ロシアのウクライナ侵攻で浮上する「9条」議論の是非<法学者・小林節氏>
2022年04月01日 SPA!
ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めた。
21世紀の日本にいながらBBCやCNNを通して、1930年代のナチス・ヒトラーの蛮行を見ている気分になる。
◆9条は無意味か有益か?
このプーチン大統領の侵略戦争の報に接して、左右両派から日本国憲法9条に関するコメントが出て来た。
右派からは、「だから、9条を改正して、国防軍を保持して国防の意思をはっきり示すべきだ」等の意見が噴出した。
左派は、「日本は9条による平和外交の重要性を世界に唱道すべきだ」等の主張を繰り返している。
ただし、左派の方が一見して不利である。
1990年にイラクのフセイン大統領がクウェートを侵略した際に、右派から左派に対して、「クウェートに憲法9条があったら侵略されなかったと言うのか?」という皮肉が向けられたが、今回も同様なことが言われた。
それでも左派は、今回は、「平和の尊さ」を叫ぶ世界の世論に参加して各地の駅頭で声を上げ続けている。
右派も、あらゆる手段を駆使してロシア軍をウクライナから退かせるべきだと主張し続けている。
◆9条の理解が一定ではない
今の状況では9条改憲論に追い風が吹いて来そうである。
しかし、40年以上も憲法論議に参加して来て、私は、左右の論者がそれぞれに「自分流」に9条を解釈して言い争っており?かみ合っていないもどかしさを感じて来た。
そこでこの際、政府の公式の見解の意味を確認して、それが今の国際情勢に有効か否か? を検討することで、生産的な9条改憲論に寄与してみたい。
(1)1項は侵略戦争を禁止している
9条1項は「国際紛争を解決する手段としての戦争」を放棄している。
これは、1928年のパリ不戦条約以来の国際法の用語として「侵略戦争」の放棄を意味している。
だから、この段階では「自衛戦争」は放棄していない。
しかし、続く2項で一切の戦争を不能にしている。
(2)2項は戦力保持と交戦権を否認
「戦争」は、国家間の武力闘争で、国際法の管轄である。
そして、国際法上、合法な戦争とは、国家の交戦権の行使であり(つまり私戦〔犯罪〕ではなく)、正式な軍隊が遂行する闘争である。
だから、自国の憲法で「陸海空軍その他の戦力」つまりいかなる名称であれ軍隊の類の保持を禁じ、かつ、交戦権の保持も認めていない以上、わが国は、たとえ「自衛」のためと言えども戦争はできないことになっている。
(3)それでも自衛権はある
しかし、政府見解でも国際法上も、わが国には、(条文上の根拠が要らない自然権としての)自衛権はある。
しかし、自衛のためだとしても、国際法の「戦争」は2項で禁じられているので、わが国は海外へ撃って出ることはできない。そこで自国の領域と公海上だけで「専守防衛」に徹することを義務づけられている。
また、その担当機関は、軍隊であってはならないので、他国の軍隊ではあり得ない「警察比例の原則」が自衛隊法には明記されている。
つまり、警察は強盗などの違法暴力を制圧するための限度を超えた実力を行使したらその違法性が問われるが、諸国の法制および国際法上、「軍隊」の武力行使にそのような「比例原則」は課されていない。
だから、法律上、自衛隊は、軍隊ではなく、警察と海上保安庁の能力では対応できない場合に出動する、いわば軍隊の如き実力を持った「第二警察」である。
警察ならば行政権(憲法65条)の一環で合憲である。
◆ウクライナに例えれば
そこで、以上の様な特異な9条を今回のウクライナ情勢に例えてみれば、次の様になるであろう。
まず、わが国は、国是として他国に対して侵略・自衛にかかわらず軍を向けることはないと宣明している、他国にとって極めて安全な国である。
しかし同時に、わが軍が侵略の対象にされた場合には「専守防衛」に徹するとして、質の高い自衛隊を常設している。
だから、今必要な事は、噛み合わず時間も手間もかかる改憲論議に突入するよりも、国民の防衛意識を高めることと、わが国の経済力・技術力・人材に相応しく防衛力を高めることではなかろうか。
現に「話せば分かる」ではない軍事大国がわが国の周辺に複数も存在するのだから、急ぐべきである。
<初出:月刊日本4月号>
こばやしせつ●法学博士、弁護士。
都立新宿高を経て慶應義塾大学法学部卒。ハーバード大法科大学院の客員研究員などを経て慶大教授。現在は名誉教授。
著書に『 【決定版】白熱講義! 憲法改正 』(ワニ文庫)など