オウム真理教の“残党”上祐史浩の「ひかりの輪」はいまだ反省なし?
2022/09/03 日刊ゲンダイ
藤倉善郎ジャーナリスト
「ああ言えば上祐」
1995年3月の地下鉄サリン事件後、オウム真理教は無関係と強弁する上祐史浩につけられた呼び名だ。
当時日刊ゲンダイ記者だった二木啓孝が命名したといわれている。
オウムは坂本弁護士一家殺害事件や松本・地下鉄両サリン事件など数々の凶悪事件を起こした。
殺人やテロだけではない。
存命中の教祖・麻原彰晃のDNAに特別な効果があることが科学的に証明されたかのようにうたい、それを含む液体を飲む儀式で100万円もの金を取ったり、信者の財産を巻き上げるといったこともしていた。
未成年者まで出家させていた。
現在、オウムは解散し、主に3集団に分かれて存続している。
今も麻原を崇拝し特に危険視されている「アレフ」と「山田らの集団」。
そして麻原信仰を捨て、事件を反省したと表明している「ひかりの輪」だ。
いずれも団体規制法によって公安調査庁による観察処分の対象に定められている。
ひかりの輪の代表が冒頭の上祐史浩。事件を反省し被害者に賠償しているとして、いまや文化人か評論家のように世情を語っている。
ライブハウス「ロフトプラスワン」などでトークイベントを繰り返し、会場の客を勧誘しているのだ。
■地下鉄サリン事件の日に「聖地巡り」旅行
しかしこの“反省”が、かなり疑わしい。
2016年にひかりの輪は上祐と共に2泊3日で福井県方面に旅行する「聖地巡り」を企画した(参加費は宿泊費・温泉代別で3万7000円)。
旅行期間中の3月20日は地下鉄サリン事件の発生日。
東京・霞ケ関駅には例年、献花台が設けられ、事件の犠牲者への追悼が行われる。
そんな日に信者を引き連れて“温泉旅行”だ。
この旅行を、筆者は世田谷区内の教団本部から車で尾行した。
福井の永平寺を訪れた30人弱の信者と上祐は、寺の前でにこやかに記念撮影。
お土産屋のまんじゅうを歩き食いしながら寺を後にした。
まさに地下鉄サリン事件発生日の3月20日のことだ。
この様子を公道で取材する筆者に教団幹部が近づいてきてカメラを遮る取材妨害。
さらにこう言い放った。 「参加者が『やめないなら訴える』と言っている」
後日、教団側は「温泉には行っていない」と主張したが、そういう問題ではない。
いかにも“ああ言えば上祐”の集団らしい。
18年、麻原を含め13人の死刑が執行された。
その直後「週刊新潮」が、91年ごろに教団内で起きた女性信者殺害事件の現場に上祐が立ち会っていたとスクープ。
上祐がひた隠しにしてきた未発覚の事件だ。上祐は報道の数カ月前から「週刊新潮」の取材から逃げていたが、死刑執行で死人に口なしになると取材に応じ、事実を認めた。
反省したはずが、まだ隠し事をしていたわけだ。
筆者は世田谷区の教団本部(マンションの一室)を何度か取材で訪れた。
部屋には額縁に入った弥勒菩薩(マイトレーヤ)の肖像画。
上祐は現在、麻原から授かったホーリーネーム「マイトレーヤ」を使っていないが、信者向けにはこうしてオウムの名残を婉曲的にアピールしている。
「ひかりの輪はアレフ内で『上祐こそ尊師から最も信頼された弟子』『上祐についてくれば来世で再び尊師に会える』として集められた信者集団。
いまだに麻原信仰を維持している信者もいます」(脱会者)
ひかりの輪が入るマンションには他の住人が掲げた横断幕が。そこにはこう書かれている。
「名前を変えてもオウムはオウム」(敬称略=おわり)