2021年12月02日

コロナ禍で続く“なんとなく不調”は「体内時計」の乱れだった

コロナ禍で続く“なんとなく不調”は「体内時計」の乱れだった
2021.12.1 Diamondオンライン
八木田和弘:京都府立医科大学大学院医学研究科統合生理学教授

昨今、テレワークやオンライン授業が一気に普及して生活リズムが変化したことで、気分がすっきりしなかったり、集中力が低下するといった「なんとなく不調」を感じる人が増えています。
その原因は「体内時計の乱れ」である可能性が高いのです。
そこで今回は、京都府立医科大学大学院医学研究科統合生理学教授・八木田和弘さんの著書『「なんとなく不調」から抜け出す!「2つの体内時計」の秘密』(青春出版社)から、「体内時計」と日常のパフォーマンスの関係について抜粋紹介します。

コロナ禍による生活リズムの乱れが不調を引き起こす
 最近、こんな不調を感じることはありませんか?
・体がだるくて、仕事や勉強がはかどらない
・寝つきが悪かったり、眠りが浅かったりする
・イライラしたり、気分が落ち込みやすい

 病院に行くほどではないけれど、心も体もすっきりしない……そんな「なんとなく不調」の原因は、もしかすると「体内時計の乱れ」にあるかもしれません。

 体内時計とは、ひと言で言うと、私たちの体に備わった「地球の自転周期に適応する仕組み」です。
1日は24時間ですが、体内時計もほぼ24時間になるように仕組まれています。
普段は意識することがないかもしれませんが、実は体内時計は「縁の下の力持ち」のように、私たちの心と体の健康を支えてくれているのです。

 これまでは、夜勤や交替勤務をおこなっているシフトワーカーの方々の健康を守るために注目されていた体内時計ですが、今やすべての人にかかわる重要な存在になったと私は考えています。
 そのきっかけが、新型コロナウイルスの感染拡大による、生活様式の変化です。
不要不急の外出自粛が呼びかけられ、テレワークを導入する企業や、オンライン授業をおこなう学校も増えました。

確かに、このような生活は感染防止には効果的です。
一方で、通勤や通学がなくなったことにより、夜型になったり、食事の時間もバラバラになったりと、生活リズムの乱れを招き、体内時計にも影響を与えている可能性があるのです。

 実は体内時計には、脳にある「中枢時計(親時計)」と、全身の細胞(生殖細胞などを除く)にある「末梢時計(子時計)」の2種類があります。
この「2つの体内時計」にズレが生じると、先ほど述べたような「なんとなく不調」が起こってきます。
 その典型的な状態が「時差ぼけ」です。
日本との時差が大きい国に旅行したことがある人は、経験的にそのつらさがよくおわかりでしょう。
そして今は日本にいながらにして、時差ぼけ状態になってしまっている人が急増しているのではないかと私は懸念しています。

 体内時計の乱れは心と体のパフォーマンスを低下させたり、さまざまな病気とのかかわりが指摘されているのです。

体内時計を乱しやすい「シフトワーカー」
 歴史をさかのぼると、私たちの祖先は地球の自転周期に合わせ、太陽が昇ると同時に活動を開始して、太陽が沈むとともに活動が鈍っていき、やがて眠りにつくという生活が一般的でした。
 ところが産業革命以来、工業が勃興して社会環境が一変すると、2交替や3交替制で昼夜関係なく働く工場勤務者が生まれ、不規則な生活を送る人が増えてきました。いわゆる「シフトワーカー」の登場です。

 また、警察、消防などの公務員、医療従事者、交通機関の乗務員など、生活に欠かせないサービスを提供する、いわゆるエッセンシャルワーカーもまた、昼夜を分かたず働くことが多い人たちです。
近年では24時間営業のコンビニエンスストアやスーパーも全国に展開され、シフトワーカーは増える一方です。
こうした人たちは現代社会に欠かせない重要な仕事を担う一方で、往々にして体内時計を乱してしまい、睡眠・覚醒障害をはじめとする「概日リズム障害」を起こしがちです。

 さらに近年になって、概日リズム障害はますます増えてきました。
その原因として、経済や社会のグローバル化が挙げられます。
グローバル化によって、今では世界の各地と結んでリモート会議をおこなったり、リアルタイムで情報が得られたりするようになりました。
 それは喜ばしいことでもある半面、仕事相手が時差のある国の場合、昼夜に関係なく業務をしなければなりません。
そのおかげで、企業や業種によっては深夜や明け方に会議が入ることもあるといいます。
週に1回程度ならともかく、そんな生活が毎日続いたら体調を崩してしまうのも当然でしょう。

 体内時計が乱れる原因は、シフトワークなど不規則な働き方のほかにもあります。
それは、世界と瞬時につながることができるスマートフォンの普及です。
これは、大人だけでなく、成長期の子どもたちに大きな影響が及んでいます。
夜遅くまでスマホを使い続けることで、睡眠リズムを乱す中高生が増加していることは、どなたもご存じでしょう。

オリンピックは自国開催が有利?
 また、「体内時計」が日常のパフォーマンスと深いつながりがあるのは、今年開催された東京オリンピックでも明らかになっているのではないでしょうか。
今回の東京オリンピックで日本は金メダル27個、合計のメダル数でも58個と、史上最多のメダル獲得数となりました。
これは自国開催に向けた強化の賜物であると同時に、アスリートの皆さんの言葉にできないほどの努力の結果であり、その姿に私も深い感動を覚えました。
 それに加え、体内時計の視点から考えると、時差がなく体内時計のズレがないまま試合に臨めることも、他国の選手にくらべて大きく有利な点です。

時差への対応は、どの選手団もチームドクターや専門家が担当して、綿密な配慮がなされているはずで、オリンピックに限らず、国際試合の前には試合会場近くで合宿するという話をよく聞きます。
これは、現地の気候に対応するだけでなく、時差への適応を考慮した措置であることはよく知られていると思います。
 ところが、今回のオリンピックでは、コロナ禍のためにこうした事前合宿を中止した国が多かったようです。
日本との時差が7時間、8時間以上ある地域も数多くあり、遠方の国からやってきた選手はさぞ大変だったことでしょう。
適応にはかなりの時間がかかってしまい、適応しきれないうちに試合当日を迎えたというケースもあったと思います。

 試合までに時差ぼけが解消されているかどうかで、パフォーマンスはまったく違ってきます。
反射神経や骨格筋の反応など肉体的なパフォーマンスに大きく影響しますし、注意力や判断力の面でも多大な影響があります。

 体内時計の働きは、単に約24時間周期のリズムをつくり出しているだけではありません。
「最適な時刻に、最適な機能を活性化させる」というタイミングを決める重要な働きも持っています。
体内時計をきちんと整えておくことは、その人が本来持っているパフォーマンスを最大限に発揮することにつながるのです。  普通の日常が戻りつつある今こそ、コロナ禍で乱れた生活リズムを見直し、体内時計を整えて過ごしてみてはいかがでしょうか。
(監修/京都府立医科大学大学院医学研究科統合生理学教授 八木田和弘)

八木田和弘(やぎた・かずひろ)
京都府立医科大学大学院医学研究科統合生理学教授。
1995年京都府立医科大学卒業後、同大学附属病院第3内科にて研修。
京都府立医科大学大学院修了。
神戸大学医学部第2解剖学助手および講師、名古屋大学理学部COE助教授、大阪大学大学院医学系研究科神経細胞生物学准教授を経て2010年より現職。
2017年から地域生涯健康医学講座の教授を併任。
時間生物学、環境生理学の研究に取り組む傍ら、体内時計の視点から生活改善の大切さを伝える活動にも取り組んでいる。
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2021年12月03日

金子恵美氏、泉田議員の「裏金要求」告発に「『あっただろうな』と思った。さほど驚いていない」

金子恵美氏、泉田議員の「裏金要求」告発に「『あっただろうな』と思った。さほど驚いていない」
12/2(木) スポーツ報知

 2日放送のTBS系情報番組「ゴゴスマ」(月〜金曜・午後1時55分)では、泉田裕彦衆院議員が10月の衆院選を巡り、自民党新潟県連元会長の県議から裏金を要求されたと主張。
県連に県議の除名を求める文書を提出する考えを示した一件を特集した。

 元新潟4区選出の元衆院議員でタレントの金子恵美氏は番組の取材に答え、「今回の話を聞いた時に『あっただろうな』と思った。さほど驚いていない」とコメント。

 自身も衆院選出馬の際、先輩の県議から「お金を用意しないと勝てないよ」と言われ、断ったが、本当に(選挙活動で)動いてくれない人もいたことを明かした上で「選挙では身内のご機嫌とりもしなければいけないし、ただでは動かないというところもある」と返答した。
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2021年12月04日

何だかパッとしない朝に「自律神経」整える仕込み

何だかパッとしない朝に「自律神経」整える仕込み
雨の日に気分が沈む…天気と体調の深い関係
2021/12/03 東洋経済オンライン
小林 弘幸 : 順天堂大学医学部教授、日本スポーツ協会公認スポーツドクター

朝起きて天気が悪いと頭痛がする、しっかり眠れず、前日の疲れが取れていない……「なんだかな……」という不調は、体と心が発しているサインです。
そのサインを放っておくと自律神経が乱れ、悪循環に陥ります。
そこで自分の体に耳を傾ける、朝のチェックポイントを、自律神経研究の第一人者である小林弘幸先生の新著『「なんとなく…」の不安や疲れがスーッと消える 「自律神経を整える1日の過ごし方」を聞いてきました』から紹介します。

憂うつな朝は無理にポジティブにならなくてよし
──最近、毎朝、目覚めると、「あ〜、今日も会社か……」と思ってしまいます。
とくに大事な会議がある日は、このままベッドにいたいなあと……。「仕事を辞めちゃおうかな」と考えてしまうこともあります。

小林弘幸先生(以下、小林)
高熱やおなかが痛いなどの症状がなくても、なんとなく会社に行きたくない……と思うことは、誰にでもあることです。
実は、私も仕事なんか行きたくないと、若いときはよく思っていました。
とくに日曜日の夕方は、必ずといっていいほど憂うつになっていました。

──そうなんですか? 意外です。

小林:
ちなみに、日曜日の夕方になると憂うつになり、倦怠感や体調不良につながる症状は『サザエさん症候群』といわれます。
欧米では仕事が始まる月曜日のことを『ブルー・マンデー』と呼びますが、どちらも休日と平日の過ごし方にオンとオフの差が激しいことが原因です。
人は、すべてにおいて「頑張ってやろう」と前向きに思っていられるほど強くはありません。
やらなくてはいけない、出社しなければいけない、とわかっているけれど、どこかで「○○しないといけないのか……」「サボりたいな……」など、後ろ向きに物事を捉えている部分もあります。
それは自然なこと。人間とはそういう「生き物」だと認識するところからはじめてみましょう。

──先生でも「○○しないと……」と思うことがあるんですね。

小林:
ありますよ。面倒くさいな、嫌だなと思うことはつねにあります。
どんなことでもポジティブに考えられたらいいでしょうけど、物事に対して後ろ向きな感情を持つことは当たり前です。

──そんなときはどうしたらいいんですか?

小林:
そう考えてもいいんだ、と受け入れることが大事です。
なにも、すべてポジティブに考えなければいけない、と思わずに、少しでも前向きな思考が勝ればいいだけだと思っています。

──それだけでも、ちょっと気持ちが楽になったような気がします。

小林:
少しでも前向きに物事を捉えるためには、ちょっとしたコツがあります。
それは自律神経の切り替えをスムーズにさせることです。

──自律神経の切り替え……。どういうことですか?

小林:
朝、目覚めたときは、体がリラックスモードである副交感神経が優位な状態から、アクティブモードである交感神経が働き出す切り替えが起こるタイミング。そのときにしっかりギアチェンジすることが大事です。
自然光を浴びるとアクティブモードへ

──なるほど。自律神経を、上手にギアチェンジする方法はあるんでしょうか?

小林:
そうですね。私は朝起きたら、すぐにカーテンを開け放して、太陽の光を体全体で受け止めるようにしています。
そうすると自然と頭も前向きな気持ちになりますよ。
アクティブモードである交感神経にしっかり切り替えることで「まあ頑張ってみようかな」と、なんとなくやる気が出てくるものです。
これは、太陽の光が目から脳に伝わり、私たちの体に備わる「体内時計」が刺激されるからです。
体内時計は体温や血圧、睡眠などの体内のリズム、ホルモン分泌などを調節します。
とくに太陽の光を浴びると「セロトニン」という神経伝達物質が大量に分泌されます。
セロトニンは、交感神経を刺激する作用があるため、体と脳を活性化し、分泌された14〜16時間後に、睡眠を促すホルモン「メラトニン」に切り替わりスムーズに眠れます。

──雨が降っていたり、曇っていたりすると、太陽の光は少ないと思うのですが、そんなときも同じようにしているんですか?

小林:
天気がどうであれ、太陽がある方に向かって、胸をはって、深い呼吸を意識しながら自然の光をしっかり浴びるようにしています。
蛍光灯などの光の刺激だけでは、頭を「アクティブモード」に切り替えられないのです。
自律神経を整えるためには、呼吸を意識することがポイントになります。
交感神経の働きを高めるために、深い呼吸を短く早く繰り返します。
息を強く吐くことを意識しながら、10〜15回ほど呼吸をすることで脳も体もスッキリします。

──頭も、体と同じように、切り替える必要があるんですね。

小林:
なんだか今日は嫌だなと思っているとき、私は1分ぐらい太陽の光を浴びながら、「頑張っている自分」をイメージします。
ちょっと気が重い、仕事にも行きたくない。それでも、「前を向いて頑張ろうとしている自分がいるんだ」と思い描きます。それで自分を奮い立たせるというと大げさですが、その気にさせるようなことをしています。

「低気圧頭痛」は身体からの休息のサイン
──雨の日はなんとなくやる気が出ません。会社に行って、やらなくてはいけないことが山ほどあるのに……。

小林:
天気が悪いと、体もだるい気がする。そんなことは私もしょっちゅう感じています。
でも、自律神経と天気が密接な関係にあることを知っておくと、やる気が出ないモードから抜け出せますよ。

──自律神経と天気は、関係があるんですか?

小林:
体調が悪いなと思ったら、低気圧が近づいていた、なんて経験はありませんか?

──そういえば、台風が近づいているときやゲリラ豪雨が起こる前に頭が痛くなることがあります。

小林:
気圧が低下すると、体内ではバランスをとるために水分が外側へと向かうのです。
その結果、血管が拡張して、頭の神経を圧迫し、片頭痛が起こる人がいるのです。

──へぇ〜。天気と体調が関係しているなんて知りませんでした。

小林:
自律神経でもアクセルの役割を果たす交感神経は、高気圧のときは活発になり、気圧が低くなると働きが低下します。
それだけ気圧の変化は、自律神経に大きな影響を与えているのです。
天気以外にも、ストレスによる緊張から解放されたときなどに片頭痛が起こります。
頭の片側あるいは両側が脈を打つようにズキズキ痛むのが特徴で、女性ホルモンの一種が関係しているともいわれ、女性に多くみられる頭痛です。
薄暗い部屋で横になったり、こめかみを冷やして安静にしたりしてなるべく刺激を与えないことが大切です。

──雨の日は、気圧が下がっているから交感神経の働きが上がらず、リラックスモードの副交感神経が優位になっている。
だから、なんとなくやる気が出ないということですか?

小林:
そうですね。雨の日は、気圧が下がることで、血管が弛緩していつもよりも血圧が低下します。
気分も沈みがちになってしまうのです。
気圧以外にも、たとえば、気温が上がると副交感神経が活発になり、気温が下がると交感神経が活発になるというデータもあります。

──やる気が出ないのは、自分の意志が弱いからだと思っていたので、天気が悪いのが原因だと思うとちょっと気が楽です。

小林:
さらに、野生動物は雨が降ると「休息モード」に入り、木の下や洞穴などでゆったり休みます。
もともと、雨の日に気分が上がらないのは、動物としての本能かもしれませんね。

雨の日は明るい色の物を身に着けよう
──なるほど……。でも、私たちは、雨が降ってもどんなに暑くても、仕事を休むことはできないから、会社に行かないといけませんよ……。

小林:
自律神経と気候が密接な関係にあることを、まずはしっかり認識することが第一歩。
体の構造として、体調も天候に大きく左右されることを知ることで、天候に沿って対処することができます。

──対処法があるんですね!

小林:
1つの手段として、明るい色のものを身に着けるといいですよ。
私は、雨の日は明るい色のネクタイを選んでいます。色も、自律神経に大きな影響を与えます。
明るい色は交感神経を優位にして、やる気をアップさせてくれるし、反対に落ち着いた色は副交感神経を優位にして、気持ちを安定させてくれる効果があるのです。

──天気、気温、色……。いろんなものが自律神経に影響するんですね。

小林:
副交感神経が優位のまま1日をスタートさせてしまうと、その日、ずっと気分が落ち込んだままで、仕事にも身が入らなくなってしまいます。
そうならないように、朝出かける前に天気が悪かったら、意図的に交感神経を優位にして、やる気のスイッチを入れるのです。

──でも、会社に派手な服を着て行く勇気がないんですけど……。

小林:
全身派手な色を身に着けてしまうと、交感神経の働きが過剰に高まる恐れもあります。
ハンカチやアクセサリーなど身に着けるアイテムがおすすめです。
イライラしたときに窓の外の木々や空を眺めると落ち着くことがあるように、一般的に緑や青は副交感神経に作用し気持ちを落ち着かせます。
一方、赤やピンクは気分を高揚させます。
イライラやうつうつとした気分が続いているときは、自分がよく使うグッズやファッションの色を見直してみてください。
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2021年12月05日

「日本沈没」の主人公たちのマヌケっぷりにだいぶ冷めてきました

三遊亭鬼丸の与太噺
「日本沈没」の主人公たちのマヌケっぷりにだいぶ冷めてきました
2021/12/04 日刊ゲンダイ

あまりドラマを見ない私なんですが現在「日本沈没」と「青天を衝け」の2つを見てます。
 まず「日本沈没」については番組が始まった頃にまあまあな地震が相次いだこともあって結構リアルを感じながら見てたんですが、近頃は主人公たちのマヌケっぷりにだいぶ冷めてきました。
今週の放送では日本が沈没するなんていう国家機密をペラペラと米国と中国にしゃべったら向こうに利用されるに決まってるじゃないですか。
その結果国民にも知られることになるんですが「最悪だっ!」なんて怒ってるおまえの行動が最悪なんだよとツッコミながら見てます。

 それでも防災意識だけは確実に高まり、車のガソリンはいつも満タンにしたり灯油も常に多めに備蓄。
水、ガスコンロのボンベなどのストックにも抜かりなくなりました。
またこのドラマは録画して月曜か火曜に見てるんですが、これを見ると寝付きが悪くなるんですよね。

単純な私は布団に入ってから、もし大地震がきて停電が続いたら今の家に待機したほうがいいのか、それとも実家のある長野に避難した方がいいのか。
ホテル暮らしでもとりあえず関東は離れた方がいいのかとかペットのウサギは一緒に連れていけるのかなんて考えてると眠れなくなるんですよね。

「青天を衝け」はいよいよ佳境に近づいてますが、2週前に渋沢栄一の妻が病死したんです。
たぶんそれが深層心理に影響したんですかね。一昨日私の妻が死ぬ夢を見ました。
思ってたよりショックで悲しいものですね。何が原因で死んだかは覚えてないんですが、吉沢亮扮する栄一ばりに私も妻の死には迫真の悲しみを見せてました、夢の中で。

そして朝起きたときにキチンとリアル妻に向かって「今の私があるのは妻のおかげ」であることの感謝を伝えました。
渋沢栄一と同じように。
そんなこと起きないよという考えはありながらも日本が沈没する確率よりは妻が急死する確率のが高いですしね。
まあ自分の単純さというか影響の受けやすさには自分でも驚いてます。
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2021年12月06日

中3刺殺事件 14歳少年の「心の闇」と「学校の対応」の違和感

中3刺殺事件 14歳少年の「心の闇」と「学校の対応」の違和感
12/5(日) FRIDAY

14歳の凶行が、日本中を震撼(しんかん)させた。
11月24日、愛知県弥富市の市立中学校で、3年生の伊藤柚輝(ゆずき)くん(14)が同級生の男子生徒Aくん(14)に刃物で襲われる事件が発生した。
愛知県警はAくんを殺人未遂で現行犯逮捕。
伊藤くんは搬送先の病院で死亡した。

捜査関係者が語る。
「凶器となったのは刃渡り20pの刺身包丁。
一突きで肝臓を貫通しており、強い殺意が窺(うかが)えます。
犯行動機はいじめ。
『友人と話している時に割って入ってこられて嫌だった』
『伊藤さんが役員に立候補した昨年9月の生徒会選挙で応援演説を押し付けられた』など、嫌がらせを受けたと証言しています。

最後の決め手は11月中旬の修学旅行。
Aくんは禁止されていたスマホを持ち込み、没収されています。
本人は同級生からリークがあったと話しており、疎外感を感じたようです」

しかし、取材を進める中で浮かび上がってきたのは凄惨な事件とは縁遠い、純朴な人物像だった。
「Aくんはオンラインゲームが好きな大人しい子でした。部活はバレー部に所属。小学校時代はサッカー部で、伊藤くんと一緒のチームでした。
対して伊藤くんはクラスのリーダー的存在。大の阪神タイガースファンで、中学から入った野球部でも活躍していました」

(同じ中学校に通う生徒) 近隣に住む男性は、家族仲を明かす。
「家族関係は良かったと聞いていますよ。
兄が一人に、両親、祖父母、さらに曾祖母という7人家族です。
お祖父さん、お祖母さんとも元市役所職員。父親は4年前まで地元の自治会長を務めていた。近所ではちょっとした名家でしたよ」 裕福な家庭に育ったどこにでもいる少年。

そんなAくんが、なぜこのような犯行に及んでしまったのか。元埼玉県警捜査第一課警部補の佐々木成三(なるみ)氏が語る。
「たとえ小さな不満でも、大人と違い、人生経験の少ない子供は溜め込んでしまう。
近年の少年犯罪の傾向として、必ずしも加害者は過去に問題を起こしたり補導歴がある子ばかりではない。
むしろ大人しい子が突然、逸脱した行為を起こす”突発型犯罪”が増加しているんです」

◆「トラブルは把握していない」
事件発生当日の夜、学校側は緊急記者会見を開いた。
事件の経緯と共に焦点となったのは「いじめの有無」だ。
これについて、会見に臨んだ校長は「トラブルがあったことは把握していない」と説明した。
しかし、5日後の11月29日に開かれた記者会見で、その発言は覆(くつがえ)される。
「今年2月に行った生活アンケートで、Aくんが『いじめられたことがある』と回答していたことがわかったんです。
さらにその事実を市の教育委員会に伝えていなかったこと、動機として挙がっている昨年9月に行われた応援演説の翌月に実施されたアンケートを紛失したことも発表されました」(全国紙社会部記者)

会見では「適切な指導で対応できた」と繰り返した学校側。
だが、実は同中学校でいじめ問題が表面化するのは、今回が初めてではない。
’09年、別の男子生徒が同級生から暴力行為を受け、右腕に大怪我を負うトラブルが発生した。
生徒はいじめを学校側に訴えていたが無視され、負傷した右腕には後遺障害が残った。
この事件は’12年7月に2171万円の損害賠償請求に発展。’13年12月に弥富市が和解金100万円を支払うことで決着した。

2度目のいじめ事件が発生した同中学校。
29日の会見翌日、学校へ向かうために自宅を出た校長に声をかけた。

――当初、事件の原因について思い当たる節がないと発言されたのはなぜですか。

「最初に読んだ資料にはそういった事実は見当たりませんでした。担任も事情聴取中で、確認ができなかったんです」

――アンケートはなぜ無くなったのか。

「会見前日に職員総出で探しました。見つかってないこと以外、答えられない」

――改めて学校側の指導は適切でしたか。

「そうです。対策は間違いなく適切でした」 教育学や少年犯罪を研究する、東京電機大学の山本宏樹准教授は学校側の対応について、こう指摘する。
「弥富市が定めるいじめ防止基本方針には、教育委員会への報告義務や、アンケート調査の保存義務が書かれていますが、今回、学校側はそれらを達成できていない。
これは明らかな落ち度です。
今後は第三者委員会が組織され、教育委員会を含めて、どこに問題があったか調べられていくのではないでしょうか」
一刻も早い真相究明が求められる。

    『FRIDAY』2021年12月17日号より
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2021年12月07日

ろくでもない政治家を見抜く為に欠かせない視点

ろくでもない政治家を見抜く為に欠かせない視点
大胆に妥協できるか、全てに意見を通そうとするか
2021/12/05 東洋経済オンライン
佐藤 優 : 作家・元外務省主任分析官

増税、格差、政治とカネ、移民問題…約2000年前、ヨーロッパで広大な領土と栄華を誇った共和政ローマは、意外にも今の日本と共通する多くの政治課題を抱えていました。
それらの課題に向き合いつづけ、古代ローマの最高官職をつとめた政治家・キケロの言葉は、後世、世界中の政治家に影響をあたえてきました。
今の日本にも重なる多くの問題に向き合ったキケロの言葉は、私たちにどんなヒントを与えてくれるでしょうか?
日本の政治の傾向、そして特に気を付けたい政治家の特徴とは? 時代を超えて普遍的なキケロの言葉に、佐藤優氏が解説を加えた新刊『2000年前からローマの哲人は知っていた 政治家を選ぶ方法』より、佐藤氏の解説部分を一部抜粋してお届けします。

派閥が機能しなくなった日本の政治
キケロは政治を「可能性を探る技術」と考える。
政治の世界において追求するのは絶対的真理ではない。
自分が絶対に正しいと考える政策であっても、ほかの人はそう考えない場合があり、ほかの人が絶対に正しいと考える政策でも、自分には受け入れられない場合がある。

キケロが考えるのは、絶対に正しいことは存在しないという価値相対主義ではない。
絶対に正しいことは存在する。ただし、それは複数存在するのである。
正しいことを信じて結集するのが派閥だ。
派閥は必ず複数存在しなくてはならない。

キケロは政治において派閥は不可避であると考える。
キケロにとって、政治とは可能性を探る技術であって、絶対的なものの闘争の場ではなかった。
彼は伝統的な価値観と法の優位性を固く信じていたが、物事を成し遂げるためには、国内のさまざまな派閥が積極的に協力し合わねばならないことも知っていた。

ひと握りの人間が、財産や家柄や、そのほか何か有利な点を理由に国家を支配する場合、たとえ貴族政治と呼ばれていようとも、それは単なる派閥にすぎないのである。
一方で、もし大衆が権力を握り、その時々の望みに従って国政を運営するなら、人はそれを自由と呼ぶかもしれないが、事実上は無秩序なのである。
しかし民衆と貴族とが、お互いの個人やグループを恐れつつ緊張関係を保つなら、そのときはどちらも支配権を握ることはできず、人々と権力者の間で折り合いがつけられることになる。(書籍内78〜79ページ)

日本の政治で特徴的なのは、与党においても野党においても派閥が機能しなくなってしまったということだ。
政治家がバラバラのアトム(原子)のようになってしまっている。

全ての人が得をするような政策を打ち出す政治家は危険
本来、政党は部分の代表だ。
英語で政党をポリティカル・パーティーというが、パートとは部分のことである。
社会にはさまざまな利害対立がある。

年金問題に関しても、高齢者は拠出が多くても手厚くしてほしいと思う。若年層は、年金受給がずっと未来なので、拠出金を極力少なくしたいと思う。

地域間の違いもある。北海道では冬の雪かきは重要な社会問題だ。
雪のめったに降らない沖縄では、そのような問題はない。

ジェンダー間でも、乳がんの検診は女性にとっては重要だが、男性にはあまり関係ない。

政党は社会の部分を代表して、議会での議論を通じて、予算配分や法律の内容について、折り合いをつける重要な機能を果たしている。
そして、派閥は政党内の政党なのである。
しかし今の日本においては、政党や派閥は、部分の代表とはいえなくなっている。
かつて自民党は経営者(資本家)の代表であり、そして社会党は労働者の代表だった。
ところが1989年に東西冷戦が終結し、世界中で自由主義や民主主義が台頭すると、日本国内でも政党ごとの明確な違いがなくなっていった。

今や自民党にしても、立憲民主党にしても、そして共産党に至るまで、ほとんどすべての政党が「国民全体の代表」としての政策を打ち出しているのだ。
アトム化した政治家は全体の代表を装う。
しかし、社会に利害対立がある以上、全体の代表はあり得ない。
全体の代表は、政治家自身の個別利益を追求しているということと同じ意味になるのである。
現下政治の最大の問題は、すべての政党が「全体の代表シンドローム」に陥っていることだ。

健全な民主政治を回復するためにも派閥の意味に関するキケロの考察は有益だ。
選挙では、特定の集団の利益を代表していると正直に述べている政治家を選んだほうが、民主政治を強化することになると思う。
国民全体に受けのいいことだけを言っている政治家は、自分の利益だけを追求しているろくでもない人と見るべきだ。

揺らがぬ信条を持っている政治家は妥協の仕方もうまい
キケロは、政治家は柔軟でなくてはならないと考える。
頑固な姿勢を取る政治家は無責任であると彼は考えている。

状況がたえず進展し、善き人々の考え方が変わっているときに、頑なに自分の立場を変えないというのは、政治においては無責任なことである。
どんな代償を払ってでも1つの意見に固執することが美徳だなどとは、大政治家はけっして考えない。
航海中に嵐が来たら、船が港に着けない以上は追い風を受けて航行するのが最善策となる。
針路を変えれば安全を確保できるのに、方向転換をしながら最終的に母港を目指すのではなく、もとのコースをそのまま突き進むなど馬鹿だけがすることだろう。

それと同じで賢明な政治家は、何度も言うようだが、自国の名誉ある平和を最終的な目標とするべきだ。
言葉は一貫していなくても良いが、目指すところは一定でなければならない。(書籍内82〜83ページ)

キケロは政治を航海にたとえる。
キケロの時代は、蒸気機関や内燃機関を動力とする船はなかった。
したがって、航海においては風の流れをよく読むことが重要になる。
目的地がわかっているから、さまざまな迂回路を取ることができるのだ。

政治もこれと同じだ。
自分にとって絶対に譲れない原理原則のある政治家は、それ以外の事項について大胆に妥協することができるのである。
逆にすべての問題で自分の意見を通そうとする政治家は、他人と折り合いをつけることができないので、自分の意見をまったく実現できないような事態になることが多いのである。
政治とは、妥協の技法でもある。
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2021年12月08日

山口真由氏「バチェラー」出演男性に皮肉&絶賛「全く内容のない自分語り、最高におもろ」

山口真由氏「バチェラー」出演男性に皮肉&絶賛
「全く内容のない自分語り、最高におもろ」
12/7(火) デイリー

 財務省出身の弁護士でテレビ朝日「羽鳥慎一 モーニングショー」にレギュラー出演する山口真由氏が4日にツイッターに投稿した記事で、人気の婚活サバイバル番組「バチェラー・ジャパン」について言及。
「全く内容のない自分が語りが、最高におもろ!」と皮肉まじりで「まじ、はまりそう」と絶賛?した。

 「バチェラー−」は、イケメン&高収入な男性1人との結婚を目指し、女性15人が奮闘する婚活サバイバル番組。
シーズン4が11月25日よりAmazon Prime Videoにて独占配信している。
 妹が見ているところを「横からのぞき見した」という山口氏は、「『僕にとって朝食は毎日のことだから』えっ!多くの人にとってそうじゃないのん?」とびっくり。
結果、「全く内容のない自分語りが、最高におもろ!!」とはまりそうなことを告白した。

 東大を首席で卒業し、財務省から弁護士に転身し、現在は信州大特任教授も務めるハイスペックな山口氏。
一方で、著書「高学歴エリート女はダメですか」では結婚できないことを吐露している。
 この書き込みに対して、「バチェロレッテ山口真由さま争奪戦やりたい!絶対に参加する」「性格悪い〜」などさまざまな反応があった。
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2021年12月09日

開戦の日に読みたい「戦時下東京の絶望的な日常」

開戦の日に読みたい「戦時下東京の絶望的な日常」 驚愕!「80年近く前の日記が今の日本と酷似」
2021/12/08 東洋経済オンライン
丹羽 宇一郎 : 日本中国友好協会会長

外交評論家の清沢洌が戦中に書き残した日記には、不合理で、理不尽で、悪質で、窮屈至極な状況が、市井の暮らしの様子と共に描かれている。
そこに記されている戦時下の社会があまりにも今日の世相に似ていることに驚く。
戦争がすでに記憶から記録に変わろうとしているいま、日本人は、悲惨な歴史から何を学び、どんな叡智を身につけたのだろうか。
『現代語訳 暗黒日記』を編集・解説した丹羽宇一郎氏が、いま清沢の日記を世に問う意義を説く。

平和はわずかなきっかけで崩れる
今日12月8日は80年目の開戦記念日である。
80年前のこの日、日本海軍はハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊基地を攻撃し、日本陸軍がマレー半島に上陸した。
海軍は真珠湾で戦艦アリゾナほかを沈め、12月10日にはマレー沖でイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズほかを撃沈、陸軍はシンガポールを目指し進撃を続けた。

緒戦の戦果で日本中が沸き返った。
開戦から80年が過ぎ、戦争は悪くないということだろうか、日本は再び徐々に戦争へ近づこうとしているように見える。
しかも多くの日本人にそうした自覚がない。
たしかに日本は戦後76年間戦争をしていない。
だが元寇以来600年近く外国と戦争のなかった日本は、明治維新から昭和20年の敗戦まで日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦、日中戦争、第2次世界大戦と大きな戦争を何度も行った。

江戸時代、外国との戦争がないことは当たり前の日常だったが、明治以降は様変わりした。
「当たり前の日常」は脆い。
ウイルスひとつで「当たり前の日常」は簡単に姿を消す。平和も同様である。

平和はわずかなきっかけで崩れる。
その兆しはすでにいくつも現われている。
外交評論家、清沢洌が戦時中に書き続けていた『暗黒日記』には、現代の日本社会と相似形を成すエピソードが随所に現われている。
これらの記述を読むにつけ、今日の平和の危うさを感ぜずにはいられない。

たとえば戦時中いつも以上に政府は、人も情報も自分たちに都合のよいものを優先し、都合の悪いものは排除した。
清沢洌も徹底的に排除されたひとりである。
欧米の専門家である清沢の発言を排除し、政府には好ましいが国際情勢に疎い国粋主義者を優遇し世論を誤らせた。
偏った言論情況を憂いつつ清沢はこう記した。

昭和十八年七月十四日(水)
 物を知らない者が、物を知っている者を嘲笑、軽視するところに必ず誤算が生じる。
大東亜戦争前に、その辺の専門家は相談されなかったのみではなく、いっさい口を閉じさせられた。

こうした情報源の選別は戦時中のことだけではない。
令和の最近も新型コロナ下では、政府の対策と異なる見解が多くの専門家から発せられた。
その中には有用と思われる意見も数多くあったようだが、政府は自ら選んだ専門家の見解や意見を背景に「感染対策の専門家の意見によれば」とオーソライズした。

今夏の東京オリンピックの開催は明らかに政府の判断だが、判断の根拠としてもっぱら「専門家の見解」を挙げた。
その結果、新型コロナの感染者数はオリンピック開会前から急増し、閉会後10日間ほどピークにあったことは記憶に新しい。 当時と現在の相似形が目に付くのは中国に対する国民感情だ。清沢の日記にこうある。

昭和十八年二月二十日(土)
 議会において青木一男大東亜相が、蒋介石は絶対に交渉の相手とせずと言った。
討伐あるのみと東條首相も言った。相手も同じことを言っているようだ。

中国に対する日本人の国民感情は戦後最悪で、清沢の記述を見ると戦時中の対中感情は今と区別がつかないほどだ。
当時の日中は戦争中であり、敵国中国に対する感情が最悪なのは当然だが、現在平和の日本人の対中感情が戦争時に近いというのはもはやただごとではない。

なぜいま『暗黒日記』なのか
清沢洌は戦前・戦中に『中央公論』や『東洋経済新報』などで活躍した日米外交を専門とする外交ジャーナリストである。
清沢は1890(明治23)年に長野県に生まれ17歳で渡米、苦学して現地のハイスクール、大学を卒業して現地の邦字新聞の記者を務めた。
その後1918(大正7)年に帰国し、中外商業新報(現日本経済新聞)、東京朝日新聞(現朝日新聞)の記者を経て、外交ジャーナリストとして活躍するようになった。
戦時下にあっては政府から総合雑誌への執筆が禁止され、メジャーな舞台での言論活動は大部分が封殺された。

『暗黒日記』は清沢が、いつかときが来れば出版するつもりだった現代史の資料として書き始めたものである。
開戦から1年後の1942(昭和17)年12月9日から書き始め、亡くなる直前の1945(昭和20)年5月5日で絶筆となった。
清沢は没年の正月元旦にこう記していた。

昭和二十年一月一日(月)
 日本国民は、今、初めて「戦争」を経験している。
戦争は文化の母だとか、「百年戦争」だとか言って戦争を讃美してきたのは長いことだった。
僕が迫害されたのは「反戦主義」だという理由からであった。
戦争は、そんなに遊山に行くようなものなのか。それを今、彼らは味わっているのだ。
だが、それでも彼らが、ほんとうに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないかと思う。

清沢の疑問は76年を経て現実味を帯び始めている。
我々は清沢の疑問にきちんと答えられるだろうか。
清沢の『暗黒日記』には戦争をする国家の不条理とそれを支えるメディアの不条理、そして国民自身の不条理が、市井の暮らしの様子と共に描かれている。
そこに記されている社会があまりにも今日の世相に似ていることに驚く。

清沢洌の『暗黒日記』は若い人にこそ読んでもらいたい。
戦争に近づかないために、こういう時代があったことを知ってほしい。
だから私が編集・解説した『現代語訳 暗黒日記』は、研究者ではなく普通の人が読めるよう、あえて現代の言葉に直して清沢の日記を編纂した。
これがいま『暗黒日記』を世に問う意義である。

日本は事実に目を背けて戦いを挑んだ
清沢が日記を書き始めた1942(昭和17)年の12月9日は、開戦から1年後の記念日の翌日である。
この記述を読むと、開戦から1年後の世相がうかがわれる。

昭和十七年十二月九日(水)
   近頃のことを書き残したい気持から、また日記を書く。
 昨日は大東亜戦争記念日だった。
ラジオは朝の賀屋興宣大蔵大臣の放送に始まり、まるで感情的叫びであった。
夕方、僕は聞かなかったが、米国は鬼畜で英国は悪魔でといった放送で、家人でさえもラジオを切ったそうだ。
こうした感情に訴えなければ戦争は完遂できないのか。
奥村喜和男情報局次長が先頃、米英に敵愾心を持てと次官会議で提議した。そのあらわれだ。
政府高官が感情に訴える背景には、東條英機首相の開戦時の演説が思い浮かぶ。
「只今宣戦の御詔勅が渙発(かんぱつ)せられました」で始まる開戦演説で、東條首相は「およそ勝利の要訣(ようけつ)は必勝の信念を堅持することであります。

建国二千六百年、我等はいまだかつて戦いに敗れたことを知りません」と「必勝の信念」「不敗の歴史」を力説した。
そしてこれこそが「いかなる強敵をも破砕する」確信を生むと断言している。
日本人は、たしかにそれまで敗戦を知らなかった。
さらには日本全土が戦場となり攻撃された経験もなかった。
そうして自己を過大評価し、アメリカが自分たちよりもはるかに強大な国力だという事実には目を伏せ、「必勝の信念」を心中に日本は戦いに挑んだ。

清沢の日記にはこういう記述もある。
昭和十九年三月十日(金)
 戦争の前には、米国人は海軍兵士にはなれない。彼らは逃げる。また潜水艦などには、苦しくて到底乗れないと言った。
次には米国の計画は、「天文学的数字で――」と計画倒れになることをあざけった。

昭和十九年十一月十八日(土)
 世田谷区役所で講演。東京都からの依頼だ。
都の役人の話では、やはり戦争の前途に楽観的だ。
軍人達が「大丈夫だ」と言っているのを、そのまま信じているのだ。
国民の九十%までは戦争が勝つと考えている。
自国の強みは過大評価し弱みは無視、敵国の弱みは過大評価し強みを過小評価して勝てるはずがない。

だが今日の日本でも、こちらの強みと相手の弱みばかりに注目した議論が目立つ。

国民に我慢を強いるが最悪への備えは薄い
強大な権力といえ誰も民意に背かれたら崩れる。それを皮膚感覚で知っているのが独裁者だ。
だから民意に迎合する反面、自分に反対する言論には、早いうちからその芽を摘む努力を惜しまない。
民意が議論に誘導されることを恐れるからだ。

戦時中、政府の言論統制は執拗を極め、当時の代表的な雑誌も廃刊に追い込まれた。

昭和十九年七月十二日(水)
『中央公論』『改造』の廃刊に対し、『朝日新聞』の筆欄「神風賦」だけが、おっかな、びっくりでちょっと書いている。

「この雑誌の過去の経歴からいって、今日存続を許されぬという論も立ち得る」といった調子だ。
ただ最後に「自分たちだけが言論報国、愛国的文筆家の免許を持つものの如く振舞い、他を一切封ずる如きことは言論本来の趣旨に反する」と言っている。
これは『中央公論』などの廃刊が、言論報国会などの執拗なる運動の結果と諷したものでもあろう。
『中央公論』と『改造』、とにもかくにも日本の思想界をリードして来た雑誌は葬る辞もなくして逝った。
このようなことは戦時下のことで、今の日本にはないと言い切れるだろうか。

日本はいつも国民には我慢を強いるが解決すべき問題に対しては、最善を尽くすと言うばかりで最悪への備えが薄い。
新型コロナ対策も国民の自粛ばかりが目についた。
温暖化対策でも同じようなものだ。
気温上昇は「命の水」の問題でもある。
海面上昇のみならず、最悪の場合、水を巡る紛争を世界中に起こす懸念もある。

地震の脅威も迫っている。首都直下地震はいつ起きても不思議ではなく、南海トラフ地震も同様だが、言うまでもなく地震と火山活動には強い関連がある。
大地震が火山活動を誘発し、大噴火での噴煙の影響で地球全体が寒冷化したとの記録を歴史が語っている。

世界が脱炭素に向かったとしても、地球内部の活動によっても気温は大きく変動する。けっして安泰ではないのだ。
しかし、こうした暗い未来ばかりでは若者は対応に窮することになる。

だから、80年目の開戦の日にあえて言う。
最悪な未来に備えるためにも基本は平和だ。
戦争に近づくことさえ除けば、見通しのつかないことがあるとしても、熟慮・決断・行動に移すべきである。た
だ戦争にだけは近づいてはいけない。
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2021年12月10日

「アリとキリギリス」のアリは本当に正しいのか? 金融のプロの結論

「アリとキリギリス」のアリは本当に正しいのか? 金融のプロの結論
2021年12月09日  ダイヤモンドオンライン

一冊の「お金」の本が世界的に注目を集めている。
『The Psychology of Money(サイコロジー・オブ・マネー)』だ。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙のコラムニストも務めた金融のプロが、資産形成、経済的自立のために知っておくべきお金の教訓を「人間心理」の側面から教える、これまでにない一冊である。
昨年秋の刊行以降、世界43か国で刊行され、世界的ベストセラーとなった本書には、「ここ数年で最高かつ、もっとも独創的なお金の本」と高評価が集まり、Amazon.comでもすでに10000件以上のレビューが集まっている。
本書の邦訳版『サイコロジー・オブ・マネー 一生お金に困らない「富」のマインドセット』が、12月8日に発売となる。その刊行を記念して、本書の一部を特別に公開する。

■アリ的な生き方、キリギリス的な生き方どちらにもリスクがある
 極端な低収入でも満足できると仮定したり、極端な高収入を求めて延々と働くことを選択したりすると、将来的に後悔しやすくなる。
 人は、たいていの状況に適応してしまう。
極端に質素な生活のシンプルさや、欲しいモノはなんでも手に入れられるというスリルにもすぐに慣れてしまう。
ゆえに、経済的に極端な生き方で感じられるメリットも次第に薄れていく。

 だが、この両極端な計画のマイナス面、つまり、老後の生活費を捻出できなかったり、お金を追い求めてばかりの人生を振り返ったりすることは、生涯消えることのない後悔になる。
特に、それまでの計画をあきらめ、失われた時間を取り戻すために倍の速さで別の方向に進まなければならなくなると、後悔はさらに大きくなる。

■適度なバランスを保つのが、最強の戦略
 複利は、何年、何十年もかけて成長させると最大の効果を生み出す。
これはお金だけでなく、キャリアや人間関係にも言えることなのだ。
 鍵を握るのは持続性だ。
人間は時の経過とともに変化していく。
だからこそ、人生のあらゆる局面でバランスをとることが、将来の後悔を防ぎ、投資を長く続けるうえでも最善の戦略になる。
 現役時代に、貯蓄、自由時間、勤務時間、家族と過ごす時間などをすべて適度にすることを目標にすれば、極端な場合よりも、計画を継続しやすく、後悔もしにくくなる。

(本原稿は、モーガン・ハウセル著、児島修訳『サイコロジー・オブ・マネー 一生お金に困らない「富」のマインドセット』からの抜粋です)
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2021年12月11日

もはや「値上げ祭り」日本の激安生活が終わる日

もはや「値上げ祭り」日本の激安生活が終わる日
節約の味方まで値上げ、どう対抗するべきか
2021/12/10 東洋経済オンライン
松崎 のり子 : 消費経済ジャーナリスト

気は抜けないもののコロナ感染状況が落ち着きを見せ、日本はリベンジ消費が爆発しそうな時期を迎えているが、浮かれてばかりはいられない。
食品メーカー各社が、次々と値上げを発表しているからだ。

2022年の年明け以降に予定されている値上げだけでも、これだけある。

2022年、年明け以降に予定されている食品値上げ

食パン・菓子パン…1月から山崎製パンは食パンを平均9%、菓子パンを平均6.8%。
敷島製パンも一部商品を約4〜14%、
フジパンも食パン、菓子パン、総菜パンなどを平均8%値上げ。

パスタ…2月からニップンがパスタ・パスタソース約2.0〜9.5%、乾麺約1.5〜5.5%、
日清フーズがパスタ、パスタソース製品約3〜9%値上げ。

冷凍食品…2月から味の素冷凍食品がハンバーグ類・チキンの香り揚げなど18品(容量改定含む)を約 4〜13%、
ニッスイはたこやきやちくわの磯辺揚げなど家庭用冷凍食品63品を約4〜13%、
日清フーズは約4〜7%、
マルハニチロも調理品で約2%〜10%の値上げ。

ちくわ・かにかま…2月からニッスイは家庭用すり身製品50品を約5〜13%の値上げ。フィッシュソーセージやチーズかまぼこも含まれる。
紀文も2月28日から魚肉練り製品を平均約 8%値上げ。

ハム・ソーセージ…2月から日本ハムが5%〜12%(業務用食品なども含む)値上げ。

醤油…2月からキッコーマンは対象商品を約4〜10%値上げ。

コーヒー…1月からネスレ日本は「ネスカフェ エクセラ」などレギュラーソリュブルコーヒー製品を約 10〜17%などの値上げ。

ジャム…2月からアヲハタがジャム及びホイップなどを約10〜23円値上げ。

マヨネーズ…3月から味の素が家庭用マヨネーズおよびマヨネーズタイプ製品を約3〜9%、
キユーピーもマヨネーズなどを値上げ。

ポテトチップス:1月31日から順次、カルビーは7〜10%の値上げや容量変更。
2月から4月にかけて、湖池屋はポテトチップスを6〜11%程度値上げや容量変更。

飲料用の紙パック:4月から日本製紙が牛乳・清涼飲料向け液体用紙容器の価格を引き上げ。
各飲料の価格への影響はまだ未定。

他にも、毎日値上げのニュースが届く。

この上げ率が、そのまま店頭価格に跳ね返るわけではないだろうが、これだけ並ぶと「新春・値上げ祭り」とでも言いたくなる。
「容量変更」は、価格は据え置くが内容量を減らす措置で、いわゆるステルス値上げと呼ばれるもの。メーカーの苦しい立場がうかがえる。

ほかにも油脂や砂糖、小麦粉が上がっているので、それを原材料とする商品にも影響が出るだろう。
例えばケーキ。
クリスマスや年末年始の手土産に影響が出ないか気になるところだ。
さらに、原油などのエネルギー価格も当然コストに乗ってくるので、高騰が続けば値上げされる食品はますます出てくるだろう。

この値上げの原因については以前の記事【「安いモノ天国」日本のこの幸せな生活が終わる日】で触れた。
コロナ起因のコスト高騰のほうはやがて収まるかもしれないが、一度上げた価格をまた下げましょうとなるとも思えない。
もはや食費が上がるのは仕方がないので、元の予算自体を上げるほかはないと書いたものの、ここまでずらりとそろうと何らかの対策もしたくなる。
これからわれわれにできる節約法はないのだろうか。

節約おかず食材もピンチに?
今回の値上げがショックなのが、これまで食費のお助け食材と言われていたものが上がることだ。
1つは冷凍食品。
もともと冷凍食品は価格が変動しにくく、かつ定期的に値引きセールが行われるので、節約アシスト食品として重宝している家庭も多いはずだ。
今回は食肉や小麦粉・油の値上げが絡む複合的な価格改定のため、値上げされるのはハンバーグや揚げ物など総菜系が多い。冷凍野菜などの食材系はまだ少ないことは助かるが、輸入ものは今後も物流コストの影響を受ける可能性もあり、楽観できない。
海外を通さない国産野菜のほうが安くなるかもしれない。

近場レジャーに行くなら、ついでに直売所などで野菜や食材を仕入れるようにしたい。
出かける際は必ず保冷剤と保冷バッグ、あるいはクーラーボックスを車に積んで出かけることをお勧めする。
個人的に最も痛手なのは、ちくわや魚肉ソーセージなどの激安食材まで値上げ対象になったことだ。
ちくわはわが家の冷蔵庫から欠かしたことはない。
野菜炒めの肉が足りないときはちくわをプラスするし、ハンバーグや餃子の種にもちくわを細かく刻んで加える。
かさ増しだけではなく、味出しにもなるのでわが家ではスタンダードなレシピだ

磯辺揚げは言わずもがなの節約おかずだし、魚肉ソーセージは焼き豚代わりに刻んでチャーハンの具にすると優しい味わいになる。
この調子では同じすり身商品であるはんぺんやさつま揚げも上がるとなると、冬の定番おでんがピンチだ。
ちくわ、かにかま、魚肉ソーセージについては、スーパーよりドラッグストアで買うほうが比較的安い。
ドラッグストアは食品で稼ぐ必要がなく、客寄せとして激安に下げることが多いためだ。

練り物のほか豆腐や納豆など日配品と言われるものも同様なので、もし近所に食品を扱うドラッグストアがあるなら、まずドラッグストアに行って安めの食材を買い、残りの買い物はスーパーで、という順序で回るのがいいだろう。
ドラッグストアは共通ポイントが使えたり、スマホ決済の高還元率キャンペーン対象になることが多いので、そういうときを狙うのもひとつの手段だ。

これでは足りないと感じたら潔く予算を上げる
これから値上がりしそうな品目を見ると、食費は1割程度増えそうだと覚悟したほうがいい。
そうした中、赤字を出さずに家計管理をする秘訣は、適正な予算を決めることに尽きる。
非現実な目標値を目指しても、結局守れないからだ。
そのうえで、予算内に収める工夫をする。
そのために大事になるのが買い物の工夫となる。

「まとめ買い」がいいか、「その都度安いもの買い」がいいかについては、住んでいる環境でも異なる。
車で買い物に行く人はガソリン代を考えると、まとめ買いのほうがいい。
こちらを選ぶなら、先に1週間分のメインおかずを決め、予算も1週間分の予算を使い、大容量パックを買う。またはネットスーパーを使うのもありだろう。
ある程度まとめ買いするなら送料無料ラインをクリアできるだろうし、画面上で税込みでの購入金額がわかるので予算管理もしやすい。子どもに店頭でねだられてお菓子を買いすぎた、ということも防げる。

他方の「その都度安いもの買い」は、地元のスーパーやドラッグストアに徒歩などで気軽に行ける環境の人に向いている。
予算は日割りにして金額内に収めるのが原則。
メリットは、日替わりでセール品が買えることだが、安さに目を奪われ必要以上に買いすぎる落とし穴もある。
それを防ぐためには、予算に対し何品買えるかのイメージを持つことが大事だ。
もし食費の予算が月5万円で、うち米・調味料代が5000円とすると、1日当たりに使えるのは約1500円。もし、カートに10品入っていたとすると、すべてが150円以内でない限りは買いすぎとなる。
安いからという理由だけでカートに入れたものは棚に戻そう。

食費に入るもの・入らないものを見直してみる
ひと口に食費と言っても、その中身は家庭によって違う。
いちばん多いのは、外食費を含むか含まないか。
コロナ禍で外食が激減した家も多いだろうが、そのぶんテイクアウトなどが増えているかもしれない。
純粋な食費なのか、外食やその代替えとしてのテイクアウトも含んだ金額なのか、一度仕分けしてみるといい。
外食が多いなら、それは日々の買い物と別立てに管理したほうがいいだろう。
外食をレジャー費や交際費のほうで賄えば、コロナで食費がどんどん増えたと嘆かずにすむ。

もう1つは、アルコール類をどう扱うかだ。
これは嗜好品で、厳しめに言えば食費ではないという考えもある。
夫婦ともが晩酌が好きなら、嗜好品はお互いの小遣いから出し合うのもひとつだろう。
スイーツやお菓子をついつい買ってしまう人も、それは嗜好品なので食費ではなく小遣いから出すというルールにすると、そのぶん食費が楽になる。

筆者は缶ビール代を自分の小遣いから出すので、350ml缶120円(ビール系飲料として計算)を30日払うとして、なんと3600円も食費を助けていることになるのだ。
アルコール類を食費から出している家計は、今日からでも遅くはない。主に飲む人の小遣いから徴収することにトライしてはどうだろう。
交渉するなら、外飲みが減っている今のうちだ。

年末年始にこそ使える食費節約法
年末年始はモノの値段が上がりやすい時期だが、割安に食品を入手できるチャンスもある。
まず、ふるさと納税は年内までが節税となる期限なので、これで食材確保をする。
ふるさと納税の返礼品ではプチ贅沢な牛肉や海産物が人気だが、あえてちくわやさつま揚げなど普段使いの食材を選ぶのもいい。
筆者もそうしたことがあるが、練り物は高額商品ではないためか量が多めで、しかも冷凍できる。
缶ビールの返礼品が長期休み前に届くタイミングで寄付したこともあるが、これも家計の助けになってくれた。
必ず消費するとわかっている食品や嗜好品が大量に届くと、とても豊かな気持ちになれる。
牛肉ばかりがふるさと納税のベストチョイスではない。

また、年始に獲得したいのが食品福袋だ。
ここ数年は、密を防ぐため福袋の販売を自粛してきたデパートも多いが、今年は通常モードに戻ると期待したい。
筆者は、紅茶やコーヒー、ジャム・はちみつ類の福袋を買い、数カ月分を確保するようにしている。
レトルト食品やパスタソース、調味料類の福袋も見かける。
それこそ「食費」ではなく「レジャー費」としてプチ贅沢なブランドをあれこれ買っておくのも悪くはないだろう。

よく、「食費は家計全体の◯◯%が目安か」と質問を受けるが、それは無意味な問いだと思う。
食費は家計費の中では流動支出に当たるが、流動支出の中ですべての費目が収まってさえいればいい。
食費を大事にしたい人なら、ほかの支出を削ればいいだけだ。
それに、家族の健康を考えれば食費はむやみに切り詰めればいいとはいえない。

やむをえず何かが増えるなら、ほかの何かを削る。それが家計管理というものだ。
お金の使い方はオーダーメイドであり、絶対の正解はないのだ。
食品メーカーが続々値上げの表明をするのは、世間へのアピールもあるだろう。

この先は「我慢せずいろんなものを上げていきますよ」との決意表明だ。
待ち構えている値上げの嵐を前に、リベンジ消費に浮かれすぎないよう気をつけたい。
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2021年12月13日

「老後資金の取り崩し」2位は70歳から、1位は?老後の年金・貯蓄のリアル

「老後資金の取り崩し」2位は70歳から、1位は?老後の年金・貯蓄のリアル
2021年12月12日 LIMO

もうすぐ年末年始ですが、食料品の値上げが相次いでいます。
2021年12月1日には、日本ハムが2022年2月1日から家庭用ハム・ソーセージや加工食品、業務用商品などの納品価格を5〜12%引き上げると公表しました。
今年の冬のお財布事情は厳しそうですね。

人生100年時代といわれる現代。
年金の受給開始は基本的に65歳からですが、65歳から老後スタートと考えると約35年間です。
年金生活に入ると「できるだけ貯蓄に手を付けたくない」と考える方も多いでしょう。
公益財団法人 生命保険文化センターの「生活保障に関する調査」(令和元年度)によると、シニアの方が老後資金を使い始める年齢で2番目に多いのは70歳から。では、最も取り崩し始める方が多い年齢は何歳でしょうか。老後のリアルな貯蓄や年金事情を確認していきましょう。

■老後資金の取り崩し、1位は何歳から?
同調査によると、老後資金を使い始めるのが最も多い年齢は「65歳」でした。年齢ごとに何歳から使い始めているのか、その割合を確認しましょう。

■老後資金の使用開始年齢
59歳以下:1.2%
60歳:14.4%
61〜64歳:1.5%
65歳:39.7%
66〜69歳:1.9%
70歳:20.9%
71歳以上:4.9%
わからない:15.4%

年金の受給開始とともに、「65歳」から使い始める方が約4割と多くを占めました。
次に「70歳」で20.9%、60歳で14.4%ですね。
他の年齢の少なさをみると、「60歳・65歳・70歳」の5歳区切りの中で、自分たちは何歳から使い始めようかと計画されている方が多いのでしょう。

では、実際に今の60代はどれくらいの貯蓄を保有しているのでしょうか。
金融広報中央委員会の「家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査] 令和2年(2020年)」より分布をみていきます。

■60代、二人以上世帯の貯蓄額は?
60代の2人以上世帯の貯蓄額の分布図をみてみましょう。
60歳代・二人以上世帯の金融資産保有額。中央値は875万円。
「老後2000万円」をクリアしているのは32.9%。
平均は一部の大きな金額に引っ張られやすいため、より実態に近いのは中央値です。
平均は1745万円ですが、中央値は875万円ですね。

2019年には、年金以外に老後2000万円が必要という「老後2000万円問題」が話題となりました。
貯蓄2000万円をクリアしているのは32.9%です。
一方で金融資産非保有、つまり貯蓄ゼロ世帯は18.3%。老後のリアル貯蓄額としては心もとない結果となりました。

年金について、今のシニア世代は月いくらくらい受給しているのでしょうか。

■今のシニア世代、ひと月いくら年金を受給しているか
厚生労働省年金局「令和元年度(2019年) 厚生年金・国民年金事業年報」より、国民年金と厚生年金それぞれのひと月の平均受給額を確認します。

【国民年金】全体平均年金月額:5万5946円 男子平均月額:5万8866円 女子平均月額:5万3699円

【厚生年金】全体平均月額:14万4268円 男子平均月額:16万4770円 女子平均月額:10万3159円 国民年金はひと月5万円台。厚生年金は男女差があり、男性で16万円台・女性で10万円台です。

ちなみに、原則20歳以上60歳未満が加入する国民年金とは違い、厚生年金は加入月数や収入に応じて受給額が決まります。
そのため男女差・個人差が出やすいのですが、今のシニア世代はどれくらい受給しているのか、その分布を見てみましょう。

【男女別】厚生年金、年金月額階級別受給権者数。
男性のボリュームゾーンは17万円台、女性は9万円台と差が見られる。
ご自身が老後年金をいくら受給できそうかは、毎月誕生月に届く「ねんきん定期便」を参考にしましょう。

■年金暮らし、毎月いくら赤字になりそう?
年金の平均受給額をご紹介しましたが、夫婦であればひと月20万円以上受給する方もいます。
年金暮らしになった際の毎月の赤字金額を明確にするためにも、まずはご自身の1カ月の生活費を計算しておくといいでしょう。
参考までに、話題となった「老後2000万円問題」ですがくわしくは以下のように計算されています。

老後2000万円問題の詳細。
月の赤字が約5万5000千円で、老後30年間で約2000万円の計算となる。
「夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯」で、実収入が約21万円、実支出が約26万円。月々の赤字が約5万5000千円で、老後30年間で約2000万円の赤字となる計算ですね。
上記の試算は家賃が1万円台で計算されていたり、介護費用が入っていなかったりするなどの問題があります。
それぞれのご家庭の事情に合わせて貯蓄を準備する必要があるでしょう。

■資産寿命を伸ばす工夫を
老後は約35年間。
老後資金を65歳から使い始めると、いかに貯蓄の取り崩しを減らすか、資産寿命を伸ばすかといった工夫が必要になるでしょう。
今では老後も仕事を続ける人は多いですが、「いつまで元気に働けるか」という不安は誰もが抱えるものです。
生活水準を振り返る、固定費を見直す、節約をする、ポイ活に挑戦してみる、資産運用で自分だけでなくお金に働いてもらうなどの方法で、ご自身でできる資産寿命を伸ばす工夫を考えてみてはいかがでしょうか。

■参考資料
日本ハム「商品規格変更及び価格改定のお知らせ」( https://www.nipponham.co.jp/news/2021/20211201/ )

公益財団法人生命保険文化センター「『老後』とはいつから?https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/1168.html )

厚生労働省年金局 「令和元年度 厚生年金保険・国民年金事業年報」( https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/nenkin/nenkin/toukei/nenpou/2008/ )

金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査] 令和2年(2020年)」( https://www.shiruporuto.jp/public/data/survey/yoron/futari/2020/ )

金融審議会「市場ワーキング・グループ第21回(厚生労働省提出資料)」( https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/market_wg/siryou/20190412/02.pdf )
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2021年12月14日

昭和の小学校に必ずあった「家庭訪問」が知らぬ間に姿を消したワケ

昭和の小学校に必ずあった「家庭訪問」が知らぬ間に姿を消したワケ
12/12(日)  Ulm

家庭訪問と保護者のパフォーマンス
子どもの小学校生活で保護者が最も緊張したり、慌てたりする日――といえば、やはり家庭訪問でしょう。
 地域によって異なりますが、家庭訪問は 「4月下旬〜5月」 にかけて行われることが多く、先生と保護者の顔合わせの意味合いもあります。
先生は移動時間を短くしようと、住所が近い家庭への訪問日を同じ日にまとめるなど、努力しています。
 家庭訪問期間は下校時間が早くなるため、子どもにとってはうれしい行事でしたが、多くの保護者にとっては神経をとがらせるものでした。

 家庭訪問の「副作用」は、家庭の生活ぶりが分かってしまうこと。
そんなわけで家はいつも以上に掃除され、普段は食卓に登場しないような高級洋菓子が用意され、保護者は 「わが家はしっかりしている」 を、先生にさりげなくアピールしていました。
家庭訪問とは単に先生と家で話をする以上の、「見栄」としての存在価値があったのです。
昭和生まれの筆者にとっては、懐かしい風景です。

 そんな家庭訪問ですが、
・平日の日中に行われる時間制限性
・コロナ禍という社会状況 などの観点から、その存在は風前のともしびとなっています。

 2011(平成23)年3月に公開された「三鷹市教育委員会定例会会議録」では、家庭訪問が議題として取り上げられ、当時の三鷹市内の公立小中学校では既に一律の家庭訪問を行っていないことが記されています。
昭和スタイルの家庭訪問は10年前に姿を消しつつあったのです。

概念は明治時代からスタート
 家庭訪問は昭和30年代以降に定着したイメージがありますが、その概念は明治時代にまでさかのぼります。
 1891(明治24)年に公布された「小学校教則大綱」には 「学校ト家庭ト気脉ヲ通スルノ方法ヲ設ケ相提携シテ児童教育ノ功ヲ奏センコトヲ望ム」 と書かれています。
要は、学校と家庭がしっかりと連絡を取り合うことが、子どもの教育にプラスになるというわけです。

 学制(学校教育に関する制度の規則)が発布されたのは1872年ですから、20年もたたないうちに上記の方針が打ち出されていたことが分かります。
小学校教育の黎明(れいめい)期に、このようなことがあったのは注目に値します。

 小学校教則大綱が公布された1891年当時、
小学校の就学率は ・男子:66.7% ・女子:32.2% と、決して高いものではありませんでした。

 当時は就労している子どもや就学への理解を持たない大人も多く、通学を働きかけるには、家庭に出向いて説得するしか術はありませんでした。
 2013年に発表された「戦前日本の「家庭又ハ其ノ他」における教育」(東北大学大学院教育学研究科研究年報・第62集・第1号)には、明治40年代、町・村長や学務委員、学校長らが不就学児童に対して家庭訪問を行い、就学を勧める話が記されています。

現在は「戸口訪問」「児童の住居確認」
 教職員らが明治期から家庭訪問を行い、不就学児童の様子をチェックするという流れは、戦後の混乱期を経て、脈々と受け継がれてました。
近代的な学校制度が全国に浸透する過程で、家庭訪問は 「学校と家庭の距離を縮めるの手段」 として捉えられてきたのです。ある意味、行われるのが当たり前な環境だったということになります。

 時は流れ、共働き世帯は増加。
保護者が平日に休みをとって家庭訪問に備えることは時代にそぐわなくなってきました。
さらに学習指導要領の改訂で授業数も増え、先生が家庭訪問に時間を割くことも難しくなっています。

 その結果、21世紀に入り
・戸口訪問(玄関先で保護者とあいさつ程度)
・児童の住居確認(特にコロナ禍) へと次第に変化してきました。

 もちろん個別に相談がある場合は、夏季休業中の学校で保護者面談を行うなど、先生は対応していますが、かつてのような「家に先生を入れる」機会は激減しています。
 ちなみに文部科学省も家庭訪問を義務化、強制しておらず、生徒指導等に関する「人権教育の指導方法等の在り方について[第二次とりまとめ]」内の「第2章第1節 3家庭・地域との連携及び校種間の連携」にも、 「家庭訪問などによって、児童生徒の家庭や地域での生活実態と生活実感を把握しておくこと(なお、その際はプライバシー等に配慮することが必要である)」 と書かれています。
 というわけで、特別な事情がない限り、現在の小学校では全児童を対象に昭和スタイルの家庭訪問を行うことはほぼありません。

高級洋菓子を食べかかった記憶
 家庭訪問の概念は1890年代から誕生し、100年以上に渡って、日本の学校教育に根付いてきました。
 しかし人々の生活様式は日々変化し、保護者にとっても家庭訪問の「優先順位」は低下しています。
昭和スタイルの家庭訪問が復活する可能性は、もう低いでしょう。

 先生に出された高級洋菓子のおこぼれに預かろうと、筆者は 「先生がどうにか手を付けないように!」 と、ユリ・ゲラー(こちらも昭和スタイル)ばりに陰から念じていましたが、そんな経験も令和の子どもたちにとっては何のことやら? なのでしょう。

日野京子(エデュケーショナルライター)
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2021年12月16日

権力維持の道具となった「民主主義」という言葉

権力維持の道具となった「民主主義」という言葉
アメリカも中国も勝手に定義し叫んでいる
2021/12/15 東洋経済オンライン
薬師寺 克行 : 東洋大学教授

胡錦涛国家主席時代の2009年、中国の北京大学で講演する機会があった。
約200人の学生に「中国が民主主義の国と思うか」と聞いたところ、ためらいながらだったが2人の学生が手を挙げた。
すると他の学生から「何を考えているのか」などというヤジが飛んだ。
手をあげなかった学生に意見を聞くと「民主主義は統治形態の1つにすぎない。中国は共産党による統治で成果を上げている」「統治のあり方に絶対的なものはない。国民がそれでいいと考え受け入れることが重要である」などと答えた。
つまり学生らは中国が民主主義国ではないことを否定的にはとらえていなかったのだ。
当時はそういう教育を受けていたのだろう。

胡錦涛時代にはそれなりに自由な空気があった。
中国を訪れると中央政府や地方政府の幹部に会うことができ、内政外交について率直に話を聞くことができた。
大学の研究者らにも会え、政府や共産党の問題点や批判を聞くこともできた。

ところが習近平政権になって空気は一変した。
私に民主化の必要性を語ってくれたジャーナリストや弁護士が拘束されたという情報が何度か届いた。
メールでやりとりすることもはばかられるようになってしまった。
ウイグルの人権問題に焦点が当たっているが、ごく普通の言論や表現の自由さえ認められていないのが今の中国だ。

中国の白書は「民主主義」の普遍性を否定
その中国政府がいま、「自分たちこそ民主主義を大事にしてきた国だ」というキャンペーンを展開している。
12月4日には『中国の民主主義』と題する白書を公表した。
例によって長文でかつ意味不明の用語が列挙され、極めて読みにくく理解しにくい文書だ。
いくつかのポイントを紹介する。

まず結党100年を迎えた中国共産党は一貫して人民民主主義を掲げ積極的に推進してきたことを強調している。
毛沢東による反右派闘争や文化大革命、ケ小平時代の天安門事件など、反体制派の粛清と民主化運動の弾圧を繰り返してきた中国の現代史を振り返ると、民主主義とは無縁なはずだがそうではないらしい。
そもそも彼らのいう民主主義の定義が異なるのである。

白書は、「民主主義はそれぞれの国の歴史や文化、伝統に根ざすものでありさまざまな道と形態がある」として、その普遍性を否定している。
では中国はどういう形態かというと、中国共産党のほかに中国共産党に緊密に協力する8つの政党があるとしている。
しかし、中国には与党も野党もなく、共産党のリーダーシップのもとの複数政党制であるとしている。
もちろん共産党以外の政党は形式的な存在にすぎず、あくまでも共産党一党支配のもとでの「民主主義」であることに変わりない

共産党一党支配も専制主義も否定せず、選挙による政権交代などはまったく想定していない。
こうした「中国流民主主義」は西側からの批判の対象になるが、白書は逆に欧米の民主主義を批判している。
「ある国が民主的かどうかは、その国の人々によって判断されるべきことで、少数の部外者によって判断されるべきではない」
「世界にはすべての国に適用できる政治システムはない。各国はそれぞれが自国の発展に適した民主主義の形態を選択する」 「中国は民主的モデルを輸出しようとはしない。そして、中国モデルを変更しようとする外圧を受け入れない」

民主主義は普遍的なものではないのだから国によってさまざまな形があって当然だ。
したがって人権問題などを理由に外からとやかく注文をつけ、改革を求めることは内政干渉であり、これを拒否する、というわけである。
民主主義をうたう文書であるにもかかわらず、あくまでも党や国家が最優先される内容であり、民主主義にとって最も重要な個人の尊重、基本的人権が無視されておりとても納得できるものではない。

なぜ今、中国が「民主主義」を持ち出したのか 疑問なのはしばらく前まで民主主義などまったく気にしていなかった中国政府がなぜ、今、自分たちは民主主義を大事にしてきたと言い始めたかということだ。
公表のタイミングはアメリカが世界各国に呼びかけた「民主主義サミット」開催の直前だったことからサミットの対抗策としての公表だという見方も出てくるが、白書はかなり入念に時間をかけて作成されているようにみえるため、サミットへの対抗策という単純な話ではなさそうだ。
このところ習近平主席は、ケ小平氏以来の改革開放路線の結果生じた貧富の格差などの社会問題に対処するために「共同富裕」を前面に打ち出し、さらに11月に発表した「第3の歴史決議」では、中国流の共産主義やマルクス・レーニン主義を強調するなど、イデオロギー的な色彩を強めている。

2013年、習近平政権が大学教師らに対し、学生と議論してはならない7項目を伝えたことが広く報じられたことがある(「七不講」と言われた)。
それは普遍的価値や報道の自由、市民の権利、党の歴史の誤りなどだった。
過去にこのような指示をしておきながら、あえて民主主義キャンペーンを開始した背景には、共産党一党支配の継続と自らの権力維持のために「民主主義」が利用できるという判断があるのだろうか。
それともウイグルの人権問題などで高まる西側諸国からの批判への対抗措置なのか。引き続き注意深く見ていく必要がありそうだ。

ドゥテルテ大統領などが一方的に放言
そして中国との緊張を強めているアメリカのバイデン大統領も「民主主義」に力を入れている。
大統領就任当初から打ち上げていた「民主主義サミット」が12月に開催されたが、予想通り内外からの評判は芳しくなかった(12月1日のコラム「アメリカ主催の民主主義サミットが不評な理由」参照)。
サミットは共同声明のようなものはなく、結局、オンラインを使っての各国首脳らの一方的な発言に終わった。

政府批判を繰り返すメディアの弾圧など強権的な姿勢で知られるフィリピンのドゥテルテ大統領が「フィリピンは報道の自由、表現の自由が完全に享受されている」と発言するなど、独裁的な指導者がサミットに招かれ発言することで自らを正統化する場になるというお粗末な結果も生じた。
たまたまだろうがドゥテルテ大統領の弾圧に抵抗し続け今年のノーベル平和賞を受賞したネットメディア「ラップラー」のマリア・レッサ氏の授賞式が、このサミット期間中に行われており、「真実が伝わらなければ民主主義など存在しない」とスピーチしたのは、皮肉なことだった。

バイデン大統領は最後に、中国の顔認証システムなどを意識した監視技術の輸出管理を強化するための「輸出管理・人権イニシアティブ」の発足などを打ち出したが、このイニシアティブへの参加はアメリカを含めわずか4カ国にとどまり、アメリカの求心力や説得力が弱まっていることを示す結果に終わってしまった。
アメリカ国内では、トランプ大統領時代の1月に起きた議会襲撃事件の真相がいまだに解決されないままだ。
さらに共和党知事が率いるテキサス州など共和党が議会多数を占める多くの州では、民主党支持層が投票しにくくなるよう選挙法改正が相次いでいる。
議会や選挙という民主主義システムの根幹をなす制度が、民主党と共和党の対立によって徹底的に破壊されつつある。
そんな国を民主主義のリーダーだとみなすことはできない。

定義も行動も勝手なもの
アメリカと中国が同じタイミングで「民主主義」を政治的に標榜しているのは誠に奇妙な状況だ。
まるで「民主主義」という言葉が神棚に祭られている神様のように、あがめたてられている。
しかし、それが何を意味しているかは不明であり、それぞれが勝手に定義している。
しかも実際にやっていることは民主主義とはかけ離れているのだがお構いなしだ。
そういう意味では「民主主義」という言葉はまことに便利なものだ。

バイデン大統領、習近平主席、ともに経済や安全保障政策など内政や外交で困難に直面し、国民の支持をつなぐことに汲々としている。
国際社会での陣取り合戦も熾烈を極めている。
この状況を少しでも有利に展開するために「民主主義」という便利な言葉を持ち出したのだろう。

民主主義という言葉を都合よく振りかざしながらアメリカと中国の二大国が理念なき理念の争いを繰り広げている状況の先にはどんな国際秩序が待ち構えているのか、不安が募る。
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2021年12月17日

不都合隠しに巨額税金もいとわない卑劣…雅子さんが描いた国の代理人の顔

不都合隠しに巨額税金もいとわない卑劣…雅子さんが描いた国の代理人の顔
2021/12/16 日刊ゲンダイ
相澤冬樹ジャーナリスト・元NHK記者

「ふざけんな! と思いました。惨敗したような、大負けに負けたような気持ちです」

■国が「認諾」で裁判強制終了
 激しい思いが言葉になった。
財務省公文書改ざん事件の原告、赤木雅子さん。
改ざん事件で命を絶った夫、俊夫さんの死の真相を解明するため、国と佐川宣寿元財務省理財局長を相手に裁判を起こした。15日、大阪地裁で行われた非公開の協議で、国はいきなり「認諾」を申し出た。
原告の請求金額を丸ごと認めて賠償金を支払い、裁判を終わらせる手続きだ。
提訴から1年9カ月、国との裁判はあっけなく終わった。

 原告の訴え通りに賠償を払うのだから、普通ならば原告にとって勝訴同然で、めでたい話ということになる。
それがなぜ「ふざけんな」という言葉になるのか?

 赤木雅子さんはこの裁判でお金がほしかったわけではない。
賠償を求める形にしないと裁判にならないから請求はしたが、本当に望んでいるのは真相の解明だ。
改ざんはなぜ行われたのか?
 夫が反対しても無理やりさせた責任は誰にあるのか?
 改ざんした文書は森友学園との土地取引に関するものだ。
この取引自体に問題があるのではないか?

 それを、裁判で資料を請求し、関係者に法廷で証言を求めて、真実を知りたかった。
ところが認諾されてしまうと賠償の支払いで裁判は終わってしまう。
証人の証言も実現できない。
真相を解明されたくないから無理やり裁判を終わらせたのか?

「あなた方の顔を忘れない」
 雅子さんは協議の席で国の代理人に語り掛けた。
「夫は国に殺されたと思っています。何度も何度も殺されて、きょうまた殺されました」
 その間、国の代理人8人はじっとうつむいていた。
雅子さんは思わず言った。
「あなた方、私の顔を見てください。私もあなた方のきょうの顔を忘れません」
 赤木さんの言葉が終わると、国の代理人はそそくさと帰っていった。

法廷を出たところで筆者は彼らに「国の代理人の方ですよね」と声をかけたが、誰一人何も言わず足早に立ち去った。
 雅子さんは彼らの一人の顔を法廷でスケッチしていた(写真)。
うつむいて黙りこくったまま反応のない姿。
雅子さんは法廷でこういう人たちと向き合ってきたのだ。

 さて、これですべてが終わってしまうのだろうか?
 そんなことはない。国との国賠訴訟は終わっても、まだ佐川元理財局長との裁判が残っている。
改ざんを指示したとされる佐川さんとの裁判を通し、佐川さん本人や関係者の証言を求める道もある。
 闘いはまだ続く。臭いものにふたをしようとする相手の思い通りにはさせない。何としても真相にたどり着いてみせる。

今回の裁判で国が支払う1億1000万円超の賠償金は、そのための軍資金となりうるだろう。
 それにしても、この賠償金の原資は税金だ。
不都合なことを知られないためなら巨額の税金を使うこともいとわない。そんなことがあっていいはずがない。
 この国に暮らす心ある人々すべてに、この卑劣さと不条理を知ってもらい、「許せない」と声をあげてほしい。
そう痛感した一日だった。
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2021年12月18日

政治家の失言2021、日本中を騒然とさせた5つの発言とは

政治家の失言2021、日本中を騒然とさせた5つの発言とは
2021.12.17 Diamondオンライン
鎌田和歌:フリーライター

「女性のいる会議は時間がかかる」
 後年から振り返っても大きな失言だったと報道されるに違いない2021年のナンバーワン失言はやはりこれだろう。
「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」(2月3日、森喜朗五輪オリンピック・パラリンピック大会組織委員会長=当時)  日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議会での発言。

翌日4日に「謝罪会見」を行って沈静化を図ったものの、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長の言葉として海外メディアでも大きく報じられ、12日に辞任表明となった。
集まったオンライン抗議署名は15万筆を超えた。
 五輪を控えた時期の大失言として印象深いが、時期が2月ということもあって今年の失言だということを忘れそうだ。
オリパラ自体、なんだかとても昔のことのように感じるのは筆者だけだろうか。
 この機会に、発言の詳細を今一度振り返っておこう。

スピーチの中にはこんな発言もあった。
「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手を挙げて言うと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」
 これがツイッター上の一般人の発言ならば「主語が大きい」というリプライで淘汰されていくのだろうが、元首相によるお話だけに、その場では止める人がいなかったようだ。
「私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて」
 この発言をきっかけに、「#わきまえない女たち」のハッシュタグも盛り上がった。

 個人的にはこの時期に瞬間的に流行した音声SNS・Clubhouseで、多くの人がこの失言について議論を交わしていたのが思い出される。
 ちなみにあまりにもこの失言が大きく報じられたために影が薄いが、森氏はこれ以外にも「コロナがどういう形であろうと必ずやる」(2月2日)、「(コロナ感染対策で)人気のあるタレントはあまり人が集まらないところを走ったらいいんじゃないか。田んぼ(の沿道)で走ったらいいんじゃないか」(同)などと発言し、そのたびにひんしゅくを買った。
森氏の発言がきっかけで、お笑いタレントの田村淳さんは聖火ランナーを辞退した。

「旦那はいいか。恋愛禁止かね」
 五輪開催後に大炎上したのが、河村たかし名古屋市長の金メダルかじり事件。
ソフトボール代表チームの後藤希友選手の表敬訪問時(8月4日)に、テレビカメラの前で後藤選手の金メダルにかぶりつく姿が報道され、国民をドン引きさせた。
この後、謝罪会見を開いている。
 このとき、後藤選手に対する河村市長の発言も、セクハラではないかと批判を浴びた。
当時の詳報を見ると、以下のような発言の数々が確認できる。
「でかいな、やっぱり。テレビで見るのと大分違うな」
「体は割と小ぶりに見えるけど、こうやって見えるとでかいでね」
「女のソフトボールやっとるやつは、中学生でもみんななんとなく色が黒くて、結構、ポニーテールが多いでしょ」
「テレビのたくましい雰囲気と、えらいキュートな雰囲気で」
「ええ旦那もらって、旦那はいいか。恋愛禁止かね」

 全体を見ると、若い女性アスリートとの間で共通の話題に乏しく、間をもたせるために発せられた発言の数々にも見える。その後の平謝りぶりも鑑みて、高齢の河村市長に多少の同情はするのだが、しかしやはり市長という立場であれば、もう少しわきまえてほしかった。

「温暖化のおかげで北海道のコメがうまくなった」
 森氏と並ぶ失言王の麻生太郎自民党副総裁は、今年も失言している。
10月25日、衆院選の応援演説で訪れた北海道小樽市で、「温暖化と言うと悪いことしか書いていないが、いいことがある」「(北海道のコメについて)温度が上がり、うまくなった。それを輸出している。これが現実だ」などと話した。
 発言を受けて翌日夜のテレビ番組で岸田文雄首相が陳謝。
野党からも批判が相次いだが、麻生氏からの直接の釈明などは行われていない。

 日本では海外に比べて温暖化など環境問題への関心が薄いと言われる。
今年9月には世界1500カ所で気候変動デモが行われ、数十万人が参加した都市もあった。
麻生氏の発言は、温暖化についての知識不足や問題軽視を露呈するものだった。
 また、麻生氏の発言には「昔、北海道のお米は『厄介道米』と言われるほど売れない米だった。農家のおかげですか? 農協の力ですか? 違う。温度が上がったからだ」というものもあった
北海道農民連盟は「今までの北海道米を作る生産者の努力と技術をないがしろにするような発言は断じて許されない、強く抗議する」と談話を発表している。

「11倍の倍率を通ってくるんですから、もう皆きれいです」
 同じくコメに関して失言したのは、川勝平太静岡県知事。
10月23日に浜松市内で行われた選挙応援演説で、御殿場市と浜松市を比較して「あちらはコシヒカリしかない」と発言したことが批判を浴びた。
その後、自民党の議員らが抗議文を提出し、知事は謝罪。不信任案も提出されたが、可決には至らなかった。

 さらにこの後明らかになったのが、女性差別発言。
6月の選挙期間中に静岡県富士市で開かれた集会で、自らが学長を務めていた静岡文化芸術大学の学生について、こう話す音声データが残っていた。
「8割くらい女の子なんですね。11倍の倍率を通ってくるんですから、もう皆きれいです。めちゃくちゃ顔のきれいな子は、あまりこう、賢いこと言わないとですね、なんとなくもう、きれいじゃなくて、きれいに見えないでしょ。ところが全部きれいに見える」
 まず、外見についてことさらに取り上げることは、2021年現在ではルッキズムであるとして嫌われる。
また、「11倍の倍率」とは学力の話であって、その倍率を勝ち抜いたから「皆きれいです」は、意味が通らない。
 その後の「めちゃくちゃ顔のきれいな子は」からの発言は日本語として意味が取れないが、賢さと容貌を関連づけようとする意図はうっすらと読み取れる。
 この発言について記者に問われた知事本人も「ほとんど意味をなしていないと思いますね。ともかく正確ではなくてですね、これは恥ずかしい発言だと、申し訳なかったと思っております」と意味不明な発言であることを認め、謝罪している。

「50代の私と14歳の子とが恋愛した上での同意があった場合に罰せられるのはおかしい」
 立憲民主党の性犯罪刑法改正ワーキングチーム会合(非公開)で、この発言があったことが報じられたのが6月。ネット上ではどの議員の発言なのか特定が始まったが、その後、57歳の本多平直議員(当時)の発言だと判明した。
 性犯罪刑法については性交同意年齢(13歳)の引き上げや、暴行脅迫要件の撤廃を巡って議論が行われており、本多氏は同意年齢の引き上げに反対の立場から意見を言ったものと思われる。
その後、会合に出席していた外部の有識者に対して、本多氏が机をたたくなどしながら声を荒げていたことも報じられている。

 50代の議員のこのような発言が子どもを持つ保護者らに与えた衝撃は大きく、立憲民主党は7月に本多氏の党員資格を1年間停止とする方針を明らかにし、その発表の前に本多氏は議員辞職と離党を発表した。  
 これでこの騒動は終わると思いきや、本多氏の妻である西村智奈美議員は立候補した党首選の最中に「報道されているような発言を(本多氏は)していないと承知しています」と発言したと報道されている。
していない発言で辞職、離党したということなのだろうか。
不可解極まりなく、党内でこの件の余波が続いている様子がうかがい知れる。

 例年のごとく、政治家の失言は今年も枚挙にいとまがなかった。

来年はなるべく、良きことで国民の記憶に残る議員活動を期待したい。
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2021年12月19日

自分を大切にできるのは、自分だけ。メンテナンスを軽んじない

自分を大切にできるのは、自分だけ。メンテナンスを軽んじない
2021.12.18 Diamondオンライン
中野善壽ACAO SPA & RESORT代表取締役会長・CEO

他人と物理的・心理的な距離が広がり、「1億総孤独」といえる現代。
他者に依存せず、「個」として自立するには、どうすればいいのでしょうか。
寺田倉庫の経営改革などを果たし、NHK「SWITCHインタビュー達人達」でコシノジュンコ氏と対談、著書『ぜんぶ、すてれば』は4万部を超えるベストセラーとなった「77歳・伝説の経営者」、中野善壽氏は、「孤独を生きることで、自分の感性を信じ、磨き抜くことができる」と語ります。

中野氏は孤児同然の幼少期を過ごし、孤独のなかを生きてきました。
しかし、そこで自分の感性を磨き、「個」として自立していきます。社会に出てからは「孤独を武器」に、伊勢丹・鈴屋での新規事業展開や、台湾企業の経営者として数々の実績をあげてきたのです。
本連載では、中野氏の新刊『孤独からはじめよう』に掲載されている「他人に依存せず、自立して、素の自分をさらけ出して生きる」51の人生哲学から抜粋。
「一人で生きるのが当たり前の時代」に肩肘を貼らず、自分に期待し、颯爽と人生を楽しむ考え方を紹介します。

自分という個体を大切にメンテナンスする 孤独に生きるとは、自分という個体を大切に扱うこと。
体が衰えないように適度な運動習慣も続けていますが、僕は「洗顔」や「歯磨き」も決まったやり方を守って、続けています。
例えば、洗顔ならば、頬、鼻、額と、順番に泡をつけて、指の腹でくるくると十回ずつ。 決まった回数、決まった順序でゆっくりと、十分ほどかけて顔を洗います。
あちこちで見聞きしたことを組み合わせて、いつの間にか定まった自己流のスタイルです。
コツは、筋肉が凝り固まらないように、指でほどよく刺激しながら洗うこと。
歳をとると顔の筋肉が衰えて、なかなか笑顔がつくれなくなるそうです。 僕はいつまでも気持ちよく笑って生きていたいから、顔の筋肉を丁寧にほぐすことを毎朝の日課にしているのです。

歯磨きも念入りに。 一本一本の歯を、順番に八回ずつ、歯ブラシで擦る。
「それは磨き過ぎですよ」なんて歯医者にも笑われるくらい時間をかけて、歯と歯茎を健康に保つための手入れをするのです。
舌もしっかりと磨いてから、水で口をゆすいだ後は、耳を3回引っ張って血流促進。
もう十年以上欠かさず続けている習慣だから、何も考えなくても勝手に手が動きます。

自分を大切にできるのは、自分だけ
ただ、無心になって、自分に向かって集中できる時間。
メンテナンスの時間を軽んじないことが大切です。
朝起きるときには、まずベッドの上に座って座禅を組むようにして、股関節や足首をストレッチ。 さらに膝を立てて、腰を伸ばす。 関節が伸びるのを感じてから、活動を始めます。
これらも全部決まったルーティンです。

お祈りまで含めると、メンテナンスだけで2時間以上かかるのですが、僕にとっては必要かつ重要な時間。
この時間をいつもどおりの順序とリズムでできない日には、調子が狂ってしまいます。
1、2、3……と心の中で数を唱えながら、無心になって自分の体と心を整える。
その繰り返しによって、「個」の感性が磨かれていく。 誰にも侵されたくない、大切な積み重ねの時間です。 (本原稿は、中野善壽著 『孤独からはじめよう』から一部抜粋・改変したものです)

中野善壽(なかの・よしひさ)
ACAO SPA & RESORT代表取締役会長・CEO
東方文化支援財団代表理事 寺田倉庫前代表取締役社長兼CEO 1944年生まれ。
弘前高校、千葉商科大学卒業後、伊勢丹に入社。子会社のマミーナにて、社会人としてのスタートを切る。
1973年、鈴屋に転社、海外事業にも深く携わる。
1991年、退社後すぐに台湾に渡る
台湾では、力覇集団百貨店部門代表、遠東集団董事長特別顧問及び亜東百貨COOを歴任。
2010年、寺田倉庫に入社、2011年、代表取締役社長兼CEOとなり、2013年から寺田倉庫が拠点とする天王洲アイルエリアをアートの力で独特の雰囲気、文化を感じる街に変身させた。
2018年、日本の法人格としては初となるモンブラン国際文化賞の受賞を果たす。
2015年12月、台湾の文化部国際政策諮問委員となる。
2019年に寺田倉庫を退社。
地域や国境を越えた信頼感の醸成をはかり、東方文化を極めたいという飛躍したビジョンを持つ東方文化支援財団を設立し、代表理事に就任。
国内外のアーティスト支援を通して、地方再生やアジアの若手アーティストの支援などを行っている。
2021年8月、ホテルニューアカオ(ACAO SPA & RESORT)代表取締役会長CEOに就任。
著書に『ぜんぶ、すてれば』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『孤独からはじめよう』(ダイヤモンド社)がある。

独を力に変え、前に進む術を。
現代は、孤独の力を見失いがちな時代です。
あまりにも情報が多く、顔の見えない他者の声が無数に聞こえては流れていき、内なる自らの声がかき消されてしまいます。 いつしか消耗し、虚しさを持て余して、恨みを垂れる。
そんな繰り返しは、もうやめようと僕は言いたい。
もっと純粋な気持ちで、ありのままの自分で生きようと。 孤独を味方にすれば、選択肢は広がり、共に事を成す仲間は増え、家族や友人をより愛せるようになるのです。

◎孤独により自分の感性を信じ、磨き抜くことができる。
「一人で生きていける」と思うことで、周りに左右されない

自分をもつことができる。
◎素の自分をさらけ出し、「個として自立」することで自分に期待できる。
他者に依存しない人間関係を築くことができる。

◎他人と物理的・心理的な距離が広がり、誰もが孤独と向き合う時代に希望を灯す

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2021年12月20日

誰もが感じている「なんだかしんどい」の正体

誰もが感じている「なんだかしんどい」の正体
鍼灸師が考えるあなたの「疲れ」の原因とは
2021/12/19 東洋経済オンライン
すきさん : 鍼灸師・お灸堂院長

現代人は何かと疲れがち。
京都で鍼灸師として活躍する傍ら、ツイッターやメディアなどでも人気のすきさんの著書『ゆるませ養生――“何だかしんどい”を楽にする「自分を大事にする作法」』から一部抜粋して紹介します。

「しんどさ」を特定するのは難しい
「なんだかしんどい」「気が付いたらいつの間にか疲れている」……。
こうした悩みを持つビジネスパーソンは多いのではないでしょうか。
筆者は、京都でお灸と養生の治療院を営んでいますが、こうしたお悩みを抱えたお客さんは毎日のようにいらっしゃいます。

この「漠然としたしんどさ」の原因は、多くの場合、特定することが難しいものです。
多くの方は、何もアスリートのように日々体に強い負荷を与えているわけでも、不眠不休で仕事を続けていたりするわけでもありません。
ほとんどの人は、各々にとって普通の生活を営んでいる中で、「特にこれといった理由もなく」「気が付いたらいつの間にか」漠然としたしんどさを感じるようになっています。

私たちは、ただ真面目に生活しているだけで、なぜか不思議と疲れてしまうのです。
「あなたの不調の原因は〇〇です」とはっきり特定できれば、病院に行ったりできるのでしょうが、なかなかそうはいかない……。
そうしたことが、こうしたお悩みの改善を難しくさせています。

でも、あきらめるのはまだ早い!
 私たち現代人の多くが抱える“なんだかしんどい”の原因を探るヒントは、意外にも東洋医学にありました。
気軽にできる、具体的な解決法とあわせてみていきましょう。
東洋医学の世界観を一言でいうなら「バランス」です。
どういうことかというと、たとえば私たちの体調というのは、まるでシーソーのように、常にゆらゆらと動きながらバランスを取り続けている、ととらえます。

「緊張と弛緩」「疲労と回復」「仕事と遊び」……といった具合に。
このシーソーのバランスがある程度の範囲内に保たれてさえいれば、基本的に体調を大きく崩すことはありません。
ところが、現実はそうはいきません。
私たちは何かというと「頑張る」が口グセになっているし、それを社会から期待されることが多いです。
筆者が見たところ、「なんだかしんどい」というお悩みを持つ人は、基本的にみなさん、「頑張り屋さん」。

「頑張りグセ」が染みついている人って、本当に多いのです。
もちろん、それ自体はとても素敵なことです。
ただし、その人の負担になりすぎない「頑張り」でなくてはいけないと思います。
ちなみに「頑張る」というのは、書いて字のごとく「頑(かたく)なに張る」ということ。
つまり、無意識のうちに私たちの体や心は固くなってしまうわけです。
それを続けていると、心身の固さは増していき、いずれ体調のシーソーもバランスを乱したまま固まってしまうことでしょう。
筋肉だって、ゆるんだ状態から固くなるときに一番パワーが出るものです。

ひるがえって私たちはどうでしょう。
頑張り続けて固くなり、いざというときに本来の力が発揮できなくなってしまっては、何とも悲しいじゃあありませんか。 「頑張る」のまま固まってしまったシーソーの反対側に一刻も早く“何か”をのせて、バランスを取り戻さねばなりません。こ

「頑張る」の対になるのが「養う(養生)」ということ。
現代人は「養う(養生)」が決定的に不足しているのです。

そもそも「養生」ってどういうこと?
「養う」つまり「養生」とは、自分を大事にしてあげる、ということ。
でも、これがなかなか難しい。
たとえば、あなたもこんな経験はありませんか?
・休日、一日中横になって、かえって疲れをためてしまう
・体力をつけようと筋トレやランニングに励んで、体を痛めてしまう
・気分転換のつもりで旅行に行ったが、むしろ疲れて帰ってきてしまう
・体にいいといわれる食べ物を食べても効果がよくわからないし、続かない
・そもそも、どこから手をつけていいかわからない  ……etc.

よかれと思ってしたことで、かえって体を疲れさせてしまう(実際、今挙げた事柄は、体をむしろしんどくさせてしまうことがあります)。
「養生」って、なんて難しいんだろうと思った方もいるかもしれません。
私たちは、なんでこんなに養い下手で休み下手なんだろう。
これについては、おそらく仕方がないことです。
だって、みんなおそらく今まで「休み方」「養い方」を教えてもらったことがないんですから。

小学生のころから、私たちは「頑張り方」はたくさん習ってきました。
でも、その対となる「休み方」「養い方」を習う機会って、実はほとんどありません。
これは、どうにもバランスが悪すぎる。
だから、ただ真面目に生活をしているだけで、いつの間にかしんどくなってしまうのです。

頑張りすぎは命を削る
私たちは一度生まれたら、誰でもいつかは命が尽きて死んでしまいます。
体は鍛えたら強くなりますが、命は鍛えても強くなりません。
これ、よく考えたら当たり前のことなのですが、意外と見落としがちなことです。

何が言いたいかというと、頑張りすぎれば、私たちの命は、それだけ早く燃え尽きてしまうということです。
限界を越えた頑張りは、いわば「命の無駄づかい」。
無駄づかいすればするほど、どんどん消耗してしんどくなってしまうのは、当たり前のことだと思いませんか。

今まで無意識にあなたをしんどくさせていた「頑張る」を少しずつ「養う(養生)」にシフトさせて、自分を大事にする作法を身につけていきませんか。
難しいことは1つもありませんので、どうぞご安心ください。

ペンキを塗るときなんかに、周囲が汚れないように貼るシートのことを「養生シート」といいますね。
あれには、「ものを保護する」という役割があります。
そう、「養生」と同じことです。
「養生」なんていうと、何だか難しくて高尚な感じがするかもしれませんが、養生シートと同じくらい、私たちの身近にある「ごく簡単な、ごく当たり前のこと」なんです。

その内容も、たとえば早寝早起き、手洗いうがい……のような、小さな子供でもできるようなことばかり。
肩透かしを食らったような気分になるかもしれませんが、そのごくごく簡単なことが積み重なって、あなたの体や人生を変えるほどの変化を生み出すのです。
たとえば、「体は疲れると固くなる」ということを知っていましたか?

 筆者の専門の一つは「お灸」ですが、何ももぐさなど専門的な道具を使わずとも、身近にあるもの(蒸しタオルや浴槽、風呂おけなど)で体を温めて、疲れを取ることは、十分可能なんですよ。
変化が実感できる目安は、およそ3カ月と言われています。
3カ月後、あなたの体は大きく変わっているはずです。
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2021年12月21日

「自由」が労働者を追い詰める

「自由」が労働者を追い詰める
2021年12月19日 NHKテキストビュー

労働力を、とことん使い倒そうとする資本主義的生産は、労働者の心身を蝕(むしば)み、彼らの能力や暮らしを破壊し、ときには命さえも奪っていきます。
マルクスは『資本論』で、当時大々的に報じられた過労死についての記事に言及しています。
自殺に追い込まれるほど過酷な長時間労働に、なぜ労働者は抗えないのか。
無断欠勤、あるいは辞めてしまえばいいのでは。そんな風に感じる方もいるかもしれません。

逃げ出せない理由の一つは、労働者が「自由」だからだとマルクスは指摘しています。
「自由だから逃げ出せない」とはどういうことでしょうか。
経済思想家、大阪市立大学准教授の斎藤幸平(さいとう・こうへい)さんが解説します。
* * *
資本主義社会において、労働者は二重の意味で「自由」だとマルクスはいいます。

一つは、奴隷のように鎖につながれて強制労働させられているわけではないという意味での「自由」です。
士農工商やカーストのような身分制もない社会では、好きな仕事に就くことができるのです。
しかし、奴隷や身分制のような不自由から解放された私たちは、同時に生産手段からも「自由(フリー)」になってしまいました。

“生産手段フリー”とは、生きていくために必要なものを生産する手立てを持たないということを指します。
ここでいう“フリー”という単語は束縛されていないという意味ではなく、何かが「ない」という意味、例えばカフェインフリーなどの意味と同じように使われています。
これは、コモン(みんなの共有財産)が「囲い込み」によって解体された帰結です。
生産手段から切り離されてしまうと、もう大半の人々は自給自足できません。
生きていくには、どうにかしてお金を手に入れなければならない。
そのためには、何かを売る必要がある。
けれども、普通の人が生活のために売ることができるのは、唯一、自分自身の労働力だけなのです。

資本主義社会の労働者は、奴隷と違って、自分の労働力を「自由」に売ることができます。
繰り返せば、私たちは、好きな仕事に就くことができます。
けれども、自由になるのは、そこまで。
一度、労働力を売ってしまえば、あとはもう奴隷とあまり変わりません。

どういうことなのか。経済学者の内田義彦は次のように説いています。
労働者は労働力に対する処分権はもつが、労働に対する処分権など全然もっていない。
うそだと思ったら職場で労働を自分の自由に処分してごらんなさい。処分されるのはあなた御自身でしょう。
(中略)労働力に対する処分能力を100%持つということは労働の処分能力を100%失うということと裏表の関係にあります。 (『資本論の世界』)

「労働力に対する処分権」とは、自分の労働力を誰に売るか、という選択権です。
これは常に労働者の手元にあります。
しかし、誰かに売った途端、労働者は「労働の処分能力」──つまり、働き方の自由を100%失う。好き勝手に働けばクビになるだけ、というわけです。

奴隷と違って、労働者と資本家の関係は、労働契約を結ぶまでは基本的に自由平等です。
だから好きな会社と契約を結ぶことができるわけですが、契約を結ぶと、その瞬間から労働者は資本家の指示・命令のもとで働かなければなりません。
どのように働くかを決めるのも、その労働が生み出す価値を手にするのも資本家。
労働の現場には、自由で平等な関係は存在しないのです。

そのことがわかっていても、あらゆるものが商品化された社会では、生きるために必要なものを買うよう迫られ、労働者は自らの自由を「自発的に」手放さないといけない。
そこに実質的な選択肢はありません。
だから、マルクスは現代の労働者の置かれた状況を奴隷制に喩(たと)えたのです。

■『NHK100分de名著 カール・マルクス 資本論』より
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2021年12月22日

1億円の「手切金」で公文書改ざん問題を幕引きする隠蔽国家

1億円の「手切金」で公文書改ざん問題を幕引きする隠蔽国家
2021年12月21日 SPA!
―[鈴木涼美の連載コラム「8cmヒールで踏みつけたい」]―

 森友学園への国有地払い下げ問題で、決裁文書改ざんを苦に自殺した財務省近畿財務局の元職員・赤木俊夫さんの妻雅子さんが国と同省理財局長だった佐川宣寿元国税庁長官に損害賠償を求めていたが、国は自殺に対する損害賠償責任を認めた。

 鈴木俊一財務相は同省で記者会見し「精神面、肉体面で過剰な負荷が継続し、自死に至ったことについて国の責任は明らかとの結論に至った」と説明したが、賠償金に1億円超の税金が使われることにも批判が集まっている。

◆惰性のディストピア 
 諫山創の漫画『進撃の巨人』の設定で最も重要で最も恐ろしいのは、壁の中に住むエルディア人たちが、過去の王による記憶の改ざんを経て、壁外の人類は滅亡したと思い込んでいるところだ。
 歴史の書き換えや上層部によるプロパガンダこそが人の争いの震源であるという思想はその後も作品を貫いており、教えられた歴史を信じ込む子どもたちがどのように成長するかについても、最大限の皮肉をもって表現される。

 賢者は歴史に学ぶと教わったところで、その歴史自体が権力者によって好き放題いじられ、嘘だらけのものになっているのであれば、賢者もビスマルクもお手上げだ。

「森友」改ざんを苦に自殺した財務省近畿財務局元職員の妻が国と同省の元理財局長に対して損害賠償を求めている裁判で、国側が一転、賠償金1億1000万円を全額支払う意向を示した。
 これによって少なくとも国を相手どった裁判は終わってしまうことになり、法廷での証拠開示や当事者の証言など、妻の求めてきた真相解明は極めて困難となる。
 国は今回の判断を「いたずらに訴訟を長引かせるのは適切ではない」などと説明しているが、翻訳すれば、自殺の賠償責任を認めるから、これ以上改ざんについては突っ込まないでほしいということだろう。

 時を同じくして、国土交通省が建設業の受注実態を表す国の基幹統計を無断で書き換えていたことがわかった。
国の指示を受けた都道府県の職員らが書き換え、受注状況が水増しされていたことになる。
 この統計はGDP算出にも参照されるものである。
3年前には、厚生労働省所管の毎月勤労統計をめぐる不正問題が発覚し、強調されていた賃金上昇が架空のものであったことに多くの市民が腰を抜かした。

 財務省、国交省、厚労省など我が国の碩学らしき人々が働いておられる霞が関では、マリオのコスプレとチンケなマスクの配布が得意な元首相の号令のもと、壁の内側の愚民たちの歴史を改ざんすることが常識だったのだろうか。
 自殺した元職員は生前、同じマンションの住民らに「私の雇用主は日本国民なんですよ」と公務員の矜持を誇らしげに語っていたという。

 現場の職員が当たり前に持っていたその感覚は中枢にいけばいくほど薄まり、「雇用主」たる市民たちは消しゴムとペン先一つで欺かれ続けた。
 恐ろしいのはそのような情報のカケラを得てなお市民は目と耳を塞いで政権政党に支持の票を入れ続けていたことで、これは巨人の力で記憶を改ざんされ、壁の外の情報を得る手段一切を奪われていたエルディア人たちよりよほどタチが悪い。
 エルディア人たちは権力中枢の妨害に追い詰められながら、わずかな手がかりを頼りに自分らの歴史を取り戻そうと戦ったが、それでも多くの命と細やかな幸せが失われた。

 今のところ、戦いを放棄している市民たちが失うのは何だろうか。
※週刊SPA!12月21日発売号より ―

[鈴木涼美の連載コラム「8cmヒールで踏みつけたい」]―
【鈴木涼美】 ’83年、東京都生まれ。
慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。
専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。
恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。
著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。
最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中
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2021年12月25日

教諭の9割「教頭なりたくない」 アンケートで目立った理由とは

教諭の9割「教頭なりたくない」 アンケートで目立った理由とは
2019/7/12  神戸新聞

 兵庫県豊岡市がこのほど、市内の小中学校の教諭にキャリアを尋ねるアンケートを初めて実施したところ、9割が教頭などの管理職に「なりたくない」と回答した。
敬遠する理由には長時間労働が大きく影響しているとみられ、育児や介護との両立への不安が目立った。(石川 翠)

 アンケートは「学校教員のキャリアと生活に関する調査」。
ウェブ上で回答する形式で、5月下旬、小学校29校、中学校9校の計全38校に依頼し、教諭278人(52・2%)から回答を得た。
 「将来、管理職になりたいと思うか」との問いに「あまりなりたくない」「絶対になりたくない」と回答したのは239人(86%)。
理由を尋ねる項目(複数回答)では、現場の魅力を理由にした「担任を持って子どもと接していたい」(119人)も多かったが、「労働時間が長い」(89人)や「労働時間が増えると自分の家庭の育児や介護等との両立が難しい」(93人)なども目立った。

 市は、長時間労働による敬遠を理由とする点を問題視する。
市によると、昨年の超過勤務時間の1カ月平均は、教諭が46時間23分だった一方、教頭は67時間32分だった。
 市は今後、男女差や要因などを詳細に分析する方針。

現在の対応策としては、教頭が担当する「学校日誌」を含む出欠や成績といった情報を一括管理できる「校務支援システム」の導入などで業務の効率化を図っている。
 6月には経済協力開発機構(OECD)が、日本の小中学校の教員の勤務時間が加盟国・地域などの中で最も長いとする調査結果を発表したことで、改めて教員の長時間労働の問題が注目され、国も改善を急いでいる。
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2021年12月27日

日本人の体を壊す「隠れ糖質」とりすぎの深刻盲点

日本人の体を壊す「隠れ糖質」とりすぎの深刻盲点 「添加物の魔力」で…あなたと家族は大丈夫?
2021/12/26 東洋経済オンライン
安部 司 :
『食品の裏側』著者、一般社団法人 加工食品診断士協会 代表理事

食品添加物の現状や食生活の危機を訴え、新聞、雑誌、テレビにも取り上げられるなど大きな反響を呼んだ『食品の裏側』を2005年に上梓した安部司氏。
70万部を突破する大ベストセラーとなり、中国、台湾、韓国でも翻訳出版され、いまもなおロングセラーになっている。
その安部氏が、『食品の裏側』を発売後、全国の読者から受けた「何を食べればいいのか?」という質問に対する答えとして、この度『世界一美味しい「プロの手抜き和食」安部ごはん ベスト102レシピ』を上梓した。
15年のあいだに書きためた膨大なレシピノートの中から、たった5つの「魔法の調味料」さえ作れば、簡単に時短に作れるレシピを厳選した1冊だ。
同書は発売後、たちまち6刷5万部のベストセラーとなり、各メディアで取り上げられるなど、話題となっている。

「『ABEMA Prime』チャンネルAbema /news」(9月8日放送)にも出演した安部氏が「日本人の体を壊す『隠れ糖質』とりすぎの深刻盲点」について語る。

「肥満」と「糖質とりすぎ」の問題
コロナ禍でクローズアップされた「コロナ太り」。
リモートワークや自粛生活で体重が増えてしまったという人は少なくないのではないでしょうか。
アキタフーズが20〜60代の男女500人を対象に実施した「コロナ禍の健康意識に関する実態調査」によれば、コロナで体重が増えてしまった人の割合は30%以上。
しかも「増加した」と答えた人は平均で5.6キロ増だったそうです。

肥満は、いまや日本人にとっても大きな問題です。
肥満が大きな原因となって引き起こされる「糖尿病」が強く疑われる患者は、推計1000万人にも上るといわれます。
年々増え続け、いまや「国民病」と言われるほどです。
最近では、子どもの糖尿病(U型)や低血糖症が増えていて、こちらも問題視されているそうです。

私は食品開発に長く携わった経験から、日本人の「糖質のとりすぎ問題」について長年、警鐘を鳴らしてきました。
しかし、この問題はなかなか改善しません。
子どもたちを糖尿病から守るためにも、みなさん自身の健康のためにも、ぜひここで「糖質とりすぎ問題」を考えてみてほしいのです。

ちなみに「炭水化物」「糖質」「糖類」にはそれぞれ違いがあります。
「炭水化物」は、体内でエネルギー源となる「糖質」と、ほとんど消化吸収されない「繊維質(食物繊維)」に分けられます。
「炭水化物=糖質+繊維質(食物繊維)」ということです。

さらに「糖質」は、砂糖などの「糖類(単糖類、二糖類)」と、「でんぷん(多糖類)」に分かれます。
「糖質=糖類(砂糖など)+多糖類(でんぷん)」と考えるとわかりやすいと思います。

私たちがよく口にする「糖分」とは「糖類」のことです。
料理に使う(関する)主な炭水化物の分類(著者作成) 10年ちょっと前ぐらいから、「糖質制限」という言葉を非常によく聞くようになりました。
  いわく、日本人はご飯やパン、麺類など「糖質のとりすぎ」であり、これを大幅にカットすることで、肥満解消・ダイエットができ、さらに糖尿病をはじめ、さまざまな生活習慣病を予防することができるというものです。
糖質を減らすこと自体は素晴らしい食事法だと思いますが、添加物を知り尽くす私が、自分の立場から訴えたいのは、「糖質制限をしているつもりでも、意外なところに盲点がある」ということです。

それは、私たちは知らない間に「糖質」をとってしまっている可能性があるのです。
「隠れ糖尿病」「隠れ高血圧」などという言葉がありますが、まさに「隠れ糖質」。
それと気づかずに糖質をとってしまっているのです。

「50グラムの糖類」をいっぺんに飲み干す子どもたち
その最たるものが「清涼飲料水」です。
もちろん商品にもよりますが、たとえば500ミリリットルの清涼飲料水には「50〜60グラムの糖類」が含まれるものもあります。
砂糖に換算するとコップ半分ほど、スティックシュガーで数えたら17〜20本分にもなります。
ジュースばかりではありません。
子どもがよく飲む「スポーツドリンク」にも、かなりの糖類が入っているものが少なくありません。
500ミリリットルのペットボトルには20〜30グラムほど、スティックシュガーでは7〜10本ほどの糖類が含まれているものもあります。
スポーツをやっている男の子などは、この2リットルサイズのボトルをごくごく飲み干してしまいます。
2リットルを全部飲んだら、摂取する糖類は100グラムにも及んでしまいます。
いくら運動でカロリー消費するからとはいえ、ちょっと恐ろしいほどの量です。

WHO(世界保健機関)は1日の「糖類」の摂取量の目安について、「1日にとる総エネルギー量の10%、できれば5%未満に抑えることが望ましい」というガイドラインを出しています。
1日の摂取カロリーを2000キロカロリーとして計算すると、10%の場合、砂糖に換算して50グラム、5%では砂糖25グラムとなります。
500ミリリットルの「ジュース」を1本飲んだら、それだけで「1日の摂取の目安」をオーバーしてしまうことも少なくないのです。
ましてや2リットル入りの「スポーツドリンク」を飲み干す子どもは、2日分の糖類をいっぺんに飲んでしまっている計算になります。
つまり、お米などの主食を控え「糖質」を減らしているつもりでも、「糖質=糖類(砂糖など)+多糖類(でんぷん)」なので、清涼飲料水やスポーツドリンクなどを常飲して「糖類」を大量に摂取していると、結果として、そうとうな「糖質のとりすぎ」になってし。私。

私の拙著『食品の裏側2』でも述べたことですが、私たちの体は「塩分」「油分」「糖分(糖類)」のとりすぎに対して、もともと「防衛本能」を持っています。
しかし添加物は、この「防衛本能」をたやすく崩してしまう魔力をもっているのです。

「50グラムの砂糖水」をごくごく飲める理由
『日本人の舌を壊す「黄金トリオ」の超ヤバい正体』でも述べたように、添加物の力を借りれば、大量の「塩分」「油分」が入った食品が「おいしい!」と思えるものに変わってしまう。
この「添加物のマジック」が「糖分(糖類)」に対しても言えるのです。
試しに、50グラムの砂糖を500ミリリットルの水に溶かして飲んでみてください。甘すぎて飲めたものではありません。
「こんなに砂糖をとったら体によくないぞ」という危機感がもたげます。
私はよく講演のときに、この「砂糖水」をその場でつくって試飲してもらうのですが、みなさん「こんなの甘すぎて飲めない」「体に悪そう」と顔をしかめます。
ところが、この砂糖水に「クエン酸などの酸味料」を入れ、「香料」で香りをつけ、「着色料」で色をつけると、あら不思議、「おいしいジュース」に早変わりです。
再び試飲してもらうと、「あっ、おいしい!」「いつも飲んでいるジュースの味だ」などという声が上がります。
これが「添加物の魔力」なのです。

こういう「隠れ糖類」が多く入っているのはジュースやスポーツドリンクばかりではありません
注意すべき「隠れ糖類」は、ほかにもあります。
たとえば、もちろん商品によっても違いますが、「乳酸菌飲料」や「缶コーヒー」、あるいは「栄養ドリンク」などにも、かなりの糖類が入っているものも少なくありません。

「今日は疲れたから栄養ドリンクを飲んでおこう」「缶コーヒーで眠気を覚まそう」と、何気なく飲んでしまうその1本が「糖類のとりすぎ」をもたらしてしまう可能性があるのです。
コロナ禍のリモートワークでついつい、こうした清涼飲料水を飲む機会が増えたという人もいるのではないでしょうか。
このように、かなりの糖類が入っているのに、清涼飲料水には「糖類」(あるいは「糖質」)という表示がありません。
書いてあるのは「炭水化物」です。
先に述べたように「炭水化物=糖質+食物繊維」です。

野菜ジュースや一部の機能性飲料などを除けば、一般的な清涼飲料水にはほとんど「食物繊維」は含まれません。
また「でんぷん」も含まれないので、この場合「炭水化物=糖類」と考えて差し支えないと思います。
しかも表示されているのは「100ミリリットル当たり」の栄養成分です。
たとえばある清涼飲料水の表示は「炭水化物15グラム、脂質0グラム、食塩相当量0グラム、エネルギー60キロカロリー」となっています。
これは100ミリリットルの量ですから、500ミリリットルのボトル1本に含まれている量を出すなら、これに5を掛けて計算しなければなりません。
この飲料の場合は、炭水化物(糖類)は1本(500ミリリットル)で75グラムとなります。 もちろん違反ではありませんし、野菜ジュースなどはメーカーが自主的に「炭水化物」と一括で書くのではなく、「糖質」と「食物繊維」を分け、さらに「糖質」の中に「糖類」まで明記している商品もあります。
今後は、こういう「消費者にわかりやすい栄養成分表示」が増えてほしいと思います。

消費者にとっては「100ミリ当たり」ではなく「1本当たりの成分」「炭水化物ではなく糖類の量」のほうがわかりやすいのはいうまでもありません。

「おいしいご飯」のためにも「糖質オーバー」を避ける
私はもちろんこうした飲料を飲むことを頭から否定しているわけではありません。
食品や飲料は、単純に栄養を取り込むだけのものではありません。
「のどが渇いたときにごくごく飲むおいしさ」「パーティなどでみんなで飲む楽しさ」もあるでしょうし、疲れをいやしてくれたり、眠気を飛ばしてやる気を起こしてくれたりと、メリットもたくさんあると思います。
それに、「糖質=悪者」では当然ありません、あくまで問題は「糖質のとりすぎ」です。

ただ、繰り返しになりますが、私が問題視しているのは、いくらお米などの主食を減らして「糖質」を制限しているつもりでも、「添加物のマジック」でぐいぐい飲めてしまう「普通だと飲めないような甘すぎる液体」を常飲することで、知らず知らずのうちに「糖質のとりすぎ」になっていることも少なくない、ということです。

私が常々言っていることですが、添加物には「毒性よりも怖いもの」があります。
その1つが、「添加物の魔力」によって、普通だととれないほどの「糖分(糖類)」や「塩分」「油分」を、大量にいっきに摂取してしまうことなのです。
もし、こうした清涼飲料水を飲むならば、「1日の糖質摂取量」を気にかけていただきたいと思います。
「糖質のとりすぎ」は食事にも影響します。

飲み物や間食で糖質をとってしまい、さらに食事でご飯やパン、麺類をとったのでは、完全な糖質オーバーとなってしまうのです。
『安部ごはん』では和食のレシピを102品掲載していますが、和食はご飯と汁もの、そしておかずという組み合わせが基本です。
やっぱりご飯を主食とする和食は、私たちの「ソウルフード」。
お米のご飯なしの食事が続くと「どうも物足りない」という人はきっと多いはずです。私ももちろんその1人です。

お米を極端に減らし続ける「糖質制限」は、なかなか続かず挫折する、あるいはすぐにリバウンドしてしまう、という人も少なくないようです。
だから私は、お米は適度にとりつつ、清涼飲料水などによる「糖類のとりすぎ」に気をつけたほうが、よほどうまく「糖質をトータルで減らすことができる」と思うのです。
ご飯をおいしくいただくためにも「隠れ糖質」にはぜひ注意していただきたい――「和食の素晴らしさ」を実感し、それを伝える人間として、私は強くそう思います。
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2021年12月28日

イノベーションが労働者の「支配」を強化する

イノベーションが労働者の「支配」を強化する
2021年12月26日   NHKテキストビュー

資本主義のもとで、資本家は生産力を上げることに腐心します。
その目的は、商品をより安く生産し、市場で勝ち残ること。
商品が安くなれば労働者の賃金も下がります。
1日に生産される価値の合計は変わらないのに、労働力の価値が下がることで、資本家の儲けが増える。
マルクスはこれを「相対的剰余価値」と呼びました。
しかし、生産力を上げる技術革新、つまりイノベーションに資本家が求めたものは、「価値」の増殖ばかりではありませんでした。

経済思想家、大阪市立大学准教授の斎藤幸平(さいとう・こうへい)さんが、生産力の増大についてマルクスが最も問題視していたという点を解説します。
  *   *   *
彼らの、もう一つの狙い──それは労働者に対する「支配」の強化。
これこそが、資本主義がもたらす生産力の増大について、マルクスが最も問題視していた点なのです。
商品をできるだけ安く作るべく、資本家は労働者を“効率的”に働かせようとします。
その際、効率性は、労働者にとっての“快適さ”を意味しないということが重要です。

資本主義のもとで求められたのは、労働者を重労働や複雑な仕事から解放する新技術ではなく、彼らがサボらず、文句も言わずに、指示通り働いてくれるようにするためのイノベーション、つまり、労働者を効率的に支配し、管理するための技術なのです。
そんな「働かせ方改革」が実施されていくのです。

実際、生産力が上がれば上がるほど、労働者はラクになるどころか、資本に「包摂」されて自律性を失い資本の奴隷になると、マルクスは指摘しています。
一体なぜ、生産力の向上が資本による支配の強化につながるのか。ここで思い出していただきたいのが、過去に紹介した「物質代謝」の話です。
そこでは、人間が「意識的かつ合目的的な」労働を介して自然との物質代謝を営んでいる、という話をしました。
この意識的かつ合目的的な労働のプロセスは、大きく二つに分けることができます。

それは「構想」と「実行」です(「構想」と「実行」という整理は、マルクス本人ではなく、ハリー・ブレイヴァマンという優れたマルクス研究者が『労働と独占資本』という本で用いたものです)。
例えば、「温かいものが食べたい」「そのために煮炊きするための道具が必要だ」と考えたとしましょう。
すると人間は、どんな素材で、どのような形の物を作ればいいか、耐熱性や耐久性を持たせるにはどうしたらよいかと、あれこれ知恵を絞る。 これが「構想」です

その結果、土鍋のようなものを作ればいいとなったとしましょう。
この構想をもとに、次は、実際に手を動かして土鍋を作ります。
丈夫な土鍋を作るために、いい土を掘り出し、水を加えてこね、成形して焼成する。
こうした一連の労働を通じて構想を実現する過程が「実行」です。

人間が頭で考える構想の作業を、マルクスは「精神的労働」と呼んでいます。
実行は、自身の身体を使った「肉体的労働」です。
本来、人間の労働は、構想と実行、精神的労働と肉体的労働が統一されたものでした。

ところが、資本主義のもとで生産力が高まると、その過程で構想と実行が、あるいは精神的労働と肉体的労働が分断される、とマルクスはいいます。
「構想」は特定の資本家や、資本家に雇われた現場監督が独占し、労働者は「実行」のみを担うようになるというわけです。

構想と実行が統一されていた労働として、イメージしやすいのは土鍋作りなどの職人仕事でしょう。
職人は、長年の修練によって身につけた技術や知識、そこで培われた洞察力や判断力を総動員して、自分が作ろうと思った(=構想した)物を、自分の手で作り出す(=実行する)ことができます。
その際、熟練の土鍋職人なら、炎の色や揺らぎ具合を見ただけで窯(かま)の温度がわかり、その日の気温や湿度、土の状態から、最適な焼成温度や焼成時間を判断できる。
こうしたノウハウは明文化されておらず、お金で買えるものでもありません。
資本主義の勃興期には、まだこうした職人や熟練工が大勢いて、欧米ではギルドやツンフトと呼ばれる同職組合を作っていました。
ギルドには、様々な掟(おきて)があります。何年修業しなければ親方になれないとか、組合員が独立して工房を構える場合の弟子は最大何人までとか。さらに、利益の割合も決められ、広告も禁止されていました。
規則を破った者には、厳しい罰が待っていました。
現代人の目から見れば、非常に窮屈に映りますが、それは、職人が頑固で偏狭だからではなく、生産の目的が利益を上げることではなく、みなの生活を保証するために、一定の秩序を維持することだったからです。
彼らは、自分たちの「構想」力と「実行」力を自主管理することで、無用な競争を防ぎ、自分たちの仕事と労働環境を守っていたのです。

しかし、こうした状況が、資本家にとっては不利・不都合なのは、すぐにわかるでしょう。
土鍋を三日で100個焼いてくれと命令しても、「無理だ、一週間はかかる」とはねつけられたり、「模様は入れなくていいから、安く作ってくれ」といっても、「俺には俺のやり方がある」と応じてもらえなかったりする。
彼らの機嫌を損ねたら生産してもらえないので、資本家は引き下がるしかありません。
これは、構想と実行が統一された労働者の技能や洞察に、資本が依存している状態です。

先述の通り、資本家は、短時間で、できるだけたくさん生産して剰余価値を増やしたい。
そのために、労働者もどんどん増やしたい。
競争は差し迫っているので、何年も修業しなければ働き手になれないようでは困ります。
だから、資本主義はギルドを解体していくのですが、その際に、重要だったのが、労働者の「構想」と「実行」の分離なのです。
つまり、資本にとって都合がいいように、労働の技術的条件そのものをどんどん再編することで、剰余価値生産に最適な生産様式を自らの手で確立していったのです。

■『NHK100分de名著 カール・マルクス 資本論』より
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2021年12月29日

「追加接種」ファイザーとモデルナどちらが正解?

「追加接種」ファイザーとモデルナどちらが正解?
各社が開発急ぐ「オミクロンワクチン」の是非
2021/12/28 東洋経済オンライン
久住 英二 : ナビタスクリニック内科医師

南アフリカ共和国から広がった「オミクロン株」が、新型コロナウイルス変異株の勢力地図を塗り替えようとしている。
日本国内でも市中感染が報告され始めた。
一番の気がかりは、ワクチンの効果の低下や、接種を完了していても防ぎきれない「ブレイクスルー感染」だ。

同じワクチンの「追加接種」に意味はある?
現時点での最善策は「追加接種」――というのが世界の共通認識だ。
イスラエルは世界に先駆け、4カ月間隔で4回目接種の実施を発表した(12月22日AFP通信)。
「同じようなワクチンを繰り返し打つだけで意味があるの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし最新研究を見る限り、ファイザー製もモデルナ製も、3回接種を受ければオミクロン株にもギリギリ対抗できそうだ。

ファイザーについては12月14日、イスラエルの共同研究の成果が示された(査読前論文「medRxiv」)。
ファイザー2回目接種から5〜6カ月経った人の血液では、オミクロン株に対する十分な「中和抗体価」(無力化し予防する能力)は確認できなかった。
それが3回目接種で100倍に回復。デルタ株への効果に比べれば4分の1にとどまるが、それでも十分との見方だ。

モデルナ製についても12月15日、研究結果が公表された(査読前論文「medRxiv」)。
やはり2回接種者の血液では、オミクロン株の中和能力は従来株と比べて1/84〜1/49と、大幅に減少した。
3回目接種後はワクチン半量だったが、従来株比1/6.5〜1/4.2で踏ん張り、減少スピードも緩やかで、十分と判断された。 つまりモデルナの3回目接種では、ワクチンの量が半分で済む。
同社ワクチンは「モデルナアーム」(2週間後に接種部位に現れる局所的な炎症。
T細胞の反応とされる)が起きやすいことも指摘されてきた。
半量だとこうした副反応もマイルドになると期待できる。

問題は、追加接種の時期と、ファイザー製 or モデルナ製の選択だ。
国内ではすでに両方のmRNAワクチンが追加接種の薬事承認を受けている。
その時期について厚生労働省は当初から、「原則2回目接種から8カ月後以降」としてきた。
だが、この「8カ月」という数字は科学に基づくものではない。

「8カ月後以降」は科学を無視した大号令
ワクチン2回接種で得た新型コロナへの抗体の効力は、オミクロン株でなくても半年で大幅に減ることが世界中から報告されている。
アメリカのブラウン大学他の研究チームの報告では、ファイザーワクチン接種完了の半年後、抗体価は80%以上減少していた。
国内でも同様の報告が続々上がってきている。

当然、国内でもファイザー製とモデルナ製ともに、追加接種は2回目接種の日から「6カ月」以降として薬事承認されている。 実際の運用はどうか。
世界的には最新の研究結果等を踏まえ、6カ月すら待たないところも多い。オミクロン株の急拡大を受けた迅速な判断だ。

EU医薬品庁(EMA)は加盟国に対し、接種完了から6カ月以降の追加接種を推奨してきた。
12月7日には最新データに基づき、「最初の接種完了から、早ければ3カ月後に実施することは安全で効果的」と説明した。 オミクロン株の出足が早かった英国も、ジョンソン首相が同12日、2回目接種から「3カ月」以上を経た18歳以上の国民全員を対象に、追加接種の年内前倒しを表明している(12月13日「BBC」)。

対してわが国では、一時は11月早々に「6カ月」の例外を設ける方針も示されたものの、あっさり厚労省通知によって骨抜きにされた。
例外の対象を、クラスターが発生した医療機関に限定し、事前に厚労省に相談を求めたのだ(11月17日厚生労働省自治体向け説明会資料「新型コロナウイルスワクチンの接種体制確保について」)。
すったもんだの末、岸田首相は12月17日、医療従事者や高齢者施設の職員・重症化リスクの高い利用者の合計3100万人分に限り、接種間隔を「6カ月」以降とする前倒しを表明した。
それ以外の高齢者も来年2月以降、2回目から「7カ月」経った人から順次接種を受けられるようにするという。

自治体は振り回されっぱなしだ。
国内のドタバタ劇はひとえに、ワクチン供給・配送が追いついていないことによる。
上記3100万回というのは、今あるファイザー製・モデルナ製を合わせた在庫分と見られる(ちなみに岸田首相は「6カ月」表明の前日、同社CEOに電話で直談判し、供給の前倒しを依頼したようだ。だが、確約が取れたという話は聞かない)。

ファイザー・モデルナともに在庫が限られている中での見切り発車なら、両ワクチンをちゃんぽんに打つ「交互接種」の必要が出てくる。
例えば、これまで自治体を通じた個別接種はファイザー製だったが、3回目ではモデルナ製も使用されることになる。
職域接種や集団接種でモデルナ製を打った人が、3回目はファイザー製ということもありえる。
1・2回目の交互接種については、すでに9月17日の第24回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会で了承されている。
追加接種での交互接種も、11月15日開催の同分科会で認められ、厚労省がリーフレットまで準備して盛んに推し始めた。
同省がその根拠としているのが、10月に公開されたアメリカの共同研究(査読前論文「medRxiv」)だ。
それによると、組み合わせによって、3回目接種から15日後の中和抗体量(平均)の増加が、以下のとおり違ってくる。

●1・2回目ファイザー + ファイザー追加 → 20倍
●1・2回目ファイザー + モデルナ追加 → 31.7倍
●1・2回目モデルナ + モデルナ追加 → 10.2倍
●1・2回目モデルナ + ファイザー追加 → 11.5倍

興味深いことに、追加接種では1・2回目とは違うワクチンを選んだほうが、同じ種類を選ぶよりも免疫の強化につながりうる結果となった。
交互接種を後押しするようにもみえるが、一方で、先にモデルナ製を接種した人たちがファイザー製を希望する理由ともなり、その不足を助長する可能性もある。

各メーカーが開発急ぐ「オミクロンワクチン」の是非
そもそも新型コロナワクチン2回接種を完了すれば、私たちは晴れて“自由の身”になれるはずだった。
日本国内ではファイザーもしくはモデルナのワクチン接種を2回完了した人が、約8割に到達しようとしている(12月22日時点)。
スマホでのワクチンパスポート「新型コロナワクチン接種証明アプリ」の運用も開始された。
そこへオミクロン株の登場である。番狂わせもいいところだが、仕方ない。
従来ワクチンの効果を揺るがす変異株の出現は、科学者たちが当初から予想していたことだ。

ワクチンメーカーは現在、オミクロン株に特化した「オミクロンワクチン」の開発を急いでいる。
ファイザー社は、来年3月にはオミクロン株対応ワクチンを供給できるとしている(12月9日「ウォールストリートジャーナル」より)。

モデルナ社も、今後数カ月のうちに大規模製造が可能という(11月30日「フィナンシャル・タイムズ」)。
WHOによると、従来ワクチンに限界をもたらしたのは、50個にも上る変異だ(11月30日「国連」)。
そのうち32個は、免疫システムがウイルスを察知し、見分ける目印ともなる「スパイクタンパク」上に生じている。
変異1つひとつは、いわば“プチ整形”にすぎないが、32カ所もあればウイルスの顔つきはすっかり変わる。
「免疫からの逃れやすさ」を促す変異も生じており(11月29日「COVID-19 South African Online Portal」)、過去の感染や従来のワクチンの情報に基づく “顔認証システム”は、容易にすり抜けられてしまう。

データベースにオミクロン株の情報を追加させよう、というのが「オミクロンワクチン」だ。
だが、オミクロンワクチンが本当に必要かどうか、科学者の間には疑問の声もある。
実用化される頃には、オミクロン波が収束している可能性もあるからだ。
世界3大学術誌の1つ『Science』では、オミクロンワクチンよりもむしろ、いかなる変異にも耐えうる「汎コロナウイルス感染症ワクチン」に注目している。
人類と新型コロナとの「いたちごっこ」に終止符を打つ切り札になるかもしれない。

すでに複数の汎コロナワクチンが、霊長類などの動物実験で良好な成績を上げ、臨床試験に入っている。
それでも新型コロナは「ただの風邪」? とはいえ今この瞬間、オミクロン株の勢いは猛烈だ。

12月22日、世界保健機関(WHO)のハンス・クルーゲ欧州地域事務局長は、オミクロン株は英国、デンマーク、ポルトガルですでに置き換わり、「向こう数週間で」欧州全体で主流になるとの予測を示した(12月23日「ロイター」)。
英国では新型コロナ新規感染者が1日あたり10万人を超えた。
オミクロン株の初報告から1カ月足らず、もちろん過去最悪の記録を更新中だ。

アメリカCDC(疾病対策センター)も、12月18日時点でオミクロン株の割合が感染者の73.2%に上ったことを公表。
その2週間前には0.7%、1週間前にはまだ12.3%だった。ワシントン州、ニューヨーク州、フロリダ州などでは、すでに9割超となっている。
だが一方で、新型コロナはこの数年で「風邪」レベルに落ち着く、という話も絶えない。

WHOは12月9日、南アの初期データに基づき、オミクロン株に「感染しても重症化しにくい傾向」が見られると指摘した。 「しだいに感染力は高く、毒性は低くなっていく」のは、“ウイルスあるある”だ。
変異はウイルスにとって有利・不利を問わずランダムに生じる。

ヒトを即死させるほどに強力な毒性を持つこともあるが、それは自滅と同義だ。
ウイルスは細菌などと違って自力では存在も増殖もできず、宿主(ヒト)の細胞に入り込み、その機能や材料を拝借して増えていくからだ。
むしろただの風邪のように、宿主を「生かさず殺さず」程度の毒性に変異したものが、駆逐もされないままゆるゆると生き延びていく。

オミクロン株では、科学的な裏付けもそろい始めた。
12月22日に査読前論文が公開された英国スコットランドの研究では、オミクロン株の入院リスクはデルタ株よりも3分の2低下していた。
11〜12月の新型コロナ入院患者を調べたもので、ワクチンの追加接種者では、2回目接種から25週以上経過した人よりも症状が抑えられていた。
同日公表されたインペリアル・カレッジ・ロンドンによる英国イングランドの研究でも、オミクロン株ではデルタ株に比べて入院リスクが40〜45%低。受診の割合も20〜25%低かった。

岸田政権の迅速な判断と行動力に期待
もちろん当面はまだ油断できない。
汎コロナワクチンも第V相までの臨床試験をクリアしなければならならず、ここ数カ月で実現するものではない。
最新の『Nature』によれば、重症化を防ぐ抗体医薬も、オミクロン株に対してはほとんどが無力だという。
抗体カクテル治療薬の中和効果は低く、もっとも優秀なGSK社のモノクローナル抗体薬「ソトロビマブ」でも、他の変異株と同等の中和効果を得るには3倍の濃度が必要だった。

重症に至らずとも、医学的な見地でいう新型コロナの「中等症」は、普通の感覚からすれば想像以上に苦しく厳しい。
呼吸困難に陥り、人工呼吸器を導入するギリギリ手前の段階だ。
合併症や後遺症も風邪の比ではない。

合併症は呼吸不全にとどまらず、発熱など全身に炎症症状が現れ、心臓から腎臓、肝臓などさまざまな臓器で次々発生することも多い。
軽症や無症状だった人でさえ、後遺症(いわゆるロング・コビッド)の生じるリスクもある(新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き)。

光が見えてきたとはいえ、新型コロナは現状まだ「全力で回避したい病気」に変わりない。
まずは「今できること、すべきこと」を直ちに実行していくことだ。
例えば、ワクチンの追加接種は、各自治体の裁量で前倒しして当然だ。
先に厚労相から「自由に前倒しを認めるものではない」といった発言もあったが、ナンセンスでしかない。
振り返れば、1・2回目接種だって実質的に「一律」でも何でもなかったのだ。
具体的な実施方法は自治体に丸投げされ、その力量差が進捗状況に顕著に表れた。

すでに各自治体の在庫や接種体制に差がついている中で、中途半端な「原則」の提示がかえって混乱を招いている。
他方、岸田政権が12月23日、オミクロン株の市中感染が確認された大阪・京都と、感染拡大の懸念される沖縄で、希望者全員への無料PCR検査を早々に決めたことはおおむね高評価だ。
新型コロナとの闘いでは、これまでになくスピーディーで柔軟な対応が求められる。
政府内で足並みをそろえるのも難しいに違いない。
それでも、新たなワクチンや治療薬の導入等はもちろん、海外との往来再開も、タイミングを逸すれば大きな社会・経済的ダメージにつながる。

世界の動向を注視しつつ、科学をベースに適宜判断していくしかない。
引き続き岸田政権の行動力に期待したい。
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2021年12月30日

怠け者になろうーー効率よく生きるパワーは怠け心にあり!

怠け者になろうーー効率よく生きるパワーは怠け心にあり!
そこそこ幸福に生きる40のコツ
2021.12.29 Diamondオンライン
バク@精神科医:精神科医

他人とうまくコミュニケーションできないことからくる孤独感や閉塞感、自己肯定感の欠如、SNSによる誹謗中傷やバッシングなど、私たちは、いま多くの生きづらさを感じさせる事柄に取り囲まれています。
そんな中にあって、毎日を心安らかに、できるだけ快適に生きていくためには、どうすればいいのでしょうか?
発達障害(ADHD)、うつ病など、生きづらさを抱えながらも精神科医として活躍するバク先生は、ツイッターでのつぶやきが共感・絶賛され、今、人気急上昇中。
そんなバク先生の初の著書『発達障害、うつサバイバーのバク@精神科医が明かす生きづらいがラクになる ゆるメンタル練習帳』(ダイヤモンド社)が発売されました。
同書の中には、生きづらさを解消するための実践的なヒントが詰め込まれています。
本連載では、同書の発刊を記念してそのエッセンスをお届けします。
心がスー ッと軽くなる珠玉のアドバイスにお付き合いください。

他人との比較で起こる感情の起伏は、突き詰めて考えると、結局は全て「悩むのがムダ」なこと。
他人とは関係なく、自分の問題に対して「自分にできること」で向かい合うのが、ラクに生きるための出発点。
結局、あなたの人生において一番大切なのは自分自身なんだと、まずそのことに気づいてほしい。

人間の持つ怠け心が、文化や技術を発達させてきた
 突然ですが、私はものすごい怠け者で、隙あらば手を抜きたいタイプです。
 非効率的なことで努力するのは無意味だと思うし、大嫌いです。
そして皆もそういう「非効率なことを徹底的に回避するため」にも怠け者であるべきだと考えています。

 怠け者ほど効率化を目指すパワーを秘めていることは、絶対に忘れてはなりません。
 しかし、精神科の外来には「自分がダメ人間だ」という理由に、「私は欲深いし、怠け者で、努力もしないし……」という考えをあげる人が多くいます。
 そもそも「怠けたい、ラクしたい、がんばりたくない、努力したくないけど、どうにかならんかな」という考えは、悪いダメな考えなのでしょうか?
 答えは「ノー」。
 むしろそういった怠け心が人類の文化や技術を発達させてきました。

アメリカ人は、効率的なことが大好き
 具体例をあげましょう。
私は全自動って大好きですが皆さんはお好きですか?
ボタン一つ押せば終わりって夢のような世界ですよね。
 ちなみに大概の「全自動」の発祥はアメリカです。
アメリカ人は効率的なことが私と同じで大好きなようで、とにかくイージーに物事を完了させるためなら、どんな努力も惜しみません。

 アメリカ人のこの特徴を知るのによい事例として、「洗濯」があげられます。
元々洗濯はとんでもない重労働でした。
昔は水道なんて完備されていませんでしたから、洗濯に適したキレイな水がある川辺などにわざわざ汚れた衣類を運んでいって、手でゴシゴシ足でフミフミ石に叩きつけたり…といった重労働だったのです。
 その後、洗濯板や樽を改造して洗濯物をグルグル回して洗う機械なども開発されましたが、もっとラクをしたい! という欲望から「電気式洗濯機」がアメリカで開発されます。
 時代としては1900年代初めの頃の話で、アルバ・ジョン・フィッシャーという名のアメリカ人が電気式洗濯機の初の特許を個人名で取得しています(その前にも電気式洗濯機の特許は取得されていますが、企業からの登録だったようで、一応このアルバ・ジョン・フィッシャーが電気式洗濯機の生みの親的立場のようです)。

 その後、アメリカでは重労働として位置づけられていた洗濯は、電気式洗濯機に移行していきますが、ヨーロッパにこの流れが行き届いたのは1930年以降です。
 このようなアメリカ人の「重労働から解放されるために工夫する!」という感覚は、文化的生活を発展させるために大変重要です。

ほどほどに欲を持って生きよう
 ちなみに2009年にカトリック教会の半公式新聞が「重労働から女性を解放する重要なマイルストーン(目標を達成するのにどこまで進んだかをわかりやすくする指標)であった」と洗濯機開発について述べています。
 2009年にやっと述べられたのかという感じもしますが、とにかく人の「怠けたい、ラクしたい」という気持ちが、文化水準を大きく上げるためには必要不可欠なのです。

 動物は基本的に欲がないと生きていけません。
食欲がなければ食べずに死んでしまいますし、睡眠欲がなければ過労死、全人類から性欲が消えたら人類は滅亡します。
 まず、「欲がある」ことがダメ人間じゃないこともハッキリとここで言っておきます。

 ダメなことは「欲深い」こと。
何でも過ぎたるは及ばざるが如し。やり過ぎはどんなにいいことでも全てを台なしにしてしまうので、何事もほどほどに。

 ちょっとだけ欲を出して生きていいんだなと、まずはご理解ください。

 POINT:  怠けたい、ラクしたい、がんばりたくない、努力したくないけど、どうにかなる方法を考えてみよう。
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2021年12月31日

今年もお世話になりました

今年もお世話になりました

今年の漢字は「金」。
どうも私には 縁がなかったです。
私は「苦」「病」「老」「孤」・・・
今日の「年末ジャンボ」抽選に期待するのみ。
結果がでるまでは「億万長者」で 何を買うか悩みましょかね・・。
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