コロナ禍の政府説明に不信感ばかり募る根本原因
「リスクコミュニケーション」の専門家が分析
2021/07/09 東洋経済オンライン
「リスクコミュニケーション」という言葉をよく耳にするようになってきた。
新型コロナウイルス感染症に関する情報伝達のあり方についてその重要性が再認識されたほか、近年は災害時の情報伝達でも重視されている。
しかし、リスクコミュニケーションとは何かと問われると、きちんと回答できる人はそう多くないだろう。
「リスコミ」とは何か、なぜ求められているのか。コロナ禍のケースを軸にしながら、東京都市大学メディア情報学部の広田すみれ教授に尋ねた。
シンプルさと科学的エビデンスの伝達を欠いた政府
この1年あまり、世界はコロナ対策を軸に回り続けた。日本も同様だ。
この間、3回の緊急事態宣言が出され、十分な生活補償がないまま、外出自粛や飲食店などの休業要請が間断なく続いた。
他方、昨年は「Go Toトラベル」「Go Toイート」が実施されるなど、対策の眼目がどこにあるのか、本当に実効性があるか、判然としない状態が続いてきた。
――この間の日本政府の対応、とくにトップの情報発信をどう見ていましたか。
ひとことで言えば、理解を求めるためのメッセージのシンプルさと科学的エビデンスの伝達を欠いていたことに尽きると思います。
例えば、安倍晋三・前首相の昨年3月の会見は感染対策と同時に、細かな経済政策に相当の時間を費やしていました。
官僚による事務説明のようで、国家のリーダーが緊急時に国民に向けてする演説としてはふさわしくなかった。
時間も長すぎました。
訴えたいことの核心、方向性が見えませんでした。
これから何をやるのか、どういう理由(根拠)があるのか、国民に何を求めるのか。もっと国民へ簡潔に語りかけるべきだったと思います。
「専門家会議はさておき、日本政府から出される情報はよくわからない」。
これがこの1年あまりの、多くの日本人の実感ではないでしょうか。
感染対策については基本、「予防をしっかりお願いしたい」と言うばかりで、政策の意味や理由を語らず、予想される結果も具体的ではなかった。
経済についても同様です。その時々の細かな政策メニューは語られても、経済全体に対するリスクは定量的に説明されなかった印象です。
国民の理解を得るはずが、逆に不信感を高めたのではないでしょうか。
――コロナ危機は世界規模です。外国のリーダーについては、どう評価していますか。
いくつかの国のトップは優れた演説を行ったと思います。
緊急時のコミュニケーションの手本として評価できるのがニュージーランドです。
2020年3月21日にジャシンダ・アーダーン首相が行った8分間のテレビ演説は、コロナの警戒ランクを4つに分け、首相自らがその意味をシンプルに示しました。
多くの国民が支持したのが、うなずける内容です。
その後もフェイスブックを使って、首相官邸から動画の配信を行うなどし、フェイスブックを通じて寄せられた国民の質問にわかりやすいシンプルな言葉で答えていました。
――危機に際してのメッセージは、わかりやすいかがポイントだと?
緊急時のメッセージとしてはそのとおりです。
ドイツのメルケル首相の演説も有名になりましたよね。
イギリスのボリス・ジョンソン首相もそうでした。
コロナ危機当初の昨年3月23日夜、ロンドンの首相官邸からテレビ演説を行い、何が問題なのか、なぜその政策を行うのか、何を求めるか、短く端的に説明した。
それまで首相の評判は決して良くなかったですが、『あのボリスが』と国民はいい意味で驚き、コロナに危機感を抱いたようです。
初期に成功した国は、専門家の意見を参考に、政治家が意思決定についてメッセージを出す、という科学的エビデンスに基づいたシンプルなコミュニケーションで成功した印象です。
情報や意見を交換しあうが基本
――そもそも緊急時のコミュニケーションとは、どうあるべきなのでしょうか。
リスクコミュニケーションの基本的な考え方は、情報や意見などを交換しあう、という点にあります。
みんなが議論に参加して情報の交換をすること。つまり、双方向性が眼目です。
政府や専門家、事業者、そして国民。リスクに関わる人々の間で情報や意見を交換し、違う視点を持ち込む。
必ずしも政府や専門家が正解とは限りません。
政府・専門家側と国民との間でコミュニケーションを深めていくと、最終的には、最初の段階で行政が想定した結論とは違う内容になるかもしれません。
しかし、双方で合意を形成していくプロセスを作って、合意形成の過程を見せていくことが大切なんです。これが基本です。
とはいえ、領域により専門家の意見の尊重の度合いなどは異なります。
また、リスコミの中でも緊急時のクライシス・コミュニケーションでは、交換よりも、タイミングを捉えて意思決定を的確に伝達するほうが優先されます。
その点、政治リーダーのコミュニケーションは悪かった一方で、初期段階の専門家はテレビや新聞に積極的に出演し、SNSも使い、国民の疑問に答えようという姿勢が強かったと思います。
この「疑問に答える」は、リスクコミュニケーションでは、とても重要なプロセスです。
先ほど触れたニュージーランドのアーダーン首相の評価が高いのは、初期メッセージが明確だっただけでなく、フェイスブックを通じて寄せられた国民の疑問に直接回答した、その姿勢があったからです。
もちろん、今回は未知の感染症への対応は前例がなく難しかった。
リスクに関して無知な状況から始まった。
しかし、だからこそ、対話する姿勢やエビデンスに基づいたメッセージをもっと打ち出してきていれば、ここまで国民の不信感は大きくならなかったとも思います。
「こちらが正しい」と科学者が断言するのは難しい
――ではコロナ対応に当たった科学者のリスクコミュニケーションは、どうだったのでしょうか。
科学者(今回の場合医療の専門家)は、最終的に「科学的に正確」であることを踏み越えた発言は難しいです。
立場上、「100パーセント安全」「こちらが正しい」と断言することは難しい。
だから、発言が曖昧に響いたり、普通の人にはわかりにくくなったりしやすい。
そこは科学者なので仕方ないと、私は考えています。
その問題に関して自信がないからではなく、科学的に正確であろうとする姿勢があるからであり、おそらく、個人の意見としてはこちらが正しい、という確信はお持ちでしょう。
でも、そういうことは公的に言わないし、言えない。
だからこそ、政治家が専門家による科学的エビデンスに基づいて、リスクについての行政府の判断や政策に関する意思決定を説明する必要があります。
今回、医療関係者の方たちの個人的努力がとても大きかったと思いますが、専門家の発言には元来そういう限界があることからも、責任を持つ政治家自身が、抽象以外の具体的メッセージを出すべきだと思います。
最近、河野大臣の「ワクチン接種に関するデマ」に警鐘を鳴らす発言がありました。
それを批判する人もいるようですが、この点に限ってはワクチン接種を推進する立場の政治家として勇気のある発言だった、と私は評価しています。
――リスクコミュニケーションにおける対話の重要性をもう少し詳しく教えてください。
学問的分類では、リスクコミュニケーションには3つの種類があります。
@コンセンサス・コミュニケーション、
Aケア・コミュニケーション、
Bクライシス・コミュニケーションです。
国民との合意を形成するようなパターンは、@のコンセンサス・コミュニケーションです。
情報の送り手、情報の受け手。その両者が参加し、情報を提供し合って、一緒に合意(コンセンサス)を形成します。
リスクに対して、社会全体で意思決定をするための意見や情報を交換するわけです。
会合に「情報交換会」という名前が多い理由
例えば、神奈川県の食の安全に関する審議会では、県の担当者や大学の教授らに加え、一般の主婦も参加し、会合には「情報交換会」という名称が付いていました。
リスクに関する会合に情報交換会という名前が多いのは、合意形成の目的があるからです。
扱い方や対処について社会的に合意ができているものに関するコミュニケーションは、Aのケア・コミュニケーションです。殺虫剤の扱い方のようなもので、科学的情報を共有するにも専門家意見が重んじられます。医学では、比較的この傾向が強いです。
――3番目のクライシス・コミュニケーションも双方向性の要素を含んだものですか。
少し性質が違います。
差し迫った緊急事態、それを前にした危機対応についてのコミュニケーションが、クライシス・コミュニケーションです。
わかりやすい例は、東日本大震災に伴う福島原発の事故対応ですね。
原発事故のような一刻一秒を争う緊急時になると、双方向性に重点を置く時間的余裕はありません。
トップ層が判断し、半ば一方的にですが、必要最小限の情報を国民に伝えることになります。端的に、シンプルに、です。
新型コロナウイルスで言えば、横浜港に入った豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が確認され、国内への感染拡大が最初に懸念されたころがBのクライシス・コミュニケーションの局面でした。
その後、事態が進み、緊急事態宣言が何度も発出され、外出自粛や飲食店の休業要請などが続くようになると、@やAの要素も含むようになりました。
その転換を政府は十分に認識できなかったのではないでしょうか。
――日本政府からの発信は、リスクコミュニケーションをどこまで意識できていたと思いますか。
総じて言えば、「国民との対話」がうまくできなかった。それに尽きるでしょう。
「密をつくるな、大勢で集まるな」と言いつつ、満員電車の状況には言及しない。
外出を控えよ、県境を跨いでの遠出は控えよと言ったのに、「Go To」で旅行や飲食を促し、そうかと思えば再び旅行に行くな、と言う。
科学的なエビデンスも明確ではない。
リスクに関する説明の場は「信頼こそ重要」 これも指摘されていることですが、東京オリンピック・パラリンピックを実施するとなれば、暗黙のメッセージとして「行動制約は必要ではない」が伝わりますから、その両義的メッセージで効果を期待するのは無理があると思います。
そういった折々の国民の疑問に、政府はきちんと答えてこなかった。
その積み重ねの結果が、コロナ対応と東京五輪開催を巡る混乱につながっているのではないでしょうか。
リスクに関する説明の場について、社会心理学者は繰り返しこう言ってきました。
「信頼こそ重要」と。危機対応に責任を持つ側の情報発信に信頼性がなければ、本末転倒であり、リスクコミュニケーションは成り立ちません。
その意味では、コロナ禍での政府、主に政治家からのコミュニケーションは当初から現在まで、残念ながらあまり成功しているとは言えないでしょう
取材:板垣聡旨
=フロントラインプレス(FrontlinePress)所属