2021年02月11日

ひとりひとりを生きる 

香山リカのココロの万華鏡 ひとりひとりを生きる 
2021年2月9日 毎日新聞東京版

 かつて総理大臣だった人の発言が女性蔑視にあたるのでは、と大きな問題になっている。
食堂でランチを食べていたら、隣に座っていた男性たちが「女性については何を言っても怒られる」「女性のことはいっさい触れない方がいいよね」などと話していて、思わず「違いますよ」と言いたくなってしまった。

 私たちは長年の習慣でつい「男というものは」「女というものは」とそれぞれの性別をひとくくりにして何かを語りがちだ。
これには注意が必要だ。性別だけではない。
私もよく「私は北海道の出身だから牛乳が好き」などと言ってしまう。
しかし、よく考えてみると北海道にも牛乳が苦手な人はいるだろうし、東京にも牛乳が大好きな人はいる。
極端な言い方かもしれないが、人間は「人それぞれ」なのだ。

 それでもまだ「北海道出身だからこれが好物」と言うくらいなら、それほどの悪影響はない。
あてはまらない人は「そうは言えない」と反論もしやすいし、言った方も「そうですね、ごめんなさい」とすぐに訂正できる。

 ところが「女というものは」の方は違う。
女性は歴史的に男性に比べて、いろいろと不利な立場に置かれてきた。
たとえば、日本ではじめて女性が選挙に出て国会議員になったのは、1946年つまり戦後になってからなのだ。
それまでは女性の政治家がいなかったというのは、いまはなかなか想像もできないが、いま80代の人たちが子どもの頃、ようやくそんな社会になったのである。
 それから私たちは、一生懸命、男性と女性が同じように生きられる社会を作ろう、とがんばってきた。
そこで「女というものは」というとくに否定的な意味の決めつけが行われると、そのがんばりに対して「ほら、やっぱり……」と水をさされることになる。

 もし、最初に書いたランチの場にいた男性たちが同僚なら、私はこう言っただろう。
「男も女も、それぞれの人に意見を言ったり、ときには批判したりするのは、おおいにけっこうなんですよ。
ただ、ひとくくりにして“女というものはみんなこうだ”みたいな言い方をするのは、偏見につながってしまうからやめてくださいね」
 私が働いている医療の現場では、男や女といった区別はほとんどなく、誰もが個人として一生懸命、できる限りのことをやっている。
早く誰もがひとりひとりとして生き、お互いを大切にできるようになればいいな。
そう心から思うのである。(精神科医)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(1) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする