UFOや死後の魂を即否定する人は「本物の科学者」とは言えない
2021年03月31日 PRESIDENT Online
中部大学総合工学研究所特任教授 武田 邦彦
あなたはUFOや死後の魂といった奇妙な現象を信じるだろうか。
中部大学特任教授で工学者の武田邦彦氏は「本物の科学者は『UFOはいない』とは絶対に言わない。
『頭で考えられないこと』を否定するのは科学的な態度ではない」という――。
※本稿は、武田邦彦『武器としての理系思考』(ビジネス社)の一部を再編集したものです。
■UFOが飛んでくる可能性というのは「ある」
世の中にはUFOを目撃したという話はたくさんあります。
航空自衛隊のパイロットやアメリカ空軍のような空を飛んでいる人たちが、随分とUFOを目撃しているらしい。
そのうちのいくつかは写真なども撮られていて、それらを目にすると「いったいどういうことなのだろう」と思います。
こういった話題になると、科学者の多くは「そんなことはないよ」「だいたいUFOが飛んでくるとなれば相当程度の文明の高い星が近くになければならないのに、そんな星はないよ」と言います。
確かに、地球から100光年あたりのところの星で文明のありそうなところはほとんどありません。
1万光年ぐらいになって、ようやくそうした可能性のある星が少しある程度です。
1万光年離れたところから飛んでくるためには光の速さで1万年かかります。
通常の宇宙船の速さだと5万年、10万年とかかる。
10万年もかけて地球の探索にくるなどというものはまったく無駄なことですし、そもそも無理だ――とUFOを否定する人たちは言います。
だからUFOの目撃情報にしても「恐らくは何か光の加減であるとか、パイロットが空を飛んでいるうちに幻想を見たのではないか」と反論するのです。
これは一見科学的な意見のように見えるかもしれません。
しかし、この科学者たちは実は間違っています。
ここに科学の落とし穴があるのです。
UFOが飛んでくる可能性というのは「ある」のです。
それはどうしてかと言えば、光よりも速い移動手段が「ない」と決まったわけではないからです。
「光がいちばん速い」と言っているのは、今の私たちの科学の常識の範囲内でのことに過ぎません。
ですから、私たちの知能の及ばないようなものがあるかと言えば、それは「ある」のです。
■なぜ、紫式部は飛行機を天狗だと言うのか
そのことは過去を見ればわかります。
人間が誕生したのは600万年も前のことです。
しかしわずか1000年前、1000年前というと人類誕生からの600万年のわずか6000分の1です。
その1000年前、たとえば平安時代の紫式部に飛行機をみせて「あれは何だと思いますか?」と尋ねれば、きっと紫式部は「空を飛んでいるのなら天狗ではないか?」とでも言うでしょう。
なぜ紫式部が飛行機を天狗だと言い、今の人は飛行機だと考えるのかと言えば、人間は目に見たものを、今の自分の知識の範囲で判定しようとするからです。
もちろん紫式部のいた平安時代には飛行機はありませんから、あんな巨大なものが空を飛ぶなんて考えもしません。
ならば、それは天狗のような怪物の類ではないかと考える。
このように、私たちはいつも自分の頭の中に入っている知識の中から正解を探すという癖があるのです。
■我々は光より速いものを知らないだけ
科学者が「光よりも速いものはない」と言うのは、アルベルト・アインシュタインが今から100年ほど前に「光がいちばん速い」という理論を構築した、世に名高い「相対性理論」を論拠としています。
相対性理論はその後の量子力学などに発展して、学問的にたいへん大きな功績があったことに間違いありません(物理学的には、相対性理論と量子力学は相いれないところもある)。
しかし、アインシュタインは「光がいちばん速いのだと考えて整理をするとこの世の中をうまく整理できる」ということを言っているだけで、「光よりも速いものがない」と証明したわけではありません。
アイザック・ニュートンによる「ニュートン力学」だけでは説明しきれない不思議なことがあったので、それを整理するためには「光がいちばん速いものである」と定義して、それでいろいろなことを考えるとうまく説明ができると言っているに過ぎないのです。
もちろん、光がいちばん速いということを後押しするいろんなものがあります。
有名な「E=mc2」という式がありますが、これによれば現在の核兵器なども全部説明ができて矛盾がありません。
ところが、最近では「実は、光よりも速いものがあるのではないか」との説も出てきています。
アインシュタインの時代には、「真空」は本当に何もない空間だと考えられていましたが、現在では真空にはヒッグス粒子といわれる素粒子がぎっしり詰まっているというのが正しいのだという理論も出てきました。
そのように現在でも、毎年ということはないにせよ10年に1度ぐらいは新しい現象が発見されているのです。
■100年後にUFOを説明できる可能性
1000年前の紫式部は飛行機を理解できず、スマートフォンなどは明治の乃木希典大将にも理解できなかったかもしれません。
「この小さいものでどこにでも電話ができるとか、汽車に自由に乗ることができるとは、いったいどういうことなのだ」と言ったに相違ありません。
そうしてみると、今から1000年後どころか100年後でも、今の知識がそのまま通じるとはとても考えられないのです。
100年後にUFOを見れば「あれはどうだ、こうだ」ときちんと説明できるかもしれませんから。
このように、私たちの頭脳が正しいとか間違っているということを判断するときに、現在の知識で説明できることは「正しい」と、知識にないものは「間違っている」と判断してしまうのです。
これも、フェイクニュースに騙されることを防ぐ一つの考え方です。
■不勉強な科学者ほど「霊魂」の存在を否定する
UFOの問題と並んでよく質問を受けるのが「魂」についてです。
お墓で何かもやもやとしたものが立ち上がっていたとか、戦争で亡くなった兵隊さんの慰霊式を行うと、そのとき何か魂のようなものが見えるとか、さらにそれが写真に撮られて「こういうものが写っている!」などと言われることがあります。
そういったものを科学者にみせると、その多くはやはり「死んだ人の魂なんてあるはずがない」と言うでしょう。
なぜかと言えば、人間の思考というのは大脳新皮質で司られていて、人が亡くなって頭に血液が流れなくなり、大脳の皮質が朽ちてしまえばそのまま意識も全部なくなると考えるからです。
だから死んだ人は呼びかけに答えない。
しかし、人間は死んだら何もなくなるというのは寂しいので、それで魂が存在するというような話をつくり出したのだというのがごく普通の回答です。
中途半端な科学者というと非常に失礼なのですが、あまりじっくりと科学をやったことのない、もしくはおっちょこちょいの科学者というのはきっとそのように言うでしょう。
しかし、このような答えは、科学的ではありません。
科学というのは自分の考え得る範囲で「こうだ」と思うこと以外に、それとは異なるものが世の中に存在することを発見しようとしているからです。
科学者は、今まで自分たちの頭の中にないものを発見しようと思って研究し、だから実験というものが必要になるのです。
■死体から出る「記憶を持った」気体状の物質
前述しましたが、もし自分たちの頭で考えたものがすべて正しいというのであれば、こう実験などはする必要はありません。今の知識からすれば、これから私の言うことは荒唐無稽に感じられるでしょう。
しかし、本書の読者までが同じように現在の知識だけで考えてはいけません。
たとえば、人間の魂は実は大脳旧皮質にはなくて、大脳新皮質の中のほうの小脳や延髄のほうにあると仮定します。
人が亡くなると、脳の血液は滞留するので大脳新皮質の機能はダメになりますが、小脳とか延髄にある人間の魂としてはこれまで生きてきた中で得た知見を失くすわけにはいかない。
なぜかというと生物はそれまでの知識を使ってだんだんと進化してきて、そういう生物が生き残ってきているわけだから、現在の生物は必ず死んだ後に自分の獲得した知識を残しているはずです。
身体のつくりは明らかに自分が生まれる前の構造を知っているのですが、知識については知らないと現在の科学では仮定されているのです。
では人間の場合、それはどういう形で残しているかというと、死体から記憶を持った気体状の物質を出して、それをとりあえず仮のところに貯蔵し、別の人間が生まれたときにはその体内に入っていくようになっている。
その気体状のものを私たちは「魂」と呼んでいて、それは慰霊祭をやってくれるとか、肉親に会うだとか、そういうときに刺激されて何度でも出てくるようになっていて、だから魂は死後も残るのである……。
そのようなことが実証されるかもしれないのです。
ですから、本物の科学者であれば「死後の魂がみえる」ということに対しては、「そういう可能性もありますね」というふうに答えるわけです。
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武田 邦彦(たけだ・くにひこ)
工学者/中部大学総合工学研究所特任教授
1943年東京都生まれ。工学博士。専攻は資源材料工学。
東京大学教養学部基礎科学科卒業後、旭化成工業に入社。
同社ウラン濃縮研究所所長、芝浦工業大学教授、名古屋大学大学院教授を経て、2007年中部大学総合工学研究所教授、2014年より同特任教授。
著書に『50歳から元気になる生き方』(マガジンハウス)、『ナポレオンと東條英機』(KKベストセラーズ)、『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)ほか多数。