自衛隊の性加害生んだ「ホモソーシャル」の醜悪さ
報道を見て「自分には関係ない」と思う男性の盲点
ヒラギノ 游ゴ : ライター/編集者
2022/10/06 東洋経済オンライン
(編集部注)この記事では詳細な被害状況を描写することはありませんが、性加害について取り上げています
陸上自衛隊に所属していた女性が訓練中に複数の男性隊員から性加害を受けた問題について、防衛省が29日に謝罪の意を表明したことが報道各社によって大きく取り上げられた。
本件では、事件発生時その場にいた20名ほどの加害者・目撃者全員がやっていないし見てもいないと証言したという。
つまり、職場で公然とおこなわれた暴力事件を同僚全員が無視したということになる。
証言が得られなかったため、加害者と目される3名の隊員は不起訴となった。
それを受けやむをえず、被害者自身が第三者委員会による公正な調査を求める署名活動を始めるに至った(事件の詳細はこの署名活動のページに詳しい)。
その結果、このたび防衛省によって「訴えが事実であること」、また「他の女性隊員にも同様の被害があったこと」を認める発表がなされた。
そのうえで、陸自トップの吉田圭秀陸上幕僚長は「これまで長く苦痛を受けられたことに対し、組織を代表してお詫びする」と公式に謝罪、同様の事案の根絶に向け尽力すると宣言した。
本件についての世間のリアクションを観測していると間々見受けられるのが、今回起こったことを「自衛隊の閉鎖的な環境によるもの」として話を終始させようとする態度だ。
しかし、今回起こったことはけっして自衛隊だからこその問題ではない。
社会のあらゆるコミュニティに同様の可能性が潜んでいる。
問題は多くの「ホモソーシャル」に共通するものだ。
ホモソーシャルの問題に他人事でいられる人はいない
ホモソーシャルとは、男性・女性どちらかのみの構成員に偏ったコミュニティを指し、主に男性中心の集団の場合が多い。
自衛隊に限らず、男性社員ばかりの部署や、学生時代の部活動に至るまで、この世界の多くのコミュニティがホモソーシャルに該当する。
ホモソーシャルはさまざまな不均衡の要因となるが、その最たるものがミソジニー(女性蔑視)の温床となることだ。
公判中の滋賀医大生による集団暴行事件にも同様の傾向が見られた。
本件では、性的合意を経ず一方的に行為に及んだこと、動画を撮影して仲間内で共有していたことなどが報道されているが、このような行為の背景には、男性同士のコミュニティ内で一方的な「女性」や「性行為」というものの偏見が形成され、女性の尊厳を軽んじる感覚が根付いてしまったことがあると考えられる。
属性の異なる構成員がバランスよく参加するコミュニティであれば、自然と偏った感覚が軌道修正されていくことが期待できるが、ホモソーシャルの場合、そうした偏りに歯止めが利かなくなるというのが陥りがちな状況だ。
その結果として、このたびの自衛隊での事件のような形で表出することがある。
自衛隊での事件は、閉じた男同士のコミュニティでは許され、それどころか"笑える"振る舞いとして行われていた行為を女性にぶつけたことで、彼らの持っていた感覚の有害性があらわになった面がある。
「これはまずいんじゃないか」と自分たちの振る舞いを問い直し、社会全体とすり合わせる自浄作用が利かなくなっていく。 男性自身をも害するホモソーシャルの有毒性 ホモソーシャルやミソジニーの問題について知るとき、男性たちの中には自分自身が否定されたような心象になる人がいる。
しかし、問題とされているのは個人個人の男性ではなく、男性優位の社会構造、システムの話であり、また男性たち自身、こうした男性優位の社会構造が規定した男性像への適応を要請されることに日々無自覚に消耗している。
規範意識を知らずのうちに学び取り、自らの心身で再現する。
その過程で、女性をはじめとした男性以外の属性を持つ人はもちろん、本人自身の人生をも害し、また周囲の男たちと互いを害しあう。
そうした自他に害をなす「男らしさ」の規範意識をトキシック・マスキュリニティ(有毒な男らしさ)と呼ぶ。
2018年に起こった日本大学フェニックス反則タックル問題は、日本大学アメリカンフットボール部の監督やコーチが、自チームの選手に対し相手選手に怪我を負わせるためのタックルを強要した事件だ。
当該の試合直前の練習にて、反則タックルを行うことになる選手は監督・コーチから再三「闘志が足りない」「やる気を見せろ」と詰問を受け、その挽回の具体的な方法として反則タックルを指示された。
この事件の土台にも、ホモソーシャルの閉じた支配ー被支配の関係性の中で「タフであれ」という規範意識や暴力性を称揚するトキシック・マスキュリニティ的な文化が根底にあると考えられる。
ホモソーシャルの歪みは、他者への加害のみならず、構成員自身の人生をも害するものだ。
包括的性教育が乏しかった結果、自助努力に任されてきた 「包括的性教育」という概念がある。
日本における「性教育」のイメージから連想されるようなものとはまったく異なる概念だ。
ここまでに述べたような「ホモソーシャル」「ミソジニー」「トキシック・マスキュリニティ」といった、社会生活において重要なタームやその背景にあるジェンダー論の論理を学ぶことをベースとし、その一環として月経や生殖といった身体の話題がある。
そうしたカリキュラムが「包括的性教育」だ。
そもそも日本の初等教育における性教育というと、6年間で1度、女子だけが集められて月経についての簡単な(生殖については触れない程度の)説明があったのみという体験の人が大半だろう。
このような包括的性教育を受けていない以上、ジェンダーに関わる基礎的な知識には個々人でばらつきがあり、自助努力に任されている状況だ。
それゆえに分断や軋轢が生じ、時にニュースとして取り沙汰されるような凄惨な事件に繋がっていく。
学びを得ていく具体的な方法としては、とにかく専門家の正しい知見を頼ることが第一だ。
そのうえで身近な者同士で情報交換をすること、少人数の勉強会のような機会を作ることなどが挙げられる。
また組織レベルで言えば、専門家を招き、社員研修の一環としてジェンダーに関する講習を組み込むことなどが有効だろう。 実際、筆者もそうした企業向けの講習プログラムの提供に関わっているが、各業界のリーディングカンパニーでは浸透しつつあるものの、率先してそういった取り組みを実施する企業はまだまだ少ないのが現状だ。
包括的性教育が施されない現代では、適切な知識体系より先に、ネット上の有害な情報源に行き当たり、認識が歪められるケースが非常に多い。
現代日本のネットコミュニティにおいては「弱者男性論」と呼ばれる概念が流布しているが、これは専門家の間ではまともな論理を伴った「言説」とは見なされていない。
しかし、社会において孤立感や疎外感を抱く一部の男性たちは、自身を許し受け入れる概念と捉え没入していってしまう。
また、日本において非常に著名な専門家がトランスジェンダーなどの特定の属性の人に対して排他的・差別的だと指摘を受けていたり、フェミニズムを掲げた方針で知られる企業のリーダーがその実何の知識の裏付けもなく事業を展開していたりといった問題もあり、情報収集の妨げになる要素は多岐にわたり存在する。
いずれの場合も、情報源を見定めるにあたっては、学術的なバックボーンのある専門家であるか、あるいは問題を長年取り上げてきたジャーナリスト・文筆家など、実績のある人物であるかどうかを確認することが重要だ。
現代を生きるわれわれには、こうした一連のイシューに対する自覚が求められている。
ピンとこない、納得がいかないとしても、まずは「どうやら世間ではそういうふうに言われているらしい」と一度受け止めることが重要だ。
意義深い前例ではあるが…
自衛隊で起こった事件について、こうした内部の醜聞に対し事実を認め謝罪することは極めて異例といえる。
同様の被害に苦しめられてきた隊員、また今後苦しめられるかもしれなかった隊員たちにとって非常に意義深い前例となった。
ただ、本件はそもそも刑事事件相当の、つまり法の裁きに委ねられてしかるべき事案だと筆者は考える。
勤務先が事実であるか否かのジャッジをするのも、謝罪をするしないに腐心せざるをえないのも筋違いではないか。
こうした事後処理のあり方の背後にも、特権的な男性たちによるホモソーシャルの作為が感じられる。