは、英レスター大と国家統計局から構成される研究チーム。
昨年1月から8月末までに入院していた英国内の新型コロナ患者を対象に追跡調査を行い、コロナに感染していないグループと再入院の割合や死亡率を比較した。

 査読をまだ受けていない論文ではあるものの、研究結果によると、治療を受けて退院しても、短期間に再入院や死亡する割合が高いというから驚きだ。
 論文によると、退院した元コロナ患者4万7780人のうち29.4%が退院後140日以内に再入院。
さらには、全対象者のうちナント、12.3%が死亡したという。
しかも、コロナ感染していないグループと比較すると、再入院は3.5倍、死亡率は7倍も高かった。

 西武学園医学技術専門学校東京校校長の中原英臣氏(感染症学)がこう言う。
「回復したにもかかわらず、1割以上の人が亡くなるとは、感染症では考えられません。
普通なら『治ったら終わり』ですからね。
例えば、糖尿病や心臓病など、持病のある高齢者がコロナ感染によって体力を削られ、回復しても亡くなってしまう、ということは考えられます。
高齢者だけに限って調査しているわけでもないので、いずれにしても、なかなか説明のつかない数字です。
コロナウイルスとの因果関係が認められるのか、英国だけの現象なのかなど、さらに精査する必要があるでしょう」

■高齢者や民族集団に限定されるものではない
 回復後の死亡リスクが論文の数字通りに高いのであれば、「治ったから安心」なんて考えは通用しない。
研究グループは論文で、コロナ回復後の患者に生じた意図しない症状や病気などの「有害事象」はコロナに感染していないグループに比べ、呼吸器障害や糖尿病、心疾患や腎臓病の割合が高いと指摘。こう結論付けている。

〈コロナ感染後に退院した患者は死亡や再入院、多臓器不全の割合が高く、そうしたリスクの増加は高齢者や民族集団に限定されるものではない〉
〈回復後の症状に関するリスク要因をさらに理解するため、緊急の調査が必要であり、そうすることで、統計的にも臨床的にもリスクにさらされている集団に、より適切な治療を提供できるだろう〉

 コロナ感染の後遺症で倦怠感や味覚・嗅覚障害などに悩まされている人もいる。
 注意してもし過ぎることはない。
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2021年01月27日

「労働」とは何か

「労働」とは何か
2021年01月26日 NHKテキストビュー

都会であくせく働く人と、南の島の漁師の会話の小噺(こばなし)をきいたことはありませんか。
「そんなに必死に働いて、貯めたお金で何をするの?」
「引退したら昼寝しながら、のんびり魚釣りでもして暮らしたいからね」
「ぼくはもうそれをしているよ」──。

私たちはいったい何のために働いているのでしょうか。
小噺に登場する漁師は「働いていない」のでしょうか。
本稿では、経済思想家、大阪市立大学准教授の斎藤幸平(さいとう・こうへい)さんと共に「労働」について考えてみたいと思います。
*   *   *
人間は、他の生き物と同様に、絶えず自然に働きかけ、様々な物を生み出しながら、この地球上で生を営んできました。
家、洋服、食べ物などを得るために、人間は積極的に自然に働きかけ、自然を変容し、自らの欲求を満たしていきます。
こうした自然と人間との循環的な過程を、マルクスは生理学の用語を用いて、「物質代謝」と呼びました。
そして、自然を規制し、制御する行為こそが、「労働」だとマルクスは考えたのです。

マルクスが『資本論』に託したメッセージの核心に迫る上で、特に重要なのが、第一巻・第五章第一節「労働過程」で展開されるこの「物質代謝論」です。
これを理論的土台として『資本論』を読み進めていきましょう。

労働は、まずもって、人間と自然とのあいだの一過程、すなわち、人間が自然との物質代謝を自らの行為によって媒介し、規制し、制御する一過程である。
(193) 都市で暮らしていると忘れてしまいがちですが、インスタントラーメンもパソコンも、自然に働きかけることなしに作ることはできません。
自然との物質代謝は、人間の生活にとって「永遠の自然的条件」だとマルクスは述べています(198)。

つまり、自然との物質代謝を離れて生きることはけっしてできない、ということです。
もちろん、人間だけでなく、地球上のあらゆる生き物が、自然との物質代謝を行いながら生きています。
人間が森から木を伐り出して家を作るように、熱帯地域のシロアリは人間も真似をするような、内部の温度をほぼ一定に保つ空調の仕組みも整った立派なアリ塚を作ります。

けれども、人間と他の生き物との間には、決定的な違いがある、とマルクスは述べます。
それは、人間だけが、明確な目的を持った、意識的な「労働」を介して自然との物質代謝を行っているということです。
人間は、単に本能に従って自然と関わっているのではありません。
本能を満たすための工夫は他の動物でも行います。

ハキリアリはキノコを育てるし、道具を使う動物もいます。
しかし、暖をとるだけなら服を作れば十分ですが、人間は「よりきれいな服にする」目的のために、染料で服を染めます。
食事をするための土器なら器があれば十分ですが、祭事や遊びなど本能以外の目的のために人形を作ったりしてきました。

「労働」という行為によって、人間だけがほかの生き物よりもはるかに多様でダイナミックな“自然への働きかけ”ができるのです。
その際、人間と自然との物質代謝は循環的で、一方通行で終わるものではありません。
自然に還らないゴミを大量に出し続ければ、例えばマイクロ・プラスチックを食べた魚が私たちの食卓に戻ってきます。
核のゴミも問題ですし、化石燃料の大量消費による二酸化炭素排出も、深刻な気候危機を引き起こしています。

私たちの暮らしや社会は、私たちが自然に対してどのような働きかけをしたかで決まる。
これがマルクスの、資本主義社会を分析する際の基本的視座です。
つまり、マルクスは、人間の意識的かつ合目的的な活動である労働が資本主義のもとでどのように営まれているかを考察することで、人間と自然の関係がどう変わったかを明らかにし、そこから資本主義社会の歴史的特殊性に迫ろうとしたのです。

■『NHK100分de名著 カール・マルクス 資本論』より
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2021年01月28日

露呈した「情報過疎」…“現場”つかめず、いらだつ首相

露呈した「情報過疎」…“現場”つかめず、いらだつ首相
1/27(水) 西日本新聞

 2日間の衆院予算委員会の論戦をひとまず終えた菅義偉首相。
新型コロナウイルス対応を巡るやりとりでは、現場の情報を的確に把握できておらず、自らの指示もスムーズに執行されていない現状に直面させられ、いらだちをにじませる場面が目立った。
官房長官時代から官僚を思うままに動かして政策を実現してきたが、その政治手法に異変が起きている。

 26日の質疑で首相は、コロナ患者の病棟で看護師が清掃まで担っている厳しい現場環境についてただされ、「清掃業者にやってもらえるよう改善している」と胸を張った。
昨年から対応に意欲を示していた課題のはず、だった。
 ところが、直後の厚生労働省担当局長の答弁で首相の「情報過疎」ぶりが露呈する。
昨年末から医療機関への清掃業者の紹介を始めたが、緊急事態宣言下の11都府県の48業者中、病院と契約に至ったのはわずか3業者−。
野党議員から「この数字。ちょっとびっくりしませんか」と切り込まれ、首相は「私も今、率直に数字を聞いた。現実としては申し訳ない思いです」。平謝りするしかなかった。

 前日の25日にはこんな場面も。野党議員が、2兆7千億円の予算を確保した医療機関への支援金の執行率が4割弱にとどまっている点を突き、「総理がやっぱりバーンと指示、命令しないと」と挑発。
これに対し、首相は「これだけ(予算を)積んでなぜ回らないんだということを、関係大臣に強く指示している」と不機嫌そうな顔を隠さなかった。

 官僚以外の民間人とも頻繁に面会して「生」情報を直接吸い上げ、政策執行に生かしてきたのが首相のスタイル。
人事も効果的に行って官僚組織を従わせ、自らが考える「あしき慣例」「縦割り行政」を打破してきた。

 ところが、新型コロナ対応では、政府内で「情報」と「指示」の目詰まりが起こっている一端が質疑で明らかとなった。
ウイルス収束への道筋を付けるため一刻の猶予も許されない中、首相の本来の持ち味は復活するのだろうか。 (一ノ宮史成)
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2021年01月29日

「人類滅亡」まで100秒 終末時計、コロナ危機で

「人類滅亡」まで100秒 終末時計、コロナ危機で
1/28(木)  KYODO  

【ワシントン共同】
米誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は27日、核戦争などによる人類滅亡を午前0時に見立てた「終末時計」の残り時間を「100秒」と発表した。

世界的に流行した新型コロナウイルスの危機を挙げ、過去最短の残り時間だった昨年から据え置いた。

 同誌は声明で「パンデミックは歴史的な警鐘だ」と指摘、危機のさなか各国政府はたびたび責任を放棄、科学的な助言を無視するなどし国民の健康を守ることに失敗したと批判
「各国政府や国際機関が核兵器や気候変動という人類の存続に関わる脅威に対処する準備ができていないことを如実に示した」と強調した。
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コロナ禍の変化詠む「サラリーマン川柳コンクール」入選作発表

コロナ禍の変化詠む「サラリーマン川柳コンクール」入選作発表
2021年1月27日  NHK

世相や働く人の本音をユーモアたっぷりに詠んだ「サラリーマン川柳コンクール」の入選作が発表され、コロナ禍による働き方や生活の変化を詠んだものなど100の作品が選ばれました。

ことしで34回目となる「サラリーマン川柳コンクール」は、大手生命保険会社の第一生命が作品を募集し、6万2542句の中から選ばれた100の作品が27日発表されました。
今回は、新型コロナウイルスの流行によって変化した働き方について詠んだ句が多く寄せられたということで

▽テレワークいつもと違う 父を知る(秋乃アキ)
▽激論もパジャマ姿の 下半身(王様の耳)
▽「行ってくる」ふすま一枚 テレワーク(今日も出勤)
▽テレワーク子供の参入 場が和み(ヨミ坊)
▽テレワーク気付いた会社の イスの良さ(首肩凝蔵)などが入選しています。

また、
▽週一の 通勤だけで 息切れる(けぇぇぇぇぇ)
▽久々に 家族が揃った 在宅で(もう100%出社おやじ)
▽出勤が運動だったと 気付く腹(からあげ大好き)など、在宅勤務にともなう変化について詠んだ句も選ばれています。

「密」や「ディスタンス」を取り入れた句も寄せられていて
▽抱き上げた孫が一言 密ですよ(白いカラス)
▽コロナ禍が程よく上司を ディスタンス(大舞剛人)
▽あの密を恋しがる日が くるなんて(めめりん)などが選ばれています。

マスクの着用など、日常生活の変化について詠んだ句では
▽アイメイク仕上げにマスク 時短術(コダクさん)
▽お父さんマスクも会話も よくずれる(さごじょう)
▽孫の顔初めて見るのは スマホ越し(デレデレじいちゃん)
▽置き配を不審物だと 騒ぐ祖母(うー婆いーつ)などが寄せられています。

サラリーマン川柳を担当した第一生命の垣見優佳さんは「ことしはリアルな現場の思いをよりストレートに表現した句が多かった。
経験していないことが起きて誰もが戸惑っている中で、その戸惑いに対して共感できるものが集まったと感じています」と話していました。
サラリーマン川柳は、今回選ばれた作品の中からベスト10を決める投票が27日から行われ、ことし5月下旬に結果が発表されます。
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2021年01月30日

なぜ日本の若者は社会運動から距離を置くのか?

なぜ日本の若者は社会運動から距離を置くのか?
1/29(金) nippon.com(富永 京子)

近年、香港を筆頭に、韓国や台湾など生活レベルやライフスタイルが日本とそれほど変わらない国や地域で、国政を左右する若者たちのデモが目立つ。
しかし日本の若者はこうした動きには冷ややかだ。
筆者は、そこには政治から離れざるを得ない要因があると考える。
気候変動・地球温暖化に対する全世界的な同時多発行動である「#FridaysforFuture」や黒人差別に対する米国発の抗議行動「#BlackLivesMatter」など、近年、世界各地で若者を中心とした社会運動が目立っている。
日本も例外ではなく、「グローバル気候マーチ」に中高生が集まり、大学入試共通テストへの抗議行動でも高校生が文部科学省前で演説するなどの活動が見られた。

検察庁改正法案に対する抗議活動や、「#MeToo」「#KuToo」といった女性の権利に関する運動もインターネット上では数多く存在する。
しかし依然として、各種調査は日本における若者の政治参加、とりわけ社会運動に対する意欲や関心が他国に比べて高くないという結果を示している。
例えば日本財団が2020年に日中韓米英など9カ国で実施した「18歳意識調査」では、日本は「自分で国や社会を変えられると思う」人が約2割で最低だった。
また社会学者・濱田国佑(はまだ・くにすけ)によれば、2015年SSP調査(階層と社会意識全国調査)における「私の参加により社会現象が少し変えられるかもしれない」という項目における若年層の回答も、先進国7カ国中で日本は最低の水準となっている。

もちろん、こうした特徴は10代、20代の「若者」に限ったことではない。
NHK「日本人の意識」調査によれば、「国民の行動が国の政治に影響を及ぼしている」という感覚は、1949年〜53年生まれをピークに、そこから若い世代になるに従って低くなっている。
つまり、ここで論じる「若者の政治離れ」「若年層の社会運動嫌い」は、何も10代や20代の若年層に限ったことではない。それは彼らよりも上の世代にも当てはまることだ。

筆者はこうした「政治離れ」「社会運動嫌い」が彼らの気質や精神的側面に基づくと言いたいわけでもない。
むしろ日本の若者には政治から「離れざるを得ない」構造的・文化的要因があり、それが彼らの意識に影響していると考えた方が自然だろう。

本稿では、筆者らが収集した調査データを基に、若者は社会運動に対してどのようなイメージを持っているのか、さらにその忌避感や嫌悪感は何によるのかを検討したい。
若年層になればなるほどデモに否定的 若年層は具体的にどのような形で政治から距離を置き、社会運動から離れていると言えるのだろうか。
筆者らは「生活と意識に関する調査」(シノドス国際社会動向研究所、2019年)を実施し、20歳から69歳を対象に、社会運動に対するイメージの分析を行った。
本調査では主たる社会運動として「デモ」を取り上げ、6種類のイメージを提示し質問を行った。
下の表は、それぞれの質問に対し「そう思う」「まあまあそう思う」と回答した人々の割合を世代によって示したものである。

質問項目は上から3つ目までがデモに対して肯定的なイメージを問うもの、4つ目以降が否定的なイメージを問うものとなっている。
基本的にはいずれの項目においても世代差が明確に表れているが、特筆すべきは若年層になればなるほどデモに対してネガティブな評価を下していることだ。
その一方で、高年齢層は比較的ポジティブな行為として評価しているのが分かる。

経済的な要因も政治的意見の抑制に
なぜ、若年層ほどデモを「迷惑」「社会的に偏っている」「過激である」と解釈しているのか。
1つは、1970年代以降、日本社会において社会運動が不可視化された点が考えられる。
労働組合の組織率は低下しており、政治学者・木下ちがやは、大学における学生の自治会やサークルといった中間集団も弱体化している点を指摘している。

実際に都市における社会運動の発生件数は70年代以降に減少しており、労働運動・市民運動が一般人には見えづらくなってしまった。
こうした社会において、若者たちはそもそも社会に対する批判や対抗の作法が分からない。
社会運動が何かを変容させた現象を目の当たりにしていればその意味も理解できるのだが、運動そのものが見えないとコミットメントも難しい。
こうした社会状況で、自分たちの行動が何かを変えるイメージを持ちづらいのは極めて自然なことだろう。
これに加え、社会経済的条件の変容も大きい。

一例であるが、70年代以降、大学の学費も大幅に上昇した。
もちろん「若者」は大学生とは限らないが、相対的に豊かな層とされる大学生も、過去に比べ時間的にも金銭的にも窮乏を強いられている。
日本学生支援機構による2016年度の学生生活調査では、大学昼間部の奨学金受給率は1992年(22.4%)から2016年(48.9%)にかけて2倍以上となっている。
学費・奨学金の負担は学生に重くのしかかり、就職活動へのプレッシャーへとつながる。
こうした状況で政治的な意見を訴え、権威に対して声を上げるのは容易ではない。

雇用や社会的立場の流動化も影響
筆者は著書『みんなの「わがまま」入門』で、若者をめぐる社会の変容に加え、若者の政治離れの要因として「個人化・流動化」の影響を示唆した。
歴史社会学者・小熊英二は『日本社会のしくみ』において、1970年代や80年代の社会は、それほど均質的でなくとも属性に応じたライフコースが存在し、「若者」が「女性」や「労働者」と同様のカテゴリーとして存在したと主張する。
しかし現代社会では、同じ大学に通っていても、同じ職場にいても、教室やオフィスの中にいる同年代の人々を、同じ「若者」として見なすことのできる人は多くないだろう。
その中で自らの利害に基づいて声を上げようと思っても、自分と同じ利害を抱えた人がどれほどいるのか分からない。

その一方で、学校や職場といった空間では、「みんな同じ」という幻想だけが強くなっているので、自分の意見を公の場で口に出すことに対して、「他者から迷惑なやつと思われないか」「偏っていると思われたらどうしよう」「仲間から浮くのではないか」と過剰に反応してしまうのではないか。
ここには雇用や社会的立場の流動化も影響している。

非正規雇用が労働者の4割近くを占め、働き方も多様である中、労働運動であれ他の社会的課題に関する活動であれ、持続的に運動に携わることのできる人は限られるだろう。
仮に運動に成功したとしても、成功の果実を享受できる期間がどれほど残っているのか分からない。
そうした立場の短期性・流動性が、若者をはじめ流動的な立場にある者に「当事者として」社会を変えることに対し、心理的な距離を置く理由となっている。

しかし、「政治離れ」は若者たちだけでなく、私たち自身の問題でもある。
若者と政治との距離を縮めるためには、まず私たち大人が率先して政策や制度に対して不満があれば声を上げるべきだ。
政府に異議を唱えることは決して悪ではなく、自分たちの行動によって社会が変えられることを身をもって示すことが必要だろう。
たとえ人々の価値観が多様化し、個人化・流動化が進んでも、その「声」によって救われる人が大勢いることを忘れてはならない。


【Profile】 富永 京子 TOMINAGA Kyoko
立命館大学産業社会学部准教授。
専攻は社会運動論・国際社会学。
1986年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員を経て、2015年より現職。
社会学の見地から、人々の生活におけるデモや社会・政治運動の文化的側面を研究。著書に『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房、2016年)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版、2017年)、『みんなの「わがまま」入門』(左右社、2019年)など。
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2021年01月31日

「自由」が労働者を追い詰める

「自由」が労働者を追い詰める
2021年01月30日 NHKテキストビュー

労働力を、とことん使い倒そうとする資本主義的生産は、労働者の心身を蝕(むしば)み、彼らの能力や暮らしを破壊し、ときには命さえも奪っていきます。
マルクスは『資本論』で、当時大々的に報じられた過労死についての記事に言及しています。
自殺に追い込まれるほど過酷な長時間労働に、なぜ労働者は抗えないのか。
無断欠勤、あるいは辞めてしまえばいいのでは。
そんな風に感じる方もいるかもしれません。
逃げ出せない理由の一つは、労働者が「自由」だからだとマルクスは指摘しています。
「自由だから逃げ出せない」とはどういうことでしょうか。
経済思想家、大阪市立大学准教授の斎藤幸平(さいとう・こうへい)さんが解説します。
*      *      *
資本主義社会において、労働者は二重の意味で「自由」だとマルクスはいいます。

一つは、奴隷のように鎖につながれて強制労働させられているわけではないという意味での「自由」です。
士農工商やカーストのような身分制もない社会では、好きな仕事に就くことができるのです。
しかし、奴隷や身分制のような不自由から解放された私たちは、同時に生産手段からも「自由(フリー)」になってしまいました。“

生産手段フリー”とは、生きていくために必要なものを生産する手立てを持たないということを指します。
ここでいう“フリー”という単語は束縛されていないという意味ではなく、何かが「ない」という意味、例えばカフェインフリーなどの意味と同じように使われています。
これは、コモン(みんなの共有財産)が「囲い込み」によって解体された帰結です。

生産手段から切り離されてしまうと、もう大半の人々は自給自足できません。
生きていくには、どうにかしてお金を手に入れなければならない。
そのためには、何かを売る必要がある。
けれども、普通の人が生活のために売ることができるのは、唯一、自分自身の労働力だけなのです。

資本主義社会の労働者は、奴隷と違って、自分の労働力を「自由」に売ることができます。
繰り返せば、私たちは、好きな仕事に就くことができます。
けれども、自由になるのは、そこまで。

一度、労働力を売ってしまえば、あとはもう奴隷とあまり変わりません。
どういうことなのか。
経済学者の内田義彦は次のように説いています。
労働者は労働力に対する処分権はもつが、労働に対する処分権など全然もっていない。
うそだと思ったら職場で労働を自分の自由に処分してごらんなさい。
処分されるのはあなた御自身でしょう。
(中略)
労働力に対する処分能力を100%持つということは労働の処分能力を100%失うということと裏表の関係にあります。 (『資本論の世界』)

「労働力に対する処分権」とは、自分の労働力を誰に売るか、という選択権です。
これは常に労働者の手元にあります。
しかし、誰かに売った途端、労働者は「労働の処分能力」──つまり、働き方の自由を100%失う。
好き勝手に働けばクビになるだけ、というわけです。

奴隷と違って、労働者と資本家の関係は、労働契約を結ぶまでは基本的に自由平等です。
だから好きな会社と契約を結ぶことができるわけですが、契約を結ぶと、その瞬間から労働者は資本家の指示・命令のもとで働かなければなりません。
どのように働くかを決めるのも、その労働が生み出す価値を手にするのも資本家。
労働の現場には、自由で平等な関係は存在しないのです。

そのことがわかっていても、あらゆるものが商品化された社会では、生きるために必要なものを買うよう迫られ、労働者は自らの自由を「自発的に」手放さないといけない。
そこに実質的な選択肢はありません。
だから、マルクスは現代の労働者の置かれた状況を奴隷制に喩(たと)えたのです。

■『NHK100分de名著 カール・マルクス 資本論』より
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(1) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする