2022年03月10日

“無能のポンコツ”だった元自衛官が限界集落で見つけた「僕にもできること」

“無能のポンコツ”だった元自衛官が限界集落で見つけた「僕にもできること」
2022年03月09日 SPA!

2010年代から急速に広がった地方移住ブーム。
コロナ禍でのリモートワーク普及も影響し、田舎暮らしに憧れを持つ人は少なくない。
株式会社NTTデータ経営研究所が昨年12月に発表した「地方移住とワーケーションに関する意識調査」では、都市圏居住者の3割弱が「地方移住に関心がある」と答えるほどだ。

 元自衛官の坂本治郎さんは、「日本社会からドロップアウト」して海外を放浪したのち、福岡県の限界集落へ根を下ろした。
現在は知人から無料で譲りうけた古民家を活用し、ゲストハウスを営んでいる。
 自衛隊、ひいては日本社会に馴染めなかった彼。なぜ一度は離れたはずの日本に戻り、田舎で生きていこうと決めたのか。

◆18歳で自衛隊に入るも「変わり者」のレッテルを貼られる
「僕は子供の頃から勉強ができない筋肉馬鹿でした。
世の中に馴染めない“社会不適合者”で、自衛隊にいた頃は“無能のポンコツ”という立ち位置だったんです」
 福岡県南部にある大刀洗町で生まれた坂本さん。4人兄弟の次男として育ち、高校卒業後すぐ自衛隊に入った。
自衛官時代を振り返り、彼はこう語る。
「自衛隊に入ったばかりの頃は、すごく向上心があったんですよ。
だけどその気持ちが空回りして、周りと上手くやれない部分が大きくて。努力をして組織の中で自分を高めていく人たちとは、何かが噛み合っていませんでした。
だから周囲に迎合できない変わり者として迫害されていたんです」

 子供の頃から空気を読んで行動することが苦手だった。
さらに彼を悩ませたのは、「真面目に話を聞いているのに、内容が頭に入ってこない」という自らの特性だ。
 それは成長しても変わらず、組織からは「やる気がない」と思われ叩かれる日々。
生きづらさを感じながらも、職務に励んだ。転機となったのは、沖縄への転属だ。

◆沖縄転属がきっかけで、人生初の海外旅行へ
「21歳の時、沖縄の部隊へ配属されました。
そこで沖縄の美しい自然やグローバルな環境に触れたんです。
休日に島を巡って旅人たちと出会うたびに、心をすごく刺激されて。自分もいろんな国に行ってみたいと思い、連休を使って23歳で初めて海外旅行をしました。
今思えば、大したことではありませんが……当時の自分には、大きなチャレンジでした」

 休暇を利用して訪れた台湾で、坂本さんは海外の魅力を知る。
目に映るすべてが新鮮で、「堅苦しいことから解き放たれた感覚がした」という。
 海外への憧れが高まり、帰国してからは海外移住をした人やバックパッカーのブログを読み漁った。
外国人の友人を作るために、SNSの活用も始めたそうだ。
「海外の人とつながるためにFacebookを使い始めてから、一気に世界が広がりましたね。
そこから沖縄のゲストハウスなどに趣味で泊まり歩くようになって。
国内外のバックパッカーたちと交流しているうちに、彼らの人生観に感化されていきました。
みんな経済的に豊かではないけど、楽しく自由に生きているんですよね。そういう生き方を自分もしたくなって、自衛隊を辞めて海外放浪しようと決めました」

 初めての海外旅行から1年経った2010年、坂本さんは一念発起して自衛隊を退職する。
家族や同僚、上官たちからは猛反対にあったという。

◆「絶対に日本には帰らない」強い決意で世界一周へ
「応援してくれる人も少なからずいましたが、ほとんどの人に反対されましたね。
『辞めてどうするんだ』と聞かれた時は、『風来坊になります!』と答えていました(笑)。
家族にも批判されましたが、僕は昔から聞き分けの無い子供だったので、反対したところでどうしようもないって思っていたのかも」

 周りへの反骨精神もあり、「今後の人生のため、旅の果てに何かやりたい事を見つけるまで、絶対に日本には帰らない」と心に誓った。
 その言葉通り、旅に出てから3年間は日本に戻らなかった。
訪れた国は20ヵ国。
各地の若いバックパッカーが集まるコミュニティに顔を出し、旅仲間のつながりを増やしていった。
この頃は海外移住を考えていたそうだ。

「もともと日本社会が嫌になって飛び出したので、『このまま好きな国を見つけて移住しちゃおう』って考えていたんですよ。
日本は恵まれた国だけど生きづらさがあって、高い能力を求められがちなストレス社会じゃないですか。
海外を巡るうちに、その気になれば移住できるっていうのも分かってきていたので。しっかり貯金を作って地道にやっていけば、無謀じゃないなって」

 いったん帰国してからも定期的に海外へ飛び出し、トータルで訪れた国は65ヵ国。
ワーキングホリデーを利用して渡航したニュージーランドとカナダでは、現地でさまざまな仕事に従事した。
 考え方が変化したのは、放浪を始めて5年目だ。

◆海外生活が「日常」になり、日本の田舎へ移住
「さすがに5年も旅をしていたら、飽きてしまったのが本音です。
最初は非日常を味わえても、続けていくうちに?日常”になっちゃうんですよね。
働いてお金を稼いで食べて……その繰り返し。
結局どこにいても生活は変わらないと気付いたんです。
どこで生きるかより、自分がどう生きるか、誰と生きるかのほうが大切だなって」

 長く続いた海外生活。
新しい刺激に出会う機会も少なくなり、「このままダラダラ続けるのも、もったいない」と感じるようになった。
新たなチャレンジを考えた時に浮かんだのが、故郷である日本だった。
「国は関係無いなって思った時に、『日本の田舎に住んでみたい』という気持ちがわいてきました。
自分は日本人だし、日本人としてのアイデンティティを持っている。
海外生活で視野が広がったからこそ、何かおもしろいことができるかもしれないなと」

 やってみないと、どうなるか分からない。そんな不確かな状態から、まずは住む場所を探し始めた。
リサーチを開始してすぐ、坂本さんに吉報が舞い込んでくる。
「八女(※福岡県八女市)にある祖父母の家が、長く空き家になっていると親族から聞いたんです。ラッキー! と思って、すぐに移住しました。そこに住み始めたのが2015年です」

◆ボランティアで旅行者を受け入れるように
 タイミング良く譲り受けた古民家。
坂本さんの移住後すぐ、日本中、世界中から人が訪れる家になったという。
「海外滞在時に友達になった人とか、その友達の友達とか、とにかくいろんな人が集まってくるようになって(笑)。
カウチサーフィン(※海外旅行などをする人が、他人の家に宿泊させてもらう制度)やウォームシャワー(※自転車旅行者を対象とした宿泊コミュニティ)といった、旅行者と家主のマッチングサイト経由でやってくる人も多くいました。
僕も海外放浪時はそういったサイトを使っていたので、宿泊代がそんなにかからなかったんですよ。
だから次は自分が『泊っていいよ』って側にまわったら、どんどん人がやってきて、縁が広がっていきました」

 泊りに来た旅行者の中には、お礼にお金や食材を置いていく人も多かった。
貰い物だけで生活が成り立つようになり、「ちょこっとだけアルバイトで稼いで、出費は月に3万だけ」というライフスタイルが出来上がる。
 坂本さんが考えていた、「お金を使わずとも楽しく豊かな生活」が実現したわけだ。
そして国内外さまざまな人を受け入れているうちに、彼はある事に気付く。
「僕が中心となって、地域の人と旅行者のコミュニケーションが生まれていって。
そうすると、多くの人から喜ばれるようになったんです。
地元民からすれば、集落外の人に出会える。旅行者にとっては、地元民と交流できる。これって、普通の旅行ではできないんですよね」

 その様子を見て、事業のチャンスを感じた坂本さん。
2016年から外国人旅行者を集め、「八女茶ツアー」などの企画を催し始めた。その活動に感銘したのが、地域の重鎮だ。

◆集落の人から、タダで古民家を貰う
「外から人を呼んで地域とつなげる活動を続けていくうちに、人々の間で良い化学変化が起こるようになりました。
その結果、八女茶ツアーを企画した時に協力してくれた人が、無料で古民家を譲ってくれたんです。
その人は集落の村長的な存在で。『アンタ、この家を貰いなさい』と(笑)」
 もともと住んでいた祖母の家より、さらに山間にある古民家。
長年空き家だったものの、取り壊すのはもったいないと、活用してくれる若者を探していたそうだ。
 その家を譲り受けた坂本さんは、ゲストハウス開業を決める。
バックパッカー時代に何百・何千と宿を巡った彼にとって、宿業はいちばん馴染みある仕事だったのだ。

「僕は本当に何もできないポンコツなんですけど……ゲストハウスに関しては、実際にいろいろ泊まり歩いてきて、自分の中での良い悪いが分かるんですよね。
どんな宿が良いかって、人それぞれだとは思いますが……僕にとっての良い宿は、オーナーやスタッフの人柄が温かいところだったんです。
それだったら僕にもできる。お客さんに対してナイスでいることなら、自信がありました」

 仲間たちと古民家のDIYを進め、2017年に「天空の茶屋敷」と名付けたゲストハウスを開業。
クチコミで世界中のバックパッカーが集う、賑やかな宿になった。
コロナ禍で外国人旅行者が減ってからは、県内のファミリー層の利用が増えているという。

◆次の目標は日本縦断
 2021年にはフィリピン人の女性と国際結婚も果たした坂本さん。
今は「半分宿主、半分農家」を謳いながら、妻と二人三脚で宿業とお茶農家を営んでいる。
 今年1月には「コロナ禍での挑戦」と称し自伝を出版。
当初はクラウドファンディングを使って自費出版の予定だった。
大手出版社に企画を持ち込むも、取り合ってもらえなかったからだ。
しかし地元・福岡の出版社からオファーがかかり、無事に商業出版へとこぎ着けた。

 夏には「日本縦断」を計画しているという。
「常に“楽しく生きたい”を掲げているので、次は歩いて日本を縦断しようと考えています。
僕はお茶農家でもあるので、リアカーでお茶を売り歩きながら、その売上を旅の資金にしようかなと。
今の自分にはいろんなことに挑戦できる余裕があるので、事業と家族、自分がやりたい遊びを上手く両立させていきたいです」
 変わり者の青年が掴んだ、楽しく豊かな人生。
社会に馴染めず居場所が無いと感じている若者にとって、その背中は勇気を与えてくれるだろう。
   <取材・文/倉本菜生>

【倉本菜生】
福岡県出身。フリーライター。龍谷大学大学院在籍中。
キャバ嬢・ホステスとして11年勤務。
コスプレやポールダンスなど、サブカル・アングラ文化にも精通。
Twitter:@0ElectricSheep0
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする