2022年09月01日

陰謀論や疑似科学を信じ込んでしまう人の、典型的な特徴「トップ3」

陰謀論や疑似科学を信じ込んでしまう人の、典型的な特徴「トップ3」
2022年08月31日 ダイヤモンドオンライン

頭のいい人は、「遅く考える」。
遅く考える人は、自身の思考そのものに注意を払い、丁寧に思考を進めている。
間違える可能性を減らし、より良いアイデアを生む想像力や、創造性を発揮できるのだ。

この、意識的にゆっくり考えることを「遅考」(ちこう)と呼び、それを使いこなす方法を紹介する『遅考術――じっくりトコトン考え抜くための「10のレッスン」』が発刊された。
この本では、52の問題と対話形式で思考力を鍛えなおし、じっくり深く考えるための「考える型」が身につけられる。

「深くじっくり考えられない」
「いつまでも、同じことばかり考え続けてしまう」という悩みを解決するために生まれた本書。
この連載では、その内容の一部や、著者の植原亮氏の書き下ろし記事を紹介します。

■SNSにあふれる、怪しい言説
 陰謀論や疑似科学のような怪しい言説は、SNSの普及なども要因となって、広く流布している。
ほとんど毎日、何らかの形で目にしたり耳にしたりする、という人もいるかもしれない。

 陰謀論とは、ある重大な事件や出来事がなぜ起こったかについて、通説や公式見解とは異なる仕方で、背後に強力な人々の意図や計画を引き合いに出して説明するものである。
 ケネディ大統領暗殺や9.11同時多発テロに関して陰謀論が語られ続けていることはよく知られているし、今年7月に日本で起きた安倍元首相銃撃事件についても陰謀論が目につき始めている。

 疑似科学とは、本当は科学的な妥当性を欠いているにもかかわらず、科学を装って、あたかも科学的に正当な仮説や理論であるかのごとく見せかけた主張のことである。
 日本でいえば、血液型性格診断が古典的な疑似科学の例とされる。
アメリカでは、進化生物学に対抗して、生物の起源や進化に関して創造主や知的デザイナーの存在を主張する「創造論」や「インテリジェントデザイン論」などが疑似科学の筆頭である。

 とくに近年では、コロナ禍の影響もあって、世界的に反ワクチン論が勢いを増している。
ワクチンの有効性を否定する反ワクチン論には、しばしば疑似科学と陰謀論の両面が見られる。
 たとえば、すでに撤回されている医学論文が科学的な根拠として用いられたり、接種により人々にマイクロチップを埋め込もうという情報通信企業の陰謀が語られたりするのだ。

■陰謀論や疑似科学の信奉者の特徴、トップ3
 それでは、こうした陰謀論や疑似科学の信奉者には、どのような特徴が見出されるだろうか。ここでは典型的な特徴として、次の3つ挙げて説明したい。

(1)確証バイアスに陥っている
(2)懐疑的な思考をほとんど行わない
(3)妙な自信にあふれている

その1 確証バイアスに陥っている
 まず(1)に出てくる「確証バイアス」とは、自分いま信じていることや信じたいことについては、それが当てはまっているケースにばかりに目を向けて、それが正しくないことを示すケースは無視してしまう、という傾向のことをいう。
 仮説や理論の正しさを確かめることが「確証」だが、「バイアス」という名が示す通り、「うん、やっぱりこの説は正しいんだ」と、自分の信念を自分で強化する方向に突き進む、思考のバグのようなものだ。

 陰謀論や疑似科学の信奉者は、この確証バイアスに陥っていることが少なくなく、科学的な妥当性の点でもっと優れた理論や説明がほかに存在していても、端的に無視してしまいがちになる。
 9.11同時多発テロ事件では、世界貿易センタービルの崩壊は飛行機の衝突で十分に説明がつくのに、それには聞く耳をもたず、「政府があらかじめ爆弾を仕掛けていた」という陰謀論に固執するのだ。

■その2 懐疑的な思考をほとんど行わない
 次の(2)は、要するに「それって本当なのか?」「これまで信じてきたけれども、実は正しくなかったかもしれない」などと疑いを差し挟むことをあまりしない、ということである。
 懐疑的な思考には、自分の信念に不利になるかもしれない主張や仮説でも、いったんは考慮してみることが求められる。
しかし、陰謀論や疑似科学の信奉者は、そうした考慮のためのコストを惜しむのである。

 あるいは、確証バイアスに陥っているせいで、自分の信じていることにマッチしないものを端的に無視するので、懐疑的な思考を行う契機が失われてしまう。

■その3 妙な自信にあふれている
 最後の(3)は、これまでの話から、当然の特徴だと思われるかもしれない。
確証バイアスにより他の仮説や説明を無視し、自分の信念に対して懐疑的に考えてみることをしないのだから、本人達は自信をもって陰謀論や疑似科学を信じていられる。

 実際、並外れたことを信じているわりには、頼りない証拠で満足していることが多い。
 しかし、それに加えて、ここには「知的な優越感」も嗅ぎつけることができる。
「一般に信じられている政府の公式見解や、科学的に正しいとされる学説は、実はまちがっている。
そして、自分たちだけが本当に正しいことを知っているんだ」

――自分は他の多くの人々よりも知的に優れているという自己認識をもつのに、陰謀論や疑似科学はうってつけ、という面があるのだ。
そうした優越感が、妙な自信につながるわけである。

 以上、陰謀論や疑似科学の信奉者に見られる典型的な特徴を3つ取り上げて説明した。
これらを知っておくだけでも、陰謀論や疑似科学のような怪しい言説に出会ったときに戸惑いにくくなるし、「これは注意が必要な場面だ」と気づきやすくなるはずだ。
(本稿は、植原亮著『遅考術――じっくりトコトン考え抜くための10のレッスン』著者植原亮氏の書き下ろし記事です)

――― 『遅考術』には、情報を正しく認識し、答えを出すために必要な「ゆっくり考える」技術がつまっています。ぜひチェックしてみてください。
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2022年09月02日

小池栄子が生き残り続けるワケ。水着イメージを早々に払拭した演技力とキャラ

小池栄子が生き残り続けるワケ。水着イメージを早々に払拭した演技力とキャラ
2022年09月01日 SPA!

◆女優としての高評価は最近じゃない
 女優の小池栄子(41)が売れっ子なのは今さら言うまでもない。
現在はNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で政子を演じる一方、フジテレビの月9『競争の番人』で公正取引委員会の主査・桃園千代子に扮している。

小池は「仕事を趣味にして生きている」(8月21日、アフラックの記者会見)そうだから、満足な状態のはず。
目下の悩みは「もっとお芝居が上手になりたい」(同)とのことなので、正真正銘の仕事人間である。

 小池が女優として急成長したのは最近と見る向きもあるようだが、それは違う。
早くから女優として高く評価されていた。
27歳だった2008年には死刑囚(豊川悦司)と獄中結婚する主人公を演じた映画『接吻』で毎日映画コンクールなどの主演女優賞を受賞した。
 2016年には読売演劇大賞の最優秀女優賞を得ている。
舞台に立つ人間なら誰もが憧れる賞だ。
2002年には大竹しのぶ(65)、翌2003年には寺島しのぶ(49)が獲っており、受賞は演技巧者であることの証明でもある。

◆好感度の高さは女優業以外にも
 にもかかわらず、なぜ女優としての実績を認識してなかった向きもあるのかというと、情報番組やバラエティでも引っ張りダコだからだろう。
18年も続いているテレビ東京の経済情報番組『カンブリア宮殿』では作家の村上龍氏(70)と共にMCを務めている。
フジテレビ『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』の司会もやっている。
10月から再開されるTBS『クレイジージャーニー』でも松本人志(58)らと司会を務める。

 女優として売れっ子でありながら、これほど情報番組やバラエティに出る人は極めて珍しい。
演技力は別とし、本人のキャラクターも視聴者受けするので、番組にとっては魅力なのだ。
 そのキャラはよく知られているとおり。飾り気がなく、異性にも強者にも媚びず、力強さと明るさと清潔感があり、知的でフェア。引く手あまたとなるはずである。

 企業は小池が世間から好かれていることをよく知っている。
小池が出演中のCMはアフラック、味の素、花王、ソフトバンク(ワイモバイル)など10社。
40代以上の芸能人ではトップクラスだ。
CMの多さは好感度の高さを表す。
企業は芸能人をCMへ起用する前、その芸能人が消費者にどう思われているのかを徹底的に調べるためだ。

 好感度の高さは女優業にもプラス。
視聴者や観客は女優のキャラをどこかで意識しながら演技を見ているからである。
吉永小百合(77)を始め、大物女優や人気女優と呼ばれる人たちは例外なく好感度が高い。
テクニックがあるだけで大女優や人気女優になるのは難しい。

◆タクシー三昧だった幼少期の告白にも
 小池が生まれ育ったのは東京・下北沢。
幼かった当時をインタビューで振り返るとき、こう口にすることがある。
「幼稚園のころ、祖父と遊びに行くときはいつもタクシー。歩きませんでした」
 祖父が東京・下北沢でパチンコ店を営み、裕福だったためだが、下手をすると反感を買いかねない言葉である。
ところが、小池にはその心配がない。
歯に衣着せぬ物言いをする人だが、発言が問題になった試しもない。
 これも好感度が高いから。
そうでない女優がタクシー三昧だった過去を明かしたり、遠慮せずにズバズバと発言をしたりしたら、まず間違いなく反感を買うだろう。  
中学からは九段にある私立の女子中高一貫校で学んだ。
いわゆるお嬢様学校だ。
在学中の6年間はダンス部に所属した。人気者だったという。このキャラなら、そうだろう。 

 中3のころから街頭でスカウトから声を掛けられるようになる。
本人にも女優への憧れはあったが、現実的な夢は保育士。
誘いは断り続けた。
だが、17歳だった1997年のときに元所属事務所代表の野田義治氏(76)に熱心に口説かれ、芸能界入りに反対だった両親の説得にも当たってくれたため、憧れの女優を目指すことを決意した。

◆水着になることに反発
  デビューは高3だった1998年。フジテレビの深夜ドラマ『美少女H』に出演した。
その後も藤原紀香(51)が高校教師に扮したフジの学園ドラマ『ナオミ』(1999年)に生徒役で出るなど女優としての滑り出しは順調だった。
 ところが、すぐに転機が訪れる
野田氏から水着写真集『Eiko』(同年)の仕事を打診されたのだ。
デビュー前の約束で、「水着の仕事はしない」ことになっていたが、身長166・B91・W66・H87(当時の公称サイズ)の小池を水着写真集業界が放っておかなかった。
小池は当初、断って芸能界を去るつもりだった。
「何で知らない人の前で水着を着て、セクシーポーズを取らなくちゃいけないのか。恥ずかしかったし、約束が違うという気持ちもありました」(日刊スポーツ、2006年5月21日付)

 その気持ちを母親に伝えた。
母親は芸能界入りに否定的だったので、引退を支持してくれると思っていた。
ところが、母親の言葉は予想に反するものだった。
「おまえを信じてる。頑張れ」(同上)

 当時はデビューから1年余。辞めるのは女優として足跡を残してからでも遅くはない、と母親は考えたのだろう。
この言葉に背中を押され、小池は写真集の仕事を受けた。
 以後、小池は2004年までに計11冊も水着写真集を出した。
だが、その記憶が薄らいでいる人が多いのではないか。
芸能人にとって水着写真集は両刃の剣。知名度はアップするが、後々まで色眼鏡で見られてしまう場合もある。

ところが小池は水着のイメージが早々と払拭された。
水着姿よりキャラの魅力が勝ったからだ。

◆女優業に一途にまい進
 水着の仕事と並行して女優業に精力的に取り組んだことも大きかった。
映画は故・森田芳光監督の『模倣犯』(2002年)、堤幸彦監督(66)の『2LDK』(2003年)、中島哲也監督(62)の『下妻物語』(2004年)などに出た。

実力ある監督たちの教えを立て続けに受けた。
 舞台にも立った。松尾スズキ氏(59)の演出による名作『ドライブ イン カリフォルニア』にも2004年に登場している。連続テレビ小説『こころ』(2003年度上期)にも出た。
寝る間もないくらい忙しかったはずだ。
その分、鍛えられ、演技は瞬く間にうまくなった。

 野田氏は筆者の取材に対し、小池の性格を「一途」と評していた。
事実、ずっと仕事一途。
本人も「仕事を趣味にして生きている」と言うくらいである。
 だから若くしてデビューしながらスキャンダルの類は一度もない。
21歳だった2002年に元格闘家の坂田亘氏(49)と知り合うと、ほどなく交際を開始。2007年に結婚した。
坂田氏は現在、小池の個人事務所の代表も務め、公私ともにパートナーである。

◆前回の大河出演では巴御前を名演
 ちなみに小池と坂田氏は2009年、一部スポーツ紙に破局の危機を報じられたことがある。根拠は不明だった。
こういった場合、芸能人側はもちろん抗議するが、それで済ませてしまうことが大半だ。
だが、小池は民事訴訟を起こした。
力強くフェアなキャラのとおりだった。勝ったのが小池であるのは言うまでもない。

 大河への出演は『鎌倉殿の13人』が2作目。
くしくも前回の出演作も源平合戦が描かれる『義経』(2005年)だった。
演じたのは、木曽義仲(同作では小澤征悦)の愛妾で武者の巴御前。今も語り継がれる名演を見せた。
 中高の6年間、ダンス部にいたくらいなので、殺陣はキレッキレ。
それより見る側の胸を打ったのは義仲の子・義高(同・富岡涼)へ降り注いだ愛情だ。
演技とは思えぬほどだった。

義高が源頼朝(同・中井貴一)の人質になることが決まった際には最後まで頑として反対した。
その後、義高が頼朝の命令によって殺されるのは知られているとおりである。
 当時、小池は義仲を鎌倉に送り出すシーンを振り返り、「ああ、手放したくないと思った」と語った(ステラ2005年5月27日号)。本人も愛情深いのだろう。
「演技力は衰えたり、目減りしたりしない」とよく言われるが、キャラも一生もの。
小池の時代はまだ続く。

<文/高堀冬彦>
 放送コラムニスト/ジャーナリスト
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2022年09月03日

6000万人以上の日本人は餓死する…台湾有事からの「輸入途絶」で起きる現代の大飢饉を警告する

6000万人以上の日本人は餓死する…台湾有事からの「輸入途絶」で起きる現代の大飢饉を警告する
2022年09月02日 PRESIDENT Online

ロシアによるウクライナ侵攻の影響で、途上国では食料危機が起きている。
日本ではこうしたリスクはないのか。
キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「台湾有事などで海上交通路が破壊された場合、輸入に依存している日本の食料供給は壊滅的な被害を受ける。

国内の米生産だけでは必要量の半分に過ぎず、国民の多くが餓死する事態になるだろう」という――。
※本稿は、山下一仁『日本が飢える! 世界食料危機の真実』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです

■いま、ウクライナで起きている食料危機
食料安全保障には、2つの要素がある。

@食料を買う資力があるかどうか
A食料を現実に入手できるかどうか、である。
つまり、経済的なアクセスと物理的なアクセスである。
貧しい途上国では2つとも欠けている。

世界的な不作などが原因で食料品価格が上がると、収入のほとんどを食費に支出している人は、買えなくなる。
このとき、先進国が港まで食料を運んでも、内陸部までの輸送インフラが整備されていないと、食料は困っている人に届かない。

別の観点から見ると、食料危機には2つのケースがある。
ロシアのウクライナ侵攻では、2種類の危機が同時に起きた。

1つは、価格が上がって買えなくなるケースである。
途上国では所得のほとんどを食料品の購入に充てている。
例えば、所得の半分を米やパンに充てているとき、この価格が3倍になると、食料を買えなくなる。
2008年にはフィリピンなどでこのような事態になったし、インドが2008年に米、2022年に小麦の輸出を制限したのも、自由貿易に任せると国内から穀物が輸出され、国内価格が高い国際価格まで上昇することを避けようとしたためだ。

2022年のロシアのウクライナ侵攻による小麦価格の高騰で、スーダンでは暴動が起きている。
マスメディアで報道されているのは、この危機である。
たしかに、途上国の貧しい人にとってこれは重大である。しかし、所得水準の高い日本では、このような事態は起きない。

■日本でも物流途絶で食料が手に入らない事態があり得る

もう1つは、物流が途絶えて、入手できないケースである。
東日本大震災のとき、東北の被災者たちは、お金はあっても食べるものに事欠いた。
ウクライナの首都キーウのスーパーの棚から、食料品が消えた。
ロシアに包囲され孤立したウクライナの都市では、政府や赤十字による、食料、薬、生活物資の輸送がロシア軍に阻まれ、飢餓が発生している。
お金があっても物流が途絶して食料が手に入らないという、物理的なアクセスに支障が生じる事態である。
日本にとって重大なのは、この種の危機である。

日本周辺で軍事的な紛争が生じてシーレーン(海上交通路)が破壊され、海外から食料を積んだ船が日本に寄港しようとしても近づけないという事態になれば、国民への食料供給に重大な支障が生じる。具体的には、台湾有事だ。

■1000万人が餓死するといわれた終戦直後の日本
これと全く同じ状況ではないが、似たような事態を日本人は経験している。終戦直後の食料難である。
このとき、供給面では、米は大凶作だといわれた。
東京・深川の農林省の倉庫には、東京都民の3日分の米しかなかった。
多くの人が海外から引き揚げてくるので、需要は増加する。

輸入はゼロである。
戦前は、朝鮮や台湾という植民地からの米輸入があったが、それもなくなった。
巷間(こうかん)では1000万人が餓死するといわれた。
米、麦、イモなど多くの食料は政府の管理下に置かれ、国民は配給通帳と引き換えに配給公団から食料を買った。
配給制度である。
ただし、このときは、アメリカからの穀物援助で糊口(ここう)をしのいだ。

また、1945年は、農林省の統計が予測したほどの不作ではなかった。
このときの経験を活かせばよいのだが、この危機を生き抜いた人たちのほとんどは、鬼籍に入いっている。
終戦当時20歳の人は2022年では97歳である。
1942年制定の食糧管理法による配給制度を実行したのは農林省だったが、現在の農林水産省にそのときのノウハウは全くといってよいほど引き継がれていない。
日本は食料供給の多くを海外に依存している。
日本人は75年間食料危機を経験していないのだ。

■「起こりそうもない」食料危機への対策は未検討
日本人は極めて幸福な時代を生きてきた。
シリア、アフガニスタン、エチオピア、ソマリア、コロンビア、ベネズエラなど、大きな内戦、紛争が生じた国の出来事が、自分たちにも起こりうるとは思ってこなかった。
ウクライナの人たちも同じだった。
ロシアが侵攻してくる直前まで、そのような事態が起きるとは、大統領以下思ってもいなかった。
起こりそうもないことが起きる。それが、ロシアのウクライナ侵攻の教訓の1つだろう。

しかも、日本周辺には、中国や北朝鮮という、ロシアと似た独裁的な政治体制を持つ国がある。
80年ほど前の貴重な経験は失われた。
農林水産省は、オオカミ少年のように低い食料自給率や食料危機を煽るが、食料危機になったときに具体的に何をすべきか、全く検討さえしてこなかった。
農林水産省は、オオカミが来るとは思っていないからだ。
オオカミが来ると言えば、農業保護を増やしてくれると思っているのだ。

■配給通帳の配布や農産物の生産はすぐにはできない
危機への対応は、起きてからでは間に合わない。
新型コロナが流行してから、政府は思いつきのように布マスクを生産・配布しようとしたが、タイミングを失し、利用されずに在庫として積み上がった。
配給通帳を印刷して全国民に配布するには、相当な時間がかかる。
また、輸入が途絶してから、農産物の生産を始めても収穫できるのは遠い先である。
タイミングが悪ければ、1年半くらい待たなければならない。

他の用途に向けられている土地をすぐには農地に転換できない。
法律上、政府が勝手に土地を取り上げることはできないし、機能上も、コンクリートで覆われたりガレキが埋まっていたりする土地は、物理的にも生物学的にも、農地として利用できない。

石油も輸入できないと、これまでのような農業は行えない。
面積当たりの収量は大幅に減少する。
国内で自給しようとすると、九州と四国を合わせた面積の農地を見つけてこなければならない。

危機を想定した周到な準備が必要なのである。
防衛省は、軍事的な紛争が起きることを想定して、平時から武器弾薬の整備や兵の訓練を行っている。
軍事的な紛争が起きるかもしれないし、起きないかもしれない。
しかし、起きると大変な事態となるので、防衛省が必要である。

食料危機も同じである。
そもそも、軍事的な紛争が起きると食料の輸入が途絶すると思われるのに、前者には対応する組織や手段があるのに後者への対応はなおざりにされている。

日本を巻き込んだ軍事的な紛争が起きるときに、兵站は大丈夫なのだろうか?
「腹が減っては軍(いくさ)はできぬ」。
それなのに、自民党国防族の幹部は防衛費を増額するよう要求する傍らで、米生産を減少させる減反をより強化すべきだと主張している。

■豊かで健康な食生活は諦めるしかない
まず、輸入途絶という危機が起きたときに、国民が餓死しないために、どれだけの食料(特に、米、小麦などカロリーを供給する穀物)が必要なのだろうか?
小麦も牛肉もチーズも輸入できない。
トウモロコシや大麦も輸入できないので、日本の畜産は壊滅する。
輸入物だけでなく、国産の畜産物、牛肉、豚肉、鶏肉、卵、牛乳・乳製品も食べられない。
豊かで健康な食生活は、あきらめるしかない。

生き延びるために、最低限のカロリーを摂取できる程度の食生活を送るしかない。
具体的には、米とイモ主体の終戦後の食生活に戻るしかないのだ。

■必要量の半分の米を全国民が奪い合う事態に
当時の米の1人1日当たりの配給は標準的な人で2合3勺(330g/一時2合1勺に減量)だった(子供は減量され、炭鉱労働などカロリーを多く使う者には加配された)。
年間では120kgである。
今、これだけの米を食べる人はいない。2020年の1人1年当たりの米消費量は50.7kgである。
しかし、1億2550万人に2合3勺(15歳未満を半分と仮定)の米を配給するためには、玄米で1600万トンの供給が必要となる。
しかし、農林水産省とJA農協は、自分たちの組織の利益のために、減反で毎年米生産を減少させ、2022年産の主食用米はピーク時の半分以下の675万トン以下に供給を抑えようとしている。
今輸入途絶という危機が起きると、エサ米や政府備蓄の米を含めて必要量の半分に相当する800万トン程度の米しか食べられない。

現在、政府は配給通帳を用意していない。
食料危機が起きてから、1億2550万人用に印刷して配布したのでは、危機対応に間に合わない。
配給制度がなかったら、どうなるだろうか?
価格は高騰する。
その価格で購入できる資力のある人たちは、2合3勺以上の米を買うだろう。
この場合、半分以上の国民が米を買えなくなり、餓死する。
その前に、米倉庫に群衆が押し寄せ、米は強奪されるだろう。
米騒動の再来である。
しかし、運よく入手した人も、いずれ食べる米に事欠くようになるだろう

■幸運な人だけが生き残るか、国民全員が飢えるか
国民の半分に2合3勺を配給して、残りの半分に全く配給しないとして、やっと国民の半分は生き残れる。
それでも約6000万人が餓死する。
しかし、ある人に配給して、ある人に配給しないことは、政府が生存者を選別することになるので行えない。
危機が1年間続くという最悪の事態を想定すると、全ての人に2合3勺(年間120kg)の半分の1合1勺(年間60kg)を配給するしかない。
これで生存できる人は、他に食料を入手するすべを持っているなど、極めて幸運な人だけである。
あるいは、とりあえず2合3勺を配給して、米の在庫が尽きたときは、その時点で何らかの供給手段を考えるという楽観的なシナリオを政府が考えるかもしれない。
しかし、半年くらいあとに米の在庫がなくなったとき、他の供給手段がなければ、国民全員が飢えるしかない。


終戦直後の場合には、アメリカから援助物資が届いたが、シーレーンが破壊され続ければ、輸入はできない。

■終戦後の国民を助けた“すいとん”も満足に食べられない
別の観点から言うと、今の米生産で生きていくしかないとなると、米の消費量は現在の年間50.7kgと同じとなる。
今の食事から米だけが残り、他には何もない献立、食生活を想像してもらえばよい。
終戦後は、小麦から作った“すいとん”という非常食があった。
しかし、麦生産も減少しているので、国民に戦後ほどの麦は供給できない。
米の代用食としての“すいとん”も満足に食べられない。

かろうじて魚は供給できるかもしれないが、石油がないので漁船は操業できない。
漁獲量は大幅に低下する。
カロリーから見ると、1946年の国民1人当たりの摂取カロリーは1903キロカロリーである。
現在の米の消費量では、475キロカロリー(2020年)が供給されているにすぎない。
終戦時のカロリーのわずか4分の1である。
これで、どれだけの人が生存できるかわからない。
数字的には、国民全てが餓死する。
その前に、乏しい食料を奪い合うという凄惨な事態が発生し、これで半数近くの国民が命を落とすかもしれない。

■日本の食料安全保障を脅かす者はだれなのか
終戦後の飢餓を経験した日本は、米を中心に食糧増産に努めた。
米生産は、1945年前後の平均的な生産量の900万トンから1967年には1445万トンにまで拡大した
しかし、農家の所得向上という名目で米価を上げたことで、消費が減少して過剰になったため、1970年から農家に補助金を与えて供給を減少させて米価を維持する減反政策を続けている。

水田の3割がなくなった。
農家の所得を維持する方法は、価格だけではない。
アメリカは1960年代から、EUは1990年代から、価格は市場に任せ、財政からの直接支払いで農家所得を維持する方法に切り替えている
これによって、小麦では、EUは世界第2位の、アメリカは第3位の輸出国になっている。
農業保護に占める価格支持の割合は、アメリカ6%、EU16%と極めて低いのに、日本は76%となっている(2020年OECD)。

日本の農業政策は国民に高い食料・農産物を食べさせ、消費者に大きな負担をかけている。
増産して輸出をすれば海外市場を開拓できるばかりか、危機の時には輸出したものを消費できる。
世界は、米、小麦などの穀物生産を大幅に増加させている。

1960年から、米も小麦もほぼ3.5倍に増えている。
JA農協は、米農業を維持するためには、農家が再生産できる高い米価が必要だとしている。
しかし、米農業を維持するため、補助金を出して米生産を縮小させることは、矛盾していないか。

米の生産を半分に減らして、なにが米農業の維持なのか?
これが、食料自給率向上や食料安全保障を叫ぶ、農林水産省とJA農協という組織が行っている米減らし政策がもたらす結果である。
戦前農林省が提案した減反を潰したのは、陸軍省だった。
減反はだれが考えても間違った政策なのに、どうして止められないのだろうか?

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山下 一仁(やました・かずひと)
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
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2022年09月04日

オウム真理教の“残党”上祐史浩の「ひかりの輪」はいまだ反省なし?

オウム真理教の“残党”上祐史浩の「ひかりの輪」はいまだ反省なし?
2022/09/03 日刊ゲンダイ
藤倉善郎ジャーナリスト

「ああ言えば上祐」
 1995年3月の地下鉄サリン事件後、オウム真理教は無関係と強弁する上祐史浩につけられた呼び名だ。
当時日刊ゲンダイ記者だった二木啓孝が命名したといわれている。

 オウムは坂本弁護士一家殺害事件や松本・地下鉄両サリン事件など数々の凶悪事件を起こした。
殺人やテロだけではない。
存命中の教祖・麻原彰晃のDNAに特別な効果があることが科学的に証明されたかのようにうたい、それを含む液体を飲む儀式で100万円もの金を取ったり、信者の財産を巻き上げるといったこともしていた。
未成年者まで出家させていた。

 現在、オウムは解散し、主に3集団に分かれて存続している。
今も麻原を崇拝し特に危険視されている「アレフ」と「山田らの集団」。
そして麻原信仰を捨て、事件を反省したと表明している「ひかりの輪」だ。
いずれも団体規制法によって公安調査庁による観察処分の対象に定められている。

 ひかりの輪の代表が冒頭の上祐史浩。事件を反省し被害者に賠償しているとして、いまや文化人か評論家のように世情を語っている。
ライブハウス「ロフトプラスワン」などでトークイベントを繰り返し、会場の客を勧誘しているのだ。

■地下鉄サリン事件の日に「聖地巡り」旅行
 しかしこの“反省”が、かなり疑わしい。
2016年にひかりの輪は上祐と共に2泊3日で福井県方面に旅行する「聖地巡り」を企画した(参加費は宿泊費・温泉代別で3万7000円)。
旅行期間中の3月20日は地下鉄サリン事件の発生日。
東京・霞ケ関駅には例年、献花台が設けられ、事件の犠牲者への追悼が行われる。
そんな日に信者を引き連れて“温泉旅行”だ。
 この旅行を、筆者は世田谷区内の教団本部から車で尾行した。
福井の永平寺を訪れた30人弱の信者と上祐は、寺の前でにこやかに記念撮影。
お土産屋のまんじゅうを歩き食いしながら寺を後にした。

まさに地下鉄サリン事件発生日の3月20日のことだ。
この様子を公道で取材する筆者に教団幹部が近づいてきてカメラを遮る取材妨害。
さらにこう言い放った。 「参加者が『やめないなら訴える』と言っている」

 後日、教団側は「温泉には行っていない」と主張したが、そういう問題ではない。
いかにも“ああ言えば上祐”の集団らしい。
 18年、麻原を含め13人の死刑が執行された。
その直後「週刊新潮」が、91年ごろに教団内で起きた女性信者殺害事件の現場に上祐が立ち会っていたとスクープ。
上祐がひた隠しにしてきた未発覚の事件だ。上祐は報道の数カ月前から「週刊新潮」の取材から逃げていたが、死刑執行で死人に口なしになると取材に応じ、事実を認めた。
反省したはずが、まだ隠し事をしていたわけだ。

 筆者は世田谷区の教団本部(マンションの一室)を何度か取材で訪れた。
部屋には額縁に入った弥勒菩薩(マイトレーヤ)の肖像画。
上祐は現在、麻原から授かったホーリーネーム「マイトレーヤ」を使っていないが、信者向けにはこうしてオウムの名残を婉曲的にアピールしている。

「ひかりの輪はアレフ内で『上祐こそ尊師から最も信頼された弟子』『上祐についてくれば来世で再び尊師に会える』として集められた信者集団。
いまだに麻原信仰を維持している信者もいます」(脱会者)

 ひかりの輪が入るマンションには他の住人が掲げた横断幕が。そこにはこう書かれている。
「名前を変えてもオウムはオウム」(敬称略=おわり)
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2022年09月05日

「生きづらさを感じた心をラクにする」3つの対策

「生きづらさを感じた心をラクにする」3つの対策
私たちが唯一コントロールできる「今」を大切に
五十川 幸導 : 曹洞宗月江山雲晴寺第26世住職
2022/09/03 東洋経済オンライン

時間に追われ、数字に追われ、誰かからの評価に追われる昨今、「今この瞬間」に意識が向かない人が増えてきました。
すでに過ぎたことをいつまでも引きずり、まだ起こってもいないことに不安を抱く――。
そんなふうに毎日を過ごしていませんか?

禅では「今を生きること」を説いています。
今を生きるとは、今できること、やるべきことにフォーカスし全力を注ぐことです。
過去も未来も自分ではどうすることもできませんが、「今この瞬間」だけはコントロールできます。

兵庫県明石市にある禅寺、雲晴寺の住職を務める五十川幸導氏の新刊『今を生きる練習』では、生きづらさを手放し人生を穏やかに生きるヒントとなる話を42話収録。本稿では、同書を抜粋しお届けします。

「あのときもっとこうしていれば」「あんなこと言わなきゃよかった」「明日のプレゼンで失敗したらどうしよう……」 過去を振り返って後悔したり、未来を不安に思ったりすることは、誰にでもあります。
ただ、いくら悔やんでも過ぎてしまったことは変えられませんし、まだ現実に起こっていないことを心配しても仕方がありません。

過去と未来は心が生み出した幻想
禅の言葉に「莫妄想(まくもうぞう)」というものがあります。
妄想すること莫(なか)れ、という意味です。
禅における「妄想」とは、「自分の考えや思い込みにとらわれてしまっている状態」のこと。
はじめは小さな思い込みでも、放っておくとウイルスのようにどんどん広がって、いつしか取り返しのつかないことになってしまいます。
これは、樹海の森とよく似ています。
樹海に入っても、入り口であればまだ引き返すことができます。

「危ない危ない、戻らなければ」と正気になれば、こちらの世界へ引き返してくることが可能でしょう。
しかし妄想の森に迷い込んでしまうとなかなか抜け出せなくなって、あなた自身をどんどん蝕んでしまいます。
ときには妄想が人の命まで奪ってしまうことさえあります。

まだ起きていないこと、現実になっていないことを心配し、自分で不安を大きくして悩んでいることはありませんか?
 自分が考える心配事は、自分自身で作りだしているもの。意外と思い込みである可能性も高いです。

「妄想」にとらわれない。そのために私たちは過去でも未来でもなく、「今を生きること」が大切なのです。
過去の後悔、未来の不安、思い込みにエネルギーを使うのではなく、「今できること」に全力を注いでほしいと思います。

世の中、自分の力ではどうにもできないことがたくさんあります。
そんなときはあれこれ考えを巡らすのではなく、自分が「今できること」を淡々とこなしてみてください。
いつか答えにたどり着くはずです。

この一息で「今この瞬間」を実感
仏教には「而今(にこん/じこん)」という言葉があります。
「この今」という意味です。
誰しも、「今この瞬間」しか生きることができません。
昨日の自分はもうすでに死んでいるのと同じです。
人は、一瞬一瞬、命を削って生きているのです。

だからこそ、 「今」は何をすべきなのか? 「今」幸せを感じているのか? 「今」の生き方に満足しているのか? あらためて自分の心に問いかけてみてください。

現在、生き方に満足している人は、きっと自分の信じる道を、使命感を持って進んできたのでしょう。
悩みながらも自分や周りを信じて、一瞬一瞬を無駄にせずやってこられたのだと思います。それはとても素晴らしいことです。

今、幸せを感じていないという人でも、焦る必要はありません。
今この瞬間から前を向いて、一歩を踏み出していきましょう。
「何をすればいいのかまったく見えない」という人もいるでしょう。
そんな方におすすめなのが、坐禅中と同じように呼吸に意識を向けることです。
まず、姿勢を正してください。
お腹に手をあてて、息をお腹からゆっくりフーっと吐き出しましょう。
細く、長〜く吐き出してみてください。まだまだです、「もうこれ以上吐き切れない」というくらい吐いてください。
どうですか。苦しいので空気を吸いたくなるのではないでしょうか。

どうぞ吸ってください。生きようとする人間本来の力が働き、身体が本来の状態に戻ったような感覚になるはずです。
これが、人間の本来持っている力です。
人は無意識のうちに呼吸をしているので普段はそのありがたみを忘れてしまいますが、私が見ていると、呼吸が大変浅くなっている人が、近年特に増えているような気がします。

私も、坐禅会などで法話をしていると、一生懸命話しているうちに呼吸が浅くなり、いつの間にか口呼吸になってしまいます。
呼吸を意識することは「この一息で生きている」ことを実感するために非常に大切です。
なかには呼吸法なんてやっている場合ではないくらい、余裕のない方もいらっしゃるでしょう。
しかし、そんな方にこそ試してほしいのです。

人生には自分の力ではどうにもできないことがたくさんあります。
しかし呼吸は自分自身でコントロールすることができます。
く呼吸をすることで気持ちも落ち着きますし、自分の感情をコントロールする感覚もつかめるでしょう。
「たかが呼吸」と思わずに、ぜひ、1日のどこかで心を落ち着かせて腹式呼吸をする時間を設けてほしいと思います。

ゆっくりと呼吸を繰り返しているうちに、自分のやるべきことが見え、余裕も出てくるはずです。
ひたすら1つのことばかりしていることを、「〜ざんまい」と言いますよね。

「今日は1日ゲームざんまいだったな」「明日から旅行で、温泉ざんまいだ!」などと言ったりしますが、この「ざんまい」という言葉は仏教の「一行三昧(いちぎょうざんまい)」に由来しています。
全身全霊をこめて1点に集中して雑念を取り去りましょう、という言葉です。

三昧(ざんまい)に生きるということ
誰でも、「ざんまい」は実践できますが、意識しないとできません。
まずは、できそうなことを探して、ひたすら打ち込んでみましょう。
料理を作るのが好きな方なら、料理本を買って掲載順に料理を作ってみる、でもいいですし、映画を観るのが好きな方なら1日1本ずつ毎日映画を観る、でもOK。
もちろん、仕事が好きな方は仕事に打ち込むのもよいでしょう。
単純に、自分が楽しめるものを続けてみましょう。

ずっと続けていけば、いつか何かをつかめる日が来るはずです。
習い事など、以前からやってみたかったことに取り組むのもいいでしょう。
やったことがなくても、はじめは真似事からでOKです。

私たち僧侶も同じです。
はじめは衣の着方、お袈裟のつけ方など何もわかりませんが、人が着ている姿を見て真似ることで、徐々にさまになってきます。
高僧として名高い大本山永平寺第78世宮崎奕保禅師さまも、「はじめは真似事でいい。真似を一生続けたら本物になる」とおっしゃっておりました。
どんなことでもそうですよね。
はじめはできなくても、できる人のやり方を見て、そのまま真似ることで、できるようになります。

学校や職場で嫌なことがあると、一行三昧するのが難しい場合もあるでしょう。
そんなときは「もっと楽しい場所はないか」「心の平穏を保てる方法はないか」と問いかけるようにしてください。
「小説を読んでいるときだけは現実を忘れられる」「好きなアーティストの音楽を聴いたり、ライブに行ったりするときだけは嫌なことを忘れられる」といったことに気づくことができたら、その「ちょっとした逃げ道」があなたの心を守ってくれます。
誰にも、あなたの心の平穏を乱す権利はありません。
少しでも心が楽な状態になるように、工夫してみてください。
それは物事から逃げているのではなく、人として心穏やかに生きていくうえでとても大切なことです。

夢中になれるものがない人でも、無心になれること、リラックスできること、ときを忘れて楽しめるものはありませんか? 筋トレでも、掃除でも、コーヒーを淹れるでも、何でもOKです。
好きでもないことを考えて1日を終えるのは、とてももったいないです。

時間というのは命そのものですから、楽しいこと、夢中になれることに時間を費やしましょう。
「毎日映画を観る」と決めて、1日1本でも見続けたら、3年後には1095本。それだけの映画を観たら、もしかしたら何か仕事にできるかもしれません。
それほど「1つのことに打ち込む」のは人生に影響を与えるのです。
途中で飽きたらやることを変えたっていいのです。

まずは一行三昧できることを探してみましょう。
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2022年09月06日

「沖縄を潰しにかかってます」サキマ氏も反撃し「両方ひどい」の声も

「沖縄を潰しにかかってます」サキマ氏も反撃し「両方ひどい」の声も
2022年09月05日 リアルライブ

9月11日に開票が行われる沖縄県知事選挙について、SNSでの候補者同士の攻撃が泥沼化しているとして、ネット上で物議を醸している。
 沖縄県知事は現職の玉城デニー氏と、自民党と公明党が推薦する前宜野湾市長のサキマ淳氏、元郵政民営化担当相の下地幹郎氏が立候補。

QAB(琉球朝日放送)と朝日新聞社、沖縄タイムス社が共同で行った情勢調査によると、現在玉城氏がリードしているという。  そんな中、玉城氏は8月30日にツイッターに、自身への激励に対する感謝を述べた動画を公開。しかしその中で、「相手陣営は物量をともに沖縄を潰しにかかってきています」と指摘し、「私を潰してしまえば、あとは政府の言いなりです」と岸田政権に推されているサキマ氏のことであると匂わせた。

 さらに、玉城氏は「そういう候補者が今、県内で企業を締め付け、団体に圧力をかけて、期日前投票でも『名簿を出しなさい』という強制行為をしていると耳に入ってきています」と自身が得た情報を披露していた。
 この動画に対し、自民党の和田政宗参院議員は5日、ツイッターで「『相手候補は沖縄を潰しにかかっている』と攻撃していますが、『サキマ淳』候補は全くそんなことはない」と反論。
「沖縄の未来をどうするか、沖縄の貧困をどう改善するかを議論しませんか?」と呼びかけ、「サキマ淳は、街頭演説でこれらを必死に訴え、皆様からお話を聞いています」と綴った。

 しかし、一方のサキマ氏も3日にインスタグラムのストーリーズで、支援者から送られた応援画像をリポストしたが、そこに「#死にたいならデニー#生きたいならサキマ」と綴られていたことが物議に。批判が殺到し、サキマ氏は「不適切だった」として謝罪している。
 候補者同士がお互いを貶め合う事態になっている沖縄県知事選。ネット上からは「どっちもどっち」「対立候補下げはどうかと思う」「両方ひどい」「対立候補を直接叩くのはどうかと思う」という双方への批判が集まっている。

記事内の引用について
玉城デニー公式ツイッターより https://twitter.com/tamakidenny
和田政宗公式ツイッターより https://twitter.com/wadamasamune
サキマ淳公式インスタグラムより https://www.instagram.com/sakimaatsushi/?hl=ja
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2022年09月07日

紀藤正樹弁護士 自身に届いた“脅迫状”を公開「本当に悲しいことです」

紀藤正樹弁護士 自身に届いた“脅迫状”を公開「本当に悲しいことです」
9/6(火) スポニチ

 全国霊感商法対策弁護士連絡会の紀藤正樹弁護士が5日、自身のツイッターを更新。
脅迫状のような手紙が届いたことを明かした。

 紀藤弁護士は「8月31日消印で9月2日=先週金曜日に届いたものです」と説明し、手紙を表面、裏面ともに公開。
差出人は「思想研究会一同」と名乗り、「紀藤君 君は何十年も旧統一教会を食いものにしてめしを食って来たね 今回もテレビで見ました。
君の身体の細胞が死んでいる 気をつけたまえ!!」と書かれていた。

 紀藤弁護士は「やはり脅迫状というものなんでしょうね」と感想を口に。
「カルト問題の救済現場の実態について、ご理解をいただきたいと思いますので公開します。

“めしを食って来た”と書いていますがありえないです。
調査費用など身銭を切ってきた身としては本当に悲しいことです」と思いをつづった。
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2022年09月08日

学歴より重要「独学力が高い人、低い人」決定的差

学歴より重要「独学力が高い人、低い人」決定的差
この先、生き残れるかの「大きな分かれ目」です
高橋 俊介 : 慶應義塾大学 SFC研究所上席所員
2022/08/26 東洋経済オンライン

企業内外での学びについて、いま「リスキリング」が注目を集めている。
「リスキリング」は「学び直し」と訳されることが多いが、「変化する社会で、今後必要となるスキルや技術を学ぶこと」である。
そこで重要なのは「学ぶ姿勢」、つまり「独学力」が身についているかどうか。
独学は受け身ではなく、「なぜ学ぶか(Why)」「何を学ぶか(What)」「いかに学ぶか(How)」の3つの要素による「学びの主体性」が不可欠な条件になっている──。

『キャリアショック』『新版 人材マネジメント論』などキャリア関連の数多くの著作があり、30年以上にわたって、経営の視点から人事や人材マネジメントの研究を続けてきた高橋俊介氏が、このたび「『独学力を高める』社会人の学び方」を1冊で完全解説した『キャリアをつくる独学力:プロフェッショナル人材として生き抜くための50のヒント』を上梓した。

「『独学力を高める』ことは、仕事上のキャリアだけでなく、人生全体を豊かにする」と断言する。
世界有数の人事コンサルティング会社の日本法人代表を務め、現在もキャリア開発や組織の人材育成についての研究に従事し、日本に「キャリアショック」という概念を広めた「キャリア論の第一人者」である高橋氏が、「学歴より重要な『独学力の高い人・低い人』7つの決定的な差」について解説する。

「独学の重要性」に着目するようになった理由
私は、30年以上にわたり、経営の視点から人事や人材マネジメントを考える研究を続けてきました。
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにあるSFC研究所の中に設立されたキャリア・リソース・ラボ(通称キャリアラボ)では、創設当初から教員として参画しています。
キャリアラボはキャリアに関する包括的な研究を行う組織で、私は「個人主導のキャリア形成」を主たるテーマとして研究をしてきました。

「独学」というと、「独学=我流」と本流でない学びといったネガティブなニュアンスが浮かびがちですが、これに対して私は、「独学」を「学びの主体性」と再定義しました。
私がいま、独学を「学びの主体性」として再定義する大きな要因の1つは、「仕事の自律性」や自律的なキャリア形成を目指すうえで「学びの主体性」が不可欠な条件になってきたからです。それは、私が「独学の重要性」に着目するようになった理由でもあります。

就活の際、エントリーシートや履歴書に書いた「学歴」は、社会人には役に立ちません。
長いキャリア人生においては、「独学」こそがキャリアを切り開く糧になるのです。
つまり、これからは、独学力を高めていく必要性が出てくるのですが、残念ながら、「独学力の低い人」も多く存在し、「独学力の高い人」とは決定的に異なるところがあります。

では、「独学力の高い人と低い人の差」とはどのようなものでしょうか。
多数考えられるなかから、主な7つのポイントを紹介しましょう。

「ヨコの学び合い」が「学びの主体性」を引き出す

【1】「過去や知識の伝承」に偏っているか 日本企業の人材育成は、社内で年長者が自分の積み重ねた経験と知識を伝えるだけの「タテ型OJT」が中心でした。
教えられる側は、教える側の過去の経験や知識の伝承に従います。
しかし、過去の経験や知識に縛られてばかりの「タテ型OJT」では、思考や行動が固定化してしまい、環境が大きく変わっていった場合、新しい環境についていけなくなる可能性が大きくなります。
「過去や知識の伝承」に偏ったままでは、「独学力が高い人」と、どんどん差がついてしまうのです。

【2】「『会社の枠』を超えた学び」ができるか
独学力の高い人は、「タテ型の伝承」に偏ることなく、主体的に学ぶ個々人が形成する「ヨコの学び合いの場」などに参加し、刺激し合い、「気づき」を得ていきます。
それも、社内だけでなく、同じような専門性を追求する人同士が「会社の枠」を超えて学び合うのです。
「ヨコの学び合いの場」が有効なのは、互いに刺激し合い、気づきを得ていくことで、個々人の「学びの主体性」が引き出されるからです。
独学力が高い人は、会社の枠を超えた、ヨコの学び合いを大切にしています。

【3】受験勉強の延長で「丸暗記」しかできないか
日本において、主体的な学びを妨げる1つの要因として、学びに「楽しさ」や「面白さ」を感じる人が少ないことがあります。
その背景にあるのは、学生時代の「丸暗記の受験勉強」の体験でしょう。
歴史などについても、登場する人物の名前と年号の「丸暗記」の記憶しかありません。
さらに、丸暗記は「孤独な作業」です。
いつまでも「丸暗記の受験勉強」の延長のままでは、刺激し合う「ヨコの学び合いの場」もないため、独学力には差がつくいっぽうです。
独学力で大切なのは「学びの楽しさや意味を感じること」

【4】「楽しく、面白く」学習自体を楽しんでいるか
丸暗記の記憶しかない日本史や世界史関連の本を、大人になって読むと「歴史の面白さ」を再認識することがあります。
そんなときは、丸暗記式の受験勉強の「不毛さ」を感じます。
独学力で大切なのは、「近視眼的な功利性の追求」ではなく、「学びの楽しさや意味を感じること」です。
自分は学習自体を楽しんでいるのか、学習の中身に意味を感じているのか。
学びを楽しむことや意味を感じることで、独学力はどんどん高くなっていきます。

【5】正解のないものでも「自論」を導き出せるか
「ジロン」は通常、「持論」という用語が使われます。
これに対し私は、「さまざまな事象に対して、その都度『私はこう思う』と自分の考えを明確にし、発信していく」という意味合いで「自論」という独自の表現を使っています。
環境変化によりビジネスモデルが大きく変化し、個別性の高いソリューションビジネスが重要になってくると、正解のない事象について、「私はこう思う」と「自論」が必要になってくることが増えてきます。
「独学力の高い人」は、このような場合でも「自論」を導き出すことができます。

【6】正解のあるものをただ導く「正解主義」か
日本の学校では、「この問題はこれが正解である」という「正解主義の教育」が行われてきました。
そのため、「正解のない問題」に対し「自論」を導き出す能力がないまま成人しても問題はなく、就職したその組織でも、とくに問題は起こりませんでした。

しかし、環境変化が激しく正解のない時代で「自論」が必要とされてきているいま、「正解のあるもの」をただ導いて終わるだけの「正解主義」では、多くのことが通用しなくなっていきます。
「正解主義」しか身についていない人にとっては、独学力には限界が出てくる可能性が大きいです。
最後は、「『先生や師匠』がいなくても学べるか」ということです。

【7】「先生や師匠」がいなくても学べるか
「日本人って先生病なんですよね」と言われるほど、多くの日本人は、学ぶときは、お師匠さんについたり、修業したりしないといけないと思っています。
しかし、いまはインターネットもあるし、何だって自分で学ぼうと思えば、お師匠さんがいなくても、修業をしなくても学ぶことはできます。
「独学力の高い人」は、他人に頼ることなく、自分で学び方を探し、成功へとつなげていくことができます。

変化の激しい時代は「自律的なキャリア形成」が必須
キャリアラボでの研究成果をもとに、2000年に『キャリアショック』(東洋経済新報社)を出版しました。
「キャリアショック」とは、私が提唱した概念で、自分がそれまで積み上げてきたキャリア、自分の思い描いてきたキャリアの将来像が、予期しない環境や状況の変化により短期間のうちに崩壊してしまうことをいいます。

しかし、変化の激しい時代に生きるビジネスパーソンにとって、「キャリアショック」の危機的状況に陥るリスクがいまや完全に現実のものとなり、「自律的にキャリア形成していく必要性」がますます高まっています。
今一度、「独学」の学びのスタイルを見直して、
変化の激しい時代にも対応できる「プロフェッショナルな人材」になってほしいと、長年、キャリア論を研究をしてきた筆者として、強く願っています。
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2022年09月09日

自衛官とキャンプに行ったら...まさかの行動に驚き ネット爆笑の「職業病エピソード」4選

自衛官とキャンプに行ったら...まさかの行動に驚き ネット爆笑の「職業病エピソード」4選
2022年09月05日 J-CASTニュース

仕事でやっていることが、仕事の場以外の生活にも影響を与えてしまう現象を「職業病」と呼ぶことがあります。
Twitterでは、職業病に関するさまざまな投稿が拡散されます。
過去に反響を読んだ例をもとに、ツイートまとめサービスのTogetter(トゥギャッター)が深掘りしてみました。

■アニメを楽しめないアニメーター
漫画家の見原由真さんが、夫でアニメの作画監督をやっているタッペイさんの職業病エピソード漫画を投稿して注目されました。
タッペイさんは作画監督になりたての頃、テレビで流行りのアニメが放送されるとすぐにチャンネルを変えていたといいます。
その理由は、アニメを観ているとキャラクターの作画や動きについて「オレだったらどう描く」といった視点で見てしまい、アニメを楽しむどころではなくなってしまうから。
アニメーターの夫とアニメを見ようとしたら速攻でチャンネルを変えられた→素人では考え付かないような職業病目線が発動していた‐Togetter

また、VTuberとして活動するペケこさんは、日常生活の中でもBlender(オープンソースの総合3DCGソフト)の事ばかりを考えてしまうという漫画を投稿しています。
スーパー銭湯でサウナの座席のカーブの構造が気になったり、自販機の中にある飲料のサンプルを見て、3DCG化する時のポリゴン数の節約方法を思いたりするなど、頭の中がモデリングのことでいっぱいの様子。
スーパー銭湯に行ったのに頭の中でサウナの座席の角のカーブが気になったり自販機が気になる職業病‐Togetter

これらの漫画について、特に同じ業種に生きる関係者から共感の声や事例が多数寄せられました。
プライベートな時間を過ごしている時であっても、頭から仕事でやっていることが抜けない様子は、まさに職業病の典型的な"症状"だと言えますね。

■メーカーから自衛隊員まで、職業病の範囲は広い
一般の人から見て「そんな視点があったとは!」という発見があるのも職業病エピソードの面白いポイントです。
漫画家の中村颯希さんは、印刷機器メーカーで採用を担当していた友人が「他社のプリンタで出力した履歴書を平気で送ってくる」と応募者について嘆いていたエピソードを投稿。
印刷物からプリンタのメーカーまで分かるとは、素人からすると驚きです。

印刷機器メーカーで採用担当してた友人が「最近の子は他社のプリンタで出力した履歴書を送ってくる」と言ってて職業病のすごさに驚いた‐Togetter
この投稿を受けて「食品工場に勤務経験のある方はコンビニの足ふきマットで必ず足を拭いて入店する」「アパレル勤務なので生地を遠目に見ても『あのニットはカシミヤ100%ね』と分かってしまう」など、さまざまな職種の人からその職業ならではのこだわりチェックポイントが挙がりました。

自衛隊の人とキャンプに行った時の体験が話題になったことも。
軍事フォトジャーナリストの菊池雅之さんはキャンプの際、一緒に行った自衛官はテントを片付ける際に「杭の穴を埋めて、土を戻して、上から葉っぱかけて」テントが張ってあった痕跡を完全に消してしまったそう。
こういった行為には敵にキャンプを張っていた事がバレないようにするためという意味合いがあるようです。

この投稿に対して、「自衛隊関係者とキャンプに行くと隣のテントと横一線になるように杭を打つ」「ロープの結び方が謎」といった、一般の人にとっては見慣れない手際を見ることができるという体験談が寄せられました。
自衛官とキャンプへ行って驚いたのは、テントをしまった後に杭の穴を埋めて、土を戻して、上から葉っぱをかけて、テントの痕跡を完全に消してたこと‐Togetter

さまざまな職種の人から発信される"職業病"の話題は、業界外の人からすると新鮮な視点や、発見がある興味深いものばかり。
同業の人からは共感、業界外の人からは驚き、と反応の角度が異なる点もまた、拡散されやすいポイントなのかもしれません。

Togetterがお送りする「3分くらいで分かる週刊Twitterトレンド出張版」でした。
今回紹介したTogetterまとめを振り返りたい方はこちらからどうぞ。次回もお楽しみに。

■今回の記事で紹介したまとめ一覧 アニメーターの夫とアニメを見ようとしたら速攻でチャンネルを変えられた→素人では考え付かないような職業病目線が発動していた‐Togetter

スーパー銭湯に行ったのに頭の中でサウナの座席の角のカーブが気になったり自販機が気になる職業病‐Togetter

印刷機器メーカーで採用担当してた友人が「最近の子は他社のプリンタで出力した履歴書を送ってくる」と言ってて職業病のすごさに驚いた‐Togette

r 自衛官とキャンプへ行って驚いたのは、テントをしまった後に杭の穴を埋めて、土を戻して、上から葉っぱをかけて、テントの痕跡を完全に消してたこと‐Togetter
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2022年09月10日

頑張り過ぎはダメ!節約生活を長続きさせるための3つのコツ

頑張り過ぎはダメ!節約生活を長続きさせるための3つのコツ
2022年09月08日 アサジョ

 我が子のため、将来のため、日々節約を心がけていると「もっと自由にお金を使いたい!」と苦しくなるときってありませんか? 
家計管理は長期戦ですから、ストレスを溜め過ぎてリバウンドしないように気を付けたいもの。
次のような工夫で、心地よく続けられるようにしましょう。

■自由に使えるお金を確保する
「おこづかいをなくせば貯金が増える」と、自分や夫のおこづかいまで切り詰めていませんか?
 無理なく続けられる程度なら問題ないですが、まったく自由に使えるお金がないとストレスの原因になりやすいので注意が必要です。
本当に必要なのか、値段が妥当なのかなど、考え過ぎずに“欲しい”という気持ちだけで買い物することができる枠を確保しておくと、その他の分野の節約に力を入れやすくなりますよ。

■定期的に臨時収入が入る仕組みを作る
 支出を予算内に収めることができたときの残額を貯蓄に回すのではなく、臨時収入用に分けて管理しておくのもひとつの方法です。
これは、貯蓄額は事前に設定して確実に管理し、生活費などのそれ以外の残額は別に積み立てていくというもの。
ある程度溜まったら、臨時ボーナスとして外食をしたり旅行に行ったりして、日頃の頑張りをお祝いしましょう。

■遊ぶためのお金も積み立てる
 家事を一切せず外食や代行サービスに任せて自由に過ごす日や、家族で旅行に行く日など、“楽しむ日のため”の経費を積み立てておくと罪悪感なくお金を使うことができます。
おこづかいや生活費の残額の範囲では難しい場合は少額ずつ毎月積み立てて、数ヵ月、1年、数年に1度使えるように積み立てていきましょう。
将来のための貯蓄だけでなく、楽しみのための貯蓄もしておくと、モチベーションを高めやすくなります。

 毎月まとまったお金を確保したい場合はおこづかいの確保を、定期的にパーっとお金を使いたい場合は残額貯金や遊ぶ費用の積み立てなどをするのがよいでしょう。
使いたい金額や頻度に応じて計画を立てて、息抜きのためのお金を確保してくださいね。 (Nao Kiyota)
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私が安倍元総理に「耳が痛い」話でも進言できた訳

私が安倍元総理に「耳が痛い」話でも進言できた訳
内閣参与時代に実践した「正論の通し方」とは?
藤井 聡 : 京都大学大学院工学研究科教授
2022/09/09 東洋経済オンライン

人は誰しも会社や社会に対して、「こうあるべき」「こうしたほうがよくなるはず」という思い=正論を持っていることでしょう。
しかし、そうした思いを会社や上司に伝えても、得てして相手に煙たがられたり、無視されたりしがちです。
結局、主張するのをあきらめてしまう人が多いのではないでしょうか。

「そこで引き下がってはいけません」と言うのは、京都大学大学院教授の藤井聡氏です。
同氏はこれまで大阪都構想への反対や積極財政への転換など、自身が正しいと思うこと=正論を数々論じてきました。
はじめは見向きもされなかったこれらの主張は、次第に共感を呼び、最後は多くの人の心をつかみました。

どうすれば、藤井氏のように人の心をつかめるのか。
同氏の新刊『人を動かす「正論」の伝え方』をもとに、ビジネス社会で使える正論の伝え方、通し方について3回にわたり解説します(第2回/第1回)。

「上司のため」という気持ちが大事
よくプロ野球の選手が「優勝して、監督を男にしたい」という言葉を使います。
この言葉や気持ちというのは、組織の上下関係としてはとてもいいものだと思います。
自分のために優勝するのではなく、監督のために優勝したいという気持ち。 ビジネスの世界も同じです。
「営業成績を上げて、この部署をナンバー1にしたいですね」など、上司や組織を上に上げたいという気持ちを前面に出すのです。

結局、どんなに正論だろうと、最終的には人は感情で動くことを忘れてはなりません。
ですから、私は自分の意見を通そうとした場合、この人は自分の味方にしておかねばならないという人に対しては、まずその人と仲良くなろうとします。
ただし、ただ単に尻尾を振っているだけでは絶対にダメです。
それではただの太鼓持ちに過ぎません。
そうなれば、こちらの思い通りに振る舞ってくれることがほとんどなくなってしまいます。

我々が上司を侮ってもいけないし、上司に侮らせてもいけないのです。
いったん上司に侮られてしまうと、必ず足元を見られてしまいます。
そして軽く見られておしまいです。

最終の目的は、上司に好かれることではありません。
その先に、本来の目的がある。
つまり「正論を通す」という大義がなければなりません。
その意味で、しっかりと「自分の意見を言う時は言う」ことが大切です。

もちろん、その意見が場当たり的なものであってはなりません。
正論も正論、ド正論でなければならない。
筋が一本通っていて、それが自己保身や私利私欲からのものではなく、組織や社会全体のためになるものでなくてはなりません。

実際、安倍内閣の参与だったときには、安倍総理に何度か意見をしました。
ただし、皆の見ている前で、「総理、それは違います」なんて、メンツを潰すようなことは絶対にしません。
皆の前では、「総理、総理」と持ち上げていてもいいのです。
ただ、誰も見ていない裏に回ったときに、総理にとって耳が痛いことでも換言します。
それが自己保身や私利私欲からではなく、本当に正論であれば、「なるほど、こいつは本当のことを言うヤツだな」と信頼を寄せてくれるはずです。
逆にそのときに、素直に受け取ってもらうために、ふだんから関係性を築いておく必要があると言えるのです。

諫言しても煙たがられることなく、むしろ信頼される関係を築いておく。
そのために、ふだん「振るべき尻尾」は振っておいて、何ら傷つくものではありません。

賛成してもらうための準備・仕掛け
私が安倍晋三さんに政策を提言するようになったのは、古くからの知り合いである自民党議員の西田昌司さんに、当時、一議員に過ぎなかった安倍さんを紹介されたことがきっかけでした。
そのとき私は『公共事業が日本を救う』を出版し、国会議員に解説して回っていました。
当時、自民党内で総裁選に打ち克ち、民主党から政権を奪取し、第2次安倍内閣を構想していた安倍さんに対して、「デフレ脱却」と「国土強靭化」を主張することは、総裁選の対立候補者との大いなる「対立軸」を作り出し、有利に働くと同時に、衆議院選挙においても民主党との対立軸を鮮明化させ、同じく有利に働くに違いない、という主旨で説明しました。

そうしたところ、安倍さんはこの主張に大いに賛同されたのです。
そして、総裁選、そしてその後の総選挙でも、私の主張である「デフレ脱却論」「防災論」「インフラ政策論」を大いに主張いただくことになったのです。
そしてそれは、安倍内閣誕生時に「アベノミクス」と「国土強靱化」という名称の政策へと昇華していったわけで、それをサポートするための官邸メンバーとして、私も内閣官房参与を拝命することになったわけです。

ちなみに、私の提言が聞き入れられたのは単なる偶然の話ではありません。
再び総理に返り咲くための総裁選に打って出ようとしていた安倍さんはいま、何を求めているのかをイメージしたうえで、安倍さんに理解してもらいやすいように論理を構成したことが、こうした正論を通すにあたって大いに影響したものと思います。
その意味において、私のデフレ脱却・防災・インフラ論は、安倍さん自身が朧気に想定していたイメージでもあったのです。私の仕事は、それをより具体的に、かつ包括的なものに仕立て上げたというものだったと言えるでしょう。
したがって、安倍さん本人の主観から考えれば、もともと考えていたことを藤井さんに詳しくまとめてもらった、と感じていたとしても不思議ではありません。
というか、そういうように思ってもらうように、こちらの正論を解説したわけです。

安倍さんが賛同してくれたことが、デフレ脱却・防災・インフラ論が正論として世間に届く大きな契機となったわけで、それによって国土強靱化基本法ができ、担当大臣が設置されると同時に、デフレ脱却論はアベノミクスという形でまとめられていきました。
こうして安倍さんに、デフレ脱却論などを理解してもらった後は、その事実、つまり「安倍さんが、この正論の実現を望んでいる」という事実を、参与としてさまざまな人に伝え、安倍さんが通そうとした正論を敷衍する「お手伝い」を、内閣官房参与として進めていったわけです。

どんな世界であれ、組織の中で自分の意見を通すとなれば、相応の戦略が必要です。
基本は上の立場の人間が採用したくなる装いをすることです。

ひと目で見てその内容がわかり、上司の志向ややろうとしていることに反せず、むしろそれを補強する内容であることが大切なのです。

心のある上司を巻き込む 私の場合は、安倍さんにかなり初期の段階で提案し、理解を得たことがその後の展開にいい影響を与える結果となりましたが、皆さんの場合も同じだと思います。

直属の上司か、あるいはもっと上の人に持っていくか、自分の組織に合わせた選択をするべきでしょう。
上司のなかに心ある人がいるなら、その人に正論を理解してもらい、その人を軸に正論の敷衍活動を展開する――これは、どこの組織でも通用する、極めて一般性の高い正論の通し方ということになるものと思います。
もちろん、ことはそうやすやすと運びません。

どうしようもない上司ばかりということもあるでしょうし、理解してもらった上司が力がない人だったということもあるでしょう。

ただし、こうした展開を企図するうえでの大前提があります。
それは皆さんの主張が「正論」でなくてはならないという点です。

美しい和音を聞けば、誰もが美しいと感ずるように、それが「正論」であれば、相手が素直でありさえすれば、誰もが共感せざるを得なくなるのです。
それこそが、正論の「強さ」なのです。
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2022年09月11日

高齢者が高血圧になるのは当たり前…「長生きするには血圧を下げなくてはいけない」のウソ

高齢者が高血圧になるのは当たり前…「長生きするには血圧を下げなくてはいけない」のウソ
2022年09月10日 PRESIDENT Online

専門家の意見はどこまで信用していいのか。
v生物学者の池田清彦さんは「健康や医学に関する常識の中には、専門家にとって都合のいいウソも含まれている。
特に、血圧を基準値以下に下げなければいけない、という風潮は高齢者にとってリスクになることも知っておくべきだ」という――。
※本稿は、池田清彦『専門家の大罪』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです

■専門家は正しいに違いないという思い込み
世の中に出回る健康法というのはまさに玉石混交で、時には正反対の主張が同時に流行していることさえある。
例えば朝食ひとつとっても、毎朝きちんと取ったほうがいいという説がある一方で、朝食を食べるから不健康になるという説もある。
りんごを毎朝食べろという説があるかと思えばバナナのほうがいいという説があったり、もっと肉を食べろとか逆に肉は食べるなとか、何が真っ当な情報かさっぱりわからない。

なぜそんなことが起こるのかというと、食や栄養に関する専門家と称する医師や栄養士によって言うことが違うからだ。
これらの人々こそが健康に関する専門家であり、そんな専門家が言っていることなら正しいに違いないという世の中の思い込みが、矛盾するさまざまな健康法を次々と生み出している。
ただ、その手の本をじっくり読んでみると、「○○健康法」というのはさまざまな情報のごく一部だけを過剰に切り取っているケースも少なくない。

■「ウソの常識」で不健康になることもある
一般大衆に向けた情報は、わかりやすいに越したことはないため、マスコミは「カリウムにはナトリウムを排出する効果がある」という話を、「バナナをたくさん食べれば血圧は下がる」といった単純な話にして伝える。
確かにバナナにはカリウムが多く含まれているからまったくデタラメではないけれど、結局これも、専門家の意見の中でセンセーショナルにあおることができそうな部分だけを、都合よくつまみ食いしているパターンである。

とはいえ、食べるものをちょっと変えたくらいで、健康にたいした影響はないので気になるなら試してみればいいというだけの話だ。
バナナに毒があるわけじゃないし、まあこの程度の話なら、別に目くじらを立てる必要はない。
バナナが血圧を下げるというのは一種のおまじないみたいなもので、実害があるというわけではないからね。

問題はむしろ、大多数の専門家が声をそろえて発する、正しそうに見える「医学常識」や「健康常識」のほうにある。
なぜならそこには、専門家にとって都合のいい「ウソの常識」もたくさん含まれており、それを正しいと思い込まされたせいで、健康になるどころか、かえって不健康になることもあるからだ。

■地球温暖化のウソは悪影響が発生しないが…
本書の第2章で解説しているように、「地球温暖化の原因は人間が出すCO2だ」というのは政治経済的な力学のみで維持されている「ウソの常識」である。
ただ、極端な話をすれば、CO2を減らしたところで地球への影響は微々たるものなので、それによるデメリットのほうもさして重大ではない。
余計な金がかかることや、それによって一部の連中だけが大儲けすることは確かにデメリットではあるが、一般の人たちが直接的な被害を被るとまでは言えないだろう。

店でレジ袋がもらえなくなる、くらいのことは起こるとしても、少なくとも命にかかわるようなことではない。
つまり、「ウソの常識」を前提にCO2の排出を意図的に減らしたとしても特段いいことが起きない一方で、深刻な悪影響も発生しない。
まあ、それこそが「脱炭素キャンペーン」のやっかいなところで、可もなく不可もない分、多くの人たちが延々と騙され続けてしまう「持続可能なペテン」なのである。

しかし、医療や健康における「ウソの常識」の場合そうはいかない。一般庶民の健康に直接関わりのある科学が医学なので、それを信じた人たちの健康が害されたり、最悪の場合は命が脅かされてしまうこともあるからだ。

■「高血圧」のウソは罪深く、看過できない
とりわけ罪深いと私が思っているのは、「高血圧」に関するウソである。
老化した血管は弾力を失うので、若いころより強い力で血液を送り出さなければ血流が保てなくなる。
歳をとるにつれて血圧が高くなるのはこのせいで、つまり、血圧が高くなるのは、一種の老化現象なのである。

以前は「上の血圧は年齢プラス90くらいがちょうどいい」ということも言われていたが、絶対的なものではなく、ただ血圧が高いというだけで医者に行くような人はいなかったと思う。

しかし、1978年に世界保健機関(WHO)が「160/95mmHg(最高血圧が160mmHg以上もしくは最低血圧が95mmHg以上)の人は高血圧である」と定義したことで、日本の医者たちもこれに従うようになり、血圧の高いことがあたかも「病気」であるかのごとく扱われるようになった。
そして2000年には、大学の医療研究者が委員を務める日本高血圧学会が、140/90mmHg以上とさらに基準を厳しくした。
この時点で「高血圧症」とされる人は1600万人から3700万人に激増したのだ。
血圧が高くなるのは老化現象である以上、高齢者ほど高血圧になるのは当然で、今や男女ともに、60歳を超えると6割以上、75歳を超えるとなんと7割以上の人たちが「高血圧」と診断されている。

自分が高血圧であるという自覚のない人も含めると、「患者数」は4300万人にも上るらしい。
2022年時点での日本の人口は約1億3000万人だから、日本人の3人に1人は高血圧というわけだ。
2019年の国民生活基礎調査によれば、男女ともにデータが確認できた2000年以降、通院者率1位の傷病は「高血圧」なのである。

■老化現象を改善するのはなかなか難しい
高血圧そのものは本来、病気とは言えない。
しかし、基準を超えた人は治療対象だから医者へ行けというのが日本高血圧学会の言い分である。
仕方なく医者に行けば、「血圧が高いと動脈硬化がどんどん進んで、ほっておくと虚血性の心疾患とか脳卒中になりますよ」と脅される。
それは確かに一大事だから、多くの人は「なんとかして血圧を基準値以下に下げなければ!」と考えるに違いない。

若い人たちなら食事の塩分を減らすとか、運動をするなどの生活習慣の改善でそれなりに下げられるだろうが、高齢者の場合はそもそも歳をとったから血圧が上がっているわけなので、生活習慣をちょっとやそっと変えたくらいじゃ下がるはずがない。
そこで登場するのが、「降圧剤」である。 降圧剤は文字どおり血圧を下げる薬なので、飲めばそれなりに効果はある。
血圧が順調に下がっていけば「よかったですね〜」などと医者に褒められて、いい気分になるかもしれないが、歳をとることは止められないわけだから、薬をやめればまた血圧は上がっていく。
だから一度飲み始めた降圧剤をやめられる人はあまりいない。

■「高血圧は長生きの敵」は正しいのか
しかも、血圧が下がるのは、決してよいことばかりではない。
血管の老化にあらがって血流を維持するための「高血圧」なのだから、それを無理に解消すると、血流が滞ってしまう可能性はかなり高い。
そのせいで脳の働きが落ちたりとか、免疫機能に影響が及ぶことだって、十分に考えられる。
また、高齢者の場合は血圧が下がることで転倒のリスクが高まることもよく知られている。

実際、降圧剤を飲んでいない521人の高齢者(75〜85歳)を対象に行われたフィンランドでの調査によると、80歳のグループで5年生存率が最も高かったのは最高血圧が180mmHgを超えた人たちだったらしい。
もちろんこのデータだけで、血圧が高いほうがいいとまでは言い切れないが、「長生きするためには絶対に血圧を下げなくてはいけない」という医者の言い分は必ずしも正しくないことがよくわかる。

■知られざる降圧剤ビッグビジネスのカラクリ
ところが多くの医者は、「血圧が高いと虚血性の心疾患や脳卒中のリスクが上がる」というデータだけを見せながら、せっせと薬を処方する。
そのかいあって、日本の降圧剤市場はものすごい勢いで拡大している。

少し古い記事になるが、2017年11月14日付の日刊ゲンダイヘルスケアの記事によると、長浜バイオ大学コンピュータバイオサイエンス学科の永田宏教授が厚生労働省のNDBオープンデータをもとに試算した結果、処方量の上位100品目までの降圧剤の合計金額はなんと5492億円にもなるらしい。
永田教授は「降圧剤はよほどオイシイ商売なのでしょう」と書くにとどめているが、「降圧剤をオイシイ商売にするため」に製薬会社が政治家やWHO、そして学会などに働きかけ、無理やり基準を厳しくさせたというほうが明らかに合点がいく。

そういえば2014年に、日本人間ドック学会が約150万人のデータをもとに、147/94mmHgまでは正常とする新しい基準の提唱を行った。
すると案の定、2000年から「140/90mmHg以上は高血圧だ」と言い張っている日本高血圧学会は激怒したのだが、そのとき、医療費削減を目論む行政側の陰謀ではないかと一緒になって猛反発したのが製薬会社だったのである。
上の血圧は147mmHgまで正常です、ということになると患者の数は全然違ってくる(1800万人減少するという試算もある)のだから、その分売り上げが落ちてしまうしね。

■「正しい基準値」を必死に広報する学会
結局このバトルは、「自分たちは将来の合併症発症の観点で基準値を決めている」と主張する日本高血圧学会の勢いに押されたのか、日本人間ドック学会のほうが「あくまで健康の目安であり、病気のリスクを示したものではない」という言い訳をして、事実上折れるかたちで決着したようだ。
しかし、日本高血圧学会のほうは、世間に「間違った基準値」が広まって降圧剤をやめる人が続出したら大変だと思ったのか、「高血圧学会から国民の皆様へのお願い」なる声明文まで発表し、また、147とか94という数字に大きな「×」印をつけたパンフレットまで作成して、「正しい基準値」の広報に全力を尽くしたのである。

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池田 清彦(いけだ・きよひこ)
生物学者、評論家
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2022年09月12日

【「長生きリスク」を心配するな!】 「貯金を使いきって死ぬ」という新常識

【「長生きリスク」を心配するな!】
「貯金を使いきって死ぬ」という新常識
2022年09月11日 ダイヤモンドオンライン

老後の資金は一体いくら必要なのか。何歳まで生きるかがわからない以上、明確な答えは存在しない。
金融庁の審議会が出した報告書により「老後2000万円問題」が話題となったが、「定年までに2000万円も貯められない」と頭を抱える人もいれば、「2000万円で本当に足りるんだろうか」と不安になっている人もいるのではないだろうか。
しかし実情は、せっかく貯めた老後資金を使い切れないままに死んでしまう人がほとんどなのだという。

アメリカにあるコンサルティング会社BrisaMaxホールディングスCEOのビル・パーキンス氏は著書の『DIE WITH ZERO』で、老後の資金を溜め込むのではなく、使い切って「ゼロで死ぬべきだ」と語る。
本記事では、本書の内容をもとに「なぜお金を使い切って死ぬべきなのか」「どうすれば死ぬ前にお金が尽きてしまうリスクを回避できるか」などについてご紹介する。(構成:神代裕子)

■コーヒーに無意識にお金を使ってはいないか
 老後の資金は、老後の生活に困らないためのものだ。
ただ、それがいくら必要かは「何歳まで生きるか」がわからない以上、明確に算出することはできない。
 そうなると、「少しでも多く貯金しておいたほうがいいのではないか……」と考えてしまう。
そのせいで、「老後の貯蓄のために」と今必要なものを我慢したり、したいとことを先延ばしにしたりしている人も多いのではないだろうか。

 一方で、そんなふうに一生懸命老後のお金を貯めている割に、無意識のうちに「自動運転モード」でお金を使ってしまっているケースも少なくない。
 例えば、毎日スタバでコーヒーを買う習慣がある場合、1杯400円だったとして30日買えば1万2000円だ。
 そのお金を3カ月分も貯めれば、3カ月に一度、まあまあ良い温泉旅館に泊まることができる。
旅行に行く飛行機代にもなるだろう。
「老後のため」と旅行を我慢しているのに、毎日のコーヒーには「なんとなく」でお金を使う。
そんな矛盾を抱えてはいないだろうか。
 限りある時間とお金を有効活用するためには、しっかりと何にお金を費やすかを考えなければならない。

■「貯めるために使った時間」は戻ってこない
 これは、お金を稼いだり貯めたりすることにも同じことが言える。
 お金を貯めるためにただひたすら働いたり、明確な目標を決めずに貯蓄したりするのも、「自動運転モード」の一種だ。  お金を稼ぐために使った時間は2度と帰ってこない。
しかも、貯めたお金を使い切れずに死んでしまったら、貴重な時間を費やして働いたのは無駄になる。

 だから、大事なのはむやみやたらとお金を稼ぐことではない。
「稼いだお金は使い切って死ぬこと」なのである。
それも、思い出に残るような経験のためにお金を使うべきなのだ。

 もちろん、好きで仕事をしている人もいるだろう。
特にやりがいのある仕事についていると、ついつい仕事に夢中になってしまうものだ。
「仕事がひと段落したら、家族と旅行に行こう」と思いながら、何年もその旅行を実現できていない人も多いはずだ。
 仕事が好きなのは構わない。
ただし、仕事をすることとお金を使うことは別の問題だ。

 どんなに好きな仕事でも、稼いだお金は使わなければ無駄になる。
好きな仕事をしたついでにもらったお金であれ、遺産相続で得たお金であれ、得たお金は使わなければ意味がない。
「仕事に情熱を捧げる人であっても『ゼロで死ぬ』を目指すべきであることに変わりはない」と本書は語っている。

■「寿命」を意識すれば「生き方」が変わる
 とはいえ、いつ死ぬのかその正確な日時がわからない以上、なかなかお金を使い切ってしまうのは難しい。
 その対策として、本書では自分の寿命に対して意識的になる方法と、リスク回避の方法が紹介されている。

 まず、自分の寿命に対して意識的になる方法として挙げられているのが、「寿命計算機」で自分の寿命を算出してみる方法だ。
 これは、現在の年齢や喫煙・飲酒などの生活習慣、家族の既往歴などから寿命の予測値を出してくれるものである。
 もちろん、正確な寿命がわかるわけではないが、自分の寿命と向き合うには良いツールだ。
 保険会社のウエブサイトなどで、無料で試せるのでぜひ一度試してみるといい。

90歳まで生きるつもりで貯金していた人の寿命が「60歳」と出てくる可能性もある。
 実際はそれより生きるかもしれないが、自分の寿命を予測してこれからの人生について考えてみると、「貯めている場合ではない」と思うかもしれない。
自分の生き方を見直す良いきっかけとなる。
 ちなみに筆者も試してみたが、「寿命は残り約20年」と算出された。
残り20年と突きつけられたことで、「その時間で何をするか」に思考が一気に切り替わった。これはかなり有効な方法だと思う。

■「長寿リスク」は「長寿年金」で備える
 もう一つの方法は「長寿年金」の活用だ。
「ゼロで死ぬ」上で最大のリスクになるのは、予想よりも長生きすることだからだ。
 長生きするのはいいことだが、人はみんな、お金を使い果たした結果、その後の生活に困窮してしまうことを恐れている。これを「長寿リスク」という。

この長寿リスクに備える方法として、本書では「長寿年金」を勧めている。
 この「長寿年金」はあくまで一つの手法ではあるが、死ぬ前に資産が尽きないようにしながらも、生きているうちにお金を使い切る方法は存在する、ということだ。
 リスクは確かにある。
ただ、そのリスクを放置して闇雲にお金を貯めるのと、リスクをしっかり受け止めた上で必要な対策を考えるのでは大きな違いが出る。
 私たちが目指すべきは、「富の最大化」ではない。
「人生の喜びの最大化」だ。
 そのためには、いつ死ぬのかを真剣に考えなければならない。

それはつまり「生きている間に何をするか」を考えることにつながるからだ。
 ぜひ一度、自分の寿命がおおよそ何歳かを計算してみてほしい。
きっと残された時間への受け止め方が大きく変わるはずだ。
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2022年09月13日

「正しさに依存させる」のがカルトの恐ろしさ

【お寺の掲示板102】
「正しさに依存させる」のがカルトの恐ろしさ
2022年09月12日 ダイヤモンドオンライン

戦前の宗教弾圧の歴史もあって、日本ではカルト規制に及び腰に見えます。
カルトの恐ろしさは、洗脳により正しさに依存させることにあります。
この陥穽(かんせい)にはまらないための教えが、仏教には含まれています。(解説/僧侶 江田智昭)

■よりどころは、法(教え)と自(自分)の両方に
 今回は、真宗大谷派僧侶の安田理深師(1900〜82)の言葉です。
 政治と宗教の問題が連日、新聞や雑誌、テレビのニュース番組やワイドショーでクローズアップされています。
お釈迦さまのおっしゃる通り、人生は「一切皆苦」(自分の思い通りにはならない)。
そのため、いつの時代も苦悩を抱え、宗教に救いを求める人が後を絶つことはありません。

 宗教と関わる際に覚えておいてほしいことは、どんな宗教に入ったところで悩みが完全に消えることはないということです。
『仏説無量寿経』の中に「身自ら之を当(う)くるに、代わる者あることなし」という言葉があります。
これは、「人生の中で苦しみに出合っても、決して誰も引き受けてはくれず、自分で引き受けなければならない」という意味であり、結局のところ、何にすがったとしても、苦悩から完全に逃れることは困難なのです。

 ところが、生真面目な人ほど人生の明確な目的や完璧な正しさを模索し、苦悩の完全な解決を求めます。
これらの課題に対する明確な答えを提示する宗教もあるかもしれませんが、そのような宗教を信仰するのは、ある意味、「他者の正しさ」に深く依存することだといえます。

 絶対的な正しさを信じさせる洗脳に近い宗教は、いつの世も存在します。
私は以前、ドイツのデュッセルドルフにある惠光寺で働いていました。
ヨーロッパ内では、特にフランスなどでカルト(フランスではセクト)に対する強い規制がありました。
 日本脱カルト協会でも活動している僧侶の瓜生崇師が、著書『なぜ人はカルトに惹かれるのか――脱会支援の現場から』(法蔵館)の中で次のようにおっしゃっていました。

思えば人生は迷いと選択の連続で、今まで様々なことに迷い、そのたびにその自分の決断を喜んだり、悔やんだり、苦しんだりしてきた。
決断はそれが重いものであればあるほど苦しいものである。
そして、自分の決断はすべて自分の人生の中で責任を取らなければならず、代わってくれる人はいない。

ところがカルトに与えられた答えによって「正しさに依存」すると、この決断の責任を自分で取らなくてもよくなるのだ。  人間は追い詰められれば追い詰められるほど、どうしても現実逃避したくなります。
そして、自ら考えて選択を行うことが嫌になり、何かに依存したくなる気持ちは理解できます。

 お釈迦さまは亡くなる直前、弟子たちに向かって、「自灯明(じとうみょう)法灯明(ほうとうみょう)」の教えを説きました。
これは、「自分(自)」と「教え(法)」をよりどころにして生きていきなさいということです。
教え(法)をよりどころにすることは当然説くとして、「自分もよりどころにしなさい」とおっしゃったのは大変興味深いことだと思います。
 煩悩から離れられない自分をよりどころにすることは危険を伴います。
ですから、仏教の教え(法)をよりどころとして、常に自分の姿と向き合い、改めることが大切です。
もちろん、このことによって、今までとは違った新たな苦悩が発生するかもしれません。
しかし、たとえ悩みから離れられなくても、仏さまが見捨てることはありません。

「共に悩めることが救いです」――安田理深師は、自分の悩みそのものを引き受けて、そのままの私を救う仏(阿弥陀仏)の存在をこの言葉で示唆しています。
つまり、完全に悩みを消滅させるのではなく、悩みを抱えた私をそのまま温かく救ってくれる仏がいることを伝えているのです。

 ですから、人びとに安心して共に悩む場を提供することが仏教やお寺の役割の一つだといえるかもしれません。
ちなみに、日本の仏教界では「自死・自殺に向き合う僧侶の会」など、人びとの苦悩に応えるための会が多数存在し、さまざまな宗派の僧侶が熱心に活動しています。
大きな悩みを抱えている方は、そのような場で相談してみてはいかがでしょうか。
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2022年09月14日

メディアに蔓延する“安倍ロス”。批判記事を書いてきた記者も「心に穴が開いたまま」

メディアに蔓延する“安倍ロス”。批判記事を書いてきた記者も「心に穴が開いたまま」
2022年09月13日 SPA!

安倍元首相が凶弾に倒れてから1か月以上がたつ。
モリ・カケ・サクラと在任中は連日メディアを賑わしてきたが、死してもなお安倍氏の話題で持ち切りだ。
大きすぎる存在を失った今、マスコミが陥っている「安倍ロス」に迫る。

◆安倍元首相の死によって報道の中心に空洞ができた
「記者を辞めて、アパレルとか農業とか、全然違う職に就こうかと考えています」
安倍元首相の突然の死から1か月半。
悲しげに話すのは、実は安倍政権に批判的な記事を多く書いてきた全国紙の記者だ。
「周りには『アベの再々登板がなくなった!』と喜んでいる人もいる。
でも、僕は安倍さんが死んだと聞いてから、心にぽっかり穴が開いたまま。何のやる気も出ない。
思い返せば安保改正やモリ・カケ・サクラと10年近く安倍さんを批判してきたわけで、突然いなくなると困ってしまう。
安倍批判のネタならいくらでも思いついたのに、今は何を書けばいいのかまったくわからないんです」

◆「安倍政権を擁護し続けてきた自分の合わせ鏡のように思えて…」
当然、安倍政権を応援してきた側の記者も深いロスに苛まれている。
「事件の一報を聞いたときは『ついにサヨクがやりやがった』と憤りました。
『これで散々安倍叩きをしてきたメディアは責任をとって一掃されるだろう』とも期待していたんです」

しかし、事件の背景に横たわるのは自民党と旧統一教会の癒着。 胸中は複雑だ。
「山上徹也容疑者のツイッターはサヨクどころか安倍シンパ、ネトウヨ的な発言もありました。
まるで40歳を過ぎて非正規に甘んじながら、安倍政権を擁護し続けてきた自分の合わせ鏡のように思えてなりません。

私は騙されていたのでしょうか?
 日本からカネと女性を韓国に送っている旧統一教会と自民党がここまで深く手を結んでいたなんて……。
自分の書いた安倍政権応援の記事を読み返すと、吐き気を催します」

◆メディアも翻弄される“安倍の亡霊”の正体
マスコミのなかにはロスではなくハイになった記者もいる。
「宏池会出身の岸田政権に代わったときのほうがロスでした。
岸田首相は何がしたいのかわからず、叩く材料もない。
それが今は旧統一教会の問題が噴出。
カルトや嫌韓の要素もあり、普段は政治に興味のない人の関心も高い」(フリージャーナリスト・50代)
「ポスト安倍は案外早く出てきそう。その最右翼が萩生田光一政務調査会長。旧統一教会とべったりなのも安倍さんに似ている」(テレビ局記者・20代)

◆本当の意味で安倍ロスが来るのは…
一方、地方紙60代のベテラン記者は「旧統一教会問題は“安倍の亡霊”だ」と俯瞰的に見ている。
「祖父・岸信介の代から旧統一教会と関わりがあったのは事実。
旧統一教会の報道では我々は亡くなった安倍晋三の姿を見ているわけだ。
最後の打ち上げ花火のように、報道は過熱しているが、亡霊はいつか消える。

本当の意味で安倍ロスが来るのは、旧統一教会報道が下火になったときだろうね」
アフター安倍ロスについて、これまで安倍政権を苛烈に批判してきた政治学者の白井聡氏はこう分析する。
「安倍氏が退陣してからも相変わらず統治機能が腐りきっているように、強固な権力構造が崩れることは基本的にはないでしょう。
野党は弱体化しすぎて、自民党内の自浄作用も働いていない。
ただ、ある種の政治的シンボルであった安倍氏の死によって、旧統一教会問題は腐敗体制の一端を炙り出し、東京五輪汚職にも本格的なメスが入りました。
蓋が開き始めた今、『なんだか安倍ロスだよね』と肩を落としている場合ではありません」

◆安倍元首相は貴重な議論の架け橋だった
一方、安倍夫妻への取材経験があるライターの梶原麻衣子氏は、頻出する「安倍政治が社会の分断を生んだ」という言説に異を唱える。
「どちらの立場でも、仲間内では安倍さんの評価を全肯定か全否定かに回収される苦しみがあったと思います。
しかし、実は安倍さんには右派と左派に共通する数少ない“鉄板の話題”という一面もありました。
逆説的ですが、たとえ右派でも政権への不満がくすぶれば、左派と対話するきっかけにすることができた。
安倍さんは分断どころか、貴重な議論の架け橋だったのです」

◆韓国記者にも安倍ロスは広がっている?
戦後最悪といわれる日韓関係のなか、隣国で安倍元首相の銃撃事件は、どのように報じられたのか?
 韓国の新聞記者・朴道允氏(仮名・30代)は語る。
「銃撃事件の発生直後から、韓国でもトップニュース扱いです。
私が報道した速報も瞬く間にSNSで拡散されました。
もちろん韓国では安倍さんに否定的な報道が多かった。

慰安婦や徴用工問題、最近では佐渡金山のユネスコ推薦にあたり『歴史戦を避けるべきではない』との発言など。
首相を退任してからも、韓国でも大きな存在だったのは確かです」
それゆえに、韓国人記者のなかにも「安倍ロス」は広がっているという。
「不謹慎ですが、日韓関係に興味のある私の立場から言えば仕事が“つまらなくなった”と感じています。
安倍さんの言動は、良くも悪くも韓国内でも大きく取り上げられ、安倍さんは“ひとつのニューストピック”として成立していましたから」

今後は韓国で日本の存在感はますます低くなるだろうと朴氏は予想する。
「韓国では旧統一教会の話題はほとんど報じられていません。
すでに韓国は日本の平均賃金を抜き、昔と違って韓国人は日本への関心は高くない。
そんななか、唯一韓国人が関心を抱いていた日本の政治家の安倍さんが亡くなった。
慰安婦や徴用工問題は解決していない。

報じなければならないことは多いはずだが、これから韓国で日本のニュース価値はさらに下がるでしょうね」
安倍ロスは続きそうだ。
         【政治学者・思想史家 白井 聡氏】
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2022年09月15日

「お金が足りなくて困っている」という人を、禅僧が「家族や知人に頭を下げて借りればいい」と突き放すワケ

「お金が足りなくて困っている」という人を、禅僧が「家族や知人に頭を下げて借りればいい」と突き放すワケ
2022年09月13日 PRESIDENT Online

なぜ人は不安や苦しみから逃れることができないのか。曹洞宗僧侶で経営コンサルタントの島津清彦さんは「不安やストレス、恐れや怒りや苦しみなど、およそ人間が感じる苦悩は、自分への執着によって生じている。
その執着を減らすには、禅の言葉が役に立つ」という――。
※本稿は、島津清彦『元上場企業社長の「禅僧」に、今の時代の悩みをぶつけてみた。心が回復する禅問答』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■不安や苦しみをもたらす犯人は「自分への執着」
いま、仕事や生活上のストレスから、精神的に疲れてしまう人が増えているようです。
例えば、上司と反りが合わなくて毎日仕事がつらかったり、パートナーとの関係がうまくいかなかったり。
そんなときに、新型コロナウイルスのパンデミックがやって来て、かれこれ数年続いています。
先がなかなか見通せないときは、不安が募って気持ちが落ち込むのも無理はないでしょう。
そのつらい不安の正体は、いったいなんでしょうか?
実は、あなたがいま抱えている不安の正体は、ひとことでいうと「執着」です。

不安やストレスのほか、恐れや怒りや苦しみなど、およそ人間が感じる苦悩を、禅では執着によって生じていると考えます。 では、なんの執着かといえば、それは「我執(がしゅう)」と呼ばれる「自分への執着」です。
自分への執着が強くなればなるほど、不安や苦しみが大きくなってストレスも増していきます。

■生きていること自体が修行である
高価なものを追い求めれば追い求めるほど、他人と比べて心がざわついてしまいます。
住む家があり年収もそこそこ、いい車にも乗っているのに、なぜか心が満たされない。
物質的に満たされていても、そこに心の平穏はなく、むしろ苦しみが少しずつ増していきます。
家族や友人との関係がおかしくなったり、トラブルが降りかかったりするたびに、不安や猜疑心といったストレスにさいなまれ続けるようにもなります。
やがて、他人や身のまわりのものを常に恐れるようになってしまう……。

禅の観点でいうと、それらの正体はすべて、自分への執着というわけです。
残念ながら、執着がまったくない完璧な人間などいません。
わたしも毎日修行を続けていますが、まだ執着にとらわれていると感じます。
もちろん坐禅をしたり、禅の考え方を学び実践したりすることで、執着は確実に減っていきます。
これは、はっきりといえることです。
しかし、完全になくすことはなかなか難しい。

だから、むしろこう考えたほうがいいのではないでしょうか?
わたしたちは、「生きていること自体が修行なのだ」と。
「死ぬまで修行は続くのだ」と。

■禅僧が「お金がないなら人から借りればいい」と話すワケ
人が抱える悩みについて、もうひとついえることがあります。
それは、悩みの多くは人間関係から生じているということです。
「あの人がなにを考えているのかわからない」「自分のやりたいことがわからない」……。
職場でも、上司や部下との関係にほとほとまいっている人もいるかもしれません。
そうした悩みのほとんどは、人の心がよく見えないために生じるのです。

「でも、お金の悩みだってあるじゃないか」と思う人もいるでしょう。
頑張って働いていても、「お金が足りない」と悩むときもあると思います。
それは、別に人間関係の悩みではないのでは……?
もし、そんな悩みを打ち明けられたなら、わたしはこう答えます。
「本当にお金が必要なら、家族や信頼できる友人に頼んで、頭を下げて借りればいいではないですか」と。 「そんな負け犬のような振る舞いを簡単にできるわけがない」と思うかもしれませんね。
ですが、それこそがまさに人間関係なのです。
そんな振る舞いができないのは、人様にお金を借りるのは情けない振る舞いだと考えているからです。
「お金を無心するなんて親や友人になんと思われるだろう?」「給料が安いのではないか、仕事がうまくいっていないのではと、友人に思われるのではないか?」と思っているからです。

■あらゆる悩みの原因は人間関係から生まれる
自分のなかにある不安や恐れ、あるいは「人からよく思われたい」という気持ち。そんな他者に対する感情にとらわれるために、自分の心に「蓋」がされてしまうわけですね。
会社での序列、クライアントからの評価、妻や子どもの視線……など、仕事でも家庭でもすべて同じです。
わたしたちの悩みの多くは、人間関係からもたらされています。

では、わたしたちは、なぜ人の心によってそんなに苦しむのでしょうか?
その答えは、やはり「自分に執着しているから」という真理に戻ってきます。
自分という存在のなかに、なんらかの実体(我)があると考え、それに執着してしまう。
この「我執」が、際限のない苦しみをもたらす原因になっているのです。

■現代は承認欲求に振り回されている
たしかに、いまの時代は「自分にこだわらなければ生きていくのが難しい時代」になっている面があるのかもしれません。
わたしたちはつねにまわりから評価されるし、自分の強みをアピールし続けなければならなくなっていて、我執を駆り立てる世の中になっているともいえます。
そうして、なんでもかんでも「評価される」時代では、仕事に限らず、本来コミュニケーションの楽しみのためのSNSでも、とにかく「いいね!」がほしくなってしまう。

承認欲求を満たしてくれるものに、つい夢中になってしまうわけですね。
そこで自分をかりそめにでも認めてもらえれば、気持ちが落ち着いて、不安や悩みを少しだけ忘れることができる。
そうして、繰り返し同じような承認を求めてしまうのです。
いまの世の中にはそんな仕掛けが多過ぎると感じませんか?

 モノであれ情報であれ、他者からの承認であれ、自分の外側にあるものがあまりに多く、選択肢が増え過ぎていて、わたしたちは駆り立てられるようになにかを得ようと必死になっています。
でも、そのなにかを手に入れた結果、なぜか自分の心が満たされていないことに気がついてしまう。
だからこそ、その心の空洞を埋めるように、またなにかを求めてしまうのでしょう。

つまり、先の「お金が足りない」という悩みに戻ると、「お金が足りない」というのは、悩みの本質ではないということです。
例えば、いま手元にお金がなくても、自分の生き方やあり方を見て、自然と応援してくれる人が現れることだってあります。 もちろん、他人がかかわることはタイミングの問題もありますが、自分の心の蓋を取り払っていれば、その人間の生きざまや価値観などは、表情や振る舞いから伝わるものです。
もっと直截(ちょくせつ)にいえば、「○○のためにいまどうしてもお金が必要なんです。
○○までに必ず返しますから、貸していただけないでしょうか?」と、誰かにお願いすればいいでしょう。
それができないのは、やはり自分にこだわっているからです。

■自分を飾ることなく、ありのままの姿を見せよ
人に借りをつくることの是非はともかくとして、我執をゆるめれば、お金などの問題は案外すぐに解決する可能性があります。
お金もまた、自分の外側にあるものに過ぎないからです。
たとえお金を借りられなくても、あなたが自分を飾ることなく、ありのままの姿を見せていれば、親身になって相談に乗ってくれたり、新しい人や仕事を紹介してくれたりするかもしれません。
そこから、新しい出会いや機会が生まれて、ゆくゆくの収入につながっていくかもしれません。

そのようにして、ものごとは「あなた自身から」動かしていくことが大切なのです。
そのためには、もっと我執をゆるめて、「こだわり」を手放すことです。
これは自分の強みやいいところ、可能性などを捨てろという意味ではありませんよ。
それらに、もう「こだわるな」ということです。
自分にこだわらなければ、自分からものごとを動かすなんて余計に難しくなるような気がするかもしれません。
ですが、別に自分のこだわりがあるからといって、他者を自在に動かすこともできません。
いや、相手に「右を向いてください」といって右を向かせることすらできないかもしれません。
相手はそれを聞いて、あえて左を向くかもしれませんよね?
そう、本質的に他者はコントロールできないものなのです

■他者をコントロールできると思ってはいけない
会社などでは、上司の指示に部下が従わなければ組織は成り立ちません。
その意味では、誰かの意図のもとに、他者を動かしているともいえます。
しかし、それは上司が部下をコントロールしているのではなく、部下がそうすることを「自ら選んでいる」ととらえるべきではないでしょうか?

もし上司が、「自分が部下をコントロールしていると思っている」なら、その上司はリスクマネジメントができていないどころか、そもそも人間の本質についての洞察が欠けているといわざるを得ません。
そして、そういう人が、思わぬときに足をすくわれるのです。
大切なことは、他者をコントロールしようとするのではなく、「いま、ここ、自分」に集中することです。

■悩みが一気に晴れる禅の言葉
「即今(そっこん) 当処(とうしょ) 自己(じこ)」という言葉があります。
禅の教えの根幹は、いまここにいる自分にフォーカスすることです。
実は、ほとんどの人は、いまこの瞬間の自分から離れて、過去や未来について悩んでしまっています。
「なぜあのときにしっかり勉強しておかなかったのか……」「将来の生活はいったいどうなるのだろう?」などと妄想や雑念が入り乱れて、頭のなかで思考が暴れています。

つまり、自分でコントロールできないことばかりを悩んでしまい、どんどん止められなくなって、大きな苦しみの原因になっているのです。
しかし、いまこの瞬間にしっかりと集中することができれば、実は悩みはなくなります。
実際のところ、いまこの文章を読んでいる瞬間に、あなたは将来やお金について悩んではいないでしょう。
なにかをしながら、同時に将来やお金について深く悩めるわけがないからです。

そして、いまこの文章を読んでいるあなたこそが、まさに「いま自分の人生を生きているあなた」だということです。
あなたが、「いま、ここ、自分」に集中して過ごすこと、それがあなたの生の本質なのです。

■悩むなら、いまここで真剣に悩み抜くべき
禅の教えでは、過去や未来はそもそも存在しないとまでいわれています。
正確には、悩むなら「いま、ここ、自分」に集中して悩めばいいということですね。
悩むなら、いま真剣に、徹底的に、全身全霊をかけて悩み抜けばいい。

でも、たいていの場合、人は「いま、ここ、自分」をなおざりにして、過去や未来についていつまでもくよくよと悩んでしまうのです。
もちろん、長年の考え方や習慣を変えるのは一朝一夕にはできませんから、しばらくのあいだ「真剣に悩み抜く」練習は必要でしょう。
でも、あなたはいま「気づく」ことはできるはずです。

   あなたは、過去と未来をコントロールすることができますか?
 他者やまわりの環境をコントロールできるでしょうか?
 嫌いな上司をコントロールし、将来を好きなようにコントロールできるでしょうか?
そんなことは誰にもできません。

それなのに、コントロールできないものにいつまでもこだわってしまう。
なぜでしょうか?
それは、やはり「我執」があるからです。
我執が強いから、いつまでも過去を後悔し、未来に不安を感じてしまうのです。

そうではなく、あなたはコントロールできる世界をすでに手にしています。
それは「内なる自分の世界」です。
深い意味では、これも“ある程度”コントロールできるに過ぎませんが、いずれにせよ、禅の教えの真髄は、いまここにある自分にどれだけ真剣に向き合えるかにかかっています。
いまこの瞬間に集中するから、過去や未来を思い煩うことがなくなり、やがて我執も減っていくのです。

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島津 清彦(しまづ・きよひこ)
経営コンサルタント、僧侶
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2022年09月16日

「本当はやりたくない」旧統一教会で「炎上」爆笑問題・太田光さん事務所が法的措置…「宗教2世」告白の光代社長に「真意」聞く

「本当はやりたくない」旧統一教会で「炎上」爆笑問題・太田光さん事務所が法的措置…「宗教2世」告白の光代社長に「真意」聞く
9/15(木)  弁護士ドットコム

お笑いコンビ「爆笑問題」らの所属事務所「タイタン」が、タレントに関するSNS上の誹謗中傷やデマの拡散に対して法的措置をとる考えを示した。
「爆笑」の太田光さんがテレビ番組などで「旧統一教会」に関する考えを述べたところ、ネット上では批判的な投稿が相次いでいた。
ついには、ツイッターで「#太田光をテレビに出すな」がトレンド入りする事態となっている。

太田さんの妻であり、タイタン社長である太田光代さんはリリース翌日の9月15日、弁護士ドットコムニュースの取材に応じて、リリースを出すに至った思いだけでなく、「宗教2世」としての過去を語った。
光代さんは、ある宗教の信者だった実母に胎児のころに入信させられ、のちに「このままでは母を殺してしまう」とまで思い悩んでいたという。

●太田さんへの攻撃が日に日に強まっている
タイタンは14日、公式サイトで、「非常に残念なことに、叱咤激励の範囲を大幅に超えて、タレント個人に対する人格攻撃とも取れる誹謗中傷等も散見される」状況にあるとうったえた。
会社としてタレントを守るために「表現の自由の範囲内を超えていると判断される誹謗中傷や虚偽事実の拡散等につきましては、不本意ではございますが、刑事告訴や被害届の提出を含む法的措置により、毅然とした対応を取って参ります」とし、自覚ある投稿者に削除などの対応を呼びかけた。

タイタン所属の太田光さんは、安倍元首相銃撃事件に端を発した「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)をめぐる問題について、メディア上でたびたび発言している。
教団への批判が高まる中で、信仰をもつ信者が偏見の目で見られるのではないかといった意見を述べ、賛否を呼んでいた。

●本当は法的措置なんて取りたくない
太田さんの妻でもあり、事務所代表をつとめる光代さんは、弁護士ドットコムニュースの取材に「法的措置」の意向を明らかにするに至った考えを語った。
「リリースは、会社としてタレント全員を守るためのものであって、その中には太田(光さん)も含まれますが、太田のことがあって出したものではありません」

だが、太田さんが旧統一教会について語る言葉が「教団擁護」と受け取られ、それが事務所や、ほかのタレントへの攻撃につながっているような状況があるという。
「リリースにも『愛されるタレント育成』とあるように、特に若手のために法的措置ということをしっかりここで示す必要があると考えました。
太田を今さら愛されるタレントにしようと思うわけがありませんし。 そのとばっちりか、SNSでは憶測から事務所の若手タレントにも『死ね』だとか、嫌がらせのひどい言葉が投げかけられています。

太田も傷つくことはある人ですが、SNSをやっていませんし、見ることもありません。
何かあればテレビやラジオなど言い返せる場所があって、批判をはねかえせます。
最近では、爆笑問題のYouTubeも始めました。
ただ、若手はSNSをやっていますし、見ます。
言い返せるかというと、そうでもありません。
今に始まったことではありませんが、事務所にも、脅迫や変な電話がたくさんかかってきます。

全部録音していますし、阿佐ヶ谷の芸能事務所はうちくらいなので、杉並警察署もよく気にかけてくれています。
過去には、事務所に来た人が、私不在の間に、私が経営する店の女の子を人質にとったことまでありました」
ネット上の投稿が過激化して、事務所関係者が身の危険を感じる事態となるにあたり、今のうちが釘をさすタイミングだと感じたというのだ。

太田さんらへの殺害予告がネット掲示板に投稿されたこともあったという。
「警察はすぐに動いてくれました。大学生なら大人だと思うので許しませんけど、捕まえてみると、みんな子どもなんです。高校生や小学生までいました。
お父さんお母さんがやって来て、『子どもに将来があるから』と両手をついて謝るんです。
私はそういうのイヤなので、正直なところ、今回も法的措置をとりたくない。

ただ、今年7月には侮辱罪も厳罰化されました。
そういうタイミングで、ネットの誹謗中傷やデマに対して、会社として方針を示しておこうと。
それでも引かないなら、それはそれで粛々と対応します」

●突然の「私は宗教2世」カミングアウト、突然思い出した自分の過去
光代さんは先月末、自身のツイッターで、突然「宗教2世」であることを告白した。
実母が、旧統一教会ではないある宗教の信者だったという。
〈母と、私の実の父が別れた後に私が産まれました。
母は離れていった父に対抗するような宗教を選び、私が産まれて直ぐに入信させました。
当時は宗教の自由など機能していません〉
〈私が宗教二世だったからかな。子供の時、育ての父が助けてくれて脱会したけど。今問題の教会ではないけど。親戚の中にも宗教の人いるから。
だから全く関係ないアーリン(編注:太田光さんのこと)が。私の犠牲になっているのかな〉 これらのつぶやきもまたネットニュースになるなど波紋を呼んだ。

太田さんのことを絡めた内容の投稿もあり、意図するところはなんだったのか。
「悲しげに書いてしまったと思います。でも、私、宗教2世だったことを忘れていたんです。思い出させてくれたのが、太田でした。
家でテレビを見てたら、山上(徹也)容疑者が宗教2世だったことが報じられていて。太田に『みっちゃんもがっつり宗教2世だからね』って指摘されたんです。
自分でもハッとしてしまって。みんなで集まって祈ったり、拝んだり、いろんなことを教えられて、教えへの疑問が子どもながらに湧いてきて、あんなに大変な思いをしていたのに、イヤな記憶だったから封じ込めておいたのかも。
それでビックリしちゃってツイートしたということです」

●数千万円の仏壇購入…「このままでは母殺す」高校時代に家飛び出す
「母は未婚で私を産みました。私が胎児のときですね。
生まれる何カ月か前に入信させられているんです。
母とその後、結婚した育ての父が宗教ダメな人ですよということを許諾して結婚したはずだったんですけど、それなのに勧誘の人を連れてきました。
私が小学4〜5年のとき、育ての父が1年ほどかけて脱会させてくれました。
この子は自分で宗教を選べない。なのに、入信させるのは違法だとまで言い続けてくれました。
それまで、信者がいつも家に来ます。
父や母や信者の話を聞いて、幸いなことに父の話がまともに聞こえたんです。
母は昔、数千万円する、でっかい仏壇を買ってきました。
父はそれを見て母と別れようとしましたが、私は置いてかれると困るので必死で引き止めました。

17歳の高校生のころには、一緒にいたらこの人(母)を殺してしまうと思ったので、家を出ました。
母は、私の住む地域が変わるというので、その支部の信者を紹介しようとしました。
そういう、いろんなことを今は思い出せますよ。不思議と忘れていたことに驚いただけです。

『娘の面倒にはならない』と言っていた母は今、一緒に暮らしています。
今では宗教チックなことはやめてもらっています」

●太田光さんは「決めつけ」がイヤなのでは
多額の献金による被害が多数報告されている教団のおこないを正当化するのかと、太田さんの発言が識者から批判されて、ネット上で糾弾されている。
この状況を受けて、光代さんは太田さんの考えを「私にも理解しがたいところはあるが」との前提で代弁した。 「テレビで盛んに報じられていた霊感商法や合同結婚式をリアルタイムに見ていたのは、私たちの世代です。
太田には、『サンジャポ』でも、ほかの番組でも、安倍さんが撃たれるまで何も報じてこなかったテレビに対するジレンマのような気持ちがあるのでは。

そして、まだ未確定な部分がある中で、『たぶん』『おそらく』の話で決めつけるのはイヤなんだと思います。
また、ある種の『弾圧』を受ける中で、教団が結束を強めていくことへの危惧もしているのではないでしょうか。
批判一辺倒の状況で、信者たちが『弾圧』され、傷つくことにも思いを巡らしているはずです。
ネットの反対意見は絶対に必要です。
ただ、一定のラインを超えた人に対して、タイタンが、会社としてタレントを守ることもそれと矛盾しません」

弁護士ドットコムニュース編集部
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2022年09月17日

二階俊博氏「黙って見送れ」国葬巡る再びの放言に「独裁国家」「税金使うな」と怒り最高潮に

二階俊博氏「黙って見送れ」国葬巡る再びの放言に「独裁国家」「税金使うな」と怒り最高潮に
9/16(金) 女性自身

開催まで2週間を切った安倍晋三元首相(享年67)の国葬。
反対する声も未だ根強いなか、自民党の重鎮から火に油を注ぐ発言が飛び出した。
発端となったのは16日に行われたTBSのCS番組の収録。

各メディアによると、二階俊博氏(83)は国葬への反対論に触れて「終わったら反対していた人たちも、必ず良かったと思うはず。日本人なら」とコメント。
そしてこう発言したという。 「長年務めた総理が亡くなったのだから、黙って手を合わせて見送ってあげたらいい。こんなときに議論すべきじゃない」
さらに、執行部が欠席を決めている野党の立憲民主党や共産党についても、「欠席する人は、後々、長く反省するだろう。
欠席しようがしまいが、国葬には関係ない。世の中にあまり賢くないということを印象づけるだけだ。
選挙で取り戻すのは大変だぞ」と話したことも報じられている。

時事通信が9月9〜12日に実施した世論調査では、国葬に反対する人が51.9%と賛成の25.3%を大きく上回るなど、幅広い民意を得られているとはいい難い状況で行われる国葬。
さらに、総額約16.5億円と発表されている開催費用は全額税金から充てられる。

そんななか、国葬を反対する人に「黙って見送れ」と言い放ち、野党に対しても「選挙で取り戻すのは大変だぞ」と“脅し”をかけた二階氏。
しかも、二階氏は8月24日の講演会でも「国葬は当たり前だ。やらなかったらばかだ」と発言し、大きな批判を浴びたばかり。
批判されても省みることなく、発言をヒートアップさせる二階氏にはネットの怒りも最高潮に。批判の声が殺到している。

《独裁国家ってこと?》
《二階さん、国葬反対の声に耳塞いでますね、憲法違反、税金を国会決議もなく使う違法を政府はやろうとしている、後々反省するのは政府自民党だ》
《二階さん凄い脅しだな、国葬終わっても良かったとは絶対全くもって思いません。
そんな事に税金使うならもっと国民の為になる事に使ってくれた方が良かったのに!って思います。》
《普通の葬式じゃないだろ 自民党は びた一文出さないのに それなら税金使うなよ ふざけるな》
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2022年09月18日

日本人が持っていたはずの「正直さ」の美徳はもう戻らないのか(三枝成彰)

日本人が持っていたはずの「正直さ」の美徳はもう戻らないのか(三枝成彰)
9/17(土) 日刊ゲンダイ

 芸術家に求められるのはルールを破ることだ。
いつの時代もモラルを疑い、社会の常識をひっくり返してみることで、新しい芸術は生まれてきた。

 政治家に求められるのも、凝り固まった旧弊をひっくり返して現状を打破する力だろう。
しかし、もっとも重要な資質は嘘をつかないことだ。
大言壮語は大いに良し。しかし、国民を欺くことは、決してやってはいけないのだ。

 以前に当コラムで、安倍元総理の最大の罪は「嘘が通る社会をつくったこと」だと私が書いたゆえんはそこにある。
 安倍政権発足以来、本来なら国民に範を示すべきリーダーや官僚たちが公の場で平気で嘘をつき、国にまつわる数字や公文書を改ざんするようにさえなってしまった。
そのために日本社会のモラルは崩壊したのだ。

 私は同じコラムで「安倍元総理の人柄と業績は分けて評価すべきだ」と述べた。
著名人が亡くなって世の中が“追悼モード”になると、日本人はすぐに故人の人柄と業績とをいっしょくたにしてしまう、と。  たとえその人が罪を犯していたとしても、日本人は「もう亡くなったのだから」と許してしまいがちだが、その罪が消えてなくなるわけではない。
人道に対する罪などは、犯した者が生涯にわたり背負っていくのが世界の倫理観だ。日本人の考え方は通用しない。

■森友、加計、桜、東京五輪…
「モリカケサクラ問題」も疑惑が消えたわけではなく、現にその中で命を落とした人もいる。
真相追及の作業は大方が積み残されたままだ。
 とくに加計学園のことは単に学部設置に便宜を図っただけにとどまらない。
獣医学部の看板を借りて、安倍さんが秘密裏に細菌兵器の研究を進めようとしたという説さえある。
獣医学部のみが、実験を含めた研究を行えるからだ。

 国会議員が、いわくつきの宗教団体と集票や無償労働などと引き換えに密接な関係を結んでいても、「何が悪いのか」と反省する態度すら見せない。
 オリンピックが巨大な利権ビジネスなのは周知の事実だ。政府が表立って関われない水面下の招致交渉などを広告代理店に任せるのも当たり前。
しかし、賄賂の授受がバレても嘘さえつき通せば何とかやりすごせるという風潮が出来上がった責任は、安倍さんにある。

 日本人が持っていたはずの「正直さ」という美徳は、もう戻ってこないのか?
 精神科医の和田秀樹さんがご自身のメールマガジン「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」で、いまの政治を分析しておられるのを紹介したい。
当コラムとも通ずる話題を取り上げており、共感する部分も多い。
 いわく、「企業なら結果が悪ければ責任を取らされるが、政治家は結果が問われない」
「いいことをやって結果を出すより、何もしないほうが選挙に勝てることも(岸田総理は)知っている」
「アベノミクスにしても、理屈は立派だが、結果は悲惨だ」など。
 和田さんのエッセーは私以上の毒舌だ。
毎回、政治や医療や教育などを独自の見方で斬っておられる。
有料の購読制だが、ご興味のある方はどうぞ。
          (三枝成彰/作曲家)
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2022年09月19日

「フクシマの反省や教訓は邪魔でしかない」とにかく再稼働ありきの原子力行政の"非人道ぶり"

「フクシマの反省や教訓は邪魔でしかない」とにかく再稼働ありきの原子力行政の"非人道ぶり"
2022年09月17日 PRESIDENT Onlin

原発事故への備えは万全といえるのか。
東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授は「周辺自治体がつくっている避難計画は、実効性のあるものとはとても思えない。フクシマのような事故は起きないことを前提に原子力防災行政が進められている」と指摘する。
ジャーナリスト・日野行介さんの著書『原発再稼働 葬り去られた過酷事故の教訓』(集英社新書)より、広瀬氏のインタビューを紹介しよう――。

■フクシマ後も変わらない原発行政の虚構
広瀬弘忠さんは災害時の住民心理の専門家で、フクシマ後は鹿児島県(九州電力川内原発)、静岡県(中部電力浜岡原発)、新潟県(東京電力柏崎刈羽原発)で住民へのアンケート調査を実施。
原発避難計画の虚構性を一貫して指摘している。

私の調査報道により、日本原子力発電東海第二原発(茨城県東海村)の30キロ圏内から避難する人を受け入れる避難所が過大に見積もられていたことが判明した。
この調査報道では、1年間にわたって粘り強く伴走してもらい、専門的視点から貴重な助言をもらった。

今回の調査報道で取り上げた東海第二原発の避難計画を入り口に、フクシマの反省や教訓の形骸化から、数字やロジックの辻褄合わせに終始する役人たちの習性まで、フクシマ後も変わらない原発行政の虚構について語ってもらった。

■全住民を受け入れる避難所の確保は「最低限」??
1年間にわたる伴走、ありがとうございました。
「今回の報道には本当に驚きました。これは原発避難計画をめぐる新たな指摘です。
今までは避難経路とか高齢者や病院など、どう避難させるかの方法にだけ焦点が当てられてきました。
だが、避難させた後はどうなっているのかと言えば、実は避難場所にスペースがなく、ロジステ ィックスも杜撰でめちゃくちゃな状態だった。 実効性の有無どころか、「絵に描いた餅」「机上の空論」でさえない、形ばかりで、中身のない実態を示した報道でしょう。
分かりやすくて痛いところを突いている。

しかも地道に証拠を積み重ねているから役所は逃げ隠れができない」 ??それでも、避難所不足がバレると、役所の担当者たちは一様に「住民全員が逃げるわけではない」と開き直りました。
「確かに、これまでの住民アンケート調査を見ると、『避難しない』と答えた人も結構います。
ただそういう人がいるからキャパ(避難所)が少なくてもいいのかというと、そうではない。

福島第一原発事故みたいに、最終的にはいや応なく避難しなければならない事態になり得る。
全住民を受け入れる避難所を確保しておくのは、行政として最低限の前提です。
さらに言えば、災害避難の現実ではキャパギリギリは機能しない。
収容人数の90パーセントが埋まるような計画では100パーセントを超えているのと同じです。
十分な余裕を持った計画でなければいけない」

■茨城県の数字の書き換えは確信犯的 ??
県議会での指摘を受けて、茨城県が2018年に実施した避難所面積の再調査では、トイレや玄関などの非居住スペースを除いた数字を出すよう市町村に指示しておきながら、自分たちは非居住スペースを含む総面積の数字に書き換えたりしています。杜撰を通り越して、本気で過大算定を改めるつもりなどなく、形ばかりの計画で良いからとにかく作ってしまえ、と考えているとしか思えません。

「杜撰というのは怠慢ゆえのうっかりミスですが、過大算定になると知りつつ意図的に数字を書き換えているなど、ある意味では確信犯的なところがある。
策定プロセスを公表しておらず、途中で修正する復元力が働かなかったことは大きな問題です。

避難者全員を収容できないことが明らかになると計画自体が瓦解しかねないため、隠して数字を書き換えたのでしょう」 ??
実効性の有無以前の問題ですね。
これでは検証などまったくできない。

「そうです。避難計画がなければ再稼働が認められないということになったので、作っていますが、どう作っても実現不可能な避難計画になる。
だから机上の空論、絵に描いた餅と同じです。
骨抜きよりもっと悪質で、官僚の作文によって実効性を虚偽的に作り出している。
避難計画には実効性がありますよと安心材料を県民に提供しているつもりでしょう。

根拠となるデータを国も県も隠すとなると、まったく検証ができない。
安倍政権で相次いだ公文書スキャンダルと同根です。
旧日本軍の役人たちが鉛筆をなめて勝手に戦果を水増しし、損害を小さく見せたような話です」

■避難計画は再稼働するための方便 ??
役所は「核燃料がある限りは危険がある」という論法で、避難計画が再稼働とは無関係であるかのように装っています。
しかし再稼働すればリスクは格段に増します。
極端なことを言えば、再稼働しなければ良いだけなのですが、そう指摘されないよう装っているように見えます。

「確かに稼働していなくても事故は起きますが、運転しているとリスクは格段に大きくなる。
それは言わずに、『核燃料があるから避難計画に協力してください』と迫られると、避難先の自治体や住民は『それならいいよ』と受け入れざるを得ない。
そうすると、原発を再稼働するときに反対したとしても、『避難計画を受け入れただろ』と反論を受けてしまう。

こうした詐欺的な手法を『フット・イン・ザ・ドア』と言います。
何かを売りつけるときに、ドアをノックして、開いた瞬間に足先だけ差し込んで、断れない状態にしてしまう。
避難計画は再稼働するための方便ですよね」

■デタラメなのは東海第二原発だけではない ??
役所は避難計画が再稼働の前提であることを再稼働寸前まで隠しています。
「再稼働ありきではない、安全第一だと彼らは言います。
避難計画の確実性、安全性、実効性がちゃんと担保されてから再稼働に進むのが本来のあり方のはずです。
ところが実際は逆です。
まず再稼働したいという強い欲求だけがあって、それを実現するためにいろいろごまかしたり、隠したりしながらデタラメな避難計画を作って最後になるべく簡単にすり抜けるというやり方です。
どう考えても実効性のある避難計画ができるわけがないけれど、できるように装うことはできるから、非常に危ういと思います。
騙し方が極めてうまいですよね。
微妙なところは後出しにして再稼働まで持っていく。
問題はそこまでして原発を動かす必然性があるのかということですが、あまりにすべてがウソだらけだから、かえってウソを指摘しにくい」 ??

デタラメなのは東海第二原発だけでしょうか?
「いや、どこも同じようにデタラメだと思います。
避難計画も自治体が作る原子力防災計画も、どこも同じ金太郎飴で、道路の名前や施設の名前を変えているだけです。
これは内閣府がテンプレートを作って道府県に下ろしたものがそのまま使われているからです。
どこの避難計画も作り方は同じです。
避難所がこのくらいあって、収容人数のキャパがこのぐらいだから、30キロ圏内の人口のうちこのぐらいを収容できるとして各自治体に割り振る。
パズルを当てはめるような形式的なやり方ですね。

しかも、今回の報道が示したように実際には使えないスペースまで入れているとなれば、最初から本気で避難計画を作るつもりはなく、再稼働を進めるためのめくらましということでしょう」

■避難先がなくなる事態は起きないことにした ??
内閣府から開示された非公開会議の議事録で、規制庁(内閣府)の担当者が、自治体が楽に避難計画を策定できるよう、事故時の想定を引き下げたとも受け取れる発言をしています。
その結果、UPZ(5〜30キロ圏内)全域の避難は考えられないから、避難所の融通もできると、自治体に説明しています。 「一番簡単で経済的なやり方は30キロ圏内一律避難ですよ。
『俺はどこに避難するのだろう?』と、住民が自分の避難先を知らないような計画が機能するはずがない。
最悪のシナリオを想定するどころか、都合の良いシナリオしか想定していません。
そもそも全村避難になった飯舘村は福島第一原発から40キロも離れているのに、なぜ防災対象範囲を30キロにしたのか理解できません。
そこまで考えたら、避難先がなくなってしまう。
だから、そんな事態は起きないことにしている。

最初から破綻しているのに、なんとか辻褄を合わせて一応取り繕うだけの避難計画ということでしょう。これでは30キロより外側の人々には、『逃げるなら自己責任で』となりかねません」

■「事故が起きなければ大丈夫」という矛盾 ??
30キロより内側も全住民を避難させるつもりがない。
これではフクシマの反省で防災対象範囲を30キロまで広げたとは言えない気がします。
「その通りですね。フクシマは例外としか見てないのでしょう。
実際には福島第一原発事故はもっと大きな災害になった危険性があったと思うのですが、それすら今後は起きないことを前提に原子力防災行政を進めている。
フクシマは想定外の大事故であって、想定できる事故はもっと小規模でマネジメント可能なものだと思い込んでいるだけです」 ??

事故に備える避難計画なのに、事故が起きない前提になっているのでは? 「そういうことです。形式的でも一応体裁だけ整えればいいという発想でしょう。
避難計画が形ばかりでも実際に事故が起きなければ大丈夫だと思っている。
そもそも事故が起きたときに必要になるのが避難計画なのに論理矛盾ですよね。
事故なんて起きるはずがないからいいかげんなものでも大丈夫だなんて、わずか10年で事故が起きない前提に逆戻りしている」

■日本の原子力行政は「非人道的」 ??
ヨウ素剤の事前配布もフィクションです。
UPZは屋内退避するという「二段階避難」と論理的に矛盾するから配らないのでしょうが、事故が起きた後、集合場所で配布するなど誰が考えても非現実的です。
「国が屋内退避しろと指示しても多くの人は従わないでしょう。

私のアンケート調査でも半分を超える人が自分の判断で避難すると答えています。
UPZで事前に配りたくないのは、二段階避難ができるというフィクションを守りたいからでしょう。
結局、彼らはフクシマの反省や教訓が邪魔でしかたないのでしょう。

福島第一原発事故をまともに評価したら、再稼働なんてとんでもない、という結論になりますからね。
肝心なところが隠されたまま、なぜか再稼働だけが進んでいく。
日本の原子力行政は一言で言えば『非人道的』です」 ??

広瀬先生は以前、東京電力が設置した有識者会議のメンバーだったことがあるそうですね? 「(原子炉内部の機器にひび割れを発見しながら公表しなかった)トラブル隠し問題(2002年)を受けて設置された原子力安全・品質保証会議の委員をしていたことがあります。

なぜ東電が私を選んだのかは分かりませんが、米国のスリーマイル島原発事故(1979年)のころから私は原発に批判的だったので、取り込もうと考えたのかもしれません。
委員になったことで原発の中を見る機会も多く、いろいろな内部的な報告も受けることができ、私にとっては貴重な経験になりました。
最後まで東電のシンパにはならなかったわけですが(笑)」

■「シナリオ」に沿わない有識者ははじき出す ??
どのような仕事だったのでしょうか? 「トラブル隠し問題など東電は当時からさまざまな不祥事、不正を起こしていました。 なぜこんな事態が起きるのか、という原因究明ですね。
でも、これではダメだと思ってフクシマの数年前に辞任しました。
会議は年に3、4回あるのですが、事務局があらかじめシナリオを作っていて、こういう資料で、こういう方向性で行きますと説明に来ます。
各委員に説明して、会長や社長、原発所長の前で全体会議をするわけですが、私がシナリオとは違う意見を言うために、東電の担当者が困ってしまった。
内側からの批判には限度があると感じました。
一定範囲は許容されるのですが、それを超える批判はできないし、そうする人ははじき出す。
東電だけではなく官庁もそうですが、だから意向に沿った有識者を選ぼうとするのでしょう」 ??

フクシマ後も原発行政が生まれ変わったようには思えません。
「あまりに巨大なシステムのため身動きが取れないのだと思います。
東電の有識者会議の委員だった際に最も問題だと思ったのは、東電の技術者たちが、原子力安全・保安院など規制側よりも知識や技術を持っていると慢心していたことです。
実際そうだと思うのですが、これでは根本的な変革はできません」

■原発存続には国民を欺くウソが不可欠 ??
東電だけではなく、規制する側も自らの「権威」を守ることに汲々としています。
また、決して誤りを認めないようにしなければ原発を進められないと考えているようにも思えます。
危険なものを危険だと感づかせないように広報するという時点で、すでにウソが始まっています。

「そうですね。最近はよく『原発はゼロリスクではない』と宣伝されています。確かにその通りではあります。
危険な放射性物質を使うというのも本当です。
ところが、これが環境に漏れてもちゃんと防護対策が取られて、汚染が広がらないように規制しているから原発は安全という話になってしまっている。

『ゼロリスクではない』が、いつの間にか『100パーセント安全』になっているわけですから、どこかでレトリックが破綻しているのですが、気づかれないよう工夫して国民の感情に訴えている。
原発が生き残るには国民を欺くウソが不可欠です。
結果として、社会を支えるモラルや民主主義が破壊される恐れがあることに気づくべきでしょう」 (ジャーナリスト、作家 日野 行介、 東京女子大学名誉教授 広瀬 弘忠)
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2022年09月20日

人間が“無意識に”陰謀論へ惹きつけられる、2つの心理的理由

人間が“無意識に”陰謀論へ惹きつけられる、2つの心理的理由
2022年09月19日 ダイヤモンドオンライン

頭のいい人は、「遅く考える」。
遅く考える人は、自身の思考そのものに注意を払い、丁寧に思考を進めている。
間違える可能性を減らし、より良いアイデアを生む想像力や、創造性を発揮できるのだ。
この、意識的にゆっくり考えることを「遅考」(ちこう)と呼び、それを使いこなす方法を紹介する『遅考術――じっくりトコトン考え抜くための「10のレッスン」』が発刊された。
この本では、52の問題と対話形式で思考力を鍛えなおし、じっくり深く考えるための「考える型」が身につけられる。
「深くじっくり考えられない」「いつまでも、同じことばかり考え続けてしまう」という悩みを解決するために生まれた本書。
この連載では、その内容の一部や、著者の植原亮氏の書き下ろし記事を紹介します。

■暗殺事件にまつわる陰謀論
 今年7月8日、奈良県奈良市で街頭演説中の安倍晋三・元内閣総理大臣が銃撃され死亡した。
銃を用いた単独犯による首相経験者の殺害という、戦後の日本では想像しがたい事件だけに、その衝撃はきわめて大きかったといえる。
 すでに容疑者は逮捕され、その動機も述べられつつある。
今後、捜査や裁判が進んでいけば、さらなる詳細が明らかになっていくだろう。

 ところが、にもかかわらず、事件の背後に何らかの強大な黒幕による意図を読み取ろうとする陰謀論もまた、目につくようになっている。
その種の陰謀論を信じる人が出てきてしまうのは、一体なぜなのだろうか。
 この問いには、「陰謀論が生じる事件と生じない事件の差」は何か?という角度からアプローチできる。
ここでは、とくに大きな要因として、次の2点を挙げてみたい。

■陰謀論が生まれる2つの要因

@思弁性:好き勝手にストーリーをこしらえられる余地
A過大な意味づけ:衝撃の大きさに釣り合う意味を事件に見出したくなる傾向

 政治家の暗殺事件から陰謀論が生じた事例の中で、最も有名なのはおそらくケネディ大統領の暗殺事件だろう。
 この事件も単独犯による銃撃事件とされるが、事件にまつわる陰謀論にはさまざまなバリエーションがあり、背後で暗躍した黒幕も、軍産複合体だったり当時のソビエトだったり、果ては宇宙人だったりする。
 他方、レーガン大統領暗殺未遂事件はどうだろうか。
 これも単独犯による大統領をターゲットにした銃撃事件であるが、それにまつわる陰謀論が語られることはまずないと言ってよい。
というより、そもそも事件の存在自体があまり知られていない。
 それは何よりも、レーガンが一命をとりとめ、暗殺が未遂に終わったためである。

 よく知られているように、ケネディ暗殺事件では容疑者自身が事件直後に殺害されて動機が不明なままである。
また捜査資料も完全には公開されていない。
 こうしたことから、「@思弁性」が存分に発揮され、分からない部分を想像によって埋めることで陰謀論的なストーリーが組み立てられることになる。

 これに対しレーガンのケースは、容疑者の動機も事件の状況も十分に明らかになっており、思弁をめぐらす余地はごくわずかしかない。
 なお、容疑者はジョディ・フォスターの熱狂的なファンであった。
フォスターが出演する映画で登場人物が大統領候補の暗殺をもくろむシーンがあり、似たような事件を起こせば、フォスターの気を引くことができると考えたのである。

 次に、「A過大な意味づけ」の方だが、国民の期待を背負った若き大統領の暗殺という事件の衝撃の大きさを考えれば、ケネディのケースでこの要因が強く働くことは、容易に理解されるだろう。

「国家を揺るがすあんな重大な事件が、単独犯によってたまたまうまく引き起こされたはずがない。
だから、背後に周到な計画を立てて実行した強力な存在がいるにちがいない――そうでなければ納得できない」。
 こうして大事件の衝撃を、陰謀を想定することで意味づけて何とかバランスをとって受け止めようとするわけだ。

 これは、衝撃的な出来事にはそれに見合った大きな原因がなければならない、とつい考えてしまうという、人間の自然な思考の傾向に根差している。
 この傾向が必要以上に働き、事件に過大な意味づけをするときに、陰謀論が生まれるのである。
 いわば、ショックのせいで、もともと人間に備わっている思考の機能がバグを起こしている状態が、陰謀論を求めてしまうわけだ。
これに対して、未遂に終わったことレーガンのケースでは、それほどのインパクトはなかったため、大した意味づけは必要にならなかった。

■怪しげな言説を信じ込まないために
 冒頭の安倍元首相銃撃事件に戻ろう。
こうした事件が起こると、そのひときわ大きな衝撃により、どうしても「A過大な意味づけ」を行おうとする人たちが出てくることになる。
 それが「@思弁性」を焚きつけることになる。

今回のように容疑者の動機や事件の状況がある程度まで判明している場合でも、事件で受けた衝撃が大きければ大きいほど、それに釣り合う意味を事件に見出したくなってしまう。
 そこで、想像によって背後に黒幕を設定するようなストーリーが紡ぎ出されるのである。
 そうしたストーリーは「仮説」と呼んでもよい。
ともかく何か出来事が起こったらそれについて仮説を自動的に生み出したくなる――これもまた人間に備わる自然な傾向だ。

 けれども、やっかいなことに、情報が不足していたり、何とか納得できるような意味づけをしたいという動機に駆られていたりすると、適切ではないストーリーでも仮説として生み出されてしまう。
 ここにもある種のバグが発生していると言えるだろう。
 さて今後、事件の全容解明が進めば、@の思弁性が働く余地は減っていくと考えられる。
 だがそれでも、事件に大きな衝撃を覚え、そしてAのような意味づけを求める人々がいる限りは、陰謀論は一定の支持者を集め続けることだろう。

 政治家の暗殺のような大事件が起こったあとに、それにまつわる陰謀論が生じてしまうのは、ある意味で想定内のパターン、いわば教科書通りであるとさえ言える現象である。
 そのことを知っておくだけでも、怪しげな言説に出会っても戸惑うことは減るはずだ。
(本稿は、植原亮著『遅考術――じっくりトコトン考え抜くための10のレッスン』著者植原亮氏の書き下ろし記事です)
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2022年09月21日

女王国葬での“特別扱い”固辞に「誇らしい」と感動の声

女王国葬での“特別扱い”固辞に「誇らしい」と感動の声
2022年09月20日 女性自身

9月19日午前11時(日本時間午後7時)から行われた英国のエリザベス女王の国葬。
日本からは天皇皇后両陛下が参列されたが、使用された“交通手段”に称賛が集まっている。
英国史上最長となる70年間にわたって在位したエリザベス女王。
それだけに女王を見送る国葬には、天皇皇后両陛下をはじめ、アメリカのバイデン大統領(79)、フランスのマクロン大統領(44)など世界各国の要人約500人も参列。
ロンドンのウェストミンスター寺院で約1時間にわたって営まれた国葬。

葬儀前には96年の生涯にちなみ鐘が96回鳴らされ、カンタベリー大主教の説教が行われたのち、イギリス全土で2分間の黙とうを捧げられた。
また葬儀の様子は世界各国で生中継され、数十億人が視聴したとみられている。
世界中の首脳や国家元首が一堂に会するということもあって、警察官を約1万人動員するなど警備のレベルも史上最大規模に。なかでも移動方法が悩みのタネだったという。

「国葬で世界のトップに何かあったとなれば、国際問題に発展しかねないので、厳重な警備が求められました。
しかし世界各国からの要人約500人を個別に終始警備するのには限界があります。
そこでイギリス当局は国葬会場までの移動方法として、原則的にバスを使用し、トップが乗り合う形で会場に来ることを求めたそうです。
しかし、警備上の理由からバス移動が適用されない人物も。
イギリスのタイムズ紙は、バイデン大統領、マクロン大統領、天皇陛下らが除外され、専用車で会場に来ることになるのではないかと12日に報じています」(全国紙記者)

一部で“特別扱い”を受けることが報じられた天皇皇后両陛下だったが、現地時間の午前10時頃に宿泊先のホテルを出発され、王立病院の敷地内で護衛付きのバスに乗り換えられた。
そして、各国の国王などと乗り合いで会場に向かわれたのだ。
「陛下は18日にバッキンガム宮殿で行われたチャールズ新国王主催のレセプションにも各国のトップとバスに乗り合わせて参加されました。
専用車での移動の打診もあったと思いますが、お断りになられたのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

“特別扱い”を固辞された陛下のご判断にネット上では感動する声が相次いでいる。
《なんと思慮深い。特別扱いをあえて求めないとは》
《特別扱いなど一切リクエストなさらない陛下。誇らしい気持ちになる》
《両陛下は特別車を用意される数少ないメンバーの中に入っていたと記憶しています。
きっとお断りになり他の要人達と一緒にバスに乗ったんですね。
イギリスでは、その判断が日本ならではの慎ましさと表現されていて誇らしい気持ちになりました》
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2022年09月22日

年金財政は「国民の犠牲」なくして成り立たない…日本社会に訪れる恐ろしい“これから”

年金財政は「国民の犠牲」なくして成り立たない…日本社会に訪れる恐ろしい“これから”
9/21(水)  幻冬舎ゴールドオンライン

老後2000万円問題で国会が紛糾したり、高校の授業でお金の勉強が始まったりした背景には、国が「国民を養えない」と感じているという現実があります。
本記事では、スティーブ金山氏が著書『18歳になったら、必ず押さえておきたいFIRE黄金法則』(彩流社)にて紹介している「これからの日本経済が厳しい理由」10項目のうち3項目について解説していきます。

なぜ日本という国に頼っていては危ないのか
老後2000万円問題で国会が紛糾したり、高校の授業でお金の勉強が始まったりする背景は、もう国が国民を養うことが不可能だと感じているからです。
だからこそ、あなたも、自分の身は自分で何とかしなくてはならないと自覚しなくてはなりません。
そのためにも、まず現状をしっかりと理解しておく必要があります。
これから、いま世界で何が起こっていて、なぜ日本という国に頼っていては危ないのかをお話ししますが、パニックにならずに、冷静に、聞いてください。

これからの日本経済が厳しい理由として、次の10項目を挙げました。

【1】少子高齢化による生産年齢人口の減少
【2】高齢化と豊かさによる消費の減衰
【3】年金財政の歪さ
【4】高齢者の利益が優先される政治
【5】長引くデフレ
【6】資産の老朽化
【7】国債の対GDP比
【8】世界的なインフレによる資源価格高騰
【9】円安
【10】テクノロジーの進化による既存産業の崩壊
ひとつひとつ説明していきます。

統計データが多くなるので、眠くなるかもしれませんし、あまりの不安の大きさに現実から目をそむけたくなるかもしれませんが、しっかりと向き合って、危機感を身体と心に沁み込ませてください。
【1】少子高齢化による生産年齢人口の減少 日本は、少子高齢化が叫ばれてずいぶんと経ちました。
身のまわりにも、お年寄りが増えたと実感しているかもしれませんが、ではどのくらい進んでいるのでしょうか?
2017年に実施された国勢調査の結果集計([図表1])からは、次の傾向が明らかに見えています。

・全体的な人口が2005年をピークに下がり始めている(棒グラフ)
・65歳人口が増えている(棒グラフ)
・14歳以下人口も、15〜64歳人口も減り始めている(棒グラフ)
・高齢化比率が急激に増えている(折れ線グラフ)
・生産年齢人口が減っている(折れ線グラフ)

なかでも注目すべきなのは、生産年齢人口が60%を切って、50%に向かっていることです。
生産年齢人口は働ける年代の人たちです。
50%というのは、世の中の半分の人たちで、残りの半分の人たちを養っているという状況です。
この生産年齢人口の減少は、国民の生産性が上がらない限りは、国の生産力、すなわちGDPの減少につながります。

GDPが減少すれば、税収も減ります。
後述する国債発行残高の返済を考えると、「国家破綻」という言葉が浮かんでくるほど、かなり厳しい未来が浮かんできます。

「雇用が不安定になり、収入が途絶える可能性」のワケ

【2】高齢化と豊かさによる消費の減衰
人口構成比がピラミッド型から崩れ、少子高齢化が進むと、消費力が減ります。
10代、20代のあなたは、スマートフォンやゲーム機など、新しいバージョンが発表されれば、お金が許せば欲しいと思うのではないでしょうか。
レトロな昭和時代の雰囲気を好む人も最近は増えていますが、一人暮らしを始めれば、新しい家具が欲しいと思うでしょうし、新しくて便利な家電を知れば、手に入れたくなります。

一方で、年齢が上になればなるほど、そういったものに興味が湧かなくなります。
それまでの経験から、モノでは心は満たせないことを知るからかもしれませんし、結婚してしまうと、異性に認めてもらおうというモチベーションが消えるからというのもあるでしょう。
[図表2]は、2015年の国勢調査の結果、総務省統計局が発表している統計ダッシュボードによる人口ピラミッドです。
比較しやすいように、2020年と2045年の推計値を並べてみました。
2つのグラフを比較すると、明らかに消費欲が旺盛な年代の人数が減っていることがわかります。
比較対象が25年後というのは、これまであなたが生きてきた年数と同じかそれ以上の年数が経過した未来となり、想像するのは難しいかもしれません。

しかし、もしあなたが結婚して子どもを育てる未来を少しでも考えているのであれば、この頃がもっとも出費が多くなり、より多くの収入が必要になる時期です。
いまですら、消費力が旺盛な年代の人数が減っているために、モノが売れない現象が起きています。
モノが売れない、客が来ないということは、会社はヒトを雇用することに消極的になりますし、給料もそれほど払えません。 日本が失われた20年間と呼ばれる1990年以降、デフレに陥り、正社員が減り、非正規雇用者の率が急増したのは、消費が旺盛な人たちの人口が減ったからです。
そして、給料が上がらず、待遇が低くなると、ますます消費力は衰え、会社はますます渋くなり…悪循環に嵌ってきました。 先の人口ピラミッドは、この状態がますます続くことを予感させます。

ところで、モノが売れなくなっているのは、若者の数が減っているからだけではありません。
世の中が豊かになったために、若者の物欲が減っていることも一因です。
ヒトは、豊かになり満ち足りていると、新たに欲しいと思うものがなくなってきます。
さらには、高級車と言われているポルシェやBMWであっても、地方でさえも目にしない日がほとんどない状態では、当たり前の存在となり、憧れて欲しいと思うことは減っているでしょう。
このようにして、この先の日本における消費はますます先細り、雇用が不安定になり、収入が増えるどころか途絶える可能性がますます高まっていく、そんな未来が見えています。

年金財政、「民間がやったら詐欺」だが…
【3】年金財政のいびつさ
高齢化により生産年齢人口が50%に近くなるということは、世の中の半分の人たちが、残りの半分の人たちを養っているという状況になると前述しました。それがまさに年金財政に反映されます。

年金というのは、支給額の70%は、後から入った人たちの支出から充当されています。
これは、ポンジスキームとまったく同じしくみです。

ポンジスキームは、詐欺の手法のひとつとして有名です。
民間がやったら犯罪ですが、おかしなことに国なら許されるようです。
それどころか、年金を支払わない(納付しない)という選択肢がなく、強制加入であり、長期間未納が続くと強制徴収により財産差し押さえになります。
年金支給額の20%は税金からの歳出で、残りの10%を年金積立金(年金財源)からの支出でまかなっています。
その年金財源も、2051年には国民年金の積立金、55年には厚生年金の積立金が枯渇する可能性があるとの試算を日本総合研究所の主席研究員である西沢和彦氏と、中田大悟創価大学准教授が示したと、2018年10月5日付けの日経ビジネス電子版に書かれています。

ただし、その年金積立金の総額は、株式市場による運用によって増えてはいます。
[図表3]のように2001年の運用開始から100兆円まで増やしているという結果が発表されています。
しかし、これはまやかしです。
図をみるとリーマンショック以降増えていて、特に2012年と2020年に伸び率が上がっています。
このグッと上がっている時期は、黒田バズーカに代表される、日銀の量的緩和の影響です。

日銀は量的緩和を行い、日銀が年金の株式運用先である日経平均のETFを大量に買い入れている時期と合致します。
国がお金を刷って、日本企業の株式を購入し、それによって株価が上がっているため、本来の企業価値が反映された株価ではありません。
そのまやかしの株価で年金財政が保有している株式の価値を換算したら、100兆円になったというだけの話です。
さらに、平均年齢が男女とも10歳以上延びると予測されていることから、年金支給開始年齢も現状の65歳から70歳に変わろうとしています。

契約期間中に支払開始時期を遅らせるというのは、民間では、重大な契約違反です。
しかし、これも国がやると許されるようで、実際に過去60歳からの支給開始が65歳に延長されています。
これが70歳になるということは、そのうち75歳、80歳と繰上されていくだろうと考えるほうが自然です。
そして、年金支給開始が遅くなる分、政府は企業に定年を延ばすように要請しています。
しかし、これからの企業がその受け皿になることは、まずないでしょう。
つまり、あなたが年金を受け取るのは、ずっと先になるということですし、それまでの間、あなたは収入源がまったくない数十年を過ごすかもしれないということです。
しかも、寿命が延びているといっても、あくまでも平均寿命の話です。

「年金受給前に亡くなる可能性」…受け取れたとしても「年金だけでの生活は厳しい」
最近の70歳はまだまだ若い人たちが多いのも事実ですが、2020年、2021年にお亡くなりになった著名人の享年を見てください。
・古賀稔彦さん 53歳 がん(1992年バルセロナ五輪の柔道金メダリスト)
・田村正和さん 77歳 心不全(俳優)
・チャーリー浜さん 78歳 誤嚥性肺炎(吉本興業芸人)
・和田圭さん 68歳 急性心不全(元フジテレビ解説員、アナウンサー)
・中西宏明さん 75歳 リンパ腫(経団連の前会長、日立製作所元会長)
・大島康徳さん 70歳 大腸がん(元プロ野球選手)
・中村吉右衛門さん 77歳 心不全(歌舞伎俳優、人間国宝)
・沢木和也さん 54歳 食道と下咽頭がん(AV俳優)
・梓みちよさん 76歳 孤独死(歌手)
・志村けんさん 70歳 コロナ(コメディアン)
・岡江久美子さん 63歳 コロナ(女優)
・山本寛斎さん 76歳 白血病(ファッションデザイナー)
・志賀廣太郎さん 71歳 誤嚥性肺炎(俳優)
・渡哲也さん 78歳 肺炎(俳優)
・宅八郎さん 57歳 小脳出血(オタク評論家)
・岸部四郎さん 71歳 急性心不全(タレント)
・斎藤洋介さん 69歳 がん(俳優)
・小松政夫さん 78歳 肝細胞がん(コメディアン)
・林家こん平さん 77歳 誤嚥性肺炎(落語家)
・羽田雄一郎さん 53歳 コロナ(政治家)

著名人は、日本全体から見れば極めて少ない人数です。
しかし著名人だけでも、このように年金をもらう前に亡くなる人や、数年しか受け取らずに亡くなる人がたくさんいるのです。
70歳が年金支給開始年齢になるということは、あなたは年金をほとんど受け取らないにもかかわらず、毎月お金を支払わなくてはならないことを意味します(もし、あなたが亡くなったあとに遺族がいれば、残された人が遺族年金をもらえることになりますが、受け取るのはあなたではないことは確かです)。
そして、運良く年金を受け取れるようになったとしても、その金額だけで生活していくのは、ますます難しくなっています。

[図表4]は、年金の所得代替率の推移です。
所得代替率とは、年金を受け取り始める時点における年金額が、現役世代の手取り収入額(ボーナス込み)と比較してどのくらいの割合かを示すものです。
この図を見る限り、受け取れる年金の金額だけで生活するのは厳しいと言わざるを得ません。

以上のように、年金財政は国民の犠牲のもと、ますます厳しくなっていき、あなたを含めた現役世代の負担はますます増えるにもかかわらず、いつまでも受け取ることができず、受け取れたとしても、それだけでは生活ができない、という厳しいものになっています。
運良く支給が開始されたいまの高齢者たちの多くも、ある程度の資産がないと、生活はけっして楽とは言えず、死ぬまで貧困にあえぐことになります。

スティーブ 金山
ゴールデン・グース合同会社 代表 機会投資家
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2022年09月23日

カルト教団が生まれる背景に“日本人の宗教嫌い”。その理由は/僧侶・釈徹宗

カルト教団が生まれる背景に“日本人の宗教嫌い”。
その理由は/僧侶・釈徹宗
2022年09月22日 SPA!

安倍元首相の銃撃事件で、旧統一教会の問題が表沙汰になり、同時に、家族がカルト的な性質をもつ宗教団体に入信してしまう問題も前景化した。
そこで、カルト教団に巻き込まれない心がけや、家族がハマってしまった時の対処法を、宗教学者で僧侶の釈徹宗氏に聞いた。

◆家の宗教から個の宗教へ
――旧統一教会が最初に社会問題になったのは約30〜40年程前。
この時代は日本の宗教を取り巻く環境は、どのような状況だったのですか?

釈徹宗氏(以下、釈)
:日本の宗教状況の特徴として、どの家庭もいずれかの寺の檀家に入る寺請制度があり、「家の宗教」という考え方が、江戸時代に確立されました。
これはヨーロッパに見られる、地域ごとに所属の教会がきまっている制度にも似ています。
宗教は、地域共同体を確立するための結節点として、機能していたんです。
今なお、うっすらとではありますが、続いていますね。

――今でも日本人は、無宗教を自称しながらも、家族が亡くなった時などは檀家になっているお寺に葬式を頼むのが「家の宗教」の名残の一つですね。

:それが大きく変化したのが、ここ30〜40年です。
核家族化が進むことで、家の宗教という概念が崩れ、ひとりひとりの信仰に基づいた「個人の宗教」が立ち上がってきます。 家の宗教と個人の宗教のすき間、精神の空白地帯に、旧統一教会なども入り込んだ面はあるかもしれませんね。

◆カルト教団に騙されない宗教リテラシーを
――現在、日本人の多くは「無宗教」を自称し、宗教に普段触れない生活が中心ですが、
こうした状況はカルト教団の罠に付け込まれやすい部分なのでしょうか。

:特定の教団を信仰していないという意味で言っている人が多いと思いますが、宗教的要素は人間の営みの中に必ず入っているものなので「宗教と関係ない」とは、誰も言い切れないんです。
宗教全体と特定の団体の信仰を混同している人は、気をつけたほうがいいですね。
日本人はこのことに無自覚な人が多いと思います。

――無自覚だと、どのように危険なのでしょうか。

:宗教などの神秘的なものには魅力がありますが、副作用があることを知っておかないといけません。
テレビなどで、スピリチュアルや心霊や占いなどを取り扱っていますが、不特定多数の人に神秘を煽るような、オカルト的なコンテンツ作りは注意が必要だと思います。
副作用を意識せずに触れ続けていると、それに引っ張られる考え方になってしまうんですよ。

――単なる偶然でも、「霊の仕業だ!」などと勘違いする心の癖がつきそうですね。

:カルト教団もそのことをよく知っていて、心霊ブームが起きるとそれに引っ掛けて罠を作ったりします。
十数年前のスピリチュアルブームの時も、スピリチュアルの名の下に悪質なマインドコントロール事件や財産トラブルなどがありました。
まあ、そういうのはいつの世にもあるのですが。
この辺りは、伝統宗教をきちんと勉強すれば、気づくことができるようになります。
宗教的要素は人間の営みに欠かせませんが、取扱注意であることは間違いありません。
だから、宗教リテラシーが必要なんです。

――取扱注意だから触らないようにしているのが日本人ですね。
宗教リテラシーを養うには、やはり勉強が必要ですか?

:まずは自分の身の回りの観察です。家の近くの神社に改めて出かけたり、遊びとして出かけたお祭りがお寺の縁日なら、どんな意味があるのかを調べてみたりすることから始めると、日本人の宗教文化が見えてきて、自分の立ち位置も見えてくると思いますよ。

――そう考えると、宗教が身近にあるのに、日本人はその宗教性をスルーして暮らしていることに気がつけますね。

:ゲームやアニメにも宗教的な要素がたくさん入っています。
例えば、男女のストーリーに「生まれ変わり」という考え方が入っていたり、仏教やギリシャ神話が使われていたりするわけです。

◆日本人が知っておくべき宗教の“救いと毒”
――宗教リテラシーが高まると、今回の問題に関してはどのように見えてくるのですか?

:まず、宗教が社会とは別の価値基準で「救い」をもたらしていることがわかってきます。
例えば、社会の一般的な価値では「今、笑っている者」「今、富める者」が幸せですよね。
しかし、イエス・キリストは「今泣いているものが幸せである」と、全く逆の価値観を提示しました。
浄土真宗の宗祖親鸞が「悪人こそが救われる」と言っているのも同様です。

――社会でうまくいかない人や、社会との価値観が合わない人にとっては救いになりますね。

:これは、非社会性や脱社会性という考え方で宗教ならではの志向です。
ただ、社会の価値とバッティングする危うさもあります。
一方、旧統一教会などカルト的な性質を持っている教団がやっているのは、脱社会性じゃなくて反社会性を持った集団行動です。これも見分ける必要があります。

――宗教にあるのは、脱社会的な「思想」や「哲学」であるのに対し、旧統一教会などは反社会的な「手段」であることを切り分けて考えるのは重要ですね。

:反社会的な手段で搾取する教団は、結局、金や権力を求めているので、社会の価値観にどっぷり浸かっているとも言えますね。
「信仰」や「思想」は、信教の自由に含まれますが、反社会的な「手段」かどうかを切り分けて議論しなくてはいけませんね。

◆家族がカルトにハマったら
――それでも、カルト教団にハマってしまった人がいたら、周囲はどのように救えばよいのでしょうか。

:多くの場合、家族の力が必要となります。
しかし、マインドコントロールを解くのは専門家でなければ困難です。
そういう教団は、脱会の動きへの対応も教え込みますからね。
また、本人の信仰を無理やりに変更させていいのか、という問題もあります。
それと家族がはまっていて、そこから抜け出せない人もいます。
いわゆるカルト二世問題です。こちらもサポートが必要です。

――では、どのようにしたら良いのでしょう。

:まずは被害者の会などへ相談されるのが良いかと思います。
同じ問題を抱えた人たちが協力し合って、そこに訴訟やディプログラミング(マインドコントロールを解くメソッド)の専門家が関わり、場合によってはメディアの力を借りるなどの方策があります。

◆日本の政教分離は特殊
――今回の件で、政治家と旧統一教会との関係がいくつも取り沙汰された時「知らなかった」と釈明する議員がかなり多くいました。

:日本の政治家の、宗教への見識のなさに愕然としています。
宗教を甘く見てますし、宗教リテラシーも身についていないのではないでしょうか。
そもそも宗教というのは取り扱い注意案件なんですよ。
畏敬の態度と心が重要です。
単に宗教を利用しようとして、甘く見ていると、ひどい目に遭います。

――「政教分離」の原則にも反していますね。

:実は「政教分離」の運用は、国によってかなり異なっていて、日本は結構特殊なんです。

――どのように特殊なんですか?

:今の日本の政教分離は、第二次世界大戦後につくられました。
その際の重要な論点は、「国家神道対策」だったんです。
GHQが「日本がこれほど暴走してしまった原因には、国家神道が政治や教育に強く影響していたからである」と考えたんです。
そこで、教育や政治はもちろん、公の場から国家神道を徹底的に排除します。
それだけではなく、宗教すべてを極端に排除したんです。
世界で初めて政教分離を始めたのはアメリカなのですが、アメリカでは宗教的な要素を完全に排除したりはしません。

政教分離は“separate of Government and church”で、「政治と宗教」ではなく「政治と教会」です。
この場合の教会とは、特定の教派や教団ということです。
ドイツでは、むしろ国がきちんと宗教リテラシーについて教育する義務があるそうです。

◆創価学会が政治の表舞台に出てきたワケ
――極端な政教分離が進められていながら、なぜ、公明党と創価学会など、政治と関係する宗教団体が現れるようになったのですか?

:それはある意味カウンターですね。
極度に排除されてきた宗教的要素に対して、「公的機関がお祭りや慰霊をするのは政教分離に違反しない」という主張が出てくるわけです。
特に、宗教右派と呼ばれる勢力が、保守的な政治家を応援する動きがあります。

公明党と創価学会は、それとは別の動きですね。
ここは、かつての言論出版妨害事件から双方の立てつけを変えてきました。
今なお、議論の余地があるのですが。しかし、信仰を持った人が政治活動をしてはいけないわけではありません。

――強烈な排除があったから、揺り戻しのように宗教が公の場に入り込み、バランス感覚を失っている状態ですね。

:そうです。そこに旧統一教会が入り込んできた面があります。
宗教に関する内容を、極端に教えないので日本人にはその耐性がない。
諸外国では、当然のように宗教を教えています。
特定の教団を教えるのではなくて、宗教の全体像を教えるんです。

――宗教全体をマッピングして俯瞰するような教育ということでしょうか?

:はい。それをやらないと、宗教が本来的にもつ毒の部分を避けるのが難しいと思います。
また、カルト教団やマインドコントロールについても教える必要があるんじゃないでしょうか。
とにかく、グローバル化が進む現代では、多様な宗教を知っておかないと、差別や排除が起きやすくなりますね。
日本はこれから外国の人々を大幅に受け入れる方向へと舵を切ったのですから。

カルト教団の問題に対しても、多様な人々の受け入れにおいても、宗教リテラシーを高めるという課題は喫緊のものです。  日本人の多くは「宗教」というだけで遠ざけてしまう現状。
しかし、そうしたマインドが、カルト教団を育ててきた一因にもなっているようだ。
まずは、私たちひとりひとりが宗教リテラシーを高めていく必要がある。

取材・文/Mr.tsubaking

【Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。
またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。
そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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2022年09月24日

イギリスでは"女系"チャールズ国王が即位…日本でいまだ女系天皇が認められない不可解

イギリスでは"女系"チャールズ国王が即位…日本でいまだ女系天皇が認められない不可解
2022年09月23日 PRESIDENT Online

現在、日本では男系男子しか皇位継承を認めておらず、40歳以下で皇位継承権があるのは秋篠宮家長男の悠仁さまだけだ。
神道学者で皇室研究者の高森明勅さんは「男系男子に固執していては、皇室は行き詰まってしまう。
『男系男子』固執派のリーダーと見なされていた安倍晋三元首相も、実は男系にこだわってはいなかった」という――。

■イギリスのチャールズ新国王は「女系」
去る9月8日、日本の皇室とも縁が深かった英国王室のエリザベス女王が亡くなられた。
これによって、同国としては久しぶりに「女系」の君主が即位されることになった。
新国王のチャールズ3世だ。

英国で女系の国王が即位したのは、ヴィクトリア女王の後に即位したエドワード7世(在位期間は1901年〜1910年)以来のことになる。
エドワード7世が即位した時は「男系」によって、それまでのハノーヴァー朝からザクセン=コーブルク=ゴータ朝へと改称した。
このザクセン=コーブルク=ゴータ朝が、英国とドイツが戦った第1次世界大戦中に、当時の英国内の反ドイツ感情に配慮して、ドイツ系の王朝名から現在のウィンザー朝に名前を改めた事実は、比較的よく知られているはずだ。

ウィンザーは王室の離宮の所在地の地名に基づく。
したがって、現在の王室はハノーヴァー朝から血統そのものが断絶したのではないため、その“直系”と見なされている。
「女系」とは女性の系統、つまり母親の血筋に属することを指し、チャールズ3世は母親のエリザベス女王の血統によって王位を継承されたので、「女系の男性君主」ということになる。

一方、「男系」は男性(父親)の血筋に属することで、たとえばわが国の敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下が即位される場合は天皇陛下の血統に基づくので、「男系の女性天皇」という位置づけになる。
その上で、もし敬宮殿下のお子様が皇位を受け継がれるとしたら、女性天皇である母親の血筋によって即位されるから、その方は「女系の天皇」ということになる。

■「女系継承」は皇位の正統性を脅かすのか
ところで日本国内では、「女系」による皇位継承は、王朝の断絶・交替を招き、皇位の正統性が失われ、国民の分断を惹(ひ)き起こして、日本はもはや日本ではなくなる……などという穏やかならざる主張が一部でなされている。
果たして、このたび「女系」の新国王が即位した英国でそのような事態が起きただろうか。
もちろん、エリザベス女王という偉大な存在が失われた結果、それまで目立った動きを控えていた英国内の「共和主義者」たちが声を挙げ始めたり、英連邦王国から離脱しようとする国が現れたりしても、不思議ではない(「産経新聞」9月14日付ほか)。
しかしそれらは、おもにチャールズ3世自身の資質や人柄、実績などによるものであって、血統が“女系だから”という理由で、「国王」の地位そのものの正統性や権威が揺らいでいるわけではない。

■日本は世界の潮流から外れている
日本の一部では、イギリスで女系継承により王朝交替が起こって、チャールズ3世の父親だったフィリップ王配の姓(ファミリーネーム)であるマウントバッテン朝に改まるという臆測もあった。
だが、そのようにはならなかった。
女系継承に基づく国民の分断や英国が英国ではなくなる――などに至っては、誇大妄想としてもあり得ない。

そもそも21世紀の現代に、伝統ある立憲君主国の中で「女系」継承によって君主の地位の正統性や権威が左右されるなどと大騒ぎする国が、一体どこにあるだろうか。
今どき、「一夫多妻」制を採用しているヨルダンやサウジアラビアなどを除き、君主の地位の継承資格を「男系男子」に限定しているような国は、日本以外には“ミニ国家”のリヒテンシュタイン(人口わずか4万人弱)ぐらいしか存在しない。

■無理筋な「男系男子」限定
このように見ると、わが国での皇位継承の在り方をめぐる議論において、一部の人たちが、明治の皇室典範で新しく法的ルールとして採用された、皇位継承資格を「男系男子」に限定する“縛り”を頑なに維持しようとする姿勢は、かなり奇異と言わざるをえない。
もともとそのような縛りは、明治典範に規定されていた、正妻以外の女性(側室)から生まれた子供など(非嫡出子・非嫡系子孫)にも継承資格を認めるという旧時代的な仕組みと“セット”でなければ、決して維持できないルールだった。

今の皇室典範では、非嫡出子・非嫡系子孫には皇位継承資格以前に、“皇族”としての身分自体も認めていない。
だから、もし本気で皇室の存続と皇位の安定的な継承を願うならば、皇室典範がルールを変更した時点で、それとセットで「男系男子」限定の縛りも解除しておくべきだった。
ここで注目すべきなのは、そうした無理筋な「男系男子」限定に固執する人たちが敬意を払っていた故・安倍晋三元首相の生前の発言だ。

■安倍元首相は「『男系男子』固執派」だったのか
安倍元首相は、小泉純一郎内閣の官房長官として、女性天皇・女系天皇を可能とする皇室典範の改正を目指していた同内閣の方針を転換させて、「凍結」(問題解決の先延ばし)へと舵を切った。
また、野田佳彦内閣で検討を進めていた「女性宮家」プランについても、同内閣の後をうけて第2次安倍内閣が発足した直後に「白紙」(問題解決の先延ばし)に戻してしまった。
さらに、自民党が政権を失った野党時代、安倍氏自身の個人的見解として以下のように述べていた。
「敗戦という非常事態で皇籍を離脱せざるを得なかった旧宮家の中から、希望する方々の皇籍復帰を検討してはどうだろうか」(『文藝春秋』平成24年[2012年]2月号)
いずれも、「男系男子」固執派の人たちに寄り添った姿勢だ。 しかし、いささか意外かも知れないが、実はそのような立場で一貫していたわけではなかった。

■安倍氏の“手のひら返し”の理由
いくつか発言を紹介する。
「(被占領下に)皇籍を離れた(旧宮家の)方々はもう既に……70年以上前の出来事でございますから、今は言わば民間人としての生活を営んでおられる……それを私自身がまたGHQの決定を覆すということは全く考えていないわけでございます」(平成31年[2019年]3月20日、参院財政金融委員会での答弁)
これは、先に引用した『文藝春秋』誌上での自らの発言を全面的に覆した答弁だった。
この答弁については安倍氏が後日、周囲に「本意」は「違う」と釈明したという報道もあった(産経ニュース平成31年[2019年]4月1日、18時48分配信)。

だが、国民への責任を伴う国会での答弁の方がもちろん重く、それを見る限り後の報道内容は苦しい言い逃れにしか聞こえない。
では、なぜこのような“手のひら返し”が起こったのか。
その謎解きは次の発言が参考になる。
「(旧宮家の当事者の中で皇籍取得の意思がある人は)いないんです」これは私が直接、首相経験者の方から伺った安倍氏の発言だ。
その方が安倍氏とサシの場で率直に「旧宮家で実際に皇籍取得の意思がある人はいるのかどうか」を尋ねたところ、安倍氏は正直に上記のように答えたという。

安倍氏は先の文章でも「希望する方々の……」と書いていた。しかし、「希望する」人が誰も「いない」のであれば、手の打ちようがない。
それを国会の場で明け透けに語るのもはばかられるので、先のような答弁になったのだろう。
振り返ってみると、政府はこれまで旧宮家の当事者への意思確認について、不自然な答弁を繰り返してきている。

たとえば次のような答弁だ。 「そうしたみなさんに(皇籍取得の意思を)確認したことはないし、していく考えもない。これは(今後も)変わらない」(令和3年[2021年]3月26日、参院予算委員会での加藤勝信内閣官房長官の答弁)
しかし、まず当事者への意思確認をしなければ、養子縁組その他の方法で、それらの人たちを皇室に迎えるわけにはいかない。だから不可解な印象を免れなかった。

これも先の首相経験者の方への安倍氏の回答によって、その“裏事情”を察することができる。
つまり、政府は当然ながら旧宮家の対象となるべき人たちへの“非公式な”意思確認をすでに済ませていて、その結果、「(誰も)いない」ことが明らかになったので、先のような答弁を繰り返すほかなかった――ということだろう。

■「憲法を改正しなくても女系・女性天皇は可能」
「憲法においては、憲法第2条に規定する世襲は、天皇の血筋につながる者のみが皇位を継承することと解され、男系、女系、両方がこの憲法においては含まれるわけであります」(平成18年[2006年]1月27日、衆院予算委員会での内閣官房長官としての答弁)これは、安倍氏が政府の一貫した立場を表明したものだ。
内閣法制局の執務資料にも「憲法を改正しなくても、皇室典範を改正することにより、女系または女性の皇族が皇位を継承する制度に改めることができる」と明記している(『憲法関係答弁例集(2)』平成29年[2017年])。

■巧妙に本音をぼかした国会答弁
「安定的な皇位の継承を維持することは、国家の基本に関わる極めて重要な問題であり……男系継承が古来例外なく維持されてきた重みなどを踏まえながら、慎重かつ丁寧に検討を行う必要がある」(平成31年[2019年]3月13日、参院予算委員会での答弁)
これは一見、「男系男子」固執派に寄り添った発言という印象を与える。
しかし内実は、そのような印象を狙いながら、「男系男子」限定を“必ず維持する”という断定を巧みに回避し、フリーハンドの余地を広く残した、よく工夫された答弁になっている。

まず「重み“など”」という言い回しで、男系継承の重み“以外”にも考慮すべき材料があることを示唆し、しかも答弁全体の力点は、あくまでも後段の「慎重かつ丁寧に検討を行う必要がある」に集約され、男系の「重み」から一直線に結論に短絡“しない”ことが明言されている。
文脈上、「検討」の結果次第では、目的として明示された「安定的な皇位継承を維持する」ための現実的な方策が優先されることを含ませた言い方になっている
(接続助詞の「ながら」では前段と後段は並行的な関係にとどまり、前段が後段を規定することはない)。

■皇位安定継承の唯一の解
以上の安倍氏の発言をつなげると、皇位継承問題に対しておのずと一つの解答に導かれる。
それは、安倍氏本人がかつて“凍結”したはずの小泉内閣の時に設けられた「皇室典範に関する有識者会議」の報告書の結論部分に書かれていた内容だ。
「非嫡系継承の否定、我が国の少子化といった状況の中で、古来続いてきた皇位の男系継承を安定的に維持することは極めて困難であり、皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが必要である」(報告書20ページ)

「男系男子」固執派のリーダーと見なされていた安倍氏だったが、旧宮家の当事者に皇籍取得への意思を持つ人が「いない」という現実に直面し、非嫡出子・非嫡系子孫の皇位継承可能性が排除された条件下では、「男系男子」限定への固執は皇室の行き詰まり以外の結果をもたらさないことに気づいたのだろう。

ちなみに、国民である旧宮家系男性だけが“特権的”に婚姻を介さずに皇籍を取得する制度は、憲法第14条第1項が禁じた「門地(もんち)(家柄、家格)による差別」にそのまま該当する。
だから、万が一それを“希望する”当事者がいたとしても、結局は認められない

■「女性」というだけで継承資格が認められない日本
このたび英国で女系の国王が即位され、今後もベルギー、オランダ、スペイン、スウェーデンなど各国で女性君主の即位が相次ぐことが予想される。
現代の普遍的な価値観に照らして、女性・女系君主を排除するルールは、明らかに異例となっている。
そうした中で、今の制度のままでは次世代の皇位継承資格者はわずかお1人(秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下)だけという危うさを抱えるわが国が、いつまでも問題解決に後ろ向きの姿勢を続けるわけにはいかない。

天皇・皇后両陛下のたったお一人のお子様でいらっしゃる敬宮殿下がすでに成年を迎えられたにもかかわらず、そのご将来がいつまでも宙ぶらりんなままという残酷な状態は、一刻も早く解消されねばならない。
単に「女性だから」というだけの理由で、皇統の直系に当たる両陛下のお子様に継承資格が認められないことの異常さに、私たちはとっくに気づいているはずだ。

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高森 明勅(たかもり・あきのり)
神道学者、皇室研究者
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2022年09月25日

定期預金に100万円預けたら、利息はいくら受け取れますか?

定期預金に100万円預けたら、利息はいくら受け取れますか?
9/24   あるじゃん

お金を貯めたい、家計を守りたい、と思っていても、お金にまつわることは難しい……と感じている人もいるのではないでしょうか。
皆さんからのちょっとしたお金の疑問に専門家が回答します。
今回は、定期預金に預けたときの利息についてです。

◆Q:定期預金に100万円預けたら、利息はいくら受け取れますか?
「100万円ほど使わないお金があるため、定期預金に預けたいと思います。100万円預けたら、1年でどのぐらいの利息がもらえるのでしょうか?」(匿名希望)

◆A:メガバンクに預けると税引き前の利息は20円、金利高めのネット銀行に預けると税引き前の利息は2000円受け取れます。
相談者は、定期預金に100万円を預けたいとのこと。定期預金は、原則、期日(満期日)までお金を引き出すことはできませんが、普通預金の金利に比べると高く設定されていることが多いです。

現在(2022年9月)、メガバンクの1年物の定期預金の金利は0.002%と、かなり低金利です。
メガバンクに100万円を1年間預けると、税引き前の利息は20円、税引き後の利息は16円ほどです。
一方で、ネット銀行や地方銀行・信用金庫のネット支店などは、メガバンクよりも金利を高く設定していることがあります。地方銀行や信用金庫は、遠方だと利用できないと思いがちですが、ネット支店であれば、ネットが使える人なら誰でも利用ができます。

期間限定でキャンペーンを実施していることもあります。
例えば、金利が高めなネット銀行の1年物の定期預金の金利は0.20%と、メガバンクの0.002%と比べると100倍となっています。
100万円を1年間預けると、税引き前の利息は2000円、税引き後の利息は1594円となります。
受け取れる利息については、定期預金の利息を計算できるツールが金融機関のホームページなどで紹介されていますので、利用してみてはいかがでしょうか。
なるべく高金利の銀行に預けることで、多くの利息を受け取れますが、注意点としては期日(満期)までは引き出しできないことです。
途中解約してしまうと、普通預金の金利となり、金利が下がることがありますので、注意しましょう。

監修・文/深川弘恵(ファイナンシャルプランナー)
都市銀行や保険会社、保険代理店での業務経験を通じて、CFP、証券外務員の資格を取得。相談業務やマネーセミナーの講師、資格本の編集等に従事。日本FP協会の埼玉支部においてFP活動を行っている。
あるじゃん(All About マネー)
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2022年09月26日

安倍氏国葬“4割欠席”の大誤算…「何のため?」の声さらに高まり内閣支持率“奈落の底”へ

安倍氏国葬“4割欠席”の大誤算…「何のため?」の声さらに高まり内閣支持率“奈落の底”へ
2022/09/25 日刊ゲンダイ

 当初の想定とはずいぶん違うさみしい式典になりそうだ。
 27日に行われる安倍元首相の国葬は、参列者が6000人程度とされていたが、実際は最大4300人程度にとどまる見込みだ。22日に政府が発表した。

■4割が欠席の不名誉
 国内では国葬の案内を約6000人に発送し、そのうち出席するのは約3600人。4割が欠席とは、偉大なリーダーの国葬にしては残念な印象だ。
特に、元職を含む国会議員では6割が欠席の意向を示した。
「法的根拠がない、国会の審議も経ていない国葬に出席して、評価の定まらない安倍元総理の権威付けに協力するわけにはいかない。
民主主義国家の国会議員経験者として、ごく当然の判断です。
国論を二分する国葬を強行して誰が喜ぶというのか。
岸田総理には、撤回する勇気を持ってほしかったですね」(自民党の元国会議員) 

 海外からの弔問客は218カ国・地域から約700人が出席予定だが、半数近い101カ国は駐日大使らが参列し、本国からの要人派遣はない。
G7の首脳で参加するのもカナダのトルドー首相だけだ。(編集部注=日本時間25日にトルドー首相は参加見送りを表明した)
 しかも、22日に発表された来日する要人の肩書を見ると、エネルギー資源大臣(ニュージーランド)、貿易・北欧大臣(スウェーデン)、国際貿易・投資大臣(パプアニューギニア)、観光大臣(ジャマイカ)など、故人を悼むというよりカネのにおいを感じてしまうのだ。

 いずれにせよ国内3600人、海外から700人で計4300人が参列するわけだが、1967年の吉田茂元首相の国葬は約6000人、75年の佐藤栄作元首相の「国民葬」は約6400人が参列したことを考えると、かなり少ない。
 22日になって宮崎県の河野俊嗣知事が台風14号の被害復旧を理由に予定していた国葬参加の見送りを表明したが、これだけ反対世論が多ければ、直前になって参加を取りやめるケースも出てくるだろう。
かねて国葬反対を表明していた自民党 の江崎鉄磨元沖縄北方担当相も、体調不良で欠席する方針だという。

「岸田総理にとっては誤算続きでしょう。
直前に各国の元首クラスが集った英エリザベス女王の国葬を見た後では、どうしても見劣りするし、二階元幹事長が言ったように『やれば、国民はよかったと思う』ようなことには絶対にならない。
頼みの綱だった弔問外交も期待できず、何のための国葬かという声がますます大きくなりそうです。

急落している支持率が一段と落ちる可能性がある。
国葬の直後に臨時国会も始まるし、この国葬が、岸田政権を葬ることになりかねません」(自民党閣僚経験者)
 後悔先に立たずと言うが、無理筋の国葬を決めた岸田首相の自業自得だ。
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2022年09月27日

青函トンネルを貨物列車が通れなくなる?北海道新幹線「札幌延伸」の大問題

青函トンネルを貨物列車が通れなくなる?北海道新幹線「札幌延伸」の大問題
枝久保達也:鉄道ジャーナリスト
2022.9.26 ダイヤモンドオンライン

北海道新幹線の札幌延伸にあたってJR北海道から経営分離される函館本線の廃止を巡る議論を取り上げた。
だが、北海道新幹線を巡っては、もう一つの「貨物撤退論」が存在する。
その背景にある「青函トンネル」の速度制限問題について解説する。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

並行在来線をめぐる議論に 左右される函館本線の存否
 前回は北海道新幹線の札幌延伸にあたってJR北海道から経営分離される函館本線の廃止を巡る議論を取り上げた。
整備新幹線の開業にあたって並行在来線は地元自治体などが出資する第三セクター鉄道会社に経営移管され、地域密着の経営に転換される。
 ところが函館本線の場合は極端に利用者が少なく経営が成立しないため、沿線自治体が引き受けることができない。
既に小樽〜長万部間の廃止は事実上、決定しているが、本州と北海道を結ぶ貨物列車が多数運行される函館〜長万部間にも廃止論が浮上している。
では、同区間はJR貨物が所有すればいいのか。

 しかし、JR貨物は価格競争力を保ち、経営を成立させるために、JRなどの旅客会社に格安の線路使用料(アボイダブル・コストルール)を支払うことで貨物列車を運行している。
つまり自前で線路設備を保有して運行するというビジネスモデルを取っていない。
 では函館〜長万部間は廃止の運命をたどるしかないのか。
鉄道貨物は北海道から撤退するしかないのか。
そこでようやく国が重い腰を上げ、同区間を貨物専用線として存続させるため、国や自治体が鉄道設備を保有し、JR貨物に貸し付けるスキームの実現に向けて調整に乗り出したのである。

 本州と北海道を結ぶ貨物列車は、道外に輸送する北海道産農産物の3割を担うとともに、全国から北海道に向けて生活必需品を運んでいる。
また北海道発着貨物はJR貨物の全収入の約8分の1を占めており、当然ながら同社は函館本線の維持を希望している。
 貨物にとっては国家的な重要幹線である函館本線の存否が、なぜ並行在来線をめぐるローカルな議論に左右されているの0か。

北海道新幹線を巡る もうひとつの貨物撤退論
 実は北海道新幹線を巡り、もうひとつの「貨物撤退論」が存在する。
その背景にあるのが、現在、新幹線と貨物列車が共有する青函トンネルの速度制限の問題だ。
 青函トンネル構想は戦前から存在したが、1950年代に入って構想が具体化し、1961年に着工した。当初は在来線規格で設計されていたが、掘削途中の1971年に将来、新幹線が走行可能な設計に改められた。
 27年の工期を経て青函トンネルは1988年3月に開通し、当面の間は在来線の旅客、貨物列車が使用することになったが、1996年に整備新幹線として北海道新幹線新青森〜札幌間の整備計画が策定。
新幹線と貨物列車が共有する方針が示された。

 北海道新幹線新青森〜新函館北斗間は2005年に着工。
青函トンネル約54キロを挟む前後区間約82キロは、新幹線の用いる標準軌と在来線の狭軌いずれの列車も走行できる三線軌条方式で整備することになった。

 だが新幹線と在来線の線路共有は簡単な問題ではなかった。
新幹線の安全性は、道路交通(踏切)や在来線から全く独立した専用の線路を走行することで保たれている。
ところが、在来線の列車事故発生率は100万キロ当たり0.012件で、新幹線の同0.001件に対し10倍以上高く、貨物についてはさらに高い。

 特に危惧されたのが地震時の対応だ。
交通政策審議会の整備新幹線小委員会が2012年4月にとりまとめた「収支採算性及び投資効果の確認」では、青函共用走行区間について「在来線(貨物列車、引用者注)は大規模な地震が発生した際に貨物が荷崩れ・散乱する可能性を完全には否定できない」と指摘している。
 速度が上がるほど運動エネルギーは大きくなるため事故時の被害も大きくなる。
地震で落下したコンテナに時速260キロで走行する新幹線が衝突したら大惨事となるのは間違いない。
また時速260キロの新幹線と時速100キロ程度の貨物列車がすれ違うと風圧でコンテナが荷崩れを起こしたり、変形したりするリスクも指摘された。
 そのため2016年3月の北海道新幹線新青森〜新函館北斗間の開業にあたって、青函トンネルを挟む前後区間約82キロは、それまで青函トンネルを走行していた在来線特急「白鳥」と同様の最高速度時速140キロに制限することになった。

 しかし巨額の建設費を投じて建設する高速鉄道の速度を制限するというのはナンセンスだ。
供用区間の最高速度が時速140キロに制限されると、東京〜新函館北斗間の所要時間は時速260キロ運転と比べて18分余計にかかる。
 このままでは東京〜新函館北斗間の所要時間は4時間、東京〜札幌間は5時間を超える見込みで、投資効果が大幅に低減してしまう。
そこで開業から当面は減速運転を実施するものの、できる限り早い段階、遅くとも札幌延伸開業までに供用区間の速度向上を実現しようという検討が始まった。

すれ違いの問題を いかに解決するのか
 前述のように高速化を妨げる最大の問題は「すれ違い」だ。
これを解決するためには、すれ違い自体を避けるか、すれ違いがあっても問題がないようにするかしかない。
 すれ違いを避ける最もシンプルなアイデアは、新幹線と在来線(貨物列車)の運行時間帯を分離するという案だ。
だが列車本数の維持と夜間保守時間の確保を前提とすると、両者を完全に分離するのは不可能なので、新幹線専用時間帯は安全確認に必要な時間を含めて2時間程度しか確保できない。
その場合、時速200キロ以上の高速運転が可能なのは1日1往復程度でしかない。

 もし完全な分離を行うとしたら最終的には第2青函トンネルの建設に帰結する。
だが膨大な事業費をかけてまで建設するメリットがあるとは言えないし、第1青函トンネルほどでないにせよ、長い工期を要するため結局、高速運転が実現するのは相当先だ。
 一方、すれ違いを許容した高速化のアイデアとしては、トンネルの上下線の間に隔壁を設置し、物理的に分離するというものがある。
一見、良さそうな案だが隔壁の自重にトンネルが耐えられるよう、アンカー打ち込みなど大規模な補強が必要となり、約1600億円もの事業費が見込まれる。
またそれ以上に青函トンネル内での大規模工事は非常に難易度が高く、長期の工期を要する上、列車運行に多大な影響を及ぼすだろう。

 最も大胆なのは貨物新幹線の導入だ。
新幹線と在来線のすれ違いが危険なら、新幹線と新幹線のすれ違いにしてしまう。
つまり、貨物列車のコンテナを貨車ごと新幹線の車内に格納して高速走行する貨物専用新幹線を開発しようという案だ。
 非常に夢のある話だが、まったく前例のない車両、システムの開発は簡単な話ではない。
在来線と新幹線の連絡貨物ターミナルの整備にも時間が必要だ。
今なお高速化の切り札として期待する声も大きいが、札幌延伸開業まで9年を切った今、既に時間切れと言わざるを得ない。

 最後は発想の転換だ。
速度差のあるすれ違いが危険なのだとしたら、すれ違う時だけ在来線特急並みの速度に減速すればよいのである。
そこで現行の信号システムなどを活用して、すれ違い時のみ自動的に減速するシステムを開発しようというアイデアだ。
 だがすれ違いの問題は解決したとしても、コンテナの落下など線路支障を防ぐ手立てが必要となり、トンネル内にカメラやセンサーを設置し線路状態を常時監視するシステムの導入、または貨物列車の後部に監視・検知機能を備えた検査用車両を連結するなどの安全対策が必要で、構想の具体化には至っていない。

貨物列車撤退による 経済的なコスト
 では実際の速度向上はどのように進んだのか。
まずは対策不要の速度向上策として、開業直後の2017年からすれ違い時の風圧測定や地震発生時のシミュレーションなど、最高速度の引き上げを目指した検証に着手。
2019年3月から最高速度を時速160キロに引き上げ、所要時間の3分短縮に成功。
これにより東京〜新函館北斗間は最短3時間57分となり、ようやく4時間切りを達成した。
 続いて2020年以降、貨物列車の運行本数が少ない年末年始やお盆の期間限定で、始発から午後3時半頃までの間に青函トンネルを走行する新幹線上下各7本(計14本)で最高速度時速210キロ運転を実施することでさらに3分の短縮を実現している。
 とはいえ整備新幹線の最高速度時速260キロに及ばない「高速」運転ですら年に数日しかできないのが実情で、現状ではこれ以上の高速化は望めない。

航空機に対して最低限の競争力を確保するには東京〜札幌間を4時間半切りが不可欠で、青函共用問題の解決は必須である。しかし抜本的な解決策は開業に間に合いそうもない。  
そこで共用問題の根本的な解決案として浮上したのが、青函トンネルからの貨物列車撤退論であった。
 これは新函館北斗開業当時から存在した考え方で、例えば2018年から2020年にかけて開催された北海道経済連合会青函物流プロジェクトチームの報告書は「新幹線は高速化が図られてこそ、その本来の目的を達し得るものであり、後述する青函共用走行問題を根本的に解決することが必要である」として、貨物は「新幹線の高速化を犠牲にしてまで維持すべきものではないと考える」と結論付けている。

 本州〜北海道間の輸送は海上輸送が約93%を占め、鉄道輸送は約7%にすぎない。
海上輸送は軽工業品、農水産品、金属機械工業品が多くで東北・関東地方の割合が高い。
鉄道輸送は農産品、食料工業品、宅配便が中心で、中部地方以西への遠距離輸送が多い。

報告書は本州〜北海道間の鉄道輸送量483.4万トン(2015年時点)を海上輸送に切り替えても、海上輸送の余裕輸送力で対応可能だという。
 だが、道内の鉄道貨物を廃止し、各地から港までの輸送をトラックに置き換えた場合、脱炭素の取り組みに逆行するだけでなく、相当数のトラックと運転手が必要になり、人口減少に伴うドライバー不足が進行する中で現実的な方策ではないという指摘がある。
2019年にJR貨物がみずほ総研に委託して行った調査によると、トラック輸送への転換による経済損失は最大1462億円に達するという。
 一方で前出の報告書は、道内の鉄道貨物を存続させた上で、列車で苫小牧港や室蘭港まで輸送し、そこでトレーラーに積み替え、船舶に搭載して輸送する方式を提案している。これは日本通運が実際に行っている方式だ。

 プロジェクトチームの座長を務めた北海道大学公共政策大学院客員教授の石井吉春氏は、JR貨物のコンテナ輸送は船舶輸送に対して価格優位性を持っているが、これはアボイダブル・コストルールにより適切な費用負担をしていない数字であり、JR北海道・JR貨物ともに持続可能性が低いと指摘している。
また輸送日数を見ても、鉄道貨物は多くの地域で海上輸送よりも日数がかかっており、鉄道貨物の優位性は低いと主張する。

 しかし国交省の「鉄道物流のあり方検討会」にも参画した、ある物流関係者は鉄道輸送と海上輸送の併用は輸送コストと輸送時間がかさみ、これまでの鉄道輸送の優位性が減殺されると指摘する。
報告書案についても「トラックによる港湾〜貨物駅間の短距離継送と荷役作業が発生し、コスト的に成り立たちにくく、メリットを見いだしにくい」として、日本通運の事例は小規模だから成り立っているのだろうと話す。
 そうなると「道内の鉄道輸送を残した上で海上輸送に転換したとしても結局、最終消費者や荷主までの発着は陸送が必要になるので、コスト的に道内も陸送せざるを得ない」。
それでも鉄道貨物を維持するなら「苫小牧、八戸双方の鉄道・港湾直結や、積み替え時の無人荷役などの、ドラスチックかつハードルの高い施策を、国主導で進める必要がある」とした。
 結局、こちらも実現には多額の費用と長い時間が必要で、札幌延伸までに間に合うような話ではない。

宇都宮〜盛岡間の時速360キロ化で 鉄道貨物撤退論が変わる可能性
 前述の北海道経済連合会は、2021年にも「物流プロジェクトチーム」を設立しているが、ここでは「北海道と本州を結ぶ『全輸送力』の維持・強靭化」のために鉄道貨物の存続さらには機能向上を求めるという、前回とは異なる結論になったのである。
 報告書は「現在、青函ルートにおいては、『青函共用走行区間』と『並行在来線(函館・長万部間)』における貨物輸送の在り方に関する議論がなされている。
これらは、個別に議論、報道されることが多いため、別々の問題としてとらえられがちであるが(略)北海道・本州間の輸送においては、双方が同時に機能する必要がある」と指摘。

 青函共用問題についても「『旅客輸送のニーズ』をベースにしつつも『貨物輸送のニーズ』も含め、双方から十分な議論がなされるべきである」として、新幹線を優先する議論に批判的だ。
 結局、この問題の結論は北海道新幹線の所要時間短縮を、どの程度、重視するかによって変わってくる。

時速160キロから時速260キロに引き上げた場合の短縮効果は約15分で、これにより東京〜札幌間4時間半を実現しようというのが貨物撤退論のキモである。
 国交省が2012年に公表した試算によると、盛岡以北を最高速度時速260キロ、うち共用区間は時速140キロで走行した場合の東京〜札幌間の所要時間は5時間超。
一方、共用区間を含む盛岡〜札幌間を時速320キロに引き上げた場合、東京〜札幌間の所要時間は4時間33分となる。
 実際、2019年に新函館北斗〜札幌間、盛岡〜新青森間の最高速度引き上げが決定したが、共用区間は依然として時速160キロ止まりで、所要時間は4時間48分程度というインパクトに欠ける数字となる。

 ところが思わぬ形で4時間半は達成できそうな情勢だ。
当時は想定されていなかった、JR東日本が目指す東北新幹線宇都宮〜盛岡間の時速360キロ化である。
試験車両「ALFA-X」による走行試験が順調に進んでおり、札幌延伸に合わせて高速化されるとみられる。
 時速360キロ化による時間短縮は約15分と推測されており、共用区間を時速160キロに制限してもなお目標の4時間30分程度を達成できる計算だ。そうなると貨物撤退の大義名分は無くなってしまう。

 いや、貨物を廃止することで4時間15分、さらには4時間切りも可能になる、実現すべしという考えもあるかもしれない。だが、物事にはバランスがある。
共用を前提としたすれ違い減速システムの実用化など現実的な範囲での高速化では不足なのか。
不可逆的な鉄道貨物の廃止までしなければならないことなのだろうか。

 一方で貨物側からの歩み寄りの可能性も残されている。
JR貨物の農産品輸送は季節ごとの需要の変動が大きく、青函トンネルを走行する貨物列車は定期列車40本に対し臨時列車が11本設定されている。
前述の時速210キロ運転は、この臨時列車が運行されない時期に行われているのだ。
 また上りと下りで需要が大きく異なるため、空コンテナの回送が多く、輸送コストを押し上げている。
ピーク時の料金を値上げするなど、需要をコントロールすることで経営効率の向上が可能との指摘もある。

需要が平準化されれば新幹線と貨物のすみ分けがよりスムーズになるはずだ。
 新幹線も貨物列車も、どちらも北海道にとって必要な存在であり、それぞれ異なる使命がある。
どちらにも利点と欠点はあるが、最適解はその中間にある。
現状を追認するのではなく、その先を見据えた議論が求められる。
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2022年09月28日

安倍氏国葬、4200人参列=世論二分、反対派は集会―岸田首相「遺産」継承誓う

安倍氏国葬、4200人参列=世論二分、反対派は集会―岸田首相「遺産」継承誓う
2022年09月27日 時事通信

 安倍晋三元首相の国葬が27日、東京都千代田区の日本武道館で執り行われた。
政府発表によると、国内外から4183人が参列し、憲政史上最長の通算8年8カ月にわたり首相を務めた安倍氏に最後の別れを告げた。

国葬をめぐる世論の賛否が割れる中、会場周辺では一般献花に多くの人が訪れる一方、抗議集会も開かれた。
 首相経験者の国葬は1967年の吉田茂氏以来55年ぶり。岸田文雄首相は追悼の辞で「あなたが敷いた土台の上に、持続的ですべての人が輝く包摂的な日本、地域、世界をつくっていく」と述べ、安倍氏が内政・外交面で築いた「遺産」の継承を誓った。

 国葬では、国歌演奏や黙とうが行われ、生前の安倍氏の映像が流された。
秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方が参列。官房長官として長年、安倍氏を支えた菅義偉前首相は「あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せだった。日本にとって真のリーダーだった」と故人をしのんだ。

国葬は開始から4時間後の午後6時すぎに終了した。
 式に先立ち、安倍氏の遺骨を乗せた車は東京都内の私邸を出発。防衛省を経由して会場に到着すると、自衛隊の儀仗(ぎじょう)や演奏、弔砲で迎えられた。
会場近くの九段坂公園に設けられた献花台には長蛇の列ができ、一時約3キロ離れた四ツ谷駅付近まで献花を待つ人が続いた。
午後6時時点で約2万3000人(政府発表)が訪れた。

 一方、国会正門前では反対派が集会を開き、「弔意の強制は許さない」などと声を上げた。 
                               【時事通信社】
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2022年09月29日

「コーラを飲むと骨・歯が溶ける」説を検証 ”意外な真相”が判明した…

「コーラを飲むと骨・歯が溶ける」説を検証 ”意外な真相”が判明した…
2022年09月28日 Sirabee

飲んだ瞬間、強烈な炭酸の刺激と甘さが一気に押し寄せる──。
まだまだ暑い日が続く中、コーラは気分を爽快にさせてくれる飲み物だ。

コーラといえば、小さい頃に両親や学校の先生から「コーラを飲みすぎると骨・歯が溶ける」と言われたことはないだろうか。
古くから伝わるこの説を検証してみると…。

■学生時代に注意された経験
記者は学生時代、テニス部に所属していた。
夏休み中の練習終わりに、こっそり自動販売機で買ったコーラを飲んでいるところを顧問の先生に見つかってしまい…。
買い食いを咎められると共に「お前、コーラなんて飲んでたら骨がスカスカになるから控えろよ」と注意された。

バレーボール部に所属していた友人も、顧問の先生から「コーラを飲むと虫歯になる」と言われたそうだ。
”コーラを悪者にする”説は妙に頭に刷り込まれており、今でもコーラを飲むと一抹の罪悪感に襲われる…。

 ■歯が溶ける可能性は…
コーラを飲むことで歯が溶けることはあり得るのだろうか。
大阪中之島デンタルクリニックの山本彰美さんは、 コーラは通常の水に比べて酸性度が高いと指摘する。
「酸性度は通常pHで表されますが、歯を溶かすにはpH5.5以下の数値が必要です。コーラの酸性度は思った以上に強く、pH2.2と言われています。
一見、歯が溶けると思われるかもしれませんが、歯が酸によって溶けるには、酸性度に加えて歯に触れている時間が必要になります。
通常、コーラを飲むときは数秒程度でしょうから、コーラを飲むことで歯が溶けることはありません」。

コーラを何時間も口に含むような異質な飲み方をしない限り、コーラ自体が歯を溶かすことはないということだ。

■当たらずとも遠からず
ただ、コーラに含まれる砂糖にはこんなリスクが。
「砂糖(糖分)は、虫歯の原因の大きな要素です。
コーラを飲むことにより、糖の影響で虫歯になることは考えられます。
コーラを1日に多量に飲んでいると、飲まない場合と比べて虫歯が発生する確率は高くなります。
ただ、これはコーラに限ったことでなく、スポーツドリンクなど他の砂糖入り清涼飲料でも同じことが言えます」(前出・山本さん)。

虫歯になるということを持って「歯が溶ける」と見ることもできるわけだ。
とはいえ、週に2〜3回飲む程度で、食後の歯磨きをきちんとしていればすぐ虫歯になることはないだろう。
当たらずとも遠からずといったところか…。

■「骨が溶ける説」の真相
では、「骨が溶ける」説は正しいのだろうか。
前出の山本さんはコーラに含まれる食品添加物が問題になると語る。
「人の成長期にはカルシウムが必要ですが、食品添加物の中にはカルシウムの吸収を妨げるものがあります。せっかくカルシウムを摂取しても、コーラの食品添加物がカルシウムと結合してしまい、体内に吸収されることなく排出されてしまいます。 その結果、骨が弱くなるという事象が起こります。

コーラを飲みすぎると、骨が溶けるというのはあながち間違いではありません。
ただ、コーラが筋肉や脂肪で覆われている体の中の骨を直接溶かすことはありません」(前出・山本さん)。
コーラを1日に大量に飲む生活を続けているとカルシウムが不足する危険があるということだ。

学生時代、散々暑い中外で練習をやらされて、終わった後のひそかな楽しみに水を差すようなことを言われた時は内心カチンときたものだが、顧問の先生なりに記者が健康に育つよう気遣って注意してくれたのかもしれない…。

コーラを飲むことで骨や歯がすぐに溶けてなくなることはないが、節度ある飲み方を心がけたい。
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2022年09月30日

旧統一教会問題がクローズアップされる中、どうも腑に落ちない「日本人は無宗教」という誤解

旧統一教会問題がクローズアップされる中、どうも腑に落ちない「日本人は無宗教」という誤解
2022年09月29日 PRESIDENT Online

「日本人=無宗教」は本当なのか。
ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「日本人の生活の中に“信仰”が深く根付いているから、あえて宗教を意識しないのではないか。
ただ、20歳前後の大学生を調査すると6割以上が死後の世界や霊魂の存在を信じていることがわかった」という――。

■旧統一教会問題が注目されているが、日本人=無宗教?
故安倍晋三元首相が銃弾に倒れて以降、旧統一教会問題がクローズアップされている。
だが、これまでメディアではしばしば、「日本人の多くは無宗教であり、宗教離れが顕著」といった文脈で語られることが少なくなかった。
また、自分は「無宗教」「無神論者」であると自認する人も多い。

しかし、「日本人=無宗教」は本当なのか。
本稿では日本人の、宗教との関わりをひもといていきたい。
日本人の宗教性はしばしば、欧米のキリスト教との比較において論じられる。
米調査会社ピューリサーチセンターは米国人のうちキリスト教徒は約64%で、ユダヤ教やイスラム教、仏教などのキリスト教以外の信者が約6%、無宗教者は約30%と報告している。

しかし今後、米国のキリスト教徒は急激な減少に見舞われる見通しだ。
2070年までに無宗教者の割合が全人口のうち34〜54%に拡大するとみられる。
その背景のひとつに、信仰の切り替え(宗教アイデンティティーの転換)がある。
米国では現在、キリスト教信者の家庭に生まれた子どものうち、約31%が15〜29歳までの間に無宗教者に転じているとされている。
背景として米国では、近年「イエの宗教」から「個の宗教」への転換が急激に進んでいる。
つまり、祖父母や両親が熱心なキリスト教信者だからといって、自分も教会に通うとは限らないのだ。

しかも、現代はネット社会だ。
ネットを通じて、自分好みの「教え」や「宗教者」に自由にアクセスできる。
例えば、マインドフルネスなどを入り口にして、ユーチューブなどの動画を見ながら、「ZEN(禅)」を実践する。
とはいっても、特定の宗教団体に所属することはないのだ。
では、日本はどうか。NHK放送文化研究所が参加している国際比較調査グループISSPは2019年、日本人の宗教意識についての調査を発表している。
それによると、日本人全体のうち「宗教を信仰している」割合は全体の36%に過ぎなかった。
これは米国の半分に近い水準である。

宗教を信仰している人の割合は、前回調査の2008年時点の38%より2ポイント下げている。
この割合を見ると、確かに、日本人は無宗教だといえるかもしれない。
ちなみに宗教を信じる人のうち「仏教」と回答した割合が31%、神道が3%、キリスト教が1%となっている。

■家にミニチュア寺院と神社を構えるのは日本人くらい
参考までに、日本のほかに「無宗教」の割合が高い国は中国、北朝鮮、チェコ、エストニアなどである。
中国共産党は無神論を掲げ、文化大革命期には宗教施設に対する破壊が行われた。
現在の中国は宗教に関して比較的寛容とされているが、文革時代の影響を少なからず引きずっている。
チェコも戦後の長きにわたって、共産政権時代が続いた。
独裁国家の北朝鮮においては、そもそも信教の自由がない。
バルト三国のエストニアは、ソ連に併合されていた時代の宗教に対する抑圧が影響している。
ちなみにロシアは、共産主義時代は宗教を否定していたが、ソ連邦崩壊によって信教の自由が認められ、現在ではロシア正教がおよそ4割を占めている。

現在、ロシアでも無宗教の割合が多いとされているが、日本ほどではない。
日本は明治維新時の廃仏毀釈(きしゃく)を除けば、伝統教団への宗教弾圧はあまりなかった。
むしろ、歴史的には国家が仏教や神道を庇護してきた経緯がある。
なのに「無宗教の割合が多い」という珍しい民族なのだ。

しかし、「日本人は本当に無宗教なのか」を、疑ってみたい。
ISSP調査の「神仏を拝む頻度」の設問では、「1日1回以上」が17%、「月1回〜週数回」が14%、「年数回」が48%であった。
「ほとんどない」は21%だった。
この設問では、8割の日本人が「神仏を拝む」ことを拒絶しているわけではないことがわかる。

確かに年中行事を見回しても、日本人は一年に何度も宗教に接している。
正月の初詣でには1億人近い人々が神社や寺院に足を運ぶ。
また鬼を追い払う節分、春夏のお彼岸、お盆、地域のお祭りなど、伝統的な宗教儀式のほか、それぞれの家庭では仏壇や神棚を祀り、死者が出れば法要を繰り返し実施する。

仏壇はミニチュアの寺院であり、神棚はミニチュアの神社だ。
自宅の中に、小型の宗教施設を構える国民は日本人くらいのものである。
また、お盆の帰省は、お墓参りがセットであることが多いはずだ。
お墓参りのために、高速道路の渋滞が何十kmもでき、新幹線は乗車率200%超というすさまじい混雑が生まれるのである。 もっといえば、食事の前の「いただきます」「ごちそうさま」は、自分が生きるために犠牲になってくれた「命」に対する懺悔の表現といえる。これも立派な宗教行為だ
こうしてみれば、日本人はかなり日常的に宗教に関わっているといえる。
むしろ、生活の中に信仰が根付き過ぎているからこそ、あえて「宗教を意識しない」といえるのかもしれない。

シャイな日本人は、他者から信仰を問われれば無宗教を標榜するものの、決して「無神論者」ではない、といえる。

■20歳前後の6割以上「死後世界や霊魂の存在を信じる」
私は近年、二十歳前後の若者の宗教観を調査してきた(2022年、東京農業大学の1〜4年生有効回答数1105)。
例えば、「あなたは死後世界を信じるか」についての設問がある。そこで、「はい」と回答したのが62%と過半数を占めた。また、「あなたは霊魂の存在を信じるか」については66%が「信じる」としている。
さらに、「あなたや、あなたの葬式はどの宗教で行うか」では、「仏教式」が75%と多数を占めた。
「神道式」は6%、キリスト教式は3%、その他の宗教が3%、無宗教式が13%だった。

死を迎える時には、仏教のお世話になりたい。そう多くの若者が考えているのは意外だった。
葬儀において何らかの宗教を選択するとの意識は、それこそ立派な信仰の証しといえるのではないだろうか。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶
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寒暖差がなにかと不調を招く時季…「市販薬の副作用」にご用心

寒暖差がなにかと不調を招く時季…「市販薬の副作用」にご用心
2022年09月28日 女性自身

季節の変わり目は気候の変化に体の調節機能が追いつかず、さまざまな不調に悩まされる人も少なくない。
コロナ禍でいまだ病院にもかかりづらい状況にあるなか、そういった不調にまずは市販薬で対処しよう、という人もいるだろう。
「体調トラブルは市販薬でも対応できるケースがありますが、同時に誤った市販薬の使用には、思わぬ“副作用”のリスクが伴うことを忘れてはいけません」 そう話すのは『ドラッグストアで買えるあなたに合った薬の選び方を頼れる薬剤師が教えます』(羊土社)の著書がある薬剤師の児島悠史さんだ。
「不調を治すために使った市販薬が、かえって別の不調を招く原因となっているケースもあるのです」(児島さん・以下同)

今回は児島さんに、秋に出やすい不調について、市販薬の選び方・使い方のポイントを教わった。
児島さんがこの時季に特に多いと指摘するのが、寒暖差からくるかぜの症状だ。
「かぜをひいたかな、と思ったら『総合感冒薬(かぜ薬)』を求める方は多いですが、総合感冒薬は、熱・鼻水・咳・痰など多くの症状にまとめて対応する薬です。
そのため、7〜8種類、あるいはそれ以上の成分が含まれます」
不要な成分を体に取り入れることは体に負担をかけることにもなる。

「使う薬の種類が多ければ、それだけ副作用のリスクも高くなり、肝臓や腎臓などにも負担をかけることになります」
寒暖差は胃腸にも影響が出やすい。
便秘のときに用いる市販薬は、水を集めて便を軟らかくする非刺激性、腸を刺激して便を出す刺激性の2つに大きく分けられる。
「基本は非刺激性の薬を使い、刺激性の薬はピンポイントで使うようにしてほしいのですが、『効き目がよいから』と刺激性の薬を連用してしまう方がいらっしゃいます。
しかし、刺激性の薬を使いすぎるのはクセにもなるのでよくありません。
非刺激性の薬で満足できない場合は、一度病院で相談することをおすすめします」

ブタクサなどによるアレルギー性鼻炎も秋の不調の一つだ。
「アレルギーに使う点鼻薬では、『血管収縮薬』は鼻づまりがすぐに解消するため人気がありますが、効き目が長続きしないため、繰り返し使ってしまいがち。
そうした使い方を続けると、鼻の粘膜がダメージを受け、アレルギーでもないのに鼻水や鼻づまりが続く薬剤性鼻炎を起こす原因になります」
かに、空気が乾くことで肌の乾燥やかゆみも気になり始める。「ステロイド」が含まれる塗り薬を使う場合があるが、「ランクIII」に分類される「リンデロンVs軟膏」などは、市販薬の中で最も効き目が強い。
見た目に影響をおよぼすことがあるので、皮膚の薄い顔や目のまわりなどに使うのは避けたい。

手軽に使える市販薬のメリットがアダになってしまうことのないよう、それぞれの特徴をきちんと把握することを心がけよう。
posted by 小だぬき at 07:53 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする