精神科医が分析「コロナで生じた同調圧力」の背景
「長いものには巻かれない」ための対応策も紹介
2022/06/04 東洋経済オンライン
和田秀樹 精神科医
2年以上におよぶ新型コロナとそれに伴う自粛生活が、私たちの心身に与えたダメージは大きく、その副作用は実はこれから出てくる――。
『マスクを外す日のために今から始める、ウィズコロナの健やかな生き方』を緊急出版した精神科医、和田秀樹さんはそう警鐘を鳴らします。
自由に暮らせないストレスや同調圧力、マスク依存から脱却し、自らの免疫力を高めながら健やかに暮らすのにはどうしたらいいのか。
これからも続くであろうウィズコロナ時代を、自分らしく生きるための心構えを解説します。
経済学に「マクロ経済学」と「ミクロ経済学」がありますが、同様に心理学にも「マクロ心理学」と「ミクロ(マイクロ)心理学」という言葉があります。
まだ新しい区分法であるため、その定義は論者によってさまざまですが、本稿では「マクロ心理学」は国民全体の心理状態、「ミクロ心理学」は個人レベルの心理状態をあつかう心理学という意味で使いたいと思います。
さて、マクロ心理学的にいうと、コロナ禍以後の日本社会では、「同調循環」とでも呼ぶべき心理現象が起きています。
政府やメディア、そして国民などの各セクターが影響し合って、「同調」現象を拡大・維持する状況です。
ここでは、政府や分科会(新型コロナウイルス感染症対策分科会)を「ふりだし」にして、考えてみましょう。
政府の方針にメディアの大勢が同調 まず、
政府や分科会が何らかの方針を打ち出すと、テレビをはじめとするメディアの大勢が同調します。
一応はマスコミですから、少しは嫌味をいって、批判する姿勢を見せはするものの、むしろToo Late(遅すぎる)、Too Little(少なすぎる)ことを問題とし、実質的には賛成します。
むろん、全面的な反対キャンペーンを張ったりはしません。
そして、国民は、大勢としては賛成のメディアの影響を受けて、政府方針を是とする「世論」を生み出します。
たとえば、飲食店に対する政府の自粛要請があれば、「深夜まで営業している店はけしからん」という意見が多数を占めるのです。
そして、世論がそちらの方向に傾けば、政府は選挙怖さに、その世論に同調した方針をさらに強化します。
分科会では、形式的な異論は上がっても、大勢としては、政府の意向に沿った見解を出して、専門的に政府の政策を補強します。
こうして、互いに同調し合う循環構造が生まれ、その回転音が響くなか、「異論」はノイズとしてかき消されていきます。
要するに、この循環構造のなかでは、互いに同調し合うだけで、誰も「自分の頭で考えていない」のです。
このような同調圧力に関する社会心理学の研究は、おおむね欧米で行われてきました。
ですから、日本人だけでなく、人類全体にこうした傾向はあるわけです。
ただし、欧米、とりわけアメリカは、「人と違う意見をいう」ことをよしとするお国柄です。
たとえば、日本語で「とくに意見はありません」というのは、ごく普通のフレーズですが、アメリカで「I have no opinion」といえば、「意見もいえないバカ」と見下されることでしょう。
そのぶんアメリカは、日本ほどには同調圧力が働かない国です。
一方、日本人は、同調圧力に屈する傾向がひときわ強い。
一般的に、「閉鎖的社会に、同質性の高い人々が暮らしている」ほど、同調圧力は強くなります。
その点、わが国は「島国」という地理的な閉鎖空間で1つの国を形成し、社会的活動は企業・学校単位という閉鎖社会内で行われることが多い国です。
しぜん、人間関係は固定化し、同質性が高まっていきます。
日本人は「集団規範へ同調する傾向」が強い
そもそも、国内で暮らす異民族の割合が少なく、宗教や価値観も同質性が高い国です。
コロナ下で私たちの社会が強力な同調圧力を生み出し続けているのも、その閉鎖性と同質性ゆえです。
そうして、私たち日本人は「集団規範へ同調する傾向」がひときわ強くなりました。
閉鎖的な社会で、個人が勝手な行動をとると、秩序が崩れ、みんなが迷惑します。
そこで、日本社会の至るところに、どう行動すればいいかというルールが用意されています。
それが「集団規範」です。
ただ、ここで問題なのは、集団規範には、合理的根拠があるものと、そうした根拠のないものがあることです。
たとえば、「因習」と呼ばれるような掟、しきたりには、現代の目から見れば、根拠のないものが大半を占めています。
しかし、たとえ不合理でも、人間には、集団規範から外れることへの恐れから、規範に従う傾向があります。
そこに合理的思考はなく、安心を得るため、自ら思考停止する道を選んで、不合理な規範に同調するのです。
新型コロナに関する自粛ルールも、私は根拠に乏しい点では、「因習」に近い規範だと思います。
それでも、この国の同調圧力の高さが、人々にそれを守らせているのです。
と、「同調圧力」をめぐって、さまざまに述べてきましたが、残念ながら、この国の同調圧力は今後も簡単には弱まらないでしょう。
この国の政治家には、欧米の政治家のように、大胆な政策変更を提案する力はありません。
そこで、私は、1人ひとりの個人が、少しずつでも「自分の生き方を取り戻す」気持ちになることが大事だと思います。
「したかったこと」をリストにしてみる
その手始めとして、コロナ禍がはじまる前に、「自分がしたかったこと」を思い出してみてはいかがでしょうか。
それをリストにしてみるのです。
「ピアノを習いに行きたかった」「親に孫の顔を見せたかった」「あちこちに写生に出かけたかった」。
──どんなことでも、かまいません。
そうして、今、できることから、1つずつトライしてみるのです。
そうして、人生を「自粛」のなかで、これ以上、空費するのはやめませんか。
人生は、おおむね、人の意見に従うと、不幸になります。
失敗したとき、自分のせいではなく、人のせいにするためです。
その負の感情が人を不幸にするのです。
良識を働かせながら、自らの判断で、自分のしたいことをする。
──そうして、同調圧力には100%は屈しない。
同調圧力という「長いもの」に巻かれながらも、巻き返す。
この時代、自分らしく生きるには、そんな覚悟が必要だと、私は思うのです。