カルトの標的にされやすい人の「典型的な特徴」
ダブルバインドで心をがんじがらめに縛られる
紀藤 正樹 : 弁護士/リンク総合法律事務所所長
2022/12/19 東洋経済オンライン
今年7月、安倍晋三元首相が銃撃されました。
以来、にわかに注目された旧統一教会問題、そしてカルト宗教についてさまざまな議論が続いています。
なかでも議論の中心になっているのが「マインド・コントロール」です。
そもそもマインド・コントロールとはどんな状態のことをいうのか。どうやって判断するのか。
どうして人はマインド・コントロールされてしまうのか。
カルト宗教による被害者救済の第一人者、紀藤正樹弁護士の著書『カルト宗教』から一部引用・再構成して解説します。
そもそもマインド・コントロールとはなにか
マインド・コントロールを直訳すると「心の制御」になります。
辞書には「自分の感情を制御すること」の意味も記載されていますが、一般的に使われるのは「他人の感情や行動を自分の意のままに操ること」のほう。
良い意味で使われることはまずありません。
なかには「マインド・コントロールなるものは存在しない」とする人もいますが、社会的用語として市民権を得ているのは事実です。
カルト絡みのシチュエーションでなくても、一般の人たちの会話のなかに登場することもあります。
「最初は意見がまとまらなかったけど、最終的には○○さんの考えに全員賛同したよね。ひょっとして、みんなマインド・コントロールにかけられちゃったんじゃないの?(笑)」と、このような感じで、冗談っぽく使われることもあるのではないでしょうか。
教育熱心な親から「あなたには勉強しかない」と言われ続けて育てられ、その気になって猛勉強をして東大合格を目指す子ども。
心酔しているコーチになにからなにまで指示を仰ぎ、トレーニングだけでなく日常生活においても言われた通りに行動するスポーツ選手。
彼らもまた、広義でマインド・コントロールされた状態にあると、いえなくもありません。
カルト宗教問題における「マインド・コントロール」は、いま挙げたような文脈で使われる場合とでは性格が大きく異なります。
対象となるのは、人権が踏みにじられたり、違法性のある行動に導いたりする、問題を多くはらんだマインド・コントロールです。
定義するならば、「自分以外の人や組織が常識から逸脱した影響力を行使することで、意識しないままに自分の態度や思想や信念などが強く形成・支配され、結果として物理的・精神的・金銭的などの深刻な被害を受ける状態」になるでしょうか。
いわずもがな、カルトのマインド・コントロールはこれに当てはまります。
安倍元首相暗殺事件における容疑者の母親をはじめとする統一教会の被害者や、霊能者や占い師に心を支配された著名人など、例を挙げ出していったらきりがありません。
人格が一変し、支配され、簡単に解けることはない マインド・コントロールにかかると、人格が一変します。
こちらの意見を聞いてくれなくなります。
考え方が凝り固まり、取りつく島がなくなります。
こちらのことを悪魔のように思い込んでしまう場合もあります。
一度ハマると簡単には抜け出せない、本当にやっかいな状態なのです。
マインド・コントロールをかけた側とかけられた側の関係が、同等ではない点も重要です。
カルト的宗教団体には、教祖から末端の信者に至るまで、明確な上下関係が存在します。
かけられた側は、原則的に下の立場。
これは、霊能者や占い師などのケースでも同じです。
かけられた側がかけた側に強い「依存心」を抱いている点も見逃せません。
完全に依存している上の立場の人からの指示には従うしかない。
言われたことは信じるしかない。
いつの間にか、そのような状態にさせられてしまうのです。
にもかかわらず、「恋愛は互いのマインド・コントロールなのだから、抜け出そうと思えば自由に抜け出せる」と、とんちんかんなことを訳知り顔で語るワイドショーのコメンテーターや、力の上下関係があることを無視して「マインド・コントロールではなく、正しくは共依存=vなどと、依存心の怖さをまったく理解できていないスピリチュアル・カウンセラーがいたりします。
彼らは、マインド・コントロールという現象、すなわちマインド・コントロール状態に置かれた人をじかに見たことがないから、このような誤った認識をしてしまっているのでしょう。
マインド・コントロールを正しく理解するためには、カルトが起こしている実態に、真剣に目を向けなければなりません。
社会全体がその姿勢をとらない限り、マインド・コントロールによる被害はなくなっていかないのです。
細胞レベルまで植え付けられる強迫観念と依存心 では、なぜマインド・コントロールは解きづらいのか。
最たる理由は、「強迫観念」と「依存心」を植えつけられてしまっているからです。
心の奥底の、それこそ細胞レベルと表現してもいいくらい、体の隅々までにこれらが浸透しているため、脳がそこから抜け出そうとすることを拒むのです。
強迫観念は、マインド・コントロールを、「心理的委縮」でなく「行動原理」につなげるために、なくてはならないもの。
だからカルトは徹底的に、被害者に「○○をしなければならない」という意識を持たせるように仕向けてきます。
私は強迫観念自体を全否定するつもりはありません。
人がなにかしらの目標に向けて行動する際、ある程度は必要だと考えています。
「毎日少しずつでも勉強しないと試験に落ちてしまう」と危惧する受験生。「辛いと感じるレベルの練習をしなければ強豪相手に勝つことはできない」と自らに鞭を打つスポーツ選手。こうしたある種の不安は、人が行動を継続させるための原動力になります。
努力の源のひとつと表現してもいいかもしれません。
「どうにかなるさ」と楽観的に構えていて本当にどうにかなることも時にはありますが、一方で、多少の強迫観念があったほうが、ものごとを成し遂げたり、成功したりする可能性が高まることもあります。
強迫観念的な考えを、一概に不健全と決めつけることはできないでしょう。
しかし、カルトが被害者に植えつけようとする強迫観念は、その範疇を超えています。
通常、不安というものは自発的に生まれる感情ですが、マインド・コントロールを仕掛けてきているカルトは、被害者の強迫観念になりそうな要素を見つけて、その度合いがよりいっそう強くなるように誘導してきます。
見つからない場合は、外から圧力をかけて人為的に植えつけていくのがお約束です。
なにか悩み事はないかと聞いてきて、とくにないと答えると、悩みがないこと自体が人間としておかしいと返してくる―――そうやって、悩みがない人にわざわざ悩み事をつくっていきます。
さらに追い打ちをかけるように、心理的なテクニックを用いて、その悩みをもっと大きく感じるようにしていきます。
そして最終的に、その悩みを解決するためには、この人に頼ればいい(教団に帰依すればいい)と信じて疑わないように手なずけていくのです。
カルトは、マインド・コントロールの過程で、「悩みの原因は霊に取りつかれているからだ」とか、「このままでは必ず病気なる」とか、根も葉もないことを吹き込み、さらに不安を煽っていきます。
ここまできてしまったら、もうお手上げ。
いつの間にか相手(ないしは教祖)に対する依存心が芽生え、「この人(教団)なしでは生きていけない」と思うようになってしまうのです。
「ダブルバインド」で心をがんじがらめに縛られる もうひとつは、「ダブルバインド」による精神の呪縛です。
直訳すると「二重の呪縛」。
これは、マインド・コントロールが深まっていくと、他者からのはたらきかけのみならず、自分自身でも心をコントロールするようになってしまうことです。
心の支配が二重になることにより、いちだんとマインド・コントロールが解きにくくなります。
例えば、「夜を徹して祈りなさい」と教祖から命令されたとしましょう。
信者は基本的に従うしかありませんが、指示に反するようなことをふと考えてしまう瞬間もあると思います。
「今日は疲れているし、寝ちゃだめかな」と。
しかし、その刹那に恐怖心がこみ上げてきて、寝たいと思う心を抑えるようにセルフ・コントロールする力がはたらき、祈り続ける道を選択するのです。
これがまさにダブルバインドで、この状態に至ってしまうと、元に戻すことは容易ではありません。
一般の人と日常会話はできますが、脱会を勧める説得等にはまったく耳を貸さなくなります。
教祖以外の考えに耳を傾けることは罪だと教わっているので、黙りこんだり、平気で噓をついたりします。
どんなに頑張ってマインド・コントロールを解こうとしても、暖簾に腕押し状態が続くことになるのです。
スポーツの世界では、セルフ・コントロールはパフォーマンスを高める効果があると、前向きに評価される傾向にありますが、カルトのマインド・コントロールの状況下となれば話は別。
百害あって一利なしとでもいうべき、深刻極まりない現象とお考えください。
カルトの勧誘に高確率で引っかかってしまう人と絶対に心配のいらない人を分かつ、明確な基準や条件を述べることはできません。
しかしながら、ターゲットにされやすい人や、騙されやすい人にははっきりとした傾向があります。
【カルトにハマりやすい人の典型的なタイプ(条件)】
@大学に進学したばかりの人
A企業に就職したばかりの人(新入社員)
B最近、生活環境が変わった人
C新しいことにチャレンジしたいと思っている人
Dなにか社会の役に立つことがしたいと考えている人
E素直な性格だといわれる人
F孤独を感じるときがある人
G健康に不安のある人
H完璧主義といわれる人
Iマインド・コントロールに絶対にかからないと思っている人
いかがでしょうか。
どれかひとつでも該当していたら要注意。
複数項目に及んでいる人は、本当に気をつけてください。
「当てはまる項目はあるけれど、自分は絶対に大丈夫」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
でも、そこに落とし穴があるのです。
カルトは乗りやすいタイプを知っている これらのタイプが危険だといえる理由を説明していきましょう。
@〜Bはワンセットとして考えていいと思います。
進学や就職など、みな新たな一歩を踏み出したばかりの人たちです。
引っ越しをしたりして、心機一転頑張ろうと意気込んでいる人も多いでしょう。
カルトは、そんなフレッシュな人たちを徹底的に狙ってきます。
なぜなら、まだ新天地での人間関係が築けていないケースが多いからです。
知り合いがほとんどいない状況のなか、最初の知り合いにならんとして、彼らは正体を隠して忍び寄ってきます。
親切で、話が上手で、性格も明るい。そんな人がフレンドリーに接してきたら、自然と心を許してしまうことでしょう。
入学したばかりの大学で、入ったばかりの会社で、まったく見知らぬ土地で、最初にできた「親友」を、いきなり疑えというのは無理な話です。
人間関係がどんどん深くなり、気づけば教団の関連施設に足を踏み入れるようになっていた―――そんな例はいくらでもあります。
また、@〜Bに当てはまる人は、たいていやる気に満ちていますから、CやDに該当することも珍しくありません。
カルトはそんな人間心理をわかっていて、心に刺さる言葉や引っかかる言葉を投げかけてきます。
「今の生活に満足していますか?」 「なにかやりたいことがあるんじゃないすか?」 「こういう勉強をしておくと、将来的に有利ですよ」 そんな「煽り」や「そそのかし」に乗せられてその気になり、教団が主催する、(表向きはカルト関連とはわからない)セミナーや勉強会に参加してしまう人も後を絶ちません。
Eの「素直な性格だといわれる人」については、なんとなく「ああ、そうだろうな」と思うでしょう。
素直な性格の人は、他人の言葉を信じやすく、受け入れやすい。
だから危険なのです。
こと相手がカルトとなると、疑い深く、性格がややひねくれている人のほうが安心といえます。
F「孤独を感じるときがある人」とG「健康に不安のある人」は、抱えている漠然とした寂しさや不安が、心の隙をつくってしまうパターンです。
やさしい言葉をかけてくれたり、親身になって接してくれたりする人のことを、盲目的に信頼してしまっても不思議ではありません。
人間、心身ともに弱っているときは、対人関係のガードが甘くなるものですから。 自分に自信がある人ほど危ない そして、なにより注意すべきなのが、H「完璧主義といわれる人」とI「マインド・コントロールに絶対にかからないと思っている人」です。 完璧主義といわれる人は、他人の話を完璧に聞こうとします。
だから、勧誘する人の話に没頭しやすく、内容を完璧に理解できてしまいます。
その話が興味深く、賛同でき、聞いていてスッキリした気持ちになったら(カルトはそうなりやすい話をちゃんと用意して接近してきます)……その話し手の考えが自分の考えになり、完璧主義者ゆえに自分の考えは絶対と思い込み、それが強固な信念に変わってしまうのです。
自分のことを信じて疑わない完璧主義者は、じつは危険極まりありません。
真面目で、信念がしっかりしていて、理屈っぽい人ほどマインド・コントロールに引っかかりやすい。
これが現実なのです。
オウム真理教の幹部が高学歴の面々で占められていたことは有名な話ですが、その背景にこんな構造が存在していたということがわかれば、腑に落ちるのではないでしょうか。
そしてこれは、マインド・コントロールに絶対にかからないと思っている人にも、同じようなことがいえます。
自分に自信があり、相手の話に納得がいかなければ、きっちり反論し、場合によっては論破に臨むことも辞さないタイプ。
裏を返せば、同意できる話や納得のできる話であれば、相手を認めてあげることのできるタイプです。
でも、カルトは正体がわからないように近づいてきますので、その会話がすでにマインド・コントロールの一環であることに気づきません。
さすがに「今からあなたにマインド・コントロールを仕掛けます。かかるかどうか勝負しましょう」なんて宣言をしてくれるわけがありませんからね。
意気投合してしまったら万事休す。
完璧主義者と同様、「相手の考え=自分と同じ考え=正論」と結論づけてしまうのです。
ですので、自信家だという自覚のある人ほど注意が必要です。
「自分の信念を疑うことが大事」とつねに言い聞かせるようにしてください。
カルトの被害者にならないためには、自分の気質、現在の心情、置かれている環境などを冷静に分析し、自覚することが重要です。