日本人が持っていたはずの「正直さ」の美徳はもう戻らないのか(三枝成彰)
9/17(土) 日刊ゲンダイ
芸術家に求められるのはルールを破ることだ。
いつの時代もモラルを疑い、社会の常識をひっくり返してみることで、新しい芸術は生まれてきた。
政治家に求められるのも、凝り固まった旧弊をひっくり返して現状を打破する力だろう。
しかし、もっとも重要な資質は嘘をつかないことだ。
大言壮語は大いに良し。しかし、国民を欺くことは、決してやってはいけないのだ。
以前に当コラムで、安倍元総理の最大の罪は「嘘が通る社会をつくったこと」だと私が書いたゆえんはそこにある。
安倍政権発足以来、本来なら国民に範を示すべきリーダーや官僚たちが公の場で平気で嘘をつき、国にまつわる数字や公文書を改ざんするようにさえなってしまった。
そのために日本社会のモラルは崩壊したのだ。
私は同じコラムで「安倍元総理の人柄と業績は分けて評価すべきだ」と述べた。
著名人が亡くなって世の中が“追悼モード”になると、日本人はすぐに故人の人柄と業績とをいっしょくたにしてしまう、と。 たとえその人が罪を犯していたとしても、日本人は「もう亡くなったのだから」と許してしまいがちだが、その罪が消えてなくなるわけではない。
人道に対する罪などは、犯した者が生涯にわたり背負っていくのが世界の倫理観だ。日本人の考え方は通用しない。
■森友、加計、桜、東京五輪…
「モリカケサクラ問題」も疑惑が消えたわけではなく、現にその中で命を落とした人もいる。
真相追及の作業は大方が積み残されたままだ。
とくに加計学園のことは単に学部設置に便宜を図っただけにとどまらない。
獣医学部の看板を借りて、安倍さんが秘密裏に細菌兵器の研究を進めようとしたという説さえある。
獣医学部のみが、実験を含めた研究を行えるからだ。
国会議員が、いわくつきの宗教団体と集票や無償労働などと引き換えに密接な関係を結んでいても、「何が悪いのか」と反省する態度すら見せない。
オリンピックが巨大な利権ビジネスなのは周知の事実だ。政府が表立って関われない水面下の招致交渉などを広告代理店に任せるのも当たり前。
しかし、賄賂の授受がバレても嘘さえつき通せば何とかやりすごせるという風潮が出来上がった責任は、安倍さんにある。
日本人が持っていたはずの「正直さ」という美徳は、もう戻ってこないのか?
精神科医の和田秀樹さんがご自身のメールマガジン「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」で、いまの政治を分析しておられるのを紹介したい。
当コラムとも通ずる話題を取り上げており、共感する部分も多い。
いわく、「企業なら結果が悪ければ責任を取らされるが、政治家は結果が問われない」
「いいことをやって結果を出すより、何もしないほうが選挙に勝てることも(岸田総理は)知っている」
「アベノミクスにしても、理屈は立派だが、結果は悲惨だ」など。
和田さんのエッセーは私以上の毒舌だ。
毎回、政治や医療や教育などを独自の見方で斬っておられる。
有料の購読制だが、ご興味のある方はどうぞ。
(三枝成彰/作曲家)