“自粛警察”を生み出した安易な「平等」主義。池田清彦氏の見方
2021年09月06日 SPA!
新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐり大混乱が起きた。
同じ高齢者でも具体的に誰から打つのかに頭を無駄に悩ませ、接種態勢を整えるのに時間を要する自治体が続出したからだ。
また、かつて東日本大震災の被災地支援で毛布を用意したにもかかわらず、避難所のすべての人に届かないからと配布を取りやめたことがあったそうだ。
いずれも平等にこだわるあまり、非合理極まりない事態に陥っていたのである。
社会を見回すと平等に拘泥するあまり非効率なことが起きる事例が蔓延している。
恣意的に「平等」を使って国民を騙す行政は大問題だが、国民の側にも「平等が何より大事」という思い込みがあるのではないか。
一口に平等と言っても、必ずしも素晴らしい平等ばかりではない??。
そんな「平等」という言葉がもつ二面性について問いかけるのは、早稲田大学と山梨大学の名誉教授を務める池田清彦氏(74歳)。『ホンマでっか!? TV』(フジテレビ系)でもおなじみの生物学者である。 (以下、池田氏の近著『平等バカ 〜原則平等に縛られる日本社会の異常を問う〜』より一部抜粋)
◆自粛警察の根っこにある「嫉妬羨望システム」
公平は大事だけれど、常に最優先というわけではなく、プライオリティをあえて下げるべきときもある。
奈良県などは、地域の公平性を保つために高齢者人口の割合に応じてワクチンを均等に割り当てる方針を立てていたようだが、集団免疫の獲得を目的とするなら、あちこちに「公平に」ワクチンを分散させることより、感染者が多く出ている地域から順に「短期間のうちに集中して打つ」ことのほうが大事だったのではないかと私は思う。
天然痘ワクチンのように終生免疫ができるのなら少人数ずつ接種してもあまり問題はないが、COVID‐19のワクチンの場合は、有効期間が最短だと4か月くらい、長くても1年に満たないのではないかと言われているので、だらだらと接種に時間をかけてしまうと免疫が切れた人が感染し、その人からまた感染が拡大してしまう可能性は十分にある。
一定の地域において短期間で集中的にワクチン接種を行えば、その地域の感染者は確実に減る。
「一定の地域」から漏れた人たちは「公平でない」と文句を言うかもしれないが、そうやって感染者が多い地域から抑え込んでいくやり方のほうがパンデミックの早期収束は見通しやすい。
◆「不完全な公平」に拒絶反応を示す人も
ただ問題は「不完全な公平」や「公平のプライオリティを下げること」に拒絶反応を示す人がものすごく多いということだ。
これは、自分と同じようなタイプの人が、自分よりちょっとだけいい思いをするのが許せないという「嫉妬羨望システム」ともいうべきムードが日本の社会全体に根深く染みついているせいだろう。
緊急事態宣言中にサーフィンに行ったり、パチンコに行ったりする人を袋叩きにするいわゆる「自粛警察」などはまさにその典型で、「自分は家で我慢しているのに、楽しそうなことをするヤツがいるのは許せない」というのが彼らの言い分なのである。
サーフィンに行ったりパチンコに行くことがどれだけ楽しいことか私にはよくわからないけれど、その程度の差に目くじらを立てるメンタリティのほうがよほど問題だと私は思う。
なぜなら現状への不満に端を発するこういうメンタリティの蔓延こそが、安易な平等主義をはびこらせる要因になっているからだ。
◆「10万円一律給付」が受け入れられた理由
とりあえず「平等」にしておけば、頭を使わずにすむし、あまり手間もかからない。
ただし必ずしもそれがダメだと言いたいわけではなく、良い面も当然ある。
このコロナ禍でも、「平等」にしたことで功を奏したと感じたケースは確かにあった。
それは、2020年4月20日にコロナ禍における家計支援策として閣議決定された特別定額給付金事業である。
通常このような支援金の給付に際しては、実際の困窮者に的を絞ることを目的に所得制限が設けられるのが普通である。
しかし、この特別定額給付金事業では、国民一人あたり10万円が一律に支給された。
もちろん、コロナ禍にあるからといって、みんなが等しく困窮していたわけではない。
しかし、ここで公平性を重視しようとすれば、どこの誰がどれくらいの支援を必要としているかを支給する側が把握しなければならず、実際の支給までかなりの時間を要することになりかねない。
緊急事態宣言を全国に発令している以上、迅速な対応が急務だった国は、「全員に平等に支給」という簡素な仕組みによって、それを実現しようとしたのである。
また少なくとも普段通りの生活を送れないという意味では国民は平等に不利益を被っているわけだから、「平等」であることに一応の根拠もあった。
◆シンプルでわかりやすい仕組み
この給付金がかなり好意的に受け入れられた理由は、単にみんなしてお金をもらえたから、ということだけではなく、(多少の幅はあったようだが)一定の迅速性と、シンプルでわかりやすい仕組みがあったからだと思う。
それぞれの困窮度を考えれば完全に公平ではなかったとしても、この非常事態下において重要だったのは、困っている人にきちんとお金が行き渡ることである。
全員を対象にしたせいで金持ちまで得をしたではないかという批判の声もあったようだが、10万円という金額の価値は低所得層ほど大きいはずだ。金持ちも多少は得をしたかもしれないが、貧しい人にとってのメリットはそれよりはるかに大きいのだから、それでいいじゃないか。
だから私は、この政策は安倍政権が残した数少ない良策だったと感じている。
悪名高き「アベノマスク」に投じた260億円も、本来はこっちに使うべきだったのだ。
◆飲食店の不満が爆発した恣意的な運用
緊急事態宣言の影響緩和のための支援金には、特別定額給付金以外にもさまざまなものがあったが、そのほとんどは不満の声のほうが大きかったようだ。
特に飲食店を対象とした時短要請協力金は、当初「一店舗あたり最大一日2万円」だったが、2回目の緊急事態宣言下では「店舗の規模にかかわらず一店舗あたり一日6万円」にまでに引き上げられ、事業規模の小さい店ほど得をする傾向がより顕著になったことで、強い不公平感を生む結果になった。
「一律に支払う」という部分だけを切り取れば一見平等のように見えなくもないし、だったら特別定額給付金と同じようなメリットがあるのではないかと思うかもしれない。
もしかするとそれを踏まえて「一律」としたのかもしれないが、「なんらかの基準を満たした人だけ」というただし書きがついた時点で、話はまるで違ってくる。
「ある一定の業種だけ」「ある一定の条件をクリアしている場合だけ」となるとそれを証明しなくてはいけないから、必ず面倒な申請が必要となる。
さらにはその申請が虚偽ではないかどうかを審査する段取りも加わってくる。
審査するということは恣意的な運用、つまりこっちの店には支給するけれど、こっちの店には支給しない、といったことが起こりうる。
恣意的な運用は不公平を生みだす元凶にもなりうるし、そのぶん不満の種にもなりやすい。
申請すればすぐにお金がもらえたとしたら、少しくらいの不満であれば払拭できた可能性はある。
しかし実際には審査をするぶんかなりの時間がかかり、支給が大幅に遅れるケースが続出したことや、もともと売り上げはあってないようなものだった店でも月にすれば180万円近くが受け取れるという金額の大きさとも相まって、多くの批判を浴びせられることになった。
「考えなくていい」「手間をかけなくていい」という平等のメリットが生かされるかどうかは、そこに至る過程が「シンプルで誰の目にもわかりやすいかどうか」にかかっているのかもしれないね。
<文/池田清彦>
【池田清彦】
1947年、東京都生まれ。生物学者。
早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。
生物学分野のほか、科学哲学、環境問題、生き方論など、幅広い分野に関する著書がある。
フジテレビ系『ホンマでっか!?TV』などテレビ、新聞、雑誌などでも活躍中。
著書に『世間のカラクリ』(新潮文庫)、『自粛バカ リスクゼロ症候群に罹った日本人への処方箋』(宝島社新書)、『したたかでいい加減な生き物たち』(さくら舎)、『騙されない老後 権力に迎合しない不良老人のすすめ』(扶桑社)など多数。Twitter:@IkedaKiyohiko