「日本の水が外国から狙われている」のは本当か
土地の所有者が、その地下水も所有できる実態
2021/05/24 東洋経済
橋本 淳司 : 水ジャーナリスト
日本の水資源が外国から狙われている――。
こんな話を聞いたことがある人は少なくないだろう。
実際、世界中で水不足が発生する中、世界各地で水争奪戦は激化している。
「自分が住んでいる地域は関係ない」と思うことなかれ。
例えば、あなたが所有する土地の近くに誰かが土地を取得し、その誰かが外国資本だった場合、あなたが使う水にどんな影響があるだろうか。
北海道の森林を買う外国勢
「都市伝説でしょ?」と言われていた、外国資本の土地買収が明らかになったのは、いまから10年以上も前のことだ。
2010年、北海道が外国資本による森林の売買状況の調査を行った。
すると、道内の私有林7か所、計406ヘクタールがすでに外国資本に買われていた。
1ヘクタールは100メートル×100メートルだから野球グラウンドくらいの大きさ。それが406個分買われていたのだ。
場所は、倶知安町とニセコ町が各2件、砂川市、蘭越町、日高町が各1件。
購入者の内訳は、企業が4件(中国企業3件、英国企業1件)、個人が3件(オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールの3カ国)だった。
利用目的は、資産保有、牧草地用で、水目的とはされていなかったのだが、この時、北海道議会が政府に提出した意見書には、こう書かれていた。
「我が国における現行の土地制度は、近年急速に進行している世界規模での国土や水資源の争奪に対して無力であると言わざるをえない」。
なぜ北海道議会は「土地を買われた」ことを「水資源の争奪」と解釈したのか。
実は、森林を取得した場合、保安林等の法的規制がかかっていなければ、所有者は比較的自由に開発できる。
木を伐採してもよいし、温泉を掘っても、地下水を汲み上げてもいいと考えられる。
日本の土地取引は所有者と購入希望者の合意で成立し、取得後の所有権は非常に強い。
そして、民法第207条には、「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ」と規定されている。
法的には、土地の所有者に、その地下にある水の利用権があると解釈されている。
北海道議会の動きは、国や地方自治体に大きなインパクトを与えた。
各地の市町村議会では「うちは大丈夫か?」といった行政への質問が相次いだ。
議員は、「水源林が予想外の地権者に渡り、乱開発や過度の取水で住民の生活が脅かされるようになっては手遅れ。いますぐ手を打つ必要がある」と口を揃えた。
これに対して行政側は「現時点で外国資本による大規模な森林買収の動きは確認していない」とし、「事態に適切に対応するため組織を設置する」などと回答した。
外国人による土地取得の規制がない日本
日本には現状、安全保障上の懸念がある地域でも外国資本による土地取得の規制はなく、外国人であっても自由に所有可能だ。
外国人が土地を所有できる国はアジアでは珍しい。
共産圏である中国、ベトナムなどは外国人の土地所有を認めていないし、韓国、インド、シンガポールなどでは土地の所有は可能だが、いずれも条件つきとなる。
農水省が2010年から公表し始めた外資による山林買収状況によると(累計値)、2010年は43件、831ヘクタールだったのが、2020年には465件、7560ヘクタールと10年間で面積は9倍に拡大。
農地は2018年から公表され、2020年は3件、47ヘクタールだ。
一見少ないが、日本人や日本法人をダミー的に登記名義人にしたケースや未届出のケースはカウントされていない。
また、太陽光発電、風力発電の用地(推定20万ヘクタール)の中にも外資分が相当あるが、こちらも詳細は不明だ。
政府のこれまでの調査では、中国系資本が太陽光発電などのエネルギー事業者として買収にかかわったとみられる土地は、全国で約1700カ所に上る。
リゾート開発なども含めた中国系資本が自衛隊施設などの周辺で土地買収にかかわったとみられる事例も約80カ所確認されている。
こうした中で、重要なのは「水は誰のものか」という問題だ。
日本では、水は長らく「私のもの」と解釈されてきた。
1896年の大審院の判決では、「地下水の使用権は土地所有者に付従するものであるから、土地所有者は自由に使用し得る」とされた。
1938年の大審院判決はさらに強く、「土地所有者はその所有権の効力として、その所有地を掘削して地下水を湧出させて使用することができ、たとえそのために水脈を同じくするほかの土地の湧水に影響を及ぼしても、その土地の所有者は、前者は地下水の使用を妨げることはできない」とされた。
法律が実態に即していない現状
だが、これは手掘り井戸で小規模な取水しかできなかった時代の話であり、揚水技術の発達した現代は明らかに状況が違う。 また、土地は動かないが、水は動いている。
地下水は地面の下にじっと止まっているものではなく、所有外の土地から流れて、所有する土地を通過し、所有外の土地へと流れていく。
だから土地所有者のものであるという考え方は、そもそも実態と異なっているのだ。
例えば、飲料水メーカーの取水口があるとしよう。
このメーカーは自分の土地の下にある自分の水を汲み上げているわけではなく、自分の土地の下を流れる地域の共有財産を汲み上げていることになる。
こうした中、日本でも戦後になると、「私水論」を前提としながらも、公の立場から地下水の汲み上げや汚染を制限する考え方が登場した。
1960年代には、地盤沈下問題を受け、「工業用水法」や「ビル用水法(建築物地下水の採取の規制に関する法律)」が、1970年代には「水質汚濁防止法」が制定された。
ただし、これらは地盤沈下や水質汚染などを防止するもので、直接的に地下水を管理する法律ではない。
1970年代半ばには「地下水法案」も公水論をベースに提案されたが、地下水を利用する企業の反対、地下水を管理したい省庁間の綱引きなどから成立しなかった。
2014年に成立した水循環基本法では「水は国民共有の財産」と定められている。
ただ、あくまで理念法であり、具体的に地下水の保全や活用について触れたものではない。
対策として独自に条例を設けている自治体もある。
条例は2タイプに分けられる。
1つは土地取引のルール、もう1つは地下水の保全や活用に関するルールだ。
土地取引のルールの代表は、北海道の「水資源の保全に関する条例」だろう。
内容は、@水資源保全地域を指定、A指定された区域内の土地の権利を移転する場合には、土地所有者は契約の3カ月前までに届出を行わなくてはならない、というものだ。
地下水の保全や活用に関するルールの代表は、熊本県の「地下水保全条例」だろう。
地下水を大口取水する事業者は知事の許可が必要としている。
この条例は地下水を「私の水」ではなく「公共の水」であるとしていることが特徴で、地下水は水循環の一部であり、県民の生活、地域経済の共通の基盤である公共水であると明記されている。
条例制定も容易ではない
だが、条例制定に二の足を踏む自治体も多い。
問題は3つある。
1つ目は、条例が適切かどうか。
自治体としては、不適切な条例を作って、行政訴訟などのトラブルが起きるのは避けたい。
2つ目は、自治体内が必ずしも一枚岩ではないこと。
地下水保全を考えるグループがある一方で、地下水を資源として販売するなど積極的に活用したいグループがある。
3つ目は、自治体間の調整。
地下水の流れは自治体の垣根を超えるケースがあり、近隣自治体と考え方が違う場合にどう調整をつけるかなどに頭を悩ませている。
なかでも1つ目の「条例が適正かどうか」は大きな問題だ。
「国に地下水に関する法律がないのに独自の規制をつくるのは不安」「行きすぎた規制をつくって行政訴訟になるのが怖い」というのが悩みだ。
土地取引ルールについて捕捉すると、前述の通り、日本には現在、土地取得に関して外資規制がなく、これを問題視する向きから「重要土地等調査法案」の審議が始まっている。
自衛隊基地や国境離島など安全保障上重要な土地の利用を規制するというものだ。
法案は、防衛関係施設や原子力発電所、空港など重要インフラの周囲約1キロと国境離島を「注視区域」に指定。
また、自衛隊の司令部や無人の国境離島など、特に重要な場所は「特別注視区域」と位置づけ、一定面積以上の土地取引について、当事者に氏名、国籍、利用目的の事前届け出を義務付ける。
現在、淡水は世界的に不足し、外国資本による地下水独占が住民の生活を脅かすケースが各地でおきている。
今後は一層の水不足が懸念されており、同じ事態が日本で起こらない保証はまったくない。
だから「外国資本が水を狙っている」という主張は理解できる。
地下水に関する一定のルールが必要
しかし、注意しなくてはならないのは、地下水を汲み上げ過ぎ、周辺に迷惑をかけるのは外国資本だけではない、ということだ。
あらゆる利用者に、その可能性がある。
また、地下水があるのは森林などの水源地だけではない。
地下水が大量にあるのはむしろ盆地や平野部だ。
平野部では土地取引は活発に行われており、規制をかけるのも難しい。
外国資本に限らず、土地取得者による地下水濫用を避けるには、地下水に関する一定のルールが必要だろう。
さまざまな議論があるなかで、今年3月、有識者で構成される水循環基本法フォローアップ委員会は「水循環基本法への地下水関連規定の追加に関する報告書」を、水制度改革議員連盟石原伸晃代表へ提出している。
報告書では、地下水採取の制限を条例で定めることができる規定を条文に追加することについて提案している。
地下水の状況は地域ごとに異なるため、国が平均的なルールを作るより、自治体が主導して地元の状況にあったルール作りをすることが望ましい。
そして、国はそれを後ろから支えるべきである。
たとえば、「地下水の見える化」だ。
表流水と地表水の最大の違いは、目に見えるか、見えないか。
地表水は人の目に触れるから実態把握が容易であり、課題がわかりやすい。
一方で、地下水は実態把握が難しい。
現状把握の調査について、国は支援すべきであろう。
さらに言えば、ゴールはルールをつくることではない。
ルールができたあとの運用が大事だ。
地域の地下水利用者が、それぞれ状況に応じて、保全しながら活用することだ。