2021年04月15日

PTAの役員決めで、病気や宗教の公表まで「できない理由」を言わされるつらさ

PTAの役員決めで、病気や宗教の公表まで「できない理由」を言わされるつらさ
4/15(木) 配信 週刊女性
 この時期になると話題になるのが「PTA」の役員決め。
人には言いたくない事情があるにも関わらず、“できない理由”を公表しなくてはならない学校が今もあると言います。
そこにはどんな苦しさがあるのでしょうか。
『PTAをけっこうラクにたのしくする本』の著者・大塚玲子さんによる解説です。

本来は「できない理由」を言う必要はない
 毎年恒例、PTAクラス役員決めの季節です。
PTAの役員決めではよく、クジ引きやじゃんけんで無理に役をやらされる人が出たり、「できない理由」を言わされたりして、ときには泣く人が出ることもあります。
「あの時間が苦手だ」という人は多いでしょう。

 現状のPTAはなぜか「母親が必ずやらなければいけない義務」と思われていますが、本来PTAは任意で参加するものです。「できない理由」など、本当は誰にも言う必要はありません。
 そこで最近は仕組みを改め、「クラス(学年)から何人の委員」という人数割り当てをやめるPTAも徐々に増えているのですが、残念ながらまだ、旧来型のクラス役員決めを続けるPTAが多いようです。

 なかには、こんな経験をした人もいます。
「子どもの学校のPTAでは、できない人はみんなの前で理由を発表して、全員一致でOKをもらわないと免除されないので、勇気を出してやってきた。
宗教のなかで育ち、虐待を受けてきて、集団でいること、人の視線が怖いこと。
参観日ですら家を出るのが怖いこと。
泣きながら震えながら言ってきた。みんな承諾してくれた」(ツイッターより)

 身のすくむ話です。
こんなふうに、思い出すのもつらいような経験を、みんなの前で告白せざるを得ない人が出てしまうこともあるのです。
 このツイートをしたBさんは子どものころ、新興宗教のコミュニティで育ち、家族から虐待を受けていました。
並みならぬ覚悟のもと、みんなの前で個人的な事情を話してきたのでしょう。
どんな思いがあったのか、Bさんに聞いてみました。
「子どものときは学校の集団になじめなくて、仲間外れ、陰口などを恐ろしく感じていました。
家では母親、兄からの虐待や、宗教での裏切りもあり、どうしても年上の、特に女性の方を怖いと感じます。
学校行事のときは、みんなに見られて、陰口を言われているように感じ、身体が震え、声が震え、涙が出てきて、吐き気がします。
 私は子どものとき、運動会や参観日に誰かに来てもらった記憶がなく、いつも悲しかったので、自分の子どもの行事にはできる限りすべて行ってあげたい。
その気持ちだけで、安定剤を飲んで家を出ます。

ほかの保護者とは話さず、目も合わさず、終わったら一番に帰る。
そして寝込みます。
子どものためにやってあげたいので、毎回必死です」
 こういった人が大勢の前で理由を告げないと、かかわらないことが許されないPTAとは一体何なのか?
 理不尽さを強く感じます。

人には言いたくない“事情”を抱えて  このような状況を避けるため、思いきって「PTAに入らない」という選択をした人もいます。
以前取材を通して知り合ったYさんは、子どもが小学校に入る際、PTAに入らないことを決めました。
彼女も子どものころ、母親や継父から虐待を受けた経験があり、いまもその後遺症に悩まされています。

 Yさんに、虐待を受けた人がPTAをつらく感じやすいのはなぜだと思うか尋ねてみると、こんなふうに話してくれました。 「どうしてPTAがいやなのか、私も最初はわかっていなかったんですけれど。
ママ友などからPTAの理不尽な話を聞くだけで、それがトリガー(引き金)になって虐待されていたころの記憶がよみがえってしまうんだとわかってきました。
 それに、虐待を受けた当事者は学校でひどいいじめに遭っていることも多い。
そうするとPTAって、虐待の記憶に加えて、いじめの記憶もよみがえらせてしまうんです。

まさに、学校のなかでのことなので」
 虐待を受けた人だけでなく、精神疾患を抱える人たちにとっても、PTAへの参加は大きな負担になっていることがあります。
 中部地方に住むTさんは、上の子が小学校に上がるころに統合失調症を発症。
はじめは幼稚園のPTAで役員を引き受けていたのですが、難しい折り紙やダンスなど、Tさんが苦手な活動を強いられることが続き、小学校になってからは声を掛けられなくなってしまったことを、悲しそうに話していました。

 また別の、うつ病の女性は、もうすぐPTAの役員決めがあるので、みんなの前で病気のことを言わなければならないかもしれないと心配していました。
「世間には精神疾患への偏見があるので、子どもに影響があるかもしれない」と感じて、不安なのです。
 せっかく子どもたちが進学・進級するうれしい季節なのに、PTAの役員決めがあるために、晴れ晴れとした気持ちになれない保護者、母親たちが毎年少なからずいることが、残念で仕方がありません。

 どうかもし、PTAの役員決めで「できない理由」を公表しなくてはいけない空気になったら、「そんなのおかしい」と意見してもらえたら。
 それと同時に、世の中にはいろんな事情を抱えた人がいることを、もっとみんなに知ってもらえたらよいのですが。そういう人が身近にいることをみんながわかっていれば、本人につらい思いをして語らせるようなことは、なくなるのではないでしょうか。

大塚玲子(おおつか・れいこ)
「いろんな家族の形」や「PTA」などの保護者組織を多く取材・執筆。出版社、編集プロダクションを経て、現在はノンフィクションライターとして活動。
そのほか、講演、TV・ラジオ等メディア出演も。
多様な家族の形を見つめる著書『ルポ 定形外家族 わたしの家は「ふつう」じゃない』(SB新書)、『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』(ともに太郎次郎社エディタス)など多数出版。
定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。
posted by 小だぬき at 11:08 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

漢字のとめ、はね、はらい、できないと0点? 教育の本当の目的とは/鴻上尚史

連載「ドン・キホーテのピアス」
漢字のとめ、はね、はらい、できないと0点? 教育の本当の目的とは/鴻上尚史
2021年04月14日 SPA!

◆とめ、はね、はらい、できないと0点?
教育の本当の目的とは 「西日本新聞」の記事がネットに出ていて、それは、最近、よく話題になる「『とめ、はね、はらい』ができていないと、漢字ドリルは全てやり直し。
テストは0点―」という小学校の指導に関するものでした。

 読んでいて、なんだか、哀しみが押し寄せてきました。
 よく分かってないと「うん。漢字を習う時は、『とめ、はね、はらい』が大切だよ。当たり前だろう」で終わるのですが、実際の答案用紙を見ると「この厳しさはあんまりだ」と思うのです。
 この記事では、小学校一年の子供を持つ保護者が、担任の厳しい指導を悩み、実際のテストの写真を載せています。
 もうね、この原稿は活字で書いているから紹介が難しいんだけど、「天」という字の右下の「ノ」の字の先が少し離れているだけで減点。ほんのちょっと、外れているだけですよ。 「青」という文字は、下の「月」の右上の角が丸く書いていたから減点。
 以前、教師が、こうやって採点した後、「文字を正しく書きましょう」みたいな書き込みをしていて、その文字が「とめ、はね、はらい」がちゃんとできてなかった、なんて笑うしかない写真がツイートされてたことがありました。
 これね、「なんのために字を学ぶか?」ということを完全に見失っている指導です。
 それは、つまり、「教育とは何か?」という目的の話です。

 教育は、学校だけで完結するものではありません。
 当たり前ですね。
 教育は、学校と社会をつなぐためにあります。
ちゃんと勉強するのは、「よりよい社会人になるため」です。
「よりよい社会人」になるために必要なことは、「ちゃんと読める字を書く」ことです。
 それ以上でも以下でもありません。
「きれいな字を書くと評価が上がる。だから、厳しく指導すべきだ」なんて言う人がいますが、そんなのは大きなお世話です。
綺麗な字を書くかどうかは、本人が選ぶのです。
美意識というのは、押しつけるものではないのです。
 相手がストレスなく、ちゃんと読めること。
手書きの文字で大切なのは、これだけです。
「天」の「ノ」が少し離れていても、「青」の角が丸くても、ちゃんと読めます。

◆学校で満点をとることが、教育の目標になっている
 記事では、「高校生や大学生の指導をしているが、字が雑で読めないことがある」と、厳しい指導に賛成する意見が紹介されていました。
 この意見と、「厳しすぎる『とめ、はね、はらい』を指導すること」は何の関係もありません。
 教育は何が目的か?という点を見失っているのです。

「シ」と「ツ」の違いは大切な問題です。
これがちゃんと書けないと、「よりよい社会人」にはなれません。
 でも、「青」の「月」の角が丸くても何の問題もありません。
 もちろん、「青」の字を教える時は、「月」の角は教えます。
 けれど、それができてないからと言って、間違いにしてはいけないのです。
 それは、そういう指導をすることで、子供達に「漢字を正確に書くことのプレッシャー」しか残さないからです。
間違いなく、「漢字嫌い」「文章嫌い」の子供を作るだけだからです。
「よりよい社会人」になることではなく「学校の中で満点を取ること」が目標になっている結果です。

 記事では、学習指導要領解説の国語編では「正しい字体であることを前提とした上で、柔軟に評価することが望ましい」と書かれていると紹介し、けれど、文科省教育課程課は、「国語ではなく、社会や理科など他教科で書いた字は『とめ、はね、はらい』ができていないからといって、減点はしないという柔軟な評価を意味する」と解説しています。
 つまり、他の教科はオッケーだけど、国語は別だと言いたいのでしょう。
なんだ、それ。文科省が、こんな玉虫色の言い方をするから、教育に真面目過ぎる先生達は、少しの違いでも、減点や0点にするのです。

 じつは、校則と同じく、この「とめ、はね、はらい」指導も、年々、厳しくなっているように僕は感じています。
学校がどんどん、子供達にとって窮屈な場所になってないかと心配するのです。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする